教育課程部会 芸術ワーキンググループ(第6回) 議事録

1.日時

平成28年2月23日(火曜日) 15時10分~17時00分

2.場所

文部科学省3F2特別会議室

3.議題

  1. 芸術教育の改善充実について
  2. その他

4.議事録

【福本主査】
 それでは定刻となりましたので、ただいまより中教審初等中等教育分科会教育課程部会の芸術ワーキンググループの第6回を開催いたします。先ほどの第5回に引き続き、残っていただきましてまことにありがとうございます。第5回の方は、育成すべき資質・能力、それから学習のプロセスについて御意見を伺いました。第6回は、先ほどの3つの柱の箱で言いますと、3つ目にもございますけれども、そこの中に生活や社会における働きであるとか、伝統文化に関してちょっと焦点化をして御意見を頂く予定としております。
 委員として、この第6回からは由紀委員にも参加していただいております。お疲れさまです、よろしくお願いいたします。
 それじゃあ、事務局の方から配付資料について御確認いただきます。

【小林教育課程課課長補佐】
 それでは、配付資料の確認をさせていただきます。この回は、第5回、6回の資料、先ほど第5回の資料がございましたが、今回は第6回の資料を御用意ください。議事次第に記載しておりますとおり、資料1、資料2、資料3、その他机上に参考資料を配付させていただいております。不足等ございましたら、事務局にお申し付けください。
 また、机上にタブレット端末を置いておりますが、その中には本ワーキンググループの審議に当たり、参考となる関係する審議会の答申や関係資料等、データで入れております。詳細は次第の裏面の目次を御覧ください。以上でございます。

【福本主査】
 ありがとうございました。ここからですね、議事に入るんですけれども、第5回の最初にも申しましたけれども、原則公開により議事を進めさせていただくとともに、第6条に基づいて議事録を作成し、原則公開するという扱いにさせていただきますのでよろしくお願いいたします。
 第5回もそうでしたけれども、本日は報道関係者より会議の撮影及び録音の申し出があり、これを許可しておりますので御承知おきください。
 先ほども申し上げましたように、第6回は芸術の生活や社会における働きや伝統文化に関する理解を深める上で必要なことについて、個別の教科で分けてではなくて、一体化して御意見を伺いたいと思っております。
 まず事務局の方からは、一応資料に基づいて説明をしていただいた後、自由討議を行いたいと思います。それでは、今日のこの第6回の資料の1から3について説明の方をお願いいたします。

【小林教育課程課課長補佐】
 すいません、説明に入る前に、第5回の先ほどの資料の書道の学習のプロセスの補足の説明だけさせていただければと思います。第5回の資料1の2でございます。
 先ほど、このプロセス図の中で、副島委員からちょっと質問があった件でございます。うまく表記できていない部分もございまして、真ん中の青い部分で囲った部分が、ここが思考力、判断力、表現力を示すという部分になっておりまして、その真ん中の部分ですね、比較する、選択する、判断する、関連付けるということで、それぞれ表現と鑑賞、これ結び付いているんですけれども、これ結び付いているという趣旨ではなく、それぞれの表現の中で比較する力を使ったり、選択する力を使ったりという形で、それぞれで使う力という形で分けておりまして、特に両者がつながっているというイメージではなかったものですが、ちょっとそういうふうに見えてしまったということもございますので、冒頭恐縮ですが、補足をさせていただきたいと思います。すいません、この資料については以上でございます。
 それで続けて、第6回の資料の説明に移らせていただきます。
 資料の第6回資料1でございます。「図画工作科、美術科、芸術科(美術、工芸)に関する現状について」ということでございます。現状と課題の上下書いておりますが、上段につきましては、前回課題等について紹介させていただいたところでございますが、今回の議論に必要な下の部分の課題について、ちょっと説明させていただきます。
 生活を美しく豊かにする造形や美術の働き、美術文化についての実感的な理解を深め、生活や社会と豊かに関わる態度を育成することが求められているという課題が示されております。これら、その下にあります実際の調査結果等からも、こういった課題というのが出てきているというところでございます。
 2つ目のポツでございますが、図画工作の学習が好きだという質問に、80.3%の児童が肯定的に回答したのに対して、図画工作を学習すれば普段の生活や社会に出て役立つという質問に肯定的に回答した児童は、60%という結果が出ております。
 また、美術文化の理解を深める学習について、約5割が美術文化の継承と創造への関心が高まるような学習に至っていない等の課題を回答しています。
 また、一番下でございますが、美術文化についての理解を深める学習といったことが、単に知識などを学ぶだけにとどまるなど、その価値を尊重し、継承しようとする心情や態度の育成に至っていない現状が見受けられるといったそれぞれの課題がございまして、そこに掲げさせていただいておるところでございます。
 また、前回になりますが、その2枚目でございます。それぞれ豊かな情操の育成を目指した小・中・高等学校修了時の児童生徒の姿ということでございまして、前にそれぞれこちら、図工、美術、芸術、音楽等も含めた形の資料にしておりましたが、今回図画工作、美術科、芸術科ということでまとめさせていただいております。上から高等学校、中学校、小学校、幼児教育というふうになっております。特に、本日議論いただきたい部分でございますが、それぞれ学校種の中の例えば高等学校の芸術科の中でございますが、上から大きな丸の上から3つ目でございます。
 生活や社会の中の美術の働きや、美術文化について深く理解し、美術文化を尊重している。「例えば」となっておりまして、生活や社会を明るく心豊かにする美術の働きについて考え、理解することができる。また、伝統的かつ創造的な日本の美術文化について理解することができる。また、日本及び諸外国の美術文化についての理解を深め、国際社会に生きる日本人としての自覚を高めることができるなどということで、そういった資質・能力というのを示させていただいておりますが、こういったものも参考にしながら、実際にどういったことが必要かということで、特に生活、社会の中の働きといった部分、または伝統文化の部分で意見をいただければと思います。
 続けて、資料2でございます。資料2につきましては、芸術科、書道に関する現状についてということでございます。
 現状と課題、特に3つございまして、真ん中の部分、今回真ん中の部分でございます。書と生活や社会との関わり、書の伝統と文化の理解を深める学習の充実、また書への永続的な愛好心を育むことが求められているという課題が示されております。
 また、その内容としましては、書の伝統と文化についての理解を深める学習については、単に知識などを学ぶだけにとどまる傾向があり、書の美の歴史的背景や諸文化との関連、また生活と社会との関わりなどに視点を当て、その価値を尊重し継承しようとする心情や態度の育成に至っていない現状が見受けられるということが、背景として挙げられております。
 また、そういった課題等も踏まえまして、2枚目でございます。特に芸術科(書道)ということでございまして、高等学校の芸術科(書道)、上から丸の3つ目でございます。生活や社会の中で文字や書の働きや、書の伝統と文化について深く理解し、書の伝統と文化を尊重しているということで、例えばということで挙げておりまして、生活や社会における文字の書の効用を理解することができる。また、書の伝統と文化の広がりや、それが生み出されてきた歴史的背景について理解することができる。また、日本の書の美に対する感性や価値を理解することができるといったことが掲げられております。
 また、中学校、小学校は、国語科の書写と関係するものを挙げております。
 以上が資料2でございます。
 続けて、資料3をお出しください。資料3の1枚目でございます。上段、下段ございまして、下段の方でございます。2つ目、我が国や郷土の伝統音楽に親しみ、一層よさを味わえるようにしていくこと、生活や社会における音や音楽の働きや、音楽文化についての関心や理解を深めていくことが求められるということで、具体的な中身といたしまして、下のポツでございます。
 世界各国の音楽の中から、我が国の音楽を聞き分けることについては、相当数の児童ができているが、我が国の音楽の様々な特徴を捉えていくことには課題があるということ。
 またその下でございますが、日本の歌(唱歌や童歌、民謡など)の指導について、興味・関心の持ちやすさ、身に付きやすさのいずれにおいても、学年が上がるにつれて肯定的に回答した教師の割合が減少し、第6学年の教師における肯定的な回答は5割以下という結果があります。
 また、その下でございますが、音楽の学習が好きだという質問に、68.1%の生徒が肯定的に回答したのに対して、音楽を学習すれば普段の生活や社会に出て役立つという質問に、肯定的に回答した児童は47%という結果が出ております。
 また、音楽文化についての理解を深める学習といったものについては、教師が知識を教えることにとどまり、生徒が実感を伴って音楽文化の意味や価値を理解するまでに至っていない現状が見受けられるという調査結果も出ております。
 続けて資料3の2枚目でございます。こちらも学校種ごとに、上から高等学校、中学校、小学校、幼児教育ということで並べさせていただいております。
 また、高等学校の上から3つ目の丸でございますが、生活や社会の中の音や音楽の働きや音楽文化について、深く理解し尊重するとともに、音楽文化の担い手としての意識を持っているということで、例えばということで、生活や社会との関わりにおいて、TPOに応じた心地よい音環境を求める意識を持っている。また、音楽が伝統や文化などの影響を受けて生み出されてきた意味や価値を理解することができる。また、音楽活動を通して、多様な音楽文化についての意味や価値を理解することができるという、こういった実際の音楽科で育成すべき資質・能力、特に生活や社会の中の音楽の働きといったことなどについて、こういった資料で提示させていただいております。
 また、高等学校、中学校、小学校も同様な形で書かせていただいております。
 これらをもとに、今回は、お互いにこういったことが必要じゃないかということでの意見というのをいただきたいと思っておりますので、是非ともよろしくお願いいたします。以上でございます。

