第2回高等学校部会における主な意見

■.高等学校教育を通じて育成すべき資質・能力について

(情報活用に関する資質・能力)
○ 今の時代、どのようなことをやるにもICTを活用することはある意味当たり前で、ICTを道具として使って思考・判断・表現を行い、試行錯誤がうまくでき、深い学びにつながり、協働的な学びが行いやすい。そのためにはICTの基礎的な技能も含めた知識・理解が必要。

○ 情報社会で、情報が非常に多く不確かになり、即時に判断しなければならない一方で、正確に判断することが難しい状況の中に子供たちはこれから生きていくことになる。そうすると、例えば情報モラルのような、情報に関する知識・理解、そうしたことを踏まえた判断をできるような資質・能力が重要。その際、例えば家庭科の消費者教育や新しくできる公共の中での情報社会の扱いとどう関係を付けていくか、教科をまたがってしっかりと議論しておかないと、カリキュラム・マネジメントをする際に困ってしまう。

○ 情報活用能力の調査を見ると、例えばウエブ上の2か所にあるパンフレットのようなものから関連する情報を取り出し、自分の考えをまとめる、述べるというタイプの問題。これは、違うところにある情報を関連付けるという認知的な操作。こういうことを要求するのが情報活用能力なのだと考えると、本当は子供の方がうまいということになるはずがない。要するに、情報活用能力についての理解が実は全然浸透していないということなので、それがより広く伝わると良い。

○ 今回の教育課程の改訂は、先を見越さなければいけない。日本国内で、女子の算数嫌い、理数系嫌が小学校の4年生ぐらいから始まっている。しかし、現実にアメリカでは、STEM技能を身に付けている人たちの年収は違い、女性がそこにも必要になっている。ICTを活用した教育の目的は、要は学校教育で電子機器や通信機器を使うことによって情報知識の交流をすること。であれば、IT機器を中心として、非常に簡単に合教科的な教育ができるようになってくる。それを小学校時代にしっかりと行って、数学や算数も、逆にそれで面白くなってくれれば、中学・高校でもっともっと伸びてくるし、中学・高校になればキーボードを付けて、プログラミングもしながらやっていく子たちも出てくるぐらいでなければ、日本がアメリカに更に後れていく状況になってしまう。

○ 理数探究や総合は様々な探求的な活動を行うので、探究におけるICTの利用の仕方、情報活用能力がどう育つのかについて、高等学校にある教科、情報との関係を、しっかりと付けていかなければならない。 高等学校には情報科という教科があるが、小・中学校にはない。高等学校の情報科をうまく機能させるためにも、小学校・中学校で、どの教科のどの場面でどのように情報に関わる資質・能力を育てていくのかということを明確にしておくことが重要。

(キャリア形成に関する資質・能力)
○ 高等学校で育成すべき資質・能力の中で「コア」のイメージを考えていくとき、今回は、探究の中でもキャリア形成との関係が重要視されている中で、社会・職業への円滑な移行に必要な力とは一体何かということの議論がキャリア教育で言われている能力論とどのように整合し得るのか変更が必要なのか、議論を具体的に進めておく必要がある。是非、基礎的・汎用的能力との関係性の整理について議論を進めていただきたい。

○ 今起こっている改革は、履修主義から修得主義、ティーチングからラーニングに変わっていく過程。その中で、探究やアクティブ・ラーニングの視点からの授業改善の両方に、「在り方・生き方」や「自己のキャリア形成の方向性と関連付けながら」という言葉が入ってきており、非常に良いことだと思う。今までは何を学ぶかが重要だったが、どんな力を身に付けるのか、それを社会で自立していく活動をしていくためにどのように関連付けていくかが、今、求められている。ただ、「自己のキャリア形成の方向性と関連付けながら」と書いてはあるが、どう関連付けていくか全然分からない。高校生の話を聞いていると、受験対策、大学生は就職対策になっていて、その先を余り考えられていない。これを自己省察や内省的に考えられる機会として、この教育の中に組み込んでいくことができればと思っている。

