第6回総則・評価特別部会における主な意見

1.社会・地理歴史・公民ワーキンググループ、高等学校地歴・公民科科目の在り方に関する特別チームおける検討状況について

(事務局から資料3に基づいて説明の後、田中特別チーム主査、土井社会WG主査より下記の通りコメント)

(田中主査)
○ 現在の地理A、日本史A、世界史Aを作り変えて、地理総合、歴史総合を設置するという提案がなされているところ。

○ 歴史総合の趣旨は、現代的な諸課題の背景にある歴史を、グローバル化につながる近現代の歴史の転換に着目して追究するというもの。また、単元の基軸となる本質的で大きな問いを設け、資料を適切に活用しながら比較や因果関係を追及するなど、歴史的な見方や考え方を身に付けることを目指す。

○ 歴史総合で養う資質・能力については、歴史を考察する手立て(視点や方法)を用いて、現代の諸課題の歴史的背景を追究する力。そして、諸資料を適切に活用する技能である。この技能は資料を解釈し、それをまたエビデンスとして使えるということ。また、国際社会に主体的に生きる日本国民としての自覚と資質。日本史、世界史とばらばらで見るのではなく、日本から見た世界の流れ、また世界から日本の歴史の流れというものをそれぞれ見る視点が必要であるということ。分析の手法としては、比較、因果、相互作用に注目していく。特に因果関係は、ものの見方が一つではなく、様々な仮説が成り立つことを教えることも重要との指摘がある。

○ 地理総合は、実践的な社会的スキルとしてのGISの活用、地球規模の自然システム、社会・経済システムの知識と理解、空間概念を捉える力、地域、国家的及び国際的な課題解決を模索する献身的努力というものを育みたいと考えており、三つの項目でそれを押さえていくということを考えている。三つの項目というのは、地図と地理情報システムの活用でGISをしっかりと身に付けるということ、国際理解と国際協力、これはグローバル化に対応するということ、それから防災と持続可能な社会の構築ということで、サステイナブルな社会というものを防災という概念も使いながら理解していくということ。

○ 地理と歴史は互いに関連する。地理は、時代によってどのように地域が変わってくるかという時系列の変化も見ることにもなるし、歴史は、世界の地図がどのように歴史の状況で変わるかを見ることになる。この縦軸・横軸の関連が重要だと考えている。

○ 高大接続に関しては各分野ともに重要であると思っている。現在のB科目の代わりになるような科目もそれぞれ考えているが、それらは四単位になり、歴史総合、地理総合はそれぞれ二単位になるとすれば、大学受験を考える高校においては、四単位の科目を学べば、それで受験にこと足りるという発想になり、歴史総合や地理総合は無視してもよいとなりはしないかと大変危惧している。歴史総合や地理総合では、高校生が将来社会に出て、グローバルな人材に育つために必須の考え方というものを教えたい。そのことは、高校だけでなく、入試問題の作り方という点で、大学にも大きな責任があると思う。また、受験産業の方々にも御理解いただく必要がある。より根本的な、このような考え方を子供たちに身に付けてもらいたいというところを、大学の側も入学の選抜において問うていかないと、結局形骸化してしまう。

(土井主査)
○ 新科目公共(仮称)では、第一に各人の人間としての在り方・生き方、第二に各人が形作る社会の在り方、そして第三に各人の社会に対する関わり方、この三つについて、個人の尊重や社会的協働などを基礎として考察し、それを通じて国家社会の形成者として必要な基本的知識の習得と、思考力・判断力・表現力及び主体的な社会参画に向けての意欲や態度等の育成を目指すことを考えている。そのために、科目を三つの柱で構成することとし、第一の「公共の扉」では、先人の取組や知恵を踏まえて、人間としての在り方・生き方や公共的な空間の在り方を考える上で基礎となる見方・考え方の習得を図る。第二の「自立した主体として社会に参画し、他者と協働するために」では、社会を形作る政治・経済・法などのシステムの基本を理解し、そうしたシステムを通じて、どのように社会に参画していくかを学ぶ。第三の「持続可能な社会作りの主体となるために」では、前二つの柱での学習を踏まえて、現代社会の諸課題について探究学習を行い、その解決に向けて、各人がどのようにして主体的に関わっていくかを考えるという構成を検討しているところ。

○ 育成すべき資質・能力に関する検討状況については、社会的事象の見方・考え方の育成が軸となる。社会的事象の見方・考え方とは、社会的事象の意義や仕組み等を考察する際の追究の視点や方法を意味し、例えば小学校では、位置や空間的な広がり、及び時期や時間の経過等の視点に着目して社会的事象の様子を捉え、比較・分類しながら、その仕組みや人々の生活との関連を考察することになる。こうした見方や考え方を習得させ、それを用いて社会的事象の仕組みや意義・機能などを多角的に分析する力、あるいは社会的事象をめぐる課題の解決に向けて選択・判断する力などを育成することが必要であると考えている。そうした考え方に基づき、ワーキンググループでは、社会科・地理歴史科・公民科の系統性をどのように確保するか、また、各学校種や各学年でどのような水準の力を育成すべきかといった観点から、整理を進めているところ。

○ 今後の進め方については、ワーキンググループとしてのまとめに向けて、更に検討を深めるとともに、総則・評価特別部会における御議論を踏まえて、社会科等における学習評価の在り方等について、引き続き検討を行う予定。

