外国語ワーキンググループ(第1・2回)における主な意見

1.小・中・高等学校を通じて一貫して育成すべき外国語教育における資質・能力について
(1)育成すべき資質・能力の可視化
○次期学習指導要領改訂の方向性を見据えると,路線は今と大きくは変わってないと思う。育成すべき資質・能力の三つの柱についても,現行のものを更に高度化していく,発信能力を少し高めていくという方向性を求めていくということであって,今の路線をしっかり定着することに力を入れていただきたい。

○発信に関して,伝え合う,あるいは表現をするということだけではなく,考えながら読んだり,考えながら聞いたりすることも非常に大事な要素。4技能総合的にといった場合には,表現を支えるものとして理解の力もしっかり付けていくことができるとよい。

○小学校では相手意識,他者の尊重といったことは資質・能力を高めるということで,非常に大事な視点ではないかと考えている。国語教育の中でも,言葉で大事にしましょうね,お互いを大切にしましょうねと言っているが,その具体化がなかなか難しく言葉だけに終わっていた部分もある。一方,特に外国語活動では,言葉ができない分,あえて身振り手振り,あるいは笑顔や,お互いの目を見合うとかいうことがあるのではないかと考えている。

○10年,20年後のグローバルビジネスの展望を踏まえ,現在の新入社員の最も弱いところ,不足を感じるところはどこかという議論をした場合,すぐに正解を求める,また最初からやり方を聞きたがるということで,自分で試行錯誤をして自分なりの回答を見いだそうとする姿勢が足りないこと,自分の考えや思いの発信力が弱いこと,リベラルアーツが弱いこと,の3点が大抵挙げられる。これらについても,小・中学校から継続的に育成していかなければ,会社に入っていきなりそのような態度が身に付くということはないと思うので,是非重視してやっていただきたい。


(2)「アクティブ・ラーニング」の視点に立った学びの推進の視点を踏まえた英語を通じた教育の充実
○言語習得の観点で言うと,言葉を学ぶためには,たくさんのエクスポージャー,インプット,つまり触れることと,実際に言葉を使っていくことが大事。アクティブ・ラーニング,と教科の特性としての英語の学び方をつなげられるようなことが考えられるとよいのではないか。

 
2.小・中・高等学校を通じて一貫した教育目標(指標形式の目標を含む)・指導内容,学習過程等の在り方
○外国語の目標に関して,外国語の場合,学年指定がなく,学年ごとの到達度,あるいは指導目標が見えにくいが,実際は学ぶことと実際にできるようになることにずれがある領域もある。例えば国語の小学校の漢字の例では,1年生で扱った漢字を,2学年にわたって確実に定着するように指導することなどが求められている。このような少し長い目で見た指導と到達目標が入ってくるとよい。

○これまで,言語活動を充実させるということで,英語を使った活動はたくさん行ってきたと思うが,実際に英語を使うということに主が置かれてしまい,思考・判断・表現といった部分がなかなか見えづらくなっている。あるいはそういう活動を通してどのような英語の力を付けたいのかということがなかなか見えづらく,短期的に単元構成をしているような現状がある。そのような意味では,CAN-DO形式の学習到達目標をしっかり据えることで各指導の位置付けの明確化を一層進め,英語の理解の能力,それから表現の能力の裏側にある思考・判断・表現の力を英語の教科の中でも何らかの形で重視できるような形になるとよいのではないか。

○これまでの研究開発の実践の成果・効果にあるように,小・中・高の学びをつなぐという意味では,ばらばらに各学校が目標を設定しているものから,地域内のつながりで連携したCAN-DO形式の目標の共有が非常に重要であると考える。CAN-DO形式の目標を学習指導要領の中に入れるとすれば,それが大きなバックボーンになる。それを踏まえ,実際に教科書レベルに落として実行しようとすると,細かいCAN-DO形式の目標が必要になるが,各自治体や,地域でどのように共有されるかが非常に重要。小学校の内容を受け渡していく中学で全く違うタイプのCAN-DO形式の目標を持っているのは現実的ではないので,地域単位でたくさん作るなどの取組を進めていくことが必要ではないか。

○CAN-DO形式の目標で小・中・高をつなぐことは非常にいいアイデアだが,ヨーロッパでやっているように,CAN-DO形式の目標がまずできた後は,そのCAN-DO形式の目標を実現するための語彙や表現,それから文法事項などの記述が必要になる。これを余り適当にやっていると,CAN-DO形式の目標はスローガンのようになってしまい,それぞれの持っているイメージはかなりばらばらのまま教材ができることがある。

○同じCAN-DO形式の目標の文言でも,レベルが違うと内容の言語表現が変わってくるので,そのような言語表現はCAN-DO形式の目標設定の実践例のように,ここまでやったということが何かの形でCAN-DOの中身の肉付けをしてできるだけ共有することが重要。また,教科書では統一して作成されていないので,かなり内容にばらつきがある可能性があることを前提として,今後,児童生徒の根幹となる力を付けるには,このようなCAN-DO形式の目標との語彙,表現がセットになって示されて,何らかの形で一緒に共有できるような作り方にすべきではないか。

○大学を卒業した時点,若しくは専門学校等を卒業した時点で,いわゆる産業界が期待しているような英語でビジネスができるレベルに達するには,英語力に関して大学までにどこまでのレベルに達するのか,高校卒業段階ではどこまでのレベルに達する必要があるのかといったイメージで逆算し,各教育段階での育成すべき,達成すべき素質・能力ということを検討すればよいのではないか。