【福本主査】
 ありがとうございました。先ほども申しましたけれども、この2つのテーマですね、それぞれ一応エビデンスベースに何らかの調査等をベースにしながら、いろいろな課題があるというふうなところになっています。これを受けて、このそれぞれの資料の2枚目にもありましたけれども、それぞれの学校種別の修了時にどういったゴールイメージを持つかというふうなところで、こういった芸術と生活や社会における働きとの関係性、それから伝統文化学習との関係について、少し今回はこの2つに絞って、教科を越えてというか、教科別にではなくて、もう一体としてここで意見交換の方を行っていきたいと思っております。
 第5回もそうでしたけれども、御意見のある場合にはあらかじめ名札の方を立てていただきますと、順次指名させていただきます。御発言の際には、マイクのスイッチをオンにしていただいて、発言後にオフにしていただくようお願いいたします。
 それでは、どなたからでも結構ですので、芸術の生活や社会における働きとの関係性というふうなところ、それから伝統文化、いずれも先ほどの3つの柱のあれで言うと、まあ3つ目のところですね、学びに向かう力、人間性等というところにも、こういった文言がそれぞれの教科で入ってきております。こういったところの関係性であっても結構ですし、御自由に発言いただければと思います。いかがでしょうか。

【伊野主査代理】
 いいですか。生活や社会との関係についてです。このアンケートの中でも、日々の生活、普段の生活に授業がつながっているかどうかという点について子供の意識が弱いという結果がでています。これは1つは聞き方のようなものがあるのかもしれません。例えば、体育や算数は毎日の生活に役に立つかと聞かれれば、やっぱり足し算とか引き算って役に立つよなというふうに子供は思います。
 ただもう一つ、私たちが考えなければいけないのは、今日の授業が、家へ帰ったときとかあるいは自分の将来において、本当に子供が役に立つって、あるいは今日、これやってよかったな、自分がこれから生きる上で役に立っていくんだなという実感がやっぱり薄いのではないかということを、深刻に受け止めて、そして考えていく必要があるんじゃないかなと思うんです。
 そのときに、ここでどういうふうな考え方をもって、どういうふうに先生方に示していけばいいのかなというのを、深く議論する必要があると思います。

【福本主査】
 じゃあ宮下委員、お願いします。

【宮下委員】
 今の意見に非常に賛同します。私は家ではしみ抜きの大家と言われていて、しみ抜きがすごくうまいんですけれども、これは確実に小学校5年のときの家庭科の先生に習って、それで褒めていただいた、これが本当に生きているんだと思うのです。一方でこのアンケートは、カラオケのときに音程正しく歌えるかとか、もしかしたら生徒はそういうふうに捉えてアンケートに答えたのかもしれない。
 やっぱり、そういうことはごく一部であって、芸術教科で教え、学んで役に立つということはどういうことかといったら、世の中にある美とか、それから調和とか、それから生活との関わり、何度も言いますけれども、そういうことで、ああ、あそこで音楽でチャイコフスキーの曲を聞いてすごく感動した、何かその気持ちとよく似ているなとか、何かそのような世の中にある芸術、美術、音楽と自分との関わりを築いていけるということが本質だろうと思います。
 一方で、音楽文化の担い手としての意識というのがあるんですけれども、例えば資料3の高等学校のところですけれども、文楽が一時期、文楽劇場の存続に関わって衰退していくかもしれないという危機がありました。それで、鑑賞で文楽を扱って、じゃあ文楽をこれから継承、発展、存続させていくために、どういうことをみんなだったらできるだろうかということをテーマにした授業がありました。けれども生徒は、文楽の学習をしなくても、規範的なこととして言えるんですね、みんなで行こうとか、もっと宣伝を盛り上げたらどうかとか。そうではなくて、音楽の授業で、例えば三業一体というものを理解して、深く味わって、いいなと思ったことなどの経験を基盤にして、もっとこういうふうにしていったら文楽というのは続いていけるのではないか、といった考えをもつこと、つまり、学びが基盤にないと、音楽とは切り離された知識の獲得だけになっていってしまうと思います。
 それから、資質・能力の3つ目のところですけれども、確かにこれは情意、態度等に関わるものというふうに書いてありますけれども、今までもこういうことを扱っていたわけだけれども、1時間、1時間の授業を積み重ねていけば、やがて音楽を愛好する心情は育つだろう、やがて生活が明るいものになっていくだろうという予定調和を期待していたところがあったと思うんです。
 今回、こういうことが3つ目の1つの大きな柱として出てきたということは、確かにこれは関心意欲、態度に関わることだけれども、授業の中で、今学んだことはこういうことなんだよ、生活の中で今日みんなが経験したような音楽によって楽しい気持ちになるということはこれからの生涯においてもあるんだよという、学びの意味を学習の中に位置付けていかないと、予定調和を期待するだけで終わっていってしまうだろうなと思います。そこが今回この3番目の箱の大きなポイントではなかろうかと思います。以上です。

【福本主査】
 はい。それじゃあ、そちらに今3本立っていますので、副島委員、それから順番でお願いできますか。

【逢坂委員】
 最終的には同じなのかもしれないんですけれども、私ちょっと違う意見を述べさせていただきたいなと思います。
 ここに、児童のアンケートの回答率ですよね、児童が何か学ぶときって、それが社会に有効かどうかということを考えていたり、感じたりして学ぶということはないんじゃないかと思うんです。それは大人が教えるから、これはどこかで有効になるというふうに思うことがあるかもしれないんですけれども、児童という、まあ小学生だったら特に、自分がこれが好きと思えるか、楽しいか、何かもっと知りたいか、何かそれを自分なりに深めていきたいかというような興味とか関心を、いかに刺激できるかということが大切であって、特に芸術というのは、本当にそれが自分たちの人生に有効になっていくというのは時間が必要ですね。
 で、小学校で教わったことを全て覚えている人間っていうのは、ものすごく博識家と言われています。でも、私たちは小学校で教わったことはほとんど忘れていると思うんです、自分が関心がある分野以外は。だから、小学生はどちらかというと、全方位的にいろんな引き出しがあるんだよということを知るための一つの手だてとして、いろんな教科を先生方がいろんな分野で教えているんだと思うんです。だから大切なのは、子供たちが関心が持てるかどうか。
 こういう肯定的に回答した児童が、社会に出て役立つって回答した児童が60%だったという、こういうアンケートの結果に縛られちゃいけないと思うんです。そうじゃなくて、こういった数字に、どうしても数字に頼る世界になっているんですけれども、今世の中はなっているんですけれども、そうではなくて、振り返って、長い間人生を振り返ってみたら、例えば歌が嫌いな子だって腹式呼吸を覚えていたら、それがすごくいいことだって年取ってわかるかもしれないし、そういう意味では、将来的に自分が、自分たちが芸術を本当におもしろい、好きだなと思えるような何かきっかけをきちんと与えなきゃいけない。あとは、その一人一人の自助努力といいますか、あまり自助努力って言いたくないけれども、自分たちが本当におもしろいと思わなかったら究めていけないです。
 それは伝統もそうです。伝統芸術はすごくすばらしいですけれども、それを何らかの形で子供たちが関心を持ってもらうためには、やっぱりそれの手だてといいますか、そういう教えるスキルというのはすごく大切なので、私はむしろ現場で非常にこう奮闘される先生方に対して、先生方がそういったことを実現できるような状況を、どうやってつくっていったらいいかなと考える方が大切かなと思います。

【福本主査】
 副島委員の方にお願いできますか。

【副島委員】
 失礼します。生活や社会とのつながりについて学ぶときに、1つの考えとして、学校の授業の中でその具体を取り上げる、つまり、学校の中に生活や社会とのつながりを意識できるものを持ち込んで、子供たちと直接触れ合わせるという方法があるかと思います。もう一つの考えとして、授業の中での芸術教科の学習が、学校の中での授業外の活動とどのようにつながっていくのか、例えば、学校生活に音楽や美術や書道がどのようにつながっていくのかということについて考えるということがあります。子供たちが授業で学んだことを学校の中でそれを表現して、喜んでもらえるとか、先生や友達から言葉をかけられる、そのことをもとにしてコミュニケーションを図ることができるといったようなことです。これをもっと大きく捉えれば、学校で学んでいることを、学校自体がいかに社会とつなげて考えていけるかという意識、学校で学んだことを、子供たちが社会に出て、活用したときに社会とのつながりの中で満足感が得られるか、そういったことをもっと学校の中で意識していかないと、なかなか社会とのつながりということが、子供たちに実感されないのではないかと思います。
 例えば、教科の音楽の授業の中で歌えるようになった歌を、とある老人ホームに行って子供たちが歌ったときに、おじいちゃん、おばあちゃんたちが涙を流して喜ばれる。そういった姿を見たときに、自分達が今、歌っている歌にどういう意味があるのかということを理解できる。このようなことをたくさん経験していかないと、子供たちが芸術と社会とをつなげて考えるのは難しいかなと思います。まずは学校現場で、そういったことができるようになれたらいいかなと思っているところです。以上です。

