第3回小学校部会における主な意見

「社会に開かれた教育課程」の視点に立った、小学校の教育課程の改善

発達の段階(低学年・中学年・高学年)を踏まえた学習・指導の在り方

○ 大学受験の変革を考えると、小学校段階から検定を受けていくことも相当意識されなければいけない。小学校の授業の中で出てくる親しみ、楽しみがメーンではあるものの、きちんと積み上げて定着させていき、検定を受けていくということを学校側が意識しておかなければいけない。

幼児教育、中学校教育との円滑な接続の在り方

○ 校種を越えて、義務教育9年間ではなく12年間というスパンで教育を見ていくというのは、非常に大事。特に小学校は6年間、この幼児教育の部分とどう接続していくのか。今もカリキュラムで各学校、幼・保・小との連携を工夫しているが、特に低学年のところの接続がとても大切になる。また、中学校との接続の部分も、高学年の指導体制のことも今まで出てきたが、そこの部分も大切になってくる。

○ 小・中・高等学校における思考力、判断力、表現力等の関連がよく見えているのが「社会科、地理歴史科、公民科における思考力、判断力、表現力等の育成イメージ」(資料5,p.108)。ここには、(1)社会的事象の意味や意義、特色や相互の関連を考察する力、(2)社会に見られる課題や問題を把握し、その解決に向けて構想する力、(3)考察したこと,構想したことを説明する力、(4)考察したこと,構想したことを基に議論する力という形で、四項目で示されている。しかも小・中・高の関連が段階的に表示されているので、小学校、中学校、高等学校でどのように発展していくのかということもよく分かる。こうした構造が全ての教科で示されると、全体構造がよく分かるものとなる。

○ 小・中・高で区切ってあるが、今、小・中一貫とか小・中連携とか言い出したときに、多いのは4年生までと5年・6年・中1・中2・中3と、そうやって見たときに、そういう区切りができると良いかもしれない。

家庭、地域・社会との連携の在り方

○ 昨年12月21日に出されたコミュニティスクールと地域学校連携の答申やチーム学校答申の中にも、学校と地域の連携がうたわれている。杉並区では小学校英語の英語検定は、全て地域が行っている。学校の先生ときちっと相談をした上で、中学生も小学生も同じ学校で受けられるし、小学生も中学校に行って受けられるという、チャンスが増え、チャレンジするという心を育てることができる。全部を学校の教員にお任せすると、どれだけ先生たちは大変なのか。なるべく外でサポートできるようなことは、学校と一緒に連携推進していく側が、学校と共同歩調をとって検定なんかはやっていくように、今後そういう推進をしていった方が、子供に対してもチャンスができるし、先生たちの御負担も減るし、協働という意味においても必要なのではないないか。

○ 社会との関わりということを今回非常に重視しているということで、子供たちが今学んでいることが社会の中でどう生かされるのかということをイメージできるような内容を重視してほしい。例えば、算数や数学の問題として教科書の中には存在しているけれども、社会の現実場面にはないということはなるべくなくし、今、例えば分数の割り算というのは、社会の中で大人たちはこうやって使っているんだということが子供たちにも分かるような教え方がされたら良いのではないか。

○ 私が取り扱っている授業プログラムに野村総合研究所のシステムエンジニアの理解の授業を小学校5年生に入れている。それは、情報を学んだ後に、算数では円グラフや折れ線グラフ、棒グラフ、そこが済んだ段階で、アクティブ・ラーニングを用いているので、子供たちがグループごとに話し合って、ワークシートで表現して、最終プレゼンにもっていくまでに、国語力も含めて、5年生で学んでいることが総合トータルで表現できるようにしている。その際、各教科、教科横断型で、社会に開かれた学びで、自分が学んでいることが社会のどこで役に立っていて、表とかグラフがこんなふうに比較検討するときに実際の社会で使われていて、分析する際に、パソコンの前だけに座っているのではなくて、コミュニケーション能力がとても重要なんだということが理解できるように、全ての教科書を読み込んで作るのだが、もっと全てがつながっている、学校の教えている先生が社会に開かれているんだよ、みんなが習っていることというのはとても社会に役立つことを学んでいるんだよということが教えやすい、伝えやすいようにすると良い。

小学校教育を通じて育成すべき資質・能力

小学校における教育課程が育成を目指す資質・能力について

(教科横断的な取組を通じて育成すべき資質・能力)

