家庭、技術・家庭ワーキンググループにおけるこれまでの主な意見(未定稿)

【技術・家庭全体について】

○ 国連では、SDGs(持続可能な開発目標)が示されたところであり、今後、貧困問題やガバナンスも含めてどうあるべきかを考える態度を身に付けさせることが必要。このため、持続可能な開発やグローバル化といった文言を明示していくとよいのではないか。
○ 倫理や公正さというものを考えるようにしていきたい。18歳選挙権が実現し、1票投じることがどのような社会選びになるのかを理解させていく必要がある。最近は自動車会社の不祥事や建築会社のくい打ち問題など倫理観が欠如した状況もみられる。これらのことについて大人がきちんと回答していかないと、自分のよりよい人生を考えようとはならない。

【家庭科教育について】

○ 高校家庭科では、少子高齢化、環境問題、グローバル化への対応や家族の問題など現代社会にかかわる課題を扱っている。特に、ホームプロジェクトや学校家庭クラブは、家庭科を通じた学びを実践して課題を解決していく力を養うものである。このような取組の中には、地域を動かすエンジンの働きをしているものもあり、課題解決の力を養うことはますます重要である。また、学校経営者の立場としてみると、地域に開かれた学校経営という観点からも重要な時間と考える。家庭基礎2単位を履修させる学校が増える中、どのように授業を充実させるかが課題である。
○ 主に0~3歳児を受け入れる親子の交流広場(地域子育て支援拠点)を運営しているが、近隣の連携している高校では、学年ごとに取り組み方を決めていて、授業の一環で手作りのおもちゃを作ってくるなどの交流がある。また、県立高校の取り組みとして学生はボランティアで単位が取れるので、ボランティア活動にくる生徒がいる。取り組んだ生徒にとっては、大学進学など進路選択にもつながる経験になっているようだ。盛んに取り組む学校とそうではない学校の違いが大きい。中学校では、職業体験的に取り組む学校もみられる。
横浜市の調査では、子どもが生まれる者に乳幼児にかかわる経験があるかと尋ねたところ、4人中3人はないという。経験を積むことは重要で、一歩踏み込んだ関わりに取り組むことが必要である。少子高齢化や生涯未婚率の割合が増えており、家庭で経験することが難しくなっているので、家族をもつということの価値観について、学校の役割の重要性を感じている。
○ 高齢者や幼児のいない家庭が多い。学校は同年齢の者同士が集まっており、リーダー的な立場の子もいれば付いていく子もいる。幼児触れ合い体験を通じて、生徒は今まで面倒をみてもらう立場から、面倒をみる立場を経験することになる。このことにより、どの子も自己有用感を感じることができ、教育効果は高いと考える。
様々な家庭状況の中、家庭の中で自立に必要なことが伝承されていくことが難しいところもある。小学5年の家庭科の授業で初めて針と糸や包丁を持ったり、中学校2年で洗濯機を初めて使ったりする。今の家庭では、昔は当たり前であった、うどんをうったり、出汁をとったり、ミシンを使うといった経験が積めなくなっていることから、学校で指導することは生活文化を継承させる意義もある。その際、地域人材の活用が重要である。家庭科は社会と関わりをもてる教科である。
○ 小学校は6歳から12歳までの児童が在籍し、発達の違いが最も大きい。社会に出て健全に生きる素地を養うことを目指して、学力の充実、ルールや規範意識、健康な体で生きることついても指導が行われているが、その中で家庭科の果たす役割は重要である。課題意識をもって、自分の家庭生活や社会に目を向けるということが指導されている。
家庭科では、買い物の学習をするが、モノの値段が毎日変わることを知る。そのことは、社会科で学ぶ流通や農業などに視野が広がるきっかけにもなる。家庭科では、課題意識をもって生活を見つめる目を養うことが重要である。
○ 経済格差が大きく経済的に困難な家庭も多い。家庭科は家庭と連携して実践することが重要と言われるが、実際できていないところもある。実践をしないと教科の本質が成り立たない。家庭の機能は昔のようには回復しないとの考えもあり、実践する場のない家庭をどのように受け止めていくかが課題である。中学の生活の課題と実践、高校のホームプロジェクトのような取組を、小学校でも実現できるとよい。
アクティブ・ラーニングを全教科で進めていくとなると家庭科の特徴は薄れていくが、実践化を図る上では家庭科での取組を通じて生活価値観を作っていくことが重要である。
学習内容が盛りだくさんであるから、規定を大綱化することが必要。カリキュラムマネジメントの在り方を踏まえ、教員全体に共通理解を図っていくことが重要である。
○ 生活から離れないということが家庭科の特徴である。例えば、スクールシューズを買うことになっている学校で、はきにくい、よごれ、足の疲れなどの課題をもとに、どのような靴がほしいかを考える取組がある。消費者の視点から考えるものである。また、スーパーに出かけてモノの値段をみるなど、子どもに選択する力を養っている。
中・高校の家庭科では、エシカルコンシューマーを育む指導もみられるところ。フェアトレードや児童労働問題も取り扱うが、問題は時間がないことである。
アクティブ・ラーニングには、家庭科はこれまでも取り組んできたが、問題解決の部分をどこまで丁寧にやっていくかが重要である。
思考力、判断力、問題解決力は家庭科で取り組んできたところである。今後、他教科との関わりの中でどのように進めていけるか可能性が楽しみである。
○ 先の学習指導要領改訂で、総則に食育の推進が規定された。食育は教科横断的に進めていく必要があり、小学校ではかなり取組が進められているが、中・高校はこれからである。その中で、小学校では、いろいろな教科での取組が5年の家庭科で整理することになるが、それは家庭科ならでは取組である。
食は健康のためにあるのであり、間違うと健康を阻害することになる。このような指導の中で、倫理的なことも学ぶことができる。
家庭により事情は様々であり、児童生徒個々に課題は異なる。食についてはこうでないといけないということはないが、理由をもって実践できる力を育むことが必要である。
○ 衣食住を媒介として考えている。衣はライフスタイルを表現する手段であり、生活を多面的に考えることのできる教材である。生徒はあふれるモノの中で生活をしているが、モノを十分見つめられていない。背景にある文化や科学技術を受け身的に受け入れている。なぜその形なのか、その素材なのかを根拠をもって考えさせることが必要である。そのため、思考力育成を意図した問いかけと題材構成が課題である。学校におけるものづくりの意義を考える必要がある。取組の中で、生活の土台となる感性を育むことにもなる。

