高等学校の数学・理科にわたる探究的科目の在り方に関する特別チーム(第2回)における主な意見

1.数理探究の基本的な考え方

◯教材作りの難しさとも関連するのだが、自分で何かをした経験は非常に大事で、教育現場でもすごくそれをお感じになっていると思う。数理探究を見ると、やや大目的が高いところにある。独創性を持ってというか、まさに研究の最先端とまでは行かないけれども、それのミニチュア版みたいなものを実施するという感じになるが、これは難しい気がする。自分自身が卒論指導をしていると分かるが、初めは気乗りしなくて、何をやっていいかよく分からなくても、何か先行研究を一つでも調べると、それをきっかけとして一気に進むケースというのがある。そこは必ずしも創造的ではなくてよい。当然、先行研究があり、そこから入るので、目的はよいものとなるが、周りの人がいるとかなり高いところに設定してしまい空回りする可能性があるので、現場の教材レベルでは本当に、先行研究はとりあえず自分自身でデュプリケートするというのでもいいような気がする。ただし、学んでいる生徒本人にそれが伝わると、またやらされている感が出るので、種明かし的に、教員サイドは知っているというようにやってもらうとよい。

◯この間、ある高校の方から、総合的学習に関連したようなことで、社会科学関係で研究をしている、5人ぐらいの高校生の方が来て、話して驚いたのは、いわゆる女性のファッションと女性の社会進出の関係をテーマとしていたのだが、「ジェンダーの観点から言うとどうなのか」という質問をしたときに、「ジェンダー」という用語を知らなかった。それはどうしてかと聞くと、担当教員が必ずしも専門ではないので、どうしても基本的なキーワードを指導されていないまま進んでいるようであった。それを考えると、本当に総掛かりでやれば研究の最先端的なことはできるが、現場でできないときに、いわゆる先行研究のミニチュアみたいなものをデータベース化する。PDFをアップロードするようなところがあって、インデックスさえ付いていれば、これと似たようなことをやってみようという形で、生徒の中でも、やる気に火が付いて、やってくれるのではないか。また、大目標を余り高いところにしない方がいいかと思う。

○数理探究というのは「数学と理科の知識や技能を総合的に活用して主体的な探究活動を行う新たな選択科目」ということで、これをどうやって科目として体系化していくかということが、一つ大事な観点である。その中で、数学と理科、参考資料にもまとめていただいたように、探究活動としてのフローがあると思う。それを例えば数学と理科で個別にやる中で、これを総合していく数理探究なので、共通項がどこかということと、これを新たに科目にするということは、その固有の視点がどこにあるかということだと思う。数学と理科を統合して探究活動をする際の一つの大事なことというのは、実験とか観察を通して出てきたデータというものをどうやって分析するかということだと思う。そこにはやはり数学的な力が入ってくるので、理科で個々の科目で例えばテーマで設定するなりで、自分たちが理科などで培った知識とともに実験をすることによって、いったんデータを通して分析して結論を導いていくという過程というのは、この科目特有のものになるのではないかと思う。また、この四つの視点の挑戦性、統合性、融合性、国際性の中の統合性、融合性、ある意味、各教科の縦串と数理探究としての横串がどういうようになっているのかが今後焦点にはなるかと思うので、整理していくことが大事である。

○理念は本当にすばらしく、挑戦性という言葉とか、総合性、融合性ということも、全てこのとおりだと思う。目指すべきところはそういうところだと思うが、現実問題として、なかなか難しい部分がある。我々が目指したいところは、内容的なことではなく、高校卒業後にもっと研究をやり続けたい、これが好きでたまらない、そういう知的好奇心や科学的好奇心であり、それをいかに培うかということだと思う。

○次の学習指導要領に向けてアクティブ・ラーニング等による学習、つまり単なる暗記・適用などの受動的なものではない主体的・協働的な学習、そのような学習を次の学習指導要領は狙っていることが全面的に打ち出されているが、高等学校におけるフロントランナー的な存在意義がこの数理探究にあると思っている。現実には新テストでどの程度カラーが変わっていくかは分からないが、やはり大学受験に引きずられる傾向のある高等学校現場において、それを少しでもそういった方向に持っていく、まさにそのフロントランナー的な役割を数理探究できればよいと感じている。それで言うと、内容・知識よりも、進め方・学び方というところが重点的に強調されるべきであると思う。「高度」というときの「高度」の中身は、知識が高度なのではなくて、勉強の学び方が高度だというような捉え方をした方が良いのではないか。