○県では,中学校においては2年ほど前に,県でCAN-DOリストの作成の手引を作成した。教科書の単元からCAN-DOリストをボトムアップで作っていく方法をとり,各単元の目標を技能ごとに一つ絞り,一つの目標を設定する。それぞれの目標を蓄積することで,読むことについてはどんな力が付くか,書くことについてはどんな力が付くかという考え方で,教科書からCAN-DOステートメントを作っていくという考え方で作成している。

○CAN-DOステートメントを作成する中では,出来上がったものの整合性,妥当性などを検証していかなければ,非常にばらつきのあるものになってしまうということを感じる。

○世界的に見るとA2レベルぐらいまでで身の回りことは,ほぼ言えるようになる。調査している範囲では,語彙数では2,000語ぐらいになる。高校卒業時の到達レベルについては,実際に身に付くレベルとしては,A2レベルぐらいが十分できれば相当成功している教育レベルだと言える。さらに,上位の3割ぐらいはB1,B2というレベルまでのパフォーマンスとして到達できるぐらいになれば,かなり良い方向だと考える。
一方で,シラバスとして小学校までにすると,言語材料の内容はもう少し高度なものを入れていくことになるが,あまり上のものを入れ過ぎてしまうと,ついていけない子供たちの層がたくさん増える可能性があることに留意が必要ではないか。

○CEFRのA1,A2,B1,B2,それぞれ幅がかなりある。CEFRの方に合わせていく枠組みと,小学校の3・4年,5・6年,中学校,高校は一つのまとまりで案が提示されている。この枠組みについて非常によく分かるが,どのように目標をくくって示すのか。例えば中学,高校も大きく二つに分けて枠組みを作ることはあるのか。特に高校に関しては非常に幅が広いので,その枠組みに関して最終的にどのように示していくのか検討が必要ではないか。

○大枠のCEFRは言語材料などとセットで段階付けがあるので,もう一つの考え方として,県の取組例のように,例えばテーマ,内容などで,日本の高校の卒業生は英語を学ぶことによって,このようなことができるようになるというようになれば,同じ自己紹介や地域紹介でも,その学校の生徒のレベル,知識に応じたことができる。それがCAN-DOのスピリットであると理解しているので,そのような切り口も議論することが重要であると考える。どの学校の生徒でも,自分なりにこれができるということが本来のCAN-DOの動機付けの道具としての役割であると考える。
一方で,具体的な指導という点では,語彙とか構文とか表現等きちんとヒモ付けされていないと指導ができにくいというのもあるが,高等学校の多様性を踏まえると,全員がこれができる,しかしながら,言語材料については差があっていい,というようなことを共通理解した方が良いと考える。
なお,高等学校の先生方の研修を担当している立場からは,高等学校は,もともとの英語に関する知識の量が入学時でかなり違うので,例えばCEFRレベルでラベル付けが貼られると,この学校はAレベルで,この学校はBでと評価されることに対して懸念している。

○大きくB1とざっくり言い過ぎてしまうと,大ざっぱなくくりでラベルを貼るような感じになってしまうのは好ましくない。CEFRで5技能あって,5技能で一人のユーザーの人がいろいろなレベルをばらばらに持っているということがある。自分は読み書きできるけど話せないなど,でこぼこがあることを,小・中・高で受け渡すCAN-DO形式の目標で,どのようなことが自己評価としてできているかなど,きめ細かい部分もCAN-DO形式の目標を通じた受渡しが必要。そのようなことを通じて,でできている部分を評価し,できない部分の底上げをするようなカリキュラムを各レベルで作ることが必要ではないか。

○小・中・高を接続させることが大切であることから,各校種において学年別といった短いスパンで考えるのではなく,校種の枠を外しCEFRのような枠組みで作成する方が良いのではないか。また,校種間の連続性の明確化や校種間連携を一層進めていくためにも,学習指導要領も小・中・高一体的なものあるいは連続性を強く意識したものにしていくことも考えられるのではないか。

○これまでのCAN-DOを作るときは,例えば中学校の場合,学年別に作成してきたが,このような学年での枠組みは非常に難しいと感じている。むしろ,CEFRの枠組みを活用していく方が良いのではないか。例えば,小学校5・6年生では県の取組として複式学級として一体的に取り組んでおり,5年生,6年生を分けるとしたら,何を根拠にここを分けていくのか。県でも幾つか構成要素を考えて,それを系統的に並べていくが,系統的に並べたとしても,果たしてそこにどれだけの妥当性があるのか。例えば学校で作られたCAN-DOリストを見ると,1年生の段階では3文程度,2年生は5文程度という言い方をよくされるが,果たしてこの3文というのが本当に英語の力を示す基準になるのか。同じ自己紹介でも,3文でできるものもあれば,3文で十分にできる内容の濃い文章もあるかもしれないと考えると,分量はどうか。そのようなことを考えると,これまでは1,2,3年生で行っていたが言葉遊び的な感じになってしまうのであれば,もう少し大きな枠で捉えた方が良いと考える。例えば中学校の先生は,中学校1年生でこれを100%,中2でこれだけ100%,中3でこれだけ100%やるんだという形で達成しようという考えよりも,むしろ中学校3年間で100%のものがあって,中1段階でそれが30%は達成していくというような考え方の方が良いのではないか。

