外国語ワーキンググループ(第10回) 資料1

1.小・中・高等学校を通じて一貫して育成すべき外国語教育における資質・能力について
(1)育成すべき資質・能力の可視化
○ 次期学習指導要領改訂の方向性を見据えると、路線は今と大きくは変わってないと思う。育成すべき資質・能力の三つの柱についても、現行のものを更に高度化していく、発信能力を少し高めていくという方向性を求めていくということであって、今の路線をしっかり定着することに力を入れていただきたい。

○ 発信に関して、伝え合う、あるいは表現をするということだけではなく、考えながら読んだり、考えながら聞いたりすることも非常に大事な要素。4技能総合的にといった場合には、表現を支えるものとして理解の力もしっかり付けていくことができるとよい。

○ 小学校では相手意識、他者の尊重といったことは資質・能力を高めるということで、非常に大事な視点ではないかと考えている。国語教育の中でも、言葉で大事にしましょうね、お互いを大切にしましょうねと言っているが、その具体化がなかなか難しく言葉だけに終わっていた部分もある。一方、特に外国語活動では、言葉ができない分、あえて身振り手振り、あるいは笑顔や、お互いの目を見合うとかいうことがあるのではないかと考えている。

○ 外国語教育に求められる資質・能力として、「小学校では相手を意識しながら」、「中学校、高等学校では他者を尊重し、聞き手、話し手、読み手、書き手に配慮しながら」という視点が非常に大事である。いろいろな子供が公立高校に在籍しており、相手を攻撃したり、やりとりすることが難しかったりする子供が現実ではいるので、相手を大事にしながらやりとりすることができる能力が、コミュニケーションの一番大事なことであると考える。そのような観点から小学校から大切にしたコミュニケーション能力を育成すべき。

○ 小・中・高を通じた目標及び内容の主なイメージにおいて、小学校高学年も、中学校も、最後の部分は「コミュニケーション能力の基礎」、「コミュニケーション能力を養う」になっていて、小学校は「聞くことや話すことなどの」が付き、中学校は終わりの部分だけ取ると「簡単な情報交換ができる」となっているが、無機質な、ただのやりとりで終わるのではなく、中教審の論点整理の思考力、判断力、表現力にも提示されている、相手の考えに共感するという点や、協力しながら問題を解決するという情意的な面があってのコミュニケーションが重要である。求められる資質・能力を明確にするため、そのようなことを目標には含めていくべきではないか。

○ 中学校のところの目標は「身近な話題について理解や表現、情報交換ができるコミュニケーション能力を養う」、「互いの考えや気持ちを英語で伝え合う対話的な言語活動を重視した授業を英語で行うことを基本」とするなっているが、CAN-DOリストの話が話題になっているときに教員や一般の人が初めてそれを見たときに、「何々ができる」という技能の面が非常に前面に出ていくような感じがある。それはそれで大事だとは思うが、教育の観点から見ると、英語で伝え合うための、コミュニケーションのベースとして、一つは心情的な部分も意識する必要があるのではないか。例えば、相手を思いやるとか、相手を尊重するとか、そこが抜けてしまうと、英語が単なる技能のみのものになってしまって、教育と離れていく気がする。そのような文言が入ればいいのか、ニュアンスをどこかで解説するか。一つイメージとして持つべき。小学校の目標も、「友達に質問したり質問に答えたりできるようにする」で終わるのではなく同じような趣旨になるのではないか。この点が改訂の大きなポイントの一つになるのではないか。

○ 高等学校においても情意面は非常に大事である。学習指導要領においては、それが小・中・高等学校を通じて培われていくことで、更に高い意味での思いやりや、人間関係を構築できるという点を表した方がよい。高校のところで目標例があるが、討論、議論が強調されるだけになると、相手を攻撃するといった感覚で捉えるディベートとの意味合いとは違うということが分かるように明確にした方がよい。イメージではコミュニケーションという言葉が出ていないが、更に高いコミュニケーション能力を養うとした方がよい。

○ コミュニケーションという言葉は「お互いがお互いを理解し合うということ」を含めてコミュニケーションになるが、一方通行だとコミュニケーションにならない。お互いが本当に思いやりながら、お互いの考えていることを相手に伝えようという努力、そういう気持ちが含まれないとコミュニケーションにならない。非常に大事なので、場合によって解説書などに、きちんと明記する必要がある。コミュニケーションと言うと、しゃべっていればコミュニケーションになるという感覚がどこかにあると感じる。

○ コミュニケーション能力とても大切なことで、子供たちの情意面ということを考えていく必要があるが、CAN-DOで求めるものをどういうように設定するかというところをきちんと整理しておく必要がある。つまり、これは英語を身に付けさせるスキルとして考え、その周辺にコミュニケーション能力、あるいは情意面がある。いわゆる学力の三要素、主体的に学ぼうとする態度、知識・技能、思考・判断・表現とどのようにつなげているかということも考えておく必要がある。CAN-DOで示す枠は、技能の部分なのか、あるいは思考・判断・表現なのかの整理をしなければならない。CAN-DOで示すところは英語の付けるべき力であると的を絞ってもいいのではないか。

○ 学習指導要領は法的なものであり、全ての生徒に身に付けさせるものであると考えたときに、学習指導要領と、CAN-DO形式での指標がどのように関連するのか。全ての生徒に与えるべきものとして書かれるべきなのか。CAN-DOがいわゆる汎用的な枠と捉えれば、学校の中である程度付けることもできる、別々のものを作るという形もできが、そこのところの整理も必要ではないか。

○ 情意面などに関する記述は、CEFRのCAN-DOリストの前提になるような、どのような能力を捉えるかという解説部分に出てくる。バーティカルとホリゾンタルというディメインションがあると思うが、ホリゾンタルの方に様々な、構成上、CAN-DO自体にはホリゾンタルの方は5技能しか出ていないが、そこにはもっと内容面や、少し語用論な能力、先ほどの文化や異文化への理解と、互いに対する関係を作っていくような気持ちなどは書かれている。ただ、CAN-DOとして二次元の表にしてしまうと、そこに全部を盛り込めないという形なので、別にいろいろな文言の説明があると整理されている。言語機能を見ると、その中に言葉の機能として、例えば相手に同情を示したり、残念だと言ったりという機能があって、かなり情意面と関係するような表現類も言語機能的には入っているので、その辺りなどは指摘されたような面を強調するとすれば、うまくそういうことを表現としても身に付けていくことが可能ではないか。

○ 教科等の目標については、現状の目標がいわゆる方向目標というか、こちらの方に向いてい
るだけで、到達点が見えないという点で曖昧な部分があるのではないかと思う。分かりにくいというのもあるが、小・中・高等学校でよく見ていると、素地、基礎、基本と変わっていったり、身近な話題、幅広い話題は何が違うのという部分があったり、そういう意味での分かりにくさや、素地と基本を英語にすると同じファンデーションではないのか、そういう言葉遊び的なものが現状ではある。もしコミュニケーション能力という言葉を使うのであれば、それはどういうことなのかということがどこかで注書きされていないとまずいのではないか。皆さんが御懸念されているようなことはその部分で書けるので、必ずしも目標の中に書き込む必要はないのではないかと思う。

○ そのような意味で、シンプルにするというのは、言葉遊びでシンプルにするのではなく具体性を持たせてとなると、やはりどこかでCAN-DO的なことが、この中で書き込むのは難しいにしても、どこかにちゃんと説明がないと、教員養成課程の学生に分かるようにならなのではないか。それから、全て「できるようにする」という書き方になっているのが気になっている。今、アクティブラーニングという話があるので、教師用のCEFRレベルの記述であっても、主語は「生徒が」というニュアンスで、「できるようになる」という書き方の方がいいのではないか。受信型CAN-DOの書き方について、投野委員のお話だとCEFRでも「何々が分かる」という書き方になっているということだが、「何々が分かる」というのはどういうレベルなのか測定するのがすごく難しいので、やはり「概要を説明できる」とか、「詳細を説明できる」のようなアクションワードを使うことは可能なのではないかと思う。その方が現場の先生には分かりやすいのではないか。

○ A1とPreA1のギャップの大きさというのがどうしても気になる。中学校1年生のレベルを少し下げるのか、あるいは逆に小学校6年生のレベルを上げる、それで読み・書きが小学校6年生でかなり導入されないと、このギャップは埋まらないのではないか。

○ 日本の英語の教科書は薄いということで2008年のデータとこれは前から思っていて、恐らく現状でも、少なくとも中学校、高校の教科書はかなり総語数が少ないと思う。できれば次の学習指導要領では、最低限、総語数何語以上と、小・中・高で提示するような方向性を考えるべきではないか。

○ 資料に、現状の「Hi,friends!」とCEFR-Jの枠組みのPreA1からA1.3のレベル、つまりA1レベルぐらいまでがどのように対応しているかを調査した表がある。PreA1とA1の関係が気になるという御意見があったが、実際のCAN-DOで「Hi,friends!」の項目にどのように対応するかを調べてみると、オリジナルのCAN-DOはCEFR-Jの一般的な記述としてディスクリプターを書いているものと、小学生用に具体的に提示するイメージで作成した例を見ると黄色くハイライトされているのは、「Hi,friends!」で実際に扱われている。余り細かくCAN-DOベースでは作られていなため、言語活動的に対応すると思うところを張り付けた結果。汎用枠的なものを基に考えると、やはり聞くことと、やりとりと、発表に黄色が多い。そのようなオーラルスキルというか、そういうものを中心にやっていて、読むことと書くことはほとんどされていないということが現状で分かる。小学校5・6年で活動としてやっているのに、内容としてはA1のいろいろなCAN-DOの項目がかなり幅広く取り上げられている。中国や韓国の教材の調査をするときに、小学校レベルはPreA1と規定したが、CEFRの方ではPreA1という規定がはっきりはなく、A1レベルのことを様々に、いろいろやっているうちに大体あのぐらいになるような感じなので、ゼロのポイントからどうやるかという具体的なイメージはCEFRの方も余りない。そういう意味で、現状では、A1レベル全般のことを取り上げて「Hi,friends!」が作られているということが見えてくる。この辺りについてもう少し学年配当みたいなことで考えると、少しバランスを考えることと、最初はオーラル技能から、だんだんと文字を入れるようなことを、こういう指標形式の汎用枠を基にまずは考えて、どういう段階で出すのがいいかということを今後、考えられていけばいいと思う。

○ 「Hi,friends!」でやっていることも、CAN-DOで指定していることの具体例にはかなりなっている。CAN-DOのヨーロッパでの実践でいくと、ポートフォリオという形で実現して、指標という形式で小・中・高全体に一貫する何かができたときに、それをもう少し生徒向けに分かりやすい言葉やイメージで、言葉はこのように身に付いていって、将来、あなたはこのようになりたいかなというような、言葉を身に付けてコミュニケーションできるようになっていく、英語でできることのロードマップみたいなものをもう少し上手に見せてあげるというのが一つだと思う。例えば、自分はどこまで行きたいかとか、どのようになりたいかということを含めて、目標のイメージをちょっと膨らませてあげる。でも、自分は現状ここにいるから、どんなことをしなければいけないかということを、英語の授業以外にも自分でプランニングしていくような力を将来的に付けていくことが望ましい。

○ 小・中の接続をどうするのか、同じことは中・高でも言えることなので、やはり高校卒業段階で平均的な生徒はこういうことはできるようになって、あるいは他人への思いやりも含めてそういうことができるようになるという設定がまずあって下ろしていかないと、高校は高校、中学校は中学校、小学校は小学校と整理すべきではない。どのような接続の仕方がよいのかということも考えるべき。他国の場合、中学校1年生と、日本で言えば小学校6年生の接続で、同じレベルの単語が出てくるが、使い方の深度が中学校では深まるといった理念、ビジョンがあって話をすべき。

○ 小学校の先生は中学校の英語で何をしているか、あまり御存じない、中学校の先生も高校の学習指導要領を読んだことがないという状況がある。また、それぞれがばらばらで上のところを目指しているという状況があって、中学校の上の部分と高校の下の部分が接続されていないということがある。学習指導要領作成の段階でそのようなことを想定して、英語教育でどこを目指していくかというところはある程度一体的な内容になっているものという形で、小学校段階、あるいは中学校段階でも、きちんとゴールが分かるような示し方ができればよいのではないか。

○ CEFRが5技能に分けていること、現状の学習指導要領及び評価の観点でいくと外国語表 外国語理解と分けているが、実際のコミュニケーションで言うと、4技能の統合的な活用というものが言語活動の中では重視される。指標形式の目標としては5技能で示しておいて、その組合せの活用で言語活動を工夫するという書き方もあるかと思うが、技能の統合的な活用についても十分配慮する必要がある。

○ 課題1として、理屈をきちんとした上で段階付け、小学校から高校までのカリキュラムを作っていくという一つの目標があると思う。もっと難しいのは、課題1をやりながら、同時に課題2を考えないと、課題1の議論が無駄になる。具体的には、課題2は指標形式の全般的な目標の見せ方をどうするか。結局、このカリキュラムはどうなのかといったときに、複合的なものが余りあると見えにくい。どうなるかというと、例えば語彙の判断があって、語彙リストが見せられると割と単純化して見てしまう危険性がある。CEFRも結局、大きな目標の次のタスクと語彙、それから文法、ひも付けされたものができてこないと教科書にもしにくいし、先生は何をしたらいいか分かりにくい。こういったときに、それをどう見せるか。語彙の表に一貫して流れる骨格は何なのか見えるようにした方がよい。タスクベースが理想的だが、そこまでは無理だと思うので、例えば語彙、文法リストがあると、恐らく皆さんはそこに目が行ってしまう。どうなるかというと、語彙の勉強の仕方として、今、高校生は単語リストを電車の中で読んでいる。高校の先生の授業を見ても、最初の5分で「OK, please repeat」と言って単語だけを文脈なしでリピートする。それが大きな問題なのは、説明のあった最重要語の100語をきちんとやりましょうといったところにもつながる。その100語をきちんと学ばせるには、やはり英語で授業をやるしかないと思う。一方的に100語を使ってプロダクションしましょうと言ったところで身に付かない。やりとりをしながら、他の生徒がその単語を使うのを聞いて、生徒自身が使うのを自分で聞いて、先生が言うのを聞いて、いろいろな方向からやりとりしないと学ばないのではないか感じる。

○ 情意的な面について、強調するのであれば是非入れたい。例えば、14ページの課題2のすぐ上のブリットポイントの下から2番目について、「簡単に話す」という代わりに「相手にわかりやすい表現を用いて」とか書くときには相手が分かりやすいようにとか、どういう表現になるか分からないが、研修講座をやっているが、先生方はどうやって研修を選ぶかというと、タイトルしか読んでくれない。せっかくいろいろ説明しても読んでくれない。ということは、見る側がどう見るかということも想定しながら、この指標を見せることを考えないと、やはり私たちが議論したものがうまく伝わらない。

○ 最重要語の100語を学ばせることについては、ガイドライン、あるいは学習指導要領の中に、テキストや教科書でこういうタスクをやるのではなく、その趣旨が教員に伝わるように教員がこういうことをしてくださいという規定が必要である。

○ いろいろなレベルの考え方が入ってくるが、CAN-DOの中にも情意面や、そういうものをファンクション的な形で取り入れる可能性はあるので、具体的なCAN-DOの中にも何らかの形で触れるということは可能かと思う。

○ 先ほどの「できるようにする」とか「できる」という表現については、英語だけではなくて全教科に共通するもの。できれば、全教科で考えていかなければいけないものなので、これは総則・評価特別部会か、小学校部会で、その辺を統一していただけると大変有り難い。小学校は1人の担任が全教科を指導する場合があるので、そのときに一つ一つの表現が違ったり、細かいことがあると、担任レベルでなかなか消化できなかったりする部分がある。これは、今、あったように心情面もそうである。コミュニケーションというのは全教育活動、早く言えば徳育は全教育活動を通じてやる。英語だけではないので、例えばある単元のこの部分については心情面のコミュニケーションを図るというなら分かるが、全教科を通じている部分についてはもっと大きなレベルで御議論いただいた方がいいと思う。

○ CAN-DOリストについてしっかり整理して、その中でどうしても心情面ということであれば、きちんと議論することが必要か。全部組み入れていくと複雑化してしまって、現場に下りてきたときに先生方に全く見えなくなるという現状が時々ある。特に小学校については、全教科をやっていくときにどれがどれだか分からなくなることがあるので、そういう部分も含めて御議論いただけると有り難い。特に小学校の立場でそのように思う。
評価の在り方も、例えばこれまでの5・4・3・2・1とか記述というよりは、計数的な評価、あなたは話すことではこういうことができるようになりましたというような学習履歴が残っていて、それが小・中・高でつながれていくという形もあるということか。

○ CEFRの場合は自己評価。まず、大きな枠を基に、自分はどこまでできるようになったかという自信などをCAN-DOベースで自己評価する。また、パフォーマンス評価を組み合わせてポートフォリオの中で整理して受け継いでいく。できれば小学校から中学校はそういうものを、個人的に私はこんなものを勉強してきましたということを先生が受け取って、あなたは大体このぐらいのところにいから、こういうところはちょっと弱いから補強しましょう、ここから先は今のカリキュラムで大丈夫など受け渡していくことができれば一番いいと思う。
どこまでの内容を、どこまできるかというのは非常に大変だと思うが、少なくとも自己診断に関するものではある程度できるかもしれない。ただ、やはり自信度の問題を考えると、学習指導要領に書けるかどうかは別として、教育の一つの流れとして十分考える必要性はあると思う。

○ 上になればなるほど個人差がものすごく出てきてしまって、共通の高校を卒業したときにはこういうことができるようにしましょうと言っても、それに当てはまる生徒が一体何人いるんだろうかということは大きい。そうすると、そこに当てはまらない生徒は一体何を目標にしてやっていくのか。結局、ボトムアップ式に、そこで先生が設けた目標を達成するしかなくなってしまうのではないか。その辺の問題をどのように考慮しながらやっていくか。理想は当然、ここが目標なのだから、そこまで行くのには高校でここ、ここまで高校でやるのであれば中学校はここ、そこまでやるのであれば小学校はこことやっていくべきでしょうけれども、なかなかそれは難しいと思う。
高校になると商業、工業などがある。中学校までは同じ義務教育の中で目標もそれほど変わらないかもしれないが、高校になって変わっていったときに、果たしてどこに目標を設定するのか。その辺のことも全部考慮しないと、上で設定したものがそのまま下におりてくるというのは保証できない、難しい点であると思うが、何らかの形でその辺がクリアできれば、大変理想的でよいと思う。

○ 小・中接続、学校現場を見ていて、やはり小学校の教員が中学校の実情を知らない、その逆も、もうどこへ行っても強い。小中一貫校の校長をやっているときに、本当に簡単なことだったが、どういう題材を扱っているかを各教科で小学校1年から中学校3年まで、一言、二言ずつだが、書き出させていくと、例えば算数と数学は小学校3年で扱ったものが、中1でもう一回発展的に出てくるということが見えてくる。そういったものが何か学習指導要領にあるかなと思って見たら、国語や理科の解説には載っている。あのような一覧表形式のものを一つ学習指導要領の中で組み込んでいくことができると、接続の意識は変わってくるだろうと思う。

○ 英語の中でもちゃんとその辺の継続性、継承の文言だとか、そういうものもきちんと整備していくことが絶対必要

○ 英語の場合、この国の指標形式の目標を小・中・高の学習指導要領に何らかの形で添付していただければ、自分たちがどこにいるか、例えば小学生がこれを見たときに、自分は小学生だからここまででいいというわけではないと認識したり、今は、高校レベルにあると認識しながら家での学習を行ったりすることが可能となる。そういう意味ではできると思うので、これを小・中・高等学校高それぞれの学習指導要領に載せれば問題はすぐに解決するようと思う。

○ 学習指導要領の法的な関係で、最低基準ということで示されてしまうと、高校レベルの文言が本当に最低基準と捉えられるとちょっと誤解を招くので、どういう入れ方をするか、小学校からの流れを可視化するというのは非常に大事だと思うが、入れ方は非常に難しいという感じがする

○ 10年、20年後のグローバルビジネスの展望を踏まえ、現在の新入社員の最も弱いところ、不足感を感じるところはどこかという議論をした場合、1 すぐに正解を求める、また最初からやり方を聞きたがるということで、自分で試行錯誤をして自分なりの回答を見いだそうとする姿勢が足りないこと、2 自分の考えや思いの発信力が弱いこと、3 リベラルアーツが弱いこと、の3点が大抵挙げられる。これらについても、小・中学校から継続的に育成していかなければ、会社に入っていきなりそのような態度が身に付くということはないと思うので、是非重視してやっていただきたい。

(2)外国語教育において求められる資質・能力について
○ 資料1の「学習指導要領等の構造化のイメージ」について、全ての教科でこの三つの「知識・技能」、「思考力・判断力・表現力等」、「学ぶに向かう力、人間性等」で考えていこうということで、これは現行の学校教育法30条の2項を踏まえ、この流れはずっと引き継がれてきているものだということを確認しておかなければならないので、この図を新たに描き替えたりしないようにすることが大切である。
○ この2ページ目のたたき台について、ベースとなる出発点として、なぜ4技能をバランスよく総合的に身に付けなければいけないのか、なぜ今、英語力が求められているのかということについての前段があった方が、より分かりやすいのではないか。産業界において、なぜ今英語によるコミュニケーション能力を強調しているかというと、新興市場国に行って、実際に現地の社会のニーズや要望を踏まえた商品やサービス事業を設計して、それを現地の顧客や従業員と協力しながら組み立てていって成功させなければいけない中で、英語を使って、お互いの要望を聞いて、話合いの中でお互いが納得できるソリューションを見いだしていかなくてはならないという現実のニーズがあるからである。まさに最終的に英語を使ってどういうことを目標にしていくかというイメージがあった方がより分かりやすいのではないか。

○ 日本の学生の約8割以上が大学、又は専門学校に進学することを考えると、高校卒業段階で実際に終わるわけではなく、例えば産業界から求められる英語力ということを考えた場合、その後に大学の4年間、若しくは専門学校の4年間という段階があるということを考えると、小学校の4年間と中・高校6年間と、それからその後の大学等の4年間の計14年間という形で英語教育全体を考えて、社会に出るときにどれぐらいの英語力が求められるかということから逆算して、各教育段階で達成すべき能力というのを考える視点が必要ではないか。また、そのときには各学校段階の接続、小学校と中学校、若しくは中学校と高校の接続も必要であり、また高・大接続の観点というのも必要ではないかと思う。

○ 産業界をはじめとする社会から期待される外国語の能力ということで、英語の能力というのが、特定の学問とか職業分野に進む場合だけではなくて、どのような職業に就くとしても生かすことができる必要な素質・能力としてそれを育成することが求められるというような目的を書いたことが重要だと思う。産業界の方でも、今までは英語が必要なのは一部の海外要員とか、駐在員、若しくは大企業のみといったような視点があったが、今では、国内の本社で働いていたとしても、隣が外国人社員であったり、中小企業のサプライヤーであったりしても、海外の工場長と毎週スカイプで英語で会議をやっているといったようなこともよく聞くので、一部の人ではなくて、全ての人にとって英語力を育成するのが必要だという視点をまず入れていただいたことがよいと思う。また、高校卒業段階までに育成すべき資質・能力を設定した上で、それを高校、中学校、小学校という形で落としていって目標設定をする視点も非常に良いと思う。ただ、この後の大学とか専門学校等につながっていくというところがあり、特に高等教育の方では、文科省も、英語で全て授業やゼミを行う、意欲・能力のある人が全員海外留学に行く「トビタテ!留学キャンペーン」も進めているが、大学で今目指そうとしている英語教育のレベルに、本当にその後の高校卒業段階がつながっていくのか、その視点での高大接続という視点も考えていただければと思う。

○ 「高校卒業段階までに育成すべき資質・能力を設定した上で中学校、小学校の達成すべき」という点について、ここは非常に大事な点だと思うが、小学校で外国語活動が充実しているのにもかかわらず、中学校でなかなか円滑に接続をしていないという課題があるので、高校の卒業段階から下におろしていくというのは当然だが、小学校でやっていることを中学校へ、小学校・中学校でやったことを高校へという、そちらのベクトルも少し補足として文章化していただいた方がよろしいのではないか。中学校の教員がこれを読むと、高校からおりてきて小学校も高校が変わったから、中学が変わって小学校も教科化が図られているという誤解が生じてしまうのではないか。補足ができるのであれば、小学校から上がっていくという部分も触れていただければと思う。

○ 地域の学校教育において、チーム学校、地域の力を活用するということが話題になっている。地域社会にも、海外で活躍されている企業やNPOの方、スポーツマンで国際的に活躍されている方がいるので、そういった方の力を活用し、英語を使って何ができるようになるのか、英語が使えると生活がどう変化して、また人生、知識や見方が広がるのか、自身の活躍の場がどう広がるのかといったことを生徒に伝えていけば、なぜ英語を勉強しなければいけないかということに対する意欲が高まり、ひいては、授業時間以外にも、個人の学習意欲が高まるということになるのではないか。

○ 外国語教育に求められる資質・能力の3本の柱の「積極的に」という文言があることについて、外国語活動の小学校に「積極的に外国語を聞いたり」、その右側に「積極的に友達に質問したり」ということと、外国語の小学校の方に「積極的に外国語を読んだり」また、中学校と高等学校は一番右の「学びに向かう力、人間性等」の欄に「積極的に」という言葉が入っているが、これが分かりにくい。積極的に外国語を聞いたり話したりするというのを個別の知識や技能の中にこういったものを入れるべきなのか、一番右の「学びに向かう力、人間性等」の欄のところに全て「積極的に」というのを置くべきなのかというところの「積極的に」という情意面のところをどうするかを整理する必要があるのではないか。

○ 「思考力・判断力・表現力等」における「積極的に」というのは、傾聴するという意味合いや、積極的に関わるという意味で使っていると思う。コミュニケーションは必ずしもいつも積極的である必要もなく、場合によってはコミュニケーションを避けるという手段も必要になると思うので、特に一番右の「学びに向かう力、人間性等」の欄については、「適切にコミュニケーションを図る」とか、「その目的や相手に応じて」というようなニュアンスが伝わるようにした方がいいのではないか。現行の学習指導要領には「積極的に」ということが明記されているので、なぜ、そこが変わったのかについてフォーカスされると逆効果なのかなという気はするが、「積極的に」という部分に関しては、再考した方がよいのではないか。

○ 「積極的に」という箇所について、例えば知識・技能のところに「積極的に」が入ったときに、知識・技能に「積極的に」を入れると、学校はどう評価していくのかということがまず問われる。同じく、「積極的に」を「思考力・判断力・表現力等」に入れることについても、「適切に」というのであれば、そこに思考力・判断力・表現力が伴うので、入れることが可能であると思う。

○ 学力の3要素を整理して、学校現場では大体4観点、国語で言うと5観点になっているが、関心、意欲、態度の評価がかなり難しい。現場の中では、関心、意欲、態度が「積極的に」と言うと、何回手を挙げたか等、本来の趣旨とは違う観点で評価をしてしまう。目に見えやすい評価にしてしまうということになった場合に、この3観点目の「学びに向かう力、人間性等」のところの「積極的に」という言葉だけで、また今の問題点がそのまま再現されてしまうのではないか。ここの表現をもう少し現場が適切に評価できるような表現にならないのか。言葉だけが独り歩きして、「積極的に」だから何回手を挙げればいいとか、何回関わったらいいなどといった評価にならないような工夫が必要である。

○ 今、小学校においても意欲、関心は学習の中において、その単元の目標に関する点において子供たちが積極的であったかどうかということであって、発表する回数であるとか、ノートがたくさん書いてあるとか、そういった点ではないということを踏まえると、小学校においても、「積極的」というのはたくさん発表しているとかではなく、言語を扱おうとする態度そのものを見取っていることではないか。

○ 外国語活動の中で、積極的に外国語で聞いたり、話したりすることについては非常によく理解できる。これは、子供たちが話をしていく中で、自分の知っていることを使いながら相手とのやり取りをする。いろいろリアクションも含めて積極的に「聞いたり、話したり」する姿がイメージできるが、小学校の外国語のところに、積極的に外国語を「読んだり、書いたりすること」となると、文言としては非常に並んでいてきれいに見えるが、文字に重点を移すという意味合いに取れてしまうのではないか。文字については、明確にこうやって取り組んでいるというのは出ていなかったように思うが、この点が出ると、ここに重点を置くように変わると捉えられるのではないか。

○ 個別の知識・技能は、英語の方では4技能をCAN-DOリストのところでうまく入ると思うが、「思考力・判断力・表現力等」をそれぞれの教科でどのように定義していくかということが非常に難しい。

○ 「学びに向かう力、人間性等」について、現行の学習指導要領では関心、意欲、態度の項目は、他の観点に係る重要な要素として、他の観点との関わりの中で一番右側の態度のところを出してくるというのが現行の形である。しかし、この「学びに向かう力、人間性等」は今回の議論でかなり広がっていて、コンテンツベースとコンピテンシーベースのそれぞれの学力を同時並行的に行っていくとなると、この三つ目の枠の中身が単にコンテンツベースとコンピテンシーベースそれぞれの重要な観点だけを抜いたり、それぞれを統合した形で書いたりしてよいものなのか否かそのあたりが非常に大きく関わってくると思う。

○ 「学びに向かう力、人間性等」について、学び方を学ぶという要素が、この表の中には見えない。小学校のレベルではそのような気持ちが積極的な態度と同時に大事なのではないか。

○ 現在の中学校・高等学校の観点別の評価は、コミュニケーション、関心、態度、情意面であり、この表で言うと右側。また、外国語表現の能力、外国語理解の能力というと技能面から見ると、知識・技能となる。非常に難しいのは、現状では言語文化についての知識の理解という、言語材料についての知識や、あるいは社会文化としての知識ということで、思考力・判断力・表現力について、ブルームのタキソノミーという言葉があるが、その中に入っているような六つの階層構造が全部ここに入るのか。これが将来的に評価の観点ということになったときに、どこがどうなるのか非常に難しい。現状の外国語の枠組みだと、最終的に創造的に考えるとことが現状の外国語教育の観点別の評価にはなかなか入りにくいが、そこが今度ここに入ってくるのかどうか、その仕分が難しい。

○ 「思考力・判断力・表現力等」については、今まで評価が薄かったスピーキングとライティングのテストの中で非常に重要な項目になってきているので、外部試験等を現場の先生方が慣れることによって、どのようなことを評価するのかがより明確になるのではないか。
英語調査の分析が進んでいるが、そちらの方でも、この点は明確に出てくるのではないか。ただ、知識・技能とどう差別化するのかという部分が難しいが、どういうインタラクションをするかとか、質問されたことについて、どう論理的に自分の意見を書くかという部分については、大きな枠というか、構造を思考力・判断力・表現力で見て、それぞれの文法や語順とか、単語の選択について左側で見るというような関係性で整理すれば、それほど現場は混乱しないのではないか。

○ CEFR的な技能でいくと、1人の人が4技能を全部同じようなレベルで身に付けるということが現実的に少し難しい場合があるので、例えば「思考力・判断力・表現力等」あたりの一番下の高等学校レベルで見ると、「聞いたり読んだりしたことを活用して話したり書いたりしたり発信する能力」というのが、これをB1からB2と規定すると、同レベルで入れて出すということができるような力を付けなければいけない、とした方がいいのかどうかは今後検討する必要がある。

○ 小学校と中学校・高等学校が資質・能力においてつながっているということと、小学校と中学校間にある程度の差がある。差があるということに関して、知識・技能においても、積極的に文字を用いてコミュニケーションを図るというふうに中学校と高校の知識・技能と差を付けてある。飽くまで小学校においては、聞く、話すことが中心であるということが見て取れる。情意面のところについては、学びに向かうことも、楽しさ、大切さを知るというように、現行の成果が出ていたと思うが、それを引き継いでいる。そして、中学校以降は、相手を「聞き手・話し手、読み手・書き手」とあるが、小学校では「相手意識」にまとめてあり、ここに差があるということが小学校の発達段階においては、非常に大事なところであると思う。思考力・判断力・表現力においても、中学年の簡単な語句や表現を引き継いで、高学年がなじみのあるというふうに段階を追って、思考力・判断力・表現力においてもレベルを上げていくというあたりが中・高と差が付いているところは非常に良いと思う。学習する子供の視点に立って育成すべき資質・能力が整理されているというところは非常に良いと感じた。

○ 「個別の知識や技能」について、言語文化についての知識・理解というところを技能面のところにも位置付けたというのは、大変評価をしたい。例えば、書くことで言うと、符合や文字を正しく書けることや、正確に文で表現できることは、文脈から離された活動で、英語の学習指導要領の中にも書いているが、言語材料を理解したり、練習したりするための活動で習熟できるようなものになっている。ここになかなか思考力・判断力・表現力を必要とするような言語活動が実現しづらい。むしろ今、英語教育にとって必要なのは、実際に英語を使用して、自分の考え等をお互いに伝え合ったり、理解し合ったりする活動と思うので、そういう意味では基本的な技能の面をしっかりと知識・技能ということで、それをどう応用するかということの図式が見えたのは大変良いと思う。

○ 「思考力・判断力・表現力等」については、外国語を使ったときの思考力・判断力・表現力とは何かと考えたときに、文脈は考えるべき事柄になると思うが、もう少し具体的に言うと、指導要領で言われているのは「状況に応じて」と「目的に応じて」であり、この観点でいかに言語を使っていくか、知識を使っていくかということが、思考・判断・表現に関わってくる力だと思う。例えば「What sport do you like?」と聞かれたら、「Baseball.」一言でもしっかりコミュニケーションできるが、「自己紹介してごらん」と言われたときに「Baseball.」一言では自己紹介にならない。そういう意味では、状況に応じて、いかに言語を使用していくことが適切なのかを考えて使える力というのは、実は小学校の段階から必要ではないか。そういう意味では、「適切に」という言葉が、高校の段階で入っているが、これを小学校から位置付けていくことで、思考・判断・表現の具現化は可能ではないか。

○ 子供たちが習ったことを場面が変わった中でどう生かすことができるか、使うことができるかというのは、すごく大事なことだと思う。「Baseball.」と言ったときに、「Baseball.」だけでは伝わらないので、状況や場面が変わったときに、習った言葉を、うまく表現も含めて使ってコミュニケーションできるということがすごく大事なことだということで、「積極的に」というよりも、幾つかある中で「適切」にそれを使うという方がいいのではないか。

○ 2枚目の縦列を見ると、例えば、外国語の小学校のところだと、聞くと話すについて、上の外国語活動と比べると、消えているため、文字を中心にやればいいのかなと思い込んでしまう。ただ、読めば、「聞くことに関する知識・技能」「話すことに関する知識・技能」と入っているが、日本語の表現が上と対比をしやすく書かれているので、逆に現場の先生はかなり軽重を付けてしまうのではないか。

○ 資料2「外国語教育において育成すべき資質・能力について」について、「コミュニケーションを図る」という言葉が出てくるが、現場の先生と話している中で非常に感じるのは、このコミュニケーションというものが、非常に思考や感情、情報の伝達のみのところで考えられていると。要は、話すだけとか、そういうところで、コミュニケーションの重要なところ、例えば、意思の疎通であったり、気持ちが通じたりというようなところに迫っていく必要がある。そのための思考、判断、表現であるということを考えると、この「コミュニケーション」という言葉については、若干説明をしておかないと、表面的なコミュニケーションの楽しさというと、何か外国の人と話をして楽しかった、で終わってしまうようなところが多々あるのではないか。「言語力の育成方策について」において、「他者とのコミュニケーションに関すること」として、「自己を表現し、他者を理解するなど」と、お互いの考えを深め合うというところ、このあたりを強調していく必要があるのではないか。

