教育課程部会 体育・保健体育、健康、安全ワーキンググループ(第3回) 議事録

1.日時

平成27年12月10日(木曜日) 15時00分~18時00分

2.場所

合同庁舎7号館東館 3F1特別会議室
東京都千代田区霞が関3-2-2

3.議題

  1. 体育・保健体育等における育成すべき資質・能力について
  2. その他

4.議事録

【山口主査】  それでは、定刻となりましたので、ただいまより中央教育審議会 初等中等教育分科会 教育課程部会 体育・保健体育、健康、安全ワーキンググループ第3回目を開催したいと思います。
今回は、大変お忙しい中、御参集いただきまして、誠にありがとうございます。
それでは、まず初めに、事務局から、第1回、第2回に欠席されました委員の御紹介、そして、配付資料について御確認をお願いいたします。
【高﨑学校体育室長補佐】  失礼いたします。それでは、委員の紹介をさせていただきます。
杉本眞智子委員でいらっしゃいます。
【杉本委員】  こんにちは。川崎市立西生田小学校校長をしております杉本と申します。前回の指導要領改定にも関わらせていただいてきましたけれども、また一緒に勉強させていただきたいというふうに思います。よろしくお願いいたします。(拍手)
【高﨑学校体育室長補佐】  森丘保典委員でございます。
【森丘委員】  こんにちは。日本体育協会スポーツ科学研究室の森丘と申します。どうぞよろしくお願いします。(拍手)
【高﨑学校体育室長補佐】  続きまして、配付資料の確認をさせていただきます。
議事次第に記載してありますとおり、資料1-1といたしまして、第1回ワーキングで委員から主な意見を頂いた資料として作らせていただいているものがございます。続きまして、資料1-2といたしまして、第2回のワーキングにおける委員からの主な意見をまとめたものでございます。資料2につきましては、論点のテーマでもございました体育・保健体育における資質・能力の三つの柱の捉え方などについて、個別の柱について委員からの主な意見という形でまとめさせていただいているものでございます。
続きまして、資料2といたしまして、こちらは、前回第2回にも配らせていただいたんですけれども、同じような、「健やかな体の育成に関する教育のイメージ【たたき台】」というものの資料でございます。
続きまして、資料3でございます。こちらも前回配らせていただいたもので、再配付させていただいている「体育・保健体育等に関する資料」でございます。
資料4といたしまして、先日行われました第2回総則評価特別部会の提示資料でございます。「学習指導要領等の構成、総則の構成等に関する資料」でございます。
最後になりますけれども、机上配付資料といたしまして、委員限りの資料でございますが、こちらの方を配付させていただいておりますので、不足等ございましたら、事務局までお申し付けくださいませ。
なお、机上にはターゲット端末も置いてございます。各本ワーキンググループの進行や審議に当たり、参考となる他の審議会等の答申等をまとめたのをデータとして入っておりますので、また御確認いただければと思います。
以上でございます。
【山口主査】  それでは、これより議事に入ります。
初めに、本ワーキンググループの審議等につきましては、初等中等教育分科会教育課程部会運営規則第3条に基づき、原則公開により議事を進めさせていただきますとともに、第6条に基づき議事録を作成し、原則公開するものとして取り扱わせていただきます。よろしくお願いいたします。
なお、本日は、報道関係者より会議の録音の申出があり、これを許可しておりますので、御承知おきください。
本日は、前回に引き続きまして、体育・保健体育等に係る資質・能力について、三つの柱、「個別の知識や技能」、「思考力・判断力・表現力等」、「学びに向かう力、人間性等」それぞれについて、事務局から資料に基づき御説明を頂いた後、体育、保健の視点から順番に御意見を頂戴したいと思います。
それでは、本日の議題に入る前に、他の専門部会などで議論されている状況等を踏まえまして、伝達事項、報告などを事務局から御説明を頂きます。
【大杉教育課程企画室長】  失礼いたします。それでは、先日開催されました第2回の総則評価部会における議論の状況を御報告させていただきます。
第2回の総則評価部会におきましては、こちらの体育・保健体育、健康、安全ワーキング、前回の状況を御報告させていただくとともに、その他教科別のワーキングの審議状況を全て御報告をさせていただいたところでございます。
総則評価特別部会におきましては、それぞれのワーキングにおきまして、論点整理に基づきまして、資質・能力も含め、方向性に基づく御議論を頂いておりますことに感謝ということが述べられますとともに、以下申し上げます5点を各ワーキングにお伝えいただいて、議論を更に深めていただければということでございますので、主査に代わりまして、御報告を申し上げます。
1点目でございます。各ワーキング、特別チームにおける検討事項のうち、いずれの教科においても、重要な内容に関しましては、可能な限り早い段階で御議論を頂き、総則評価部会及び各教科等ワーキングにおいてもしっかり検討できるようにスケジュールをお願いしたいということでございます。
特にこちらのワーキングでは、保健等も含めまして、各教科にわたる議論も多うございますので、その点についてということでございます。
2点目でございます。今回、社会に開かれた教育課程ということの中では、学習指導要領の法的な性格を踏まえつつも、先生方、あるいは、学校に関わる地域の方々、教職を目指す学生さん方、そういった方々に読んでもらい、その趣旨が十分に伝わるような表現ぶりとしていくような必要があるのではないかということで、学習指導要領の書き方ということにもなってまいりますけれども、そうした伝わりやすい構成や文章ということを心掛けて御検討を頂ければということでございます。
3点目でございます。各ワーキングにおきましてはということで、もう既にこういった方向性で御議論を頂いておりますけれども、発達に応じた目標や内容の系統性という縦の軸、それから、様々な現代的な課題等に対応した教育も含め、育成すべき資質・能力という全体像、その中で、教科の意義、何ができるのかというような視点から御検討を頂きたいということでございます。
それから、4点目でございます。これも社会に開かれた教育課程という観点から、卒業後、その教科の特定の学問分野や職業に進むという場合だけでなく、どのような職業等に就くとしても、その教科の意義ということを生かすことができるような教科の本質的な学びということを重視して、資質・能力を育むということができるような構成を御検討いただきたいということでございます。
それから、最後の点、これまでとも少し重なりますけれども、育成する資質・能力、教科の内容、指導方法、学習方法の観点から、全体的な構造ということを考えていく必要がありますので、各ワーキングにおける教科、校種別の議論を深めていただきながら、一方で、開催されております総則部会でありますとか学校種別の部会における全体的な議論の状況を踏まえながら、御議論をお進めいただきたいということでございます。
報告は以上になります。
【山口主査】  ありがとうございました。
それでは、本日の議題に入りますが、先ほど申し上げましたとおり、まずは資質・能力の三つの柱の中の「個別の知識や技能」の柱について、体育の視点で議論をさせていただきたいと存じます。
まず、事務局より、配付資料の説明をお願いいたします。
【高田教科調査官】  それでは、机上配付資料、委員限りのカラー刷りホチキス留めの2枚の資料をご覧ください。
ただ今、主査からご提案がありましたとおり、個別の知識や技能について、まず、体育の運動領域、保健体育の体育分野について、話を進めさせていただきます。
個別の知識や技能については、「何を知っているか」「何ができるか」ですから、体育においては、運動についての技能の内容が該当すると考えられます。併せて、その技能の習得のために必要な知識、運動の行い方に関する知識がここに該当すると考えられます。したがって、今までは知識、思考・判断としてまとめていたところから、知識を一つ目の柱に移し、整理できるのではないかとご提案いたします。
小学校運動領域では、「それぞれの運動が有する特性や魅力に触れ、その行い方を知るとともに、基本的な動きや技能を身に付ける」というように、「何々が分かるとともに、何々ができる」というように整理できるのではないかと考えています。「各種の運動の行い方を知るとともに、その技能を身に付ける」として、今ある6つの領域、体つくり運動、器械運動系、陸上運動系、水泳系、ボール運動系、表現運動系に関する知識・技能を1つめの資質・能力と捉えます。
【高橋教科調査官】  失礼いたします。中・高の説明をさせていただきます。
前回もお話を申し上げましたが、中学校では、身体的な発達はもちろん、知的な発達も著しい時期になることから、小学校の運動の行い方にプラスして、体力の要素や高め方、運動観察の方法等も、体育の重要な知識として位置付け、それを理解し、基本的な運動の技能として発揮したり、身体表現をしたりすることとまとめさせていただきました。
また、「スポーツに関する科学的知識や文化的意義等の概要の理解」として、体育理論の内容、いわゆる各領域に共通する内容や、まとまりで学習することが効果的な内容をここにまとめております。例えば、する、見る、支えるなどのスポーツの多様性があること、また、文化としてのスポーツの意義等々をまとめているところです。
高等学校においては、中学校の内容にプラスして、課題解決の方法や、競技会の運営や審判の方法等の知識を位置づけております。競技会については、レベルの高いオリンピック等々の競技会ではなく、地域のスポーツの行事の中で、どのような役割分担をすべきか、また、ルールや組合せの工夫等の試合の運営の方法を知識としてしっかり学んだ上で、運動の技能として発揮をしたり、身体表現として発揮したりすることとまとめさせていただいております。
また、高校においては、体育理論はスポーツに関する科学的知識や文化的意義等の理解として、スポーツの歴史的な特性であるとか、豊かなスポーツライフの設計の仕方、いわゆる、それぞれのライフステージにおけるスポーツの楽しみ方等々における知識をここにまとめているところでございます。
以上でございます。
【山口主査】  ありがとうございました。
ただいま事務局の方から、それぞれ小学校、中学校、高等学校について御説明を頂きましたが、この資質・能力の三つの柱の中で、「個別の知識や技能(何を知っているか、何ができるか)」という視点の柱のこの一つの視点で、これから意見交換をさせていただきたいというふうに思います。
今御説明ありましたけれども、ここが足りないんじゃないかとか、こういったところをこういうふうにというような活発な御議論を頂ければと思います。御意見のある方はあらかじめ前回同様に名札を立てていただきますと、私の方で順次指名をさせていただきます。また、発言が終わりましたら、元に戻していただけますようにお願いをいたします。いかがでしょうか。どうぞ。
【真如委員】  じゃあ、ごく簡単な質問を一つだけお願いします。
小学校、中学校、高等学校というふうに縦に分けてあって非常に分かりやすいなと思うんですけれども、小学校のところだけ、体づくり運動、器械運動、陸上運動……。
【山口主査】  すみません、マイクを使っていただいて、よろしくお願いいたします。
【真如委員】  うちの議会と勘違いしました。そういうふうに幾つかの分類したものが下に書かれているわけですよね。その辺の違いというのは何か特別な意図があって、ここに、体づくり運動、陸上運動、ボール運動系というふうに書かれたのかどうかということについてちょっとお伺いしたいなというふうに思います。
【高田教科調査官】  申し上げます。現行の6領域をそのまま列挙いたしました。各領域には、それぞれ個別の知識、技能があると捉えていますので、各領域で身に付ける知識・技能を習得するという意味で六つ記載しました。
【真如委員】  あえて同じスタイルにしないというところのその意味というか、そこだけ知りたいなと思って。
【高田教科調査官】  真如委員がご指摘なのは、体つくり運動は様々な領域につながるだろうという捉え方ができるのではないかということでございますか。
【真如委員】  もっと簡単な意味で、これ、そのうち、先生方にも渡っていくんだろうと思うんですけども、そのときに、小学校、中学校は特に小中一貫の教育を進めるという、そういう雰囲気があるんですよね。
【高田教科調査官】  はい。
【真如委員】  ですから、ここに書かれているその書き方についても、これはどうしても気になるところがあると思うんで、例えばこの小学校の運動領域のこの今六つ示されていますけども、これがなくてもいいものなのかどうかね。あえてここに様式が少し変わったような感じで出されているのには何か訳があるのかなというふうに思ったわけで、それをお聞きしなかった。
【高田教科調査官】  分かりました。この資料は、今、小学校ではこれら6領域があるという紹介の意味で列挙しました。中学校、高等学校では、武道などが加わったり、名称が変わったりしていますので、中学校、高等学校も、同じように列挙することはできます。委員の皆さんがご覧になったときに、個別の知識や技能にはこういった領域があるなというように把握していただくために、このように記載させていただきました。
【真如委員】  分かりました。出だしの簡単な質問でした。
【高田教科調査官】 ありがとうございます。
【山口主査】  いかがでしょうか。では、日野先生、お願いいたします。
【日野委員】  すみません。先ほど教育課程全体を見通した中でという御意見もありました。私自身、真ん中の思考力・判断力・表現力のような、運動やスポーツに対する課題発見や課題解決をしていくことが体育授業事業の核と考えたとき、それに必要なベースになるための知識や技能をしっかり身に付けておくことは、とても大切なことと思います。
一方で、今回の議論の中で、ある意味、これができる力としての目標ベースだとすると、一緒に評価のことも考えないといけないということですか。そうすると、確認でもあるのですが、この辺りの枠組みがそのまま評価の枠組みや観点になっていくのかについて、一度確認させていただければなと思います。
【山口主査】  評価につきましてはまた機会を設けまして議論をさせていただくということになりますが、当然、こちらで話されたことが評価にもつながっていくというふうには理解をしております。
友添先生。
【友添委員】  すみません、2点だけ、お尋ねと情報と話題提供という形かなと思うんです。
一つは、今、日野先生がおっしゃったことにも少し関連してくるんですけれども、ここの個別の知識や技能の知識というのと、あと、思考したり、分かって、そして、判断しながら表現をするために必要な知識という知識もあるわけですよね。あるいは、社会的な態度とか、あるいは、人間性に関わってくることを実際に行為できるために必要な知識というのが恐らくあるだろうと。
その知識のベースの知識と、ここの左側でいう知識とのしつらえをどう考えていくのかということは、今すぐではなくても、少し意識しながら検討していく課題かなというふうに今、一つ考えておりました。
それと、これは高田調査官へのお尋ねになるかと思うんですけれども、個別の知識や技能という枠組みの中に、体づくり運動というのが、これは例示という形だというふうに理解はしておるんですけれども、現行の指導要領では、体づくり運動というのはいわば技能ではなくて運動ということでおいてきたと思うんですね。
ただし、個人的な考えを少し言うと、体づくり運動の実は各運動を実はうまくやっていくためには、それに必要なやっぱり技能というのはあってしかるべきだろうと。つまり、よく言われている運動教育だとかムーブメントエデュケーションを実際に展開していくために必要な技能ベースの情報だとか、あるいは、それに関わる知識も、実はイギリスやアメリカの例を見ても、しっかり例示されて書き込まれていることを考えると、現行の学習指導要領では、体づくり運動というのは技能ではなくて運動と言ってきたんだけれども、ここを技能、あるいは、技能の知識、すみません、個別の知識や技能の中に一括して含むのか、あるいは、やはり現行の指導要領どおり、それは運動という位置付けのままで行くのかというところは少し意識しておいた方がいいのかなというふうに、2点、情報というか議論の話題提供ということで発言をしました。
以上です。
【高田教科調査官】  ご指摘、ありがとうございます。
1点目の知識をどう整理するかという議論は、是非、委員の皆さんからご意見を頂戴したいところです。運動の技能に関わる知識であれば、整理しやすいと思いますが、思考・判断に関する知識もありますし、態度に関する知識もあります。それらを全て列挙するとなると、膨大な量になってしまいます。そこをどう整理するかということが課題として挙げられます。案としては、運動ということを行うことについての知識・技能と捉えて、技能を中心とした知識がここに組み込まれるという整理の仕方があるかと思いますので、委員の皆様に御意見を頂戴したいところです。
2点目の体つくり運動の技能の扱いですが、現行の体つくり運動は、小学校では技能として評価しておりますが、それを運動という名称にしています。
この点についても、動きの一つ一つをどこまで細かく技能と捉えて指導するのかという議論もありますし、今までどおり運動という捉えをして、評価する上ではその動きが身に付いたかどうかを技能として評価するという議論もありますので、この点についても委員の皆様に御意見を頂戴したいところです。
【山口主査】  ありがとうございました。
先ほどの評価のところなんですけれども、大杉室長の方で、もしこの三つの柱については他の教科とおおむね同じスタンスで進めていくということで、総則部会等で、この三つの観点と、それから、評価といったところでどのような申合せといいますか、ものがあるかどうか、教えていただければと思います。
【大杉教育課程企画室長】  失礼いたします。まずは各教科の御検討の状況を待って、全体的な練り上げをしていくという段取りにはなろうかと思いますけれども、論点整理の大きな方向性といたしましては、この資質・能力の柱というものと評価の柱というのが大きく対応していくということを想定はしております。
