教育課程部会 芸術ワーキンググループ(第6回) 議事要旨

1.日時

平成28年2月23日(火曜日) 15時10分~17時00分

2.場所

文部科学省3F2特別会議室

3.議題

  1. 芸術教育の改善充実について
  2. その他

4.議事要旨

1.芸術系科目を通じて育成すべき資質・能力について

芸術系科目において育成すべき資質・能力と指導内容との関係について

生活や社会における働き

 芸術系科目で教え、学んだことが、人生において役に立つということはどういうことかというと、世の中にある、芸術や美術、音楽などと自分との関わりを築いていけるようになることであり、それは芸術教育で求めることの本質であると思う。

 これまでは、授業を積み重ねていけば、やがて音楽を愛好する心情は育つだろう、やがて音楽学習の経験が生活を明るいものにしていくために役立ったことに気付くだろうといった予定調和を期待していたところがあった。しかし今後は、予定調和を期待して終わるのではなく、この授業で学んだことはこういうことだ、今日の授業で経験したことがこれからの生活の中でこんなかたちできっと生きてくる、という位置付けを学習の中に組み込んでいく必要があると思う。

 子供たちが何かを学ぶ時は、それが社会に有効かどうかを考えたりしているわけではない。特に芸術は、それが本当に子供たちの人生にとって有効になっていくには時間がかかる。大切なのは、子供たちの興味や関心をいかに刺激できるか、子供たちが将来的に芸術を面白い、好きだと思えるきっかけを与えることである。

 子供たちが、芸術と社会をつなげて考えることは難しいので、まずは、授業の中での学習が、学校の中の授業外のところとどのようにつながっているかを考えてはどうか。例えば、子供たちが授業で学んだことを学校生活の中で表現し、喜ばれたり言葉をかけられたりする経験ができるよう、学校現場で取り組めるといいと思う。これは、学校自体が、学校で学んでいることをいかに社会とつなげて考えていけるかという意識をもつことでもある。

 「普段の生活や社会に出て役に立つ」という質問と回答からは、子供たちがどういう意味で役に立つと考えたのかが分からない。役に立つといっても、お金儲けのことかもしれないので、アンケートの結果については、回答の意味がどこにあるのかを考える必要がある。

 図画工作科を学習すれば普段の生活や社会に出て役立つということに、肯定的に回答した児童が60%いたことは、逆に、すごいことだと思う。60%に改善したのは、現行の学習指導要領で共通事項が示されたことにより、資質・能力を育てるという現場の教師の意識が高まり、それが児童に伝わった成果だと思う。

 芸術系科目は、まさに「社会に開かれた教育課程」として、教室の中の閉じた人間関係にとどまらず、もっと広い身近な人々(学校の教職員や保護者地域の人々)と授業を作っていける教科であり、身近なところから社会に関わる活動をより進めていくことで、子供たちは自己肯定感や深い満足を味わうことができると思う。

 学校の授業は、学校で取り扱わなければ出会うことのできないような音楽に出会うようにするということが、1つの役割だと思う。しかし、生活の中にも素晴らしい音楽というものはあるので、それを学校に取り込んで、再び生活に戻していくという動きがあってもいいと思う。

 役に立つ、役に立たないではなく、授業の中での有用感-なぜそれを学ばなければならないのかという実感のところに、少し弱さを感じている。

 芸術が果たす社会での役割ということを、少なくとも教員に対して、どのような形で伝えていくかということを具体的に考えていく必要があると思う。その中で、芸術で学んだことを学校から地域へ発信していくことが、社会の中での芸術の価値を、地域に知らしめるとともに、子供たちが自覚することにつながるのではないか。

 これからは、「歌がうまく歌えていいね、絵がうまく描けていいね」ではなく、「これを歌ったときにどういう気持ちになるんだろう、これを描いたときにどういう気持ちになるんだろう、それを聞いた人、見た人はどういう気持ちになるんだろう」ということを教師が意識して指導していくことが大事だと思う。

 実際の生活の中には、音楽も美術も書道もあふれている。「いま勉強したことは、実際にこういう生活の中でこんなところに使われているね」などと、身の回りにある芸術に子供たちを気付かせていく細かな指導を重ねていくことが必要だと思う。

