第4回高等学校部会における主な意見

■.教育課程の総体的構造の可視化と「カリキュラム・マネジメント」の実現

○ カリキュラム・マネジメントにおいて校長をはじめとした学校の管理職が果たす役割がうまくいくかどうかの最大のポイント。高校では教科の壁がまだ大きく、カリキュラム・マネジメントを教科横断的なものにし、教員一人一人に参加してもらい、学校全体から見て最適なものにする、また、作ったカリキュラムと実際の授業に乖離がないようにすることを徹底できるかどうかということは、校長、副校長、教頭がどこまでこの問題を認識し、自分が自覚をし、校内で実行できるかにかかっている。
○ 学校としては管理職を中心にカリキュラム・マネジメントをしっかりと確立させると同時に、学年ごと、教科ごと、あるいは個々の教員が一人一人カリキュラム・マネジメントの意識を持たなければ、結局、形だけになってしまう。一人一人の教員もしっかりしたカリキュラム・マネジメントを考えるという意識を持つということを明確にした方が良い。
○ カリキュラム・マネジメントを通じた改革の理念の浸透を何よりも大切にするという点を少し重めに書いた方がいいのではないか。なぜ必要なのかというこれまで議論されてきた哲学の部分を何とか盛り込んでいただき、分かりやすく浸透するための方策を具体的に書く工夫をしていただきたい。
○ 高大接続システム改革会議報告書には高校の質の向上として、多面的な評価をしながら、高校の質の向上を図っていくPDCAサイクルの図が入っていた。高校ごとに、学校ごとに目標を設定し、それに対して不断の改善の努力を進めていくことも盛り込んでいただきたい。

■.「何ができるようになるか」(教育目標と育成すべき資質・能力の明確化)

○ グローバルマインドの涵養は非常に重要だが、「グローカル」という考え方に立ったとき、ローカルに対する社会参画や社会形成を織り込んでいくことが必要。特に高等学校の場合、高等学校を最後に地方都市から流出してしまう若者が非常に多い。そういった意味で、地域社会の形成や地域課題をどう考えるのかが高等学校の中で極めて重要な要素。特に教科、科目としての「公共(仮称)」が構想されている中で、社会形成、あるいは地域社会というキーワードで盛り込むべきことを考えていく必要がある。
○ 「協働的な学びを実現させるためには、論理的に議論できる力が必要」というのはすばらしい視点だが、「言葉を扱う教科の中で」とあると国語や外国語だけなのかなというニュアンスになってしまう。これは全ての教科において必要なので、是非、国語や外国語だけにならないようにしていただきたい。特に地歴公民については18歳選挙権の話もある中、積極的に議論をすることを推進するような表現にしていただきたい。

■.何を学ぶか(教科横断的な視点での教育課程の編成)

○ 実際に授業研究を見る中、これがアクティブ・ラーニングなのか、教科横断的なものなのかと疑問に思うものも少なくない中、スーパー・グローバル・ハイスクールの取組は大変参考になるので、ぜひ言及して欲しい。本格的に教科横断的に取り組み、専門家が入ることで、深い学び、探究につなげていく手法が取られている。

■.どのように学ぶか(指導案等の作成と実施、学習指導の改善・充実)

○ 現在、埼玉県においては150校中、大体100校ぐらいの学校から、総勢400名を超える教員が研究開発委員という名前で知識構成型ジグソー法という型を使った授業研究等を行っている。初任者研修等においても活用しているが、その中で常に言っていることが、型だけに固執してしまうと弊害が出てしまうということ。一方、今ここに書いてある書きぶりだけだと、ある種の型、作法では深められないとなってしまう。型だけに執着し過ぎて、ほかが見えなくなる指導方法はよろしくないが、型を用いることの効果もあるということに留意した表現としていただきたい。

■.何が身に付いたか(学習評価の充実)