1.家庭科、技術・家庭科(家庭分野)における教育のイメージについて

○ 高大接続改革実行プランの中で挙げられた、課題の発見と解決に向けた主体的な協働的な学びの推進は、これまでも家庭科教育の中で育んできたことでもあり、これから更に充実させるべきことと思う。小・中・高の地域との関わりでは、小学校高学年では地域の人々との関わり、中学校では地域の人々と協働、高等学校では地域の生活を創造するということで、身近な地域を含めた社会とのつながりの中で課題解決に取り組んでいく流れがよく分かってよい。
地域の中での異年齢・世代の方との交流から、コミュニケーション能力が育ったり、学びに向かう力を育んだり、柔軟な発想力が育ったりする。地域の教育力を利用することはこれから大切なことではないか。
○ 生活文化の視点から、小学校では「日本の生活文化についての理解を深める」、中学校にも同じ文言が重なり、高校では「日本の生活文化を継承・創造する力」と、高められる形になっている。生活文化に注目することについては、地域に学習の根を下ろして世界に発信していくという意味で、グローバル化の視点からも地域学習を充実する方向性と思う。
さらに、憲法25条に、「全ての国民に健康で文化的な生活を営む権利が保障されている」ことがうたわれているから、国としては、その能力・資質を付けていくことが義務として求められているのではないか。これは家庭科の本質的な存在意義になる。生活文化の視点はこの観点からも大切。
日本の生活文化については、現行でも、例えば、小学校で御飯とみそ汁、住居ですだれやうちわ、打ち水、中学校で和服等、学習題材として生活文化に関連するものが盛り込まれており、特出しすることに異議はないが、小学校では、理解を深めるというよりは、学習を通して関心を高めて大切さに気付いていくというレベルに留まっている。
理解を深めるということになると、生活文化そのものについての知識・理解が求められることとなり、スリム化が求められる一方で、更にまた新たな学習内容が入ってくることに疑問を持っている。表現について、もう少し慎重に扱ってほしい。
○ 中学校の二つ目で、生活をよりよくしようと工夫する能力とあるが、今の子供たちが学習して得た知識や技術が、実生活の中で十分生かし切れていないと感じる。子供たちが得た知識や技術をどのように結び付けていくのか、それを活用していく力を育成していかなければならない。家庭の機能が低下していることもあり、少子高齢化への対応、環境、省エネ等について、継続的に段階を踏んで指導していく必要がある。
○ 身近に幼児や高齢者がいない家庭で育っている生徒も多い。少子高齢社会を踏まえて、中学生というまだ成長過程にある時期に幼児や高齢者と触れ合ったりするような学習を入れていくことは、とても大事なことである。忙しい生活の中で、全くそのような年代の人たちと関わらずに、学校と家庭の往復だけで終わってしまうところもあるので、このような学習をこれからも充実させていくことが必要である。
食生活の自立を図る力に関して、ある生徒が「便利になって、自分で食べるものをコンビニで買うことはできるが、おなかいっぱい食べるためには費用も掛かってしまうし、栄養的にも偏ってしまうから、家庭科の中で食を学ぶということはすごく大事なことだ」と言っていた。食育は学校教育全体の中でやっているが、調理の技術を身に付けさせられるところは家庭科だけ。食育推進の核としても家庭科は非常に重要な教科である。
家庭の教育力の低下と言われ、子供たちは自分の家庭しか知らずに、家庭の中でやってきたスタイルが当たり前と思っている。自分が家庭の担い手になったとき、自分の家庭でやってきたようなやり方を繰り返す。家庭生活そのものを学習対象にしているのは家庭科だけである。望ましい家庭生活の在り方、家族の在り方などの学習を通して、家庭生活というのは不変的なものではなく、いろいろな工夫があり、よりよくしていけるものなのだということを子供たちが理解し、必要な能力・態度を身に付け、今後、自分が家庭の担い手になったときに実践できるような生徒にしていくことが、家庭の教育力の低下に対応していく一つの手段になる。
○ 少子高齢化で豊かな長寿社会を目指していくためには、地域の教育力を生かし、子供が高齢者と関わる機会も大事なこと。一方、例えば、小中学校の子供たちも含めて、地域の防災活動や、避難所の対応など、地域に協力してほしいと求められても、子供たちが非常に忙しく、参加したくてもできないような生活である。生活そのものを題材とする家庭科教育が、授業の中で地域との関わりを取り上げて、実践的・体験的に学習活動を行い、その価値を見出すというところが大事である。
生活に必要な基礎的・基本的な知識及び技能を習得するとあるが、生活というのは非常に多岐にわたり、子供が一つ一つに価値を見出して自分の生活に生かそうと思うまでは時間が掛かる。例えば、小学校家庭科の最初にお茶を入れるという学習があるが、お茶の入れ方を調理室で学び、それで終わるのではなく、家庭でやってみて、家族に感謝をされ、その報告を学級で行う。お茶を入れることで楽しい団らんができるとか、上手にお茶を入れる工夫が分かるとか、一つ一つに時間が掛かる。系統的に価値あるものが言葉で並べられているが、これを子供たち一人一人に、自分の明日の生活に役立つものなのだと理解させるには、課題が大きい。そこを厳選して取り組む方法、小学校段階で実体験を伴うホームプロジェクトのような形で授業の中に組み入れられるような、子供が価値判断を自然と身に付けられる取組なども研究していく価値はある。
○ 地域の子育て支援をしている立場から、少子高齢社会に対応する力を育むという視点で、家庭科、家庭分野に期待感を持っている。
ここで捉えている家庭像について、一人親家庭も多いし、ステップファミリーとか、単身で父親が離れて暮らしているとか、家族の在り方というのも非常に多様である。その多様性もどこかで見せていくことは大事。また、子供たちが、家族があって自分はその一員であるという自覚や、家族に対して自分は何ができるのだろうかという視点を持つこと、特に、中学校くらいで、育てられている私から今度は育てる側に回っていく転換の部分が見えてくるということが大事。このため、子供の世話をする、ケアをすることができる自分という体験が大事。例えば、小学校での保護者会で下の子をなるべく連れてこないでくださいという学校がある。そこで、地域の方が下のお子さんの預かりを体育館や教室の一角でやり、そこに高学年や家庭科のクラブの子がお手伝いに来るとか、何か現実的に学校の現場の中でもそれを見せられるようなことができないかということも考える。
○ 家庭科教育は、自らの姿について価値観を形成できる、資質や能力の育成できる重要な教科である。生活価値観、家族を持つ価値観という言葉が出ているが、変化が激しくて情報量の多い社会を生き抜く子供たちに、自分の価値観を確立し、いろいろな情報から自分の価値観に合ったものを取捨選択して、しっかりと生きていくことができる力を付けられるのは、家庭科教育である。
そのような意味で教科を学ぶ本質の図を見ると、よりよく生活するというのも価値観から成り立っていると思うが、その言葉がどこにも出てこないので気になる。よりよい家庭生活を考えるためには、やはり価値観の形成が一番重要になる。
○ 少子高齢社会に対応する力が、小中高と三つ入っている。こういう捉え方で家庭科は対応している、こういうことを考えさせるということを明示しているところはいいが、中学校の「家庭の機能や子育て理解、高齢者理解等」について、中学校の保育というのは、子育て理解というよりは、子供の育つ成長・発達への理解が内容かと思う。
高齢者理解も、高等学校でやるような高齢者理解というのは、中学校では学習時間的にも無理なので、ここでは、地域の高齢者と交流していく、いろいろな活動を一緒にやっていくというような、元気な高齢者と活動していくというようなことだと思う。このままだと、高校の高齢者理解が中学校に入ったのかというように誤解されるかもしれないので、文言の整理をした方がよい。
高等学校の「高齢者の肯定的理解」という「肯定的」という言葉は、高齢者を正しく理解していくということで、肯定的とか否定的とか、いろいろな側面があるので、多様な面から正しく理解することと思う。
五つの文章がどのようにつながるのか分かりにくい。右側にでも発達段階に応じた学習視野の広がりがどうなっているのか、自分自身が中心なのか、そこから地域も入ってくるのか、その視野の中に社会的な広がりや価値判断が出てくるのかといった縦軸のようなものを作って明示していくと分かりやすくなるのではないか。
○ 小・中・高の系統性について、家庭科の最終目標である生活をよりよくしようとする態度とか生活を創造する能力、そのための背景には生活価値の育成が必要だというような方向が家庭科で求められるが、そのためには、小・中・高の丸印で出ている一番最初に、どの校種にも書かれている基礎的・基本的な知識や技術、これをどのように習得させていくかということが密接に関わってくる。
何を基礎・基本とするのかというのは非常に難しいことであり、小・中・高で系統的に考えていかないといけない。家庭科は小学校高学年から始まるが、小学校低・中学年のところに、生活科として「基本的な生活習慣や生活技能」という言葉がある。これが、教科を越えての生活技能というものの学びの一番最初のスタートのところにある。生活科は小学校2年生までということは、小学校の中学年での生活技能の育成ということが、家庭科につなぐ上で抜けている。系統的に考えたときに、そこが弱いのではないか。物を作るとかいう技能ばかりでなく、広義に生活技能というものを考えたときにも、そこで何らかのフォローが必要ではないか。
○ 確かに生活技能という側面ばかりではないが、幼児教育から見てきたときに、中学年が他教科でどのように取り組んでいるのかと見ると、薄いのではないか。家庭科は技能の側面ということもあって高学年に入っていると理解しているが、早熟化ということもあり、内容面においても、中学年で他教科でどのように膨らませるかということも視野に置いておく必要がある。
○ 小学校家庭科について、みそ汁にしろ御飯にしろ、具体的な題材を通して生活文化に気付いて関心を高めていくのが実際の学習活動であり、「日本の生活文化を継承する力を育成する学習活動を充実する」とあるのは適切である。ただし、生活文化というのは食生活だけではなくて、衣食住が入ることから、その点が分かるようにする必要がある。
○ 家庭科において「持続可能な社会の構築」という文言を入れるべきではないか。SDGsの目標の中の12番に、持続可能な消費と生産が入っており、持続可能な社会を構築するために、消費者の活動が貢献できると考えられる。
○ 中学校で技術・家庭という一つの教科を担当する。最後の丸は、技術分野、家庭分野いずれも問題解決的な学習に関するような記述があるが、技術は「倫理観等の育成に努める」で、家庭は「継承する力等を育成する学習活動を充実する」となっていて最後の表現が違う。同じ表現とした方が一つの教科という立場としては話は進めやすい。
○ 高等学校では、主体的に協働的に取り組むという内容が入っているが、中学校の場合は独自の学習態度という感じのニュアンスとなっている。議論して問題解決策を探っていく、協働して取り組むという内容を取り入れたい。
○ 技術分野には、「基礎的・基本的な知識と技能を習得させ」とあり、家庭分野は「生活の自立に必要な基礎的・基本的な知識及び技術」とあるが、「技能」や「技術」という表現はなぜ違うのか。現場の立場からすれば、教員が正しく理解して子供に伝えることには非常に苦労があるため、同じ文言を使った方が自然ではないか。
○ 「持続可能な社会の構築」というキーワードを家庭科の中できちんと入れていくことは重要である。
○ 小・中・高いずれにも、「少子高齢社会に対応する力」という表現が入っているが、「対応する力」は何か理解しにくい。例えば、「少子高齢社会への理解や共生する力」といった表現が考えられるのではないか。
○ 高校には食生活関係の文言が入っていないが、大事な点だから入れていく必要がある。
○ 中学校では、食生活をより広い視野から見通す力や管理・運用する力も大事だが、「よりよい食生活を営む力」といった文言を入れる必要がある。
○ 一番右側の時間軸について、高校生も今の生活で問題を抱えており「現在までの」という言い方もあるが、「これからの生活」も考える必要があり、空間軸と同じような表現をとりたい。
○ 「少子高齢社会に対応する力」は分かりにくい。例えば、「少子高齢化社会への理解」などが考えられる。
○ 中学生だと子育て支援はまだ難しいが、赤ちゃんとの交流も進んでいるところもあるから、「幼児」から「乳幼児」と広げることも考えられる。
○ 「持続可能な社会の構築」については、学校現場でかなり多様な国籍の子供たちもいることもあり、日本の伝統文化、生活文化を見ていくという視点からも重要である。
○ 技術・家庭科が担う視点として、自分の生活をどのようにしていくのかという視点がある。技術を対象とすることは重要だが、生活を技術分野と家庭分野の共通項として捉えていくことが必要ではないか。(再掲)
○ 少子高齢化に対応し、高齢者に関わる記述があるのはよい。家庭・家族の大切さという括りの中で、小中高のつながりを踏まえて考えた場合、小学校の記述が分かりにくい。中高に比べたら少ないかもしれないが、様々な学習活動で高齢者と触れ合う機会や登下校の見守りなど小学生が高齢者に関わる場面もある。例えば、高齢者を含め、地域にいろいろな人がいるといった表現を入れてもよいのではないか。
○ 小学校でも学習活動の中で高齢者に関わることが増えていることを示せるといい。
○ 技術・家庭科では「生活」がキーワードであるとの意見があるが、前回会議の議論を踏まえ、「生活や社会」としているところ。論点整理でも、家庭分野では「生活」、技術分野は「社会」という語句が使われており、それに従うのが適当である。(再掲)
○ イメージ資料にはキーワードを入れる必要がある。公民科の新科目「公共(仮称)」では社会に参加する主体の在り方が論じられていることから、家庭科は、「よりよい生活を創造する主体として」といった表現を入れるべきではないか。また、少子高齢者への「対応」というと、内容が狭まる印象がある。「対応」と表現せず、子育て支援等の理解等の内容を記載するだけで十分ではないか。
○ 技術・家庭及び家庭分野両方に「持続可能な社会」が入って大変評価できる。資料7-2の技術分野における教育のイメージについて、「使用者の安全に配慮して設計・製作したりするなどの倫理観」とあるが、これは今非常に求められていることだと思うので是非取り入れてほしい。
○ 「知識」「技能」について説明があったが、家庭科では「技能」は訓練すればできるようになるものを指し、そこにいろいろな「知識」とか、「知恵」といったものが加わって「技術」になるように捉えていて、大事にしてきた。これまで「技能」と「知識」が組み合わさった「技術」というものがどうなっていくのかというのがよくわからない。
○ 「技術」を「技能」に整理したということで、現場の教員が、これまで大事にしてきた中学校家庭分野や高等学校家庭科で培ってきた理解が変わってしまうと捉えられると困る。
○ もし「技能」の用語を他教科と統一するのであれば、技術を活用しながら、それを能力に変えていくという意味での技能というとらえ方になるのではないか。例えば、栄養の知識を持ち、調理する技術を持ち、それを使って健康的でバランスのとれた調理を実際に実現する力を付けるというように。その際も、家庭科では、小学校で「技能」、中学・高校で「技術」といった言葉を使ってきたので、再整理しないと現場の教員が混乱するのではないか。
○ 技能をスキルというふうに理解すると、必要なことだし、スキルを持つために知識を得るということなのでわかりやすい。
○ 能力を育成するという言葉が出てくるが、その能力と「技能」を育成するというのを一つのパッケージにすることによって、新しく自分で考えたことを形にするという、応用できる教育につながる。