○ 2枚目に書いてある小学校の外国語活動、小学校の外国語のところで、言語を用いてコミュニケーションを図ることの大切さを知る、そして文字を用いてコミュニケーションを図ることの大切さを知るとある。これは、あたかも系統的な形で書かれているが、これを系統的なものだと先生方が取ってしまうと、小学校の外国語では文字というところがかなり強く出てしまうと思う。この言語を用いてコミュニケーションを図るというのは、全体に係ることであるからここで並べて書くと誤解が生じるのではないか。

○ 「相手意識を持った」、「他者を尊重した」という言い方について、相手意識を持ったというのが、コミュニケーション能力に係る形容詞としてのものであるのかというところを少し考えなければいけないのではないか。そもそもコミュニケーション能力を形容する言葉として「相手意識を持った」というのを限定的に使ってしまうのかというところが少し気になる。また、「相手意識」という言葉と、「他者を尊重した」という言葉にどのような具体的な違いが込められているかというあたりもきちんと説明をしないと、言葉だけで先生方にはなかなか伝わらないか。

○ 中学校と高等学校のところについて、「尊重」と「配慮」という二つの言葉があり、先ほどの目標のところを見ると、中学校の方が「他者を尊重し」ということで終わっていて、高等学校の案の方は、「他者を尊重し、聞き手・話し手、読み手・書き手に配慮しながら」となっている。資料2の右側の中学校と高等学校が同じ文言になっているが、中学校と高等学校で、この部分に関しては、さほど差はないのではないかと思うので賛成である。基本的に中学校と高校ではこの辺に関しては、同じスタンスでいいのではないか。

○ 2ページ目の二つ目の丸で、2段落目について、改善になる点ですけれども、小学校から中学校へ考えると、「聞き手、話し手、口頭のコミュニケーション」から「読み手、書き手、文字コミュニケーション」というまとまりも理解できるが、発展性、指導する内容とすると、話すときに聞き手を思いやりながら伝える態度面や技能面の指導と、書くときに読み手を意識しながら伝え伝えるときに必要な態度面あるいは技能面が共通し、それから、聞いて理解するときや読んで理解するときに必要な態度面というのはかなり共通するということを考えると、「聞くことから読むこと」や「話すことから書くこと」という発展性が中学校、高等学校段階ではあると思うので、そのような順序性もここに盛り込まれるといいではないか。

○ 小学校のところに出てきた「相手意識」という言葉について、「相手意識」という言葉の捉え方が一般の先生方にすんなり落ちるか、共通理解が持てるかどうかが気になる。

○ 「学びに向かう力、人間性等」について、中学校と高校が同じになっているが、今まで学んできた経過から言うと、高校のところでも少し文言を変えていった方がいいのではないか。高校では、コミュニケーションを何のためのコミュニケーションなのかということを意識して、例えば、何かの課題解決に向けてのコミュニケーションなのか、よりその場のレベルの高いものを生み出すものなのか、いろいろコミュニケーションの目的を考えたものができないといけないか。言葉とすると、どういう言葉を使っていいのか分からないが、「積極的に」というところがいろいろな捉え方があるのであれば、コミュニケーションというのは「円滑なコミュニケーションを図ろう」ということや、先ほど出た「適切な」といったところで、お互いが理解し合っていいものを生み出していくようなコミュニケーションというイメージが湧けばいいのではないか。

○ 「相手意識」は、相手という存在がいるということなのか、それとも相手のことを考えられるというところなのかということについて、特に小学校のところで、資料3の目標の改善例のところに書かれているが、左の方は相手の存在、そして、尊重するということだろうし、高学年の方は、話し手や聞き手のことを考えられるということではないか。

○ 学習プロセスの図で、上の目的に応じたコミュニケーションのプロセスの中には、「言語活動」という言葉があるが、今回の論点整理の中にもアクティブ・ラーニングが出てきていて、アクティブ・ラーニングを簡単に言うと、見通しと振り返りと言語活動という言い方があるので、このあたりが上のところに振り返りはあるが、実は見通しの部分をどのように捉えていくか。それと、言語活動との関係がどのようになっているかがこの図ではよく分からない。

○ 4枚目の一番下に米印に例示が書かれており、このまま読むと、この括弧内が全てだと思ってしまう。学校現場の教員からすると、聞いたり読んだりして得た情報について、その概要や要点を的確に把握してやればいいと思いがちなので、できれば2技能以上のものを二つ、三つ例示をした方が、機能統合型の活動のイメージがしやすくなるのではなかいか。

○ 最後のページの「『英語』において特に重視すべき」というところについて、領域というのが新しく出てきたが、海外のCEFRでは、4技能の領域を分けている中で、話すことと書くことにはインタラクションというのが設けられている。これだと全て一方通行の感じの記述になっており、受けるだけ、出すだけという感じの記述に偏りがちではないか。最後の技能統合の部分も、一方的に聞いたり、読んだりして、それを咀嚼した後、一方的に出すみたいな感じになっているので、そこはもう少しインタラクティブな側面を入れないと、レベルが上がっていくときに、そういうインタラクションが上手にできるという部分が表現できる側面が必要かなと思う。

○ 学習プロセス、思考、判断、表現について、「技能」と「領域」という言葉が出てきた。昭和の学習指導要領では、「3領域4技能」という言い方がされていた。この領域というのは、意外と先生方はなじみのない言葉、ニュアンスとしては技能が四つのスキルであるとすれば、領域というのはそれを用いて学習する言語活動であったり、学習内容であったりという理解をしているが、その言葉がきちんと定義されずに出てくると、先生方は非常に混乱するのではないか。また、領域は力であるのかというところを考えてみる必要があると思う。さらに、「複数の領域を統合的に活用」の箇所では、領域というのは活用するものかであるのか、要は、ここで技能や領域がかなり混同してきているのではないか。

○ 主体的に学習に取り組む態度と外国語活動と小学校の外国語について、「コミュニケーションを図ることの楽しさや言語を用いてコミュニケーションを図る大切さを知りコミュニケーションを図ろうとしている。」ここの部分の前段の「知り」というところが、態度の評価の内容としていいのかどうか。むしろ知識、技能の部分に大きく関わるのではないか。つまり体験をすることによって、そういう知識ないしは体験を持っているということで、もしかしたら小学生の場合には、相手意識を持って図ろうとしている姿があるというところにとどめておいた方が、実際の評価の場面であるとか、指導の場面では適切ではないか。どういうことかというと、楽しさや大切さを知らずに相手意識を持ってコミュニケーションをしている姿があったときと、楽しさを知りながらコミュニケーションを図ろうとしている姿があったときの違いがなかなか見えづらいのかなと感じていて、この前段部分の当てはまりが難しいと感じた。

○ これまで4観点でやっていたものを3観点にするというところで、学校の先生方がどういったことを考えるかなと思ったときに、これまでの言語や文化についての知識・理解。この知識・理解という枠組みと、今回の知識・技能という枠組みの整理は非常に重要なところではないかと思う。今回のこの知識・技能の範疇というのは、これまでの言語や文化についての知識・理解プラス表現の能力、理解の能力を一部分を含んでいるものと受け止めている。今回の3つに分けたときに知識・技能というものを、これまでの知識・理解と同じ内容で、語彙とか文構造についての知識・技能としてしまうと、これまでのCAN-DOの考え方、どう結び付けるかというところで、整合性がなくなる。しかし、この知識・技能というところに、これまでの知識・理解と、それから、それを使って活用する力の表現の能力や理解の能力を含めて考えると、この知識・技能のところにCAN-DOがぶら下がってくるのではないかなと思う。では、思考・判断・表現というところはどういうところかというと、深い学び、対話的な学びのことになる。つまり、外国語学習を通して何を学ぶのかというあたりの少し高次元な内容になるという気がしている。

○ 今、思考・判断・表現力の中の定義として、教科等の本質に根差した見方や考え方と書いてある。ということは、私たちが思考力・判断力・表現力とは何かということを考えるときに、英語の本質に根差した見方や考え方は何かということを考えることだと思う。そのときに私は、英語という科目には2層構造があって、1つは言語というものを学ぶことについて深く考えて学ぶ一方で、言語を使って学ぶという、クリルとかコンテントライン、そういう2層構造になっていると考えている。英語とは何かと聞いたときに、言葉を学ぶという側面があるし、言葉を使って生活していくし、クリエートしていくしという側面がある。そうすると、本当にそれがそうなのだなというと、例えば3観点あって、最初の知識・技能のところがCAN-DOなのだというと、思考・判断・表現のところが限りなく忘れ去られるような、そういう危険性もあるような気がしている。特に小学校は、やはり中・高と違って、教えられる小学校の先生も、どちらかというと教育とか、見取りとか、そういうフレームで、ちょっと違うと思う。そうしたときに、思考・判断・表現というのが、そういうものの中に混然一体と入っていかないと、その小学校のよさが出ないなとも思う。その辺が今の。サイエンティフィックにいけば、知識・技能というのはCAN-DOが入り、表現、理解も入りというのはそうだが、もしそうしてしまうと、じゃあ高次の英語を使った思考・判断・表現のタスクなりパフォーマンスやるのは、スーパー・イングリッシュ・ランゲージ・ハイスクールの生徒だけというふうになりはしないかと思っている。

○ 知識・技能ということの割り方でいくと、知識といっても、例えば言葉に関する知識を知っているが使えないという部分がある。知っているというレベルと、あと実際にそれを使えるかという技能と、両面が必要。また、バックグラウンドとして様々な文化的なこととか、知っていないと言語運用上、知っておいた方がいいような知識もある。そういう部分で知識・技能というくくり方になると考えている。

○ 本来のCAN-DOリストということの議論から、ほかの力とどう関係付けようかということをイメージ化しようとするので、非常に抽象度が高くなってくる。本来的にはCAN-DOというのは、例えば自己紹介する、お互いのインタラクションで何か相手のことを知りたいと思うときに、どんなことを聞くかとかいうことの、非常に具体的なCAN-DOリストを基にして考えたりすると、そこでも、やっぱりクリエイティブに相手のことを考えて、相手のどんなことを知りたいかと思っているかみたいな質問の1個1個に、その子の個性や、あるいは、そこに出てくる思考力・判断力みたいなことも出てくる。だから、やはりCAN-DOリストの部分で明確に階段を作りながら、その階段をどういうふうにパフォーマンスで見ていくかという中に、こういう側面を絡めていくような方が、議論としては、よりシンプルになって分かりやすいんじゃないかと思う。教員研修なんかをするときにも、大きな全体像をもって説明するというのは非常に分かりにくいと思う。だから、やはり大きな構造の中での流れを示しつつ、もう少し実際の教材や単元のレベルに落ちていったときのイメージとどうマッチするかということを上手に見せないと、その辺で教員の感覚から非常に離れちゃった議論になってしまうのではないかなというのを心配している。

○ 多分CAN-DO自体がかなり、先ほどの指標形式のものというのが、大きな指標のレベルから、もう少し単元レベルのCAN-DOというか、そういうものの階段がちょっとあって、その小さいところに下りていったときにも、やはり大きなところのプロセスや、ほかの分野の力との関連が、こんなふうにパフォーマンステストで実現されて見るといいなど、そこのリンクがちゃんとしていると分かりやすいと考えている。

○ 校長として全体のカリキュラムを見たときに、他教科と比べて外国語科の特性からCAN-DOが入ってくるが、実際に他教科全部風呂敷を広げたときに、そのCAN-DOってどういう位置なのか。校長がどこまで理解ができるのか。それがないと、他教科との関連、国語科との関連を考えて今後、外国語科も進んでいくわけだから、学校教育として、うまく外国語科が全体の中にはまっていかないんじゃないかなという危惧を感じている。

○ 主体的に学習する態度ということで、抽象的ではなくて、しっかりこういう形だと示す必要がある。これは英語だけではなくて、全教科統一していくので、それがしっかり固まっていないと、何となく、また主体的に学習する態度というのは、教員それぞれの思いとか、現場それぞれの思いで動いてしまうのが大変心配だなというのを思っている。中・高では、その教科によった関心・意欲・態度、今回は、その3観点目はこうだなということで理解いくが、小学校は、その3観点目を全教科に下ろしていくので、それを、ある程度こういう形だということを示さないといけない。これは英語だけではなくてという表し方をしないと、また小学校の方ではかなり難しいと考えている。

○外国語を話したり書いたりして適切に表現し伝え合うことということで、プロダクションのところにかなり重きが置かれて、伝え学びということで、その前の情報や考えなどを活用してというところの思考・判断力のところに関して、もう少し聞くこと、読むことあたりの文言を入れておいて、バランスよく記述することはできないのだろうか。

○目的に応じてどんなふうに書いたらよいか、を考えさせたり、あるいはその目的は何なのかということを子供たちに捉えさせる。そういうことが「深い学び」につながるという意味では重要

○ほかの教科で言う「深い学び」というものの具体的な思考、あるいは活動と外国語におけるそれとは多少ずれがあるのではないか。例えば単語の知識とか、いわゆる力わざの知識というのがない子たちもそれなりにいろいろ考えながら、そういう子たちにとっては、例えば英語で自分のことを自己紹介するということ自体も、かなり「深い学び」になるのではないか。

○文化を尊重するというのは分かるんですけど、子供のレベルで言語を尊重するというのは、どういうことなのかということが若干分かりづらいのではないか。

○「幅広い話題」というのも、もう少し深掘りすることによって、今、出ているような深い思考というのにつながるのではないか。やはりどういう話題について何を考えるのかということが外国語教育の中でも大事だと思いますので、その点について検討する余地はあるのではないか。

○日本の文化が常識と思っていることが実は違う文化では非常識だとか、違う考え方があるとか、そういう視点を英語教育、今までもそういう視点で書かれているレッスンもあるかと思うが、そういう点を強調すれば、外国の人の視点、外国の文化の視点というのを読んだり、それから、聞いたりした上で、それについて自分たちの意見を言うというものを入れれば、外国語教育の特徴というのは出てくるのではないか。

(3)「アクティブ・ラーニング」の視点に立った学びの推進の視点を踏まえた英語を通じた教育の充実
○ 「言語習得の観点で言うと、言葉を学ぶためには、たくさんのエクスポージャー、インプット、つまり触れることと、実際に言葉を使っていくことが大事。アクティブ・ラーニング、と教科の特性としての英語の学び方をつなげられるようなことが考えられるとよいのではないか。

2.小・中・高等学校を通じて一貫した教育目標(指標形式の目標を含む)・指導内容、学習過程等の在り方
○ 外国語の目標に関して、外国語の場合、学年指定がなく、学年ごとの到達度、あるいは指導目標が見えにくいが、実際は学ぶことと実際にできるようになることにずれがある領域もある。例えば国語の小学校の漢字の例では、1年生で扱った漢字を、2学年にわたって確実に定着するように指導することなどが求められている。このような少し長い目で見た指導と到達目標が入ってくるとよい。

○ これまで、言語活動を充実させるということで、英語を使った活動はたくさん行ってきたと思うが、実際に英語を使うということに主が置かれてしまい、思考・判断・表現といった部分がなかなか見えづらくなっている。あるいはそういう活動を通してどのような英語の力を付けたいのかということがなかなか見えづらく、短期的に単元構成をしているような現状がある。そのような意味では、CAN-DO形式の学習到達目標をしっかり据えることで各指導の位置付けの明確化を一層進め、英語の理解の能力、それから表現の能力の裏側にある思考・判断・表現の力を英語の教科の中でも何らかの形で重視できるような形になるとよいのではないか。

○ これまでの研究開発の実践の成果・効果にあるように、小・中・高の学びをつなぐという意味では、ばらばらに各学校が目標を設定しているものから、地域内のつながりで連携したCAN-DO形式の目標の共有が非常に重要であると考える。CAN-DO形式の目標を学習指導要領の中に入れるとすれば、それが大きなバックボーンになる。それを踏まえ、実際に教科書レベルに落として実行しようとすると、細かいCAN-DO形式の目標が必要になるが、各自治体や、地域でどのように共有されるかが非常に重要。小学校の内容を受け渡していく中学で全く違うタイプのCAN-DO形式の目標を持っているのは現実的ではないので、地域単位でたくさん作るなどの取組を進めていくことが必要ではないか。

○ CAN-DO形式の目標で小・中・高をつなぐことは非常にいいアイデアだが、ヨーロッパでやっているように、CAN-DO形式の目標がまずできた後は、そのCAN-DO形式の目標を実現するための語彙や表現、それから文法事項などの記述が必要になる。これを余り適当にやっていると、CAN-DO形式の目標はスローガンのようになってしまい、それぞれの持っているイメージはかなりばらばらのまま教材ができることがある。

○ 同じCAN-DO形式の目標の文言でも、レベルが違うと内容の言語表現が変わってくるので、そのような言語表現はCAN-DO形式の目標設定の実践例のように、コマでやったということが何かの形でCAN-DOの中身の肉付けをしてできるだけ共有することが重要。また、教科書では統一して作成されていないので、かなり内容にばらつきがある可能性があることを前提として、今後、児童生徒の根幹となる力を付けるには、このようなCAN-DO形式の目標との語彙、表現がセットになって示されて、何らかの形で一緒に共有できるような作り方にすべきではないか。

○ 大学を卒業した時点、若しくは専門学校等を卒業した時点で、いわゆる産業界が期待しているような英語でビジネスができるレベルに達するには、英語力に関して大学までにどこまでのレベルに達するのか、高校卒業段階ではどこまでのレベルに達する必要があるのかといったイメージで逆算し、各教育段階での育成すべき、達成すべき素質・能力ということを検討すればよいのではないか。


○ 県では、中学校においては2年ほど前に、県でCAN-DOリストの作成の手引を作成した。教科書の単元からCAN-DOリストをボトムアップで作っていく方法をとり、各単元の目標を技能ごとに一つ絞り、一つの目標を設定する。それぞれの目標を蓄積することで、読むことについてはどんな力が付くか、書くことについてはどんな力が付くかという考え方で、教科書からCAN-DOステートメイントを作っていくという考え方で作成している。
○ CAN-DOステートメイントを作成する中では、出来上がったものの整合性、妥当性などを検証していかなければ、非常にばらつきのあるものになってしまうということを感じる。

○ 世界的に見るとA2レベルぐらいまでで身の回りことは、ほぼ言えるようになる。調査している範囲では、語彙数では約2,000語になる。高校卒業時の到達レベルについては、実際に身に付くレベルとしては、A2レベルぐらいが十分できれば相当成功している教育レベルだと言える。さらに、上位の3割ぐらいはB1、B2というレベルまでのパフォーマンスとして到達できるぐらいになれば、かなり良い方向だと考える。
一方で、シラバスとして小学校までにすると、言語材料の内容はもう少し高度なものを入れていくことになるが、あまり上のものを入れ過ぎてしまうと、ついていけない子供たちの層がたくさん増える可能性があることに留意が必要ではないか。

○ CEFRのA1、A2、B1、B2、それぞれ幅がかなりある。CEFRの方に合わせていく枠組みと、小学校の3・4年、5・6年、中学校、高校は一つのまとまりで案が提示されている。この枠組みについて非常によく分かるが、どのように目標をくくって示すのか。例えば中学、高校も大きく二つに分けて枠組みを作ることはあるのか。特に高校に関しては非常に幅が広いので、その枠組みに関して最終的にどのように示していくのか検討が必要ではないか。

○ 大枠のCEFRは言語材料などとセットで段階付けがあるので、もう一つの考え方として、県の取組例のように、例えばテーマ、内容などで、日本の高校の卒業生は英語を学ぶことによって、このようなことができるようになるというようになれば、同じ自己紹介や地域紹介でも、その学校の生徒のレベル、知識に応じたことができる。それがCAN-DOのスピリットであると理解しているので、そのような切り口も議論することが重要であると考える。どの学校の生徒でも、自分なりにこれができるということが本来のCAN-DOの動機付けの道具としての役割であると考える。
一方で、具体的な指導という点では、語彙とか構文とか表現等きちんとヒモ付けされていないと指導ができにくいというのもあるが、高等学校の多様性を踏まえると、全員これができる、しかしながら、言語材料については差があっていい、というようなことを共通理解した方がよいと考える。
なお、高等学校の先生方の研修を担当している立場からは、高等学校は、もともとの英語に関する知識の量が入学時でかなり違うので、例えばCEFRレベルでラベル付けが貼られると、この学校はAレベルで、この学校はBでと評価されることに対して懸念している。

○ 大きくB1とざっくり言い過ぎてしまうと、大ざっぱなくくりでラベルを貼るような感じになってしまうのは好ましくない。CEFRで5技能あって、5技能で一人のユーザーの人がいろいろなレベルをばらばらに持っているということがある。自分は読み書きできるけど話せないなど、でこぼこがあることを、小・中・高で受け渡すCAN-DO形式の目標で、どのようなことが自己評価としてできているかなど、きめ細かい部分もCAN-DO形式の目標を通じた受渡しが必要。そのようなことを通じて、でできている部分を評価し、できない部分の底上げをするようなカリキュラムを各レベルで作ることが必要ではないか。

○ 小・中・高を接続させることが大切であることから、各校種において学年別といった短いスパンで考えるのではなく、校種の枠を外しCEFRのような枠組みで作成する方がよいのではないか。また、校種間の連続性の明確化や校種間連携を一層進めていくためにも、学習指導要領も小・中・高一体的なものあるいは連続性を強く意識したものにしていくことも考えられるのではないか。

○ これまでのCAN-DOを作るときは、例えば中学校の場合、学年別に作成してきたが、このような学年での枠組みは非常に難しいと感じている。むしろ、CEFRの枠組みを活用していく方がよいのではないか。例えば、小学校5・6年生では県の取組として複式学級として一体的に取り組んでおり、5年生、6年生を分けるとしたら、何を根拠にここを分けていくのか。県でも幾つか構成要素を考えて、それを系統的に並べていくが、系統的に並べたとしても、果たしてそこにどれだけの妥当性があるのか。例えば学校で作られたCAN-DOリストを見ると、1年生の段階では3文程度、2年生は5文程度という言い方をよくされるが、果たしてこの3文というのが本当に英語の力を示す基準になるのか。同じ自己紹介でも、3文でできるものもあれば、3文で十分にできる内容の濃い文章もあるかもしれないと考えると、分量はどうか。そのようなことを考えると、これまでは1、2、3年生で行っていたが言葉遊び的な感じになってしまうのであれば、もう少し大きな枠で捉えた方がよいと考える。例えば中学校の先生は、中学校1年生でこれを100%、中2でこれだけ100%、中3でこれだけ100%やるんだという形で達成しようという考えよりも、むしろ中学校3年間で100%のものがあって、中1段階でそれが30%は達成していくというような考え方の方がよいのではないか。

○ 「CAN-DOリスト」の形での学習到達目標の作成において、小・中・高のつながりを考えながら適切な能力記述文を設定することは、現場の先生方にとって決して簡単なことではない。中学校の場合、英語の教員が一人という学校も少なくなく、作成方法や完成した目標、その活用方法等に学校間の差が出ることが考えられるため、国がその大枠を示す方が好ましいと考える。また、根拠のない能力記述文や、妥当性に疑問のある能力記述文になる恐れもある。教員にとって大切なのは、勢力をついで学習到達目標の能力記述文を作ることではなく、到達目標をどう具体の指導に落としていくかを考えることであると思う。その方法を示すことも大切である。

○ 教員にとって最も重要なことは授業を改善することであり、そのためには、それぞれの単元の目標が各技能のどの到達目標につながっているかを理解した上で、バランスの良い指導計画を立てることが大切だと思う。普段の授業は知識・理解中心で、研究授業をすれば「話すこと」ばかりが扱われている現状を考えると、3年間を通して4技能を偏ることなく指導することは容易ではない。また「正確さ」と「適切さ」についても目標が曖昧であったり、意識されていなかったりすることが多い。これらのことを改善するには、大きな枠で作られた到達目標を、どのような単元、題材を通し、どのような指導に具体化するかがポイントとなる。しかし、これらは教科書の内容や構成に左右される面が大きく、教科書の抜本的な改革なしでは実現は難しいと感じる。

○ 小学校高学年における「書くこと」や「読むこと」については、「アルファベットの文字や単語などの認識」あるいは「読むこと、書くことに慣れ親しみ、積極的に英語を読もうとしたり書こうとしたりする態度の育成を含めた初歩的な運用能力を養う」といった、論点整理やこれまでの資料の文言と乖離した指導が生じないような到達目標とするよう配慮が必要ではないか。「書くこと」の指導が「アルファベットを書くことができる」ということに強くフォーカスされると、ペンマンシップのような練習が中心となり、「相手のために書く」「相手に伝えるために書く」(正確には書写する)といった、書こうとする態度を育成するための相手意識のある書く活動が軽視される懸念もある。

○ 異なり語の比較で、韓国、台湾、中国の教科書と日本の教科書について、代表的なものを比べたところ、日本は異語数、総語数、テキストの分量もとても少なかった。その後、学習指導要領が改訂になり、平成28年度の中学校のテキストを検査したところ、以前は、どこも異なり語が1,000語に行っていなかったが、新しい平成28年度のものは、韓国、台湾のものと同等ぐらいのレベルに現在の中学校の教科書は分量が増えた。語彙も、中学3年で規定は1,200語だが、平均2,000語が出ており、かなり分量も多くなっている。そういう意味では、小学校が変わっていない割に中学校が急に難しくなってしまっているところがあって、小中の接続が問題だが、隣国の教科書ベースでいくと、ほぼ均等な質や量を確保しつつあると思う。ここで問題なのは、増やしただけで、まだ語彙の統制は余りできていないこと。例えば、語彙は900語から現行で1,200語になり、実際は2,000語ぐらい出てきている。ほかの教科書もそのぐらいなので、小学校が充実してくれば別に悪くはないが、難易度の高い単語が中学校レベルでかなり出てきてしまっている。CEFR-Jのワードリストを基にすると、B1やB2レベルの単語などもかなり出てきている。

○ 逆に、精選された単語が少ない。中学校で出てきてほしいA1レベル1,000語ぐらいが我々で規定しているものがあるが7種の教科書で共通して出てきている単語は300語ぐらいしかない。300語でもいいと思うが、問題は、中3まで行っても400語ぐらいしか共通語がないので、2,000語ぐらいまで出てきているが、教科書のボリュームを増やすということを主眼に改訂したので、語彙の選定などが緩くなり過ぎてしまって、難しい単語がかなり出てきている状態で中3の教科書になってしまっているということである。この点は、CAN-DOのことや語彙のことをきちんともう少し品質管理をして教科書をよくしていく必要がある。

○ CAN-DO以外、CAN-DOだけだとやはりどうしても抽象的な文言になってしまうので、語彙のイメージ、重要な100の単語で、教科書3,000セット分ぐらいをまとめた1億語ぐらいのコーパスを作ると、7割近くをカバーしてしまう。内容語はほとんどなく、文法中心の単語。基本の動詞2割と機能語7割、そして残りの2,000語ぐらいで書き言葉の8割、話し言葉の9割になる。この残りの2,000語に1,000語ぐらいの名詞が入る。つまり、100の単語ぐらいで文の中核、骨組みを作っている、この作り方をしっかり学ぶということ、あと1,000ぐらいの単語でいろいろなことを入れて2,000語ぐらいだと、話し言葉の90%ぐらいをカバーするような力、そこら辺が核になるような言葉の力である。この2,000語以上を覚えても、ここに出てくるように、次の2,000語と重ねていってもカバー率は極端に落ちてしまう。4,000語、6,000語、8,000語と覚えていっても、次の単語を知っていることの重要度というのはがくんと落ちてしまう。逆に言うと、高校ぐらいまでにこの2,000語が使いこなせていないから弱い力といえる。ここが十分でないまま、上の方のことを勉強しても駄目だということ。こういうしっかりとしたデータを基に、教科書作りやタスクをきちんとしていかないと駄目だということ。イメージとしては、繰り返し100の単語と2,000の単語を組み合わせて、チャンクみたいな形にして表現が出てくるようにする、これを高校の最後ぐらいまでに活用語彙にするという考え方である。語彙は、全部意味だけ知っているという形のイメージでみんな覚えているが、そうではなくて、出てくるようにする語彙と、知っていればいい語彙を分けるということが非常に重要。この辺のイメージを教授法でもきちんと教えていく必要がある。

○ 国の指標形式のCAN-DOから具体的なCAN-DOに下りて、そのCAN-DOに張り付く表現類のセットの資料を基に作ることによって、教科書では具体的なレッスンを作ることができる。こういうレッスンで作ったものを基にシラバスをチェックしていきながら、どのぐらいできているかのパフォーマンスを見る。そういうものがかみ合ってくれば、だんだんとCAN-DOのここができた、ここができないということをはっきり言うことができるようになり、それによって受渡しが可能になり、診断も可能になる。現在はインプットがとても限られている状態で、単に増やそうとしているが、やはり学習材をきちんと精選することが重要である。教科書は、単に量が多ければいいというものではなく、環境によって、これだけ日本語中心の国で英語に触れる機会が少ないので、触れるコンテンツもちゃんとしてあげた方がよい。そのために、CAN-DOと言語タスクのセットをきちんと作り、それを下支えする語彙や表現のインベントリーもきちんとデータとして持っておく、そういうものを基に教科書を作るということが重要である。

○ 言語活動としては、その下支えする語彙や表現をきちんと仕込むという部分が大事である。単体の単語をただ覚えるのではなくて、これは出てくるようにする単語、これは覚えておけばいい単語という感じの仕切りを、レベルごとにだんだんと上に上げていくように設けて、有意味なチャンクをまとめた素材で、これは表現して、できるようになるために必要なものであるということできちんと覚える。その練習の部分は、マルチモーダルで、チャンクから文になるような練習をICTでやるととても効果的だと思う。そういうものを使ってみるような部分は授業でやり、それ以外の部分はうまくICTなり、短時間短時間モジュールの授業の一部などを使って仕込むということ。この仕込みという部分は必ず入れないと、現状のコミュニケーション活動をただやっていれば身に付くというものは下地作りが弱くなってしまう。下地をしっかりした上で、コミュニケーション活動に持っていくという部分をきちんとやることが大事だと思う。

○ 教える側のCAN-DOと学ぶ側のCAN-DOということについて、シラバス構築のためには、現状、我々が提示しているのは教材提示用のCAN-DOなので、インプット側の方のレベルはちょっと高めに設定することがヨーロッパでも多いが、それは即できるようになるという意味ではない。学習用のCAN-DOは、現実的にそれが身に付くのはこの辺ということを、ある程度発達レベルに適した形で把握しておく必要がある。ただ、余り低いレベルに設定してしまうと、出てくるものも低くなってしまうのでその辺りは難しい。「できるようにする」という表現はCAN-DO的に言うと教師側の目線なので、学習用は「できる」という形で提示するのがよい。このように、今まで言った感じの新指導要領の新しいシラバスが、先ほどみたいなことをうまく盛り込んで指標化されれば、それを具体的に作った教科書でやってみて検証していく。今の全国調査みたいなことを繰り返していけば、科学的にある程度フィードバックを基にして、改善していくみたいなことを上手にできるのではないかと思う。このようなことをやっていかれるといいのではないかというのが、現状での我々の研究から示唆されることになる。

○ ある程度語彙に関する、出てこなければいけない、使えるようにならなければならない語彙のイメージと、それから周辺の認識語彙だけでいいものとの仕分みたいなイメージは、解説などに盛り込めればと思う。そうしないと、やはり出てくるようにするためのトレーニングを研修とか、そういうものでも重視していかなければならないと思うが、そこの部分の根拠みたいなものが漠然としたままだと、先生方も、今までのトラディショナルなやり方とどう変えればいいのかという辺が、余りよく分からないまま進んでしまうような気がする。
それから、ディスカッションとか活動形態だけを提案していると、その内容の言語の部分のイメージが余りはっきりないまま研修しているのもどうなのか。昔の指導要領には、語彙のリストがある程度載っていた。語彙リストに関しては、各国とも指導要領の一部に載せているところはかなり多いので、見識として、こういうものは最低載せるべきであるとリスト化するのは一つの方法だと思う。ただ、基本の100語というのは、単にリストにしてあっても非常に使い方が、レベルがある。単に「メーク」という単語が載っていても、それが載っていることの意味合いというのは余り、ただリストとして載せているだけだと意味がないと思う。もう少し具体的な資料類を、参照資料として何か見るようにするなど教科書会社に対応していただくなど、そのようなことがないと、より良い、例えば「メーク」のより進んだ使い方をA1レベル、A2レベルでだんだん深めていくことが最初の100語では重要だが、その100語の深化をきちんとカリキュラム上も担保していくことが必要ではないか。

○ 小学校で英語が教科になったときに、現状よりも小学校6年生の語彙数は今より多い方がいいのか。アジア圏と日本との教科書比較をしたときに語彙のレベルで非常に特徴的だったのは、資料に、平成20年の大まかな分析があるが、アジア圏の韓国、台湾、中国辺りの小学校の教科書を学習指導要領的に見て、PreA1、A1よりもちょっと前辺りの内容と規定して語彙を見たところ、3、4年分の授業を小学校ですると1,000語ぐらいが教科書で出てくる。ところが、中学校1年の各国の教科書を見ると、ほとんど増えていない。つまり、中学校1年では、小学校で出てきた語彙をほとんど再生して活動している。その後に、ぐっ、ぐっと載せるようにしている。したがって、現状の「Hi,friends!」の内容を教科化することによって少し増やしたとしても、やはり中学校1年の接続は少し似たような語彙で行って、2年、3年と伸ばすことで現状ぐらいのレベルになるという感じで作るとちょうど良くなるのではないか。

○ 語彙を定着させるための指導という点から見て、現在の学習指導要領で課題となることは、指導のやり方のことだと思うが、発信する語彙を使うための機会を与えるという意味で、現在、英語で授業を行うということをしていると思うが、カリキュラム的に、新しい素材の導入の方に焦点ばかりが行ってしまって、毎回、新出文法事項の導入ばかりしているという形で教えてしまっているというのが今の文法の授業の中心である。そうではなくて、既に習っていることを使って自己表現するやりとりの機会をたくさん与えることが大事である。新しい表現を学ぶことをきっかけに、それを知っている表現で言い変えたり、それは何かをお互いに分かるように話し合ったりということで、新出の文法事項は全体の4分の1ぐらいの量で、全体の半分ぐらいは恐らく既習事項を使うことを中心にした授業をすることが大事だと思う。そこのところで語彙のリサイクルが行われている。そうすると、単に毎回、レッスンで新出の単語が出てくるだけではなく、それを様々な機会で再び使ってみるという機会を、どのように組み込むかということをきちんと設計することが大事である。それがうまくできていくと、先ほど言ったようなコアの語彙は、当然、表現するときに何度も使わなければならないので、そこに定着が出てくるのではないか。

○ 今、御発言のあった75%ぐらいは同意できるが、最初の部分の文法の導入というか、教え方というのは、私が見ている授業とは若干イメージが違うが、いずれにしてもリサイクルの必要性というのは同意できる。

○ 大枠、指標形式の目標設定は適切であると感じた。特に小学校から中学校への接続、PreA1からA1、A2ぐらいのところだが、トピックや、言語構造、かなり段階的な、徐々に発展をしていく要素があるので、スムーズに小中学校の接続が円滑に行われるのではないか。特に、PreA1において、簡単な語句、アルファベット、定型表現といった表現が入ってきたのはとても良いことだと思う。従来の中学校は、文を構成するところで、文法的に正しい文でないと発言できないという生徒も多くいた。自己表現という様々な要素を使ってコミュニケーションする態度を育成するという意味では、このPre A1の設定はいいと思う。先ほどの御発言にあったように教育用のCAN-DO、それから学習用のCAN-DOの違いについては私も同様に思うが、語句やアルファベット、あるいは定型表現が学習到達目標だったとしても、指導としてはもう少し上の部分を行く、あるいは扱う工夫ができるような、そういう学習指導要領上の留意点等の記載等が必要になってくると思う。全ての学校がそうではないが、例えば今日はアルファベットと言うと、英語としては1時間中アルファベットしか出てこない、定型表現ですら出てこないような授業もある。つまり、教えたことを全て身に付けるという感覚で、様々な経験をさせながら、徐々に発達をしていくという発想が理解されづらい部分もあるかと思うので、そこの扱いをポイントとして記載する必要がある。