ただ、一方で、各教科の特性ということもございますので、それを踏まえて、最終的には御議論をまずワーキングで頂いた上で、評価部会にもそれをお諮りさせていただきたいと思いますが、そういう意味では、まずはその資質・能力の柱として整理をしていただくと。その整理をした上で、このまま評価の柱として持っていくのか、一つちょっと検討を差し挟むのかというのは、またその評価の議論のときにしていただきたいというふうに思いますけれども、教科横断的に全体的な方向性をということで申し上げますと、この三つの柱と観点を整合させていくということが望ましい方向性として出されております。
以上です。
【山口主査】  ありがとうございました。
それでは、野津先生、どうぞ。
【野津主査代理】  その前の話題に戻りますけれども、体育の個別の知識や技能ということで、ここに示していただいたものを見て、直感的に思うのは、技能に関しては非常に書き込んでありますが、知識というところがどうなのかということを感じます。
する、見る、支えるというようなところから見たときに、するということに関わる技能あるいは知識ということのほか、見るとか支えるということに関わる知識というものはどういうものなのか、あるいは、それに関わる技能というようなことがあるのであれば、そういったこともここに示すことができると思いますが、いかがでしょう。
【山口主査】  ありがとうございました。そのような視点をどのように組み込んでいくかというところの議論になると思うんですけれども、それに関して、どなたか、今の御意見に関して。岡出先生、先に。先に言いたそうな。じゃあ、高橋調査官。
【高橋教科調査官】   する、見る、支えるという観点では、運動の歴史や特性及び生涯スポーツの設計等の知識については、体育理論の中に入れ込んでいるということでございます。
【山口主査】  では、岡出先生。
【岡出委員】  すみません。そのことも関わると思うんですけども、今お話があったように、このここで今上げていただいているものの中には、例えば審判の仕方とか競技会の運営の仕方とか、この手のものは書かれているわけですよね。実際に競技会を運営するときに、人とどういうふうに関わるかだとか、それから、その計画をどういうふうに作るかだとか、それは計画を作るための知識は必要ですし、人を動かすためのスキルも持ってないと運営はできないと、こういうことは起こってくるというふうには思うんですね。
同時に、今御指摘がありましたように、例えばスポーツを見る人たちのマナーだとか、それから、サポートする人たちのマナーだとか、この手のものはそういうことがあるということを知っているかどうかで全然行動の仕方が多分変わると思うんですよ。
例えばいいプレーをしているんだけれども、しらっとしている場合と、いいプレーがあると拍手するというので全然その場の雰囲気は変わりますよね。それは大体、競技会でいうと、お客さんには暗黙にもう知っておいてもらいたいことだと。それを外れると、もう全然プレーヤーもしらっとしてしまうと。
そういう意味では、これはいわゆるもう宣言的な知識という形で、こういうものですということについては知っておいてもらわないと、スポーツにどういうふうに関わっていくのかが分からないという、こういうふうなことですし、それは放っておいて分かるものではないわけですよね。長い時間掛けて、見るときの作法だとか、人と関わるときの作法というのは作り上げられてきているわけですから、それは誰がどういう形で伝えるのかということは当然問われるだろうというふうに思います。
それは知っているけれども、実際にそれを使って行動できるかというと、全然違う話になるということなので、その辺りをどういうふうに振り分けるのかというのはもう一度整理する必要があるかなと。
それと、今、例えばここには直接出てきてないんですけれども、子供さんたちが、例えば動くと体ってあったかくなるよねとか、その自分のきょう、コンディションが悪いよねというのはどういうところから分かるかだとか、この手のものは自分の体についての理解というふうに言えば、そういうことになるわけですね。これはアメリカ等で小学校の4年生とか5年生の子供さんたちが身に付けておくべきフィットネスに関わる知識なわけです。
そういう動くと心拍数が上がるだとか、それから、動く前にはどういう栄養の取り方をすればいいとか、終わった後にどういう栄養の取り方をすればいいかとか、この手のことも知識といえば知識ですし、それは、今、御指摘があったように、体育理論とか、そういうところでも伝えることができるし、それから、今の現行のシステムでいうと、体づくり運動のところでも伝えている内容でもあるわけですよね。
そういう意味では広がりはあると思うんですけど、それは、今お話ししたように、宣言的知識って事実に関する知識であって、課題をどういうふうに解決するのかというその方法に関するような知識だとか、それから、なぜそれがいいのかという理由に関する知識だとか、こういうものというのは多分ちゃんと整理はできると思うんですよ。
それをどのように分配するといいのかということについては、全体の枠組みの中でもう一度検討する必要はあるかと思いますけれども、知識というふうに言われているものも単純に知識というふうに言われるものだけではないと。
それから、あと、これは保健の方とも絡むと思うんですけども、ディシジョンメーキングスキルって、こういう言い方をしますよね。アメリカの保健のナショナルスタンダードははっきりそういう書き方をしていて、自分たちである意識を持って、それをベースにしてちゃんと意思決定をしていくためのスキルがあると、こういう言い方をするわけです。
これはディシジョンメーキングスキルだけじゃなくて、ほかにも、そういうところで言われるスキルというふうに言われるところと、ここで言われる技能というのはどういう関係に分かれるのかというのは少し具体で多分検討をしていくということも必要かなというふうに思います。
【山口主査】  ありがとうございました。
岡出先生、今言われたことは、例えば知識の中でも、この最初の柱のところに入れるものもあれば、その後ろの方の後の二つのところに入ってくる知識に分類するというか、知識という言葉を使うかどうかはあれですけれども、そちらの整理の仕方という。
【岡出委員】  友添さんが言われたような形で言えば、いわゆる態度に関わるような、例えば規範に関わるようなものとか、人とコミュニケーションをするときに知っておくべき知識、これは当然多分あると思うんですよ。それから、当然、それを知っていても、人との関係の中で使いこなせないというのはスキルがないというふうに多分言ってあげた方がいいと思うんですけれども、だから、コミュニケーションスキルだとか、こういう言葉はあるわけですよね。
そういうものは、先ほど、教科調査官が言われましたけれども、個別の知識や技能というところに全部包括、入れてしまうのか、いや、それともその思考判断、思考力・判断力・表現力、あるいは、学びに向かう力、人間性等というところにも分散させるのか、それはもう一度、皆さん、どういうお考えなのかということもちゃんと伺って、決めていく方がいいのかなというふうには思います。
【山口主査】  ありがとうございました。
では、中村先生、お願いします。
【中村委員】  じゃあ、3点、お願いします。
1点目は、今議論になっているような、例えば小学校の体づくり運動のところの例えば内容を見ると、ちょっとほかの領域に関わらないような生活での動きとかと、結構束縛が現行の指導要領はあると思いますね。
ここを、さっき友添さんがおっしゃいましたけど、例えば、今の岡出先生の御意見もそうですけど、欧米でやられているムーブメントエデュケーションみたいに、もうちょっと大きな枠として作っていくのか、あるいは、それ以外のものとして拾っていくのかという、今じゃなくていいんですけど、そこがやっぱり技能とかというところにつながっていくのかなと思います。意見です。
2点目は、先ほど野津先生がおっしゃった、する、見る、支えるってやっぱり保証しなきゃいけないので、特に見るというところで見ると、見るというところで考えると、その中学校のところにある運動観察の方法とかとあるんですね。
例えばここというものが具体的にはどんなことを例えばイメージされているのか、高橋先生がですね、いるのかとか、例えば、今だったら、結構個人情報の制限もあるけど、ICTを使ったいろんなアプリも出てきているし、そういったものも使いながら、自分の動きも観察するけども、そこで人の動きも見ていくという、そういったところをどんなふうにイメージをされているのかというところを、これはちょっと御質問でお聞きしたいのと。
3点目は、支えるというところで、例えば1つ、スポーツボランティアみたいな、そういったものというのはどういうふうに考えられているのかと。
あと、高校のところで、今の岡出先生のお話の中でもあった審判とか競技会のある意味、仕方とか、これはあるんですけども、僕はちょっとその手前に、緩やかでいいから、指導法みたいな、運動を指導していくとか伝えていくとかというところの仕方、コミュニケーションの持ち方、これは知識というところではないかもしれませんけども、そんなふうなことも、やっぱりこれから、高校生になったら、生涯スポーツに向けてやっていくべきじゃないかな。
今、何か先ほどから最初にお話しになった社会に開かれた教育課程ということを考えていくと、あまりにも学校体育と地域スポーツが隔離していて、地域のスポーツ指導というのが学校体育とは全く違った方向から行われているというのがあって、そういう意味で、その土台作りみたいなものもやっぱりこの保健体育の中でやっていく必要もあるのかなというふうには思います。
これ、意見と御質問です。
【高橋教科調査官】  まず、第1点目の運動観察の方法ですが、内容としては、運動観察には自己観察と他者観察という方法があるという知識であるとか、自己の取り組むべき課題が明らかになることによって、学習の成果が高められるという知識を、中学生段階において学習する内容と考えているところです。
2点目の指導方法に関しましては、高等学校の最終段階において、他人に指導するところまでを、全生徒に育成すべき資質・能力として保証すべきかどうかにつきましては議論を頂きたいと思っております。現行学習指導要領においては、専門学科の体育科で指導をしているというのが現状でございます。
3点目の支えるという視点のボランティアにつきまして、支える中では、ボランティアだけではなく、先ほど申し上げました、指導するという支え方もありますし、障害者をスポーツの場面で補助をするという支え方もあるという知識についても指導することが求められると考えております。
【中村委員】  いいですか。これはもう意見ですけども、特に今、3番目におっしゃった指導のところなんですが、何か個別のものすごい技能的なものを指導するような能力ではなくてですよ。少なくとも、例えば幼少年の子供たちに、例えば遊びみたいな運動を伝えるときにはどんな伝え方があるのかとか、少なくとも自分たちが経験してきたこの体育の中で今考えられているような系統を持った運動の在り方みたいなものも頭に置いた上で、子供たちや、あるいは、指導していきましょうというような、そういうもうちょっと基本的なところですね。そんなところの部分というのは、僕、あってちょっとしかるべきじゃないかとは思っています。これは意見です。
【高橋教科調査官】  ありがとうございます。
【山口主査】  ありがとうございました。
高校生ぐらいになりますと、随分技能にも差が出てきますから、幼少ではなくても、できる子ができない子にどのようにサポートするとか指導するといったところも、先生、言われるように、非常に大事な視点かなというふうに感じました。
では、近藤委員、お願いします。
【近藤委員】  ありがとうございます。今お話聞いて、いろいろ勉強になったんですけど、一つは、知識を入れるときに、体育、運動に関わる、スポーツに関わる知識って、今、先生方がおっしゃったように、たくさんある。たくさんあるんだけれども、限られた時間の中で、それを本当に必要なのかどうなのかということを厳選して入れていかないと、結局、現場ではそれが子供たちに伝わっていかないという結果になるので、どういう知識が必要、それは知識・技能に入れるか入れないかも含めて、思考力に関わる知識や学びに向かう力、知識に関しても同じなんですけれども、どういう知識が本当に体育固有のものとして必要なのか、そして、全ての子供、先ほども冒頭にありましたけれども、全員がスポーツ選手になるわけじゃないし、オリンピック選手になるわけじゃないんで、どんな仕事に就くとしても、国民の教養として、この知識は必要だよという厳選するという視点がこれから載せるときには必要かなというふうに思っています。それが1点です。
もう一つは、私、小学校なので、小学校で言えば、やはり知識は活動や運動に伴った知識が必要じゃないかなと思っています。そうしないと、どういうことが想定されちゃうかというと、体育の時間、先ほど評価の話も出ましたけど、評価するときに、ペーパーテストしますね、当然ね。そういう話になって必ず来るので、やっぱり活動や、それから、運動に伴った知識、それも、本当にこの日本の子供たちに必要な知識ってどんなものなんだろうというのを、だから、いろんな知識が出た上で、精査していくという視点がこれから大切かなというふうに思いました。
以上です。
【山口主査】  ありがとうございます。
では、菊先生、お願いします。
【菊委員】  これは個別のというふうになっているので、多分、先ほど来からの議論でいうと、やっぱり特化してこの要素をとにかく取り出すということなんだろうと思うんですね。あんまりこの三つの領域の関係ということではなくて、これは絶対教えておくべきだという、かなり精選されたものでなければならないというふうに受け止めます。
そのように考えると、その内容は体操とスポーツとダンスを指すことになります。そうすると、これは文化として存在していると考えることになるわけです。
この文化の観点からいうと、今までの知識というのが種目別の技能とか、知識というもので捉えられてきた。しかし、それは文化という観点からみるとsportsという複数競技の集合ではなくて、文化概念としての単数のスポーツsportとしてどういう共通性を持っているのかということをきちっと押さえた上での知識の取り出し方が必要になってくると思います。
そういう知識の体系のようなものが非常に簡単なレベルから、多少複雑なレベルに発展していくような、そういうような捉え方というのが必要になってくるという気がします。
具体的に言うと、文化というのは恐らく、先ほど岡出委員が言いましたけども、マナーやエチケットに関わるような思想的なものを含みます。スポーツに対する考え方みたいなものですね。スポーツというのはどうしてみんながこうやって楽しめるのかということですね。それは種目別にいろんなマナーやエチケットはあると思うのですが、全体としてスポーツにはなぜマナーやエチケットというのが必要なのかという、そのような問いに基づく知識のあり方です。
それから、どうしても我々は、すぐに行動のレベルというか技能のレベルでスポーツを考えがちなんですが、そうではなくて、ルールがあって技能が成立していることをもっと考えるべきだと思います。ここでいうルールとは、単に審判の仕方だとか、そういう意味でのルールではない。簡単に言うと、スポーツってすごく面倒くさいことをやっている、サッカーなんていうのは手や腕を使わないという非常に面倒くさいルールなわけです。
普通の生活だったら、みんなこんな面倒くさいことをやりたくないと思うのに、何でサッカーだったらこうやってみんな嬉々として参加するのか。普通の生活だったら、ルールを守りなさいと言ったら、みんな嫌がるのに、スポーツだったら何でむしろ自ら求めてルールを守ろうとして、そして、楽しめるのかということなのです。
何かそういう非常に根本的なところを簡単な説明の仕方、もうちょっと難しい説明の仕方、更に難しい説明の仕方というふうに、何か知識として積み上げていくような、そういう共通の部分があるのではないか。個別な技能の取り出しにおいても、それはやはり簡単なルールでは簡単な技能になるし、複雑なルールであれば複雑な技能というものを求め、それが戦術という形で発展していくと考えれば、個別の技能は常にそれを規定するルールと一緒に考えていく必要があるということなのです。
だからもし個別の知識や技能ということに対して、やはり教える先生方が、この知識や技能はすごく分かりやすいとか、子供たちに教えてあげたいとかいったものとしても精選していく必要があるんじゃないかなと思います。
以上です。
【山口主査】  友添先生。
【友添委員】  すみません、まだ2巡目に入る前だと思うんですけど。少し議論、整理をもうしていかないと、保健の方に移っていかなければいけないというふうに思っているんですけれども。
小学校に今、知識ないですよね、思考判断だけで。知識を変えていくということは、近藤委員がおっしゃられたように、あくまでも「する」というベースにとって一番優先順位の高い順に変えていくということが必要だろうということは多分ずっと言われてきたことだと思うんですよ。ただし、これは1年生から本当に必要かという問題、これはやっぱり検討課題として議論していかなければいけないというふうに思いながら聞いておったところです。
それから、菊先生が今おっしゃられた文化の内容を含めて言うと、例えば現行の指導要領はよくできていて、個別の領域種目に関して学ばなければいけない、特に「する」ということに関わる知識は各領域で。そこじゃなくて、共通に、sportsに共通するところで言えば、これは体育理論で引き取るというような形で、うまい形でのすみ分けをしてきている。
ただし、中村委員がおっしゃられたように、「支える」とか、あるいは、「見る」というところでの知識が本当に十分なのかということは検討していかなければいけない。かつては、学校体育は校門を出でず、社会に行かない。学校体育の中だけでスポーツを盛んにやってもしようがないと言われた時代が確かにあったけれども、今、今度、逆に言うと、地域スポーツが学校に入れずというような状態、これはつまり学校と地域の中でうまいスムーズな連絡、連携が取られてないということも若干あるだろうと言うことを含んだときに、開かれた教育の在り方ということを考えたら、そこで検討していかなければいけない知識というのは確かにあるだろうと。
