第4回総則・評価特別部会における主な意見

1.情報ワーキンググループにおける検討状況について

(事務局から資料に基づいて説明の後、堀田情報WG主査より下記の通りコメント)
○ 情報に関わる資質・能力といったときに、扱うものは二つある。一つはICTをはじめとする様々な情報手段。もう一つは、その情報手段を経由してやってくる情報。情報そのものをどのように読み取り、どのように整理し、どのように構造を考えて相手に伝えていくかという情報そのもの。ICTを各教科等で使うというのは、情報手段の話になりがちだが、それを使うことによって情報の取り扱いをしているという意識を子供たちにしっかりと身に付けさせたいと考えている。

○ 分野の現状については、情報活用能力調査の結果を御覧いただきたい。整理された情報を与えると、それを読み取るということはできるが、ホームページを渡り歩いて、関連させながら読み取るみたいなことがなかなかできていないということが分かっている。

○ またローマ字入力が極めてうまくできないということが分かっている。例えば小学校五年生で平均で10秒に一文字ぐらいのペース。非常に学校間格差・指導の格差がある。

○ 前回の学習指導要領の改訂の時期に比べると、スマートフォン等の発展は著しく、これに伴う様々な情報モラル上の課題が起こっていて、しかもそれが低年齢化している。また、人工知能等がこれからどんどん出てきて、どういう処理をしているのかということが私たちに分からないまま進んでいく可能性があるので、例えば高等学校の教科情報においてはもう少し科学的なことをしっかりとやる必要がある。

○ 今のような現実を踏まえ、現状の総則には「コンピュータで文字を入力するなどの基本的な操作や情報モラルを身に付け」と書いてある。「身に付け」というのはかなり強い言い方だと思う。総則に書いたことがしっかりと実現するようなカリキュラム・マネジメントに非常に強く期待するところ。スマートフォンやタブレットの普及により、生活の中でキーボード入力の機会が少し失われつつある。まだしばらくの間はキーボードから文字を入力してレポートを作成するとか、プレゼンテーションを作るといったことは恐らく当面はなくならないだろうという考えのもと、キーボードの基本的な操作についての指導をどのように教育課程に位置付けていくのかということは大切なことだと考えている。高大接続の関係でも、CBTの導入により、ちゃんとコンピュータで自分の考えを書き、それを採点するという形で進んでいることを考えると、キーボード入力ができないというのは、大学入試の問題等とも関係してくるだろう。

○ 情報モラルというのは大きく分けて二つのことをやっている。一つは、ICTでコミュニケーションをとる際に相手を大事にするという、いわゆる本当のモラルのようなこと。もう一つは、情報セキュリティや情報安全について。スマートフォンの保持の低年齢化と、情報モラル、とりわけ情報安全の部分をどのようにやっていくかというのはカリキュラム・マネジメント上重要なことかと思う。

○ 「各教科等における情報に関わる資質・能力の育成」について。全体の方向性、総則のところについては、情報手段の基本的な操作及び情報セキュリティ、情報安全についてカリキュラム・マネジメントで明確にするということを学校現場にしっかりと確実にやっていただく仕組み、仕掛けをお願いしたいということ。
・ 国語については、様々な情報がメディア経由でやってくる現実と、それをちゃんと読解できるかどうか、そしてそれをメディアを使って表現するということが多くなっている現実を考えると、国語の指導の中で、例えばプレゼンも含めた、メディアの特徴や効果と、相手に伝える、あるいは相手から伝えてもらうということの関係をしっかりと押さえることができないかと期待しているということ。
・ 社会科については、人々の意思決定に情報が使われているということ。これが情報社会であるが、そういったことを確実に理解させたいと考えている。
・ 体育・保健体育について、心配なのはネット依存。子供たちがネットから離れられない、スマートフォンから離れられないという現実があって、そのことが彼らの可処分時間をかなり食っているという現実がある。こういうことに対して、基本的な生活習慣の観点から指導するという方法もあるだろうし、生徒指導の観点からということもあるかもしれない。中毒性の強いネット依存に関して、自分の健康を考えてどういうふうにやっていくかということは、保健の教育内容として押さえられる部分も多少あるのではないかと期待している。
・ 総合的な学習の時間については、まさに情報をどう取り扱うかという学び方のことと、そのときに情報手段をどううまく使うかということがあるので、今後も期待するところ。
・ 特別活動については、直接体験を大事にする分野かと思うが、人間関係上のつながり、集団のつながりにネットが頻繁に使われる、そういう時代なので、そういった社会の現状を踏まえた書きぶりになるとありがたい。