○理数科の先生にどのように理数科における課題研究をやっているのかを聞いたことがある。その学校はSSHには指定されていないが、そのような学校の理数科で課題研究をどういうふうにやっているか聞いたところ、学年で何人かの数学と理科の先生がおり、2時間続きの時間割が設定されて、その中で数学と理科の先生が協力し合いながら、プチ課題研究のようなものをやっているという話を聞いた。そういう話を聞くと、現行の理数科においても、非常にやっているところは少ないけれど、やっているところはそれなりの規模でやっている。担当している先生も、結構面白いという話をしていた。そう考えると、今、SSHがやっている非常に大掛かりな課題研究と、一方では、余り全国的に取り組まれていない理数科や理科でも課題研究が入っているが、そういう課題研究とは、その中間ぐらいのところで、次の学習指導要領でより多くの高校生が学べるような科目として位置づくと良いと思う。

○一番懸念というか、相当気を使わなければならないのは、入試のテストの科目としてこれが入ってくるときに、どのような内容を試験問題として作っていくかということ。相当工夫をしないと、結局はその探究活動はどこかへ飛んでいってしまうので、そこの部分についても十分に今後検討をしていく必要があるのではないかと思う。

○理念ないし背骨となるものをうまく最初に作らなければいけないという宿題があって、その間を行ったり来たりしているが、もう少し理念的な方に戻って考えると、先ほど御説明いただいた参考資料3に「理科教育のイメージ(案))というのが一枚あったが、高校の一番目のところに「高度:explore Science》」とあり、理数科、数理探究を見据えた、理念的な言葉が書いてある。「科学的課題に徹底的に向き合い、考え抜いて行動する態度を養う。科学的な探究能力を活用して、専門的な知識と技能の深化・統合化を図るとともに、自発的・創造的な力を養う。科学的な探究能力の育成を主体的に図ることができる「課題研究」を充実させる」。まさによくまとめられているなと思った。言うなれば、知的好奇心を刺激して高めるといったことがここに入れば、これはかなり理念的な文章になっていくのではないかと感じた。

○結局、理想論と現実論というのはいつまでたっても残るということは、はっきりしているのではないかと思う。違和感があるのは、国際性という言葉であり、もちろん立命館高等学校のように外国と交流するとか、シンガポールに行くとか、それは十分いいのだが、サイエンスというのはもともと国際的であろうはずがなく、国がないものがどうやって国際的になるのだろうかと思う。今の議論でも、総合性、融合性、挑戦性とは少し違う。一方では手法であり、一方では結論である。結果としてコロラリーと出てくるものであろうと思う。また、三つの観点がありますね。知識・技能から始まって、思考力・判断力、表現力、最後に情意・態度となっているが、情意とはどこから出てきた言葉なのか。主体的な学びであったら分かるが、単に情意という言葉に少し違和感がある。

○資料4で理念をいろいろ書いているのは、すごく共感する。ただ、挑戦性とか、質の高いアイデアの創発は、非常に難しいので、これはこれで大目標としておいて、落とし込むところになったときには、自分の手でやってみる、ハンズオン感覚で試してみる、グラフをプロットすることを試してみるという、もう一回、小学校時代の知的好奇心をフリーにしてあげるという体験が大事である。資料4のところに、方法論は大事であり、自分の手でやってみるという観点がこの科目の性質として加わると、現場でも受け入れやすいし、イメージがわくのではないか。

○体系化をどうするかということはあるが、探究していくという科目の性質上、余り縦串・横串で整理すると、それはまた知識型になってしまうので、やはり集合知のようにいろんなケーススタディーにすぐにアクセスできるようなところがあればよいかと考える。