そうなってくると、発達段階に応じて、社会的な要請も含めて、スコープとシークエンスの関係でいうと、どこが交点に交わってくるのかということを、このそれぞれの三つの資質・能力の柱に応じて、知識を一度上げてみる必要があるのではないかなというふうに感じているところです。きょう上げる必要はないと思うんですけれども、それぞれ考えておく必要があるんではないかというふうな議論になってきたのかなというふうに思ってきたところです。
これ、すみません、論点の今、主査、私なりの整理をした感想であります。
【山口主査】  ありがとうございました。
知識をどう整理するかということで、皆様から様々な御意見を頂戴して……。佐藤委員、どうぞ。その後、まとめます。どうぞ、どうぞ。どうぞ。
【佐藤委員】  すみません。今、知識のことで論点が繰り広げられていると思いますが、私、前回の会議から今回の会議まで、改めて自分の高校を見て、こういうふうな枠組みでこれから変わっていくんだなというふうに見ていました。知識の今の論点とはちょっと変わってきますが、先ほど、指導、資質・能力と評価というふうな部分について御説明を頂いたというふうに思っております。
高校現場ですと、技能でできる子とできない子の差が出てきます。それは特に女子では体がだんだん動かなくなってきて意欲だけの問題ではないというふうに思います。
そういったときに、本当にこの知識と技能というのを、評価と直結ではないというふうには話はありましたが、一緒にできるものなのかなとシンプルに考えたときに、少し疑問を持っています。
小学校の場合ですと、もしかしたら、できる、何をして何ができるかというのは直結にするのかなと感じますが、高校生だと、できていても、分かっている子と分かってない子、できないんだけれども、こういうふうなことは分かるというふうなことで、すごく運動に対しての意欲が高まったりとか、運動、スポーツが面白いというふうに感じる子もおりまして、今更ですが、疑問を感じているところです。
【山口主査】  ありがとうございました。確かに、おっしゃられるそのままだと思います。
ですから、多分評価のところで話が出ると思いますけれども、知識、分かっているけれどもできない、できないけども分かるという、そこをどちらも評価するというような多分観点にもなってくるかなと思うんです。個別の評価というんですかね、にも、今の御意見が多分生きてくると思います。
それでは、時間も。どうぞ、どうぞ、高橋先生。そうですね。
【高橋委員】  終わらないですね。すみません。今、主査がおっしゃったように、知っていてもできる、知っていてできるというのと知らなくともできるというのが体育の特有な部分だと思います。
それが一緒になるということは、ある意味ではとてもいいことだとは思うんですね。今までばらばらになっていたのが、そういう両方を一緒にすることによって、よりいい形に持っていけるんじゃないかというふうには思っています。
ただ、今の現行指導要領で出ている知識の部分を、この間、調査官が作っていただいた表の中を見ますと、知識ベースのところを技能の中にも入れ込んだ形で作られたと思うんですが、それでいいのかということですよね。先ほどから、菊先生や岡出先生がおっしゃったみたいに、もっと、あるいは、中村先生がおっしゃったみたいに、それは体育理論でいいのかというところまで行けるかどいうかというのはもう一つやっぱり議論が必要だろうというふうに思います。
個別というふうにおろせばおろすほど、縦割りになってしまって、そこに共通する体のところに向かうところがどうやって保証されていくのかというのがとても今回、すごくいい部分で残ったらいいかなというふうに思ったりします。
例えば、ダンスで作ったときに、体力を高めるって、ダンスで体力高める。それは動いてりゃ、高まるんですけれども、それを主眼に置いて、知識として、じゃあ、何が高まるかというの、すごい難しく必死で考えて書いた覚えがあるんですね。
個別になればなるほど、それを要求されるということが現場におりていったときに、本当にそういうことを主眼にして体力を高めていくのかって具体的になったときに、そういうことも含めて、今の現行指導要領で掲げているところを簡単に例えば置いたときに、何が足りないのか、何がいいところとして生きるのかみたいなことも検討しながら行けたらいいかなというふうに思います。
以上です。
【山口主査】  ありがとうございました。
本当に時間は尽きない感じなんですけれども。大体、議論の論点というか、ここが多分この議論の中では考えていかなきゃいけないよねということの共通理解は多分できたんじゃないかと思います。やはり知識と一言で言ってもいろんな知識があって、ほかの二つの視点のところにも関わってくるというところをどういうふうに整理して、そして、大杉室長からも言われたように、分かりやすくそれを現場に落とし込んでいくかというところが一つの論点かなというふうに思いました。
まだまだ言い足りないところがあると思いますが、ひとまずここで議論を切らせていただいて、保健体育、そして、保健体育科の方で少し議論を進めたいと思います。
それでは、森調査官の方から、お願いいたします。
【森教科調査官】  保健の「個別の知識・技能」をごらんください。
保健の知識に関しては、これまでの学習指導要領では、生涯を通じた健康の保持増進を目指して、小学校は身近な生活における健康・安全についての基礎的な内容、中学校は個人生活、高等学校は個人及び社会生活における健康・安全の内容が位置付いています。もう少し具体的に説明しますと、「健康な生活」「心身の発育・発達」「傷害の防止」「病気の予防」それから、「健康と環境」について、小学校、中学校、高等学校と「身近な生活」「個人生活」「個人及び社会生活」と世界が広がっていく中で、発達の段階も踏まえつつ、系統的に内容が示されています。
中核となる知識は、健康の保持増に関わることですので、一次予防の内容が中心となります。しかし、進現代的な健康課題が様々出てきているところで、例えば疾病の予防に関して、現在示されている一次予防の知識だけでいいか、中学校、高等学校と進むにつれて二次予防、三次予防を視野に入れた知識体系の見直しをする必要があるのか、御議論いただきたいです。
次に、技能に関してですが、現行の学習指導要領では、「けがの防止」「傷害の防止」の応急手当てにのみ、技能が位置付いています。先ほど、岡出委員が言われましたように、例えば意志決定をする際の技能など認知的なスキルも考えられる中で、保健の技能とはどういうものかについて、幅広に御議論いただければ有り難いです。
【山口主査】  ありがとうございました。
それでは、資質・能力の三つの柱の中の個別の知識や技能の柱の保健という視点で、今、森調査官の方からお話を頂いたような辺りから、皆様に御議論をお願いしたいと思います。特にやはり保健の中で技能というのがどういうふうにこれから位置付けられていくのかというのは一つの視点かなと思います。いかがでしょうか。五十嵐先生、お願いします。
【五十嵐委員】  私、四つほど意見を述べさせていただきたいと思います。
大変、子供の発達段階に応じて、スコープが広くなっていくというのがよく分かりまして、大変基本的にはいい内容じゃないかとまず思います。
まず、このけが、先ほど、けがという御指摘がありました。小学校の保健領域のけがの防止ということなんですけれども、確かに、小児の死亡の疾患別の順位を上げていきますと、不慮の事故というのが年齢群においてはかなり高位を、1位、2位、3位の中に入ってくるんですね。ですから、けがとか事故というのは非常に重要だと思うんですけれども、けがだけでいいのかというのがちょっと問題がありまして、医療の世界では事故という言葉を、不慮の事故という言葉を使いますけれども、世界的には、インジャリー、傷害という言葉が普遍的になっていますので、けがという言葉だけでいいのかということがちょっと気になります。
それから、これは一次予防の知識は非常に重要だと思うんですけれども、むしろ環境整備について、例えばプールでの事故だとか、プールの吸水口の事故なんていうのが昔ありましたけれども、そういう環境の整備というのも実は大事なことでして、そういう点についても子供たちは知っているべきじゃないかと思いました。これが1点目です。
それから、2点目は、中学校の保健分野の3行目に、心身の機能の発達というふうに書いてありますけれども、これは多分、思春期のことを想定した文章じゃないかと思うんですが、思春期というのは、今、先進諸国では非常に延びていまして、選挙権が18歳に引き下げられる予定だというふうに伺っていますけれども、思春期というのは世界的には10歳から21歳まで、これがもう先進諸国の定義でありまして、ですから、中学校では遅いのかもしれないんですが、表現として、心身の機能の発達というのは非常にきれいな言葉なんですが、性ホルモンが出てくることによって心身が劇的に変わるというわけですね。だから、むしろそういう内容を頭に入れた具体的な内容にすべきなんじゃないかと考えます。これが2点目です。
それから、3点目は、高等学校の方ですが、この生涯を通じるという、通じる健康というふうにありますけれども、これは恐らく健康的な食生活だとか、適切な運動をするとか、あるいは、健全な生活環境を小児のうちから身に付けるということが大事だという、そういう多分ことじゃないかと思いますので、この辺はもう少し、何ていうんですかね、将来を見据えた知識を子供の、特に中学校、高等学校のときから持つべきというような気が私はしております。
最後に、これは中学、高校生ぐらいになりますと、やはり今申し上げた将来の自分の健康に対する基礎をつくるという点で、私はこの命のすばらしさと限界についてもう少し教えていただきたいというふうに考えています。
特にこの限界につきましては、すばらしさについては、皆さん、私が言うまでもありませんけれども、限界つきましては、例えばですけれども、周産期死亡という言葉があるんですけれども、要するに、妊娠、出産を契機にしたときに、その妊婦さんが、あるいは、お母さんが亡くなることを周産期死亡と言いますけれども、これが一番低い年齢は25歳から30歳なんです。ですから、もっともっと若い子たちもリスクは上がってきますし、それから、逆に、年齢がもっと上がると、その上がり方は更にひどく上がるわけですね。
ですから、周産期死亡というのがその25から30歳ぐらいが一番低いんだというようなことを子供たちはやっぱり知るべきですし、それから、若年妊娠、その結果というのは社会的にもいろいろ問題があるというようなことも教えるべきでしょうし。
それから、もっと大事なのは、35歳から40歳を超えると、妊よう性、妊よう性という言葉は普通に妊娠して普通に出産することを妊よう性と申しますけれども、35歳を超えると、特に40歳を超えますと、20代の女性に比べると、妊よう性は10分の1以下になるんですね。つまり、妊娠しにくくなる。妊娠しても着床しにくくなる、妊娠、着床しても、それが維持できなくなる。それから、10か月間、ちゃんと胎内で子供を育てることができなくなるという、そういう率が下がるという、非常に下がる、10分の1以下になる。
だから、昨今、女性が社会進出して仕事を一生懸命やって、40歳ぐらいになると、人生半分過ぎつつありますので、ちょっと振り返ると、地位も給与もあるんだけれども、残念ながら子供がいないというふうに気が付いて、お子さんをつくらなきゃいけないと思って、不妊外来を受診する方が増えているわけですけれども、40歳を過ぎると、20代の方に比べると、妊よう性が10分の1以下ですから、そういう処置をするにしても、なかなか大変ですよね。受ける方も非常に心身に大きな影響を受けますし、それから、成功率も低くなるわけですよね。
そういうようなことを、つまり生命の限界というのがあるんだということを、やはり、中学生では早いかもしれないけれども、高校生の方たちは男も女も知るべきじゃないかと私は思いますので、そういう将来の自分の健康に有益な情報、最低限の情報はこの時期にやはり教えておくべきではないかと感じています。
以上です。
【山口主査】  ありがとうございました。
もう先生のおっしゃられること、思春期が10歳から21歳までって、大変私、不勉強で存じ上げませんで、これが世界的にはもうということで。
それから、今言われた限界ということですね。特にやはり女性のキャリアを一方では支援する、していますが、そういったところ。また、この性のそれぞれのジェンダーというか特徴で、女性だけが知っていればいいというものでは恐らくなくて、男性と女性がお互いにやはり知っておくということがすごく重要で、そういった視点もこの保健の中に組み込めたら、すばらしいなと思って伺っておりました。
どうでしょう。技能について、どなたか。先生、どうぞ。
【渡邉委員】  ちょっとその技能のことについて少し。私のこうすればいいという確定した考え方があるわけじゃないんですけれど、先ほど、森調査官からもお話がありました技能を、応急手当てのところの技能で入れているけど、これ以外にももっと広げるかどうかというお話だと思うんですね。
例えば、今、まだお話に出ていませんけど、例えば右にある思考力・判断力のところとか、あるいは、一番右の人間性のところにありますけれど、ここにも、例えば意思決定をするとか、行動選択する、あるいは、コミュニケーションするというのもある意味、技能というふうに言えなくもないわけですよね。
そうしますと、かなり広く取ってしまうと、ほか、この後の二つの資質・能力とかなり重なる部分も出てくると、なかなか整理が難しいなという感じもあります。
ですから、広げるかどうかということに関してはかなり慎重にやらないと、また混乱してしまうという部分もあるかなというふうに思いますので、あまり広い意味での技能を取り上げるというのはちょっと無理があるかなというふうな印象をちょっと持っております。
それと、前、直せって、この知識・技能のところですけれども、まだ現行の単元名で言っていらっしゃると思いますので、これ、当然、これからまたいろいろ単元名が変わってくるとか、特に高校の場合は、この三つの内容だと何をやっているかよく分からないというのがありますので、小中と同じように、内容が分かるような形になってきますと、当然、表現の形も変わってくるんじゃないかなというふうに思いますので、今後これがその内容も併せて恐らく整理をしていくと、自然と技能というのが固まってくるというふうには期待しているんですけれど、あまり広げてしまうと、やっぱりほかの観点と重なってしまうのがあるので、ちょっとその辺、慎重になる必要があるように思いました。
以上です。
【山口主査】  ありがとうございました。
では、横嶋委員。
【横嶋委員】  渡邉委員と重なる部分もあるんですけれども、今ここに記載されているのは応急手当ての部分のみということになっておりますけれども、例えば小学生のけがの防止であると、止血などができるか、できないかというこの技術の部分を評価するというふうになってくると、保健指導とのちょっとすみ分けの部分では難しい部分が出てくるかなというふうに思います。
中学生の傷害の防止のところの例えば心肺蘇生のところ、実習をやるわけですよね。そこで、心肺蘇生法ができているかどうかということを評価するのではなく、やはりそこのその心肺蘇生の意味であるとか原理原則を学ぶのが保健の学習だと思いますので、ここにある応急手当てのところを取り上げるのはいいんですが、その技能の捉えというものを原理原則を原則としたものを位置付けていくということが大事かなというふうに思います。
その中で、渡邉委員がおっしゃられましたけれども、この技能をどこまで広げていくかという議論については、やはり意思決定でありますとか、子供が学んだ知識を基に、まとめていたり、記録をしたり、情報を収集したり、また、表現したり、そういったものが想定されるかと思いますけれども、そういった中で、何をこの技能に位置付けていくかというところを精選した上で整理していったらいいかなというふうには思っております。
以上です。
【山口主査】  ありがとうございました。
では、青木委員、お願いします。
【青木委員】  技能として捉えるというのだと、やはり応急手当てしか、この内容ではないと思いますが、思考判断とか、それから、人間性、向かい合う力、ここに全部繋がっていって、保健の分野での技能というと、いろんな学んだことを生かして、より自分の課題に気付いて改善していこう、良くしていこうというところの力が保健でいう実践力なり、行動力になるというイメージを持っています。
今まで、技能というのは保健にはなかったのですが、ここに位置付けられたことは、うれしいような、難しいような、内容を少し考えていかなければ、本当にこの技能をどう現場では評価していけばいいのか、評価の材料としてやればいいのかというところがとても混乱すると思います。
できれば、その学んだことを生かして、いかに子供たちが目の前の自分の生活だとかやっていることを改善していこうとするところが見取れると、先々の健康にもつながっていくと思いますので、もっともっと議論をして深めていって現場におろしていかないと、難しいと思います。
以上です。
【山口主査】  ありがとうございました。
鈴木委員、お願いします。
【鈴木(美)委員】  私もお三方と同様の意見でして、今、現行の学習指導要領というのは保健・安全に対して小中高と12年間、日本の国民として学ぶべきミニマムがすごく系統的に作られているなというのを実感しているところです。
そういった中で、知識・技能といったところのこの技能ですけれども、他教科とかを見てみると、資料の活用技能といったところで取り上げていらっしゃる教科もあるようですが、そういった考え方もありますが、この保健学習でいう知識・技能というのは、学習の成果としての意味合いが一つと、あとは、思考判断のためのリソースになるといった意味合いもあるのかなと考えています。3層構造でいくと、その核になるといった意味合いで、私は現場で教えていくときは考えていましたので、そういったこの3層構造の核になるということを考えると、広げないで行くのがいいのかなと。
あと、ほかの方々からも御意見が出ていましたけれども、今後10年ということで、新たな知識といったところも新たに入るのではないかなと思っておりますので、そういったことを考えると、時数的にも、小学校は実は3、4年生では4時間しか保健の授業はありませんし、5、6年生では8時間という時数の中で、教えるべき内容が盛りだくさんになり過ぎて、現場が混乱する可能性が大いにあるかなと思いますので、そのように考えております。