○ ICTの活用には二種類ある。一つはドリル的に教材を作ってそのICTを使うという場合。もう一つは、双方向のコミュニケーションをとるためにICTを使う。例えばテレビ会議のシステムを使って授業をするのであれば、どこか遠くにいるALTの先生の顔を見ながら、口元を見ながらそれを聞こうとすることができる。その中で子供はみずからつかみ取って聞こうとする力、対応力が育つ。ICTの使い方も二種類で考えていかないと、ドリル的なものだけを繰り返していくと、本当の意味での活用力が育たない。

○ 現行の評価の観点が、四観点と言いながら、教科によって表現の仕方が違っていたりしていたので、今回のように、この三つの要素ということで、全ての、高校も含めて、教科、科目をまとめてきているというのは、混乱なくそれぞれの教科を担当する者たちが同じ土俵で検討したり改善をしたりということができるという意味で、すばらしい取組が進んでいると感じる。

(資質・能力の育成と、各教科等の充実の方向性について)

○ 三つの柱に基づくこの横表に関して、現在、個別の知識・技能、それから思考力・判断力・表現力、それから学びに向かう人間性等という三つに大きく分かれているが、どうしても外目に見ると、習得、活用、探求という順序性を示唆するような静的、線的な学力観に見えてしまい、子供たちの思考の実態等を考えたときに、より動的もしくは循環的な見え方、もしくは理解がされるような表示ができないだろうか。特に括弧書きで、例えば個別の知識技能というか、何を知っているか、何ができるかというようなところが、思考力、判断力、などと知っていること、できることをどう使うかというところが、どうしても順序性を意図しているように見えてしまう。子供たちの学習、学びはいろいろ試行錯誤しながら、基礎的な技能や知識とどう関わっていくのかということを後で気付いていく場合もある。実態的な学力があって機能的な学力に向かうというのではなく、機能的な学習があって実態的な学習が成立するということもあり得るので、その辺の関係性についてもう少し知識ということの理解や、この関係性について何か一工夫を。

○ 個別の知識や技能、それから思考力・判断力・表現力、これについては要するにそれぞれの教科の持っている内容とかあるいは学び方のような形で考えていくと思うが、もう一つのこの学びに向かう力、人間性等というのは何か非常に大きいように感じる。今まで、これがまた学習の評価にリンクしていくと考えたときに、この最後の学びに向かう力というのが関心、意欲、態度というような形で置き換えていいものなのかどうか。もっと何かその先にあるようなものなのか、その辺のところが、多分、教科や授業レベルに落としたときに単純に並列に考えてよいのかどうなのかという点が課題になる。

言語に関する能力の重要性について

(言語の役割及び言語に関する能力について)

○ アルファベットの文字や単語などの認識や語順の違いなどに気付きを得させるんだということが非常に難しいのではないか。言語や英語の専門の先生が多くの知識を得た上で体系的にこんな違いがあるという結論に達するものを、初学者に気付けということは非常に苦しい。まず最初に全体的なことを教えますよと、枠組みを与えてあげた方が、初めて教えてもらう立場の者としては道筋が見えて良いのではないか。

(資質・能力の育成と言語能力との関係について)

○ 教科横断的に育てるべき資質・能力には思考力、言語能力、情報活用能力、課題解決能力等があるのではないかと前回、発言をしたが、小学校に限定して考えると、言語能力と思考力を育てることが大事。言語に関する資質・能力の要素・イメージ案を見たときに、認知と思考と表現というキーワードがあり、国語科及び外国語科、外国語活動を通じて育成すべき言語能力という図があるが、この中には思考力も含まれているので、ここに全教科の狙いのようなものが盛り込めないか。認知にもいろいろな次元の認知があり、メタ認知的に見るときには思考も高次元になっているのではないかと思うが、ただ認知と思考と表現で、その中で言語を使って、そして思考することがこの図の中で上手に説明されている。ここに思考のパターンについての説明をもう少し加えると、これで教科横断的に育てようとしているものの説明ができないだろうか。

○ このように全ての教科、全ての学校群にわたって一覧できるとよく見えてくる。その関連で、国語と英語が表示されると良い。国語で示されているような形で外国語も示されると、言語能力としての共通性が明確になって、分かりやすくなると思う

外国語活動の充実について

○ 小・中の接続を考えたときに、中学校英語から小学校英語へというベクトルで教育内容が考えられがちだが、小学校の子供たちの目線で英語学習というのは何かということから、中学校の英語を見直していくことも重要ではないか。

