資料5:特別支援教育の在り方に関する特別委員会論点整理に関する意見募集の結果について

意見募集の期間:

    平成22年12月25日(土曜日)~平成23年1月23日(日曜日)

意見総数:

    3,324件

意見の概要:

    * 提出頂いた御意見を、事務局の責任において整理したもの。

 

総論

○「論点整理」は、障がい者制度改革推進会議の「第一次意見」及び「第二次意見」を無視したものであり、基本的な姿勢に反対。両意見を尊重し、障害のある人が、排除されずに地域の学校の普通学級で障害のない人と一緒に普通教育を受ける権利が確保される教育制度へ転換すべき。

○8回の審議の中で、障がい者制度改革推進会議の動向も踏まえながら、特別支援教育の課題と今後の具体的方策を検討していただいたことを高く評価。

○今後、国民や障がい者制度改革推進会議に対して、この意見を積極的に提言し、一層の具体的な施策の推進を求める。

○障がい者制度改革推進会議の第一次意見だけではなく、第二次意見も尊重して、分けることを前提としているとしか思えない特別支援教育を是とする「日本型」インクルーシブ教育ではなく、分けないことを原則とする、真のインクルーシブ教育への転換を明示すべき。

○推進会議の第二次意見を尊重して世の中の障害者観を変える基本となるインクルーシブ教育を実現してください。

○障害者権利条約、並びに推進会議の意見書の正確な理解に立った論点、並びに委員の再編成の上、推進会議と連携したインクルーシブ教育制度の検討を行うこと。

○日本はこれまで分離別学だったこと、だから推進会議が立ち上がったことを明記すべき。

○障害者制度改革推進会議の「第二次意見」を前提に、現行制度からどうやってソフトランディングするのかについて答申願いたい。

○論点整理の内容は、特別委員会で議論すべき範疇を逸脱しており、意見募集の結果の悪用が危惧される。統合教育を望む者の権利保障の議論については、障がい者制度改革推進会議に委ねるべきであり、その結論に沿って特別委員会で議論すべきであると考える。

○障がい者制度改革推進会議の第一次意見及び第二次意見において削除された「盲人」の記述(盲人の特別支援学校への就学・特別支援学級への就学)を復活させてほしい。

○障害者権利条約に沿って、特別支援教育の目的も「医学モデル」としてではなく「社会モデル」にそって改正すべき。

○WHOの「障害の定義」では、障害者の自己実現のためには「医学モデル」から「社会モデル」への転換が必要であると明言されており、その中では、障害の程度によって就学先を決定するという発想は否定されている。

○インクルーシブ教育システムへの転換は、子どもたちの多様性を受容することを前提とすべきであり、社会モデルからの教育環境、条件整備を進める観点で修正されるべき。

○特別支援学校の専門性には、障害学や共に学ぶ授業創造の専門性はない。インペアメントやニーズに焦点を当てた医学モデル・個人還元主義的な専門性である。その結果、専門的支援が行われるほど、障害児が仲間から分離されるという現象が生じている。

○医学モデルに基づいた専門性だけでなく、社会モデルに基づいた専門性の具体的な内容を明らかにするとともに、それに基づく教育実践の必要性を明示すること。

○聾教育においては、「医学モデル」に固執せず、謙虚に障害当事者、手話関係者に学ぶべき。

○障害者権利条約批准を見据えて、世界の範となる新しい教育制度構築を考えること。

論点整理で示された今後の方向性については大いに賛成する。

○障害者でも希望する者には大学教育を与えるべき。大学に特別教室を設けたり障害者への大学教育に特化した大学を設立したりといった点の議論も必要。

はじめに

○特殊教育から特別支援教育へ転換した、という説明だけでは、今までとは違う、今より進んだ教育を行うという姿勢が見えず、誤解を生むだけである。

○推進会議の第一次意見についてのみ書かれているが、推進会議は12月17日に第二次意見をまとめている。その内容についても明記すべき。二度にわたって同会議から「インクルーシブ教育制度の構築」を求める意見が出されたことは、極めて重い。

1.インクルーシブ教育システム構築に向けての特別支援教育の方向性について

○インクルーシブ教育システムにおいては、同じ場で共に学ぶことを原則とし、これを追求するとともに、個別の教育的ニーズのある児童生徒に対しては合理的な配慮が提供されなければならない。例外的に本人・保護者が望む場合に加え、ろう者、難聴者又は盲ろう者にとって最も適切な言語やコミュニケーションの環境を必要とする場合に特別支援学校に就学した場合には地域の学校との連続性のある学びを提供することが重要。

