資料4 今後の教育課程の在り方について(これまでの議論等の要点のまとめ)(案)(整理中)

平成27年5月12日
教育課程企画特別部会

 ※ これまでの教育課程企画特別部会におけるご意見や、ヒアリングにおける発表内容及び資料、諮問の内容、報告された各種答申、提言の内容や調査等の結果、補足資料等の内容を基に作成。
 ※ 元となるご発言等を踏まえた表記となっており、今後論点整理に向けて、順次用語の整理等を図る予定。

1.初等中等教育の教育課程に関する現状と課題

(1)社会の質的変化等と教育課程の課題

  • 阪神・淡路、東日本の二つの震災を経て、公共心や絆、人の生き方に対する評価が高まってきた一方、日本社会全体として、他者との関わりを軽視する傾向も懸念される。
  • 人口減少社会への対応を真正面から取り上げる必要がある。子育てや介護を「リスク」と捉えるのではなく、自己の生き方を人や世界との関わりの中で考え、次世代を育てることを社会全体で応援するという課題と真剣に向き合う機能が学校教育にはあるのではないか。
  • 人間の様々な活動の増大が、地球や社会環境に大きな影響を与える時代において、持続可能な社会づくりを担う子供たちを育成するという観点が重要。社会や世界に「開かれた学校」において、子供たちが主体的・協働的に学ぶことができるよう、教育現場が多様なつながりを持ちながら教育環境を充実させていくことがますます重要。
  • グローバル化の中で日本人が世界に出ていく際には、国際的な場でも自分の意見を説得的に主張できる能力も必要。また、自国の文化等を語れることも非常に大切。
  • 基礎的・基本的な知識だけでは21世紀の子供たちは生きていけず、問題が出されてそれへの解を作るだけではなく、自分で問題を作ったり考えたり判断しなくてはいけない。そのためには、学校が社会の準備段階であることに加えて、もう一つの役割として、学校を社会そのもの、教科の授業を社会の中の活動そのものとして捉え、その中で子供たちが、市民として何かを解決することができるような側面を持たないといけない。
  • 雇用ニーズを世界的に見ると、高い問題解決能力を要する仕事のニーズは高まり、低いものはニーズが低下している。技術の進展や社会的な変革とタイムラグなく、変化する社会の中で人間がいかに幸せに生きていくかを追求した教育の変革が行われることが必要。
  • 社会の変化の「スピード感」に対応していくことができるかどうかで格差が生じている。加速的に世界が動いていく中で、何が重要かを識別し、主体的に判断し、社会を形成し世論に関わっていく自覚や能力を高めていくことが求められている。
  • 親がどれだけ教育に関心を持つかや、経済的背景等の要因によって、勉強ができる子は運動もできる、勉強ができない子は運動もできないというような二極化が懸念される。
  • 今後の社会的変容を踏まえれば、自己の生活や感情、行動等をセルフコントロールできるようにすることもますます求められるのではないか。

(2)前回改訂の成果と次期改訂に向けた課題

  • 幼稚園、小学校、中学校、高等学校及び特別支援学校の教育課程の基準となる学習指導要領等については、これまでも、時代の変化や子供たちの実態、社会の要請等を踏まえ、数次にわたり改訂されてきた。平成二十年及び平成二十一年に行われた前回の改訂では、教育基本法の改正により明確になった教育の理念を踏まえ、子供たちの「生きる力」の育成をより一層重視する観点から見直しが行われた。特に学力については、学校教育法第三十条第二項に示された「基礎的な知識及び技能」、「これらを活用して課題を解決するために必要な思考力、判断力、表現力その他の能力」及び「主体的に学習に取り組む態度」の、いわゆる学力の三要素から構成される「確かな学力」をバランス良く育てることを目指し、教育目標や内容が見直されるとともに、学級やグループで話し合い発表し合うなどの言語活動や、各教科等における探究的な学習活動等を重視することとされたところ。
  • これを踏まえて各学校では真摯な取組が重ねられており、その成果の一端は、近年改善傾向にある国内外の学力調査の結果にも表れていると考えられる。
  • その一方で、我が国の子供たちについては、判断の根拠や理由を示しながら自分の考えを述べることについて課題が指摘されることや、自己肯定感や学習意欲、社会参画の意識等が国際的に見て低いことなど、子供の自信を育み能力を引き出すことは必ずしも十分にできておらず、教育基本法の理念が十分に実現しているとは言い難い状況。また、成熟社会において新たな価値を創造していくためには、一人一人が互いの異なる背景を尊重し、それぞれが多様な経験を重ねながら、様々な得意分野の能力を伸ばしていくことが、これまで以上に強く求められる。
  • これまでの学習指導要領は、学問的な体系に沿って教科ごとには体系化されているが、それぞれの教科を通じて、あるいは教科横断的に、どういう力を育てるのかという、個々の内容を越えた目指すべき力について議論がなされてきたものの、そうした観点の構造化ということからいうと、日本の学習指導要領はまだ十分ではないのではないか。前回改訂においては、是非1つだけでもと取り組んだのが言語力であるが、そのほかにもいろいろな資質・能力があり、これらについて教科ごとに連携しながら学習指導要領を作っていこうというのが、今回の改訂の方向性であると捉えている。

