考える道徳への転換に向けたワーキンググループ (第1回、平成28年5月27日)における主な意見(未定稿)

【道徳教育及び道徳科において育成すべき資質・能力について】

○ 社会人として、また、親として思うことは、子供の生きる力を教育の中で培ってほしいということ。知識だけではなく、しっかり社会で生きていく力、特に諦めない力や、物事をやり抜く力といったものを道徳教育の中で培ってほしい。

○ 道徳的価値の理解や、自己の生き方や人間としての生き方について考えて、理解を深めていくということはとても大事であると考える。それとともに、社会とのつながりというところ、言い換えると、他者との協働によって何かを作り出すことや、多様性を尊重していくということが今の子供にとってはとても重要だと感じている。

○ 今日の資料5-3の中では、学習活動に着目した一つのイメージとして三つの柱に分けているものがあり、これも一つの考え方であると思う。一方で、道徳性という、しかも非常に心情、判断、実践意欲と態度は不可分なものであるということも考えると、道徳性は三つ目の柱「学びに向かう力、人間性等」の部分に当たり、そして、この手段として身に付けていくような資質・能力が、この三つの資質・能力の根底のところにあるとも考えられる。

○ 道徳教育の目標は「道徳性を育む」となっており、その諸様相として、道徳科の目標では「道徳的な判断力、心情、実践意欲と態度を育てる」となっている。道徳教育及び道徳科を通じて育成すべき資質・能力を、このことと関連させて考えるならば、「思考力、判断力、表現力等」に関わるものが道徳的な判断力と考えられ、「どのように社会、世界と関わり、よりよい人生を送るか」というところは、必ずしも全てではないが、道徳的心情、実践意欲と態度という部分が非常に色濃く関わってくると考えられるのではないか。「知識、技能」については、目標を見ると「道徳的諸価値についての理解を基に」ということになっており、この知識に関わる部分については、道徳的価値というものが関係してくるのではないかと考える。

【道徳教育及び道徳科における見方・考え方について】

○ 道徳教育や道徳科の「見方・考え方」については、道徳的価値が介在する事象、つまり善悪が問題にされるような事象を、どのように子供たちが見たり、考えたりしていくのかという枠組みであると考える。また、自己あるいは人間としての生き方について考えるということが、道徳教育、道徳科における道徳事象に関する見方・考え方を考える一つの手掛かりになるのではないか。

【小・中学校の道徳科の指導方法等について】

○ 現場の教員は道徳科の指導について、何をしたらいいのかということでとても迷っている。どうしても、指導の「型」というものが欲しくなる。どうすればいいかというのをよく聞かれるが、どうすればいいのかではなくて、子供をどう育てるのかということが大事だと思っている。また、評価の問題にも関わってくるが、どう評価すればいいのかということにすごく不安感を持っている先生が多い。どう評価をするかという視点ではなく、どう子供を育てるかという視点を明らかにすることが必要であると考える。

○ 議論する道徳というと、とかく二項対立的な議論が中心になることが想定される。二項対立にすると子供の話合いは非常に活性化するが、小学校低・中学年あたりではどうすればよいかということで、ぐるぐる同じところを回るような結果になる傾向がある。議論する道徳というのは、二項対立的な道徳的価値を対立させるような議論だけではなく、むしろ原理追究的な議論や、体験、複雑な事象、現実的事象などたくさんの道徳的価値を含む問題を議論するということが大切であると考える。議論する道徳がこれまで、ともすると二項対立的議論であるというような理解に及んでいた危険性についても解説できるようにすることが必要である。

○ 「考える道徳」、「議論する道徳」といったときに、「考える」というのはどういうことを言っているのか、「議論する」というのは何を言い、またどういう可能性を持った言葉として使っているのかというのを自覚した上での議論をしなければならない。考える道徳、議論する道徳の試行的な試みの成功例のようなものを出していただければ、議論がもっと具体化するのではないか。

○ 現代社会の中での善悪の判断ができない問題を扱う場合、正解がなく、個人の価値観によって選択、決定していかなければならないであろう社会的な問題についての議論ということも大変重要ではないか。その際、例えば正答のない問題に対してそれを自分が選択、決定し行動に移すときに、どのような課題や問題が発生するであろうかというような問い方も可能ではないかと思う。

○ 先生にとっては道徳の授業をどう変えていくかというところが一番の大きな関心事。考え、議論する道徳に転換ということは、キーワードとしては学校や先生方の意識の中には浸透しているが、具体的にどのような授業をしていけば、考え、議論する道徳になるのかというところまではなかなか浸透していない。一方で、方法だけに走っていって、活動ありきというような授業にならないよう、価値について、子供たちが自分の生き方とか人間としての生き方に結び付けてしっかり考える深い学びのある道徳の授業の在り方を議論できればと思う。

○ 多忙を言い訳にすべきではないが、本気で道徳のことを考えるにはあまりに時間がないということと、どう勉強すればいいのか分からないという教員が多いという実態もあるのではないか。