(以下のとおり、総則・評価特別部会委員との意見交換)

○ 実態として探求的なものが行われるためには、これに対応した評価を考えないといけないと思っている。

○ 思考力・表現力・判断力等の育成イメージについては、小・中・高と矢印で示していただいて大変良いと思う。ただ心配なのは、探求的なものを入れていく場合に、資料の収集や資料の内容・価値の判断というのが大変重要になるが、このイメージ図の中に、そういった要素がないのではないか。
→ 御指摘のように、イメージ図に不十分なところがあると思う。ただ、ワーキングではかなり意見交換がなされており、資料の読み込みが仮説を裏付けるエビデンスとなるということで、相当議論されているので、問題意識は十分持っている。(田中主査より回答)

○ 例えば歴史の転換への関わりの深さというところで、欧米と日本の工業化の進展にはどのような違いがあるか、その違いは世界の情勢にどのような影響を及ぼしたか等が書かれている。現行の学習指導要領でもこういったことを学ぶのだろうけれども、十分になされているかということを、改めて見てみる必要があろう。問いがあって答えへどうつないでいくのかという、考えるとか疑問を持つとかいったような過程が余り入試では重視されないので、高校の授業でも重視されないのではないかと思う。生徒自身が問いを立てられるようになるということが大事。知っていること、できることをどう使うかというときに、問題を発見し、その問題を定義し、解決の方向性を決定しというプロセスが論点整理には書かれている。まずは問題に気付くということを生むような取組というものが、様々な教科科目、活動の中で生まれなければならないのではないかと思う。

→ 最終的に探究学習に持っていくことは我々も考えている。ただ、新科目については、恐らく設定されるのは高校1年生ということもあり、中学までの学習を前提にしたときに、高度な問いをいきなり自分自身で立てられるかは恐らく難しいことは理解している。その意味では、いろいろな問いを立てて、それを解いていくということがどういうことなのかを学ぶことを通じて、まず見方・考え方を必修科目の段階で習得させて、その後の選択科目にどのようにつないでいくかを検討する必要があると思う。(土井主査より回答)

○ 探究的な学びを実現するにあたっては、評価の在り方が非常に重要。地歴・公民については、高大接続と関わって、入試で探求的な問題が出されないと、学習指導要領を幾ら改訂しても、実態としては定着しない。例えばイギリスのGCSEやAレベル試験の例をあげると、19世紀中頃にあったインドでのアムリットサルの虐殺という事件について、3人の実際その場に居合わせた者が報告を出しており、全部内容が違うケースが示される。なぜその3人が同じ事件でも違う証言をしているか、その根拠を考えよというような問題が出される。そのような問題を大学入試でも出してくださいということを強く要望しないと、探究的な学びは実現しないのではないか。

→ 評価とのつながりがないと結局形骸化してしまうという御指摘はそのとおりだと思う。地理総合や歴史総合で、グローバルなものの見方や、時間軸と空間軸を組み合わせたようなものの見方を教えても、それが分からなければ答えられないような問題が世界史にも日本史にも地理にも問われなければ、誰もそれを勉強しない。大学入試においても変革が必要だという議論はしている。ただ、ポートフォリオやルーブリックを活用して評価へつなげるような仕組みも必要だという御指摘は、特別チームでもまだ議論していないので、これについては学ばせていただいたと思う。(田中主査より回答)

2.芸術ワーキンググループおける検討状況について

(事務局から資料4に基づいて説明の後、伊野主査代理より下記の通りコメント)

○ 芸術系科目を通じて育成すべき資質・能力に関しては、芸術に関する教科・科目において育てることができる感性・情操は、他教科等の学びにも関わる全ての学びを貫く大切な資質・能力であるということ。将来、生活を豊かにしていく上で、創造性を発揮して豊かに表現することや、美しいものを見て美しいと感じる、美しい音楽を聴いて美しいと感じるということを芸術教育で培うことが重要であるという意見が出ている。また、子供たちに身に付けていくべき資質・能力を考え、それを子供たちも認識できるようにすることが重要であると同時に、保護者や他教科の先生方に、芸術教育によってどのような力が身に付いて、それが社会との関わりの中でどのように生きていくのか、例えば人間にとっての芸術の必要性等を分かりやすく伝えられる学習指導要領にする必要があるなど、芸術教育が生活や社会と豊かに関わる態度を育成することについての意見が出され、検討を進めているところ。

○ 三つの柱に沿った育成すべき資質・能力の明確化に関して、個別の知識・技能、思考力・判断力・表現力等にはどのようなものが位置付けられるのかを、改めて考える必要がある。例えば、創造的な技能は、それぞれ知識・技能、思考力・判断力と深く関わっているが、その位置付けについて検討の必要があるという意見が出ている。また、個別の知識・技能がどのように子供の思考力・判断力・表現力と関わるのか、どのように学びに向かう力を引き出すのかという点を考えることが大事。思考力・判断力・表現力等には、性質の異なる表現の能力と鑑賞の能力があるので、慎重に位置付けていく必要がある。現行の評価の観点では、四観点の中で表現の能力あるいは鑑賞の能力と分けているが、それと今回の思考力・判断力等との関係について、深く考えていきたいという意見が出ている。芸術教科では、これまで評価の観点の中では、知識・技能の中の知識と関連する内容を、思考力・判断力・表現力等の中で一体的に捉えてきた。芸術教育における知識の位置づけをどうすべきかということや、学習評価の改善に関する今後の検討の方向性について示されている、知識を構造化された概念的な知識と捉えることや、芸術に関する教科・科目における技能などについて、他の二つの柱との関係を含め、検討を進めているところ。

