教育課程部会 芸術ワーキンググループ(第2回) 議事録

1.日時

平成27年12月21日(月曜日) 13時00分~15時00分

2.場所

文部科学省3階3F1特別会議室
東京都千代田区霞が関3-2-2

3.議題

  1. 芸術教育の改善充実について
  2. その他

4.議事録

【福本主査】
 それでは、定刻となりましたので、ただいまより中央教育審議会初等中等教育分科会教育課程部会の芸術ワーキンググループ第2回を開催したいと思います。
 本日は、非常にお忙しい中御参集いただきまして、誠にありがとうございます。
 まず最初に、事務局の方から、前回欠席をされておりました先生方の御紹介と、配布資料について確認の方をお願いいたします。

【小林教育課程課課長補佐】
 それでは、前回御欠席の委員の御紹介をさせていただきます。
 続きまして、宮﨑新悟委員でございます。

【宮﨑委員】
 宮﨑でございます。どうぞよろしくお願いします。

【小林教育課程課課長補佐】
 続きまして、八巻敏幸委員でございます。

【八巻委員】
 八巻と申します。よろしくお願いいたします。

【小林教育課程課課長補佐】
 続きまして、由紀さおり委員でございます。

【由紀委員】
 どうぞよろしくお願いいたします。

【小林教育課程課課長補佐】
 なお、恩知理加委員、名児耶明委員、山田晋治委員、横田学委員につきましては、本日御欠席でございます。
 続けて、配布資料の確認をさせていただきます。本日は議事次第に記載しておりますとおり、資料1から3、また、参考資料、その他机上に参考資料を配布させていただいております。不足等ございましたら、事務局までお申し付けください。
 また、机上にタブレット端末を置いております。その中には、本ワーキンググループの審議に当たり参考となる、審議会の答申や関係資料をデータで入れております。詳細は次第の裏面の目次をごらんください。
 また、本日、芸術ワーキンググループ第1回目の主な意見を配布しております。本日メールで同じものを送付します。期限までに御確認いただければと思います。
 以上でございます。

【福本主査】
 ありがとうございました。
 それでは、これより議事に入ることになりますけれども、初等中等教育分科会教育課程部会運営規則第3条がございますが、これに基づいて、原則公開により議事を進めさせていただくということです。その6条に基づいて議事録を作成し、原則公開するものとして取り扱うということにさせていただきますので、よろしくお願いいたします。
 それでは、本日は資料1の論点1、それから、論点2について意見の交換を行いたいというふうに思います。まず、事務局の方から資料に基づいて説明をしていただいた後、自由討議の方を行いたいというふうに思っております。
 それでは、事務局の方、資料説明をよろしくお願いいたします。

【大杉教育課程企画室長】
 失礼いたします。それでは、まず、私の方から、先日行われました総則・評価特別部会、こちらの方からの伝達事項がございますので、これをお伝えさせていただきました後、資料の説明を小林補佐の方からさせていただきたいと思います。
 総則・評価特別部会、位置付けでございますけれども、前回御説明申し上げたとおり、教育課程企画特別部会の下に本ワーキングも含め22の専門部会が設置されております。教科等別、学校種別、それぞれの特性に基づく議論を深めていただくことになっておりますけれども、それをある意味、教科横断的に横串で議論の全体像を取りまとめていくというのが総則・評価特別部会、羽入先生に主査をしていただいておりますけれども、こちらになります。
 こちらの総則・評価特別部会の方に、本ワーキングの議論の状況も含め、各教科の議論の状況をお伝えさせていただいたところであります。それを受けまして、特別部会におきまして、論点整理に沿った御議論をいただいているということに感謝の意が表されますとともに、全体的な観点から、以下5点をお伝えくださいということで言付かってまいりましたので、主査に代わりましてお伝えさせていただきます。
 1点目でございますけれども、ワーキングにおける検討事項のうち、ほかの教科にも関わるような重要な事項に関しましては、なるべく早い段階で議論を行っていただきまして、他教科のワーキングにも議論をつなげるようにお願いしたいというスケジュールの点が1点目でございます。
 それから、2点目でございますけれども、今回、全体的に社会に開かれた教育課程ということ、様々な方にも分かりやすい教育課程を目指していこうということが全体の議論の目指すところとなっているところでございます。そうした観点からは、学習指導要領、これは法的なものでございますので、法的な性格、こういったことを踏まえながらも、学校のみならず、例えば、学校に関わる地域の方々でありますとか、教職課程で教員を目指す学生の方々、こういった方々にも分かりやすいような指導要領の構成や文章としていただきたいということが2点目でございます。
 3点目でございます。発達に応じた内容の系統性という発達段階の縦の軸、それから、現代的な課題に教科横断的に当たっていくという横の軸、この縦横の双方の軸を意識していただきながら、それぞれの教科がどのような意義を持つのかということを明確にするという観点から、各教科で育成すべき資質・能力ということの議論をお願いしたいということでございます。
 4点目でございます。卒業後、特定の学問分野や職業に進む場合だけではなく、どのような職業に就くとしても生かすことができるというような、教科の本質的な学びを重視して、資質・能力の在り方を御議論いただきたいということでございます。
 最後でございますけれども、現在、各ワーキングで教科の特性や独自性を踏まえた検討を進めていただいておりますけれども、一方で、総則・評価特別部会、あるいは年明けからは校種別の部会もスタートいたしますけれども、こういったところで全体的な構成に関わる議論も進めてまいる予定でございます。そうした全体的な構成に関わる議論の状況も踏まえながら、各ワーキングにおける議論を深めていただきたいというお願いでございます。
 それでは、小林補佐の方に移らせていただきます。

【小林教育課程課課長補佐】
 それでは、本日の配布資料から説明させていただきます。
 本日配布資料の資料1と資料2の方をお出しください。資料1の論点1に入ります前に、資料2の説明からさせていただきます。資料2につきましては、芸術系科目――音楽、図工、美術、芸術科ということで、その現状と課題というものの資料になります。
 1枚おめくりいただきまして、現状と課題、まず、音楽科から記載させていただいております。特にこの資料、一番上と真ん中のところ、その課題等を書かせていただいておりまして、それぞれの項目の下には、それぞれの前提となる話を書かせていただいておるものでございます。
 まず、音楽科のところでございます。一番上です。感性を働かせ、他者と協働しながら創造的に表現したり鑑賞したりする力を育成することを一層重視し、豊かな情操を養っていくことが求められているということで、あと、真ん中のところになりますが、我が国や郷土の伝統音楽に親しみ、一層よさを味わえるようにしていくこと、また、生活や社会における音や音楽の働きや音楽文化についての関心や理解を深めていくことが求められているということが、現状と課題ということで挙げられておるところでございます。
 また、次の下のページになりますが、図画工作、美術・工芸ということになっております。現状と課題でございます。まず、最初の部分でございますが、感性や創造力を豊かに働かせて、思考・判断し表現したり鑑賞したりするなどの資質・能力を相互に関連させながら育成することや、主体的で創造的な学習活動の充実が求められているということ、また、真ん中のところになりますが、生活を美しく豊かにする造形や美術の働き、美術文化についての実感的な理解を深め、生活や社会と豊かに関わる態度を育成することが求められているということで、図画工作、美術についての現状と課題ということになっております。
 続いて、一番最後のページになりますが、芸術科の書道の部分でございます。一番上の、書の伝統と文化を踏まえ、生徒が感性を働かせて、表現と鑑賞の相互関連を図りながら能動的に学習を深めていくことが求められているといったこと、また、真ん中のところになりますが、書と生活や社会との関わり、書の伝統と文化の理解を深める学習の充実、書への永続的な愛好心を育むことが求められているということ、また、中学校の国語科の書写との円滑な連携が求められているということになっております。
 また、その内容につきましてはその下に記載しておりますので、適宜ごらんいただければというふうに思います。
 これが現状と課題になりますが、併せて資料1の論点1の部分をごらんください。また、前回、論点整理や検討課題といった説明を基に意見を頂いたところでございますが、今回、そういった芸術系科目、学校教育における芸術教育という部分で、その部分全体としての意見を頂きたいというふうに思っております。
 また、前回の第1回目の意見でも、資質・能力として、芸術創造、伝統文化といったものの中にどのような創造的な能力があるのか明らかにしたいといった意見や、育成すべき資質・能力というものを子供たち一人一人に目覚めさせ、それはいずれ花開くということを理解させたいという意見等もございました。そういった中で、特に次回以降、各音楽科、図画工作科、美術科ということで、教科ごとに実際議論を進めていくという流れの中で、今回、特に学校における芸術教育の関係ということでの意見を頂きたいということで、論点1につきまして、学校における芸術教育の意義をどのように考えるか、また、芸術教育において、全ての児童生徒に育成することが必要な資質・能力は何かということで、冒頭の方、議論をいただければというふうに思います。
 論点2につきましては、後半、また別途説明の方をさせていただきます。
 続けて、他の特別チームの説明をいたしたいと思います。