○ 高等学校の場合には、学校ごとの特色があるために、評価の観点が学校ごとに定まっていない。さらに、教科書中心に授業が進むために、各教科・科目の中で育成すべき資質・能力が、先生方に見えていない。こうした現状を打破するためには、各教科の内容を学校ごとに設定していくカリキュラム・マネジメントの段階を定着させていくことが必要。今回の学習指導要領は、評価の観点と指導内容を学習指導要領の各教科の内容、指導事項として示していこうとしている。それをもとに各学校が教科の内容の指導事項をカリキュラム・マネジメントとして作成し、それが評価の三観点、知識・技能・思考・判断・表現・主体的に学習に取り組む態度として生徒たちに見える化され、評価の中身が明らかにされていく取組が必要。加えて、小中学校は学校ごとではなく、学習指導要領の内容と指導事項の評価の観点がそのまま評価の観点にスライドできるような形にしておくと、評価はしやすくなってくる。
○ キャリア・ノートなどの評価は評価することが目的ではなく、評価した先の目標にいかに修正して到達するかが主眼。そのためには評価者と評価される人との間の会話が重要で、企業においても最低年に2回は評価者と評価される人が話し合いの機会を持っている。
○ 本校もいわゆるキャリア・ノートのようなものは作っており、1年間のサイクルの中で、その時々子供たちに気づいてもらいたいこと、調べてもらいたいことを一冊の本にまとめて、子供たちがそれを調べる取組を行っているが、日本中から見ると、そういう学校は本当に少ないと思う。こうした取組によって、学校として見通しを持った指導を行うことができるとともに、生徒も見通しを持つことができる。また、クラスの間の差も生じにくくなり、学校として行うことができる。そのためには、学校としてどういう子供を育てたいかを考え、いつどのようなことを行うのか体系化し、共通理解を図ることが重要。
○ 本校の場合は、そのキャリア・ノートを作る一方で、年間3回、担任と生徒が面談をする。生徒の実態を見ていきながら適切にアドバイスする形が望ましいが、なかなかそこまでできている学校は少ない。しかしながら、今、シラバスを作る学校も増えてきており、昔に比べるといろいろな情報を子供や保護者に示していきながら教育活動を行っている。面接やカウンセリングなどもかなり多くの学校で積極的に行われている。
○ 三つの大きな流れとして今回の学習指導要領の改訂を捉えるならば、第1の流れが目標と内容と評価の一体化、三番目がカリキュラム・マネジメント、間に科目・教科の新設・見直し。一つ目と三つ目は表裏一体であって、その表裏一体性を明確に学校現場に伝えるために、キャリア・ノートやポートフォリオタイプのツールを導入し、学びのプロセスを評価の対象とし、それを見取ることが重要だというメッセージを伝えることが必要。
○ 評価することをどうモチベートしていくかが重要。二十数年前までは未来は希望だったが、今は未来は不安。その中で、知識の量にこだわらず、知識を応用していく、知識をいろいろな現実の課題に適用していくことを学んでいくためには、その評価は単なる数字ではなくて、教員と面談することでお互いフィードバックしながら、目標に近づけていくことが必要。すなわち、評価というのはイコール日本の未来なのだという大きな視点を教員も生徒も持って行くことが、そうした評価を推し進めることにつながる。
○ 評価は何のためにするのかというところの認識をきちんとすることが重要。教員の本来業務も、教えることではなく、評価をしてアドバイスをして伸ばしていく、その自立を支援する役割を果たすことだと捉えることもできる。様々な授業改善をとおして、そうした取組を促していくことが必要。
○ 子供たちがみずからのキャリア観に応じて自己評価をすることが重要であり、それが基となり他者評価と自己評価のすり合わせ、みずからがその意欲を喚起していく。
○ 最近、企業の場では、評価者は一人ではなく、同僚や上司、部下からも評価を受ける360度評価という取組も行われている。アクティブ・ラーニング的な視点を入れた授業や学習方法であれば、仲間たち、同級生たちからの評価や校外の方たちからの評価といった様々な角度からの評価が出てきて、それが多面的な評価につながっていくのではないか。
○ 評価の面での高等学校内での情報共有も重要。例えば、英語の時間で、主体的な学習の態度も普通で、知識・技能の獲得も普通の目立たない生徒が、総合的な学習の時間で国際交流を行う際にはたどたどしい英語ながら非常に意欲的にコミュニケーションをとろうとして活躍するという例があったとする。そのような評価を各教科横断的に、学校全体の教員の宝としてため込み、各教員がそれを生かすことができるシステムができないか。
○ ポートフォリオ型は教科の中でも重要。実際にどう評価するかは難しいが、高等学校の指導要領の解説の中でも、中学校で学んだことに対して自分が的確に何を学んだかを表現するということが求められている。自分が学んだことをちょっとレポートにまとめてみるというような取組が中学から高校、大学へと続いていくならば、時間はかかるだろうが、教科の中でもポートフォリオ型の評価を行っていくことができるのではないか。
○ とある県の、アクティブ・ラーニングに熱心に取り組んでいらっしゃる県の先生方と話をしていて非常に興味深かったのは、テストの中に活用型の問題を入れることによって、これまでの知識を確認するようなテストからの脱却をしようとしているということ。授業がアクティブ・ラーニング型に進化していく中で、評価も、アクティブ・ラーニング型の授業で培った力を使い、テストで活用型の問題が解けるか否かで判断をするということはあり得るのではないか。教員の勤務実態も踏まえた上で、理想を高くもち、ステップ・バイ・ステップで取り組んでいくことが必要。
○ 総合的な学習の時間がなかなか定着していないという指摘もある中、総合的な学習の時間の評価の仕方も定着しているかと言われると疑問がある。高校では教科の評価は、専らテスト見ているが、総合的な学習の時間はテストができるわけではない。その上で、何で評価をするかというと、知識・技能と少し離れて、意欲などを見るという点で、見ることができるのかもしれない。
○ 高等学校でこれから目指す学力をしっかり付け、それを担保していくためには、基礎学力テストというような形で客観的な学校以外の目で評価を図り、それを改善に生かしていくということも重要。高等学校基礎学力テストを実施しようとしている中、それが生きるように教育の充実につながるような仕掛けを考えるべきではないか。
○ 学習指導要領における学習評価の具体が今後問われてくる。学習指導要領の本体そのものの中で示せることを図っていかなければ、具体化がなされない。例えば、国立政策研究所の「評価基準及び評価基準の在り方等」は小中学校の教員は比較的読むが、高校の教員はほとんど持ってもいないという状況もある。そうした状況の中、指導要領の具体的な示し方が今後問われてくる。