○ 育成すべき資質・能力の系統性については、幼児教育、小学校との接続をこれまで以上にしっかりする必要があること。現行学習指導要領で、小学校・中学校において[共通事項]が位置付けられたことで、小学校、中学校のつながりが出てきた。また、教員も児童生徒も音楽の特徴を捉えやすくなった。高等学校にも[共通事項]を位置付けてもいいのではないかという意見が出ている。幼稚園から高等学校までの系統性、表現及び鑑賞の各学習活動について、共通に必要となる資質・能力である[共通事項]の扱いについての意見が出され、検討を進めているところ。

○ 伝統文化教育との関連については、日本の伝統文化・伝統技術の中には先端を行く技術につながることもたくさんあり、それらに目を向けていくことが大事であるということ。また、感性を養うということが伝統文化を深く理解しようとすることにつながっており、将来の豊かな情操というところにつながっていくのではないか。そのためには、もっと子供の身近に感じる生活との関係、生活と伝統との関係、そして有効な体験との結び付きといった活動の充実が必要ではないかという意見が出ている。

(以下のとおり、総則・評価特別部会委員との意見交換等)

○ 芸術ワーキンググループの方では、理数系の教科・科目等との関わりの可能性も深いと思うが、他教科・科目等との関連についてはどのように扱われてこられたのか。

→ 話の出発点が音や音楽、造形というところから出ており、他教科との関係というと、例えば国語の音声とか感情を伝える面、あるいは伝統的なものを学ぶときに様々な要素が関わり合ってくるので、そこの部分を全体的に学んでいく必要があるという意見が出ている。ただ、理数系については、直接的な意見は現在のところ出ていない。私の専門とする内容では、御指摘のとおり、音楽と理数系というのは密接に関係があると思うので、御意見があったことを伝えたいと思う。(伊野主査代理より回答)

→ 数学の方が、問題解決というプロセスで御議論いただいているのに対して、音楽の方は、音や音楽との出合いということから、思いや意図をどのように表現していくか、あるいは鑑賞の中に生かしていくかというプロセスの違いがある。恐らく言語や記号ということで関連があるというご趣旨で御提起いただいたかと思うが、そういった学びのプロセスの違いがある。今後もヒントなどを是非頂ければと思う。(事務局より回答)

○ 芸術の中で教科や科目によっては、の評価の観点に関して、発想や構想の能力と創造的な技能を分けているが、やはりある程度の技能がないと、発想や構想を表現できないのではないか。今後とも、これら二つの観点は分けるのか。

○ 例えばイギリスの音楽教育だと、バッハの演奏の仕方とか、らベートーベンがどのように一定のテーマを演奏しているとか、かなり音楽的な知識に関することも教えているが、日本の高校ではそういうものはあまり教えない実態がある。だからバッハの曲を聴いても、その演奏の仕方のすばらしさ、和声の組合せ方のすばらしさが、鑑賞の能力として出てこないのではないかと思う。鑑賞の能力にそういう知識を入れた方がいいのではないかと思う。

→ 例えば、音楽の構造を理解して音楽を聴いていくということについては、それを支えるものとして、[共通事項](高等学校芸術「音楽」においては、[共通事項]に相当する事項)というのが現行学習指導要領にもある。音楽の仕組みを知的に捉えながら、それから心で受け止めながら、そして更に構造をしっかり把握していく、また自分なりの意見としてアウトプットしていくということは、現行の指導要領にも明確に書かれている。にも関わらず授業では、十分な状況とは言えない実態も見受けられる。これを改善していくために、一つは、学習指導要領の書き方をよりしっかりしたものにしていくことも考えられる。もう一つは、例えば高校等の音楽の授業において、学習指導要領にある指導事項そのものを、明確に学習内容として設定をしていくというようなことを、より強めていく必要があると考えている。(伊野主査代理より回答)

→ 芸術教科においては、考えを形成していくというのは、手や腕、声や体全体を使って対象と関わって、そこで思考・判断をしながら、知識や技能を獲得していくということだと思う。例えば、美術科の知識・技能のところに、創造的な技能というキーワードがある。このように、知識・技能と思考力・判断力・表現力等が関連し合い極めて深いつながりがあるので、それをこれから評価に向けてどのように整理していくかということを考えていく必要がある。こういう芸術の特質についても御理解いただければと思う。(伊野主査代理より回答)

3.生活・総合的な学習の時間ワーキンググループおける検討状況について

(事務局から資料5に基づいて説明の後、見上主査より下記の通りコメント)

