生活・総合的な学習の時間ワーキンググループ(第6回、平成28年3月24日)における主な意見(未定稿)

【生活科における学びのプロセスについて】
○ 生活科の学びのプロセスの資料について、「※」印で学習活動は一体的と書かれてはいるが、矢印になっているためどうしてもプロセスのように受け取られてしまうのではないか。
○ 生活と総合だからこそ柔軟なプロセスというようなことが大切。プロセスを幾つか示すのはいいと思うが、どこからでも始まるという表現が必要で一直線上でないということが重要。それは個別の知識・技能もどこから入ってもいいという、それがある意味総合や生活が持つ特徴というふうに言えるのではないか。
○ 幼児教育と生活科との対応関係は重要。幼児教育では、したい遊びの選択、友達との誘い合い、これが今の生活科で言うと思いや願いを持つというところに対応するが、幼稚園の方は具体的な活動で書いてあるところが、生活科の方はもう子供の内面に起こることで書いてとこもある。この辺りも一定の対応関係が大事だと思う。
○ 資料3について四つのプロセスを入れるのは厳しいかなという気持ちがある。活動や単元によって必ずしもこのプロセスでいかない場面もあるのではないか。個別の知識・技能もそうだが、一つのモデルとしてプロセスを出すのは難しい面もあると考える。
○ 資料3について、例えば四つの四角がそれぞれジグソーみたいになって、全部お互いに絡み合っているという図を描けば、特定のプロセスに見えないのではないか。
○ 資料3は子供の視点から見たプロセスになっている。教師から見たときのことがあまりこの図には見えてこない。もちろん生活科の学びのプロセスになっているからだが、どこかでそういう学びに責任を持つのは教師の仕掛けだというふうなことが分かるような形で見せられるといいのかなと考える。
○ プロセスが行きつ戻りつするというのが生活・総合の核心であり、この辺りをどう表現するかというときに他の教科や学校種等と何らか共通したイメージというのも必要だろうと思う。一方でプロセスの表現は共通化する部分と同時に、入り口と出口のところの生活科・総合で特に強調しておきたいところを、スタンスを変えずに伝えていくことは大事。
○ 生活科では個という発想、一人一人の違いというものが非常に重要。適用ということを考えるときに、広い意味で適用ということを考えるということだと思うが、そのときに個に応じるであるとか、個の思いだとか、気付きだとか、そういうようなことをすごく大事にする教科でもある。そういう観点の記述が薄いのではないか。
○ 生活科において気付きを大事にするといったときに、非常にユニークな発想があり、それが例えば教科の何か内容の基準で評価されるというよりも、むしろ生活とか、社会とか、自分自身の気付きということが非常に尊重される。そういう学習展開だというのが生活科ならではの固有性だと思う。