【福本主査】
 ありがとうございました。それじゃあ、まず市川委員にお願いして、それから福岡委員、山下委員という形でよろしいでしょうか。

【市川委員】
 先ほど宮下先生がおっしゃいましたけれども、私も小学校のときに習った家庭科のおかげで、いまだに運針とかつくろいものもできます。これは、年取ったと言われればそれまでなんですけれども、本当に小・中・高とそういう公教育への感謝というのは、この年になるとやっぱりつくづく自分でもわかってくるんだなと。ちょうど社会や親への感謝と同じですよね、日々生活するのに、そういう教育機関を経なければ今の生活はなかったんだろうと思っています。
 ただ、一方で、ものすごく反省と悔恨の念があるんですね。やっぱり不真面目にやったところは、いまだにもう取り返しがつかないんです。ですから、小・中・高で学んだ全ての教科科目で、何一つ必要のないものはなかったんだというのが、今になって思い知らされることが多いです。
 先ほど、逢坂先生もおっしゃっていましたけれども、子供にアンケート調査をする際に、例えば子供が社会、生活で役に立つということが、どういう意味で役に立つ、あるいはあまり役に立っていないと回答されたかって、そのあたりの細かいところが、ちょっとこのアンケートだけではよくわからない。役に立つといっても、つまりお金もうけできることなのか、すぐこれが社会に出る、大学に入るときに美術、音楽なんか必要じゃないというふうに思って、役立たないと思ったか。児童への質問ですから、まあ小さい小学生あたりを対象とされたんでしょうけれども、そのあたりでその回答の意味がどこにあるかも、私たちつかまなくちゃいけないと思うんですね。
 で、私はやっぱり教育の成果って、30年ぐらいその結果が出てくるのに時間がかかりますから、今改訂に向けていろいろお話をさせていただいているのも、おそらく次期の改訂を経て、30年、40年先の教育に影響のあることを、まあそういう重要なところにいろいろものを話しているんだろうなとは思うんですが、是非そこのところを、あまり短絡的なところではなくて、少し長い目で見なくちゃいけないかと。
 現実にどうでしょうか、今世界中から日本へ向けて日本の文化、芸術、すばらしいということで、押しかけていますよね。でも、私たち、忍者がどれほどすばらしいなんて知りません。外国の人が来て、忍者を見たいとか、御茶ノ水あたりに集まってね、あるいは日本全国の様々な私たちの知らないような文化を探って、自然のよさを目掛けて大勢押し寄せてきているわけですね。だから、それはある意味、私たちは常に何か自分たちの伝統文化とか芸術、美術のよさに他国の方に気付かされている、そういう繰り返しなのかなとも思いますので、学校で教える際にも、そのあたりの国際的な視野もちゃんと踏まえて、取捨選択していく必要もあるのではないかなと思います。

【福本主査】
 それじゃあ、福岡委員。

【福岡委員】
 すいません。2つのことを申し上げます。先にアンケート調査の結果について、私は見たときにごく素直に、図画工作科を学習すれば普段の生活や社会に出て役立つということに、肯定的に回答した児童は60%にとどまったって書いてあるけれども、あ、60%もあったんだと、逆に子供たちってすごいなと思ったんです。もうおもしろいこと、意味のあることに突っ込んでいく、そういう子供たちがなぜだんだんこういうふうにポイントが上がっていったのか、これは改善傾向にあるのかと思ったときに、やはり現場の先生たちのね、そこには努力があったと思うんです。
 で、共通事項が示されたということで、資質・能力を育てているという教師の意識は高まって、これは値打ちがあるんだよ、君たちが、音楽でもそうです、書道でもそうだけれども、それって本当にいいよね、君たちの将来に役立つよねという言葉ではないけれども、そういう指導者の思いは伝わっていっているのではないのかな。
 2年生の子が3月、もう3月は目の前ですけれども、ああ、結構僕って思い付く力がついてきたわって、図工の時間につぶやきました。それは、1学期にはそう思えへんかってんけどというね。それが一つです。
 もう一つ、今回の学習指導要領改訂の方向として打ち出された、社会に開かれた教育課程を作るという点で、論点整理でこのような文言があって、私はすばらしいなと思ったんです。学校そのものが、子供たちや教職員、保護者、地域の人々から構成される1つの社会であるというふうに書いてあって、それってまさにこの芸術教科が、子供にとっての社会といったら、もう身の回りの人々であったり、その生活、その人たちとともに授業を作っていける、そのような教科であるなと。
 先ほど、老人ホームで歌う子供たちの話が出ておりましたけれども、これからの授業のデザインの工夫というのは、もっともっと教室の中で閉じられた中の人間関係にとどまらず、もっと広い身近な人、例えば小学校1年生であったら、いつも作ってくれる給食のおばさんに何かプレゼントしたいとかね、そういう身近なところから社会と関わる活動に、いろいろ現場でもなさっているけれども、それをもっともっと声を大にして言ったときに、子供たちは自己肯定感と言いますか、深い満足を味わいますし、この教科の特性はもっともっと子供を元気づけるものだなと思っております。以上です。

【福本主査】
 ありがとうございました。
 じゃあ、山下委員、そして横田委員にお願いします。

【山下委員】
 私も、「音楽の学習内容が実生活で役に立つ」という回答が47.7%というのには、衝撃を受けたものですから、今、皆様方から暖かい励ましの言葉をいただいて、少し安堵いたしました。
 学校の音楽授業は、学校で取り扱わなければ出会うことができないような音楽に出会うようにするということが、1つの大きな役割だと考えております。ただ生活の中にもすばらしい音楽というものは存在するわけですので、それをいったん学校に取り込んで、それを再び生活の中に戻していくというような動きがあってもよいと思っています。そうすることによって、もう少し実生活で役に立つという実感が得られるようになるのではないでしょうか。
 例えば、我が国の音楽とか郷土の音楽というものが、今、子供たちにとって、それ以外の音楽よりも遠い存在だとするならば、それは問題だと思いますので、もう少し身近に感じられるようにする努力が必要になるかもしれません。
 声の出し方一つとっても、それを技能と考えると、難しそうだと思ってしまいます。しかし、伝統的な歌唱には日本人の嗜好性が表れていたり、日本建築の響きが影響していたり、それから日本語の聞き取りやすさが特徴だったりするわけですので、こうした視点からその特徴やよさを感じ取るという方法があってもいいと思います。そういう意味でも、教材を生活の中に求めて、体験的な学習を学校でやってみて、また生活の中でそれを見直していくような往還があるといいと考えております。和楽器に関しましても同様のことが言えるかと思います。以上です。

【福本主査】
 ありがとうございました。
 続いて横田先生にお願いして、それから長野先生、それから宮﨑先生の方にお願いするという形でよろしいでしょうか。

【横田委員】
 すいません。今、児童に対するアンケートの話が出ております。私、大学で教職課程を指導しておりますので、大学生が中学とか高校に教育実習に行きます。もちろん、特になんですけれども、中学校へ教育実習に行った学生たちが、実習が終わって帰ってきて、どのようなことに困ったかであったりとか、実習簿等でいろんなものを書いてまいります。
 その中に、中学生から問い掛けられる、多くの中学校に教育実習に行った学生が問い掛けられる言葉というので、先生、何で美術なんか勉強せなあかんのと、こう尋ねられる。きょうび関心を持ってすごく前向きに取り組む生徒もたくさんいるんだけれども、そのうちの何人かがやはりそのように問い掛けてきて、それに対して明確に自分がなかなかこれを答えることができなかったというような、もちろんここのところの指導は、私の教職課程の仕事が至らないところもあるんでしょうけれども、なかなかそこの部分が、学習指導要領の中には社会とのつながりというのが、現行の学習指導要領でもしっかり述べられているんだけれども、やはり授業の中でそのことを役立つ、役立たないということではなくて、やはりそこの有用感であったりとか、なぜそれを学ばなければならないのかという実感ですよね。やっぱりそこの部分の弱さは少し感じております。
 で、それと同時に、だからこういう前の先ほどのいわゆる資質・能力の、育成すべき資質・能力を、なぜ整理しなければならないのかというのは、やっぱりそこにあって、これは芸術教科だけではなくて、ほかの教科も含めての資質・能力の整理が関わってくるのかなと、いわゆる主要教科であったりとか、芸術はというような、そういうことにも少し関わってくるのかなと思います。
 ちょっと長くなりますけれども、もう一言だけ、先ほどの資質・能力とちょっと関わってでは、今第6回のこの資料でいただきました、美術文化についての理解を深める学習が単に知識などを学ぶにとどまるとか、これは美術、工芸のところですけれども、書道のところにも単に知識などを学ぶ云々という言葉がありますけれども、この知識というのと、先ほどの個別の知識・技能というのは、同じ意味で使われているのか、違うのか。いや、私はここを創造的な知識とか技能であってというところで、もう少しはっきりしていこうという話だったんだろうなというふうには理解しているんですけれども、まあ先ほどのところとの関わりも含めて、この辺のところが課題になっているのではないかなと考えました。