【発達の段階を踏まえた指導方法について】

○ 発達の中で、思考の質的な変容というものが生まれてくる。小学校低学年、中学年、高学年、中学校と進むにつれて、客観的な視点や批判的な視点が生まれてくる。その発達の段階に応じた方法論や、あるいはその方法論の比重といったところを考慮しつつ、道徳科の中に反映させるべきではないか。

○ 資料を読んで登場人物の思いを問う授業展開が行われてきたというのが現場の主流。ある段階までは、こうした授業を通して、主人公や登場人物の思いに共感しながら、そこに心情を考える、道徳的心情を考える、あるいはその判断をするということは、非常に重要な視点であるが、それだけでは立ち行かなくなっていく段階がある。課題意識を持ち、なぜ、どうしてこの行動に出たのだろうか、あるいはこの判断をしたのはなぜなのかというような問いかけ、あるいはその登場人物に対してどう思うのかという、客観的な視点や批判的な視点での問いかけということも、発達の段階を考慮した指導法においては大事になっていくのではないか。

○ 中学生の発達の段階を考えると、分かっていながら行動できないという問題がある。そこでロールプレイを通して、その子供たちがやってみて、その結果、自分の心に何が生じたか、その微妙な心のひだを言語化できることにすごく意味があると捉えている。こうしたことから考え、議論する授業に転換できるのではないかと思っている。

【高等学校における道徳教育について】

○ 高校にとっては道徳教育のイメージが非常にわきにくく、また、教科、科目における道徳的なアプローチが不明瞭である。また、総合的な学習の時間や特別活動といったものが主に道徳的なステージとして考えられるが、その総合的な学習の時間や特別活動における道徳的なアプローチが不足している。

○ 道徳教育のイメージがわきにくいということについては、中学校までどういった学習を子供たちがしてきたのかというところを中学校から聞き取るような仕組み、双方向の連携といったことを、まず高校に取り入れなければいけないのではないか。

○ 教科、科目における道徳的アプローチが不明という点に関しては、高校における道徳教育の手引きみたいなものがあれば有り難いと思う。総合的な学習の時間、特別活動での道徳的アプローチが不足しているというのは、例えばインターンシップの事前学習、事後学習、特に大事なことはインターンシップで体験してきたことを生徒がどう自分に落とし込んでいくかという視点で、振り返り学習を行うことであると考える。

○ 千葉県では平成25年から高校1年生を原則対象に、道徳を学ぶ時間という名称で、いわゆる道徳の授業を行っている。当初は、なぜ高校で道徳教育が必要なのかというような声もあったが、やっていくうちに、例えば研究指定校となっている高校で公開授業を行い、近隣の小学校の先生あるいは中学校の先生に見てもらい、学校種を超えた発達の段階の異なる道徳の授業の在り方あるいは捉え方について、非常に参考になったというような意見も聞いている。

○ 東京都では「人間と社会」という教科を設けており、本校ではキャリア教育を土台として、そこに道徳的な内容を融合させながら、インターンシップも実施し、事前、事後の学習に取り組ませている。それによって、自己有用感を高め、人間関係のところでも自己理解、他者理解を深めさせる取組ができているのかなと思っている。

○ 高校では倫理が重要な意味を持ってくるのではないか。例えば、道徳の中で、他者とともによりよく生きる、それからどのように社会、世界と関わり、よりよい人生を送るかということが重要なテーマになっているが、これは例えば優しさとか社会貢献ということができる力をどう育てるかということにもつながる。例えば他人のために自分を犠牲にする利他主義という考えだけでは、なかなか行動ができない。人間にはなかなかできにくいことがあるが、ではできることは何なのかということを考えさせる。そういう意味で考えさせる視点に広がりを持たせていけるのではないかと思う。

【発達障害等の児童生徒への配慮について】

○ 子供によっては道徳の学習を進める上で困難がある場合もある。例えば発達障害のある子供たちは通常の学級にもいることがある。特に、道徳科以外の教科の知識、技能面では何ら抵抗なく習得していっている子供たちであっても、道徳の目標に示されている道徳的な判断力、心情、それから実践意欲と態度という点になると、例えば自閉症のある子供については、他者の心情理解が障害の特性として難しかったり、注意欠陥多動性障害のある子供については、自分をコントロールすることが難しかったりする。そういった中で、目標に書かれている「育てる」という方向性が非常に重要。身に付けるのではなくて育てていくということ。したがって、一人一人大きな差がある中で、幅のある目標設定ができるような教科指導を「特別の教科 道徳」は目指すべきではないかと考える。

【家庭との連携について】

○ 道徳教育については保護者としても期待している。「私たちの道徳」も是非家庭でも活用をという話があるが、家庭で学校の道徳教育を踏まえて家庭教育がされているかというと、実際問題としてできていないのではないか。これから「開かれた道徳教育」ということになるのであれば、地域、家庭にも開かれた道徳教育という観点で、是非家庭教育と道徳教育をうまくつなげていくようなところを盛り込んでいただきたい。

○ 家庭の道徳観等にはそれぞればらつきがあり、家庭でしっかり道徳に関する話ができる家庭もあれば、難しい家庭もある。そうしたとき、家庭で話ができない子供たちが、学校の教室の中でつらい思いをするとか、授業についていけないというようなことがないように配慮していただきたい。

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