理科ワーキンググループ(第5回)における主な意見

1.理科を通じて育成すべき資質・能力について

(1)理科を学ぶ本質的な意義や他教科との関連性について
○ 深い学び、対話的な学び、主体的な学びということで、理科もここまで来たのだという思いを持っているが、若い教員の方々に対する負担の大きさであるとか、深いって何だというようなこと、それから学んだことをどうやって生かしていくのか、その生かしたことによって、自信を持ったり、自己肯定感を持ったりするということを考えると、他教科との連携ということが非常に重要になってくるということが、どうもひっかかっている。
理科のワーキンググループとして、理科に収れんした議論がなされるのは当然なのだが、他教科との連携によって、あるいは深い学び、対話・ディベートであるとか、社会的なイシューを含めた理科の知識の活用とともに、教員連携みたいなものも意識できるようなことが議論でなくなってきているということが、非常に気になる。

(2)幼稚園・小学校・中学校・高等学校を通じた理科において育成すべき資質・能力の系統性について
○ 現在の学習指導要領の中で、内容の系統性を資質・能力の観点から再確認していかないといけないと考える。これがまさに本ワーキングに託された課題だと思う。学習内容の再整理、これは現在のものを生かしながら、「アクティブ・ラーニングとして扱うにはどれが適切なのだろうか。」「学習内容の系統性として、小中高のどういうところを意識しないといけないのか。」等々を検討しなければならない。

○ 欧米ではラーニングプログレッションズという学習の系統性を意識した研究がある。長年にわたる、子供たちのミスコンセプション研究の成果から系統表が出来上がっていて、それを基に実践が行われています。そして、それらの実践結果をもとに、より子供たちの学習がスムーズにいくように、あるいは問題があったらそれをよりよく改善しようという動きがある。日本の場合は、このような系統表や、学習内容の構造問題に関しては、実践家の経験値で作っているところがあるので、これからは、調査結果を基にした検討なども必要になってくると思う。

(3)三つの柱に沿った育成すべき資質・能力の明確化について
○ 深い学びというのが小中高の先生方にとってイメージしにくいのではないかと感じている。
特に若い先生方が、活動ありきのアクティブ・ラーニングと捉えないようにするためには、深い学びも示していく必要があるのではないかと感じているところである。

○ 総則・評価特別部会の議論にも出ている子供が各教科の見方・考え方を働かせながら、資質・能力を獲得するというのが深い学びに関係していくということであるならば、資料4-3(理科の内容における主な見方の整理例(案))の表の表現によって、各先生方が理科における見方を確実に理解して、これを踏まえた上で子供の指導に当たるということが重要ではないかと感じている。そのためにも、特に近年急増している若い教員が、この4領域を捉えるという見方を、すっと理解できるような表現にしていくことが必要であると考える。

○ 資料4-3(理科の内容における主な見方の整理例(案))の記述について、粒子を質的・実体的な視点で捉えるに当たっては、身の回りにある物質がどのように成り立っているか、どのような性質があるか、どのような法則によって変化するかという三つを関連させて学ぶといった工夫が必要だと思っている。具体的には同じような性質の物質にある特徴的な構造に気付いたり、あるいは構造からその物質の性質を類推することができるようになること。また、幾つかの変化から法則を導いたり、逆に法則から変化を予測することができるようにする。こうした三つのことをそれぞれ関連させて考えたり、説明できたりするということが、資質・能力では大事だと思う。

○ 資料4-3(理科の内容における主な見方の整理例(案))の高等学校の例の記述で、「物質の構成粒子について、原子の構造や電子配置から包括的・高次的に捉える」と一方向だけの表記になっているので、なぜそのようなモデルが提示されるようになったのか、その過程を子供たちが知る喜びが得られるような内容を含めていくと、より理解が深まるのではないかなと思う。