○ 話すことについては、日本語も英語もある程度越えなくてはいけない壁がある。聞くことに関しては、日本語は英語ほど構えなくても子供たちはある程度聞こえてくるが、それを一生懸命聞いて、その場その場のシチュエーションに合わせて子供が聞き取って意味を分かろうとする力が、聞くことに関しての技能として必要になる。この部分はドリル的なことを繰り返して慣れていくだけではだめ。英語を長くやってきた大人たちが使える英語になっていないのは、このところに問題があって、どんなに一生懸命繰り返しをしてやっていても、いざその状況に置かれたときにそれが使えないのは、そういう状況の中でのトレーニングの中で、それを何とか聞き取って分かるということの訓練が足りない。

○ 教育課題は本当にたくさんあるが、足し算はできても引き算がなかなかできないのが教育現場。必ず指導すべき教育課題と、配慮すべきもの、又は低学年が担うべき教育課題、中学年が担うべき、高学年が担うべき、そこの重点や取扱の軽重について見える教育課題の出し方をすれば現場は位置付けがしやすいと思う。全部やれというのは全部やらないのと等しいことになってしまう。

○ 学級で間違ってもいいよという雰囲気を作れる学級を作らないといけない。これは道徳もそうで、全部の教科がそうだろう。間違ってもいいよという、支持的な風土、安心して間違える学級を作る。ましてこれはアクティブ・ラーニングにしても、共同学習にしても、間違ってもいいよという雰囲気作りがまず大事。先生も間違っても構わないよという中で、できるだけ普通の教科でも英語を単語として、家庭科でも図工でも色を英語で言ってみたり、赤はredだよとか言ってみたり、絶えず英語を使う環境を、小学校の先生方が英語だけじゃなくていろいろな教科でも使いますよという、そういう雰囲気作り。そこで間違ったら、先生も間違ったというのでいいんだなと思ったりする。楽しい英語と言わないと子供たちも嫌だろうなと、まして先生方も嫌だろうなと思う。

小学校における「カリキュラム・マネジメント」の在り方

「カリキュラム・マネジメント」の意義について

○ 学級担任のみの選択肢ではなく、いろいろな選択肢がその学校の条件、地域の条件によってあるんだというところを出し、全体の底上げをしなければいけない。そういう課題を地域的に持っているところもあれば、先に進んでいるところ、様々あるかと思うので、それぞれの状態に応じて考えていく、そういう意味においてはそれぞれの学校あるいは地域におけるカリキュラム・マネジメント、カリキュラムの編成の在り方の重要性ということを改めてこの文脈の中で伝えていくという視点がある。

短時間学習等の柔軟な時間設定の現状と、効果的な実施の在り方について

○ 外国語が中学年、高学年に総時数として1時間ずつ増え、教えるべき教育課題ももう三十幾つ、もっとあるかもしれない。そのため、教科横断的や学び方についてまで今回の学習指導要領改訂は踏み込む方向性だと考えている。その中で、学校現場にとっての時間的な単位は、組織として必ず必要。

○ 現場としては、モジュール的な15分単位の横横断の帯状の時数を設けるにしても、曖昧さを残さないでほしい。例えば、15分の今の朝読書とかドリル学習とかを時数カウントするのかしないのか、内容についてはどこまでか。例えば総合的な学習の時間の課題設定から子供がやるべきだという流れもあるが、総合的な学習の時間で何をやるべきで、どこからを活動に委ねるとか学校に委ねるとかというところがはっきりしないと混乱してくる。

○ 特に危惧しているところは、小学校の高学年が教科化ということで、聞く、話すが中心だったのが、今度は読む、書くが高学年で入ってくる。小学校の先生方は非常に真面目なので、中学校に入った1年生の段階で、今まではアルファベットの読み書きをしていたところを、中学校に子供を送るときに、小学校の段階できちんと子供たちがある程度身に付けているようにする。その際、短時間学習において安易に15分ぐらいの時間を書いて終わらせないような工夫が必要。特に小学校の英語というのは中学校と違うので、いろいろな教科との関連とか、必要感等を持って、相手意識を持ってしゃべるなど、場の設定が大事になってくる。

○ 研究開発学校では、確かに、指導者として学級担任が指導するというのが成果が上がっているとレポートで言われている。中学校の教員にしても、ALTにしても、学級担任を支える役割としてはあるが、主として学級担任がというのが研究開発学校が打ち出してきた一つの結論。それをもう一度少し相対化する必要があるのではないか。研究開発学校は、学校を挙げて指導体制を組み、そこで2年、3年かけて練り上げていくという環境で、学級担任が力を発揮するよう位置付けられる。そういうレベルの地域の、あるいは条件の整った学校の場合にはそれが一つの方向性としてあるが、その前提の条件が外れた場合には、いろいろなことを考えていかなくてはならない。