(学び直しに関して)
○ 学力上位校はそれほど問題はないと思うが、問題は学力低位校。学力低位校では、義務教育段階の学び直しを、それぞれの学校で実情に合わせてやっている。学習指導要領でも、そういったことに十分配慮された規定も設けられているが、現実、それでも、義務教育段階の学力を身に付けて全ての子が高校の履修に移れるかというと、なかなかそういう現実ではないというところがある。されど、際限なく学び直しの授業をやっているわけにもいかない、必履修科目も多くある中、この現状のままないがしろにして幾ら教育課程の改善をしても、取り残されている子供にとっては何ら改善にならない。学び直しを十分やっていかなければいけない子供たちについて、人手も時間も掛かる難しい問題ではあるが、この部分を抜きに今回の改訂は成し遂げることができない。

○ 学び直しの視点は非常に重要。その上で必要なのは、学び直しが必要になった原因は何かということを、きちんと一度調べてみること。小学校・中学校における教え方が悪かったのか、あるいは何かほかの要因があるのかを、きちんと踏まえておく必要がある。内閣府の子供の未来応援国民運動で、経済的困窮家庭の子供たちの未来を応援しようという大会に協力団体ということで参加をしたが、そこで例として出てきたのが、例えば教員養成系の大学だとか、そういう学部で学んでいる学生たちが、経済的に困難な家庭の子供たちを教える、補習や無料の塾的なものを取り組むという事例。学校の先生たちが忙しいのであれば、それこそ社会に開かれた学校として様々なリソースを活用することも考えられる。その上で、なぜ学び直しが必要な状態に陥ったのかという原因が分からなければ、手も打ちづらい。

○ 現実問題として、基礎的な学力に非常にばらつきがある、はっきり言って二極分化しているのが現状。そのときに原因は何かというのは、なかなかこれは難しい。いずれにせよ目的は、何とかそこを埋めて、全体を上に持っていくということ。中学校の教科書が読めない子供たちが少なからずいる中、これは教科書も変えなきゃいけないのかもしれない。

(その他共通して身に付けるべき資質・能力)
○ 生徒同士の学びという協働的な学びを考えたとき、あるいはアクティブ・ラーニングを成功させるためにも、生徒同士が感情的にならず論理的に議論できる力が絶対的に必要。その上で、小・中・高と、特に高校段階で、どの教科を核として議論する力を養っていくのかがないといけない。私は国語科の中で、もう少し踏み込んだ形で、議論する力を養うと入れていただきたい。言葉を扱う教科の中で、その力を養うと入れていただき、英語科でも、そうした科目構成を展開していくことが望まれる。

○ 高校レベルになると、その後、大学、大学院と進む上で、要求される知識も能力も全て高度化し、徐々に専門分化が起こっていく。これが理系・文系、学部になり、更に研究室に分かれていく。それは、一人の人間でできることには限りがあり、それをチームで協働することによって、より大きな力にしていくという方策を取っているため。それが個人のベースでは、自らの得意分野、個性を生かし、どのように社会にそれを役立てていくかということ。社会全体からすると、正にシステム分化が起こっていて、そのシステムが全体として動くというシステムを作っていかなければならないということ。そう考えると、高校では、総合や統合を個人のレベルでやらせるには限界がある。複数の、それぞれ得意分野が出始めている子たちが集まって、協力して考えることによって、一人では考え付かない何かが出来上がっていくという体験させなければ、なぜ社会の中で協働するのか、その協働の中で自分の立ち位置、それは個性であり、得意分野等々を見極めながら、自分がどう貢献していくのかということが学習できない。総合的学習の時間や探究も、結局それらをどのように組み込むのかということ。

○ 「チーム学校」は学校でもなかなかチームが組めない。理科の先生と数学の先生がどうチームを組んで、どのように教えていくのがいいのかということを先生ができないと、子供たちができるはずがない。総合や統合という場合、個人だけではなく、チームとして、全体社会の中でそれを実現していく方策を身に付けさせる必要がある。自分の分野だけを磨いていっても、それだけでは生きていけない。いかにほかの人たちとつながり、それを生かしていくかという基礎の部分をどう学ばせるかが大事。

○ 議論や対話も重要だが、これには二種類ある。一つは学習活動として、単独の人間の思考で事足りるものを複数でやるという場合。例えば数学の問題を解くというのは、恐らく単独の思惟の中で解けるはずだが、それをみんなでやることによって、教え合いながら、学習活動としてみんなで対話するというやり方。もう一つが、公共の科目や公民科でも言っている合意形成。合意形成は基本的には単独の思惟ではないが、多元的に複数の主体があり、それぞれが利害関係を持ち、それを調整しながら一つの合意を形成していくという対話のやり方。これは単なる学習活動ではなく、そのものが社会形成の問題になる。そのため議論や対話で何を目指すのかは多分各教科で異なってくる。思考力・判断力といっても一義的ではないので、トータルとしてどういう力を身に付けさせるのかを考える必要がある。

