教育課程部会 言語能力の向上に関する特別チーム(第2回) 議事録

1.日時

平成27年12月18日(金曜日) 10時00分~12時00分

2.場所

中央合同庁舎第7号館 文部科学省3階3F2特別会議室

3.議題

  1. 国語科及び外国語科・外国語活動を通じた言語能力の育成について
  2. その他

4.議事録

【亀山主査】
 定刻となりましたので、ただいまより、中央教育審議会初等中等教育分科会教育課程部会言語能力の向上に関する特別チームの第2回を開催いたします。
 本日は、お忙しい中、御参集いただき、誠にありがとうございます。
 まず最初に、事務局から、前回欠席された委員の紹介及び配付資料について確認をお願いいたします。
 平野調整官、お願いいたします。

【平野教育改革調整官】
 失礼いたします。それでは、前回御欠席されました委員の御紹介をさせていただきます。
 田中牧郎委員でございます。

【田中委員】
 田中と申します。どうぞよろしくお願いします。

【平野教育改革調整官】
 松川禮子委員でございます。

【松川委員】
 松川でございます。どうぞよろしくお願いいたします。

【平野教育改革調整官】
 なお、今井むつみ委員は、後ほど、遅れて御出席される予定でございます。
 それから、吉田委員と山脇委員は、本日御欠席という御連絡を頂いているところでございます。
 続きまして、配付資料の確認をさせていただきます。本日は、議事次第に記載しておりますとおり、資料1から5、参考資料1から3、その他、机上に参考資料を配付させていただいております。不足等がございましたら、事務局までお申し付けください。
 なお、机上にタブレット端末を置いておりますが、その中には、本特別チームの審議に当たり、参考となる、関係する審議会の答申や関係資料等をデータで入れております。議事の途中で、適宜御参照いただければと思っております。
 以上でございます。

【亀山主査】
 では、これより議事に入ります。
 初めに、本特別チームの審議等につきまして、初等中等教育分科会教育課程部会運営規則第3条に基づき、原則公開により議事を進めさせていただくこととともに、第6条に基づき、議事録を作成し、原則公開するものとして取り扱うこととさせていただきます。どうぞよろしくお願いいたします。
 なお、本日は、報道関係者より会議の撮影及び録音の申出がございまして、これを許可しておりますので、御承知おきください。
 では、資料2の論点1から4についての意見交換を行います。議事の流れといたしましては、論点1から4の順に意見交換を行いたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。
 本日、意見交換できない論点については、次回以降に行いたいと思います。
 まず事務局から資料に基づき説明を頂いた後に、自由討議を行いたいと思います。
 では、事務局より、説明をお願いいたします。まず初めに教育課程部会総則・評価ワーキンググループ等における状況の報告を頂き、その後に本日の論点等について説明をお願いいたします。

【合田教育課程課長】
 失礼いたします。
 それでは、お手元に、資料とは別に、総則・評価特別部会からの各教科等別ワーキンググループへの検討依頼という、2枚紙の資料があろうかと思います。そちらをちょっとごらんおきいただければと思います。前回、この言語能力特別チームにおきましても、今回の改訂におきましては、17に分かれた教科等のワーキンググループ、それから各学校段階の議論というものをうまく組み合わせて整合性を図りながら、全体として調和のある学習指導要領にしていく必要があるという御指摘を頂いたところでございます。特に、この特別チームにおきましては、言語能力という、知的な活動ですとか、感性・情緒、コミュニケーションの基盤となるような、基本となるような御議論を頂くということもございますので、取り急ぎ、今、17に及ぶ各教科等のワーキンググループでどのような議論を行っているのかということについて整理をさせていただきましたので、本日の論点に先立ちまして御説明をさせていただきたいというふうに思っております。
 まず、1枚目でございますけれども、総則・評価特別部会というのが部会としてございまして、本チームに加わっていらっしゃる先生方にもお加わりをいただいているところでございますが、ここは、前回御報告を申し上げました教育課程企画特別部会で8月におまとめいただいた論点整理というものを土俵にしながら、議論を頂く際の全体の調整・整理を行っていくという立場にございます。この総則・評価特別部会の方からは、何点か各教科等のワーキンググループに検討依頼というものが議論をなされてございますので、まず、こちらを御紹介申し上げたいというふうに思っております。
 五つほど丸が並んでございますけれども、一つ目の丸にございますように、他教科の検討にも関わる重要な内容に関しては可能な限り早い段階で議論を行って、総則・評価特別部会及び各教科等別ワーキンググループ等においてしっかり検討できるようにしていただきたいということでございまして、私ども、この言語能力特別チームの議論というものを総則・評価特別部会に御報告を申し上げ、かつ各教科でもそれを踏まえて御議論いただくようにさせていただきたいというふうに思っております。
 それから、二つ目でございますけれども、「社会に開かれた教育課程」の観点から、学習指導要領の性格を踏まえつつも、教員のみならず教育課程で教員を目指す学生や学校に関わる地域の方々が読んで、その趣旨が十分伝わるような構成や文章等にするということを是非お願いしたいという御議論を頂いているところでございます。これは、私ども行政として、先生方とキャッチボールしながら、工夫をさせていただきたいというふうに思っております。
 それから、三つ目の丸でございますけれども、発達に応じた目標や内容の系統性という縦の軸と、現代的な課題に教科横断的に対応するという横の軸の双方を意識して、それぞれの教科が持つ意義を明確にするという観点から、育成すべき資質・能力について検討を進めていただきたいという点。
 それから、四つ目でございますけれども、小中学校の教科等や高校の必履修科目、要するに、1学年120万の子供たちが全員習得・履修しなければならない、そういう内容につきましては、卒業後、特定の学問分野や職業に進む場合だけではなくて、どのような職業に就くとしても生かすことができるような教科等の本位的な学びを重視し、資質・能力を検討していただきたいという御議論を頂いております。例えば理科でございますと、物化生地という分野ごとの知識を得るということも大変重要ではございますが、例えば従属変数と独立変数というものをしっかり捉えた上で科学的に思考するというようなことが、全ての子供たちにとって必要なことではないかという御議論を頂いているところでございます。
 それから、一番最後でございますけれども、総則・評価特別部会や各校種別部会における全体的な構成等に関わる議論というものの状況と、各教科の特性や独自性を踏まえた検討というものをうまくマージさせながら、バランスをとりながら議論を進めていきたいという御議論を、総則・評価特別部会では頂いているところでございます。
 2枚目をごらんいただけばと思いますけれども、それを踏まえまして、各教科等のワーキンググループでの議論の状況というものを、言語能力に特に関わるというものについて、御報告をさせていただきたいというふうに思っております。
 国語のワーキンググループでございますけれども、国語におきましては、資質・能力について議論を進めておりますものの、話す、聞く、書く、読むといったような、現在、学校教育の現場、学校で行われております活動をベースにした議論というものが中心になっているところでございます。同様に、外国語ワーキンググループでございますけれども、こちらも、話す、聞く、書く、読むの4技能、あるいはその活動というものをベースにした議論や、具体的な取組に基づく議論というものが中心になってございます。今後、本チームの御議論というものをしっかりと踏まえながら、国語ワーキンググループあるいは外国語ワーキンググループでは、それぞれの教科でこそ育まれる資質・能力というものをもう少し分析的に議論をしていく必要があろうかというふうに思ってございます。
 それから、前回、この特別チームにおきましても、国語あるいは言語能力というものが、単に論理的な思考というだけではなくて、相手の気持ちを想像するとか、感性・情緒ということとも深く関わっているという御議論を頂きましたけれども、それとちょうど合わせ鏡のように、芸術のワーキンググループにおきましては、見たり、聞いたりした初発の感覚というものを自分の中で整理していくところで思考力が働き、発信力になっていくので、このような内なる言語というものを芸術教育でどう育んでいくのかということが重要だという御議論を頂いたところでございます。
 それから、社会・地歴・公民ワーキンググループ、理科のワーキング、算数・数学のワーキンググループ、数字という言語を使います算数・数学、それから、いわゆるコンテンツを、社会あるいは科学のコンテンツを持っております、この二つのワーキンググループにおきましては、それぞれの教科で育成していくことを目指す、社会的、あるいは、科学的、算数・数学的な、ものの見方、考え方は、どのような資質・能力により構成されるのかについて、議論がなされております。その中で、言葉を使って論理的に考える力の重要性ということについて、再三指摘がなされているところでございますし、それから、例えば、社会の歴史的なものの見方、考え方というところにおきましては、歴史的な事象を比較という視点で考えるですとか、因果関係という観点で考えるですとか、相互作用という観点で考えるといったようなことを内容・項目とうまく連携させながら、どういうふうにカリキュラム構造として考えていくのかということが、相当構造的に議論されているという状況でございます。このような観点からも、国語あるいは外国語といったような言語を扱う教科でこそ育まれる資質・能力とは何かという議論が求められているという状況でございます。
 それから、生活・総合的な学習の時間ワーキンググループでございますけれども、こちらでも、各教科でこういう議論が進んでいるということを前提に、例えば総合的な学習の時間でなければできないことは何かという議論がなされておりまして、教科横断的な学習を行うという観点としても、マル1にありますように、学際的な内容を取り扱う、教科を超えて内容を結び付けるということが重要という観点。マル2は、実社会・実生活の問題を取り扱うというような観点。マル3は、学びを俯瞰し、思考ツール等の活用を通じた探究的な学習ということでございますが、これは、各知識を教科等の文脈から離れて、脱文脈的な観点から、いわば道具的にそういった知識や技能というものを俯瞰的に捉えて、メタのレベルで捉えて、探究活動に生かしていくという観点。この三つの観点を総合的な学習の時間の中でこそ行う、資質・能力という観点からどう位置付けて、活動として取り扱っていくのかという議論が行われているところでございます。この中で、テクストや他者の主張を多面的・俯瞰的に検討し、根拠や理由に基づいて論理的に答えを導くといったような学び方・考え方の基礎を身に付ける、あるいは他者との対話を重視するというような態度を身に付けるということが大事ではないかという議論が行われているところでございます。
 このほか、幼児教育部会におきましては、幼児期における資質・能力の在り方ということが三つの資質・能力に基づいて構造的に議論を頂いているところでございますし、特別支援教育部会におきましては、特別支援教育の在り方と同時に、各教科等における障害に応じた配慮事項というものについて具体的な議論を頂いているという状況でございまして、これから御説明申し上げます言語能力の育成に関する構造につきましても、こういった各教科の議論を踏まえつつ、かつ、これらの教科の議論に影響を及ぼすと申しますか、議論の土俵となるような御議論を是非賜ればというふうに思っている次第でございます。
 引き続きまして、平野の方から御説明を申し上げます。