○ 中学校から高等学校の接続は、トピックにしても、文構造、それから機能面にしても、特にA1からB1ぐらいだが、急きょ、複合的に難しくなっている段階と思う。もし、これをスムーズに、円滑に接続しようと思うと、中学校レベル、その下の小学校レベルでも、十分に経験を積んでいて、先ほど御同じような指摘があったかと思うが、縦の発達だけではなく、一つの段階の充実した活動経験とか、あるいは繰り返しスパイラルに学ぶような、そして技能を身に付けていくような工夫が必要である。

○ 実は書くこと、メモを取るということについて書かせてもらった。前後のレベルで言うと、メモを取るというのはちょっと特異な働きをしていて、意見を書くとか、説明文を書くというところとちょっとずれる部分がある。実際、平成18年度と24年度の教科書を分析したときに、このメモというジャンル、あるいは活動がほとんど中学校の教科書の中に出てこない、つまり扱いづらいものになってきているので、こういうように一番主要な目標というか、形式で出てくるところについては要検討かと考えている。

○ CAN-DOを地域で作るのか、それから学校ごとで作るのかということに関しては、両方とも一長一短があり、例えば、地域で中学校のことを考えると、教科書が一緒なので、当然共通したものが作れるが、そうすると学校の先生方の意識というのがCAN-DOを作ることによって高まっていく。どういうような学習到達目標を立てていくのかというのが、中でコンセンサスができる。一方で、地域で委員を立てて作るとなると希薄になっていくということも考えられるという一長一短がある。

○ CAN-DOを校内で作ることによってコンセンサスを得ることができて、学校内の指導力改善、指導改善に結び付くというのは非常によく分かる。ただ、公立学校の現状に鑑みると、若手の教員が大都市で多くなってきて、1人で授業をやるのも苦しんでいる状況の教員がいる。もう一つは規模の問題であり、小規模の学校に配置された場合に、1人でそれを作っていかなければならない。そうなったときに、A校とすれば、そのA校の英語の教育だけがどうしてもスタートが遅れてしまうという状況が容易に推測される。そういった場合に、やはり地区で作っていくものをある程度のモデルとして活用すると、地区が同じで教科書も同じだということから非常に有効な手立てであると思う。ただ、最終的には各学校で作れるというのを目指すべきだと思うが、スタートの時点は、やはりその地域の作成の意義と、各学校で作る意義を出しながら、少し地域的なものも考えていいのだということをトーンとして出してもらった方がいいのではないか。

○ CAN-DOを作成するときの現状について、私もガイド的なものを作って、全ての学校の先生方に作っていただいたが、作っただけで機能しないということが起こっている。各学校に1人しかいない英語の先生がきちんと指導ができるようにするためには、やはり行政としてどういうふうに動くかというところをしっかり考えていく必要がある。例えば指導主事が全ての学校を回ってきちんと説明するとか、あるいは指導主事に対しての国での研修といったものを行って、とにかく学習指導要領改定のときに徹底的にやらないとまた同じことの繰り返しになるのではないか。現場にとって役に立つというところを考えた事業にしていかなければいけない。例えば大学と連携して、新たな事業が来年度から始まるが、これについても、もちろんそういった指導者への支援とか、教員養成の支援というのも必要であるが、やはり国としても子供たちの学習自体を支援するようなものもあっていいのではないか。

○ 授業の中でモチベーションを上げることが非常に難しいので、モチベーションを上げるのは、実際に英語を使うとき、あるいはコミュニケーションを図って達成感を感じたときであって、なかなかそれが授業の中でできていないというのが現状である。例えば、ALTは、その活用状況もいま一つつながっていない。あるいは、ICTなんかも入っているが、子供たちのコミュニケーションの達成感などにつながっていないところを考えると、そういった部分での、例えば研究支援や指定校研究という部分も意義があるのではないか。その上では、行政のお金のやり取りのあたりが非常に難しいところがあって、やりたいと思ってもすぐに手が挙がらない状況もあるので、このシステムも若干変えていく必要があるのではないか。

○ 国の目標、教科等の目標について、どのような文言を使っても、分かりにくさというのはあるというのと、これを英語にした場合に、違いが出るのかという問題もあって、基本的にはよりシンプルな方向にした方がいいのではないか。そういう意味で、英語の場合に限っては、何らかの形でCAN-DOのような表記をしていただきたい。それは、最低限どういう力が、どの学校レベルにおいて到達されるかということを明示するとともに、つまりそれが小・中・高の接続をよりスムーズにするものになるということと、学習指導要領の読み手というのは、教科書・教材を作る執筆者及び会社ということも考えて、より適切な教科書を作っていただくためにも、どのような力が育まれることになるのか、何ができるようになるのかということについては、国が大枠を示すのがよいと思う。大枠を示せば、各学校、各地域でそれをブレークダウンするということは可能になるのではないか。枠組みがない中で、CAN-DOを作っている中で、ばらばらになったり、思い付きで作ってしまったりということがどうしても起きているので、指導面の改善のためにも、大枠をCAN-DOの形で示すことがいいのではないか。それに関連して、資料4の6ページ、7ページについて、韓国、台湾、中国の教科書と日本の教科書を比べたときの一つの大きな違いとして、総語数がある。高校のレベル感を見ていると、下の学校は教科書を教えるというところの改善がどれだけ進むかというのは不透明な部分があるので、最低限、各教科、科目、例えばコミュニケーション英語1であれば、どのぐらいの総語数の教科書を想定しているといったことを、書き込むことができれば、指導改善に役に立つのではないか。

○ 小・中・高をつなぐCAN-DOというのを明示して、文部科学省がそういう大枠を作るというのは、是非やった方がいいと思う。学習の目標、ゴールを先まで見せるということと、自分たちのいる位置というのを知り、次にどうしたらいいのかというステップを先生も生徒も一緒に考えるという形で、CAN-DOを使ったプロセスの可視化というか、そういうものとストラテジーを育んでいくという教育の仕方というのが非常に大事だと思う。文部科学省がそれを大枠として持てば、自治体や学校が作っているCAN-DOを、それとどうリンクするかという作業をうまくすればいいわけで、大枠がある方が絶対にぶれずに自治体や各学校のCAN-DOも作りやすくなるので、現状のものを少しリバイズするとか、いろいろな形で大枠に結び付けていくということをやられたらいいと思う。それから、教科書は、もう少し細かいレベルのCAN-DOを落としていったレベルまで教科書会社にそういう材料を渡せればよいのではないか。資料3「作成中」の下方の「言語の働きの例」に記載のあるレベルがCEFRでは極めて重要な言語表現のインベントリーを作るときに使われるレベルであり、こうものについてのはっきりしたリストがあると、とても助けになる。そういう点では、「Hi,friends!」は私たちのCEFR時代の項目をかなりカバーしているが、細かいレベルの言語機能まで下りていくと、まだカバーできていない機能がたくさんある。A1レベルのことをどのぐらい小学校でやるかというのは、もう少しきちんと教科書会社の方に示してあげれば、よりいい教科書ができて、それを1時間の授業と45分のほかの短時間モジュールみたいな部分をどう組み合わせるかみたいなことも、教科書の中で例を示したり、あるいはICTみたいなものを入れた形の短時間モジュールと活動の連動するパターン等を作ったりすると、より効果的な活動の例になり、また研修についても、そういうものを基にやれば小学校の先生も分かりやすいのではないか。
また、英語教育改革にドライブを掛けるために、学習指導要領の中に、この指標形式レベルの何かしらのCAN-DOを入れてつなぐというのは必須のことだと思う。

○ CAN-DOを指標形式でもし学習指導要領に入れることができたとして、実際に教科書を作る段階になると、各レッスンに大きなCAN-DOの目標を、どのように具体的なその目標に向かった活動に落とし込むかということを考えが、そのときにはCAN-DOからもう少し具体的な場面や言語機能を持たせたようなタスクに細かいCAN-DOに分ける必要がある。その場合に、やはり教科書のセットを作るための素材として、どのようなCAN-DOは細かくこういうようなタスクに分かれ、それにはどんな文法や語彙がレベルごとに張り付いていくかについてのイメージが教科書会社側にないといけない。同時に、教える方もそのユニットで教えたことが将来はこのCAN-DOにつながっていくのだということなどを考えながら指導できないといけない。この場合、使ってみる前に、文法や語彙をどのように習熟するかという部分について、小学校時点で教科として導入するのであれば、小学校の15分の短時間を有効に使って、基礎的なフレーズなどへの習熟のさせ方、それを教えてあげたいと思う。これが単純なドリルだと言われるとそれまでだが、繰り返しそういう形を反復演習するとか、それがどういうふうな場面や機能を使うために必要な表現かという理由があれば、単純な単語帳を訳も分からず覚えるというのとは違ってくるので、その辺のことをしっかりストラテジーとして、こういうステップで言葉を身に付けていくのだということが教えてあげられる短時間学習と、習熟した活動を実際に使ってみるのが、45分のもう一つの授業となるような関連付けがセットとして一つの活動のパターンとなるものは意味があると思う。このような単位をきちんと作っておくと、例えば、9ページあたりにある学習評価、これもCAN-DOで評価するということは大ざっぱな感じになるので、やはり個々のタスクと、その場面や機能を重視した表現がパフォーマンステストで出てくるかとか、タスクベーストな評価の場合にもCAN-DOの具体化が効いてくるし、研修をするときにも、やはり研修にどういうタスクやモジュールのイメージを持って研修するかが分かってくると、「指標形式で入れるCAN-DOというのはこんな意味があるのか」ということが明確に教員に伝わってくるように思う。語彙、文法とかはとてもここによく盛り込まれていると思うが、そういう評価やタスクや目標とのリンクをどういうふうに付けていって具体化するかについて、もう少し文言の中にイメージが分かるような感じで入れられるといいのではないか。

○ 日本の学校教育、義務教育は、習得主義ではなく履修主義である。したがって、CAN-DOで、何々することができるようにするといっても、できるようにならなくても進級するのが実際である。このことが高校段階での学校間格差につながっているのが実情である。高校英語の共通必履修科目があるが、教科書の難易度の差が大変大きい。このため、共通必履修科目といっても、同じゴールを設定してその段階まで生徒を到達させるということが現実的には非常に厳しい。このような現状に鑑みると、高校基礎学力テストと実施することになっており、その結果が非常に大きな意味をもっている。CAN-DOをやるにしても、最低限の学習評価を大まかに示すという、かなり現実案を示されているということはそのとおりだと思う。3年生高校による違いということも現実には考えていく中で、現状よりいかに進歩させていくかという話だと思う。

○ 教え方のモデルというのを見たことがないとか、例えば必要な指導法を知らないというのが本当に真面目な先生でもあり得る。ただ、スーパーティーチャーの授業を見ると全員がスーパーティーチャーになるかというとそうでもない。教員研修をやっている立場からすると、この段階の先生方にはこういう研修内容があるとちょうどしっくりくるというものがあって、すばらしいモデルを見ればそれで全員が良くなるというわけではないのでそこが難しい。

○ これから英語の科目編成があったときに、それとセットでスピリットは何かということが現場の先生にしっくりくるような形でつながらないといけない。具体的にはインテグレーテルスキルできていない、結局これはコミュニケーションができていないということだということが理解できるかどうか。例えばCLTの文献では、コミュニケーション中心の英語というのは何かというと、意味のあるコミュニケーションがあるとか、コミュニケーションギャップがあると指摘されており、表現がテクニカルである。結局、日本語で話しているようなことを同じような気持ちになって英語でやっているかどうかだと思う。一言で言うと、心が込もったコミュニケーションがどれぐらい教室内で行われるか。例えば、音読でもきちんと心を込めて言えば、キーワードのコンテンツワードにアクセントが置かれるし、自分の一番言いたいところに抑揚が付くということだと思う。また、即興性について、今まで話したような枠組みの話だから何とか乗っていけるということなのでルーティーンが大事だと思う。そこで、今の科目のたたき台については、英語表現についての現状のインプリメイントのされ方は非常に残念に思っていて、英語表現の授業というのは文法の授業になっているという現状がある。英語表現に必要なのは何かと言ったときに、どうしても単語と表現だということになるので、結局、文法と語彙と熟語の授業になってしまいがち。それから、自分のオーラルコミュニケーションというのが自分でもそういう授業を教わったことがないから不安になる。だから、そういったところの先生方、やる気があるけれども、ちょっと自信がない先生方が納得できるような構成でこの新しい論理・表現というものができてくると変わると思う。

○ コミュニケーション英語については大分変わってきている。リーディングについても訳読ではなく、きちんと論理展開を教えるというようなことをやられている先生も増えているので、現行の枠組みでもう少しやっていけばいいと思う。ただ、英語表現については相当課題があるので、ここをどう見せるかが課題。名称について、この論理というのは恐らく短文レベルの文法ではなく、こういったことが言いたいときに、初めにこう言って、中頃こう言って、終わりにこう言うとかということなのではないか。そうすれば、個々の単語とか熟語を暗記している数ではなく、こういった目的で何か書いたり、言ったりするときに、とりあえず初め、中頃、終わりができると、そういうふうにしていけば必ずみんなこれとこれのパターンはやろうとすれば、先生方もやってみようと思うのではないか。

○ コミュニケーションとは何かというときに、心が込もっているという言い方は余り好きではなく、高校生の立場としては疲れるなという感じがして、今回「論理・表現」と、英語表現を変えるために名前が仮称で出ているが、ポイントは考えるということだと思う。高校生に自分の意見を言いなさいと言うと、やっぱり多感な時期ですから、自分の意見というのを言って心を通じ合うところまで求める必要があるのかなというのが僕の考えで、立場を決めて言えればいいのではないか。だから、ディベートの方がディスカッションよりは、中学生、高校生はやりやすい部分があるのではないか。

○ 心と言うとすごくソフトで、みんながハッピーで楽しくとそういう宗教がかったことになって、そうではなく、例えばディベートでも興味がないと話さないと思う。例えばスピーチとかやってもらうときに、よく先生方でも生徒でも「ちょっとこのトピック、僕、余り興味がないので乗らなかったです。」という発言がよくある。だからディベートでも何でも興味があるというのが1つで、相手を説得したいとか、相手に分かってもらいたいというのが心だと思う。

○ 科目のたたき台について、科目の名前を変えても、OCとか英語の表現というのがずっと作文、和文英訳、文法みたいなふうに扱われているのが少し懸念していて、どのぐらいそういう科目名みたいなもので区切ったときに実際の実質的なものが変化するのかなというのが少し心配である。やはり前から議論している目標設定の仕方のCAN-DOとかそういう部分の目標の置き方が大分変わってきているということをもっとはっきり示す必要があって、例えば中から高に行くときのB1レベルくらいだと、もうかなり社会一般のことについて、いろいろ情報収集ができ、少なくとも自分の関心がある話題については意見が言えるとかということがもうできることとして、目標として目の前に位置付けられるようになるわけなので、英語を結局、目の前の教科書のテキストをやっているという範囲から飛び出していって、やった結果どうなるのかということのイメージがもう少し生徒にも先生にも付くように指導をしていったり、研修したりするということが大事で、そうなってくると教科書もそういう使い方をしなきゃというふうにマインドセットが変わってくると思う。この部分がちゃんとしないと、教科書の科目名とか、そういうものを変えても余り変わらないのではないか。そういうことでいけば、松本先生のおっしゃっている論理表現というような形のものをB2レベルぐらいになったら必要になってくると思う。なので、我々はかなり専門的な英語の方面にだんだん入っていって、アカデミックな領域を扱えたりというのがかなり高度なレベルではあってもいいと思うので、そういうものが特設されているというのは意味があると思うが、逆にその背景は何なのかという部分がちゃんと教員や教科書会社の方に理解されないとまた同じことの繰り返しになるのではないか。

○ たたき台のところの教科、科目名の2単位のところについて、論理・表現というこういう表現があったときに、英語コミュニケーション、上の方のところで、じゃ、論理・表現的なことをやらなくてもいいのかとか、そういう間違ったことは非常に今までも起こっている。リスニングが入っていたときは、リスニングはそっちでやろうとか、そういう今の現行でそうなのだが、一番大切にしたいというのが英語コミュニケーションだと思うし、そこが総合的、統合的に活動が行われていないといけないとは思うが、この1年生の3単位というのが多分これでできるのかというと、この中で3単位というのはいろいろな文法を教えなきゃいけないし、語彙も拡充していかなければいけないので少し厳しい。そうすると、その後、ほかの2単位、一般的に多分5単位ぐらいでやっているのが平均的だと思うが、その後の2単位というのをどう英語コミュニケーションの方に関連付けていくのかとか、そういうことも結構実は運用的にはやっていた。活動を多くするということは、それだけ時間が掛かるということなので、3単位でいろいろなことを求めるのが苦しかった経験がある。

○ 論理・表現の部分と英語コミュニケーション1の中・高のつながりの部分で、論理・表現について、論理的に表現をする能力というのが前面に、見える形になっていて良いと思う。これは思考力、判断力、表現力等の考え方が今までは外国語表現、あるいは外国語理解の能力の背後に隠れている形にどうしても外国語科の場合になっていて、英語の技能面ばかり焦点が行かれていて、どう使っていくのかということになかなか目が向いていなかったのが現状ではないかなと思うと、そこが力点を置かれるというのはとても良い。その点を考えると、中学校においても、論理的であるということが何らかの形で入ってくるといいのではないか。
今、現行の中学校の方というと、文と文のつながりを意識すること(具体的には、言語的結束性、あるいは接続詞や代名詞等の使い方に関する言及と、相手に伝わるようにという内容のまとまりの部分)の言及があるが、中学校の指導の実態を見ると、どうしても言語的な側面の指導に焦点が行っていて、どのように伝えていくのかという内容面、論理性であるとか、つながり、あるいは目的に応じた書き方や話し方というものについての指導がされていないのではないか。そういう意味で、いろいろなところの調査で、考えて話をするという指導が少なく、考えの形成の仕方までは余り扱われていないということを考えると、中・高の接続の点から中学校の方も明記をするべきではないか。また、この点に関して国語との関係もあるかと思うので、国語で扱う言語能力、論理性、知的能力の育成の部分とうまくつながっていくような形で連携をとれると良いのではないか。

○  中・高の接続で、英語コミュニケーション1について、中3から高1にかけてのいろいろな情意面でのギャップについてはよく言われるが、ベネッセの調査でも公立高校と私立高校で分けて分析をすると、公立の場合には高1のところで好きであるという気持ちが下がる。それに対して私立高校の場合は、比較的スムーズに減っていく。このスムーズに行かない理由というのが幾つかある。200人ほどのある学部の大学生の調査をした。うまく一般化できるかどうか不安だが、高1でやる気がなくなった理由として、やはり一番多く挙げられてくるのは授業と教材。授業の方で言うと、例えば暗記量の多さや、それから文法、訳読方式、ペースが自分に合わない、ということが挙げられている。もちろん成績の低下というのも入ってくる。これはむしろ英語コミュニケーション1のように中学校との円滑な接続を図るということで、何らかの教材面、あるいは言語面、それから能力面のCEFRの指標のような形で、しっかり自分のレベルと教材のレベルというものが見える形になり、そして、評価の方法もペーパーテストではなくて、指標に基づくような評価であると中・高の接続が比較的スムーズに行くのではないか。中学校2年生の意欲の低下、好意の低下のところの理由も一番多いのは成績の低下である。この場合の成績の評価は従来型の成績の低下だが、パフォーマンスあるいは英語能力が本当に適切に測られているかということが問題である。そうすると、小・中の接続を考えたとしても適切な評価に基づく改善が行われれば、中学校における意欲面での向上につながる可能性がある。コミュニケーション英語基礎のときにはそれを実施しているところとしていないところがあるので、中学校から高校に上がったときにコミュニケーション英語1で使われる教材、内容、レベルが高くなってしまうとギャップがあることを考えると、それを加味しながら指導をしなさいというメッセージがある英語コミュニケーション1の設置は適切ではないか。

○ 高等学校の方に議論が移っていますが、各学校種を切り分けて議論することと同時に特に出口の段階でどういう設定をするかということで、グランドデザインを見直す必要があり、資料3-2の別添6です。これがグランドデザインであるということに基づいて議論していくということが全体としては大切と思う。この台形の右上がりの線は何を意味しているのかという御質問を頂くが、例えば高等学校でB1に掛かっているといいますか、ほとんどB1になっている。あるいはA2を必履修とするというような御意見がありましたけれども、この出口を達成するために全体、小・中・高、考えていかないと、どこかの校種で負担が行くというのは、結局うまくいだろうと高等学校の議論と併せて思う。実際、英語力調査によれば、目指そうとしているB1は1%、ないし受容技能は2%しか達成していない。必履修で目指そうとしているということになるA2は25%から、発信技能は10%強と。これを100に上げていくというのはよほどグランドデザインをいつも意識していないとその校種だけでの議論になるというのは少し難しい。

○ 科目について、例えば英語コミュニケーション1、2、3、この辺をもう少し厚くしたいという気持ちもあるが、必履修を置くということになると、学校、高等学校、様々なタイプの学校があり、例えばこれを4単位とか5単位というふうに必履修にするというのは教育課程上少し不可能になるので単位数の制限が掛かる。「論理・表現」という名前にしても、意図が伝わりづらい場合があるので、確かにその辺を今度避けなくてはいけないと思っており、例えば投野委員がおっしゃった、目標設定をはっきり理解させ、それを具現化した教科書を作り込めるように、かなり学習指導要領で工夫をして書くことが求められるのではないかと考えている。
言語活動は、例えば明確にスピーチ、プレゼン、ディベート、ディスカッションの4本とするというぐらい書き込まないと教科書が変わらないと思うので、英語コミュニケーション、論理・表現、一くくりでいいのではないかというような考えも当然あるかと思う。ただ、高等学校の教育課程上、細かくしてあげないと教育課程を組めないという学校が結構、実際には専門学校等あり、そういったことも含めて分けるということと、更にさっきの英語力調査で課題のあった発信力を取り出して強化する。もちろんこれは技能統合型でやるが、特に発信力の強化ということで論理的に考えて表現する科目というのがあってもいいのではないか。

○ 英語力調査の学校の取組紹介で、19ページのところに1つの学校の紹介があり、状況としては非常に苦しい高等学校で、備考のところを読むと大体学校の様子というのはお分かりになると思うが、平均点、2番です。全国平均から比べるとかなり下がっているのですが、その中にあってスピーキングについては、この4.3が全国平均に対して3.4ということで、かなり近い数字になっていて、他の技能から比べると圧倒的にスピーキングの力があるというふうに言える学校です。やはりこの学校を分析してみますと、教員の指導が当然話す活動、しかも即興的に話す活動を工夫して入れているという結果が分かりました。また、教科書を非常にうまく使っている。恐らくこういったことを先生方が一から作らなきゃいけない状況よりも、教科書そのものがもうそうなっているというようなサポートがあれば、もっと先生方は楽にこういうふうにやっていけるのではないか。

○ 授業だけを考えていても、小・中・高の英語教育はよくならないと思う。私の発表でも申し上げたような学習環境の問題とか、それから、実際に英語を使う場面をどうやって設定できるのかということで、高校の場合にはSHHとか、SGH等の財政的な支援もあって、海外に出ていったり、あるいは海外の生徒さんに来てもらって交流をしたりということ、これはすごい効果が上がっていると思う。ですから、こういう要するに授業で終わってしまっているところに最大の問題があって、1歩外に出ると英語は全く必要ないという状況である。ただ、今の子供たちが大人になったときはそうじゃない可能性が大きいので、その辺をどう解消していくのかということで、SGH程度の額でなく、もっと大規模な予算を付けて、小・中・高校生が海外にどんどん行けるとか、あるいは教職員をもうちょっとグローバル化するとか、何らかのもっと大きなメスを入れないと、科目編成を変えたりとか、研修をやっているレベルでは大きな進歩がないのではないか。

○ 環境作りというのが非常に大事だと思っていて、英語の教員ほど外に開かれてない人々はいないと聞いているが、現場の先生方とお会いしていると、それどころではないなという本音が聞こえてくる。ただ、やはりこれから英語の先生方が日本で一番優秀な人々が集まらないといけないと思うので、給与の面でも、環境の面でも、労働環境の面でもどんどんよくしていかないと、これからの未来が不安になる。ですから、そういう点でも、日本で教員になれば、頑張っていれば文部科学省に海外派遣してもらえますよとか、そういう頑張ればやっぱり教員というのはいい仕事だと見せる環境作りも大事だと思う。

○ 東京都の方の委員会で小学校の英語をやっていたときに、小学校の先生でたしか1年以上、海外に何らかの形で行ったことがあるというのは4%か5%しかいない。だから、僕は東京都の委員会で言ったのは、小学校の教員をどんどん海外派遣しないと小学校英語はうまくいかないという話をしたが、今の話とも通じると思う。自分が体験してないのに、やれやれと言っても大変なので、そういう意味では、やはり中学の先生もそうだし、高校の先生の方がまだそういう経験がある人が多いかもしれませんが、小・中の先生たちがそういう自分たちでコミュニケーションをするという体験をもっとできるようにしていくべき。

○ 小学校の先生も含めて教員養成課程において、せめてワンセメスター、それが無理だったら1か月、海外に出るということを必修にするというぐらいの方法でないと、先生になってからでは若干遅いかなという気がする。なので、もう大学生のうちに海外体験していないと先生になれないぐらいにしないと、学校のグローバル化というのはスピード感を持って改革していけないのではないか。

○  英語力調査のスコア分布を見ると、教えているレベルよりも一段下が大体達成度というのはどこの国でも同じである。高校に入ると、入れているのはB1ぐらいのレベルなのに、達成がA1上位ぐらいという感じで、そこが1つ下がるというか、A2ぐらいまで上がるのが上がってないという状態。その一番大きな理由は、英語が本当に骨太になるためには、核になる語彙が使えるようになったり、文法が使えるようになったりという習熟が重要で、その部分の基礎力をどう付けるかという視点が教え方全体に欠けている。なので、指導するときに、高校になると難しいテキストをそのまま音読するみたいなことはやめて、それを使った一段下のレベルの易しい英語でやり取りすることがもっと必要。そういうことをもっと例として示すようなことが研修では必要だと思う。
あと、教科書も次の学年になると、急に新出事項が出るように作るのではなく、小学校から中学校に行ったときの中学1年と、それから高校1年はのりしろを作るべき。のりしろはかなり大きくてよく、中学校で2,000語ぐらいまで今度習うとすれば、高一は1年間ぐらいその2,000語をじっくり使いこなすような形で練習したりするような時期がこの3単位のところにあってもいいような気がする。そういうふうなところで、今まで使って習ったものをどういうふうに自分の力として出すのか、用いるのかという感覚を付けさせてあげることが大切で、新しいことばかり習っているという世界をなくしないと言葉の自力は付かないと思う。その部分が上手に指導や研修それから教科書作りにも反映していけばいい。

○  きちんとした目標、あるいは指標というものができて初めて学習できるわけで、今回はCAN-DO、CEFRなどをベースにした、そういうものを小学校から全部通そうと、佐々木委員がおっしゃったように、全体を見れるような表も必要だろうし、それをどういうふうにうまく組み込んでいったときに力として身に付いていくのかということも必要ではないかという気がする。科目の名称を見ると、「コミュニケーション英語」が「英語コミュニケーション」に変わったのは、力点がコミュニケーションにあるのだなというのがよく分かるので、それはそれでいいが、「論理・表現」というのが独立してしまっているというのが少し心配。なので、英語コミュニケーションの中でやったものをより例えばディスカッション、ディベートなどの形で応用していく、あるいはそれでより実践的な力を付けさせていくための科目なら分かるが、これだけ独立するとまた今と同じような形になるのではないか。逆に言うと、論理・表現と書いてあると、英語コミュニケーションよりレベル高いが個人的には、レベルは低い方がいいという気がする。逆に言うと、今まで習ったものをベースに、いわゆる発表活動をやっていく科目として位置付けた方が良いのではないか。

○ 専門学科と専門教科については、今までの科目を見直して、こういったディベート、ディスカッション、エッセイライティングだとか、そういったところの方向、発信型のところを強調していくというところには賛成している。ただ、学校としての特色を出すには、もう少し学校設定科目とか、幅の広い学校の裁量をその学科としてできる環境にしてあげた方がそういったそれぞれの専門学科の特徴が出ていくのではないかなと思って、恐らく国際学科とか、外国語学科とか、英語学科とか、専門学科でも違う特色を持っているので、そこの共通項としてのこの専門教科の縛り科目はあるにしても、それぞれの幅の柔軟性というものをもう少し持たせた編成ができるようにすればよいのではないか。

○ 現状では、総合英語という科目、英語理解、英語表現、異文化理解、時事英語という5つがあり、この5つについて、例えば今回御提案させていただいているような3つ、総合英語、ディベート・アンド・ディスカッション、それからエッセイライティングというように、3つに収束するというような案になっている。学校設定科目等による様々な教育課程の工夫はしていっていただきたいが、専門科目である以上、25単位を下回ることができないので、その上で学校設定科目等の工夫をしていただければということになるのではないか。今現在ある時事英語とか、異文化理解というのは、これは扱わないということではなくて、例えば総合英語の中にそのような教材を入れて、同じことを学習していくというのは十分できるのではないかと思う。総合英語以外は一切名前が変わっているので、少し変わり幅が大きいと思われるかもしれないが、内容的には新しい枠組みでもカバーしていけるということを考えている。ちなみに、教科書はこの科目については全てありませんので、多くの学校では、実際には例えば総合英語で外国語のコミュニケーション英語1を代用するということが行われている。

○ 今後の教育課程を考える上でカリキュラム・マネジメントはとても重要なキーワードになってくると思うが、何か読んでいると、このカリキュラム・マネジメントという言葉で学校に任せ切りの状況が生まれないだろうかということを危惧している。学校によっては15分をきちんととるところもあったり、あるいは2時間で組むところも出てくるかもしれない。学校のカリキュラム・マネジメントによって子供たちに様々な学力差などが生じるとすれば、そういうおそれがあるとすれば、あらかじめ回避する、その策を考えておく必要があるのではないか。ほかの教科も含めてカリキュラム・マネジメントという発想は、これは十分分かりるが、もうあくまで、ほかの教科は全て枠の中に入っているという状況の中での話。今、英語だけ入らないから、何かこのカリキュラム・マネジメントで縦にして学校裁量でという議論になっているのではないかという感想を持った。

○ 70時間という内容について、どれだけ議論された上での話かなというところが非常に不安。もちろん教科化になることに伴って指導内容は増えるが、具体的に、なぜ70時間なのかというところは余り十分に協議されていないのではないか。単元計画をしているものの70時間にしている計画の一部を出すという発想で短時間学習を行ったときには、恐らく未学習が起こったりとか、あるいは子供たちの学力差に大きな差が出てくるおそれがあるのではないか。もしも短時間でやれるとすれば、単元での計画が全体の50時間程度で、プラス20時間が、例えば活用の時間とか、練習の時間とかとして計画されていると。その70時間を授業の中でとっていって、残りの20時間を短時間で充てていくという方法はあると思う。そういった議論も十分されていないのではないかなと感じている。ここは学校に下ろすときには十分慎重にやっていかなきゃいけない。

○表現し、伝え合うことという、中学校の英語の授業を見ていても、「伝え合う」まで本当に行っているのか。自分の思いとか願いを入れて伝え合いまで行っているのか。一方的に伝えている部分はあったとしても、どうしても相手の気持ちをここに出ているように配慮しながら、やり取りができているかというと不十分な部分はあるのではないか。

○どうして国語科では思考力・判断力・表現力を高めようとしているのか、深めようとしているのか、それを英語科で何か使うことはできないのか、そういったような意識を持って、校長がリーダーシップを発揮しなければならない。

○「深い学び」というのはやっぱり子供の姿をしっかりイメージしておかなくてはいけない。教員の教えるサイドでということも大事だが、恐らく子供たちが「深い学び」をしているときというのは、何らかの特徴があると考えられる。

○英語で学んだことを他教科へ結び付けていく。例えば技術・家庭科で外国のものの何か作品を作る。そのときのマニュアルが英語で書かれているんだけど、これをみんなで読んで、みんなで作ってみるということも考えられるのではないか。

○カリキュラム・マネジメント、最近、非常にはやり言葉のように使われているが、やはり避けたいのは、このカリキュラム・マネジメントという言葉で学校に全て委ねるというふうな解釈をとられるということ。具体的にどのようなことをすればいいかというところをしっかり示していくことが大事。

○各小・中・高段階の外国語の学習指導要領を執筆者、執筆の会議において、今までの他教科でどういうものが扱われたかということ、それほどドラスチックには変わらない部分が多いと思いますので、何年生に何をやるかというようなことを考慮した上で、教科用教材を作成するみたいなことを盛り込んでいくということが考えられる。

○指標形式の目標設定は、したはいいけれども、実際に教科書の改善につながらないということでは困るということで、これに実効性を持たせるには、学習指導要領に指標形式の目標設定を明記することが必要。

○先生方にCAN-DOというのがそういうものであるということをしっかり認識していただく。今でもやはり単なる参照枠であって、子供たちに、あなたは何級ですというふうな形で評価するためのものであるというふうな捉え方の先生もいらっしゃいます。そこを変えていく必要がある。

○今の教科書は、中学校であれば140時間を埋めるための教科書である。その中に言語活動等は含まれてはいるものの、スパイラルに繰り返しながら活用していくという部分が非常に弱い。となると、例えば140時間分の教科書内容というよりは、例えば考え方として、100時間程度の教科学習的な内容と、40時間程度はスパイラルな活用、それが1年生から3年生までの教科書に例えば帯活動のようにぽんぽんぽんと入っていくようなイメージの教科書であれば、かなり言語活動は充実してくるんではないか。

○自分の気持ちや考えを書く活動も重視しながら、なお一層対話的な言語活動を充実を図るとか、そういうような、両方大事なんだけれども、対話的な活動をさらに充実するというような書き方をした方がよいのではないか。

○生徒が個人で家でやるというふうなことも考えるとか、そういうのも入れて、基礎学力、一番習得しなくてはならない最低限の英語力を各学校段階で全員が習得していくといったようなことも検討すべきではないか。

○語彙セットみたいなものをうまくCAN-DOリストにひも付けられるところはひも付けて、そういうもののセットで教科書を作るような提案をちゃんと教科書会社にして、あるレベルまでにこのぐらいの語彙と表現がちゃんと触れられるようなテキストはどういうものかというようなことについて、イメージを与えるということが大事。

○教員は今まで自分が習ってきた経験を基にして、英文を書くと、三単現のsが欠けているから、そこでバツを付けるわけですね。つまり、減点でどんどん言っていくので、子供たちはたくさん思いを書こうとしても、そこでストップしてしまう、ここの部分を何とか変えていくということは必要。

○、学習指導要領の中にCAN-DOを入れ込むということがもう最低限のことであると思いますので、ですから、英文の量についても学習指導要領の中に書き込めるかどうか。是非書き込んでいただきたい。総合数ですね。これを入れ込むことが重要。

○今まで4観点で外国語表現の能力、理解の能力がCAN-DOだよね、4技能だよね。だから、文法とか、単語とかやっているんではなくて、何ができるかというのをこれからは大事なんですよということで、恐らく中学・高校の先生は理解して、4技能だよねということで、心ある先生は、観点別で言えば外国語表現の能力・理解の能力だよねでやってきている。それを今度はチャラにして、いや、今度、本来は3つなんだから、知識・技能、思考・判断・表現、主体的に学習に取り組む態度、ついては定期テストもちゃんと張り付けてください。こんなことを言い出したら、CAN-DOが飛んでしまいますので、是非目標というのは、これができることだということが分かるように。