○ 資料の中で各教科の見方が出ていて、これは各教科の理想ではあると思うが、これが本当にどうアクティブ・ラーニングの図のように、どうかみ合うのかが見えてこない。特に英語では、大学進学のテストと、この教科を、どう考えていくのか。テストと教科というのは、子供たちには大きな影響がある。当初、高大接続の中でも、B2レベルやA1レベルだとかいう話もあったが、高校卒業時にそういうレベルを取らせようというのであれば、外国語がそこまでのことを今要求しているのかどうか、もう少し具体的にされたい。教科間の検討とツールとしてのICT機器にお金を付けていただきたい。

■.教科・科目等の構成及び単位数について

○ 探究のイメージが明確に示されたことは、非常に大きく高等学校教育を変える可能性を持っている。特に、PISAの結果を待つまでもなく、子供たちのインストルメンタル・モチベーションと言われる、自らの学びと将来とを結び付ける力の弱さは、かねてより指摘されていた。その中で、自らのキャリア形成との方向性を統合させながら関係を考えていくという枠組みは、非常にこれから期待できる。総合的な学習の時間を探究的な学習の時間に名称を変え、より明確に学校にイメージを伝えていくということが、求められる方策として強く賛同の意を表したい。

○ 理数探究については、非常に重要なテーマ。私も推進すべきと思っているが、学校の教員からすると、数学の先生にしても理科の先生にしても、幾つかの教科にまたがったテーマ、指導方法というのが、なかなか難しい。これまで経験がないので、その取組の方向性については賛同するが、いざ、どのようにやれば効果的な授業ができるのかについては、かなり戸惑いもあるよう。これについても、具体的ないい教材、具体的な指導方法が、学校現場にしっかりと提供される必要がある。

○ 地域課題については、小学校中学年、3年生、4年生の課題として社会科で市区町村や都道府県について学んだ以降、途絶えてしまう。中学校の職場体験等も実はその機会であるものの、遅刻してはいけない、あるいは返事は大きな声でということに焦点化されてしまい、地域課題を学ぶ機会としては十分機能していない。ましてや高等学校ではそういうことを学ぶ機会がないままに、社会を支える人材になっていくという、非常に危うい状況がある。公民科目の新設「公共(仮称)」の中で、地域創造への主体的参画や持続可能な社会づくりの主体となるために、ローカライズされた教材の開発やそのような枠組みが学習指導要領の中に位置付けられる必要がある。そのときに、総合学科における「産業社会と人間」との関係性の整理や特別活動におけるホームルーム活動の課題、あるいは学校の課題、地域課題を解決するという特別活動の狙いとの関係性の整合性や整理・統合も今後議論していく必要がある。

○ 総合的な学習の時間については、教員が全部教えるわけにはいかないので、教えるのではなくて、相談相手になってあげる。ファシリテーターに徹することで良いのではないか。

■.カリキュラム・マネジメントについて

○ ふたば未来のルーブリックのような、例えば英語ではCAN-DOリスト、あるいはCEFRの言い方にも相当するかもしれないが、何々することができるという明確な目標設定を、いかに高等学校現場の先生方に慣れていただくのか。校是や校訓などの抽象的な名称のまま教育活動を進めるのではなく、そこをより具体的にするという文化を高等学校の中に作っていくことが、これからカリキュラム・マネジメントを考える上でも、アクティブ・ラーニングを考える上でも、重要になってくる。今回の高等学校を通じて育成すべき資質・能力の表現の仕方、あるいは設定の仕方が、高等学校への強いメッセージとして、どう発信していくのかという議論が今後必要になる。

○ ふたば未来学園は、地域課題に基づいて学校が設立され、学校の設立と現代的な課題がほぼイコールなので、やりやすいという面もある。そういう意味で、校訓や学校創立の理念といったものはそれはそれで置いておいて、現状に合わせて、あるいは現代的、将来的な課題に合わせて、どのように我が校はこういう人材を育てていくのだと明確に示すところが大事なポイント。