【福本主査】
 ありがとうございました。
 じゃあ、長野委員の方でお願いします。

【長野委員】
 ありがとうございます。2点申し上げようと思っております。
 1点は、芸術全般、例えばきょうの資料で言いますと、美術の中に、美術文化についての実感的な理解を深め、生活や社会と豊かに関わる態度云々ということで。これは、美術だけではなくて芸術全般に言えることだと思うんですけれども、やはりそれは、芸術が果たす社会での役割ということを、やはり国民レベルと言ったら少し大げさではございますけれども、教員の段階でやはりもっとその価値というものをどういう形で伝えていく、広めていくかということを、具体的に考えていかなくてはいけないと思っております。
 それには一つ、いわゆるマネジメントといいますかね、学校発信力といいますか、まあ算数や理科とかという、発信する、発表する場もあるとは思いますけれども、芸術で表現した、あるいは学んだことを、やはり学校から発信していくという、先ほどホームで歌を歌うとかということもそうだと思いますけれども、やはりそれには学校の力とか、あるいは先生方のそういう意識というものが、社会の中における芸術の価値というものを、少し横柄な言い方で知らしめるということにつながっていくと思うんですね。そこで子供たちが、自分の作ったものとか自分が参加したものの価値というものを、やはり客観的にその価値の大切さということを理解するということですから、やはり芸術教育ということは、小学校なりの地域の発信、中学校、高等学校なりの地域への、あるいは日本への発信ということをどう仕組むことができるか、授業としてできるかということは一つあると思います。
 もう一点は書道に関わって申し上げたいと思いますけれども、やはり書道の方は、日本の確かに伝統文化であり、中国の書を学ぶということももちろんあるんでございますけれども、つくづくこう言語体系ということを見たときに、小学校では平仮名、片仮名、漢字ということを学んで、発達段階に応じて漢字に変換していくという、こんな表音文字と表意文字ということで言えば、こんなにスムーズな言語体系を持っている国はないと思うんですね。
 それを芸術まで昇華させているという国は、やはりこの論点整理の中の4ページにあります、世界をリードする文化を持っていると言っていいのではないかなと。少し広く取り過ぎているかもしれませんけれども、もはや諸外国へのキャッチアップではなく、世界をリードする役割を期待されていると。世界に冠たる言語文化を、私は日本は持っているのではないかなと。そこに書道というものが、一つの美としての最終ゴールというものを持っている国ではないかなと。
 したがって、日本の平仮名とか文字の成り立ちも大事ですけれども、例えば欧文の言語学みたいになってしまいますけれども、どういう並びをしているか、どういう伝え方をしているかなど、書道の学びも他の国の言語表現とか言語表記ということも含めて、そういう日本の持っている文字文化の重要性というんですかね、価値というものを、書道の中でも少し広げていってもいいのかなという感じがいたします。以上です。

【福本主査】
 ありがとうございました。
 それでは宮﨑先生、お願いします。

【宮﨑委員】
 お願いします。私も長く小学校の音楽の教員をやってきたんですが、これをやると将来役に立つよっていう思いで指導をしたことはあんまりないなということで、このアンケートの質問を見たときに、あ、こういうことを聞くんだと思ったんですが。逆に言うと、子供たちが将来に役に立つと思うかということに対しての数値が低かったのは、そういう意識で教師が子供たちを指導していなかったからだと思うんですよね。
 ですから、震災が、宮下委員さんがおっしゃったように、震災があったときに、確かに音楽でいろんな多くの方が勇気付けられたとかというふうなときには、音楽の力ってすごいよというふうなことを随分言った覚えがあるんですが、普段の中でそういうことを意識していなかったと思います。
 だとすれば、これからはやはり先生方も、目の前の歌がうまく歌えていいねとか、楽器が演奏できていいね、絵がうまく描けていいね、そういうことではなくて、これを描いたときにどんな気持ちになるんだろう、歌ったときにどんな気持ちになるんだろう、それを聞いた人はどんな気持ちになるんだろうというふうなところまで、少し先生方の意識を高めて指導していくことが大事ではないかなと思います。
 実際に、生活の中に音楽も美術も書道もあふれています。コマーシャルの中には必ず音楽が流れていますし、それからイラスト、デザインだって流れています。私は大河ドラマでいつも最初に出る文字、書道の文字、いつもすばらしいなと思って見ているんですが、そういうところに、いろんな身の回りにあるそういう芸術に子供たちを気付かせていく。今勉強したことは、実際にこういう生活の中でこんなところに使われているねと、こんなところにあるねとかというふうな細かな指導を重ねていき、今子供たちが学んでいることが実際に社会の中でこう生かされているんだ、社会の中でこうやって生きていく可能性があるんだというふうなことを、意識していくようにしなくちゃいけないんじゃないかなと思っています。
 音楽で言うと、特に伝統文化、伝統芸術で言うと、非常に身の回りに、生活に息づいている音楽があるにもかかわらず、なかなかそこに子供たちを導いてやれない。それは、先生がそのよさをなかなか味わえないという、そういうこともあるかと思います。細かなところでステップを踏み、システムを整え、体験的な活動などを重ねながら、まあ日々の授業を大事にして、そういう意識を高めていくことが大事じゃないかなと思います。以上です。

【福本主査】
 ありがとうございました。
 それでは中村委員、お願いします。

【中村委員】
 失礼します。美術科を担当するものとしては、生活を美しく豊かにする造形や美術の働きということが現行の学習指導要領にも示されており、その数値が高くなければそれなりに、課題と思うわけですが、ただし、この実際の数値結果に対して、私は判断保留の立場を取らせていただきたいと思っています。
 と言いますのは、中学に身を置いて中学生と一緒に生活をしながら、中学生が生活とか社会というものをどこまで実感的に捉えているのか、理解しているのかということについては、すんなりと言えない部分があります。本校の学校評価で、一番低い項目というのは、家庭学習がされていますかという質問ですが、それ以外の時間は何に使っているかと言うと、小学生はゲーム、中学生は部活だとかクラブチームだとかの活動です。そういう中で、生徒、子供たちの生活が営まれている。もちろん、それも生活と言えなくもありませんが、ただし、生活を何か意味を持ったものとして実感しているかというと、実はあまりしてないだろうと思います。
 とすると、そういう中で「役立ちますか?」という問いは、どのような場面で役立つかということや何が役立つかということ、役立ってどうなるかということなどに対しての見通しが持てなければ、ここで期待するような回答はできないのではないかと感じます。場面とか内容とか効果とか。確かに感覚的には捉えていて、だからこそ正しいとも言えるかもしれませんが。ただ、この問いのみを重視して、問題を考えるのはどうかと思います。
 でも、大切なのは、そこで何をしなければいけないかというと。そうした生活を生活として実感させるようなことを、学校としてはしていかなければいけないと思います。例えば芸術系教科でできることは、やっぱり芸術という行為を通して表現していくわけですので、そういうことを通してものと関わる力であるとか、周囲の環境と関わる力を育てていく必要がある。そのように色々なことと関わっていく力を、どのように授業や教科の中で育てられるのかを考えていくということが、生活や社会と密接に関わる教科の在り方を考える際に必要なことではないかそして、ここで言われている主体的に生活や社会と関わる態度を育むということになると思います。
 そうやって、身の回りの周囲のことから、例えばこの1つのペンでもいいですけれども、このペンとどう関わるかということに、実は社会との接点があるかもしれないということに気付かせられるかどうかという点が、私たちの教科に求められているのではないかと思います。そのような関わりが、やがて社会になるだろうし、世界になるだろうし、ひいては自己実現になっていくのではないかと思っています。
 ということは、その関わる力と同時にもう一つ、先ほど意味のある体験というお話がありましたけれども、つながる場面をどう作っていってあげるかということも、やはり課せられている課題ではないかと思っています。基本的に芸術というのは表現ですから、表に出して、作品になったときにそれを見る人がいて、関わる場面というのが出てくるわけで、そうした行為が価値として受け止められたときに実感を持ってその意義を生徒、子供たちは実感するだろうと思います。そういう体験を作り出していくことが求められていて、そういう意味では、これからの学習指導要領を考えていくときに、身の回りのものやことと主体的に関わる題材や生活の中で生きるということを内容とした題材が、一層重視される必要があると思っています。以上です。

