高等学校の数学・理科にわたる探究的科目の在り方に関する特別チーム(第3回)における主な意見

1.現状の課題、数理探究(仮称)の意義

○ 高校の数学の課題として、受け身でなかなか自分から取り組めないということがある。数理探究のような科目が入ってくることが一つの起爆剤となって、普通の必修教科、科目において自ら考えて学習を進めていくことになればよいと思う。
○ 日本では18歳で何をやりたいのかが分からないという割合が顕著に高い。探究的なことをしないで、何をやりたいかが分かるわけがない。
○ 高校で理科の実験を何とか進めたいと思いやってきたが、先生方が本当に実験に取り組まない。そういう現場の体質ができてしまっている。
○ 中学の実験も全て教壇の演示実験で、実践ではほとんどない。逆に、そういうことをやっていると、進学校等は入れないみたいな雰囲気というのも多々ある。
○ 単なる暗記・適用などの受動的なものではない主体的・協働的な学習、そのような学習を次の学習指導要領は狙っていることが全面的に打ち出されているが、高等学校におけるフロントランナー的な存在意義がこの数理探究にあると思っている。

2.数理探究の基本原理について

○ 挑戦性とか、質の高いアイデアの創発は、非常に難しいので、これはこれで大目標としておいて、落とし込むところになったときには、自分の手でやってみる、ハンズオン感覚で試してみる、グラフをプロットすることを試してみるという、もう一回、小学校時代の知的好奇心をフリーにしてあげるという体験が大事である。方法論は大事であり、自分の手でやってみるという観点がこの科目の性質として加わると、現場でも受け入れやすいし、イメージがわくのではないか。
○ 違和感があるのは、国際性という言葉であり、外国と交流するというのはいいのだが、サイエンスというのはもともと国際的であろうはずがなく、国がないものがどうやって国際的になるのだろうかと思う。
○ 「理科教育のイメージ(案)」の資料にある「科学的課題に徹底的に向き合い、考え抜いて行動する態度を養う。科学的な探究能力を活用して、専門的な知識と技能の深化・統合化を図るとともに、自発的・創造的な力を養う。科学的な探究能力の育成を主体的に図ることができる課題研究を充実させる」が、よくまとめられていると思った。知的好奇心を刺激して高めるといったことがここに入れば、これはかなり理念的な文章になっていくのではないか。
○ 課題研究と数理探究を考えたときに、研究としてのクオリティーと学習としてのクオリティーは異なり、数理探究は、比較的探究に力を入れていて、研究まで含み込んだ感じはしない。一方、SSHは課題研究ということで、高校生ではあるが大学で行う研究を念頭に置いて研究されているということだと思う。従って、数理探究において、研究のレベルまでを求めるのか、疑問に感じる。
○ なぜ探究をするか、あるいは科学者はなぜ研究をしているのかというのを考えると、答えはもう明らかで、正解が分からないから研究をしている。それが探究とか研究の基本構造である。中学校、高校の理科は、基本的に正解のある世界でやっているゲームで、これから50年、100年そう簡単にひっくり返らないだろうなというぐらいに確立されたものが教科書に載っている。それを使って探究のシミュレーションのようなゲームをするのは基礎段階として意味があるとは思うが、正解が簡単にあるかどうかが分からないという世界で、探究という能力というか、技を差し向けるという、そういうことの感覚を人々がどれだけ持てるかというのが非常に大事なことだと思う。
○ これまで高校の中でいうと、総合的な学習の時間と教科という二つの領域があるかと思う。教科においては習得的な学びを行い、総合においては探究的な学びという形で行っていくわけだが、SSHでも総合的な学習等で実施している。そこでは研究的な学びを行うが、それがなかなか教科の方には返っていかないということがあったように思う。そこで、ちょうどそれをつなぐような科目を融合科目としてこれを位置付けるということは意味がある。
○ 探究活動自体は、もっとファンダメンタルな、すごく大事な見方として、やはりみんなに身に付けてほしいと思うからこういう科目設定もあるのかなと思う。従って、高度とか先端という言葉の使い方は気を付けないと、SSH校じゃないところから移動してきた先生も、先端科学とか分からないので探究の指導はできませんとなってしまうことも考えられる。
◯ 大きな成果を求めないことは大事なことで、ちゃんと失敗させた方がいい。往々にして先生はそっと成功するように仕込んだりするが、よく分からずに成功することほど不幸なことはない。ちゃんと頑張った上で失敗した後にデブリーフィングをするのが大事だと思う。どうしてうまくいかなかったのかということをきちっと考え抜く、そういうことを表現したらこれは成果だと思う。実験の成功以上に大事なものであり、そういうことを感覚として身に付けるのが良いのではないか。
○ 失敗であるとか試行錯誤といったものはすごく大事だと思う。議論が錯綜しないために整理するとすれば、研究としてのクオリティーと学習としてのクオリティーというのは違うということ。研究としてのクオリティーを追求する余りに、結局失敗経験をさせないということは問題である。一方、成果を追求すること自体は、生徒の主観としては大事であると思う。学習としての成果を求めていくということと、研究としての成果を求めていくことを区分けして議論していくことが大事である。
○ 数理探究の基本原理について、今までの一方的な学びに対して自主的に何かを考えるとか、発想してそれを解決のところの疑似経験をするという意味では、一番目の何かに注目するというか、不思議に思うとか、この辺が最も大事であり、それをどう評価してあげるかということを考えていかないといけない。
○  基本原理で、「数学的」、「科学的」とあるが、これを見ると数学は科学じゃないのかとか、理科との関係はどうなるのかと感じる。言葉が混乱するので、このあたりをちゃんと整理する必要がある。
○ 基本原理の1番にある「自由な視点で」というのが具体的にどういうことなのかということを少し突き詰めて見ていくと良い。二番も「柔軟な」という言葉についても具体的に言うとどういうことなのかということが説明できると、理解が深まって良いと思う。

