第5回総則・評価特別部会における主な意見

1.各ワーキンググループ等における検討状況等について

○ 学校種間の連携や接続に関して、幼・小については、かなり御議論をいただいているように思うが、小・中の間の検討はどうなのか、あるいは中・高の関係はどうなのか、義務教育学校がスタートしたりする中で、そのようなことへの目配せというのを、資質・能力等の検討のそれぞれの場においても加えていただき、整理いただくといいかなと思う。

○ 教科の本質という言葉がたくさん出てくるが、文部科学省の資料や、指導要領に、それぞれの教科の本質について明確に示すのか。あるいは、既にどこかに示されているのか。各教科がそれぞれ独立に自分の教科の本質を決めるのでは、それぞれの関連性が見えてこない。それはうちの教科でも本質ですよというのが出てくるかもしれない。そのあたりを構造化する必要がある。
→ 総則・評価特別部会がそれに対して何らかの表示が必要だと思う。(主査より回答)

○ その教科がどのような学問的な特質を持っていて、それを子供に教えることがどのような社会的な意味を持つかということは、ずっと議論されてきて、各教科の中にはしっかりした議論はあると思う。ただ、教科教育ごとの別な文脈でなされているので、相互に比較したり、統合したり整理することができていないのではないかという懸念がある。何らかの形で整理していかないといけない。教科の本質という言葉に一定程度の分節化はされていると思う。一つは、各教科領域の中で使われる鍵概念、つまり色々なコンテンツを整理統合して認識するような概念、それは既に教科の中で使われている。もう一つは、各教科の背後にある科学、学問、芸術ならではの認識なり、表現なりの方法論がある。少なくともその二方面で分節化することは、多分共有できるのだろうと思う。もう少しそれをきちんとした概念や用語で焼き付けていくことが必要。相互にキャッチボールをしながら、こことここは同じような概念に統合できるのではないかとか、これは軸が違うのではないかという概念的な整理をする必要があるのだろうと思う。

○ 教科一般が何かという定義は、はっきりしていないところもあるが、各教科は何かというのは法令的にいえば学習指導要領の目標が示している。ただ、御報告をいただいた各教科等のワーキンググループにおいて、それぞれの教科におけるイメージ図のようなものが出されていて、その教科における考え方や思考力、あるいはそこにおける知識はこのようなものだという要点が示されていると思う。それが各教科の骨子になってくると思う。今回の中教審での議論の非常に大きな特長は、教科の骨格を明確にしていくという作業なのだと思う。教えたい内容というのは年単位で増えていくわけだが、それを改めて整理して骨格を明確にする。その教科固有の思考力は何かということや、その教科固有の概念構造とは何かということを問い直して結び付けていくことなのだと思う。

○ 一方では教科横断的に資質・能力を育てるという話が出ており、一方では、内容的に教科固有の教えるべき知識・技能というものがあって、これは一番細かいレベルで、当然教科によって違う。その中間がグラデーション的にある。かなり教科横断的な抽象レベルから、領域固有のものまで並んでいる中で、どこで区切って本質というかということは難しいが、こちらで何らかのガイドライン的なものを示していく必要があるのかということについて、検討しなければならない。

○ 各教科の本質というのは、教科等の教育課程上の位置付けという言い方もできるかもしれない。カリキュラムに横串を通す視点なのだと思う。それと建具師を通す視点を合わせ、整理することが、構造化という言葉につながっていくのではないかと思うし、その仕事をするのが、総則部会なのかなと思う。

○ 欧米で行われているカリキュラム論争の一番の問題点は、教科はどのように出来たのかということ。現在の教科というのは学問領域、ディシプリンを中心に作られている。そのディシプリンで教科を組み立てるだけではまずいのではないか、といわれている。生徒の実際生活や、経験にもう少し基づいた対応をしないと、ディシプリンに基づいた教科だけでは不十分だという認識が広がってきている。同じことは我が国にも現在起こってきていて、各教科独自の視点だけではなくて、教科を束ねて総体としてカリキュラム全体で何を目指すかということが登場しているのだと思う。教科固有の論が強くなってしまって、全体としての整合性が付けにくくならないようにしたい。そのためにも、中間的な目標のようなものが必要ではないかと考える。

○ 資料1の69ページに、社会科、地歴、公民における思考力、判断力、表現力の育成のイメージというのがあって、それぞれの観点別に小・中・高と矢印が出ている。これを例えば3歳、4歳、5歳、1年生、2年生、3年生、12年生までの中で、この観点は例えば4年生から8年生までで育てたい観点だと矢印を引っ張るようなことは考えられないか。学校種ごとではなくて、年齢ごと・学年ごとに引っ張ることで、それぞれの観点は学校種の中では区切れないものだと読める。、非常に基本的なものは、ひょっとすると3歳のところから6年生のところまで引っ張らなければならないような内容もあるかもしれない。そうすることで、幼・小の連携とか、小・中の連携ということがおのずと出てくると思うので、細かくなって大変だが、年齢とか学年というところで矢印を引っ張ってみるというのはどうか。