【平野教育改革調整官】
 失礼いたします。それでは、私の方から、先週開催されました言語能力に関する特別チームの状況について御紹介させていただければと思います。委員の先生方、机上に3枚ほどホチキス留めでとじた資料を置かせていただいております。すみません、資料番号は入っておりませんけれども、「中央教育審議会初等中等教育分科会教育課程部会言語能力の向上に関する特別チーム(第2回)議事次第」と書いてあるのがございますけれども、先週金曜日にちょうどこちらが開催されましたので、こちらのワーキングでの御議論に参考になればということで御紹介させていただければと思います。
 資質・能力の在り方について、このワーキングでも御議論いただくわけでございますけれども、前回、大杉の方からこの緑色の冊子、左側の山のところにございますけれども、論点整理の御紹介をさせていただきました。ちょうどここに色の付いた付箋があるところをお開きいただければと思うのですが、スライド番号で言うと27ページの部分がございますけれども、この三角形の図のように、「何を知っているか、何ができるか」という個別の知識・技能だけではなくて、思考力・判断力・表現力、それから、それを使ってどう社会や世界と向き合っていくかという、この三つの能力をどう資質・能力として明確化し、打ち出していくかということについて、各教科ごとのワーキンググループで今御議論をいただいているという状況でございまして、この芸術ワーキンググループにおきましても、こういった芸術系科目における資質・能力の在り方というのを、今後、御議論いただくということを予定しております。
 今日はまだこの三つの能力に分けた姿というものは、資料としてはお示ししておりませんが、今後御議論いただくということを予定しておりますので、例えば、言語能力という、これは外国語科、国語科、両方にまたがるような言語能力として捉えた場合にどういうような考え方ができるかというので、先週金曜日にちょうど御議論をしていただいたところですので、御紹介させていただければと思います。
 先ほど見ていただいた、先週の言語能力の向上に関するワーキングチームの資料、1枚おめくりいただきますと、左側から、知識・技能と、思考力・判断力・表現力、一番右が、学びに向かう力・人間性という三つの軸で整理してみた場合、どういう能力が考えられるかということでございます。これはたたき台でございますので、金曜日もかなりいろいろ御意見が出まして、これからまた修正を加えていかなければいけないということでございますが、例えば、2枚目の3本の柱で整理した資料について申し上げますと、一番左側の知識・技能については、かなり文法事項的な細かい知識・技能に限定し過ぎではないか、もう少し幅広く知識・技能を捉えていく必要があるのではないかという御意見を頂きましたり、あるいは、学びに向かう力・人間性といったところでは、かなり抽象度が高い文章しか書いてございませんので、もう少し具体化して、ほかの二つの項目とバランスが取れるようなものを考えるべきではないかと。そういうような御議論もいただいたところでございます。
 それから、もう一枚おめくりいただきまして、3枚目でございますけれども、これは特に思考とか認知という、例えば、国語科ですと、読解力だけではなくて論理的な思考、思考言語としての国語力というようなものの育成も非常に重要でございますので、そういった観点で、認知ですとか思考のプロセスがどういうふうになっていくかと。
 あと、下の部分は、文字や音声による表現というのが考えられるわけでございますけれども、書くとか話すといった場面、そういった場面でどういう能力が働くのかというようなことを少し分析的に図示させていただいたというものでございます。
 例えば、これが芸術系科目における表現にそのまま転用可能かというと、多分そういうことではないと思いますけれども、ある程度議論の際の御参考にしていただけるのではないかと思いますし、多分、上の認知のプロセス、思考のプロセスなんかですと、もしかしたら鑑賞というときに働く能力を考えるときに参考になるかもしれないと。そういうことでお示しさせていただきました。
 以上でございます。

【福本主査】
 ありがとうございました。
 先ほど説明がありましたように、主査代理の方からは、総則・評価特別部会から各教科等別ワーキングへの検討依頼ということで、大きなフレームワークとして、考慮すべき要件というのを5点示されておりました。その中で、特にこういったワーキングでの検討事項というものが地域社会に開かれているという意味で、非常に地域フレンドリーな文章にしていくということが望ましいというふうなことであったり、あるいは、教科に通底するような、系統性と教科横断的な縦と横の軸を意識したような資質・能力について検討を進めてもらいたいというふうなことがありました。これは芸術の方では既に義務教育に関しては共通事項という形で一部反映しているとは思いますけれども、こういった資質・能力とは何かということもさらに検討してほしいというふうなものがあったと思います。
 それから、義務教育だけではなくて、高校も見据えた教科特性の裏付けとなるような資質・能力をどういうふうに捉えるのかというようなことを、是非ここで検討できればいいかなというふうに思っております。
 そういったような説明の後に、芸術系科目の現状と課題ということで、各校種別、または教科別に少し資料説明もございました。少しお目通しをしていただきながら、また検討していただければと思います。
 それから、先ほどの言語能力の資料についても補足説明をしていただいて、これまでの言語活動の重視ということと、今後の言語能力というものの関係の在り方、それから、芸術教育として認知活動の中での造形的なもの、あるいは音楽的な観点からの能力というのはどういうふうに捉えたらいいのか、その中で言語能力というものをどういうふうに見据えた形で今後教育課程に位置付けていくのかというふうなことで検討されているような進捗報告をされたというふうに思っております。
 こういったことを少し意識していきながら、きょうの論点が二つございます。とりあえず論点1というので、学校における芸術教育の意義をどのように考えるのか。非常に大きなテーマです。ここで前回の議論も踏まえて、継続してきょう意見交換をしたいというふうに思っております。
 本日、新たに出席をしていただいている3名の先生方、前回、第1回では各委員の方から、こういった芸術教育の意義に対する私見というか、個人的な考え方というものを御自分の領域、あるいは経験を基に話していただいた時間を持ちました。そういう意味で、先ほど、お名前だけの紹介でしたけれども、是非この場で芸術教育の意義を、論点1を考えていく上で、とりあえず、いきなり申し訳ないのですけれども、この3名の、きょう御出席の方に少し自己紹介も兼ねて、芸術教育の意義についてどういうふうにお考えを持たれているというのかということを少し表明していただければ有り難いなというふうに思っております。
 いきなりで申し訳ないのですけれども、宮﨑先生からちょっと。簡単で結構ですので。

【宮﨑委員】
 富山県の方で、入善小学校という学校の校長をしております宮﨑でございます。私は富山県の音楽教育研究会の会長、それから、小学校管楽器研究会等の会長も務めています。
 校長になって4年を経ているわけですけれども、着任した学校がどういう学校か一言で表すとすれば、入善町の方ではなかなか来たがらない学校という学校であったわけです。4年間勤めさせていただいて、少し学校が落ち着いてきました。落ち着いてきた理由を職員に聞きますところ、「校長先生、音楽の力です」と言ってくれました。実際に自分が音楽の授業を教えているときはそういうことは考えなかったんですが、実際に校長という立場で学校全体を見回したときに、音楽の持っている力というものが改めて大きいんだなということを感じています。
 芸術という観点で全てのことを語ることはできませんが、音楽が専攻ですので、音楽という観点から少しお話をさせていただくと、人が生きていくときに一番必要になるのは、食べ物、水、そういうものがまず必要になると思うんですね。その次に、生きていくための空間、場所、それから、衣類、そういうものが必要になると思います。実際に大きな震災があったときに、まずライフラインを確保するということが大事で、その後、衣服、そういう住居環境を整えるということが第一に立ってきました。
 しばらくそれが安定してくると、人間の、人々の中に別の感情が湧いてきて、心の安らぎとかというふうな面で言うと、音楽的なことも非常に大事なことで、音楽を求めるようになる。生きていくために芸術というのが本当に必要かどうかと言われると、どうなのかなと思うのですが、生きていく、そういう、生活を豊かにしていくという意味で、芸術はすごく必要なんだろうなというふうに思います。
 ですから、いろいろな調査で、音楽で言うと、将来、音楽が生活に役に立つと思いますかというふうな問われ方をすると、なかなか子供たちもぴんとこないんですが、実際に生活をしてみると、音楽、芸術に触れることで生活がすごく豊かになって、それがもっと言い換えると、必要なことなんだろうというふうに思います。
 それで、学校における芸術教育の意義というふうなことで、自分がまだもやもやしている状態でお話しするとすれば、将来、生活を豊かにしていく上で芸術に触れていく、芸術を感じ取っていく、そういう力をしっかり付けていくことかなというふうに思います。美しいものを見て美しいと感じる、それから、美しい音楽を聴いて美しいと感じる、やっぱりそういうものはしっかりとした教育の中で培われていくものではないかなというふうに思っています。教育以外でももちろん培われることはあると思うんですが、教育の中で培われることが大きなことではないかなというふうに思っています。
 いきなりでしたので、まだ意見がまとまりませんが、以上でございます。

【福本主査】
 後ほどでも結構ですので、また御意見を伺えればと思います。
 八巻先生は書道という立場で、実は私の祖父も書家を大阪の方でしておりました。非常に子供時代にはそういう書道というか、言葉というものの語源的な意味だとか、そういうものを聞きながら、非常に書の美しさというものを感じた覚えがございますけれども、先生の立場から、芸術教育の意義というものについてお話しいただければと思います。

【八巻委員】
 八巻です。よろしくお願いいたします。私は高等学校の書道が専門でして、現在、大阪府の高等学校の書道教育研究会の会長ということでもさせていただいております。
 私の方から、この大きな命題にということではないんですけれども、このところで答えになるかどうかということはなかなか難しいんですけれども、芸術教育ですが、知育、徳育、体育の部分の徳育を非常に占めているのではないかなというふうな感じを思っているわけですが、小学校、中学校、高等学校、それぞれの年代に応じて育てる、発達段階に応じた能力の育成というのが非常に大事になってくると。そういうふうには思っております。
 特に高等学校の芸術では、3科そろって「感性を働かせ」という言葉がずっと入っております。感性というのはどういうふうに見計れるかということなんですが、他教科でもやはりそういうところはあるのかも分かりませんが、特にこの部分に関しては、芸術が担うものであるのではないかなというふうにも、これは自負しながら授業もして、それから、今、書道教育に関わっておるわけです。
 感性というのはどういうふうに磨かれるか、非常に難しいんですけれども、物を見て感動する、これは皆さんもよくお分かりかと思いますが、もう一つは、憧れなんかもそうなのではないかな。いい歌を聴いてそれに憧れる、あるいは、いい楽器の音を聴いて憧れる、あるいは絵でもそういうことが言える。文字に対しても、あんな字を書きたいという憧れ、そういうふうな憧れを持つことも感性につながっていく、感性を働かせるというところにつながっていくのではないかなというふうにも、私は感じているわけです。憧れを今度実践に移して、例えば、書道であれば、ああいう線を出すにはどんな筆遣いをしたらいいのだろうかと。どんな墨を使えばいいのだろうかというふうな工夫が感性を磨くということになるのではないかなというふうに感じます。
 大阪でも、いろいろ私も事務局といいますか、教育センターの方に長らく勤めておりまして、いろいろな学校の実践を見るときもありましたが、そのときに、支援学校等でも本当にすばらしい実践がありまして、その生徒さんは車椅子を使用しながら、大きな文字を大きな筆で書くというところで、筆と墨の関係、あるいは紙の関係、もちろん指導者の指導のおかげもあるんですが、非常にすばらしい字を書きまして、周りに感動を与えるような、府の中でもすばらしい作品と認められるような作品が出来上がったりというところで、非常にその年代に応じた可能性が開けるというふうなことも実感をしております。あるいは、課題の多い学校でありましても、書道の授業を通して学校生活へ向いていくというような実践も聞いておりますので、そういうところが芸術教育、学校教育の中での芸術の役割ではないのかなというふうに思ったりしたことがございます。
 それから、あと、学校教育ですので、もう一つ大切なのは、評価ということが非常に大切になってくるのではないかな。学校教育の中で芸術をするには、評価というものが必ず付いてくるんですが、私も、前回の学習指導要領のところでは、評価の規準の作成のお手伝いをさせていただいた関係で、高等学校、特に大阪の高等学校で、観点別評価の推進というものもやっていたわけですが、小・中の実践はよく大阪でも聞きますが、今、なかなか高等学校で進んでいくことが非常に難しい状態であるというふうなところで聞いております。これからアクティブ・ラーニングであるとか、そういうふうなところで、なかなか今度は評価に結び付くのが難しいようなところに来るかと思うんですが、その辺のところ、しっかりとした観点別評価というものも、今現在も進めておるんですが、次回もう少し進めていかないといけないなというふうな思いも持っております。
 なかなかまとまらないんですが、この辺でということで、よろしくお願いいたします。