 アンケート結果を見て、中学生が生活や社会というものをどこまで実感的に捉えているかについては疑問が残る。学校としては、子供たちが生活を生活として実感できるような取組をしていく必要があると思う。芸術系科目でできることは、芸術という行為を通して表現や鑑賞の活動を進めながら、周囲の環境、ものやことなどと関わる力を育てることだと思う。

 芸術表現を通して作品を生み出した時に、それを見る人がいてはじめて、関わる場面ができる。さらに、そうした行為が価値として受けとめられた時に、子供たちも実感を持ってその意義を理解するだろう。そのような体験が学びを通して実現されることが求められていると思う。それが主体的に社会と関わり、生活の中で生きるということの出発点になると思う。

 子供たちが興味を持つ歌や新しい歌ばかりではなく、例えば、日本語の言葉のエモーショナルなものを触発するような文言の歌や、子供たちの祖父母の世代の歌なども歌ってもらえるといいと思う。自分の歌っている歌を聞いて、祖父母が喜んでくれるという体験は、とても大きいことであり、これは、歌を残す1つの手立てにもなると思う。

 コンピューターなどの出現は、学校教育においても、社会生活や家庭生活においても、大きく物事が変化するきっかけになっている。そんな中で、感性を育てる、感じる心を育てるということが、芸術教育の中で一番重要なことだと思う。

 例えば老人ホームに行って歌うなど、子供たちが社会とつながっている経験をしている場面はたくさんある。ただ、そこに持って行かれたものが、子供たちが知識・技能を駆使して一生懸命考え、主体的に作り上げた音楽なのか、「上手に歌わないといけない」など先生の思いや意図が強く関わり過ぎて、子供たちが「させられ感」の中で作った音楽なのかで大きな違いがある。「いいものを作らないといけない」という先生の思いが、子供たちの自由な学びを妨げたりしていないかを考えることが、非常に大切である。

 子供たち自身は、日常的に音楽をたくさん聞いている。そうした、身の回りにあふれている音楽をもう少しクリティカルに聴く力が付けば、子供たちは、音楽に主体的に関わっていけるのではないかと思う。そのためには、教師自身が授業の中で、学びに向かう力を育てているという意識を持たないと、社会や生活につながらない授業で終わってしまうことになると思う。

 これまでの日本の教育では、題材をただ配列して美術なんだということがなされてきたことが多く、大学生に美術とは何かと問いかけても、実技経験の集積で終わってしまって、芸術とは何かという捉えが浅いと感じる。小中高と色々な経験をするだけでなく、芸術とは何かをしっかりと考える力を培うことも大事だと考える。

 芸術とは何かというような問いを、目標レベルで終わらせるのか、指導事項レベルに取り入れていくのか、あるいはもっと踏み込んで、題材として知らせていくのか、考えていく必要がある。特に、社会と芸術との関わりについての知識、ある種のメタ認知のようなものが指導事項レベルで必要なのかなども考えていく必要がある。

伝統文化

 文化の担い手としての意識を育てるという視点では、例えば、文楽を継承、発展、存続していくためにどうしたらいいかという授業をしたとしても、単にみんなで見に行こう、宣伝を盛り上げよう、といった当たり前の意見だけしか出てこない。そうではなく、音楽の授業として、例えば文楽をしっかり味わい、三業一体を理解したり、そのすばらしさに感動したりという学びの経験を基盤にした上で、文楽の継承、発展、存続にどう自分は寄与できるかを考えなければ、音楽や芸術のもつ本質とはかけ離れた知識の習得だけで終わってしまうのではないか。

 伝統芸術についても、子供たちに関心を持ってもらうための手立てが必要であり、先生たちがそれをどうしたら実現できるようになるかを考えることが大切だと思う。

 いま、世界中から、外国の人たちが日本の文化や芸術を見に来ているが、ある意味、私たちは常に自分たちの伝統文化や芸術、美術の良さを他国の人たちから気付かされていると思う。学校で教える際にも、そのような国際的な視野も踏まえる必要があると思う。

 子供たちにとって、我が国の音楽や郷土の音楽が遠い存在であっては問題がある。生活の中にあって、伝統音楽と共通していたり影響を及ぼし合っていたりする要素、例えば声の出し方や生活様式、日本建築の響きとのかかわりなどを授業でとりあげることも有効だと思う。教材を生活の中に求め、学校で体験的な学習をやってみて、また、生活の中で見直していくような往還があってもいいと思う。

