資料1 高等学校の地歴・公民科科目の在り方に関する特別チームにおけるこれまでの主な意見(未定稿)

1.歴史総合(仮称)について
○ 「グローバル」という言葉が非常にたくさん出てくる。例えば歴史だと、「自国のこと、グローバルなことが影響し合ったり、つながったりする歴史の諸相」「自国のこと、グローバルなことを横断的・相互的にとらえる力」と二項対立的に捉えられているように思われる。グローバルなことというのは自国の中にも入り込んできており、決して自国とグローバルというのは対立するものではない。

○ 高校では世界史が必修であり、小・中学校では日本史を中心に教えてきた。高校では、世界史必修がグローバル化のための教科・科目として十分機能してこなかった。今回、高校で「歴史総合(仮称)」と、日本史と世界史の新しく科目を作るということは大変よい。世界史的知識は非常に必要である。是非、世界史的な基礎・基本は、小・中・高のトータルで育成するようにしたい。

○ 大学入試で4単位科目を2科目要求される場合がある。高校で「歴史総合(仮称)」と「地理総合(仮称)」が2単位ずつ必履修になるとすると、受験科目によっては「2単位+2単位+日本史を4単位+世界史を4単位」と、合計12単位を高校でとらないといけない場合もありうることは課題である。

○ 近代の区切りは、日本中心の時代区分ではなく、世界で共通の尺度で時代区分した方が応用が利く。

○ 今までは、事項を教え過ぎるということがあった。生徒が調べたり、資料に基づいて議論したりできる科目にしたい。

○ 教育の対象とする範囲の始まりについて、15、16世紀あたりから始まるという案も考えられる。

○ 転換の軸とは、歴史を動かすエンジンと理解した。近代化については産業化という方が捉えやすいと思うが、例示された捉え方もあるだろう。

○ 歴史には大きくかわる時期と比較的安定的な時代がある。例えば、ナポレオン戦争後から第1次世界大戦までは安定し、その後大きく変わり、また、冷戦期は安定的であった。ここでは、世界システム論的な捉え方が重要になってくる。歴史がものすごく変わるときと安定しているときで、どういう力が働いているか。この2つの発想法が要るのではないか。

○ 歴史の教育においては一次資料と年表は必須。地理は地図、公民は統計や政治家の演説などが一次資料となる。このため、こうした資料がそれぞれ教科書に入っている必要がある。

○ 高等学校に進学する生徒が98%を超えるというような状況の中では、全ての子供たちで、どの内容を共通に学ぶかという絞り込みが重要である。

○ 次の教育課程や「歴史総合(仮称)」、「地理総合(仮称)」、「公共(仮称)」については、目標、内容、方法の3点から構成しようとしている。知識が中心の学習を克服して、内容を通して何を身に付けてくるかということを目指したい。       
○ 歴史や地理の学び方が、社会の中でどのように生きてくるか、社会人になったときにどのように生きてくるかを考えていきたい。歴史教育では、小学校は人物中心に学ぶ。中学校では通史となり、全体像はわかるようになるが、個人や集団の果たした役割を学ぶことはなくなり面白みが減る。議論に当たり、内容の選択は重要だが、その理解を通じて子供たちに何を身に付けさせたいのかを考えることが重要。高等学校の授業はどうしても先生が講義されることが多い。やはり子供たちが調べたり、疑問を出したりして一定の何かをつかんでくる、学んでくることが大事なことではないか。

○ いわゆる近代が始まる以前の初期条件から見るという視点が必要ではないか。

○ 地域間相互作用が古くからあったわけで、特に近隣との地域間相互作用の視点を常に入れていってほしい。先進的部分の国だけが注目されるだけではなく、例えばマレーシアや太平洋の島々、アフリカはどうだったかという視点も世界史の中に入れていきたい。

○ 生徒の意欲を伸ばしていくことが重要。社会科で、歴史の転換点を学ぶということは、18歳選挙権の件も含めて、彼ら自身が何かを変えていくという力、社会を変えていく当事者なのだということを自覚するために、希望を持てる重要な内容なのではないか。

○ 指導する内容ごとに必ず各学校で扱う内容と選択できる内容を設けてはどうか。生徒が自ら学べる余白の時間を取り入れたい。最近のAO入試でも何かを調べ抜いた経験が評価されるようになってきている面もある。