○ 生活科はスタート・カリキュラムの中核になる教科と考えている。遊びや生活を通じて五領域を総合的に学習するという幼児教育と、生活科の学習方法に共通性が見られる。また、生活をフィールドとして学んでいくということから、他教科とつながりやすいという特徴がある。ただ、実際の学校現場においては、その趣旨や意図が必ずしもしっかり伝わっていないと承知している。また、スタート・カリキュラムは生活科のみで行うという誤解も招いているのではないかという話もある。今後、生活科においては、スタート・カリキュラムの中核としての意義や役割を明確にするとともに、それを分かりやすい形でお示しできるように、更に議論を深めてまいりたい。現在、幼児教育部会でも、幼児教育の終わりまでに育ってほしい幼児の具体的な姿などについて議論が行われており、他のワーキンググループでも資質・能力や見方・考え方の議論が行われているとも聞いているので、今後、議論の中に加えていきたい。生活科については、これまで学習指導要領解説などにおいて、三つの視点や、それを細分化した11個の視点、15個の学習対象などを示してきたが、これを今回、三つの柱に沿って整理し直す必要がある。このような視点からも、更に検討を進めたい。

○ 総合的な学習の時間については、今後さらに、育成すべき資質・能力を明確にするために、議論を深めていく必要がある。特に横断的・総合的に学習するからこそ身に付く知識・技能は何なのか、それから思考力・判断力・表現力は何なのか、学びに向かう力、人間性等は何なのかということについて、ワーキングの中で更に議論してまいりたい。また、総合的な学習の時間の総合的・横断的という意味は何なのか、今後は、他教科等においても探求的な学習が行われるであろうと予想される中で、総合的な学習の時間の意義や役割は何なのか、こういうことについても議論を深めたいと考えている。例えば総合的な学習の時間の探究活動を進めていって、それが内面化されれば、その経験が自信、自己肯定感につながるものと考える。様々な問題に直面した際にも、主体的に解決に向けて取り組もうとする学びに向かう態度が育成されるものと考えている。また、実社会、実生活の問題に結び付けて探究活動を行う際に、他教科等において身に付けた資質・能力を発揮する場面も出てくる。このことによって、学ぶことの意義や価値の理解も深まるだろうと思う。小学校段階では、実社会、実生活の課題を文脈的に学習していったものが、高等学校段階にまでいくと、学びが脱文脈化して、自覚化されていくのではないかという御議論も頂いている。

○ 総合的な学習の時間は、学習指導要領上、第一の目標としては国で定めているところであるが、これを踏まえて、学校において総合的な学習の時間の目標や内容、育てようとする資質や能力、態度を設定することになっている。総合的な学習の時間が学校の教育目標などを直接受け止めることも可能であるため、カリキュラム・マネジメントの中核となるのではないかといった議論をさせていただいている。

○ 見方・考え方については、まだ議論できていないが、実社会・実生活の課題について、教科・学問領域を越えた視点で事象を捉え、各教科における見方・考え方を総合的に活用しながら、自己の在り方・生き方について考察することと考えることができると思っている。今後、このようなことも議論できればと思う。

○ 今後、特別支援教育やICTに関する内容についても、検討してまいりたい。生活・総合的な学習の時間ワーキンググループでは、各教科を横に、あるいはスパイラルにつなぐ役割があるので、他のワーキングの審議状況なども踏まえて議論を進めていく必要があると考えている。

(以下のとおり、総則・評価特別部会委員との意見交換等)

○ 資質・能力の三つの柱に沿った、小・中・高を通じた総合的な学習の時間において育成すべき資質・能力の整理の箇所で、思考力・判断力・表現力等のところ、まず課題設定の力とあるが、この課題設定の力ということだけが出てきていると、まずは問題に気付くということを飛び越してしまっているのではないかと思う。疑問を持ってものを見るとか、いろいろなことに対してこれはどうしてだろうと考えるという力を育てることが、まずこの課題設定の前段にはあるのではないか。深い学びというのは、そういうことをきちっと踏まえてやっていかなければ実現しないのではないかと思っている。

→ 資質・能力の三つの柱に沿った整理について、基本的には小学校から高等学校まで、同じような形で内容が入っている。微妙に高等学校に進むに従って、学ぶことの意義や価値の理解とかというのが出てくるが、結局、例えば幼児教育での体験、あるいは小学校生活科でのいろいろな実体験といった学習活動をベースに、小学校高学年あるいは中学校、高等学校へと進む。そういう積み重ねが非常に大事だと思う。(見上主査より回答)

○ 高等学校の総合的な学習の時間については、全員が必ず学ぶという前提には立てないように思うので、やはり小・中の総合的な学習の時間とは若干様相が違うであろう。場合によっては、高等学校の場合には進路指導・キャリア教育に特化するという傾向もあるのではないかと思うが、その辺りをどう議論されたのか。
→ 高等学校での総合的学習の時間については、確かに現在、非常に苦労されている。ただ、一方で成功されているところもあって、そういった成功事例が、今、ワーキンググループには挙げられており、非常に参考になるので、それをうまく広めていくということではないか。(見上主査より回答)

