特別活動ワーキンググループ(第2回、平成27年12月22日)における主な意見(未定稿)

1.特別活動を学ぶ本質的な意義について

○ 特別活動の究極の目標は、自発ということや自治的能力ということ、また、自主的・実践的な態度を育てるということではないかと考えている。

○ 国際的に見て、日本の特別活動は、カリキュラムの中に位置付いている珍しい例として、ある種の先駆性がある。海外の方には日本の特別活動が分かりにくいという面もあり、自発・自治などの理念を明確に示すとよい。

○ 自主的・実践的な態度を育成していくためには、全体の立場に立った見方・考え方を子供がしっかり身に付けていくことが大切。しかし、ただやればよいという活動になってしまわないかなという心配がある。相手の立場を考えながら物事を考えていくということを身に付けさせていく仕組みを作る必要がある。

○ 特別活動の運営が、教師の感覚や思いつきによってしまっていることが多い。日本の特別活動は、シチズンシップ・エデュケーションの実践の場としてずっと機能してきたのではないか。例えば集団と個人の関係や個人と個人の関係などを、学級や学校という社会の中でどのように作っていくのかということを子供たちが自分たちで考えて、自分たちで実践するというのは、シチズンシップを作っていく上で大きな役割を果たしてきたのではないか。学級や学校を一つの社会として考えて、その中で子供たちがどういった権利や義務を果たさなくてはならないか、平等性をどう考えるのか、相互に支援するとはどういくことかということなどをしっかり考えていくような体系立てというのがあるとよい。

○ 望ましい集団活動を通してというのが特別活動の本質だとするならば、自己を生かすというのも個人の自己完結型ではなくて、社会に参画し、人間関係を形成しつつ自己を生かしていくということ。一人で生かしていくのではなくて、社会の中で生かしていくという観点が必要。選挙権年齢の引下げなど社会参画の観点もあるので、キーワードの中に社会という言葉も欲しい。人間関係を形成する力が個人と集団、社会に参画する力が個人と社会、そしてその二つにまたがる力として自己を生かす力と考えてはどうか。

○ 主権者教育が重視されてきているが、知識として学習するだけではなくて、特別活動の中で疑似的な、例えば児童会・生徒会、あるいは学級の運営など、民主的な議論、あるいは代表を選ぶ民主的な選挙を行うことを通じて、自分たちの学級や学校の問題を解決したり、よりよい学級や学校にしたりする体験をすることで、知識として学んだ選挙などのシステムが実感をもって生きる知識のようなものになり、特別活動はそういうところに意義がある。

○ 特別活動の本質的な意義は、共同体、それからコミュニティーに生きる自分というものを体験できる時間であるということ。

○ 知識基盤社会といわれる今日、特別活動の大きな意味として、学ぶ意欲や学び続ける力などを打ち出していくことができないか。子供たちの話合い活動等を通して気付かせていくという特別活動の培ってきたよさを、どこかに表せないか。

○ 特別活動の意義を、保護者や教育関係者以外の方が読んでも分かるように示す必要がある。

○ 海外の方にも分かりやすいような表現で、育成すべき資質・能力などを説明するのが、一番分かりやすい。それにより、海外に日本の特別活動を輸出することもできるのではないか。

○ 特別活動の内容は、すごく多いと感じている。内容を盛り込み過ぎると、教員がついてこない。内容を盛り込み過ぎず、エッセンスだけをしっかりと盛り込み、あとは学校の現場とか地域とか子供の特性を生かして、学校がきちんと考えることが大切ではないか。

○ 生徒会や児童会での議論などを通じて、議論の倫理性のようなものについても実践的に学ぶことができる。

○ 特別活動で育成すべき資質・能力を分かりやすく簡単な言葉で表すと、仲間づくりの力、生活あるいは社会づくりの力、自分づくりの力と示すことができるのではないか。

○ 教科というのは、主として教科書を媒介として先生と子供が間接的に関わるが、教科外としての特別活動には、集団活動を通して直接子供と先生が作り出していくという点に特質がある。