【福本主査】
 ありがとうございました。
 それでは、由紀委員の方からは、もちろん芸能界のアーティストとしてだけではなくて、やはり我々多くが直接芸術教育に関わっているんですけれども、一人の教育を取り巻く社会人というか、社会の第三者的な目線で御意見も頂けるでしょうし、また、日本の童謡等についても、非常に昨今、活躍されているということで、教育との接点も持たれているというふうな視点からお話しいただければと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

【由紀委員】
 由紀さおりでございます。どうぞよろしくお願いします。
 第1回の皆さんのお話をまとめた小冊子を送っていただいて、それを読ませていただいて、私はここにいていいのかしらと思うような印象でございまして、きょうは実に自分が何の話ができるのかなと。短大は出ていますけれども、教育課程で先生の資格を持っているわけでもありませんし、でも、傍らで歌っている姉は、お隣の山下先生の同じ学校を卒業して、副手で講師もしておりましたので、そういう姉の力をかりて、童謡、唱歌を歌うコンサート、来年が30年になります。
 そして、姉は5年ほど前から幼児教育の専門学校の特任講師になりまして、月1回、講義を持っておりまして、いろいろな世代の方々が、再就職を目指していらっしゃる方もいるし、音大の学生で修士課程じゃないですけれども、先生の資格、保育士としての資格をその学校で学ぶと取れるということもあって、各年代の方々を相手に仕事をしているようですけれども、童謡コンサートをやらせていただく中で、スポンサーの皆さんの絶大な力を頂いて、中学校に歌いに行く「手作り学校コンサート」というのを、今年も終えたんですけれども、14年やっております。80校近い学校に行って歌っております。
 それと、姉が幼児教育の専門学校の先生になったということもあって、姉の代わりに私ができることは何かというので、友人の方のお勧めがあって、まずは、勇退なさいましたけれども前千葉県知事の堂本先生と一緒に千葉の幼稚園に歌いに行ったことがきっかけで、友人の方がNPO法人を立ち上げてくださって、自分はなりわいで歌っていることもありますので、学校に歌いに行ったり幼稚園に歌いに行ったりということが経済活動にならないようにするための、自分の立ち位置をきちっとするための部署を作りまして、ソレアードの会というのを作って、自分はそこで活動しているんですけれども、幼稚園はコトノハというNPO法人の方のところでやらせていただいて、福井県は行政で3年間呼んでいただいて、保育園、幼稚園で歌っている。童謡で何を伝えたいかということをやっているんですけれども、一番顕著な例と言うとなんですが、14年間の中で最初の4年ぐらいは、新聞の一面広告を出すと400校近い学校から応募がありまして、その中で私たちはボランティアでやっておりますので、掛かる費用は全部スポンサーの日本通運さんが出してくださって、学校の講堂でコンサートをやるというのが、私たちがふだんやっているコンサートと、カタルシスと、それから、状況、雰囲気、音楽を伝える手立てはほとんど変わらない状況で歌う。そこが自分たちが通っている講堂でやるというところでやらせていただいていたんですけれども、5年目、6年目になって一気に応募が減りました。それは、教頭先生と校長先生の世代交代が一気に進んで、我々が歌ってきたというか、先人たちが残した日本の音楽教育の基となっている歌を歌ってきたわけですけれども、そこに興味を示してくださらない先生方が増えたということですかね。それと、その辺で日本の歌を音楽の教科書に入れて、これだけは生徒に教えるようにという時期が文科省の中にもあって、そこで取材を何度か受けたりもしたんですけれども、音楽の先生もお若くなっていらっしゃるので、知らない。5曲ぐらい、例えば、滝廉太郎の「花」とか、「故郷」とか「浜辺の歌」とか「椰子の実」とか、後世に残したいというそれぞれがチョイスした5曲を音楽の教科書に入れていただいていますけれども、ほとんど、5曲は難しいとしても、教えてくださるところが半分ぐらいですかね。それは先生のチョイスに任されているというところがあるからだと思います。しかし、これを強制的に教えるようにということになると、その昔で言うところのお上の強制的な何か指導というようなことになって、反発をきっと頂くのかなというふうに思ったんですけれども、そういう中で、最初は全く荒れた学校で、365日の300日ぐらいは警察のお世話になっている学校にも実は歌いに行きましたけれども、他校の女子生徒を誘って、制服ではなくて背中に竜のミシン刺繍のなしているてらてらのジャンパーを着た子供たちが何人かおりましたけれども、彼女と手をつないで私たちのコンサート、実に穏やかな表情で聴いてくれるというような現状を目の当たりにして、あ、伝わったのかもしれないなと。何か情緒不安定でじっと椅子に座っていることができない生徒、それから、最初から最後までずっとうつむきかげんで私たちの歌を聴いているのか聴いていないのか分からない。だけど、その子に向かって、最後は絶対顔を上げてもらいたいと思って歌って、最後の3曲ぐらいで何とかちゃんと姿勢を正して受け止めてもらえたようなこともございました。
 今はほとんど応募をするということもありませんので、口コミと知り合いの県の先生方、それから、私たちが出掛けていって知り合いになった教育委員会の先生方と連動して、年に4校くらいですかね、これをやらせていただいているんですけれども、その中で、私が今回のこのグループの皆さんの中で正しく妥当な意見かどうかは分かりませんけれども、経験してきたこととしては、音楽の授業が少ないです。と私は思う。それから、中学は1年生、2年生が1.5時間かな。3年になると部活も引退ということを子供たちは使いますけれども、受験のための勉強に入ると。部活も今、ほとんど合唱部があるところがありません。吹奏楽部が圧倒的に多い。
 それで、幼稚園に歌いに行って、若い世代のママたちと接することでも感じますけれども、私たちの時代と何が一番違うかというと、やはりインターネットの出現です。それと、携帯。それによって、我々の仕事場も、自分はそこに身を置いているので、こういうことをお話しするということはちょっとどうかなと思うけれど、ほとんど皆さん、我々の業界の人たちもMCは覚えません。カンペです。カンニングペーパーをされて、だから、皆さん、テレビをよくごらんになると、司会者にしても、芸人さんが何か司会をしていても、お分かりと思いますけれど、重要な決め事のコメントを言うときは、カメラに目を向けていない。目線は必ずカンペに向かっているんです。歌を歌っている人もそういうことが非常に多いです。生放送で、自分が歌詞を間違えることができないというある種の切迫観念もありますし、収録の場合でも、歌詞を間違えることによって撮り直したりするという迷惑は掛けちゃいけないというので、そこに一応目安として置いてもらうというのがプロンプターの役割であったはずなんですけれども、今はプロンプターがないと歌わないという人が8割ぐらいいらっしゃいます。カラオケもそうですけれども、文字が出ていますね。だから、歌っていらっしゃるけれども、私は体の中に染みついて、本当に歌を歌っているというふうには基本的には思わないんです。文字を追っているだけです。
 なので、今の子供たちも、例えば、何かを調べようというときに、グーグルでぽっと押せば、全部答えは出てくる。でも、私たちの時代は、図書館に行って、これは一体どの本に載っているんだろうと目安を付けて行っても、その本に載っていない。広辞苑だったり、辞書だったりということのほかに、何で調べたらいいんだろうというときに、図書館の司書の方にこういうことを調べたいと言って、これはこの本でお調べになったらどう? とかって、そういうそこの人との関わりの中で、自分が見付けたい答えを見出したもの、それは頭の中にしっかり入っていて、忘れない。ところが、今、ぽんと何でも便利で出てくるので、そこで出てきたものは、「そういうことか」というだけで、1週間もたてば、それは私も経験でそうですけれども、覚えない。皆さんもそうだと思う。私もそうですけれども、昔のダイヤルの電話番号の頃は、大体常に掛ける人の電話番号は頭の中に入っていましたけれども、今は電話番号は、「自分の携帯番号を教えて」、「ちょっと待ってね」と言って探すような、そういう時代になりました。
 ですから、これから皆さんがここで議論なさるところは、そういう、今、子供たちが置かれている生活環境が本当に違うということをもっと認知していただいた方がいいかなというか、それは皆様方、専門的な分野でいらっしゃるけれども、すごくそれを自分は学校に行って感じるんですね。大学の先生で、齋藤孝先生が、音読を進めたことがありましたでしょう。私たちの中学、高校は、例えば、島崎藤村であったり、高村光太郎であったり、『初恋』であったり、『レモン哀歌』だったり、『智恵子抄』だったり、国語の時間に暗唱いたしましたね。そして、暗唱して、それをみんなの前で発表するということは、私たちが歌を歌って、お客さんの前で歌うことに非常に精神性は近いものだと思うんですね。そして、そこで初めて日本語の抑揚と句読点、そういうものをちゃんと文言によってそれを理解して使って、そこをちゃんと意識して相手に伝えないと物事が伝わらない、センテンスが伝わらないということが自分にも、自分の体の中で覚えて経験する。人の前でそこを朗読する。いまだに私は、「まだあげ初めし前髪の」というのは、全部暗唱したら今は難しいかもしれませんけれど、出だしから幾つかの文言は出てきます。福島に行って、高村光太郎の『智恵子抄』がここで生まれたという、安達太良山が見えるところに慰問に行きましたけれども、そのときにふと、自分の中学生、高校生、国語の先生にすごく私は影響を受けましたが、そこがよみがえってくる。そういう経験が本当に、今の子供たちは少ない。そして、言葉を聞いて想像するということを今はしません。
 そして、今の非常に偏った音楽の情報の与えられ方だと思っていますが、全部言葉で説明し、映像で説明する。音楽も見る時代になっちゃった。私たちはラジオの時代でしたから、全部ニュースも音楽も歌もドラマもみんな聞いた。でも、今、みんな、見ているんですね。だから、言葉が余りこちらに来ない。届いてこないというのが、今の我々、特に私が自分でテレビの番組で歌ったりするときにすごく難しいというか、本当に届いているんだろうかという感じですかね。
 それから、音楽番組を制作する世代も若いので、全部絵で何か説明できるものが欲しい、その絵を写したいというのが、今のテレビ番組の作られ方なので、そういう、物に触れて、そして、日本語はメロディーです。リズムじゃないので、リズムをより相手に強く伝えようとするための音楽の作られ方が主流です。だから、日本語のアクセントがおかしい。それは今のテレビの女子アナたちの、それから、天気予報の解説の人たちの文言を聞いていても、この間、「大きな波がこみ上げてきました」と表現していらっしゃいました。すごく大雨で注意してくださいという表現の中で、「大波がこみ上げてきました」とおっしゃって、「こみ上げる」ということはこういうときにも今の人は使っちゃうんだなと。「こみ上げる」って、何か感情の表現だろうと思うんだけれども、そういう表現が普通になって、「17」、「18」、「19」と今の人は言います。アクセントがおかしい。それは、槇原君には悪いんだけれども、私は、自分が公演するときに例題として出させていただくけれども、「世界に一つだけの花」というのがありますけれども、ほとんどシンコペーション、ザ、ザー、ザ、ザ、ザーザと、こういう、日本語はそういうアクセントがない。でも、今、ほとんどリズムで歌っていらっしゃる方はそこを多用するので、我々の世代にとって、若い世代の歌で日本語をキャッチするということが実に難しいのは、句読点がないことと日本語のアクセントに沿わない、沿って歌っていないということなんですね。
 だから、学校の音楽教育の中でも、子供たちが喜んで一生懸命歌ってくださる歌を、まず先生はチョイスする。これはキャッチしてほしい、興味を持ってほしいということではしようがないのかもしれませんけれど、学校教育の中では、やはり滝廉太郎は歌ってもらいたい。滝廉太郎、私たちの自分たちのステージで言っているんですけれども、明治の音楽取調掛というところが日本の小学校、中学校に足踏みのオルガンを配置したところから日本の音楽教育は始まっているんですけれども、そのときには、日本の作家が育っていなかったので、外国の曲に日本語の歌詞を付けて、学校教育が始まって初めて音楽の教科書に、ハーモニーを取るというところで、滝廉太郎の「花」が音楽教育の第1曲目として取り上げられたというふうに私たちは、100年という時空を超えて今も残っておりますが、一つ残念なことは、濁音と鼻濁音の使い分けが今はありません。ほとんど、「ガ」と歌います。「すみだガわ」と歌う。「すみだがわ」です。この濁音と鼻濁音は、ほとんど今の音楽教育の学校の先生方は御存じありません。学校教育の中で是非私は、今回、ここの皆さんの仲間に入れていただいて、自分の感じたことをお伝えできる場として参加させてもらっているんですけれども、濁音と鼻濁音をやはり復活させていただくことは難しいのかなと。「どこかで誰かガ」って歌うの、みんな。そういう歌もあっていいです。