2.家庭科で育成すべき資質・能力について

○ 高校の個別の知識や技能について、中学校で家庭の基本的な機能が内容にあるが、高等学校でも家庭の機能というのは重要なところだと思う。思考力・判断力・表現力にもつながるが、自分だけではなく、自分以外の誰かのために、何か家庭科で学んだことを生かしてということが高等学校では非常に重要なことでもある。家庭の機能という中で、また、地域の中で、自分の力を発揮できることもある。自立した生活者というのが強調され過ぎていて、もう少し自分以外の誰か、家庭や地域のためにという視点が入ってもいいのではないか。
○ 中学校の一つ目「家庭の基本的な機能及び家族」の後が、「幼児」となっている。高校の方は「乳幼児の子育て支援等」という形で幅広に書いてあるが、ここが幼児だけでよいのかどうか。赤ちゃんとの触れ合いとか、赤ちゃんが学校に来るとか、いろいろなプログラムが既に実施されている部分もある。ここを幼児だけに限定するかどうかについても議論いただきたい。
○ 系統性ということをどのように考えるかということもあると思うが、中学校の学習をして、そこからまた広く深く学習するということで捉えると、決して取り組まないわけではないというふうにも考えられる。当然、乳幼児のことや高齢者のことなどを取り上げるときには、そのバックボーンとしては家庭の機能ということを踏まえて学習が展開されるのではないかという考え方もあるかと思う。
○ 個別の知識・技能のところで、例えば、「衣食住の生活に関する知識・理解、技能」と言っているところは、小・中・高を見ると、「技能」が「技術」に変わっているだけで全部同じ表現になっている。違うのは、小学校は「家族の一員として日常生活に必要な」、中学校の場合は「生活者として自立するために必要な」である。家庭科の場合には、同じことを小・中・高で繰り返し行う。他の教科はあることをやったらそれを土台に次が重なり、前のところと重複する部分と切り分けて考えることができるが、家庭科の場合、例えば、栄養の学習だと、基本は栄養のバランスを、よく食べるということを小でも中でも高でも行う。その違いが発達段階の中でどう捉えて、どのように指導することが子供たちの生活にとっていいかということと、将来的に自立していくために理解をする栄養の学習というのはすごく難しい。最終的なところに到達するまでに段階を踏んでいく。
ところが、家族の部分は、衣食住の部分とは違った書きようになっていて、項目の中に少し具体的に小・中・高の違いが入ってきて、そのために高校のところで家庭の機能が外れたように見える。実は外れているわけではなく、残った上で、子育て支援とか高齢者と書いている。高齢者は家族の中にいるケース、外にいるケースがあるので、表現を上手にしないといけない。
○ 衣食住の生活に関する知識・理解、技能は小・中・高で内容は違う。より発展させているとか、小学校でやったところは中学校のところではそれに付け加えてやっている。同じ文言では、同じことをやっているように誤解されるので、文言を工夫した方がいい。
小学校では「家族の一員として日常生活に必要な」とあるが、小学校家庭科5・6年生は、自分自身が日常生活に関心を持ってやれることを増やしていくというところが非常に重要になってくる。それが分かるような文言を、「家族の一員として」だけではなく、その前に中・高の「生活者として」のような文言を入れる必要がある。
中学校の高齢者に関する知識・理解が入っているが、高校と同じようにやるのかと誤解されることになるので、文言を慎重にする必要がある。
家族、家庭の機能の部分は、高校では、家族を作る側としての視点というのが入ってくるので、独立させなくてもよいが、文言としては触れておく必要がある。
○ 三つの柱にどのように少子高齢社会に対応する力を盛り込んでいくかに難しさも感じる。今度は自分が家族形成に向かってというところ、ライフステージのようなこと。今、家族を持つことのハードルの高さというのが非常に議論になっているところだと思う。第一子の出産年齢というのは30歳を超えている現在、高等学校を卒業してから家族形成というところまで非常に長い時間が掛かっていく中では、高校の学習に何を盛り込んでいくのかという難しさも感じながらも、何か入れていく必要性がある。
○ 学びに向かう力・人間性のところにも、高等学校のところで、家族を作るなどを少し強調したらよいのではないか。
○ 生活文化について第一の柱の理解のところで意見を述べたが、資料では三つ目の柱に入っているので、その辺りの整合性をもう少し明確にして整理する必要がある。
三つ目の柱について、例えば、「地域の人々と協働し」とか、「地域社会に参画し」というのは、地域の人々と協働できるということを求めているのだろうと思うし、参画についても地域社会に参画できる力を育てようとしているのだと思う。そうすると、一番初めの力のところにかっこ書きで「何ができるか」と書いてあるので、これは「できる」に入るのか。「できる」という中にも、段階、レベルがある。
「できる」ということについて、例えば、今、保育学習が中学校に入っているが、幼児と関わることができるのは見取れないということで、評価規準には「できる」が入っていない。だとすると、やはり見取るのが難しいから、協働する力とか参画する力は評価できないから「できる」から外すのか。しかし、むしろ評価として積極的に入れるという考え方もあるので、その辺も評価と含めて少し整理する必要がある。
○ 生活文化について、個別の知識や技能としての家庭科での扱いとか、他教科、総合、全体的なカリキュラムの中でのことということでもある。評価については深めなければならない大事な内容である。
○ 学びに向かう力について、例えば、小学校で生活を大切にする心情を養うとか、中学校で地域と協働して生活をよりよくしようとするとか、高校の社会に参画するというところに向かっていったときに、何がそういう向かう力となっていくのかというと、他教科ともつながる。そこでの喜び、幸福感が学びに向かう力になる。家庭科でやっている様々な行動が、自ら積極的に動いていこうとする原動力になる。幸せに思う気持ち、相手を大切に思う気持ちというものは、道徳等とつながるが、そのような幸福感、満足感といったものがうまく表現できるとよい。
○ 消費や環境に係る生活事象というのが別枠で出ているが、中学校の学習を考えたときに、やはり消費や環境に係る生活は、衣食住に係る生活事象を学習するときに関連して学習しているのではないか。衣食住に係る生活事象を活用したり探究したりする際の視点の例に環境とか消費が入るのではないか。
消費や環境に係る生活事象の視点が持続可能な社会となっているが、環境や消費というのが、衣食住に係る生活事象の中から知識を活用してよりよくするというようなことを考えたときに、環境とかという視点が入るのではないか。
持続可能な社会については、どのように社会・世界と関わりよりよい人生を送るかといったときに、持続可能な社会を構築していくような力、考え方、態度が一番右側に入るのではないか。
○ 三つのポツで示されてそれぞれに視点のキーワードが示されているが、検討が必要。例えば、健康という、衣食住のところに示されているキーワードについても、上の、家族や家庭に係る生活というところでも関わってくるものであり、家庭科の内容をもう少し構造的に見ていく中でこの視点を捉える必要がある。
一番上に「身に付けた知識、技術を活用したり、探究したり」とあるが、個別の知識や技能が何らかあって、思考力・判断力・表現力というものが育成されるというふうな考え方もあるが、逆に、生活の見方や考え方が育つ中で、個別の知識や技能、どうしても必要なもの、自分にとって有効な知識や技術というものが見えてくるというような学習の方向もある。技能、知識も含めて、技能というのはこの三つの柱を総合した形で発達していくものと思う。この表現だと、まず個別の知識や技能が身に付いて、それからこの2番目という捉えになってしまうのではないかと懸念される。
○ 協力・協働・共生は、家族や家庭に係る生活事象とつながっているが、住居のところで、バリアフリーな住環境を整えようということになると、共生の視点も入る。持続可能な社会は消費・環境だけではなく、例えば、食品でどういう食品を選択するかというときに、より持続可能な視点を入れて選ぶというようなことは授業でも行う。三つのキーワード、視点は見通しみたいなことかと思うが、生活事象や領域に対応させるのではなくて、家庭科全体を貫くものとして設定をして、いろいろな内容がこれに関わっていくという整理にすると、よりいろいろな学習が想定できると思う。
生活文化について、三つとも「日本の生活文化」という、「日本」というのが付いているが、授業をするときには、世界のいろいろな住形態とか、食文化とかを出しながら、その中で日本ってどうなのかと見ていくので、「生活文化への理解」という言葉に統一してもいいのではないか。あえて「日本」とすると、焦点が狭まってしまうのではないか。
○ 資料4は小・中・高の違いがとてもわかりやすい。学びに向かう力、人間性のところで、高校は主体的に地域社会に参画しようとする態度とあるが、更に深めて、関係機関と連携して、地域の課題に取り組んでいるところもあるので、更にレベルアップしても大丈夫ではないか。
生活文化について、高校の場合、どのように社会・世界と関わりよりよい人生を送るかということを考えると、日本の生活文化を継承・創造するとともに、異文化も理解しようとする態度が入ってもよい。
○ 自立した生活者として必要な知識・技術について、経済的な自立、すなわち雇用・労働という問題は全く教えなくてよいのか。高校を卒業したら、必ずしも全員が大学へ行くわけでもないし、専門学校に行ったらアルバイトをしたり、自分でお金を稼ぎながら大学にも行くという形もあるだろう。知識が全くないために、生活設計ができなくて、例えば、ブラックバイトに引っ掛かったり、非正規労働者として社会に出る前に挫折してしまうようなことが現実問題として起きている。もう一つ大きい問題として、例えば、健康保険や年金の問題はどこで扱うのか。いまや下流老人の時代などと言われる。将来の生活設計もプランニングができない。また、公共財やサービスの購入はどこで扱うのか。すると、税の正しい使われ方がどうなのかという検証もしかるべきかなと思う。
○ 高校を卒業後、大学に行って一人暮らししたときの住居費、食費、本代などのシミュレーションはしたりする。また、家族の段階ごとに、養育費や税金、保険などもシミュレーションする時間はとる。
○ 男女共修で家庭科が行われているならば、納税者の意識と税の使われ方、社会保障制度も含めて、将来の生活設計ができないといけない。健全で健康で豊かな暮らしを送る、福祉を実現するという意味では、もう少し踏み込んでいいのではないか。
○ 家族の協力だとか協働といった文言が入っているが、生活設計というライフプランのようなものに、個々だけではなくて家族でイメージを持つことや、仕事と家庭のワークライフバランスも入ってくる必要がある。保育園や幼稚園のほか、仕事をするためにはどのような資源を活用するのかなどをシミュレーションするような授業も今後必要になってくる。
○ 思考力・判断力・表現力の黒丸の二つ目について、高等学校になると、例えば家族のところで育休制度や保育園、集団保育など制度の問題と踏み込んでいく。生活を見ながら社会制度の問題まで見ていくところが家庭科の特色だから、高等学校で地域社会では少し狭く、「家族・家庭や社会における」としてよい。
批判的に検討するという文言が入っているのは、どれも一番下である。高等学校では、教科書を見ても様々な社会的な問題を暮らしの現状と比べてクリティカルに見ていくことも家庭科ならでは方法論であり、そこをもう少し別の面でも入れる必要があるかなと思う。例えば、多角的に考察するというのが一番上にあるが、様々な生活事象と関連付け、こういうところにも「多角的、批判的に、批評的に」という言葉を入れてはどうか。
生活文化については、「日本の」と入れることによって狭めてしまうかなという印象はある。
○ 資料4-1のマル3と4は、評価を超えた汎用的な力として位置づくものである。汎用的な力もここの評価の中にきちんと位置づけておくべきだろうとは思う。例えば、カリキュラム・マネジメントをするときに、学校ごとに強調ができるマネジメントしやすい力のつくりになっているといい。①と②は家庭科の特色が出ており、非常にマネジメントしやすい構成になっている。
○ 資料4-1の二番目の生活の捉えは、一番身近な小学校は日常生活、そして地域への広がりというところが表現されていてよい。いまは家庭生活というのが非常に多様化していて、地域の力を借りて生活していかないとなかなか立ち行かないところもある。一人親の御家庭の生活と保護者の多くは母親と考えられるが、家にいて家事を主にやっている家族構成の生活と様々あって、ひとくくりに生活といってもいろいろある。中学校段階では、地域における問題も広げて、地域の力で子供たちの生活を支えていくような関わりになって捉えられるのではないか。高校になればもっと広がって社会の問題として捉えるという意味では、高校段階では社会だけでもいいと思う。
○ マル3について、科学的な根拠のところに調査データの分析のようなものも必要ではないか。
○ 子供たちが調べ学習をして、調べたことをもとに結果を説明したりすることはあるため、「調査等」が入ってもよいのではないか。
○ 「図表などを用いて」は非常に目立つが、この例示はどうなのか。
○ 小学校の学習は全体として言語活動が重視されているので、家庭科の中では、自分の実習の結果を図や表でまとめて発表する時間も大切にされている。また、プレゼンをつくって、コンピューターで発表したりもする。
○ 「観察、実験・実習等について」が「観察したこと、実験したこと、実習等でわかったこと」という意味だと分かるように少し言葉をつけ加えた方がよい。「観察、実験・実習、調査等の内容について」とか「結果について」とか「ついて、科学的な根拠や理由を明確にして、論理的に説明したり、発表したりできる」がよろしい。
自分の考えを批判的に、「検討するために、他者の意見を聞いたり、自分の考えを主張したり」というのが分かりづらくて、もし並列にするのなら、高校のように「検討したり、他者の意見を聞いたり、自分の考えを主張したり」の方がすっきりする。もしつなげるなら「するために、」の点を取り、「他者の意見を聞いたり、」などと整理する必要がある。
○ 三、四十年前だが、アメリカの公立学校では最善のやり方を見つけることも大事だが、次善策を持たせること、失敗したときには別の考え方があることを必ず教える。もしこれが失敗したら、次で救えるという考え方を教えていくと、子供たちも強じんな生活を送ることができる。そういう部分が入るとよい。オポチュニティーコストという考え方を小学校のときから教えていた。例えば、自分の部屋にものを入れたいと言ったときに、スペースの関係を積み木を使って考えさせ、自分の部屋の快適な過ごし方を小学校1、2年生ぐらいで教えている。
○ クリティカルシンキングは、マル4に限定するのではなくて、マル1の思考のところに入れたい。クリティカルシンキングという小さい冊子を見たことがあるが、そこには「あなたは、馬は何と鳴くか知っていますか」とある。テレビで見たことは知っているが、あなたの耳で聞いたことがあるかと。鳴き声とか、海で例えばおぼれたときに服を着たまま泳いでいる絵があったら、実際にやってみなさいということ。自分の目で見て経験すること以外信じては駄目だということを1年生でやっている。自分の問題にしても、文献で見たのではなく、本当に問題かどうか自分の目でちゃんと調べてくるという行動の仕方を身に付けていくためには、マル1に入れていくべきなのかもしれないし、むしろ一本の柱にして、外出しにするべきかもしれない。
○ クリティカルシンキングはそもそも思考力の方法論である。家庭科の中で問題の解決策を出していくときには、必ず解答は一つではない。いくつも出して、それを多角的に検討していく中で、オルタナティブを必ず考えさせる。批判的思考力は非常に重要であり、家庭科がここでできることをきちんと示すことも重要である。
○ 考察したこと、構想したことを説明したり、発表したりする前に、何か自分なりにまとめるといったことがあってもよい。
自分の家庭しか知らないと自分の家庭の在り方しかわからず、いろいろな状況の家庭の中にいる子が当たり前にやっていることがそのまま繰り返すことになる。家庭の在り方を勉強するのは家庭科しかない。自分の考えを広げ、深め、多様な考えがあることを知るために他者と意見交流する面があるから、批判的に検討するために限定されないよう表現を工夫できるとよい。
○ 協力・協働・共生、安全安心、生活文化の継承、持続可能な社会というキーワードがあるが、それと学習領域はどういう関係になるのか。家庭科は時間数も少なく、キーワードを大事にしながら学習を展開していくことになるが、それを領域とつなげてイメージはつくらない方がよい。自由な学習展開ができるようにすることが大事である。
○ 教える側が自分の中で題材をつくりながら授業をしていくことを考えると、家族、衣食住、消費生活などと分けない方がよい。
○ 小学校は総合的に扱っていくので、区切るとかえって扱いにくくなる部分はある。最終的につけたい資質・能力に向かって、小・中・高の発達段階はあると思うが、段階に応じて、その見方・考え方を適用していくときに、協力・協働・共生などと分ける必要はないかもしれない。
○ キーワードの中に加えていただきたいのは、共有するというコンセプト。小さな子供たちであれば、図書館の本を一人が1冊ずつ持たなくてもいいとか、スポーツをするときにバットなどは学校で用意されていて、それを大切に使う。今は、全ての消費の在り方がマイグッズになっている。公衆電話は消えて、みんなスマホを持っていろいろなネットワークの中で社会的な問題も起きている。一番大事なのは地域社会も含めて、共有していくことである。
○ 領域ごとの固有のものの見方は何かということを追求するため実線で示しているが、少しぼやかして点線や「主に」と表現することも考えられる。ただ、ほかの様々な教科でも、独自の見方や考え方も持って学んでいるが、家庭科はどういう独自の見方や考え方で学習を深めることになるのか詰めていかないといけない。
○ 安全というキーワードは出ている。安全は何のためにあるのかといれば心の安心感のためだろう。衣食住の生活だけではなく、いろいろな意味で安全な生活を送っていくと安心感が得られるところが家庭科の中では大事にしていくべき視点ではないか。そこで、「安全安心」といった表記はどうか。
○ 家族・家庭生活と消費生活独自の内容も当然あるので横並びになる部分もあるし、真ん中の衣食住の生活に共通する部分もあるというような、きれいに書けないところが家庭科の特徴である。きれいに分けようとするとすごく大変なことになる。
安心安全に関しては、授業で扱うに当たってはある意味難しい。安全はある程度の話はできるが、安心は人ごとの捉えようだ。それを学校の教育として教えるのか。特に食はそうだが、安全と安心が、同じように扱われて、どちらを大事にするか。共通の認識として授業の中で扱って、あとは個別の問題でそれぞれどう捉えるかといった部分がある。言葉としてはもちろん安心は大事だが、一応「安全等」になっているので、余り細かくそこが規定できるようなものとして並ぶことは危険かなと思う。
○ 育成すべき資質・能力の資料では、小学校では「家族の一員として」、中学校では「生活者として」、高等学校では「自立した生活者として」とあり、考え方が整理されていてよい。他の資料も同様に整理する必要があるのではないか。
○ 資料10の「マル1総合的に考察する力」について、「様々な生活事象について他の生活事象と関連付け」とあるが、小学生には難しい。「自分自身と関連付け」といった表現ではどうか。また、批判的に検討することもまだ難しい。中学校では「他の生活事象と関連付け」に加え、「自分自身との関連」を入れてはどうか。
○ 資料10の「マル4意見交換する力」について、中・高等学校の記述は整合性がない。中学校では「相違点や共通点を理解して取り入れ、自分を深める」のが趣旨である。高等学校では「自分を相対化して捉える」のが趣旨である。
○ 資料10の「マル4意見交換する力」について、「他者」との表現は家庭科教育らしくない。特に個と集団のコミュニケーションの基礎的な場所は家庭であり、小学校における他者とは「親」であろう。個人としての意思決定と家族としての意思決定の視点を考慮しつつ、分かりやすい表現としてほしい。
○ 「他者」とは大きくくくった表現であり、家族や友達、地域の人を意味するものと理解できる。
○ 資料11について、「協力・協働」の視点は「共生」とはできないか。食について言えば、家族とともに食べるという要素があるし、幼児理解や高齢者理解は共に生きるために行うものだ。living togetherは世界のキーワードである。
○ 資料11について、見方・考え方と学習例を示した表は、これだけをやっているのかとの誤解を生じかねず、表し方がよくない。
○ 家庭科でいう「生活」には家庭、社会、自然環境を含んでいる。技術分野の「生活」とは異なる。
○ 資料11について、見方・考え方と学習例を示した表は、内容を狭めていて、家庭科の魅力が伝わらない。ライフサイクルの視点から表すこととしてはどうか。
○ 資料8の「家族、幼児、高齢者に関する技術」という部分はわかりにくく感じる。高校のように「子育て支援等に関する技術」や「生活支援等に関する技術」となればわかるが。
○ 資料8の知識・技能のところに、小中高一貫してあるのが環境に配慮したライフスタイルの確立に関する技術という部分だが、ライフバリューや効率性、満足度、幸福度といった問題が問われる中でライフスタイルを技術で解決するというのは言い過ぎになるので、これまでの議論を受けたかたちで整理してほしい。
○ 「男女が協力して主体的に家庭や地域の生活を創造する」というのが入るのはとてもよいが、個別の知識・技能の部分で「技術についての知識・理解、技能」となるのはなじまない。
○ 生活の自立に必要な衣食住に関する技術というのが、例えば自立した衣食住に関する生活が送れるようにするための知識・技能というように考えれば理解できるように思うが、「技術」という言葉が入ってくると違和感を感じる。
○ 「学びに向かう力・人間性等」という部分で、中学校のところで、「地域の人々と協働し」というところがあると、必ず地域の人々と協働して何かする必要があるとならないか現場的な感覚として感じる。
○ 資料8の「個別の知識や技能」の高等学校の部分で「技術について」というまくら言葉が付くことによって、その次の「知識・理解」が狭まってしまうように思う。
○ 資料8の「個別の知識・技能」等の下の欄に「自立した生活者」等のまくら言葉が入っているが、これらは「見方・考え方」の視点に入っている共生・自立にかかるキーワードに当たる。「見方・考え方」に示されている目標を、3つの資質・能力で総合的に目指していくのであれば、各能力の部分に言葉は入れないほうがよい。
○ 資料8について、中と高について、これまで「技術」という表現を「技能」ということにしたが、小中高と体系的に見た場合に、小学校はもともと「技能」だったからそのままで問題ないとはならないのではないか。小学校の「技能」の表現がこれまでと同じ解釈でよいのかも問題になる。
○ スキルとアビリティという言葉を「技能」という言葉の訳とすると、小学校がスキル、中学校がアビリティという線引きで体系的に考えた場合、これまでの現場でのとらえ方も併せて検討する必要がある。小学校の段階でアビリティが含まれないわけではない。
○ 小学校では、生活の中から課題を見つけ、その解決に向けて実践的・体験的な学習活動を行い、子供たちの資質能力を育成している。思考・判断・表現力とか学びに向かう力等の3つの柱から資質・能力を考えると「技能」でよいと考える。
○ 資料12-3で高校の家庭科でも問題解決的な学習の取組は重要なので「内容」に具体的な文言を入れてほしい。「育成すべき資質・能力の整理」の思考力・判断力・表現力等の高校の部分にも「問題を解決する能力」が入っているので、技術分野との並びをみても入れておく必要があるのではないか。