2.新しい学習指導要領等が目指す姿

(1)新しい学習指導要領の在り方について

  • 学制公布から終戦まで約70年、そこから更に70年という節目において、学力はもちろんのこと、それのみならず「子供たちに必要な力をどう育成していくか」という観点から、評価観も含めた学習指導要領の改訂をすべき。
  • 子供の意欲の喚起や指導方法の改善が難しいという話もあるが、そもそも子供というのが学びに対してどんな方向性を持っているかということが重要。子供はもともと学びたがっているし、成長しようとしている。そうした力を洗練させるという場所に立てば、指導方法の工夫も、資質・能力の議論も全く変わってくる。
  • 今回改訂の教育目的、学習・指導方法と評価の一貫性という議論については、今までの指導要領とは大きく異なり、枠組みが広がってきている。加えて、子供自身の気持ちやニーズに応えるような、価値観の転換を伴うパラダイムシフトが必要ではないか。
  • 子供たちに何々を指導するということだけではなく、子供たちが何々をできるようになるというようなことが明確になるような在り方が検討されてもいいのではないか。
  • 学習指導要領の理念を底支えするのは、人はどう学ぶものなのかということ。放っておいて伸びるわけではない力の中に、対話をしながら相手の主張を取り込んで、自分の考えの適用範囲を広げていくというたぐいの力がある。そうした力を育成するために、対話の機会を意識的に創り出すことが、学校というシステムの社会的機能として求められているという視点を持つといいのではないか。
  • 知識と活用力と学習意欲の関係をそれぞれの学校がどのように関係付けていくのかということが大事。知識も身に付いたら楽しいし、おもしろいと思うから生徒はやる。どうしたらおもしろくなるのかという観点を新しい学習指導要領に入れ、教室の中の子供たちが生き生きできるようにということを常に考えながら、理論的にもしっかり深めていかないといけない。毎回、前回の学習指導要領はこういう点が足りなかったということを繰り返す議論で終わってしまうというのではもったいない。
  • 学校と地域社会等とのつながりを持った教育課程とすることが重要。外部人材の活用による出前授業やキャリア教育など、世の中と結びついた授業を通じて子供たちにこれからの人生を前向きに考えさせることが、主体的に学ぶ鍵になる。外の「風」を教室に入れることで、教育現場も変わっていける。
  • OECDとの政策対話では、我が国がPISAの結果に満足するのではなく、資質・能力の育成や「アクティブ・ラーニング」の充実など、その先に進もうとしていることへの賛辞が送られた。諸外国の例を参考にしつつ、これらにキャッチアップするということではなく、それを越えるようなものにしていかないといけない。
  • 大学入試の影響もあり、暗記すべき用語を網羅するような教科書も特に高校段階では少なくない。高校教育改革と大学入試改革をセットで進めていかなければならない。入試改革の議論は、高校の学習内容を社会と接続した学びに変えていく大きなきっかけになるのではないかと期待している。
  • 経済が成長すればするほど、学校で教える基礎・基本と社会で役立つ内容や人材との隔たりが大きくなる。専門高校でも教育そのものが大きく変わらなければならない時期。
  • 高校生に地域と向き合う機会を持たせることが、当事者意識と感謝の意識の醸成につながる。卒業後、地域を離れる生徒の多い普通科進学校にこそそういった機会が必要。身の回りの困難さといった課題を、学校教育がチャンスに変えていくことに使えるとよい。
  • 子供たちは、他地域の生徒との交流、自地域の未来に対する議論と活動、他学年・異世代との交流、地域社会との交流を通じて大きく成長する。
  • 特別支援教育の対象となる子供たちが倍増する中で、特別支援学校か通常の学校かと分ける二極的な考え方には限界がある。通常学級内にいる教育的ニーズのある児童生徒のことを踏まえれば、教師の教育観のパラダイムシフト、そこに基づく組織経営や指導法、評価の多様性の導入は必至。障害診断の有無に関係なく個々の教育的ニーズに応じた学びが必要。
  • オリンピック・パラリンピック開催の2020年がゴールではなく出発点となり、新たな文化が生まれるような改訂とすることが重要。