(以下のとおり、総則評価特別部会の委員よりコメント等)
○ 資料2-1の8ページ、「全体の方向性、総則など」の項目の二つ目の丸が各教科等との関係について書かれており、最終的に情報手段の基本的な操作をどのようにできるようにしていくかをカリキュラム・マネジメントの中で明確にすると書いてあるが、それだけでは足りず、各教科等の中で子供が学習する情報を、情報教育としてどのように処理のプロセスを見ていくかというようなことについて、もう一個丸を増やすか、この中に書き込むかするのがよいのではないか。

○ カリキュラムの議論においては、各領域、各教科等でやっていくと、どんどん盛り込むものが拡大して、カリキュラム全体が膨れ上がってしまうということがあろうかと思う。アクティブ・ラーニングの視点を入れることでICT利用を進めるということは方法に関することで、これはむしろ時数的には従来のことの質を上げつつ、時数を圧縮して効率化できるという方向に働く可能性があって、なおかつ、情報活用能力が身に付くという一石二鳥的な方法で良いと思うが、一方で、各教科等に新たなコンテンツをお願いしているということもかなりあると思う。例えば、芸術関係の教科で、美術や書道について、知的財産の意義について理解するということがあって、なるほど、とても大事だと思うが、図工のように時数がないところに、これがまた入ると、図工や美術の人としては、無理があるのではないかという話になる。情報ワーキングの方で御議論いただいたり、また、全体でも考えることだと思うが、いろいろな時代の変化や、新たな要請の中で、コンテンツはどんどん追加事項として増えてくる。これは時数をむしろ増やす方向に行く。例えばICTや情報というコンテンツを新たに入れることで、従前、図工なり書道なり国語なりでやっている教科のある部分がむしろ不要になるとか、あるいは何らかの形で圧縮できるとか、あるいは部分的に代替できるとかっていうことが出てくるといいよい。スクラップ・アンド・ビルドということができるといいなと思う。情報の領域にはその可能性がある。各教科等ごとというよりも、情報の領域やICTを入れることで、原理的に、従前アナログにやっていたものが効率化されたり、この部分がコンテンツ的に置き換えられるとか圧縮できるといったようなことは示せるのかお聞きしたい。例えば、ローマ字の入力する力は大事だと思う。国語においては傍流のローマ字指導も、情報の領域が入ってくることでその意味が変わってこざるを得なくなるだろう。同時に、何か他の部分を圧縮できないかと考えた時、ローマ字入力になっていくのであれば、もう手書きということが減ってくるということもあり得るだろう。そうなると、例えば漢字の書き取りとか漢字の指導について何らかの方針転換とか部分的な割愛は可能なのか。国語の人から猛反対を受けそうだが、可能性を考えてみるという方向に行かないと、どんどん増えていく。例えば、漢字のとめ、はね、はらいの指導というのは、今後もあの丁寧さでやり続けていくのか。再生できなくても、再認でいいのではないか。大胆過ぎる意見かもしれないが、長期的にICTが入ってきて、まさに僕らの暮らしが変わっていくとか、リテラシーそのものの概念が変わっていく中で、そういうことまで一度考え始める時期なのではないか。

→ スクラップ・アンド・ビルドについては、全くよく分かる議論。情報ワーキングでまだ十分にそこをお示しできるほどのことはないのと、もう一つは、各教科等のことの内容まで、余り私どもが言い過ぎてもいけないなと思っている。しかしながら、ローマ字の指導等、各教科等で今行われている指導とつなげることでうまく時数がその部分で減らせ、かつ、その後の学習活動がよりやりやすくなることによって、全体の指導時数が減っていくということは十分に考えられることだというふうに思う。今、ICTが子供の学習の活動としては余り活用されていないので、教科書のデジタル化等も、子供の端末にそれが十分に使いやすく入っているという状況には今のところはないので、そういうものが備わってくることによって指導が効率的に進むというのは考えられることだと理解している。

