特別活動ワーキンググループ(第5回,平成28年3月10日)における主な意見(未定稿)

1.特別活動における各活動の意義及び育成すべき資質・能力について

○ 学級活動には、自分たちの学級の生活をよりよくしていくためにみんなで話し合って解決していくという内容と、自分の生活をよりよくしていくために自己指導能力を高めていくという内容がある。特に一つ目の内容については、自分たちで自分たちの学級の諸問題に気づき、それを解決していくという実践的な態度を育て、それが児童会活動等に反映されていくと整理できるのではないか。ただ、学級活動の内容の1と内容の2は、子供たち一人の集団生活をどう作っていくのかということと、自分がどのようによりよく生きていくのかという態度を育てているのではないか。
○ 時間が保証されている学級活動・ホームルーム活動が母体となりながら、その力を生かして児童会・生徒会、クラブ活動などに発展していくという関係ではないか。また、児童会活動の隣に自治会とか議会が来ているが、学級活動で頑張っている力が、子供会で発揮されてくる場面も多々ある。単純に自治会につなげていくというものではなく、いろいろな関わりの中で子供の力は身に付いていくのではないか。
○ 学級活動や児童会活動は、自分が所属している集団社会のようなものの自治的な活動や、その集団社会の枠組みのようなものを自分たちで考えていくような方向性があるのではないか。学校行事やクラブ活動は、運営の仕方にもよるが、集団や社会の枠そのものをふかん的に考えていくというよりも、その集団や社会の一員として帰属しているという意識を高めたり、その集団や社会にどう貢献していくかを考えたりする方向が強い。
○ 学級活動、児童会活動、クラブ活動は、教師の指導の下に子供たちが話合いで運営していくという、自発的・自治というものがあって、学校行事はそれとは違うイメージをもっている。学級活動で身に付けたものが育っていって、クラブ活動や児童会活動で生きる。学級活動で積み上げていくものが、児童会活動やクラブ活動で発揮できるというイメージがある。学校行事は、子供たちの自治のものではないというイメージがある。
○ 特別活動の中には、集団に向かっていく部分と、個に還元されていく部分が内包されている。集団と個というのが常にフィードバック構造にあり、集団を高めるというところと、個を高めるというところの二つに軸がある。
○ コミュニティスクールの考え方を生かし、学校が子供たちをこのように育成していくのだというビジョンやミッションを地域と共有し、その中で特別活動としては伸ばしたい能力はこのようなものであるということを、携わる地域の方と共有していくことによって、地域の方とも学校が子供を育てたいイメージが共有できる。誰が読んでも、特別活動こそが各教科につながる全ての中心になっていくものなのだということを明確に示すことができればよいと思う。
○ 各活動の意義などについては、特別活動のこれまでの変遷を踏まえて検討すべきである。
○ 資質・能力については、総合的な学習の時間と同様に、単純に特別活動で学んだ技能、知識をどう使うかだけでなく、教科で学んだものも使っているし、それを往還しているので、教科と総合的な学習の時間や特別活動を同じように示すことが適切か、ほかの示し方があるのではないか。
○ 知識・技能で特別活動が特に重視してきたのは、意義の理解である。意義の理解というのは、つまり方法論の内容知ではないので、例えば、社会に参画するのに学級の諸問題に関わることはとても大事だという考え方や、それは個人で解決するのではなく、集団を介して解決することが大事だという考え方である。そういう意義の理解がないと、内容を知っていても特別活動は進まない。思考・判断・表現については、なすことによって学ぶということが特徴的である。見方や考え方については、各教科で学んだ見方や考え方も生かして、集団の一員としての見方や考え方になるだろう。違いや多様性に配慮する考え方とも言えるのではないかと思うが、そういったものをどう示していくかということが重要。
○ 特別活動の評価は、何ができないかということよりも、何ができるようになったかを見るべきであるという考えのもとで行われている。
○ 特別活動における「活動」という言葉の使い方については、今後整理する必要がある。
○ 子供たちが将来生きる環境を考慮すると、既存のルールを前提とした社会ではなくて、グローバルな異文化の中で生活するために、自己管理がしっかりできて、しっかり協同ができる子供たちの育成を目指していく必要性があり、それを踏まえ、学級活動の方向性や内容も大きく変えていく必要がある。
○ 「主体的に学習に取り組む態度」に関して、観点別評価や評定にはなじまないことから、個人内評価も必要である。個人内評価は、例えば、ポートフォリオなどもそうだと思うが、「しようとする」とか「考えようとする態度」というのは、どういうものを指していくのか。心の動きであり、心は見えないものなので、結局、外面的な行動に現れたり、記録に残ったりするものを評価していくと思うが、そうすると、ポートフォリオの評価はどうしていくのか。この点については、十分に議論する必要がある。
○ クラブを自分たちで運営していこうということを明確に示したことは画期的。
○ 学級活動などでポートフォリオのような日誌をつけている例を見たことがあるが、その中に書かれているのは集団認知と個人認知。学級会で話し合ったことと、クラブ活動でやったことで、どういうことを感じたのかとか、どのように変化したかを追っていくと、評価は可能ではないか。また、自己認知として、自分を生かそうとするようになったのか、それとも自分が何もできないままだと認知しているのかということでは若干評価は違ってくると思うので、そのような評価用の資料で、個人が書くものがあれば、評価は不可能ではないと思う。ただ、今の状態では、余りにも教科に寄りすぎてしまって、評価が不可能な可能性は高い。
○ クラブ活動は、時間の確保が難しいのが現状だが、子供たちが自分や友達のよさや自分の個性、将来に向けての自分を知り、自分の能力を伸ばしていくという点で大切な活動である。
○ 問題として認識するということは、現実と理想とのギャップが問題であるとするならば、そもそも理想を持っていないと気づけないのではないか。よりよい生活を作ろうとする態度などの心情がないと、問題に気づくことはできないだろう。また、よりよい人間関係を育むための思考力・判断力・表現力などが、どの活動も真ん中にあって、どのプロセスにも関わるということだが、学びに向かう力ということであれば、よりよい生活を作ろうとする態度が全体に関係することも考えられる。