3.育成すべき資質能力について

○ 普通の理科・数学の教科・科目では、どうしても知識、理解に偏ってしまう。思考力・判断力・表現力を目指した科目というのは極めて少ないので、そういうものを目指していくような科目である方がよいのではないか。
○ 我々が目指したいところは、内容的なことではなく、高校卒業後にもっと研究をやり続けたい、これが好きでたまらない、そういう知的好奇心や科学的好奇心であり、それをいかに培うかということだと思う。
○ 数理探究で求められる資質・能力というのは、知識・技能面では、どうやって探究を進めていくかという知識であって、どうやってやれば進めていけるかということをいかに分かっているかということだと思う。一番大事なのは、探究プロセスを体験の中でつかんでいくこと。すなわち、探究の意味や面白さとか、これをやっていくとどこにつながるのかとか、それを体験の中でつかんでいく、探究プロセスが体として分かるというところが一番の目的であると思う。その結果、知的好奇心が生まれてくると考える。
○ 高校レベルでも研究倫理とか、知的財産の本当にベーシックな、ファンダメンタルなところが必要である。
○  研究倫理のことが大学研究者の中で非常に大きな問題になっているが、これは中学、高校での教育が非常に大切だと思う。

4.学習内容、科目構造等について

(学習内容、学習過程)
○ SSHの課題研究をそのままもってくるとうまくいかないと考えている。幾つかの課題研究のノウハウを疑似体験できるようなものにしていくべきではないか。
○ 研究の最先端とまでは行かないけれども、それのミニチュア版みたいなものを実施するという感じになるが、これは難しい気がする。初めは気乗りしなくて、何をやっていいかよく分からなくても、何か先行研究を一つでも調べると、それをきっかけとして一気に進むケースというのがある。そこは必ずしも創造的ではなくてよい。現場の教材レベルでは本当に、先行研究はとりあえず自分自身でデュプリケートするというのでもいいような気がする。
○ 先行研究の調査については、例えば理学部物理では、先行研究がたくさんあって、あるレベルに行くために先行研究を考えるだけで、もう疲弊してしまう。一方、生物は何をやっても新しい。そうすると、学生はすぐ目がきらきらしてくる。先行研究を調べて新しい成果が出るものではなく、今ある話の中の面白さをどう見出してくるかというのをかなり絞り込んで作り上げた方が、実質的な探究というカリキュラムになると思う。
○ 新雪をまだ踏んでいないところを踏み荒らすような形でテーマ探索ばかりすると、浅い探究にしかならなくて、むしろ去年もやっているが、去年やっていた人たちは、なぜこういうプロセスを通ったのか、では自分たちはどういうプロセスをとるのかというのを整理して、結果、答えが一緒でも良いということで、自分たちが探究する過程を自分たちでデブリーフィングすることが探究としては一番重要。
○ 現象があって、モデル化して、解析して、結果を出すまでが1、2、3、もう一つ4というのがあると思う。結果が出て、これは新しい結果であると。これは3である。次が一番大事で、これをもう一回、自然科学だったら自然にフィードバックしなきゃいけない。本当に自然の何を表しているのか。モデルが正しいのかということもあるが、新しいことをやる、ここが一番難しい。
○ 内容・知識よりも、進め方・学び方というところが重点的に強調されるべきであると思う。「高度」というときの「高度」の中身は、知識が高度なのではなくて、勉強の学び方が高度だというような捉え方をした方が良いのではないか。
○ 相関関係は相関係数で測れるが、だからといって因果関係があるわけではない。こういうところをしっかり教えていくというのは非常に大事である。
○ プロセス自身を評価していくということは、その次の問題で、まずは、何かに気付く、不思議に思うところに非常に重点を置いた教科設計が大事になるのではないかと思う。