○ 現行の小学校学習指導要領では各四つに整理をした領域に、エネルギー、粒子、そして生命、地球というキーワードが整理をされて、その下に視点を書いている。例えば生命のところでが、この生命の単元内容は、多様性と共通性だけではない。多様性と共通性ができ得る内容、対象もあるが、例えば機能とか構造に重点を置く単元であったりするので、果たして資料4-3(理科の内容における主な見方の整理例(案))で出されている「多様性と共通性」の視点だけでくくってよいのか。現行の学習指導要領の内容と同じように、これから新しい内容に解説を加えていく際、全て内容を整理するのであれば、「個体と集合体」だとか、「多様性や共通性」よりもっと大きな視点にしておいて、「全体と部分」というようなことだとも思うが、その中で「生命の連続性」という視点でそこを見ていくとか、あるいは「機能と構造」という視点で見ていくとか、「共通性と多様性」で見ていくなどにしていかないと、恐らくこの単元は多様性と共通性を求めていくのにふさわしい単元なのかというのが、次の学習指導要領を具現化する段階で必ず出てくると思うので検討が必要ではないか。

2.アクティブ・ラーニングの三つの視点を踏まえた、資質・能力の育成のために重視すべき理科の指導等の改善充実の在り方について

○ 資料4-2(小・中・高を通じて理科において育成すべき資質・能力(案))の思考力・判断力・表現力等の小学校3年のところで、「比較を通して自然の事物・現象の差異点や共通点に気付き、問題を見いだす力」となっているが、この「問題を見いだす力」というのは、汎用的な能力にも非常に関わるものであり、小学校3年生には少し難しい目標と捉えている。資料4-1(幼・小・中・高等学校を通じた理科教育のイメージ(案))には、小学校全体の目標の中に「問題を見いだし」ということが書かれている。そうすると、小学校3年で、もう目標の一番困難な部分は達成できるということにもなる。小学校3年の主に育てたい力からの文末を「・・・気付き、整理・分類する力」というふうに置き換えてはどうかと思っている。

〇 今回の改訂ですごく大事なのは、自分が得た能力を使う場面を作り、そしてそれを使っているということを子供たちに認識させるということである。つけた力を別の単元や上の学年で試したり活用したりすることが大切と思っている。「整理・分類する力」などは、それに向いている力ではないかと思っている。

○ 資料4-2(小・中・高を通じて理科において育成すべき資質・能力(案))の思考力・判断力・表現力等の小学校3年のところについてはうまく書かれていると思う。能力・資質論に陥ると、必ず目的を失う。そうすると、小学校3年は問題を見いだすために比較などを用いる、小学校4年は、予想や仮説を発想するために関係付けという操作を用いる、小学校5年は、解決方法を見いだすために、質的変化や量的変化に着目する、小学校6年は、より妥当的な考えを作り出すために、多面的に分析したり、考察したりする、これは資質・能力と目的をかみ合わせているものである。今までは、目的を顕在化してこなかったものであるので、小学校3年はただ比較させればよい、4年生は関係付けさせればよいという非常に薄べったい能力・資質論に陥ったと思う。今回はこれを避けるための一つの方略として、資質・能力と目標とをリンクしていることはよい方略ではないかと思う。

○ 確かに社会科における合意形成と、理科における合意形成の、教科特性の合意形成の違いをきちっと明確にしていかなければならない。理科の場合、必ず実験条件と結果という形の対になる。そうすると、合意が形成されるということは、実験条件が同じでも、結果が違う場合、あるいは結果が同じ場合、また、実験条件が違っても結果は同じ場合というようなパターンに分けることができる。これは実験条件と結果の関係であって人々の人数できまっているのではない。これは再現性という考え方でくくれる。さらに言うならば、それが他の事象とかより深い規則性とかいうものにつながっていく。以上のような考え方が、理科における合意形成だということを、どこかで書いておかなければ、グローバル化に関して合意、合意ということが出てくるので、それに引っ張られるような気がする。是非、これは留意事項で、少し入れた方がよいかもしれない。

○ 「他者との関わりの中で合意を形成する」という委員からの意見の中で、合意形成とは、理科の場合はどういう合意形成なのかと考えたら、例えば、「実験条件を示した実験結果に基づくもの」、「再現性、客観性を意識した結果に基づくもの」、あるいは「理科ならではの点を抑えて合意したもの」、でないといけないと明記しないと、子供たち、先生たちとの授業のやりとりの中で、合意は単純に形成されると思ってしまう。そうなってしまっては問題なので、「理科における合意形成」とは何かをしっかり確認することが大切である。

○ 資料4-2(小・中・高を通じて理科において育成すべき資質・能力(案))の三つの柱の表現の仕方で、「学びに向かう力」というのは分かりにくくて、ストレートに「主体的に学ぶ力」というのが並びがよいと考える。