○ 総合学科で「産業社会と人間」が学校設定科目としてある。指導は大変だが大変意義があるという話も聞いている。「社会に開かれた教育課程」へつなぐ上で、総合的な学習の時間を探究的な学習の時間として、様々な教科等の学習を生かした、統合的な探究的な学習が位置付けられることは大変意義が大きい。その際、普通科は様々な多様な進路があるが、総合学科では、例えばキャリア教育においても、職業や、これから学びたいことまで含めてキャリア形成を捉えていくと、探究も、それぞれの学校の目標に応じた様々な取組が考えられる。少し具体のイメージが出てくると、各学校で様々取り組んでいけるのではないか。

○ ふたばの例は、正に各学校でどのような力を付けるのかを具体化していく取組。学習指導要領が現行でも当然あるわけだが、その学習指導要領をどう読み込んで、具体的にどう教育活動に展開していくのか、落とし込んでいくのかが一番大事。探究も当然、様々な種類があってしかるべきで、それぞれの学校の必要に応じてカスタマイズされるのは良いこと。

○ ふたば未来学園のルーブリックは保護者にとっても非常に分かりやすい。大学で三つのポリシーを公表するように、高校でも、育てたい力、人材育成要件を示すことが高校を選択する中学生たちにとっても、あるいは保護者にとっても、分かりやすい資料となる。高校生と保護者の進路に対する意識調査では、保護者が子供の進路決定に対して深く関わっていきたい、あるいは実際に関わっていっているというデータが非常に高くなってきている。判断材料として誤った選択をしないためにも、こうしたものが示されることは重要。

○ ふたば未来学園の場合には、震災、特に原子力事故が地域の課題としてあり、原子力の問題は世界的な課題でもあるので、それを明確に課題として捉えて、チャレンジし、課題を解決していける人材をという考えがベースにある。地域課題とは何かと考えたときに、小学校・中学校では、ふるさとの良さを知るということ。高校では、社会に関わる入口になるので、今度は地域の課題を考えて、それを解決するためにどうするかと発展をしていくことが重要。グローバル社会の中で、アイデンティティー持った人間でなければグローバルの中では通用しない。地域の課題は、どこか世界につながっているので、地域課題を高校ではもっともっと取り上げて突っ込んで議論をし、考えていくことが必要。

○ カリキュラム・マネジメントが指導要領の中に入ってくるのは非常にいいことだが、形骸化させないためにはどうするか。実際にこれを学校の中で行うためには、高等学校は各先生方、教科で専門がある中で共通に議論してもらわなければならない。そのためには、いろいろな学校、特に中学校・高校で先生方が共通に話ができることが必要。例えば子供たちがどのように情報を処理しているかという思考スキル、二つの情報を比較する、関連付ける等、それがどれぐらい例えば数学の中でうまくいっているか、英語の中でうまくいっているかであれば専門が違っても内容を越えて子供たちを見ることもでき、議論もできる。そういう視点を、このカリキュラム・マネジメントの中でうまく示してほしい。

○ 資質・能力を明確化する上での「よすが」は三つの柱。これを前提に、各学校でうちの学校ではどんな資質・能力を育てるのかという議論をし、それがまた三つの柱に戻ってしまうと実は意味がない。教科に固有な知識・技能は、厳然としてあり、思考・判断・表現と三つ目の柱、学びに向かう力、これは教科を越えて、どの教科でも共通する、より具体化されたイメージがあると、それを基に、教科の違う先生方が子供の様子を観察して議論ができる。カリキュラム・マネジメントで出来上がってくる、年間指導計画を並べたような、それが実際に授業に落ちたときに子供がどう動くかということが、そこで見る形のイメージとしてうまく伝えられたらいい。

○ ふたば未来学園のルーブリックや様々な大学で行われているルーブリックを見ると、非常に抽象的。そのまま、このルーブリックを子供たちが見て、授業の中で例えば明治維新のことを学習しているときに、このルーブリックが目標になるかというと、ならない。ルーブリックには粒の大きさが多層的にあり、抽象的なルーブリックは、実際の授業に当てはめて使うためには、それがある学習内容を想定したときにはどう具体的に意味するかをもう少し細かい粒のルーブリックを作っていく作業が実は必要で、更にそれを子供たちが見て目標にするためには、それを子供の分かる言葉に書き直す、3段階ぐらいのルーブリック設定が必要。そういうイメージが指導要領あるいは指導要領の解説に書かれてちらっとでも見えるといい。