【幼児教育と小学校教育の接続について】
○ 資料2が、スタート・カリキュラムを改めて再び強調するものであるならば、見せ方の戦略が必要。これまでと同じような形で出して、果たして低学年のカリキュラムが各学校で再編成されるかということを考える必要。見せ方が勝負であるが、このままだと、何となくそうだよねというので終わってしまうことを危惧する。具体的に動き出すというか、カリキュラムを具体的に作り出すというところの仕掛けがこの会議で求められているのではないか。
○ 資料2について各教科を並列的に並べるのではなくて、12の姿が根っこや幹のような形にあって、それで生活科が花のような形でやって、大きな花びらのような形で教科があって、その教科に幼稚園から上がってきた生活科の学びが各教科により確かなものとして広がっていくような、そういうイメージかなと思う。
○ 資料2の2枚目は下の幼児教育の部分はとても分かるが、それをいかにスタート・カリキュラムとして可視化させていくかというときに、これが全部横並びというところに違和感がある。順番、大きさ、場所。一番大事なことは、学びの担い手、主役は子供であるという発想が大切。単なる適応指導ではなく、学びの主役、学びのスタートがスタート・カリキュラムだというところ、時数の取り方とか、組み方は学校ごとに任せられているというところが分かる見せ方をすることが重要。
○ 資料2の2枚目はかなり教科に引っ張られてしまっているのではないか。また教科の見方や考え方の記述が低学年だけのことではないような気がして、そうすると低学年特有のものを入れていかないと合わない。また、あまり教科色を出さない方がいい。1週目、2週目、だんだんいくに従って教科色が出てくることとして、最初はかなり教科色を消したまとまりという形でスタート・カリキュラムがスタートした方が本来の姿ではないか。
○ スタート・カリキュラムは生活科のみならず、総合的な学習の時間を充実させるためのカリキュラム・マネジメントの在り方を先生方に知っていただくのにすごく重要。今日の資料の2枚目のところであるが、下の段の12の要素が逆転していて、思考の芽生えが上にあって、個の考えがそこで芽生えてきて、それが初めてスタート・カリキュラムで醸成されながら、生活科がこの中の一つに入っているのではなくて、生活科がまたそこを増幅していくという感じでこの図が上下が変わったりして、そこに個の様子とか、自尊感情とかという、そこがあればそれが生活科で更に充実して、その思いがまた各教科のところにもつながっていくのだということの説明は少ししやすいなというイメージを受けた。
○ 生活科が真ん中に来て、周りに花びらのように教科がなるというのは、ある意味ではかつてのコア・カリキュラム。それをコア・カリキュラムというと、また批判があったりするので、その言葉は避けた方がいいが、カリキュラム構成論的にはコア・カリキュラム的なものになるということを、ここで決断するかどうかというのは大分大事なことだろう。
○ 幼稚園は完全に総合的な活動の中でこれを分化しないでやるが、もう少し上にいくと完全に分化する。その間をつなぐのだから、一種緩やかなコア・カリキュラムになるのだろう。そうしたときに幼稚園的な総合的な活動の中で全てを融合して育てるというのと、スタート・カリキュラムにおける緩やかなコア・カリキュラムというのがどういう原理的な違いがあるのかということをはっきりさせていかなければならない。そうしないと単に幼稚園のまま連続してしまうし、あるいはコア・カリキュラム的にやっていったものがどうやって各教科に分化していくのかということに関する原理も必要。
○ 幼稚園とスタート・カリキュラムの初期の段階はどこが似ていて、どこが違うのか。あるいはスタート・カリキュラムの終わりの方と完全に分化したものはどう違うのか。どういう原理なりといったことはスタート・カリキュラムというのを現実に立案して動かしていくことの中では必要ではないか。