○ 時代区分については、近代について幾つかの説がある。もし、開国以前か、更に100年さかのぼる18世紀後半にした場合、近世史、江戸時代が二分されることになり、江戸時代という時代概念との整合性が問題となる。教育的な配慮が必要ではないか。また、西洋基準の近代像でいいのかどうかは問題である。

○ 東日本大震災以降、変化を伴う転換より、変わらないことの大切さ、変わらない日常が重要視されてきており、例えば一日2食の生活が3食に変わったときやお正月を家族で祝うようになる等生活文化から見た歴史の視点なども必要。

○ 時代をさかのぼって学習する場合には証明をしていく必要がある。その証明の手段として文化財や歴史的遺産について学ぶ等、もう少し広い歴史をトータルに扱うような視点が必要である。

○ 政治的な区切りだけで時代を区切ることに難しい面がある。「歴史総合(仮称)」では、少しグローバルな視点での経済史、文化史といった視点からの転換を教えることも必要ではないか。

○ 継続と変化、原因と結果、類似と差異というのは非常に哲学的な問題である。何かの現象が起こったときに、それの原因を指定するというのは非常に難しい。何かの原因を述べても、それは一つの物語にすぎず、断定できるものではない。学説も蓋然性の高い一つの見方。高校生に求めることは難しいのかもしれないが、一つの見方だけが決定的な真実ではない、答えがないといったことも教えられるといい。

○ 東京都では平成22年度から日本史の必修化ということで、そのために「江戸から東京へ」という教材も作成したところ。これは、従来、日本史Aや日本史Bを履修させてきた学校は日本史A又は日本史Bを履修させ、日本史を履修していないところは「江戸から東京へ」という科目を設けて指導するというものである。「歴史総合(仮称)」の意義は分かるが、高等学校は多様であり、入試等の問題も踏まえ、学校ごとに多様な選択は認められるのかどうか。

○ 私は立場上、世界史の中の日本史という捉え方をしている。このため、近代という時代区分については、ペリーの来航以降と考えている。また、近代化については、各国で進められてきた近代化が広まり、世界が一つになったという意味で第1次世界大戦に大きな意味があったと考えている。日本の学校における教育なのだから、日本の立場という視点があるのは当然で、それを基に世界を見ていくという考え方がふさわしいのではないか。

○ 歴史総合(仮称)」の方向性はよろしいと思う。今後の検討に当たっては、学習課題の設定とはどのようなものか、各学習はどのようなねらいで行うか、どのような状況であれば成果があったと評価できるのかなど、サンプル的な資料を見つつ議論を進めたい。

○ 近代や現代などの概念は重なりあっているもの。近代とは何か、現代とは何かという点から考える必要がある。

○ 日本と世界で近代の始まりの時期が異なることは、このような見方があるということ自体を教えることに意味がある。19世紀後半の帝国主義の時代に、日本はどのように組み込まれていったのかを考えさせることが重要である。

○ 「歴史総合(仮称)」の科目としての意義は、従来、授業時間がなくなり近現代史に関する指導がおざなりになるという課題があることによると考えられるので、「歴史総合(仮称)」では、なるべく近現代史について指導することとし、前近代史については近現代史の理解のために何が必要かという観点から考えるのが適当である。

○ 歴史を考える際の因果については、複数の視点を考えさせることが重要である。教育のしやすさの問題と、限定事項を同時に教えるという難しさがある。

○ 世界の枠組みの中で日本が動いているということを示すために、高等学校においては、小中学校とは異なる区分で示すことが必要である。

○ 1970年代から始まる第3次産業革命という捉え方も重要である。経済が政治を動かすという見方をすると時代が捉えやすくなる。

○ 歴史はアジアと西欧二項対立的なものではなく、世界システム論的なものを取り入れて考えさせるとよい。

○ 原案は時代の転換の軸と考察の手立てが1対1対応をしているようにみえる。この考察の手立てはそれぞれ有効な手段であるので、それぞれにかかるものであることが分かるようにしたい。

○ 原案は、時期や概念、主な内容など歴史の中身を教えることを中心としているように見える。それよりは、歴史の学び方やその学びを通じてどのような力を育まれるかという観点から考えるべきではないか。例えば、事象の結び付きや問いの立て方はいろいろであること、観点によって歴史の見方や解釈があることを身に付けさせることなどがある。