○ 全教科に関わるが、とりわけ総合的な学習の時間に関して。資質・能力の三つの柱に沿った整理のところで、高等学校のマルの三つ目に、学ぶことの意義や価値の理解というものがある。価値や意義、もちろん大切だが、是非それに加えて、学ぶことの仕組みや方法の理解というのを入れていただきたい。それから、それに対応して、学びに向かう力のところでも、そういう仕組みや方法について、単に知識として知っているというだけではなくて、それを活用して自分の学習を改善するという視点が欲しい。特に自分で計画を立てて、自分で方法を考えて、自分なりのやり方で主体的に学習を進めていくというようなことを入れていただきたいと思う。趣旨としては、中学・高校にもなると、教科の普通の習得の学習が非常にうまくいかなくなって悩むという子供たちは多い。小・中・高と進むにつれて、学習の仕方も一律ではなくて、だんだん進化していくという面がある。どうもうまくそれに適応できない子供たちが増えていく、しかもそれが非常に深刻な問題になっているということだと思う。例えば何でも丸暗記すればいいのだと思っていると、なかなか深い学びにならない。今回、とりわけ深い学びとか主体的な学びと言っているので、では深い学びというのはどういうことなのか、浅い学びというのはどういうことなのかということを、子供たち自身に仕組みを知ってほしい。メタ認知ということがどういうことなのか、子供自身に知ってほしい。中学校・小学校にも、表現は違ってもよいので、そういうことを入れていただければと思う。

○ 総合的な学習の時間については、四つのことがあったと思う。一つは教科横断的な学び。それから探求的な学び。三番目に、自分の生活とか将来に向けての学び。四番目に、学び方やものの考え方。特に育てようとする資質・能力、態度の中でも、学習方法に関することというのが出てくる。次に出てくるのが自分自身に関すること。他者や社会との関わりに関すること。この学び方に関することというのは、各教科では散りばめられているが、その根っこに当たる部分が、総合的な学習の時間に期待されていると思う。そしてそれを軸にしながら、各教科の中で、各教科のそれぞれの特性に合った学び方を肉付けしていくということだと思う。

○ 総合的な学習の時間の取組は、大学入試でほとんど評価されない。それが実態として、高等学校での総合的な学習の時間の空洞化を招いている。総合的な学習の成果を高大接続で利用してもらうようなシステムを作らないと、幾ら叫んでも総合的な学習の目的は達成されない。指導要録に加えて、ポートフォリオ評価のようなものを作って、大学入試に利用するシステムを作らないと、高等学校では、まともな総合的な学習は行われないのではないか。そういうことを強く言うべきではないかと思う。

○ 総合的な学習の時間と特別活動については、書き方によっては、確かに教科でしていることと重なってしまう。総合的な学習というのは、現実の社会を対象にして探求を組織化していく営みだと思っているが、例えばそのように、本質的に他の教科とは違う特質を出す必要があると思う。特別活動で言えば、学校コミュニティにおける活動を通しての学びだと思うが、そういうところをはっきりしていただけるといいなと思う。

4.体育・保健体育、健康、安全ワーキンググループおける検討状況について

(事務局から資料6に基づいて説明の後、野津主査代理より下記の通りコメント)

○ これまでの検討で、体育・保健体育という教科としての本来の意義・価値を再認識することになって、充実した議論が展開されたと思っている。保健体育として一体的に捉えていくこと、また、他教科と歩調を合わせつつ改訂に向けた諸課題に当たることなどが重要であるという合意の下に、議論が進められたところ。

○ 教科の特性に根差した見方・考え方については、今後更に議論を重ねていくが、体育では運動の特性という言葉を従来から使用してきているので、ここで教科の特性と言われると混同するということがあり、教科の特質の方が分かりやすいという意見が出ている。保健的な見方・考え方では、健康の保持増進という点はもちろん、心身の健康の回復を目指すという考え方も視野に入れることが重要になっているという見解が示されている。

○ 育成すべき資質・能力については、三本柱の視点で議論が展開されてきている。保健では特に、これまで学習指導要領では内容として示されていない技能について、体育や他教科の技能の捉え方を踏まえて検討された。また、体育については、生涯にわたる豊かなスポーツライフの実現に向けて、共生社会の形成を含めた多様性の理解などの観点から資質・能力の議論がされている。

○ 学びのプロセス及びアクティブ・ラーニングに関する議論では、児童生徒が運動やスポーツの楽しさや喜びを見いだすとともに、運動やスポーツの多様な関わり方ができるようにするためには、思考力・判断力・表現力を効果的に育成することが重要であり、そのための学びの在り方ということなどで議論されている。また、保健の学びのプロセスでは、健康課題を解決する過程が重要であるということから、健康情報の適切な選択や、生活改善と関連させた学びの在り方などが示された。

○ 重視すべき内容については、保健では具体的に、がん、精神保健、歯科保健などなど、様々指摘されてきているが、総じて言えば、生涯を通じて健康を保持増進していく資質や能力の基礎を培う観点から、子供たちの発達の段階を踏まえ、少子高齢化や疾病構造の変化による現代的な健康課題の解決や、自他の健康の保持増進に役立つ内容の充実を図る必要があることが示された。また、2020年の東京オリンピック・パラリンピック競技大会を契機として、健康のすばらしさや運動・スポーツの意義や価値などを国民全体で共有できるようにすることが重要であることから、体育・保健体育が果たす役割が非常に大きいという認識の下で、重視すべき内容の議論が交わされた。

○ 評価については、育成すべき三つの資質・能力に即した観点にすることは分かりやすくて良いという意見で一致した。また、三つ目の主体的に学習に取り組む態度の観点については、体育・保健体育の指導内容である公正・協力・責任・参画・健康・安全に関する評価も含めた整理で進める必要があるとの意見が出されている。

