資料8 教育課程部会幼児教育部会(第9回 平成28年6月21日)における主な意見(未定稿)

○ 「幼児期の終わりまでに育ってほしい姿」が5領域との関係とともに具体的な姿として示されることは、幼児教育の成果が小学校教育のスタートになる。また、その姿に迫るための指導も、自発的な活動としての「遊びを通して育てる」となっており、このことは、小学校側も十分に考えていかなければいけないことと思う。
幼児教育の目標が、「義務教育及びその後の教育の基礎を培う」と学校教育法にあるとおり、「義務教育の基礎」であれば幼小の接続だけを意識すれば良いが、「その後の教育の基礎」とは、義務教育終了以降も社会的自立の基礎を培うということで、その意味では、自発的な活動としての遊びを通しての学びが、最初から最後まで重要であるというような認識につながるのではないか。つまり、「豊かな将来を築くための学びの基礎が幼児期の遊びにある。」というメッセージと捉えられる。
教育要領の構成について、小学校の総則の構成と対比させているような形で、非常に見やすくなっているので、教育要領が小学校にも理解されやすくなる。第1章の中に節がないのはなぜか。こうしたところが整理されていくと良いのではないか。

○ 今回のように小学校教育と幼稚園教育が対比され、また幼稚園教育が小学校教育につながるということが意識されたということはなく、とても大切なことだと思う。今後どのように実践のところに落としていくか、幼児教育の大事さを小学校の先生方に伝えていくか、がとても大事なことになる。
言葉で「遊びを通して学ぶ」と言うことはできるが、どういう学びなのか、どのように実践していくのかというのは、小学校の先生だけでなくて幼稚園の教諭であろうと保護者であろうと分かりづらいところが残っているのだろうと思う。整理をされてくる中で思うのは、幼稚園教諭のステータスを上げることの必要性。幼稚園教育にスポットが当たって、幼児教育というのがどのように行われているのか、その大事さ、これらが社会的にも認められていくというプロセスを経ることが大事だ。ここまでできておしまいではなくて、その先のところを丁寧に取り組んでいくということ、改めてその責任があるということを感じる。

○ 取りまとめ(案)の3ページの(2)の三つの柱について、「より具体にすると、以下のようになる」と書かれているがそれぞれの括弧の中には、「遊びや生活の中で、豊かな体験を通じて」となっている。言葉が並んでいるだけで、全く具体的ではないし、子供の姿がなかなか浮かんでこない。もう少し詳しく具体的な言葉を添えて、子供の感性とか創造性とか、子供たちが普段行っているようなことがイメージできる言葉を膨らませて書いてはどうか。

○ 「ねらい」と「幼児期の終わりまでに育ってほしい姿」、この関係をどのように整理をつけたら良いのか。このあたりも総則で関係を示していくということが今後なされていき、第2章で「ねらい」を示されたところに併せて「幼児期の終わりまでに育ってほしい姿」というのが示されていくということか。この関係も意識しながら、理解が進むような構成になっていると良いのでは無いか。

○ 5領域を通して心情、意欲、態度として言ってきた遊びの大事さが、「外的な活動ではなく内面的に子供たちが遊びを通してこういう力が育っているのだ」、「私たちがやっている遊びを通して、環境を通してと言ってきたことは、こういうすばらしい力を結果育てるためにやってきたのだ」という、幼児教育をやる先生方の自信につながるような示し方になっていると思うし、そのような理解をしてほしい。小学校の先生方も、この三つの力につながる元として、実はこういうことが内的に育っているからこそ幼児教育の遊びが大事で、体験が大事だという理解が深まることを期待したいし、私たちもそのように学生にも伝えていかなければいけないと思う。

○ 「幼児期の終わりまでに育ってほしい姿」が今、現場でも段々広まっているが、「ほしい」がいかに大事かというところが抜けて、「姿」という点だけを受け止めてしまったり、1から10までの見出しだけを取り上げその文言から自分がイメージしたことで決めつけてしまったりしてしまう。説明をよく読むと、子供が育っていく過程をいかに大切にしているかということが書いてあるが、現場は焦ってしまうと部分的なところだけで理解してしまうところがあるので、これは丁寧に伝えていかなくてはいけないだろう。
それから、評価について「10の視点が評価の手立てともなる」と記述されており、この「も」が入ることがとても大きいことなのだが、これも一人歩きしてしまうと「も」が抜けてしまい「10の視点が評価の手立てとなる」とだけになってしまうので、現場とつないでいく丁寧さがこれから必要になってくるのだろう。