○「CAN-DOリスト」の形での学習到達目標の作成において,小・中・高のつながりを考えながら適切な能力記述文を設定することは,現場の先生方にとって決して簡単なことではない。中学校の場合,英語の教員が一人という学校も少なくなく,作成方法や完成した目標,その活用方法等に学校間の差が出ることが考えられるため,国がその大枠を示す方が好ましいと考える。また,根拠のない能力記述文や,妥当性に疑問のある能力記述文になる恐れもある。教員にとって大切なのは,勢力を注いで学習到達目標の能力記述文を作ることではなく,到達目標をどう具体の指導に落としていくかを考えることであると思う。その方法を示すことも大切である。

○教員にとって最も重要なことは授業を改善することであり,そのためには,それぞれの単元の目標が各技能のどの到達目標につながっているかを理解した上で,バランスの良い指導計画を立てることが大切だと思う。ふだんの授業は知識・理解中心で,研究授業をすれば「話すこと」ばかりが扱われている現状を考えると,3年間を通して4技能を偏ることなく指導することは容易ではない。また「正確さ」と「適切さ」についても目標があいまいであったり,意識されていなかったりすることが多い。これらのことを改善するには,大きな枠で作られた到達目標を,どのような単元,題材を通し,どのような指導に具体化するかがポイントとなる。しかし,これらは教科書の内容や構成に左右される面が大きく,教科書の抜本的な改革なしでは実現は難しいと感じる。

○小学校高学年における「書くこと」や「読むこと」については,「アルファベットの文字や単語などの認識」あるいは「読むこと,書くことに慣れ親しみ,積極的に英語を読もうとしたり書こうとしたりする態度の育成を含めた初歩的な運用能力を養う」といった,論点整理やこれまでの資料の文言と乖離(かいり)した指導が生じないような到達目標とするよう配慮が必要ではないか。「書くこと」の指導が「アルファベットを書くことができる」ということに強くフォーカスされると,ペンマンシップのような練習が中心となり,「相手のために書く」「相手に伝えるために書く」(正確には書写する)といった,書こうとする態度を育成するための相手意識のある書く活動が軽視される懸念もある。


3.言語能力を向上させるための国語教育との連携について
(1)目標・指導内容等全体に関して
○国語との連携について,例えば,「書くこと」で,考えを根拠とともに示すという文章構成としたとき,伸びる力は英語の力なのか,それとも一般的な論理力なのか,国語で指導すべきなのか,このような観点からの連携が上手にできていくと,国語で培った力を使いながら,英語にも生かしていけるのではないか。そのような言語能力の向上を図る連携の仕方を期待したい。

○23年度以降,全国的に全ての小学校で外国語活動がスタートしてから,コミュニケーションの中身そのものが随分深まりのあるものになってきたと考えている。単元のゴールを示し,そのゴールに向かって,子供たちが表現形式を学び,あるいは単語を学ぶということをしているが,これは国語教育と大きな関係があると思っている。
今は,国語科でもゴールを設定して,そのゴールに到達するために教材を読むというふうに大きく変わっている。小学校の教員は,もちろん国語の指導もしているわけなので,このことと相まって,外国語活動を本格的にスタートしたことがうまく合わさって大きな成果を上げてきたのではないか。

(2)言語の仕組み(音声,文字,語句,文構造,表記の仕方等)
○言語の仕組みという観点では,例えば英語の特性として,日本語とは違う音の仕組みであるため,小学校の多くでは,まず英語の音素認識を一生懸命やろうというところから書く活動に入っていく。もし国語の中でローマ字を扱うときに,ただ単にローマ字表記を学ぶということではなく,音の仕組みを学ぶということで指導していただけると,子供たちは,子音と母音のつながりの認識を持てるので,次のステップに進みやすいと思われる。ほかにも,学習者の学びやすさという点から,国語と英語で指導の連携のようなことができるのではないか。

○小学校の外国語活動では,国語との比較や連携ということもあるが,日本語と英語の違いによく気が付き,力が付いていると感じる。教師の視点の与え方にもよると思うが,複数形などの文法についてもよく気が付いている。また,友達のよさという点にも気が付いていると思う。そのため,この流れは非常に大事にしながら次期学習指導要領改訂の検討を行う必要があるのではないか。

(3)言語活動等
○言語活動については,小学校ではかなり意識して,国語だけではなく全教科通じて言語活動をしっかり位置付けるように取り組んでいると認識している

○国語の言語活動では,ディスカッションやディベートを行っていたりするので,活動として国語と重なっている部分が結構ある。国語の方は母語であるため,言いたいことをいかに聴衆,聞き手に分かりやすく話すかというのが鍵になると思うが,英語の方は,言いたいことが必ずしも言えることとは限らないため,言えることを相手に分かりやすくどのように言うのかが大変重要。その「言いたいこと」の幅を広げていくことが大切。

○例えばスピーチで,英語でスピーチをさせるときに,日本語から英語に直すということがよくあるが,確かに日本語で書くと,言いたいことはそのときの日本語の作文では言えるものの,英語にするときに結局,和文英訳という非常に難しい作業になってしまうため,なかなかできない。初めから英語で考えて,言えることを言っていくという指導が大事なのではないか。