2.数理探究の取組方法・条件整備

○SSHでは課題研究をやらなければならないので、理数科の40名を数学・理科の教員を総動員し、英語の教員も加わり、シンガポールに行っており、シンガポールの非常にレベルの高い高校において英語で発表している。総動員で理数科を指導しても、本当に大変な状況がある。まして、普通の科目の場合は一人で40人を担当するので、一人で40人の課題研究を指導するというのは非常に難しい。また、高校の数学、理科、英語の先生方が寄ってたかっても、最先端の研究を指導することはできない。できないから、大学や企業の研究所に泣きついており、泣きついたところ快く協力していただいている大学・企業がたくさんあって、本当に助かっている。したがって、課題研究は、そう簡単にはいかない。

○指導のノウハウが確立してないということについては、教師は、最先端の内容について、どんな論文があるか、どんな先行研究があるかについては十分把握できないが、指導のときに重要な資質・能力については、だんだん身に付いてきた。本校の場合は八つのポイントがあり、一つ目は、科学的に解決できる課題を見付ける力。二番目に、課題を見付けたら、今度は、その状況をよく、自然を偏りのない目で見る力。例えば、宗教的に偏った考え方とか、偏った目で見ると、研究にならない。偏りのない目で見る力が二番目。三番目は、自然の事物・現象を実験・観察・調査等により調べる力。次に、仮説を立てて検証する力。その次に、調べた結果を幾つか表現する。例えば、論理的に判断・思考する力、それから、図表・グラフによって表現する力、調べた結果を数式化する力。数学で数式化しないとどうしても解決できないものがある。それから、調べた結果をモデル化する力、結論を導く力、それを表現する力というようなことに整理でき、この指導は高校の教員ができるようになってきた。したがって、最先端の内容については本当に専門家に聞くしかないが、今の段階を踏まえて、過程を踏まえて、整理をして、発表する、表現するところまではできてきたということが言えると思うので、数理探究では、課題を解決するステップをいかにトレースさせるかということが一番重要だと思う。そのときに適切な教材を提供する。指導要領では多分例示することになると思うが、適切な教材を例示することになるかと思う。

○履修率が非常に低いことを解決する一つの策としては、総合的な学習の時間があるが、これと数理探究が目指すものは、ほぼニアリー・イコールだと思う。課題を見付け、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、よりよく問題を解決する資質や能力。したがって、是非これは代替していただかないと教育課程に入らない。今、高等学校では、普通科で週33時間以上やっている学校が約40%ある。全国普通科高校長会で、全国調査をしたが、1週間、6時間でずっと終わるという、週30時間は少数派である。皆仕方なく33時間以上やっているという状況で、数理探究が入るかというと、入らない。であれば、狙いが同じ総合的な学習の時間の代替が必要である。今、課題研究は代替できることになっているので、代替を是非うたっていただかないと困ると思う。

○数理探究であり、自然の摂理をいかに理解するかというところが、大きなフォーカスすべき点だと思うが、一方で、全て何でもオーケーだということになると、実施する方もなかなか難しく、また、数理探究のイメージが湧かない先生もたくさんいると思う。そういう中で、例えば、我々、インドの教科書調査をずっとやっているのだが、インドの教科書というのは、政策要請とか産業要請の内容を酌み取ったような教科書ができている。それがいい悪いは別として、フィールドをある程度絞り込むとことが必要。学習指導要領の教材の例示のところはある程度、政策要請並びに産業要請のところを重点に置いてもいいのではないかと感じている。何でもやっていいということになると、余りにもフィールドが大きくなり過ぎて、今度は深さが出てこないというところが見て取れるので、当然のことながら、学力評価テストに組み込むということまで含めると、ある程度フィールドを絞り込んだ方がいいのではないか感じている。

○自分で見たり、体験したり、そして得たデータというのを自分で扱って、それがうまくいくか、いかないかは別として、とにかくそこで何か自分で生み出してという過程が感動を与えるのではないかと思っており、テキストブックに既に例示されたものがあり、それ通りに行って答えが出たというのでは、感動は非常に薄れてしまう。どういう形でもいいので、例えば、1週間に一回そういう科目ができなければ、大学であればセミナーみたいな形でエキストラの時間に興味のある生徒だけを集めて講義をといったことを行うのだが、そういった形でも少数の人を集めて授業ができて、そういう形で指導ができれば。全員やろうなんていうのは難しいのは現実的に分かるが、実際に何か手を下して自分で自らやるということが、私は大事だと感じている。