 平仮名、片仮名を学んで、発達段階に応じて漢字を習得して、漢字仮名交じり文として表記していくという、表音文字と表意文字ということで言えば、こんなにスムーズな言語体系を持っている国はないと思う。それを芸術まで昇華させたものが書道であり、日本の持っている文字文化の重要性や価値についての学びを書道の中でもう少し広げていっていいのではないかと思う。

 伝統文化、伝統芸術でいうと、身の回りに、生活に息づいている音楽があるにも関わらず、なかなかそこに子供たちを導いてやれない現状がある。また、先生もその良さをなかなか味わえていないということもある。細かなステップを踏み、システムを整え、体験的な活動などを重ねながら、伝統文化、伝統文化に親しむことができるようにしていくことが大事だと思う。

 琳派という芸術運動の作品には、絵画だけでなく、書や焼き物などもある。それは琳派が生活を豊かにするための芸術運動であり、ふすまや掛け軸、入れ物など日常に使う道具を扱う総合的なものだったからである。また例えば、床の間や書院など畳の部屋という生活の中で残ってきた伝統文化を理解させなければ、掛け軸の理解ができないということもある。我が国の生活の中で育んできた文化を理解するには、1つの教科だけで教えるのではなく、関係する教員が連携することを考えてはどうかと思う。

 書は、非常に幅広く、こんなにたくさん表現できる文字をもっている国はあまりないと思う。例えば2千円札には、篆書、隷書、行書、楷書、変体仮名、仮名など片仮名以外の文字がすべて盛り込まれていて、絵も書もあり、非常に日本の文化に対する考え方が象徴されていると思う。音楽でも同じであり、総合的にという視点が大事だと思う。また、そのためには、先生方に対して、そういった指導ができるような手立てを示す必要があると思う。

 小中学校で学んできたことが、高等学校で書道の学びに生きるように、小中学校の書写においても、伝統的な文字文化へのつながりを踏まえた指導の充実が必要だと思う。

 本物を見てもらいたいと思う。日本の伝統文化や伝統技術の中には、細々としか伝わっていないものが、実は先端をいく技術につながっているということがたくさんある。

 昔に書かれた古典を見て解説を聞いても、生徒たちは単にすごいなということしか思わない。生徒たちに、実際に墨と硯を持って書かせて、自分でもこんな線が書ける、書表現ができるということを実感させ、書の本質に迫ることができれば、平安時代に書かれた古筆にも関心が持てて、表現と鑑賞が結びついていくと思う。そういう学習を通して感性を養うことが、伝統文化を理解することにつながっていて、将来の豊かな情操にもつながっていくと思う。本質を教えていくことが、我が国の伝統文化に触れる心を養うので、指導者の働きはそこが一番大きいと思う。

 学校で教える音楽と子供たちが生活の中で楽しむ音楽というのは違っていていいと思う。学校教育の中で教えてもらいたいのは、日本語のアクセント、句読点、旋律に沿ったメロディーの音楽であり、例えば、昔の歌と今の歌の作られ方の違いなどにも興味を持ってもらえたらいいと思う。

 地域に郷土の音楽がたくさん残っていて、休みの日に子供が歌ったり踊ったりしているにも関わらず、教科書に載っている自分の地元とはかけ離れた音楽だけを授業で扱うなど、地域のいい教材が子供たちにつながらないということがある。我々も、郷土の音楽や我が国の音楽を教材化するという発想をもっと持たなくてはいけないと思う。

 書道については、小中学校の国語科書写から、高等学校で、芸術としての、表現としての美へ昇華していくことが大変難しいので、中学校の段階で、もう少し文字文化的な学習を広げていただけると、中高の学びがうまくつながるのではないかと思う。

 伝統文化をこれからの子供たちに伝える場合、学問的にも現代の解釈で誤ったものを適当に伝えるということになってはいけないと思う。豊かで多様で様々な国を尊重するような、現在の日本の考え方に即したものを子供たちに示すようにすべきで、そのエッセンスを各学校で共有できるようなヒントが与えられればいいのではないかと思う。

その他

 幼児教育では、いま、遊びの中にどう環境を設定するかを先生方が苦心しているところであるが、発達段階とともに、材料や授業という考えの中で、時間軸としての歴史が出てきたり、空間の広がりとして外国では…ということが出てきたりする。このような発達に応じて、文化や伝統を幼小中高のそれぞれの時期において何ができるのかを、体系的に考えていく必要がある。

以上。

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-- 登録:平成29年04月 --