3.言語能力を向上させるための国語教育との連携について
(1)目標・指導内容等全体に関して
○ 国語との連携について、例えば、「書くこと」で、考えを根拠とともに示すという文章構成としたとき、伸びる力は英語の力なのか、それとも一般的な論理力なのか、国語で指導すべきなのか、このような観点からの連携が上手にできていくと、国語で培った力を使いながら、英語にも生かしていけるのではないか。そのような言語能力の向上を図る連携の仕方を期待したい。

○ 23年度以降、全国的に全ての小学校で外国語活動がスタートしてから、コミュニケーションの中身そのものが随分深まりのあるものになってきたと考えている。単元のゴールを示し、そのゴールに向かって、子供たちが表現形式を学んだり、あるいは単語を学んだりということをしているが、これは国語教育と大きな関係があると思っている。今は、国語科でもゴールを設定して、そのゴールに到達するために教材を読むというふう に大きく変わっている。小学校の教員は、もちろん国語の指導もしているわけなので、このことと相まって、外国語活動を本格的にスタートしたことがうまく合わさって大きな成果を上げてきたのではないか。

(2)言語の仕組み(音声、文字、語句、文構造、表記の仕方等)
○ 言語の仕組みという観点では、例えば英語の特性として、日本語とは違う音の仕組みであるため、小学校の多くでは、まず英語の音素認識を一生懸命やろうというところから書く活動に入っていく。もし国語の中でローマ字を扱うときに、ただ単にローマ字表記を学ぶということではなく、音の仕組みを学ぶということで指導していただけると、子供たちは、子音と母音のつながりの認識を持てるので、次のステップに進みやすいと思われる。ほかにも、学習者の学びやすさという点から、国語と英語で指導の連携のようなことができるのではないか。

○ 10ページの一番下の丸で、「子供たちは子音と母音のつながりの認識を持つことになる。そのことが英語の音の仕組みを学習することにつながる観点から」とあるが、最初に見たときに、子音・母音・子音・母音のつながりというのと英語への学習ということについて、英語と国語の連携のときには、国語と英語はやはり音声的な特徴が違うということも留意しながらした方がよい。

○ 小学校の外国語活動では、国語との比較や連携ということもあるが、日本語と英語の違いによく気が付き、力が付いていると感じる。教師の視点の与え方にもよると思うが、複数形などの文法についてもよく気が付いている。また、友達の良さという点にも気が付いていると思う。そのため、この流れは非常に大事にしながら次期学習指導要領改訂の検討を行う必要があるのではないか。

(3)言語活動等
○ 言語活動については、小学校ではかなり意識して、国語だけではなく全教科通じて言語活動をしっかり位置付けるように取り組んでいると認識している

○ 国語の言語活動では、ディスカッションやディベートを行っていたりするので、活動として国語と重なっている部分が結構ある。国語の方は母語であるため、言いたいことをいかに聴衆、聞き手に分かりやすく話すかというのが鍵になると思うが、英語の方は、言いたいことが必ずしも言えることとは限らないため、言えることを相手に分かりやすくどのように言うのかが大変重要。その「言いたいこと」の幅を広げていくことが大切。

○ 例えばスピーチで、英語でスピーチをさせるときに、日本語から英語に直すということがよくあるが、確かに日本語で書くと、言いたいことはそのときの日本語の作文では言えるものの、英語にするときに結局、和文英訳という非常に難しい作業になってしまうため、なかなかできない。初めから英語で考えて、言えることを言っていくという指導が大事なのではないか。

4.小学校の活動型・教科型
○ 小学校の今の外国語活動は、単元のゴールを決めて行う活動がほとんどであり、単元で完結しているという実態がある。前の活動、前の言語材料を積み上げていくようなスパイラルでの学習ができていないため、今後、学習内容、指導内容の検討が必要ではないか。


○ 英語では、二人でのやり取り等を行う中で、自分の思いや自分の伝えたいことを相手に伝える、相手の伝えたいことを聞き取ろうとする。一方で、言葉が十分ではないため、何とかそれを言葉だけでなくジェスチャーなどで伝えようとする。これにより、相手の目を見るとか、笑顔で話をしようといった相手意識を育てることができてきたと考えている。

○ 英語科になった5、6年については、その2年を踏まえ、アイコンタクト、ジェスチャーだけはなく、言葉でどう相手を認めるかといった、そういう内容も入ってくるのかなと考えている。先生は、褒め言葉で、「グッドジョブ」などといった表現を使って子供を褒めている。子供同士でそれを使っている姿は今ないが、そういうことが大事になってくるのではないか。

○ 外国語活動から教科の英語となったときに、やはり中学校と同じようにそれなりの知識・理解も求められてくるため、どのような指導ができるのかということは、今後しっかり考えていかなければならない。また、教科になったときには、学力調査が出てくると思うが、その際、順位を気にしたり、学力を高めるための施策が他教科と同様に出てくることにより、今のような外国語活動で楽しんでいる部分が消えてしまったりしないかが心配。

○ 中学校でやっていることを小学校におろせば、それで英語教育が発展するのかというのではなく、やはり発達段階があるので、それに応じたカリキュラムを設定していくことが重要。

○ 小学校の実態としては、読むために文字を見ているのではなく、話すための手掛かりとして文字を見ている。そのため、とにかく早くに書かせればいいということではないので、慎重に扱うことが期待される。

○ 小学校の外国語活動の目標は、教師の捉え方によって、様々な捉え方が出ているという実態がある。つまり、目標を立てるときの基準が教師によって曖昧になっており、指導にもそれが反映され、評価にも影響が出ている。本当に態度として身に付いているのかということと、やっただけで終わるという授業では大きな差が出ている。

○ 学校現場の立場としては、小学校での外国語活動を経験してきた子たちが高校へ入ってきている時代になっているということで、客観的な数字ではないが、やはり授業は変化しているし、教員の方もそういうふうに改善をしていこうという大きな動きがある。行政も、現行の学習指導要領にのっとって大きく授業を変えようといううねりがある。ただ、結果がすぐに出るかというとなかなか難しく、この状況においては、やはりしばらく見守っていただいて、その成果を待っていただきたい。

○ 授業の中で心と体と頭を使うバランスをどのように考えていくかが重要。小学校から英語教育を開始する場合の大きな問題の一つとして、英語嫌いが早く出てしまうこともあるのではないかということが言われている。その理由の一つには、小学校の早期の頃から、英語が「勉強」となり、頭ばかり使い、心と体が使われていないことに起因するのではないかと考えている。頭を使って意識的に学ぶというところは恐らく個人差が出やすいところ。小学校において、個人差が出やすいところばかりで勝負させてしまうと、英語嫌いが出てくるのではないか。

○ 外国語活動導入により、小学校には劇的な変化があった。小学校の現場では、教員は、英語ができなくても子供たちのために何とかしなくてはいけないということで、本気で取り組んでいる。そのため、今はどこの学校でも、ただ楽しくて遊んでいるというような実態ではなく、やはりコミュニケーション能力を身に付けよう、そのような態度を養おうとする授業が行われていると思う。

○ 意欲だけではなく、言語の使用場面を確実に設定して、コミュニケーションの取り方の具体的な活動を通して行っていることによって、聞いたり話したりする態度の育成につながっていると感じる。

○ このワーキンググループを通して、小学校の児童にとって大きな学びはあるけれども、決して無理のない英語教育を検討していくことが非常に大事なことではないか。

○ 学習指導要領では教育の機会均等を保障するものであり、小学校1、2年生から既に英語を始めていることについて、どのように考えるのか。例えば、小学校1年生で他の英語を実施していない地域へ転校した子供たちが、それまでの授業とは全く違う授業を受けたときに、国民全体としての教育の機会均等は保障されないのではないか。今後、小学校3・4年生の外国語活動、5年・6年の教科がどうあるべきかについてきちんと議論をすることが必要である。大人になって英語が話せるか話せないかだけの話ではなく、公教育としての英語教育がどのような位置付けになっていくかということを是非考える必要がある。

○小学校の短時間学習を全て学校に任せて70時間をするというふうに、お任せしますということになると、学校の力によって、どう決めるかということが非常に差が出てくるんではないかということが予測されるので、ある程度、国で短時間学習はこれぐらいということを決めることがいいのではないか。

(短時間学習について)
○ 小学校高学年の時間設定については、時間をどう確保するかという議論で短時間短時間モジュールのみを語るのではなく、何が短時間短時間モジュールに適しているかという点をおさえたい。また、小学校高学年で「定着」という言葉をどのように考えるべきか。「定着」という言葉には「覚えさせる」というイメージがあり、短時間学習について話す場合、先生方の誤解を招くことはないか、「身に付けさせる」といった言葉の方がよいのではないか。

○ 短時間短時間モジュールの時間が、スキルを身につけさせるための無機質な活動の時間になることは避けたい。単元の学習と関連させ、授業の一部を短時間短時間モジュールに取り出すという考え方が望ましいのではないか。一方で、短時間短時間モジュールでは、その時間に集中して、テンポ良く、効率的に繰り返し学習することを通じて効果が得られるという点がメリットであり、かつ、準備に過度な負担がかからないようにするための方法等について十分検討する必要がある。

○ 短時間学習といった話も論点整理に示されているが、算数、国語の学力を高めたりする短時間学習や読書活動など、現在既に短時間学習に取り組んでいる学校は多いため、学校現場は心配している。

○ 年間70単位時間を短時間短時間モジュールも含めて対応することについて、短時間学習は、いわゆる本単元の補助という扱いにすべきなのではないか。そこがメインになって、例えば毎日進んでいくということではない。研究開発の取組の中でもあったように、本単元の内容を子供たちが1時間しっかり英語を聞いても、その次の時間までに忘れてしまいますので、それをやっぱり繰り返し覚える、そういう学習があって次の時間につながっていくというような短時間学習が基本的には補助としての時間であるべきと考える。

○ 論点整理の中に5・6年の年間35時間増となる時数を確保するために短時間学習を含めた検討が必要であるとの指摘について、小学校の短時間学習(短時間モジュール)の在り方について、小学校現場にいる者とそうでない者とでは、理解に違いがある。このため、議論を円滑に進めるためには、短時間学習(短時間モジュール)と45分授業との効果的なつながりの具体例が必要であると考える。現在、多くの学校が使用しているHi, friends! は非常に有効な教材であるので、英語教育強化地域拠点事業において実施されている取組のように、Hi, friends!等を基にした3年4年の外国語活動例及び5年6年の英語科指導例のイメージなどを基に検討が必要である。

○ 研究開発校では短時間学習については朝の時間に毎日実施しているとのことだったが、全国の学校実態は様々で、朝の短時間モジュールの使い方も国語や算数の基礎学習に活用している学校が多く、英語だけに特化して行うことは困難な状況にあります。年間70コマにおける短時間学習の在り方を一律に求めるのでなく、45分の学習時間を時には60分扱いにして15分を短時間学習として位置付けることや、朝の短時間学習を週2~3回程度にするとか各校の実情に応じた幅のあるものとして捉え、そういった視点で議論できるような具体的な資料を提供して検討することが必要である。

○ 短時間学習について、短時間学習は、45分授業との関係性とバランスを明らかにすること、つまり、70時間としての教育課程の系統性と関連性を明確にすることが必要である。短時間学習だけでは、繰り返し学習やドリル学習になる。またコミュニケーション活動を行うには時間が十分ではない。したがって、45分授業とセットにすることが大切であると考える。

○ 短時間学習と45分授業の関係性を明らかにした70時間の年間計画について、小学校高学年外国語の70時間の年間計画のたたき台を基に議論すべき。45分授業と短時間学習の関係性を具体化したものがないため、イメージがもてないのではないか。現職の小学校教員が教科化に円滑に対応できるようにするためにも、現在の外国語活動で多く活用され、今までの取組の蓄積もある『Hi, friends!』の枠組みを基にした70時間(短時間を含めた)の年間計画のイメージを提示し議論を行うことが多くの関係者の理解を得ることになると考える。

○ 実際には、小学校で毎日その時間を英語に充てていくというのは物理的に非常に難しいのではないか。研究開発校などの指定を受けている学校は当然実践できるとは思うが、一般的な学校では国語、算数の計算、読書、漢字等の短時間学習が必要となるので、短時間短時間モジュールは週2コマぐらいまでが妥当ではないか。

○ 現行では、本単元で必要な時間数が大体5年生でレッスン9まで、6年生で8まであり、それぞれ4時間ぐらいを計算しているので年間35単位時間という扱いをしている。年間70単位時間では、これから文字を読んだり書いたりということが入ると当然その時間ではできないので、恐らく時間内での短時間も含めて考えると、やはり一つのまとまった授業として単元で6時間ぐらいが必要ではないか。仮に九つの単元にすると、54時間、そこに短時間短時間モジュールが大体10分、12分、15分などが平均値として結果が出ているので、繰り返しの時間としてはその程度が良いのではないか。そうすると、1週間の二つの短時間モジュール、2週間で45分ぐらいの短時間モジュールがあると、時間と時間とがつながっていくのではないかと考える。

○ 短時間短時間モジュールについて、外国語の授業は45分の授業ですることが望ましいと考えるが、方向性として短時間学習を検討する場合、留意が必要。研究開発校の担当の先生の話では、その学校はドリル的な学習になってはいけないので、短時間学習を幾つか合わせて、例えば7時間などと合わせて一つの単元を作って実施した。その結果、その中にいろいろな活動を含めたため、最初は子供たちも、短い時間に非常に集中力があって活動に取り組んでいたが、何時間かしてくると、いろいろな活動を散りばめているということから、意欲の減退が見られたということだった。短時間だけで単元を構成するので児童にとってはしんどいものもあり、英語嫌いだというふうに答える児童が増えたということも聞いた。このような話を踏まえ、短時間学習と45分の授業の関係性をはっきりさせる。つまり、70時間としての教育課程の系統性とか関連性を明確にしていくことがとても重要ではないか。短時間学習だけで単元を組むとかということがあってはいけないということと、繰り返し学習だけに短時間を使うということでは良くないと考える。

○ ICTの機器や必要なコンテンツ等の教具の準備を行い、朝読書とか繰り返しの計算ドリルの取組は行われてきたが、15分の英語の授業を今まで小学校の教員は教科として実施してきていない。短時間学習をどうしたら効果的にできるのか、その15分を教科としてどのように指導していくのか、必要な研修も行っていくという教育環境の整備と合わさって、この短時間学習を教科として扱うという方向生を打ち出すべきではないか。

○ 短時間学習は、中学校・高等学校の授業で見ても、帯学習、あるいは独立して、授業の本体の活動、先ほどのタスクのような活動とは別にコンスタントにやっていく活動自体は、そう珍しいことではないが、それを効果的に位置付ける必要はある。そのような観点から短時間モジュールと言い方をすると、どうしても本体と切り離されて独立に行われていくような活動と捉えられるのではないかと考えており、今後、しっかりと練習活動ないしは短い時間でやることと、45分あるいは中心となる活動の関係をはっきりさせていくカリキュラムや、順番性、目的意識が明確に位置付けられる必要がある。

○ 英語教育強化地域拠点事業の取組の結果にもあるが、練習活動に入ってしまうと、結局機械的な活動に追われてしまう。そうすると、文脈のないところ、あるいは目的のないところで練習をすることも可能性としてはあり、何のために子供たちはそれを練習するのかが曖昧になってしまう。基本的・基礎的な知識・技能を何のために身に付けるかというと、言語使用をするためであるので、その目的意識をしっかり高めるような工夫が必要になる。その意味では、教科書や教材などの整備は必須条件であると考える。


○ 書く・話すだけではなく、研究開発校等の取組の結果等を見ると、聞くことの短時間学習、言語使用の短時間学習など、様々な可能性はあるので、そのような意味では4技能を含めて様々な側面の短時間学習、必ずしも書くだけの活動ではないというような位置付けを明確にできるとよい。

○ 時間の確保については、何らかの形で15分がきちんと位置付けられる必要があると考える。小学校、中学校、高等学校では余り変わりないと思うが、1単位時間の中でフルに単位時間を学習に充てられるかというと、そうではなく、授業構成を見ると、ウォームアップから始まり、最後は振り返りで終わる、という展開がよく見られる。そのようなことを踏まえると、中身の時間自体は早々確保できるわけではないため、教育課程上、あるいはカリキュラム上、あるいは学校運営上、しっかり工夫をすること、指導体制の在り方をどのように考えるかなどの研修等も含めてバックアップが必要になる。

○ 短時間学習について気になるのは、学校の先生方がこれを聞いたときに、週2コマは大変だから、そのうち1コマを短時間学習で実施するという発想だけが色濃く出てしまうことは好ましくないと考える。論点整理に指摘があるように、これから小学校の英語教育として、文字の指導などを行うとともに、指導の効果を更に高めなければならないとの指摘があり、そこを大事にしていく必要がある。また、なぜ、年間授業時数70時間が必要なのかしっかり議論していく必要がある。その中で、短時間学習の良さを生かした活動として何ができるか。短時間学習は、まず反復、それから、集中して短時間で実施すること、非常に効率よくできるということ、テンポがあるなどの良さがあるが、これは算数の計算ドリルのように毎回同じような活動を、内容を変えて実施するということが原則だと考える。このような短時間学習に合った外国語教育の範ちゅうは何かというところを考えていく必要がある。

○ 学校でしかできないことを行うべきではないか。例えば、単に知識の定着というふうに誤解されて、単語練習をさせる、文字の練習をペンマンシップだけに捉えられると。一つの単元の中でその中の活動を行うこと、最終的な単元のゴールの活動を充実させるために、短時間学習の中でも子供同士が関わる活動を入れていくということは分かると思うが、先生方が誤解をされないようにすべき。なお、県の英語教育強化拠点地域では、短時間短時間モジュールより2時間にした方がよいという意見が多く、現在、5・6年生は週30時間設定している。数字上は週28時間としながら、実際どの小学校も週29時間ぐらいとなっており、更に週1コマを加えて週30時間実施。月曜日から金曜日まで全て6時間授業という形となっているが、この方が先生方はしっかり指導ができる、仮に短時間学習を切り離した場合、準備も計画も大変であるということを考えると、現状の取組を続けてきた方がよいという意見もあった。

○ 短時間学習の内容はきちんとこれから考えていくと。その中で70時間というのはどういうふうに意味があるのかということを考える必要がある。併せて、小学校の場合には学級担任の先生が英語を御指導される中で、何ができるか、英語が不得意な先生方も今たくさんいらっしゃるはずで、研修等だけでそれはクリアできる問題なのかを考えることが必要である。

○ 小学校「教科型」を意識した指摘があった今後の課題として、アルファベットや英単語を場面設定なしに、ただ単に繰り返し書く活動を行った場合、児童に意欲の低下が見られたということが気になる。短時間学習の実施状況調査では、使用する教材の8割が独自作成の教材となっており、このような状況の中で、短時間学習をスタートした場合、独自教材の中で、単に繰り返し活動を行わせてしまうものや、45分授業の1単位時間の中でも簡単な方へ流れてしまうというものが出てくるのではないか。小学校の教科化が図られた場合には、繰り返し学習をすればいい、それで時間を埋めればいいということではないということを強く打ち出すことが必要である。
また、各自治体でも共有してどのような内容にしていけばいいのかというのを主体的に考えていく雰囲気を形成していくことが必要。基本的には45分を週2回実施して、定着もしっかり図り、自分の思いや考えを少しでも言える時間をたくさん保障する方が児童にとってはよいと考える。

○ 現行の学習指導要領によって5・6年生に外国語活動が始まり、「Hi,friends!」を中心に飛躍的に小学校の外国語は進歩したと思う。教員は、初めて外国語を指導するということで非常に戸惑いもあったが、子供たちに何としてでも力を付けたいということで、しっかり取り組んできている。子供たちも、意欲だけではなくて、情意面、友達のよさに気付くとか、日本語と比較してよさを気付くとか、伝え合った喜びとか、言葉の大切さにも気付いてきているということは大きな成果だと思う。これを踏まえて、更により良い小学校の英語にしていくための可能性として、小学校は現在、漢字とか計算だけではなく、本校は言葉の学習も短時間学習に取り入れているが、そこで無機質な漢字で繰り返すのではなくて、本体の45分の国語や他教科等のことも踏まえて繰り返すという意味での短時間学習であり、本体の45分の授業を更によくしているという特質があることを肌の感覚で感じている。こうした良さを生かして、小学校高学年の英語科の短時間学習もあり得るのではないか。
その場合、45分本体が主であって、短時間学習はあくまでもそれを補充的に扱うということであれば、やはり大きな基盤となっている「Hi,friends!」を生かした短時間学習、それから45分の授業、この70時間の枠組みを出していただいて、それを基に議論していくことが大事である。

○ 短時間短時間モジュールも含めて大枠70時間ということが出ているが、具体的な時数については検討ということで、他教科との関連が当然あるが、現在の「Hi,friends!」は非常に良い教材だと小学校の現場は考えている。その教材を基に短時間短時間モジュールを使うとすれば、45分間との関連でどう考えていけばよいのかということを、具体例を基に検討していくことがまず必要なのではないか。
また、短時間短時間モジュールもいろいろな取り方があって、学校の実態によってかなり差があるので、一律にこうあるべき、短時間学習はこうだと限定をしてしまうのではなく、ある程度幅を持たせた、例えば45分プラス15分、60分授業や、朝の帯学習の中に10分、あるいは15分という短時間モジュールが入ったりとか、いろいろな短時間モジュールの取り方もあろうかと思うので、どういう短時間モジュールの使い方をすることが非常に効果的であるのかというのは、拠点校もあると聞いていますので、そういう事例からちょっと具体例を出していただいて、検討できれば、皆さんの共通理解が図られるのではないか。

○ 短時間短時間モジュールは、英語の場合は他の教科と違って特殊なので、英語は英語という授業時間以外にほとんど全く出てこない。それを果たして短時間モジュールという形でやったときにどうなるのかというのは、間違ったやり方であれば逆効果になると思う。また、どのような使い方をすれば一番良いのか。事例を少しずつ集めているとは思うが、それをきちんした形で整理していくべき。
もう一つ、教科書の使い方が、短時間短時間モジュールの設定の仕方がいろいろ変わったときに、果たしてどのような使い方になるのか、なかなか見えてこないので、教科書が一つだとしたら、ある学校はこう使っている、こうだったらうまくいかないという点まで含めてきちんとした形で整理が必要ではないか。

○ 小学校から中学校に行くに当たって、レベルの差がちょっとあるというお話があったが、例えば、ここに書かれているPreA1の部分が70時間必要なのか。もし70時間取れるのであれば、もっとプラス、こういうことまで盛り込んだ方がいいのか。短時間短時間モジュールを小学校現場に全部やりなさいというのは無理だと思う。短時間学習をいろいろな使い方を小学校でしている中で、英語で短時間モジュールをやってくださいと言うのは、特に1週間に15分×3コマを入れてくださいというのはかなり困難性があると思う。学校によってはできないところもあるかもしれない。そういう中で、短時間短時間モジュールありきはかなり心配である。これは、小学校部会など、いろいろな関係が出てくる。今回の教育課程実施状況調査でも短時間学習の使い方については調査をされているので、ある一部分だけで持っていくのではなくて、全体的な視野で短時間短時間モジュール、若しくは今の内容をよく検討して、70時間が本当に活用できるのであればいろいろな活用の仕方もあるだろうし、もしこの内容でPreA1が簡単であれば、週1時間で大丈夫ではないかという現場がもし出てきた場合、それにどうやって応えていくのかということがある。もし70時間活用できるのであれば、もうちょっと内容的に膨らませたらというギャップがあるのであれば、膨らませたらという意見も出てくるかもしれないので、その辺も総合的に考える必要がある。

○ 年間70時間に関わることで、小学校英語で御発言があったように、PreA1は、今の小学校の現状からいくと実はギャップがあるだろうと感じている。それは、35時間、5年、6年で行っているところ、プラスで実施をしているところもあるが、このPreA1の聞くこと・話すことに加えて、書くこと・読むことまで含めたときに、この時間数ではなかなか力として身に付いていかないのではないかという捉え方をしている。具体的には、一つはある小学校の5年と6年の自己評価の結果を見ると、週1回、5年生はALTとのTTで、6年生は5年時には学級担任が「Hi,friends!」を中心に行っていて、6年生のときにはALTとのTTを実施しているところだが、おおむね満足できる子供たちがほぼ全員だといいなと考えたとき、子供たちの自己評価として、9割を超えている項目は早々多くないというか、9割を超えていない項目もたくさんある。そうすると、35時間の2年間で、聞くこと・話すことでもかなり十分な繰り返しであるとか、言語活動の経験、スパイラルな活動の繰り返しが必要だろう。
ベネッセ教育総合研究所の2015年の小学生の英語学習に関する調査でも、これは広範囲に分析をしたものだが、同様の結果が出ている。実施状況は様々なので、一応、5・6年生が週1回行っていて、始めた時期は中学年から始めた人、高学年から始めた人と2種類に分けた。3・4年時にどれぐらいやっていたかについてはまだ聞いてが、そこはばらつきがあると思いながらも、これは5・6年生をまとめたデータだが、実は「できる」と答えている子供たちが9割を超えた項目は1項目だけである。英語の挨拶ができるということ。他は、時間数であるとか、指導の系統性であるとか、目標の明確化による指導の充実というのは、実はもっと求められるであろう。そういう意味では、35時間、週1コマよりは週2コマは必要になるであろう。ここに書くこと・読むことという指導が系統的に入ってくるとすると、やはり2時間の確保、週2コマ程度の確保は必要であろうと考える。週3コマ必要かどうかということだが、英語の経験とインプットの質と量が問題であるということなので、量が多ければ多いにこしたことはないと思うが、かつて中学校の外国語科は週3の時期があった。そうすると、教員側もかなり専門的な知識を持った上で指導に当たる必要が出てくるなど、いろいろな課題が出てくるだろう。

○ 昭和40年代に、小学校英語の学校に通っていた人間として感じるのは、公教育としての小学校英語の場合に問題になるのは平等性と質の確保ということだと思う。そのような観点からすると、いろいろな事例があるが、全ての学校でほぼ平等に均一にできるかどうかということを視野に入れた方がよいと思う。そうすると、短時間短時間モジュールで心配なのは、前回もあったが、機械的な練習だけになってしまうとか、もしかしたら小学校が単語帳の練習になってしまうかもしれない。それを避けるためにも、先ほど情意面のというお話もあったが、例えば重要語100語は、非常に限られた語だけれども、それをきちんと使えるようになるのが大事だとすれば、無理のない形で、相手への思いやりをきちんと学べるような形で機能と言語材料を入れていくみたいなもので、ほぼ全国的にみんな小学校卒業までにできるようになるというようなものが目標にも、教材を作る上での指導にも入ってくるとよい。

○ 「聞くこと」「話すこと」の活動を、現在5・6年生で週35時間しているが、「聞く」「話す」だけであればその時間でクリアできると思うが、読む・書くという学習が入ってくると週35時間では対応が無理である。発表された資料にも、「聞く」・「話す」はあるが、「読む」・「書く」という部分がほとんどないという話があった。「読む」・「書く」ということが高校、中学校、小学校の英語科という中で必要だと考えるならば、年間トータルで70時間という確保は絶対必要である。

○ 読んだり、書いたりすることが入ったから35時間増えたという発想でいいのか考える必要がある。英語4技能を含めて展開をしていく、言語活動を充実させるというのがプラス35時間の意味ではないか。現場の先生方が、プラス35時間になったのは書くことと読むことが増えたからという発想になってしまうと、短時間短時間モジュールに適した様々な教材が飛ぶように売れ、それをたくさん使う学校が出てくるのではないか。その70時間は言語活動の充実であるということで今までの「Hi,friends!」と何が違うのか、どういった言語活動の充実があるのか。例えば、これまでの「Hi,friends!」のレッスン5に、書いたり、読んだりする言語活動がこのように入ってくる、だから時間が増えているという発想で捉えていく必要があるのではないか。

○ 単なる読み書きが入るからということではなくて、本当に充実した言語活動を行うためには、週35時間の体験授業だけでは無理だと理解をしている。

○ この9月末から10月に掛けて、各都道府県の研究部長にお集まりいただき、この外国語活動が週2コマに入ったときの課題等について情報交換をしてきた。現場の校長先生方は今後どうしていくかということに不安を持っている。1コマは外国語活動で取っているので、もう1コマをどうするかという問題については、例えば短時間モジュールを15分掛ける週3回やって、それを35週やるということをした場合に、各学校では学力向上のために算数や国語や読書活動など、かなりそちらに割いているので、実施できる学校とできない学校がある。各都道府県の各学校、また各自治体の状況に応じて、短時間モジュール若しくはいろいろなキャンプ等も含めた柔軟な形で実施していただけると小学校はとても有り難いし、賛成である。各短時間学習やいろいろな形態で行う週2コマ分の扱い方についてはそれなりの成果を上げないといけないので、それに応じた資料等を作成して、現場に実施形態を選んでいただくという方向であれば、うまく円滑に持っていけるのではないか。

○ 小学校は英語だけをやっているのではなく、公立小学校等は、様々な課題のある生徒も学校によっては随分違いがある。短時間モジュールをすることについては、例えば15分を週3回とすると、これは現場では無理なのではないか。学校現場の短時間モジュールを考えたら、週1回若しくは2回程度までが限界ではないか。60分、つまり45分プラス15分というようなことも検討しながら、短時間モジュールについては、2週間若しくは3週間で1コマの扱い程度なのではないか。そうすると、コマ数としては仮に2週間で1コマ分の短時間モジュールという扱いをすると、年間35週としたら17時間ぐらいになる。3週間に1回とすると、12ぐらい。12から17時間ぐらい短時間モジュールとして考えることができるのではないか。年間70単位時間から17若しくは12を引くと50数時間。50数時間については、いわゆる45分の授業というのはどうしても必要なのではないか。5・6年生の年間指導計画イメージ案という中に、一応8時間ぐらいの扱いで作っているが、6時間ぐらいが実際の45分の活動になって、2時間分ぐらいが短時間モジュール、あるいは短時間学習という形になるのではないか。子供はやはり忘れるので、新しく覚えて、それがある程度いい流れができたとしても、それが使えるようになるには時間が掛かるし、ある程度できるだけ短いスパンで繰り返しをしていくということが必要なので、そういう意味では短時間モジュールというのはある意味では大事かなと思う。

○ 仮に年間70時間取れるとして、短時間学習の入れ方、学校の組み方によっては、児童の到達レベルというのはかなり変わるのではないか。子供が忘れるということは必ずあり、次の授業ではその復習から入るというのがある。短時間学習の15分間というのがどこに設置されるのか、又は45分でいくのかということによって、かなり変わってくるのではないか。
それから、もし15分の短時間学習ができた場合、例としてアルファベット文字を書き写すとか、そういったことがもちろん考えられるが、その時間が形式的な単なるドリル活動だけになるということについては留意する必要がある。

○ 各都道府県や地域によって差が出るということで、その児童の定着度が変わって幅が広がるということに大変危惧があるので、そこはやはり実施可能な全国それぞれの児童の付けられる力がある程度一定するような形で示さないといけない。中学校は当然その幅が広がった生徒が来るし、高校となれば、更に広域の地域が違う子たちが集まってくる。そうなると、他教科で学力が高くても、英語だけこれだけ幅が違うということが高校で起きてしまう可能性がある。やはり小学校の時間設定、定着度をどう図るかというのは非常に大事な問題だと思う。

○ 短時間学習のたたき台の中で、今の「Hi,friends!」の枠組みを基にして作られているということは、新たな教科化になっても、小学校の教員が非常に受け入れやすい。「Hi,friends!」の枠組みということになると、表現であるとか、語彙も引き継ぐということになると思う。「Hi,friends!」はCEFRのA1レベル全般のことを取り入れられているが、それを受けての小学校の外国語科になるかということは非常に参考になるが、短時間モジュールが45分とのバランスを考えると、短時間モジュールの方が同等であり、多くのは、小学校の現場においては難しいように思う。このたたき台の中で、5年生の方は文字、アルファベットが主になっているので、それだけを短時間で扱っているように取られるのかと。機械的な繰り返しになっては、やはり短時間モジュールの扱いとしてよくない、6年生の方が単元の目標を踏まえた短時間の学習になっていて、意味ある場面設定の中で「慣れ親しむ」の時間が非常に足りなくて、無理やりコミュニケーション活動で行っているので6年生の方が非常に勘違いされにくいのではないか。そうであれば、時数を増やすところは、意味ある活動の延長線とすることが非常に大事である。ただ文字は、長時間書き続けると 子供たちの意欲は減退していくということもあるので、例えばここの6年生の短時間にあるように、コミュニケーションの場面を入れるけれども、最後のところに文字を入れるとか、そういった扱いをすればよいのではないか。しかも、その短時間モジュールが余りにも多過ぎると、これは学校現場にはなじまないかなということもあるので、やはり45分が主流であって、その枠を越えたところで、何時間かが短時間モジュールであるといったイメージが持ちやすいのではないか。

○ 小学校高学年を充実するという点から、70単位時間程度が必要である。特に、聞く・話すに加えて、読む・書くを加えることに伴って、70単位時間程度の必要性の中では、13ページの下以降のところに、短時間学習に係る柔軟なカリキュラム設定に関する考え方が出ている。現在、英語以外の様々な教科も小学校にあるが、必ずしも35週の倍数で設定されているわけではない。また、年間の授業時数を基本的に35で計算しているが、実際は35よりも多い。そういう幅の中でやっていることなので、この発端になっていた45分の授業とモジュールの組合せをどするという議論があるが、短時間学習も含めて、柔軟なカリキュラム編成というのを個々の学校でやるというまとめで結構だと思う。例えば、年間の標準時数が50単位時間にしかなっていない科目というのは、2週に1回そういうものが入ってきたりして、いろんな組合せをしている。70が週2コマ取れないからといって、即モジュールを入れるとするのではなく、そこはいろいろな組合せを現にやっている。学校が、実際に、他の教科でもモジュール学習が行われているというお話があったが、それは具体的に指導目標、指導過程をはっきりさせれば、単位時間の組合せでも、他教科で1単位時間になるというようなことは現に行われている。だから、全般的にどのようなやり方をするにせよ、70単位時間を取るという方向を示すのがよいのではないか。その仕方については、実際、35週ではなく、ゆとりの時数というのがあるので、そういうものを組み合わせていくことによって、どう行うかというのは、それぞれの学校ないし市区町村教育委員会の考え方に任せることでいいのではないか。

○ 短時間学習は即ドリル学習、繰り返し学習といった機械的なものとして非常にネガティブな捉え方がされているが、短時間学習で取り出そうが、45分の中に位置付けようが、ある意味で語学を教科としてやる場合に、繰り返し学習が必要でないという議論はあり得ない。それは「短時間モジュールを課程外にする」「45分の授業の中では、学校でしかできない何かまとまった言語活動をやればよいのであって、繰り返しのような、プラクティスのようなことをやるのは非常にマイナスだ」というイメージがもたれていることには少し疑義がある。リーディングやライティングという技能は、基本的に個人的な技能であり、例えば、書くことの指導というのは、自分の書くスピードなど、かなり個人差が生じることである。そこのところをきちんと指導していかないと、家でやっていらっしゃいということになって、学校ではいかにも華々しい言語活動をやっているが、基盤をつくるような、繰り返しを必要とするようなことは、家庭学習に任せたり、あるいは、塾に任せたりするというような二重構造ができているということが、その後の中学校、高校になって学力差を生む大きな要因になっていると思う。リーディング、ライティングを入れるのであれば、そこのところの入門期の指導というのは、45分の中でやろうが、短時間学習でやろうが、かなり学校の中で時間を取って、全く機械的ではなくて、場面設定をするということをどのようにやるのかということは、小学校の先生の力量によると思うが、繰り返し学習、あるいは、ドリルというのを完全に否定した語学学習というのはあり得ないので、そのところの自己コントロールができるように子供たちを育てていくということが小学校高学年の教科化で一番大事なポイントである。生涯にわたって語学学習をしていく基礎のところで、集団に紛れてやっているばかりではなく、基本的に読むことも書くことも個人でやる作業になってくるわけで、そのベースの力をどんな形でも作っていくということを否定することはできない。