3.家庭科、技術・家庭科(家庭分野)の学習プロセスについて

○ 調理実習とか、物を作るような製作の実習とか、幼児との触れ合い体験実習とかはこの流れで今もやっているし、きちんとした形でできるかなというふうに思う。調理実習、被服製作等の時間が多い時代はこれでできた気がするが、例えば、栄養に関する五大栄養素とか、幼児の心身の発達という単純に知識として学習するときにどこに入れるのか。固有の知識や技術があって、それを探究したり活用したりしていくということになる。その基になるような知識や技術を学習する時間というのはこのプロセスの中のどこに入るのかというのが、実際に教えているときも疑問である。
○ 問題解決的にやる場合、どれほどの知識とスキルを使うのか、それが学習指導要領で押さえられている学習項目のどこの部分をカバーできるのか、全体としてカバーできるのかどうかは、本当に限られた時間の中で現場の教師は悩んでいるところ。アクティブ・ラーニングを入れていくということであれば、知識・理解の部分のある程度の大綱化、細かいところまで押さえなければならないとなると、現場はすごく難しくなると思う。
プロセスの解決方法の検討と計画とは、解決方法の立案と検討と思う。生徒自身が生活から問題を発見するところは大変難しい。次の解決方法を検討する段階では解決方法はどんな方法があるかをいろいろな例を挙げながら考えていく。その後、どの方法がよいのか比較検討して決定をする。これで行こうとなったときに、次の実践部分で細かい計画を立てるとなる。解決方法の立案と検討というところは、思考・判断ということでいうと、非常に醍醐味もあり、生徒も頑張るところになってくる。その部分をもう少し丁寧な図解にしておくと、授業を作るときにイメージが作りやすい。
実践して評価して、それを更にというのは実際そうだが、実践して更に地域へというところまで行ける題材、学習機会というのは実際には各教科とも少ない。難しいところなので、授業時間の中で思考力・判断力・表現力を付けさせるとすれば、今の2番目のところを膨らませて丁寧にプロセスを作っていくと、授業が作りやすいと思う。
○ 小学校から見ると、この流れはすごくいい。小学校では解決方法を考えてある程度検討するが、実践しながらそれを振り返って、更によりよい方法を見付けて、もう一回また実践してみるという、思考がサイクルで回っているということを大切にしている。生活を見つめる段階である程度の知識・理解をこちらで付けてやり、見つめる目を持たせて、それから課題を設定するというふうな段階で学習を進めている。それで、どこが問題なんだろうと考えながら解決方法を見つけてやるということになっている。
○ 幼稚園や保育園、認定こども園など、今、新制度でいろいろ子育てのところが大きく動いているところ。家族が非常に核家族化し、家族だけでいろいろなことをやっていくというのが難しくなっている中、協働という形で、地域の社会資源をうまく使って家族生活を送っていくという視点が非常にこれからの生活には大事になってくると思っている。ここで議論しているプロセスの中で、生活の課題発見ということで言えば、少子高齢化という社会であったり、待機児童問題というようなことだったりをテーマに、高校あたりであれば、夫婦でどんな役割を果たしながら、どんな地域資源を使いながら家族を形成していくのかというような、具体的な実践のイメージを膨らませていくことができる。目の前のいろいろな課題を学習プロセスの中に入れて、自分の生活、これからの将来に活用できるような学習が進められるといいと思う。
○ 課題解決に向けた実践活動について、調査と調理がくっついているのが違和感があるがどうか。観察、実験・実習、調査も入れてもいいのではないかと考えたが、前回のたたき台の並びと見たときに、もう少し整合性をつけた方がよいと思われる。
○ 上の四角の中を見ていくと、解決方法の検討と計画に生活に関わる科学的理解に基づいた解決方法を立案・検討し、決定するとあるが、その下を見ると、解決のための情報の収集と、分析みたいなことが書いてある。この解決のための情報の収集をする中でいろいろ生活に関わる科学的な理解が得られるような情報を収集していくことになると思うが、1個の中だけでは見えづらいので、解決方法の検討と計画について、「解決のための情報収集と」とか知識をこの辺で得ていることが上の四角の中を見ただけでうまく伝わるよう表現できないか。
○ 高校ではホームプロジェクトとか学校、家庭、クラブ活動としてやっているし、中学校もそういう課題を持ってという部分が出てくる。この辺は家庭科の特徴で長らく入ってきた部分であり、小学校でも学んだことを生かしてやってみようという題材構成も出てきている。これは子供たちの学習プロセスの標準的な例だから、実際の授業の方法として、講義式にここはきちんと覚えようという部分はこの中に組み込まれて、時間を取ってやるということで、これがイコール指導方法ではないと思う。しかし、知識、技能がどのように習得されていくのかを少し明示するとイメージはしやすくなるとも考えられる。
○ 知識・理解をどう位置づけるかというのが悩ましいところ。解決のための情報の収集と分析のあたりが関わってくるし、実践活動、計画を実際に決めて実践に入っていくときも関わってくる。思考・判断・表現の下に「知識・理解」と入れ、解決方法の検討と計画、実践活動の下に2つぐらいに分けて入れるというのもわかりやすい。
調査、調理、製作、交流活動について、実習、観察、調査は入ると思うが、そういう文言にするのか。ここの文言というのは実際にやってみる活動が入っている。子供を理解するために幼稚園に出かけていって、年齢に応じた支援を行う。そのためには年齢に応じてどういう育ち方をするのかという知識も要るし、実際にどういう遊び方をしているのかを観察して、適切な遊び方を一緒にやってみるということになれば交流学習になる。
○ 技術・家庭というのは極めてリアリティのある教育だが、課題解決には二種類あるような感じがする。個人の力でできる解決方法とどんなに逆立ちしてもできない解決。例えば、無駄な水を使わないで省資源、省エネの選択方法を考えると、まとめ洗いがいいねとなるが、それは消費者の選択としてまとめ洗いをした方が資源消費は少なくなると。ところが洗剤の性能や洗濯機の省エネ性能は、消費者の力ではどうにもならない。個人で解決できる部分とそうでない社会的な解決を何か分けていかないと難しい。その場合、「家庭・地域での」は中ポツではなく、スラッシュになる。家庭で解決できることと地域社会で解決できることがあるという考え方もあっていい。
○ 例えば、企業への要望となれば、家庭科ではなく、例えば公民科などでやっていく。何から何まで家庭科ということにはならない。社会への要請は必要だというところまでは家庭科でやれるところだろう。
○ 資料11の技能のところに「生活課題を解決するための技能の習得」とあるが、以前は「技能・技術の習得」で、その後「実生活に活用できる技能の習得」という書き方になっている。技能に知識・理解を加えて、技術とするという考え方とここで言うところの「技能」という言葉の意味事態をどう捉えるか、技能と技術の区別がよくわからなくなっている。