以上です。
【山口主査】  ありがとうございました。
それでは、野津先生、お願いします。
【野津主査代理】  技能に関して、慎重に、安易に広げないようにという考え方は基本的に賛成ではありますが、保健指導におけるモータースキル、いわゆる動作スキルというような、うがいとか手洗いとか、いろんなことをやっているわけですけれども、そうしたものをもう一度しっかり見立てて、どうなのかということを考え直してみることも一つはあるかなとは思います。ただ、時間的なことやいろいろなことがありますので、先ほど言ったように、慎重にと思います。
それから、先ほど、岡出委員からも、健康教育関係での意思決定スキルのお話などが出ておりましたけれども、いわゆる保健でも重視するんだけれども、保健特有の技能でなければ、不用意に入れるべきではない。しかし、ストレスマネジメント、それから、ディフューザルスキル、薬物乱用や性に関わる拒否スキル、そのようなものがひょっとしたら中学、高校において、検討の余地があるのかなと思います。
慎重にという大原則の下に、こうした10年先を見た改定においては、もう一度その足元から、これまでの研究成果を踏まえながら、欧米での知見も踏まえながら、技能というのを考えていくべきだろうと思っております。
また、知識に関してなんですが、ここでいう知識はまさに保健特有の固有の知識を述べるべきで、「思考力・判断力・表現力」にもそれぞれに関わる知識・技能があると思われるがそれらについては、ここの左側の「知識・技能」で書くわけではないというのは当然だと考えます。
そうした個別の、保健固有の知識といったときに、論点整理で示されている少子高齢化、疾病構造の変化というような中で、現代的課題を解決する能力、資質を高めるといったときに、どんな改善が必要なのかというと、たくさんのことがあると思います。
例えば、二次予防、三次予防ということも視野に入れざるを得ない時代になってきた。ただ、どの程度入れるかというのはこれもかなり慎重に、時間的な現実も踏まえながらということになろうかというふうに思います。
また、がんなど、新しい科学によってより明らかになってきていることを踏まえた改善、知識の見直しというのもあろうかと思います。
さらに、臓器移植というようなことも技術的に可能になってきた時代において、15歳でドナーの意思表示ができるという法律があるわけですけれども、その辺をどう考えて、内容にどう反映していけるのかというような議論も必要な気がいたします。
あと、もう一点、高校の現行の三つのまとまりに関しましては、前回の学習指導要領の改定でも少し議論にはなったんですが、小中高の系統性という点で分かりにくいので、もう一度ここを議論して考え直してもいいのかなと思っております。
以上、3点、申し上げました。
【山口主査】  ありがとうございました。
保健の授業自体が限られた時間の中で、子供たちにどのような知識、そして、技能を伝えていくのかというところで、キーワードとしては、やはりこの10年後を見据えたといったところかなというふうに思います。そういったことで、今ある現存のものから、未来に向かって何が必要なのかと、そして、あまり広げ過ぎずに、やはり限られた時間の中なので精選してというようなことがキーワードになったかなというふうに思います。ありがとうございました。
ちょっとまだ議論は尽きないんですが、この議論はここで切らせていただきまして。最後にどうぞ。
【真如委員】  体育も保健も同じようなところがあるなというふうに考えながら聞いていたんですけども。知識も技能も、隣の思考力・判断力・表現力、そういったところにつながっている内容だと思うんですね。その知識や技能も、思考力・判断・表現力につながるものでなければならないと、意識が働くものじゃなければならないと思うんですね。
そうすると、もう一回戻って、知識や、個別の知識や議論のところに戻ってみて、何を知識として子供たちに身に付けさせていくのが大事なのかということを確認しながら精査をしていかないといけないと。全部つながっていると思うんですね。
どこで評価するかと、あるいは、評価のウエートはどこで重きを掛けるかというのはそれぞれの内容によって違うんだと思うんですけれども、そのつながりを意識する中で内容を考えていくという、そういうことが大事だなというふうに思います。
以上です。
【山口主査】  ありがとうございました。本当に非常に重要な視点だと思います。個別、それぞれが独立しているわけではなくて、相互に作用するという、そこの視点は本当に大事だというふうに思います。ありがとうございました。
それでは、三つの柱の中の思考力・判断力・表現力等の柱について、体育の視点から、まず、御意見を頂戴したいと思います。
まず、事務局より、配付資料の説明をお願いいたします。
【高田教科調査官】  では、よろしくお願いいたします。
先ほどの机上配付資料、委員限りの1枚目にお戻りいただきたいと思います。思考力・判断力・表現力等ということで、現行では思考・判断として表現という語句がなかったのですが、今回は資質・能力として明示されていますので、体育における思考力・判断力・表現力等をどう捉えるかいうことで、知っていること、できることをどう使うか、という力として整理していく必要があると思います。
小学校運動領域では、「自己の能力に適した課題をもち、活動を選んだり工夫したりすることができる思考力・判断力・表現力等」として、「目標の達成に向け、課題を解決するための活動を選んだり、ルールや作戦等を工夫したりすること」「運動の楽しさや喜びをより味わえるようにするために、問題を解決すること」「思考し判断したことを他者に伝える」ということで整理してみました。
これらについては、実は今も指導し評価していることだと思います。子供たちは、思考し判断したことを外に表現しており、その表現していることを教員は見取っているわけですので、その見取りの部分を記述し、それが育成すべき表現力であるという捉えをするという解釈で提案いたします。
【高橋教科調査官】  中学校につきましては、第3学年から選択が始まることから、第1学年及び第2学年では基本的な知識や技能を活用して課題を解決すること。また、第3学年においては、これまで学習したことを、他の領域や種目に活用できることとして、「自己の課題に応じた運動の取り組み方を工夫することができる思考力・判断力・表現力等」とまとめさせていただきました。
具体的には、「自己の課題に応じた運動の行い方の改善すべきポイントを見付けること」、「自己の課題に応じて、適切な練習方法を選ぶこと」、「合意を形成するための適切なかかわり方を見付けること」、「運動を継続して楽しむための自己に適したかかわり方を見付けること」、また、表現力としましては、「思考・判断したことを、筋道を立てて相手に伝える力」とまとめさせていただきました。
また、高等学校におきましては、豊かなスポーツライフを継続するために、「自己や仲間の課題に応じた運動を継続するための取組み方を工夫できる思考力・判断力・表現力等」とさせていただいております。具体的には、「課題解決の課程を踏まえて、自己や仲間の課題を見直すこと」、「合意を形成するための調整の仕方を見付けること」、「自己や仲間の危険を予測し回避するための活動の仕方を選ぶこと」、「運動やスポーツを生涯にわたって楽しむための自己に適したかかわり方を見付けること」、また、表現力としましては、「思考・判断したことを、根拠を示したり、他者に配慮したりして相手に伝える力」とまとめさせていただきました。
ここに記載している内容にプラスをするもの、若しくは、表現力のところでこのような力もあるのではないかというようなところを御議論いただきますよう、よろしくお願いいたします。
【山口主査】  ありがとうございました。
今御説明がありました思考力・判断力・表現力、知っていること、個別の知識や技能を身に付けた、そのことをどのように使うかというところに入ってくると思うんですけれども、この視点の部分で、先生方から御議論を頂きたいと思いますが、いかがでしょうか。鈴木委員。
【鈴木(美)委員】  私は、今、小学校ではあるんですけれども、その前は中学校の体育の教員でして、そのときに思っていたことは、子供たちが目当て、課題を設定するに当たって、かけ離れた課題、自分の今の状況とかけ離れた課題を持ってしまっているという状況が多々ありました。例えば器械運動でいうならば、あのわざ、やりたいって、自分の技能がそこまで追い付いていなくても、そっちの方のやりたいという思いだけで、そのわざにチャレンジしていくといった状況がありました。
実はそうではなくて、もっと近道があって、もう少しできるわざ、もう少しできるわざの段階にチャレンジしていくと、そこに、遠回りではあるけれども、近付いていくというその方法等を教えると、子供たちはより意欲的になったといった授業ではあったんですけれども、この自己の課題を設定するといったところが、ここのポツの中には、私が見落としてしまったのかもしれないんですけど、まずそこのところができるということが大切なのかなというのは実践の中で感じたところです。
以上です。
【山口主査】  いかがでしょうか、ほかには。高橋委員。
【高橋委員】  どなたに御質問したらいいか分からないのですけれども、今の現行では、思考・判断・表現というのが、他教科ではもう設定されていると。前回御説明いただいたとおりだと思いますが、今回、体育・保健体育で初めてその思考力・判断力、力が付きましたけど、表現力というくくりで行くということで、他教科のことは、例えばこの今の配付資料を見てみますと、小学校でもどこでもいいんですけれども、「自己の能力に適した課題をもち、活動を選んだり工夫したりすることができる思考力・判断力・表現力等」、これはほかの教科でも同じように思えたりするんですね。
だと、体育・保健体育ならではのこの特別なものというものが、ここにどれだけ書き入れられるのだろうかというちょっと不安、これを議論を進めていったときに、どのぐらい差異があるのかというのがちょっとあまりぴんとこなかったりしていますので、その辺の御説明をどなたかお願いできたら、あるいは、私たちが考えなきゃならない課題なのかは分からないんですけれども、よろしくお願いします。
【大杉教育課程企画室長】  失礼いたします。まさに教科を学ぶ本質的な意義というところに関わることでもあり、それから、前半に少し出ました知識というものがそれぞれの項目にも関わってくるのではないかということとも関わってくることであろうと思います。
真ん中の柱の少し小さい字になるんですけれども、「教科等の本質に根ざした見方や考え方等」というものがございまして、まさに体育的なものの見方、考え方とは何かということがこの柱に大きく関わってくるということであろうと思います。
それを整理していきますと、その中には、ある意味、方法知といいますか、方略的知識といいますか、1本目の柱の知識の部分は割と内容知、概念的知識という部分に近い部分であろうと思いますけれども、そういったものが、2本目の柱には大きく関わってくるというようなことが徐々に見えてくるということであろうと思います。
まだまだこれから御議論いただきまして、体育の見方や考え方ということが何なのか、方略的知識が何なのかということを是非洗い出していきたいというのがこのワーキングの議論の目的になってまいりますけれども、今見えてきている範囲で申し上げますと、例えば課題といったときにも、社会的事象を捉えた課題でありますとか、自然的事象を捉えた課題ではなく、まさにその自分の体力でありますとか健康課題というものを捉えた課題であるということ、それに向けて、その課題を解決するためにも、例えば運動の行い方の工夫でありますとか、関わり方、運動というものを通じた関わり方というようなことでの課題の解決の仕方というようなところに、その体育ならではの見方でありますとか考え方というものが関わってきているということを、今後よりクリアに示していくということが求められているということかと思います。
御参考までに、例えば社会であれば、物事を地理的なスケールで捉えるとか、時間軸、空間軸というもので捉えるということが社会的なものの見方、考え方でありましょうし、芸術であれば、その形や色といったイメージで物事を捉えて表現していくということが芸術のものの見方、考え方であろうという中で、それでは体育はどのようであろかというようなことの御議論を是非お願いしたいというようなことであります。
すみません、長くなりました。
【山口主査】  ありがとうございました。
それでは、岡出委員、お願いします。
【岡出委員】  すみません。今言われていることとも多分関わることと、それから、ちょっとこれは迷っているので、教科調査官にできればお答えしていただきたいということがあります。
何か、お答えしていただきたいのは、この思考力・判断力・表現力等、例えば中学校のところで、「合意を形成するための適切なかかわり方」、それから、高校でいくと、「合意を形成するための調整の仕方」。これはこういうところに入っている方がいいのか、この右側の「学びに向かう力、人間性等」と、こういうところに入っている方がいいのかと、ちょっと私にはちょっと何とも今、判断が付きかねているところがあるので、これを、ここに何を入れるかということとも絡んでくると思うので、これはちょっと後でお教えいただきたいというのが一つ。
それから、今のお話というのは、多分、小学校にしても中学校にしても高校にしても、例えば課題を見つけるというふうなお話がありましたけれども、基本的に、例えば技術的な課題に関する知識がない人たちは多分自分の課題を見つけようがないと、こういうことは当然起こりますよね。なので、個別の知識や技能というふうに言われたところに書いたものを多分持ってない人たちが、思考力・判断力・表現力等で適切な課題の見つけ方ができるかと、多分それは難しいだろうと思います。
その手の混乱が、この学習指導要領の今までの歴史の中であったのは、多分、めあて別、ねらい別学習というふうに言われたものが出てきたときで、子供たちにめあてを決めさせるといったときに、何がめあてなんですかということで結構混乱したわけですね。
結局、指導資料で整理されたのは、例えば器械運動でいうと、わざを選択させているのか、技術的な課題を選択させているのか、練習の仕方を選択させているのか、そこが整理されてないので、子供たちは、めあてを設定しろと言われると、わざをころころ、ころころ変えていくので、いつまでたってもできるようになりませんと。
技術的な課題が分かれば、それに対応した練習方法を選択していくということは多分可能だと思うんですけれども、その区別が明示されてないがゆえに、子供ははいずり回ったと。こういう状態は改善する必要があるだろうと言われたんです。
これも今お話ししたその個別の知識や技能というところがないと、実際にはこの思考力・判断力・表現力等のところにはなかなか来れないという、こういうふうな話に多分なると思うんですね。
同時に、小学生に期待するような思考力・判断力・表現力というのと中学生に期待するものと高校生に期待するものは、どういう達成度のレベルの違いがあるのかということはやっぱりどっかで論議する必要はあると思います。
まず、今、鈴木委員が言われたのでいうと、自分の課題を見付けるというふうにいっても、自分にとって何が適切なのかということを判断する指標がない人ははいずり回りますよね。課題の、何が課題かということが分かっても、解決方法が分からない人たちはもうそれ以上行けないという話になりますし、解決方法を考えて試したところで、その解決方法をどういうふうに評価していいのかということが分からない人は、自分が設定した課題の解説方法が適切であったかどうかが分からないままに行ってしまうので、自分の設定した課題の解決方法、あるいは、その課題と解決方法との関連性等を評価できるように要求するのであれば、それはどの年齢層で、どういう課題であれば、そういうリクエストが可能なのかということは考える必要があると思います。
これは技術的な、今、お話をしましたけれども、生涯にわたってスポーツに関わるうんぬんというような話をすると、先ほど、中村委員が言われたのだったら、人に教えるとか、そういうことに関わっても、自分の教え方の善し悪しということについてはどこの問題点があるだとか、この手のものも多分それなりの課題の見付けたというのはあるだろうと思いますし、見るとか、そういうことに関しても同じようなことが起こると思いますし、支えるということも多分そうだと思うんですよ。
そういう意味では、この思考力・判断力・表現力等というふうに言われているもので、やっぱり期待できるような達成度のレベルだとか、あるいは、どのような状況であればそれはクリアできそうなのかということは併せて多分論議をする必要はあるだろうなというふうに、今お話を伺っていると、感じました。
【山口主査】  ありがとうございました。
初めの質問のところで。はい、高橋調査官。
【高橋教科調査官】  失礼いたします。御指摘いただきました例えば合意形成の部分でありますけれども、もしかしたら、教科の独特のものではない部分かもしれません。
しかしながら、運動課題を解決してより良く体育を進めていく、若しくは、生涯にわたって運動を継続するために、相手との合意を図りながらスポーツを実践していくにはどのような思考・判断をすべきかという部分に関しては、体育・保健体育の授業の中で実践していくことも大切であろうと思います。
思考力・判断力・表現力の部分に関して、どのような資質・能力を入れていくことが求められるのかにつきまして、委員の皆様方から御意見を頂戴したいと考えております。
【岡出委員】  すみません。ごめんなさい、先に。私が別に言いたかったことは、これがここにふさわしいかどうかとか、そういう話でもないんですよね。大体1970年代ぐらい以降で、例えば体育の授業の内容領域として、いわゆる人間関係をどういうふうにつくるのか、これはやっぱりかなり大事なところだということは指摘はされてきて、それは意図的に学習させないと、やっぱり学習できないと。
一番端的な例は、多分チームをつくっていくときに、どういうプロセスを踏む必要があるのかというのがあるわけです。人をがたがたと集めて、いいチームができるかといったら、そういうことはできなくて、チームとしての合意決定をどういうふうにしていくかとか、それから、そのお互いの見解のずれをどういうふうに調整していくんだとか、こういうことを一定の過程の中で通過させない限りは、チームとしては成長しないと。