○SSHは成果が出てきているので、これを教科として浸透させていくということが大事だと思うが、実際にこれを具体的に実践する際に、選択する人が少ないということもあって、実践する規模感を具体的にしていくことが大事なのではないかと思う。例えばSSHでは一年生からやって、二年で探究、学校によっては三年生が始まる前ぐらいに発表をするとか、選抜された生徒は夏休みに全国大会で発表するということもあるので、一年単位ではなくて、割と長い単位でやっているので、年数をどうするかということがある。また、SSHでは、大体40名とか、比較的少ない生徒を対象としているが、それを本当に全校生徒に対してやるのか。多分これは選択科目になると思うが、選択するにしても、どれぐらいの人数なのか。それに対して、指導できる先生が何人ぐらいいるのか。それをどういう場でやるか。例えば、実験室とかがきちんとあるのかとか、調査も必要でありインターネットのアクセスとか、そういう環境がどうなのか。大学若しくは企業と連携する場がきちんと設定されているのか。学校によってもいろいろ異なると思うが、大体の規模感というのを持ってある程度現実的に詰めていかないと、実験をやって分析するというのは大事なのですけれども、それが本当にできるのかということにも関わってくるので、全体としての規模感を持った中である程度具体的に詰めていくということも大事なのではないか。

○内容的にどういう範囲ということよりも、探究プロセスをどう子供たちに体験させるか、短い時間の中でどう体験させるかというところが大事になってくると思う。研究は、そう簡単にはできない。そもそも教員自身が、教員になってからやったことがない。その現実の中で課題を設定するという大問題に立ち向かわなければいけないということになると、少し現実的な話になり、私は、探究はツーサイクル目が大事だと思うが、ワンサイクル目は疑似体験となる。前回もデモンストレーションのような話がありましたけれども、テーマもある程度限定したことをやっていく中で、数学の統計的な知識とか、微積の知識とかを入れつつ、探究の疑似体験をする。ツーサイクル目に、これは少々の失敗も含めて、そういう体験を今度は個人的にやってみる。デモンストレーションのときには、グループなんかでやってみる。ツーサイクル目に、時間的な制約はあるのですけれども、何とか個人でやらせてみる。そのための準備を第一段階でやってみるというようなところが現実的ではないか。そう考えると数理探究で求められる資質・能力というのは、知識・技能面では、どうやって探究を進めていくかという知識であって、どうやってやれば進めていけるかということをいかに分かっているかということだと思う。一番大事なのは、探究プロセスを体験の中でつかんでいくこと。すなわち、探究の意味や面白さとか、これをやっていくとどこにつながるのかとか、それを体験の中でつかんでいく、探究プロセスが体として分かるというところが、一番の目的であると思う。その結果、知的好奇心が生まれてくると考える。

○生徒にどういう資質・能力を身に付けさせるか、それから探究のプロセスをトレースさせるかというのが重要だという話もあったが、生徒よりも高校の先生が新教科の数理探究が面白いと思わないと、開講されない。校長の権限では、開講しろというのは、なかなか難しい。高校の先生方が、今度新しくできた数理探究、是非うちの生徒には必要だからやらせたいと思うような、面白そうだというように持っていかないといけない。そういうものも委員の先生方の知恵を集めて盛り込んでいかないと、0.2%しか履修してないとか、そういうことになってはいけないと思う。本校は、最初、SSHで課題研究をやったときに、先生方は本当に顔が真っ青だった。できればやりたくない、何でこんなのをやらなきゃいけないのか、という様子だったが、まずは生徒への動機付け。研究したい、やってみたいという気持ちを起こさせるために、とにかく先生方が好きなところに連れていけということで、SSH1,300万の予算の何百万もそれに使った。1年次には、バスを仕立てて様々な研究所・大学等にお伺いし、先端の研究を見る、あるいは実際にやらせていただくというのをやっていったところ、先生方が気に入って、自分で選んだ大学とか企業とかに行くので、先生方は面白くて、これは知らなかったと、今度の授業にも生かせるというようなことで、先生方がすごく好きになった。いろんなこと、幅広い分野をやったので、生徒もまた好きになって、これが課題研究の動機付けになって、いい方向で回っていって、なおかつ、訪問したところが、協力してくれて、生徒も喜んでやっているという状況も出てきた。