(学習評価充実のための体制整備等)
○ 小中学校の1クラスの生徒の数というのはどのぐらいか。高校はおおむね40を基準としながらの人数を受け持っているが、その中で適切に評価するにはどのぐらいの人数が適切な人数であるのかということも考えていかなければならない。少人数の子供たちであれば非常に細かい評価や様々な観点での評価も可能だが、観点別評価の実施率だけで見ると、どうしても高校が明らかに劣ったような形で表れてしまう。対象となる生徒はどのぐらいいるのかなどの葉池も踏まえ、その上でどういう手法が適切なのか考えていかなければいけない。
○ 評価のフィードバックは極めて重要。フィードバックをして、子供に次の課題を自覚させ、それにトライさせる。こうした連続的な行為を重ねていく学習のありようが重要。問題はそれにかけられる時間が現実どれぐらいあるかというとこと。
○ 仕事をしている組織における評価は、職務に関してのものであり、生徒の場合に比べれば非常に幅が狭くてやりやすい。通常の組織であれば、係長、課長、部長が直下の部下を見るというものだが、学校では40人の生徒が相手となる。生徒に対する評価を人格形成やこれから何を目指すのかということも含めて多面的にフィードバックを行っていくには、相当の時間と労力を要するもの。評価者訓練においても非常に難しい要素があり、それを熟達させるには労力と時間も要する。導入にはステップ・バイ・ステップの方式を念頭に置いて対応する必要がある。
○ 1クラス当たりの人数について、アメリカではカウンセラーが基本的には子供たちの進路相談やキャリア教育に当たることになるが、全米の小学校、中学校、高等学校全体のカウンセラー一人当たり生徒をどのぐらい担当しているかというと、2011年の全米平均で457人。最も多いカリフォルニア州では、一人当たり814人を担当している。それと比較すると、1対40というのも信じがたい数字かというと必ずしもそういう訳では無い。

(評価者訓練の充実)
○ 評価者訓練の視点は重要。日本の学校の教員の多忙さ、勤務時間の長さが明らかになりつつある中、教員の業務を中核的なものと、省略や外部への委託ができる業務とに分けるならば、評価は中核的な業務。教員の専門性の主軸としての評価と子供たちを伸ばすこと重要な教育活動であるとの自覚の下、子供たちの自己評価と教員の評価が融合できるようなシステム作りが必要。
○ 評価を通じて子供たち一人一人が成長していけるような取組が今の高等学校の中でどの程度行われているのか。また、今までの単純に点数の絶対評価だけではない、ルーブリックやポートフォリオ評価など、評価の仕方が多様になって来る中、評価者訓練のようなものをどのように行っていくのか。