○ ふたば未来学園のルーブリックに関して、プロセスが大事だという意見に強く賛同。
キャリア教育の分野でも、4領域・8能力と呼ばれる資料を作った際、コピー、ペーストが全国の学校に出回り、どこに行っても、どんな山奥に行っても、どんな都会に行っても同じ。それが一度使われてしまうと、学校文化の中ではコピー、ペーストをすることが非常に多く数十年間変わらず、今でも使われている。つまり、ルーブリックそのものの大切さ、作っていくプロセスの大切さを伝える、そういったときに、層の問題や粒の問題も伝えておかないと、出来上がりの例が独り歩きしてしまう。

○ 平成10年の学習指導要領の改訂の際、新たに総合的な学習の時間が入り、現場サイドで、実業系の職業学科のあるところは、かなり総合的な課題研究等で充実してきている。一方、普通科の中で、なかなか総合的な学習の時間の位置付けが難しい。一つは、総合的な学習の時間が、教科を越え、では誰がするのか。高等学校は教科色が強いので、上手く展開できていないということが現場サイドではあるのではないか。教育センターに勤める中で、先生方の研修の場として持ってくる中身に、総合の取組はほとんどない。それは現場のニーズがないということ。極端な話、勉強にすり替えるということが現実的にはあるのではないか。手順を、カリキュラム・マネジメントとして、学校で、どのような資質・能力を高めていくのか、どんな学校を作っていこうとするのかをきちんと議論し、その中で、総合的な学習の時間と位置付けを考えていかなければならない。ふたば未来学園の例のようなものを学習指導要領の改訂後に示していきながら、探求していく力を付けるために、学校全体としてどのような取組をしていけばいいのかを先生方一人ずつが考えていかないと、教科で求める力と総合で求める力がうまくリンクしていかなくなってしまう。

○ 高等学校の教員の意識が、自分が何を教えるかを中心に考え、結果的には、教科の壁の中にいるため、なかなか解決策が見いだせない。正にカリキュラム・マネジメントの話をしようと思うと、そこを乗り越えないといけない。例えば、一人の生徒が、理数探究する際には理科と数学の教員がやればいいのではなくて、ほかの教科の教員も含めて、あるいは管理職も含めて、一人の生徒が何をしたいのかをそれぞれの教科からどういった視点を提供できるかを考えることが必要。それがプロセスを大切にして具体化していくということにつながる。

○ 小・中・高と見ると小学校は様々な教科を行っているので、大分改善して、学校を挙げて取り組むことができてきているが、中学校に入った途端に縦割り的になってしまう。技術・家庭WGの中では、情報の領域は技術分野の中で行われているが、その論議の中で、今まではものづくり的な技術を中心に考えていたものが「社会に開かれた教育課程」の中で、科学や倫理性、様々なことも含めて技術を扱っていかなければならないのではないかという論議になっている。中学校の各教科の進め方も高等学校に大きく関わってくる。

○ 総合的な学習の時間については、課題研究等が非常に成果のある取組となっている。ある意味、全ての科目の集大成として、主に3学年で扱う科目として、いい影響が出ている。ただし、先生方が自分たちが何をどう教えるかを考え過ぎ、どうしても教え込みがちになっている。子供たちの発想ややりたいことを持ち上げ、子供たちの自由な発想の中で、自分たちが学んできた内容を活用しながら研究製作等ができないかが大きな課題。各専門学科では核となる教科であるが、普通高校ではそれがないのでやりにくいのではないか。そのためには、学校の教育目標や目指す学校像を定め、その中でどこに何に力を入れていくのかを考えなければ、この総合的な学習の時間、探究的な学習の時間は難しいことが出てくるのではないか。そのためにはカリキュラム・マネジメントが重要で、いかに学校像と連動していけるかが必要となる。