【平野教育改革調整官】
 失礼いたします。それでは、本日御検討いただきたい資料、主に資料2から資料5まででございますけれども、恐らく、時間の関係で、本日は資料2から4を中心に御議論いただく形になろうかと思います。
 まず最初に、左手の机上配付資料の上に置いてございます緑色の冊子でございますけれども、こちらをごらんいただければと思います。色の入った小さい附箋が貼ってあるところをお開きいただきまして、スライド番号27、左下のページに三角形のような絵がございますけれども、こちらをごらんいただければと思っております。今回の学習指導要領の改訂におきましては、この論点整理において、左下にございますように、個別の知識・技能、思考力・判断力・表現力、それから、それを使ってどう世界や社会に向き合っていくかという、三つの観点から学習指導要領の在り方を考えていこうということで、大きくこの三つの柱に沿って資質・能力を整理していこうという方向性が示されたところでございます。これに基づいて、各教科等のワーキンググループにおいて、この三つの柱に沿った資質・能力の在り方について検討が、今、同時並行的に進んでいるという状況でございます。この言語能力に関する特別チームにおきましても、言語能力というものについてこの三つの柱に沿って整理するとすれば、どういう整理が考えられるかということをまずは御議論賜りたいということを考えておりまして、本日はそれに沿った資料を用意させていただいたということでございます。ともいたしますと、これまではどちらかというと左下にございますように個別の教科における知識の体系というものをかなり重視した指導要領になっていたわけでございますが、それだけではなくて、それをどう使うか、さらにそれを使って社会や世界とどう向き合っていくかというものも視野に入れた指導要領にしていきたいということでございますので、是非この三つの柱に沿った資質・能力の整理というものをここで御議論賜れればと思っております。
 まず、資料3をごらんいただけますでしょうか。資料3については、今申し上げましたように、言語能力ということで捉えた場合に、それを三つの柱に整理した場合にどういった整理が考えることができるかということで、事務局として用意させていただいた、たたき台の資料でございます。こちらにつきましては、昨日、委員に送らせていただいた資料と、文言等は若干修正してございますが、大枠は変わってございませんので、その点、御留意いただければと思っております。
 まず、国語科ですとか外国語科という、それぞれの教科の文脈から一旦離れまして、言語能力という観点から見た場合に、そこで培われる資質・能力とはどういうことなのかということを考えた場合に、前回の特別チームの方でも御紹介させていただきましたけれども、国語力ですとか言語能力ということについて過去にどういう議論があったかという資料を送らせていただきました。本日は参考資料1でございますけれども、こういった中で、言語の機能・役割ということを考えたときに、知的活動(思考や論理)の基盤となるというような側面、感性・情緒の基盤となるという側面、それから、他者とのコミュニケーション(対話や議論)の基盤となるという、この三つの側面があるだろうということが、これまでの議論の積み重ねの中である程度整理されてきたと。この前提に立ちまして、特に思考力・判断力・表現力についても、その三つの柱について整理したらどうだろうかということで、まずは整理させていただいたものでございます。
 資料3の真ん中の思考力・判断力・表現力のところでございますけれども、まず、知的活動(論理的思考とそれに支えられた創造的思考等)の側面という部分でございますが、白丸が三つございます。一つ目の白丸につきましては、テクスト、あるいは、テクストという形ではないかもしれませんが、情報というような形、あるいは耳から入ってくる情報ということもあろうかと思いますけれども、そういったものをどういうふうに正しく理解・把握するかというような能力が、まず考えられるだろうと。それをするためには、黒ポツで書いてあるような幾つかの力というものが必要とされるのではないか。二つ目の白丸は、そういったテクストなり情報なりを把握した上で、それを自分の経験ですとか、知識、感情と結び付けて、新しい考えを生み出していくというプロセスが、まず考えられるのではないか。そういった力が必要なのではないか。三つ目の白丸でございますけれども、さらに、それを書いたり、話したりという形で表現していくという際に必要となる力。大きく、この3段階のような分け方が考えられるのではないかということで整理させていただいたものでございます。
 それから、二つ目の観点としては感性・情緒の側面ということでございまして、こういった知的活動で培われた、論理的な思考ですとか、情報を正しく認識するというような能力をベースにした上で、どう情緒・感性を育んでいくかということになろうかと思うのですけれども、例えば、相手や作品の中の人物等の思いや感情、作品の内容・表現などを感じ取ったり、感動したりする力、言葉から事柄などを推し量り、自由にイメージを思い描く力、言葉によって思いや感情を意識化し、感性をより高めたり、感情の表出をコントロールしたりする力、こういったような力が考えられるのではないかということでございます。
 それから、三つ目の側面といたしまして、コミュニケーションということでございますけれども、上の知的活動や感性・情緒といったような能力に支えられた上で、コミュニケーションをしていく力というものが考えられるのではないかということでございます。その際、読み手や聞き手を意識・想像する力、あるいは、相手に配慮した表現、相手の視点を考慮して話などを展開していく力、それから、伝え合うことで自分の考えを広げたり、深めたりしたり、協働して考えを形成したりする力、こういったような力が考えられるのではないかというところでございます。
 この思考力・判断力・表現力というものを支える個別の知識・技能としてどういうことが考えられるかというのを、一番左側の欄に示させていただいております。これは、今の国語の言語事項ですとか、外国語科におきます言語材料などに書かれている内容を参考にしながら、ある程度共通性のある内容ということで、少し絞り込んだ形で書かせていただいたものでございます。大きく言えば、言葉の特徴や決まりに関する知識や技能ということで、言葉の働き、役割、文字や符合、音声、語の意味や慣用表現、語彙、文の構成、文法、文章の構成や組み立て、表現の技法や工夫、そういうようなものが言語能力を支える個別の知識や技能として考えられるのではないかということでございます。
 一番右側の学びに向かう力、人間性といったところでは、大きく、知的活動、感性・情緒、コミュニケーションという、この三つの柱を意識して書かせていただいておりますけれども、まず一つ目は、言葉を通じて、自分のものの見方、考え方を深めようとしたり、集団の考えを発展させようというような態度。二つ目は、感じたことを言葉にする、あるいは、それを互いに交流させることを通じて、心を豊かにしようとする態度というものが考えられるのではないか。三つ目は、言葉を通じて人や社会に積極的に関わって、自己を表現し、また、他者を理解するというようなことを通して、他者などに対しての理解を深め、尊重しようとする態度というのが考えられるのではないかということでございます。それから、四つ目としては、言語文化に対する関心、こういうものが考えられるのではないかということでございます。
 続きまして、資料4でございます。資料4につきましては、今御説明いたしました資料3の整理を前提といたしまして、言語に関する資質・能力を、特に言語に関する認知と思考といったプロセスに着目して要素を整理するとすれば、どういうような整理が考えられるのかというところで用意させていただいた資料でございます。上の部分、テクスト・情報の理解というのが、いわゆるインプットの関係の、どちらかというと、聞く、読むといったような能力を前提としたものでございます。下の方は、文字や音声による表現ということで、書くとか、話すといったような、アウトプットの部分に関わる能力といったような考え方で整理させていただいたものでございます。
 まず、上の方のテクスト・情報の理解ということで申し上げますと、左側、構造と内容の把握というのは、まさに書かれてあったり、提供された情報というものは、どういうことが情報として含まれているのかということを正しく認識・把握するというようなプロセス。そこで働く能力というのが、吹き出しで書いてございますように、まずは、言葉の特徴や決まりに関する知識・技能というものを活用していくというような力が必要でございましょうし、書き手や話し手の意図や立場を理解していく、場面や文脈を理解していく、照応処理、指示語が何を指定しているのかというようなことの特定の作業、あるいは事実と意見を区別していく、文と文の関係や文章全体の構成の理解、情報と情報、書かれていの内容のパーツとパーツというものがどういう関係になっているのかというのを、例えばそれは、原因と結果なのか、判断と根拠なのか、というようなことを理解していく力、さらに、書かれている内容を理解していく上で、既有知識に基づいて補足というようなことをやるというような作業が必要でございますので、そういった能力も必要ではないか。さらに、言葉の使い方に対する美醜みたいな、言語感覚というような力も必要であろうと。次の展開を予測しながらテクストなりを読むという能力も必要でしょうし、そこに表れている感情というようなものの読み取りというような能力も必要ではないかということで、あくまで例示でございますけれども、こういったものが考えられるのではないかということで整理させていただきました。
 まず、テクスト・情報について、その構造と内容をきちんと把握した上で、これに、自分なりの考え、評価というものを加えたり、新しいものを生み出していく、新しい自分なりの考えを生み出していくという過程が、次の過程であろうと。そのためには、新しい情報を――新しい情報というのは左側のところで得た情報でございますけれども、既に持っている知識や経験・感情に統合していくというプロセス、能力が必要ではないか。さらに、その上で全体として首尾一貫した意味・内容を自分なりに再構築・構造化していくという、そういう力が求められるのではないか。
 右側にループになっているような形で描かせていただいておりますが、ここで得た能力というものを次のテクスト・情報の理解へ活用していくということも考えられますし、また、次の表現のステップに行くというような流れも考えられるだろう。
 さらに、上下に向いた矢印がございますけれども、これは必ずしも左から右へずっと流れるというわけではなくて、表現と行ったり来たりしながら、あるいは、上のテクスト・情報の理解の左から右の流れも、右に行きつつ、左に戻ったりというような、行き来はあるだろうという前提で描かせていただいております。
 下の方、文字や音声による表現のプロセスということになってまいりますと、これは、何を話すか、何を書くかというのを作り上げていく過程ということになろうかと思いますが、命題の設定、伝える情報の取捨選択・構造化、内容・構成・表現の検討、表現というような、大きく四つに分けて示させていただきました。内容・構成・表現の検討の中では、上の構造と内容の把握で働く能力とかなり近いものが、要素としては近いものが働くだろう。使い方は多分、インプットとアウトプットという、場面が違いますので、違った使い方がなされるだろうと思いますけれども、要素としてはかなり似通ったものがあるのではないかということで、書かせていただいております。それから、表現の部分におきましては、その下にちょっと色を変えて推敲ということを書かせていただいておりますけれども、表現をしていく、例えば書きながら推敲して文章表現を高めていくというような力ですとか、状況に応じた、これは特に話している場合ですけど、相手の表情を見ながらとか、そういう対応で話す内容を変更していったりというようなプロセスが、表現の過程の中で働いていくのではないかということでございます。これも、上のテクスト・情報の理解のプロセスと同じように、ここで獲得した知識や考え方、スキルのようなものは、次の理解や表現といったようなプロセスに応用可能であろうと、移行していくだろうということで考えさせていただいたものでございます。
 以上の資料を基に、資料2にお戻りいただけますでしょうか。本日、特に御意見を賜りたい点ということでございますけれども、まず、言語能力というものについて、その資質・能力を三つの柱に整理する。それから、認知・思考のプロセスがどういうプロセスで動くのかというのをある程度このチームでおまとめいただきたいと思っているわけでございますが、これについては、国語ですとか外国語科というところでこれから特に資質・能力について3本柱に沿って整理していくという議論を本格化していくわけでございますけれども、そちらに参考にしていただくということもございますし、また、国語科や外国語科のように言葉を直接の対象としている教科以外にも、やはりこういった思考や認知のプロセスというのがどういうふうに働くのか、どういう要素が資質・能力として含まれるのかということを示すことは、ほかの教科のワーキンググループでの検討にも大いに資すると考えてございますので、ここで少しお時間を頂いて十分な御議論を頂いて、おまとめいただければと思っているところでございます。
 資料2の方でございますけれども、まず、論点1につきましては、資料3で整理いたしました、個別の知識・技能、思考力・判断力・表現力、学びに向かう力、人間性という、この三つの柱それぞれの整理の仕方について、適当か、おおむね適当かなのかどうかというようなところ。特に、マル2の思考力・判断力・表現力につきまして、知的活動、感性・情緒、コミュニケーションという三つの側面で整理させていただきましたが、そういった整理が妥当かどうかというところも含めて、その全体のバランスというものが妥当かどうかというようなところについて、御意見を賜れればと思っております。
 それから、論点2につきましては、資料3の整理を前提に、言語に関する資質・能力を言語に関する認知と思考のプロセスに着目して要素を整理させていただいたものが資料4でございますけれども、テクスト・情報の理解というインプットの部分、文字や音声による表現というアウトプットの部分のそれぞれの基本的な流れ、あるいは、そこで必要となる力・要素といったようなものが適切なのか、どうなのかといったような点。それから、知的活動の側面のみならず、感性・情緒、コミュニケーションというような観点を、事務局の方ではある程度入れられる部分は入れたというつもりでございますけれども、まだまだ十分ではないというようなことを感じておりまして、そういった感性・情緒、コミュニケーションといったような側面というのは資料4の中にどういうふうに位置付けられるのかというようなところについて、また御意見を賜れればと思っております。
 それから、本日、論点3まで行けるかどうかというところはあろうかと思うのですけれども、もし時間が許すようでしたら、資料4については特に発達段階を考慮しない形で書かせていただいておりますので、小、中、高というような発達段階を考慮した場合に、この資質・能力の要素というものはどういった違いが出るのかというようなところについても、本日、時間があれば、御議論を賜れればと思っております。
 論点4については、もしお時間があるようでしたら、改めて後ほど御説明させていただきたいと思います。
 私からの説明は、以上でございます。