4.小学校の活動型・教科型
○外国語活動から教科の英語となったときに,やはり中学校と同じようにそれなりの知識・理解も求められてくるため,どのような指導ができるのかということは,今後しっかり考えていかなければならない。また,教科になったときには,学力調査が出てくると思うが,その際,順位を気にするなど,学力を高めるための施策が他教科と同様に出てくることにより,今のような外国語活動で楽しんでいる部分が消えてしまわないかが心配。

○中学校でやっていることを小学校におろせば,それで英語教育が発展するのかというのではなく,やはり発達段階があるので,それに応じたカリキュラムを設定していくことが重要。

○小学校の実態としては,読むために文字を見ているのではなく,話すための手掛かりとして文字を見ている。そのため,とにかく早くに書かせればいいということではないので,慎重に扱うことが期待される。

○小学校の外国語活動の目標は,教師の捉え方によって,様々な捉え方が出ているという実態がある。つまり,目標を立てるときの基準が教師によってあいまいになっており,指導にもそれが反映され,評価にも影響が出ている。本当に態度として身に付いているのかということと,やっただけで終わるという授業では大きな差が出ている。

○小学校の今の外国語活動は,単元のゴールを決めて行う活動がほとんどであり,単元で完結しているという実態がある。前の活動,前の言語材料を積み上げていくようなスパイラルでの学習ができていないため,今後,学習内容,指導内容の検討が必要。

○英語では,2人でのやり取り等を行う中で,自分の思いや自分の伝えたいことを相手に伝える,相手の伝えたいことを聞き取ろうとする。一方で,言葉が十分ではないため,何とかそれを言葉だけでなくジェスチャーなどで伝えようとする。これにより,相手の目を見るとか,笑顔で話をしようといった相手意識を育てることができてきたと考えている。

○英語科になった5,6年については,その2年を踏まえ,アイコンタクト,ジェスチャーだけはなく,言葉でどう相手を認めるかといった,そういう内容も入ってくるのかなと考えている。先生は,褒め言葉で,「グッドジョブ」などといった表現を使って子供を褒めている。子供同士でそれを使っている姿は今ないが,そういうことが大事になってくるのではないか。

○学校現場の立場としては,小学校での外国語活動を経験してきた子たちが高校へ入ってきている時代になっているということで,客観的な数字ではないが,やはり授業は変化しているし,教員の方もそういうふうに改善をしていこうという大きな動きがある。行政も,現行の学習指導要領にのっとって大きく授業を変えようといううねりがある。ただ,結果がすぐに出るかというとなかなか難しく,この状況においては,やはりしばらく見守っていただいて,その成果を待っていただきたい。

○授業の中で心と体と頭を使うバランスをどのように考えていくかが重要。小学校から英語教育を開始する場合の大きな問題の一つとして,英語嫌いが早く出てしまうこともあるのではないかということが言われている。その理由の一つには,小学校の早期の頃から,英語が「勉強」となり,頭ばかり使ってしまって,心と体が使われていないことに起因するのではないかと考えている。また,頭を使って意識的に学ぶというところは恐らく個人差が出やすいところ。小学校において,個人差が出やすいところばかりで勝負させてしまうと,英語嫌いが出てくるのではないか。

○外国語活動導入により,小学校には劇的な変化があった。小学校の現場では,教員は,英語ができなくても子供たちのために何とかしなくてはいけないということで,本気で取り組んでいる。そのため,今はどこの学校でも,ただ楽しくて遊んでいるというような実態ではなく,やはりコミュニケーション能力を身に付けよう,そのような態度を養おうとする授業が行われていると思う。

○意欲だけではなく,言語の使用場面を確実に設定して,コミュニケーションの取り方の具体的な活動を通して行っていることによって,聞いたり話したりする態度の育成につながっていると感じる。

○このワーキンググループを通して,小学校の児童にとって大きな学びはあるけれども,決して無理のない英語教育を検討していくことが非常に大事なことではないか。

○学習指導要領では教育の機会均等を保障するものであり,小学校1,2年生から既に英語を始めていることについて,どのように考えるのか。例えば,小学校1年生で他の英語を実施していない地域へ転校した子供たちが,それまでの授業とは全く違う授業を受けたときに,国民全体としての教育の機会均等は保障されないのではないか。今後,小学校3・4年生の外国語活動,5年・6年の教科がどうあるべきかについてきちんと議論をすることが必要である。大人になって英語が話せるか話せないかだけの話ではなく,公教育としての英語教育がどのような位置付けになっていくかということを是非考える必要がある。

(短時間学習について)
○小学校高学年の時間設定については,時間をどう確保するかという議論で短時間モジュールのみを語るのではなく,何が短時間モジュールに適しているかという点をおさえたい。また,小学校高学年で「定着」という言葉をどのように考えるべきか。「定着」という言葉には「覚えさせる」というイメージがあり,短時間学習について話す場合,先生方の誤解を招くことはないか,「身につけさせる」といった言葉の方がよいのではないか。

○短時間モジュールの時間が,スキルを身につけさせるための無機質な活動の時間になることは避けたい。単元の学習と関連させ,授業の一部を短時間モジュールに取り出すという考え方が望ましいのではないか。一方で,短時間モジュールでは,その時間に集中して,テンポ良く,効率的に繰り返し学習することを通じて効果が得られるという点がメリットであり,かつ,準備に過度な負担がかからないようにするための方法等について十分検討する必要がある。