○ ドリルというイメージについて、オーラルドリルももちろんあるが、単語をただ練習させるなど一般的に広く行われていて、音と関連させるというところが特に小学校においては大事なところなので、そこを押さえたような記述にしていただきたいということは非常に思う。また、外国語教育の目標と学習課程の全体像のイメージにおいて、英語の学習課程について、小学校中学年と高学年、中学校は、ペアワーク・グループワークとある。上記の上の方の目標を達成するための活動の在り方として、ペアワークやグループワークを中心にするというのは非常に好ましいし、こうあってほしいと思うが、高等学校の方の文言が学習形態の基本とするというふうに、学習形態というふうにしっかりと書かれている。ペアワークとかグループワークそのものが活動であるような感じのイメージに取られがちなので、ここもしっかりとした文言で書いて、中心とするという文言を加えた方がいいと思う。

○ 短時間学習について、特にドリルのところについて、今までの外国語活動でも、慣れ親しんでいくというところは時間数が十分でなかったということは、今までにも申し上げてきた。単元のゴールに向かって、こういうことをしたい、だけども、それを練習する、慣れ親しんでいくというところは十分時間が取れないというところは、課題としてあったと思う。ただし、短時間であろうが、45分の本体であろうが、目的がないところで、覚えなさいというということはあってはいけないと思う。単元のゴールに向かって、こういうことをやりたい、でも十分ではないから、それを繰り返しやろうという、意味のある時間の中での活動でなくては、それは子供たちにとって、特に小学校の子供たち、まだ外国語に触れる初期の段階において覚えなさいということは、やはり子供たちの意欲が下がり、今、成果として上がっている意欲が向上しているという良さを引き続いていくというところでは、目的がないドリル的な活動ではなく、目的を持った活動にしていくということが必要ではないか。

○ 中学校、高等学校で定着を求めていくということになると、中学校、高等学校では、そういったドリル的な学習というのも必ず必要になってくる。小学校のドリルの考え方を同じ考え方でやれば、小学校の子供たちにとって、英語への学習モチベーションは下がるというような懸念もされると。いろいろ考える中で、目的は持たせて学校で今指導されていて、小学校での英語学習というのは、一つの文脈の中で練習したりしているということを大事にしている。そういう先生方がドリルという言葉で聞いたときに、恐らく先生方自体、英語の学習というのがどうあるべきかということを御存じない状況ではないか。そういった中で、定着のためのドリル的な活動もしっかりやっていこうというような考え方になったときに方法論として、やはり何らかの具体を示しておく必要があるのではないか。例えば、過去に中学校や高等学校でよく子供たちが、「先生、どうやって英語を勉強するんですか」と言われたときに、「いや、単語をしっかり書いて覚えるんだ。広告紙の裏に何回も書いて覚えなさい」みたいなことがよく指導がされていたが、それも大事だが、ただそれだけではいけないということを今言われている中で、中学校の先生でも今それにようやく気が付き始めて、それを変えようとしている。小学校の先生方も恐らくそういった英語教育を受けてこられて、中には英語が嫌いになった先生方もいらっしゃる。そういう先生方が実際に指導されることを考えると、ドリルという言葉の受け止めは、かなりいろんな多岐にわたる受け止めがある。我々が理想としているドリルとは違った方向にいく恐れもあって、その内容については何らかの形で示していくということが必要ではないか。それが子供たちを英語嫌いにしないモジュール学習であり、ドリルということの前提になるのではないか。

○ いわゆるドリルと聞いたとしても、単に機械的な学習をするということではなく、意味のあること、あるいは、目標と結び付いていること、慣れ親しみであるというような理解はできるが、これが一人歩きしたときに、各地域、学校によって、英語に取り組む姿勢、あるいは、英語に対する理解がそれぞればらばらな中で、言葉だけが一人歩きすると、いわゆる機械的な単語学習、あるいは、機械的に何かを書くということになっては具合が悪いなと思う。6年生や5年生の具体的な年間指導計画例イメージの中に、単語に慣れる、あるいは、言い方を使えるようにする、正確に描き写すようにするなど、具体例がいろいろ書いてあると思うが、こういったものがいろいろとあるとイメージがしやすくなり、それぞれの学校で正しく伝わって授業に反映させることができるのではないか。

5.中学校、高等学校の改善の方向性
○ 英語を読むという受信については、教員にも指導に関するノウハウの蓄積があるが、発信の方はそうではない。ただ、教員は、生徒たちが発信することにより喜びや楽しみを感じているということは実感として分かってきている。今度の改訂では、そのような発信力を付けるにはどうしたらいいか教員への支援も含めて検討が必要である。

○ 書くことは非常に時間が掛かる。特に文を書かせるとなると、非常に誤りも多いため、長い目でどんどん習わせるという視点が必要だと感じている。

○ 話すことに関しては、現状としては即興性が中学校の授業の中で行われていると感じられない。自分の意見に対して理由や更に詳細な説明をすることは、中学校の中で恐らく一部でしか行われておらず、音読で終えてしまっているということが現状にある。アフターリーディングの活動でどんなことができるか、どんなことをさせられるかということが中・高の現場では大切ではないか。

○ 中3の英語力調査結果に関連して、現状の指導は、結構日本語で対応しているということと、音読で終わっているということ。音読はかなり実施しているが、そこで終わって、その後の活動というのがないということで、その後の活動をしっかりアフターリーディングが活動していかないとこういう求めるような力は付いていかない。例えば即興的なものにしても、ライティングにしても、恐らく1回か2回しかしてないのではないか、しかも目標をちゃんと定めて指導していくというのがまだまだ確立されていない。したがって、こういったことがどういう方法でどのように高めていけばいいのかということがなければ、現場の教員というのはなかなかできない。また、自由に書かせたり、言わせたりするときに、どのように誤りの修正をしていってあげたらいいのかという、英語力も含めて自信がない。だから、そこに踏み込めないという教員も少なからずいると思う。今後、グループワークやペア活動というのが非常に多くなってくると思うが、今現場の中ですごくよく聞かれるのが実は習熟度別で、少人数と習熟度別が結構セットになっているところがあり、習熟度別は何でやっているかというと、ペーパーテスト。そこで輪切りにして習熟度別にして、その中でペアワークをやるということが今後起きたときに、それは多分効果は薄い。均等にした中で、相手のことを考えて、発音したり、一緒に学習したりするという、そういったものがなければ、全体的な伸びというのは多分、伸びはそんなに効果が上がらないのではないか。

○ 習熟度別のところについて、東京都の方は数学と英語、この2つについては少人数指導を徹底してほしいという強い願いがあり、数学の方は基本的には全て習熟度別、英語の場合には少人数・習熟度別というような提示の仕方をしている。英語の場合、習熟度別にしてペア活動をやったりしても、本当に苦手な子たちだと黙ってしまって終わってしまう。学校現場で言うと、特に校長などは英語の校長ばかりではないので、どうしても習熟度のイメージが強くなる。そうすると、どうしても英語の時間も、年度の初めから習熟度に分けてしまって授業を展開するというのに陥りやすくなる。その辺りをどのようにリードしていくかというのは非常にポイントだと思うので、少人数でやっていくことに対しては、非常に私自身賛成の意見を持っているが、均等割の意味合いというのも国の方からしっかりと明示し、それをうまく活用して子供たちのやり取りが深まっていくというような方向性を是非示していくべきだと思う。

○ 習熟度別について、私は3点から避けた方がいいと思っている個人的な感想だが、1点目は、同じ年代であったり、1つ上か2つ上の先輩とか、いろいろな人たちが成功した例というのを目にすることによって、動機付けがすごく高まる。同じ教室の中でも、うまくいっている人と接していくことによって、こうなりたいなみたいな、そういうことがある。
もう一つは、相手に応じて、目的に応じて言葉を選んだりとか、スピードを調整したりする。例えば友達の中でも、自分よりちょっと英語ができないかなと思っている子に対してどのように配慮して言葉を使うかとか、そういう言葉の選び方も含めてというのは非常に大事な資質、能力になると思うので、友達間できちんとそれをしていく必要がある。
3つ目は、まさしく動機付けの中からだめと思うのは、そういうグルーピングをしたときに、一番下、アビリティグルーピングであるとか、スリームされてだめなところに入った子たちは、もう自分たちは選ばれてだめなグループだよねとレッテルを張り、レッテルを張るとそのぐらいの努力しかしない。先生たちも生徒の成功に対して高いスペックテーションを抱かないので、それがもろに子供たちに伝わってしまって、子供たちもそれを肌で感じながら、英語は向かないからいいかなと。すなわち動機付け、モチベーションというところで非常に危険をはらんでいる。そういうようなことも考えて、3つの点から、私は、少人数は非常に大賛成、予算の都合が付くなら賛成だが、能力別ということにすることによって先生や生徒が持つ気持ちそこに不安を感じる。

○ 習熟度別について、大学等では習熟度別をしないと収拾が付かない。ギャップという点で言えば中学と大学は似ており、高校とは事情が違って、英語力の差というのは上と下は随分違ってそこで習熟度別をしないとやはりトップの子を伸ばすことはできない。なので、どこに焦点を当てるのかというのはあると思うが、国がB1、B2レベル、高校卒業時となれば、やはり上を伸ばしていかなければならないので、少なくとも緩い習熟度別というのは必要であると思う。
うちの場合には、各学部の1年生の必修の英語で8人編成の英語ディスカッションというクラスがある。四千何百人を8で割って上から下までクラスがあるが、下の学生がそれで俺たちだめだと思っているという調査結果は出ていない。なので、その辺は大学生の意識と中学生の意識は違うと思うが、雑草レベルみたいなのがあるが、そのクラスが盛り上がっていないとかやる気がないということはなく、どういう動機付けをするのかというようなことと関わっているのではないか。ただ、もちろん中学生は多感な時期ですので、大学生とは随分違うと思うので、その辺は分からない。

○ 松本委員からのどうして英語嫌いなのかということで、中学生という時期的なものというのは非常に考慮しないといけないが、ベネッセの以前の調査で国語と英語が低い。我々英語教員が考えると、数学は多分一番嫌いだろうと勝手に思い込んでいたが、実は英語と国語が嫌いで、それは、どこまで勉強したら達成するのかというものが不透明だからである。数学だったら、例えば問題が解けるようになったら、それでもうオーケーだが、英語の場合はどこまで、幾つか単語を覚えるとか、なかなか100点に近付けないというところがある。   それから、私自身、例えば発表をすごくさせて、毎回のように発表をさせている。発表嫌いについては、それは思春期から来るものだと思う。ですから、いろいろな本当に複合的な要素、それから、あと保護者の期待というのをすごくひしひしと感じて、それを子供が重圧に感じて英語が嫌いになっているということもあると思う。それが調査に出てくるかどうか分からないが、そういうのもあると思う。
それから、習熟度別に関して、私の今やっている学校は昔、今、本当に上は1級から下は5級までというようなクラスについて、開校当初、習熟度別であった。2クラス4展開をして完全に切っていたが、うまくいかなかった。どこがうまくいかないかと、下から2番目のクラスは特にひどい。一番下はうまくいく。でも、学校によっては一番下がだめなところ、たくさん知っているが、上は成功するのか、いろいろな活動をさせて成功するのかというと、上もうまくいかない。それもやはり心の持ち方、持ちようというのはあるのかもしれません。お互いに牽制し合ったりとか、逆に誤りを恐れてしまうとか、そういったものがある。3年目か4年目で習熟度別についてはもうやめましたが、それから急に伸び始めました。クラスの中で、下の子も、先ほど太田先生からあったように、いいモデルを見ていますし、お互いに、この子だったらこういうふうに教えてあげられるなと、そういうような意識が芽生えて、それがうまくいっている。なので、これからは本当にコミュニケーションでいろいろなことをクラスの中でやるというときに、中学校に関しては習熟度別ではなく、均等でその中でお互いに教え合う、学び合うという方がいいと思う。

○ 今の習熟度別のことに関して、余り最初から分けて、全て分けてやるというのは、ちょっと情意面の面等から少し問題なのかなと思うが、小学校で英語をやって、それで中学に上がってくるようなことを今後考えると、やはりでこぼこがある状態で入ってくる可能性が高くて、そのでこぼこを多少は手当てしてあげる観点的には、全部一緒にやっちゃうと難しい面は出てくると思う。どういうスキルを鍛えるのかとか、どういう知識が足りないのかというところによって、レベルを変えて指導してあげるみたいなところが多少はないと、先ほどの伸びていく子を同時に全部一緒にやって、伸びていく子は、上の方は伸びていく、下の方も伸びていくみたいにやるような教え方はかなり難しい。ですので、全体は一緒にやってもいいのだけれども、例えば小学校から中学に入ってきたときの全体的なCAN-DOとか、ああいうパフォーマンステストの診断結果によって、足りない部分の補強はレベル別にやるというふうな観点もやっぱり入れていかないと、全体的にそこを底上げしていくという指導的には難しい。やっぱりモチベーションとしても、できないところが分かるようになるというのがそういうふうなところのモチベーションを高めてあげないといつまでも分からないということなので、中2、中3で嫌だという子が半分みたくなっているのだと思うので、的確に診断して、こういうことが自分はできていなかったと思って、そこを手当てしてあげられるように指導してあげるという観点を入れないと、いつも新しいことをどんどん先に進んでいる授業は付いていけなくなると思うので、そういうところをきちんと対応しないといけない。

○ 習熟度に関して、私自身も、習熟度別にやったときにはうまくいかなかったという経験がある。よかった点は1つの学級の中で小さなグループを作り、上の方のかなり力のある子供たちを相手にして1つのグループを使って、1つの学級の中で行ったような授業、これは非常に効果があったように思う。島根県は非常に小さな県だが、学力調査をやっており、傾向として、先生方というのは下の子ばかりに目が行くという傾向がある。習熟度別というと、どういう思いでやられるかというと下の子を上げる必要がある。そこでどういうふうな指導がされているかというと、基礎基本の徹底という名の下に単語の練習とか、文型練習とか、こういったものがとにかく繰り返されていく。そして、高校入試に入るためだから頑張れというスポーツ根性物語のような指導が行われていたりする。
今、我々が先生方にお願いしているのは、上を育てましょうと。モチベーションを持っている、力を持っている子をもっともっと育てましょうというふうなことをお願いしている。やはり上の方へしっかり目を向けていくということは大切なのではないか。また、中学校へ入って嫌いになるという子供は全国的に多い。調べてみますと、嫌いになるのは1学期後半から2学期のところで一気に嫌いになっていく。もちろん英語の授業ということも、英語の学習内容ということもあるが、よく見てみると子供たち、特に中学生なんかは、子供たちがその教科が好きか嫌いというのは半分以上、その先生が好きか、嫌いかというところがあって、その先生の指導が自分たちにとって非常にいいなと思っているかどうか。その先生のパーソナリティーもあるが、ということは、やはりその先生の英語の指導力ということが非常に重要なのかなと。教えている内容というのはそんなに差はないが、その先生がどのような教え方をするかで、子供たちは好きな気持ちをキープしているところがすごくあるのではないか。我々は今、指導主事の立場だが、ここに関しては、一番責任が重い。
先日、平木調査官にお話しをしていただき、話を聞いた先生方が後で言っておられたのは、未だに何も知らない状況でやっていたと。先生方にいろいろなお話をして具体的な授業のイメージを作ってあげると見事な授業をされる。そのいい授業のモデルというのが非常に少ない。今回の学力調査の後半に示されているような非常に好事例の学校、こういった学校の指導事例などは指導主事の口を通して広げていくべきではなか。

○ 先日、中学1年生の授業を見に行った。学力の非常に低い子供が今言えたということを小学校の先生にも言ったが、やはりなかなかすぐ思い出せない、言えないということの積み重ねが英語嫌いになる。小学校で話すことについて非常にモチベーションを高く持って中学へ行くのだが、結局それが忘れてしまうので言えないと。そこの手当てがないと英語を好きにならないのではないか。やはり繰り返し、この間からスパイラルの話がずっと出ていましたけれども、そういうことを繰り返し、繰り返ししていくということがすごく大事なのではないか。やはり単語を覚える、文法を覚えるということが中心になっていて、覚える教科、学習なんやというようなイメージが1年生の終わり、あるいは2年生にすごく出てくるのではないか。小学校では書くとかいうことは余りしてないので、目的、学習、単元のゴールがいつも話をする、やり取りをすると。どんなやり取りをしようか、ということをすごく楽しみにして、その単語を覚えたり、表現をなれ親しもうとしているから、それはそれで楽しくやり取りができるわけだが、それはいずれ忘れる。それをどう次に生かしていくかということがやっぱり大事だと思う。子供は話をしたいと思っているし、友達とやり取りをしたいと思っていると思う。しかし、なかなか自分の中にそれが積み上がってこないじれったさというかもどかしさを感じながらやがては嫌いになっていく。

○ 中学に入って、英語が好きでなくなるということについて、その地域の中の英語の教員との会話の中からよく出てくることを紹介します。非常に積極的に英語の指導をやっている、いわゆる頑張っている先生だなという先生でも、「先生、実は小学校の英語の活動を見たことがありません。」と言うのが非常に多い。「『Hi,friends!』とか見たことある?」と言うと、「ぱらぱらは見ました。だけど、それがどう使われているかはよく分かりません。」だから、中1の入門期のときにもう1回、1からアルファベットをやってみたり、ちょっとしたカードを使って単語を入れ込むような練習をしてしまったりして非常に、こんな言葉が合っているかどうか分からないが、いわゆる指導法の中1ギャップが起きているのではないか。そこで子供のモチベーションは当然下がってしまうということで、1学期の終わりぐらいには、もう英語はおもしろくないなという生徒が増えていく。そんな印象がここ2年、3年たってもぬぐい去れない。変わらないなという感じがあるので、是非今回のこの改訂をきっかけにして、その辺の中1ギャップの部分もうまく平らにできるような文言を入れてもらうとか、当然教科書も変えてもらわなきゃいけないのかなとか、いろいろ感じるものはありますが、現場ではそういった声が多いということを紹介させていただきました。

○ 先ほど松本委員がおっしゃった中学校、小学校に学ぶ点があるのではないかということについて、私は、以前、教育センターというところで講座を持っていた。小学校の外国語活動や、中学校の先生も募集していた。すると、中学校の先生が非常に多くその講座に来られていて、中でも中学校の英語の指導教諭と言われる先生が非常に参加をされていた。思うに、一般に教諭の先生、本多先生も指導教諭でいらっしゃるということで、教諭の中学の先生が来られるというのは分かるが、指導教諭の方が率先してその講座に専門研修講座、小学校の外国語活動に来られていた。話を聞くと、小学校の外国語を踏まえて中学校の英語をしていかなくてはいけない。自分の授業を変えるには、ここにポイントがあるのではないかと。なぜならば、小学校で外国語活動を経験した子供を中学校で育てていく、そういう立場にあれば、絶対にその講座を受けて指導力を磨いていきたい。その指導力というのは、小学校の指導方法を何か中学校に生かせるのではないかとおっしゃいました。ですから、中学校ですごく力を持った指導力のある先生ほどそういう小学校の外国語活動をしっかり学ばれているなということを感じた。そして、なぜ松本委員が小学校の外国語活動を学ぶ必要があるのではないかと言われたかというと、小学校でとても意欲的なのは、ただ単に遊んでいるというか、楽しい活動をしているからだけではない。英語活動と言われた時代にはちょっと遊んでいるような、にぎやかな、元気がよければそれでいいと、そういうこともあったかもしれないが、今回、現行、変わってからは、「Hi,friends!」を起点にして学習をしていくという立場になったと思う。それは何が大きく変わっているか、中学校とどこが違うのかというと、やはり子供起点にしている。子供が話したいとか、子供が学びたいという、そこを起点にした「Hi,friends!」が作られているからではないかなと。子供と離れたところではないということが非常に今の「Hi,friends!」のいいところかなと思う。ですから、指導方法が変わるという、小学校と中学校が余りに変わっているから、子供たちが英語嫌いになっているのではないか。

○中学校でいろいろなことはやっているけれども、かなり学校内、学級内で差が出てきている。このことについて、やっぱり中学校の英語教育の充実というのを具体的にどう考えていくのかというのは、非常に危機感を持っている

【松本委員発表関係:中学校改善の方向性について (1月12日)】
○ これまでの御指導、文部科学省の指針等により、かなりの部分が改善されつつあり、特にここ数年の変化については、大きな改善が見られている。特に、現行指導要領で注目された高等学校においては「授業は英語で行うことを基本とする」ということについては、かなりの部分浸透しており、生徒主体の言語活動というのに関しましても、かなり増えている。学習到達目標としてのCAN-DOリストも、県によっては全ての学校が作成し、それを活用し評価にも生かしているという状況が展開されており、パフォーマンス評価についても「話すこと」及び「書くこと」について採用されつつある。その中で、中学校・高等学校、特に高等学校について、学習環境については改善されていない部分が大きい。都道府県レベルの学校については、高等学校、ICTの環境とか図書室の貧弱さというのが、目を覆うばかりの状況である。それから、1クラスの生徒の人数が、高等学校40名というような状況が改善されていないというような問題。グローバル化ということが高等学校等で叫ばれているが、先生及び職員、それから生徒、全てにおいて国際性が欠如している。国籍の問題や意識の問題も含めて、国際的な多様性が欠如している。それから、授業に加えて補習、クラブ活動等で空き時間がない。先生、生徒にとっても空きがないので、グループごとに集まろうとしても集まれない。

○ 国として小・中・高一貫した技能別の目標設定をすべきということは、第一に行うべきことであり、高等学校の指導内容についてはかなり改善されたが、4技能統合型の授業に向けた科目を再編成するということが絶対的に必要であり、同時にそのような授業を行うための教材、教科書の開発も絶対的に必要であり、評価の方法についても改善が必要。まず、最初のゴールの明確化ということについて、今回の資料にもありますように、技能別に能力記述文による高等学校卒業時点での最低限の学習成果(到達指標)を大まかに国が示すべきである。これを実効性の高いものにしなければならないが、是非とも学習指導要領にこれを明記していただきたい。設定の順序については、高校卒業時点でどういう力に到達しておくべきかという点を考えて、設定に関しては上からおろしていくという順番がよろしいのではないか。各卒業時点でのゴールというのを明確化すべきではあるが、ここがどういうレベルにするかというのは、まだ議論の余地はあり、これまで提示されてきたように、高等学校の必修科目においてはCEFRのA2レベル、選択科目を入れればB1レベル、更に深い学習をする。例えば、スーパーグローバルハイスクールなどではB2レベルを目指すといったような流れ、あるいは、大枠というものが考えられるのではないか。国が示したものをベースに、あるいは、これまでもう既に作成しているCAN-DOリストを各学校が参考にし、あるいは、地域ごとに学習到達目標をより具体的に、生徒の実情に合わせた形で示していくということが大切なことではないか。

○ 平成26年度の高等学校3年生の英語力調査結果について、「読むこと」、「聞くこと」は、CEFRのA1上位からA2下位レベルに集中しており、「書くこと」の得点の全体の70%、「話すこと」の得点は全体の約85%で課題が大きいということが言えるので、この点についても考慮しながらCAN-DOの設定をしていく必要がある。特に学習の状況に合わせた点について、試験結果と生徒質問紙のクロス集計によれば、「話すこと」の試験結果が高いほど、授業において「生徒同士で英語で話し合ったり意見の交換をしたりしていたと思う」という生徒の比率が高いというようなこと、それから、「話すこと」の試験結果が高いほど、授業において「英語でスピーチやプレゼンテーションをしていたと思う」という生徒の比率が高いなど、やはり目標と同時に学習の内容、指導の内容との関連性が高いということが分かる。諸外国の例というのが参考になるかと思うが、国によっては、CAN-DOを国で設定しているという例があるので、日本もこの時期に設定をするということが重要になるのではないか。中国では、高校3年生の段階での目標概要を読むと、我が国の目標設定をする上で参考になるのではないか。

○ 2番目の高等学校における科目の再編について、まず目的としては、4技能統合型の言語活動を充実していく方向性。現状においても、かなりの先生が4技能統合型の授業を行っているが、先ほどの学力テストの結果を踏まえても、「話すこと」、「書くこと」、そして統合型の「考えること」を強化した言語活動の充実が必要である。具体的には、発表(スピーチ、プレゼン)、討論・討議といったことができるようになるような活動というものが必要になるかと思う。もちろん、この中には「書くこと」を含んでおり、論証文を書く、あるいはエッセイを書くといったようなことの活動が、この中に入ってこなければいけない。具体的には、「英語コミュニケーション1」というのを必履修にする。現行のカリキュラムでは、「コミュニケーション英語基礎」というものがあり、これが本来は中学校と高等学校のブリッジを果たす役割を担うだったが、多くの学校がこの科目を設定しなかったということによって、ギャップが生まれているので、現状を踏まえて、この趣旨を「英語コミュニケーション1」の中に反映した方が、改善に資するのではないか。そして「英語コミュニケーション2・3」という形で選択科目を設定することによって、生徒の英語力の向上を図りたい。最低でもA2のレベルに持っていきたいと考えている。それから、配布資料では「議論」という言葉を使っているが、基本的には、論理構造を理解して、自分の考えを論理的にプレゼンテーションできて、相手の論理も理解しながらやり取りをするというような科目を設定する必要があるのではないかと考えている。この名称については、仮称として、「論理・表現」ということにしている。そして、普通科ではなくて、英語科等の学校、あるいはコースの場合については、「外国語」と同様に、同じ枠組みの中で内容を高度化していくということが必要なのではないかと思う。現行の「総合英語」を段階別に1・2・3の3段階で設定するとともに、ディベートやディスカッション等の技能統合型の活動を中心とした発信力の強化、そして、「書くこと」については、仮称ですが、「エッセイ・ライティング」というようなことで、段階的に能力を向上させていくということが考えられるのではないか。

○ これらの科目の成果を上げるために行わなければいけないのは教科書の改善。現行の「コミュニケーション英語」の教科書の問題点は、トピックが単元ごとに大きく変わることで深みのある思考や活動につながらないことや、語彙の定着についてもかなりの無理がある。そして、読んだ後に、どういう活動をすることを前提としているのかというのが分かりにくいものが非常に多く、読んで「分かりましたか」で終わってしまう授業がまだまだあるのが現状であるので、リーディングの内容も改善する必要がある。中でも問題なのは、「英語表現」の教科書であり、学習指導要領の趣旨にそぐわない「文法事項を文脈なしで学ぶ」といったタイプの教科書が多く、そういうタイプの教科書の方が採用されている率が高いという残念な結果になっているので、英語を使って表現するといったような活動に全く結び付いていないという指導を展開している学校が今でもあるという現状。中学校の教科書については、小学校の外国語活動が生かしきれていないというような問題があり、文法シラバスで構成されているというのが現状。それから、総語数が圧倒的に少ないために、読む力が付きにくく、中学校でも英語での授業をというふうに話が出ているが、それがしにくい状況になっている。さらに、口語英語で使用頻度の高いgetやgive、takeなどの基本動詞の使い方が身に付きにくいような教科書になってしまっているというような問題もある。発表資料にアジアの英語教科書レベルの比較というような数字が出ているが、基本的には、A1、「英語コミュニケーション1」のレベルでは1,600、「英語コミュニケーション2」のレベルでは3,000近くといったようなことをこれから設定していくということが大事なことではないか。単語の設定については、単語を出せばいいという問題ではないので、それらの単語が習得されるような活動を提示できるような教科書というものを制作していく必要がある。

○ 外部試験の活用についても、テストにおける語彙数、語彙レベルも参照していく必要がある。教科書が変わらない理由については、教科書もある意味ビジネスなので、力関係として使う人、採用する人の力が一番大きい。学校の先生がこういう教科書が欲しいということを営業の担当者が聞いてきて、それを編集担当者に伝え、執筆者がそれに応じなければならないというような力関係が存在しているというのを認めざるを得ない。どこで断ち切るのかということについては、それは学習指導要領にあると思う。平成26年有識者会議でこの点についても議論されており、英語を使って表現する活動の割合が充実するようにしなければいけないということが述べられており、これを参照していく必要がある。もちろん、教える先生方の意識と指導法、これは「教員研修の強化」、「教員養成課程の内容の変革」等も必要であり、「大学入試及び高校入試の改革」という点についても、かなり踏み込んだ施策を展開していく必要がある。

○ 評価について、評価法が変わらない理由というのは、やはりゴールがはっきりしていないということが最大の理由だと思う。例えば、各学期においてどういう力を付けるのかということについて、英語科教員の間でコンセンサスが取れていないというようなこと、それから、他の教科と同じように定期試験を重視している等。大学などでは、もうパフォーマンス評価は当たり前の大学が多くて、例えば、5項目にわたり20の活動について評価をして、それぞれ何%にするか、合計すると100%になって、あなたの成績はAです、Bです、Cですというような付け方が当たり前のように行われているが、高等学校で定期試験の割合が50%未満のところというのは非常に少ないので、これを限りなくゼロに持っていくような評価の在り方についての考え方を浸透させる必要があるのではない。それから、シラバスに関してもやはり不完全な点があり、先ほど申し上げたような大学で行われているようなパフォーマンス評価でいくと、学期の初めに生徒・保護者等に、どの活動を評価して、どの活動について何点として評価するかということを決めておく必要があり、それを同じ科目を教える先生方の間でコンセンサスが取れていなければならないが、それができていないので、最終的には、試験までに何ページまで終わらせる、何課まで終わらせるということの合意しか取れていないということで、シラバスが不完全というのが問題点だと思う。これらについて、英語力については、国が目標設定をし、各学校においては、その目標を定めて具体的にしていくということが必要であり、それから、英語については、「言語」科目であり、「外国語」科目であるということを念頭に置いて、横並び式ではない評価方法についても学習指導要領等で言及していただきたいと思いますし、不完全なシラバスについては、教員養成あるいは養成課程における指導の改善で、これを何とか払拭、改善していきたい。

【洒井委員発表関係:中学校・高等学校の指導の現状と改善の方向性 (1月12日)】
○ 授業を英語で行うことを基本とすることについて、これは高校で先行導入され、そこでは言語の触れる機会の増大と言語活動の増大、特に生徒同士が言語活動として英語を使う機会を増やしていこうということが主なポイントとして導入されているかと思うが、中学校においても、英語で授業を行うことを基本とする方向性を取り入れる必要がある。また、中学校の場合、発達段階、言語習得の観点、小学校からの学び方の接続という観点を見ると、言語に触れる機会の増大、インプットの質と量という観点からも重要な要素があるのではないか。

○ 教科書・教材について、現状としては今の段階でも、実は文法はコミュニケーションを支えるものであると位置付けられていて、言語活動に効果的につなげるように指導しなさいということが明記されているにもかかわらず、それがなかなかうまくいっていない現状がある。ある小学校の授業で、アルファベットを黒板に書いて、「What is this letter?」というふうに聞くと、子供がletterという言葉が分からなくて質問する場面について、こういう小学校でよくある戸惑いとか、つまずき、困難というものですが、これは小学校の場合には、「文字という意味だよ」というふうに訳で教える、あるいは、明示的に教えるのではなくて、具体的に黒板に書かれたほかのアルファベットを指さしたり、具体例を指しながら、英語で分からせていく、あるいは、生徒児童もそういうふうに理解していく、そういう英語の学び方をしている。これは視覚情報か漢字が間違っていて、見る方の視覚の間違いです。具体的な経験に基づく言語使用であったり、ものを見ながら理解する、あるいは、言い換えを聞いて理解する、それから、例示を聞きながら分かっていく。こういう分かるプロセスというものを児童は経験するというインプットの質である。どういう英語を聞いてくるのかという点でいくと、言語習得上、とても良い特徴を持つと言われるし、「文字という意味だよ」というふうに日本語で説明するのに対して、英語に触れている量というものも多い。そうすると、限られた学習時間の中でたくさんの英語を聞くという機会が、どの子供たちにも与えられるということになる。これは中学校でも実は同様のことが言えて、同じ活動を1つは英語だけで行い、1つは日本語も使ってよいというふうに心がけてみると。説明資料において、これは私自身のスクリプトで、同じ場面だが、左側は英語で説明しようとしている場面、右側は日本語を使おうという場面。日本語を使おうとしている場面では、もう「Yes」ぐらいしか英語を使っていない。子供もほとんど疑問に思いませんので、やり取りもほとんどない。それに対して、英語の方は、いろんな表現、生徒との関わり、繰り返し、問いかけであるということで、多様な質のインプットを多量に与えられる。こういう短い場面からいっても、英語でというふうに心がけることを是非明記していただけるとよいのではないか。

○ 次のスライドは1人の先生だけなので、別の先生だとどうなのかというものですが、同じ教案を4人の先生に行ってもらった授業の分析です。これは教案として、指示の文は英語で書かれたものをお渡しして、授業をしてくださいということで、同じレッスンをしていただいています。どんなところに違いが出るかというと、話しかけです。つまり、英語でというふうに語ることによって、問いかけ、インタラクションであるとか、生徒の反応に対してパラフレーズをしたりというような、そういうようなやり取りやコミュニケーションが授業の中に生まれる。もう一つのグラフは、反応の方をもっと細かく見た部分で、やはり反応が少ないということは、ただ単に繰り返すだけということが多くて、言い換えをしたり、あなたの言いたいことはこういうことですよねというような推測をして語りかけるような、そういうような英語の使い方が少ない。生徒の発話も、英語の量に応じて変わってくる可能性があり、英語でということで、コミュニケーション自体が授業の中で増えていく。このことによって言葉を学ぶ機会が促進されると考えられる。一方で、日本語を使っていいのかいけないのかということで言うと、英語で授業を進めようということがとても大事で、日本語がいけないという、そういうことではなく、効果的な使い方というのはあっていいと思う。

○ これは2014年、ベネッセ教育総合研究所が行った中高生を対象にした調査研究及び中高の教員に対して行った調査の中から幾つかデータについて、中学生・高校生に聞いたところ、授業でどんなことをどの程度していますかというと、実際は8割を超えていることが多いが、「訳す」、「覚える」、「先生の説明を聞く」、「文法の問題を解く」、こういう活動はもうよくしている活動ということで子供たちに認識がある。一方、自分の考えや気持ちを書いたり話したりという活動というのは、中学校2年生がピークだが、これでも6割弱の子供たちがよくしているとしか答えていない。逆に言うと4割ぐらいの子供たちは、そういう経験は余りしていないで過ごしているということになる。家庭学習の結果について、少し機械的な文法あるいは練習活動に特化するような家庭学習だが、なかなか家庭学習で、授業に関することで英語を使用することを行っている生徒は少ない。つまり、授業の中でも言語使用は促進されていないし、家庭で促進されているかというと、家庭においてもそれが促進されている状態ではないということが示されている。

○ 英語が得意か不得意かという質問について、6割弱ぐらいの子たちが「得意」というふうに答えている。これは2009年に調べた中学校2年生のデータと比べると「得意」が増えているので、そういう意味では英語が得意である、好きであるという好意性については改善が見られるというふうに考えられるが、高校生にいつ苦手と感じるようになったかと聞いたところ、小学校で苦手というよりは、もう断然中学校1年生の前半から中学校2年生にかけての時期、もう一つが高校1年生の時期と、中高の連携の部分、小中の連携の部分について課題がある。そういう意味では、小学校での学びを受け継いで、更に得意にするような中学校での授業改善が必要であり、高校にスムーズに接続していくような工夫が必要である。先ほど教科書・教材のこともあったが、目標だけではなくて、教材などもつないでいくということも大切である。

○ つまずきの点について、中学生・高校生に質問すると、「文法が難しい」というのが一番多いが、2番目、3番目に続いていくのが、「書く」、「聞く」、「話す」、こういう4技能のうちの3技能になる。実際に英語を使ってみるということに難しいと感じている子供たちもやはりいることは事実ということになる。いい点で言うと、先ほどの英語が好き嫌いの話について、「英語そのものが嫌い」という子供たち、3割ぐらいいるが、これは2009年のデータに比べると10%弱減っているので、そういう意味では、教育は十分改善される方向では来ているのではないか。