(評価フォーマットの開発等)
○ ポートフォリオやキャリア・ノートは、各学校が各学校の育成すべき目標や身に付けさせたい力やカリキュラムの特徴に応じて作り替え、ローカライズ、カスタマイズすることが前提とされている。そのためワープロソフトバージョンがダウンロードできるようになっていて、固定的なPDFではないというところが大きな特徴。そうしたものを都道府県単位あるいはより小さな範囲で作っていくのか、国が大きなモデルを示していくのか議論が必要だが、学校がカスタマイズ、ローカライズしていくことを前提とした枠組としてのキャリア・パスポート、キャリア・ノートを作っていくことがカリキュラム・マネジメントを促していくことになる。
○ 教科書を教えることからの脱却と観点別評価の一層の推進のためには大学入学者選抜との関連を考えざるを得ない。推薦入試等が比率が高くなってきている中、どういう活動を高校時代してきたかと問うとクラブ活動のことしか書いていない状況で、授業の中でどういう体験をしているのかが全く見えず、また、高校側も生徒もそれが評価されないと思っている節がある。大学としては普通の授業科目やSHHやSGHの科目においてどういう学習体験をして、成果として何を出してきたかを見たい。推薦入試やAO入試等において役立つことに加え、企業に勤める場合も企業がそれを見ることができる。就職にも大学進学にも役立つポートフォリオのテンプレートを国としてある程度統一して作成することが望まれる。
○ 高等学校の教育が大学入学者選抜の影響を受けるところは大きく、大学入学者選抜にどのように活用していくかが重要な視点となる。従来型の学力と知識、技能が、幾つかの能力の中の一つだとすれば、そのほかのところをきちんと見ていくことが重要となるが、一方では10万人受験する大学もある中で、どのように多面的な評価を行うのか。その際、キャリア・ノートや学習カルテやポートフォリオ、あるいは指導要録を電子化し、共通試験の結果とともに提出するといった形で大学側の負担も軽くして、高校から大学までポータブルな形ができると良い。企業では、ピュアセールスタイムといって営業マンが余計な仕事をせずに営業を行う時間を増やすという考え方をするが、こうした取組によって教員の負担も軽減され、生徒たちと向き合う時間を確保することにつながる。
○ 学習カルテやポートフォリオ、キャリア・ノートについても、高等学校教育の大きな課題である共通性の確保と多様性への対応として、共通的なものは何か、あるいは個人個人で多様性を見るところは何かというところをきちんと整理をし、目標準拠になるものと、自分のウイルをどのように達成するかが両立できるような形で作られると良い。
○ アメリカのオハイオ州では職業教育コースの地元就職を前提とする子供たちに対して、キャリア・パスポートの作成が必須要件になってきている。また、デジタル化をして現在、継続している。そうした意味では、国としてのテンプレートを作り、共通性を確保していくことは日本の性質から見てある程度必要なこと。その中で、各県の多様性、各学校の多様性、そして一人一人の子供たちの多様性いかに組み込んでいく枠組にしていくかが重要。
○ オハイオ州のキャリア・パスポートを各学校の自主性に任せたところ、例えば文化祭に相当する学校行事の写真や夏休みの思い出の写真、作文など、様々なものをファイリングする学校が出てきたが、そのファイリングをどう整理していいのか分からず、就職の場面に持っていっても誰も読まないという状況も一部出てきた。高校卒業時にどういう形に整理し、第三者の目に触れさせていくのか。つまり、自分の学びのプロセスをどのように統合していくのかもデジタルデータであれば、ある程度可能になってくる。そうした力が情報教育の中でも求められており、デジタル化は有効な方策。ただし、ICT環境の整備や個人情報の保護の確保なども合わせて考えていく必要がある。
○ キャリア・パスポート、キャリア・ポートフォリオを導入している自治体の生徒たちと話をしていると、それが生徒たちにとって大切な宝物にはなっていない。学校で配付されるものは、どうしてもデザイン性の問題もあってか、学校の提出物が一つ増えたような感覚になってしまう。国が何か導入するのであれば、既に生徒たちが使っている日常との行き来ができるような、生徒の現状を踏まえる視点が必要。例えば今生徒たちにとって最大のキャリア・パスポート、キャリア・ポートフォリオかもしれないのは、フェイスブックなどのSNS。同質性の高いコミュニティーの中で生徒同士の不毛なやりとりという側面もあるかもしれないが、中には自分の探求テーマを持ってSNSを使いながら、多様な社会のニュースを自分の中で獲得し、大人たちからの関与によって自分のテーマを深めたりし、その履歴をAO入試のテーマを書くときに見直す子もいる。
○ 新しいタイプの評価は一日では出来上がらず、ステップ・バイ・ステップとなるのは当然。さらにある学校で使用されているキャリア・ノートが、別の高校ですぐに使用できるかというと決してそうではない。つまり、統一性と多様性の問題だが、ある程度、大枠としてはありながら、各学校でそうした新しい評価を行っていくための体制が醸成されることが必要。統一性としてある程度テンプレートとして書いていなければならないことが定められていることは必要だが、大学にいた立場からすると、全国一斉で同じものが出てきても役に立たない。新しいタイプの評価に取り組むためには大学側も手間がかかるが、まずは大学の附属の高等学校や中学校や初等・中等教育学校の生徒たちに対して、そうした積み重ねを行っていくことも必要ではないか。