○ データや資料の収集に関わることが、情報だけではなくていろいろな教科等に関わってくる。いわゆる中間的な目標、例えばデータの収集、選択、そしてその価値の判断というような中間的な目標は、例えばこの情報から出てくるのを見ても、いろいろな教科等において、目標として掲げる必要があるのではないか。高校生を見ていると、インターネット等で得た情報をそのまま信じてしまう。情報の真偽、価値の判断ということをもっと強調された方がいいのではないかと思う。

→ ネット情報をうかつに信じるということについては、本当にそのことが様々な生徒指導上の問題になっているが、どうして信じるのかというと、相手を信じましょうという学習が一方ではされているわけで、一方で情報については安全の観点からこういう点は大事ですよということをしっかりと知識として子供たちに伝えていくということが、どこかで教育課程上ないと、今のことが続くのかと。生活の中だけでは学べないことかなと思う。

○ 情報そのものの扱いをどういうふうに各教科等の中で、あるいは総則でしっかり書くかということについては、私としても同じ考え。各教科等の様々な学習活動の中で、教科等としての目標のみならず、情報の扱いに少し取り立てて際立たせるようなことができればと考えている。

○ アクティブ・ラーニングが今後大事にされる中で、思考・判断・表現の評価ということが必要になってくる。以前から思考・判断・表現の評価ということの中には、形成的な評価が必要だということは私も述べさせていただいているが、そういうときに、先ほどのICTの活用が思考の可視化や学習過程の記録にたけているということからすると、その中でICTを活用することそのものが子供のデジタルポートフォリオのような形になって、形成的な評価にそのままつながっていくような、そういう強みがあるのではないかと思うので、そういうことがこの強みの中に盛り込まれていくとよいのではないかと思う。

○ 情報をうのみにしないということについては、論点整理でも話題になっている批判的思考力というところと、この情報活用能力というところの関わりが上手に説明されるといいのではないかと思う。

○ 今ここで議論しているのはデジタル情報だけのことで、そうであるのが当然なのかもしれないが、情報という教科の中で「情報」とはそもそも何かというようなことは記しておいてもよいのではないか。

2.体育・保健体育、健康、安全ワーキンググループにおける検討状況について

(事務局から資料に基づいて説明の後、野津体育、保健体育、健康、安全WG主査代理より下記の通りコメント)
○ 安全・食育・心身の健康のいずれも様々な社会の変化や、それに対応すべく整備されてきた法律、基本計画等を踏まえると、また、これから先のおよそ10年間の変化を見据えると、学校教育全体を通して指導の充実を図るという必要性があるという認識はワーキンググループにおいて強く共有されている。まずは総則の書きぶりにおいて、これまで一つの柱として、安全・食育を含む健康と体力について書き込まれているわけだが、この改訂における総則においては、さらにもう一歩踏み込んだ書き込みが必要ではないかという意見が強くあった。学校教育全体でという表現で、とてもいいのだが、とかく現場では通り一遍で受け止められてしまいがちで、結局、どこも何の責任を担って評価していくのかというようなことが見えないままに、結果的に保健体育を中心にというフレーズの中で、その保健体育の保健のところでやる程度で終わっていたり、あるいは特活等々でも頑張ってはいただいているが、そういう状況を打開する状況があろうかと思う。通り一遍でうたっているように受け止められないように、各学校でのカリキュラム・マネジメントにおいてしっかりとこれらの教育が位置付けられるような記述が求められている。本日の資料3-1の「カリキュラム・マネジメントの実現」が、総則を読んで描けるような書きぶりが必要。特活、道徳を含めて各教科、あるいは個別指導も含めて、そうした特質、独自性を十分考慮した内容を教科横断的にできるだけ明確に示すということが課題としてあろうかと思う。

○ 小学校体育、中学校及び高等学校の保健体育における保健と体育という中での保健学習の配当時間は極めて限られている。例えば中学校では三年間で48時間が保健学習。わずか48時間。こうした限られた時間の中で、今、重要だと言われる安全、食育、心身の健康というのに関わって、あれもこれも入れ込むというのはあり得ない。その際によく教科としての、保健体育としての特性、独自性という視点からどういう内容がそこにふさわしいのかを考える必要がある。その際、安全、食育、心身の健康の共通性という視点も精選の上では重要。それから、さらには発達段階ということを踏まえて健康課題というのもある程度絞れていく可能性はある。そういったことからプライオリティを十分考えて精選していく。スクラップ・アンド・ビルドのような作業が今後の重要な課題になってくる。情報教育においても総則の書きぶりのところは共通すると思うが、ネット依存については、WHOではまだ病気というような位置付けではないが、アルコール依存等の依存という文脈で巻き込むことができればある程度可能かもしれないが、慎重にそこの辺りは検討していかなければいけない。