【福本主査】
 ありがとうございました。今ですね、あと名札が3名の方が立ち上がっております。一言だけちょっと挟ませていただきます。
 いろいろな御提案はあるんですけれども、先ほどの役に立つというか、調査の設問ですね、これでもう少し子供目線での社会的有用性というものを、もう少し考えてはどうかというような御意見であったり、あるいは学校の役割を芸術教科というだけではなくて、地域、社会との関わりというか、チーム学校という言葉がありますけれども、そういうふうな地域、社会との役割を見据えた役割の拡充というか、そういう視点も提供されています。
 それで、今の中村先生のお話にもあるような形で、少しこの芸術教科の役割を具体的に、ではどういうふうに指導改善につなげていくのかというふうな視点も絡めて言っていただけると、より議論が深まるかなと思っています。
 というのも、今の生活の中における芸術の役割であるとか、あるいは伝統文化の学習というものが、この3つの柱での整理によると、その学びに向かう力であったり、人間性という枠組みにはまっているわけですね。ただ、これが単なるゴールであったりするということであれば、この学びに向かう力、人間性というレベルが少し目標値であったり、学校、教育課程全体の総則に行くような話にもなってきますので、やはり個別の知識・技能、それから思考力、判断力、表現力、そしてこの3つ目の学習に向かう力というのが、やっぱり相互に関係をしているという点でいうと、どういう形で授業の中で生かして具体化すればいいのかという視点も是非含めて、また御意見もいただければと思います。
 そうしましたら、名児耶委員、八巻委員、それから阿部委員という順番でお願いいたします。

【名児耶委員】
 お聞きしていて、アンケートの問題ですけれども、確かにおっしゃったように、数多いんじゃないかなと、実は私も思います。本人たち、よく理解しているかどうかが問題で、質問の意味を。本当に多分理解している人は、もっとぐっと少ないのが真実ではないかなと、自分たちが子供のときのことを考えると、そんなに将来こうだと思った、わかっていたようなものはなかったような気がいたします。
 まず、これ全体に言えると思うんですが、私は美術館に勤めていて、特に古美術ということで、まさに伝統文化の中に関わっているんですけれども、大体教科を、私一応書ですけれども、書のほかに、日本画だとか、日本画でも水墨画、中にはまた日本の絵でも水墨画があったり、いろんなものがあります、絵巻があったりします、いろいろな分野があります。それぞれのその分野を分けて何か強化するということ自体が、実はいいようでどうなのかなという思いが一つあります。
 なぜかというと、例えば琳派という芸術運動ありますけれども、私あるとき展覧会をやったときに思ったことなんですけれども、琳派の芸術って、確かに光琳とかそれから宗達とかって絵画が有名だと。ところが、光琳は書でも有名であると。それから、少し時代が下がっていて、光琳と乾山か、乾山っておりますね、乾山は焼き物だと、そういうものがあると。そうすると、絵画だけじゃないわけですね、琳派という一つの。それは何かって、先ほども出ていましたけれども、生活美術というか、生活を豊かにし、皆がいい、快適な生活をするための手段として、そういった芸術運動があったんだと。
 それらを考えると、1つで考えるのではなくて、琳派というものの中に焼き物もあれば絵画もある、それはなぜかと、ふすまであったり、掛け物であったり、日常使う道具の箱だったり、入れ物だったりということでありますので、何か総合的なものなのかなということで、一つ思い、先ほどからお聞きして思い付いたのが、単一教科を教えるだけではなくて、それらの先生が何かリンクした形で、1つのことを子供たちが興味を持つものに注目させるというようなことも、これから考えるべきなのかなと、ちょっと今それを思いました。
 例えば、私どもの美術館、お茶室があります。お茶で、今ちょっと世田谷区と何かしようとしているんですけれども、お茶室を使って何かやりましょうということなんですけれども、それはなぜかというと、床の間とか書院とか、畳の部屋とかっていう生活の中で残ってきた伝統文化なわけですから、その建物なども理解させなければ、伝統文化をきちんと理解させることはできないだろうということなんですね。今、団地とかマンションとかで、そういうところで生活していると、床の間はありません。そこで、掛け物の理解をしろといっても、なかなか難しいところがある。そうしたら、床の間のあるところで、そういう掛け物の話をしましょうと、そのときにじゃあ絵の話をしましょうとか、日本画の話をしましょうと。そうすると、日本画の描き方とかなんか、専門の人の話もちょっと入れないとだめかなということも考えています。何か書を掛けましょう、じゃあ書は何がありますかと。
 そういうふうにして、我が国の生活の中で、長い歴史の中、伝統文化の中で歴史が育んできたそれぞれの文化というものを理解するには、やっぱり1つのことでは無理だろうなというのが思い、それが先ほどちょっと言ったことと結び付くことですね。
 書で言うと、非常に幅広くてですね、こんなにたくさんの表現できる文字を持っている国はないと思います。一番いいのは、2,000円札が例なんですけれども、2,000円札というものの中には、まず篆書体があります、篆書、隷書、行書、楷書、楷書は実は守禮之邦という門の絵の額の字が楷書なんです。それから、変体仮名とか、仮名もあります、源氏物語絵巻の言葉書きが裏にあるからなんですね。片仮名以外は全てあの2,000円札に盛り込まれまして、絵も入っているし、書も入っていて、日本の非常に文化的なものの考え方というか、文化に対する考え方が象徴されていると思います。
 なぜかと。あそこに今楷書があると言いましたけれども、楷書は絵として出てきているんであって、日常我々が今一番使う字は楷書なんですね、これ。仮名でも活字の字なんです。ところが、お金には一切そういうのがないんです、活字らしきものは。全部書き文字を主体にしているんです。そこに、1つ前の大事な文化を大事にしようという気持ちが、実は日本人の中に知らないうちに表れているんではないかと思って、書道史の話をするときと、それから仮名文字の話をするときは、よく2,000円札を使って、そこからお話をするんですけれども、そういうふうなことが結構周りにあります、美術館の中に。それらは、先ほどから言っていますように、全てが絡まっていると。
 音楽でもそうだと思いますね。私どもの周りだと、やっぱり邦楽の演奏会をしてみたりもしますけれども、それからもちろん弦楽四重奏なんかもやるんですけれども、やっぱりそこに使われている、残っている和歌だとか、いろんな文学だとかでも、言葉でもそうですけれども、伝統に育まれているからこそ、それを理解するとよくわかるということがいっぱいありますので、総合的に何かやらなければいけないというのが、先駆けて一番大きいことですね。
 それで思うのは、やはり本物を見てもらいたいということを前にも申し上げたと思います。それから、日本の伝統文化の中とか、伝統技術の中には、非常に実はコツコツと細々としか伝わっていないものが、実は先端をいく技術につながるということがいっぱいあるんですが、今そういうものもどんどん消えていっている状況で、非常に寂しく思いますけれども。そういうもので、そういうものに目を向けていただくということが、まず大事ということなんです。
 で、そのために、先ほどから繰り返していますけれども、少しこうグローバルという言い方はおかしいですけれども、分野を越えた何か指導ができるような形にしていただけるといいんじゃないかと。そうなると、一つ書で言うと、こういうことが言えると思いますが、小学生、中学生って書写でやるんですけれども、今言った伝統文化という形のものでは、小さいとき教えていないわけですね、小学校、中学校で。突然高校になって、高校になってから芸術で、この字は仮名がどうできていますよって説明するんですけれども、ちょっと無理があるようなので、何かそこら辺のつながりもちょっと考えていただけるといいかなと。そうすると、小学校、中学校と学んできたものが、例えば高校で伝統文化としての文字の世界が生きてくるとか、書体がいっぱいありますよということも理解できるということにつながるのかなということです。
 そして最後には、そういうことをするには、やはりこれは先生方がそういう、今私が話したことを全部理解してくださいとは言いませんけれども、何かの形でできるような道筋をやっぱりこういうところで立ててあげる、方法を考えてあげるということが必要なのではないかなと思います。以上です。

【福本主査】
 八巻先生、お願いします。

【八巻委員】
 失礼いたします。書道の方でちょっとお話をさせていただきますが、まず資料2の方で、書と生活や社会との関わりのところで問題点になっているのは、書の伝統と文化について理解を深める学習については、単に知識を学ぶだけにとどまる傾向があり、書の美の歴史的な背景や諸文化との関連云々と、こういうふうにあります。その辺に問題があるというふうなことでございますが。
 まず、高等学校で初めて書道ということで、芸術があるんですが、今小学校、中学校の方も検討のたたき台でこれを載せていただいておりますが、今回の学習指導要領の改訂で、中学校でも1年生、2年生で20時間、3年生でも10時間の指導を行うというふうな国語の中で出たのは、非常に現場にとってはありがたいことで、高等学校の書道を扱うものについては、小学校、中学校でこのぐらいのをやっていただけているというようなところで、非常にありがたいところでございます。そこが一つあります。
 ただ、高等学校でなぜ書道を取りたいかというふうな最初にアンケートしますと、字がうまくなりたいということが、もうほぼ、ほぼ100%、その字というのは筆文字がうまくなりたいではあまりありませんで、硬筆文字がうまくなりたいということで、芸術まで昇華してそれを味わいたいという生徒は、ほぼ入った時点では皆無なんですね。それをどのように、書の伝統と文化を理解させて、尊重させていくかということが非常に我々の使命かと、高等学校の書道教育を預かる者としての使命かと思っておるんですが。
 まあ一つ大切なのは、昔に書かれた、今名児耶先生にもいろいろ解説していただきましたが、昔に書かれた古典、日本の古典、1,000年以上前に書かれた古典を解説するのは、我々でも教科書を見ながらできるわけですが、それを生徒はただ単に見て、ああ、すごいなというふうなことしかないわけですが、やはりそこで生徒たちに筆と墨を持って、自分でもこんな線が書けるんだと、書表現ができるんだというところで、そういう感性を磨くというところで、本物というか、書の本質に迫ることができれば、そういうふうな古典、昔に書かれた、平安時代に書かれた古筆なんかにも関心が持てていくというふうな表現と、鑑賞といいますか、そこが結び付いていくのかなと。
 先ほど、副島先生もおっしゃっていただいたように、それで学校で学んだことが社会に出て、例えば卒業してからでも美術館へ行って、そういうところを見て、感性が磨かれたのでそういうところへ行って、いろいろなものを見れるというところにつながっていくのではないかなと思います。
 その感性を養うというところが、伝統文化を深く理解しというところに非常につながっていて、将来豊かな情操というところにつながっていくのではないかなと。それが、美術では絵とか、あるいは工芸でもいろいろな立体とか、音楽では声で表現を出すとか、その辺のところの本質を教えていくというところが、伝統文化、我が国の伝統文化に触れる心を養うのではないかなと。ですから、教員のというか指導者の働きは、そこが一番ではないかなと考えております。