授業時数の考え方と、各学校における柔軟な「カリキュラム・マネジメント」について

○ 中学年、高学年で時間数が35時間増えるということで、内容ももちろん大事だが、この授業時数をどうマネジメントしていくかというところが各学校に懸かってくる。カリキュラムを編成するのは、各学校であり、そのため編成しやすいいろいろな材料を数多く示していかなければならない。特に外国語については、授業時数の設定についても、短時間学習あるいは1単位時間あるいはそれをプラスしたものがあるという可能性を示しながら、最終的には、各学校が子供の実態あるいは地域の実態を踏まえて組んでいくので、そういう部分の選択肢をなるべく増やしてあげたい。

各学校の「カリキュラム・マネジメント」を支えるための方策について

(指導体制の充実)

○ 指導者がこれから非常に大切になってくる。その評価権、担任の先生がベースにはなるんだろうが、ティーム・ティーチングや、ALTとの関わりの中、能力的に担任の先生が不十分の場合でも、評価権者としてはその担任の先生が担うということか。
○ ALTの確保は相当難しい。これだけの時間数を、そして経費面でも相当な負担になると聞いているが、学校現場が困らないような予算措置は考えられているのか。

○ 杉並区では小学校1年生から6年生まで全ての英語に携わる日本のボランティアを100人以上養成し、それにALTが効果的に予算措置として入りつつ、Eラーニングの活用も含めて同時に進めていっている。都市部と遠隔地とでは相当開きが出てきて、義務教育としてのチャンスみたいなものを大切にしていくべきなのではないか。日本の中にも英語の堪能なすばらしい人材がいっぱいいるので、そこを効果的に使うのが良いのではないか。

○ ALTが入ると、ALTにお任せになってしまう場合がある。ALTから、そのような不満の声を聞くことがある。小学校の場合、授業のリーダーシップをとるのはやはり学級担任であり、その責任のありかはきちんとしておくことが大事である。ALTにどこを指導してもらうのか、その役割分担を明確にしておく必要がある。

○ ネーティブスピーカーの音を聞く、又はそういう文化的背景にある方たちと関わっていくという体験も子供たちにとって非常に重要。日本人で英語の専門的指導力を付けていけばという部分もあるが、そこに多様な方たちと関わりながら、またそういう人たちと一緒に学んでいくというようなことも大事であり、ALTの配置を考えるべき。

○ ALTのJETプログラムについては、ネイティブを耳にする、また、ネイティブの方というのは当然他国の方なので、他国を知るという部分も含めてすごく重要。実際、JETプログラムの関係で来ていた方は学校だけではなくて、周りの地域にも溶け込んでいくことで、地域の力を学校がたくさん借りることができる一つの入り口、接着剤になることもあった。単に英語を教えるということだけではなくて、そういった方々の活用というのは、大きな可能性と大きな力を持っていることがあるので、活用できるようにしていただきたい。

○ 教育委員会の立場からは、指導体制として、英語教育推進リーダー、中核教員、そして各学級担任へというような流れで既に準備を進められていることは大変ありがたい。学級担任として、自分の受け持ちの子供たちに、苦手であれ、専門外であれ、授業を通して英語に親しむ、そういった力を付けてやりたいという思いはあるはずなので、学級担任の指導力を高めるということは大事。そこに中核教員を各学校に設け、その指導をするのが英語教育推進リーダー、そういう流れは大変ありがたい。

○ 地域の人材といっても、小規模の自治体で英語をしゃべれる人、指導できる人が何人いるのか。しゃべらなくてもいい、英語って楽しいよと教えてもらうだけでもいいが、そういう方を探すとしてもどのくらいいるか。

(小・中学校連携の充実)

○ 子供たちは専門的な知識・技能を持っている人から学ぶことによって、その教科を学ぶことの喜びを知っていくという側面が大きい。いまALTや専門家の助力というのも考えられている。その一つとして、いずれ小学校を終えて中学校へ進学していくのだから、近くの中学校の英語の先生の活用も有用ではないか。小学校で英語の免許を取得している先生の割合が5%ぐらいで低いという。これから充実していくのだと思うが、現状では限界があるのではないか。国語でも、中学校の国語の先生が小学校6年生に教えると、にわかに子供たちが興味を示して、学習が開けてくるとうことがあった。決して教え込むのではなく,背景的知識が豊かなことが授業の充実を保証しているのである。