なので、長い単元を取って、チームは固定して、チームの中でいろんなトラブルがあっても、それをクリアさせていくことを意図的に学習させていかないと、一緒にスポーツをできるような仲間としての能力が身に付かないと、こういうふうな言い方はされてきましたし、そのこと自体を今でもやっぱり意図的に検証している人たちはいるわけです。
なので、体育の授業のところで、子供さんたちがチームの中の役割を持つというのは、チームとして自分たちがどういう役割を持ってチームの成長に貢献するのかということを学んでいくという意味では、結構大事なことを学んでいくことになりますし、それがいわゆる学級集団を作るのと何が違うんだという話がありますが、それはいろんな体育の授業で学ぶ技術だとか知識の獲得と関わってしかできないことなので、ほかの教科でも同じことをやっているわけではないわけです。
各々の教科で学ぶべき内容を確認して、このことがようやく学習できるという、そういうプロセスでいえば、ここの学びに向かう力とか人間性というところで、社会、情意、態度に関わるようなことというふうに言われるところに、「合意を形成するための適切な」というのは、僕はどちらかというとそちらに近いんじゃないかなというふうな印象を持っているんですね、個人的には。
そういう意味では、先ほどお話ししたように、思考力・判断力・表現力等というところにこれを置いておいた方がいいのか、反対側にずらした方がいいのかということについては、皆さんがどういうふうに考えられているのかというのも御意見を伺えた方がいいかなという、そういう趣旨でした。すみません。
【山口主査】  ありがとうございました。
では、友添先生。
【友添委員】  岡出先生が今おっしゃったことは非常によく分かることだと思います。例えばストラテジックナレッジとタスクをどういうふうに分類していくのかということはやっぱり重要なテーマだと思うんですけれども、ここで今やらなければいけないかというと、そうでもない。むしろ、作成協力者会議のレベルで具体的なレベルに応じてやるという方向の方が、具体論で話は出てたりするんじゃないかなというふうには思いました。ただし、大まかな方向性は示しておく必要があるだろうということは確かに思っています。
あと、ちょっと主査、テーマが変わるんですが、よろしいですかね。
【山口主査】  どうぞ。はい。
【友添委員】  これ、質問なんですけど、ちょっとずっと考えて、前回から考えていたことですけれども、この部会が体育・保健体育、健康、安全ワーキングということですけれども、例えば、大学のスポーツ科学部だとか健康・スポーツ科学部だとかというところに我々は勤めていますけれども、スポーツ・アンド・ヘルスサイエンスのファカルティという形でやっている。保健と体育がどこで、じゃあ、実はクロスして融合できるのかということをずっと考えていたんですね。
この議論をやっていくと、保健と体育ってずっと平行線のままで、体育のところへ行くと体育の先生方が中心にやられてこられた先生方が話題提供して、議論をするし、保健の方へ行くと、今度、逆の現象が起こってくる。どこで、これ、うまくいくのか。
10年後の日本の社会を考えたときに、例えば、現状でいうと、女の子たちが完全に二極化、つまり、二極化というのはいい言い方ですけども、運動しない多くの子供たち、1週間の運動時間が1時間未満だと言っている。これが例えば骨粗しょう症の予備軍になっていく、それから、サルコペニアになっていく。国民医療費を見ると、莫大な40兆というお金が掛かってきて、なおかつ、健康寿命と平均寿命の差が10年、10年間介護を必要とするような社会がもう目の前、もう現実に、目の前じゃなくて、今あるわけですよね。
そうなったときに、例えば保健で学んだ知識、これを体育の思考・判断・表現力でうまく生かせる方法はないのか。逆のこともまた言える。むしろ、そこのクロス関係も少しここでやっぱり検討していかないことには、体育は体育のスポーツや運動課題に限定して課題の選択、構築論を議論する方向も確かにあるんだけど、それをやっている限りは、保健と体育という科目が、例えば小学校でいうと、保健領域と体育領域、中学校では保健分野と体育分野、高校では保健科目と体育科目がどこでクロスし、融合するのかと。現実の生きてある子供たちにどんないわば情報が提供できて、それこそ、個別の知識や技能、あるいは、思考・判断・表現力というものが付けられるのかということが、少しここでそこの方向も視野に今入れていくことが必要ではないのかなというふうにも感じたということを。
主査、ただ、これは今すぐということではなくて、意識しながら、この思考・判断・表現力、これから議論していくことを提案したいなと。皆さん、先生方も含めて、ちょっと保健のことを考え、体育のことを考えながらやって、あんまり細部の細かな議論に入るよりも、むしろそこら辺りも意識していくことが必要かなというふうに思いました。
以上です。
【山口主査】  ありがとうございました。
その点についても頭に入れながら、御議論を進められればと思います。
それでは、菊先生。
【菊委員】  先ほど、私、知識や技能のところで、これは個別のというふうな取り出し方でいいんですかねということをあえて申し上げたのは、ちょっと先ほどの岡出さんとは反対の意見になるかもしれませんけれども、あえて言いますけれども、要するに、知識や技能を身に付けたから、思考判断ができるということで解釈してはいけないと私は思っているんですね、基本的には。
やはり思考力・判断力・表現力というのは、思考したいと、判断したいんだと、表現したいんだと、伝えたいんだと。あるいは、自分からこういうことを自ら積極的に考えたいんだという、そこはベースとしてやっぱりなければならないと思うんですね。
そう考えたときに、やっぱり重要なのは、やはりその内容、何々したいという内容がやっぱり適切なある種、課題の設定ということで、適切な問いになっているのかどうか。その適切な問いというのを、これは僕はサンドイッチだと思うんですが、後から出てくる学びに向かう力と、そのいわゆる知識や技能というものとがうまくマッチングするということが重要で、その部分で、知識や技能の、もちろん引出しはたくさんあった方がいいんだけれども、当然それは限られているわけで、その限られた中で、まず、どこまで自分は課題設定できるか、あるいは、それが適しているのか、適してないのかということですね。そういうことを判断していく。
ですから、何を言いたいかというと、活用というと何か知識や技能の広いものが身についていて、そこから何か引っ張り出してくるというような、そういうイメージなんだけど、そうじゃなくて、まず、問いみたいなものがあって、何々したい、何かこれを解決したいというのがあって、そこ、そのためのもちろん知識や技能というのもあるんだけれども、それを引き出していくときに、どういう知識や技能というものが必要なのかという。何か需要と供給の関係でいうと、供給が先にあるんじゃなくて、やっぱり子供たちの需要というものがベースとしてあって、それをどう、先ほど言った個別の知識や技能、共通の何かそこにあるのであれば、それは置いておけばいいと。
でも、具体的なスポーツ場面だとかダンスの場面だとかというと、様々な状況が出てくる、子供たちの能力に応じて非常に多様な状況が出てくると思うので、そういうことに、そういう場面の中で、ある自分の、自分に適した、自分の課題に応じた知識や技能というものを見付け出すといいますか、求めるといいますか、そういうところでこの二つというのは僕は関連してくるんじゃないかというふうに思うんです。これは一つの意見です。
【山口主査】  ありがとうございます。
それでは、日野委員、お願いします。
【日野委員】  3点ほどあります。
まず、最初は確認です。説明があったかも分からないのですが、現行の学習指導要領で、技能の中で思考したり判断する場面や、瞬時の判断は技能としてみていくことになっていましたが、今回もそのまま踏襲していくのかということについて、確認させていただければと思います。
もう一つが、これからの社会を見据えたときに、いろんな環境が変わってきている中で、先ほど中村委員さんからもありましたけど、ICTの活用もこれからますます増えてきて、これからの社会の中で、それらをどういう形で活用し、体育の中で生かしていくのかも重要だと思います。
そういったこれからの社会の中で求められる思考力・判断力について分析したり、比較したり、価値付けたりなどの思考・判断の具体の中身のところについても検討していく視点としてあるのではないかと思いました。
もう一点、もう既に言われていることではあるのですけど、先ほどの保健とのつながりという話の中で、保健は小中高と、身近な生活から個人生活、社会生活という形で、高校レベルになると、社会問題や、社会を見据えてという話になっています。体育もある意味、それと同様に、これからの社会をイメージして、生涯スポーツや卒業後のスポーツを楽しむためにどうすればいいのかという視点で思考・判断するような、言ってみれば、自己や仲間の課題とともに、社会や場面の状況に応じて、例えば、先ほど、運動ができる子とできない子が一緒にスポーツをするときに、どうしたらいいのかといった、これからの社会に必要な資質・能力を高めていく思考力・判断力・表現力の視点もあるのではと思ったりもしました。
そういう意味で、この位置付け自体はこのままでいいと思うのですけど、その中身についてもう少し議論して、特に発達段階に応じて、先ほど、岡出委員さんも言われました、どういう実現した姿を描いていくのかについて、詰めていく必要があるのではと思いました。
【山口主査】  ありがとうございました。
杉本委員。
【杉本委員】  先ほど来、調査官の方からも、思考力・判断力・表現力等については、現在、もう学習で進められているというお話もありました。小学校の現場の方では、子供たちが一人一人めあてを持って学習を進めるという主体的な学びが進められているところです。子供たちが、それぞれの特性に応じた楽しみ方を楽しむためのめあてを持つ場合には、子供たちが「知識」として「何がポイントなのか」ということを知っていないと、めあてがもてません。「知識・技能」と「思考力・判断力・表現力」というところは行きつ戻りつの部分があるんではないかなということを思っています。
例えば具体的に、幅跳びを想定します。運動の特性として、競争の楽しさ、達成の楽しさがありますが、一人一人が記録を更新したいといった達成の楽しみを味わう場合、そこにはポイントとして何が必要なのかということでは、知識が大切だと考えます。助走なのか、踏み切りなのか、空中姿勢なのか、着地なのか、そして、それぞれでどんなことに気をつけなくてはならないのか、ということを具体的に分かっていないと、子供たちが自分の課題を持てません。そして、課題を解決するためには、どういった練習の場が必要なのかということを主体的に考え、自分たちが学習を進めていく、そこで思考力・判断力ということが出てくるのではないかと思います。
そういった学びが、技能として一人一人に定着するのだと考えます。つまり、「知識・技能」と「思考力・判断力」は、行きつ戻りつであり、子供たちが「できた喜び」を感じた時、「どうしたらできるようになったのか」ということを友達同士で教え合ったり、伝え合ったりすることが、表現力につながっていくというふうに思います。
ここで一つ、課題としてかんがえられることは、子供たち一人一人がめあてを持った場合に、教師がどのように対応していくかということです。教師は、それぞれのめあてに応じて、場の設定を始め、言葉かけや補助等、個に応じた対応、指導力が求められます。小学校の担任は、すべての教科を持っています。一人一人のめあてに応じた指導をし、技能の定着を図っていく上では、めあてを解決するためのポイント等たくさんの引き出しを教師が持っていることが、今後はさらに必要なのではないかと考えます。
以上です。
【山口主査】  ありがとうございました。
藤田委員。
【藤田委員】  失礼します。先ほどの体育特有の技能、それから、思考力、判断力、表現力というところでずっと先生方の御意見を拝聴しておりましたが、先ほど技能のところで中村委員の方から、運動を教える、運動を伝える力というところが出てきました、これこそ、運動観察の力も含めて、体育特有のものではないかなというような気がしております。
自他の運動を見る、運動を伝える、表現する、あるいは、支える、ここでの「支える」は体育理論で言うところの支えるとは少し違う捉えですが、仲間の運動をサポートするとか、そういう視点も含めて、とても重要なものじゃないかなと思っています。それは「わかる」と「できる」をつなげる部分に入ってくるのではないかなという思いからです。
そう考えたときに、これが個別の知識や技能に当たるのか、運動を伝えていくとか、運動を表現していく、教えていくというところがこの表現力に入ってくるのかどうなのかというところを今少し整理して考えていく必要があると思っています。
以上です。
【山口主査】  ありがとうございました。
ほかに、いかがでしょうか。近藤委員。
【近藤委員】  今、先生方のお話を聞いていて、ここの、きょうはこの机上配付資料についての検討をしているんですけれども、やっぱり例えば思考力・判断力・表現力についてもいろんな捉え方があって、それぞれのイメージが若干異なっていて、それなりにやっぱりきちんとした背景や理由があって、非常に勉強にはなるんですけど、ここで、ここ、この三つをここに明記するということは、話を深めれば深めるほど、やっぱりこれって三つつながっているよねとか、思考判断ってほかの教科ともつながっているよねという話になりますよね。
でも、あえてそれを整理するために三つに分けているので、この表に、例えば知識・技能にどういうことを書くのかという約束事をやっぱり決めていかないと、それぞれの思いを出しただけだと、やっぱり整理されないと思うんですね。
みんなつながっていることは前提で、例えば、中学校かな、「思考・判断したことを筋道を立てて相手に伝える力」と書いてあるんですけど、これ、小学校中学年の国語の話す、聞くという領域に、同じような筋道を立てて話す力とかと書いてあるんですね。小学校の立場で言ったら、この力を体育に担わせてくれるなという話なんですよ。これは国語でやるから、国語でしっかりやったことをここで使ってくれという話なんですね。
なので、ここに、でも、ここに書いてあることを否定しているわけではないです。つまり、ここでは、課題、運動課題解決のプロセスに必要な思考判断力を書くということであればこれでもいいだろうし、いや、今みたいに、ほかの教科やほかの領域で培えるものは省いて、本当にここに書いてあるように教科の本質に根ざしたものを書こうというんだったら、それは何かということをやっぱり整理していかなきゃいけないし、個別の知識や技能でいえば、先ほど、ここに書いてあるように、一つ一つのスポーツ種目について固有な技能を載せるのか、それとも、スポーツに共通した何かそういう技能があって、それを載せるのかというような、ここに何を書くかという約束ごとをみんなで議論をして決めていかないと、なかなかまとまっていかないんだろうなというふうに感じました。
以上です。
【山口主査】  ありがとうございました。
では、中村委員。
【中村委員】  ちょっと分からないので教えてもらいたいんですけども、思考判断と思考力・判断力、思考と思考力の違いというのをずっと考えていて、ちょっと何か思考力・判断力が出てきたときに、自分としてはすごく期待をしたんですけれども、今になるとよく分からなくなってきてしまったので、これは、すみません、例えば大杉室長にちょっと御質問していいのか、調査官に御質問していいのかちょっと分からないんですけども、その辺をどういうふうに捉えられているのかなということを、今の時点でちょっとお話しいただければと思います。よろしくお願いします。
【大杉教育課程企画室長】  失礼いたします。表裏一体、その学習プロセスと身に付いている力がある意味裏表になっているということで申し上げれば、ここにもありますように、例えば、工夫したりすることということであれば学習プロセスでありますし、それを経験することによって工夫できる力に育っているということであれば、力として育ってくるというようなことになるかと思いますけれども、評価の観点のときも、思考判断という、思考判断ですね、表現といったときは、そのプロセスをしているという子供の姿を捉えるということであろうかと思います。
一方で、最終的にどういう力として身に付けたかという文脈の中で語られるときに、思考力・判断力・表現力という力を付けて語っていると。資質・能力の文脈では、思考力・判断力・表現力という表現がなされ、アディティブラーニングを含めて、学習のプロセスという中では、思考・判断・表現というプロセスとして捉えられている。そこはある意味、表裏一体のものであるというような捉え方を、今の全体の議論の中ではしておるところでございます。
またちょっといろいろ御議論もあるかもしれませんけれども、もし補足がある先生方がいたら、補足していただければと思います。
【中村委員】  すみません、菊先生がおっしゃっていたその思考したいという、これがすごく大事な部分だろうと思うんですね。思考されているんじゃなくて、思考させられているんじゃなくて、思考したいと思って、したいと思ったら思考できるんだという力を、何かちょっと具体的なところが浮かばなくて申し訳ないんですけど、何かそういったところというのがやっぱり私は大事だと思っているし、今の子供たちのまさにアディティブラーニングが狙っているようなところじゃないかなと思うんですね。
まだ具体が分からないので、もうちょっと勉強してきますが、そんなふうなことを考えています。
以上です。
【山口主査】  いかがでしょうか。
この三つの力でいうと、この書き方だと、個別の知識・技能があって、こういうふうに矢印が出ているように見えがちなんですが、実はそうではなくて、三角形になっていますので、こっちが先とかこっちが後とかいうことではないという共通の理解をしていただければというふうに思います。
ですから、思考したいという気持ちから、こちらの知識というところにも私は返っていくんではないかというふうに理解をしているんですが。大杉室長、それで間違いないでしょうか。