○短時間学習といった話も論点整理に示されているが,算数,国語の学力を高めたりする短時間学習や読書活動など,現在既に短時間学習に取り組んでいる学校は多いため,学校現場は心配している。

○年間70単位時間を短時間モジュールも含めて対応することについて,短時間学習は,いわゆる本単元の補助という扱いにすべきなのではないか。そこがメインになって,例えば毎日進んでいくということではない。研究開発の取組の中でもあったように,本単元の内容を子供たちが1時間しっかり英語を聞いても,その次の時間までに忘れてしまいますので,それをやっぱり繰り返し覚える,そういう学習があって次の時間につながっていくというような短時間学習が基本的には補助としての時間であるべきと考える。

○論点整理の中に5・6年の年間35時間増となる時数を確保するために短時間学習を含めた検討が必要であるとの指摘について,小学校の短時間学習(モジュール)の在り方について,小学校現場にいる者とそうでない者とでは,理解に違いがある。このため,議論を円滑に進めるためには,短時間学習(モジュール)と45分授業との効果的なつながりの具体例が必要であると考える。現在,多くの学校が使用しているHi, friends! は非常に有効な教材であるので,英語教育強化地域拠点事業において実施されている取組のように,Hi, friends!等を基にした3年4年の外国語活動例及び5年6年の英語科指導例のイメージなどを基に検討が必要である。

○研究開発校では短時間学習については朝の時間に毎日実施しているとのことだったが,全国の学校実態は様々で,朝のモジュールの使い方も国語や算数の基礎学習に活用している学校が多く,英語だけに特化して行うことは困難な状況にあります。年間70こまにおける短時間学習の在り方を一律に求めるのでなく,45分の学習時間を時には60分扱いにして15分を短時間学習として位置づけることや,朝の短時間学習を週2~3回程度にするとか各校の実情に応じた幅のあるものとして捉え,そういった視点で議論できるような具体的な資料を提供して検討することが必要である。

○短時間学習について,短時間学習は,45分授業との関係性とバランスを明らかにすること,つまり,70時間としての教育課程の系統性と関連性を明確にすることが必要である。短時間学習だけでは,繰り返し学習やドリル学習になる。またコミュニケーション活動を行うには時間が十分ではない。したがって,45分授業とセットにすることが大切であると考える。

○短時間学習と45分授業の関係性を明らかにした70時間の年間計画について,小学校高学年外国語の70時間の年間計画のたたき台を基に議論すべき。45分授業と短時間学習の関係性を具体化したものがないため,イメージがもてないのではないか。現職の小学校教員が教科化に円滑に対応できるようにするためにも,現在の外国語活動で多く活用され,今までの取組の蓄積もある『Hi, friends!』の枠組みを基にした70時間(短時間を含めた)の年間計画のイメージを提示し議論を行うことが多くの関係者の理解を得ることになると考える。

○実際には,小学校で毎日その時間を英語に充てていくというのは物理的に非常に難しいのではないか。研究開発校などの指定を受けている学校は当然実践できるとは思うが,一般的な学校では国語,算数の計算,読書,漢字等の短時間学習が必要となるので,短時間モジュールは週2こまぐらいまでが妥当ではないか。

○現行では,本単元で必要な時間数が大体5年生でレッスン9まで,6年生で8まであり,それぞれ4時間ぐらいを計算しているので年間35単位時間という扱いをしている。年間70単位時間では,これから文字を読んだり書いたりということが入ると当然その時間ではできないので,恐らく時間内での短時間も含めて考えると,やはり一つのまとまった授業として単元で6時間ぐらいが必要ではないか。仮に9つの単元にすると,54時間,そこに短時間モジュールが大体10分,12分,15分などが平均値として結果が出ているので,繰り返しの時間としてはその程度が良いのではないか。そうすると,1週間の二つのモジュール,2週間で45分ぐらいのモジュールがあると,時間と時間とがつながっていくのではないかと考える。

○短時間モジュールについて,外国語の授業は45分の授業ですることが望ましいと考えるが,方向性として短時間学習を検討する場合,留意が必要。研究開発校の担当の先生の話では,その学校はドリル的な学習になってはいけないので,短時間学習を幾つか合わせて,例えば7時間などと合わせて一つの単元を作って実施した。その結果,その中にいろいろな活動を含めたため,最初は子供たちも,短い時間に非常に集中力があって活動に取り組んでいたが,何時間かしてくると,いろいろな活動を散りばめているということから,意欲の減退が見られたということだった。短時間だけで単元を構成するので児童にとってはしんどいものもあり,英語嫌いだというふうに答える児童が増えたということも聞きました。このような話を踏まえ,短時間学習と45分の授業の関係性をはっきりさせる。つまり,70時間としての教育課程の系統性とか関連性を明確にしていくことがとても重要ではないか。短時間学習だけで単元を組むとかということがあってはいけないということと,繰り返し学習だけに短時間を使うということでは良くないと考える。

○ICTの機器や必要なコンテンツ等の教具の準備を行い,朝読書とか繰り返しの計算ドリルの取組は行われてきたが,15分の英語の授業を今まで小学校の教員は教科として実施してきていない。短時間学習をどうしたら効果的にできるのか,その15分を教科としてどのように指導していくのか,必要な研修も行っていくという教育環境の整備と合わさって,この短時間学習を教科として扱うという方向生を打ち出すべきではないか。