○ アクティブ・ラーニングを重視した学習プロセス、学習過程というのは、これまで丸暗記だけで終わってしまったかもしれないものを、自分の頭の中を整理して、文や図で書くということで、自分の考えを外化した後で外言化し、更にほかの人に伝わるような言葉にまた再構成するということなのだろうと考えている。理科において、それが特徴的に発揮できるのは、探究活動、あるいは問題解決学習のところだろうと考えている。

○ 資料4-4(アクティブ・ラーニングの三つの視点を踏まえた、資質・能力の育成のために重視すべき理科の指導のプロセス(案))について、一番上のところに「自然事象に対する気付き」というのが入っているが、これは深い学びにいざなう際の非常に重要なキーワードであると考える。

○ 資料4-4(アクティブ・ラーニングの三つの視点を踏まえた、資質・能力の育成のために重視すべき理科の指導のプロセス(案))の「理科における資質・能力の例」での上から2行目、「対象を観察し」という「観察」と「学習活動」のフローの中ほどの「観察・実験」の「観察」とは、意味合いが違うので、どう丁寧に説明するかが課題かなと思う。

○ 資料4-4(アクティブ・ラーニングの三つの視点を踏まえた、資質・能力の育成のために重視すべき理科の指導のプロセス(案))の一番下の「他者との関わりの中で合意を形成したり」という表現が、理科の議論として合理的に結論を見いだしていくのではなくて、妥協するようなイメージに捉えてはいけない。理科の学習であるので、合理的な議論を経た後に、集団として正しいものを見いだしていくという表現にするのがよいのではないか。結果、自分の誤った概念なりに気がつくという、そういうプロセスを強調されるのがよいではないかと思う。

○ 資料4-4(アクティブ・ラーニングの三つの視点を踏まえた、資質・能力の育成のために重視すべき理科の指導のプロセス(案))の一番下の「次の課題を発見したりする力」では、発見するというよりは、ここに「もう一度課題を設定する力」とかにすると、上の方に戻っていく感じが出ると思う。

○ 資料4-4(アクティブ・ラーニングの三つの視点を踏まえた、資質・能力の育成のために重視すべき理科の指導のプロセス(案))で、理科における資質・能力の例のところに示されている能力を、バランスよく扱うことで資質・能力を育成できるし、バランスよく扱うことでアクティブ・ラーニングになるという仕組み作りをしようという意図だと思う。けれども、何か資料4-4(アクティブ・ラーニングの三つの視点を踏まえた、資質・能力の育成のために重視すべき理科の指導のプロセス(案))に示される資質・能力は、どうもそのバランス性が欠けているとまでは言わないが、対応関係が見えにくくなっているような気がするので、この三つの柱に重きを置くのであれば、それが分かるような示し方をするとよいのではないかと思う。ただ、ここに書かれている文言が悪いとかいうことでは、全くなく、それがどうこの3つの柱に整理されるのかというのが見えると、現場の先生方も見やすくなるのではないかなと思う。

○ 資料4-4(アクティブ・ラーニングの三つの視点を踏まえた、資質・能力の育成のために重視すべき理科の指導のプロセス(案))の「課題」ということの言葉の意味だが、ここで使っている「課題」という言葉は、学習活動の基本になる課題という、すごく広い意味である。ところが、現場だと課題研究みたいに、もっと狭い意味での「課題」を捉えがちであるので、それをどう避けるために、例えば、課題設定の説明の部分で、課題だけではなくて「疑問や課題」とかにすれば、何か疑問を持つこと自体でも、ここでいうところの課題になるのだと考える。

○ 資料4-4(アクティブ・ラーニングの三つの視点を踏まえた、資質・能力の育成のために重視すべき理科の指導のプロセス(案))の一番左の縦の並びの真ん中の「課題探究」というのも、これも何か特別な課題に対する探究という印象を与えるのが強いので、もうこれは一番上と一番下に「課題」が入っているのだから、「課題」を取ってしまって、「探究」だけにした方がより広い課題ということを捉えているのではないかと考える。