【亀山主査】
 ありがとうございました。
 では、これより意見交換の時間とさせていただきます。まず、論点1につきまして、御意見を頂きたいと思います。御意見のある方は、あらかじめ名札を立てていただきますと、私の方で順次指名させていただきます。また、発言が終わりましたら、元に戻してください。また、発言の際にはマイクのスイッチをオン、発言後にはオフをお願いいたします。
 今、平野調整官の方から説明がございましたが、我々この特別チームに与えられている課題というのは、言語能力というものをいかに構造的に可視化するかという、これが大きな使命として与えられているわけですね。そのたたき台となる資料を作っていただきました。まず、これをしっかりとごらんいただきながら、こういった三つの整理の仕方、また、それぞれの項目の立て方が適当かどうかといったところを御議論していただきたいと思いますが、いかがでしょう。
 酒井委員、お願いいたします。

【酒井(邦)委員】
 私は主に、マル2の思考力・判断力・表現力について、お話しいたします。それぞれの項目について一つずつお話しいたしますが、まず、知的活動という捉え方が曖昧で、人によって、捉え方としては、感性・情緒やコミュニケーションを含めて、知的活動と捉える人もいると思います。だから、頭脳を使う、脳を使うのはみんな使っているわけなので、分かりにくくて長いということがあるので、もしこの中で一つキーワードを取るならば、創造的思考というふうに代表させてもよいのではないか。つまり、論理的思考はベースにはありますが、クリエーティブにものを考えるというところをむしろ前面に出した方が、ここの全体が生きるような気がします。つまり、知的活動と漠然と言ってしまうと、せっかくこの中にかなり豊富なメッセージが入っているところがかえって分かりにくくなるのではないかというのが、1点です。
 2点目は、次の感性・情緒のところですが、2番目のポツで、自由にイメージを思い描く想像力という、イマジネーションの想像力を是非入れていただいて、想像する力、もう一つの方を重視すると、分かりやすいかなと思います。
 3点目は、コミュニケーションのところですが、今の想像に近いことが既に書いてあるのですけど、2番目のポツで「読み手や聞き手を意識・想像する力」とありますが、当然、その前に先立って書き手・話し手も入れないといけないわけなので、少し長いですから、一言で言えば、「他者の心を想像する力」というふうにまとめるか、それに四つ入れてももちろんいいのですけれとも、基本は、コミュニケーションというのは人の心を理解すると。自分が話していても相手の心がちゃんと動くかどうか、発せられたときに相手の心は一体どうなのかという、そこに対する想像力という形で補っていけばよろしいかと思います。
 以上、3点です。

【亀山主査】
 ありがとうございました。
 松川委員、お願いいたします。

【松川委員】
 少し観点が違いますけれども、私も資料3の3本柱の整理の図式の中の、特に3番目の、「どのように社会・世界と関わり、よりよい人生を送るか」という、学びに向かう力、人間性という柱を立てられたというのは非常に、ある意味で今までにないポイントで、人間性とか社会的スキルというものを重視するという観点で言語に関する資質・能力を捉えるというのは、大変重要なことだというふうに思っております。その上で、ここに書かれている記述は反対するような記述はないわけですけれども、今の、特に学校教育を巡る環境というものを考えたときに、もう少し考慮していただきたい点を2点申し上げたいと思います。
 1点目に「言語文化に対する関心」というのがフレーズだけで簡単に書かれておりますが、言語文化というのが何を意味しているのか、いま一つ分からないということでございます。
 国語や英語で言葉そのものを学んだとしても、結局、その背景にある社会的あるいは文化的な規範などを理解してないと、なかなか、実際の生活の中で言語を適切に使っていくということは難しいわけでございます。
 そういう意味では、最近、学校で特に大きな話題になっていることの一つとして、18歳選挙権ということで主権者教育というのが出てきていて、これは特に高校だけがやることではないわけですが、非常に話題になっているわけでございます。これを言語に関する資質・能力という観点から考えてみたときに、例えば、これから、候補者の公約だとか、選挙演説だとかというのを聞くということになるわけです。それから、メディアで報道されるものというのを読み取っていくというのは社会的なスキルとしての言語能力というのが実際に発揮される場面になるわけですけれども、その場合にも、例えば、同時にアメリカ大統領選のニュースというのも見ることができるわけです。テレビ討論会とか、そういうのがあって、それを見聞きすると、日本と、かの国ではいかにも違うということも認識したりするわけです。それから、それ以外の国でも、例えば、いろいろな事件があった場合に街頭インタビューというのがマスメディアでされるわけですけれども、それに対して答える日本人の反応と外国人の反応というのを時々見ていると、随分違うと思うことがあるわけです。
 だから、そのような観点から言語に関する資質とか能力を捉える、また、それに向けて教育していくということは簡単なことではなく、言葉だけを学べばいいというものではなくて、その背景にある社会的な規範、日本ですと、例えば、小学生くらいは非常に活発に教室でも話すのですが、年齢が上がっていくに従って、高校生くらいになると、先生が話している途中で話をしたり質問したりするのはよろしくないということを社会的な規範として学習していくので、おとなしくなっていくわけです。話せるけれどもだんだん話さなくなっていくということを、日本人として言語能力云々の背景にある社会的な規範とか文化として学んでいくわけです。そういうことが他の国にもあって、言語能力という普遍的なものもあるけれども、社会的・歴史的、様々な文化がもっている、高度に基づいた適切な行動をとらないとコミュニケーションは円滑に進んでいかないということを学んでいくわけですけれども、そういうような視点を考えていく必要があるのではないかというのが、1点です。
 もう1点は、ここは望ましい能力を書くわけですけれども、言語の機能というのは人を大変傷つける機能というのがあるわけでして、学校で今最も問題になっている、いじめやコミュニケーションに困難を抱える子がいるという問題は、やはりこの言語に関する資質・能力で、言葉がネガティブに使われたときの耐性がないとか、例えば、スマートフォンやLINEなどで言葉をネガティブに使用されたときに、どうしたらいいのかということについて適切な教育をすればいいということだけではないかもしれないけれども、子供たちの社会的スキルという観点から見た言語能力を考える場合に見逃すことはできない重要な側面だと思うのです。そういうことも考慮に入れながら、単に「国語で」「英語で」学んでいけばそれでいいという問題ではなく、教科横断的な言語能力ということにも関わると思うのですけれども、せっかくこういう柱を立てていただいた上は、そういう側面についても何らか形で記述があるといいと思いましたので、発言させていただきました。