○ 特別支援教育の観点の議論においては、共生社会の実現ということから、一人一人の子供たちに一層目を向けることが重要という方向性で議論は展開されている。他の教科等にも参考になるような意見が出されたと思っている。

○ 運動部活動については、学校教育の一環として行われる部活動の教育的意義を踏まえつつ、教員の負担軽減や効果的な指導体制等について議論された。

(以下のとおり、総則・評価特別部会委員との意見交換等)

○ 他教科や、栄養教諭、養護教諭の先生方との連携状況についてはどのような御議論がなされているのか。

→ 養護教諭、栄養教諭との関係の議論については、健康教育、食育のカリキュラム・マネジメントという議論の中で、個別指導と、教科としての学習との連携をしっかりやっていくというようなところで、そうした栄養教諭、養護教諭が主として行う個別指導を効果的に生かすという指摘がされている。(野津主査代理より回答)

5.特別支援教育部会おける検討状況について

(事務局から資料7に基づいて説明の後、宍戸主査より下記の通りコメント)

○ 幼・小・中・高の学習指導要領、特別支援学校の学習指導要領、それぞれの存在について理解していただくということと、関連性や連続性をそこに見付けていくことにより、子供たちの学びの連続性を達成したいという視点で議論をしてきた。

○ 各教科等における指導上の配慮について、総則における障害種別での配慮事項に留まらず、各教科等においても学習の過程で考えられる困難さに対する配慮の例を示すということで、検討を進めてきた。これは、各ワーキングにおいても示させていただき、検討をいただいているところ。この点からも、特別支援教育に関する指導が、より一層充実することを期待したいと考えている。

○ 小・中学校における通級による指導や特別支援学級の教育課程については、現在、解説の方で示しているのみなので、これらの教育課程の考え方等も含めて、学習指導要領等に示すことが必要であるという意見が出ているところ。高等学校における通級による指導の制度化については、学習指導要領への位置付け方、単位認定の在り方などの論点について、高等学校教育部会などにおいても御議論を御願いしたい。

○ 特別支援学校について、知的障害の子供を対象とした教科については、今回、小・中・高等学校の各教科で行われている育成すべき資質・能力を踏まえた改善・充実の視点が、同様に必要であるという意見が出ている。自己の理解や主体的に学意欲の一層の伸長など発達段階を踏まえた自立活動の内容の改善・充実が必要であるという意見があった。それから、キャリア教育や重複障害等に関する教育課程の取扱いについては、次回議論をする予定。

○ 幼稚園、小・中・高等学校、特別支援学校との間での学びの連続性を実現するための教育課程の円滑な接続の実現については、改めて特別支援教育部会で検討した上で、総則・評価特別部会の方においても御検討をお願いしたい。

6.言語能力の向上に関する特別チームおける検討状況について

(事務局から資料8に基づいて説明の後、髙木委員より下記の通りコメント)

○ 言語能力の向上に関する特別チームは、国語教育と英語教育の関係者を中心として、さらに脳科学や言語心理学など、言葉に関わる教育以外の様々な分野の先生方にお集まりいただいた画期的なチームである。

○ 言語能力は、あらゆる教科を学習する上で必要な能力。また、情操や情感が発達していく中でも、言語が中心的な役割を果たしているために、言葉に関する教科である国語科と外国語科だけでなく、他教科においても、言語能力の育成は非常に重要なことであると考えている。

○ 文化審議会によるこれまでの国語力についての答申や、前回の改訂の際に行われた言語力の育成に関する協力者会議など、これまでの言語能力に関する議論を踏まえて、言語能力に、創造的思考とそれを支える論理的思考の側面、感性・情緒の側面、他者とのコミュニケーションという側面を位置付けて、資質・能力の三つの柱やプロセスを論議してきた。この言語に関する資質・能力の論議をつなぎとして、国語ワーキングにおいては国語に関する資質・能力を、外国語ワーキングにおいては外国語に関する資質・能力が議論されているところ。また、言語能力育成のためには、各教科等における言語活動の充実が重要となる。言語活動の充実は、現行の学習指導要領においても行われているところであるが、その評価については、各教科において、思考・判断・表現における記録・要約・説明・論述という言語活動を通して評価することが、中央教育審議会より「児童生徒の学習評価の在り方について」という形で過去に報告されている。

○ 言語能力を向上させるための国語科と外国語活動・外国語科の効果的な連携の在り方についても議論をしているが、そのためには、教員同士の連携のみならず、指導内容の連携も含めたカリキュラム・マネジメントが非常に重要であると議論されている。今後も国語ワーキング、外国語ワーキングとのキャッチボールをしながら、全体としての言語能力の育成とその向上について議論を深めてまいりたい。

7.その他、全体に関わる議論について

○ 今回の教育課程の見直しは、かなり根本的に各教科の枠組み・構造を変えていく取組になっていると思う。それを授業の実践として生かしていただくためには、教科書が新しい学習指導要領の内容に沿ったものでなければならない。かつて現行の国語総合であったことだが、古典と現代文を教科書として分けてしまう。本当は国語総合としてやっていただきたいが、現実に高等学校では分けられているという事例がたくさんある。従って、今回は、新しい学習指導要領で示される内容に沿った教科書の在り方になることが強く望まれる。そうしないと高校の内容の改革につながっていかない。