(2)育成すべき資質・能力について

育成すべき資質・能力についての基本的な考え方等

  • 教育基本法に定める教育の目的を踏まえれば、育成すべき資質・能力の上位には、常に個人一人一人の「人格の完成」が位置付けられなければならない。あわせて、教育基本法に定める教育の目的の一つとして、「平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質」の育成があることを踏まえ、自立した民主主義社会の担い手として求められる資質・能力の育成は、公教育の普遍的な使命であることに留意しつつ検討を行うことが必要である。
  • グローバル化や情報通信技術の進展など今後の社会の変化も見据えながら、自立した人間として、他者と協働しながら、新しい価値を創造する力を育成する観点から求められる資質・能力について検討する必要がある。
     具体的には、例えば、「主体性・自律性に関わる力」「対人関係能力」「他者と協働する力」「課題を解決し、新たな価値を主導・創造する力」「学びに向かう力(意欲・集中力・持続力等)」「情報活用能力」「グローバル化に対応する力(外国語によるコミュニケーション能力、日本と外国の伝統や文化に対する深い理解など)」などについて、今後求められる資質・能力として重視しつつ、検討する必要があると考えられる。
     さらに、環境問題の深刻さを考えると、地球環境問題等に関わる「持続可能な社会づくりに関わる実践力」「地球的視野・価値観」などについても、今後重要な資質・能力として検討する必要があると考えられる。
     また、我が国の児童生徒については、学習意欲や自立の意識に課題があることを踏まえ、単なる受け身の教育ではなく、主体性を持って学ぶ力を育てることが重要であり、リーダーシップや、企画力・創造力などのクリエイティブな能力、意欲や志を引き出す指導についても特に重視していく必要がある。
     あわせて、人として他者と支え合ってより良く生きるための思いやりや優しさ、感性など豊かな人間性に関する普遍的な教育についても、重視する必要がある。
     さらに、芸術やスポーツの分野で育まれる資質・能力についても、そこで培われるものの見方や考え方等には他分野にも転移可能な汎用的なものもあると考えられるところであり、それらについても、育成すべき資質・能力の中にどのように位置付けるか、検討する必要があると考えられる。
     なお、これらの資質・能力の育成は、総体的に見れば、教育の目的を踏まえ、その目標を達成できるよう、人間のよさや可能性を最大限に発揮できるようにすることを目指して行うものである。これらの資質・能力の育成に当たっては、教育課程全体を貫いて人間としての在り方や生き方を追求する視点を重視する必要がある。
  • 新しい時代に求められる資質・能力としては、他者と協働しチームを編成できる人、異なる価値を統合できる人、根拠等を明確に説明できる人、深い知識と広い視野を持つ人、人間同士の関係を重視する人、グローバルな課題を地域の課題と関連付けられる人として必要な力などが考えられる。
  • 資質・能力全体の議論の中では、個々の持っている資質・能力を能力に応じていかに高めるかという観点も重要。一方で、突出した能力に甘んじてほかのことをおろそかにしないよう、幅広い教科を学びできないことに挑戦していくことも必要。
  • 「わかる」ことと「できる」ことの差を理解するには、体育やスポーツの意義が重要。頭で理解したことが体で示せないところから限界を感じ、その兼ね合いをとるのがスポーツであると考えている。

資質・能力等の構造のとらえ方

  • 学習指導要領自体が目指す資質・能力を、どういうモデルとして考えるか。個々の資質・能力をパーツとして身に付けていくというよりは、立方体的にイメージして、一面は知識理解、側面は技能・能力、天井の面はタイトルとか価値、そういう立方体を膨らませて人間が大きく成長していくように考えるのがいいのではないか。
  • 育成すべき資質・能力に関しては、学校教育法が規定する学力の三要素(知識・技能、思考力・判断力、表現力等、主体的に学習に取り組む態度)を議論の出発点としながら、主体的に学ぶ情意(自己肯定感等を確保するという受動的情意性、「学びに向かう力」といった能動的情意性)や協同性、認知面と情意面を統合するメタ認知などに拡張して考えていくことが必要。知識面、思考面が車の両輪だとすると、それを進めるところのエンジンが情意面であり、それらをコントロールし、適切な方向に進めるようにしていくのがメタ認知である。
  • 知識については、個別の知識をばらばらに獲得するのではなく、それがネットワーク化され、中心的な考えとともにしっかり構造化され、活用されるよう、考える力を伸ばすことが重要。
  • 学力の三要素としての知識・技能、思考力等、学習する態度について、これらの間のつながりを十分つけていくことが大事。知識・技能については、教科の中核的な部分のつながりをつける知識のネットワーク化が課題になる。思考力等については、表現や対話を通じて、より自覚的に学ぶというメタ認知の在り方が重要。態度については、意欲のみならず、意志、挑戦、セルフコントロールなどに広げて育成していくことが重要。
  • 思考するためのスキルを教えていくべき。国際バカロレアのカリキュラムも参考になる。方法に振り回されないよう、示し方に注意が必要であるが、「分類する」「比較する」などのスキルを学ぶことにより、質の高い学びが実現する。
  • 知識を知っているだけではなく、それが社会に生きていく上でどう使われるかというところをしっかりとチェックできているのかということが大事。一方で、土台となるベーシックスキルの読み書き計算や推論など、本来の教科が持っているべきところを徹底するということも忘れてはならない。
  • 就学前の段階から、教育や学習が効果的に行われるための発達の素地が身についていることが必要。発達障害と診断されていなくても、発達に偏りがあったり、環境的な要因などから、発達の素地が身についていない子どもは決して少なくない。体がしっかり使える、音韻の理解などの学習の土台をつくることが重要。また、セルフモニタリング力やセルフコントロール力につながるメタ認知も重要。
  • 学習意欲は、起業精神、イノベーション、独創性においても重要な資質の一つ。我が国では、子供の年齢が上がっていくにつれて学習意欲が下がっていることが懸念される。