○ 例えば論理的思考力というものを考えたときに、どのような教科でも論理的思考を使わないはずはないので、全ての教科に共通する力になるのだろうと思う。ただ、育む力について、そこに何段階かグラデーションのようなものがあって、思考力というのは全ての教科に共通する教科横断性が強いけれども、ある種の力はこの教科が強い、あるいはこの教科固有のものだというのがある。教科それぞれで議論していただいたものを、横断的に再整理して全体が骨格が見えるような作業が必要で、それが出来るのは総則の部分だろう。

○ 知識部分は学年ごとに区切れるが、思考、判断、表現の部分については学年では区切れないという論点は非常に重要。社会科で、69ページのような矢印を引いた学年を超えた発達段階というものの例を示していただいているが、各部会でも思考、判断、表現に関しては、必ずしも学年で区切れるものではない。ないしは、小学校から高等学校でどのような発達段階で育成していくかという視点を是非持っていただきたいと思っている。

2.アクティブ・ラーニングの視点と資質・能力の関係性について

■.アクティブ・ラーニングの視点と資質・能力の育成について

○ アクティブ・ラーニングというのが一つは内容理解とか、探究を促進するという、かなり内容面を促進する手段となるということと、もう一つは、アクティブ・ラーニングをすること自体がコミュニケーション力であるとか、そのような広い意味での資質・能力を育てるということにもなっているという側面がある。

○ 教科横断的な学びを通じた見方や考え方については、資料の中で、例えば「3.」として、格を上げて記載するということも、各ワーキンググループに対して出すという意味において、意味を成すのではないかと思う。ある教科を軸にしながらも、各教科等と関連させて、どのように資質・能力に展開していくのかということを、それぞれのワーキンググループのところで考え方を明示していただくということを、強調してもいいのかなと思った。今回カリキュラム・マネジメントを提唱しているのも、各教科を横断する環境を整えていくとか、そのような学習環境を支えていくカリキュラムの在り方という視点なので、その意味では、アクティブ・ラーニングとカリキュラム・マネジメントというのが別立てではなく、アクティブ・ラーニングの展開ということと、カリキュラム・マネジメントのそれは通底する。見方・考え方を育てるに当たってアクティブ・ラーニングの展開を支えていく、あるいはそれを生み出していくカリキュラム・マネジメント、教科横断の在り方ということへの言及について御検討いただければと思います。

○ 学校の先生方と関わったり、私自身も指導していると、一番難しいのは、やる気がなくなってしまっている子に対する内発性をともすということ。3歳から学力格差が生まれていっている中で、大人が描いた、我々が描いた段階的な能力、知識を習得していっている状態というのも、それほどうまくいかないという視点も考慮する必要がある。アクティブ・ラーニングという方法は、それ自体が型なのではなく、どのような段階の子供たちも教科や学びに対する興味を持ったり、内発性をともせる架け橋になる選択的な手法なのだということを書くと、先生方にとって、これは型をたくさんやらなければいけないという認識ではなくて、お困りの内発性をともすという部分に役立つ考え方なのだという理解につながるので、そこのところを強調されるのがいいのかなと思った。

○ アクティブ・ラーニングということをうたう余り、自己調整学習能力というものが軽視されてはいけない。大人が楽しい場を作り続けないと、子供たちが学びを続けられないという日本の学校になったらどうしようなどということを勘違いされている方もいらっしゃったので、学びに対する架け橋になるアクティブ・ラーニングがあって、しかも社会に開かれた指導要領の中で、子供たちがどのタイミングからも、どのような段階の困難を抱えた子たちも、学ぶということは楽しいということを思えるようになり、自分が自分で、自分の意欲をともせる能力を最終的には持った状態で、全ての人が大人になっていくということ自体がキャリア教育だと思うので、そのための重要な戦略だということが明記されたらと思った。

○ アクティブ・ラーニングが、学習指導や活動の側面のみに着目してとらえられるということは、これまでの文部科学省からの情報発信、特に三本柱の図の真ん中の「どのように学ぶのか、アクティブ・ラーニングの視点から…」というものが前面的に出されてきたことが、それを助長してきた側面ということもあるのではないか。これからの情報の発信の在り方ということを考えていく必要があるのではないか。

○ 資料2-1の冒頭、「『既に話し合い活動やフィールドワークを取り入れているので、検討する必要はない』ということは誤解だ」という趣旨の指摘がある。確かにそのとおりで、やっていればいいというものではないが、言い方はもう少し変えなくてはいけないのではないか。これまで現場の先生方がなさってきた話し合い活動や、フィールドワーク、体験的な活動というのはそこにあって、その重要さはある。しかしながら、それが活動の側面のみに捉えられているとするならば、そこにおいては改善の必要がある。つまり先生方をエンカレッジする必要があるのであって、だめですという言い方ではないのではないか。