○ 従来、日本史Aと「歴史総合(仮称)」違いは、歴史を広く理解するとともに、自ら議論して今の問題を捉えられるようにすることである。中学校の公民的分野の学習を地理や歴史で引き受けて、生徒が課題を設定しつつ学習していくことが必要だろう。現行の日本史Bでも課題の設定や資料の活用ということが規定されているが、教科書には付け足しのように記述されており、一貫したものとしては出ておらず、学習として十分機能していないのではないか。

○ 「歴史総合(仮称)」の「総合」のイメージは、内容を総合するとのイメージが強い。方法や生徒に身に付けさせる力の「総合」というイメージを持たせるようにすることが重要である。

○ 現代史についてはどこまでなのかを議論することも必要である。

○ 生徒に対する学習の動機付けを考えれば、現代にある問題提起を受けて遡って考えるようにすることが重要である。日本の中だけで考えることで、満足したり満足していなかったりする部分がある。大交易時代は違和感がある。中国、インド、アフリカを含めて不均衡に歴史は進んでいるということを理解させたい。昔は欧米が中心だったかもしれないが、20世紀は多様な時代である。現代には、封建的で物理的な暴力のある国もある。現代的な問題を設定し、だからこうなっているのかと考えさせる指導をしていくことが必要である。

○ 比較という概念を考える場合、西欧と日本の比較ではなく、西欧とアジアの比較を行い、アジアの中の各国(中国、東南アジア諸国等)と日本とを比較するというような日本が属するカテゴリーと世界とを比較すべきではないか。

○ 地図と年表がないと歴史の関係性は見えてこない。歴史において地図を活用すること、地理にお いて歴史的に考察すること、などのように歴史と地理を融合させることが地理歴史科として重要で あることを示していくべきではないか。


2.地理総合(仮称)について
○ グローバル、ローカルという問題について、地理では、スケールの大きさを変えることによりものの見方が違う、多様な見方ができるということを扱っている。例えば、日本のスケールでみると稲作は一般的だが、世界のスケールでみると稲作は一般的ではない。

○ 地図の活用については、小中高校の各段階において、スキルはそれぞれどこまで達成するのかを示すことが重要。
○ GISは技術そのものというより、古い地図に新しい地図を重ね合わせると見えるものがかわるという捉え方をすると、教員も受け入れやすくなるのではないか。

○ イギリスでは知識の重要性の見直しが進んでいるというが、それは探究の後に身に付く概念的知識というもの。その概念的知識は、実践力や応用力、他教科との関わりに反映していく。概念的知識を地理でどういうふうに育成していくかが課題。

○ 地理は空間的、歴史は時系列という捉え方が一般的だが、地理、歴史双方に縦軸・横軸が重なった両軸があり、相互に関連しているということを理解してもらうことが必要。

○ 地図は、視点を変えた地図や様々な要素の入った地図などいろいろな地図があり、地図をうまく使うと、ビジュアルに地理教育ができ、自分が今いるところはどういうところなのか等、生徒に関心を持ってもらえるのではないか。

○ 地図やGISの学習はグローバル化や防災等広く関わるものであり、原案はそれを最初に学習するという考え方に立っていると理解できる。(3)において、持続可能な社会づくりを取り扱うが、ここには十分アクティブラーニングを取り入れられる。

○ 「地理教育課程憲章」の5)地域には、変容を示しており、各国ベースでの考えを入れることができることから、ここに日本的な要素を入れることが可能である。

○ 小学校では社会科の中で地理を学び、中学校では系統地理や地誌のディシプリンを学ぶ。高等学校ではそれを踏まえて、政治や経済の問題を含めた主題に基づく学習を行うこととなる。この意味では「総合」は適当な表現と考えられる。

○ 原案の(2)については、アイと構成されているが、コンテンツベースの積み上げとなっているように見える。イシューベースとして順序を考えると、イからアという順に直した方がよいのではないか。