○ 資料4-4(アクティブ・ラーニングの三つの視点を踏まえた、資質・能力の育成のために重視すべき理科の指導のプロセス(案))の「観察・実験の実施」に、理論物理や深化生物の一部は観察・実験以外でこの検証を行う過程がある。だから、「観察・実験の実施」にもう一個ないと、これは観察・実験だけの場合だと捉えられてしまう。観察・実験しなくともこの過程で検証しているというのが見えるようになると思う。

○ 数学や理科の勉強が好きだと答える高校生の割合が非常に低い。理科は小学生、中学生は好きなのだが、高校生になると急激に低くなってしまう。アクティブ・ラーニングや様々な資質・能力について議論している中で、実際に学ぶ子供たちの視点をもつ必要があると考える。教員が学習課題を提示しながら授業を展開していったとき、子供が本当に意欲的に、その学習に取り組んでいけるだろうか。そのための方法を考えていかなければならないと思う。

○ 子供たちが身に着けた資質・能力が、将来理科に関わらない職業に就いても、生きていく上で役に立つのだという視点を持たせたい。これは、理科というよりも総則全体の方に関わるかもしれないが、理科の学習の中で、学習した知識、身に付けた思考力が、将来役に立つのだと確認する作業を行う必要がある。教員は様々な授業改善をしていくが、それが子供にとって適切かどうか、意欲的に取り組んでくれるかなどを押さえておかないと、教育現場では空回りしてしまう可能性があると考える。

○ 小中高含めて、理論が増えてくると確かに窮屈になって難しくなるのは分かるが、ただこうなっているということではなくて、ここまでは説明できるとか、このような性質は説明できない、またそれを子供たちが、先人たちが導いてきた歴史的なものを、読み物として自分で主体的に理解できるような形で整理をしていくと、単に授業でそれを教えるのではなくて、子供がそういった流れを理解して、様々な事象に気付いて、それを用いて説明できる形になっていくのではないかなと思う。

3.資質・能力の育成のために重視すべき理科の評価の在り方について

○ 主体的に学習に取り組む態度というのは、コントロールを自分でしながら、メタ認知をちゃんと働かせていくという要素が入る必要があると思う。提案された主体的に学習に取り組む態度は、これまでの関心・意欲・態度の表現の仕方と同じだと思うので、同じようにノートに何書いているか、手を何回挙げたかという評価になってくる。そうではなくて、もう少し見直し、振り返りをしながら、自ら学習を進めていく姿がクローズアップできるような、あるいはきちんと見通した学習計画を立てるような、そういう自律的な子供の姿が出るような表現を工夫し、変わったのだと。こういう点を見ることによって人間性がクローズアップできる、ということをした方がよいと思った。

○ 今、観点別にいろいろ各作業で忙殺されているのが現場である。私はそれを見ていて感じるのは、総則・評価特別部会で書かれている3ページ目の丸の2番、指導要録に加えて、子供一人一人が自らの学習状況やキャリア形成を見通し、振り返ることができるようにするための仕組みの在り方を検討していく。評価の目的というのは、基本的にはここにあるのだと思う。だから自分で目標立てて、自分で振り返りながら自分自身を見つめ直すという、先ほど後藤委員が言われたようなメタ認知ということが非常に重要になってくると思う。

○ 評価の目的のために、子供の姿を見る視点としてこの三観点があるという捉え方、これを先に出すのではなくて、そういう目的のために子供を見つめる視点が三つ、この三つの視点であるというような書き方をした方がよいのではないかと思う。観点が走り出してしまって、こればっかりが今の現状であるので考え方を付記した方がよいのではないか。

○ 三つの柱で観点別評価をしたときに、それの総合が評点に表れなかったら、高校では意味がない。だから観点別評価と評点の関係を明確に3分の1ずつで評点を出すようにすれば、改善されると思う。

○ 三つの観点で評価されることには、賛成なのだが、現場から言うと、何をもって学習評価を出すかというところが、考えなければならないところになると思う。個別の知識・技能に関しては、今までと同じようにテストみたいなもので評価されることが一般的になるかもしれないし、それから主体的に学習に取り組む態度というのは、ずっと議論になっているこのアクティブ・ラーニングが実現されていけば、評価の対象になるものはたくさん出てくるかと思う。けれども、真ん中の思考・判断・表現のところ、ここに書かれている文章は高等学校の理科の中だけを見ても、たくさんの要素が含まれていて、問題を見いだすとか、探究するとか、考察するとか、考えを的確に表現するとか、この四つの要素全てが評価されて初めて思考・判断・表現の評価になると思う。現場ではこの一部分だけを取り上げて評価しようとしてしまったりすることが起こり得るとすごく心配する。可能であるなら、よく言われる形成的評価とか総括的評価のそこの部分をどう現場で扱えばよいかというところのアイデアを出せると、やりやすくなるのではないかなと思う。