(以下のとおり、総則評価特別部会の委員よりコメント等)
○ イギリスにおいては、科学教育の中でアルコールについて、ドラッグについて、やはり教えるべきではないかということになっている。これまでの科学教育は余りにも大学で科学の分野を専攻することを想定しての教育になっていた。もう少し一般市民向けの科学教育ということを考え、例えばアルコールの問題やドラッグの問題を科学教育の中に入れるべきではないかとなっている。健康・安全の方でも、例えば生物の中でというように、各教科で御願いをしていくようなこともあり得るのではないか。

○ 総則における書きぶりについて、健康・安全の部分については総則の一般方針のところに出ている。そういう意味で言うと、位置付けもかなり重要なところに位置付けられている。また、こういう表記で書かれているという意味では、教育課程上、総則としての位置付けは相応のプライオリティを既に認めて、そしてそれを明示しているというふうにも捉えることができるのではないかと思う。その上で、さらに書き込むという場合の書き込み方について、こういうふうに動かしていこうとか、さらに変えていこうとか、そういうことが部会の中で意見が出ているということであれば、加えて御説明をいただきたい。

○ 情報や健康等は、俗に言う〇〇教育の扱いを総則上どういうふうに扱っていったらいいのか、それについての一つの提起でもあったというふうに思う。改めて総則上の位置付けというのも、検討しなければいけない課題であると思う。

→ 総則の中で一般方針のところにしっかり健康等に関しては書いてあるということだが、教育基本法の第一条のところに、心身ともに健康な国民の育成という、そこにうたってあるものなので、そういったところにしっかりと一つの柱で書かれていて当然しかるべきことだというふうに思う。そこに書かれているにもかかわらず、実際の授業の実践、教育の実践といったときに、かなりギャップがある。そういう問題意識を強く持っている。具体的な書きぶりということに関して、ワーキングの中で具体的に意見が出てきたりまとまっているわけではない。個人的には、総則を読む範囲では「この教科を中心に」、「こういったことも関連しながら」というところにとどまっているがゆえに、この食育にしろ、安全にしろ、心身の健康にしろ、どういうふうに全体で進められるか、具体的にやられることになっているか把握できない。小学校は全教科ということがあるかもしれないが、教科担任制の中・高になると、保健体育の教師は保健体育の保健の中は分かっているが、では家庭科で食に関してどうなっているかというと、なかなか難しい。もちろんそれを手元において見るということもすればよいが、せっかく総則があるので、そこで全体の枠組みが見えるような書き込みが必要。(野津体育・保健体育、健康、安全WG主査代理より回答)

○ 本来はどこかの教科が中心になって例えば安全教育を担当するようなものではない、ということではないか。資料3-1の7ページの左側のところで、例えば特別活動に関して小・中・高、抜粋して記載がある。そこには健康という言葉と安全という言葉とが結び付けられた形で記載されている。健康との結び付きというものがどれぐらいWGで御議論されたのだろうか。防災のような面まで含めると、どうも一般に考えられる健康・安全というものとは異なるような印象を受ける。健康教育と安全教育との接点というのがどういうものなのかということについて、お聞きしたい。

→ 健康教育と安全教育の関係については、少なくとも、いわゆる保健教育の中に安全が含まれているゆえんは、安全教育そのものというよりは、安全が侵されたときのけが、命を守るというところで保健が引き取っている。したがって、けがの防止であり、傷害の防止ということ。例えば防災教育といったときに、自然災害自体を防ぐことは保健教育では位置付けられてはいない。それに伴って引き起こされるけがや感染症等、健康、病気に関わるところを保健は引き取るので、自然災害、防災のところは今回、社会科や理科で、その対策等自体について位置付けられるのだろう。では、交通事故、それから生活安全の防犯も含めて、それ自体を防ぐことを保健体育の中の保健学習として引き取っていくというのは守備範囲外になってくる。これまでは教科横断的なことの強調はされながらも、こういったことを踏まえて、より厳しい精査はできていなかったところがあろうかと思うので、今回、これまで以上に精査して、教科横断的なカリキュラムという発想できちんと整理をする良い機会だろう。(野津体育・保健体育、健康、安全WG主査代理より回答)