【福本主査】
 由紀先生、一、二分でまとめていただけますか。

【由紀委員】
 だけど、私はこれだけを言わせていただきたくてここに参加させていただいたので、こんな現状を感じながら、学校教育の中で、先人たちの残した歌は歌っていきたいと思って、「手作り学校コンサート」は自分たちが声が出るまで続けたいと思っています。ですから、学校教育の中で、こういうバックボーンがこれだけ変わったということに、もう少し手立てとして細やかな配慮、音読で本を読むとか、もっといっぱいみんなと一緒に声を出して歌うとかということを復活させていただけたらいいなと思って、きょうはここに参加いたしました。
 ちょっと長くなりましたけれど、私が今までやってきた思いのたけがこれですので、お酌み取りいただいて、次の要領の中にはこんなことを入れていただけたら、私が今までやってきたことは意味があることなんだなと思わせていただけることになろうかと思います。長くなりました。すみません。思いのたけをお話しさせていただきました。

【福本主査】
 ありがとうございました。
 今、3名の方から、それぞれ芸術教育の意義について語っていただきました。
 宮﨑先生の方からは、やはり子供たちの豊かな感性というものをどういうふうに生かすのかということで、生活の中で生きる芸術教育の有用性というか、そういったようなものを強調していただきましたし、また、八巻先生の方からは、非常に「感動」であるとか、「憧れ」という言葉が出てきておりましたけれども、感性価値というか、そういったようなものの重要性であったり、あるいは、前回の資料の8でもありましたけれども、芸術教育の評価の問題についても触れていただきました。
 また、由紀先生からは、一つは童謡をはじめとした芸術文化、あるいはその伝統の継承の問題というのを芸術教育の中で生かせないだろうか、また、先ほども強調されておりましたけれども、非常に社会が急激に変化する中でインターネットの状況、そういった中で非常に音楽教育に及ぼしている影響というのがあるんだというようなことで、非常に表層的な情報の受け渡しというところからもう少し身体化された知識、あるいは情報といったようなものに再度目を向けるべきではないかということで、そういうふうな非常に表層的な動きと芸術教科の関係性というものを強調されていたかのように思います。
 芸術教育の意義を考える上でも非常に重要なキーワードが幾つか出てきておりますので、こういったことをベースにしながら、ほかの先生方からも少し意見を、10分少々取って、意見交流をしたいというふうに思っております。
 いかがでしょうか。前回も言いましたけれども、発言されたい場合、他の委員の方が発言されている途中でも、こうやって名札を立てていただいておりますと、また振るようにいたしますので、是非そういうふうにしていただければと思います。どなたからでも結構です。音楽、美術、いずれの立場でも結構ですし、また、書道の立場でも結構です。それから、校種も様々ですので、いろいろ意見もあろうかと思います。御自由に御発言いただければと思いますが、いかがでしょうか。
 じゃ、阿部先生、お願いいたします。

【阿部委員】
 阿部でございます。感性とかいろいろ、前回よりいろいろな話が出ているかと思うんですが、もう一点、学校教育において大切にしておきたいというふうな根幹にあるのは、創造性とか創造する力というところを、これは人類の歴史から見ても、感性、若しくはイメージの方の想像力など、人間の持つ諸感覚全体を働かせてできた創造する力が、文化や文明を築いてきたということは承知のことだと思っています。今後もこの学習活動が育成されるべきもので、特に芸術教育においては根幹に据えられるべきものと考えています。これらは知性と一体となって築き上げられていきますが、その基になる感性そのものも基盤になっていると思っていますので、感じること、察すること、意を酌むなどの、人間本来のベースにあっているものが気付きにつながって、また、認知の方にも進んでいくということは前回どおりでございます。
 その育成に当たっては、諸感覚を働かせる、私どもで言うところの造形活動、造形教育が大切だというふうに考えております。特に手を使って体全体を使って材料を変化させて直感に訴える、ひらめきなど、そういったものも大切ですし、造形という言葉の中には、形造るという、形を造るプロセスまで含んだ言葉ですので、作品主義にならずに、過程を重視したことをこれからもまた大事にしていきたいというふうに思っていますので、造りながら、描きながら、子供たちが創造性を育んでいるというふうに考えております。
 また、物のよさ、美しさというのは、日常の生活の中で身に付けていますが、この教育の根幹をなしているのは美術教育だというふうにも考えております。物の持つ形や色の美しさ、これは世界共通の言語になっているというふうに考えています。昨今のオリンピックのエンブレムや、明日決まると言われている国立競技場のデザインなど、多くの人たちが関心を寄せているのも、芸術教育の成果というふうにも私自身は見ておるところです。
 こういったことを、是非つないでいくということ、また、時数も含めて、きちっと確保していくことが大切だというふうに考えておりますので、意義としてまずは初めの話とさせていただきたいと思っています。

【福本主査】
 ありがとうございました。
 それでは、関連して、福岡先生の方から。

【福岡委員】
 阿部委員に関連しての話なんですが、特に芸術教科において創造力の育成が根幹に据えられるもの、その育成には、感性を働かせることが基盤になっているとの阿部委員の考えに、今、お伺いしていて、同じ思いというか、なるほどというふうに感じております。
 私、小学校におりますが、図工の時間には子供たちが感性を働かせながらつくりだす喜びを味わい、そして、創造性の基礎みたいなものを培っていく、そういうことを日常的に目の当たりにするわけです。例えば、感性を働かせながら発想する子供の姿として、小学校の1、2年生は、材料を触りながらも、先生の方に来るんです。「先生、いいこと考えた」。その材料に向かい、その形や色からイメージを思い浮かべて、つくりだす喜びに向かっていく、そんな姿なんです。
 高学年も、感性を働かせながら発想する。例えば、5年生の女の子の言葉なんですが、「きょうの図工の時間、私は頭で考えないで手で考えました。すると、アイデアがひらめいて、手で触りながら考えるのっていいなと思いました」と図工カードに書いているんですね。目の前の材料の形、色に働きかけながら、自分の中で作り変えて作り続ける、そんな姿です。
 また、鑑賞の能力を発揮する場合にも、感性を働かせながらという子供の姿が図工の時間にはあふれています。色づくりをしているときに、「ねえねえ、見て。こんな色ができたよ」という友達に対して、「ほんと、きれいな色やね。これ、どうやって作ったの? ねえねえ、教えて」、友達の作った色に本当にきれいなって感心して、鑑賞の能力を発揮しながら、今度は自分の技能を創造的に高めていきたい、そんな姿です。
 高学年になりましたら、鑑賞の能力を発揮して、感性を働かせながら友達と形や色などによってコミュニケーションを通しながら目の前の課題を解決していったり、また、友達と協働で何か新しい意味や価値を創り出していったり、そういったときに非常に深い喜びを感じているんだなというふうな、そういったところが見て取れます。
 これからの社会を支えていく人材といった場合に、今、主体的に学び、創造する力を持っているということを言われますが、そんな子供の姿を見ているときに、芸術教科はその根幹を担っているなというふうに思います。
 そういった創造する力の基となる資質や能力は、感性を働かせながら発揮されるもの、そしてまた、その資質や能力は様々、個々、ばらばらではなくて、一体的に育まれていくものというふうに考えます、阿部委員の考えになるほどと思ったので、小学校の姿を話させていただきました。