【大杉教育課程企画室長】  前回の会議でも、習得、活用、探求という言葉が出てきたときに、習得があって活用があって探求があるんじゃないかみたいな誤解があったときに、そういうことではないですよと。例えば、思考判断を表現した結果として、その重要な知識が身に付いたり、そういった一方通行の流れではないですというようなことは、今回もしっかり受け継いでいく必要があるかと思います。
【山口主査】  友添委員。
【友添委員】  前回の資料を全部読ませていただいた中で、特にやっぱり大きな合意事項としては、資質・能力論を我々は語っているということだと思うんですね。つまり、アビリティ、つまり能力論について、どういう柱立てができるかということを検討していて、そういう意味でいうと、今、大杉室長が言われたように、つまり、プロセスの問題ではなくて、その結果、実は何ができるかということのいわば能力の三つの柱をつくろうということだというふうに理解をしているんですが、これで正しいのかどうかということをお尋ねしたいことと。
もう一つは、今までと大きな違いは何かといったときに、資質と能力でもって指導内容を三つに区切るということだと思うんですね、体育に関して言えば。それは何かというと、様態とか態様とかプロセスを書くわけではなくて、それによって、具体的などういう能力が身につくのかということがそれぞれの三つのところで、例えば、机上資料でいうと、学びに向かう力、アビリティがやっぱりここで問われてくるということ。
それから、どういう人生を送るかという、能力と関わるような問題が含まれていると。これはOECDの21世紀型の能力論の中にも、やっぱりそこのところはしっかりと明記されているというふうに私は理解しているわけですけれども、そういった意味で、資質・能力についての内容を三つの柱に沿って整理をするということで理解してよろしいでしょうかということのお尋ねです。
【大杉教育課程企画室長】  度々申し訳ございません。ありがとうございます。
方向性としては、御指摘のとおりということかと思いますが、ちょっと教科によっては、コンテンツかコンピテンシーか、内容か資質・能力かといったときに、その内容を犠牲にして資質・能力で設計するというわけではないんですよと、その内容と資質・能力のバランスを、今回、追求していくんですということを強く言わなければいけない教科もございますけれども、そこの誤解は体育に関しては恐らくないという前提で申し上げれば、御指摘のとおりかというふうに思います。
それから、ただ、その中で、じゃあ、その資質・能力ってどう身に付くのかということを考えたときに、これまでの学びのプロセスをあまり意識しないことでは、身に付いていかないだろうということで、資質・能力を身に付けるためにそのプロセスを重視すると、そういうような御提言を論点整理で頂いたというふうに考えております。
【山口主査】  ありがとうございました。
どうぞ。
【菊委員】  今の御発言は非常に私自身は重要だと思うんですけど、体育はやっぱり歴史的には身に付くということでいえば、トレーニングすればいいんだよという、やっぱりそういう発想が非常に強かったわけです。繰り返し、繰り返しとにかくやれば身に付くのよというね。その轍はやっぱり踏んじゃいけないと。その轍を踏まないために、やっぱり学びのプロセスというものに対してきちっと資質・能力との関係で、さっき、裏表とおっしゃいましたけど、そこの一体化が非常に重要だと思います。そこはやっぱりしっかり確認しておくべきだということで、そういうふうに思っています。
【山口主査】  ありがとうございました。
確かに、体育は今まで、そういった傾向があったと。ただ、そこを思考・判断・表現力というところに行くと、他の教科ともまた似通った部分が出てきて、じゃあ、体育特有といったときに、ここをどう表現するのかというところを、どういうふうに。はい、菊先生。
【菊委員】  いや、そのとおりなんですけど、だから、逆に言うと、今まで身に付けさせればいいじゃないかと。やっぱり繰り返せばいいんだよ、考えなくても、繰り返しなさいということをやってきたから、逆にぶれる、振れるんですよね。じゃあ、そうじゃない方法、あるのかと、そういうことを開発してきたのか。
この20年、30年間、苦手学習とか何とかという。じゃあ、その中で、本当にその中身が学びのプロセス、体育固有の学びのプロセスとして提示できるようなレガシーというものがどれぐらいあるのかという、そこの部分にも関係してくると思うんです。
これは多分、保健も、保健行動だとか、意思決定だとかということと関連する内容だと私は思うんですけれども、共通の課題がそこにあると思います。
【山口主査】  ありがとうございました。
もう一つの柱でも、多分同じような議論も出てくると思いますので、一旦ここでこの柱については切らせていただきまして、保健の分野について、森調査官の方から、資料について説明をお願いいたします。
【森教科調査官】  保健は、「健康課題を解決する力」を「思考力・判断力・表現力等」の中心的な能力と考え、この資料を作らせていただいております。
さらに、その「健康課題を解決する力」には、五つの要素が関わっているとイメージしています。一つ目が、健康課題を発見する力です。前回、南委員から、健康情報に関する話がありましたが、二つ目が、「健康情報を活用する力」です。三つ目が、「解決方法を予想したり考えたりする力」です。その「考えたことを表現する力」が四つ目になります。
五つ目としては、保健としては、最終的に生活改善に生かすことが重要ですので、「生活と関わる力」を中に入れています。特に健康課題については正解がなかったり、結論が出なかったりする課題がありまして、健康に関するリスクとベネフィットの間でいかに根拠を持って意志決定、行動選択していくかということが重要になってきます。
小学校、中学校、高等学校の発達の段階に応じてどのような力を目指していくのか御議論よろしくお願いいたします。
【山口主査】  ありがとうございました。
先ほど、友添委員の方から、保健と体育の関わりというようなところもお話、ありましたけれども、保健としても、ここの部分でやはり体育との関わりをというふうな考えでしょうか。
【森教科調査官】  はい、健康課題と運動課題の解決の方法は、かなり共通する部分もあると思います。また、先ほど友添委員が保健の知識を体育で活用してはと言われたように、保健としては知識に、体育で活用できるような内容を入れていく必要があると私は思っています。
ですので、主査が言われましたように、保健と体育の関連ができるものを、三つの柱それぞれの視点から見ていく必要があると思います。
【山口主査】  ありがとうございました。
それでは、この保健の中で、思考力・判断力・表現力等というところの、保健の視点で、皆さんと意見交換をさせていただきたいと思いますが、いかがでしょうか。渡邉委員、どうぞ。
【渡邉委員】  ちょっと最初にお話しさせていただきます。今回、この出していただいたその思考力・判断力・表現力のこの内容ですけれど、これが保健というものの本質に根ざしたものかどうかということで視点で考えますと、よく、アメリカの例えばナショナル・ヘルス・エデュケーション・スタンダーズのヘルスに対する考え方は非常に近いものですよね。そういう点からすると、こういう方向に行くのかなというふうにも思っていますし。
それと、やっぱり保健だけではないと思いますけれども、教科をこれからの教科というのは、教科で学んだことがその汎用的な能力の育成ということを一つ目指していくということであれば、こういう内容になってくるというのは一つ納得できるものだと思います。
ただ、従来、これは能力なんで、その質の、資質・能力なんで、それでいいと思いますけれど、従来やっていた、例えば保健というのは割とヘルスプロモーションの考え方に基づいて学習するということがありましたよね。というのは、意思決定、活動選択と、環境づくりという。
そういう枠組みとまたちょっと違うので、ややそういう意味でちょっとこれまでと違いがあるんですが、これをこの方向で行くというふうに考えて、意見を述べさせていただきますと、まだちょっと校種間の違いが少し分かりにくいかなという感じはしています。
というのは、やっぱり資質・能力という点から書き上げていっているもんですから、それぞれの校種でその学ぶ内容とか、活動まではいかないとしても、学ぶ内容との対応といいますかね。もっと具体的に言うと、左に書いてある知識・技能との対応というのが連動があんまりうまくできていないような感じがちょっとしています。ですから、全部同じことをちょっと小学校は易しめに、易しく書いたという感じで、高校は難しく書いたという。その違いぐらいしか、ちょっと読み取れないんですね。
ですから、もう少し、小学校であれば、例えば基礎的な知識を身に付けるということをこの左に書くんであれば、まずは、情報を集める力の前に、学んだ知識を、例えば選んだりとか、それを次の段階としては当てはめてみたりという学習が、そういう能力があっていいんではないかな。すぐに集めてというよりは、そういうものがあるべきだろうし。
でも、小学校らしさも出ているんですね。例えば自己の生活に生かすということであれば、であれば、今度、中学校は、自他の生活に生かすみたいな表現があっていいと思いますし。
また、中学校のところで見ますと、健康情報を収集しというところも、やっぱり身に付けた知識を活用するということであれば、一応、健康情報を選択・収集しみたいな話になるでしょうし、分析するといっても、具体的に何をするかということですけど、これまでの保健の成果とかで見ていくんならば、やっぱり比較したりとかまとめたりというような、そういう力じゃないかという。もう少し具体性がある書き方ができるんじゃないかなというふうに思います。
高校の方になりますと、今度は、健康的な社会づくりということで、自他と、要するに個人生活だけじゃなくて社会生活に広げてあるので、その辺は力の違いが分かると思うんですが、今のところ、まだその辺の整理があんまりできてないような感じがしますので、やっぱり知識・技能とつながるような形での整理をまたお願いしたいというふうに思います。
以上です。
【山口主査】  ありがとうございました。
野津委員。
【野津主査代理】  思考力・判断力・表現力は小中高と違いを、出しにくいというのは基本的にあると思うんですね。知識・技能のように明確に小中高と、違ってくるわけではなく、やむを得ないんじゃないかなと思います。
その上で、それなりに調査官の提案は工夫されているのかなと思っています。例えば、健康に関するメディアリテラシーというのは非常に重要になってくると思うんですが、情報教育の方でも、情報活用能力というようなことを議論し、各教科でもそれを引き取って議論をしてほしいというようなことが総則・評価特別部会でも言われていた。保健に関しては、ここにそうした具体的な提案がもうできていると思います。
それから、もう一つ、小中高の違いを出そうとするならば、特に高校になってくると思いますが、グローバル社会といいますか、シンク・グローバリー・アクト・ローカリーという言葉なども叫ばれている今日、高校ではもう少し国際社会における健康問題、例えば感染症をはじめとしまして、そんなような視点から学習することも重要と考えます。我が国のような先進国で、このような長寿を実現している国における人材育成といったときには、そうした国際人の育成というのは非常に重要であり、そういう内容が弱いと思います。
それから、もう一つは、健康に関する課題には、どうしても正解のない健康課題というのがあるのが現実です。
その辺も視野に入れた課題解決に関わる思考力・判断力の育成の学習を高校では考えてもいいのかなと感じております。
以上です。
【山口主査】  ありがとうございました。
南委員、お願いいたします。
【南委員】  すみません、このように健康、体育とか保健のことを深く重層的に議論するということをこれまで体験したことがないので、ここまで皆様の発言に一々感銘深く伺っておりました。この部分でしか私が申し上げられることはないと思うので、発言させて頂きたいと思います。
健康情報の読み方などについて、是非入れていただきたいと申し上げているので、大変有り難いことと思っております。
ここで言うべきか、どこで議論するべきことなのか、ちょっと分かりませんが、私が常々感じていることは、健康づくりが非常に大事であることは、すでにもう世の中全体が認識しているわけです。本当にヘルスプロモーションが大事であるということは。
しかしながら、よく普通の方々の健康の教室などによんでいただいたりしたときに、いつも問いかけるのですが、なぜ健康が必要なのかということは、実は皆さん、あまり認識がきちんとされていない。子供というのはすぐ、なぜといいます。なぜこれを学ぶのかとか、学ぶ意味とか、そういうことをよく問いますので、ここはやっぱり若いうちにしっかりと、なぜ「健康である」ことが大事なのか。「より健康である」と言ったらいいかもしれません。自分の健康状態を維持するということが何のために必要なのか、ということは、いろいろな角度で是非学んでおいていただきたいなと思うわけです。
申し上げるまでもなく、健康は、人生の様々な夢を実現するために必要なのです。アメリカなどでは健康カルトという言葉がありますけど、そういうことではなく、やはり健康は、より良い人生の実現のために必要であるということで、そうした健康の意味をきちんと理解しておくことが望ましいと思います。
その延長線上で、先ほど五十嵐先生が言われたような、生命や健康の限界ということ、目指すのはいわゆる不老不死ではないということも含めた健康の意義を段階に応じて織り込んでいかないと、ことさらに、健康であることをカルトのように求めるという歪んだ健康観につながっていきかねません。そういうことではないんだということは必要なんではないかと思っております。
【山口主査】  ありがとうございました。
高橋委員、どうぞ。
【高橋委員】  ちょっと話が変わるかも分からないんですが、初等体育科教育法という授業の中で学生が模擬授業を考えてやる中で、ストレスな世代、あるいは、時代をどうやってしたらいいのかと、小学校の教材で腹式呼吸をやるだとか、自律訓練法をやるだとか、そういうのを授業を立てたりするんですね。そうすると、体と心と動きというのが合体された形で、学生は柔軟に非常に考えていっている。
こういう分けてしまうと、さっき、友添先生もおっしゃったみたいに、なかなか融合ができない部分があって、本当にさっきから融合ができないかと申し上げている意見が多いと思いますけども、日本の子供たちの自己肯定感が非常に低いだとか、体に対するボディイメージがすごく悪いだとか、痩せ願望があるだとか、あるいは、自殺者が多いというところと、死生観をどうやってつなげていくんだろうかとか、拒食症にしたって、タトゥーをするだとか、いろんな体の問題が現代は本当に多い。
それを体育の授業の中でやることも可能かも分からないけれども、保健の授業の中でうまくこういうふうになることが、小学校は割にやりやすいかも分からないんですけれども、どうにかしたいというのが、ここ将来10年を考えたときに、もう過渡期だろうというふうに思うんですね。保健指導で何とかってできない部分が感じられでいて、それは学生が非常にそういうことは敏感に感じて、その授業を構想しようとしていたりするので、是非その辺も考えられたらいいかなというふうに思います。
【山口主査】  ありがとうございました。
青木委員。
【青木委員】  子供たちは、健康の価値観とか保健学習の価値観というのを持ってはいるのです。ただ、現実の保健体育の授業の中の保健の授業は好きとか嫌いとかとなると、あまり好きじゃないというような結果が出てきたりします。やはり価値観を持っていてあまり好きじゃないというところは教え方というか学習の仕方にもちょっと課題があるのかと思ってはいました。
子供たちは、まず、自分の健康のことを自分の課題として捉えることがまず難しいというか、そこを、捉えさせておいて、それから、望ましい生活、自分がより良く健康でいられるためには、こういうふうにしていった方がいいと考えさせることがとても大事だと思います。
そのために、子供たち同士の話合い、人はどう思っているのか、どんなことをやっているのか、そういうことを知らせながらも、自分はこういうふうに考えていたし、こうしているけど、ちょっと他の人と違うかなというところで学びを深めさせていければいいと思っています。
この思考判断表現の中に、そういう活動が子供たちができるようなことが入っているととてもいいと思います。
これから内容を考えるとき、あるいは、それを具体的にどう指導していくかというときに、そういうことを盛り込んでいただいて、是非、子供たちの価値観が実際に学ぶ意欲に、そして、学ぶことの楽しさにつながっていけば、もっと保健学習は広がっていくのではないかと思っています。
ただ、先ほどもありましたが、中学校は48時間。小学校は12時間、高校は1単位と思いますが、そういう中でやっていかなきゃいけないというとても苦しさがあると思います。
以上です。
【山口主査】  ありがとうございます。
近藤委員、お願いします。
【近藤委員】  今の青木委員ともつながるんですけど、健康教育と保健学習とちょっと分けて考えないといけないかなというふうに思っています。今のお話の中にあるように、これからもう少子高齢化じゃない少子高齢社会になっていますよね。総則の第3に、体育に関する指導というところの体育・健康となったのが多分前の前の改定のときにその言葉が入って、多分この今の状況を見据えて入れたんだろと思うんですね。
健康ということに対してすごく社会的にニーズがあって、健康教育、とても大切だということは本当に今のお話の中にもありましたが、本当に、じゃあ、健康を考えていったときに、今、限られた時数のこの保健学習の中だけでそれを担おうとするのはそれは無理だと思うし、もっと言えば、今回の教育課程の中にあるように、開かれた教育課程とありますけれども、地域、家庭と一緒になって取り組まなければ、例えば食育もそうですし、例えば小学校でいえば、年間365日あるうちに、学校に来るのは200日なんですよ。残りの45%は、長期休業か土日で家庭か地域にいるわけですよね。