○ GISや地図活用を生徒に指導する。地理に関わる概念を学ぶとともに、地理的な概念を使ってどのように問題解決をできるようになるかが重要である。

○ 原案はGIS、グローバル化、ESD、防災等、高等学校地理で必要となる要素を網羅していると思う。ESDについては(3)の生活圏でとどまらない場合には、(2)で出てくる可能性があるため、考慮して構成を考える必要がある。

○ 学力との相関から見て、どこまで思考力・判断力・表現力の育成を意識するかが重要である。

○ 空間を捉える概念は重要である。中国やアジアから日本を見るとどう見えるかなど複眼的な見方があることを指導することが重要である。

○ 地理的な見方や考え方について指導することが重要である。一方、歴史については、歴史的思考力、歴史的な見方や考え方、歴史的技能とは何かが不明であり、はっきりさせる必要がある。

○ 地理は地面が中心となりがちであるが、海洋に力点を置いて指導することも重要である。国境の問題や北極圏の下には資源が多くあり紛争の種となっていることなど指導すべきことがある。また、宇宙空間についても、人工衛星が過密になるなど問題も生じてきているので、いずれ地理の中で扱ってはどうか。

○ 地理ほどテクノロジーを使うことにより多くのものがみえるものはなく、学習の動機付けがしやすいと思う。ぜひ導入部分には地図の活用などをいれてもらいたい。

○ 歴史的な地図と重ね合わすことで、地理と歴史の関係を学ぶことも可能になると考えられる。紛争地帯で国境がどのように歴史的に変わってきたのかということを学ぶだけでも大きい。


3.公共(仮称)について
○ 国民国家の中でどのような責任を負うのかという視点は重要だが、国際的な公共性もあり、そのことについてもう少し強調して、他の科目との連続性を図るということを考えた方がいい。

○ 「公共(仮称)」で扱う主体の諸側面の関連が重要。例えば、民法は経済、家族、消費生活、情報等にかかわっている。法的主体といっても法律のことだけを学ぶのではなく、それぞれに関連しているということを学べるようにする。各分野にまたがる教材の選定も重要である。「公民教育に求められる今日的課題への対応」では、例えば契約というのが出てくる。契約に関するトラブルには高校生も巻き込まれるので、契約は今日的な課題だが、同時に、契約というのは我々の社会を構成している1つの考え方である。情報、雇用、金融等にも、これと同様の問題があるので、当面の課題とそれらの前提にある基本的な考え方との結び付きというのにも留意していくことが必要である。

○ 18歳選挙権で主権者教育をどう展開するかということで、あるアンケート調査では、主権者教育を担当している先生方が非常に不安・戸惑いを持っているという現実がある。その際、新聞を活用する教育を強化していくことがよいという結果が出ている。「公共(仮称)」の課題を取り上げる際、関係する専門家・機関同士とどのように連携をして、どういう課題について解決をしていくことができるのかということについて事例を集めて、交通整理をしていきたい。

○ 選挙権年齢の引下げに対応するため、高校生向け副教材を文科省において作成した。その際の議論も、今回の議論に反映させていけるとよい。

○ アクティブラーニングについて、学校現場は熱心に取り組んできているが、どのように学ぶかのイメージをしっかりと共有していきたい。国家・社会の形成者として求められる力を育むための学習方法として、正解が1つに定まらない学び、学習したことを活用して解決策を考える学び、他者との対話や議論により考えを深めていく学び等、副教材では、アクティブラーニング型の学習活動を示している。

○ アクティブラーニングに取り組もうとすると時間が足りない。本校では、模擬選挙など行う際には、総合的な学習の時間も活用している。

○ 政治的中立性の問題があるが、過度に意識させると敬遠されてしまう。そのようなことがないようにしていきたい。

○ 「公共(仮称)」はキャリア教育の中核との位置付けである。私的領域、公的領域とわけて考えた場合、前者はシチズンシップ教育であり、後者はキャリア教育と捉えている。そういったものが有機的に結び付き、全国の高校生に共通して保障されるような科目にしたい。

○ 内容、何を学ぶかということ、学び方、アクティブラーニング的なこともきちんと位置付けた新しい「公共(仮称)」という科目のイメージというのを打ち出すことが重要。学ぶ内容は「公共(仮称)」だけに閉じていない。「公共(仮称)」が成功するためには、学校のカリキュラムマネジメントが機能するかどうか。関連する内容をどのように整理をするか検討する必要がある。