【亀山主査】
 貴重な御意見、ありがとうございました。社会的能力としての言語スキルという問題ですね。
 先ほど酒井先生の方から出た創造的思考というところなのですが、私、理解が及ばなかったものですから、「知的活動(論理的思考とそれに支えられた創造的思考等)の側面」と書いてございますが、ここをどういうふうに整理するとよいという御提案だったのでしょうか。申し訳ありません。よろしくお願いします。

【酒井(邦)委員】
 括弧の見出しで入れるところは創造的思考の側面ということで単純化して、むしろ下位の項目に、論理的思考に支えられた能力とか、そういうふうに整理し直す方がよいのではないかと。知的活動は全般に及ぶので、余りその言葉を未定義で使わない方がよいという。

【亀山主査】
 なるほど。ありがとうございました。了解いたしました。
 次に、松川委員の方から出された、とりわけ、学びに向かう力、人間性等、一番右側の3番目の柱ですけれども、ここに、いわゆる社会的能力としての言語スキルという、そういう提示がございました。主権者教育というものがなされる中で、いかに他者の言語を理解するかということですね。また同時に、言語の機能として、傷つける能力の機能性というものがある。そういったものに対する耐性というものを養う、そうした方向性の議論も必要だという、そのような御意見だったと思います。
 ほかにございませんでしょうか。キャンベル先生、どうぞ。

【キャンベル主査代理】
 私も、資料3の2番目、思考力・判断力・表現力等に関して思ったことが一、二ありまして、発言をしたいと思うのですけれども、一つは、これは非常に個別に、先ほど酒井委員がおっしゃったように、非常に豊かな、いいアイテムといいますか、是非補強していっていただきたい部分もあるのですけれども、これを構造化するときに、考えの形成というのが資料4にもあるのですけれども、これが一つのモデルとして発信あるいは発話がなされ、そして、それに気づき、その言説に接し、取り組み、理解することから、自らが既知として持っている事象あるいは経験・感情の中から、それを再構成したり、構造化したり、そして、それを表現する、微調整をする、推敲するという、一つの時系列としての流れが、この二つの資料にベースとして、構造としてあるのですけれども、実際、教室の中で例えば教科書を前にして、あるいは宿題をするときに、これはかなりリアリティがあるだろうと思うのですけれども、ただ、現在、あるいはこれからますます、例えばインターネットの中で様々な情報に取り組んだり、動画と文字が混合体になっているような情報であったり、それから教室の中でもアクティブ・ラーニングということが今から強調されるので、このように、時系列的といいますか、リニアといいますか、こういうふうにとんとんとんというふうにある考えというものが成り立っているということ自体の示し方、もう少し、らせん状的、あるいは共時的にいろんなことが起き、そして実際に表現が、例えば、発想であったり、あるいは情報への気付きということを促すという実態を、もう少しこれがつながるような、丸いような構図がいいのか、らせん的な重層的な構造がいいのか、これは議論をすればよいと思うのですけれども、プロセスが繰り返し、繰り返し、私たちの日常の思考というものがあるということはリアリティーを少し欠いているような感じがしますので、まずこれを整理して、実際に提示を明示していくときに、是非工夫をしていただきたいというふうに思ったことが1点です。これは、一種のプレゼンテーションといいますか、ただプレゼンテーションだけではない、多分これは内容にも関わることだと思いますので、少し考えていただきたいなあというふうに思いました。
 少し中身に関わることですけれども、この1、2、3、言説に接し、取り組み、理解する。それから、再構築する。表現をする。この流れに関しては、私、基本的に異存はないのですけれども、一つ、最初の理解するところでは、書き手あるいは発信元の立場を理解するということが項目として書いてあるわけですけれども、それとは別に、伝え手、書き手、発信元の信憑性であるとか、信用性であるとか、認証に耐えるかどうかとかという、それにつながる能力。つまり、ウエブ情報であれば、まず、これは情報として認知すべきかどうか、あるいは認証すべきかどうかという。これはウエブに限ることではない。雑誌であっても、漫画であっても、恐らく日常会話の中でも、もともと、伝え手、目の前にいる相手の言説・言論そのものが、どういうオーソリティーを持って、あるいは、これが正しいか、そうではないかというようなことを、つまり妄信しない姿勢を育成する力ということを、是非ここに一つの項目として盛り込んでいただきたいというふうに思います。
 二つ目の白い丸に関して、つまり再構成するというところですけれども、これは非常に穏当だと思うのですが、新情報と既知の事象・経験の中から、例えば新たな問いを立てる力であるとか、もちろん新しい情報の適否をただす力、これは最初にも申し上げたことですよね。それに関連して、ここの2のところは、論語には「述べて作らず」という言葉がありますけれども、要するに、ここでは再構成をして述べていくわけであって、作る、自分から問いを立てる、問いを見出すということが、私はとても重要だと思うのですけど、この全体の流れの中からはちょっと欠けているのではないかというふうに思います。実際に、丁々発止、ディベートをするときに、単に理解して、それを再構成して、それを吐き出しただけでは、ディベートは深まらないし、勝ち負けではないかもしれませんけれども、しかし、言説の中から、その繰り返しから、新たな思考が生まれる、問いが生まれる、自らの関心というものが広がっていくというような、そういう部分をここのところに是非組み込んでいただきたいなあというふうに思います。
 以上です。

【亀山主査】
 ありがとうございました。
 キャンベル先生の御意見は、このまとめ方ですね。今はどこかリニアな感じになっているわけですが、よりリアリティーを持たせるためにはもう少し、更なる構造化というのでしょうか、逆に、それが我々ここで求められている作業なのかなと。今、リニアなものとして提示されたものをいかに改変していくか、新しい構造として見せるようにするかということが求められているのかなということ。
 もう一つは、発信元の信頼性、あるいは情報そのものの信憑性をどう見抜くかといいましょうか、そういった嗅ぎ分ける力というものも大事だろうということだと思います。これは情報リテラシーの根本に関わる問題でもありますので、言語能力をはかる一つの指標として、こういったものも立てるべきだという意見だったと思います。
 ほかに幾つか、貴重な御示唆がございました。ありがとうございました。
 では、矢原委員、お願いいたします。

【矢原委員】
 失礼します。今おっしゃられたことに大きく関わると思うのですけれど、思考力・判断力・表現力のところで、今、本校、学校現場では、批判的思考力をどのように付けていくのか、どのように育成していくのかというのを、よく議論しています。先ほどキャンベル先生がおっしゃられていたことは、その批判的思考力につながるところではないかと思います。情報を吟味していく。本校でも、ディベートをかなり取り入れております。日本語でも行っていますし、英語でも行っているのですけれど、やはり、相手の情報を鵜呑みにするのではなくて、しっかり吟味していく。文章を読んでいくときもそうだと思います。そういったところで言うと、例えば比較をしていくような能力も要るのかなというふうに感じます。また、表現するときも、相手に分かりやすいというようなことで、具体化、抽象化というところの、自分が例えばディベートで述べていく意見についてかなり吟味している、そういった様子が実際見られるので、表現のところにも、そういう抽象化していく、または具体化していく、そういった操作をしていく、階層化していくという、そういったものも要るのかなあと思います。私も、学校現場から見て、教師の立場で見ると、思考力・判断力・表現力のところは非常に力が多いなというふうに、改めて思いました。その中で、知的活動の二つ目の丸のところに幾らか細かい部分が加わってくればいいかなあというふうに思います。
 以上です。

【亀山主査】
 ありがとうございました。
 西辻委員、お願いします。

【西辻委員】
 主に論点1についてですけれども、今、いろいろ御発言があった中でも、真ん中の思考力・判断力・表現力(知っていること・できることをどう使うか)というのが、このままでいくとどんどん膨れ上がってくるのではないかなあというふうに思うわけです。個別の知識や技能というのは、知っているかだけではなくて、何ができるかというのも含まれているので、これは、発達の段階を考えていくと、くさびのようになっていくのか分からないと思うのですけど、個別の知識や技能というのは、小学校の低学年では太くて、どんどんとんがって細くなっていく。思考力・判断力・表現力というのは逆に発達段階が上がっていくに従って太くなっていくというようなこともあり得るかなあと思うのですけれども、これから申し上げるのは、国語科の中では、従来、技能と思考・判断・表現というのは截然とは分けられないということで今までずっと来てきたことに対して、少し何とかならないかなあということを申し上げたいと思うのですけれども、個別の知識や技能の中の何ができるかのところに、例えば、読むこと、聞くこと、書くこと、話すことという、理解の部分と表現の部分の、何ができるかの基礎的な部分については、こちらへ移すというのもあり得るのではないのかなあと。すなわち、思考・判断・表現というのは、創造的な思考とか、考えるということを含む部分で、例えばPISA調査の読解力の側面の中の情報へのアクセスとか取り出しのような部分については、何ができるかの部分へ移すというのも一つの考え方ではないのかなあと。そういうことである程度バランスをとりながら、逆にそれぞれの発達段階でのウエートというのを考えていくというのも方法ではないかなあというのが、論点1に対する一つ目の意見です。
 二つ目の意見として、学びに向かう力、人間性等という、この部分は非常に大切だと思うのですけれども、皆様もお感じになっていると思いますが、相当、今の段階では抽象度の高い表現しかできていない。現行の学習指導要領等がこの部分についてはこの程度の抽象度で書いているというところが影響していると思うのですけれども、ここの部分はやはり、特に思考力・判断力・表現力などとも絡め合わせて、より具体的に示していかないと、きょうの総則・評価部会からの御意見にもありましたけれども、このままでは一般の国民の皆様がなかなか理解しにくい表現になっているのではないかなあと。そういうふうに思いますので、ここの部分はこれからもう少し具体化していく必要があるのではないかなあというのが、論点1の二つ目です。
 それに沿って、論点2ですけれども、ここのところも、ぱっと見たときに、資質・能力、三つを書いているのか、それとも真ん中の思考力・判断力・表現力だけに特化しているのかというあたりはちょっと微妙だというふうに言われかねないなあという気もするので、三つの資質・能力全部であるならば、そこの部分をもう少し明示した方がいいのではないか。認知と思考のプロセスということは、考えの形成という矢印を付けると、どうも真ん中の部分だけで作っているような感じも受け取られかねないかなあと、そういうところもありましたので、その点については更に考えていかないといけないのではないかなあというふうに思いました。
 以上です。