○短時間学習は,中学校・高等学校の授業で見ても,帯学習,あるいは独立して,授業の本体の活動,先ほどのタスクのような活動とは別にコンスタントにやっていく活動自体は,そう珍しいことではないが,それを効果的に位置付ける必要はある。そのような観点からモジュールと言い方をすると,どうしても本体と切り離されて独立に行われていくような活動と捉えられるのではないかと考えており,今後,しっかりと練習活動ないしは短い時間でやることと,45分あるいは中心となる活動の関係をはっきりさせていくカリキュラムや,順番性,目的意識が明確に位置付けられる必要がある。

○英語教育強化地域拠点事業の取組の結果にもあるが,練習活動に入ってしまうと,結局機械的な活動に追われてしまう。そうすると,文脈のないところ,あるいは目的のないところで練習をすることも可能性としてはあり,何のために子供たちはそれを練習するのかがあいまいになってしまう。基本的・基礎的な知識・技能を何のために身に付けるかというと,言語使用をするためであるので,その目的意識をしっかり高めるような工夫が必要になる。その意味では,教科書や教材などの整備は必須条件であると考える。

○書く・話すだけではなく,研究開発校等の取組の結果等を見ると,聞くことの短時間学習,言語使用の短時間学習など,様々な可能性はあるので,そのような意味では4技能を含めて様々な側面の短時間学習,必ずしも書くだけの活動ではないというような位置付けを明確にできると良い。

○時間の確保については,何らかの形で15分がきちんと位置付けられる必要があると考える。小学校,中学校,高等学校では余り変わりないと思うが,1単位時間の中でフルに単位時間を学習に充てられるかというと,そうではなく,授業構成を見ると,ウォームアップから始まり,最後は振り返りで終わる,という展開がよく見られる。そのようなことを踏まえると,中身の時間自体は早々確保できるわけではないため,教育課程上,あるいはカリキュラム上,あるいは学校運営上,しっかり工夫をすること,指導体制の在り方をどのように考えるかなどの研修等も含めてバックアップが必要になる。

○短時間学習について気になるのは,学校の先生方がこれを聞いたときに,週2こまは大変だから,そのうち1こまを短時間学習で実施するという発想だけが色濃く出てしまうことは好ましくないと考える。論点整理に指摘があるように,これから小学校の英語教育として,文字の指導などを行うとともに,指導の効果を更に高めなければならないとの指摘があり,そこを大事にしていく必要がある。また,なぜ,年間授業時数70時間が必要なのかしっかり議論していく必要がある。その中で,短時間学習の良さを生かした活動として何ができるか。短時間学習は,まず反復,それから,集中して短時間で実施すること,非常に効率よくできるということ,テンポがあるなどの良さがあるが,これは算数の計算ドリルのように毎回同じような活動を,内容を変えて実施するということが原則だと考える。このような短時間学習に合った外国語教育の範疇(はんちゅう)は何かというところを考えていく必要がある。

○学校でしかできないことを行うべきではないか。例えば,単に知識の定着というふうに誤解されて,単語練習をさせる,文字の練習をペンマンシップだけに捉えられると。一つの単元の中でその中の活動を行うこと,最終的な単元のゴールの活動を充実させるために,短時間学習の中でも子供同士が関わる活動を入れていくということは分かると思うが,先生方が誤解をされないようにすべき。なお,県の英語教育強化拠点地域では,短時間モジュールより2時間にした方が良いという意見が多く,現在,5・6年生は週30時間設定している。数字上は週28時間としながら,実際どの小学校も週29時間ぐらいとなっており,更に週1こまを加えて週30時間実施。月曜日から金曜日まで全て6時間授業という形となっているが,この方が先生方はしっかり指導ができる,仮に短時間学習を切り離した場合,準備も計画も大変であるということを考えると,現状の取組を続けてきた方が良いという意見もあった。

○短時間学習の内容はをきちんとこれから考えていくと。その中で70時間というのはどういうふうに意味があるのかということを考える必要がある。あわせて,小学校の場合には学級担任の先生が英語を御指導される中で,何ができるか,英語が不得意な先生方も今たくさんいらっしゃるはずで,研修等だけでそれはクリアできる問題なのかを考えることが必要である。

○小学校「教科型」を意識した指摘があった今後の課題として,アルファベットや英単語を場面設定なしに,ただ単に繰り返し書く活動を行った場合,児童に意欲の低下が見られたということが気になる。短時間学習の実施状況調査では,使用する教材の8割が独自作成の教材となっており,このような状況の中で,短時間学習をスタートした場合,独自教材の中で,単に繰り返し活動を行わせてしまうものや,45分授業の1単位時間の中でも簡単な方へ流れてしまうというものが出てくるのではないか。小学校の教科化が図られた場合には,繰り返し学習をすればいい,それで時間を埋めればいいということではないということを強く打ち出すことが必要である。
また,各自治体でも共有してどのような内容にしていけばいいのかというのを主体的に考えていく雰囲気を形成していくことが必要。基本的には45分を週2回実施して,定着もしっかり図り,自分の思いや考えを少しでも言える時間をたくさん保障する方が児童にとっては良いと考える。

5.中学校,高等学校の改善の方向性
○英語を読むという受信については,教員にも指導に関するノウハウの蓄積があるが,発信の方はそうではない。ただ,教員は,生徒たちが発信することにより喜びや楽しみを感じているということは実感として分かってきている。今度の改訂では,そのような発信力を付けるにはどうしたらいいか教員への支援も含めて検討が必要である。