○ キャリア教育の中核となる設定ということで、今回の全体的な改革の中で、この公民科目というのは重要。どんな幅広い社会の中で自分が生きているのかということを捉えられるような教科とするため、正解主義的な指導ではないものにしていきたい。

○ 今までの倫理というのは基本的に先哲の考え方に学び、それをどう自分の生活に生かしていくかということであるが、文献を基にした教育は興味が持たれにくい。今後は、生命倫理や環境倫理などの応用倫理を一層重視していくことが必要である。生命倫理なら生殖、安楽死など高校生にとっても身近な話題が扱える。このほか技術者倫理なども扱ってはどうか。そして、そうした話題を切り口にして、先哲の考え方の理解へと導くのが効果的だろう。ただし、応用倫理を教育として成立させる際の難しさは、評価をどのように行うかということである。

○ 公共の扉において、協力が重要というのはそのとおり。学習活動としてゲーム的なものが入っているのは重要だと思うが、例として示されている囚人のジレンマなどはうまく指導しないと逆の結果を生む可能性がある。協力しない選択が合理的な選択と捉えられるようでは意味がない。その意味では、例示として最後通牒ゲームなども考えられる。

○ いわゆるおかみではなく、公共というものが存在するということを指導することが重要である。世界の中の日本の公共、地域の公共である。また、協力とは押し付けではなく、自然に出てくるものとしたい。「市民社会」という概念と学習内容として捉えることにより、平等な市民が協力し合うという論理が出てくるだろう。

○ 公共はパブリックであり、プライベートと対置するものである。近年、マイナンバーの問題や死者にプライバシーはあるのかといったことも問題となりがちだから、パブリックに加えプライベートについても同時に教える必要があるのではないか。

○ 功利主義は言葉が悪い。本来、それは社会全体としての利益を増大させるという捉え方であり、利己主義とは異なる。その際、社会全体の効用としての「幸福」という概念がキーワードになるだろう。

○ 原案には、結果としての社会的効用と人間的責務とのバランスをとることが重要との考えが示されているが、簡単なことではない。例えば、病気の告知について、本人の幸福を考えた場合、ウソも方便という考えもありうる。その判断は鋭利に対立することがあり、そのことについて取り扱うとすれば、それぞれの利点と欠点を検討してみるというところまでではないか。

○ 経済的な格差とするものとして捉えるのはいかがか。個々の利益を追求するだけではうまくいかない。マクロとミクロ全体から見た豊かさという視点が必要である。

○ 若者の社会参画意識に課題があることからすれば、公共(仮称)においては、動機付けをすることが重要である。社会的な課題が若者にとっても重要であることなど教え方を工夫すべきである。

○ 社会は国際社会も含めて考えるべきである。日本も外国人の受入れが進み、人的交流も多くある。多様な価値観がある中で調整をしていくことが課題になってくるわけで、このことを指導することが重要である。

○ 個人と全体との関係について、生徒に教えるのではなく、生徒自らが理解していくようにするにはどのようにしたらよいか。例えば、生徒会や部活動で予算取りの中で学んでいくことが考えられる。

○ 自由主義とコミュニタリアンの立場があって、個人に重点を置くか、全体に重点を置くかで判断は異なる。個人と社会との関係を理解させることが「公共の扉」の役割である。

○ 私的な領域についての指導がキャリア教育であり、公的な領域についての指導がシチズンシップ教育と捉えている。これらの根底にあるのが倫理的なもので、倫理や公共の扉がその役割を担うのであろう。

○ 18歳で何ができるようになるのか、社会に開かれた教育課程という観点から学びを捉えたときに、社会の主体となるということを実感できる科目にしたい。そのために、学習の最後に模擬選挙を実施するなどの工夫も考えられる。また、教科書において、各単元で活用問題が示されるようになるとよい。

○ 知識を学ぶだけではなく、国民主権や民主主義、幸福などの価値観を、対話を通して実感できるようにしたい。

○ 指導に当たって、個人から入るのか、社会から入るのか、理論的にはどちらもありうると考える。知識を前提として指導していくことを考えると社会から入る方が簡単であろう。しかし、高校段階というアイデンティティを確立していく段階を踏まえた場合、それでよいのかどうか。社会の中で何ができるのかという問題設定自体が問題である。個々人が「主体」であることは重要で、個人は社会の歯車ではなく、各主体が協働しているのが社会であるという捉え方をさせるべきだろう。このため、まずは自分をみつめ、自分を大切にすることを指導する必要がある。