○  中学校の教員に行ったデータについて、授業において次のことをどれくらい行っていますかという質問について、一番多く行われているのは、「音読」、「発音練習」、「文法の説明」、「文法の練習問題」という、いわゆる基礎・基本、言語材料を操作する活動ということになる。一方、英語を使って伝え合うような活動は、やはりふだんしていない。ですので、先生もしていないし、子供の受け止め方も少ないという認識がある。一見、英語での会話、音読、発音練習と、声に出すような活動、「話す」に含まれるような活動があるわけだが、これは本当に意見を言ったり考えを述べるためにつながっているかというと、実はそうなっていない実情もある。重要性とどのぐらい実行していますかという教員調査のデータについて、「生徒が英語を使う言語活動を行う」ことが重要であると考えている先生は多くて、なおかつ十分実行しているという先生も比較的その中ではあるが、「自分の考えを英語で表現する機会を作る」、これは大事と思いながらも、実は十分実行していない先生たちが多いということになる。つまり、言語活動という言葉だけではまだ物足りない実情がある。これは現行の学習指導要領及び解説では、言語材料の操作、理解したり練習したりする活動と、実際に自分の言語を使用して考えを伝え合う活動というふうに2つに分けているかと思うが、実情は前者の活動、言語材料に習熟するための言語活動が多く行われていて、なかなか自分の意見を伝え合ったり、読んだり、書いたりということが行われないという、そういう現状が、あるいは課題がある。英語使用で言いますと、これは6割ぐらいの先生が、5割以上授業で英語を使っているというふうに中学校の先生は答えている現状はあるが、どのような場面で英語を使いますかというと、生徒への指示、褒め・励まし、QA、こういうものは教科書に付随していたり、指導案にもともと書かれていたりという、どちらかというと一方的な語りであり、こういうものは比較的多くあるわけですが、生徒の発話をパラフレーズしたり、あるいは、誤りを修正したりということで、やり取りをしながら指導していくようなことについては、41%、28%と低くなる。

○  教員養成の部分について、今、英語教員の英語力、指導力強化のための調査研究事業というのが進んでいるが、その中でも議論になっているコミュニケーション能力の育成ということを前面に打ち出したときに、あるいは、英語で授業を進めることというふうに前面に打ち出したときに、教員養成の面からも改善は必要である。これは左側の科目区分は、今の免許法の科目区分ですが、コミュニケーション能力の育成をするための教員養成のための免許科目になっているのかどうか。それから、この英語学、英米文学、英語コミュニケーション、異文化理解という領域をバランスよく実際行えているのか、必要な力は何なのか、そして、足りない部分は何なのか、こういうような検討は併せて必要になってくると思う。また、教科書のつくりについても、同様のことが言える。教科書については、文法シラバスに見えますけれども、実際は、各中学校の教科書の分析をすると、場面の広がりがあったり、扱われる文化も1年生から3年まで順序性があったり、あるいは、働きの部分も配列を考えたりということで、かなりシラバスとしては多様な側面を含んだシラバスになっているが、どうしても文法シラバスが一番主になっているという意識があるがために、それが全部生かされていない実情があるので、文法配列に対する留意事項等も改善の対象としてするべきである。

○ 松本主査代理発表資料の、特に8ページにあるゴールの明確化というところについて、これは高等学校の必履修科目や選択科目、スーパーグローバルハイスクールなどの取組を勘案して、どういうふうな目標を学校によって設定するかというようなことを非常にフレキシブルに考えていて、国の示した到達指標に基づいて具体的な目標を設定するという。これは文科省の側で作るCAN-DOリストみたいなものの指標形式の目標が、汎用枠的に使われているという形の運用の仕方だと思う。つまり、大きな枠を与えておいて、各学校のカリキュラムに応じて目標を多少スライドさせる。こういうふうな現実的な目標設定をできるような運用の仕方というのを国の指標でしっかりと出して、その指標自体はいろいろな用途に参考になるように使い方を提示していくことは大変良いように思う。目標設定を余りに固定的にしてしまうと、大変使いにくくなり、CEFRも同様にそういう側面がある。少し勘案しなければならないのは、教科書を作るときの、言語材料を入れるときの言語素材としてのレベルと、出すときの評価のレベルが、入れたときと同時にすぐできるようになるわけではないという部分があるので、そういうときのゴール設定の入れて出すというタイミングのタイムラグの部分については、何かしらこのような運用の仕方をするようにという提案が必要なのではないか。

○ 教科書が変わらない理由ということに関して、教科書の構成が、基本的に全ての先生方が使える教科書という発想があるのではないので、非常に丁寧な構成になっている。それに従ってやっていけば、教えたような気になれる教科書というのがあるのかもしれない。指導書というのがあり、その中に丁寧にまた指導案なども付いてる。非常に細かく先生方の支援をしていこうというところは有り難いことだが、それによって先生方の指導を勉強していこうというモチベーションが下がっている現状もあったり、自分で工夫して指導を行っていこうという教科の研修への意欲などを下げてしまったりしている面もあるのではないか。個人的には、もっとざっくり、いろいろな活用ができる教科書というスタンスで、指導書の方に、その活用の仕方などを事例として挙げたりして、教科書自体にターゲットセンテンスを書いたり、問題をいっぱい書き上げたり、練習の作業をいろいろ提案されたりということも、丁寧ではあるが、そういったところを考えてみる必要があるのではないか。また、文法シラバスの傾向が強いので、スパイラルに学習するという点をどのように考えるのか。例えば、現在完了形などは、3年生になってからしか出てこない。中学校1年生、2年生でそういった表現を使うとよいと思うときに、子供がそういった質問をすると、「いや、それは3年生で勉強するから、今勉強しなくていい」という形で流されてしまう。そういったところで必要なときにコミュニケーションとして学習させるのではなくて、もう文型としてしか学習をされていないという状況がある。であれば、文構造も様々なところに散らばらせて、スパイラルに定着させていくという方法もあると思う。そういったところをどこまで踏み込めるかというところが、今回の改訂に関わるところかなと感じた。

○ 自由にということで、先生方にクリエイティブに指導していただくということについて、基本的に反対はないが、その趣旨を踏まえて学習指導要領を書いてしまうと英文だけあって、はい、どうぞというような教科書も合格してしまう可能性が高いと思う。現状においても、あれだけ活動を入れている教科書があっても、それが採用されずに、そうではないタイプの教科書が多く採用されてしまうということを考えると、幾ら学習指導要領で指導法について書いても、そこに教科書に対して拘束力がないと、やはり日本の英語教育は大きくは変わらない。先生方もモチベーションを下げずに、どういう教科書を作るのか。非常に難しいと思うが、少なくとも現状においては、CAN-DOに即した教科書を作るような方向性、どういう活動をして、どういう力が付くのかということが教科書を見れば分かるというもの、プラスアルファは先生方にお願いしますというスタンスでないと、日本の中学・高校の英語教育は変わらないのではないか。

○ 先生方のやる気という点で、やっぱりクリエイティブに何かをやるとやる気が出るというのは確かにあるが、先生方の研修でいろいろやり取りをしている中で、非常に感じるのは、先生方は忙しいということ。そうすると、やりたくても準備不足で授業に行かなければいけないという、かなりフラストレーションの中で授業をおやりになっている方も多い。それを考えると、指導要領ができたときに、それに伴って具体的なガイドラインやこういうタスクをやればうまくいくというものが提示された方がよいのではないか。その上に、クリエイティブな要素というのは、先生方の個性に基づいてできると思う。現状では、それがタスクとして、こういうものがいいというのがないので、それを、やる気があって、時間があって、生活の全てを教育につぎ込める、そういう方はできるし、成功体験もあり、ますますやる気になる。でも、そこまでの環境、家庭環境や社会環境、個人環境が整わないと、潜在的にやる気があってもなかなか難しいという先生方もたくさん知っているが、先生方は基本まじめだと思うので少し成功体験があればできるという方を増やすためにも、ある程度具体的な教科書の方には入った方がいいと思う。また、大きく教科書が一歩前進する一つの契機としては、今まで文法が、短文レベルの文法だったので、次の指導要領に向けては、もっと談話、ディスコースなど、それが恐らく論理、表現という言葉だと思うが、表現するときに、これを知っていれば、とりあえず細かい文法はいいから何かできるというものを提示し、そうすれば、それをやれば生徒は多分喜び、今まで体験したことのない喜びを得た先生方は、そういう方向にいくのではないか。

○ 松本先生の方の資料で、教科書が変わらない理由という中の一つに、大学入試や高校入試の改革が必要だということが書いてあるが、経済団体でも、中学校、高校の先生に、今の教育改革についても何回かヒアリングしたが、そのときにやはりよく御意見が出たのは、アクティブ・ラーニングにしろ、多様な体験活動の推進にしろ、海外の学校との交流にしろ、いろんなことをやりたが、やはり高校だと高校入試が始まると、実際は難しという話を本当によく聞いている。したがって、今まさに上智大学で進めているTEAPや、TOEIC、TOEFLを大学入試で活用する大学も増えてきているとは思いますが、今進められている大学入試に英語の4技能を評価するテストを導入するということを、更に加速的に推進する必要があるのではないか。

○ 英語の力を持った人を育てていくということは、非常に大事なことだと思う。高校のゴールでこんな力を付ける、そういうためには、中学校、そして小学校というふうに設定していくということを考えると、私が一番懸念していたのは、小学校を変えたら一番早いのではないかという見方になってしまっては非常に危険だと思う。早くに始め、難しいことをしていく。そうすれば、高校を卒業するレベルが上がっていくというのは、すごく安直な考だと思っていたが、委員の意見発表が非常に参考になった。特に中学校の授業改善が大切であるということについては、小学校は、現行の学習指導要領で外国語活動が始まり、比較的に学校が変わったと思うが、現在、年間35時間、今後は年間70時間中学校にはその倍の4時間があるということは、英語教育を推進していくのに、中学校の果たす役割というのが非常に大事ではないかなと思う。小学校だけではなくて、小・中セットで授業改善を行っていくということが大事、特に中学校の授業を変えていくということが非常に大事である。

○ 教科書についてはこの会議でも議論されたように教科書が薄く、量的なものは埋め難いと思うので、語彙数はともかくとして、同じものをいろんな場面で、繰り返し場面を変えながら出すというためには、かなりの分量のテキストが必要となるので、そのような教科書となることが可能になるようなつくりになることが必要であると思う。また、高校の教科書で指摘されたことは、中学校の単元構成にも生きていて、同じことが言える。一つのトピックごとでばらばらと学んでおり、あるレッスンの中で一つのトピックで主要な文法等があって、その中で言語活動をしているが、それが次のレッスンになると、なかなか生きてこないということだと思う。これからは教科書検定の在り方も含めて、どのくらい実際子供たちの力が付いていくのかというのを保証するような教科書を考えていく必要があると思う。

【江原委員発表関係:高等学校の指導の現状と改善の方向性 (2月23日)】
○ これまでの論点整理、これまでのワーキンググループでの議論を踏まえ、改善方策は何かということについては、主に平成27年度の英語力調査の結果も考慮すると、英語でできることを考えること。学習調査の結果が非常に顕著によいという学校の取組に共通することとして、考えながら英語を使う活動がなされているということ。それから、そういう学校というのは学校環境もきちんとしている。例えば、スクールカラーとして、みんなこの学校の生徒は間違いを恐れずに発表するんだよという、隠れたカリキュラムとうものがある。英語を使う環境を作るこういうことが大事なのではないか。

○ 高等学校の英語の先生の現状と課題について、私たちの理想像は、研修の内容が先生に伝わり、それが生徒に伝わることですが、世の中そんな甘くないので、そのギャップがある。それはいろんな社会文化的な文脈の影響を受けるからである。6月と11月に研修参加者の先生方の授業に手分けして行きまして、観察シートを使って、いろいろチェックをしたが、その1つに、どういう活動に何分授業時間を使ったかというのがあり、25人を1つの集団として、50分の授業もあれば、70分の授業もあるが、その全部の25掛ける授業時間を100としたときに、特定の活動に何%使われていたかという棒グラフを説明します。棒グラフだけから見られることとして、語彙とか文法がかなり時間を費やしていたのが少し減り、その分、生徒が話したり、あるいはインターアクションしたり、ペアワークですね、そういう時間が増えている。そして、ライティングが増えている。ただ、量的調査では分からないことが隠されており、例えば、リーディングについては、質的には、例えば、今までは割と解説中心だったのが、ワークシートを使って論理構成を説明するようにしたりとか、リーディングの前にプレリーディングの質問、対極的な質問をしたりとか、生徒のスキーマとか予備知識を喚起するような活動をしたりとか、質的には変わっている。
それから今度、逆に、フルーエンシー(流暢さ)についての指導もしているなというのは見えるが、実はほとんどが音読。本来、流暢さというのは音読を入れるべきかという議論もある。本来、流暢さというのは、例えば、リハーサルをして何回か同じことをするとか、あるいは即興的にペアワークをしたりとか、自分の考えを即座に発表したりとか、そういうのが本来の流暢さにつながると思うんですけれども、実際には音読とか、割とメカニカルなものが多かった。ただ、全体的に見ると、研修でやりましょうといったことをまじめな先生方が頑張ってやってくださっているということになっている。1つだけ、授業観察をしていて感じるのは、やっぱり壁がある。先生が自然に英語を話して、生徒とやり取りをして、生徒が発言したことを取り上げて話を転がしていくということはかなりの力量が必要な能力ではないかと思うが、ただ、今後、グローバル人材ということで今議論されているには、そういった力量が必要になってくるのではないかな、生徒もそういう授業になれていく必要があるではないかと思う。

○ 自己評価のアンケートについて、5月と1月、研修最終日に取った結果だと、先生方は自分の英語力についても、研修でディベート等をやっているので、スピーキング、ライティング能力は自信が付いた、伸びたとおっしゃっているし、授業でも今までオーラルインターアクションやったことがなかったのにやってみたとか、ペアワークをやってみたら生徒が楽しそうだったとか、あるいは生徒の伸びの実感がある。これはテストの結果ではないので、客観的ではないが、ライティングをやってみたら生徒はできるようになってきた。多くの先生方が、無理だと思ったけど、やったら楽しくやって、生徒は実力が上がっている、ですから、少しの勇気で随分変わるのだなというのが先生方の声からも分かる。

○ この研修は研修提案があり、まじめな先生は、やってみようと思うが、大抵それは活動レベルの授業改善で、ペアワークを即興でやらせてみようとする。しかし、ここからが運命の別れ道で、うまくいくと、それが英語科全体でそういう取組になってうまくいくが、いろいろと障害があり、例えば誤解の問題。例えば誤解の1つ、アクティブ・ラーニングだ、ペアワークだ、グループワークだ、とりあえずやる。でも、例えば、ペアワークがお互いに音読し合うとか、そういうものだったとする。でも、何のためにやるのか先生も生徒も分かっていないというと、マンネリ化して、だんだんつまんなくなる。そうすると先生も、何か効果ないな、時間だけ食うな、ペアワークはペアになるのに時間かかるしというと、振り出しに戻るというようなこともある。しかし、うまくいけば、先生方が英語力の中身について正しい理解を持っており、そして自分でもそれに基づいて教えて成功体験があるとすると大体仲間に伝わっていく。ただ、阻害要因があり、例えば、校長先生がまじめにやっている先生を呼んで、「おまえ、この学校は受験中心だから、3年は教えなくていい」、泣いてしまう先生の話など。あるいは、一生懸命やっているのに先輩の先生が「おまえ何やっているんだ。そんなだから成績伸びない」。当然、その先生がおやりになっていることを反映したテストじゃないから、そんなに伸びない。正しい理解というのは、うまく現場に伝えるために、2つの要素が必要だと思っていて、先生方にカリキュラムレベルの知識、ここに書かれていない、実は言語習得とか言語を学ぶプロセスについての知識がないと、あるいは実体験に基づいた知識がないと、なかなかプロセスの指導ができない。例えばスピーキングといったときに、よくあるのは、よし、単元計画でスピーキングがあるから、じゃ、来週スピーキングテストやるぞと言って、それまで指導があるかというと、余りない。でも、スピーキングというのは、簡単なスピーキングを取ってみても、例えば、ぱっとしゃべるときに、きょうの日本語でもまずプランをする。一番思っていることを正しく分かりやすく伝えるために言語を乗せていくという言語化というのがあります。それを言語化したら、今度は舌をかまないでしゃべるという発話というのがあります。発話しながら、自分が不適切なことを言っていないか、モニターしなければいけないというのは相当能力を使う。今、日本の英語教育では、しゃべるということについて非常に格が低い。書かれていることについて格式が高くて正しく、しゃべっている人間は余りちゃんと知らないのではないか。私が新採用教員のころ、英語をALTと話していたら、私の学校の管理職は「江原君は多分英語はしゃべれるけど、文法はできない」と言われた。

○ 今後の方向性について、一つ目はCAN-DOの扱いについて。これは、是非、最初の2つに関連するが、先生方が分かりやすいように、10時間かけないと理解できないようなものではなく、こういうふうにすればいいんだという大枠が分かり、ここは自分たちの学校の創意工夫が使えるんだということが分かるようなものができるといい。なおかつ、CAN-DOがあって、単元タスクがあって、授業がつながるようなものがあるといいと思う。さらに、CAN-DOに基づいて学んでいくと、どういういいことがあるのかというのが生徒にも保護者にも分かるようになるといい。例えば、みんながみんなグローバルビジネスで成功しようと思っている生徒ではないと思う。僕は日本の伝統文化の技術を継承していきたいという生徒もいると思う。そういう生徒もCAN-DOでやっぱり英語できるといいなと思えるようなものでないと、伝わらない。

○ 教材、教員、生徒の相互作用について。これは主に高等学校の英語で言うと、科目の構成についての議論になる。今、コミュニケーション英語、それから英語表現については、うまく動き始めていると思うが、まだ課題がある。具体的には、英語表現について文法指導に偏りがち、それからコミュニケーション英語については、実践レベルでの活動はできているが、表面的になっているから、本当に生徒の言語習得がなされているか分からない。質問についてもファクチュアルな事実質問が多いから、生徒のクリエーティビティーとか本当に内在化を促進するような質問になっていないということになるので、高次の思考を促す質問とか技能統合型の促進、これがテキストにうまく出て、そこを避けては通れないような、巻末にエクスプレッションとか、そういうのは飛ばされるので、そこがメインになるような形にならなければならない。

○ 論理・表現について、これは論理という言葉が難しいという話がある。私が勝手に思うのは、論理というのは表現するためのつなぎ、流れというようなものではないか。ですから、つい、この論理・表現という科目をエリートのためだけの特権じゃなく、いろんなどのレベルの生徒でもこの科目を学ぶことによって、自分の言いたいことが言えるなというようなものになるとよいのではないか。そのためには、既習の言語材料の活用をメインにするようなテキストだといいと思う。英語コミュニケーションで文法をやり、論理・表現では系統的に文法をやるというのは、何か趣旨が違うのではないかなと思うので、これが是非活動中心型のものになるといいと思う。そのためには、英語学習についての考えがこのテキストを通して、英語の学びというのは口頭のやり取りがやはり中心的なんだ、そして発表があったり、的確に聞き取ったり、読み取ったり、目的に応じて作文を書いたり、そのための言語リソースなんだなというのが分かるようにするといいなと思う。

○ 評価の考え方について、最も強調したいのは、バツ印、重箱の隅を突ついて減点、こういう考え方の方は皆さんいい方だが、こういうことから逃れられない。笑い話ですけど、英作文、いっぱい書いた生徒ほど減点されてしまうというのは趣旨が違うと思う。ただ、なかなか、今までの学習経験、センター試験等をくぐり抜けた方にとってみれば、語彙、文法、英文解釈になってしまう。もっと言えば、今のほぼ多くの大学入試は、語彙、文法、英文解釈、少しとの英作文で受かってしまうという現状があるので、何とかしなければいけない。それから、学校文化という阻害要因というのがあり、大学の先生が高校を訪問して、この高校はよい実践をしているといったら、優先的にその高校から生徒を取るとか、そういうことをやっていらっしゃる学校もあるように聞いていますが、それは大事と思う。一番議論になるが、私の思いは、せっかく動き出した今の方向をなるべく止めないようにしたい。具体的には、外国語表現の理解、能力というので、これはCAN-DOとつながって一番大事というのが割と先生方には浸透している。単純に考えると、関心・意欲・態度、表現、理解、言語、文化、今のところ4分の2、つまり2分の1がCAN-DO。これ3つになって、どこかにCAN-DOを入れ込んで3分の1になっちゃうのかなとか、いろいろそういう憶測も飛んでしまうので、うまくCAN-DO、それから観点別を先生方が教えやすい、こういうことを知っているとプロセスが教えられるというような形で作れるといいと思う。

【江原委員発表関係:高等学校の指導の現状と改善の方向性 (3月22日)】
○ 知識・技能というのは、今、評価基準が作られているが、正確さと適切さと2つに分けられているところがあると思う。どちらかというと知識・技能というのは正確さ、つまり一、二文、三文程度、短いところを正確に聞き取る、話す、読む、書くということで、もう少しまとまりのあるものを思考力・判断力・表現力であると考えている。それが合っているかどうかが分からないが、最終的に現場に下りていったときに、そのような具体的なものが欲しいなということを思っている。CAN-DOに関しては、せっかく作って、それが非常によく機能している、うまくいっているなと思っているので、これは絶対にどこかと関連付けたいな。そうすると、知識・技能でCAN-DOが作れるのかというところが課題になる。

○ 3つの要素の個別の知識や技能というところについて、やはり言語の科目ということだと、その言葉の語彙や文法、それから使い方なんかを身に付けるという部分が一番根幹になる。だから、そこを個別の知識や技能という部分が、今までいろんな形で観点別に見ていた部分が、今少しCAN-DO的なもので小・中・高通しで見ようという議論が進んでいると思うが、ここで聞くこと、話すこと、知識、技能と、ただ並んでいるだけだと、何か見通しが、どういうふうに力が付いていくのか、とても分かりにくいので、こういう部分は、やはり我々が今まで議論していたようにCAN-DOでちゃんと示せれば、どういうルートで、どういう道筋で力が付いていくのかということを明確に示せのではないかと考えている。

○ CAN-DOで実際にどういうふうに力が付いたかを見る部分で、この思考力・判断力・表現力、それから使っているときの使い方の様子を見ることによって、どういう積極性でやっているかとかいうことを、パフォーマンスを通して絡めて見るというか、そういう部分が、やはり外国語の場合には大きいと考えている。それはパフォーマンステスト的なテストで見る面と、あと授業中にタスクとして課して、タスクをやっている最中で見る面と、そういう両面があるし、CAN-DO的に絡めれば、見通しを付けて学習していく過程で、こんなふうに自分はなりたい、だからこんなふうに勉強するとか、そういう教科ごとの特性に応じた、何か勉強の仕方とか、学びのプロセスを自分で作っていくような、そういう主体的な学習者になっていくみたいな部分が、やはり、こういう思考力・判断力・表現力とか、ほかの観点が育っていくのに非常に関係が深いと思う。だから、外国語教育の場合は、そういう部分についてしっかりと位置付けて、その関係を単純に3つの大きな升で均等にほかの教科と比べているよりは、もっと重み付けを重点的に変えて、こういうふうに大きな軸の中で3つの観点が、こんなふうに絡めてみるといいみたいな、そういう姿を先生に示すことが望まれる。


6.小・中・高等学校の連携について
○ 小・中・高を通じた育成すべき外国語教育というのは、これは今までに目に見えてなかったが、今後、そういった小・中・高の流れが可視化された形で、教育に携わる者が小・中・高それぞれ異校種の状況を理解しながら授業に取り組んでいくということができればよい。

○ 小学校で課題となっているのは、中学校との連携。小学校の外国語活動で身に付いている積極的にコミュニケーションを図ろうとする態度が、中学校での意欲・関心の部分ではなく、話す、聞くといった知識・技能の領域に本当に役立つように、小学校から中学校を通じて4領域で今後つなげていくということは非常に大事である。

○ 小中連携の観点から、小学校では、これまでの成果として外国語活動を大変楽しんでやっているという調査結果が出ている。教科になったときに、英語嫌いになるのではないかという心配が校長の中にはかなり多い。

○ 小中連携が大事だというのは、ずっと言われてきた。中学校のティーム・ティーチングとして授業に週一回入っている小学校の教員の話を聞くと、特に入学時期の中学生に課題があるということを初めて知ったと言っていた。例えば、単語と単語の間を空けずに全部続けて書いてしまう。単語としての意識が子供たちにないため、ずっと続けて書いているなど。そのため、子供にしては、書いたものが読めない、何て書いてあるのか理解できず子供が困っているということを聞いた。また、子供がアルファベット文字を書4線は、高さを意識しにくいということもある。そのため、文字を高学年で導入する場合、丁寧な指導及び内容が必要である。

○ 現行の学習指導要領で、指導計画の作成上の留意点の「学校や地域に応じて」というところで、中学校では、外国語活動の実施状況を踏まえながら指導計画を立てることになっており、中学校の先生方が、かなり前向きだと実感はしているが、小学校の学びを踏まえて、それに発展をさせるような形での授業改善というものを中学校では、行っていることが多いかというと、必ずしもそうでない実態があったと思う。その意味では、「学校や地域の実態に応じて」という程度ではなくて、もう少し一歩踏み込んで、小学校の外国語活動や外国語科で学んだことを踏まえてという形で、指導改善をしていくような文言を入れていただきたい。

○ 小学校では相手意識、あるいは積極的にコミュニケーションを図ろうとする態度面を大事に育みながら、特に音声によるコミュニケーションについて、培っていただいているが、文法的、音声面、あるいは文字の面において子供たちの気付きを大事にしながら、明示的に教えるというよりは気付かせながら授業を組んでいることが多い。これが中学校になった途端に変わって明示的に教え、練習させるということになると、今目指そうとしているレベルを達成することはかなり難しくなるのではないかと思うので、小学校を受けて、また高校に送り出す、そこの部分の記述をしっかり位置付けていただきたい。

○満遍なく義務教育の中でどこの学校でもやっているという保証がないと、中学、高校での伸びというのはなかなか期待できない。そういう面では、出てきたようにCAN-DOの小・中・高を合わせたところでの流れというのはどうしても必要。

○小学校の卒業時点と中学校の入学時点でCAN-DOという形で重ね合わせて示せれば、同じ尺度でというか、基準でつなげていくことができるのではないか。

○多少スパイラルに小学校でやったことを中学校の前期でやらねばならぬだろうと思いますので、そのあたりをどうやって中学校の段階に小学校でやったことを学習指導要領等で示してもらえるのか、その辺に工夫があると非常にやりやすくなるのではないか。

7.小・中・高等学校の学習評価の在り方
○ 外国語と国語との連携について、言語の知識・技能のみではなく、習得したことを活用できるような見方、考え方が、評価の観点からは、思考力・判断力・表現力に関わる連携になっていくと考える。

○ 観点別学習状況の評価と、目標に準拠した評価(質的なもの、学習到達目標)との関係をどのように図っていくかが課題になってくる。
そうすると、実は小学校、中学校、高校という積み上げ型の考え方ではなく、高校卒業時でどのような学力を育成するか。そのためには中学までにどういうことをしておくか。さらには、小学校でどのようなことが必要かについて考えることで、必要なカリキュラム、必要な資質・能力、さらにはそれに伴う評価をどのように行うかという内容が見えてくる。

○ 学校教育法30条の2項を踏まえ、三つの評価の観点は変わっていくと思われているが、特にこの中で主体的に学習に取り組む態度は重要になると考えている。この項目は、知識・技能と、思考・判断・表現を統合できる評価項目となっていくのではないかと考えている。例えば英語で言えば、CAN-DO形式の目標と思考力・判断力・表現力とのことを、主体的に学習に取り組む態度の項目をかなり重視することによって、習得と活用の評価をそこで評価できていくということになるのではないか。

○ 評価については、とにかく学級担任の先生が評価できるもの、そして、子供たちが英語を嫌いにならないものということを目標にしており、現在、試作品として、いわゆるパフォーマンステストをテストという名称ではなく、評価アクティビティーという形で、終わった単元の次の単元の中にアクティビティーとして盛り込んでいくというものを作成している。

○ 今までの学習評価の在り方で言うと、領域ないしは単元が明確に存在しているような教科の場合には、それほど問題ではないが、英語力のように、積み上げ式で、だんだんと力が高まっていくような場合は、今の評価の在り方というのはなかなか難しい部分がある。もし評価の在りようについては他教科にも関わるので、大枠を崩せないとするのであれば、評価のポートフォリオというところ、あるいは自分の進行具合が分かるような指標を、小学校でも小・中・高の目標を明確に示すようなものを学習指導要領に付け加えていただきたい。これは指導の方も、今自分の指導がどこに位置付いているのかということを明確にしながら計画を立てているので、これが小学校の部分、中学校の部分、高等学校の部分と分断されてしまうと、どこに向かっていっているかが分からないし、接続がうまくいかないということがあると思うので、その点を入れていただきたい。

○ 評価に関してはまだ全体像が決まっていない時点なので、英語に関して具体的な話ということでは申し上げにくいが、資料2-2の上から3枚目のところに、小・中・高を通じて外国語教育において育成すべき資質・能力の整理ということで、恐らく観点としては、上の個別の知識や技能、思考力・判断力・表現力等、学びに向かう力、人間性等という、これが挙がっていると思うので、例えば、CAN-DOリストの場合には、知識・技能のところへこれは入ってくるだろうと。そういったときに指導要領の記述の中に、例えば、ドリルのことや、具体的な指導の内容であるとかを盛り込んでおくことによって、経験の少ない先生や、それから、小学校で英語等を専門にしない先生方が、学習指導要領の指導事項の中の内容をきちんと目標として押さえることによって、それが実現できていくというような形をとる。特にドリルに関しては、知識・技能のところにきちんとやるべきドリルの中身を書き込んでおくということが、私は今後の評価としても必要なのではないか。このことは、一外国語に関してのことではなくて、全ての教科のこの三つの観点を作るとき、言い方を変えれば、次期学習指導要領の内容を各教科で考えるときには、そういったことを一つ考えながら、具体的な取組のしやすい学習指導要領の内容にしていくことが、今回の改訂の中では大事になってくると思う。

【平岡委員発表関係:小学校の外国語活動、英語科の評価について (2月23日)】
○ 現在の外国語活動の評価は、学習指導要領の目標及び具体的な活動等に沿って評価の観点を設定することとし、文章記述による評価を行っており、評価の観点の設定では、平成22年の通知において例示された外国語活動の評価の観点を参考にして、記録については、観点に照らして、児童がどのような力が付いたかを文章記述することになっている。
Hi,friends!2のレッスン4について、この単元では、示しているのは単元の指導計画ですが、学習指導をして評価を進めるに当たって、それぞれの3観点について子供たちの達成状況を単元のどこの時間にどうやって見取るかということを示している。評価の方法としては、行動観察、振り返りカードの点検、振り返りカードの分析、そしてワークシートの点検、これを主な方法としている。

○ 行動観察については、児童の活動する様子を指導者が行動観察することが重要な評価方法となり、評価基準を基に児童の行動を見取っていっている。今の観点の1つとして挙げられている気付きについては、発言をしている児童は見取ることができますが、発言をしていない子供は見取ることが授業の中でできないために、振り返りカードで状況を捉えることが大切なポイントとなっている。

○ 振り返りカードについて、この点検についてですが、1単位時間の授業の最後に振り返りカードは書かせている。振り返りカードには、本時の活動の目当てに対しての自己評価、そして振り返りを書いている。授業者の点検では、振り返りカードに書いている児童の自己評価と指導者の見取りに相違がないかという点を見ています。
振り返りカードの分析について、授業中はたくさんの子供がいるので、実際の授業の中だけでは見取れない場合、振り返りカードに記載されている児童の内容を分析し、児童の様子を捉えている。外国語活動においては、この振り返りカードというのは指導と評価に大変重要なものであると認識している。

○ ワークシートの点検について、授業者がワークシートを作成する場合もあり、Hi,friendsに書き込む場合もある。行動観察の見取りと併せて、ワークシートへの記入の点検をし、実際にコミュニケーション活動が行えていたのかどうかということを見て、児童の様子を捉えている。今後、教科化となると、こうしたワークシートの点検も評価の対象として出てくる。
今の外国語活動の評価における成果については、多様な評価方法で児童の様子を捉え、文章記述をしている。いろいろな方法によって評価規準に基づき、しっかりと見取りを行い、授業改善につないでいっているということも1つの成果だと思う。また、通知表には具体的な児童の姿で記入をしている。そういった点は、今の文章記述による評価のよい点ではないかというふうに思う。

○ 課題について、小学校においては文章記述による評価が大変多い。外国語活動はもちろん、総合的な学習の時間も然り。そして、所見欄として、生活全般、学習も文章で記述をしているので、大変。これが1クラス38名とかになると、記述をするというところにおいても大変な作業になってくる。また、担任や学年によって文章内容に大きな差異が見られるといったことも課題として挙げられる。そこで、それらを解消するために取られている方法として、文章の型を決めるということや、例文を作成して、その中から選ぶという学校もあるというふうに聞いている。それは子供たちのためにと思って、されてはいるのですけれども、その子その子の具体的な様子を見取って、付いた力を文章表現するという本来の目的が、今のような状況では、その子の文章表現を例文の中から探し、合わせてしまうということが起きているのではないかという危惧もある。また、文章記述のみでは、通信欄は子供にも話しますが、児童にとってどのようなことができるようになったのかといった点が分かりにくいために、次の学習意欲へつながりにくいといったことも課題として挙げられるというふうに考えられる。

○ 研究開発校における外国語、英語科の評価の実際について、評価の観点も、先ほどとは違って、4つの観点を評価の観点として挙げている、そこが先ほどと異なる点です。そして、外国語活動を文章記述で評価をしていたが、目標に対して観点ごとに評価をし、「十分満足できる」「おおむね満足できる」「努力を要する」の3つの段階、そして評定も3、2、1の3段階の評定を行っている。少し具体的に、単元ごとの目標と評価基準について、4つの観点で、この単元は外国語理解の能力のところは評価をしない。3つの観点で評価をするというふうな単元になっている。評価方法も、行動観察、振り返りカード、ワークシートとありるが、大きく異なるのが、エのパフォーマンス評価、これを単元の最後に行っている。こちらの研究開発学校では各単元の終末にパフォーマンス評価を位置付けている。そして、動画を撮って、評価規準に沿って評価を行っている。単元の終わりにプレゼンテーションの単元もあり、スピーチでパフォーマンス評価をするところもあるが、授業者が動画を記録したのを基に、授業後に視聴分析するという方法を取っている。撮影については、教師がする場合と、ここの学校はタブレットを児童に二人に1つずつ用いて、子供相互に撮影をしている。

○ 実際のパフォーマンス評価における評価のよさについて、開発学校の先生から聞いた話ですが、パフォーマンス評価を行い、3段階の評価をするためには、A基準とC基準を明らかにする必要があるというふうに言われました。なぜなら、先生方が同じ物差しで評価をすることが大切になってくるからです。そこで、表現の能力を評価する基準を作成し、そのことで目指す子供像の共通理解が図れるとともに、目標に向けた指導が明確になるといった点がこのパフォーマンス評価のよさとして挙げられる。さらに、授業の中では、表現するという活動は現れては消えるので、そういったものが動画によって記録されるために、イメージや一過性のものではない表現の能力を見取っていくという、そういったよさもある。しかし、パフォーマンス評価の課題として挙げられるのは、先ほどこの学校は児童相互に録画するおとについて、動画映像の鮮明さとか声のクリアさも大切なポイントになってくる。そうすると、教師が撮影することになり、一人ずつ撮影を行うということになると、相当な時間が必要となる。新たに小学校の5~6年生、教科化ということで70時間となりつつありますが、でも、その時間の中でパフォーマンス評価、こういった研究開発校のようなパフォーマンス評価を入れるということになると、時間的に厳しい状況になる。どこの単元にこのパフォーマンス評価を入れていくか、それを選択するということが必要になる。