○ アクティブ・ラーニングの目的が主体的な学習である、これは非常に重要な指摘。つまり、学びに対する意欲、あるいは興味・関心、あるいは深い学び、そのようなものをエンカレッジしていくものがアクティブ・ラーニングだとするならば、領域や対象を創造的に拡張したり、現実の面で活用することというのは、心から重要だと思っている。しかし、次のような経験があった。ある理系の大学生が試験の余白に書いた感想で、「学んだものを社会に活用したり、あるいは社会との関連性で捉えていくことについて、私は全く納得できない」と、「私は数学そのものが楽しくて仕方がない、数学をやっていると身が震えるほど興奮する」というものがあった。そのような中ではディシプリンに向かっていく学び、そこでエンゲージしていく学びということは、必ずしも否定されるべきではなくて、そのような学びも十分認知した上で、これまで足りなかった部分、あるいは軽視されていた部分としての三本柱であるということをどこかで書いておかないと、ディシプリンの中に知的興奮を見出していく若者たち、そのような若者たちを半ば否定してしまう可能性も孕んでいるのではと感じた。

○ アクティブ・ラーニングは、もちろん言語活動を中核に位置付けるということもあり得るが、最も重要なのは、見方や考え方の成長をもたらすこと。また、アクティブ・ラーニングの一つの重要な目標は生徒の主体的な学習を促進するということにあるということには同意。

○ アクティブ・ラーニングを通して見方・考え方を育てていくということが今回主張されているが、障害のあるお子さんとか、何らかの支援の必要なお子さんを考えた場合には、見方・考え方を育てるという視点が強くなり過ぎることに若干の懸念がある。もしかすると、その子が持っているその子本来の見方や考え方があるかもしれない。そのことをきちんと教師側が気付くとか、周りの人間が気付いて、それで見方・考え方を大事にしながら育てたい力として先を考えていくことも必要ではないかと思うので、育てることも大事だけれども、待つ、気付く、見取るというところも必要ではないか。

■.各教科の本質に根差した「見方や考え方」について

○ 「成長」ということに関して三つくらいあるのではないかと思う。(1)教科ごとに形成されたものが、相互に比較関連付けられて整理・統合されるということ、(2)対象領域を、当初の領域から創造的に拡張する。特に意外な領域にまで拡張してみるという経験が大事だということ、(3)現実の複雑な問題に対して複数の方法を組み合わせて適用するということ。

○ (1)について、比較関連付けによって、学んだものが教科間で整理統合されるということ。例えば、各教科ならではのものとして見方や考え方は学び取られると思うが、それが相互に比較されたり関連付けられたりする。それぞれのよさと限界、あるいは相互の異動や特質が一層明らかになることが大事だろう。それによって、より自覚的な理解として子供に定着するだろうし、あるいは自在で的確な活用ということになっていくのではないか。色々な教科で、色々なものの見方・考え方、方法を学び、それらが相互に整理、統合されていくこというイメージ。

○ (2)について、対象や領域の創造的な拡張ということ。当初見方や考え方を学び取る際には、その教科ごとの対象や領域を使う。例えば理科では、身近な物理現象、電流とその利用、運動とエネルギーなどについて理解させ、これらの事物・現象に対する科学的な見方を養う。つまり理科で学ぶのは、理科的な現象、自然科学的な現象について科学的に読み解いたり、表現するということを学ぶ。理科的な能力というのは、自然科学的な対象以外の社会科学的なものにも適用できる。つまり、当初その見方や考え方を学び取った対象や領域を超えて、広範なものに使われる、あるいは意外なものに使われる。意外なものに使われるというのが、正にイノベーションであるが、そういったことを通して、各見方や考え方に潜在するさらなる適用可能性、それは各教科を超えていくような可能性、あるいは意義に気付く。その際に、変換が必要になる。自然科学の対象に、科学的な方法論を用いるのと、社会的な事象に用いるのでは、何らかの変容が必要だが、そのときの変換の方法や原理、適用の際に留意すべき事項について理解を深めるとすると、学んだことが汎用性を持つようになると思う。

○ (3)については、現実場面で使うこと。その場合には、複数の見方、考え方を組み合わせて使うということがあるだろうと思う。一つに定まらない現実の複雑な問題の解決ということが最終的には要請されてくる。総合的な学習の時間や特活ではそのようなことが模擬的に、ある程度の水準でやられるのだろうと思うが、そのようなことに向けて、児童生徒が長期的に展開されるような探究的な学習活動をする。その中で、複数の見方や考え方、つまり複数の教科で学んだものが、横断的に使われる。それは同時に使われることもあるだろうし、時間的に、段階的に、形式的に組み合わせて適用されることもあり、その際の適用のポイントとか、留意事項ということについて、子供たちが理解を深めていく。各教科で身に付けた見方や考え方を駆使するということによって、現実の複雑な問題でもよりよい解決の方向に導くことができるのだという自信や信念、前向きな態度ということが形成されるだろう。メタ認知を働かせて粘り強くやるといったことも、そのような中で養成されると思うし、多様な他者と協働して問題解決に取り組むというのはどういうことかということが見えてくる。