○ 現在、多くの先生方は評価に振り回されて評価のために授業をしている現実もあると思う。この現状を何とか改善させないといけない。何のための評価なのか。そういうあたりを再確認する必要がある。

○ 大村はま先生の「優劣のかなたに」という詩で「成績を付けなければ、合格者を決めなければ、それはそうだとしても、それだけの世界。教師も子どもも優劣のなかであえいでいる。学びひたり教えひたろう優劣のかなたで。」これは詩の最後の部分だが、この詩の中で、大村先生は、評価を意識しない「学びひたる」ことの重要さを述べている。加えて、できない子について、「できるできないを気にし過ぎて、持っているものが出し切れない子ができない子。」あるいは「授かっているものが生かし切れていない子が、できない子。」というふうにレッテルを張られてしまうと述べ、評価とは、そもそも、そういう子供たちを何とか引き伸ばしてあげる、そんな評価が大切だと語っている。一覧表を用いた「子供のこういう点を見るための」評価票も大切だが、その前提である「何のための評価か」という点を、我々は間違わないでやっていく必要があると考える。

4.必要な支援(特別支援教育の観点から必要な支援等を含む)、条件整備等について

○ デジタル教科書というようなことも言われているので、学習に対するコンテンツは非常に豊富に用意されたものがあって、それを使って理解が深まっていくような教材が整備されるようになっていくとよいと思う。

5.現行学習指導要領における現状と課題について

○ 学習内容については、中学校1年生は内容が多いので、この内容量で今後、探究的な授業、学習過程を組み入れていくことには非常に困難さがあると考えている。学習内容をある程度整理するか、あるいは、ある学習を取り上げて、ここは探究的に扱うというメッセージ性を出すのか、学習する内容は、いわゆる歯止め規定がなくなっているので、実際には学習指導要領が想定しているよりも学習量が増えているので、そのあたりの整理も必要である。そうしないと、学校現場では子供たちは考えるよりも、教員が答えを先に教えてくれた方が早い、というようなことになりかねない。考えるということはとても大事なことである、その力を身に付けるということは将来に有用なのだということを様々な場面で子供たちに伝えていかないといけない。

○ 現行の高等学校学習指導要領にある中項目である科学と人間生活との関わりというのは、科学の有用性や科学を学習する意義を生徒に理解させるねらいがあり、大変重要な内容だと思う。しかし、現状は大学入試問題との影響など様々な事情から、教科書や授業で丁寧に扱われていないのが実状だと思う。

○ 最新のテクノロジーを生かした機器を用いた現代の分析化学についても、ほとんど今触れられていないので、科学技術に関する内容についても触れる必要があると考えている。

○ 高校の物理に関して、物理基礎という科目があり、2単位で構成されているわけだが、多くの実施している学校で感じているのは、物理を学ぶということは体系が非常に重要であるということで、そうしようと思うが、それが全体として一貫できない。なぜかというと、幅広くいろいろな物理的な内容を取り上げて、教養を付けていく。日常への応用を知っていく。それを盛り込んでいる結果として内容や量が非常に多くなっていて、現場で指導しにくいという実態がある。物理基礎という科目は非常に重要で、多くの子供たちに物理の素養を身に付けてもらう必要があるという趣旨は全くよいが、内容を構成する上でどうするのかというところに課題があると思う。

○ 基礎の付かない物理については一つ前の教育課程と比べると、項目の選択がなくなって、全部を必修の項目としてやるのに、量が多いとよく言われる。ただ、先ほど指摘があったが、指導する人が一個一個の項目について、なぜそれを教えなければいけないのかというのを考えずに、教科書に書かれていることを網羅的に教えようとする結果として、非常に時間がないということが起こっているので、学習指導要領を作っていく際には、どこがどういう意味で柱となっているのかということをもう少し明確に打ち出していかないと、現状、若い教員が増えてきて、各単元が持つ意味合いというのをよく理解して授業ができなくなっているということも考えた書きぶりが、どうしても必要になるだろうと思う。

