第1回高等学校部会における主な意見

■.高等学校教育を通じて育成すべき資質・能力について

(総論的事項)

○ 保護者の願いは、自分の子供あるいは子供たち全体が幸せな人生を送ってほしいと社会に送り出すわけで、教育に対しても、結局は社会で生き抜いていってほしいという願いがある。社会自体がどのように変わっていくのか、どういう社会で子供たちは生きていくのかを踏まえる必要がある。

○ 主体的な学びについては、これからの時代を考えると、小・中・高、そして大学も含めて、しっかりとこれを定着させる必要がある。これからの将来、我が国は人材しか資源がないという中で、技術開発にしても、その他、文化などのソフトの面も含めて、日本独自の、日本人しかできないことをやっていかないと世界から取り残されてしまう。主体的に学び、探究を続けていくという資質は、これからの日本人にとって、なくてはならない。これをどう評価するのかは難しく、形骸化するのではという懸念もあるが、これは大学入試をはじめとする様々な仕組みを、意識的に構図の中に組み込み、しっかりと定着させていくべき資質。

○ 高等学校教育を通じて育成すべき資質・能力、この主語が誰であるのか。これはある意味では、大人の責任、社会全体の責任。もっと現実的に近く言えば、高等学校の先生方が、これからこの資質・能力をどのように考えていくのか、そこのところが一番問われてくる。本当の意味で、子供たちにどういう資質・能力を高等学校教育で付けていくのか、これまで言ってきた学力ではなくて、資質・能力というところに焦点を当てながら、これからの日本の子供たちの未来を作れるような教育課程になっていけばいいと考えている。

(グローバル化に対応した資質・能力)
○ 共通性の確保としてグローバルマインドの涵養ということを強く打ち出していただきたい。諮問の第二のポイントに、グローバル化する社会の中でとい部分があるが、外国語に加え、社会科、地理・歴史、公民という国レベルのことも含めて、知識、スキルとして大事だとは言えるが、これから日本国内がグローバル化していくことを考えると、市民レベルでどのように世界の人たちと関わっていくかという世界に出ていく人だけではない発想が今回の改訂では重要となる。外国語とか社会だけじゃないよというメッセージを何とか打ち出してほしい。例えば家庭科や道徳の中で、自分の文化的な枠組み、思考の枠組みについて気付く、あるいは、どういう問題がコミュニティーに起きているのかということに対して考え、そして課題を解決していくアクティブ・ラーニングが、教科を越えて行われるということを盛り込んでいっていただきたい。

○ グローバルマインドについては、単に語学力を付けるといった技術的な問題ではなく、人間と人間との関わりの問題。どのようにコミュニケーションを取るのか、どのように積極的に対外的な関係を作るのかといったこと、そして自分たちの日本人としてのアイデンティティーといったものはしっかりと身に付けることが、まず前提。その中で、語学教育について、日本語を優先すべきだ、いやそんなことを言っていると、いつまでたっても英語下手の日本人でしかないという議論がよくあるが、言語活動、国語そして外国語を通じて育成すべき言語能力という、この考え方は、非常に重要な考え方。

○ 語学力は、脳科学的な側面が多分にある。脳科学の面から見ると、言語能力をどのように身に付けていくのがいいのか、何歳ぐらいからどういう形でやっていくのがいいのかというアプローチも併せてやるべきではないか。日本語と外国語と二者択一ではなくて、両方が相まって相乗作用的に教育効果が高まるようなアプローチがあれば、それが最もいい教育方法、教育効果を生み出すものとなる。言語能力を、国語、外国語、両側面から見ていくとともに、科学的なアプローチが更に加われば、いい成果が出るのではないか。

○ 共通性と多様性というとき、資質・能力から見ると、三つの学びのうち主体的な学びと対話的な学びに加えて深い学びも、それぞれの生徒なりに深い学びを共通性の部分においても行うということが共通認識だと思う。それを踏まえると、グローバルということについて、本当に身近な中での異文化体験、様々な考え方の方々とのコミュニケーションが多様性であり、それの基礎になるものが共通性の中に含まれていなければならない。