○ カリキュラムにおいて教科以外に総合的な学習の時間と特別活動があるが、それらも独自の捉え方があると思う。総合的な学習と特別活動は、子供が現実の世界をどう生きるかということに関わることだと思う。各教科というのは、この現実をその教科の視点から切り取るものだと思うが、総合的な学習の時間は、様々に切り取られたものを、逆に総合する、結び付けるものであるし、特別活動は、その場を正に当事者として生きることを核としていると思う。そのようなことについて触れていただいた方がよろしいかなと思う。

○ 見方や考え方がどう成長するかということが、今はっきりしないので、観点でいうと思考・判断・表現の評価に苦労している。比較や拡張、新しい関連性を見付けること等、見方や考え方の成長に関する要素を、もう少し細かに時系列的に、各学校段階ないしは年齢段階でどのように成長させるかということをはっきりさせることが、今回の教育課程の一番重要な点ではないか。

○ 各教科の本質については、義務教育の場合には学校教育法第21条にそれぞれの目標という形で出ている部分がある。高等学校の場合には、それに当たるものがどうなるのかということもあるし、そもそも小学校、中学校、高校で教科といっているものが同じものを指すのかも、実は結構疑問である。発達段階、成長等を考えると、小学校の先生がお考えになる教科と、高校の先生がお考えになる教科は、恐らく違う。科目構成もそうだし、免許制度、あるいは養成課程というところまで関わってくる、非常に本質的な議論なのではないかと感じた。

■.言語活動とアクティブ・ラーニングの視点の関係性について

○ 言語活動とアクティブ・ラーニングの関連は大事なこと。アクティブ・ラーニングを通じて、言語力に磨きを掛けていくという面もあり、これも資質・能力を育てるという意味において大事。言語力を備えていないと、内容が深まるようなアクティブ・ラーニングにならないという意味もあって、その両方の面から言語活動が中核だというのはよく分かる。ただ、アクティブ・ラーニングをするのに必要な言語力というのは、一体どのような言語力なのか。あるいはアクティブ・ラーニングを通じて磨かれる言語力というのはどのようなものなのかというのを、もう少し検討して書き込んでいった方がよいかと思う。私の考えは四つある。一つは、まず説明するということ。自分が知っていることを、人に分かりやすく説明する。ところが、分かりやすく説明するというのは、一体どのようなことか。分かりにくい説明というのは、どのようなものか。そういったことを、あまりダイレクトに私たちも習っていない。今も教科書にずばりとそれが出ていない。二つめは、質問するということ。説明を聞いて分かりにくかったら突っ込むということになるが、質問するというのが日本人はうまくないといわれている。分からないときには堂々と質問していくということが、より有効なアクティブ・ラーニングにもなる。三つめは、主張するということ。自分の意見を主張する。これも日本人は余り上手ではないといわれている。四つ目は、主張を聞いたら反論したり、批判するということ。内容面で、どうやって反論するかということはきちんと教えた方がいいと思うが、感情的な言い方の問題もある。結論だけ取り上げて、私は反対ですというのでは、議論にならない。説明する、質問する、主張する、そして反論するというようなことが必要だと思う。アクティブ・ラーニングを通じて、このような四つの議論も磨かれていく。それを国語を中心に、各教科の中でも、各教科に応じた説明の仕方とか、主張の仕方とか、反論の仕方のようなものも、各教科ごとにも何らかの特徴があるかもしれない。そのようなことを、更に肉付けしていくというような検討を、言語活動ということに関連してやっていただければと思う。


○ 言語力の言語というのは、この書き方であると当然のように日本語、あるいは時に英語となると思うが、もちろんそれが中心だが、それ以外の記号表現もある。例えば、典型的には音楽と数学。その二つの教科は独自の記号表現を開発することによって成立した社会的活動だと思う。それ以外の教科でも、独自のある種の記号表現、例えば体育であれば様相的身体表現などあると思う。現実のいろいろな授業を見ている中で、音楽や体育などは特に思うが、時々無理に日本語に直し過ぎているのではないかと思うときがあるので、その辺は少し広げた方がいいかなと思う。

■.その他

○ 資料2-1の中にも、本来評価の議論があるべきではないか。アクティブ・ラーニングが活動に終始するのではという懸念を避けるためにも、授業改善の要となりうる学習評価との関連性は重要。資料3-1の学習評価の改善の中にも、それに対応する新しい学習指導の方法というところを加味していく必要があると思うので、2-1と3-1の関連性についても、是非書き加えていただきたい。