【福本主査】
 ありがとうございました。
 音楽の先生方からはいかがでしょうか。じゃ、市川先生、福島先生、先にお二人でよろしいですか。すみません。

【市川委員】
 すみません。私、美術なんですけれども、宿題を頂いていますね。論点1の方に、学校における芸術教育の意義ということで、私、以前、お話ししたかどうかちょっと忘れてしまったんですが、教員のなりたてが養護学校、今の特別支援学校だったんですね。今から34年も前です。今現在は、特別支援教育は非常に進んでおります。本当に隔世の感といいますか。
 今、この場は美術ですけれども、私、美術の教員として仕事をしながらずっと考えてきて、いまだに答えが見付からない。皆さん、そんなばかなとおっしゃるかもしれないけれども、例えば、芸術って何ですか。学習指導要領に芸術とは何かって書いていないです。美術というのは何ですか。工芸って何ですか。工芸で育てる狙いとか目標、それから、今、こちらに子供たちをどういうふうに育成するかということはお示しになられているけれども、では、美術とは何か。これは時代とともに恐らく変わるから、そこのところを固定的に確定しなかったんだろうなとは思いつつも、でも、芸術って何ですか。芸術でないものは何ですか。そういう問い掛けを自分で常にしてきたんですね。
 特別支援教育との関係ですけれども、特別支援教育は何で進んだかと考えますと、医学の進歩なんです。学校教育が進んだのではなくて、医学の進歩で様々な障害についての研究が進み、どういうふうにしたらそれを克服できるか。医療面、医学面での進歩が学校に生かされて進歩したんだと思います。
 ところが、感性って何でしょう。感性というものをしっかりと定義付けて、例えば、感性の働いている生徒と感性の働いていない生徒の違いは何ですか。感受性ですか。感受性だけでもないですね。医療的には血圧が上がったり、あるいは、神経作用を生じたり、そういうことだと思うんですね。例えば、美しい色。色を感じているのは、これは大脳ですから、やはり視覚神経を生かして、それが何か心に感じ取られているものがあるんでしょう。それを医学、医療の方たちはよく分かっていると思うんですが、なかなかそれを学校には、科学的な根拠ということで学校教育の進歩にどこまで生かされているのか。
 私は、やはり特別支援教育と同様に、普通教育の方でも、医療面での進歩をしっかりと生かしていただきたいなと思います。非常に心配なのは、今の生徒が、皆さんもおっしゃっていますけれども、インターネット等のそういうテクノロジーの進歩で、確かに様々な視覚的なものに触れる機会は多いんですけれども、本当に大昔の人と比べて感性が高いのかどうか、私は分からないです。なぜかといいますと、スケールがないからですね。現在の生徒でも、スケールがないんです。感性の豊かな生徒とそうでない生徒のスケールが。スケールがなければ、評価もできません。活動の評価はできるかもしれませんけれども、いかがでしょう。国・社・数・理・英のように、成果が明確にスケールとして目の前に見えますか。見えません。ですから、ここを何とかクリアにしないと、美術、工芸、音楽、書道、それぞれ芸術はほかの教科とは違って、ここがこういうふうに育てられている、芸術の教育によってこういう効果があるんだということを根拠として示すことがなかなか難しいのではないかなと。ですから、私は、是非そこに医療、医学の方たちに助けていただきたいなという気持ちがございます。
 ちょっと話があちらこちら飛んでしまいましたが、芸術の科学的な根拠ということで、是非そういう視点を持っていただきたいなということでお話をしました。以上です。

【福本主査】
 ありがとうございました。
 副島先生、それから、宮下先生、後ほどの論点2のところでもいいですか。じゃ、ちょっと短い二、三分でまとめていただければと思います。

【副島委員】
 それでは、自分は中学校の音楽の教員なもので、少し音楽に偏った話になるかもしれませんが、芸術教育の本質というところでいきますと、先ほどの話に「創造力」とか「感性」とかありましたが、もう一つにはやはり、「感情の表現とコントロール」ということがあると思います。芸術には、子供たちが自分の気持ちを表現できる、若しくはそれをコントロールしながら表現できるといったよさがあります。「ある様式に沿って」とか、「ふさわしい表現」といった中で、子供たちは自分の感情表現をコントロールするのです。それから、芸術作品との出会いの中で、そこに自分の感情を投影しながら自己理解を深めていくという側面、メタ的に自分を見ながら自分の感情を捉えていくという側面や、さらにはそういった感情を、子供たち同士が芸術の中でコミュニケーションしていくという側面など、子供たちの感情に関わることを非常に強く捉えて指導できる芸術教育というのは、非常に意味があるのではないかと思っています。
 この部分が一つ大きな本質の部分ですけれど、それと併せて、学校教育全般で考えますと、例えば、特別活動における音楽活動や、美術活動での子供たちの活躍が、達成感、満足感、充実感といったように、自己肯定感につながっていくという側面、子供たちの芸術の中で一緒に取り組む活動が、よりよい人間関係づくりにつながるという生徒指導的な側面、学級づくりでいけば、よりよい集団形成という側面などが考えられます。子供たちにとっての芸術教育の可能性というところでいきますと、芸術教育の本質以外にも、子供たちの社会へとつながる自己肯定感であるとか、社会における人とのつながりであるとか、よりよい集団の形成といったことなど、芸術教育で学ぶ意義というのはあるのではないかと思います。
 ただ、学校現場でちょっと危惧することがあります。例えば、音楽科の授業の延長線上に、成果発表の場としての合唱コンクールがあるということは、非常に幸せなことであって、授業の中では得られない満足感が、合唱コンクールのステージで歌うことで得られ、子供たちの達成感につながるということ、そういった意識を持って指導されている先生がいらっしゃる一方で、合唱コンクールのために音楽の授業がその準備や練習に追われる状況となり、先生たちがそれに四苦八苦しているような現状も見られます。それから、例えば、図工、美術でも、本県では学童美術展が行われています。授業で取り組んだ成果の発表の場としての美術展であればいいのですが、その美術展に出品させるのが目的になって、一生懸命授業の中で制作に取り組んでいるような現状があったりしたときに、我々教師の意識のずれを感じます。このあたりをもう一度、芸術教育の本質に立ち返って考えていかなくてはいけないと思います。
 以上です。

【福本主査】
 ありがとうございました。
 じゃ、宮下先生も一言お願いします。

【宮下委員】
 1ですか、2ですか。

【福本主査】
 1の方で結構です。

【宮下委員】
 感性の定義というのは難しいらしくて、いろいろな文献を読んでもなかなか定まっていないんですけれども、やっぱり確実に私たちが理解しておかなければならないことは、それは受動的なことだけではないということですね。やはり何かを感じ取るということじゃなくて、感じ取って自分を変革していくというか、価値に関わって新しいものを創造していくというものを含めて感性だというふうに定義されて、これが今のところいいのではないかと思います。
 論点1のことですけれども、学校教育で芸術の目的に関わることとして、究極を申し上げれば、芸術と人間との関わり、すなわち芸術は人間や社会や、そして、児童生徒、自分にとってどういう意味があるのかということが分かって学校教育を終えていくという、ここが究極の狙いではなかろうかなと思います。
 では、そのためにどういうことをやったらいいかと考えたときに、表現とか鑑賞とかが出てきて、そこで経験をさせないと、芸術というのはこういうことが大事だと分かっていてもだめなわけで、どういう経験をさせるかとなると、とりわけ今音楽の本質から離れているところが多いので、感動するという、ごく当たり前というか、抽象的なことなんですけれども、それとか、それから、創造、創り出すこととか、それから、自分の感情の変化、音楽と関わって、あるいは美術と関わって、自分の気持ちがどう変化したかということを認識する。
 先週、合田課長に奈良と大阪と京都の3教育大学で御講演をいただいたんですけれども、国語の教材の「ごんぎつね」の話をされて、「ごんぎつね」を文法的に理解するということと、「ごんぎつね」を感動するということを対立として捉えるのではなくて、「ごんぎつね」を読んで感動して涙が出るということは、どういうところに原因があるのかということを教えるということは非常に重要だというようなお話をされたんだけれど、音楽も美術もそうだと思うんですね。
 そこで、じゃ、自分の感動とか、音楽をつくりだすというためにはどういうことが必要かとなってきたときに、認識する、考える、表現するということが出てくるのではないか、あるいは協働で何かを作るというようなことが出てくるのではないかと思います。音楽、美術が分からなければなかなかそこへたどり着けないわけで、そのときに初めて感性と知性によって対象を捉えるという必要性が出てきて、学習に乗っかってくるのではないかというふうに思います。音楽を聴いて、直感もとても重要ですけれども、感動するということはいいでしょう。でも、芸術というのは知性と感性との両方でできているものとして考えたときに、音楽は、徳育ってさっき話がありましたけれども、徳育としてばかりではなくて、やっぱり感性的と、それから、知性的な営みとして学習する教科であろうというふうに思います。そのような階層性があるのかなというふうに思います。
 今言った、知性と感性を働かせて対象を捉えるということは、さっきの総則・評価特別部会の報告のところでありましたけれども、卒業後どのような職に就いても生きていく能力、つまり、汎用性のあるものとして、抽象的な美術とか音楽というものに対して、それを感性として捉えるという力は、ずっとこれから生きていく上で働かなければならない。物事を感性だけで捉えたり、物事を知性だけで捉えたり、そういう人間にはなってほしくないわけで、これからの新しい社会を子供たちが創っていく上で、芸術教育というのは、芸術というものを扱いながら、そういう捉え方ができ、自分の感情というものの在りか、その原因を自分で分かっていける、そのようなことを目指すのが、これからの芸術教育の求めるところではないかなというふうに考えます。
 以上です。

【福本主査】
 ありがとうございました。
 非常に大きな視点から、芸術と人間との関わりという中で、感性と知性との関係というか、そういうものもしっかりと見据えて、先生も非常に今多層性というふうにおっしゃいましたけれども、そういうふうな、非常に複層的な関わりの中で芸術教育というものを大きく考えていくということが大事なんだと。
 それで、既に何人かの方がおっしゃいましたけれども、感性ということをどういうふうに捉えていくのか、また、そういう感性というものを、ただお題目としてというだけではなくて、裏付けとなるような、エビデンスをどういうふうに見出していくのかということが、多分、評価にもつながっていくことだというふうに思います。
 それから、特に美術の先生方からは、創造性というか、クリエイティビティーという方とイマジネーション、両方あったかと思いますけれども、こういった造形表現であったり、あるいは芸術表現の根幹をなすというような能力というものを再度、意味とそれを持った課題解決能力というものをどういうふうに捉えていくものなのかというのが、非常に芸術教育の意義につながることではないかなというふうに思いました。
 感性というものを、先ほど宮下先生の方からも、受け止めるというか、そういうものだけじゃなくて、非常にクリエーションにつなげていくような、積極的、能動的な働きなんだというふうにおっしゃいました。アクティブ・ラーニングなんかでも、非常にリアクションというだけではなくて、レスポンシブアクトということが非常に重要になるんだというふうなことで、熟考するような反応ですよね。そういうものを大事にしていくという中に、クリエーションにつながっていく部分があるのかなというふうに感じました。
 ちょっと論点1の方、長くなりましたけれども、この辺で論点2の方に移っていきたいと思います。論点2の方ですけれども、資料の3の方を御用意ください。こちらの方について事務局の方から説明をさせていただいた上で、小・中、それから、高校というふうに少し段階を分けて、義務教育と高校の部分を分けて議論を進めていきたいというふうに思っています。
 それじゃ、事務局の小林補佐、よろしくお願いします。