【亀山主査】
 ありがとうございました。
 では、今井委員、お願いいたします。

【今井委員】
 今井でございます。前回は残念ながら欠席でしたので、いろいろな、前回の流れなどを把握できかねているところもあるかと思うのですけれども、今発言された先生からもありましたように、これは誰を対象にして書いているものなのかということをもう一回考えた方がいいのかなあと。国民全般、あるいは現場の先生に対してということでも、この抽象度だと、なかなか理解してもらえないし、情報量も多過ぎるし、こんなにたくさん書いていると、たくさんあってもうだめっていうか、私、認知心理学が専門なので、人が一度に情報処理ができる能力というのは限りがありますし、大事なことと、それに付随してあることのめり張りがちょっと足りないのか。足りないというか、めり張りを付けた方がいいのかなあと。一番伝えたいメッセージは何で、そこに付随してこういう能力が育成できたらいいですよねみたいな、もうちょっと階層的に。さっきキャンベル先生おっしゃっていたように、らせん状にというのはとてもいいとは思うのですけれど、それを1枚の紙として見せるのもなかなか難しいかなあとは思うので、めり張りを付けて、一番大切なことを、何が伝えたいかというところを、平たくこうこうというふうに書くのではなくて、どーんと大文字か何かで大きく書いて、その下位項目として幾つか書いていった方がいいのかなあというふうに思いましたし、それに関しても、一番最初にちらっと見るものに関しては、本当に絞り込んだ方がいいのではないかなあと。これは全体的な書きぶりで、誰に対して伝えるのかということを意識したときに、その人が適切に情報処理をできるというか、してくれるということです。できないということはないと思うのですけど、忙しい中で人がどこまで細かく見るかというところというのはかなり限りがあるということを私たちも意識した方がいいのじゃないかなあ。
 それから、今発言された先生の御意見にもありましたように、個別の知識というのが、例えば、文字や符合とか、音声とか、語の意味とか、語彙とかっていう、これらは言語を構成する大切な要素なのですけれど、これが独立してあって、これを独立していろいろ覚えることが言語力の育成になるような、この書きぶりだとそういう印象を受けてしまうのですけれども、私の私見としては、一番大事なのは、子供に身に付けてほしいと思うのは、言語というのは、ただのいろんな、例えば単語だったら単語をたくさんテストで書くように、そういう単語の意味をたくさん覚えるというようなことではなくて、言語というシステムがどういうふうに働いているのかというような、まずそこを気付くということです。言語はシステムとしていつもダイナミックに機能しているものなのだというような、そういうことに気付いてもらいたいなあというふうに思うのですね。母語の場合だったらそれほど問題ないと思うのですけれど、外国語の場合には、ほとんどの大人の人でさえも、いろんな外国語を学習することは、それぞれの要素、文法要素とか、単語をたくさん覚えることが一番大事というふうに思っていて、それらが全部システムとしてどういうふうに働いていて、それぞれがどういう仕組みで成り立っているかということを自分で発見しようというような態度になかなか至らないのだと思うのですね。教育の目標としては、母語にしろ、外国語にしろ、そういう態度を育成するということが一番大事で、でも、それってもちろん、育成しますよと、直接、子供にそういうことを教えても何のことだか全然分からないと思うので、そういう気付きに導けるようなカリキュラムの工夫なり、教え方の工夫なり、そういうのはすごく大事じゃないかなあというふうに思いました。
 例えば、ここで語彙というふうに、ただ「語彙」って一言書いてあるのですけれど、語彙の問題って、私は語彙の習得を研究しているので特にここは気になるところなのですけれども、同じ単語でもすごくいろいろな意味で使えますし、あるいは、ある状況で同じことを言うにも、語彙の選び方で、言い方の印象も変わりますし、的確性も変わりますし、そういうようなことですよね。だから、そういう気付きというのがすごく大事で、それは文化の気付きにもつながると思うのですね。それは、語彙というのが、必ず英語と日本語で辞書に載っているように対応するわけではなくて、英語、日本語はそれぞれ文法でも語彙でも違うシステムなので、そのシステムの中でどういうふうにして概念のスペース(空間)を切り分けて、こういうふうに切り分けているのだ、そこにはこういう文化背景があるのだというところまで踏み込んでいかないと、今、ほとんどの子供も、大人の多くも、単語というのはただ覚えるもので、一生懸命、TOEFLなんかの受験勉強のために英語の単語に日本語を張り付けて、それが多ければ多いほどいいというふうに考えている人がとても多いし、いわゆる受験産業なんかでもそういうような教え方が多いのじゃないかなという印象があるのですけれど、そういうような、語彙を深めていく、言葉の意味というものに対してすごくセンシティブになっていくというような、それはもちろん、言葉の意味だけではなくて、文字についても、音声についてもそうですけれども、それぞれがそれぞれシステムとして働いていて、そのシステムを何とか自分が発見していくことが大事というような、それは、子供のうちは無意識にやっているわけですけれど、外国語になるとさっぱりそういう意識がないような感じがいたしまして、国語と連携してそういう意識を育てていくということは、個別の知識を羅列するよりも大事なことなのではないかなあというふうに思いました。
 以上でございます。

【亀山主査】
 ありがとうございました。シンポジウム的になってきましたね。

【今井委員】
 済みません。

【亀山主査】
 次に、高木委員、お願いいたします。

【高木委員】
 論点1につきまして、特にマル1のところで2点、お話しいたします。きょう示していただきました資料3の表ですが、これを見ますと、左側の個別の知識や技能、真ん中に書いてあります思考・判断・表現、左側の知識や技能はどちらかというとコンテンツベースの能力を示しており、真ん中はコンピテンシーベースという、この両方をバランスよく付けていくのが非常に大事であろうというふうに思っています。ただ、きょうの議論の中で言うと、真ん中の思考・判断・表現等が非常に充実してきて、これはこれから学年の発達段階にそれぞれ振り分けていくような内容が示されていると思いますので、現段階ではできるだけ多くのものをここに洗い出しておいた方が今後のことにはいいというふうに思っていますが、ちょっと心配しているのは、個別の知識や技能は、まだこれから出てくるとは思いますが、例えば、文章の構成とか、表現の技法とか、これは英語も国語も関係してきますし、さらには指導事項として必要なものを挙げていく作業が必要になってくるかなというふうに思っております。これが第1点でございます。
 第2点ですが、先ほど西辻委員の方からもお話ししましたが、この三つ出ていることは、先ほど平野さんからも言われたように、三角形の図を大事にしていると。論点整理の三角形の図で、学びに向かう力、人間性等は独立してあるものではないというふうに私は思っておりまして、個別の知識や技能、思考力・判断力・表現力等との往還作用がなくては、この項目だけを独立して設定するわけにはいかないというふうに考えております。要するに、学校教育の中で、個別の知識や技能、さらには思考力・判断力・表現力等をバランスよく育成しながら、最終的にはそれを統括する形で学びに向かう力や人間性等という、三角形の図の上のところへ収れんしていくというふうに思っています。これは実は評価とも関係してくると思っておりまして、学びに向かう力や人間性等だけが独立してあるのではなく、それぞれの要素を中心に学んで、そして、それが最終的に実社会・実生活に向き合える能力として示していく形でありますので、当然、この学びに向かう力、人間性等に書かれる内容は、個別の知識や技能、思考力・判断力・表現力等に書かれている内容をベースにしながらこの項目を作っていくという、そういった流れにしませんと、先ほど申し上げました、学力としての往還作用というか、積み上げができないというふうに考えております。これは、言語に関する資質・能力だけではなくて、今回の評価そのもの、全ての中でこの三つの図を使うときには考えていかなくてはならない考え方になるというふうに思っております。
 以上です。

【亀山主査】
 ありがとうございました。
 では、次に酒井委員の御意見を伺って、論点1については議論を終了したいと思います。次の論点2に行きたいと思います。

【酒井(英)委員】
 資料3に関わってですけれども、個別の知識や技能に基づいてどう使うかというのが、思考力・判断力・表現力等の欄になっているかと思います。そういう意味では、一番左の知識・技能のところの知識あるいは技能を使って、真ん中の知的活動、感情・情緒の側面、コミュニケーションの側面が可能かというと、可能でない要素が出てくるであろうと思います。それは、特に私は英語教育ですので外国語について考えるわけですけれども、松川委員がおっしゃったように、例えば、真ん中の思考力・判断力・表現力等では、相手、場面、こういう言葉が出てきています。ここには当然、文化的な差異であるとか、社会言語学的な知識であるとか、あるいは語用論的な知識、こういうものが関わってきますので、文化という側面についての知識・理解というのが必要になってくるのではないかと思っています。同様に考えますと、言葉の働きということがありますけれども、この働きは別の資料の方で細かく例示されていますが、これについても実は、例えばですけれども、日本の謝り方、それから、海外、それぞれの地域の謝り方、誤りの方法そのものが異なります。謝り方が異なることによってコミュニケーションがうまくいかないということも、多々生じるわけです。そういう意味では、言葉の働きそれぞれをとっても文化の要素というのが必要になってきますので、そういう要素を入れる必要があるのではないかなと思っています。
 二つ目ですが、一番右側の学びに向かう力、人間性等ですけれども、ここに挙げられている上3点は、ある意味、言語使用に関わる事柄になると思います。4点目、言語文化に対する関心、これも英語教育の中ではちょっと曖昧な言い方であるというふうに私も理解はしたわけですけれども、今後、知的基盤社会が進んでいく中で常に言葉の力を伸ばしていかなきゃいけないということを考えると、例えば言語能力そのものを豊かにしていく姿勢を学校教育が終わってからでも続けられるような、そういうような態度というのは必要なのではないかと思いました。
 以上、2点です。