○ グローバル化の問題、外国語の問題については、文科省としても、例えばIBを進めよう、さらにSATやGCSEといったアメリカやヨーロッパのシステムに学んで教育を変えていこうという話だったと思うが、高等学校教科の科目構成についての資料を見ると、海外の制度をまねするのとは全く違う方向、むしろ元に戻るだけじゃないか。それであれば、高校サイドが変われば、大学入試も変えられる。今まで我々は、大学入試が変われば高校入試が変わるということを言っていたが、大学が変わらないのであれば、高校以下の教育を変えれば良い。これだけ今、すばらしい三つの要素に基づいた教育をしていこうという判断があるのであれば、思い切ってそれぐらいのことをやっていただけないかと思う。各教科の相乗効果というのも、英語と国語は特に言語として、教科同士を越えてやらなければならない。例えば今、イマージョン教育の必要性なども言われているが、その話も全くない。

(キャリア形成に係る資質・能力)
○ 主体的学び、主体的に取り組む源は何かというと、一人一人のキャリア観。それは職業選択という狭い意味のキャリア観ではなく、自分はいかに生きて、自己実現を図って、社会の役に立つかということ。それがきちんと育っていくと、主体的な学び、主体的に生きるということにつながっていく。そういう意味では、キャリア観、いかに生きるかを育てていくという意味で家庭教育、PTAや地域社会全体で、そこをきちんと確立していかなければいけない。

○ キャリア観を考えるときに、今回、新たな教科目の一つとして、公民科の中に、仮称、公共がある。キャリア教育の観点が、この公共の中で生かされていくと考えていくと、資質・能力の三本柱である主体的な学びが、いかに社会・人生に関わっていくかということと直結する領域。加えて特別活動も正に社会との接続関係にある。高等学校の中に既にある、あるいはこれから構想されていく、そうした要素を、どう切り結んでいき、キャリア観に発展させていくのかという俯瞰する作業をこの高校部会ではきちんとしておかなければならない。これまでも学習指導要領の中にはそうした要素がきちんと散りばめられていたが、俯瞰する作業が抜け落ちていた。それは育成すべき力という観点から各要素を見てこなかったから。そこのところが大きな問題。

(共通して身に付けるべき資質・能力)
○ 基礎的な要素、例えば地歴一つ取っても、本当に小学校なら小学校のときに日本地図なり世界地図なりが頭の中にきちんと収まっていて、中学・高校と地歴科目をやっていけば分かるかもしれないが、今の日本の高校生の実態でいうと、98%が進学しているせいもあるかもしれないが、日本の地図ですら分かっていない。英語も、四技能ということで話が進んできているが、単語数の問題なども出てきていない。そうした基礎的にどうしても覚えなければならない部分、それがあって初めて、アクティブ・ラーニングにしても何にしても始まるということをはっきりとしていただきたい。

○ 子供たち、特に高校生たちは、これを最終学歴にする子たちもまだたくさんいる。その中で、子供たちに最低限に保証してあげたい、学ぶことは楽しいということを、もう一度取り戻していくチャンスを高校段階できちんと作っていくことが重要。特に、地方にいる子供たちが、その地域社会をどのように捉えていくのかということを、高校の先生方が取り入れていけることに、一つヒントがあるのではないか。探究が、決してハイエンドな進路を歩む子たちだけではなく、むしろ基礎的なところに立ち戻らなければいけない大半の子たちにとって、地域社会の中で起きていることと教科を結び付けることが、高校の中で、各教科、少しでも起きていけば、生徒たちが、その学びをやる意味を、小学校段階でやる意味を見失っている子たちも、高校段階で小学校のところに戻って、そして地域で起きていることとつないで意味を見いだせるなど、衰退産業の中でも、実は学校の学びとつなげることで新しいアイデアが生まれて、そこに自分の学ぶ意欲がまた取り戻せるのではないか。探究というキーワードを決してハイエンドな子たちだけに置いたものではなく、詰め込み教育をしてドリル学習をやった後に探究があるのではなく、より前段階から探究的な要素を、特に先生方が取り入れられるような、地域との結び付けた関わりをどう保証していくのかということが重要。

■.教科・科目等の構成及び単位数について

(総合的な学習の時間と理数探究について)
○ 理数探究基礎の学習内容を総合的な学習の時間や他の教科・科目において十分に習得している場合には、理数探究のみを履修することを認めることも考えられるという表現があるが、総合的学習の時間から考えると、小学校は総合的な学習の時間がうまくいっていると思う。高校に上がるに従って、教科ごとの壁が高くなる。高校で理科の探究の時間が独立するというのは良いことだが、教科の理科の壁が高くなって、総合的学習の時間の良さを十分生かし切れないということもあるかもしれない。