○ 全体としては、安心・安全を脅かされる存在としての子供というイメージを強く受ける。逆に、情報教育とか道徳教育とか特活に関わって、ほかの子供の安心・安全を脅かす可能性みたいなものが余り見えてこない。そういう視点が入ってくることによって、いろいろなところとのつながりが強くなるように思った。

○ いわゆる○○教育について、教材や方法を変えることで〇〇教育が結果的に実現されるような、コンテンツを増やさないでやれるやり方と、新たにコンテンツとして入れていかなければいけない部分が、それぞれの〇〇教育にはあるはずで、それを腑分けができると良い。

○ 安全・健康・食・防災というのはかなり違うというのは分かる。それぞれ領域固有知識があるということ。つまり、問題解決の一般方略を身に付けてもだめで、領域特殊的な知識とか経験とか構えというのは重要だという面がある。しかし、それをするとまたカリキュラムが膨れていってしまうし、ばらばらといっぱい頭に入ったということになってしまうので、一つのやり方として、そういう領域ごとの問題解決的な教育をしつつ、一方で形式とか論理とか追究の仕方とか構えということでは、共通項は幅広くある。健康であるとか安全であるとか環境を保全するとか、さらには異文化と触れ合うとか、そういうことに共通するような身の処し方、社会との関わり方、自分の見つめ方、情報の取り扱い方、処理の仕方等、一定程度一般化可能な、市民として自分がよりよく生きていくための問題解決方略であるとか、情報との向かい合い方というのは抽出可能で、それを多様な領域、多様なトピックについて繰り返しやっていって、結局、似たようなことをやっていると子供が思うということが大事なのだろう。そういったことを、総則のカリキュラム・マネジメントの示し方、その仕方の戦略をこれからこの部会ではかなり精緻に考えていかなければいけないと思った。

○ 資料3-1の9ページを見ると、既にカリキュラムコンテンツとして「そこにあるもの」がまとめられている。こういった一覧性の高いものが、今まで学習指導要領総則の解説を見ても、先生方の手元には届いてこなかった。こういうふうなコンテンツの中に既に入っている要素を見出すところから各学校や先生方に任されてきたところがある。今回は、学習指導要領そのものが多くの方々が読んですぐ分かる、簡略なもの、明解なものを目指すということになっている。今現在の解説に相当する資料で、どう分かりやすく、カリキュラム・マネジメントを前提として、既にあるコンテンツを体系化して、一覧性の高いものにしていくかということの重要性について、大きくヒントを得たし、こういったものが、カリキュラム・マネジメントの一つのきっかけになっていくのかなということを強く感じた。全ての教育活動を通して行う指導の計画を立てるということが、先生方にとっては非常に負担。特に経営を担っていらっしゃる校長先生、あるいは教務を担当しておられる教務主任の先生方には非常に負担である。しかし、指導計画と育成すべき力が立案されていないうちに評価は当然できないので、そういったものをしやすくするような資料をどう私たちが作っていくのかということの大きなヒントが今回の資料3-1にあったかと感じた。

○ この分野については教員研修センターでも結構な時間を費やして、指導者養成研修というのをやっている。分類としては体育に関わって体力向上指導者養成研修。健康・安全・食育は、三つのコースを一つにまとめて健康教育という概念。安全教育といえば生活安全、交通安全、防災という、この三つの領域を満遍なく認識してもらう。そういう枠組みの中で、例えば健康教育のコースには保健主事及び養護教諭が大半参加する。食育はもちろん栄養教諭が参加する。安全については震災以後、教頭先生クラス、あるいは生徒指導の分野でも、大分広がってきたような気はするが、昔の感覚で言うとやはり体育。学校全体としてのカリキュラム・マネジメントというところまで、研修としても頭がいっていないし、そこに参加する人たちも見えていないだろうという想定ができる。そのことを何とかしなければいけないということは大分前から私も思ってはいるが、教科縦割りということと職種縦割りという、大きな壁がある。そこがこれからしっかりやっていかなければいけないことだろうなというふうに思うし、部会の方でも是非、カリキュラム・マネジメントにまで展開できる、学校を挙げてという辺りの論拠、あるいは総則にどう書かれるかということ、そのことも総則部会で検討していっていただければ、研修ももう少し質のいいものになるかと思う。