○ こうしたことが様々な教科の様々な場面で行われていくと考えると、カリキュラム・マネジメントは相当複雑なもの。地域や学校、特に高等学校の場合は実情がいろいろ違うので、各学校が責任を持ってカリキュラム・マネジメントを行うことが重要だが、各学校がそれをやりやすくするための仕掛けが、国が教育課程の基準を出す以上は、その基準の中にうまく埋め込まれておく必要がある。つまり、学習指導要領の構造化を進める中で、どことどこがどのように関係しているのかということを明確にし、横断的な教育課題の場合、例えば福祉や環境とかESD、情報も含め、横断的な課題の場合は、小学校のこの教科のここで学んでいることが、このように学ばせておくと、方法知として、ここでこのようにいきますよと。それは中学になったら、こういうところでこういう学習でうまくつながっていきますよというマッピングを例示することを国がやらなければ、現場の先生にただお任せというのは、少し無謀な印象がある。

○ 中学校は義務教育なので学校にいろいろな子供たちがいるが、高等学校になると、ある程度、入試などによって学校ごとでかなりのばらつきが出てきている。そうすると、特に校長先生の指導力、学校ごとの自由度をどこまで許容するのか。子供が全然違うときに、一律な目標を掲げてというわけにいかない、学校ごとの目標を掲げなきゃいけないが、それがてんでばらばらではいけない。そのバランスの取り方がかなり問題になってくる。

■.アクティブ・ラーニングの視点をいかした学習・指導の改善について

○ アクティブ・ラーニングについて、教科等の特質に応じ知識・技能の習得を中心とした学習を「深い学び」の前提として行う必要があるという点は、基本的な知識・技能が習得されていないので「深い学び」までは行きませんといったことも出てくる。知識・技能の習得に関してもアクティブ・ラーニングは必要だというニュアンスが伝わるようにした方が良い。学習に対する取組のモチベーションが低い子供たちの方が、集団での学習が効果的なケースもあるので、誤解のないように記述を改めた方がよい。

○ アクティブ・ラーニングという言葉が最近非常によく使われているので、ある種の型、作法のようなものができ、深めることができないのではないかと恐れを持っている。高等学校の場合は、それぞれの生徒が随分年齢も重ね、年齢に応じて問題も抱えていると思うので、まず高等学校で成功させていただきたい。

○ 例えばTPPをどうするかといった議論は一筋縄にはいかない。そうするといろいろなことを調べ、いろいろな主張を知り、そうしてTPPに関してのことを知る。その際、内容知と同時に、それをネットでどうやって探すかとか、いろいろな人の意見をどうやってすり合わせていくかという、方法知も一緒に学んでいく。それから学び取られることは、内容に関する知識だけではなく、学び方に関する知識もある。それがアクティブ・ラーニングの強み。

■.学習評価の在り方について

○ CAN-DOリストのような形で学校現場の先生方に、どういう力を育成するのかということについて、はっきりとした考えを持っていただきたい。英語では常にそれについて議論してきたので、他の教科でも、できれば学習指導要領の中にも、明示していただきたい。

○ 自己省察や内省的に考えられる機会としては、キャリアノートやポートフォリオをつけていき、自分がそれを振り返る。山登り型で目標を持っている子だけではなく、そのときそのときに気付いてキャリアを考えていく子も、多くいると思うので、それをそういった形で気付く機会、やツールが必要ではないか。さらには、教科だけではなく、教科に横串を通してポートフォリオをつけていくことで、ほかの教科の先生方が、この子はこの教科でこんな力を発揮している、この教科ではこんな発言しているのに、こっちでは発言していないということに気付けるのではないか。これをICTの力とうまく融合させながら作っていければ、個人が2030年を目指して改革していくときに、学べる環境ができるのではないか。

○ ポートフォリオ的な評価は必要になってくる。ラーニング・ポートフォリオを子供たちが記録していくということは、高等学校では余り広がってはいないが、高専などではかなり行われている。そういうことができていけば、大学入試もどんどん変わっていく契機にはなるのではないか。ただ、ノウハウが子供たちにも先生にもないので、そこをどうするかが重要。

■.その他の高等学校教育に関する意見

(教材開発、その他必要な条件整備について)
○ 情報に関わる資質・能力が重要であると言っても、ICTが学校にあまりないという実情があり、諸外国と比較すると、中学や高校でICTを最も使っていない国が我が国だが、それで学力はキープされている。ICTを用いて問題を解決しながら協働的に、これから求められる能力が本当に育っているかといったら疑問が出ており、そうした意味からICTをはじめとした、新しい学習指導要領を満足させる条件整備を進めていくことが必要。