そのそこでの生活はなしにして、学校だけで健康な生活というのを担おうとしてもとても難しいので、ここではそういう、いわゆる第3体育のように、学校教育全体で健康教育をやっていく中で、保健学習が担う役割というのは何か、そこで培う思考力・判断力・表現力等というのは何かということで考えた方がいいと思っていて、私は、その文脈でいうと、ここに表現とか学校間の違いが出にくいという御意見もあったんですけど、基本的に、ここに書いている流れはこういう形でいいんじゃないかというふうに思っています。
以上です。
【山口主査】  ありがとうございました。
五十嵐委員、お願いします。
【五十嵐委員】  少し水を差すようなことを申し上げますけれども、最終的には、知識を持って自ら判断して行動するということが目的だといたしますと、この思春期の子供たちは非常に難しいと思うんですね、もともと。
なぜかといいますと、彼らは知識は持っているんです。しかし、その知識、例えば悪いことをしても、それだけは自分だけには絶対にそういうことは起きないという変な確信があるんですよね。
ここが非常にやはり問題で、そういう人たちを、知識を与えることはもちろん大事なんですけれども、そういう人たちが正しい行動変異、正しい方向に行動を導くというのはなかなか難しいという、その前提を基にこの教育をしていかなきゃいけないという、そこに、特に健康教育等は、自分がその中でどれを判断するかという最終的な判断を、もう一個しかないわけですから、そこがこの難しさがあるんじゃないかと思います。
ですから、初めから、知識を与えれば、子供たちは全ていい方向に行ってくれるというふうに思うんではなくて、与えても、彼らは自分だけはそれが起こらないんだという変な確信を持っている生き物なんですよね。だから、そこがこの難しさというか、あるんじゃないかと思います。
【山口主査】  ありがとうございました。
私、アスリート出身ですから、こうしたらけがするとか、これ以上やったらだめと思っていても、欲求が先に、勝ちたいという欲求がいって、必ずしもアスリートは健康ではないということもあるので、今言われた、何か通ずるものが若干あるかなと思いますが。
ただ、持ってないよりはやっぱり持っていた方がいい。そこをどういうふうに子供たちを導いていくかというところは非常に確かに、五十嵐先生が言われるように、難しいところかなと思いましたが。
なかなかこれも答えが出るところではないので、まとめるのは非常に難しいんですけれども、ただ、やはり方向性というか、限られたやはり時間の中で、また、体育と、それから、保健とをどういうふうに融合させていくかということと、近藤委員も言われたように、学校だけではなくて、特に保健の場合には、地域、家庭といったところがどういうふうに融合していくか、そして、自分の課題だけではなくて、他者とのこの関わりとか課題といったところをどういうふうに捉えて落とし込んでいくかといったような様々な御意見を頂戴できてんではないかなというふうに思っております。
それでは、もうかなり皆様、お疲れの状態だと思いますが、ちょっと見ていただいたら分かりますけど、四角が小さくなっているところにちょっと向かっていくので、だからといって簡単というわけではないんですが、最後の柱のところですね。「学びに向かう力、人間性など」というところの議論に移っていきたいと思います。
それでは、まず、事務局の方から配付資料の説明をお願いいたします。
【高田教科調査官】  よろしくお願いいたします。
「学びに向かう力、人間性」として、三つ目の柱、「情意、態度等に関わるもの(どのように社会・世界と関わり、よりよい人生を送るか)」というところがこの資質・能力、三つ目の資質・能力として示されています。
前回の第2回ワーキングでも申し上げたとおり、体育では現行の態度の指導がこの部分に該当すると考えております。
運動領域においては、進んで学習活動に取り組むという愛好的態度、主体的に学ぶ態度。約束を守り、公正に行動する態度。友達と協力して活動するという態度。チームワークや協調性等も入ってくるのではないでしょうか。自分の役割を果たそうとする態度。責任ある行動を取るということ。そして、安全に気を配るというところは、危険を回避するという態度も、身体活動の中で育みやすいと考えられますので、現行のとおり、態度の指導が三つ目の資質・能力に相当すると提案させていただきます
【高橋教科調査官】  中学校に関しましては、「運動の楽しさや喜びを味わい、自主的に取り組む態度」ということで、自分で決定してそれを行う様というようなことに主眼を置いて提示しております。
基本的には、中学校、高学ともに、公正、協力、責任、参画、及び、健康・安全に関する事項を示しております。高校では主体的に取り組む態度ということで、自分が主体となって今度は働き掛ける様を目指した態度を提示しているところでございます。
続けて、保健についても説明をさせていただきます。
【森教科調査官】  保健は、「学びに向かう力、人間性等」については、自尊感情、それから、レジリエンスなどが保健の態度に関わるかどうか考えていただきたいと思います。現行の学習指導要領では、保健は態度に関わるものが位置付いていません。態度に関連ありそうなこととして、発育・発達などの違いがあることを肯定的に受け止めること、健康の大切さを認識することなどが示されています。また、先ほど「思考力、判断力、表現力等」でお話しさせていただいた意志決定に関しても、情意が関わっていると考えられますので、そのあたりも踏まえて御議論よろしくお願いいたします。
また、高校段階では、健康な社会づくりに参画する態度につながるようまとめさせていただいておりますので、ゴールを見据えて、小学校、中学校でこの柱についてどのような資質や能力を位置付けていくのか御議論いただければ有り難いです。
【山口主査】  ありがとうございました。
この三つ目の柱に関しましては、ただいま御説明を頂きましたが、体育と保健と分けずに、二つを一緒に意見交換をさせていただきたいというふうに思っております。
それでは、門田委員、お願いいたします。
【門田委員】  失礼します。札を上げるのにちょっと勇気が要ったのですが、すみません。先ほど、高田調査官から、態度の内容を引き取る形でと言われたので、ほっとしているのが正直なところで、学びに向かう力、人間性等というと大変大きなもののように感じております。特に、どのように社会、世界と関わり、よりよい人生を送るかというのを小学校の先生が児童にどのように伝えていくのかというのが大変ちょっとどきどきしていたようなところなんですが、現在は安心しているところです。
よく先輩の先生方に、体育の授業に飛び出てくるような、そんな体育の授業ができれば、それが最高だよというような指導を頂いたことがあるんですが、やはりこういった授業の内容も大切なんですが、子供たちをそうさせていく体育学習というのがまず大前提かなと思います。
現行の学習指導要領で、体力の向上のことについて大きく書かれているとは思うんですが、その中に、その調査を現在しているところなんですが、その中に、やっぱり運動やスポーツを好きにさせることが一番、そして、好きになればどんどんやるだろう、どんどんやれば体力が上がるだろうというスパイラルアップの話が出てくるんですが、やはりここの体育の授業をどんなに楽しくさせるか、そして、どんなに進んで学習させるかというところは、小学校、中学校、高校を通じて、やはり続けてしっかりと指導していくことが必要かなというようなことを感じております。
ですので、ちょっとこの三つの柱の話とはずれてしまうんですが、体力向上というところを何かまだ議論ができていない状況だと思うんですが、もう少しつなげていって、学習指導要領に盛り込むような形で何かできたらいいんじゃないかなと少し感じました。
以上です。
【山口主査】  ありがとうございました。
それでは、友添委員、お願いします。
【友添委員】  ちょっとしゃべり過ぎかなと思って反省しているんですけれども。今御意見、よく、門田委員のおっしゃること、よく理解できて、大事な点だというふうには感じていました。
現行の学習指導要領の特にこの態度領域というのは、規範的な内容と、あと、情意的な内容、ここの中に愛好的な内容が盛り込まれているというふうに理解していますし、それから、あと、社会的な内容、規範的な内容、情意的な内容という、こういう三大柱でつくられているというふうに理解をしているわけでありますけれども、大事な点を一つやっぱり確認しておかなければいけないのは、運動の学習だとかスポーツの学習と関わりのない内容がやっぱりここに盛り込むとまずいだろうというふうに思うわけなんですね。
山口主査は柔道の名選手でしたけれども、私も柔道を少しかじっていたときがありまして、朝練習なんかへ行くと、目が燃えてないとか、気合が入ってないというんでぽかっとやられちゃうことが時々あるわけなんですね。それはまさに精神主義とか徳育主義みたいなところがあって、技術に関わらないようなところでのこういう態度、あるいは、規範、あるいは、いわゆる社会的な内容を盛り込んでしまうと、これはちょっとまずいだろうということはやっぱり確認をしておいていいのではないかということを一つ思っていました。
それから、現行の学習指導要領にない決定的なものというのは何かと考えてみると、例えば、障害者、障害のある方に対する配慮事項があるかないかというと、そこを特記は実はされてないということが一つ考えておく必要があるのではないかというふうに考えるんですね。
それで、特別な配慮を要する人へのいわば人間性というところを含めて、態度の内容を含めていくと、これは多分、保健のところともクロスしてくる問題が出てくるのではないかということと、もう一つ、ニュージーランドとか、例えばカナダとか、あの辺りのスタンダードを見てみると、人種的な配慮がやっぱりかなり書き込まれているんですね。肌の色が違ってもとか、あるいは、目の色の違いに応じて区別をしないとか差別をしない、運動やスポーツで一緒にチーム組むときにというようなことがある。
多分、日本の国は、現行の指導要領の中ではそこまでは必要ないだろうということだったかというふうに多分考えたんだろうと思うんですけど、向こう10年を見たときに、多分、在留外国人の子供さんたちが結構いるということはやっぱり配慮事項に入れていく必要があるのかなということは少し考えるところでもあるということなんですね。
教え子の一人が、運動会をやったときに、子供が、何で僕の国の国旗がないんだと、運動会で国旗をやったときに、先生はそんなことを何も考えずに、業者から持ってきたやつをやるんだけれども、子供たちにとっては敏感な問題で、特にお父さんについて日本に来ている子供たちにとってはやっぱり大きな問題だろうと。そういうこともやはり少し状況の変化があるのではないかということ。
もう一つ、多様性ということで、多分、相手を尊重するとか、相手へ配慮するということでは、多様性は含み込めることは大事、いけるんだろうということで、問題はないと思うんですけれども、例えば、男女平等の問題、男の子と女の子の扱いのイコーリティということについても特記はしてないですよね。
この問題と関係してくるのは、例えば少し話は飛びますけれども、男女共修ということを随分文科省の方針ということでやってきて、ところが、現場を見てみると、多分、先生、現場の先生方はよくお感じだと思うんですけれども、男女共修がどうも形式だけになってしまっていて、ときには男女分修が必要な場面と、分けて多分ゲームをやったり、あるいは、学習課題をこなすときに、分ける必要があったり、別に学ぶ必要もときにはあると思うんですね。
そういうことも含めて、ここの書きぶりはやっぱり随分、これは多分、作成協力者会議のレベルだと思うんですけども、方針、方向性はやっぱりここで、例えば人間性を含めて、どういうようにそういう扱いをするのかということは検討しておかなければいけないのかなというふうに感ながら、今の御説明を伺っていました。
以上です。
【山口主査】  ありがとうございました。
今の御意見に対して、何か、岡出先生。
【岡出委員】  今言われたその多様性の問題ということは無視できないですよね。それは、健康に係ることにしても、スポーツとか運動に関わることにしても、社会に出てから、いろんな人たちと共同しながらいろんなことをやらないと解決できないということは多分たくさん出てきますし、意見が違うからという話では、事は全然解決できない。
そういう意味では、多様性を受け入れるとか、多様性を認めるとか、それから、価値観をちゃんと共有できるようにしていくだとか、そういうことは多分必要なことだろうなと思うんですね。
そのことと同時に、そのことと同時にというのは、この情意、態度に関わるものの中には、今お話ししたように、ある一定の価値観をちゃんと、例えば健康って大事だよねというのを知っているだけじゃなくて、そのことをちゃんと価値付けていくことができるだとか、それから、スポーツとか運動することって大事だよねって価値付けることができるだとか、そういうものというのは多分どっかに書き込まれた方がいいのかなと思うんですよ。
同時に、先ほどお話が出ているように、これは健康のところにも関わると思いますけれども、自分に対して肯定的なイメージを持てるとか、肯定的な自己像を持てるだとか、こういうことは多分いろんな行動するときには多分大事だと思うんですね。スポーツの場面だと特に、私は能力がないからみたいに思い続けてきている人たちが結構いたりするんですけど、実はそうではなくて、その人たちがちゃんと自分にポジィティブな印象を持てるようになると、それこそ動機付けられていくということは期待はできますし。
人と、例えば健康に生きていくというときに、人との関係をどうつくるといったときも、どうも自分はあんまりいい自分じゃないなみたいな人はなかなかうまくコミュニケーションを取れないとか、そういうことも当然起こり得ることなので、そういう意味では、この情意、態度のところで、それを体育の授業とか保健の授業のことだけかというふうに言われると、確かに困りますけれども、これは、でも、他方で、今回、UNESCOがインターナショナルチャーターを変えましたね。11月に採択されて、もう出ているはずですよね。そういうところでうたっているスポーツとかの価値とか、そういうところには、必ずといっていいほど、多分出てくると思うんですよ。
そういう意味では、スポーツの価値だとか運動の価値、健康の価値だとかということを認めるだとか、自分に対して肯定的なイメージを持つ、そういう能力、そういうことがちゃんとできるようになっていくということは、この学びに向かう力とか人間性というところには何かいい書き方ができないかなというふうには思います。
【山口主査】  それでは、近藤委員。
【近藤委員】  今のお話は本当にそのとおりだなと思っていて、まず、スポーツの価値というのをここの体育、健康のこの学びに向かう力、人間性等というところに是非入れてほしいなというふうに思っていて。
それは、まず一つは、御承知のように、オリンピック、パラリンピックが来て、この間のお話にもありました、これが学習指導要領が出た後のレガシーを使って子供たちがスポーツライフを築いていくという意味でも、スポーツそのものに価値があるんだということを今回のここの学習指導要領の部分では打ち出すのはとても大切なことだなということが一つと。
もう一つは、平成23年にスポーツ基本法というのができて、そこにはスポーツは人類共通の文化であるということが前文に明記されていると。それ、改定、振興法が改定されて基本法に改定された初めての改定という意味でも、スポーツの価値ということをここの部分に盛り込むということはとても大切だなというふうに思っています。それが一つ。
もう一つは、先ほどの、実は私の学校は、外国につながる子、外国籍の子供が全体の2割ぐらいいるんですね。130人ぐらいいいます。横浜市の中で3番目に多いんですね。バスケットのチームを組むと、ほとんどが外国籍で、南米、ブラジルとかが多いんですけど、そういうところで子供の様子を見ていると、本当にスポーツっていいなということを感じるわけですね。
外国人差別の問題とか、それから、今、横浜で問題になっているのは性同一性障害、LGBTというのがあって、自分の気持ちの性と体の性が違うという子供が13人に1人いると言われていて、よく見たら、あいつもそうかなという子が実際にいるんですよね。
そういったときに、何が言いたいかというと、障害者差別のこともそうなんだけれども、人権という視点をここの学びに向かう力、人間性というところに、体育、スポーツも含めて、すごく入れ込むことが必要なんじゃないかなというふうに思っています。
それは、先ほどの友添委員の話を聞いて、私はとてもそうだなと思うし、これから10年先を考えたら、うちのような学校が多分、横浜で増えます。外国、多分、簡単に言うと、労働人口が減っていって、どういう枠組みか知らない、分からないんですけど、外国の方が入ってくるということも予想されますし、実は私の学校が何で外国人の子供が増えたかというと、1990年にバブルの頃に労働力が足りなくて、入管法をハードルを下げて、日系外国人が働きやすくなったら、うちの学区にわっと来たという歴史的な経緯があるんですね。
そうすると、これから将来そういうことも予想される中で、体育の中、特にこの学びに向かう力、人間性というところに、その人権的な視点を入れるということはとても、これからの10年、20年を考えたときに、大切な視点じゃないかなというふうに思います。
以上です。
【山口主査】  ありがとうございました。
今までの学習指導要領の中ではそういったことがなかったということで、これからの10年、グローバルといったところを考えても、そういった視点を。ただ、体育という観点からどうその人権について盛り込んでいくかというところの議論については少し難しいかなというふうに考えているところではあります。
菊委員、どうぞ。すみません、高橋委員でしたか。では、菊委員、高橋委員でお願いいたします。
【菊委員】  すみません。保健と体育との関係というのは、私、こういうところにやっぱりよく出てくると思うんですね。多分、保健の歴史というのは保健の専門の方は一番よく御存じだと思うんですけど、私の印象では、先ほどの知識だとか思考判断の問題もそうなんですけど、やっぱり医学との関係というのは常にあるわけですよね。医学的な知識と、じゃあ、保健的な知識の違いは一体何なのかという問題ですよね。
それはやっぱり、多分、保健の場合には、もっとポジィティブに、いわゆる病気になったから分かるんじゃなくて、病気じゃなくても、普通に生活している中でよりポジティブに自分の心身の方向性を自ら高めていこうという、多分そういうことだと思うんですね。