○ 数理探究は普通科の進学校などで重視される教科・科目になってくるが、総合的な学習も、現時点では、そうした学校では、ややおざなりに行われている。次の指導要領全体の中で、総合は非常に重要な位置付けを持つ、中核的な学習領域となる。生活・総合の部会で、総合的な学習に特有な見方・考え方というのは何かという話をしたが、それはいろいろな教科・科目で学習したことをメタに俯瞰的に状況に応じて使う、コントロールする、そういった能力、思考・判断ではないかと思う。そうした能力はどの子にとっても大切で、それを数理だけの領域に限定してしまうことは危険性がある。数理探究の内容がどんなものであるかということとのバランスで考えていかないといけない。

○ 探究は非常に進んだ子たちの探究的活動を助けるところから始まったが、いろいろな探究活動がある中で、例えば探究するための調査の方法や表現、研究モラルや情報モラルなど総合的な学習で基礎的に身に付けなければならないゼネラルなスキルと徐々に似てくるところがある。数理探究科目が厳とあり、その中だけで勉強するものなのか、より総合的学習で、そうしたファンダメンタルな部分は身に付けるのか。科目としては、そこが曖昧なところだが、そうした考え方もある。

○ 総合的な学習で身に付けるスキルや能力は、ICT、情報活用能力に近い気がする。次の指導要領のイメージでは、共通性で全ての子供が持つべきものというのは、それぞれの教科の本質的な見方・考え方で、それを運用する能力はレベルの差があるかもしれないが一様に持ってほしい。それに加えて、情報を活用する能力が基礎・基本として置かれて、教科の学習がその上に乗っかって、それを運用したり活用したりする具体的な場面、本当に社会とつながるところを総合が担保するというイメージを持つと良いのではないか。数理探究も同じような位置付けで、その領域が数理的なことと、もっと社会科学的なところと住み分けしているカリキュラムの構造のイメージを持つと分かりやすいのではないか。

○ 総合的な学習の時間というのが高等学校段階でどれぐらい定着しているかということは、難しいところがある。本来、社会に出ていって一人一人が生き生きと幸せに生きていくことと、この社会を成立させていくこと、その両方に関わる大変重要な取組が総合的な学習の時間であり、それぞれの学校の教育目標を具体的に身に付けていくという意味でも総合的な学習の時間の位置付けというのは大切。しかし、なかなか定着していないという現実で、数理探究が、ややもすると進学のための道具として使われるだけで終わってしまうという危惧。

○ 高校の場合、教科の指導計画があって、同じ生徒が関連する内容を違う教科で学んでいても、先生の方は数学だ理科だということでずっとやるわけだが、生徒の中では、それを膨らませていくと、総合的な学習の時間の目標にかなうように展開できることがある。教科の壁を開いていく、横断するということでは、数学的な見方と理科的な見方のところで突破するということは、広がりにつながり、○○教育についても、この辺に突破口があるのではないかと考える。

○ 数理探究に関しては総合的な学習の時間との関わりを今後十分に考えていかなければならない。高等学校教育の非常に大きな柱の部分に関わるので、例えば総合的な学習の時間という名前自体は定着しているが、実態が高等学校では定着していない面も残念ながらある。そうした名称のことも含めて総合的な学習の時間をどうしていくのかということを、関係のワーキンググループで御議論いただきたい。

(その他の教科、科目について)
○ アメリカでは、女性でリーダーシップを取っている人がたくさんいる。日本も今後、取らせなければならない。そのアメリカが、STEM教育について欠けていると。特に女子のSTEM教育が欠けているということで、大統領が2013年に教書で発言したぐらい、力を入れてやろうとしている。日本においてもSTEM教育が絶対必要。数年前に、一人1台、生徒たちにタブレットを持たせてという話があったが、一切お金が付かず進んでいない。そうした様々なバックグラウンドを総合的に判断して、アメリカなどの教育に負けないためには、プログラミングも必要になるだろうし、より各教科が、お互いに譲り合い協力しながら、合教科型の、イマージョンやIBなど今まであったものをもう1回戻さなければならない。各教科ごとのすばらしさは分かるが、それを全部課すということが本当に子供たちに可能かどうか、そしてそれを大学がどう判断するのか、そういう意味で、思い切った改革をお願いしたい。

○ 各科目の在り方については、単位数を具体的にこれは何単位にしなさいといった話は無意味だが、どの教科・科目もそれぞれのワーキングで議論がなされて、どんどん内容が深められていくと、当然のことながら膨大な時間を要するようになっていき、カリキュラムの話というのは時間数の取り合いの話ということになってしまっている。そうならないような横串の刺し方というのを、この部会では提案をしていきたい。