(主査によるまとめ)
本論点について、考え方として三つぐらいあるかと思う。
(1)アクティブ・ラーニングを通じて教科を横断するという、その意図が伝わるようにしていただきたいということ。
(2)ここには言語活動ということでまとめられているが、それは単に言葉の問題というだけではなくて、様々な表現形態を考慮していただきたいということ。
(3)アクティブ・ラーニングが目的化しないことが重要であるということは当然のことだが、それが学びに対する架け橋、きっかけになることが必要だということ。あるいは、アクティブ・ラーニングを通して成長するということは、どういうことかということも議論しなければいけないことであるということ。そして何より、子供たちがそれによって主体的に学ぶ意欲を持つためのものであるということが必要。その際に、主体は子供たちなのであって、子供を見る視点も常に持っていなければいけないということ。また、このことはアクティブ・ラーニングのみならず、教育課程全体の仲の問題でもある。

3.学習評価の在り方について

○ 指導要録が基本的に学習者あるいは保護者に対して開示されることは、あまりない。アクティブ・ラーニングとの関連で私が最近考えているのは、通知票に代表される教育評価、学習評価というものは一種のコミュニケーションであるということ。そうなってきたときに、教育評価や学習評価の説明を、どのように保護者等に行っていくのか。それが自らの学習状況やキャリア実現を見通し、振り返ることができるようにするための仕組みの在り方というところにもつながってくるのではないかと思うので、御議論いただければと思う。

○ 資料3-1の2ページ目の下の方、キャリア実現という言葉があるが、これは成熟した用語ではない。キャリア形成、あるいはキャリア開発、あるいはキャリア発達、そのような言い方はあるが、キャリア実現という言い方は、少なくとも成熟した用語ではないので、御検討いただきたい。

○ 子供たち自らが自分の成長を振り返り、自己評価をしていけるような仕組み作りということが、今後求められてくるのではないか。幾つかの自治体では、キャリアノートといったような名称の中で、ポートフォリオを学校段階を超えて引き継いでいくような流れも出来ている。そのようなものを、形成的な評価も含め、あるいは子供たちの自己評価も含め、そのようなツールとする方策ということも今後検討する必要があるのではないか。

○ 学びに向かう力、人間性ということをどう評価するか、難しいことだと思う。最近、心理学等の研究の中で、情意とか態度といわれていたものが、何か変えようのない性格特性のようなものではなくて、十分に教育的に開発が可能なもの、あるいは自分の能力に関する理解のようなことととらえられ始めている。一種のメタ知識だが、そのようなことを形成することで、結果的に好ましい情意とか、適切な感情の自己調整であるとか、粘り強く多角的に工夫をしながら問題解決に挑んでいく行動につながってくるということがいわれている。その意味では、主体的に学習に取り組む態度の中に情意的なものだとか、行動傾向であるという見方だけではなくて、それを支えているのは思考であったり、言語であったり、あるいは自己に対する知識や、人間に関する理解であるということを少し入れていくと評価しやすくなるのではないか。例えば、マインドセットというようなことが最近いわれていて、人間の能力というのは不変にして変わらないものだというマインドセットを持っている人は、どんどん失敗になったら落ち込んでいくし、自分がだめだということになっていくのですけれども、人間の能力というのはどんどん拡大して変化していくものだというマインドセットを持っていると、失敗というのは次に何をすればいいかという情報を告げてくれることになるし、万事において前向きになっていくのだという研究が、このところ動機付けの研究の中でいわれている。つまり認知や言語的な知識、理解が、情動や行動を規定するという一種のモデルの中で、学びに向かう力ということを考えることが、今回一つ追加的に大事かなと思っている。そう考えることで、挙手の回数とか、ノートの取り方というようなことにはおよそならないだろうし、逆に何を育成していくことが主体的に学習に取り組む態度や力を育成することにつながるかということの青写真が、もっと正確に見えてくるのではないか。

○ 今、我々がやっているのは、学習指導要領の構造の中での評価ということ。学習指導要領の中の評価という概念を統一しておかないと、それぞれの評価という言葉自体が持っている評価観の中で評価をどうしても語ってしまう。例えば、気を付けなければいけないのは、授業の中で子供たちを、学習プロセスの中で育成していく、そのような場面の中で伸ばすという評価、それと資質・能力をどのように育成していくか。ある意味での到達点を評価の現れとして見ていくということと、そこでの評価観の違いが大変重要になってくると思う。例えば、自己評価、総合評価というのは、現行の中での学習活動として位置付けられている言葉であり、例えば現在の学校の授業などを見ると、自己評価、総合評価そのものをもって評価に当てはめていくという事例も出てきているので、評価という言葉を、きちんと学習指導要領の構造にある評価という言い方で押さえておかないと、様々な評価の視点が出てしまうので、このあたりは相当気を付けてかからないといけないのかなと思っている。