○書くことは非常に時間が掛かる。特に文を書かせるとなると,非常に誤りも多いため,長い目でどんどん習わせるという視点が必要だと感じている。

○話すことに関しては,現状としては即興性が中学校の授業の中で行われていると感じられない。自分の意見に対して理由や更に詳細な説明をすることは,中学校の中で恐らく一部でしか行われておらず,音読で終えてしまっているということが現状にある。アフターリーディングの活動でどんなことができるか,どんなことをさせられるかということが中・高の現場では大切ではないか。


6.小・中・高等学校の連携について
○小・中・高を通じた育成すべき外国語教育というのは,これは今までに目に見えてなかったが,今後,そういった小・中・高の流れが可視化された形で,教育に携わる者が小・中・高それぞれ異校種の状況を理解しながら授業に取り組んでいくということができればよい。

○小学校で課題となっているのは,中学校との連携。小学校の外国語活動で身に付いている積極的にコミュニケーションを図ろうとする態度が,中学校での意欲・関心の部分ではなく,話す,聞くといった知識・技能の領域に本当に役立つように,小学校から中学校を通じて4領域で今後つなげていくということは非常に大事である。

○小中連携の観点から,小学校では,これまでの成果として外国語活動を大変楽しんでやっているという調査結果が出ている。教科になったときに,英語嫌いになるのではないかという心配が校長の中にはかなり多い。

○小中連携が大事だというのは,ずっと言われてきた。中学校のティーム・ティーチングとして授業に週一回入っている小学校の教員の話を聞くと,特に入学時期の中学生に課題があるということを初めて知ったと言っていた。例えば,単語と単語の間を空けずに全部続けて書いてしまう。単語としての意識が子供たちにないため,ずっと続けて書いているなど。そのため,子供にしては,書いたものが読めない,何て書いてあるのか理解できず子供が困っているということを聞いた。また,子供がアルファベット文字を書く4線は,高さを意識しにくいということもある。そのため,文字を高学年で導入する場合,丁寧な指導及び内容が必要である。


7.小・中・高等学校の学習評価の在り方
○外国語と国語との連携について,言語の知識・技能のみではなく,習得したことを活用できるような見方,考え方が,評価の観点からは,思考力・判断力・表現力に関わる連携になっていくと考える。

○観点別学習状況の評価と,目標に準拠した評価(質的なもの,学習到達目標)との関係をどのように図っていくかが課題になってくる。
そうすると,実は小学校,中学校,高校という積み上げ型の考え方ではなく,高校卒業時でどのような学力を育成するか。そのためには中学までにどういうことをしておくか。さらには,小学校でどのようなことが必要かについて考えることで,必要なカリキュラム,必要な資質・能力,さらにはそれに伴う評価をどのように行うかという内容が見えてくる。

○学校教育法30条の2項を踏まえ,三つの評価の観点は変わっていくと思われているが,特にこの中で主体的に学習に取り組む態度は重要になると考えている。この項目は,知識・技能と,思考・判断・表現を統合できる評価項目となっていくのではないかと考えている。例えば英語で言えば,CAN-DO形式の目標と思考力・判断力・表現力とのことを,主体的に学習に取り組む態度の項目をかなり重視することによって,習得と活用の評価をそこで評価できていくということになるのではないか。

○評価については,とにかく学級担任の先生が評価できるもの,そして,子供たちが英語を嫌いにならないものということを目標にしており,現在,試作品として,いわゆるパフォーマンステストをテストという名称ではなく,評価アクティビティという形で,終わった単元の次の単元の中にアクティビティとして盛り込んでいくというものを作成している。

8.学習指導要領の理念を実現するために必要な方策について
○大学入試改革,教材,教員研修などの条件整備は大きな課題。各部のところでの議論だけではなく,このような課題も一体的に改善しつつ,横のつながりも見ながら,学校現場まで伝達したときに一体感のある改革であるべき。

○語彙量が全体に中学,高校と増えたが,教科書を分析してみると,語彙の取扱いはかなりばらつきがある。そのため,「身に付けさせたい表現に対してこのような表現の文法や語彙が必要」ということがある程度分かる参考資料を作成してはどうか。

○大変な課題があると思う一つは,やはり教科書。中学校の先生方が一番頼りにしているのは教科書である。教員はこの教科書を全て完璧に教えなければいけないということが非常に強く思われている。言語活動の中でスパイラルに勉強できるような教科書・教材はどのようなものかということをしっかり考え,教員に提供していく必要がある。

9.その他
○昨年度まで,教育委員会の立場で文部科学省から受けたことを一生懸命発信をしていたが,十分伝わっていないと感じる。伝わっていないのは,個人的には,やはり指導主事の責任だと感じている。何を目指しているかを的確に伝えていかないと,先生方は本当に一生懸命であるが,向く方向が違っているという状況があるのではないかと感じている。

 