○ 18歳までの系統性を踏まえて接続を考えていくということで、幼稚園教育の理念が小学校とか中学校の教育にも引き継がれていき、それが豊かに実りある教育につながっていくというようなことを、これから期待できるのではないか。
ただ、これは今回のこの部会の取りまとめに対してではないが、例えば資質・能力とか「見方・考え方」というような言葉がどれだけ理解してもらえるか。先日もネットで、能力のことを表面的に捉えて、それに対して見当違いの批判をしているようなコメントもあったので、本当は現場の先生方だけではなくて、保護者や社会全体に対して分かりやすく、丁寧にというかシンプルに時にはストレートに伝えていくような努力をしていかなければいけないのではないか。それは幼稚園教育要領もそうだが、そのほかの機会でも丁寧に説明していくことができるような機会があると良いのではないか。

○ いろいろな幼稚園現場等に行くと、国から出たものについてはかなり細かいところまで読み込まれて判断をなさっているという印象を持っている。
その中で気になったことで、「幼児期の終わりまでに育ってほしい姿」の「社会生活との関わり」で「情報を適切に取捨選択するなどして役立てながら活動する」というところがある。ここで「適切に」という言葉が入っているが、かなり上の小学校、中学校、高校でも入っているような言葉なので、幼児にとって若干重くなるのではないか。
特別支援教育の充実、幼児一人一人の特性に応じた指導の充実についての記載部分で、「なお、幼児教育では」という中に、「障害のある幼児への指導にとどまらず、障害のない幼児への」とあるが、「ある」、「ない」という二つにしてしまうのはどうなのか。「障害のある幼児」というところに配慮していく必要はあるのだが、「障害がない」というよりは、「全ての幼児への指導」というような形にしたほうが良いのではないか。
最後に資質・能力を整理した三つの図の中で「遊びを通しての総合的な指導」とあるが、幼児教育があってその上に小学校の低学年の教育があると感じている。今以上に、よりしっかりとこのつながりを考えていかなければならないのではないか。そうなると「知識や技能の基礎」とあるがこの「知識や技能」という中に少し固い表現があるので、柔らかくならないかと思っている。「身体的技能の基礎」というのも、「技能の基礎」のことを小学校低学年の場合は「動き」という言い方もしているので、やはり「多様な動き」などの表現にしたほうが良いのではないか。その後ろも「芸術表現のための基礎的な技能の基礎」というのだと、基礎の基礎というのが少し分かりにくいのではないか。もう少し易しい言葉がないのか。「知識や技能」とある中で、特に「知識」という言葉は入っていないので、「技能」についても少し幼児らしい柔らかい表現ができたらその方が良いのではないか。

○ 「資質・能力の育成に向けた教育内容の改善・充実」の「教師は、戸外で幼児同士が関わり合ったり、自然との触れ合いが十分経験できる環境を構成していくことが重要となってきている」という記述について、教師にばかり何かをやってくれというような意味合いが少し感じられる。
中学校の部活も外部に協力をお願いする、あるいは部活の活動日そのものを1日減らすというような流れもあり、小学校等でも企業等が社会的責任の観点から出前講座等をやっている。幼児教育アドバイザーなどの外部との連携・協働といった記述もあるので、子育ての支援については心理士、小児保健の専門家などに協力をお願いするなど、教師だけでなく、外部の知見のある方に教育活動の一部を担ってもらうのも良いのではないか。特に自然に関しては企業だけでなく保護者でも詳しい方が必ずいらっしゃるだろう。地域との連携や幼稚園の幼児期の教育のセンターとしての役割という点からも教師だけで全て行うのではなく地域全体を巻き込むというような観点を盛り込んでいくと良いのではないか。
もう一つ、自己肯定感と非認知能力が併せて書かれている記述をよく目にしたので、「前向きな見通しを持ったり、幼児が自分のよさや特徴に気付き」という箇所にも、「自己肯定感」等のような言葉を入れた方が良いのではないか。

○ 教材の在り方というところで、教材の選択に当たっては、幼児の興味や関心に基づいて行うことと、やはり幼児の発達に即した教材の選び方についても入れておいたら良いのではないか。