○ 日常生活における様々な疑問を高校生なりにどういうふうに解決していくかというところをディスカッションさせる。例えばA君はある解決方法を考えるだろうし、B君は別の問題の解き方をするだろうし、かといって高校生から見れば、それには正しい唯一の解があるかどうかは分からない。本人としてはこれで解を出したと思っていても、いろんな他の条件を考えると、ある条件ではそうだけど一般的にはそうでないとか、そういうディスカッションをしていくことが、高校生には大事で、そういう経験が、大学に入ったときにつながっていくということだと思う。
○ 数学は、科学的な実験を行った処理の統計リテラシーとして語られることが多いが、それだけではなくて、数学が主役になるような研究テーマがあると思うので、数学独自の探究活動というものも入り込むような表現があると良い。
○ 自然現象を観測して、それをまとめてというのはある意味でやりやすい。日常的にあふれているものを数学の言葉にして、それをグループでディスカッションして自分の言葉で表現するとか、そういうことであれば、ひょっとしたらできるのかもしれないなと思う。
○ ただ単純に実験や観察をすればいいというのではなく、条件制御をされた観察、条件制御をされた実験でなければ意味がないというのが科学のお作法だと思う。その点は是非どこかで入れていただきたい。
(科目構造)
○ ワンサイクル目はテーマもある程度限定したことをやっていく中で、数学の統計的な知識とか、微積の知識とかを入れつつ、探究の疑似体験をする。ツーサイクル目に、これは少々の失敗も含めて、そういう体験を今度は個人的にやってみる。そのための準備を第一段階でやってみるというようなところが現実的ではないか。
○ 非常に上位のところを伸ばしていく、力を付けていくという意味では、広く下の部分でどんなレベルの生徒たちにも探究の体験をさせつつ、それをクリアした者にはもっとレベルの高い探究の体験をさせていく、それが選択教科として存在するという話は筋が通ると感じている。
○ 階層構造について非常に具体化されているが、探究は、スパイラルでどんどん繰り上がって動いていくものなので、基礎的なところを自分が受け止めた上で、次の自分で探究を深める段階へつながる接点の部分が非常に重要である。
(融合性)
○ 数学と理科を統合して探究活動をする際の大事なことは、実験や観察を通して出てきたデータというものをどうやって分析するかということだと思う。そこにはやはり数学的な力が入ってくるので、理科などで培った知識とともに実験をし、データを通して分析して結論を導いていくという過程というのは、この科目特有のものになるのではないかと思う。
○ ある種ベースになるところの探究サイクルの指導といったときに、融合教科であることをもう少し意識した方がいいのではないか。数学は数学、生物は生物、その距離はすごく壁は厚い。その厚い壁を崩していく。一言で言ってしまえば、教科書を目的にする学びから教科書を資料にするような、特にその場合の教科書というのは他教科の教科書、いろいろな教科書を資料にするような子供たち、生徒たちの学びの姿勢の変換があることが大事であり、そこが恐らくこういった形での融合教科を立てることの意味なのではないか。
○ 数学が絡む課題は非常に考えにくい。統計か微積かということになると思うが、はじめは理科的なことから入っていくしかないだろう。今までの理科の課題研究と数理探究の中身でこう変わったと、数学としてどういうところが関わることができるから数理探究になったということを明らかにできると良いと思う。
○ 有効な課題研究の有効な点がより検証されつつあって、そのことが有効であるならば、全ての授業で課題研究的な、探求的な取組をしていこうということで、多くの学校が全ての授業を変えていきましょうと今、動きがかなり顕著に出てきている。一つの象徴的な事例として、ある学校では、数学と物理の融合的な授業の実践、実際にやっていて、普通統計的な処理とかで終わる部分から更に超えて行っている。この講座を開くときに議論をしているのは、数学の視点と物理の視点というものを対等に議論して、同時に、その学習内容でいうと、数学の立場からと物理の立場から議論をして、二次曲線を使ってどういう物理的な法則を検証していくのかという、その取組を実際にやっている。こういう学校が今、出始めている。