【亀山主査】
 ありがとうございました。
 名札が死角になって、見えないのですね。こちらに見えるように、お願いいたします。どうも失礼いたしました。
 では、島田委員、お願いいたします。

【島田委員】
 島田でございます。一つ目の論点にございました、資料3のまとめ方が適切かどうかということだったかというふうに思いますけれども、かつてといいますか、今でもそうかもしれませんけど、よく言語運用能力というような言葉が使われておりまして、私どもはそれに比較的よくなじんでいると思うのですけれども、言語運用能力という考え方とこの三つの分類というのがどういうふうに関わるのかなというふうに考えました。そうすると、私の理解では、言語運用能力というのは、言葉をどう使って社会とどのように切り結んでいくのか、そういう能力に関わるということなので、この分類で見ると二つ目と三つ目のあたりなのかなというふうに思います。そのような観点からこの表の細かな項目を見てみると、やはり中には、個別の知識や技能、何ができるかというところへ移っていくというようなものもありそうに思いますということです。
 これだけにしておきます。

【亀山主査】
 ありがとうございます。
 論点1及び論点2を総合的に議論するということでもよろしいかということで提案がございましたので、福田委員、田中委員の方からも、御意見を伺いたいと思います。
 では、福田委員、お願いいたします。

【福田委員】
 私は、2点ほど、お話をしたいと思います。1点目は、言葉の働きという中に、本人の情緒をコントロールするという働きがあると思うのですね。それをこの資料3のところにうまく表現するためにはどうしたらいいのかなあということを考えました。そうすると、思考力・判断力・表現力等の中の感性・情緒の側面というところに入ると思うのですけれども、ここには三つの黒ポツがあるのですが、三つ目のところに「言葉によって自分の思いや感情を意識化し」というようなことを入れると、それが明確に表されるのかなあというふうに思いました。感性・情緒の側面の一つ目の黒ポツは相手とか登場人物の気持ちの理解ということですので、それと対比させて、自分の感情もうまくコントロールできるよというようなことが、この表現力の中に入る。
 一方、同じ事柄なのですけれども、学びに向かう力、人間性という枠組みの中では、二つ目の黒ポツの「心を豊かにしようとする態度」というところに、もしかしたら自分の感情をコントロールすると。落ち込んでいるときに言葉にすると気分が上がるというようなことが知られていますし、それから、気分が悪いときに汚い言葉をどんどん使うと負の連鎖にはまっていくということも知られています。そういったことをこの心を豊かにするというところにもちょっと加えられるのかなあというふうに思いました。
 それからもう一つは、学びに向かう力、人間性等というところに、一つ追加したらどうですかという提案です。それは、「諦めない態度」というのを入れたらどうかなあというふうに思います。言語力を伸ばすことによって、言語という道具を使えば、情報は理解できるのだ。他人とコミュニケーションすることによって、理解し合えるのだ。諦めないというような、そういったことも、この学びに向かう力とかに非常に関わりある態度なのかなあというふうに思いました。
 以上です。

【亀山主査】
 ありがとうございました。
 では、田中委員、お願いいたします。

【田中委員】
 私は論点1の資料3のところで一つ御提案したいと思うのですけど、一番左側の個別の知識や技能(何を知っているか、何ができるか)のところですが、現在ここに書いてあるのは、言語の構造的なことが列挙してありますけれども、最初に御説明いただいたスライド27の、何を知っているか、何ができるか、ここに関しては、その説明の前後も見ますと、英語や国語だけじゃなくて、学校教育全般のことが、各教科のことが書いてあると思いますので、ここは言語に特化せずに、知っている知識というのは、例えば語彙ということからすると、語彙に反映している社会や理科や技術家庭や、そういった様々な知識を既に生徒たちは持っているわけなので、そういうことはここに書いて、それを使って言語の働きである思考・判断・表現をどう行うか、こういうことを前面に打ち出した方がいいのではないかと思います。それが、今回、諸方面から期待されている、このワーキンググループへの要望ではないかと思います。ですから、左側の上の方の文字や符合の括弧の中にたくさん書いてありますけれども、こういった細かいことではなく、例えば、書き言葉、そして次の音声のところは話し言葉、そういう概括的なくくりをして、書き言葉に関する知識、話し言葉に関する知識、その程度にとどめて、次の語の意味と慣用表現、語彙、ここの部分に、先ほど申し上げたような、語彙に反映している各教科、あるいは生活上、あるいは先ほど話題になった文化や社会における既有知識、そういったことを書くべきではないかと思います。そして、その後の文の構成以下、表現の技法や工夫、これは文法や文章構成のことで、思考力・判断力・表現力に極めて具体的に関わるので、ここと、きょう議論になっている一番中心のこの部分をうまくリンクさせるような、そういう方向で提案できると、今はちょっと浮いてしまっている知識、単なる、語をたくさん知っている、あるいは文法のルールを分かっている、そういう知識としてとどまっているものを思考力・判断力・表現力の方へ結び付けていく、そういう提案ができるのではないかなあと思います。
 以上です。

【亀山主査】
 ありがとうございました。
 中村委員、お願いいたします。

【中村委員】
 今の二人の先生方と重なるところもあると思いますが、資料3の一番右側の学びに向かう力、人間性というところで、最も基本的なところかもしれませんけれども、言葉そのものに対する関心とか、あるいは信頼というようなものを、分かりやすいという点では入れたらどうかということです。多様な、ネットも含めて、軽い言葉、重い言葉、重要な言葉、そうでない言葉が飛び交っている中で、それらを瞬時に判断し使いこなしながら、一方でそういう言葉の様々なありように絶望したり、あるいは軽視したりするのじゃなくて、それでも信頼して使って社会に関わっていこうというところが一つ、日常生活あるいは社会・世界との関わりというところであるのではないかと思います。
 もう一つは、論点2の方にも関わってくるのですけれども、そうしたときに、全ての教科・領域の教科書などは当然言葉で書かれていますから、そこで書かれている言葉そのものにも、教科コンテンツに目が行くだけではなくて、その教科がどのような言葉で語られているのか、あるいはその内容が示されているのかという、今まで言語活動レベルで教科間の言語活動の充実ということは行われてきたと思いますけれども、その更に延長上として、社会なら社会、理科なら理科の中で使われている言葉に子供の関心が向くというところが、例えば資料4の、今、これは、認知プロセスを支える、もう少し土台の部分で入ってもいいのではないかというふうに思いました。
 以上です。

【亀山主査】
 ありがとうございました。
 では、松本委員、お願いいたします。

【松本委員】
 私は、机上資料の27ページにあります日本版カリキュラム・デザインのための概念ということと、この言語に関する資質・能力の関連について考えてみたいのですけれども、27ページのカリキュラム・デザインの中というか、それをベースにして、言語に関する資質・能力を落し込むというか、冠の中にこれを入れ込むことに、物すごい御苦労をされたのではないかなあというふうに思います。

【亀山主査】
 緑色の資料の。

【松本委員】
 はい。このデザインの中に全て言語の要素を入れ込むということをしなければいけないのかということをちょっと考えてもいいのかなあというふうに思うのですが、なぜかというと、思考力・判断力・表現力のところが重くなっているように、言語に関しては、この思考力・判断力と、例えばですけれども、個別の知識や技能というのをどう切り離すのかというのはすごく難しいことだと思うのですね。例えば、資料3に戻りますと、個別の知識や技能の中に語彙とありますと、どうしても、先ほど今井委員がおっしゃったように、全くコンテクストから切り離された語彙のように思えるわけですね。基本語彙の場合はいいと思うのですけど、活用語彙、内容語彙になりますと、文脈とか、目的とか、内容に関わってきますので。ですから、この枠組みを使って言語に関する資質・能力をうまく整理するのは難しいのじゃないかという感じがします。
 もう一つの理由は、コミュニケーションをどう捉えるかということなのですが、先ほど酒井委員がコミュニケーションは他人の心を読み取る力というような定義をされましたけど、もしそうだとした場合にも、それは言語に頼る部分というのはかなり低くなってくるケースになります。あるいは、少なくとも言語だけではないですので、コミュニケーションと言語の関係性というのをうまく整理するのはかなり難しいことではないかなというふうに思います。右側の学び合う力、人間性のところに「どのように社会・世界と関わり、よりよい人生を送るか」というふうになっているのですが、その下位項目の三つ目の黒ポツの中には、「人」というのが入っています。人や社会と関わる。やっぱり最初に出てくるべきは、ほかの人との関係性をどう構築していくかということだと思うので、ですから、その点は強調された方がいいと思うのですが、その場合に言語という枠組みの中でコミュニケーションを入れ込むというのはかなり難しいかなという感じがします。真ん中の思考力・判断力・表現力のコミュニケーションの側面の中に「コミュニケーションする力」という表現が出ているのですが、多分、これを書かれた意図というのは伝え合うというようなことだと思うのですけど、コミュニケーションというのはそういうことだけではないし、そういう部分じゃない部分が非常に重要だというふうに思われますので、言語の中に全てを落し込む、この枠組みを入れ込むというのはかなり無理があるような気がして、発想はいいと思うのですけど、27ページのトライアングルと言語に関する資質というものの関係性をどう作っていくのかというのは難しいなと。非常に根本的なことを申し上げて申し訳ないのですけど、そのように感じました。

【亀山主査】
 ありがとうございました。おっしゃるとおり、かなり根本的な問題が出てきてしまいましたけれども、差し当たりはこのフォーマットに、ぎりぎりやらざるを得ないなと、いきたいなと思っております。
 ほかに。酒井委員、お願いいたします。