2.キャリア教育の視点をもった特別活動の充実について

○ 幼稚園教育要領などでは、人間関係という大きなカテゴリがあって、ほかの人々と親しんだり、支え合って活動したりするという大きな柱にあって、その中に内容の項目として、自分で考え、自分で行動するということがあるので、人間関係形成あるいは集団形成というものを前面に出し、その上で自発的な活動、自主的な活動、主体的な活動が、下部にくるように示すと、特別活動やキャリア教育との関係もより見えてくるのではないか。
○ 高等学校の新科目「公共」と特別活動の関係をどのように整理するのかということは、今後の議論として重要。
○ 職業的なものとシチズンシップ教育的なものをうまく接合させるような工夫ができればよい。
○ キャリア教育が大事だということは分かるが、特別活動全体の内容を整理し、キャリアについて重点的に扱えるということにしておかないと、あれもこれも指導しなくてはならなくなり、結局特別活動は何なのか分からなくなってしまう。
○ 中学校に上がる前までに、自己決定する力をしっかりとつけることが、将来的な進路選択や、様々な選択能力を考える際の大きな力になる。キャリア教育と特別活動はイコールではないが、キャリア教育について、そういうところに視点を置くことも大切なことではないか。
○ 特別活動には、文化を新たに創造したり、社会的自立の中で家庭生活や地域生活を豊かにしたりする機能が特別活動にはある。自己理解、自己指導能力、自己決定能力は重要な鍵。例えば、当番活動でも、自分がどういう自己決定をしてそれに取り組んでいるのかということがあいまいになっていることが問題。学校が社会と分断されていることが大きな問題であるとするならば、キャリア教育から既存の特別活動の見直しを行うことが重要なポイント。
○ 特別活動をどの内容も一生懸命やれば、キャリア教育で育てたい基礎的・汎用的能力は育つ。逆に、キャリア教育をやったから、特別活動でねらっていることができるということではない。
○ キャリア教育とは、高校や大学、就職先を選択することだと誤解される可能性があるが、自己理解や自己管理、人間関係形成、社会形成、課題対応といったものこそが重要である。
○ 特別活動からキャリア観を伸ばしていくことが重要。集団で話し合う自分たちの学級活動をよくしていくということが軽視されていることを懸念している。自分が思ったことを表現したり、意見を言ったりしていいのだという体験が、小学校段階から自信につながり、聞いてくれる人がいてくれて、自分の持っている考えを発表していいのだ、そこからまた人の話を聞いて考えを深めるのだということの繰り返しの関係性が育たない限り、自分がどう生きていくかというところに行き着かない。学校教育の中においては、そのような特別活動を通して、発達の段階に応じたキャリア観が育っていく。発達の段階に応じて広く視野を持って社会と通じるということを示すことが必要。
○ 教師の多忙感を解消するためには、コミュニティスクールで、地域総掛かりで、学校の教育方針を受けた運営する側、コーディネーター側がそういうことを学校と打合せをしながら、共に仕事の軽減化をして、子供たちによく考える時間を与えていき、引き出していくという、教育の最前線の部分を先生が担わなくてはならない。電話をしたり、外回りをしたりすることが先生の本来業ではないということをきちんと示さないと、まじめであるが故に全部自分がやるのだと思う先生たちがたくさんいて、つぶれていく状態になっていく。キャリア教育は、学校だけがどこかに子供を預けて成立するものではなく、社会全体が受け止めることで成立するもの。
○ キャリア教育というのは中学で職場体験をさせればよいという捉え方を助長することのないようにしなくてはならない。
○ 集団宿泊も自然の中での体験活動ということだけではなくて、キャリア教育の一環でもあると捉え直すこともできる。
○ アカデミックな学習として何を知っているかということを中心とした学習としての社会認識を深めるのが、恐らく「公共」の力点なのだろう。自分のキャリアをどう切り開いていったり、自分でどう社会に参画していったりするかということを自分に引き付けて、クラスや学校の中の人間関係の中で共に学んでいくことが、特別活動の領域である。
○ 特別活動はキャリア教育の実践的な中核の場であるということを示すことは、特別活動とキャリア教育の双方にとって利益になる。ただし、特別活動に対してたくさんの教育課題への対応が求められている中で、特別活動がわい小化してしまう懸念がある。キャリアパスポートのような発想について、人間の成長を子供の活動になぞらえて蓄積し、振り返ることによって成長を実感するようなノートは絶対必要。ただし、それがキャリア教育のための資料を特別活動で使うということになると、これはわい小化されたことになる。ポートフォリオをテキストと合体したような資料にすることが、一つの解決方法であると考えられる。

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