○ 「○○力」や「○○教育」がたくさんありすぎて現場の先生方が疲弊したり、拒否感を生んだりすることがないような方法で、必要な能力を示す工夫が必要。

○ 日本の集団活動は、ややガラパゴス化している部分があるのではないか。合意とは同調でよいのか、意見を言わないということでよいのかなどということも含めて、集団の在り方について考える必要がある。

○ アクティブ・ラーニングという観点からは、特別活動こそが正解がないことについて、みんなで話し合い、お互いに人の話や意見を聞き、自分も発言し、合意の形成を学ぶということを一番実感できるのではないか。


2.社会に開かれた教育課程について

○ グローバルな時代なので、子供たちも世界に開かれている日本社会の中で生きていくことになる。だから、特別活動における集団も、閉じたイメージだとすると、グローバルな時代で育成する資質・能力とはずれが起きるのではないか。そういう意味でも、例えば世界に開かれた日本社会に開かれた特別活動と考えたときには、そこの集団はかなり多様なものであって、その異質性や多様性を意識した議論をする必要がある。日本の子供たちは割と同質的な閉じた集団の中での訓練や経験がすごく豊富だと思うが、異質な集団の中での経験も意識する必要がある。

○ 特に海外の人に説明すると、何がどういう状態で成功していると言えるのかということを指摘される。どのような状態で先生方の感覚としてはしっかりした成果を感じられるかということも検討する必要がある。

○ 地域の方に学校に入っていただき専門性を発揮していただく取組を更に進めていくことが大切。ただ、学校長や先生方が、地域の方に学校教育に参画してもらえればよいという安易な考えではなく、一緒に何を作り出していくのか、そして子供をどう育てていくのかということを明確にしながら、学校経営等にも当たっていくことが非常に大切。それにより、保護者の方々なども特別活動の意義などを本質的に理解していただけるのではないか。

○ 学校をよくすることが地域をよくすること、地域をよくすることが社会をよくすることだと子供が語れるようになることが大事。

○ 目標や評価の在り方も含めて地域に示していく必要がある。

○ 社会に開かれた教育課程を実現する上で、特別活動は全てのパイプ役になる。

○ 学校教育で育った若者が、社会に入って、その社会を担っていける、社会に参画できていけるという意味でも社会に開かれた教育課程という意味があると思う。そういう点で、特別活動では、疑似社会を学校にどれだけ取り入れられるかということが重要。

○ 社会に開かれた教育課程を考えるときに、それは、特別活動の本質的な意義、特別活動を通してどのような力を育てるかということと表裏一体である。どのような力を身に付けさせたいかという議論を地域と共にしないと、特別活動のよさは半減してしまう。学校や地域の特性や子供の実態、地域の実情などを踏まえて、地域とともに身に付けさせたい力を先生方の専門性とリーダーシップの下で作っていくことが求められる。その際、国が詳細な能力論の一覧を示すと、国が示したものだからと全国が習い、豊かな地域性や子供の実態という視点がなくなってしまう。学校がカリキュラム・マネジメントを前提とした能力論をどう設定し得るのか、設定するまでの手立てをきちんと示していきながら先生方を支援することが必要。

○ 集団宿泊活動の説明を保護者にする際、その活動を通して子供たちにどのような力を付けさせていくのかといった目標レベルでの話が少ない。そういったことを丁寧に説明する、説明をするために先生方も考えることが集団宿泊活動の充実につながっていく。また、地域の人たちに手伝ってもらったり、地域の資源を生かしたプログラムを地域で開発して学校側に提示したりすることも必要。

○ 「開かれた教育課程」とは、社会の変化をきちんと受け止めて、それを教育課程の中に織り込んでいくということだと考えるが、この社会の変化に目を向けるということが学校の先生方の一番苦手なことではないか。社会の変化というのを考えつつ、自分の学校の教育課程を組んでいく際、特別活動では、等質集団ではなくて、多様な人々が混じっている集団の中での活動を意識させるものでなくてはならない。


3.その他

○ 地域が担っていた子供会の役割を、学校の中でも何らかの形で具現化していくことが今後大切ではないか。

○ 子供会については、地域学校協働本部を中心に検討する必要がある。

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