【総合的な学習において育成すべき資質・能力について】
○ 資料5の学びに向かう力、人間性のところで、高等学校に主体的な探究活動の経験の蓄積を信念や自信、自己有用感につなげという部分があるが、このことは中学校も探究活動をやりながら、自信やあるいは自己肯定感、有能感につながっているというような表れをずっと見てきているので、小学校、中学校にもあっていいのではないか。
○ 資料5の思考力、判断力、表現力のところで、課題設定、情報収集、分析・まとめ、表現となっているが、それは限界があると思っている。そもそも問題把握という段階がない限り、問題解決方向が間違っていても、間違った方向でPDCAが回ってしまう。そこが、実は、昨今とても問われているのではないか。
○ 資料5について、個別の知識や技能のところで、総合学習であればいろいろな教科とか、いろいろな体験的な知識をつなげて、具体的な問題を見ていくわけであるから、例えば知識の前に観念的、相対的な知識とか、あるいは技能に関しても例えば実践的、応用的な技能とした方がいいのではないか。少し質の違う技能とか、知識をここに書いた方がいいのではないか。
○ 小中高ということを意識した場合、生活科の中で、例えば個別の知識や技能の中の説明で気付くという表現を使っており、総合になるとこれが獲得というふうになるが共通して「気付く」でいいのではないか。気付くという行為自体に言語化するということあり、ある程度抽象化されるということが伴ってくるので、獲得という、単に与えられたものを食べるというよりは、より能動的になっていいのではないか。
○ 総合特有の見方、考え方については分野を必ず超えるということではないか。総合でやる場合には例えば文化を入れるとか、法律を入れるとか、そういうように必ず超えるということを意識した方がいい。
○ 学ぶことの意義や価値の理解について、知識というのは何か、あるいは学習するというのはどういうことかということに対して、もっと科学的に、あるいは客観的に、子供に内省するような機会を通して学ぶということに関わる知識、ある意味で科学的で実証的な知識であるが、そういうことを高校生ぐらいならまとまった形で一応教えることが重要。
○ 総合的な学習の時間は一義的には現実社会の問題、生活の中の問題に対して体当たりで全力でぶつかっていくわけであるが、そういった経験をずっと累積していく中で体当たりでぶつかってきたことが一体どういうことかということを一度内省して見極め、より洗練されたものを生み出す基盤として学ぶことの意義や価値の理解ということが位置付ければいいのかなと考える。その意味で、これは一種の独立したコンテンツになるという感覚。
○ 各教科別の問題解決戦略とか、ものの見方、考え方を学びとって、それで問題を解決するわけであるが、それをただ用いるだけではなくて、組み合わせたり、評価したりするということが総合では起こる。その一種のメタ機能みたいなもの、思考スキルのもう一段メタ化されたもの、複合化されたものだと思うが、それが思考力、判断力、表現力のところに分かる形で入っていくといいのではないか。
○ メタ認知という概念そのものは、「学びに向かう力、人間性」の方に原則として入れようというのが全体の議論かと思う。それは自分の問題解決過程、思考過程を自分で常時モニターしているかというような、いわゆるオンラインモニタリングであるとか、自分がどんな知識を持っていて、自分に何ができるかという自己認知、いわゆるメタナレッジ、メタ知識である。それは多分、この右側に入るだろうけれども、何か一段高次化したメタ的な問題解決の気付きのようなものは真ん中でもいいのかなと思う。
○ 資料7の最後の3ページで、一番下の技能の欄に課題設定、情報収集、思考・表現の各個別スキルではなく領域固有なスキルの方がいいのかなと思う。
○ 前々から学ぶことの意義や価値の理解について、小中でもこういう観点は事実形成されているので、これももちろん大事な視点である。ただ、ここで今、小中で意識されているところは、一番右の学びに「向かう力、人間性等」のところ、こことの表現上のすみ分けも議論されたところでもあるが、実は、今小、中でというふうに言われている範囲というのは一番右の「学びに向かう力、人間性等」のところの範疇かなと思う。高等学校で個別の知識・技能のところに入れる視点としては、総合学習自体が学校教育の出口に相当するものと考えて、横断的に学ぶことを総体として把握する。横串で各教科、領域を横断した整理をどこでやるんだというふうになったときに、総合学習が一つ、この領域が役割を果たす、教育課程全体の体系化という意味でのキーストーンになるというか、最後の重しになるような部分をここで表現できないかなというように思っている。
○ 改めて生活科、総合ということの特殊性と意義というものが、カリキュラム上もっと強調されるべきだ。それは各教科と例えば生活科、総合が価値的に上下とかということではなくて、役割が違うのだと思う。それはどうしてかというと、一つ大きなのは問題解決をまずターゲットにしているということ。そこをもうちょっとブレークダウンすると、問うということを学ぶこと。そういうふうに考えたとき、今この資料5とかではそれが伝わらないのではないか。
○ 三つの資質・能力が子供の中で自覚化されていく。そういうものが総合学習の特徴かなと考える。
○ 総合的な学習の時間がだんだん「個別の知識や技能」とか、「思考力、判断力、表現力等」については意識的にやっていると思うが、今回、「学びに向かう力、人間性等」ということがきちっと入ってきたことがとても大きいなと思っている。情意面にも力を入れていくんだという先生たちへのメッセージが発信されていると思う。

【総合的な学習の時間の構造について】
○ 基本的にはこの時間は学校に委ねるということで、ずっと発足以来きているのでそれでいいと思う。ただし、委ねられた学校の方が教育課程全体の中での総合学習の位置が見えずにうまく設定できなかったり、カリキュラムを作れなかったり、運用できなかったりしているということがある。各学校の自立性とか、創造性を減殺しない範囲で、この時間が教育課程上、どういう位置付け、学力論上の位置を持つのかということはこれまで以上に少し強く出した方がいいのではないか。
○ 総合は資質・能力の育成であるとか、生活と学校の自分の関わりであるとかということをこれまで強く主張してきた。今回は各教科全てが社会に開かれた教育課程という方向に行く、つまり、暮らしと学びの関係ということをどの教科も見据えていくということなので、そうなったときに、その辺りを総合の独自性ではなくなる。もちろんもう一段先に行くという話はある。
○ 何よりも総合は扱っているコンテンツとか活動自体が子供にとってほぼ全て見通しがつくものである。見通しがつくもの、文脈がとれるものの中では人間はより有能に働けるというのが80年代以降の心理学の多分一番大きな知見。だから幼児もとても有能に動いており、そのような延長に総合というのはある。高校生でも中学生でもなぜ総合的な学習の時間において教科以上の力を発揮できるのかというと、文脈が全部とれるからだと思う。
○ 教科と対等に渡り合うためにはコンテンツを形成する独自の論理というのが必要。一つは暮らし、もう一つは教科の横断、もう一つは、学ぶ、生きる、考える、挑むというのはどういうことかということに対して、これまでの経験を全部統括し、自分なりの一つの決着をつけて、一定の人は高等教育に、一定の人は社会に出ていくということである。

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