○ 今後の外国語活動・外国語科の評価の考え方について、現在の外国語活動の評価の課題と成果、そして、研究開発校の外国語の評価の成果と課題を受けて、今後どのようなことをしていったらいいかというふうなことを考えたときに、多様な方法で児童を見取るということが大事になる。このワーキングで検討されている資質・能力を踏まえて、英語を学んで、子供たちにどういった力が身に付いたかという、そういう成果を捉えること。そして、学習到達目標に対応した学習活動に応じて、インタビューであるとかスピーチ等のパフォーマンス評価、そして行動の観察など、様々な評価方法を、場面によってどこに適切に設けたらいいかという方法を選択していくことが必要。
また、CAN-DOリストの形式での学習到達目標を児童と共有する、そういうことによって児童みずからがどのようなことができるようになったかということを自覚することで、学習意欲を図っていこうとすることが大切。今の文章記述によると、子供がなかなか分かりにくいといった、そういった課題を解決するためにこういったことが必要。そのときに、できるという知識・技能だけではなく、思考・判断・表現、そして主体的に学習に取り組む態度の観点との整理が必要となってくる。CAN-DOリスト形式の学習目標、到達目標を評価に生かしていくということで、これまではCAN-DOリストの目標は、観点別の評価のうち、表現の能力と理解の能力の評価に活用するのに適していると言われましたが、関心・意欲・態度は他の観点に係る資質や能力の定着に密接に関係する重要な要素となるということ、単元における学習と一体的に評価が行えることが必要であるとされているということを考えると、主体的に学習に取り組む態度の評価も行っていくことが考えられる。そのときに、例えば、知識・技能については「~できる」というふうに評価を行う。思考・判断・表現については「~している」という評価で行う。そして主体的に学習に取り組むというのは、「~しようとしている」とすることができるのではないか。

○ 現在、外国語表現の能力とか外国語理解の能力等で、4技能に関してははっきりしているが、統合的な活動の評価、読んで書くとか、聞いて話すとか、それはどこの観点に入れようかというので困ることがある。話すことついて、スピーチはプリペアードというのが結構中学校1~2年というのは多くなってしまうが、その場合、努力してきたかどうかを評価してきている。つまり、一生懸命家で練習して、それをちゃんとやっている子がうまくいく。どの子でもスピーチができるようにはもちろんするが、その努力の度合いを評価しているのではないか、それが話すことに行ってしまっている。(本多委員)

○ 関心・意欲について、プリントの課題とか一生懸命やってきたことを、評定には反映する形で評価してあげたいと思うが、現行だとコミュニケーションへの関心・意欲・態度になるので評価できないない。それを本来評価するのかどうかというのも含めて、評定に関わらせる形で評価するのかということに対しても、入れたいなという気持ちが強い。(本多委員)

○ パフォーマンステストについては、取り出しでインタビュー形式でやる場合、時間、場所、人が足りないということで、時間に関しては当然パフォーマンス、40人、例えば1時間でやるには一人1分しかできない、十分なことはできない。2回に分けたら、一人当たり2~3分はできるが、2時間使わなければいけない。例えば廊下でパフォーマンステストを今やって、中で何かが起こらないように見張りながらやることというのは結構あるが、人も足りない。そういう中で十分なパフォーマンステストというのがなかなかできない。
また、基礎的なことと発展的なことを分けたとしたら、発展的なことに関しては多分はっきりしているというのはあるが、基礎的なこと(ドリル的なこととか、何か文法的なこと)についてはどの観点に入れるのかということがあり、その両方が現場では考え方があって、それぞれ今行っている、授業で行っているいろいろな活動とか評価、例えば定期テストとか作品とか発表とか、それをどのレベルのこと、基礎的なことと、発展的ことを分けたとしたら、それをどこに今度入れたらいいのかというはっきりしたのが欲しい。(本多委員)

○ 評価のことを検討する際に、総括に関わる課題、問題点があると感じる。この総括の問題点が、4観点だったものを3観点にするか否かということに関わるが、今までの4観点の場合に、外国語表現の能力、外国語理解の能力の2観点がある。この2観点はそれぞれ聞くことと読むことを併せて外国語理解の能力として総括をする。そして、話すことと書くことを併せて外国語表現の能力として総括をしている。この総括のありようを、今度、指導したことを踏まえて、その状況を評価をするという意味では、その総括は特に問題にならないと思うが、その指導したことを評価し、さらにまた指導につなげる。つまり、学習評価の意義として、学習者、児童や生徒に還元していく、あるいは形成的評価として次の学年につなげていくということを考えたときに、実は、その総括した評価というのはどういう状況を差すのかが、いまひとつ分からない。これは、4観点を総括して総合的に評価をする、評定についても同じことが言えるが、3観点にするときに、思考力・判断力・表現力としてまとめられているところに4技能、今、指標形式の目標で言うと、4技能5領域のところを総括して評価することになるが、この総括があることによって、指導に生かされないという課題があるのではないか。提案になるが、指導要録の上で3観点ということと、それを形成的評価として指導に生かしていくための評価、例えば1つの形として通知表における観点、これは柔軟に変えてもいいのではないか。むしろ例えば途中段階の評価、あるいは形成的評価は、3観点のうちの思考・判断・表現に関わるところは、CAN-DOの形の目標を生かしたような形で、項目数が多くなったとしても、それぞれの技能の到達具合が分かるような、そして次のステップに進むような観点の設定ができるような、そういう柔軟なありようもあっていいのではないか。(酒井委員)

○ 評価の総合的な扱い方は、それでいいと思うが、CAN-DOを今回目標設定として、もし用いていくというふうにここでだんだん具体的になっていくとすると、CAN-DOで実際に具体的にどうするかということをよく話していかないと、ほかの思考力とか何とかという部分の大きな枠組は非常に納得いくが、そこの詳しい部分でCAN-DOが実際にどう毎日の授業や中間的な評価とか、そういうものに絡んでくるのか。CAN-DOは何かお題目ぽくなり、実際は期末試験みたいなものがそのまま残っていくような感じのギャップがあるのはよくないので、全体でのバランスを強調するあまり、またCAN-DOが何か少し入れたはいいが、どういうふうに活用するのかが、具体的な話ができないまま行ってしまうと、入れてはみたもののみたいになってしまうのではないか。そこは、入れるのであればCAN-DO本体が評価の核になるような形で運用を考えて、先ほどの観点別というところにもきちんとCAN-DO的な視点が入るのであれば、どう変えたらいいのかということの議論がちゃんとされて、そういうのがやはり外国語の特性として必要なんだというふうに、ほかとはちょっと違う側面を打ち出すように議論していかないと、中途半端な位置付けになったままで行く。(投野委員)

○ CAN-DOリストの形での学習到達目標は、そもそも外国語表現の能力と外国語理解の能力という観点から出てきたもので、言語や文化についての知識・理解ではない。先生方にそういう話をしたときに、言語や文化についての知識・理解の中の知識というところは、いわゆる文構造であったり、単語であったりという受け止めをされている。今度、この3つの観点にしたときに、CAN-DOリストの形の学習到達目標というのはどこにつながるものか。
実際のコミュニケーションにおいて活用できる知識・技能ということだと思うが、この知識・技能のところにCAN-DOがつながっていったときには、先生方の思いとしては、知識ということが重なっていて、このCAN-DOというのは、文構造や単語なんかをしっかりさせることなのかなというふうな誤解を招くような気もする。要は、今、CAN-DOリストの形の学習到達目標を3つの観点のどこに入れていくのかというのは、非常に難しい。英語の場合は、技能と思考・表現というのはなかなか切り離せないところがあって、果たして本当に英語としてこの3つの観点をそのまま使って落とし込めるのかというところは疑問に思う。(渡部委員)

○ 今、渡部委員がおっしゃっていた思考・判断・表現と技能の不可分なところをどうやって結び付けていくか、整理するかというのは全く同感。現場として、その辺をどのように整理をして評価、3観点になったときに評価できる体制を作るか、ここを明確にするというのは、ここのグループでも話し合いが必要でしょうし、当然、総則・評価部会の中でも必要になってくると思う。いわゆる学力の3要素、3つの柱に従って評価をするという学校全体の考え方としては、校長の立場からしますと、非常にやりやく、整理がしやすい。全ての教科に共通になってまいりますので、カリキュラム・マネジメントという観点からも非常に学校を経営しやすくなる。ただ、教科の特性をどの部分まで認めていけるのかな、柔軟な対応が取れるのか。はめ込み過ぎてしまうと、2つにまたがる部分がうまく評価できないし、かといって、はめ込まないと、学校全体の中で1つの方向に向かっていこうというところにちょっと難しさが出てくる。今、現場を見ていますと、単元等の学習目標と評価規準が割と整合されていないというものがよくある。ですから、今回、評価を変えていくということですので、そういったつながりについてもきちっと示す。そして、実は評価規準まできちっとできているが、授業の実際を見たときに、子供たちに声掛けをしている声掛けが、その評価規準に基づいた声掛けになっているかというと、全く違っていて、オー、ベリーグッド、何がグッドか分からないというようなところがあって、子供は自分で今回の発表はよかったと思っている。でも、教員が言っていたグッドは、ただ立ち姿勢がよかったとか、とんでもないのもある。ですから、そういったつなぎ、目標、規準があり、それを実際に授業にどう落とし込むか、そういった視点での話し合いというのもやはり十分やるべき。(石鍋委員)

○ 実際に学校現場で先生方と話していて感じるのは、いろんな評価があるが、それがもうぐちゃぐちゃになっており、形成的評価も総括的評価も何もかもが一緒になって指導案の中に出てきている。例えば、単元計画を立て、1時間目の評価、2時間目の評価というのがあり、1時間目の評価と2時間目の評価を全部集めて総括で評価するという考え方について、実際やられていることは1時間目、文構造や単語を勉強しました。この子は文構造ができていません。だから、1時間目のこの評価はCですというような言い方になる。1時間目、そもそもやったばかりでCと評価されるなんていうのは本当はあってはならないことだが、それをもって総括的評価につなげていくというふうなやり方。そういった先生方が一体どこに子供たちを連れていこうとしているかというのが、本当に分からないまま評価というのを形式的にやっているなという思いがする。ですので、その評価というのは総括と形成的評価があって、それぞれちゃんとした意義があるということをかなり強く押さえていく必要がある。
例えて言うなら、富士山の頂上に向かって1つの目標があるとしたら、先生方は、ずっと子供たちは1合目、2合目、3合目と上がってくるんですけど、3合目の子供たちに向かって、あんたはまだ3合目だからCですとか、あなたは4合目だからBですとか、そういうふうな発想になっている。そうではなくて、上の道をきちんと示してあげて、上まで上がるように、今は3合目だけど、次こう行こうねというところを示していく必要があるが、そういった発想がない。特に中学校や高等学校では、富士山の登山の道さえ分からず、富士の樹海をさまよい、とりあえずこっちへ向かいなさいというふうな形でやられている。そこの中で評価をされているようなイメージがあり、先生方が目標がしっかりしていないというところがかなり大きな問題で、やっぱり目標に合わせた評価の方法ということを、評価の話ばっかりをしていると、目標を忘れてしまって、パフォーマンス評価の方法とかやり方とか、そういったところに話が行ってしまう。(渡部委員)

○ 小学校の先生方は英語がそんなに得意でない人も多分たくさんいるので、そういう人たちが評価ができるためには、実は学習指導要領の内容のところに、どういうことをやったらいいかということをきちんと書き込んでおくことが一番大事になってくる。要するに指導と評価の一体化というのはそういうことだと思う。ですから、知識・技能というのには、小学校3年生の外国語活動ではこういうことをやる、4年生ではこうやる、5年では英語になったらこうするということを知識・技能として書き、それから思考・判断もそこのところにある程度のやるべき、そういった到達点をきちんと示しておいて、何をやったらいいかというのを明確にしておく。それがあれば、主体的に学習に取り組む態度も、先ほどの平岡先生の御発表にもありましたが、ああいう形で「しようとしている」という主体的に学習に取り組む態度を単元で見ていくということは可能になってくる。
併せて、見通しを持たせる、到達点があれば当然、どういう順序でやっていったらいいかということもやっぱり示す必要がある。さらに、その順序は子供にも示し、今までのように内容のところの指導事項だけでなくて、子供も見通しを持てるような指導要領の内容についての書きぶりが今回の正否に関わっている。だからこそ、指導と評価の一体化ということが言えるし、そのところを示さない限りは、先生たちは路頭に迷ってしまう。また、ルーブリックについては、小・中はちょっと難しいと思う。実は今の目標準拠評価もA、B、Cだから、これある意味でルーブリック。段階を細かく分ければ分けるほど、先生たちは大変になってくるので、B基準というのをどういうふうにきちんと私たちが示せるか、そこに行くためにどういうことをやっていったらいいかということについて、これまでの学習指導要領を変えていかないと、先生たちが評価ができない。(高木委員)

○ 英語教育の目標は何かという、まさに英語のコミュニケーション能力を付けるということなんだということに立ち返って、あくまでも評価というのはあるべきではないか、生徒のコミュニケーション能力が向上するような形での評価という在り方を検討していくべきではないかというふうに感じる。先ほどの御発言の中にも、例えばプリントとか家庭学習のようなものをどう評価するか、評価に入れるのかというような御意見もあったが、アクティブ・ラーニングについて聞いていると、基本的にはアクティブ・ラーニングというのは、教室でやった方がいいものは教室で、つまりペアワークとかインターアクションとか、そういったことは教室でやるけれど、その代わり家でやってきた方がいいことは家でやっていくという、そういう棲み分けもしないと時間的に難しいということも聞いているので、そうすると、やはり家庭学習でドリルをやるとか、いろんな単語を覚えてくるとか、そういったことも評価の対象に入れないとおかしいのではないかという気もするし、そういう努力をすることが生徒の英語の能力が上がるということにもつながるので、そういった観点も検討する必要がある。(長谷川委員)

○ 文章の記述による評価を行うがために、そこに至るまでの行動観察やら振り返りカードやら、そういうものの積み重ねでやっていりことについて、小学校の先生というのは外国語活動をやっているだけではなく、ほかの全教科もやりながら、こういう形で評価をやっていらっしゃるということを改めて、すごく大変なことをやっているというふうに感じた。評価は大事だと思うが、一番大事なのはやっぱり指導の充実であり、そのための評価なので、私は評価が現在の教員の多忙化に拍車を掛けていると思う。客観的な評価をするがために、それの根拠となるようなデータをいっぱい用意しておかないと、情報公開じゃないですけれども、保護者の様々な意見に対応できないということで、データを蓄積していくという体制ができている。そのことが非常に教職員の仕事を大変にしていて、特に小学校を現在の体制でやっていって、しかも高学年を教科にするということを考えたときに、今まで以上に評価を複雑にしていくということは、私は現実的ではないと思う。できるだけ多面的な評価というのもそのとおりだが、多面的な評価を通常の授業の中でもやる、パフォーマンス評価もやる、あれもこれもやるって、増やしていくということではなくて、できるだけシンプルにする方向で行くというのが私はベースだと思う。何に一番注力していただくかというか、力を注いでいただくかということの優先順位を考えると、私は評価ではないというふうに思いますので、できるだけシンプルにしていただくということ。(松川委員)

○ 大きな枠組について、私は基本的に外国語というのは技能教科だと思っているので、先ほどの3観点の1番目の個別の知識や技能、何を知っているのか、何ができるのかということと、それから思考力・判断力・表現力等の知っていること、できることをどう使うかということの間には、非常にグレーゾーンがある。そこのところは。個別の知識・技能と思考力・判断力・表現力というのは、明確に分けれないので、当然そこのところはダブっているところもあって、英語という技能教科の場合は、それがどっちとも考えられる。思考力・判断力・表現力の方の表現力というのを、個別のスキルではなくて、もう少し総合的なもの、スキルを使って何をするか、英語の個別に何が言えるかではなくて、それを使って、例えば学校に訪問に来た外国の人を学校案内するという、そういうような大掛かりな場面を考えて、表現として見ることもできるので、そういうことを考えていくと、学習段階というか、発達段階でどこにどれだけ比重を置くべきかというのはおのずと出てくる。一番考えたいのは、外国語の場合、他教科と違い1時間できっちりと決着が付くとか、1単元で全て習得されてしまうということ。だから、中長期的に長いスパンで横に見ていかなくてはならないので、毎時間、毎時間の振り返りというのを細かくやる必要がある。長いスパンを掛けて徐々にできるようになるということを考えると、学期に1回とか年に2回とかっていうぐらいの大ざっぱなところで、何ができるようになっているのかということの正確なチェックというのは、やっぱり教科になる以上はすべきではない。そういうものと、毎時間子供たちがどう意欲を持ってやっているのかというのは、別の手法で計ればいいので、全てのものについて多面的に多様な手法で、多面的な観点で評価していくということは、学校の現実から言って、全く実際的ではないと思うので、特に小学校においてはこれ以上、先生のやるべき仕事を複雑にしないような形で最終的にまとめていくということが一番大切に考えるべきことではないか。(松川委員)

○ 小学校の英語で例えば技能を評価するのに何を、技能との関連で指導として何かをするのか、表現力では何をするのか、何か簡単な例について、評価では、スキルで与えて、繰り返し練習してできるようになることって、やっぱり一般的には知識・技能です。それで習ったこと、先ほど松川委員もグレーゾーンとおっしゃっていましたが、そのとおりで、それを使いながら何かできるようになっていくということがあるわけだから、それを英語の内容論としてうまく書き分けることができれば、先生たちは、指導要領を見れば知識・技能はここをやろう、それから思考・判断はここをやろうというところが見えてくるのではないか。できれば、対応関係で知識・技能と思考・判断・表現、裏表でできるようなことがあれば、そういうことを具体的に指導要領の内容として書いておく。(高木委員)

○ 小学校だと、話すとかいう表現力について、単語が発音できるかというのが技術になって、自己紹介ができるというのが表現力とか、そういう棲み分けになるかについて、「~できる」という技能的なものに係っては知識・技能の技能というふうに思う。(平岡委員)

○ CAN-DOの記述を詳しく見ていくと、例えば、最初は自分の名前を自己紹介で言っただけでも、表現力という意味でいえば、自分の名前を言って、出身地を言って、それからあとは、例えば家族が何人いてとかというふうに、自己紹介というふうなラベルで張れるようなことも、表現を覚えていくと、いろいろに言うことができる。なので、1つのことを詳しく言うというようなことが言語的に可能になれば、それ自体は表現力と言っても僕はいいと思う。 それは、身の回りのことを言うようなCAN-DOを1個1個こなしていくと、より具体的に言えるようになってきますので、表現力というものの定義にもよると思うが、そういうことを具体化していくルートというのはAレベルの技能でははっきりと示されている。それからあと、思考力とか何とかというのも、よく考えてみると、B1ぐらいから上のCAN-DOを見ますと、だんだんと個別の言語機能というよりかは、大体そういうものを習った後、どういうふうにそれをまとめて使うのかみたいな、大体何か統合的な力になり、それについて自分の意見や考えについて、理由を付けて言うとか、あるいは反対、賛成みたいなことを言うみたいなことも全部出てくるので、その辺は論理性みたいなものと関係してくるので、だんだん上の方の技能になっていけば、CAN-DO的に先ほど言ったような目標を組み込んだようなものができるようになるという点を見るようになると思う。ですので、言葉の力としてCAN-DO的な発想のきちんとした目標設定をしていく中で、先ほどの要素は別の側面から見ると手当てがされるように目標設定をしていくというようなのは1つやり方としてある。(投野委員)

○ CAN-DOということを例えば今度の学習指導要領に書き込むとして、それは新しい3観点のうちの少なくとも2観点に関しては、整理してCAN-DOで書き込めるということについて、どこからどこまでが表現力だとか何とかという力の側面を、CAN-DOで分析的に、ここがそうだということをやるのがいいかどうか、ちょっと私はよく分からないが、少なくともそういう統合的な力を、言葉が身に付いてくると当然それを使うときには、ほかの認知的な力を一緒に使わないと、言葉のいろんなパフォーマンスができないので、そういうふうな記述に自然になっていると思う。そこのどこが思考力に当たるかはちょっと読んでみて、解釈の問題になるので、ここからここまでと切れないが、そういう要素を含んだものに、上の方に行くとなってくる。(投野委員)

○ 外国語表現の力と思考・判断・表現の表現力というときは、異なった使い方を多分現行の学習指導要領からはしっかり明確にしているが、小学校・中学校の現実の教室場面を見たときに、例えば小学校の場合に、何らかの言語使用をしていて、いろいろ考えて判断をして発話をしているということは小学生でもある。そういうものを指導していくことは可能であるし、そういうものをはぐくもうという単元構成あるいは指導目標の設定の仕方というのも可能だが、それを自分の考えたことや判断を英語によって表現をする。つまり、外国語表現と思考・判断・表現の表現を同時に行うような形というのは、やはり小学生は難しくて、そこは日本語になってしまうことがある。ちょっと具体的に言うと、つい最近、道案内をする場面があったが、小学生が、あそこは雪が今積もっているので、別の迂回路を通って道を案内したと。これは予定を変更して、そちらの方を選んでいくということを相手意識に立ちながら考えて、どういう表現をしたらいいかを考えて、言語使用している。それを英語で語る部分というか、いわゆる思考・判断・表現力の表現力というのは、どうしても日本語に頼っているというのが小学校の場合の現状かなというふうに思う。これを中学校の段階、つまりA1からA2ぐらいのところでは、自分の考えを理由とともに述べたりというようなところが外国語でできるようになるというようなことが期待されるので、そこの思考・判断・表現の表現をしている部分の自分の考えを述べる部分も外国語で実現をしていくということは可能と思うが、そのあたりぐらいはもしかしたら小学校段階、中学校段階で発達段階を考慮して設定をする必要があるのではないか。(酒井委員)

○ 小学校でCAN-DOというふうに考えたときに、例えばアルファベットの文字を読むことができる、書くことができるということについては、誰が聞いても分かりやすい部分であると思うが、思考・判断・表現、既習事項を使って、あるいは即興的に何か自分の思いをそこで相手に伝えることができるという、そういうことであるならば、それも1つ考えられる。その場面設定なんかどういうふうにしていくのかなということが、具体性がもう1つよく分からない。先ほど松川先生がおっしゃっていましたけれども、例えばCAN-DOもそうだが、難しい評価をするようなことになる、あるいは担任が、これどういうことなんかなということをよく考えながら評価しなきゃならんということになると、本当に小学校だったら教科も全部評価をしなきゃなりませんので、シンプルとおっしゃいましたけれども、私もシンプルに、例えば小学校では、ここに書いてある知識・技能的な部分をCAN-DOにするとか、思考・判断・表現については違う、例えば記述式も含めたような形にするとか、何か混乱が起こらないような書きぶりもあると思うは、評価の仕方というのも大事だと思う。(藤村委員)

8.学習指導要領の理念を実現するために必要な方策について
○ 大学入試改革、教材、教員研修などの条件整備は大きな課題。各部のところでの議論だけではなく、このような課題も一体的に改善しつつ、横のつながりも見ながら、学校現場まで伝達したときに一体感のある改革であるべき。

○ 大学の養成や現職教員の研修については、この英語教育改革の時期に非常に大事な視点だと思う。現場の教員を見ていても、大学を出て、新しい指導法を学んでいると思える教員がいる反面、私が大学で学んだことと変わらないということもある。お願いしたいのは、まず大学のカリキュラムは当然変えてくると思うが、変えたものを早めに学校現場にも周知してもらいたい。今、大学ではこういう指導をしているということを打ち出すことによって、学校側を変えていくという流れも作っていけるのではないか。もちろん、現職の教員の研修の情報を周知するというのは大事なことだが、現場を見るとなかなか多忙であり、それを一気に広げるというのは難しいところもあるので、大学の中身が大きく変わっていますよ、というところからアピールすることが必要ではないか。

○ 教員の養成と研修について新学習指導要領並びに一連の英語教育改革を成功させるためには、教員の研修が重要だと思う。研修を受けられる環境を学校の方に提供する必要があるが、教員は本当に忙しい。最近の若手又は中堅は非常に研修意欲が高く、英語教育をどうにかしようと変えていこうという意欲はありながら、お互いに議論したりする時間がないので、そういった環境を整えることがこの成功の秘けつだと思う。英語という学習指導要領全体の科目の中の一つかもしれないが、やはりここ数年の英語科に対する負担や改革に関しては、正直言って他教科とは違うものが大きいのではないか。やはり英語科というところの国の動きに対応している教科であるというところを配慮し、それを担う教員への環境整備をお願いしたい。

○ 現在の外国語活動を導入する議論において、次のことを見越すなら、当然、教員養成大学における小学校での英語教育に向けた免許法の改正も含めて、教員養成をしっかりやっていくということが必要だということは申し上げたのに、結局、今回の事態になっても余り変わっていなくて、基本的にカスケード形式の研修でやっていくということか。それから、コアカリキュラムを作ることについて、これから作って大学でやって、教員養成を受けた人が出てくるのは随分先の話である。外国語教育の充実・改善に関する文部科学省の中での横の連携がいかにも悪いのではないか。教員養成部会で議論があったが、研修が主になっているということと、コアカリキュラムができたとしても、それぞれの教員養成大学で、小学校の英語教育についてどれだけ理解される先生がいて、コアカリキュラムを使って指導ができるのかということは甚だ明確になっていない。そういう意味では、大学と教育委員会が連携して、たとえば、現職の指導主事の中で力のある方は各県にいらっしゃるわけで、そういう人の力量を、教職大学院ではなくて、教員養成大学の学部の中での指導に生かすような方策を考えていただくのが現実的な道だと思う。

○ 語彙量が全体に中学、高校と増えたが、教科書を分析してみると、語彙の取扱いはかなりばらつきがある。そのため、「身に付けさせたい表現に対してこのような表現の文法や語彙が必要」ということがある程度分かる参考資料を作成してはどうか。

○ 大変な課題があると思う一つは、やはり教科書。中学校の先生方が一番頼りにしているのは教科書である。教員はこの教科書を全て完璧に教えなければいけないということが非常に強く思われている。言語活動の中でスパイラルに勉強できるような教科書・教材はどのようなものかということをしっかり考え、教員に提供していく必要がある。

○ 学習指導要領若しくは解説の中に特に指導に関する基本的な事項についてはできるだけ上げていくことが必要なのかなと思う。これは、先ほど江原委員の方から、例えばオーラル・イントロダクション、あるいはスキャニング、こういうような活動そのもの、言語活動の種類そのものも今の学習指導要領及び解説の中にはなかなか具体的には出てこない。そうすると、理解している教員と理解していない教員が出てくる。これをある程度、活動ないしは、子供たちが経験をする言語活動でないとなかなか難しい面もあるかもしれませんけれども、ここは理解しておいてほしい、教員として理解しておいてほしいという事柄については是非盛り込むべき。先ほどの音声に関する知識、言語使用に関する知識、それから、論理構造に関する知識、こういうものも実際には教材作成、あるいは指導する上、あるいは評価をしていく上の観点では必要になってくるので、何らか言及をするといいのではないか。
また、外国語指導助手等の技能の面も同様だが、外部人材の活用に関して、学習指導要領及び解説をよく理解した上でとか、そういうような一文があることで、そこの研修の仕方、あるいは研修の実施に対する要求も確保できるのではないか。

○ この学習指導要領を実際に行うというのは現場で、授業で先生が行うわけだが、その中で今回大事なのは教員の意識改革、今、変わりつつところをもう少し後押しして進めていくという意識改革がどれだけできるかというところだと思う。なので、学習指導要領とか科目名だとか、そういうものが変わることよりも、どれだけ現場に伝わるかということが大事なことなのではないか。そういう意味では、この学習指導要領をうまくメッセージとしてきちんと伝えないと、現場ではそういった実際の授業がまた行われなくなってしまうような感じがする。
英語力調査の結果については、少しずつでもよくなっているというところは、これはここ数年、やはり現場の先生方は変えよう、変わろうという意識は、改善しようという気持ちは、研修等であると思う。ただ、今後、特に中堅以上の先生方が本当にこういう目標を持って、こういう具体的な指導方法でということを感じて自分の授業で展開していけるかどうかというのは、その先生のやる気と意識の改革が非常に重要ではないか。そこで、その辺のメッセージの伝え方をしっかりしていただきたい。
また、小・中との接続とか、中・高のつながりというのも非常に大事だと思う。そういう意味では、学習指導要領が今まで実際の先生方が目にするのは高校の学習指導要領です。そういう課程ごとに出てくると。そうすると、あれを見ては小学校で何をやっているか、中学校で何をやっているかというのは分からない。今度、CAN-DOなり、小学校から高校までの流れがということがはっきり示せるのであれば、それを現場の先生が新しい指導要領が出たときに高校の分冊だけもらうのではなくて、英語としての概要版でも何でも、小・中・高がこうなっているというものがあって、今の自分の教える位置はこうだというところ、そして、また、実際の生徒を見て、どうしようかというように具体的に落としていくというようなことが見えないといけないと思うので、是非これはこの見せ方として、教員にうまく伝わるようにしていただきたい。

9.特別支援教育における検討事項について
○ 私が勤めている学校には、特別支援学級というのがあり、学級の子も外国語活動に参加する児童としない児童、原学級の方に行く場合と行かない場合ということもある。今、理解を促すためにどこを支援するかということが大切で、特別支援の教育の中でバイパスを作るというような言い方をすると聞いている。どういうふうな支援をしていくかということで、小学校においては、そこに示されているように、具体的な支援として見通しが持てない冗長的なところであるというときには、目当てを書き、そして、活動の流れも板書し、見える化をしていく、視覚的に分かるようにし、今、ここの活動をしていると分かるように、今ここをやりましたねというのを具体的な方法をとるということも行ってきている。視覚障害、弱視については、今も「Hi,friends!」のカードの中に見えるように、そういう支援、バイパスを作るというような方法もなされている。その子に応じていろいろな障害があるので、その子に応じて、例えばイメージを持ちにくい子については分かるようなカードを準備する。そして、身の回りのことでもよく意味が捉えられない子に、こんな言葉をと言っても難しいので、その子に分かるようなことから始めるというようなこともされている。あるいは外国語活動でもたくさんカードを黒板に張るが、それがかえってその子の学級意欲をそぐという場合もある。ですから、全面に全てを張るのではなくて、きょうやるものだけをするとか、やったら、それを外すとかというような最低限のカードを置くとか、そういうこともする必要があるのではないか。今、小学校の外国語活動ではたくさんの単元で扱う言葉を全てカードでとか、それから、デジタル教材で写すようなこともあるが、それがかえってその子には負担であるということもあるので、そういった子に応じた、どこを支援するのかということは大切にしていかなくてはいけないなというふうなことを感じる。また、その支援が個別の指導計画によってきちんと示されていることがなくては、行き当たりばったりに支援をしていったらいけないので、そういうこととつながって、教科等において支援をしていくことが必要であり、その支援がどうであったかということを常に評価していくことが非常に大事だと思う。

○ 高校でもやはり特別支援学級から入ってくる高校生、又は普通学級だったが特別支援の指導が必要だった生徒というのが入ってきていて、そういう子たちを実際見ていると、本当に文字認識障害があったりとかする子も英語を受けている。ただ、高校の教員はそういう特別支援教育に関しての知識も、どういう指導方法をしていいかということは、恐らくほとんどの教員は皆無である。なので、できれば小学校、中学校、中学校から高校と、その子がそういう教育、指導を受けてきたということをやはり伝えて、教科的にも伝えていくことが必要があるのではないか。特に今、東京都でもやっていますが、なかなか中学校からのそういう情報が上がってこなくて、個別の指導表だとか、そういったものがあったり、なかったり、又は生活面では書いてあるけど、教科の具体的な指導についての留意点だとか、そういうことがなかったりとかする、そういったところをもう少し改善していくとうまくつながり、子たちが理解しやすくなるのではないか。

○ 特別支援について、ICTのことを入れなくていいかなと思う。それはなぜかというと、例えばのどが使えない子がコンピューターのキーボードで音を出してしゃべっているとか、そういうのを実際に見たことがあるので、これから、特別支援についてはICT等を有効活用して、予算も付けてやっていくべきだというようなことを入れる必要がある。

10.英語以外の言語の習得について

○ CEFRとかを自分が研究していると、間違いなく世界的には多文化、多言語系にどんどんなってきて、非常に人口の流動性というか、そういうものが高まってきている。だから日本も恐らく今後の外国語、あるいは言語政策を考えたときに、英語だけという考え方は非常に狭くて、入ってくる人たちの家族のケアとか、あるいは学校とかでどういうふうに、そういう多言語に対応するかとかという視点が多分10年、20年、30年後ぐらいを見越して徐々に準備していく必要がある。CEFR的に言うと、外国語教育を、そういうCAN-DO的な発想でやるというのは、かなりほかの言語でも進んでいて、英語だけで何かそういうCAN-DOのことを考えているよりも、外国語を串刺しにして、そのCAN-DOという形で共通枠を利用するということも非常に効果的。英語だけととらわれないで、もう少し広く考えていくような方向が望ましい。それに対する取組の支援というのを書いているが、予算も全くないということなので、そのあたりは今後位置付けることが望ましい。

○ 高校の方から言うと、恐らく英語以外の外国語の講座というのが自由選択なり選択科目の中に設定することが多いかと思うが、現状からすると、かなり以前から中国語、フランス語を設定している学校においては継続して講師も確定していて内容も安定している。ここ数年の現状として、新しく設定しようと思ったところ、生徒を集めて講座は成り立ったけれども、講師が見つからずに講座が閉じてしまったというような事例もあるかと思う。この吉田先生のあれにもありますように、今後拡充していくに当たって、やはり、その指導法とか、教材だとか、あと今申し上げた人材が確保できる、都道府県だと人材バンク的なものや情報提供等、誰が教えるかというところについてのハードルをクリアできるように整理していかなければいけないなと、現状を見て思っている。

○ 英語以外の外国語教育を行うということの意義については全く異論はないが、現実論として指導者を、特に地方では確保するのが非常に難しい。大都市圏はいるかもしれないが、地方でそれをやろうと思うと、なかなか難しい。このことを本格的に進めていくのであれば、英語以外の外国語の教員というのをどう、これから養成していくのかと。
県でも調べてみますと、英語の先生で、フランス語についても教えることができる人とか、あるいは中国語についても教えることができる人という教員はいるは。外国語の複免許制度みたいなもので広げていかないと、やっぱり現実的に、そのそれぞれの都道府県で、そういうものを継続的にやっていくということには、かなりハードルが高い。意義は分かるが、一旦ある高校で、そういう講座を作ったからには、ある程度長期にわたってやらないといけなくなる。今年はやったが来年はやらないというようなことでは問題なので。このことを進めていくということは、私は大切なことだと思うので、やはり教員の確保ということについて本格的に取り組む必要があるのではないか。現に日本人の先生でも、英語以外のことについて若干の知識をお持ちで、ある程度初歩を教えることができるという人はいると思うが、それが資格として、どういう形で作っていくのかという制度設計が私は必要だと考えている。

11.ICTの利活用について
○ 紙ベースの教科書から、これだけ4技能で音声を重視すると言いながら、音源の入ったものというのが、生徒個々人のところには届いていない。だから、そういうことを今後もやっていくのかどうかということが大変疑問だと思う。まず基本的に、紙の教科書でずっと来ているわけですけれども、英語という教科の場合、やっぱり音声が重要。CDを配ればいいとか何とかということだけをとって見ても、全部の生徒にそういうふうに行き渡っていない。だから、そういうことについての基本的なことをどうするかを考える必要がある。

○ ICTについては、電子黒板とか、いろいろあるが、現状で、非常に市町村によって格差が出てきている。要するに電子端末、タブレットであろうが何であろうが、それを、ある程度財力のある市町村は配っている。しかし、ないところは用意できないわけで、そういう状態について、これは文科省の管轄じゃないかもしれないが、最終的にそういうものが学校に配置される見通しについて、どうなのかということの条件整備が、非常に大事。