特にこれからの時代に求められる資質・能力等

  • これからの時代に求められるシチズンシップについては、一つの固有の組織においてどのように生きるかということではなく、複雑で変化の激しい社会の中で自分をどのように位置付け、他者と一緒に生き課題を解決していく力として捉えることが重要。
  • 様々な出来事や情報を自ら瞬時に受け止め、自分で判断していくことが市民性の基礎になっていくのではないか。英語教育でも、実際にアクティブに外国語の中で自らの思考を形成していくことや、それを可能とする環境、動機付けの重要性を強調していくべき。
  • グローバル化に対応していくためには日本文化を学ぶ必要がある。経済力が強くても海外では尊敬されない。自国の文化を語れる力を持っていることが非常に大切。
  • 日本文化を表現していくために、日本の歴史的な過程を語り合える能力や姿勢を重視すべき。高校教育の現状として、古代から順に学ぶことで近現代史まで学び切れていない問題がある。近現代の歴史的な過程を知ることによって、国家や一市民として何を目指すのか、自分がどのような立場にあるのかについて議論ができるようになる。また、日本史か世界史かが選択になっていることで、世界における日本の歴史などのつながりが理解できなくなっている。
  • グローバル化は同時に地域に帰着するものでもあり、自国とグローバル双方の観点から地理的・歴史的に考える力を高めることも重要。現行学習指導要領では「歴史的思考力の育成」が重視されているが、いまだ暗記中心の教科であるというイメージを払拭できておらず、歴史を学ぶことの動機付けも弱い。
  • 国語の重視が思考力、表現力の育成につながる。自覚的に母語を学び確かなものにしていくことでしか、外国語を実際に使えるものとして修得できない。国語教育と英語教育は「思考形成」というところでつながっており、相互的に捉えていく視点が必要。
  • 日本語はもちろん重要だが、早くから外国語に慣れ親しむことで有利となることもある。外国語を幼児期に理屈抜きで身に付けることによって、英語的な物の考え方の修得と結びつくのではないか。
  • 多様性という観点からは、英語だけでなく、中国語などほかの言語も大事。また、プログラミングについても、言語の中で広く考えてほしい。
  • 中学女子の3割は1日10分も運動していないという調査結果が出ており、これで健康寿命が維持できるか心配。基礎的な健康コントロールを教えることが学校体育の役目であり、教養としての体育という側面が重要。また、スポーツは「すること」だけでなく「見ること」の要素もあり、世界を見ることで自分自身のこと、他者との関わりを学ぶことにつながるものである。
  • 社会が変動して変容するからこそ、ますます規範というものが問われてくる。規範というものをしっかりと、クロスカリキュラムでの取り組みや日々の生活の中での指導が重要。他者の痛みが分かるなどの良心を育むには、子供同士や子供と教員の間に信頼関係があるか、望ましい集団になっているのかといった、学校において規範が育つ集団の在り方が重要。
  • 生得的要因や環境的要因などが重なって不適応を起こす子供たちには「自己肯定感がない」「学ぶべきときに学べていない」という、未学習・不足学習・誤学習が逸脱行動につながる共通するリスク要因がある。これを少しでも軽減し、保護要因を高めてレジリエンシー(社会を生き抜く力)をつけさせることが、将来の社会不適応を予防する。犯罪学や公衆衛生学等のエビデンスを参考にしていくことが、いじめや不登校、ひきこもりや、あるいは反社会的行動の予防だけでなく、社会貢献できる子供たちを育てることにつながるのではないか。
  • いわゆる現代的な課題に対応した「○○教育」のような各教科等横断的なテーマについては、育成すべき資質・能力との関わりでその内容を捉え直す必要がある。