○環境整備でインターネットへのアクセスが、いろいろなものを調べるときに必要ではないかという意見があったが、まさにそのとおりで、理数科を立ち上げるのにインターネットの環境は絶対必要なので、独自に県と交渉して約200万の予算を取り、インターネットの環境を整備した。SSHのパソコンを持ってすぐ調べ学習ができて、すぐに発表ができるという状態にしたのだが、環境整備というのは、本気で課題研究をやる場合は絶対必要になってくる。数理探究では、それができるかというと、極めて難しい。高校の例えば理科の予算はどれぐらいあるかというと、年間数十万しかない。それでやるということになると、それは理科でも足らないぐらいであり、予算を新たに回してくれることは多分ないと思うので、予算のないところでやらなきゃいけない。また、時間の制約や指導者の問題。それから、一番大事だと思っているのは、実は数学の位置付けである。理科のデータをグラフ化したり、処理したりするだけの数学であってはならないということで、本校では数学の課題研究をとにかく探そうとしているが、今年、シンガポールに行って二十数件発表しているものの、数学は1件である。新たに研究する内容が見つからない。そうであってはならないので、数学の明確な位置付けというか、数学を前面に出したような数理探究の骨組みを作る必要があると思っている。

○SSHの方は、生徒がのめり込んで課題研究をやるようになると、だんだん保護者が応援してくれなくなる。一年で基盤作り、二年、三年でのめり込んでやると、受験勉強をせずに、調査したり、研究したり、実験したりしている。これでは大学に通らないということで、保護者からのクレームがだんだん増えてくる。

○本当に予算の組立てがない限り、SSHの活動はやはり無理だと思う。高大連携のSSHは、大学の意識で理系の研究は金を使うからという考えであり、逆に言うと、大学に行く意味も、生徒は、SSHを通じて大学に進学したならば、すばらしい機械が使えるから継続して研究しようという意識もある。今までのSSHは、金銭的な補?があって、生徒の研究をできた背景があったと思う。金銭的、設備的な補?がないまま、それを教科内に組み込むとなれば、もっと根本的に生徒の立場に立たないと駄目だと思う。生徒は元来自然が育む様々な現象に対して疑問を持っている。小学校まではそれがあって、だんだんと、中学、高校になるに従って、これはこういうことだって断定調で教わり、挫折感を味わって、探究心が欠落してしまう。それの最たるところで、理系離れというのがある。だから、もっと探究プロセスを見い出せるファンダメンタル、まさに基礎的なところに立ち返らないといけない。今の教育現場はそういう次元に行っていない。本校で言えば、有効数字の扱い、あるいは、グラフのプロットさえ、実は打てない。何か観察・実験結果から具体的にこういうふうになるのだと示すこと、教科書のその辺りのところから始めないと、今の生徒は情報化が進展しているが故に、ほとんど自分の手を汚さない。だから探究的にならない。探究心の芽は、逆に言うとパソコンを見れば全部解決されているという時代だから、もっと数学的な泥臭いところにちょっと立ち返らないといけないのではないか。

○理念的に言えば、こういう探究的な科目を作ることの一番重要性というのは、お金の問題は別として、子供が主体的に何かをやろうというのをみんなで支えてあげるということだろうと思う。そうすると、当然のことながら、実施上は、大学や企業とのコンソーシアムとか、協力関係とか、もう少し広いネットワークとか、そういうものが必要になってくるというのは、皆さんの意見の中から出てきたことだろうと思っている。こういう探究型の科目というのを作っていくときに、ある規模感を持って始めるのか、おずおずと始めていって将来的に大きくすることを目指すのか、それは基本的な考え方だろうと思う。いい例が固まれば、みんなやりたいと思うが、一遍にこれだけでやるぞというと、なかなかうまくいかない。どこかで一つ整理を付けておいた方がいいのではないか。

○理想を実現するために、現状がどうなっているかということで、例えば、現場としてお金がない中で、多くの生徒や教員も含めて、これに取り掛かってもらうためにはどうするかということを、規模感と言った。