○ 資質・能力の示し方について、ワーキングによって、示し方の方向性、基本的な目指すところが、少しずれ始めているのではないか。例えば典型的なのは、社会・地理歴史・公民ワーキンググループ(資料3)の16ページと芸術ワーキンググループ(資料4)の7ページ。社会の方では、資質・能力のカテゴリー、ラベルが書かれていると理解できる一方、芸術では、育成すべき具体的な力が、何々することができるという表現ぶりになっている。こういったものをそろそろ足並みをそろえていくというか、各ワーキンググループや部会の先生方に御検討いただくときに、こういう表現ぶりでという方向性を示していくということも今後必要ではないかと思った。

○ 生活・総合的な学習の時間ワーキンググループにおける資質・能力の三つの柱に沿った整理をみると、学びに向かう力、人間性等のところ、それぞれマルが三つずつ、高等学校、中学校、小学校と書かれている。そして新しい科目公共となっているところで育成すべき力は一体何なのかなということを見てみると、重なる部分が非常に強く見えてくる。例えば資料3の19ページを見ると、資料5の8ページの右側、学びに向かう力、人間性との重複ということが非常に鮮明に見えてくるし、特に資料3の21ページ、新選択科目(案)としての自己の課題と人間としての在り方・生き方などを見ると、やはり総合的な学習の時間との重なり具合といったことが非常に鮮明に見えてくる。そこに、特別活動の中の、例えば中学校の学級活動、あるいは高等学校のホームルーム活動の中における学業と進路、例えば学ぶことと働くことの意義の理解、主体的な進路選択や将来設計、望ましい勤労観や職業観といったところを考えたときに、キャリア教育の観点からすると、新科目公共が中核としての重要性を特に指摘されているが、全体としてどういう役割分担が見えてくるのか、全体としてどのような住み分けが可能なのかということについて、全体像が見えるものが必要かと思う。特に探求的な学習を中核とする総合的な学習の時間と、自主的・実践的な活動を中心とする特別活動、そして教科・科目等の固有の知識・技能を学ぶことを中核とする教科、そういった特性を生かしながら、子供たちが主体的に社会に参画していくためにどういった力を付けていくのかということについての総括的な議論というのを、どこかですべきではないか。

→ キャリア教育や総合的な学習の時間との関係については、かなり近い部分はあると思う。しかし、地理歴史科や公民科という教科の中に置いているという観点からすると、倫理については先哲の考え方等の歴史があり、政治・経済については政治・法・経済という社会システムがある。社会に参画していく上においても、現代社会では社会システムを通じて、どう参画していくかということを考えていかないといけない。このため、そのシステムがどのように機能しているかやどのような役割を担っているのか、それを通じて活動するというのはどのような意味があるのかというあたりに、公共あるいは公民科は重点を置くのではないかと理解している。(土井主査より回答)

→ 横並びで同じような資質・能力が育まれる教科について全体像を整理していくべきではないかというのは、御指摘のとおり。今回、ヒアリングという形をとらせていただいていることの目的も、そういったところにあろうかと思う。全体のカリキュラム・マネジメントという中で、単に資質・能力の種類を住み分けるということではなく、究極的には全体的に国家社会の形成者として人格の完成を目指すという共通の目標があるので、各教科等のどのような特性の中で育んでいくかという構造整理を、今後お願いするということになろうかと思う。(事務局より回答)

○ 子供の協働的な学びを実現するために、大人が協働しなければできない部分もあると思う。その際、学校内での情報共有やカリキュラム・マネジメントというのが大事になってくる。

→ 子供が学ぶプロセスに関しては大人の協働が必要であるという御指摘について、例えば18歳への投票年齢の引き下げに関連して、模擬投票が今盛んに工夫されてきており、各都道府県等にある選挙啓発団体の協力の下、かなり具体的な試みが行われている。ただ、これだけでは不十分で、例えば選挙について子供たちが仕組みを理解して関心を持っても、社会に出てから仕事や子育てに追われれば、選挙のときに何党に投票していいか分からないということになる。もう少し踏み込んで、政治の本質で、どのような仕組みで世の中の意思決定がなされて政策がなされるかということに踏み込む必要があると思っている。まさにそれが地理歴史科や公民科、総合的な学習の時間との連携の非常に重要なところになる。それを今後、もう少し特別チームでも議論させていただきたいと思う。(田中主査より回答)

○ コミュニティ・スクールや学校地域協働本部が今回提案されているが、そういう仕組みの中で、学校と地域が協働できることを視野に入れて議論を進めていただくと、更に現場で今後生かされるのではないかと思うので、お願いしたい。

○ 見方・考え方というのは、各教科等において特有の見方・考え方があって、それが成長するとともに、深い学びが可能になっていくようなものということなんだろうと思う。言い換えれば、見方・考え方というのが、その教科に固有の捉え方であるということになると思う。それは非常に大きく言えば、その教科などの目標・内容の総体となってしまうと思う。それを少し区分けすると、幾つかの資質・能力になり、それを更にもっと中核部分を簡明に書くと、その教科の、例えば理科なら科学的なものの見方みたいになっていくんだということかと思う。このように、一番簡単に言える形で押し出す必要がある。最もその教科の本質に関わる部分というものを明快に言っていただけると、なぜその教科が必要かというのが見えてくるように思う。学校を離れたときに、教科等で学んだことが独自の活動として生きる場合があると思うが、そういう見通しを、この見方・考え方が与えてくれるといいのかなと思う。