発達段階や成長過程のつながり

  • 特に小学校の6~12歳は発達段階が目まぐるしく、どこに視点を置くかが難しい。学校種の大きなくくりだけではなく、幼小や小中などの校種間の接続・連携も含めた細やかな議論が必要。
  • 子供たち一人一人の個々の発達課題や教育的ニーズを踏まえて、何を学ばなければいけないかを見極めていくことが重要。学習の土台となるようなスキルが身に付かないまま小学校に行ったとき、じっとできないとか、読み書きの習得がしんどくなるという状態が想定される。
  • 現場の先生方には、子供たちに本当にどんな力をつけるかというのを自分で再構成できる力が必要になっている。ただ、全てを構成できるような余裕はないので、モデルと展開例のようなものが、一定程度必要なのではないか。小学校と中学校ではこういうステージを経て、こういう段階でこういうように伸ばしていくというイメージが共有されていないと、小学校5年生ではこういうことを教えればいいというところでとどまってしまい、育てた力を6年生につなげる、あるいは中学校につなげるという視点が抜けてしまうのではないか。
  • 幼児教育の質を高めることと、幼と小のカリキュラムのつながりが重要。幼と小の教育課程の考え方やその編成にはそれぞれ尊重すべき違いがあり、幼児教育は主体的な活動である遊びを通じて総合的に指導する。小学校の学びにつながるものとして、幼児期に身に付けるべき力を整理し、発達段階に応じつつ、一貫していくことが重要。内容の「前倒し」ではなく「積み上げ」になるような形の議論が必要。

(3)育成すべき資質・能力と、学習指導要領等の構造化の方向性について

学習指導要領等の構造化の在り方

  • 学習指導要領の構造として、「何を知っているか」という「内容の計画」にとどまらず、「それを使って何ができるようになるか」まで含めて議論するということは、昭和33年の学習指導要領告示以降、これまでにない斬新で大きな変化と言える。
  • コンピテンシーと呼んでいるものの中には2つの層があると考えている。一つには、あまり教科内容に依存しないような情意的なものや、対人関係的なもの、あるいは論理的な思考というものでも、あまり教科に依存しないものがあり、こうした能力はアクティブ・ラーニングのような方法の改革をもって身に付けていくことが必要。一方で、教科の本質と呼ばれているもの、その教科ならではのものの見方・考え方や、ビッグアイデアや本質的な問いということを足場にしつつ、その教科以外の領域に適用するために1つの工夫をしなければならないというものについては、内容的な改革を含み、教科の本質として何を身に付け、それを当該教科が対象とするもの以外にどのように適用するのかという学びの広げ方が求められ、意図的・計画的なカリキュラムとして内容の再編成が考えられる。つまり、コンピテンシーの中に、教科領域に余り依存しないものと、教科領域に依存するものがあり、それを見据えた内容の吟味が必要。
  • コンピテンシーをまず上のレベルで整理して、各教科におろしてブレークダウンするというやり方より、むしろ各教科の本質を上げてそれがコンピテンシーになるという筋道も考え、各教科の中でもう一度、教科の本質とは何か、その教科ならではの物の見方、考え方、その教科の当該対象を超えても適用できるようなビッグアイデアや本質的な問いというのは何かということを、各教科でしっかり整理し、それを全部並べて、その間の統合や関連付けや体系化を図っていく中で、かえってコンピテンシーの様相というのは見えてくる。コンピテンシーと言っている層と、教科の本質と言っている層と、各教科のコンテンツ、この3つが整合し、各教科がしっかりコンテンツを教え、教科の本質を全うしつつ、全体としてコンピテンシーが実現されるような学習指導要領の構造を生み出すということが大事。
  • 学習指導要領全体の構造といったとき、一つには、総則から特活に至るまでの教科等の構成と、目標の明示から内容の取り扱いといった構成をいかに発展させ深めていくかということがある。もう一つは、学習指導要領とともに、解説書や指導事例集も、学習指導要領の趣旨や方法を広めていこうという意味で組み立てられた、ある意味で歴史的な所産であり、それらを含めた全体の姿の中で、「アクティブ・ラーニング」などの指導方法や事例と、基本的な方向性や資質・能力などをつなげながら全体をどう整えるかが問われているのではないか。
  • 言語力を含めて、数式や図式など表現は多様にあり、多様な表現で物事を表すこと自体に意味がある。また、その表現に関して人と人、教師と生徒、生徒と生徒が対話するところに意味があり、対話を通して思考を深めていく。そうした過程を促すことの重要性に踏み込むとともに、対話を通して物事を多面的に理解していくということが重要。1つの正答にいかに上手に至らせるかということではなく、物事の多面的で深い理解に至らせるため、表現と対話が重要。
  • 豊かな授業を行っている学級は何が違うのかというと、子供たちが最終的にこの教科で学ぶ意味というのは何かということを、先生方と一緒に考えているということ。学習指導要領の内容の目標にとどまらず、先生方が子供たちの活動から資質・能力を取り上げて、きちんと評価する。そういうことを繰り返して、長いスパンで子供と一緒に先生が探し出すというような姿勢で行われている。学習指導要領の中で、その教科がなぜ存在するのかということを、子供のサイドの言葉で少し例示があると、先生方も子供の活動を拾い上げるすべになるではないか。
  • 学習指導要領を考えるときに、資質・能力や内容をボトムアップ的なプロセスで積み上げていくのは正当なやり方であるが、一方では、国として、出口のところで具体的にこういうようなことができることが、学習指導要領に沿って学んできたことの結果であるという終着点をもう少し明確にすることができないか。高校卒業時点で、例えば自分の意見をはっきり言えるようになるかとか、ディベート、ディスカッション、ネゴシエーションができるようになるだろうかということを想像した上で、そこに到達するまでの学習過程の中で、どういうような能力をどの段階で具体的に育成していけばいいのかという考え方を入れていく必要がある。
  • 学習指導要領は最低基準であるので、もっと発展的な能力や、探究の力を植えるような、より高いレベルの力をつけていくことを許すような構造を作っていくべきではないか。