【福本主査】
 それでは、次に阿部委員に振らせていただいてから、由紀委員にも次にお願いいたします。それでは、まず阿部委員の方からお願いします。

【阿部委員】
 私の方は生涯学習という観点で考えることが大切だと思います。退職後、絵を見に行ったりとか、音楽会を聞きに行ったりとか、歌を歌ったり、絵を描いたりとかというふうにして考えると、年を取るほどに、芸術がだんだんと、身近になっているというのが状況としてあると思います。
 生涯学習のスタートとしては、基本的に家庭教育があ、幼児教育というのもあります。幼児教育は、環境の設定を大切にして、その大半を遊びを通して育てることを基本にしています。先生方は環境をどう設定するのかということに苦心されています。カリキュラムにも、時期があって、秋になって落ち葉を見たら落ち葉を見て、きれいだと鑑賞したり、これで何か作ったりもできるねというようなことで導いたりということで、情操や創造性を育てています。そして、だんだんと年齢が発達することによって、授業の中などに時間軸として歴史というものが浮かんできて、昔の人はというような考えが出てくるでしょう。
 それから、空間の広がりということで、日本ではこうだけれど外国ではどうなっているのだろうねというようなことから、人類の遺産である文化遺産をどうやってみんなで大事にしていこうとかなど、それぞれの育ちの時期、時期において何ができるのかということを、体系的に組み立てていこうとするのが、今回の改定に大きな意味があるのだと思います。幼・小・中・高のそれぞれで、できることは一体何なのかを構築することだと思います。まあ今までがばらばらだったのかとは言いませんけれども、これからの今度の大きな目標としては、18歳までに、高校まで卒業するまで一体何ができるのかということを、みんなで知恵を寄せて体系化を図るということになるのだと考えます。伝統も、その一つだと思います。ほかにもいろいろまだまだあるぞというのが、今回課題として出されてきているところなのかなということを思っているところです。終わります。

【福本主査】
 そうしたら、由紀委員、お願いいたします。

【由紀委員】
 私はやはり、自分の職業は歌うことでございますので、ベーシックな音楽に関わるところでお話をすることが、一番実感があることだと思うんですけれども。
 今、自分の仕事の中で、中学校に歌いに行く手作りの学校コンサートが今年15年目になりまして、全国で80校以上の中学校に歌いに行っている実績と、幼児教育における、姉が専門学校の先生になったことを受けて、自分は直接幼稚園に行って、今は子供園のような保育園と幼稚園が一緒になっているようなところもありますけれども、そこに歌いに行って、若い世代のパパやママにきれいな日本語を話してほしいということの中で、童謡や唱歌を上手に活用してもらえたらとてもうれしいというところで、出掛けていっていろいろ考えることが、すごく多いなというのが今実感で。
 このたびの全く門外漢で、人に何かを教えるというところを職業にしているわけではないので、ここに参加させていただいてよかったかどうか、最初ちょっと戸惑いましたんですけれども、自分も勉強のためと思って、きょうまた寄せていただいたわけですけれども。
 美術、芸術、それから書道も音楽もみんなそうですけれども、やはり感性と言いましょうか、感じる心を育てるということなんだろうと、私はきょう先生方のお話を聞いていて思いました。子供たちが美術を習得するに当たって、先生に、なぜこれをやらなきゃいけないかと生徒が言ったときに、もしかしたら答えの一つかもしれないと思って、今お話を伺いましたけれども、感じる心を育てるというか、みんなに勉強してもらいたい、感じるってどういうことかということなんじゃないかなと、ちょっと思ったりもいたしました。
 書にしても、それから言葉にしても、昨今は俳句甲子園であったり、書道ガールだったりというような形で、新しく興味を持ってもらう方法として、音楽を取り入れながら、そこで興味を持ってもらって、本格的な本物の書に興味を持っていくということも、一つ手だてとしてはあるんじゃないかなというふうに、この頃は思っております。
 教科書の中に、童謡、唱歌、童謡というよりは唱歌ですね、それから歌曲に近いもの、学校の音楽の教科書に何曲か入れるということが以前に提唱されて、教科書の中に入れていただいた時期があったかと思いますけれども、音楽の先生方の世代交代が始まって、こういう先人たちの残した歌に全く興味を示さない、それから知らないという世代も今、音楽教育に携わって学校で教えていらっしゃるので、この教科書の中に何曲か入った先人たちの残した、この国の歴史的財産でもあります音楽を教えてもらえないという現状は、こういうところにあろうかと思います。
 先ほど、山下先生かと思いますけれども、音楽教育の中で、学校で教える音楽と自分たちが個人的に自分の好きな音楽を聞くということは、違っていいと思うんですね。学校教育の中でやっぱり教えてもらいたいのは、こんなことを私が今さら言うのも大変僣越なんですけれども、日本語はリズムじゃなくて旋律、メロディーなので、今一方的にテレビから流れている若い世代の音楽は、圧倒的にリズムが主体になっていますので、日本語のアクセント、それから点と丸、句読点に沿ったメロディーラインを付けてくださっている歌がほとんどありませんので、そういう音楽をとても今を生きている子供たちにとっては心地よくて、体を動かしやすくていいけれども、もともと音楽取調掛というところから明治時代に音楽教育が始まって、そのときにまだ日本の作詞家、作曲家が育っていなかったので、外国のメロディーに日本語の歌詞を付けて学校教育がスタートしたというところから、日本の音楽が始まっていると。それが脈々と流れていて、今のSMAPやEXILEや三代目J Soulにつながっているのよと。
 だから、最初のスタートはこういうところだから、ここも興味を持って1曲ぐらいは覚えてもらいたいといって、子供たちに話すと、まあキャッチーとしてはとてもこれが効果的であるということを、この頃自分で覚えまして。中学に行くときに、脈々と流れている音楽の最初はこれで、今がみんなが好きなAKBだったり、Perfumeだったり、AIKOさんだったり、絢香さんだったりするのが今よと。だから、ここも知っておいてほしいんだということを一つ。
 ですから、今の音楽教育をしていらっしゃる20代、30代の若い先生たちにも、そういうところがわかっていただけて、基本的に日本語のアクセントは頭にありますので、そういう音楽の作られ方の違いみたいなことも、子供に興味を持ってもらえたらうれしいなと、共存できる手だてとして、何かこういうことが一つあるんじゃないかなと、今思っております。
 それと、この感じる心と今申しましたけれども、感じる心はやはり、自分を表現する手だてだと思うんですね。別に、それは私のように職業にならなくても、絵を描くのが好きだったり、書を書くのが好きだったり、はたまた作曲をして、自分の好きなオリジナルのある、自分もシンガーソングライターのようになったような気分になってチャレンジしてもらう。
 それと、学校教育の中で今、合唱コンクールというのが学内にたくさんありますけれども、その中で取り上げられる音楽も、どうしても生徒たちが好む、受けのいい方向に行く。そうしないと、子供たちが興味を持ってくれないということもあろうかと思いますけれども、ただ難しくて四部合唱を歌うということよりは、もう少し日本語の言葉のエモーショナルなものを触発するような文言の歌も、合唱コンクールの中で歌ってもらえるとありがたいなと。
 新しいものばかりじゃなくて、ご自身のおじいちゃん、おばあちゃんが知っている楽曲もその中の一曲として取り入れてもらうと。そういう楽曲を子供たちが体の中にしみ込ませてくれたときに、例えば老人ホームに行って歌って、おじいちゃんたちが、自分の歌っている歌が、ああ、おじいちゃん、おばあちゃんも知ってくれているんだという、そういう現実を体感してもらうということは、ものすごく大きいことだろうと思います。
 私たちも、特養の老人ホームや緩和ケアセンターで何度も歌っておりますけれども、初期の頃は、介護する方たちが学校を出て、すぐそういう施設にお勤めになった方で、普段自分が相対するときには表情一つ変えてくれないお年寄りの方が、私たちが歌った早春賦だったりふるさとだったり、ちょうちょうだったり肩たたきだったり、そういうものを歌って、突然喜んで、自分が見たこともない笑顔になっていると。それを若い世代の介護の人たちが見て、ああ、こういう歌を歌えばお年寄りは喜んでくれるんだというので、私たちも覚えますといって、こういうところにも歌を残す一つの手だてがあったなと思って。お話を頂くと、老人ホームに行って歌わせていただく機会をあえてたくさんいただいて、歌いに行っていた時期があります。今、幼稚園児の皆さんがホームへ行って、おじいちゃん、おばあちゃんの前で歌うということも、とてもいいことだと思っております。
 特に幼児教育の中で、若いママたちが今忙しいということもあって、お子さんとの会話が本当に少ない。せんだって、新幹線に乗るので待合室にいたときに、2組の親子さんがいらっしゃいまして、1人は、ママがもう子供にスマホを持たせている。本当におとなしい。映像をピッピッピッピッやると動きますからね。そうすると、もう片方は一生懸命お子さんに、ほら、新幹線で、これここに、あそこでこうやってすごく走るのよとか、これからこれに乗るのよとかって、一生懸命話し掛けている。
 この対照的な親子さんを見て、あ、もうこの2歳になっているかな、この時代からもうこういうものを手にするお子さんと、私たちの子供の頃との違いがあるのはしょうがないなと。できれば、大きなお世話かもしれないけれども、できるだけお子さんと話をしてくださいって、そしていっぱい歌を歌ってあげてと、私たちのCD聞かせていると言ってくださるのはうれしいけれども、ママやパパの、おじいちゃん、おばあちゃんのお声の方が100倍効果的だからと、いつも幼稚園では若い世代のお母様方にお話をしておりますけれども。
 とりあえず、今私たちの時代になかったパソコン、コンピューターというものの出現は、学校教育においても、それから社会生活においても、家庭生活の中においても、大きく物事が変化するきっかけになっております。我々の商売もそうですけれども、歌詞を覚えない、せりふを、せりふというか決まりのせりふというか、与えられた、これは決まりで言ってくださいという決められた言葉を、ほとんど今の芸人さんは覚えません。カンペといって、これみんなこれを見ているんですね。
すごくそういうところで言うとですね、やはり感性を育てるというところが、この芸術における一番重要なことだと思うことと、それをどう体にしみ込ませて脳に焼き付けていくかと。やはり、覚えるということをもう少しやはり、学校教育の中でもやっていただくことが重要なんじゃないかなと思っております。
 私は今の自分の中で、ある美術館のポスターにあった言葉ですけれども、この絵画の中の音を聞こうと。この絵の中の音を聞こう、探そうとでも言いましょうか、このキャッチコピーが、今一番私は胸にしみております。
 きょうの先生方のお話を聞いて、私もいろいろ勉強していきたいと思います。