■.カリキュラム・マネジメントについて

○ 高等学校の年間指導計画あるいは全体計画をいると、全体計画ではある程度抽象度の高い目標があるが、年間指導計画では、育成すべき資質・能力のない年間指導計画が多く、結局、それぞれの教科は単元がリストアップされているけれども、それぞれどのようにつながっているのかが分からず、他の教科では何をやっているかということの目の付け所が分からない。この1年間で、どういう資質・能力を高めていくのかという共通理解があって、その中の要素として各教科等がどういう役割分担をしていくのかという年間指導計画の示し方の基本として、具体的な資質・能力を各学校が設定するという文化を、まず高等学校の中で作っていき、それが各学校のカリキュラム・マネジメントにつながっていくのではないか。

○ 特別活動の中に学校行事という大きな重要な要素がある。その中では地域社会との連携が求められるが、高等学校での特別活動の扱いが、これまで十分ではなかった。例えば平成10年版の学習指導要領の定着調査ではホームルーム活動については年間35時間が必要なところ、それが平均値で満ちていない状況がある。特別活動の中における高校生の地域社会との連関性、あるいは地域社会を変えていく、社会を構成しながら自ら作り上げていく効力感や、生徒会活動やホームルーム活動の中で課題を解決した事実とそれに基づく自己の効力感といったものが必要なのではないか。それが特別活動の中だけに収まらず各教科等との往還関係をどう作っていくのか。つまり、地域課題を発見し、全体の学習の成果を生かして各教科の学びを基盤とした貢献活動になるような仕組みを作っていくことが今後求められていくのではないか。

■.アクティブ・ラーニングの視点をいかした学習・指導の改善について

○ 特に日本は成長自体も大幅な成長はできない成熟の社会、知識化社会となるが、一方で、ある学者によると人工知能の発達によって、今の人間の仕事の47%は人工知能あるいは機器等に置き換えられるとも言われている。人間は今、週40時間のところ、17時間の労働で済む社会になると予測されている。今の子供たちは次にどう変わるか分からない社会、自分で考えて、その決断に沿って行動して、そしてその結果責任は自分で取るという、大変厳しい社会に出ていかざるを得ない。そのときには、思考力・判断力をきちんと育てるような教育をしていただきたいと思う。学びを修めるという意味の学習が必要。学んだことを修めるためには試してみなければ分からず、試してみて、失敗、成功して、またそれが身に付く。失敗したら、また学びに戻るということで身に付くということになる。方法として、アクティブ・ラーニングの視点を生かした学びを深める、それから修めるという意味で定着させという方法を取っていただきたい。例えば、ディベートや、グループ学習、自らインプットしたことを発表しアウトプットして学びを修めていく学習。あるいは、社会で学んだことを実践する手法も取り入れていただきたい。それがまさしく社会に開かれた教育課程、あるいは社会全体で人材を育てていくという教育。

○ まずは教科というのがどうしても高校の場合はあり、教科に関することは、学習指導要領に沿って指導していくが、それ以外の例えば総合的な学習の時間については学校によって様々違ってきているところがある。しかし、ここに来て、高大接続の議論や新しい学習指導要領改訂の動きもそうですけれども、こういう状況の中で、かなり学校現場の中でも、認識は随分変わってきた。そもそも高等学校でどういう力を付けなくてはいけないのかなど、今ここで議論しているようなことに対する認識が高校の教員全体の中でも浸透しつつある。アクティブ・ラーニングのことも含め、何かの形で指導方法を変えていかなくちゃいけないという認識は、今、高校の教員にもあり、いろいろな研修など、関心を持っている動きが出てきているので、それらと連動させられると良い。

■.学習評価の在り方について

○ 諮問において、目標・内容・指導・学習評価の在り方の一体化がうたわれており、学習評価を前提として、文言をどう示していくのかが重要となる。つまり、主体的に学習に取り組む態度、これをどのように資質・能力として打ち立て、それを評価の在り方と一体化していくのか。高等学校を前提として、特に大学との接続との関係でそれを議論していくということが求められるのではないか。例えば、資料3-3の53ページでは三つの観点別評価がたたき台として出されているが、この主体的な学習に取り組む態度が、どうしても抽象度の高く、お題目になってしまう危険性がある。