学習活動の示し方や「アクティブ・ラーニング」の意義等

  • 新しい時代に必要となる資質・能力の育成に向けては、「何を教えるか」という知識の質や量の改善はもちろんのこと、「どのように学ぶか」という、学びの質や深まりを重視し、学ぶことと社会とのつながりをより意識した教育を行い、子供たちがそうした教育のプロセスを通じて、基礎的な知識・技能を習得するとともに、実社会や実生活の中でそれらを活用しながら、自ら課題を発見し、その解決に向けて主体的・協働的に探究し、学びの成果等を表現し、更に実践に生かしていけるようにすることが重要。
  • 資質・能力の育成に向けて、教科等の内容と学習活動をつなぐという構造化の観点は、かなり有効だと考える。一方で、内容と資質を押さえることにより、学習活動が固定化された、ある形のものでしか成立しないということにならないよう、各学校で創意工夫が行えるようにしなければならない。
  • 学習・指導方法を議論するならば、単なる手練手管やテクニックにならないよう、「なぜこれを学ぶべきなのか」「なぜその方法が妥当なのか」を考えることが必要。
  • 1つの正答にいかに上手に至らせるかということではなく、物事の多面的で深い理解に至らせるため、表現と対話が重要。多様な表現に関して人と人、教師と生徒、生徒と生徒が対話するところに意味があり、対話を通して思考を深めていく。その過程を促すことの重要性に踏み込むことが必要。
  • 子供たちが学ぶ喜びを体験するためには、ともに活動することの楽しさや、自分の意見を発表しそれを受け入れてもらい、相手の意見を聞きながらさらに考えを深めるなどということを学校教育の中で体験することが重要。学ぶ喜びと身に付ける力は常にセット。
  • 日本の子供たちは、読解は得意だが考えを構造化して表現することが得意ではないとのデータもあり、システム的な思考や批判的思考(クリティカル・シンキング)などを育成する観点から「アクティブ・ラーニング」の充実が必要。
  • 効果的な「アクティブ・ラーニング」に共通する要素とともに、各教科ならではのものの見方・考え方を育成する、各教科特有の学習プロセスの意義についても整理が必要。
  • 「アクティブ・ラーニング」の検討に当たっては、言語活動に関する分析を踏まえつつ、各教科等の教育目標を実現するため、見通しを立て、主体的に課題の発見・解決に取り組み、振り返るといった学習の過程において位置づけやねらいを明確に示すことが必要。また、言語が学習活動の基盤となるものであることを踏まえた検討が必要。
  • 浅い理解から深い理解に至ることを学習と考えるのが、「教えて考えさせる授業」の考え方。理解の深まりはなかなか目には見えないため、自分の言葉で学習内容を説明できるか、意味内容に関する質問に答えられるか、類似問題に転移することができるか等をもって判断することが必要。「受容学習」にあたるのが教師の説明、「能動的な表現」にあたるのが理解確認、「問題解決や討論」にあたる部分が理解深化の部分。そして、自分が学んだことや分からないところを振り返り、自分の言葉で表現するのが自己評価。習得の中でこそ、教える場面と考えさせる場面をしっかり持つべき。習得の授業では指導案というシナリオを書き授業をマネージするのは先生であり、その中で子供が主人公として活躍する。探究との違いは、課題を先生が決めるか、子供自身が課題設定を行い、計画、実施、考察、最後は発表討論というところまで持っていくかという違い。
  • 学習指導要領とともに、解説書や指導事例集も含めた全体の姿の中で、「アクティブ・ラーニング」などの指導方法や事例と、基本的な方向性や資質・能力などをつなげながら全体をどう整えるかが問われている。
  • 教員と生徒との対話が成り立つクラスでは非常に教育効果があるというのは、教育の本質。成功した事例をよく見て本当に参考になるような事例集をきっちりと組み上げ、子供たちに要求するだけではなく、それを私たちがどう伝えるべきなのかということまで踏み込んだ体系ができれば、次回の改訂はすばらしいものになる
  • 学習活動については、発達の特性を踏まえた学習のスタイルの違いがあるのだということをしっかり書き込んでおくことが必要。どうしてもそこからまた漏れてしまう子供たちがいるということを強調したい。子供の個々のニーズや学習スタイルを踏まえて指導しなければ成果は上がらず、インクルーシブ社会の実現は遠のく。
  • 一番難しいのは、意欲、態度がどうやって高められるかということ。夢を持つ子供の割合が諸外国に比べて低いという調査結果もあり、「アクティブ・ラーニング」は「学ぶ意欲」につながるようにすべき。
  • 現場としては、関心、意欲、態度を育むことが難しいが、学校と社会のつながりを重視したことをやっていくということがスイッチになり、子供たちの興味、関心を高めるキーポイントになってくる。
  • 子供だけでなく授業者自身が「アクティブ・ラーニング」に意義を見いだしていくことが重要。「何を子供に動機付けさせ、どこを目指すのか」という意識で変わる。
  • 子供たちに考える時間をどう与えられるかという観点からも議論が必要。
  • 「アクティブ・ラーニング」の実施については時数の確保が難しいとの見方もあるが、言語活動についての分析も踏まえつつ、学年等を超えて長期的に、学習活動に必要な能力の育成を積み重ねていくことにより、一層効果的で効率的な学習が可能となるという視点も重要。
  • 学びや発達の連続性という観点からも、家庭との連携が重要。