○ 学校教育において、ICTの活用、そして児童・生徒に情報活用能力をしっかりと身に付けさせることは、今日の状況を見ると非常に重要なこれからの教育課題。情報活用能力について、学校現場の教員に対して都教委でアンケート調査をしたところ、要は日進月歩の情報技術、ノウハウに、なかなかついていけず、児童・生徒の方がむしろ先行して、追いつくことすらなかなか難しいというのが、アンケートの大多数の先生から出された答えだった。こういった現状を考えると、教材や指導方法について、かなり具体的に丁寧なものを提供していく必要がある。学校で取り組みなさいということだけでは、なかなか進まない。またICT活用も、教員のスキルが上がってこず、教員の個人差が大きい。ICTを活用した効果的な授業を行うのに、試行錯誤という面もあるが、準備に時間が掛かるというのがある。教育効果という面だけではなく、教員の方から見ても使い勝手がいい、容易に使えるものを用意していく必要がある。

○ 課題研究やアクティブ・ラーニングにはどうしても時間が掛かる。その時間をいかに取ってあげられるかが、大きな一つの課題。そうなると、普段の学校の説明の時間を、いかに分かりやすくコンパクトに抑えていけるか。例えば普通教室の全ての教室にプロジェクターが付いていたりすると、板書しながら教えるのではなくて、映像を見せながら理解を図っていくと時間が取れるようになり、アクティブ・ラーニングに持ち込みやすくなってくる。教室にプロジェクターや提示装置を早く導入していただきたい。

○ ICT、機器環境の有効性は非常に大きい。実際に附属学校で電子黒板などを導入すると、非常に良い成果が出ている。公立の場合は、自治体によって随分、設備・環境の面で温度差があるので、これを是非整備しないと、前に進まないのではないか。

○ 先生が教えるというシーンは、なくなることはないので、それがうまく効率的にできるようなICT環境を教室に整えるというのは、非常に重要。

(学校現場等への周知の在り方について)
○ 学習指導要領を実効性のあるものとするためには、先生方や学校現場にいかに下ろしていくのか、そのプロセスそのものが大切である。ふたば未来学園さんの資料冒頭にある「全教員でルーブリックを設定。学校をあげて取り組むために、自分たちの視点・言葉を定義することを重視した欠かせない出発点」。この一文が、私たちが繰り返し行ってきた議論に対して、多くの学びを与えてくれる。約4900校あると言われている高校に、学習指導要領をどのように取り入れていくかについて、先生方の時間の捻出方法も含めて、そのプロセスを明記することで、再現性を高いものにするのではないか。ブータンでは、GNH(国民総幸福量)が国の哲学として掲げられているにもかかわらず、学校教育面ではインド式の詰め込み教育が行われてきたことが問題視された。Educating for GNHという概念のもと、教育から改革がなされている。国が小さいからできるのだが、改革のスタートとして、首相が全国の校長先生を集めて、1週間のワークショップを行った。ワークショップでは、GNHを学校教育の現場にどう取り入れていくか、校長先生たちが指導要領的なものを使いながら、腹落ちさせた。それから、それを学校に持ち帰って職員室でワークショップを行い、全教員で、自分の教室でどうGNHを再現していくのかワークショップを行った。新しく設定する高校の教育内容を示す指導要領をどう下ろすのかというところを、何とかして表記していかなければならない。

○ 重要なのはこの改訂の意図や狙い、どうすればいいかを、具体的にどう学校に伝えていくのか。各学校で、これを基に、うちの学校でどうしようかということをしっかり考えることができなければ、そこから先に行かない。例えば、この「見方や考え方」について、総則の後で付けたらどうかという説明があったが、これはとてもいいと思う。抽象的な中身だけを伝えられても分からないので、具体的にこういう見方や考え方が例としてあると分かりやすい。こうした分かりやすく伝える工夫を是非お願いしたい。加えて、校長にどう伝えるかも重要。まず校長がしっかり理解しないと、恐らく学校は変わらないので、まずは校長にどう理解させるかという仕組みと、それから教員にどう伝えるかという仕組みと、これは同じやり方でいい場合もあれば、違うやり方でなければならない場合もあるので、この辺をしっかり考え、改革を後押ししていくための具体的な仕組みをしっかり作っていただきたい。単にいろいろな資料が出ました、説明会をやりましたという段階で終わってしまうと、結局はそこから先に今度は進まない。