5.評価の観点について

○ SSHではグループ研究が多い。しかし、科目としていくためには、個人の能力をきちんと見なければならない。評価についても、研究の成果以上に一人一人の取り組みの内容がどうであったかということをきちんと見ていく必要がある。

6.単位数等について

○ SSHでは、課題研究を高2で1コマ、3年生で2コマとっているところがあるが、実際は時間割の枠内でおさまるものではなく、放課後もやっている状況である。
○ 総合的な学習の時間と数理探究が目指すものは、ほぼニアリー・イコールだと思う。課題を見付け、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、よりよく問題を解決する資質や能力。今、課題研究は代替できることになっているので、代替をできるようにすべき。
○ 例えばSSHでは、1年生からやって、2年で探究、学校によっては3年生が始まる前ぐらいに発表をするとか、選抜された生徒は夏休みに全国大会で発表するということもあり、1年単位ではなく割と長い単位でやっているので、年数をどうするかということがある。

7.数理探究(仮称)の質を高め、普及させるための方策について

(学内体制)
○ 学校の中で数学の教師と理科の教師が共にカリキュラムを作って運用する。そういったチームティーチングの仕組みがとれるかどうかというのが大事である。これはカリキュラムマネジメントの問題になってくるが、高校現場としてはなかなかハードルが高いと思われるので、これを促すようなサポートができると良い。