【小林教育課程課課長補佐】
 それでは、資料1と資料3の説明に移らせていただきます。
 資料1の論点2でございます。先ほど、資料2、現状と課題といったものから、芸術系科目において育成すべき資質と能力として、「つくりだす喜びや愛好する心情」「表現と鑑賞」「協働や新たな価値の創造」「生活や社会における働き」「伝統文化」「国際性・多様性」に分けて整理した資料3、このA3になりますが、「小・中・高等学校修了時の児童生徒の姿(育成すべき資質・能力)」について、芸術系科目全体から、発達段階、教科別に見た際に足りない点やより重点的に育成すべきと考えられる点はないかということで、資料3についての議論をしていただきたいというふうに思っております。
 資料3に移らせていただきまして、大きな資料でございます。これは小・中・高等学校それぞれで各教科で、卒業段階で必要な資質・能力というものを、今現時点、事務局でまとめさせていただいた表でございます。
 まず、下から、幼児教育、小学校、中学校、高等学校という形になっておりますが、まず、一番最初に一番下から見ていただきますと、幼児教育というのがございます。青い部分ですね。幼児教育の部分から小学校、中学校、高等学校と上がっていきますが、小学校の音楽科、下の方を見ていただければというふうに思います。音楽科で、緑の枠の中で白丸が三つあるかと思います。資料1の論点2の分類というか、ワードでございますが、一番上が「つくりだす喜びや愛好する心情」ということで、一番上の丸が愛好する心情に対応する内容ということになっております。その下の「音楽活動の基礎的な能力を働かせて、表現したり鑑賞したりすることができる」ということで、その下に「例えば」というふうになっております。その「例えば」の中で、二つ、黒ポツがございます。その部分で一つ目のポツが「表現と鑑賞」に関する内容、その下が「協働や新たな価値の創造」という部分に当たるものをここに記載しているということでございます。
 さらにその下の白丸の部分でございます。「生活の中の音や音楽や、我が国や諸外国の音楽に親しむことができる」ということで、その下のポツの部分でございます。下のポツに一つ目が「生活や社会における働き」といったこと、また、その下二つになりますが、「伝統文化」、「国際性・多様性」という部分の記載という整理になっております。
 これが図画工作科も同様ということと、あとは中学校、高等学校も同様にこのワードで分類すると、このような形になるということでの整理ということになっております。
 幼児教育につきましては、青い部分がございますが、幼児教育の一番上の括弧の部分なんですけれども、「教育課程部会幼児教育部会において、芸術ワーキングでの議論を踏まえ、幼児期に育みたい資質・能力、幼児期の終わりまでに育ってほしい姿の明確化について審議」ということになっておりますが、今後、幼児教育部会において、このワーキンググループでの議論を踏まえて審議する予定ということになっております。
 小・中・高全体になっておりますが、それぞれのつながり等を踏まえて、全体を見据えて、特に横のつながり等を見ていただいて、今回、御議論をいただければというふうに思っております。
 また、現行学習指導要領の目標というものもございますので、そちらも参考にしつつ見ていただければというふうに思っております。現行の学習指導要領の目標につきましては、本日配布しております参考資料の1ページ目、1枚めくっていただいたところに記載がございますので、そちらも適宜御参考いただければというふうに思っております。
 以上が資料の説明でございます。

【福本主査】
 ありがとうございました。
 論点2の方は、現状と課題を踏まえて育成すべき資質・能力というものを考えていこうということになるんですけれども、先ほども言いましたように、小・中のくくり、そして、高校のくくりというふうに少し分けさせていただいて、まず最初に15分から20分程度、小・中を中心に芸術教育の資質・能力について話合いを進めてまいりたいと思います。
 義務教育と高校と分けているというのは、先ほどというか、最初に総則・評価特別部会の方からワーキングの検討依頼がございましたけれども、その中で4点目に、小・中学校の教科等や高校の必履修科目については、卒業後、特定の学問分野、職業に進む場合だけでなく、どのような職業等に就くにしても生かすことができるような教科の本質的な学びを重視し、資質・能力を検討していただきたいというふうなことでも少し関係をしております。ということで、義務教育における美術教育、あるいは音楽教育、こういったことにおいて現行の課題を踏まえながら、今後、深めるべきと考えられるような資質・能力であったり、足りないというふうな部分がございましたら、そういったところを中心に議論を進めていければというふうに思います。
 小学校の方、図工、音楽のそれぞれの立場でいろいろと御意見を頂きたいんですが、先ほどなかなかお話しいただけなかった、例えば、中下先生の方からいかがでしょうか。

【中下委員】
 失礼します。中下でございます。
 先ほどの由紀委員のお話の中で、とても共感した部分がございます。人との関わりの中で見出したものはなかなか忘れないであるとか、体の中で覚えて経験したことはいまだに自分の中によみがえってくるなどというところです。その部分が実は図画工作科でも同じで、感性を働かせながら子供たちが様々な心と体の感覚を自分で実感を伴って感じ取り、材料やいろいろなものに関わりながら見たりつくったりしていく、そうする体験はきっと将来、大人になっても、様々な経験を重ねていっても、子供たちの中にしっかり残っていくんだろうなと思うのです。そういう意味で、つくりだす喜びを味わう上では、人との関わりであったり、自分が感じ取る力というのを十分働かせるということを大事にしていきたいなと改めて感じました。
 それとともに、小学校の子供たちは、自分でつくったものというのは、作品であったり、いろいろな活動の場であったりします。それが出来上がるのもうれしいんですが、同時に、「見て見て、先生。これ、私がつくったの」というふうに、それをつくったり表したりした自分を見てというわけです。そういうつくり出している自分、また、つくり変えていっている、そういうことを考えている自分を友達にも見てほしいし、先生たちにも見てほしいのです。そこで「すごいね」と言われたことで、「うれしい」と思う実感をもつわけです。そういうふうに認められた子供というのは、周りの子供たちの表現もまた素直に、小学校ですので、形や色に基づいて、「すごいね」とか、「どんなふうにしてこれ考えたん?」という会話につながっていくのです。つまり、子供自身がつくりだすというのは、自分を創り出していく、自分を更新していくということです。福岡委員もおっしゃったように、新たな価値を自分で見付けていっている。そこが図画工作の喜びであり、私たち指導する側としての指導の醍醐味、育成したい資質や能力ではないかなというふうに思います。そのことがきっと中学校の美術を愛好する心情につながっていくのではないかなと考えています。
 もう一つだけいいですか。もう一つ感じているのが、二つ目の丸のところに、「形や色などによるコミュニケーションを通して、新しい意味や価値をつくりだすことができる」という項目があるのですけれども、小学校の場合は鑑賞という内容の中に、話したり聞いたり話し合ったりするという言語活動が位置付けられています。それとともに、自分と向き合いながら、形や色、材料、素材、そういったものを自分で感じ取りながら、また操作しながら、行為を通して、それらと向き合ってコミュニケーションしているのです。子供が内なる言語のようなものを働かせて、自分と向き合って言葉を交わしているような、そういったところもすごく大事に見取っていかなければならないなというふうに思います。表したい思い、そして、自分をつくり出したい、そのイメージというのは子供の中にあるんだなということを日々感じていますので、この後また評価のことにもつながっていくかと思うのですけれども、やはり育成したい資質や能力というものは、子供の中心、子供の核に根拠を据えて、私は見取っていきたいなと感じています。
 以上です。

【福本主査】
 ありがとうございました。
 それでは、山下先生はいかがですか。

【山下委員】
 先ほどからとてもいいお話を伺って、勉強させていただいております。
 私は、今回提示していただいた検討のたたき台の資料3を拝見して、とても網羅的に、必要となる資質・能力をおまとめいただいていると感じました。ただ、ほかにもこれが必要かなと思われる点がございますので、申し上げます。
 一つには、資質・能力の説明において、「いろいろな」、「様々な」、「多様な」という言葉がたくさん使われていますが、何が多様なのかということを意識する必要があるということです。たとえば特徴が多様なだけではなくて、そこには背景が多様だったり、それから、認知や思考のプロセスという言葉が先ほど出てきましたけれども、そのプロセスが多様だったりということがあるわけですので、何が多様なのかということを整理する必要があると考えております。
 それから、もう一つは、音楽や文化は変化するものだということです。今、日本の伝統音楽だと思われているものも、古くをたどれば、いろいろな音楽が海外から入ってきて、自分たちなりにいろいろな変化を加えて、そしてそれが根付いてきたという歴史がございます。音楽であっても、それから、ほかの芸術であっても、変化をしていくわけですね。そのため、何かを伝承しなければいけないというふうにかたく考えるのではなくて、変化は当然起きるものだという前提の下に、では、何を変えてはいけないのか、自分たちは何を大事にしたいのか、というような視点から、児童生徒が伝統的なものにアプローチできるといいのではないかと考えました。
 さらに、もう一つ、例えば、高等学校の音楽の三つ目の丸に、「生活や社会の中の音や音楽の働きや、音楽の伝統と文化について、深く理解することができる」と書かれていますが、「理解する」に留まるのではなくて、もう一歩踏み込んで、子供たちが文化の担い手であるという意識とか使命を持つという観点が欲しいと思っております。表現する者だけが文化の担い手なのではなくて、鑑賞する側がそれを積極的に享受していく、感受していく、そういうことが文化として必要ですので、その両面から子供たちが自分にできることは何なのかという意識を強く持つということが大事だと考えます。
 以上でございます。

【福本主査】
 ありがとうございました。
 宮﨑先生、先ほど非常に短い時間しかあれでしたんですけれども、もし同じ小学校の音楽のお立場から何か補足されるようなことがありましたら、お願いいたします。

【宮﨑委員】
 音楽はかつて曲を教えるとか、何かを演奏するということ自体が目標になっていたような気がしています。ですから、「きょう何を勉強した?」と言ったら、何とかという歌を歌ったよとか、そういう教師の立場からすると、歌わせるとか学ばせるとかという立場なんですが、子供たちは曲を学んでいる、曲を通してどういうことを学んだかというふうなことが余り意識されていなかったような気がします。
 前回の改訂で共通事項というものが記されてから、少し私たち教師の意識は変わったように思っています。私自身も、子供たちと授業をするとき、随分いろいろなことを考えさせる授業をしています。そして、評価のことにも関係するんですが、授業の終わりには、きょうはどういうことを勉強したというふうなことを振り返りをするんですが、何々を歌ったじゃなくて、どういうことを考えながら歌ったとか、どういうことを工夫して今日は勉強したよというふうな意識付けをするようにしています。ですから、この後の音楽の学習においては、前回の学習指導要領の系統をより引き継いで、そういうことを意識していくということが大事じゃないかなというふうなことを思っています。
 それから、もう一つは、一人で学習するのではなくて、協働で学習するということも、音楽の本質に関係することと、本質からちょっと離れますが、力を合わせる喜びみたいなものも子供たちの学習にはすごく大切です。ですから、そういうこともより意識できるような学習の在り方、そういうものを考えていく必要があるかなというふうなことを考えています。
 以上です。

【福本主査】
 ありがとうございました。
 逢坂先生、社会教育機関という立場の方から、ここまでの今の論点2の方で、学習指導要領に関わって、特に美術が中心になるかもしれませんけれども、何か感じられているようなことがございましたら、一言伺えればと思うんですが、いかがでしょうか。1も含めてで結構ですので。