3.評価の在り方について

  • 自己肯定感を高めるためには評価の在り方が重要。評価を「教師から与えられるもの」ではなく、評価規準(基準)を作るところから子供自身が関わる自己評価など「自ら獲得していけるもの」にする必要がある。
  • 現代的な学びに対応した評価の難しさなどはあるが、新たな評価なしに新たなカリキュラムはあり得ない。国内外世界の専門家も交え、教員が活用できる手段や道具を開発していく必要がある。
  • 現在行われている「目標に準拠した評価」というのは、ある意味日本独自の評価方法であり、学習指導要領の内容や事項に合わせた評価ができるシステム。それを先生方が具体的に自分の授業に合わせたときに、きちんと評価できているか。学校教育法第30条第2項に規定した学力に変わってきているにもかかわらず、特に高校では、いまだにペーパーテストを中心にしながら評価が行われている。評価の観点と資質・能力を、今回の指導要領では全ての教科の中できちんと位置付けて、何を評価すべきかを明確にしていくことが必要。
  • 評価の観点としては、知識・技能、思考・判断・表現、それから態度や情意的な力という、まさに学力の重要な要素である3観点が分かりやすい。今は4観点で目標準拠評価が行われているが、この3観点というのは、学校教育法との間で整合性がとれている。3点目の態度や情意的な力については、現行でも関心、意欲は、他の観点に関わる重要な要素であるというふうにきちんと書いてあり、他の観点との関係の中で評価をすべきということになっているにもかかわらず、単なる辞書的な意味の関心、意欲、態度だという誤解がかなり広まっている。その点を是正するためにも、この3つの観点を明記することによって、目標と一体化する評価が行われ、それをどのようにはかっていくのかいうことになると、指導と評価の一体化というところになる。
  • 評価を出口として考えるだけでは十分ではないのかもしれない。つまり、出口のところで備わっているべきものだけを教育の内容にしてよいのかということも、問題意識として持っている必要もあるかもしれない。
  • 学習スタイルの多様性を踏まえた評価の導入が重要。正しいノートの取り方をもって関心・意欲・態度の評価を行っている学校なども多いが、個々の発達課題を踏まえると子平成、公正性に欠けるのではないか。

4.学習指導要領等の理念を実現するために必要な方策

「アクティブ・ラーニング」等の実現に向けて必要な支援方策等

  • 「アクティブ・ラーニング」の充実に向けて、学校現場が更に忙しくなる懸念や、指導の変化への不安もあるが、日本の子供たちのためになるものであり、取り組む必要性は高い。思い切ってやってみようという教育委員会からの後ろ楯というところも一番の鍵になる。
  • 学習指導要領にいろいろ盛り込んだとしても、結局現場におりてきたときには教員の資質や能力が重要。「アクティブ・ラーニング」をするのであれば、教員養成・研修や、それに伴う時間の確保が必須。
  • 新しい学習指導要領にのっとったカリキュラムを現場の先生方が描くには、リソースとして先生方に教科書と指導要領だけということではなくて、それ以外の活用できるリソースを明示する必要がある。先生だけがこの指導要領を見て学習デザインをするのではなくて、何がしかのサポートをしてくれる方々を巻き込みながら、先生方が安心して外部と手をつなぎ、授業デザインをしていけるようなことも、明確化することができないか。
  • 社会人の教育現場への参加についても、元気で意欲のあるOB社員が増えており、こうした人材を組織的に参画できる仕組みができると企業側としてもやりがいがある。
  • 教員が忙しい中で、ICTをうまく活用して負担を少なくすることも併せて考えていくことが必要。ICTを教えるだけではなく、ツールとして使っていくことが重要。
  • 今回、学習指導方法の在り方について議論するということであれば、最も影響を受けるものは、教材あるいは教科書の在り方ではないか。いろいろなことを教えるために「アクティブ・ラーニング」をしようと思えば、教科書の在り方と学習指導要領の関係について展望を持った議論が必要。
  • 教材を双方向(インタラクティブ)なものとし、新しいものに変えていくべき。