○ 基礎の付かない物理としては、今後内容が減ることはよろしくないと思っている。以前あったような項目の選択をした結果、高大接続非常に混乱をさせてしまった。二度とああいうことをしてはいけないので、高校の基礎の付かない物理を履修した者が学ぶべき内容というのは明確にするべきで、今よりも後退することなく、それが時間内に教えられるような教科書なりが作られるような学習指導要領にするべきだと思う。

○ 小学校の理科の地球の領域について、侵食、運搬、堆積、流れる水のはたらきは中学校1年生の第2分野の内容で入っている。けれども、アンケートを基にした研究成果があり、例えば川に見られる砂はどのようにしてできたか、という問いに対して、小学生、中学生、高校生、大学生、小学校の先生も含めてほとんどが誤った概念を持っているという現実がある。ここから先は私の想像だが、かつては小学校の理科で土について勉強していたので、その勉強を踏まえた後で流れる水のはたらきというのは、うまく関連していたのだが、現在小学校理科で土については削除されている。そこで流水の働きだけが残ってしまったために、その勉強を通じて砂の出来方について間違ってしまっている。砂の出来方を教えろということではなくて、内容をうかつに削減すると、思いもよらないところで間違った概念を誘導してしまうという一つの例があるので。次の改訂に向けて、内容削減のときには慎重に議論していきたいなと考えている。

6.その他の論点について

○ 今までの学習内容に捉われずに、もう一度再編成をするか、あるいは今までの学習内容をある程度抑えた中で編成をするかというあたりは、一回議論しておいてもよいと思う。

○ 教材の価値・意味が先生方の授業を構成するときに希薄になっていると思う。内容を編成するときに、教材の価値・意味をもう一回考え直さなければいけない。それは教材の内容系統と能力・資質論で二つの軸で考え直さなければいけない。

○ 教材の学習内容で、音の学習が中学校にあって小学校にない。これは累積の考え方から言うと、おかしい。どこかで放り込んでおかなければいけないとなると、学習内容をもう一回再整理して、見直して、小学校中学校を見直して、それがスパイラルな形で認識が深まる、あるいは能力・資質が深まる、意義とか価値が深まるというような一つの体系を作らなければいけないのではないかと思う。

○ 教科書が、私からすると学習指導要領に沿ったものになっていない。何かというと学習指導要領に書いてあることは反映されている。反映されていれば、検定を通ってしまうのだが、全体として余計なことが多すぎて、教科書全体として学習指導要領に沿ったものになっていない。歯止め規定がなくなった後、余計な部分が多くなってしまい、全体として教科書から受ける印象や学校現場で教科書を使って行われる教育活動は、主に学習指導要領に書いていない勝手に入れられた部分に沿って行われてしまっているのではないか。

○ 生物について、前回の改訂で目標や内容とその範囲・程度で特に内容はすごく絞った。すごく絞ったにもかかわらず、教科書はそれ以外のことであふれ返っている。これを次の学習指導要領のときに、教科書が全体として学習指導要領に沿っているものでなくては、学習指導要領に書いてあることが入っていれば、検定を通ってしまうということを修正していくことができれば、改善されると思う。そこが今、少なくとも高校の理科に関しては、最大の問題点だと思っている。

○ 小学校の理科のある出版社の教科書に、空気や水蒸気中の媒質の様子を模式的にモデル粒子で解釈するように求めるものがある。幾つかの小学校で、ベテランの先生が行ったこの授業を拝見したが、生徒に粒子状のモデルを実験結果に基づいて思い付かせるということは、ほとんどうまくいかない。ミクロなところをマクロな実験結果で思い付くのは、なかなか難しいのはよく分かるが、複数の学校で複数の教員がそういった授業展開をされていた。子供たちがアイデアを出し合うというのはアクティブ・ラーニング、まさにその要素が入っているのだが、議論する手がかりが実験結果を離れてしまっているというのが、大変残念であった。学習指導要領というよりは、教科書の構成に関わるが、科学とはどういったものに基づいて議論しないといけないのかということを十分踏まえた上でアクティブ・ラーニングを導入しないと、本質を見誤った指導になってしまうのが、現在の幾つかの例を見て、少し心配になっているところである。

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