4.技術・家庭科(家庭分野)の今後の方向性について

○ 児童期から高齢期の矢印があるが、ぜひ高齢期の下に「高齢期を豊かに生きる」という表現が入るとよい。生涯を見通した生活というのは、自らが高齢期になったときにどういう生き方になるかを考えることだ。
○ 食育の推進については、とりわけ小学校で学校全体を挙げて推進されているところでもある。そことのつながりも含めて、家庭科が果たす役割を明確にして、とりわけ調理実習みたいなことはしっかりと位置付けたい。そこが実践にもつながるし、昨年、農林水産省が食育の推進に関する調査報告書を出したが、調理をすることができない実態や食事を準備する能力が重要であるという報告もされている。義務教育段階である程度のことの技能、技術を身につけることが大切である。ただ、現実的には、子供たちの生活経験が下がっており、実際には危険な状態で調理実習が行われていたりするので、調理実習はTTで入ったり、クラスを半分に分けて少人数で行うことができるような環境を求めたい。
○ 食品残さの問題が今大きな問題になっているが、食育の中で食品残さの扱いというのはどうなっているのか。
○ 残さが出た後どうなっているかという話よりも、小学校の食育の中では、自分たちが食べているものがどこから来ているものかとか、命を食べているといったことを指導している。食べるものに対する思いだとか、考え方、その食糧資源としての考え方に立ち返って、基本は大事に食べる。食に関する指導について、今まではどちらかというと「健康」が強く出ていたが、それだけでなく、有り難さも含めて指導することが、食べものを無駄にしないことにつながる。
そこから先の無駄になったものがどうなっていくかみたいな話は、恐らく社会の中の問題として、
○ 食育は小学校が割と取り組みやすいが、段階に応じてスパイラルに中身が高度になっていっているというのが現状である。
○ 高校では、自分の食生活だけでなくて、家族の食生活も扱っているが、流通、輸入食品、食糧自給率、外食も扱っている。そういう意味では、幅広く考え、自分と家族だけでなくて、食を取り巻く環境そのものを考える時間はあるが、それをどう徹底させるかが課題である。
○ TPPが具体的に決まったわけだから、農産物がいろいろな形で入ってきたときに、どう判断していくのかということを入れ込んでおかないといけない。
○ 資料6について、上の段は少子高齢社会、健康・快適・安全な生活、持続可能な社会の構築、グローバル化とあるが、資料4-2上の三つとどのような関係があるのか。また、丸に入っているものが何を意味するのか。下の段には、家庭科に児童期から高齢期までの課題に対応した内容を入っているということを示しているとは思うが、どのような方向性なのかがわかりにくい。
○ ある市の調査では、75パーセントの人が赤ちゃんが生まれる前に赤ちゃんの世話をした経験がない。初めて産んだ赤ちゃんと24時間待ったなしの子育てに突入する。今、初婚年齢が30を超えているので、女性の第一子出産年齢が30を超えている。しっかり家庭生活を築いていこうとする中で、いきなり赤ちゃんがやってくるので、非常にとまどいながら子育てしている。だからこそ、高校生や大学生で乳幼児との関わりは非常に重要である。次世代育成という観点からも重要だし、地域の人との関わりが多かった学生は子育てに対してのイメージがいい。地域との関係性なくしては、今、核家族の子育ては非常に厳しい。今回、家庭科に少子高齢化社会を見据えたものが入ってくるのは非常に重要である。
○ 今、単身世帯が一番多い。高齢者が、今どんどん施設に入ってきており、住まい方も変わってきているところ。その動きの後追いにならないようしっかりと子供たちに伝えていくことは非常に重要である。
○ 自然との共生や分かち合いといったところが入っての地域コミュニティづくりかなと思うので、そこをもっと大きく示したい。自然との共生が考え方として入るなら、学習内容を縛る考え方として入ってもいい。シェアハウスなどもかなり普及してきている。資料は、従来のものと充実させていきたいものとで整理すべきである。
○ 小学校は5年生になるまで地域の高齢者と触れ合ったりする体験をしていたり、縦割り班活動、幼児が学校に来て、子供たちと遊ぶということもやっている。食育の推進については、生活科で学校で農園で育てたものを食べたりし、地域コミュニティについては安全安心のことで防犯パトロールの方にお世話になったりして、6年生になってABCDの内容で学んだことを生かしてお礼の会をしたりする。消費生活については、家庭科以外の時間でも法教育もやっているし、5、6年で税金の使われ方がどうなのか考えたりする。家庭科の時間に家計管理は必ず行い、収入が毎月どれぐらいだったら、家賃、生活費、食費はどれぐらいかといったことを家庭科で行う。また、いろいろな教科で生活文化の理解や継承も大切にしている。これらを家庭科でまとめているというのが小学校の実態である。
○ 家庭科教育のイメージを示す資料と整合性を図る必要があるのではないか。小学校段階において、生活の課題と実践のような内容を取り入れるのは前向きな考え方でよい。少子高齢化関連の「異世代」との表現はあいまいでよい。
○ 小学校段階においても、長期休業期間を使って課題を設定しその解決を図るような学習が行われている現状がある。問題解決の考え方が大事にされていてよい。
○ 基礎的な技術の習得が指摘されているが、生活経験が少ない中で高い水準を求めるのは難しいが、TTや少人数指導などの工夫を通じて習得を目指したい。
○ 小学校段階について、「実践力」は生活の中で活用する能力を言い換えた表現と考えられる。そのため、実践的な態度という表現は分かりにくい。「生活をよりよくする主体的な態度」としてはどうか。
○ 高等学校段階について、生活支援技術の基礎の習得は大事だが、「技術」はどの分野においても必要となることだから、ここだけ「技術」を強調するのはおかしい。「高齢者の理解や支援」といった表現ではどうか。
○ 基礎的技能の習得について、平成元年学習指導要領から教材名が限られたことで技能が低下したとも考えられる。具体的な教材名を示すこととしてはどうか。
○ 示された内容はすばらしい。ただ、高等学校段階では受験などもあるがしっかりと指導が行われるかが問題である。授業時数を増やしつつ、中学校に前倒しして指導することも考えられる。
○ 21世紀型能力として、社会を変えていくための実践が示されている。実践をきちんと定義して考えていく必要があるのではないか。
○ 高等学校段階において、2単位科目が出てきたのは家庭科教育の歴史としてみると最近のことである。内容はよいが授業時数が足りず、十分指導できないのが課題である。4単位科目では2単位科目では十分にできない実践が入ってきてよい。加えて、生活からみた福祉や保育等公民科とは異なる理解的な内容も扱う必要がある。このことについての指導がこれからの日本をよくしていく。
○ 少子高齢化にかんする内容の改善のところで、高齢者の理解と生活支援、技術の基礎などが入っていてどれだけ定着できるかが課題。2単位科目の場合には内容をもっと絞るか、またはさらに1単位プラスするか。日本のこれからの社会の重要な課題について定着させることを考えるとプラス1単位くらいあればよいという思いはある。
○ 2単位の学校ではなかなか実習は外に出ていけないという話を聞く。少子高齢化に関する科目の充実ということが入った以上、体験的な触れ合いなどが求められる。そういった意味でも時間を少しでも充実できるようにお願いしたいという現場の声も伝えたい。
○ 小学校、中学校の内容のところにある実践的な学習は他教科等と連携するという部分では、総合的な学習の時間等と連携を図ってやっている学校とあると思うが、今後はより多くの学校で他教科等と連携した実践をしっかりやる必要がある。
○ 今後の改訂の方向性のところで内容について資質・能力を保証するためのコンテンツについて、適切な題材指定の必要性をぜひお願いしたい。

【技術教育について】

○ 技術ガバナンスの力を育むことは国民的な課題である。例えば、夏にエアコンを使うが、快適に過ごすために職場にいる間から自宅を冷やすこととする。すると、CO2はそれだけ多く排出されることとなる。トレードオフになりがちな関係性の中で、日本に住む1名としてどのように生活すべきなのかを考えることが必要。また、古いエアコンを使い続けるのもよいが、環境に配慮した新しいエアコンを使うこともよい。新しい技術をどのように導入していくか。原発がダメならどのような技術開発をするか。新しい時代、新しい技術をどのように作り出していくかを考えるのは技術教育しかない。
インターネットにはマイナスの側面もある。新しいサービスにはよくないものも出てくるだろうが、それをどう取り扱うか。誰がどこでどう選ぶかは、国民一人一人であるべきだ。無条件ではなく、使う国民に判断するための知識や能力を身に付けさせることが必要である。

○ 2030年には、人工知能の進化や産業構造の変化など、技術は相当変化しているだろう。そのような中で、技術をどのように使うかを指導することは重要。少ない時間数の中で、アクティブ・ラーニングを通じてできる限り取り組んでいく。
政府の成長戦略ではIT人材の養成と言われているが、中高の情報はつながっていない。両者を連携させて指導することが必要である。
情報をどのように使っていくか。知識の習得が目的ではない。技術教育の指導を深めていくことが重要である。

○ ダイソンでは財団をイギリスにおいてエンジニアリングの教育を支援してきた。イギリスでは小学校から技術を指導するが、日本では中学校のみである。日本の生徒には、技術が生活の一部という意識が少ないようだ。
取組としては、機械を分解して、また組み立てるというもの。その中で、ドライバーの使い方を含めて学ぶ。また、エンジニアリングの考え方を学ぶ。そのような取組の上で、生徒に生活の中で問題を見つけさせるのだが、その指導が難しく教師は困っている。生徒が考えるとビックリするような発想が出てくるが、教師が受け止めることが難しい。
技術開発はチームワークで行うが、そこも総合的に学べるのは技術教育である。
技術教育の課題としては、授業時間が少ないことと、教師が孤立していることである。
○ 技術・家庭科は子供が大好きな教科だと実感している。今回提言されているカリキュラムを構成する三つの柱では、「どのように社会・世界と関わっていくか」という点が重要である。
できなかったことができるようになるということを実感したり、そのことを周りの者に認められたりすることもできる教科である。
技術・家庭科ではこれまでもアクティブラーニングに取り組んできたが、形だけにとらわれないよう慎重に捉えていく必要がある。生徒が集まって簡単に話し合いを行うことをもってよしとしてはいけない。何のためにアクティブラーニングに取り組むのかきちんと示していくことが必要である。
○ 時代と共に教育内容が変わるのが技術の特徴。10年経てば指導内容、タイトル自体が変わっている。必要な指導内容をどのように捉えるかが重要である。技術教育の中で変わらないものは、制約条件の中で最適解を求める力である。育むべき資質・能力としては、マル1課題解決の態度、マル2技術を評価する力、マル3手先の巧緻性、マル4社会参画のキャリアをどのように積ませるか、などということであろう。
技術教育では、アクティブ・ラーニングには以前から取り組んできた自負心があるが、三つの柱のうち、課題解決には取り組んできたが、協働性や主体性は更に考えていく必要がある。