○ 幼稚園教育要領改善のイメージのたたき台案だが、幼児教育課程に係る教育時間終了後等に行う教育活動について、いわゆる預かり保育の部分と、最後は「子育て支援」となっているが、今の教育要領も「の」が入っているので、「子育ての支援」にした方が良いのではないか。

○ 今回、18歳までの育ちを見通していくということで、つながりを作るというのがポイントになっていたと思うが、つながりを作るということはそれぞれの段階での教育の独自性を知ることだというのを学んだ。
幼児教育の独自性はどこなのかという点は、ここの議論でも繰り返しされてきているところだが、公表していくときには改訂で変わったところの方がスポットを浴びやすい。今回の改訂の方向性として大きく変わったところは5歳児までの幼児期に育ってほしい姿を示した点だが、そこに育てていくまでにどういうところを大切にしているのか、変わらないところがどこなのかという点も併せて強く言っていけたら良いのではいか。内容に関してだけではなく、どのように伝えていくかということをまた考えていかなければいけない。

○ 恐らく今度のこの改訂において、カリキュラム・マネジメントという言葉が非常に重要になっていくかと思う。このカリキュラム・マネジメントについて、三つの側面から捉えることが必要であるという重要な論点を提示しているかと思うが、これは園全体で取り組むのだというようなことをもっと明確にしておく必要もあるのではないか。もちろん主たる園長、主任や管理者の役割は重要だが、園全体で取り組むということである。
現場の先生方にとってカリキュラム・マネジメントは新しい言葉である。「一連のPDCAサイクルを確立」とあるように、カリキュラム・マネジメントというのは改善し続けるということが非常に重要であるというような点や、教育活動と園の運営という二つの側面を合わせた形で行うという点など、カリキュラム・マネジメントで何をどうするべきかという点を、取りまとめの中でなくても  どこかで丁寧に説明できると良いのではないか。
今後、資質・能力を整理した図を用いて説明をすることも多くあるかと思うが、幼児期の場合、「本来は非常に切り分け難いものをあえて資質・能力の三つの柱という観点で三つの側面で捉えていくと、このような観点になる」という説明になるかと思うので、その点も丁寧に説明ができると良いのではないか。例えば「知識や技能の基礎」の中にある「発見の喜び」と「思考力・判断力・表現力等の基礎」にある「表現する喜び」という文言について、「喜び」という点が共通しているのになぜこの二つが異なる資質・能力として整理されているか、という点も疑問としては出てくるだろう。これについては、発達の段階で基礎的な部分であり本来絡まりあっているものをあえて分けるとこのような位置付けになるという説明になると思われる。そういう点を丁寧に説明していく必要はあるのではないか。

○ 2点あり、1点目は、あまり幼児教育になじみのない人が読んだときに、最初に5領域というのが出てくるが5領域が何なのかというのがどこにも注釈がなく理解が難しいのではないか。こういうものはできるだけ親切に作った方がいいと思うので、例えば最初に5領域という言葉が出てきたら、そこに注釈を付け5領域が何なのかということを示してあげると、初めて読む人も非常に分かりやすいのではないか。
2点目は、「学びや指導の充実と教材」の記述のなかで、「特別支援教育の充実」と「幼児一人一人の特性に応じた指導の充実」というのが分かれて記述されており、「幼児一人一人の特性に応じた指導の充実」の部分では日本語に適用するのが難しかったり、外国にルーツを持ったりする幼児の話だけになってしまっている。「幼児一人一人の特性に応じた指導の充実」という記述部分の中にこれだけの記述だと、範囲が狭いのではないか。「障害のある幼児への支援にとどまらず、全ての幼児への指導」という記述案はとても良い文章だと思うので、「幼児一人一人の特性に応じた指導」というのが全ての子にとって大事なのだというような記載にした方が良いのではないか。
もう一つは、今ある「海外から帰国した幼児や外国人の幼児等」という記述で、「外国人の幼児等」とすると「外国人」というのが、国籍を指してしまうような気がして違和感がある。一般的に最近の研究では、「外国にルーツを持つ」という言葉をよく使うので、そちらの方が日本人だけど外国にルーツを持つような子供たちということでもう少し大きなくくりになれるのではないか。
最後に、「幼児一人一人の特性に応じた」という記述で、最近の格差社会の広がりなどの中で、多様な社会経済的な背景を持った子供たちも含めた一人一人の特性に応じた指導の充実ということも議論してきたので、子供たちのそういった社会経済、文化的な背景含めた上での丁寧な指導というのが必要というような文言をどこかに入れた方が良いのではないか。