○ 知識・技能については、課題別、単元ごとに細かく評価をしていくが、主体的学びについてもそうした取り組みが必要。子供が当たっている課題に即した主体的な学びとは何かということが、重要。実際、我々も、あることについてはやる気あるが、あることについてはないということがある。そうした形で、課題に即して、この課題を主体的に行うというのはどういう姿なのかを見取るということ。それが高等学校でこれまでどのようにあり得たかというと、あり得なかった。高等学校では、観点別評価は大事と言われながら、観点別評価をしたところで、それを書き出すところがなかったので全く行われてこなかった。それに対して、これからは観点別に、少なくともこの三つの観点で書き出す場所がきちんと保証され、書くためには、何らかの形で具体的にその課題に即した主体的な学びとは何かということを記述して、それに即して評価をしていくというルーブリック評価のようなものが具体的な形で示されて、実際にいろいろやりながら徐々にそれが洗練されていくことが期待される。

○ 高大接続システム改革会議においても主体的に学ぶ態度、態度を評価できるのかという議論が相当あったが、評価をする人は誰なのかということを考えることが、形骸的な評価でなくならせることにつながると考える。すなわち、学びを深めていく、あるいは修めていく場が、教室の中だけではなくて、例えばグループ学習やディベート、発表ということであれば、評価をするのは同級生の同じ生徒同士でもいいし、あるいは社会でそれを実践していくのであれば、社会活動、あるいはインターンシップ先の企業の方、あるいは一緒の地域奉仕活動とか社会活動だとか福祉ボランティアとかに行った先の皆さんたち、あるいは家族など。そうした方々の評価を入れていくことが、形骸化させないことにつながる。

○ 高大接続システム改革会議の中でも、育成すべき資質・能力と、それをどう評価するのかという点を、どう接続していくのか議論になった。例えば、新しい学力評価テストでは、記述式をかなり無理して入れていくという判断をした。これは高校までの教育の中に、言語活動や探究活動を、もっと教育として実質化していき、これを更に定着していくために、入試の中身を変えていくため。今までの学習指導要領も良い理念の下に作られていたが、大学の入学者選抜がそうなっていないために、総合的学習の時間を数学や英語の時間に充ててしまうということが出てきたり、1年生の夏休みが終わったら文理選択の紙が配られたりという、世界でも珍しい、教育というよりは入試対策の授業になってしまっているというのが現状。今回、入試あるいは入学者選抜を変えることで、高校までの教育も一体的に変えていこうという中で、この評価と育成すべき資質・能力のところは非常に連動してくる。別々の会議が並行して進んでいるのは理解したが、これをどう接続していくかということは、使われる言葉も含めて、非常に重要。

○ ルーブリックこそが、育成すべき資質・能力と評価を一体化するもの。結局、目標を設定して、それがそのまま評価の基準になっていく。そうした場合、生徒と保護者、それから教員が、それぞれルーブリックを共有することによって、目指すべき方向性が共有できる。その中で自己評価も含めて、それぞれの高校生活を記録しながら、自己評価、他者評価も含め、自らの成長を感じ取っていくような、そういった自己成長のシステムというものを考えていく必要があるのではないか。これは例えばポートフォリオのようなものも、これから育成すべき資質・能力とともに考えていく必要があるのではないか。

○ 主体的に学習に取り組む態度については確かにこれを評価するのは難しいが、各学校で、その子供たちの態度をどのように評価しようかというところ、まずそこから始めていくことが大きい。問題は、それを日本全国共通にして、ある基準で測るのかというところ。学校の中でということであれば、それぞれの基準を教員が話し合って、議論をしていって、うちの子供だったら、このぐらいまで来たらこれはいいよねというところができてくることは、比較的難しくない。そういうことからまず始めていくことが大事。

■.その他の高等学校教育に関する意見

○ この先を考えたときに、今回の教育課程の改訂というのは今までの10年ごとの改訂とは違う、大きな意味がある。それは高大接続の問題。今、高大接続システム改革会議で議論が行われてきたが、どのように大学が変わるのか分からない。各大学がポリシーを出していく中で、それに対して、我々の方の高等学校以下の教育課程でここまでのことをすることが、本当に望まれることなのかどうなのか。それとともに、ここに書いてあることを全部やるとしたら、私は、子供たちはパニックじゃないかと。こんなにたくさん、各教科でこれだけのことをやったら、無理だと思う。

○ 正に今、大学改革進んでいるところ。まず小・中と変わってきた。ここでいよいよ高校が変わろうとしている。大学の方も、今、非常にどの大学も必死で変わろうとしているので、まず高校の方は大胆に信ずる道を進んでいただき、大学もしっかり取り組みたいと思っている。ポートフォリオにしてもルーブリックにしても、実際の学生たちの評価に、教員養成系の大学は特に、それらを取り入れるようになってきている。特に教員養成系の大学の場合は、先生を養成するという意味で、教育大学の使命は非常に強い。

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