○例えば、参考資料4について、別の知識や技能、思考力・判断力・表現力、学びに向かう力、人間性等という、この三つの観点でまとめられている。例えば、この新しい数理探究というのは幾つかのポイントがあって、数学と理科ということと、それを軸にしながら探究活動をするということがあると思う。そういう枠組みでこの資料4に基づいて考えると、いわゆる探究活動は、思考力・判断力・表現力ということと、学びに向かう力、人間性を強化するような活動に向けてどうするかということで、これは先ほどから出てきている規模感と関係するのか。ただ、新しい教科を作るためのいわゆる理念、これをそのための骨組みとして考えたときに、数学と理科を融合するということに対して個別の知能や技能というのはどういうものが必要なのかというのが、小中高の縦串と、理科と数学という横串でどうするかという、ある程度、知識レベルの整理も、新しい教科として作るので、それを少し考えた上で、それをどうやって探究活動に結び付けていくかというプロセスというか、やはり理念としては、新しい教科としての知識・技能は何かということだと思う。それをもう少し具体的に考えてもよいのではないか。

3.SSHについて

○かなり時間がたった後も理数に対する、研究面や大学院に行くモチベーションが非常に高い学生が多いというデータや、実際に効果が上がっているというデータを、初めて私は目にしたが、その理由を考えると、理科的な研究をすることが面白いと、好きだという動機付けがそこにあって、高校でSSHをやって、それ以来ずっとそういうことに接してきて、そういうものが面白いと感じたことが非常に大事で、小中高と上がるに従って、もともといろんな自然現象とか理科が好きだという生徒がどんどん減っていく。それはいろんな理由があるのだろうが、SSHをやることによってそういうものが面白いというモチベーションがずっと保たれたというのは、非常に大事なことだと思う。

○理工系に進む学生というのは、就職のこともあって修士課程に進むというのが多い。問題は、今、博士課程への進学が全国的に非常に落ちているので、実際に博士課程に進学するというのは7年後になるので、比較的多くの学生が修士課程に進んでいる中で、今、大体80%ということだが、この人たちが2年後にどの程度博士課程に進むのかというのを是非データとして、追跡していただきたい。

○平成25年2月から平成26年1月に、関西、北陸のSSH指定校で、研究協議会を行った。提言というまとめ方をしたわけだが、分かったこととして四点挙げている。一点目は、高大連携によって進路における目標が明確になって、子供たちは学習意欲が非常に大きく向上している。二点目は、探究活動を重視した課題研究に取り組む中で、あえて探究活動と言っているのは、その当時、課題研究を見よう見まねでやって、必ずしも探究的なものばかりではないということで、探究的な活動を重視した課題に取り組む中で、思考力、コミュニケーション力、表現力等が総合的に高まっている。三点目は、SSH事業というものは理数以外の教員にも影響を与え、授業中のグループ活動や討論の割合、あるいは定期試験等でも論述を見る問題の割合が大きくなった。大きく変化していった。授業の改善が学校全体で進んでいる。四点目としては、こういった高校時代の高大連携の体験とか探究活動を重視した課題研究の学習が、大学入学後、積極的に学習あるいは研究を進める上で良い影響を与えている。同時に課題も見えてきて、思考力・判断力・表現力に加えて、課題設定能力とか分野俯瞰力といった、単なる知識量でない能力の評価法と、それを伸ばす方法についての研究と実践を継続して行う必要があるということだった。また、そこに参加した学校のある程度共通した考えとして、今後の学校経営の中でSSH事業を考えるポイントとして、二つの視点がある。まず、全ての生徒を課題研究の対象にする必要があること。理数科対象から、普通科への拡大。文理の枠を超えた普及。つまり、水平展開をどうしていくのか。当然ここには課題があって、指導力のある教員の育成とか、全ての教員が関わる校内体制の確立とか、カリキュラム編成の困難さ、あるいは、施設・設備の不足、予算の問題、最も私どもが言っているのは、育成すべき生徒像の共有化がなかなかできないといったことが、課題としてあるだろうと思っている。二つ目のポイントとしては、三年を対象にした課題研究の設定がやはり必要だろうということ。一、二年生で課題研究の指導を通じて成果を上げたことを三年においても継続させ、特に希望する生徒にはよりレベルの高い課題研究を続ける保証をしていく方がいいだろう。つまり、垂直展開をどういう形で行っていくのか。このことについても、受験指導との関係で保護者・生徒の理解を得ることが難しい。あるいは、その前に教員間の理解を得ることが困難。よりレベルの高い課題研究を指導する教員がいない。高大連携・高大接続の制度としての確立が、課題として確認されていた。