○ これからの教育の在り方について、ほかの校種とともに貫かれる柱、道筋、それから幼児教育の特性が明確に示される内容になっているのではないか。幼稚園などに携わられる方々にとっては、今までの日々の実践の意味を見直したり、かみしめたりする重要な内容を整理していると思うし、是非小学校以降の教員も、積極的にこの内容について把握し、そして読んでほしい。小学校以降の学校種の関係者もこれらの資料と子供の実際の姿を手掛かりにして、接続とは何かということについて考えたり、深めたりしていけるのではないか。
地方の手応えとして、今、様々な主体が幼児教育に注目して、その重要性について考える議論が始まっており地方の自治体による幼児教育センターの設置に向けて努力されているところも、大変増えてきていると感じている。今、このタイミングで幼児教育にとって「幼児期の終わりまでに育って欲しい姿」等が整理され、発信されることは非常に重要だ。

○ 幼児教育の価値を高めるという視点で見ると、「このような様々な体験等を通して培われた『見方・考え方』は、小学校の各教科の『見方・考え方』の基礎になるとともに、これらを統合化することの基礎ともなる」とある。「統合化するだけではなく体験を通して培われたものだからこそ、実生活や実社会に活用できる。」という意味で統合化だけではなく「活用の基礎」といった言葉を入れると、より幼児教育の価値が高まるのではないか。それが「幼児期に育まれた『見方・考え方』や資質・能力を徐々に各教科等の特質に応じた学びにつなげていく」ということになるのではないか。
併せて、「小学校の各教科においても、主に生活科等のスタートカリキュラムの中心で合科的・関連的な指導も含め、子供の生活の流れの中で、幼児期の終わりまでに育った姿が発揮できるような工夫を行いながら」とあるが、現行の小学校の学習指導要領の中では、スタートカリキュラム自体が、体験的な学習を重視した幼児教育の成果を踏まえたものである。ここでいう「幼児教育の成果」が今回示す「幼児期の終わりまでに育ってほしい姿」ではないか。「小学校の各教科においても、スタートカリキュラムの中で、生活科を核とした他の教科との合科的・関連的な指導を含め」という文言に直した方が良いのではないか。
併せて、合科的・関連的な指導の中に、人との関わり、自然との関わりや社会の関わりなどの幼児期の体験的な活動で学んできたことを踏まえる点などを改めて加えると良いのではないか。

○ 現行のままだと「小学校の各教科においても、主に生活科等のスタートカリキュラム」となっているが、生活科の中にスタートカリキュラムがあるわけではなくて、生活科を中心にして合科・関連指導をしてスタートカリキュラムをやるのだということだろう。合科・関連指導はスタートカリキュラムを作るためにあるのではないので、「主に生活科等を中心にした」という文言はむしろ残した方が良いのではないか。
それから、その後の文章だが「合科的・関連的な指導」は、「子供の生活の流れの中で、「幼児期の終わりまでに育ってほしい姿が発揮できるような工夫」という記述になっている。さらに「短時間学習なども含めた工夫を行うことにより、幼児期に育まれた『見方・考え方』や資質・能力を徐々に各教科等の特質に応じた学びにつなげていく必要がある」となっている。つまり具体的な工夫の例示が、合科・関連指導と短時間学習等と二つ出ているが、今のままだと合科・関連指導という工夫は子供の生活の流れの中でやるのだということになり短時間学習が子供の生活の流れの中で行うように読めないが、これで良いのだろうか。
「主に生活科等を中心としたスタートカリキュラム」の中で、例えば合科的・関連的な指導や短時間学習なども、多分子供の生活の流れの中で「幼児期の終わりまでに育った姿」が発揮できるような工夫ではないか。短時間指導という今回出てきたものを、幼児期から小学校につなげるときに、どういう工夫、効果を持つものとして意味付けるかというのは、生活科側としてここはかなり大事なところになる。だから、この点は確認してほしい。合科・関連指導、それから短時間学習という二つの工夫は、子供の生活の流れの中で、「幼児期の終わりまでに育った姿」が発揮できるような小学校的な工夫だと思う。このような工夫をすることによって、幼児期に育まれた「見方・考え方」や資質・能力は徐々に各教科等の特質に応じた学びにつながっていくのではないか。この点について確認をしてほしい。