○ ポートフォリオについては、とても大事だと思う。例えば生徒がA4、一枚のポートフォリオを作って、それを調査書と一緒に大学に送るというような仕組みを作れば、多少はましになるかなという気がするので、そういう凝縮ポートフォリオを作るということを、総合の解説や指導要領の中に入れておくということも考えられる。

○ 思考力・判断力・表現力とは何だろうと考えたときに、いわゆる汎用的な思考スキルと、その教科独自の思考力・判断力・表現力の両方があると思う。汎用的な方については、二種類書き方があって、一つは例えば比較関連付け思考スキルのような、そのレベルまで粒を細かくして書くパターン。もう一つは、例えばクリティカル・シンキングのような、粒の大きい感じで思考力・判断力・表現力を表現するというような形があって、それが今の表では混在している感じがする。それが教科の内容とくっつく形で思考力・判断力・表現力が書かれていて、物すごく文章が長くなっていく。もう少しコンパクトな形で、汎用的なものはこれで、その汎用的なものに対して、教科固有の思考力・判断力・表現力というのはこれということを示せると良い。

○ 本日御報告を伺って、各教科のワーキンググループでとてもすばらしい創造的な議論がなされているということに、個人的にとても感動している。在来、コンテンツ基盤でやってきたものが変わろうとしているということを、とても独創的な形でそれぞれの教科で検討いただいており、それぞれの教科ならではの味わいが出ていて良いなと思う。この味わいが多様性になっているので、それを整理し直さなければならないが、個々の教科ならではの味わいを減殺しない形でどう統合するかということが、全体の議論なんだろうと思う。

○ 小・中学校、あるいは幼稚園からずっと、今後、資質・能力ベースで育った子が上がってくる。高等学校に入学してきたとき子供達が持っている思考とか学びの構えも随分変わってくるということを前提にして高等学校を考えなければいけなくて、そうするともっとベースの力をもっていて、やれるはずだと、特に社会科では期待したい。転換期には難しい面もあろうかと思うが、力を持ってきた子供が高校で子供扱いをされるようなことが起こらないように、少し高度化する方向のイメージをお持ちいただいたらいいかなと、特に高校については全体として思った。

○ 思考力・判断力・表現力について、例えば、比較する・関連付けるというようなことは、ほぼ全部の教科で出てくる。それらの住み分けをするということも大事である一方、いろいろな教科領域やいろいろな対象やいろいろな認識方法の中で、比較や関連付けを子供たちが重なって経験するということが大事なのだろうと思う。全く様相は違うけれども、同じ「比較する・関連付ける」ということなのだと子供が認識すること。それが汎用性ということにつながるのではないか。今後は、社会科の比較と理科の比較はどう違うのか、算数、数学の関連付けと、社会科の関連付けというのは、どういう特質があるのか。それぞれの教科における比較が、他教科との違いにおいて、対象の違いや方法論の違いにおいて、どういう特質を持つのかということを、詰めていく作業が出てくるだろうと思う。

○ 各教科独自のものについて、例えば、芸術科と関連する教科、科目で言う発想や構想は芸術領域ならではの部分があろうと思う。願わくば図画工作や音楽、書道でやった大胆な発想や構想ということが、理科や社会科の実験を組んだり、いろいろな資料を吟味して議論するとき使われるといいなと思うが、その辺りがどういうことでつながってきそうか、どんなメカニズムがありそうかというようなことを、また今後議論するのかなと思う。同時に、それぞれの教科ならではの特質を整理して見ていくと有意義なのだと思う。そうした時に、文系・理系という区別がとても邪魔をしているような気がする。この区別によりカテゴライズしてしまうことによって、いろいろなイノベーションが起こっていないのだと思うので、この点は乗り越えていきたい。社会科は文系の教科だとか、理科は理系の教科だとかという思いを越えて、それぞれの教科の背景にある学問や、その学問を学んだ人間が生きていくことの意味を考えていくということに広がっていくといいなと思う。

○ 各WGの進行状況について本日御報告いただいことで、各WG等の議論を改めて大変よく受け止めることができた。今後更に、それぞれの教科等の存立について、社会に対してそれが必要だということを、言葉を研ぎ澄ませて説明していくということが必要になると思う。そういう視点からの議論を、総則部会でやるのはもちろん、それぞれのWG等でも、教科横断で見たときに、その教科が、教育課程の中ではどういう役割を果たすのか、あるいは各教科との関連でどのようにつないだり発展させていくことになるのか、そういう視点でそれぞれのWG等が方向性を示していただくと良い。

○ 総則部会で目指そうとしてきたことの一つに、分かりやすく伝えるということがあった。それを踏まえて今後の議論を進めていただけると大変有り難い。学校の先生たちに理解していただける、あるいは腑に落ちる、そういった現実の感覚を大切にして作っていきたいというのが基本的な考え方であったと思うので、その点には引き続きご留意いただきたい。

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