○様々な課題を克服して、少数だが、全ての生徒を対象に一年から三年までの課題研究を設定するSSH指定校ができている。また、28年度に向けての改革を進めている学校が、私の知っている限りでも、二桁ある。そうした学校では、様々な課題を克服するとともに、時間を掛けて、少なくとも校内でそれぞれの学校が目指す育成すべき生徒像を明確にし、教員間で共有する努力が行われている。いずれにしても、一つの考え方として、こうした努力をして実現している学校があるということであるならば、ここのところをより具体的に検証していく必要があるだろう。なぜここが成功しているのかということを、もう少し私たちは、量的に見ることも必要だが、進めていく上での質的な問題点としての検証を具体化していく必要があると考えている。

○SSHがすばらしいのは事実だが、それは、資料にもあるように、大きな予算と、それ以上にスーパーティーチャーのような人が出てきているというようなことがある。それほど高度なものでなくて、日常的にあるものを、若しくは既に知られているものであっても、それを解決すればというふうに見てみると、既に、実際、高校で普通にやっている科目自体が本来そういうもので、わざわざ探究というものを作るところが、それは、新しい科目を作るべきなのか、新しい教え方をすべきなのかというのも、よく分からない気持ちにだんだんなってくる。あと、予算が恐らくないであろう、特に高度な器具を使った実験もできないだろうということで、確かに数学的な泥臭いことをやるというのは一つの回答になり得るのかなと思う。ただ、どういうふうに問題を設定するのかというのも見えないので発言できなかったのだが、自然現象を観測して、それをまとめてというのはある意味でやりやすい。日常的にあふれているものを数学の言葉にして、それをグループでディスカッションして自分の言葉で表現するとか、そういうことであれば、ひょっとしたらできるのかもしれないなと思う。

○資料2の7ページの図表3.1.3にSSHのおかげでどれだけ大学院に進学したかという数字が載っていて、こういうのはすごく大事だと思う。これを見ると、SSHで大学ランクの上の方に行っている人たちと大学生一般を比較して進学率が上でもちょっと眉唾になってしまうのだが、この辺、もっといいデータを長年蓄積していただければ、現場の先生方、あるいは保護者さんにも、サポートいただけるかなと思う。

4.入試への対応について

○科学の甲子園のペーパーテスト問題を御覧いただくと、独立した一つの分野、物理なら物理、地学なら地学とか、それだけで解けるような問題は数少ない。総力戦で、それもチームで解いていくというふうな形になっていて、多分、イメージとしては、科学の甲子園のペーパーテストの問題のようなものを出すと数理探究の問題になってくるのかなと感じている。
また、世界的な視野で、科学の甲子園の原本(探究的な実技競技種目)というのがどういうふうなものになっているかということに興味を持ったが、探究心をこういうふうに生徒たちにあおるという最終目標がアメリカはどうなっているかというと、要するに、生徒たちは探究心があるということだけで大学に入れるわけである。なおかつそこに、民間の寄附なり、奨学金なり、それが年間200万も付くような、アメリカのそういうふうなプロセスになっている。それで、その大会で頑張って大学に行くぞと。ですから、ある面では挑戦するための大きなニンジンがぶら下がっている。それですごくやる気を出して、国家体制でアメリカ等が動かしている。だから、競技種目的な意味合いもある面では必要である。数理探究には地道な努力も必要だが、そういうふうなことも入れていただくと助かる。例えば、科目の探究活動としての最終的なまとめ項目として、学内で探究心の集大成として小論文を個人に課し、最終的なプロセスは変わりないが、応用分野の方で見いだした小論文を選考材料として大学側はAO入試の中の何%かは絶対に取っていただくとか。そうでもしないと、この科目は多分、現場に普及しないと思う。

○大学入試に入れるということだと、どんな問題を作るのかなということも興味があるが、それ以上に客観性を持って採点するとしたら、どうやって採点するのだろうかとか、皆さんの御意見を聞けば聞くほど、問題が分からなくなってきた。やった方がいいということはありつつ、しかも、できない理由というのも幾つかもう挙がっていて、でも、それに対する答えが余り提供されていないような気がする。

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