○ 5領域という言葉を我々は普通に使っているが、初めて読んだ人にとってはその意味が分かりづらいという指摘はそのとおりだと思う。私のイメージとして領域と科目はどう違うのかというのを説明すると、未分化の状態にいた子供が、科目という一応分化した情報処理ができる状況に移っていく3・4・5歳の経過の中で、木々の中にいて、目の前のものを情報処理していた子供から、雲の上に顔を出す5歳になってきて、いろんな世界を見渡した上で自分という位置を見られるようになってくる。その状況を領域という一つの遊びの中の様々な側面から分析するというものが教育の中で大事だよ、という意味で領域という言葉を使っているというイメージでいる。この部分をもう少し丁寧に書いていくと、領域と科目とか幼児期に何をしなければならないのかということのイメージがしやすくなるのではないか。さらにできればそこで、「領域」という言葉の中で言われている部分と同時に、未分化な状況から分化した情報処理ができていく過程をこういう言葉で定義しているのだという説明を入れていただけると、初めて見た人にとっても分かりやすくなるのではないか。

○ 論点整理の中でカリキュラム・マネジメントについて、社会に開かれた教育課程の観点から学校内だけではなく、保護者や地域の人々を巻き込んだカリキュラム・マネジメントを確立していくことが重要と書かれている。この点について、取りまとめ案の「幼稚園等におけるカリキュラム・マネジメント」では「家庭等の協力を得ながら」という記述になっているので、この「等」の中に地域があると理解している。一方で論点整理では「巻き込んだ」となっているのが、取りまとめ案では「協力を得ながら」という表現になっておりトーンダウンした印象を受けるので整合性を確認した方が良いのではないか。

○ 必要な条件整備等についてということで気になったのは、相互の園内研修の充実・強化や園外研修の機会の確保が重要だということが書かれており、確かにこの点も十分必要だと思うが、これの旗振り役といったハブ機能を私立の保育園等が担えるのだろうか。個別の園等ではなく幼児教育研究センターといったところが今後は旗振り役の一翼を担う組織になるのではないかと理解している。

○ 小学校の現場の人間として、幼児教育に携わる先生方の御意見を頂きながら、自分の指導観とか、教育観とか、子供観というのが毎回毎回見直され変容していくことを実感している。次期学習指導要領で、幼小の連携とか接続というものがより強調されて、三つの柱とかアクティブ・ラーニング三つの視点という、幼小を貫く共通の考え方が示されていく中で、幼稚園の先生方が長年大切にしてきた、遊びや環境を通した教育や、子供たち一人一人の実態を大切にした教育というものを、小学校現場の教員が知り、自身の教育観や子供観や児童観が変容していくことを期待しつつ、これが小学校の先生方にもうまく伝わっていくようなものになっていくと良いのではないか。

○ 議論を積み重ねた結果このような形になったが、これを次の教育要領にどう反映していくか、どういう言葉に置き換えていくか、というところでまた議論が必要だろう。
そして、一つだけ少し気になったところで、子供たちの生活や遊びというところから考えていくと、これから幼稚園教育要領の第2章の中に、「幼児期の終わりまでに育ってほしい姿」ということがねらいや内容と併せて書かれるような形になっていくと思う。5歳児だけではなく、3歳児、4歳児においても「幼児期の終わりまでに育ってほしい姿」を念頭に置きながら指導が行われることが望まれ、その上でねらいや内容を通じて総合的に指導していった結果、こういった「幼児期の終わりまでに育ってほしい姿」が見られるようになるのだ、ということがこの2行の文章の中に入ってくると分かりやすいのではないか。ただ小学校の学習内容を幼稚園へ下ろすのではないということを、ここでしっかり5領域との関係で述べると良いのではないか。
いつも幼児教育を語るときに「幼児教育は学校教育の始まりだ」ということや「幼児期の教育の独自性と学校教育としての一貫性はバランス良く組み合わせていくのだ」ということを話していたが、今回のこの改訂の議論の中で、ようやく学校教育としての始まりが一つの形になって実を結んだのではないか。

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