【福本主査】
 ありがとうございました。
 そうしたら副島委員、よろしくお願いいたします。

【副島委員】
 先ほど福本主査の方から、今、検討している3つの資質・能力とどう関わるかということがありましたので、それに関わって、自分が思い付くことを3点述べます。
 まず1点目は、先ほど社会とのつながりということで、老人ホームに行って歌うという話をしたかと思いますけれども、実際にそのようなことをやられているところもたくさんあって、子供たちが実際に社会とつながっている経験をしている場面はたくさんあると思います。しかしながら、例えば、そこで老人ホームに持っていく音楽や、もしくは社会につなげようとする作品が、どのようにして紡ぎ出されたのかというのが非常に大切なことであると考えます。子供たちが、今、議論をしているような知識、技能を駆使して、一生懸命考えて主体的に作り上げた音楽がそこに持っていかれるのか、「せっかく老人ホームに行くので上手じゃないといけない」とか、「きれいじゃないといけない」といったような先生の思いや意図が強く関わり過ぎた結果、子供たちにとっては「させられ感」の中で作られた音楽が持っていかれるのかということは、大きな違いがあるのかなと思います。
 以前、音楽会とか合唱コンクールなどの音楽的な行事が、子供たちの発表の場であることは非常に望ましいことで、子供たちはそこでいろいろな人に演奏を聞いてもらうことで、喜びを覚えるという話をしましたけれども、それがどうかすると逆転してしまって、そこで発表することが目的になって、そこで発表するために、また作品を作品展に出品するために、「いいものを作らなくちゃいけない」という先生の思いが、その子供たちの自由な学びを妨げたりしていないかというところを憂慮する必要があるように思います。
 それから、先ほどの由紀委員のお話の中にもありましたが、子供たちは、実際に音楽はもうたくさん聞いている、いろんな音楽を聞いているし、例えば、デザインや書などにしても、子供たちは日常の生活の中でたくさん見ていると思うのです。適切な例かどうかわかりませんが、我が家の息子は高校3年生です。不思議なぐらい毎日ヘッドフォンをして、音楽を聞いています。で、聞いているのは、先ほど出てきたEXILEとかその類いの音楽かなとは思うのですけれども、「なぜその音楽が好きか」と問うと、「何となく」という答えが返ってくるんですね。
 知識や技能を駆使して学習する経験の中で、例えば、見方とか聴き方とか、さらに言うと感じ方、そういったことを子供たちがしっかり学んでいくことで、日常的にあふれている音楽などをもう少しクリティカルに聴けるとか見れるといったような力がついていくと、今、身の回りにあふれている音楽なども、子供たちにとっては、もっと役に立つものになるのかなと思います。そして、もっと子供たちが主体的に音楽とか美術とか書道に関わっていけるのかなということを思いました。
 そのために、我々教師は、先ほどから述べている知識や技能を駆使しながら、思考力、判断力、表現力を働かせる子供を育てる必要があると思います。教師自身が学びに向かう力を育てているという意識を持っていないと、芸術の学習が、なかなか学校の授業の中から出ないかなと思いますので、そこに関わる教師の意識というのは大切かなと思いました。
 3点目は、我が国の伝統的な音楽とか郷土の音楽ということで、私の地元では、唐津くんちというお祭りがあって、結構有名です。それから荒踊や浮立などたくさん地域の音楽が今も残っていて、そこで、一緒に踊ったり歌ったり演奏したりしている子供たちもいるんです。
 そういった中で、特に小学校の授業で思うのは、教科書主義というか、教科書に載っていることをきちんと指導されている一方で、こんないい教材が地元にあるのに、教科書に載っているということで、自分が住んでいる地域とはかけ離れた音楽だけが授業で当たり前のように扱われているような状況があるように思います。「この子供たちは、地域に帰ったらこんな経験をしていますよ」とか、「お父さん、お母さんたちはこんな音楽を知っていますよ」というものがあるのに、なかなか教材が子供たちとつながらないというところもあります。もっと我々も郷土の音楽とか、我が国の音楽を教材化していくという発想を持たなくてはいけないかなと思いました。以上、3点でした。

【福本主査】
 ありがとうございました。
 ちょっと情報提供ですけれども、アメリカの美術教育で、美術の中高一貫というか、日本的に言うと中高一貫みたいになるんですけれども、そこの教科書の第1章というのが、芸術とは何かというところが始まります。。その中に幾つか質問があって、「芸術には賞味期限があるのか」みたいなのがあって、いつ芸術というのが始まって、いつ終わるのかみたいな問い掛けがあるんですね。そうすると、初めて生徒が、普段何もこう、美術って何かずっと存在している、作家かなにかが描き終わったからもう美術やろうみたいないうふうに考えていたのが、何かこう初めてですね、ああ、そういえば美術っていつから美術になるのかなというのをね、考え始めたりするというのを、向こうにいたときにありました。
 そういうような芸術の有用性というようなところ、もしくは芸術そのものの意味というか意義をどうやって知らせていくのかということも、日本では題材をずっとただ配列して、それで美術なんだというふうなことがこれまでなされてきたことが多くて、うちの大学なんかで、大学の1年生にアンケートを取ると、美術とは何かって問い掛けをしても、なかなか自分たちの経験値として、まあ絵を描くこととか、彫刻をすることとか、そういうふうな非常に実技経験の集積みたいなことで終わって、たまに創造力を培うこととか、まあいろいろあるんだけれども、何かそれ以上に芸術とは何かという捉えがちょっと浅いんですね。だから、そういった意味でも小・中・高一貫して、いろんな経験するというだけでなくて、先ほどの感受性ということもありますけれども、一方で芸術とは何かということも、しっかりと考える力というものを培うことも大事かなというふうに、先生のクリティカルな見方ということも聞きながらちょっと感じました。
 関連していかがでしょうか。じゃあ、伊野先生。

【伊野主査代理】
 それに関しまして、具体的に考えなくちゃいけないのは、こういう今日の問題を目標レベルで終わらせるのか、あるいは上位レベルで終わらせるのか、それとも指導事項レベルとか、あるいは学習指導要領の解説の中にどのように取り込んでいくのか、あるいはもっともっと題材レベルで、例えば今のような問い掛けのような発想があるよみたいな形で、そこまで踏み込んで知らせていくのかということも、ある程度考える必要があると思うんですね。
 これは、先ほど宮下委員の言われた知識、技能にも関係してくると思うんですけれども、そういう知識、技能が社会と芸術との関わりについての知識、ある種のメタ認知というものが必要で、それも指導事項レベルにやっぱり入れる必要があるよというところまで必要なのかもしれないし、そういうあたりをやっぱりもうちょっとこう、ここでも考えられるといいなと、聞いて思いました。