○ 資料3-1の1ページ目の真ん中にある、資質・能力の三つの柱のうち、知識・技能における知識についてというところ、その一番最後のところに、各教科の特性や発達の段階に応じてどのような知識・技能を獲得することが求められるかを明確にできるように工夫することと書いてある。もちろん、これはそのとおりなのだが、思考・判断・表現についても全く同様であるということが抜けているのではないか。知識・技能で強調するならば、思考・判断・表現も、発達の段階に応じてどのように獲得するかを明確化できるように工夫することというのが是非とも必要ではないかと思っている。

○ キャリア教育や自己学習のコントロールというようなことに関しては、一度イギリスでレコード・オブ・アチーブメントというものの国家版の、国レベルのナショナルレコード・オブ・アチーブメントというものを作っていた。学習目標の設定や、自分の学習活動のコントロールを目指した一種の評価の方法で、自己評価も出ていたが、余りに負担が大きく、大変時間が掛かって難しいということで、やめてしまったという事例がある。

○ 学校では、今回「論点整理」で示されたアクティブ・ラーニングの導入や、三観点など新たな学習評価への対応ということで、正にカリキュラム・マネジメントを有効に機能させていくことで、不断の授業改善を進めて対応していくことの必要性を認識し、それらへの対応をこれから検討していくことを期待している。高等学校は、小・中学校と比べて、観点別学習状況の評価への取組について、また理解やスキルの向上といった点で課題が顕著であり、また高校に特化して見ても、学校間で温度差が伺える状況である。現行の四つの観点で、関心・意欲・態度については、ほかの三つの観点と関連づけを図りながら評価の取組が具体的に進められていることが、高校においても取組を工夫している状況が見られる。神奈川県で先進的に授業研究に取り組んでいる県立高校の例を紹介すると、主体的に学習に取り組む態度を、知識・技能、あるいは思考・判断・表現と関連付けを図りながら、単元のまとまりの仲で、具体的に取り組んでいくことができると、授業実践を通じて自信を高めてきている学校もある。今回の学習指導要領の改訂二よって、「論点整理」に示された三つの観点に改善されることについては、先進的な高校での取組を見ても、楽観視はできないものの、比較的円滑に移行できるのではないかと期待を持っているところである。

○ 次に、指導要録の在り方について注目したい。現在、高校の通知表も、教育委員会の指導や学校の工夫によって様々なタイプがある。その中で、観点別の評価については通知表に欄を設け、高校においてもABCの三段階の記載をしている。通知表に観点別評価を記載することで、生徒や保護者に説明する際に、観点ごとに学習状況についての理解を図り、また努力を要する観点について今後の学習改善を指導する拠り所となっている。通知表に観点別の評価を記載しているものの、高校の場合、現状、指導要録には観点別の記載が様式の点からも示されていない。指導要録の様式について検討を図り、高校においても学校での授業実践を通じて評価を行っている観点別の記録も、指導要録に残す方向で検討していく必要があると考える。

○ 主体的に学習に取り組む態度における、観点別評価を通じて見取ることができる部分と、個人内評価を通じて見取る部分というところについて、学校の生徒の状況を見てみると、校種間の連携、接続ということは、非常に大事だと思っている。中学校サイドでも、小学校までの学びの定着、学び直しの必要性が、中学校の教科教育の段階でも出てくる。また、高等学校においても学び直しが入っているということを考えると、特に生徒個々の状況を見ると、個々の状況に応じて個人内評価をいかして、まさに学びの意欲・関心を高めながらということがつながっている。支援を必要とする子供に関しても同じであり、発達障害の生徒等、それぞれ個々に対応していく取組や、学校として教職員全体のスキルアップが必要であると感じた。

○ 観点別評価について、毎回の授業で全て見取るのではなくて、単元(題材)を通じたまとまりの中で指導と、それから評価等を適切にデザインしていくという、正にこの重要性ということについて、これは長年目指してきたところだと思う。学習評価の改善ということを議論していくに当たって、現状をどのように捉えるか、そこをしっかり押さえた上で在り方を議論していくというのが非常に大切なのかなと思う。そうしたときに、学習評価に関して非常に先端的な取組等がある一方、観点別評価自体が果たしてどれほど定着しているのかという視点もある。私の実感としての認識は、まだまだここのところが浸透しきれていないのではないかということ。どのように底上げをしていくのか、あるいは全体的な学習評価に関わっての水準の維持、そちらへの目配せというときに、単元、題材の構成の中で評価の在り方を考えていく。その定着をどのように図っていくのかということも、この改善の検討の中には位置付けておく必要がまだあるのではないか。

○ 前回改訂時の教育課程部会の報告書では、思考・判断・表現に関わる能力について、学年単位ではなくて、長期間を掛けての成長のレベルを幾つか想定して評価規準を設定していくことが大事で、それを研究してほしいというように書いてある。この時点ではまだ明確にはできなかったということだが、それを実際に組み込まないと、思考力を育てるのができないのではないか。おそらくは、パフォーマンス評価のようなものも具体化する必要があるのだろう。