○ 今回の改訂は、ある意味で、社会構造の変化の中で出てきた学力観の転換が大きく関わっているが、これまできちんと踏まえたことを基にしながら、育成すべき資質・能力というテーマの下に、次の時代に有用な学力観を示してきている。学習指導要領で求める学力が、これまでの学力観、それから教育観の枠組みを超えた学力、資質・能力であるということを、国民全体で理解することが必要。教育は、ともすると自分の受けた教育や自分の知っている教育を基に教育を語ることが多い。これを教育の原体験論主義と言っているが、その枠を越えない教育論を幾らやっても、時代の求める学力にはなっていかない。だからこそメディアの関係の方々に大変期待をしております。今回の大きく変わる学習指導要領改訂に対してメディアを通して是非国民全体で御理解を頂いて、学習指導要領改訂の内容を、正確に、これまでの学力観の考え方とは違ってきているんだということを御理解していただきたい。会議の場のみで語るのではなくて、国民的な議論を併せて行っていく必要がある。昔よくあった、事件は会議室で起きていないというのと同様、教育は会議室で起きていないので、子供の学力、資質・能力、未来につながることを、広く全体的な議論にしていただくような方向を、是非取れるといい。

(その他、全体に関する御意見)
○ このような改訂を通して子供たちに付けた力がきちんと評価される大学入試に是非していただきたい。入試が変わらなければ高校は変わらないというわけではないが、その持つ意味は非常に大きい。そこが大きく変わるということが前に出てくれば、より高校の教育は変わっていく。

○ ICTの整備は情報過多の時代なので、この辺りを配慮しながら進めなければいけない。特にリアリティーの世界での力、考え方、体験、自分の経験、これが大事。従来は、一クラスで動いたり一学年で動いたりという、同じ体験をするような形が非常に多かったが、これからの総合的学習の時間での活用は、ある程度生徒の問題点を絞り込んだグループで対応することで、ある程度可能になるのではないか。特に地域の問題を採り上げて深める。高校の置かれた環境にもよると思うが、例えば持続可能な社会の形成というグローバルな世界レベルでのテーマにしても、それを地域に下ろすことも可能だし、グローバル人材を育成する上からも、地域あるいは体験を基にした自己の確立も大事。

○ 例えばインターンシップを活性化させるという方策を取った場合など、ポートフォリオ等は必ず必要になってくる。ただ、インターンシップの例を見ると、中堅校と称されることの多い学校を中心として行われる、あるいは専門学科での実習を中心としたインターンシップが行われるという傾向がある。今後は、例えば研究者の道や高度な資格を必要とする職業も含めた、中学校の職場体験とはまた違う、自らのキャリア形成を視野に収めた、それぞれの学校でふさわしいインターンシップの在り方が模索されるべき。例えば、仙台市の県立仙台向山高校では、各県内の大学との連携を取って協定を結びながら、アカデミック・インターンシップを推進している。こうした事例を参考にしながら、その学校でふさわしいインターンシップの在り方を模索できるような支援の枠組み、仕組み作りが盛り込まれると良い。

○ 現在の高等学校総則の改善イメージでは、学習活動の充実のための基盤というところで、キャリア教育の推進、進路指導等の充実が示されている。キャリア教育と進路指導の用語が並列的に使用されているが、これを将来的にどう整理していくのかが課題。現在では法令用語として、進路指導という言葉しかない。現在のキャリア教育は、教育振興基本計画あるいは中教審答申等において使用され、高等学校の学習指導要領にも示されているが、法的根拠がいまだにない。キャリア教育が大きく注目集める中、従来の用語である進路指導との関係をどう捉えていくのか、どう整理していくのか、長い間の懸案事項であった生徒指導と進路指導も相互に深い関係がある、密接な関係があると説明されているが、その関係についても、明確な整理ができると良いのではないか。

○ 教育の現場でどんなことをしていくかというとき、校長の自由裁量を、何でもかんでも好きにやっていいということではないので、考えなければならない。アクティブ・ラーニングというと、何かグループで机の向きを変えなければアクティブ・ラーニングになっていないという誤解が、短時間の間にあっという間に広がるぐらいの影響力を持っている。むしろ本当に現場で実際に生徒の力をどのように伸ばしていくのかということを考えるような改訂にならなければならない。

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