それは、体育の分野に非常によく似ているというか、同じだと思うんですけど、一番最初にこの会議で私、申し上げたと思うんですけど、やっぱり何だかんだいっても、健康の方が病気モデルという、病気にならないようにという、何かそういう必要性の論理と、体育の場合には、やっぱり右肩上がりのいわゆる発育、発達モデル、青少年期モデルというのがあって、それで、ずっとそのモデルを引きずっているもんでから、それとの比較で、年齢が行くと当然体力も落ちるし、外から見ると、私もそうですけど、目がだんだんしょぼしょぼしてきたりとか、耳が聞こえなくなったりとか、そういうのといのうは、結局は以前と比較してしまうわけですよね。以前の状態とどうしても比較してしまうという、そういう中で出発してしまう、物事を考えてしまうと。つまり、物すごく、何ていう、アンチエイジングというか、年を取ることを恐れてしまうというようなね。
そういう状況の中で、この子供たちが、放っておいても右肩上がりになっていく。その中で、いかに生涯にわたってこういう問題を考えることが大事なんだよといったときに、やっぱりリテラシーの対象が必要で、そういうふうに考えたときに、むしろ、みんなそれぞれが今できる力を持っていて、それぞれの状況の中で常にやっぱりポジィティブに物事を考えて、体を使っていく。体をより積極的に、スポーツでいえば、面倒くさいことをやる。健康でいえば、これ、面倒くさいことを超えられる力というのが、先ほど言ったやっぱり価値の問題だとか望ましさの問題につながってくるだろうと思うんですね。
そういう意味で、この学びに向かう力とか人間性の問題というのは、身体を介して、体というものを媒介に、メディアにして、体育と保健というのは非常に共通の部分を持っているはずだし、そこの部分でやはりまず、この内容といいますか、の問題を考えていく、そういうベースになるんじゃないかなというふうには思います。
以上です。
【山口主査】  ありがとうございました。
では、高橋委員、お願いいたします。
【高橋委員】  先ほどの近藤先生の話の続きなんですけれども、大学生の中でも、フォークダンスをやるときに、女の子なんだけど男でいきたいという。見るからに男で、じゃあ、はいはい、組んでといったら、女同士では組めなかったりね。それは小学校、中学校、高校では恐らく隠し通しているんだと思うんです、まだ日本のこの状況では。でも、体を通した教育だからこそ、そういうことを、友添先生がおっしゃったみたいに、していかないと、もう世の中、ああいうふうにもういっぱい変わっていくのに、学校だけは一向に変わらないということではだめだろうと。
それが自他を、自他の体を受け入れるという自己肯定感にもつながっていくんだと思いますけれども、自分の体も大事だし、他者の体も大事だし、そういうことが体育や保健の中ですごく大事にされれば、殺人だとかいじめだとか、そういうふうにもつながっていかない大きな重要な教科だと思うので、そういう特別に配慮が必要なことは、特に体育で体を扱うところでは、すごく重要視した形で何か、どこに盛り込めるか分かりませんけど、配慮の事項が必要かなというふうに思います。
【山口主査】  ありがとうございました。
では、杉本委員、お願いいたします。
【杉本委員】  今の高橋委員のお話とも関連するんですけれども、よく体育の学習がすごくいい学習を進めているクラスは学級経営もいいと言われているのは、やはりこの情意面ですとか規範の意識の部分が強い子供たちがいるからだなというふうに思うんです。
そういった中で、もちろんここは大事な部分なんですけれども、今、インクルーシブ教育も叫ばれている中で、障害サポート級ですとか支援級のお子さんたちが、通常級で交流するときに、体育って比較的に交流することが多いので、やはり誰でも受け入れるということも含めて、今までのお話もありましたが、そういうようなこともここに入ってくると、すごくいいのかなということを考えました。
【山口主査】  それでは、真如委員、どうぞ。
【真如委員】  この表を見ていまして、個別の知識や技能、それから、思考判断、表現力、ここまではみんな個なんですね。自分、自分に考える。ところが、3番目の学びに向かう力、人間性というところに来ると、俄然、自分だけじゃないなという意識が非常に強いと今感じたんですね。
ですから、ここの書く内容については、自分自身を見詰めて書くというものと、紹介するものと、それから、他者との関わりを意識しながら紹介していくという、そういう部分とにやっぱり整理してあげるというのは大事だろうと思いますし、それを一つ一つ細かく細かく出してやって、さあ、これでどうだということももちろん方法としてあるんですけれども、先生方もいろんなことを考えますから、ある程度のこの枠組みでこう出してあげれば、その学校なりに、その先生なりにいろいろ考えて、授業を構成していったり、あるいは、評価をしていったりできるんじゃないかなというような気が今ちょっとしましたね。
以上です。
【山口主査】  ありがとうございます。
渡邉委員、どうぞ。
【渡邉委員】  ちょっと保健の方でのあれで何も出てこないので、ちょっと少し申し上げる、要望をちょっと申し上げたいと思います。
保健の、小学校の最初のところで、「健康に関心をもち」ということがありますけど、これは中学校、高校でもやっぱり重要だと思いますので、是非それは入れていただければと思うんですね。
やはり健康に関心を持つというところが一つ、保健を学ぶというところの大きなきっかけというか取っ掛かりになると思いますし、関心を高めていくということは、そのさらにその先の勉強の意欲を高めてくるということになりますので、小学校だけではなく、小学、高校、中高に入れていただきたいんですが、中高でもし書き分けるんであれば、小学校であれば、自己の健康へ関心を持つということでしょうし、中学校では自他の健康でということで、高校でならば、今度、個人や社会の健康とかいう、関心を持ちという書き方ができるかと思います。
今ちょっと健康でというのをしたけれど、知識と技能に書いてあるように、ここは健康・安全にという、安全という言葉が入れられるんじゃないかと思うんですね。真ん中のちょっと健康課題のところに入れると、ちょっとごちゃごちゃしてきますので、ただ、この関心にあっては、例えば小学校でいえば、「自己の健康・安全に関心を持ち」ということも書き込んでいただくことはできるのではないかと。また、健康の保持増進や回復に併記して、例えば安全の確保のためというようなことなんかもあるのかなと思います。
というのは、これ、回復というところに関わって、先ほどのレジリエンスのところが出てくると、出ていましたけれども、割とレジリエンスが問題になるときというのは、大概やっぱり災害があったときとか、大きな事故があったりとか、そういうようなときに関わってきますので、やっぱりその安全のことが関わるかなというふうに思いました。
それと、これはちょっとここに書いてあることとちょっと違うんですけど、高校のところで、やはり高校を出てこれから社会人になっていくということを考えますと、この学びに向かう力、人間性等のところに書いてありますが、どのように社会、世界と関わり、より良い人生を送るかということを考えたときに、やはり健康・安全を優先する社会づくりというのがすごく大事なのかと。
要するに、いろんな仕事をしていく中で、健康を後回しにされてしまって、鬱病とかそういうのの大きな問題がありますよね。そういうこともありますから、やっぱり健康・安全を優先する社会づくりということがとても、そういう社会づくりをする態度ですね。そういうことが、高校、特に高校などでは必要になってくるんではないかというふうに思っていますので、また御検討いただければと思います。
以上です。
【山口主査】  ありがとうございます。
中村委員、どうぞ。
【中村委員】  すみません、ちょっとまだ別の。例えばですけど、また御質問で申し訳ないですけど、例えばこの音楽とか、あるいは、図画工作、美術とかというのは、この部分というのはどういうふうに考えられているのかって、もしお分かりになったら、ちょっと教えていただきたいなというふうに思います。
【山口主査】  じゃあ、お願いします。
【大杉教育課程企画室長】  音楽も図画工作も現在議論中でありますので、これからどう変わっていくかというのはまだあるんですけれども、例えば今の音楽への関心、意欲、態度というところでどういうことが表現されているかということで申し上げると、例えば音楽に親しみ、主体的に音楽表現をしようとするということでありますとか、美術の創作活動ということが、喜びを味わって主体的に表現しようというようなこと。
これを、より社会、世界との関わりでしっかり三つ目の柱を今後整理していこうということになりますので、そうしますと、そういったイメージですとか音というものと実社会、自分が生きていく生活との関わりということをより意識した形で今後、再整理をしていくというようなことになろうかと思います。
【中村委員】  すみません、ちょっと抽象論で申し訳ないんですけど、発育発達をやっているので、例えばこの前もちょっと御紹介したかもしれないですけど、運動を継続している成人が何で、どういう要因で運動を継続しているかというと、意外と、部活をやっていたりとか、スポーツ部に入っていたというものではなくて、むしろ、どちらかというと情意面がすごい強いんですね。そういったことが最近の研究でよく分かってきていて、例えば、体を動かすことが面白いとか心地いいとかという感覚を持った、そういう経験を持っている人というのがやっぱり運動を継続しているということがだんだん分かってきました。
これは、こんなことを言うと、それはなかなかこういった教育課程の中に入れるべきものじゃないかもしれないけど、でも、やっぱり僕はどっちかというと、申し訳ないんですが、体育というかスポーツを自分がやったのは大学に入ってからなので、ずっと音楽をやってきていて、だから余計感じるのかもしれないですけど、高橋先生の専門性でダンスって、僕はもう本当に震えちゃうんですよね。震えちゃうんですよ。高橋先生に震えるわけじゃないですよ。なぜかというと、自分が大学時代に創作ダンスをやったときに、物すごい感動したんですよ。何か物すごい震えを感じたんですね。
そういったものというのはやっぱり、別にダンスに限らず、個人スポーツでも、あるいは、競技スポーツでもあると思うし、その辺の何か面白さかとか、もちろん、菊先生がおっしゃったように、知識・技能で大分違うと思うんですけど、悔しさとかいとおしさみたいなものというのはやっぱり体育の中に絶対あるべきものであって、そういったものって、やっぱり情意面として、根底で捉えながら、表現するかどうかは別ですけどね。やっぱりその辺を大事にするということがすごくこれからのいわゆる生涯スポーツに向かって必要なのかなというふうには感じました。それは音楽、美術というところに学ぶべきものがあるのかなというふうに思います。
【山口主査】  では、震えられた高橋先生、いかがですかね、今のこのところにちょっともし一言ございますれば。
【高橋委員】  感性のようなところをどのように入れ込んだ記述ができるかと、情意もそうでしょうけれども、五感で感じた、もう生まれたての赤ちゃんというのはまるでそのものだと思うんですよね。それがいろんな教育の、音にとか、色とか、学んでいくんだと思いますけども、きっと理屈でしようとすると、言葉の表現もそうでしょうけれども、差異化して言葉にしていくと。そうじゃない部分が抜けてしまわないように、どこかに記述するわけですけどね。この人間性辺りに、感受性とか感性とか、そんなところが入ったら、いいなと思います。
【山口主査】  ありがとうございました。
非常に今の部分も大事なところですし、もしかしたら、菊先生も言われましたけど、そういったところがもしかしたら今までの体育ではちょっと抜けてきたところなんですかね。
【菊委員】  僕の認識ですけど、いわゆる知識ですよね、知性というのは、多分古代ギリシャの時代にもう既に哲学としてるいるいと自由技芸という形でリベラルアーツ化されていると。感性は恐らくルネサンスだと思うんですね、キリスト教から解放されていく感性。
一番やっぱりこういう人間性とか健康とかということと最も基盤になる身体、体の問題そのものがやっぱり一番ネグレクトされているんだろうと思うんです。そういう意味では、体育と保健というのは物すごいやっぱりタッグを組んで、やっぱりもっと身体のやっぱり幸せというか、体というのはすごくいとおしくて、とても楽しくて、いつ、何ていうのかな、体力が衰えていったとしても、楽しい体なんだし、いろんな要素がここに含まれているんだということをずっと学び続けられるような、そういうイメージ。そのためのやっぱりエッセンスというのがこの学校期においていかに学べるかということかなというふうに思いました。
【山口主査】  ありがとうございます。
友添委員。
【友添委員】  大事な点はよく分かるんですけれども、ただ、気を付けなきゃいけないのは、例えば人生で経験するいろんなジレンマが実はスポーツの世界に集約されているとよくスポーツ教育学者が言うせりふはあるわけですけれども、例えば、中村先生が震えられた個人的な経験とか、いろんなものを実は書き出していくことも可能性としてはあるんだけれども、実は学習可能性、ランナビリティのないことはやっぱり書けないですよね。私が最初にこだわった点というのはそこなんですよ。
どうやってどうやれば、これが可能なのかということの脈絡がないことは、やはり書いてしまうと、これはもう徳育主義になってしまうので、こういう会議体のレベルでディシジョンするのは、これは大賛成ですけど、これを文章化して書いていくとなると問題があるので、ちょっとそこだけ一言挟ませていただきました。すみません。
【山口主査】  ありがとうございました。
根底のところにそういったものがやはりあると、体育、スポーツのやはり継続性とか、そういったところをやっぱり考えていく必要はあるだろうと思います。どう書くかということはまた別です。
特に2020年、オリンピック、パラリンピックを迎えるに当たっては、どうしてもトップスポーツ、勝つということがかなり強調されてくるということも予測ができますので、そういったところとの兼ね合いというか、ところも今回の指導要領には大きく反映されていくべきかと思います。
いろいろな議論を頂戴いたしまして、皆様の御協力をもちまして、大体時間どおりに来てはいるんですが、ここで、唯一今まで御発言がございませんでした森丘委員に、一言まとめのお話を頂きたいと思いますが。
【森丘委員】  すみません。前回もちょっと欠席をしてしまった関係で、皆さんの多岐にわたる議論についていくだけというか理解するということで精いっぱいだったんですが、保健と体育の融合というところでずっと私なりに考えていたところがありまして。私は今、子供が小学生二人いるんですけれども、その子供たちが新体力テストの結果を持って帰ってくるんですね。そこには身長と体重の推移であるとか、あるいは、体力、運動能力のテストの結果なんかが書いてあって、それを見たときに、僕は子供たちの現状がどうなのか分析してみたいという気持ちになりまして、例えば年間の身長の伸びがどのぐらいだったのかというのをプロットしてみるだけで、身体的な成熟度というのがある程度評価できたりするんですが例えば、2年生から3年生の間に結構身長が伸びたのに、3年、4年であんまり伸びてなくて、50メートルの結果もそんなに伸びてないなというような見方をしていくと、例えば保健の方の発育、発達というような話と体育の方の体力、運動能力みたいなものがちょっとリンクしてくるんじゃないかと。
そういったようなことを自分のデータとして見ながら、じゃあ、自分はどうなっていくのか、今後どうしていったらいいのかというようなことを考えていくことが、何となく保健と体育が接点を持てる最初のきっかけになるんじゃないかなというようなことを考えながら、お話を伺っていました。
以上です。
【山口主査】  ありがとうございました。
今、森丘さんが言われた視点は、学校教育が、今、親御さんの立場でということでも述べられたので、家庭教育のところにもリンクしていくんだというようなこともアイデアとして伺って、そういったことで活用していければ、更に広がっていくかなというふうに思いました。
第2回に加えまして、本日は、三つの柱について、様々な御意見を頂きました。事務局の方、事務局におかれましては、大変大変だと存じますが、委員の先生方から頂いた御意見を少し整理をして、おまとめいただくようにお願いをいたします。
また、限られた時間内でございますし、なかなか札を上げづらかったこともあるかと思うんですが、ここで言えなかった御意見やお気付きの点などがありましたら、メールでも結構です、ファクスでも結構ですので、事務局の方にお送りいただければ、それも付け加えて、まとめさせていただきたいというふうに思います。
それでは、本日予定されていた議題はここまでとさせていただきます。
最後に、次回以降の日程につきまして、事務局より御説明をお願いいたします。
【高﨑学校体育室長補佐】  次回につきまして、第4回につきましては、12月24日の午後を予定しております。日時についてはまた改めて御連絡させていただくことといたします。次の議題につきましては、健康・安全における育成すべき資質・能力について審議いただきたいと思っております。この中には、先ほどのお話もあった体力だとか、そういったことも入ってくるのかなと思っておりますので、よろしくお願いいたします。
主査からもお話がありましたとおり、また、ペーパー、メールなどを使って事務局の方に御意見を頂ければ、また整理させていただきたいと思っておりますので、よろしくお願いいたします。メールだけでなくても、ファクスでも郵送でも構いませんので、どしどし送ってください。よろしくお願いします。
本日、もし、また郵送を御希望される方がいましたら、本日の資料をまた机に置いていただければ、またこちらの方で事務局から郵送いたしますので、また希望の方はそのまま机の上に置いていただければよろしいと思いますので、よろしくお願いします。
【山口主査】  ありがとうございました。それでは、第3回体育・保健体育、健康、安全ワーキンググループを終了させていただきます。皆様、御協力、誠にありがとうございました。

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