■.子供の発達をどのように支援するか(キャリア教育、特別な配慮を必要とする児童生徒への指導等(特別支援、日本語指導)

○ 「特別な配慮を要する児童生徒への指導等」の部分について、通級指導のことが書き込まれているが、通級の指導だけでやっていればいいとならないよう、保護者への理解や生徒たちに対する指導、級担任、教科担任との連携、情報共有についても記述いただきたい。

■.実施するために何が必要か(家庭・地域との連携、チーム学校等)

○ 「実施するために何が必要か」の必要な体制整備の中で、教員養成系大学のことについて言及があるが、教員養成系大学はまだ熱心に取り組んでいる方。例えば、文学部や理学部などの出身の教員が高等学校に入ってくるが、そうした教員の中には指導案も書けない教員がおり、彼らが実は大学でそうした指導も受けてきていないということがある。大学における教員養成課程の在り方についてぜひ盛り込んでいただきたい。
○ 教員一人一人がカリキュラム・マネジメントに取り組むためには、教科の中身について教員たちがしっかり振り返る時間、あるいは話し合いができる時間を確保する必要がある。体制整備の中に、機材的なものだけではなく、例えば教科会のようなものが学校の中に置けるような、時間的余裕の確保ということが位置付けられる必要がある。
○ SGHの例では、毎週1回専門家が入り、授業担当はいろいろな教科の先生方だが、授業が終わると50分間、全ての先生が集まって専門家とともにその日の授業を振り返ることをしている。これは理想的かもしれないが、週に1回、そうした時間を先生方がシェアできるようにカリキュラム・マネジメントをする必要がある。
○ 「実施するために何が必要か」として括弧の中には家庭や地域との連携、協働、チーム、学校等で必要な体制整備が記述されており、体制整備、システムのことと思われる。しかしながら、詳細を見ると、学習活動充実のための基盤とあり、必ずしも体制の話となっていない。ここは体制であることを明確にした方が良い。キャリア教育、進路指導という文言があり、「個々の生徒」とタイトルが付くと、二者面談頑張ろうと単純な理解につながってしまう。
○ 「実施するために何が必要か」の中には、家庭・地域との連携・協働、チーム学校等ということが書かれているが、それにしては内容的には非常に薄い印象がある。ここをきちんと強調し体制整備の中に盛り込んでいただきたい。保護者は1対40ではなく1対1、あるいは2対1なので、この理解をきちんと得ていくことが国民の理解にもつながり、入り口にもなる。

■.小・中・高等学校それぞれにおける諸課題への対応

○ 2020年の入試改革は問題の質が変わるとともに、英語に関しては4技能について入れるということを早く正式決定をしていただきたい。
○ 「学習指導要領の理念に対応する大学の入試選抜となってきていなかったために、高等学校教育が入試対策になってしまっている現状がある」というのは、別にこれだけが原因ではないので、表現を改めた方が良い。
○ 指導要領が10年に1回ずつ変わっていく中で、ここに書かれている高大接続や思考力云々も今回、初めて出てきた訳ではなく、幾つかの積み上げに基づいて行われてきた。過去の話は書かれているが、将来についても、これが大きな改革の将来に向けての第一歩となるように位置付けていただきたい。中高大もつながり、時間的にも過去からつながっているのだということを格調高く書いていただけるとありがたい。

お問合せ先

初等中等教育局教育課程課教育課程企画室