(指導のノウハウの共有化、教材の提供等)
○ 指導のノウハウについては、教師は、最先端の研究内容については十分把握できないが、指導のときに重要な資質・能力については、だんだん身に付いてきた。八つのポイントがあり、【1】科学的に解決できる課題を見付ける力。【2】課題を見付けたら、その状況をよく、自然を偏りのない目で見る力。【3】自然の事物・現象を実験・観察・調査等により調べる力。【4】仮説を立てて検証する力。【5】調べた結果を表現する力、例えば、論理的に判断・思考する力、図表・グラフによって表現する力、調べた結果を数式化する力。【6】調べた結果をモデル化する力、【7】結論を導く力、【8】それを表現する力、というようなことに整理でき、この指導は高校の教員ができるようになってきた。
○ 大事な条件整備の一つとしては、どうやって課題研究を進めたらいいのかというノウハウみたいなものの指導例集、教材集、あるいは教科書になるのかは分からないが、そういったものの条件整備がこれを進めていく上で重要。
○ トップ層の子供を対象に、「より高度な」というところをより追求していくレベルと、普通科、あるいは文系も含めた子供たちに、この課題研究を普及させていくという意味での課題、そのより汎用的なもの、その中から使えるものは何なのか。多くの先生たちが疲労もなく、普通の先生方が、あるいは新規採用の先生方がやることができる、そういう仕組みが何なのかというのがある程度確立してくることによって、全校規模に普及する。
○ 経済学では三段階あって、一番が素材。社会現象、経済現象、社会問題、あるいは興味関心。二番目がモデルに落とし込むということ。三番目は、そのモデルを解いて証明したり、インプリケーションを引き出したりするところ。力量のある先生方や実績のあるところであると疑似体験でも1、2、3の流れを体験できると思うが、全国レベルで教材になっていく段階だと、問題から解答になってしまう。与えられた教材がもうモデルになっているので、この1、2、3の2、3の部分にならないような教材開発を現場のナレッジをシェアしつつ進めるべき。
○ 数理探究では、課題を解決するステップをいかにトレースさせるかということが一番重要だと思う。そのときに適切な教材を提供する。指導要領では多分例示することになると思うが、適切な教材を例示することになるかと思う。
○ 探究のプロセスを経験させるときに、題材がとても重要である。本当に良い題材をきちっと教員が提示すると、生徒は自ら考えてどんどんやっていく。そういう非常にいい題材を選りすぐって、探究のプロセスを基礎の修得段階で非常に効率的にやらせた上で、更に上位の探究を深める段階に持っていくというのが良いと思う。
○ 多くの学校に採択していただくため、それを使うかどうかは各学校の自由だが、副読本である程度のテーマを例示し、ある程度のフローチャートを書くなど副読本の充実が必要ではないか。
○ テキストなり、参考資料なり、何か見たときに、自分の学校はできないというのではなくて、どういうレベルの学校でも少しでも探究的なことに取り組めそうだという道を残しておいていただきたい。
○ 高校の現場の人間は手立てを模索しているが、テーマの設定を決めるのが大変である。ロボットコンテストや科学の甲子園等では、テーマが与えられているから皆生徒がやる気になって、いろんな発想を持ってくる。例えば大学が高校に期待する、こういう種目的な目標値、具体的な目標値を高校に提示していただけると、結構みんな努力するのではないかと思う。新たなそういう別の視点から打破できるような、生徒の方のやる気を出させる、高校の教員も登れるような山を抱かすことができればこの科目の採用幅が増えるではないか。
(教員の養成・研修)         
○ 持続的に探究を進めていく上で、学校の中で教員が探究活動を指導していくことが大事になってくる。教師をどう育てるのかということを少し考えた方が良い。教員養成改革の中では、教職大学院をベースにしてということで、主に初等の教員養成を考えているような感じはあるが、そこで中等教育段階の教員の養成をどう考えるのか。具体的に言えば、研究を指導できる教員ということでいえば、特に理学だとか工学であるとか情報学とか、いろいろな理系分野の修士号であるとか博士号を持った研究の経験を持った教員をどのように供給していけばいいのか。さらに、研究するというだけではなくて、研究することを指導できる力量を持った教員をどう養成するか。教員養成改革と連動させてどう進めていけばいいのかということが大事なのではないか。
(施設・設備(ICT環境含む)等の充実)
○ いろいろなものを調べるためにインターネットへのアクセスが必要である。本気で課題研究をやる場合は環境整備が絶対に必要になってくる。