【逢坂委員】
 学校とは違いまして、私たち美術館で働いている立場にとっての芸術教育の意義について、論点1に遡って言及させていただきます。今、21世紀になって、全てのことが本当にドラスティックに変化しまして、デジタル社会の中で、先ほど由紀さんがおっしゃられたように、子供たちだけでなく私たちの環境も目覚ましく変わってきているんですね。そういう中で、実はますます芸術が必要だと感じています。それはなぜかといったら、人間性を回復するためだと思うんですね。デジタルの社会の中では、オンとオフで全てが簡潔に、スピーディーに変化していきますけれども、芸術の世界は自分の手を使ったり、声を出したり、頭を使ったり、触覚もそうですけれども、五感をフル回転させる世界なんですね。
 長い歴史の中で変化してきたどのような時代でも、中心になるのは人間なので、私は芸術の世界は、人間の質を高めるためにどんな分野で働いている人にも必要だと思っています。
 そういうことを考えたときに、学校では、私が小学生のときに比べたら、美術の授業数は実は減っているんじゃないかと思います。それから、私は1950年代の区立の小学校でしたけれど、学校の先生も専任で美術の先生がいましたが、今、美術の先生をきちんと専任で置いている学校はそんなに多くないと思います。美術の先生を置けば全てが解決するかというと、そういうわけではなくて、今の時代は美術だけではなく、国語や算数や社会の先生とか、小学校は全部担当だとしても、そういう方たちとコミュニケーションしていけるかがとても大切だと思います。
 美術の世界では、作品を鑑賞することとは、自分が思ったことや感じたことを言葉で表現していくことなんですね。言葉に置き換えること。それは稚拙な表現であっても、子供たちにとって国語の力を付ける一つのきっかけになります。
 それから、想像力、イマジネーションの力については今までも何回も出ていますけれども、いろいろなイマジネーションの力がある。今の子供たちにとって必要な想像力というのは、他者を思いやることと思います。美術の世界では、自分たちがつくりだす作品は様々で、例えば、花というテーマで子供たちが描く花は千差万別です。だから、算数のように一つの正解がある世界ではないので、違いが大切なんだということを教える非常によいきっかけになる。価値観がたくさんあって、正解がないけれども、違うことも大切で、世界や人間社会というのは違う人たちや違う考えの人たちでつながっていて、それを排斥するのではなくて、自分が受け入れられない価値も、そういうものがあるということを知っていく。
 最終的には、これは学校の先生にとっては大変なことですが、自分が分からないこととか、数値で表せないことで世の中というのは創られていますし、それから、特に芸術の世界は、デジタルの社会にあっても、アナログな生活、つまり誰かがいいと言ったからではなくて、自分はどう感じるか、誰かが何と言っても、自分はこの作品が好きだ、この歌が好きだ、こういう書を書きたいという思いを実現していけるような状況を作っていくべきだと思います。ここに、例えば、「豊かな感性や美術を愛好する心情をもつ」と書いてあるけれど、これを教育の現場ですぐ形にして、子供たちに伝えるのは大変なことです。一朝一夕ではできない。でも、それが大切なことだというのをどこかにきちんと据えて、そのプロセスにいるんだということを学校教育の中で子供たちに伝えることができればいいと思います。
 美術館に見に来てくれる学校の生徒たちが、1クラス30人とか50人いたとしても、本当に、先ほども出ていましたけれども、自分の気持ちの中にすとんと落ちるというか、本当にここに来てよかったなという体験をしない限り、何回美術館に来ても素通りするだけです。学校教育だとどうしても成果をきちっと公平にしなくてはいけないんですが、個々の子供たちがそれぞれ違うものを、本当に自分たちにとって大切なものは何かということが分かるような、別であることを大切にするような授業を、ほかの学科とは違ってできるようになると、非常に豊かになっていくのではないかなと思います。

【福本主査】
 ありがとうございました。非常に重要な課題の指摘をありがとうございます。

【由紀委員】
 ごめんなさい。今の逢坂先生の御意見と、市川委員の御意見に連動することだと思うんですけれども、私、正に中学、高校で美術の先生に非常に助けられて、歌を続けてくることができたんですね。その先生は、私、絵がすごく下手なんですけれど、どの生徒がどんな絵を描いても、必ず花丸だったんです。全部花丸なの。あるとき、「先生、私、こんな下手くそな絵で、何でみんなと同じ花丸なの?」と言ったら、「僕はこういうものは評価できない」と。「僕が評価するんじゃなくて、芸術というものは、世界でこれを見た人が評価すればいいんだよ」と。「だから、君たちが今描いたものは、僕がいいとか悪いとかというんじゃなくて、そういう芽を育むじゃないけれど、やる気を起こすというか、何を描いても僕は花丸をあげるんだ」とおっしゃって、私は、自分の個人的な話で申し訳ないけれど、すごく自分の方向に悩んでいたときに、自分がやりたいことをやっていいんだと思って、私の頃は堀越学園のような芸能コースがあるような学校があったわけじゃないので、私はその先生、姉は幼稚園の先生に、お姉さんはいいお声だから将来は音楽やったらいいかもねって先生が何気なくおっしゃったことが、両親の体のどこかに入っていた。
 だから、先生と生徒ってそのくらい実はある種影響力がすごくあって、違っていいということを教えてくださって、自分がやりたいことを突き進んでやりなさいと言ってくださったその先生が私をここまで育ててくださったと思っているので、今、学校教育の中で、先生と子供たちがどんなふうに関わっているのかなと。いいことはやっぱりいいと。例えば、走るのが速かったら、別にみんな手をつないで、1着、2着、3着が同時に入らなきゃいけないという教育ではなくて、やっぱりその子の特徴を生かしたものを先生がいざなってくださるという環境があったらすてきだなと、今、お話を聞いて、正に自分がそうだったので、今も子供たちと一緒に歌うときは最高だったと。すごくよかったからもっと歌を続けて歌ってねと。学校を卒業しても、歌はどこでも歌えるよと。だから、歌ってほしいということを言って別れてきますけれども、余談ですけれど、昨日、芥川賞をこのたびお取りになった羽田さんっていらっしゃるでしょう。あの方がパヴァロッティの歌を歌の番組で歌ったんです。この間のあれでノーベル賞の方が非常にクラシックに造詣が深いとおっしゃったでしょう。やっぱり書く、自分が一人でこうやっていると、わーっと歌って発散するのがお気持ちがいいんじゃない? と言ったら、どうもやめないのはそうみたいっておっしゃったから、やっぱりそういうことが芸術の、例えば、書道ガールズもそうだけれども、音楽に合わせて踊りながら書を書くという。そこから教室に行くと、写経しているんですね。だから、写経だけじゃなく、体を動かして何かそういうことを一つ学園祭でやってみなさいというような、そういうところから書をもう少し自分たちの暮らしの中に近付けることができて、書を書くのは楽しいんじゃないかなと。AKBか何かの音楽が流れて、それに乗って書を書いていらっしゃいましたけれど、そういうことにこれからどんどんもっとチャレンジして、学校教育の中に生かしていただけたらいいかなと。
 先生と生徒の関係って、今、私が実際に感じて、その先生に助けられて、今日まだ歌を歌わせてもらっているというところに、そういう関係性は今、構築することが難しいのか。私の親戚の姪っ子が太鼓のクラブ活動をやっていたんですけれど、あるお母様が来て、こんな太鼓をやっているより受験なんですから、勉強をもっとやってくださいと言って、太鼓のクラブがなくなっちゃったといって、うちの親戚の女の子はがっかりしていましたけれども、何かそういうところで芽が摘まれることのないような、やっぱり芸術は違っていいと言ってその子の気持ちを前に押し出すような、やる気を起こさせるというか、これでいいんだと思うようなことが、先生の一言ってすごく重いと思う自分の体験の中でそう思っているので、是非そこを先生方にトライしていただいて、褒めるのはすごく大事なような気がいたしました。
 すみません、余談でございました。

【福本主査】
 ありがとうございました。
 少し時間がなくなってきてはいるんですけれども、高校の先生方、せっかくですので、もうわずかばかりで10分ぐらいしかないんですが、八巻先生、最初に口火を切っていただいたんですけれども……、ごめんなさい、八巻先生は後でよろしいですか。高校の音楽の方で、まず、御意見等を頂ければと思うんですが、高校の方で、市川先生、先ほどのことに付け加えて、指導要領の何かもう少し、先ほどエビデンスというか、医療関係のバックアップも必要なんだというふうなことをおっしゃいましけれど、現行の指導要領に少し欠けている部分、あるいは何か付け加えたいとかいうふうなことがございましたら、お願いいたします。

【市川委員】
 高校もかつてのようにいわゆる活動だけというか、作品づくりさえさせておけばいいやというような、そういう学校教師は今、あり得ないと思います。やはり今時間数の少ない中で、学校週5日制の中で、各教科・科目の時間数が全体に絞られている中で、特に、例えば、英語教育とか重要なところ、理数教育とか、そういうところは時間数は増えますけれども、どうしてもその反面、限られたコマの中であれば、芸術の時間というのは少ないんですね。少ない中で、とにかく何か成果、効果を上げようとしてみんな努力しています。主題設定にしても、与える題材にしても、少ない時間の中でいろいろなことを経験させようということでみんな工夫していると思うんですね。
 ただ、教員の声は、やはり自分たちの日頃の授業時間数というのは物すごく心配はしていますね。授業時間数が減ると、1人の教員を雇わなくていいということになりますから、やはり講師でもいいじゃないかというような、他府県なんかもそういう状況にあるみたいですし、東京でも、例えば、1人の教員が異動したり退職すると、その後はもう音楽の先生だけになってみたりという。正規の教員が音楽しかいないとか、美術の先生は要らないというような事態もあるようです。
 ただ、それはある意味、表面的なことなんですね。時間数はこれは国が定めていることですから、私がどうこう言うことではなくて、限られた時間の中で何を育てようかということを、やはりこういう学習指導要領では、題材といっても余り具体的には示さないで今まで来たという。各学校で各教員がアイデアを生かせるようにということで、そういう配慮をしていただいているんですが、一方で、やはり今の若い世代は、時代の変化とともにマニュアル世代なんですね。何をやったらいいんですかと、新採の先生たちがそういうことを聞きに来ます。何をやったらいいかだけが大切じゃないんですが、とりあえずは、やはりこういうものは基礎として小学校、中学校で積み上げてきたんだから、高校ではこういう方向へ発展させたらいいんじゃないかというような、具体的な授業の道筋みたいなものを示されるというのも一つの手かなと思います。ただ、そうしたときに、逆にそれに縛られて、高校ではこれを教えればいいんだという安易な回答として捉えられてはいけないんですが、そこのところは注意をしておけばいいのかなと。そういうものがありますと、今、学習指導要領はもっと本質的な、大綱的なものをお示しになられているわけですけれども、実際の面での生かし方ということでは、現場はそういうものが示されると助かるのではないかなと思います。