1.技術・家庭科(技術分野)における教育のイメージについて

○ 技術を創造できる力、技術を適切に評価していく力、多面的に現状を見ること、設計について十分なアイデアが出せるような段階について、少なくとも今の技術教育の実践では十分育成しきれていない状況である。新しいものを作り出していく力を身に付けさせる点に重点を置いて指導をしていく必要がある。
○ 中学校のところで、材料と加工を分けて表記しているのは何か意図があるのか。
○ 中学校のところで、二つ目の丸はよりよい社会の構築とあり、三つ目の丸は安心・安全な生活とある。「安心・安全な生活の実現に向けて、技術分野における見方や考え方を踏まえて、技術を評価・活用できる力を育成する」はガバナンスのことを意図していると思うが、ガバナンスは、生活の実現というよりは社会の構築という意味合いが大きいように思う。そして、よりよい社会の構築がイノベーションを指すのであれば、イノベーションは社会の構築だけなく、安心・安全な生活の実現にも関わると思われる。安心・安全な生活の実現もよりよい社会の構築に収まってしまうと思われ、あえて違いを出すならば記述の整理が必要である。
○ 生徒たちにはいろいろな作品を作る際、構造や強度を踏まえて製作する力を付けてやりたい。デザインは大変凝っているが、実際、身の回りに置いたら実用的でないような場合があることを身をもって体験してほしい。
○ 将来の変化を予測することが困難な時代を前に、生徒たちが、技術の光の部分と影の部分を見立てていく力を付けていくことが必要である。表現等についてはまたこれから練るとして、まずガバナンス、そして、創造できる力は非常に重要である。
○ これからの技術という意味では、イノベーションをキーワードにしたい。技術教育でこそできることを考えたとき、考え抜いていく力、あとはパッシブではなく、プロアクティブに意見を述べ合って、切磋琢磨して考えを構築していく過程を検討することが非常に重要である。
○ 「技術について関心をもたせ、安心・安全な生活を実現し、よりよい社会を構築するために」という表現も社会と生活がつながった形になっており、両者の切り分けがよくわからない。
○ 中学校のところの一番下の丸に、職業への関心が出てくるが、どのような意味か。もともと技術教育は職業科からスタートした経緯があり、職業教育の意味合いは多分に含んでいるはず。一方、学会等で考える技術教育の意義というのは、全ての国民に必要な能力というもので、必ずしも職業に直結するものだけではない。ここにある「職業への関心を高め」を狭い意味で捉えてしまうと、技術・家庭科の技術は相変わらず職業につながる教育なのかと思われてしまう。
○ イノベーションの力は、ひらめくとか発見するというような印象があるが、それだけではない。質のいい試行錯誤や自分と違った考えを持っている人たちと一緒に取り組むことで、イノベーションにつながる力が育成できるのではないか。
○ 技術は、算数や理科、家庭科で習ったことなどを、物を作っていくときにどのように生かしていくかということが総合的にできる教科である。例えば、中学校の学校のプールはコンクリートですごく熱い。そこに問題意識を持ったチームが、学校にはそんなにお金がないことも踏まえ、色を考えてみようとか、サーフェスをでこぼこにしようとかいった案を出した。子供たちは、一つ疑問を持てば、他教科で習ったことを応用して考え、評価していく議論をしたりする。そういう過程をみなで考えて、一つの物を作り上げることこそがイノベーションにつながると思う。
○ 職業への関心という表現について、義務教育段階において、様々なプロセスを経て価値を付加し、人々に喜ばれたり社会が動いたりするという実際的な喜びを感じることのできる教育として、技術の存在意義は非常に大きく、ここで表現されている職業というものの意味は、かなり深いものと考える。
○ 技術ガバナンスについては、私は、全ての国民に必要な能力という意味合いで使っている。全ての国民に必要なので、普通教育としての技術教育の中で扱っても全然差し支えない。一方、イノベーションについては、国民全員が発明、発見をし偉大な技術者になる訳ではないが、その芽を育むことは全ての国民に必要と考える。
○ 技術教育では、イノベーションのきっかけになるようなところを身に付けてほしい。このことは他教科にも関わる話であり、例えば、特に理科の指導主事と宇宙に住むという話をした場合、宇宙はこのようなところだという部分を指導するのは理科で、そこに住める家を造るのは技術教育である。そのような夢をかなえようとする際、実現可能なものにしていくのが技術教育であり、イノベーションは一つ一つの夢を実現していくためのきっかけだと考えている。
○ いろいろな自動車の企業などが改善というプロジェクトで大きな成果を出しているので、改善というのは日本のお家芸だと考えてられているが、世界的に見たら、日本の国際競争力は低下しているし、インターネットを含めて、世界を牽引するような新しい発明も日本から出てはいない。だから、これから先100年後を見据えたときには、日本を支えていくような人材を育てる種をまかないといけない。育つのは100万人に1人かもしれないが、その種をまくのが技術・家庭科の技術分野の役割だ。
○ 技術を創造する力は確かに大きいが、技術教育で養うべき能力とは、技術的な課題を創造又は工夫してそれを解決していける力や態度だろう。
○ 日本の技術教育と、例えば、イギリスのテクノロジー・アンド・アートがどのように違うのか見比べてみたことがある。日本の技術は、基本的にすごく物を作るときの巧緻性などに時間を掛けていることに気付いた。それは完成品が精密にできていることを目指すもの。ただ、テクノロジー・アンド・アートというのは、どういうビジョンを持ったか、何のためにそれを作るのかから始まり、どのような知識と技術が必要かというところに試行錯誤して落としていくところに時間をかける。それが最終的に、その人だけにしか考えられないアイデアやイノベーティブなものにつながっていく。
○ 「技術・家庭科におけるイメージ」の図中、【中学校】では、家庭分野においては「基礎的・基本的な知識及び技術」と表記され、技術分野においては「基礎的・基本的な知識と技能」と表記されている。技術・家庭科は分野名に「技術」を冠しており、この「技術」の意味するところは「テクノロジー」である。一方「技能」は「スキル」を意味する。現行学習指導要領の「技術・家庭科の目標」に記されている「基礎的・基本的な知識及び技術」の「技術」は「スキル」を意味しているにも拘わらず、「技能」と表現されていないことに違和感があった。「技術」と「技能」の意味を明確にした上で使い分けるべきであり、少なくとも教科内での文言の統一をすることが望まれる。
○ 中学校の技術分野の「技術分野固有の見方や考え方を踏まえて、解決方策が最適なものとなるよう」に加えて、「設計・計画」とあるのはよい。家庭分野の「消費・環境に配慮したライフスタイルを確立するため」とあるが、消費生活における情報化ということを考えると、もう少し違った表現はないのか。
○ 中学校の技術分野について、「技術を用いてよりよい生活を工夫し創造できるよう」とあるが、技術を使って生活を工夫創造するという活用という意味よりも、技術そのものを工夫したり創造したりするという側面が教科の性格上強い。例えば、「よりよい社会の実現のために技術を工夫し創造できるよう」などとしてはどうか。
○ 中学校の技術分野について、「技術と社会や環境との関わりについて理解を深め」ていくという分野目標から、その文言の使用も考えられる。
○ 4月から電力の自由化が始まるなど、実際の生活の中には持続可能なエネルギーへのアクセス権がある。どのようなエネルギー源を、生活の利便性だけではなく環境も配慮して利用できるのかについて、中学、高校あたりで選択することのよさと科学的な知見を教えていくべきではないか。
○ エネルギーの選択は技術分野のエネルギーにおける指導で学べる。技術そのものが社会的な存在であり、それを将来の日本のためにどのように使うかは技術分野において取り組むことだろう。その点では、「生活を工夫し創造できる」という文言がひっかかる。技術は社会にある技術そのものを工夫したり創造したりすることで、社会そのものがよくなっていくというような意味で出るようにしたい。
○ 中学校について、技術・家庭科が1つの教科である意義からすると、技術分野の「よりよい生活を工夫する」といった表現は、技術革新が生活の中に入り込み、家庭生活が便利になっているということが分かり、技術分野と家庭分野の学習内容の共通点の多さは分かりやすい。
○ 中学校の技術分野に「技術を選択、管理・運用」とあるが、技術の場合、AかBどちらを選ぶような印象になってはいけないので、「評価していく」という言葉が入るとよい。
また、「自分なりの新しい考え方やとらえ方」という表現はよい。さらに「応用」といった表現が入るとよい。
「技術を用いてよりよい生活を工夫し」「生活における問題について」では、「生活」よりは「社会」という方が創造につながる表現でありよい。
中学生では、レスキューロボコンという催しがあったりするが、災害に対して、技術をどういうふうに活用できるかといった視点も入るとよい。
○ 「よりよい生活を工夫し創造できる」では、工夫し創造する対象が「生活」であえる。技術の場合は、技術そのものが工夫、創造の対象である。
イノベーションに関する記述が入っているのではよいが、「改良、統合」では、今あるものを改良したりまとめたりするという意味合いになってしまう。新しいものを発想したり、開発したりするといった意味で「改良、統合、発想したりできる能力」といった表現が入るといい。
○ 技術分野固有の見方や考え方の括弧内における「技術を選択,管理・運用したり」の部分、選択したり管理・運用するには技術の適切な評価ができることが前提となる。そのため,「技術を選択、管理・運用、評価したり」と評価を加えた方がよい。
○ 技術分野の「・・・使用者の安全に配慮して設計・製作したりするなどの倫理観」に続け、「製作品の継続使用に伴い必要になる性能維持のための保守についての考え方、伝統的な技術を尊重する考え方等の育成に努める」を入れてはどうか。機械製品や家電製品を継続使用するための部品交換に限らず、コンピュータ・プログラムやソフトウェア製品においても、継続した使用のためには性能維持のためのアップデートが必要であり、保守という考え方を身に付けさせる必要がある。また、木造建築や精密加工等の我が国の伝統的な技術に関しても,尊敬の念を持って取り扱う必要がある。
○ 技術・家庭科が担う視点として、自分の生活をどのようにしていくのかという視点がある。技術を対象とすることは重要だが、生活を技術分野と家庭分野の共通項として捉えていくことが必要ではないか。(再掲)
○ 技術・家庭科では「生活」がキーワードであるとの意見があるが、前回会議の議論を踏まえ、「生活や社会」としているところ。論点整理でも、家庭分野では「生活」、技術分野は「社会」という語句が使われており、それに従うのが適当である。(再掲)
○ 「生活や社会」という言葉を使うことにより、社会的な存在である技術が捉えやすくなった。
○ ある社の携帯電話がグローバル社会で使われるなど、技術がグローバル化していることを踏まえ、「技術のグローバル化」を入れてはどうか。また、「ものづくなど伝統・文化」を入れてはどうか。
○ 資料7-2の「その解決を目指す実践的・体験的な学習活動を通して」という表現は実践的・体験的な学習活動を通して、その解決を目指す中で以下の資質能力を育成するという意味であって「実践的・体験的な学習活動を通して」と「その解決を目指す」の表現の順番を逆にしたほうがよいと思う。
○ ・の二つ目に「問題を見出して課題を設定し」というところは、何の問題かを示す必要があるが、「生活の中から問題を見出して」とすればよいか。