○ フォニックスでは、最後にeが付いているときにはaの文字はエイと発音する。そうでないとき、次に子音だけが付いているときにはアと読むという、一応のルールが英語にもある。読み書きのときには、恐らくある程度抽象的な思考ができるようになってきた小学校の5年生、6年生たちであれば、そうしたルールを教えてあげることによって習得はかなり助けられるのではないか。そうした指導法について、読み書きを系統的に教えるための指導技術やノウハウを小学校の先生たちに今まで英語を専門的に教えていた中学校の先生方がどんどん伝えていくということが必要なのではないか。

○ 中学校の先生が小学校に入るというのは、授業の面はもちろんそうだが、小学校・中学校の接続、小学校の子が中学校に上がる、また中学校が小学校から来た子を受け入れるという児童生徒両方を見るという点でも、大変重要な役割を果たす。ALTの先生でも、小学校でも教え、中学校でも教えている方がいると思う。いろいろと多様な経験をする方々が増えることが、結果としていろいろな知識やいろいろな経験を持った先生から小学校の子供たちが学ぶという、英語だけに限らず様々なことが学べるという教育環境が構築されるので、非常にいいこと。

○ 小・中連携については、1中学校・3小学校のような町村ではたくさんある。小ささは小ささのよさを活用できる。いろいろな資源がない中ではどうやっていくかといった場合、自分の自治体では14年ぐらいから小中一貫で英語をやった。ALTも小学校に専門で入れて、各学校で英語の担当者会を作って、担当者を引っ張り出して、そして小中一緒に担当した。そうした中でカリキュラム作り、どうやって授業に含めていこうかとしていったが、非常に肝心だったと思う。

(指導教材の充実)

○ 評価の三つの観点で、知識・技能、これは恐らくCAN-DOリストが基になると思われるが、思考・判断・表現、あるいは主体的に学ぶ、学習に取り組む態度などについての、評価基準は今後作成されるのか。

○ 短時間学習については、成果としては、繰り返し学習の補充、定着、またそうしたことをしたことによって子供たちも非常に肯定的な評価をしている。反面、課題として、先生方の教材研究が非常に大変で、それが一番危惧されること。準備が簡単になるような、授業者の負担軽減ができるような条件整備、また教材開発といったことを是非お願いしたい。

(学習のための環境整備)

○ 情報教育等も含めてタブレットの活用が必要。特に過疎地の学校で、小学校でも7名しかいないようなところにALT配置は絶対に困難。タブレット活用も視野に入れて中身を作っているのか。

○ 条件整備については、ICTの方にも注目している。電子黒板やタブレットは、特に外国語学習については有効であるし、指導する担任とかALTの能力に関わらず、受け取る側が均等に受け取れる。また、外国語活動に関わらず、重点的に効果があると立証されたものもある。今後、アクティブ・ラーニングや子供たちの自主的な教育活動を展開していくためには、指導すべき最低限の内容をいかに効率的に子供たちに指導するかということに懸かっている。しかしながら、ICTの整備が東京都内を見ただけでも余りにも格差がある。もし各自治体に負わせる部分があるのであれば、各自治体がその条件整備の何をどこまでということが見えるような形で提示をし、その支援をお願いしたい。ICT格差が学力格差に結び付かないようなことをお願いしていきたい。

○ 927ほど町村があり、その中で人口が非常に少ないところがたくさんある。5,000人未満の人口の町村が半分ぐらいで、指導主事もほとんどいない。そういう状況の中で、自治体によって相当の格差がある。私のところも今、ICT環境の整備をどうするかというのは一つの問題としてある。

○ 今回の外国語に関わっては、条件整備がかなり大きなウエートを占める。これまでも条件整備については常にテーマであり続けているわけでだが、とりわけ今回は改めてその点が大きなポイントになってくる可能性がある。

(教員の養成・研修の充実について)

○ 英語教育推進リーダーをうまく活用するために、委員会としてどのようなことができるのか、また、委員会以外にも総合教育センターなどの教育の研修の組織もあるので、そういう組織とどうこの英語教育推進リーダーがつながっていくか、研修体制をどのようにしていくか、そして全ての小学校の先生方がしっかりと指導できるようになるのかというところを、もう少し詰めて整備ができたらいい。

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