【福本主査】
 教科は違いますけれども、同じ高校の書道の立場で、八巻先生、それから、関連して、遅くなっていますけれども、長野先生に、本当に申し訳ないんですが、3分ずつぐらいで是非お願いしたいと思います。よろしくお願いいたします。

【八巻委員】
 この論点2の、「協働や新たな価値の創造」というところでは、今、先ほど由紀先生がおっしゃられたような形で、パフォーマンス書道というのがこの頃、我々の中ではいいか悪いか意見が分かれるところもあるんですが、授業の中でも、グループを作ってグループ書きということでやることによって、協働というところが生まれるであるとか、あるいは、リレー書道、本当に1点1画を続けて書くような、テレビでもよくやっているんですが、そういう新しいというか、今まで我々も外に余り発することのなかったようなところが非常にできてきたのかなというふうに思いまして、その辺、書も外へ発信できるというか、社会に働きかけるといいますか、そういうところは一つ、この頃変わってきたことかなというふうに思います。
 それから、先ほども申しましたが、例えば、そういうのを授業に取り入れたときの評価の在り方であるとか、我々高校教育を担う者としては、またその辺のところも一体として考えていかないといけないなというふうな思いがございますので、その辺のところ、少し進めていっていかないといけないのかなというふうに思っております。

【福本主査】
 ありがとうございます。

【長野委員】
 先ほど由紀委員の話を伺っていまして、私の頭の中には「夜明けのスキャット」の表紙のカバーが、「スキャット」という片仮名が細い線で書かれていたんです。私、振出しが高等学校の書道でございまして、彼らにレコードジャケットを作るという、美術みたいな授業をやっていたんですけれども、「スキャット」という細い表現と、それから、失礼な言い方で申し訳ありません、細い歌声というか、トーンのというのが合っているんじゃないかといった記憶がございます。つまり、表現といったときに、書道は文字を介在するわけでございますけれども、そういう意味では、美術も書道も何か形を作る、色を塗るとかということと同じことだと。つまり、書道をやるんだけれども、君たちは芸術をやるんだよということを言いたくて、プロコル・ハルムの「青い影」もやりましたけれども、音楽こそ聴かせませんでしたけれども、そういう話をした記憶がございました。
 私は、以前に子どもライフサポートセンターというところにお邪魔して、そう言ってしまうとどこのところかと分かってしまうかもしれませんけれども、そこでいわゆる不登校の子供たちが、これは1に関わることかもしれませんけれども、不登校が、原因はいろいろあると思いますけれども、12万人を超えているという、高校に行けないということですね。やはり、でも、ライフサポートセンターには、ドラムがあったり、ギターがあったり、つまり、学校に行く代わりにそこに来て、彼らの好きな音楽や美術やあるいは興味があるものに打ち込ませる。
 これは、芸術教育というのは、居場所づくりだと私は思うんですね。ここにいていいよというのは、どうしても数学や英語や国語ではなかなか居場所ができない子供も、教育課程とすぐ直結するかどうか分かりませんけれど、自分の居場所づくりに、私は高校教育にかなり芸術教育というのは関わっているんだろうと。そういう意味では、小・中・高を貫く芸術教育の根幹をなす一つとして、小学生も中学生も高校生も居場所づくりに、ある意味じゃ、我々は機能をしているんだろうと。それが今、漫画とか、漫画家になるかどうかは別として、そういう表現を通して自分の居場所を作っているという意味では、芸術教育の感性と知性という、宮下先生がお話しされましたけれども、その居場所をどこに見付けられるかというところに私は鍵があるような気がします。そこに芸術教育が関わっているんではないかなということで。
 せっかく事務方が作っていただいたので、資料3について少し申し上げたかったんですけれど、次回にさせていただこうと思います。ありがとうございます。

【福本主査】
 すみません、ありがとうございました。
 中村先生、中学校の先生が、こちらから視野に入らなくて申し訳なかったんですけれども、一言だけでも最後におっしゃっていただければと思います。

【中村委員】
 今、長野委員がお話しになったことと多少似ますけれども、芸術――音楽や美術、それから、書道もそうですけれども、学校生活の中で生徒が自己表現できる時間、場というのは、あるようでいてあまりない。それはほかの教科とやっぱり違って、答えがないというお話が先ほどありましたけれども、何かテーマがある、あるいはものがある、その中で自分で構築して作っていく時間、これは与えられなければ子供は経験しないだろうし、それは与えられていることが成長につながっていくということをすごく実感します。
 小学校と中学校の関わりということですけれども、先ほど座長からもお話がありましたように、共通事項が美術の場合に定められたことで、大分小学校と中学校の敷居は低くなってきたというか、つながりができてきたというふうに思っています。小学校のときにものを実際に触りながら感じながら、失敗もしながら作っていく、その体験が中学になってテーマが与えられて何かを作ろうとしたときに、すごく子供たちの中でいい意味での迷いになるし、課題になるし、その中で自分を確かめていく、自分がその中で実感できていくという、そういう時間ではないかなというふうに思っています。
 先ほど、感性、創造性、それから、知性といったお話がありましたけれども、やはりそうしたことが、いろいろな教科で学んだ知識や、それから、方法を使いながら課題を設定するとか、解決するとかと言われていますけれども、それを作っていくときの一つの構築していく潤滑油的なというんでしょうか。これは今は避けよう、これは今取り入れようという選択だとか、そういう決断をしていくときに、芸術教科で学んだいろいろな経験というのは生きてくるのではないかなということを実感しています。
 今、学びということが子供たちの生活とか生きることとどういうふうに直結しているのかということが大きな教育の命題になっていると思いますけれども、単に音楽や美術が生活の中にあるというだけではなくて、そこで周りとの関わりを子供たちに実感させるという意味で、この教科をこれからどうしていくかということが、次の学習指導要領の中に反映されるといいなというふうに思っていますので、よろしくお願いします。もう時間がないので。ありがとうございました。

【福本主査】
 ありがとうございました。
 なかなか私の進行がまずくて、十分な時間を取って、指導要領に関わる課題を踏まえた資質・能力について、共通して討議をすることが十分取れませんでした。ただ、意義を表明されている中で、逢坂先生からはハーバート・リードの著作にも通じるような人間性の回復というふうな言葉があったり、宮下先生からは美術と人間との関わり、それから、長野先生からは居場所づくりというふうな大きなことも出てきましたし、また、資質・能力としては様々な形で、感性あるいは創造性、知性、あるいは人間力の関わりというふうなところも出てきたように思います。
 最後になりますけれども、伊野先生から、きょうの総括の方をしていただきたいというふうに思っていますので、よろしくお願いいたします。

【伊野主査代理】
 総括はなかなか難しいですが、今、主査の方から言われたとおりだと思います。今までの中で、今日の二つの課題についての重要な御意見が出たのではないかと思います。
 私なりにもう一つ、二つほど、考えたり付け加えたりしなければいけないことを申し上げます。1点目は、身体性といいましょうか、芸術的な思考といいましょうか、身体、体で分かっていくというような部分です。由紀委員の方から、体に染みついた歌を歌っていないという指摘がございましたし、福岡委員の方からは、頭で考えないで手で考えたんだよというお話もございました。前回の長野委員からの内なる言語については今日も別な形で出てきましたし、五感をフル回転という言葉も出てきました。それから、最初の会議で合田課長が、感性とか認識科学的なものがこれからは非常に中心になってくるというお話もされました。ここら辺というのは、芸術教科の独壇場とまでは言えないかもしれませんが、それくらいの意味があるのではないかなと思います。子供たちがどのように思考していくかということに関しては、身体を使って何か分かっていく部分が非常に重要だと思います。知性と感性という言葉も出ましたが、それらの融合とか統合は、恐らくそういう行為によって初めてなされていく。知性だけの理解では絶対に分からない部分ですよね。それがこれからの日本の子供たちにとって極めて重要な能力になってくるのではないかなと思います。そういう意味では、育成される資質・能力のところに、個人的には、身体性とか体で分かっていくとか、繰り返しやってみるとか、そういう意味合いを付けていくといいのではと思いました。
 2点目は、今日話が出ませんでしたが、幼児教育との接続についてです。単純に必要だなと思いましたのは、論点整理の27ページに、「幼児が音声の響きやリズムに気付くこと」等の文言のところに注意書きがありまして、「学びの連続性の観点から、幼児期において、音韻の意識」、その他いろいろ書いてありますが、これを育むことがとても重要であるという指摘があります。言葉とか、例えば、先ほどの「スキャット」も関係してくると思いますし、宮沢賢治の作品にみられる「どっどどどどうど」のような響きなど、音韻の意識、特に日本語に関するこういう感覚的なものというのは、私たちのこの部会とつながっていて、幼児教育でもきちっと育成していくべき資質・能力ではないかなということを、特に思いました。
 そして、もう一点、資質・能力の表では、小・中・高と、伝統性ということを言われていますが、伝統性というのがどのようにして幼児教育に入っていくのかなということを単純に思った次第です。例えば、日本では四季をはじめ自然と関わり強く影響されて生きていますけれども、その中で子供たちはどのように毎日の生活をしていくのだろうか、あるいは、わらべ歌とか、日本人の伝統性、自然の中で培ってきた感性、感覚というものはどのように幼児教育で育まれるべきなのか。これは美術の方も含めて、もう少し表面に出てもいいのかなと思いました。
 以上です。

【福本主査】
 ありがとうございました。
 予定を5分ほど過ぎてしまいましたが、一応、きょう予定をしていた議題はこれで以上です。
 次回からは、音楽、美術、少し分かれて進行するということになっているようですが、その日程について、事務局の方から最後に説明の方をお願いいたします。

【小林教育課程課課長補佐】
 次回以降の日程等でございますが、次回は主査と相談の上、開催については後ほどお知らせいたします。
 また、主査からもお話がありましたように、ペーパーによる御意見等も頂戴いたしたいと思っております。ファクス又はメール、郵送でも結構です。
 なお、本日の配布資料につきましては、机上に置いておいていただければ、後ほどこちらの方から御送付いたします。
 以上です。

【福本主査】
 ありがとうございました。それでは、司会進行の方でちょっとまずい部分がございました。御容赦いただければと思います。
 それでは、きょうは本当にありがとうございました。お疲れさまでした。

‐了‐

お問合せ先

初等中等教育局教育課程課教育課程第三係

電話番号:03-5253-4111(代表)(内線2076)