○ 予算の組立てがない限り、SSHの活動は無理だと思う。金銭的、設備的な補?がないまま、それを教科内に組み込むとなれば、もっと根本的に生徒の立場に立たないと駄目だと思う。生徒は元来自然が育む様々な現象に対して疑問を持っている。小学校まではそれがあって、だんだんと、中学、高校になるに従って、これはこういうことだと断定調で教わり、挫折感を味わって、探究心が欠落してしまう。もっと探究プロセスを見い出せる基礎的なところに立ち返らないといけない。今の教育現場はそういう次元に行っていない。本校で言えば、有効数字の扱い、あるいは、グラフのプロットさえ、実は打てない。今の生徒は情報化が進展しているが故に、ほとんど自分の手を汚さない。だから探究的にならない。探究心の芽は、逆に言うとパソコンを見れば全部解決されているという時代だから、もっと数学的な泥臭いところに立ち返らないといけないのではないか。
○ 今回の数理探究に関して言えば、お金が無いからできないということではなくて、お金が無いなら、無いなりの範囲の中で、やはり探究活動というものを考えていくことが大事である。
○ 実施の諸条件というところで、人・金・物だと思うが、やはりこの中ではテーマによって掛かる金、物というのは全く異なる。数学的な研究というのはお金が掛からない。反論があるかもしれないが、例えばスカイプなんかを用いて、数学科の大学院生なんかにお願いして指導してもらうとかいうのは、本当に人件費が一部しかかからない。金の部分に関しては、一律的な配分というよりも、やはりテーマに沿った配分というのを文部科学省の方で考えていただいて、例えば科研費みたいなとか、そういう研究課題ごとの評価というのはなかなか難しいかもしれないが、数理探究を実施するに当たってのテーマを決めていただいて、その中である程度の傾斜配分があってもいいのではないか。
(大学、研究機関、企業等との連携)
○ 企業のスペシャリストや、博物館や科学館の人が、数理探究スペシャリストという形でかかわっていくととてもよいのではないか。
○ 博物館や大学がない地方もあるので、そういうところでは企業の活用などを考えるべき。
○ スーパーティーチャーがいる学校では、一方で、その先生は猛烈な負担をかけられているはず。疲弊しないシステムを作っていくため、大学との連携の在り方みたいなのをつないで全国に広げるようなシステムが必要ではないか。
○ スーパーティーチャーがいなくてもSSHを成り立たせるためには、大学、企業に頼ろうということに行き着いた。連携協定を結んで、どんどん出向いていったり、あるいはおいでいただいてレクチャーしていただいたり、実際実験を見ていただいたり、御指導いただくというような連携がうまくとることができたら、非常にスムーズにいく。生徒も非常に意識レベルが高まる。大学、研究機関と連携をして力添えを頂くというのが、課題研究には欠かせない。
(評価、顕彰の仕組み)
○ 科学の甲子園のような形で探究心を生徒たちにあおるというしくみが、アメリカではどうなっているかというと、生徒たちは探究心があるということだけで大学に入れるわけである。かつそこに、民間の寄附なり、奨学金なり、それが年間200万も付くようなプロセスになっている。それで、その大会で頑張って大学に行くぞと。挑戦するための大きなニンジンがぶら下がっている。競技種目的な意味合いもある面では必要である。
(大学との接続における適切な評価)
○ 数学活用や理数科の課題研究が、現実にはそれがほとんど行われていない。原因は、大学入試、あるいは教科書であり、その中身をどうするかが大きいのではないかと思う。教科書を作るのか作らないか、作るとしてもどう作るのかとか、評価をどうするのかとか、そして、大学入試の部分をどうするのかということは、実はこの科目が実際に運用されて現場で活用されていくのに当たって大きな要因になってくるのではないか。
○  高2、高3でやるのなら、大学進学に対して何らかの影響を与えるようなものとならないと広がらないだろう。
○ 相当気を使わなければならないのは、入試の科目としてこれが入ってくるときに、どのような内容を試験問題として作っていくかということ。相当工夫をしないと、結局は探究活動はどこかへ飛んでいってしまうので、今後十分に検討をしていく必要があるのではないか。
○ 科学の甲子園のペーパーテスト問題を御覧いただくと、独立した一つの分野、物理や地学などそれだけで解けるような問題は数少ない。総力戦で、それもチームで解いていくというふうな形になっていて、イメージとしては、科学の甲子園のペーパーテストの問題のようなものを出すと数理探究の問題になってくるのかなと感じている。
○ 例えば、探究活動としての最終的なまとめとして小論文を個人に課し、小論文を選考材料としてAO入試の中の何%かは取っていただくことが必要ではないか。

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