【酒井(邦)委員】
 今の松本委員の質問に答えることになると思うのですが、基本的に言葉と心というのは不可分だと思うのですね。ですから、学問的にはもちろん、現象としても分けられないものなので、我々の言葉を支えているのは心なわけです。だから、教育で何をするかという一番基本の部分は、心を育むために言葉を通して教育をするわけです。ですから、我々はやっぱり、表面的には言葉を通して解釈したり、やりとりしたりするしかないわけです、教師と生徒の関係も、他人と自分ということであっても。だから、いかに心まで豊かに言語から育めるかということが教育の一つのチャレンジなのであって、それがきちっとしていれば、問題はこういう図式でいいし、あらゆるところに心の問題が関わってくる。だから、我々が今言語している言語能力というのはまさに心の問題と捉えて、それを教育の基本としてあらゆる教科に指針を出すというようなミッションに恐らくなるのだろうと思うのですよ。重要性はそこにあるので、言葉をやっているから言葉だけでいいのだということではなくて、見えない心の問題をいかに言葉から解決しようかというメッセージを発すれば、おのずから、この三つを対立させるのではなくて、解決するのではないかと思います。
 お話ししたかったのは資料4で、かなり良くできていると思うので、もう少しポリッシュするためのアイデアを具体的に申し上げたいと思うのですけれども、まず、マイナーなところからいきますと、一番左側に縦になっている「文字や音声による表現」というのは余りに要素的過ぎるので、ここは、「文章や発話による表現」というふうに、そういうレベルにした方がよいと思います。それから、全般にわたって「考え」という言葉と「思考」という言葉が併存しているためにかえって分かりにくくなっていて、つまり、「考え」というのが何を差しているのかが、逆に分からなくなってしまう。ですから、僕の提案としては、「考え」という言葉はやめて、一番下にある非常にはっきりした「考えの形成」という矢印は、例えばですけれども、「考え方の深化」という形で一本筋を通す。「考えの形成」ですと、先ほどキャンベル委員からあったように、らせん的だとか、決して逐次的にリニアに行くものではないわけですが、深めるという方向性がはっきり打ち出されれば、いろいろ試行錯誤しながらも、どんどん考え方が深まっていくと。それから、発達の段階を考えても、小中高を経てどんどん考え方が深まっていくという、そういう切り口が入れられるので、大きな左から右への目標の流れは、要するに時間的に考え方を深めていくというふうに入れればよいと思います。
 3番目は、赤い枠が横にあると思うのですが、「解釈・考えの形成」って真ん中にある部分。この考えは仮説というふうに捉えて、「解釈・仮説の形成」というふうに提案したいと思います。横に水平線で並んでいる二つのボックスを、それぞれを矢印にしてしまって、「構造と内容の把握」というのは左から右への矢印、「解釈・仮説の形成」というのは右から左への矢印というふうに考えるとよいと思うのです。つまり、構造や内容を把握するというのはボトムアップのプロセス、いろんなマテリアルや知覚されたものから思考を形成していく情報の流れ、それから、解釈や仮説というのは、一体それは何だろうと考えて、むしろトップダウンで落していくプロセスだと考えると、そこはうまく認知と思考のプロセスの中に入れ込むことができるだろうと思います。こういうことがすごく大切なのは、我々は基本的に、ものを考えるというのは、思い込んで、思考バイアスがある中で推論するわけです。ですから、逆に自分が分かるまでは見えないわけです。今まで考えたことのないことを聞かされても、「は?」という感じで思考停止になるわけで、だから、自分は難しいけどこういうふうに思ったって、生徒の考えた考え方の基にそれぞれの題材が解釈されると。それがだんだん深まっていく中で、当然、仮説もより深いものになっていくというふうに考えれば、ここら辺に入れられた多くのことが大分整理されてくるように思いました。

【亀山主査】
 今井委員、お願いします。

【今井委員】
 先ほど指摘された緑の冊子のトライアングルですけれども、やはり私も、先ほど御意見あったように、このトライアングルで下の二つが、知識・技能というのと思考力というのがこういうふうに示されてしまうと、あたかも違うもののように印象を与えてしまうという。意図はそうではないと思うのですけれど、受け取る側としてそういう印象を持ってしまうのではないかなあと。知識は覚えるもので、それをまた別の段階として運用を学習することが大事みたいに、そういうことを考えておられる、そういう考えになってしまいがちなのじゃないかなと思うのですけれど、実際には、例えば子供がどういうふうに言葉を覚えていくかというと、運用を通じて、運用したものをむしろ、それをたくさん経験すると自分で抽象化していくみたいな、知識というのはそういうふうにしてできていくものだし、だから母語の場合には使えるのですけれど、外国語の場合にはその順序が逆になっているので使えないというか、いわゆる断片としての知識から始めて、じゃあこの単語を使って何か会話をしてみましょうみたいな、母語の場合と外国語の場合で順序が逆になってしまっているので、使えない外国語になっているのじゃないかなあと、これは私の私見なのですけれども。なので、ここをこういうふうにトライアングルにして分けてしまうというのではなく、知識というのは使って覚えることによって、それが、抽象化、クリスタライズされるものが知識なのだというような、そういう知識観を伝えたいなあと思いますし、少なくともここで分断しているような印象を与えるような図にはしていただきたくないなあというような、それがあります。
 それから、もう一つだけ短く言いたいのですけれど、資料4の方で、今、酒井先生からもいろいろ重要な御指摘あったと思うのですが、細かいことなのですけど、右端の上の方、カーブのある矢印のところに「メタ認知した知識も含む」というふうに書いてあって、これは全く、理解できないというか、メークセンスできない文言なので、メタ認知した知識っていうのが、私にとっても曖昧なのでちょっと分からないのですけど、一般の方には本当に全然分からないと思うのですね。そもそも、メタ知識というのが何なのかということも。メタ認知ですか。メタ認知というのもあるし、メタ知識というのもあるし、こういうすごく大事なキーワードを知識がない人が曖昧に受け取ってしまう、あるいは分からないまま受け取ってしまうような、そういうような書き方をしないように気をつけたいなあと。

【亀山主査】
 ありがとうございました。
 今井委員がおっしゃるとおり、私もこの議論をする中で、例えば、キャンベル先生がいらっしゃいますけれども、キャンベル先生は、幼児期から、中学、高校に至るまでのプロセスの中でどういう言語経験をしてきたかというようなことが、非常に気になったりするわけですね。それは、こういった図式において、例えば個別の知識や技能という枠の中できちんと納めることができているのかなという。それは、先生がおっしゃられたような、この三角形の下の二つの関係とも大きく関わってくるのではないかというふうに思うわけですね。ですから、この三角形、トライアングルの図が今後の我々の議論の中でどういう形で出てくるか分からないのですけれども、少なくとも最終案をまとめるプロセスの中では、若干この図柄というものは改変した方がよいだろうということは言えると思うのですね。構造化ということが言われていますので、より新しい形で見せるということをちょっと心掛けたいと思います。
 どうぞ。

【合田教育課程課長】
 1点だけ、事務的に補足をさせていただきたいと思っております。この三角形が出てきました背景というのは、むしろ逆に、今、今井先生がおっしゃったような発想でございます。と申しますのは、御案内のとおり、戦後、教育課程については、いわゆる「知識の詰め込み」か、あるいは「ゆとり」かという、この二項対立でずっと議論してきたわけでございますが、現行の指導要領にも、まさに先生がおっしゃったように、知識というのはそれだけで独立するものではなくて、活用して探究につながるという、その習得・活用・探究という学習プロセス全体が大事だという、仕掛けとしてなされたところでございます。今回、この三角形を作らせていただいたのも、むしろ日本の学校教育の強みとして、ただ単に知識を教えるわけではなくて、それを活用したり、考えさせたりするプロセスとして行っている現場の実態を基に、更にそのことを進めるためでございます。だけれども他方で、入学者選抜を中心に、知識の量をはかるというような、そういう知識観があり、これを変えていくために、我々も、この知識と思考力・判断力というのは、本当に分かちがたい、重なるべきものだとは考えておりますけれども、一度こういう形で構造的に議論していただいて、その上で、社会とか理科ではこういう構造になりますと、また、国語においてこの三つの資質・能力というのをどういうふうに捉えていくのかと、御議論いただきたいと考えております。きょう既に、国語について、社会・世界とどう向き合うか、よりよい人生にどう向かうかということについては、他者との関わりというのがものすごく大事であるという御指摘を頂きました。そういう分析・御議論を頂いた上でもう一度整理をさせていただきたいと思っておりますが、意図としてはそういう意図だということで、補足をさせていただきたいと存じます。

【亀山主査】
 この三角形に余りとらわれ過ぎないようにということのサジェスチョンだろうかと思います。
 では、矢原委員、お願いいたします。

【矢原委員】
 失礼します。私は、資料4について、少し意見を述べさせてください。
 資料4の考えの形成のところの上の段のテクスト・情報の理解というところですけれども、矢印の右側の方の上のところはちょっと空白がありますが、ここのあたりに、価値付けをする力というような、そんなものがあったらいいなというふうに考えています。つまり、書き手や話し手が言った内容を理解して、そして、理解していく中でどのような工夫があったのか。例えば、分かりやすい。言っていることも分かるし、それが分かりやすい。例えば、具体例は、私たちにとって身近な例を出していたというようなこと。逆に言うと、言っていることは何とか分かったのだけれども、やはり分かりにくいというような評価もあるのかなと思います。そういった書き手・話し手の言いたいことを捉えるとともに、その述べ方、語り方、そういったものを価値付けしていく、そういった力もあってほしいなというふうに感じました。
 以上です。

【亀山主査】
 ありがとうございました。
 松本委員、お願いします。

【松本委員】
 先ほどの酒井委員の私に対する御回答というか、御説明に関わってですけれども、心を育むために言語を指導するということについてですが、コミュニケーションという人と人とが関わっている状況に中で言語というのはどういう役割をしているのかということについて捉え直してからそういう発想になってもいいのかなあというふうに思いますが、先ほど合田課長からもお話があったように、現行では、アクティブ・ラーニングとか、そういう指導法に関する議論あるいは実践が進んでいる中では、言語あるいは言葉をどのように使って心を育むかというところに焦点が当たっているので、心を育むために言語を指導するのだというと、言語だけが独り歩きしてしまうというような気がしますので、その辺は現場に伝えるときには注意をした方がいいのかなあというふうに思います。
 いずれにしても、コミュニケーションという言葉自体に多分、この委員の中にもかなり解釈の違いがあるような気がしますので、どこかの時点で統一的な見解を示した方がいいのではないかなというふうに思います。