【別紙】
外国語等における小・中・高等学校を通じた国の指標形式の目標(イメージ)たたき台に対する御意見

課題1: 高等学校の必修修了段階で(すべての高校生が)A2レベルに到達することを目指すには小・中・高各段階で何が重要か?
・小学校では「片仮名英語」ではなく「英語らしい発音」を聞き取ることに慣れさせたいので,指標 (p.7) の中に,「自然な英語の音声を聞き」などのインプットの質に関わる表現は入れられないだろうか。[※さらに,これは国語科の課題ですが,ローマ字について,英語の単語 (apple) をローマ字 (appuru)で書かせるなどの指導を避けるようにできないものか。]
・中学校では,機械的な暗記ではなく「自分の言葉として」英語を話すことが大事なのですが,それが,p.9のA2 にあるように「即興で」に当たるのかどうかが難しいところです。ここで言う即興とは,繰り返し練習することにより,必要な場面に遭遇した際,「メモなどに頼らずに」話すことができるということで,「(これまで話したことのない内容を)その場で何とか即興で話す」ということではないのではないでしょうか。また,どちらかと言えば,発表は準備をして,やりとりは即興で,ということではないかと思いました。
・高校では,読む際に書き手の「意図」を理解すること,書く際に「読み手」を想定することが大事なので,p.10の,B2にある,「筆者の姿勢や視点を理解する」に当たる点を A2やB1にも,「概要・要点・書かれた目的を理解できるようにする」(表現は要工夫)などと入れてよいのではないでしょう。高校の訳読式の大きな問題は,「結局何が言いたいのか」を理解させずに終わってしまうことにあると思うので。
・高校の「話すこと(発表)」について (p. 9), 「簡単に話す」ということと趣旨は同じなのですが,「相手にわかりやすい表現を用いて」などとしてはどうでしょうか。
・高校の「書くこと」について (p.11),「はがきや手紙」とあるが,「eメールや手紙」などの方が現実的ではないでしょうか。

課題2: 小・中・高を通じた指標形式の目標全般の見せ方についてはこれでよいか?
・技能ごとの一覧 (p. 7~11)は,CEFR のレベルが先に来て,A1 = 小学校高学年・外国語+中学校  という表記になっていますが,一般教員の目からすると,学校種・学年が先に来る方がわかりやすいのではないでしょうか。何か意図があるのでしょうか?
・具体的な教材に落とし込まれて初めて実効性を持つという観点から言うと,p.7~11の「授業における主な言語活動」の欄に,より具体的なトピック(挨拶,電話でのやりとり,クラブ活動...)など,生徒のニーズと社会的必要の接点となる「是(これ)必要なトピック」,あるいは別の視点で「是非必要なテキストタイプ」などを入れた方が,イメージがつかみやすいのではないでしょうか。(それは学習指導要領策定チームの仕事?)
・技能ごとの一覧 (p. 7~11)に一貫して流れる骨格として,言語活動(タスク)を想定しているのか,それとも,今後議論になるであろう,語彙・文法構造のリストが想定されるのか,そこが明確にならないと,既存の文法体系をそのまま使った教科書ができてしまう危険性があるかと思います。語彙・文法項目を考える際,特に「話す」「書く」に関しては,よく使える基本語彙を「発表語彙」として提示する必要もあるのではないでしょうか。語彙・文法に関して,現在はコミュニケーョン英語Iですべてを扱うこととなっていますが,全ての項目について発表に使えるまでに習熟させる必要はなく,そのあたりを明確に伝える必要もあるのではないでしょうか。


○小学校の発音とつづりの関係について,読むことの中学年に「アルファベットの文字を識別し,発音することができるようにする。」とある。論点整理に「高学年から発達段階に応じて4技能を総合的・系統的に扱う教科学習を行うことが求められ,その際,アルファベットの文字や単語などの認識,国語と英語の音声の違いやそれぞれの特徴への気づき,語順の違いなど文構造への気づき等を促す指導を行うために必要な時間を確保することが必要」とあることを踏まえたものと考えるが,そこで取り入れられると考えるフォニックス学習は,英語学習には大切だと思う。しかし,英語が教科化したから小学校5・6年にすぐにフォニックスというのは,負担が大きいと感じる。母語においても,小学校入学までに日常で身近なことばやきちんとした会話でなくてもしゃべることができるようになってから国語の学習をする。このことから考えると,日常的にも聞き慣れない英語の発音とつづりの間に規則性を明らかにし,正しい読み方を学習することはレベルが高いと感じる。

○中学年における指標形式の目標について,中学年の外国語は活動であり,教科ではないので評価はそぐわないが,目的を明確にするためならあり得る。高学年の又は,中・高の外国語のどこにつながっていることなのかをはっきりさせるため,系統性を明らかにすることは大切である。使用方法としては,その目標に基づいて学習評価を教師が「できる」「できない」で評価するのではなく,児童の振り返りに活用するなど活用方法の考慮が必要である。

○小・中・高を通じた指標形式の目標について,想定される学校種が,A1なら小学校高学年+中学校とまたいでいるので,主な目標がどこがどこまでか明確でない。有識者会議でも示されたように,早期の段階から高度の水準を求めることがないよう計画し,学習意欲を維持・向上させるような配慮が必要。例えば,書くことのA1で主な言語活動の・3つ目は,小学校では難しいと感じる。つまり,どれを小学校でし,中学校ではどれを選ぶかを各校で考えるなら,選ぶ学校と選ばない学校では指導内容が変わってくると感じる。

○指標形式の小学校中学年の目標についてズレがある。「書き写す」にしても,目に触れて,読んだことのあるものにすべきだ。中学年読むこと「単語を見て意味を理解する。」となっているが,書くこと「簡単な文を書き写す」となり,単語しか読んでないのに,文を書くことができるのか。十分に慣れ親しんだものを書くに移行すべきである。

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