カリキュラム・マネジメント

  • カリキュラム・マネジメントは3つの側面として捉えられる。一つ目は、1.教育内容を一つの教科にとどまらずに相互の関係でとらえていくという手法、発想で、教科横断的に教育内容を扱う組織に配列するという側面。二つ目は、2.教育課程のPDCAサイクルを確立するという側面。三つ目は、3.教育内容や授業の方法と、諸条件の整備・活用の両者の関係を緻密に接近させていくという側面。三点目については、教育学の発展を振り返ってみたときに、教育内容や方法を固めるということと条件整備に関わる教育行政・経営がそれぞれ別に発展、発達してきたため、この両者をどう向き合わせ、つなげていくかということがうまく発展しきれなかったような現状があるのではないか。一つの学校の中で、学校における条件とそこにおける授業と内容とをどう組み立てながら、その学校として目指すところを整えていくかということが大きなテーマの一つではないかと思う。そのためにも、学習指導要領の豊かな読み取りが重要。
  • 学習指導要領の構造については、明治以来、与えられたものを受け取ってそれを教えるという形で各学校や先生方に受け止められており、なかなかカリキュラム・マネジメントという形で、自分たちの学校のカリキュラムを作っていくという自覚がないため、それを変えなければならない。カリキュラムを与えられるものと考えている教員が非常に多く、その観点で授業をする教員はどうしても内容中心の授業から抜けられない。
  • カリキュラム・マネジメントは、学校単位のカリキュラム作り、そして学校において様々な学習指導要領や教科書を含めたリソースを活用して、学習指導要領を具体化していただくために不可欠な部分。
  • 豊かな授業で重視されているのは、授業と授業のつながり。一時間、一時間、均質な授業を重ねていくのではなく、単元全体をその先生がコーディネートし、単元全体を通じて、次はどんなことを考えていくのかということを子供自身が考えられえるような仕立てになっていること。このようなことがカリキュラム・マネジメントの第一歩ではないか。そうすると学校全体でその学校は何を大事にしているか、校内研修で何を語るかということにつながり、学校全体が活性化する。したがって、カリキュラム・マネジメントをしっかりやっていくことが、これからの資質能力を育成する視点に立つと非常に重要。
  • 学習内容に密着したリフレクティブな長い構造の授業で、常に今やっていることの意味は何かを問い直させ、その中で子供たちの資質・能力を捉えられる教員の目を養えるよう、学校の中での研究体制の在り方という意味でも、カリキュラム・マネジメントという考え方は非常に重要。
  • これまでの校内研修は、小学校の場合は一つの単独の教科を取り上げ、中学校の場合は教科は横に置いて特別活動などを取り上げるというものが比較的多いスタイルであったが、言語活動の充実や、資質・能力を育てるという観点は、校内研修の在り方自体を動かしつつあるといえる。そのような意味で、今回の資質・能力の検討は、教科横断的な研修の在り方や、教科を横断してカリキュラム、教育課程全体として校内研修で取り組んでいくという方向性を広げつつあると考えている。
  • 実際に現場に行くと、学校指導要領どおりに行われていないとか、あるいは事例が示されていたらそれだけをやるというような乖離がある。言語活動の議論のように、教科の枠を越えた柔軟な話し合いが必要。
  • 高大接続に関して、中教審における議論等の情報を、個々の教員がどのように理解して自分の言葉で再構築し、ほかの人と話し合うかという、まさに教育課程で求められているような場面が各学校の中でなかなか生まれていないのではないかという危惧がある。
  • カリキュラム・マネジメントを学習指導要領の書き方と連動させ、国としては学習指導要領や解説書にある程度まで書いて、それから先は各学校におけるカリキュラム・マネジメントの中で具体化を図ってもらうようにするかということが大事になる。
  • カリキュラム・マネジメントをどう各学校で行っていくのかということが重要。幼稚園教育要領においては育てるべきことが示されているが、具体的な活動や方法については、各園で実態に即した多様な形で作り出していくということを重要視している。今育てるべきことは何かということを見極めていくということが、教師の資質として非常に求められる。各学校において教師の話し合いや研修、教材研究等を十分保証していくということが非常に重要。それが各先生に求めるというよりは、それをカリキュラム・マネジメントとして位置付けながら、各学校の教育力をつけ、それが先生たちの資質・能力を向上していくということにつなげていくことが大事。方法というのは、「アクティブ・ラーニング」は子供の実態から編み出していくということがあるので、そのときに何が大事なのか、どういう視点から考えるのかということを考えられる先生が大事。

5.各学校種、各教科等における改訂の具体的な方向性

 ※ 第6回から第8回までの議論を今後反映させていただく予定。

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