2.技術・家庭科(技術分野)で育成すべき資質・能力について

○ 材料、加工、エネルギー変換、生物育成、情報「等」の技術に関する基礎的な概念とあるがどのような意味か。
○ 今の技術教育では、子供たちにしっかりと3年間を見通したガイダンスの指導が行われている。また、卒業する前にどのようなことを勉強したのかをまとめる時間を取る場合がある。材料、加工、エネルギー変換、それぞれでまとめるが、中学校の中で学んだ技術の時間全体で、このような力が付いたと生徒自身が確認できる、高等学校で言うような課題研究のような時間があるとよい。
○ エネルギーの変換について中学校でかなりいい内容を教えているが、高校に行くとそれが切れているのはなぜか。私たちは、エネルギーを使うことに関して、変換を求められているのか、それとも省エネなのか。
○ みなが共通に実感を持って具体的なことで学習することの重要性を踏まえ、高校の理科など関係教科で中学校の技術分野の学習を受けて、アクティブ・ラーニング的に学習していくことが望ましいのではないかという提言をしていくことが必要ではないか。
○ 小学校にも技術教育の中心的な役割を果たす教科がないので、小学校から中学校、高校につながるような技術教育を作れないか。
○ 現在、材料、加工、エネルギー変換、生物育成、情報等の技術に関する基礎的な概念というところについて、材料と加工を分けると、加工が機械の何分の1かを占めているので、自由度が増えるのかなという気がする。
○ 視点の例の四つ目は情報のことと考えるが、「処理」という言葉は「情報処理」という意味だと思われ、「情報」という言葉を付けた方が理解は容易になる。単に処理というと、意味が発散し過ぎである。
○ 概ね原案の流れで、思考力・判断力・表現力を身に付けるという方向性でよい。
○ 技術・家庭科の中で使われているキーワードとして、「自分なりの」という言葉がある。中学生という発達段階から理解すると、身近なイノベーションとして、自分なりにそれぞれ力を付けていくというぐらいがいい。また、社会的・環境的・経済的側面というのは必要と考えている。
○ 「社会的・環境的・経済的側面から技術を評価し、目的と制約条件を踏まえて、選択、管理・運用する能力」とあるが、管理については保守点検のような意味が入ってくると思うが、例えば、人事管理などの意味に使われることも多いので、別によい表現はないのかと思う。運用については、応用や活用とはどのように違うのか、文言を整理した方がよい。
○ 「材料の構造、形状、接合方法の最適化」とあるが、材料の構造といった場合に、金属や木材、プラスチックの組織を指すのか、材料で組み立てるときの構造を指すのかを明確にするとよい。
○ 安心・安全な生活やよりよい社会の構築といった表現については、表現上の工夫が必要ではないか。
○ 職業に対する関心はとてもいいキーワードだと考える。今、幼・小・中・高とキャリア教育に関する取組がされているが、中学校での職場体験にはある程度制限があって、サービス業などが中心で、技術開発などの体験のチャンスは少ない。その点、技術教育の中で、技術とともに、技術開発に携わる者やテクノロジーそのものを尊敬する態度などが育成できるとよい。
○ 技術評価というアセスメントは非常に大事だと思う。ただ、生活の基盤となる高度な技術や伝統的な技術と、社会・環境との関わりとの理解をしてアセスメントするのはよく分かるが、「経済的側面から」コストパフォーマンスまで含めた評価には懸念がある。経済的な知識が中学校のレベルでどの程度身に付いているのか。
○ 日本には材料や資源があるわけではなく、他国から輸入している。そのときの影響評価を考えないと、労働コストだけ評価しても意味がない。日本の技術、ものづくりの背景には他国と協働、協力しながらできているというところを見せるべきだと考えるがどうか。
○ 「技術に関わる倫理観」については、少し説明は必要ではないか。倫理観には幅広い意味があり、生産や利用、消費、それから廃棄までも含めた倫理観という意味で捉えればよいのか。
○ 資料7について、ただ作って終わりということではいけないので、個別の知識や技能の「科学的な原理・法則」という記述は重要である。思考力・判断力・表現力等の「自分なりの新しい考え方やとらえ方によって」について、イノベーションの意味が加わるよう、「改良、統合」に加えて、いわゆる「てこの原理を応用して」とか、「何々の法則から発想を得て」といった表現が入るとよい。
○ 資料7について、個別の知識や技能について「科学的な原理・法則」は、科学的な理解が分かりやすく表現されていてよい。思考力・判断力・表現力等について、「技術を用いてよりより生活を工夫し創造する能力」では、工夫し創造する対象が生活となってしまう。技術の場合は、技術そのものを工夫し創造する能力という表現のがよい。また、ガバナンスとイノベーションの内容は分けた方がよく、例えば「選択、管理・運用」はガバナンスまでの話であり「新しい考え方やとらえ方によって改良、統合」。加えて「発想」という表現でイノベーションを意図する内容を別立てとして出した方がよい。
○ 歴史の中には偉大なる科学者がたくさんいる。その人たちがどのような視点を持って技術を開発したかを見ることにより、技術に関する理解が深まるのではないか。個別の知識や技術を理解する方法の一つとして、歴史を見るというような内容が技術分野の教科書にも入ってもよい。
○ イノベーションに当たる思考力・判断力・表現力に関して、実際の授業は、個人で仕事をすることが多いように見受けられる。評価も創造も、人の意見を聞いてそれに対して自分の意見をぶつけたり、考え直したりするという問題解決に導くところは大切である。そこは、日本人が最も苦手なところではないかと思われ、特に中学校の頃から、それを技術分野の授業に入れていいくべきと考える。
○ 技術分野で捉える技術の範囲について、「生活」を外すとどこまでが対象となるのか。生活に関わるといったところである程度規定しておかないと、個別のより細かなところまで入り込み、自分たちの生活が離れてしまうのではないか。「生活における問題の中から」とか、「生活における課題解決のために」というのは、中学生が自分たちの生活とより強く関わるところで、取り上げる範囲を付けないと大変ではないか。また、高校での職業的な技術との兼ね合いはどうか。
○ 技術で扱う内容は、基本的に「個別の知識や技能」にある材料、加工、エネルギー変換、生物育成、情報等の範囲となる。
先日、長崎でエネルギー技術作品コンテストという全国規模のコンテストがあったが、小学生が作る作品は、母親が洗濯物を畳むのが大変だから自動洗濯物畳み機を作るなど生活をよくする視点であった。中学生の作品になると、太陽電池のパネルを角度を付けてセットし、太陽が真っすぐ当たるような方向に自動で追尾するような作品を作っていた。これは、個人の生活そのものではなく、電力の有効な確保など社会的な役割までちゃんと見通したものである。「生活」を「社会における課題解決」にしても問題なく、現状から大きく変わるわけではない。
○ 技術分野の木工の授業で、作品を作ってペンキも塗り、使い検証して改善することが行われている。近隣の小学校に中学生が出掛けていき、小学生と話し合いながら、学校生活で必要なものを木材を使って作るような実践もある。中学1年生は、小学校から余り間もない子たちであり、教師も物作りの楽しさを工夫しておられ、その中で力を付ける技術分野は面白い教科だと思う。問題解決を重視するという点で、生活の中から考えるという視点も重要かと思う。
○ イノベーションのところには、ぜひ技術革新のほう芽を入れたい。決してカミオカンデのセンサーを作ろうということではなく、先人の苦労や試行錯誤が分かることが技術革新のほうにつながる場合がある。この教科の指導する範囲は、それこそ技術・家庭科の現場の先生方が、子供たちの実態に合わせてやっていけばよい。学習指導要領においては、発想が豊かになるようなものとしたい。
○ 材料の指導では、木製品の設計、製作などがメインとなるが、物作りを通して技術と社会との関わりを理解させたり、技術を評価・活用したりするという指導が行われている。
これから日本の行く末を考えたときに、イノベーションを起こすような人材の育成が必要である。そのときに、身の回りの生活の中に閉じた発想の仕方では、世の中のために新しいものを考える姿勢は表れにくい。新しい技術が出てくると、私自身の生活も豊かにはなるが、技術を作るとき、周りみんな、国そのものが幸せになり、世界の中で日本として戦っていけるというイノベーションの目を養いたい。
○ ジェンダー的なアクセスを考えると、家庭科は思い切って全部社会としてはどうか。生活というと古めかしいような印象の中に閉じ込められがち。現場では家庭科は男子も教えられていると思う。そのときに家庭が社会を変えるという大きな理想を掲げていたはずである。例えば、電力の自由化について、メディアリテラシーが全くないと、結局多消費型のエネルギーの選択をした方が、キャッシュバックを含めて得だという話になる。何のために技術評価をするのか。電力を選ぶことの社会的影響など総合的な評価の中で、個人的意思決定と社会的な意思決定をしていく必要がある。家庭科が大きな視点で、社会をにらんでやっていただきたい。
○ 約7%の中学生が工業高校等へ進学するが、それ以外の者は技術教育が中学校で最後となる。また、工業高校に進学する人たちの6割ぐらいは大学進学し、就職は4割弱となる。そして、進路として専門学科で学んだものが生かせるかどうかというところは、課題として上がる状況であることから、社会につながる技術分野の内容を設定したい。
○ 子供の側からすると、思考力・判断力を発揮するには、実体験があるとか、身近なものから広げていき、高度な知識や技術を獲得していく方向となる。だから、どのような学習の状況を用意したら一番力が付くのかという観点から考えることが重要である。今の家庭科は、私的な領域としての昔の家庭生活ではなくて、子供たちが生きている世界につながっているんだという認識であり、生活という言葉に落としたところで社会の一部というか、自分の生活だけではない、広くつながる生活という捉え方もできる。
○ 個人のそれぞれの生活とか発展段階においての意思決定、判断能力のほか、もう一つ重要なポイントとして、自分が下した結論がどのように社会に影響を与えるのかについては小さいときから鍛え上げていかないいけない。学校はミニ社会だと思う。自分の生活という身近なところから社会を見据える目を育て上げていかないと急に社会のことを考えよと言われてもできない。そのような要素を、技術も家庭科も持つべきではないか。
○ 資料7について、学校には技術・家庭担当教諭が1名の場合もあって、どのように指導するか不安に思っている人もいる。具体例を示すことは授業作りの参考となり、よいと思う。
○ 資料6について、社会ではハッキングなども問題となっており、倫理やモラルのほか、セキュリティも重要である。
○ 資料7について、課題の設定の部分に、「生活の中から技術的な問題を見出し」とあるが、「生活や社会の中から」とした方がよいのではないか。
○ 資料5について、課題の解決のための方策を「流れ図」に表すことを明示することは、プログラミングの技術にとってはもちろん、材料と加工の技術の面にからも望ましい。
○ 資料6について、「物質の構造」とあるのは、単に「構造」とするのが適当。
○ 資料中に、「評価」という表現がいくつかの箇所に見られるがそれぞれ意味が異なっており、注釈が必要ではないか。
○ 資料5について、課題の設定という要素が入っていない。技術的な問題の所在を見つけるということは難しいがぜひ指導したいところである。
○ 「生活や社会」という表現で整理するというが、資料6には社会からの要請は表現されている一方、「生活」の要素が見られないがよいか。
○ 「技術の評価」という言葉が見方・考え方に上がってしまった点について、一方で、思考力・判断力・表現力の部分にはガバナンスの一部分である選択や管理・運用が残っている。評価も含めてガバナンスと考えると、完結しない。
また、資料16について、見方・考え方にガバナンス全体が入るのではなく評価の言葉だけ入ると、単に技術を評価するということにしか受け止めにくく、整合性が取れない部分が出てくる。
○ 資料13について「社会、環境」と並べて「経済」という言葉も入ったほうがよい。
○ 資料13について思考力・判断力・表現力の部分の「課題の解決結果」が先に来て「および解決過程」とくるのは、違和感がある。
○ 資料14について、「物質、生物、エネルギーや情報」とある「物質」というのはいわゆる物を指すと思うがこの表現でよいのか懸念がある。
○ (技術分野の見方・考え方について「技術を評価、選択、管理、運用し」という表現がひとつ考えられる。技術という教科のフレームワークと考えた場合に、フレームワークでありながら、思考・判断・表現の対象にもなるように思う。
○ 技術の評価について、環境の分野だと自然環境への影響評価と社会システムに定着することによる社会的な影響評価の両方の側面から見る必要がある。倫理観をもって、社会の発展と技術という面からみてどういう方向に進むのかという判断につながる。
○ 技術を評価するという言葉がなくなる場合は、次期学習指導要領において、技術・家庭科における「深い学び」に技術を評価することははいらないという誤解を生まないような工夫が必要。
○ 資料14について、材料の調達方法には全く触れていない。資源について、どこから材料をとってくるのかというのは非常に大きな問題なので、ぜひ入れてほしい。
○ 資料14について、考え方の部分の表現が「評価し、最適なものとなるよう考察する」となっている。この部分に新しい技術を生み出したりするというような技術革新をさらに進める教育につながる言葉を追加することを検討して欲しい。
○ 技術・家庭科(技術分野)の見方や考え方について、技術分野の場合、33年間で選択、管理・運用、改良、応用の内容をどのように学習させていくのか、順序についてどのように考えるべきか明確にし、各内容の学習プロセスを踏まえつつ3年間でどのように指導していくのかイメージを示すことが必要。
○ 資料13、14について、「評価」という語は資料14の見方や考え方からはずして資料13の「思考力・判断力・表現力等」の欄に復活させたほうがよい。
○ 資料14について、見方の欄、技術分野の部分には経済性を表す「費用等を」の記述があるが、内容には関連する語句がない。一方で「環境負荷」については含まれているので整合性をとったほうがよい。
○ 見方の部分の内容Dについて、情報の通信に関する語句を含めた方がよいので「情報の表現、記録、計算、通信等の特性に着目するとともに」と修正したほうがよい。また,考え方の部分の内容Dについて「情報のデジタル化や処理の自動化、システム化等による処理の方法」と修正したほうがよい。