○ 体育・健康に関するところというのは、やはり学校教育全体でどういう取組をしているかという、道徳教育と同様に全体計画があって、そして学習活動していって評価があるということにつなげていくべきではないかと考えている。最近、心身の健康の保持増進について、中学校でも高校でも関心が高まっている。昨今、少子高齢化、また、様々な病気が医学の進歩によって明らかになってきて、それに伴って疾病構造も多様化、複雑化している中にあって、この健康保持増進を目指しての自らの健康管理ということ、また、疾病予防についてということ、基礎的また実践的な知識、理解という点で、生徒の関心が高いというふうに見ている。今回、アクティブ・ラーニングの視点で協働学習を通じて、複数の生徒の活動を行うことで、現代的な健康のみならず、安全や食育にも関連付けを図りながら、様々な課題の発見、あるいは解決に取り組むと。生徒が自ら自主的、主体的に学習していくこと、こういうことがますます求められるというふうに感じている。

○ また、健康保持増進に関して、学校現場を見ていると、健康と病気を二つに明確に分ける概念として捉えることについて、不思議に思っている生徒たちがいる。むしろ、二つに分けられる概念ではなくて、最近、未病という言い方や捉え方も広まってきている。心身の状態は、健康と病気の間を連続的に変化していくものというふうに捉えていくことは大切である。この全ての変化の過程を表すというような使い方で未病ということが言われているが、こういったことも学校教育においても、コンテンツを増やさずにコンパクトに行うには、健康と病気という二項対立的なものではなくて、一体化したものとして捉えていくことが重要ではないか。また、薬物乱用の防止、これも学習活動の中で重視して取り上げるものであり、理科とも関連付けなどを図りながら、薬学に関する学習ということも取り組んでいる学校もある。いずれにしても複数の教科にまたがった取組が行われているので、道徳教育や、キャリア教育のように学校全体での体系的な教育計画、そういったものをしっかり位置付けを図っていく必要がある。このことは、情報活用能力の部分についても同じである。総則の教育課程編成の一般方針の中で、この部分をどのように表現していくのかということを今後検討していく必要がある。

→ 健康と病気が裏表、あるいは二極ということではないという考えについては、今も保健の中では健康の連続性というような概念の捉え方で教えるようになっていると思う。最近、リスクということが健康教育では注目されていて、安全も共通する部分があろうかと思う。一過性の過激な反応、社会的な反応等を見ていても、リスク概念の教育というのがうまくいっていなくて、健康と病気との関係、安全、食育も含めて、しっかり位置付けて健康教育でもやっていく必要があって、それが現行の内容から次のステップに向けた、一つ大きな観点になろうかと思う。(野津体育・保健体育、健康、安全WG主査代理より回答)

○ やはり学校現場の先生方は、教科のプロとして免許を持っている。その教科の中にもちろんコンテンツとして既に入っている部分があるわけだが、地域社会との連携というものの枠をどう活用していくのかということが大きくこれから問われていくのだろう。例えば教育CSRで、IT系の企業等、長年、学校教育との連携を図ろうとしている団体がたくさんある。学校の先生方がそういった教育リソースをどう連携をとりながら、ともに子供を育てる力にしていくかというようなノウハウが十分積み重ねられていない。学校外の教育リソースがなかなか学校の中に入りづらい状況がある。そういったものをどう変えていくのかということが問われてきているのだろう。同じように健康・安全の中でも、特に東日本大震災以降、東北三県を中心として様々な連携方策の知見が得られてきている。日本全体が、南海トラフも含めれば大きな危機に瀕している中で、そういった地域社会で積み重ねた知見が学校内外を問わず子供たちに提供されるべきだろう。地域社会との連携の在り方ということが、総則全体、カリキュラム全体を考える中でもう少し議論を深めていければ良いと感じた。