【福本主査】
 はい、そういう意味でいかがでしょうか。
 長野先生、どうぞ。

【長野委員】
 今の伊野先生のお話は、大変深い大きなお話になっていくと思います。やっぱりそういうふうになっていくと、高校教育というところの、嫌な言い方ですけれども、限界もあるかもしれませんし、ですからやはり私が先ほど発言させていただいたように、芸術の役割は何かということを、やはりもっともっとこの社会に向けて、学校だけじゃないかもしれませんけれども、発信していくということが、芸術とは何かということを問い続けていくことになるかなと、先生にお答えしているわけじゃないんですけれども、今伺って思いました。
 書道の場合、先ほどちょっと言語から芸術までという、非常にこう何か本当に広過ぎるくらい広いという話をさせていただきましたけれども、自分の美術というか、図画工作の習っていた時代というのは、写生ばかりだったんですね。すぐこうクレヨンとか絵具持って公園に行くとか、造形という感じではなかった時代でした。だから、自分でも書は好きだったんですけれども、その結果かどうかわかりませんけれども、ポスターが大好きになってしまいまして、もうものを正確に表すというか、ものをそのまま再現するみたいなことになってしまって、今の造形教育を受けたらもっと違っていたと思うんですけれども。
 やはり、芸術教育というのは、写生主義というんでしょうか、ものを見ることは大事ですけれども、そこを置き換えたり、あるいは感じていく力をどう育てていくかということが、やはり小学校でも大事だと私は思うんですね。
 書道のことで言いますと、作っていただいた資料を拝見すると、中学校との連携との中で、少し見直しがあって、今、中学校3年生に身の回りの文字に関心を持ちという、書写から文化的な匂いをさせていただいておるというところに来ておりますけれども、もう少し早いところから文化というものに触れていただきたいと思っています。
 というのは、中学校の美術の指導要領を見ますと、もう1年生から鑑賞というものが入っていますから、やや書道が後発になっているかなという感じがしますので。文字を手で書くということは、やはり大事なことですけれども、そこからどう芸術としての、表現としての美へ昇華していくかという非常に重いものですから、発言させていただいております。
 特に、この資料の高等学校の国語科必修科目の「現代の国語」というところと「言語文化」というところにはございますけれども、中学校にも少し文化的な部分がもう少し幅広くいけるのかなと思っております。

【福本主査】
 ありがとうございました。先ほど、伊野先生の提案もありましたように、この例えば3つの柱で言うと、学びに向かう力、人間性というところ、音楽への関心、意欲、態度という評価観点第1観点にあるものが、ここに置かれているということがあって、資質・能力ではこういうことを確認したらいいんだなというのは見やすいわけですけれども。まあその具体的に、ここにほかに挙げられたことが単なるお題目にならないようにするために、やはり知識・技能だったり、思考力、判断力、表現力等との関係性を保持しながら、題材であったり、あるいは何年間計画の中で、こういったことが担保されていくように工夫をしていかないといけないとは思います。
 そういったところで、具体的な授業であったり、そういうところを既に現場におられた先生方の場合には、もう既にこういうことをやっているよとかいうぐらいのことがあれば、紹介をいただいたいと思うんですけれども。いかがでしょうか。
あとお二人ぐらいは、何か。
 宿題ですかね。まあ、やはりそういうところを是非また考えていただいて、ペーパーで後で出していただいても結構ですので、そういうことも是非示唆していただきたいなというふうに願っています。
 伝統文化教育については、何かこう美術教育の世界で、例えば国際学会なんかに行くと、伝統文化をどういうふうに若者に伝えていくのかということが、結構話題になるんですね。というのは、例えば台湾であれば、台湾の学生たちは結局、中国文化を背景としながらも、台湾人としての自覚を持たなきゃいけないという意識と、中国人だという意識が揺れ動いている。それから、ユーロ圏の学生についても、例えば東欧圏であったりする学生たちはかつてのスラブ文化を引きずりながらも、EUという統合した文化に巻き込まれようとしているから、かつての自分たちの言語圏であったり文化圏の文化を、しっかりと身に付なきゃいけないんだというふうな意識で、かなり伝統文化教育というのが注目されています。
 ただ一方で、そういったことがナショナリズムに結び付くという危惧もあるので、そういったアイデンティティというのをどう開いていくのかというようなことも、同時に話題になっていたりします。
 それから国内的には、いろんな伝統文化の授業がやられているんですけれども、例えば近江八景という滋賀県の琵琶湖を中心とした近江八景というものがありますけれども、もともとは三井の晩鐘であったりとか三井寺というところがあって、晩鐘というか、夜ゴーンと響いてくる鐘の音がすてきだなというふうな、そういうのが八景と言われているわけなんですね。そういうところが、何かこう題材化された途端に、何かこう単に身近なところの八景を何か探してみようとかっていって、場所の風景に転換されてしまって、もともとのあったそれぞれの場所の、非常に顕著な現象というか、そういうものがもともとの近江八景であったのに、その辺のエッセンスがはぎ取られて題材化されていくというような事例があったりします。
 そういったところも課題に、具体化していくときには課題として挙げられることもありますので、またそういう具体的な小学校での伝統文化に関わるような学習プランであったり、中学校での実践であったり、是非またそういったことも踏まえて、この伝統文化学習についての御意見をいただければと思います。
 じゃあ市川先生、どうぞ。市川先生を最後にして、きょうは議論を終わりたいと思います。

【市川委員】
 すいません。ちょうど伝統文化というところで出ているので、かつてもう20年ぐらい前なんですけれども、ドイツの高校を視察する機会があって、そのときにドイツの先生にお伺いしたことがあるんですね。ドイツでは、伝統文化をどういうふうに伝えているんですかと。もちろん通訳を通してですけれども。まあ戦争がありましたのでね、一度ドイツの伝統文化は一回そこで破壊されたに等しいので、今それを復興して新たに伝えるための模索をしているというような、そういうお話を聞いたんです。
 ちょうど私その頃、日本はやれお祭りでどうのこうのとか、いろいろ伝統文化ブームみたいな感じだったものですから、やっぱりドイツ人って正直だなというふうに感じました。
 私、東京の生まれ育ちで、親も東京ですから、戦前のことをいろいろ聞きますけれども、やはり盛んだったお祭りも、一旦戦争のときはそのままやっていたわけないんですね、中断していたわけです。ですから、伝統文化と言いましても、やはりそれぞれ生きている方たちが先代からそれを伝えられて、その時代、時代で解釈を変えて、その時代なりに変えて美しいものを豊かなものを伝えてきたんだと思うんですね。
 ですから、これから子供たちに伝えるにしても、例えば昔のように身分階層構造の中で、宗教性の強いものとかをそのまま伝えるわけにはいかないわけですから、現代の子供たちに即したように教養として伝えていければいいでしょうし、そのためにはある程度、学問的にも現代の解釈で誤ったものを適当に伝えるということは、これはいけないことですから、公教育、学校教育で導入するのであれば、やはりできるだけ誤りのないようなもので、皆さんで検証しながら教材を作らなければいけないかなと思うんですね。
 先ほど、ちょっと美術、芸術の力、伝統文化もそうですけれども、それだけ長く伝わるというのは、やはり力があるものだと思うんですね。アジアの超大国では、何か芸術家を国家転覆罪で追及しているそうですよね。芸術家、1人の芸術家にそれほどの力があるわけないんですけれども、やはり美術や芸術の力というのは、私は初回にもお話ししましたけれども、考えようによってはすごく強いメッセージを持っていますので、伝統文化を教育の中に導入する際も、現在それを豊かで多様で様々な国を尊重するような、現在の日本の考え方に即したものをやはり取捨選択して子供たちに示すようにしませんと、これ誤った、先ほどどなたかおっしゃいましたけれども、ナショナリズムになったら絶対いけないと思うんですね。ですから、そこのところを、できればその何かエッセンスを各学校で共有できるような、そういう教材化できるようなヒントを与えていただけると、今後いいのではいかなと、そう感じます。

【福本主査】
 ありがとうございました。本当に茶室の話まで出ていましたけれども、子供たちにとっては結構この伝統文化というのが異文化でもあるので、なかなかそういったところを教材化していくという難しさもあるかと思います。
 きょうは、ここまで芸術の生活、社会における働きと、それから伝統文化にある程度焦点化をして意見交換をしていただきました。また、これも次回の意見というか、会議の方につなげていくことができればいいなと思っております。
 一応これで、第6回の予定されていた議題はここまでとします。
 最後に、次回以降の日程について、事務局より説明をお願いいたします。

【小林教育課程課課長補佐】
 第7回目以降の4月以降の日程については、後日調整させていただきます。
 また、主査からもお話がありましたように、ペーパーによる御意見等もちょうだいしたいと考えております。ファクスまたはメール、郵送でも結構です。
 また、本日の配付資料、机上に置いておいていただければ、後ほど郵送させていただきます。以上でございます。

【福本主査】
 それでは、皆さんお疲れさまでした。お気を付けてお帰りください。

―了―

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