3.技術・家庭科(技術分野)の学習プロセスについて

○ 全日中の調査でも、教師が実際はものづくりに結構時間を取られているという現状がある。最終的に物を作ること自体が目的ではなく、設計の時間に重点を置いていく必要があるだろうと思う。そういう意味で、「試行」「試作」といった言葉が入っているのは適切である。
○ 子供たちにガイダンス的な指導をすることはとても重要なことであろう。子供たちに興味を持たせたり、最終的にどのようなことが身に付いているのかを、授業の最初に示していくことが必要である。いきなり作品を作らせて後からまた別なものを考えさせるという方法もあるから、四つの内容それぞれにガイダンス的な機能を持たせていく必要もあるだろうと思う。
○ 大体四つの内容としては原案のとおりかと思う。ただ、A、B、C、D四つの現状の内容をそれぞれ課題の設定からスタートした方がいいのかどうかは分からない。内容によって、製作から始まるものもあるかもしれないし、設計で終わるという場合もあるかもしれない。そういう意味では、内容とのつながりや、3年間を見通して内容を学年に割り当てることも考えられるのかなと思う。裁量が広いのはよいが、特に、技術という教科は免外の方が担当する割合も案外多いように聞いており、技術教育になじみがない教師にとってはやりにくいというところはあるのではないか。
○ プロセスは、原案のとおりでよい。この四つの段階は、最初はつかむ、二番目は見通しを持つ、三番目はやってみる、最後に振り返る。見通して取り組めるよう、ガイダンスなり、あるいは各内容の始めに見通しについて指導してはどうか。また、四つの内容のつながりや図画工作などの内容を踏まえれば、材料や加工に関しては早目に指導した方がよいのではないか。そして、高等学校における教育や他教科の学習内容も踏まえ、プログラミング等はしっかり力を付けていきたいところであり、3年生あたりから高等学校へつなげるよう指導していくことを規定した方がよいのではないか。
○ 問題の発見について、社会の中から技術的な問題を見出すということで、技術的なものに狭めてしまっているのはなぜか。
○ 「改善」という言葉が最初に来るというのは、それでよい。アクティブ・ラーニングというのは、全教科に言われていることだとは思うが、やはり技術・家庭でも自分の考えを発表したり、議論したりすることが非常に重要な時代になってくる。また、考えたことを他人に発表してもらう時代ではなくなってくるはずだから、問題を見つけてどのように考えたかを学習プロセスの中で、例えば、チームで考えをシェアするとかいうことが入っていてもよいのではないか。
○ アクティブ・ラーニングについて、技術教育の中では、一つは設計・計画のところで出てくる。もう一つは、一番最後の評価のところ。例えば、工場の生産や工場等での設計段階を単独でやるということはほとんどあり得ない。そういう意味では、分業でコラボレートしながら設計を進めていくというのが通常である。また、最後出来上がったものをどう評価し、これからの社会につなげていくかについても、生徒同士が議論するといった学びの場面があってもいいのではないか。技術教育においては、設計部分は深く学んでいく部分であるし、最後の振り返りで、社会と技術、環境とのつながりを深く理解していく。それを協働的に学ぶことにより、自らやってみたいという主体的な学びが付いてくるだろう。
○ 学習のプロセスの重点の置き方は、これまでものづくりのところに余りにウエートを置き過ぎていた。やはり物を作って評価して活用してイノベーションを起こすことから考えると、設計・計画のところにウエートを少し重点を移すべきではないか。
○ 思考力のところの「生活や社会に存在する課題の認識」という表現は分かりやすい。授業のための課題をどこから拾い上げるかは、生活から拾い上げる部分が多いのかもしれないが、社会の中の事柄から課題を拾い上げることもある。例えば、電気について、自分の家だけで見たら部屋の蛍光灯だったりするが、どこから来るのと考えた途端に社会につながってしまう。スマートグリッドみたいな話は子供の発想の中でも出てくるのではないか。
○ 「各プロセスは例示であり、限定されるものではないこと」との表現はすごいことだと思う。このようなことを示すことで一層、深い学びであるとか対話的というものの具体が出てきて、よりよい授業になる。資料8をもとに現場は発想が広がるのではないか。
○ 技術の世界で生きている人から見ると、純粋に技術的な課題を解決したくて技術へ進んでいくということもある。子供たちにそういった技術を向上することへ関心を持たせることを考えていく必要もある。「生活における」には違和感があり、「生活や社会」とするのがよい。2030年を意識したとき、我々が想像し難いような技術も出てきている時代であろう。世界に通用する日本人を育成していくという意味では、もう少し高いものを子供たちに要求してもよいのではないか。
○ 技術分野における理解は、社会が分からないと、生活の中に入ってくる深い技術は生まれてこないのではないか。そこは年は関係なく、いろいろな子供たちのため間口は大きくしておくべきであろう。
○ 設計・計画に入る前に、技術を理解して、それをどのように応用していくかという部分において、もう少し深く分類して学習を考えていく必要はないか。問題を見付ける力というところがイノベーションにつながるわけだから、どのように物事を理解するかというところも重要である。
○ 「社会」という広い枠で考えた方がいいので「生活や社会に」ということでよい。
○ 例えば、課題解決に向けた製作・制作・育成、その辺からスタートして設計で終わるような深い学びも考えられるのではないか。
○ 資料8については、技術分野で扱うものが「物質」なのかどうか。「材料」ではないのか。加工の技術については、「材料の性質」は分かるが、性質を除くと「材料の構造」となる。構造とはその内部のことを言っており、材料で構成された構成物の構造のことを指しているから、材料の性質と構造は別物であるという表現して方がよい。生物育成の技術について、「使用時の安全性」については検討されたい。資料7について、左側の個別の知識や技能の欄、「技術に関する科学的な理解」とあるのに、そこの理解の中に「技能」があってよいのか。
○ 資料8について、「管理・運用」とあるが、なぜ「見直し」がないのか。イノベーションをやって本当によかったのかどうなのかを検証をすることも大事であり、PDCAに基づいた見直しという部分も入れた方がよい。
○ 「評価」というくくりではなくて、一つのイノベーションのプロセスの中で、社会に適用されたときに、どのような影響があるのか評価を行うのはアクションの部分だから、「見直し」の方がよい。
○ 資料8の思考・判断の例は、小学校の図画工作との関連や高等学校の情報とのつながりを考えると体系的な指導につながる。
材料と加工は大変親しみやすい。情報の技術は、動的コンテンツや計測・制御のプログラミング等を考慮すると、なるべく広範にするのがよい。
ABCDどの内容にも「社会の発展と材料の加工の技術」とか社会とのつながりが書いてあるので、社会にどのようにつなげていくかを考えることになるが、このような内容が示されているのはとてもよい。
このほか、例えば、1年生でできるAの内容から3年生になってできるAの内容は進むだろう。このため、最後に今までやってきた学んだことを統合してできるような課題解決的な学習があるとよい。
○ 資料15の態度に関して、「粘り強く物事を前に進める態度」に加えて,他者との議論する態度というようなものもぜひ検討いただきたい。

4.技術・家庭科(技術分野)の今後の方向性について

○ BCの順序の入れ換えには疑問がある。各ABCDの内容に、ガイダンス的な機能が盛り込まれているのはよい。
Dでは、プログラミングの重要性が言われているので、「ディジタル作品の設計・制作」からかえることはよい。
○ AからBCDと順番に積み上がっていく順序性も盛り込まれたイメージはよい。
Cのエネルギー変換では、エネルギーを考えると社会に行き当たって結構難しくなる面があるので、2、3年生で持ってくるとよいのかもしれない。
また、「社会の発展と○○の技術」という形で、学びの総括をしているところはよいが、4つを通した何か最後の学びが盛り込めると、技術としてのまとまりが更に出てくる。
○ 技術分野においては、設計・計画のところに重点を置くということと、活動を評価するというサイクルを強調しようというのが共通の認識と考える。
○ 1年の最初のガイダンス、3年の統合的な問題は賛同できる。学習プロセスは行きつ戻りつといった指導の実態が表現されている。今後の方向性には、「改良、応用」という表現がみられるが、あるものを使って進めるという印象を受ける。イノベーションを進める視点から「開発」などの表現が入るとよいのではないか。全体として「ものづくり」「伝統文化」といった表現がないのは気になるところ。
○ 見方や考え方の部分に「問題を解決するに当たり」とあり、問題が既に見つかっているかのような表現になっている。問題がどこにあるのかを見出すところからスタートし、それが技術で解決できるかどうかの検討を行うという順序になるのだろう。
○ 3年生で統合的な問題を扱うことはもっともである。1年のガイダンスは、ABCD全てで扱うということになるのだろうか。
○ ABCDの一つ目の○の「社会」は「生活と社会」とすべきではないか。

【家庭科、技術・家庭科の評価について】

○ 資料16の技術分野の見方や考え方の「技術を評価し」の「評価」は、どれかを選んだり管理の方法を考えたり、運用を考えたりまで含んでいる意味合いで使っていると考える。評価という言葉の使い方に幅があると感じる。
○ 「最適」という言葉について、ハイテクノロジーに向かうのが必ずしも最適な影響、評価ではない。技術・家庭科は社会がどうなっていくのかという一つの基準点を持っており、とその良さを評価の中にしっかり入れてほしい。
○ 資料17について、知識・技能の部分について、中学校も高校も「技術についての知識・技能」の「技術についての」を省いた方がよい。
○ 技術・家庭それぞれの分野の観点の趣旨ではなくて、大きな技術・家庭の評価の観点というもので、題材ごとにその評価の観点に基づいて評価するぐらい大きいことをやると技術・家庭が一緒の教科だという感じになる。
○ 技術分野と家庭分野では教員免許も異なり、求められる資質・能力も異なる。目標もそれぞれの分野で分かれているのであれば,それに応じた評価の観点も分けざるを得ないのではないか。ただし,書きぶりをある程度そろえる必要はある。
○ 主体的に取り組む態度の観点名について、小学校と中学校は「主体的に実践する態度」となると途中の学習のところに主体的に取り組むというニュアンスが薄められてしまう。「主体的に学習し実践する態度」という表現のほうが適切ではないか。

【家庭科、技術・家庭科における必要な支援、条件整備等について】

○ 確実な技能習得、作る楽しさの享受、作品へのオリジナリティの付加のためには一層の指導の工夫や人的・物的な環境整備を行うことが必要。例えば少人数のグループで相互に協力・協働しながら技能を確実に身につける、家庭や地域との連携による指導ボランティアで個別指導が可能になるような指導体制をつくる、小学校と中学校の連携により複数の教員による指導を可能とするなど。
○ 他教科等との連携について、特に小学校の生活科、図画工作科、理科、特別活動、総合的な学習の時間、中学校の数学、理科、社会、総合的な学習の時間や学習活動として、ものづくりやプログラミング、設計、制作図等との連携に意を用いる必要がある。
○ 日進月歩の内容を取り扱う教科の特性、学校内に担当教員が通1人という状況を踏まえると、自主的な研修では限界があり、経験年数や専門性を考慮した研修を充実させる必要がある。また臨時的に指導する教員への研修、非常勤講師への研修は安全かつ適切な授業に必要不可欠。
○ 資料17について、小学校・中学校の「個別の知識・技能」の観点名の部分について、内容との整合性及び高校家庭科と表記をそろえるため、「生活や技術についての知識・技能」「家庭生活についての知識・技能」という文言を「知識・技能」にそろえてはどうか。
同じく「思考・判断・表現」の観点名の欄を「思考・判断・表現」または「工夫し創造する能力」に統一してはどうか。
○ 施設、設備、教具の不足について、学習指導要領で示された指導内容について、どの学校でも必要とされる教材については、基準等を設けて、各教育委員会に促すようにすると自治体による格差が少なくなる。プログラミング学習が可能な環境を整備できるような支援も必要。
○ 情報の指導に関して指導スキルの問題と研修機会の不足が課題であり、しっかりとした研修と指導が必要。またプログラミング学習をきちんと指導できる教員の指導力向上が課題。
○ 少子化により学校規模が小さくなり、定数として配置される教員数も減少傾向にある。授業時数が少ない技術・家庭については免許を有する教員の配置が難しく、免許外教員や非常勤講師で対応している学校も少なくない。技術・家庭は社会の変化とともに内容も変遷してきており、学習指導要領に示された目標・内容に沿った授業を実施していくためには研修は重要。特に非常勤講師や免許外担当教員は必要性が高い。また、実践的・体験的な活動が多い教科であり、準備等にも大きな労力が必要。
そのため、校区内の小中の兼務や隣接する中学校同士を兼務する技術・家庭科の教員を定数外で特配として配置できるようにしてほしい。また非常勤講師の研修機会を確保してほしい。
○ 特別な支援を必要とする児童生徒への対応もあり、また、実習等で危険を伴う道具を扱うこともあることからできるだけ少人数での授業が望ましい。また児童生徒の生活体験の不足への対応にも少人数での指導の効果が期待される。
そのため、1クラスを二つに分けるなどして、20人程度の規模で学習することを一般化する、また、特別な支援を必要とする児童生徒が実習等を行う場合には支援員を配置する、ことを検討していただきたい。
○ 「ICT機器やソフト教材」の整備状況は32%、「ICTを活用した授業」は37%で、教材教具は子供達の学習に大きく影響するので、計画的に整備・充実し、授業での活用を図ることが必要。
○ 指導主事配置調査においても30年前の218人と比べると現在は94人となるなど、指導の受けにくさや研修の機会が十分ではないと考えられる。
○ 特別な支援が必要な子供達への安全面での配慮や個に応じた指導の必要性から「補助指導等のための人的配置が必要」と35%の教員が回答しており、地域人材を活用するなど指導体制の整備が必要。また、小学校は学級担任が家庭科の授業をしているため、校区の中学校の専科教諭とティームティーチングができれば専門的な指導が可能となる。
○ 家庭科で学習した内容を他教科等で体験したり、また他教科等で体験したことをもとに家庭科で学んだりということが必要。

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