○ 総則部会の資料として、評価の三観点に関連する国内外の実践例とか研究例について、適切なものがあれば、資料として出していただけると、議論が具体化すると思う。将来的には、指導資料のようなものとして具体的な評価規準のようなものを早目に準備して、このようにも出来るし、あのようにも出来るということを出してほしいと思う。観点別評価を各教科ごとに、また各学校段階ごとにきちんとやろうとしたときに、膨大な作業が必要で、全国で研究が進むと思うが、スタートとして具体的なものが見える必要があると思うので、示していただくことを検討いただきたい。

○ 学校の先生方は今、例えば目標とか、身に付けさせたい力というものを指導案に挙げているが、それを学習指導要領の内容をそんたくしながら、目の前にいる子供たちの現実に合うように書き換えてくる。そうすると、指導要領の内容とのずれが生じることもあるので、今回、できたら指導要領の内容、特に指導事項の項目に、例えばここに書かれている知識・技能であるとか、思考・判断・表現という項目については具体的な内容を、先生方がそのまま(言い方は悪いが)コピー・アンド・ペーストできるような形で示していただく。それによって先生方は単元の指導がしやすくなる。その際に、三観点をトータルに一つの単元の中で見ていくという構造化をしてできるだけシンプルな形にしておいた方が、学校の先生たちの今の忙しさの中でいえば、非常にやりやすくなっていくだろうと思う。だからこそ、学習指導要領の内容や構造が、今回重要に考えなければいけないことだと思う。学習指導要領の構造、各教科との間で内容の往還ややりとりや評価の間のやりとりを、この部会でやりながら固めていくという方向が、非常にいいのかなと思っている。

○ 今回、これだけ主体的な学びとか、見通す力とか、振り返る力ということが出てきているので、自己評価ということをもっとどこかで書き込めないかという気がしている。究極の評価は自己評価だと思っているが、先生からどのような評価を受けようが、結局それを自分が情報として受け取って、自分の学習をどう改善していくか、そして出来ぐあいがどうであったかということを自分で評価して次に生かす。教師がPDCAをするだけではなくて、各学習者が自分でPDCAを回す。それが自己調整学習ということだと思っている。そのときに、例えば実践例としては、総合的な学習の時間などでは普段からポートフォリオを自分で充実させていって、ひとまとまりの学習をしたときに自分で自分を評価する。それを先生とも突き合わせながら、先生と一緒にこれからの改善を考えていくというような実践がある。特別な例ではあるが、通知票を自分で作らせるという実践もある。主体的な学びをするというからには、人から評価してもらうというだけではなくて、それはあくまでも情報である、自分でそれをどう生かして学習を回していくかということにつながるような自己評価を促すということが何らかの形で入ってくるといいかなと思った。

○ 評価の観点について、先ほどの三つの柱で整理するのはもちろん結構なのだが、個別の問題がいろいろあり、外国語が同じ言語にもかかわらず、国語は「話す、聞く」で一観点、「書く」で一観点、「読む」で一観点なのに、外国語に関しては「外国語表現の能力」で一つ、「外国語理解の能力」で一つ。同じ言語なのに、観点の分け方が異なっており、検討の必要があるのではないか。資料の中で、教科の特性によって観点の具体的な表現や内容は多少異なるということが指摘されているが、この点も各教科もう一度よく考えていただきたい。

(主査によるまとめ)
本論点については次の二つの考え方がある。一つは、学習指導要領の中で評価が示されるような形で考えていただきたいということ。もう一つは、評価の水準を考えていくということも、新しい視点としては重要ではないかということ。

4.全体的な観点からの意見交換

○ 最近、地域から相次いで相談を受けたので報告したい。たとえば福祉施設では、学校のニーズに応じて、小学校への出前講座や中学生向けの体験活動を提供し、中学のキャリア教育の受け入れをしているが、単発であったり、学校や担当の先生によってばらつきがあるので、施設として学年ごとに提供できる学習内容を整理したいと考えているということだった。また小学校3年生がまち探検で企業を訪問する時、ある先生のクラスは来るけれども、隣のクラスは来ないこともあるという話もある。どの教科にも共通だが、今後は社会に開かれた教育課程としてつながりをどう作るか、この部会で示すことが大事だと思う。それはアクティブ・ラーニングの学びの場面でもある。教育の理念や教育課程の方向性は、教育関係者だけが読むのではなく、色々な立場の人がそれを理解して、よりよいプログラムを提供しようと努力している。そのような方たちにもメッセージがきちんと届くよう、社会の様々な立場の人が読むことを前提に総則が書かれたらと思う。