○ カギとなる概念は、(2)の中で学ぶことになる。幸福は重要な価値であり、そのために正義を考えるのか、義務として正義を考えるのか。何が重要なのかを考えさせる指導となるようにしたい。

○ 社会の基本的な仕組みについては、生きる上で必要となるシステムであり、指導することが重要である。その仕組みを使うことの意義と限界を知らせることが重要であり、社会的な見方が分からないとそれらは使うことができない。協働の在り方や仕組みの違いは法、経済、政治それぞれで異なっており、法で言えば、裁判という手続を通じて中立な第三者が当事者から話を聞いて判断をすることになり、経済は市場を通じて私人間で調整が図られ、政治は全員が参加して議論を通じることになる。その際、政治、経済、法等それぞれの主体としての立場がバラバラにならないように、公共の扉においてきちんと指導することが必要である。

○ 「歴史総合(仮称)」、「地理総合(仮称)」、「公共(仮称)」の科目間の関係を考えておく必要がある。現代的な課題はそれぞれの科目において扱うことになる。その組合せはいろいろで、例えば、紛争の解決といったとき、歴史的背景や地理的な状況などを考えた上で、「公共(仮称)」について指導することもあれば、「公共(仮称)」からということもあれば、3つ同時にということもある。最終的には、学校のカリキュラムマネジメントの問題だとしても、どのような考え方があり得るかは示してはどうか。

○ 中学校社会(公民的分野)において具体性のある題材を扱うことや、家庭科など個人の主体性を育む教科とのすりあわせを考えていくことも必要である。

○ 公共あるいは社会の範囲によって協働の意味や重要性が異なってくることをうまく理解させる必要がある。

○ ルールのもとで競争が行われていること、公正なルールをどう作るかということ、ルールを作る際には公共の考え方が不可欠だということを実感させたい。

○ 信頼を裏切るとどのような罰則が社会には存在するのか、ということも重要なポイントだと考えられる。

○ 私たちが、自分だけのことを考えているわけではなく、他人のことを考えて行動していることが 自然であり、それはいいことだということを教える。最後通牒ゲームをやらせて、多くの人が他人 にある程度の金額を配分したり、非常に低い配分の提示を受けた人はその受け取りを拒否すること を体験させる。


4.アクティブラーニングについて
○ アクティブラーニングは、まずは、生徒の学習の動機付けという観点から重要である。学習内容が社会と結び付いていることを理解することになるだろう。また、考え方が一つではないということや自分の考え方だけが正しいわけではないことも理解することになる。この学びを通じて、結果として知識ではなく、考え方が重要なのだということを理解していくことができるだろう。さらに、論理的な思考力を身に付けるという観点からも重要である。

○ アクティブラーニングにより、知識が身に付く場合もあれば、思考力が身に付く場合もある。それらの知識・技能、能力とは異なる指導方法というカテゴリの話である。他者が得た知識により、別の者の思考力を高まる場合もあり、そこにはアクティブラーニングの意義がある。

○ 知識習得のための活動もあるが、知識を活用する際のアクティブラーニングが重要である。資質・能力を身に付けさせるための活動であるということを重視したい。

○ アクティブラーニングのメリットは、学ぶ側の動機付けが大きいが、生徒の中から多様な仮説を引き出すこともメリットだと考えられる。様々な仮説について、どの仮説が一番人を説得できるのか、説得するにはどのような証拠やデータが必要かを議論させることが大切である。自然科学でさえ様々な仮説の検証の積み重ねで作られていることを理解するのは難しいが、社会科学は仮説の検証が自然科学以上に難しい。そのため、様々な考え方が併存しているが現実であるということを理解することが重要ではないか。

○ 選挙について体験させても、選挙の仕組みを学んでも、合理的な人であれば、多人数になれば一人一人の影響力が小さくなることを理解するだけになる。それでは、誰も選挙にいかなくなるので、社会に生きている義務あるいは倫理として選挙を考える必要があることを理解させることが重要ではないか。

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