○ 細かいところは、結局のところ、それぞれの市町村任せ、学校任せという方向性が非常に強いように私は思える。そういうことをやっていると、現状でも、市町村間でかなり格差が出ていて、もちろん一人一人の子供の家庭は既に格差がある。それをできるだけなくそうと思って学校教育でやろうとしているのに、アクティブ・ラーニングだとか、ICTは地域ごとでそろえられていない。そろわないのに、どんどん深い学びだとか高度化していくということをやっていくと、ただでさえ今、差が開いているところを、ますます拡大するような方向に行くとしか私には思えない。だから、きれいにカリキュラム・マネジメントだとか、アクティブ・ラーニングだとか、分かったような分からないような言葉を使って引っ張っていくのは結構だが、正直、一人一人の先生方はどう思っているかというと、なかなかつらいところがある。だから、どこに一番力を注ぐべきかというのは、私はちょっと考え方が違う。今既にある格差をできるだけ広がらないようにするためには、どういうことが一番大事かという考えをしていくのが大事で、ICTなんていうのは本当に一番大事なので、既に持てるところと持てないところで差が出ている。これを更に拡大するような方向で行くということについては反対。

○ ある授業の話を聞いたり見たりしたときに気になったのは、ICTの使い方の研究になってしまっていること。つまり英語教育の研究ではなくて、ICTの方法論の話が多くなっている。ICTの推進とか研究を進めていく上では、教科ベースで考えていかないと、ICTでくくって指定校とするのは問題だと考えている。

○ CAN-DOリストが整備されれば、CAN-DOリストというのは細かいところまで行くと、特定のパフォーマンスをするための語彙や文法みたいなものが、ちょうど入ってくるんですね。そうすると、そういう語彙や文法なんかを身に付けるのは、日本では、アメリカ風なイマージョン系のものでは時間が足りないので。だから当然、個別の語彙や文法の仕込みの時間というのは必要。ところが、それは、やってはみせるけれども時間数が足りないから、余りちゃんとはできていない。こういうところを、やはりICT的に手当するというのは非常に重要だと考えている。

12.外国語WGにおけるとりまとめ(案)に対する意見

○ 3ページの小学校の外国語活動と高学年ですが、1、2、3と両方並んでおります。下の方は1、3、3ですが、1、2、3だと思いますけども、これの2をやはり最初にもっていくべきではないかなと思います。小学校の外国語活動及び英語については、コミュニケーションを行う力を養うというのを一番に掲げるべきではないか。

○現在のマル1のところに文末に「音声等の違い等に気付く」というふうにありました。この点については、言語能力の向上に関する特別チームの会議において、東大の酒井委員が違いに気付いたところで何なんだという御意見をされておりまして、かなり強い御意見だったと思います。その点について反映したものに変えていただきたい。

○外国語活動も英語も、「相手意識を持って」という表現を使っています。日本語として対象、私、違和感を感じるのと、それから、言語能力の向上に関するチームの議論においても、「相手意識を持って」という言葉は一度も出てきていないと思いますので、この点については、中学・高校と同じように「他者を尊重して」とか、そういうような言葉遣いに変えていただければと思います。

○4ページの下から2つ目の丸に「小・中・高等学校一貫して教科目標を実現するため」というふうに書いてあるんですが、中学・高校については、3ページ、4ページ、かなり言葉のすり合わせもされていて、目標が文科省内部で共有されているというふうに見えるんですけども、小学校の書きぶりと中学校の書きぶりがかなり違う。もちろん小学生の発達段階に配慮するということもあるかと思うんですけれども、この辺の言葉の使い方等を整理しておかないと、後で一貫した教科目標を実現するときに、あるいは学習指導要領を書くときにばらばらな書きぶりになってしまうというところが危惧されますので、是非その点について御検討いただければと思います。

○5ページ、上から4番目の丸ですが、中学校卒業段階で英検3級(CEFRA1レベル)というようなことが書かれてあるんですけれども、これはやはりCEFRAの方を表に出して、例として(英検3級)というような書き方に全ての資料を統一した方がいいんではないかと思います。

○11ページですが、ここの高等学校「外国語」の科目等の見直しの2つ目の丸のマル1で、「現行のコミュニケーション英語基礎の要素を英語コミュニケーション1、(仮称必履修)に組み込んで、中学校における学びの確実な定着を図るための内容を含めて見直しを検討する」とあります。この点はすごく大事なことだと思っていて、高校段階においては、生徒さんのレベル差というのは物すごく多いので、ここでやり直しができるような授業内容にするということがすごく大事だと思いますので、中学校でやってきたものとしない部分もあって、ちょっと戻る形で何か活動すると。その分、活動の時間を増やすとか、何か工夫をするということが大事なのかなと思います。高校の英語コミュニケーション1が成功しない限りにおいては、それ以上のことは成功しないと思いますので、この点について何か御配慮いただければと思います。

○マル2ですけども、最後のところが「課題解決のための言語活動という流れで学習するものとする」と。これをちゃんと読み込んで教科書ができ上ればいいんですけど、まだまだちょっと私としては不安なので、そういう流れを教材に、教科資料に明示しなければいけないとか、もう少し踏み込んだ言葉を入れ込んでおいていただかないと、今の教科書のように、英文があって、これについてみんなでディスカッションしているよというような一文で済まされて検定合格ということになってしまいがちだと思いますので、もう少し踏み込んだ記述をしていただければと思います。

○2ページ目の一番上の丸と2番目の丸に関してですけれども、1つ目の丸については、自分の考えなどを話したり書いたりして表現することが思考の枠組みということで、表現の方が明確に書かれているんですが、これ、よく見ると、2行目のところに「外国語を通じて様々な事象等を捉え」と、このあたりぐらいは聞いたり読んだりというところが関わるのかなと思いますので、「外国語を聞いたり読んだりして様々な事象等を捉え」というふうに書くとバランスがよいのではないか。

○3行目ですけれども、「外国語で情報や自分の考えなどを形成・整理・再構築し、」ここのところで「外国語を聞いたり読んだりして情報を得、自分の考えなどを形成・整理・再構築し」というようなところで、聞いたり読んだりという外国語理解に関する表現が入るといいのかなと思いました。これだけ見ると外国語表現の方の力だけが重視されるという誤解があるのではないか。

○3ページ目ですけれども、ちょっと表現としては、小学校の高学年の、今、マル3と書かれていますが、マル2の「外国語の基本的な表現に関わって」というところが、先に表現がありきで、それに関するコミュニケーションを行うというような受け取られ方がされるかなと思いますが、あくまでも表現は使うための基本的な知識であると思うと、「外国語の基本的な表現を使って」というふうに素直に書いた方がいいのではないか。

○3ページの中学校、それから、高等学校のマル1番に関する事柄です。これは、7ページの3つ目の白ポツの知識・技能の2行目以降ですかね、「コミュニケーションを行う目的・場面・状況等に応じて主体的に活動できる技能が習熟・熟達に向かうものとして評価する」と。ここの具体的な意味を明確にした方がいいだろうということなんですが、知識・技能、基本的な基礎的な知識・技能というふうに考えたときに、目標のマル1番で実際のコミュニケーションの場面で運用できるというところまで求めてしまうと、マル2番の思考・判断・表現を使いながら学習をしていく、あるいはコミュニケーションをしていくこととの違いというのが見えなくなるであろうと。アクティブ・ラーニングというか、見方・考え方を活用したような活動を行うことによって思考・判断・表現力も伸ばすというような関係にあるとすると、さらに、先ほどの見方・考え方で言うと、目的・場面・状況に応じて言語を使う力というところが重要視されるとすると、「実際のコミュニケーションの場面で運用できる」のところをそこまで求めなくていいのではないかと思うということです。思考・判断・表現のところの統合的な部分と、知識・技能の技能の部分、これの分割が難しいのかなと思います。むしろ、文脈、あるいは目的、あるいは状況がない状態でまずは知識を活用できる力と。それを状況とか、場面とか、相手、それから、目的が明確になったところで運用できる力、これが思考・判断・表現というふうに整理をした方がいいのかなと考えています。御検討ください。

○6ページ目ですけれども、これはちょっと表現的なことですが、学習過程で、上から3つ目のパラグラフですけれども、マル1番で「設定されたコミュニケーションの目的・場面・状況等を理解し」とありますが、別添の資料のところでは、理解だけではなくて、設定することもあるということですので、コミュニケーションの目的・場面・状況等を理解したり、設定したりということで、子供たちが自ら考えてどういう目的なのかということも自ら決定するような、そういうちょっと積極的な要素を盛り込んだ方が適切であろうと考えました。

○7ページ目の、一番下の丸のところですが、「外国語の思考力・判断力・表現力」というふうに「外国語の」というのが入っていますが、評価の観点だと思いますが、これは各教科、外国語の思考力・判断力・表現力というような言い方になるのかどうか。もしそうでなければ、括弧の中は「思考力・判断力・表現力」というふうに整理した方がいいと思いました。

○14ページの「深い学び」ですけれども、ここでは深い理解を促すような工夫をするということで、黒ポツの丸が幾つか挙げられていますが、1)番の「深い学び」のところで知識・技能のところが3行分使って書かれていますが、むしろ、この後、その知識・技能を活用するために目的に応じたコミュニケーションを体験させると。そのことによって、知識・技能だけにとどめず、実際に運用できる力を付けるんだと。それが外国語科では「深い学び」と考えるんだというようなことをもう少し見えやすく表記をした方がいいのかなと思いました。

○16ページ目、教材の在り方ですが、2つ目の白ポツの「小学校においては」というところです。ここに教科化に対応した教材を29年度にかけて開発し、30年度には先行実施を行うというようなことで、教科化の方の在り方につなぐようなことは書かれているんですが、中学年外国語活動の教材はどうなのかというような言及が1つあるといいのかなと思いました。

○1ページ目から始まっていまして、ほかにもあるんですけれども、「学校種間の接続が十分とは言えず、進学後にそれまでの学習内容を発展的に生かすことができていない状況がある」という、これ、正に課題だと思っています。これをしっかりと位置付けていただくことはとても大事なことなのでお願いしたいのですが、これ、他教科との絡みもありますけれども、外国語教育において、この接続が不十分な部分は学習内容を発展的にうんぬんだけなのかと。例えば指導方法であっても違いがあるし、学力観についても違う。また、学習観であったり、子供観、そういったこともあるので、そのあたりまで踏み込んで書いていただいてもいいのかなと思います。ただ、他教科との絡みがあるので、その辺は他教科とのやりとりもしなければいけないかもしれません。

○10ページ、カリキュラム・マネジメントについてです。これは外国語教育だけではないと思いますけれども、ざっと読んでしまいますと、カリキュラム・マネジメントをするのは、校長や教頭の管理職というふうに読み取れてしまう。ただ、カリキュラム・マネジメントはもちろんリーダーシップは校長なのですけれども、教員一人一人がカリキュラム・マネジメントの視点を持っていくということが重要であろうと考えています。そのあたりで、教員に対してもうまく文言を入れて触れていただけると、この、いわゆるカリマネの考え方が学校全体に広がっていくのではないかと思います。

○3ページでございますけれども、中学校のマル1のところ、このマル1、マル2、マル3というのは、知識・技能、それから、思考・判断・表現、それから、主体的に学びに向かうという、これが書いてあると思うんですが、この中学校の1番を見ますと、技能を身に付けるということで、知識という言葉がまず入っていないんですね。これは恐らく意図としては、特に高等学校などでも、本当に文法を知識として教えるだけで使えるようになってないということに対する歯止めというか、それをもっとコミュニケーション重視にもっていくんだと、そういう気持ちは分かるのですけれども、先ほど酒井先生がおっしゃったように、このマル1が膨らみ過ぎてしまうと、本来このマル1、マル2、マル3の中では、今回の新しい改訂では、マル2の方をもっと強調していくということは、私は趣旨だと思っていまして、英語のコミュニケーションというのは、たとえ本当に単純に英語を発するとか、聞いてメモするとか、そういうものでも相当思考・判断・表現は必要とするものだと思っています。ですから、マル1が余り肥大化しないように、マル1とマル2の境目をきちんとするというのは大事だと思っていて、個人的には、マル2というのは4技能を使いながら、技能統合も含めてやるものがマル2に入ればいいし、マル1というのは、限りなくマル2に使えるような形で知識から技能にいきそうなところまで教えるということだとイメージしています。

○7ページを見ていただきたいんですが、2行目の「概念的な知識として」のところから、4行目の「技能が習熟・熟達に向かうもの」、これが多分何か知識・技能と思考・判断・表現の境目を決める議論だと思っています。で、概念的知識というのは、私もちょっと調べてみましたら、例えば社会科とか、数学とか、そういう教育関係の論文では出てくるんですけれども、あんまり、僕の勉強不足かもしれませんけれども、英語だと、語学だと宣言的知識と手続的知識というふうに言われることが多くて、知識として持っているものじゃだめで、それが使えるようにならなきゃいけないと。使えるようになって話したり、書いたりというのは手続的知識ですと。ここに概念的知識ってあると、まず、私、はてなになっちゃって、この辺もちょっと明確にしていただければと思うんですが、ただ、技能が習熟・熟達に向かうものというのは、私のイメージでは、今まで学校で教えていた文法書の文言をコピペして先生が口頭で伝えるような、そういうことではなく、これはこういうときに使えるよねというふうに例示をしながら、ちょっとやりとりしながらというものでいいのではないか、知識・技能としては。そして、実際に使うことになったら、これはもうあらゆる活動は思考・判断・表現に入るではないだろうか。

○もう一つだけ言いますと、言語活動は基本的に技能統合活動だと私は思っています。先生と生徒がやりとりする中でスピーキングだけ、リスニングだけ、ライティングだけ、リーディングだけというのはあり得ないので、非常に難しいのは、教えるときにどう教えるかというのと、評価するときにどう切り取って評価するのかということがごっちゃになってしまうと非常に難しい。結論から申しますと、マル1が肥大化しないように、うまく知識・技能とその思考・判断・表現、マル2を切り分けるというのはこれから、今日は難しいかもしれませんけれど、非常に大事だと思っています。

○小学校と中学校の間の少し書きぶりというんですかね、それがちょっと気になります。今、「Hi,friends!」でやっているような内容が活動という形で3・4年にもし下りるというイメージだとして、で、5・6年が高学年だとしますと、やはり高学年の書き方を、もうちょっと中学の内容を基準にして少し、やはりきちんとした技能や知識がもうちょっと身に付き始めるような段階の記述が必要だと思います。

○コミュニケーション能力というのと、コミュニケーションを行う力というの、ちょっと説明をお聞きすると、ますますはてなになってきて、やはりここは、マル2の方の書き方を、「コミュニケーションを行う力」というような言い方はちょっとやめた方がいいんじゃないかなと思います。つまり、コミュニケーションのためにどのような思考力・判断力・表現力の側面が必要かということを、もう少し具体的に文言化しないと、何のことだかよく分かんないと思うんですね。ですので、マル2はちょっとそういう形で、コミュニケーション能力というのは、それでいいと思うんですけど、その「行う力」という書き方は、私は余り賛成できません。

○中学校と高校の目標を見たときに、私、一応英語は結構技能科目だと思っているので、知識や技能のところが全く同じ文言なのはちょっと気になります。ここはやはりレベル差をもう少し出してほしいと思います。基礎的なとか、より高度なとか、そういうふうなものであったり、あと、CEFR的に言えば、自分の最初は世界、身の回りの世界や一般的な地域社会みたいなことが最初だったのが、もっと世界に広がっていくとか、そういうふうな部分のもう少し範囲のことが書いてないと、中学から高校に行くときにどうなのかなというのがちょっと思いました。

○3ページの中学校のマル1の部分ですけれども、技能を身に付けるという文末にするかどうかは別にして、実際のコミュニケーション場面で運用できるとか、あるいは活用できるというのは、1ページの一番最初の2つの丸の趣旨を反映していると思うんですね。だから、魂の部分というかですね。ですから、知識というのは、必ず活用できるものでなければいけないというのはしつこく書いた方が私はいいんじゃないかなと思っています。

○4ページの高等学校の二重丸のところでございます。「聞き手・読み手・話し手・書き手に配慮しながら」という、その後のところの句読点の掛かり方とか、そういうことで、「的確に理解したり、」というのが、これ、確認ですけど、ここの句読点のところで終わっているとすると、「表現し、伝え合ったりする」というところで、ここに「的確に」というのを入れるんだったら、「適切に」というのを入れたいなと思いました。適切、単に表現し、伝え合ったりするというのが、ごめんなさい。掛かり方が分からないんですけど、「的確に」というのに掛かっているのか分からないんですけれども、的確に理解したりというのが、「的確に」というのがあるとすれば、「適切に表現したり、伝え合ったりする」というふうがバランスがとれるかなと思いました。

○11ページの真ん中、高等学校「外国語」の科目等の見直し。最初の2番目の丸のマル1のところの高等学校のコミュニケーション英語1のところで、先ほど松本委員から、中学校との接続ということであったんですけれども、ややもすると、中学校の文法事項の洗い直しとか、そういうところにいくんではなくって、いく可能性もあるので、中学校の言語材料を使用させる、活動を通してというところを強調して、どこかで入れてほしいなというのがあります。活動を通して中学校の復習というか、確実な定着を図っていくというところが必要なんではないかなと思います。

○3ページの中学校のマル1、マル2に関してでございます。私も、まず、1のところで知識の言葉があえてなく、技能を身に付けるというふうに書かれている点について、非常に私は個人的に評価をしております。先ほどの江原先生と同じ意見です。この1番と2番というのは、基本的には学校の先生方、授業の中では一体的にやっていかなきゃいけないことであって、1をやってから2をやるというふうな理解されると一番いけないのではないか。

○9ページ、10ページのところで、小学校の外国語に関して、短時間学習の扱い、書いてありますが、ここでのワーキンググループの意見としてどうなのかって、私も分かりませんが、当然カリキュラム・マネジメントというのは必要になってきます。現場にこのカリキュラム・マネジメントを求めていくというのは非常に大切なことなんですが、この書きぶりとして、いわゆる現場に投げ出してしまうような書きぶりになっていないのか。もう時間はなかなか入れるのは難しいですというのは分かっている中で、具体的な解決策はなかなかないんですが、カリキュラム・マネジメント、前面的に出していくことが、現場の方から見たら、これ、読んだときにどのように受け止めるかというところは少し危惧をしているところです。

○我々のこのまとめとしては非常によく作っていただいたなというふうに高く評価をしているところなんですが、実際、これ、読んだときにどれぐらいきちっと理解がされるかというところが不安な部分がたくさんあるなと思っています。基本的には、まず、簡単な表現で文章は短く、我々行政をやっていた者もそうなんですが、非常に行政でよく使うような「何々とともに」とか、とにかく長くする傾向があるんですけれども、できるだけ平易な表現にして出した方がいいのではないかということは強く感じました。

○13ページなんですけれども、現代的な諸課題を踏まえた教育内容の見直しということで、外国語を通じて、今の環境問題ですとか、地球規模の諸課題ですとか、いろんな持続可能な社会の構築、情報に関するような課題などを把握して、それに向けた解決を考えるというのは非常にいいテーマだと思っておりまして、このまとめのほかの部分でもありましたけれども、外国語を通じてキャリア教育という視点から、自分がどういうふうにその世界の課題を解決できるかという、そういう視点を生徒に学ばせるという意味で、こういった教育内容というのは非常に重要だと思っています。

○15ページですけれども、いわゆる「深い学び」、「対話的な学び」、いわゆるアクティブ・ラーニングの推進というところですけれども、これは今、文科省の別の教育の情報化に向けた懇談会の方でも、科目別にも、いわゆるアクティブ・ラーニングをこういうデジタル教材ですとか、そういったICT機器でどのように授業を進めていったらいいか、何を教えたらいいかといったことを検討されていると思いますので、そういった内容も含めて反映というか、参考にしつつ、是非こうしたデジタル教材を活用した授業なども推進していただきたいと思います。その中で、今、いわゆるこういった機器、教材を開発している民間の業者とか、学校とか、政府も入った官民のコンソーシアムとか、ネットワークを作るという話も出ておりますので、是非そういったところも活用してこういったデジタル教材の活用ということも進めていただければと思います。

○18ページ、外部専門人材の活用という、ここも入れていただいて有り難いんですが、いわゆるこういうJETプログラムの経験者ですとか、若しくは英語が堪能な地域人材などを教員として活用していくという、そのための特別免許制度など、若しくは非常勤講師制度の活用を推進してほしいというのは、非常に産業界からも結構強い要望がありますので、是非必要な予算措置なども確保しつつ、推進していただければいいと思います。

○4ページの高校のところの目標の文言とか、二重丸と1、2、3との違いとか、一般教員がぱっと読んだときに読み込めればあれですけれども、分かるか、その違いと意図するところがきちっと伝わるかなというところにちょっと不安があります。ですので、どうしたらいいという文言はあれですけれども、もう少し平易なものが書けないかなという感じがします。

○1ページのところの現在の課題にありますけれども、課題の1番の下から2つ目のところの課題ですか。「話すこと」及び「書くこと」など言語活動が十分に行われていないことや、習得した知識や経験を生かしうんぬんとありますが、現場ではやはり知識やそういった文法的なことを習得して、それを活用すると。それを分けて考えるところがあるんですね。だから、それでいいと思っている教員がまだまだ存在すると。となると、最終的にはコミュニケーションという文言が、先ほど目標にも書いてありますけど、それはいろんなこういった知識等を習得しつつ、そのコミュニケーション活動を通してスパイラル的に力を、4技能を付けていくというところがもうちょっと明確でないと、まだまだ知識等を習得する部分とコミュニケーション活動部分とを分けて考える懸念があるんじゃないかなと考えております。ですので、その辺が最終的には統合的な形でできるように分かりやすく書いていただければと思います。

○9ページのところで、いわゆる時間数の話が先ほど渡部委員の方から出ておりましたけれども、前回もちょうど最後のときにちょっと話もさせていただいたのですが、今、70時間をとるということは決まっているんだけれども、コマ数とモジュールをどう扱うかということについては、おおむね何にも具体化されていない。実際教材を作るなり、教科書を作るなりしていくときに、当然ある程度のコマ数が必要となってくる。要するに、35時間のコマと35時間のモジュールで私は成り立たないと思っています。少なくとも50時間から60時間ぐらいのコマ数が必要になって、それに対応したモジュールが必要だと私は思っています。たたき台にはそこまで具体的に書いてないですけれども、そういう観点から考えると、おおよそこうだろうみたいなものがないと、現場は非常に混乱を起こすし、困るということになりはしないかなという心配をしています。

○特別支援に関わってですけれども、13ページのところですけれども、特別支援教育の充実ということから、外国語活動の例、あるいは外国語科等々書いてございますけど、内容はまだ書いてないということなのですが、いわゆる各学級に特別支援を必要とするという診断を受けている子供が様々な障害の子がおります、クラスの中に。もう数名いるというのが現実で、6%というのはかつて言われていましたけれども、私としては、それ以上にいるかなと思っています。そんな中、特に音を中心として活動する外国語活動、及び、また小学校の高学年でも基本的には音声が中心となりますから、手だてがないと、子供たちは混乱を起してしまうと思います。

○私どもが今やっているのは、単元の流れをきちっと見通しを持ったものを黒板の左側に張るということ。それから、本日の流れ、今日はこういう流れをして、今日のめあてを達成するよという、本日の、いわゆるプラン、それを子供たちに最初に明示するということ。そして、今日のめあてはこれだというような可視化することがすごく大事なんではないかな。それがないと、結局障害のある子供たちは、その学習を十分に目標到達しないまま時間が終わるのではないかという心配をしています。特に自閉症スペクトラムという診断を受けている子供たちも非常に多いです。その子供にとって可視化、目に見える形で授業をこうやってやるよということが非常に必要なことではないかな。もちろんICTの、今出ていましたけれども、そういう活用も含めて、音声中心なんだけれども、その音声の何かジェスチャーであるとか、そういうものを含めて可視化できるようなことが必要なんではないかと思います。

○小学校の高学年から中学校、高校は当然ですけども、文字が入ってくるとなると、今度は文字を見ても認識できないお子さんがいる。もう一つは、文字は見て認識はできるんだけども、それを書き写せないお子さんがいる。そこまでなってきたときに、どこまで細かくこのレベルで書き込んでいくのかというのは、必要かと思いますが、今、これ、まだ話し合いの段階、まだスタート段階なので、音声のことしか書いてないんですけれども、必ず文字のことについては触れなければならないだろうと思います。これ、他教科との関連もあると思いますので、他教科とも連携をとってもらって書き込んでいく。ただ、英語の場合には、文字を使っても日本語とは違う文字を使いますので、そこの部分はやっぱり明示する必要はあろうかなと思います。

○特別支援教育について、高校でもそういった文字障害みたいなのはありますけれども、もともとその障害という形ではなくて、コミュニケーションをとること自体が苦手な生徒で、今現在、ペアワークをやったりとか、グループワークをやること自体がもう苦手だと、または拒否する生徒もいるわけですよね。ですから、これは指導方法の問題になるかもしれませんけれども、やはりその辺の生徒の個々の特性を配慮した形での指導方法というところは何か書き込んでいただければいいかなと思っています。

○知識がだめだから、活動させましょうというメッセージになると、どうなるかというと、頭を使わないで、ただ何かトレーニングやっている授業になってしまっているというのが私の印象なんです、高校の。そうでなく、知識の質というのも非常に問題だと思っているんです。先生方御自身がコミュニケーションしながら、あ、この文法ってこういうことなんだねというのは、知識であっても、質の高い知識であって、そういうものが高校で行われれば少しいい。ただ、それを前面に出すとやっぱり知識かというふうにとられていけない。そういうところも気を付けながら、何かいい解決策がないかなと思っています。

○今、様々な子が現場にいて、いわゆる識字などの課題を抱えている子供たちも随分多いなと感じておりますが、13ページのところで、指導が、一層充実させるよう工夫を講じると。この工夫を講じるという内容について、教員の指導上の工夫も当然必要なんですが、ある意味、それだけではなかなか難しい部分もあるのではないかなと。いわゆるそういった、例えば拡大教科書などは実際あるんですけれども、そういったものの教材等の整備等も現実的に考えていかないといけないんじゃないかなと。例えばゴシック体の方が分かりやすい子供であったりとか、行間が広くないと読めない子、あるいは同じような色でないと目がちらついて読めない子、あるいはルビが必要な子供、いろんな子供がいるわけですが、もうある程度そういった典型的な子供たちの特性というのはもう分かっているわけですから、それに合わせた教材というのは、やはり中心の方から作っていかなきゃいけないんじゃないかなと。僕は、もうこれは現場で対応するというレベルではないんじゃないかなという気がしております。

○全体通してですけど、前回、今の学習指導要領改訂のときもそうだったんですけれども、私、この3月まで行政におったんですが、本当行政の責任って非常に自分自身感じておりまして、結局こういう内容が現場に伝わらないというのが一番なんですよね。で、例えば最後のところに、17ページですが、必要な条件整備等のところに、今後、例えば地域・学校等における指導体制を整備していく上で、地方自治体等についてのことについても書かれているんですけれども、もうこれ、期待されるとか、ぬるい表現ではなくって、もうしなさいと。実は、私、指導主事をしていたときも、もうやりたくて仕方がなかったんですけれども、現実、指導主事、単独の指導主事だけでは動けないという行政の仕組みもあったりして、やはりやらなきゃいけないんだというところが前面的に出て、非常に人に責任を負わせるようでいけないんですが、もっとやらなきゃいけないというところが前面に出てくると、全国の行政、指導主事ももっと動けるんじゃないかなと。要は、今度の学習指導要領の改訂が一番の勝負じゃないかなというふうに感じておりまして、そこが確実に現場に伝わる方法を考えていくのがこの条件整備の大切なポイントじゃないかなというふうに感じております。

○この文言全体のとりまとめの案というのは、かなり今、議論されたような内容で大分直せばよくなってくると思います。ただ、今まで議論していることのポイントの変更の目玉になるものというのは何なんだろうって、そういうことをちょっと考えたときに、やはり小学校に教科としておりる、そして、そこを小・中・高とつなぐのをできるだけCAN-DOのような指標形式の目標で明示的に示す。そして、そのつなぎをうまくやるというようなところとか、あと、いろんな入試のことが変わっていくみたいな部分ですね。そういうところの目玉の部分を、じゃあ、どうやるのかということの、HOWの部分というか、どうやってやるんだという部分があんまりこのまとめの部分だと分からないので、そこの部分が次の議論のときに、先ほど本多先生が作ってくださったような、こういうものを基に示し方とメッセージをどう伝えるかというか、その部分をよく議論する必要があると思うんですね。

○目標の知識・技能のところですけれども、言語能力の向上に関する特別チームの議論の状況について、資料5の4ページ目に、国語と英語の観点、外国語科の観点から、知識・技能、思考力・判断力・表現力、そして、学びに向かう力、人間性等で整理をしたと。これは国語に特有の表現であったり、英語に特有の状況があるので、全くそのままというわけではないと思うんですが、ここで知識・技能のところでは、例えば言葉の特徴やきまりに関する理解と使い分け、これが理解の方がある種知識でいうとすると、使い分けるというところが知識・技能の技能に当たるのかなと思うわけですけれども、先ほどの思考力・判断力・表現力のところでの言語使用との切り分けの際に、こういうところとの整合性もとっておくといいのかなと思いました。

○11ページに高等学校の「外国語」の科目等の見直しというのがあるんですが、2丸目からすぐ英語になってしまうんですね。で、日本には、外国籍の方もいらっしゃるし、そういったことを含めて、この中に少しそういった英語以外の外国語をどういうふうに考えていくかというところも書き込んでおく必要が、必要ではないか。


13.その他
○ 昨年度まで、教育委員会の立場で文部科学省から受けたことを一生懸命発信をしていたが、十分伝わっていないと感じる。伝わっていないのは、個人的には、やはり指導主事の責任だと感じている。何を目指しているかを的確に伝えていかないと、先生方は本当に一生懸命であるが、向く方向が違っているという状況があるのではないかと感じている。
【別紙】
外国語等における小・中・高等学校を通じた国の指標形式の目標(イメージ)たたき台に対する御意見
課題1: 高等学校の必修修了段階で(すべての高校生が)A2レベルに到達することを目指すには小・中・高各段階で何が重要か?
・小学校では「カタカナ英語」ではなく「英語らしい発音」を聞き取ることに慣れさせたいので、指標 (p.7) の中に、「自然な英語の音声を聞き」などのインプットの質に関わる表現は入れられないだろうか。[※さらに、これは国語科の課題ですが、ローマ字について、英語の単語 (apple) をローマ字 (appuru)で書かせるなどの指導を避けるようにできないものか。]
中学校では、機械的な暗記ではなく「自分の言葉として」英語を話すことが大事なのですが、それが、p.9のA2 にあるように「即興で」に当たるのかどうかが難しいところです。ここで言う即興とは、繰り返し練習することにより、必要な場面に遭遇した際、「メモなどに頼らずに」話すことができるということで、「(これまで話したことのない内容を)その場で何とか即興で話す」ということではないのではないでしょうか。また、どちらかと言えば、発表は準備をして、やりとりは即興で、ということではないかと思いました。
・高校では、読む際に書き手の「意図」を理解すること、書く際に「読み手」を想定することが大事なので、p.10の、B2にある、「筆者の姿勢や視点を理解する」に当たる点を A2やB1にも、「概要・要点・書かれた目的を理解できるようにする」(表現は要工夫)などと入れてよいのではないでしょう。高校の訳読式の大きな問題は、「結局何が言いたいのか」を理解させずに終わってしまうことにあると思うので。
・高校の「話すこと(発表)」について (p.9)、 「簡単に話す」ということと趣旨は同じなのですが、「相手にわかりやすい表現を用いて」などとしてはどうでしょうか。
・高校の「書くこと」について (p.11)、「はがきや手紙」とあるが、「eメールや手紙」などの方が現実的ではないでしょうか。

課題2: 小・中・高を通じた指標形式の目標全般の見せ方についてはこれでよいか?
・技能ごとの一覧 (p.7~11)は、CEFR のレベルが先に来て、A1 = 小学校高学年・外国語+中学校  という表記になっていますが、一般教員の目からすると、学校種・学年が先に来る方がわかりやすいのではないでしょうか。何か意図があるのでしょうか?
・具体的な教材に落とし込まれて初めて実効性を持つという観点から言うと、p.7~11の「授業における主な言語活動」の欄に、より具体的なトピック(挨拶、電話でのやりとり、クラブ活動...)など、生徒のニーズと社会的必要の接点となる「是非必要なトピック」、あるいは別の視点で「是非必要なテキストタイプ」などを入れた方が、イメージがつかみやすいのではないでしょうか。(それは学習指導要領策定チームの仕事?)
・技能ごとの一覧 (p.7~11)に一貫して流れる骨格として、言語活動(タスク)を想定しているのか、それとも、今後議論になるであろう、語彙・文法構造のリストが想定されるのか、そこが明確にならないと、既存の文法体系をそのまま使った教科書ができてしまう危険性があるかと思います。語彙・文法項目を考える際、特に「話す」「書く」に関しては、よく使える基本語彙を「発表語彙」として提示する必要もあるのではないでしょうか。語彙・文法に関して、現在はコミュニケーョン英語Iですべてを扱うこととなっていますが、全ての項目について発表に使えるまでに習熟させる必要はなく、そのあたりを明確に伝える必要もあるのではないでしょうか。

○ 小学校の発音と綴りの関係について、読むことの中学年に「アルファベットの文字を識別し、発音することができるようにする。」とある。論点整理に「高学年から発達段階に応じて4技能を総合的・系統的に扱う教科学習を行うことが求められ、その際、1 アルファベットの文字や単語などの認識、2 国語と英語の音声の違いやそれぞれの特徴への気づき、3 語順の違いなど文構造への気づき等を促す指導を行うために必要な時間を確保することが必要」とあることを踏まえたものと考えるが、そこで取り入れられると考えるフォニックス学習は、英語学習には大切だと思う。しかし、英語が教科化したから小学校5・6年にすぐにフォニックスというのは、負担が大きいと感じる。母語においても、小学校入学までに日常で身近なことばやきちんとした会話でなくてもしゃべることができるようになってから国語の学習をする。このことから考えると、日常的にも聞き慣れない英語の発音と綴りの間に規則性を明らかにし、正しい読み方を学習することはレベルが高いと感じる。

○ 中学年における指標形式の目標について、中学年の外国語は活動であり、教科ではないので評価はそぐわないが、目的を明確にするためならあり得る。高学年又は、中・高の外国語のどこにつながっていることなのかをはっきりさせるため、系統性を明らかにすることは大切である。使用方法としては、その目標に基づいて学習評価を教師が「できる」「できない」で評価するのではなく、児童の振り返りに活用するなど活用方法の考慮が必要である。

○ 小・中・高を通じた指標形式の目標について、想定される学校種が、A1なら小学校高学年+中学校とまたいでいるので、主な目標がどこがどのこまでか明確でない。有識者会議でも示されたように、早期の段階から高度の水準を求めることがないよう計画し、学習意欲を維持・向上させるような配慮が必要。例えば、書くことのA1で主な言語活動の・三つ目は、小学校では難しいと感じる。つまり、どれを小学校でし、中学校ではどれを選ぶかを各校で考えるなら、選ぶ学校と選ばない学校では指導内容が変わってくると感じる。

○ 指標形式の小学校中学年の目標についてズレがある。「書き写す」にしても、目に触れて、読んだことのあるものにすべき。中学年読むこと「単語を見て意味を理解する。」となっているが、書くこと「簡単な文を書き写す」となり、単語しか読んでないのに、文を書くことができるのか。十分に慣れ親しんだものを書くに移行すべきである。


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(初等中等教育局国際教育課外国語教育推進室)

-- 登録:平成28年09月 --