(堀田情報WG主査より全体を通じて下記の通りコメント)
○ 各教科に対してコンテンツをお願いしている部分がやはりあって、そのことに対して私どもも全体の時数が増えない中で大変恐縮している思いがある。とりわけICTについては、それが学校現場に入ってきて子供たちの道具に一旦なれば、学習の効率化とか、あるいは深まりとか、そういうことは十分考えられるわけで、そこに至るまでの初期段階の導をどういうふうにするか。それは教育課程でしっかりと担保しなければいけないことかと思う。

○ コンテンツを増やさないでどうするかというところを、各教科の中に既にあるコンテンツについて、もっと全体性を持った形でお示しできるようにして、総則の中でそれを表していただけるようなお手伝いをできればと思っている。

3.学習評価について

○ 簡単にこれまでのおさらいをすると以下の様になる。四観点について、似通った観点が多くて区別がつきにくいので、これを整理しようということ。前回改訂時、今御提案があるような三観点にしたらどうかというところまで行きかけたが、最終的にはそこまで行かずにストップした。それから、思考・判断・表現の観点の評価が難しいということ。短期的に変化するものと思考・判断・表現のような長期的に変化する能力を同じ評価の方法でやってきたのが問題であると思う。三番目に、関心・意欲・態度の評価が、信頼性、客観性のある評価がなかなか難しいということ。特に目立っていい点があった場合に丸を付けるというように、もう少し簡略化したらどうかということを前回改訂時、意見として出した。

○ 形成的評価に力点を置いて議論がなされているが、残念ながら中学から高校に来るとき、学習評価は形成的ではなくて総括的評価。その点をここでも議論する必要がある。専門的にいうと評価の統一、comparabilityの問題が議論されていないのが問題。総合的な学習の時間に関しては、記述方式の評価になっているが、現在パターン化してしまっている。幾つかの文章を組み合わせて、パターン化した記述ができてしまっている。それを読んで生徒の実情が分かるという状況にはないというのが問題。評価のcomparabilityの問題は高・大接続に関わって調査書の信頼性の問題として今後重大な問題になってくるのではないかと思う。

○ 今考えなければいけないのは、学習指導要領の各教科の内容との関わりの中における評価ということ。現行行われている観点別学習状況の評価においては、指導事項の中に具体的に評価を行いやすい、特に知識・技能の部分、それから思考・判断・表現、これは指導事項の表現をそのまま引用すると、各教科の単元の目標、単元のそれぞれの内容の目標になるような具体的なものを各教科で取り上げていく必要があるだろう。指導目標そのものを先生方が作れないような現状にあって、教科書会社から出ている教科書の目標に合わせて指導事項が決定されている。学習指導要領にきちんとその内容を明記し、それを目標として授業が行われるような構成を学習指導要領で作る必要があるだろうと考えている。

○ 主体的に学習に取り組む態度は、関心・意欲・態度と同等に学力の重要な要素として取り上げられている。平成22年3月の児童生徒学習評価の在り方報告で示されている、関心・意欲・態度の説明を踏襲しながら、知識・技能、それから思考・判断・表現の重要となる課題を取り上げて、そしてそれらをある意味でコピー&ペーストで主体的に学習に取り組む態度の方へ持っていき、それを、その単元の中で実現しようとしているという、そういった評価の仕方をすると、学校の先生方は関心・意欲・態度、特に主体的に学習に取り組む態度の評価をどのようにしたらいいかが明確になり、評価しやすくなると思う。学校の先生方は、目の前にいる子供たちに向かって、どういう評価をするか、それが具体的に学習指導要領の内容を読むと明示されているような、そういった構成にすることによって指導と評価の一体化が分かりやすくなるのではないかと考えている。さらに、例えば主体的に学習に取り組む態度が、なかなか単元の中で行えない要素、例えば情緒であるとか感性であるとかということもあるので、それは長期的な評価として、学期や学年末、個人内評価として一人一人の良い点や可能性、進歩の状況に対して評価するという、そういった二段構えの評価も必要になってくる。

(主査のまとめ)
○ やはり目標を具体的に記すということが重要であるというふうに思う。情報活用能力や、健康・安全教育にしても、そこで何が目標とされているかによって評価がなされるのではないか。手順として各教科等の関係、目標が明確にされるということが何よりも重要であり、また、それを現場の先生方に分かりやすく伝えるということをしなければいけないのではないかと感じた。

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-- 登録:平成28年03月 --