【亀山主査】
 ありがとうございました。
 今、各委員の意見を聞きながら、言語能力という言葉の定義そのものも実は極めて曖昧で、何をもって言語能力としているのかというところの根本議論がないのかなあというような気がしないでもありません。今、松本委員から、コミュニケーションという言葉に関する共通理解も曖昧だと。同じ土俵の中で議論をするにはある程度の共通理解が必要だということですので、もし可能であれば、次の段階でもう一度、根本的なところを集中的に短時間でも議論をした方がよいのかなというような印象を持ちました。
 キャンベル主査代理、お願いします。

【キャンベル主査代理】
 資料4について、これは資料3に対して私が最初に申し上げたことと重なるので簡潔に申し上げたいと思うのですけれども、ここでも認知と思考のプロセスというものが、リニアであるのか、もっと立体的にすべきかということは、主査がおっしゃったとおり、私たちが考えないといけないことだと思うし、考えていただきたいと思うのですけれども、ただ、この中で、左側の構造と内容の把握のところに、さっきと重なりますけれども、情報あるいは発信者・発信元の、発信者としての適否であったり、あるいは信憑性をはかる力といったところを、この中に1項目として組み込んでいかないといけないかなというふうに思います。これを増やしていくと、先ほど今井委員がおっしゃったように、これはとにかく、すごくたくさん、やや抽象的な言葉になっていて、訴求力が薄まるということもあるかもしれませんけど、ただ、要素としては、そういった信憑性をはかる、仕分ける、見分ける力ということは大事ではないかというふうに思います。
 それが非常に重要だと思うのが、右側の解釈・考えの形成というところで、受動的といいますか、既知の事象や感情・経験の統合と構造化ということは書かれて、それはそれでいいと思うのですけれども、ただ、新たな展開を示す力であるとか、それを分かった、自分の再構造ができるという力を確認した上で、つまり、ボードの上に示された議論はそもそも違うのだということであったり、あるいは、その過程の中で気付いた、さっきも申し上げたように、新たな問いというものを立てるとか、矢原委員がおっしゃってくださったように、建設的な批判を展開する力であるとか、つまり、いろんな構造のモデルがありますけれども、例えば、起承転結という言葉がありますけど、起と承はここには大変しっかりと挙げられているのですが、転が抜けていることに、受動性といいますか、非常に受け身な、自ら、議論のパラダイムといいますか、概念枠を仕切り直していく力であるとか、あるいは提示されたものから新たなことにパラダイムそのものを、今、問いというふうに申し上げたのですけれども、それを立てる力とか、そういったものをここで是非、二つあるとすると、少なくとももう一つの柱として位置付けるべきではないかなというふうに、ここでも思いました。
 以上です。

【亀山主査】
 キャンベル委員の方から、今、2段階で提示されているものを、もう1段階、更にもう1段階あるのかもしれませんが、構造化という側面において新しい提案がございました。
 次に、中村委員、お願いいたします。

【中村委員】
 失礼します。言語活動の充実というキーワードで様々に教育改善に取り組む学校と共同研究をする中で、そこで行われている理科でも、体育でも、音楽でも、優れた授業というのは、資料4にあるような、プロセスを工夫したり、あるいは協議したりということが非常に多いなあというふうに感じます。そういう意味で、今、アクティブ・ラーニングが型ではなくて、深い学び、共同的な学び、主体的な学びというふうになっていく中で、いかにして深い学びを実現するかという中で、教え込みではなくて、生徒の気付きを通して、いかにして教科の本質に根差した深い学びをしていくのかというときに、全ての教科・領域でこれは、言語に関する資質・能力のプロセスよりも、学習のプロセスのような気がいたします。全ての教科・領域で働いている言語的な学習を下支えしているプロセスだというふうに捉えたときに、ほかの教科・領域のワーキングなどではこのプロセスというのがどの程度その学習を支えているというふうに言えるかどうかというようなものなども意見を伺いながらこれがまとめられていくと、言語だけではなくて、学習全体のプロセスになるのじゃないかと思って、今、伺いました。

【亀山主査】
 ありがとうございました。
 では、福田委員、お願いいたします。

【福田委員】
 資料4の認知と思考のプロセスとか考えの形成という発達的なところから考えたらどうでしょうかという酒井先生の案に賛成なのですけれども、このときに、理解のときは認知と思考、表現のときには考え、あるいは考え方の深化というふうに分ける必然性は余りないのかなあと思いました。例えば発達的にどういうふうに認知が変わっていくのかということなのですが、質的にも変わることもあるのですが、例えば言語で言うならば、自動化が起こっていく。認知の自動化が起こる。最初の頃は、一つの単語を見ても、それが意味することは何だということで頭の中の辞書にアクセスする時間がかかるのですが、だんだん発達段階を経るに従って、年齢が上がるに従って、そういったことが自動化されて非常に速い処理になるなどと言われておりますので、この理解と表現がどういうふうになっていくかというのを分けないで、例えば認知の自動化と思考の深化という形で変わっていくというふうに捉えると、実際の学校での教育活動も考えやすくなるのかなあというふうに思いました。
 それから、もう1点なのですが、思考の深化ということを考えた場合に、文字や音声による表現における推敲というのは非常に重要なところじゃないかなあというふうに思います。ここで挙げられているのは誤字や言い回しの修正という非常に低レベルな推敲なのですが、内容や文章の再評価というところで構造が大きく変わる等々、大きな変更もあると思いますので、もうちょっとこの辺を強調したらどうかなあっていうのは思います。
 済みません、あともう1点なのですが、文字や音声による表現のところで四角が四つあります。命題の設定から表現までということなのですが、命題というのは、学術用語ではいろいろな意味があると思うのですが、多分、テーマの設定ということなのではないかと思うのですが、その点ちょっと確認させていただきたいところと、あと、二つ目の四角と三つ目の四角というのはまとめてもいいのじゃないかなというふうな気もします。そのぐらいです。

【亀山主査】
 ありがとうございました。
 島田委員、お願いいたします。

【島田委員】
 同じく、資料4に関するところです。この資料を磨いていくということでありますけれども、上の段の構造と内容の把握の上に出ている吹き出しの中身ですが、余りにもレベルが様々かなあという印象を受けました。照応処理(指示語の特定等)というような非常に具体的で細かいところから、書き手、話し手の意図や立場の理解とか、あるいは、ここに信憑性の判断というような批判的思考まで入ってくると、余りにもいろいろなことが盛り込まれ過ぎるのではないかというふうに思います。書き手、話し手の意図や立場の理解であるとか、キャンベル先生がおっしゃるような信憑性、あるいは冒頭に矢原先生がおっしゃったような科学的リテラシーの話など、批判的思考というような部分は強調して、むしろ、解釈や仮説の形成とか、そちらの方に位置付けられるのがよさそうな気もしてまいりました。というのが、1点です。
 それから、もう1点ですけれども、この流れといいますか、この構造の中だと、人との関わりといいますか、コミュニケーションの部分というのは全く出てこないわけですけれども、それをどういうふうに位置付けていくのかということが一つ課題かなというふうに考えます。
 以上です。

【亀山主査】
 島田委員、ここの部分、ひとつおまとめいただけないかな、と。次回までにこのあたりを、段階的に少し書き改めていただくといいましょうか、ちょっとお願いしてもよろしいでしょうか。これは今井委員からも強く出されていた問題ですので、ちょっとアイデアを頂ければと思います。

【島田委員】
 はい、承知いたしました。

【亀山主査】
 平野さん、よろしく御対応をお願いいたします。
 西辻委員、どうぞ。

【西辻委員】
 資料4についてですけれども、内容的には先ほど福田委員がおっしゃったことと重なりますので、1点だけ、気になることなのですけれども、恐らくこういう部会がたくさんあって、さらに高大接続も行われていて、左から右へプロセスが流れるような図というのは、既にこのグリーンの冊子の一番ラストの資料で高大接続のものが出ているというようなことで、いろんなものが出てくると思うのです。だから、それぞれがばらばらにあると、学校現場では非常に混乱をする。何が何なのだと。これは問題を解決するプロセスなのだとか、これは認知と思考なのだとか、そういうふうなことで混乱をしていくと思いますので、事務局の方でうまくコントロールしていただいて、それぞれの良さを捉えるような形でまとめていくのか、それとも部会レベルではそれぞれ提案をしていくのかというあたりも、出していただけると、いろんな考え方ができるのではないかなあというふうに思いました。

【亀山主査】
 ありがとうございました。
 時間が、もう迫っております。きょう御議論いただいた内容ですけれども、とりわけ資料4につきましては、幾つか文言上の不適切な部分があり、具体的な提案もなされました。誠にお手数なのですけれども、もし時間が許すようでしたら、このあたりはこうではないかといった御提案をメール等にて事務局の方に頂ければいいなあということを考えております。
 きょうは、論点1、2というところを中心に議論いたしました。3、4、部分的に発達段階の問題も踏み込んでおります。このあたりはまた、更に議論が続けられるというふうに思います。
 では、本日予定された議題はここまでとさせていただきます。
 最後に、次回以降の日程などにつきまして、事務局の方から説明をお願いいたします。

【平野教育改革調整官】
 失礼いたします。次回は、1月13日、朝10時から12時の予定をしております。場所は、文部科学省3階3F1の特別会議室、隣の会議室になります。次回の配付通知につきましては、本日、机上に配付させていただいております。御確認いただければと思います。
 また、主査からもお話がございましたように、ペーパーによる御意見等も頂戴したいと考えておりますので、ファクス又はメール、郵送などでお送りいただければと思います。本日の御議論、それから、この後頂いた御意見を基に、主査とも御相談させていただいて、もう一度これをリバイスしたものを次回配付させていただくというのと、併せて、きょう積み残しました論点3、論点4について、次回御議論を賜れればと思っております。
 なお、本日の配付資料につきましては、机上に置いていただければ、後ほど郵送させていただきますので、よろしくお願いいたします。
 以上でございます。

【亀山主査】
 それでは、本日の言語能力の向上に関する特別チームを終了させていただきます。ありがとうございました。

―了―

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