○ 「技能」というものについて、もう少し具体化した形で書き込むようなことをお願いしたいと思う。各教科のワーキングの中で、その教科独自の特質に応じたところでの技能に関わるアクティブ・ラーニング、あるいは評価というようなことは議論されているが、技能に深く関わる教科で共通するところの引き取りとして、総則・評価の資料として書き込んでいく必要があると思っている。例えば、知識に関しては、構造化というようなことが言われている。概念的な知識の獲得という表現があるが、技能に関しても構造的に習得をしていくというようなことが、恐らく体育などは特にそうだと思うが、他教科の音楽等々にもあろうかと思うので、そのような視点での書き込みが必要ではないか。

○ キャリア教育については、生きる力の育成にとって、これからも一層重視していく必要があると考える。今回、新科目に公共が検討されている中で、キャリア教育も大きく構造上の変化が出てくるのではないか。キャリア教育を通して教科横断的に資質・能力を育てていく上で、特に、教科横断的に課題を発見し、また、課題を解決するという学習活動については、総合的な学習の時間に特化されてくるのではないかと推察できる。学校の方では、従前の特別活動で行われていた進路指導の部分とキャリア教育の切り分けがどうも明確でないところが見え、本来、特別活動で行う進路指導を総合的な学習の時間で取り組んでいるところも少なからず伺える。こうした中で、キャリア教育と進路指導との関係も明確にしていきながら、今回の総則の中で整理をし、また、もう一度改めて特別活動の中における進路指導の意義やあり方を整理していく必要があるのではないか。これは、アクティブ・ラーニングの視点から、教科横断的な課題研究などをかなり意識して取り組むという上でも、総合的な学習の時間をこれまで以上に有意義な活動の時間としていくことが重要と考える。

○ 特別支援教育について、高等学校において、肢体に障害のある生徒、また発達に障害のある生徒については、入学者選抜を経て高校に入学し、在籍しているという状況ではあるが、近年の発達障害の生徒の状況を見ても、非常に多様化している。それぞれの生徒に合った個別の教育支援計画あるいは指導計画を、より一層しっかり作れるだけの教員の資質・能力が求められる。また、生徒に身につけたい知識やスキルについてどのように定着を図っていくのか、生徒への対応をも含め、今回の指導や評価を考える上で非常に大事だと考えている。神奈川県では、県立高校全体で、近年増加している発達障害の生徒に対する受け止めをどのように考え、実際に指導を通じてどのように対応していくのかなどを検討している。これは特別支援学校の地域センター機能も活用しながらということになっていくが、学び直しが必要な生徒、それが学習障害に当たっているのかどうかということ。もう一つは、外国につながりのある生徒について、全体の中で取り組んでいこうということ。もう一つは、発達障害の中でも重複がある生徒について、実際には軽い知的のある生徒への受けとめ、これも学習機会の拡大を考えていこうということで、これからどのように、小・中・高の連続性のあるというところで支援を必要とする生徒を受け止めていくか。特に高校段階においては、通常の学級で在籍させての指導になる。小・中学校のように、通級指導や特別支援学級ということが高等学校の場合、現行の指導要領の中にはない。そのようなことを十分踏まえながら、こうした障害のある子供たちに連続性のある指導、あるいは学びの機会の充実ということも検討していく必要があると考えている。

○ 今回の教科ごとの検討の資料の中で、キャリア教育の中核機能という言葉が公共のところに記載されているが、企画特別部会の議論の中でもずっと話題になっていた、全ての教科はキャリア教育を担っているのだという、教科の中の思考力、判断力というものそのものがキャリア教育としてすごく重要なものなのだということを、先生方がきちんと理解できるように、総則の中では先生方がその観点を持って生徒と接していただけるような記載をしていただけたらと思う。

○ 部活動について。教育課程全般のバランスを見たときに、具体的に記入することは難しいかと思うが、現行学習指導要領で部活動についての記載は中学校と高等学校で同じ扱いになっている。特に中学校は公立が非常に多いので、義務教育での部活動の在り方は若干高校と表現を変える必要があるのではないか。

○ 資料1の63ページの公共の説明のところで、キャリア教育の中核機能として特に経済的主体となる私たちというところがあるが、これは若干誤解を招く表現ではないかと。いわゆるライフウォールを全て包含するものとしてのキャリアなので、政治的主体であったり、あるいは家庭での役割であったり、そのようなものを含んでいくキャリア教育の位置付けというのは、平成23年の答申以来継承されているかと思うので、その整合性を図っていただきたい。

○ 新科目公共と、特活、総合との関係について、公共又はその他の教科は、中心としては何を知っているか、何が出来るかというところになってくるかと思う。それがどのように世界と関わっていくか、よりよい人生を送るかというところに軸足を置くものが、恐らく特活になっていくのだろう。総合については、各学校で目的や内容を決めていくので、ここをどのように続けるのかということは極めて難しいだろう。ただ、総合が探究的なアカデミックな学習活動であるにもかかわらず、いわゆる特活との変わりがないような扱いになってしまっているところが見て取れる。それについては是正を求めていく必要があると感じる。

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-- 登録:平成28年03月 --