○中学校の特別支援学級で小学校低学年の算数を教えているが、授業が分かろうが分かるまいが、ひととおり習うことには意味があると考える。通常の学級の授業が「こんなに難しい」と実感することが大事。特別支援学級は少人数だから、ライバルがおらず、向上心をなくす。

○小・中学校と同じく、高校にも、特別支援を行いながら一緒に生きる場をつくる制度改革を進めるべき。

○通常の学級に在籍する発達障害のある子どもも含めて特別支援教育の対象とすることは、インクルーシブ教育とは逆方向の結果を招いている。

○障害のある子どもを通常の学級に当たり前のように入れて、介助員や補助教員を入れれば良い。これにより、雇用にもつながるし、学校の設備を改修することによって消費が生まれる。

○「特別支援教育の更なる質的な充実を図る」とあるが、充実していくのは特別支援学校と特別支援学級ばかりであり、通常学級に在籍する障害のある児童生徒への支援体制は平成19年度以来何の変化も見られない。

○人を障害の有無で二分するのではなく、人は全て人間であり、そのうえで、個性・特質があり、手助けが必要な人には必要な支援をする、というのが、インクルーシブ教育である。

○権利条約批准を、インクルーシブ教育に転換するいい機会としてほしい。インクルーシブ教育推進計画を立案し、インクルーシブ教育推進研究校を指定、実践モデルを冊子にして配布してほしい。

○従来の仕組みを継続しながら、在り方の見直しをすることは非効率的。基本的な考え方を改めることでしかインクルージョンは達成されないと思う。今できない理由を検討してクリアしていくのではなく、あるべき姿を明確にして、現時点からの到達方法を計画すべき。

○障害の重い子どもが学級にいて、周りの子どもが優しくすることこそ「共に生き、共に学ぶ」である。

○特別支援学級で漢字や計算ができるようになって、社会に出たときに本当に必要な力になっているか疑問。みんなの中でいいことも悪いことも経験しながら育つ方がいい。

○学習スペースの共有のみではなく、内容についても共に学び補完しあうことが必要。

○一時的一過的なふれあいではなく、困難や葛藤の場を共有することが障害のある子どもにもない子どもにも必要。

○特別支援と称することそのものに問題がある。「特別な支援」ではなく「個々のニーズに応じた教育」とすることがインクルーシブ教育への方向性を明確に示す名称である。

○差別のない環境整備に向け、学校教育全体の抜本的見直しが必要である。

○学校では年に数回、特別支援学校との交流をしているが、それだけで互いの多様性を認めることができるようにはならない。すべての時間を共に学び、育つ経験を持つことが必要である。

○インクルーシブ教育システムの実現に向けては、学校教育全体の抜本的見直しが必要である。

○連続的な学びの場とは結局、特別支援学校など障害を持つ子どもを分離、排除するものであり、それを充実させていくことはインクルーシブ教育とは相容れない。

○特別支援教育とはインクルーシブ教育なのであろうか。そもそも、盲、聾、肢体という区切りがあること自体区別を感じる。

○インクルーシブ教育を進めるためには、学級規模、通常の教育の内容、在り方、学習指導要領の見直しが必要である。

○「共生社会の形成に向けて望ましいと考えられる」という表現は「望ましい」というレベルではなく必須事項であるべき。

○インクルーシブ教育システムと特別支援教育の関係は互いに相反する関係である。「分けられた場」と「分けられていない場」は連続性のあるものでは無い。インクルーシブ教育システムの構築には、同じ場で共に学ぶために必要な配慮や支援を整備していくことが重要。

○自分の経験であるが障害のある友だちと一緒の教室で学んでいた。障害の特性を知識として学ぶのではなく、個性として受け止めることができた。幼少のころから共に学び育つ経験があると自然とこのようなことが身に付く。

○障害の有無にかかわらずすべての子どもが、一般教育制度から排除されない制度がなければ、特別支援教育はインクルーシブ教育とは言えない。それがないため、現在、特別支援教育は更なる分離の方向に進んでいるのだと考えられる。

○障害のある人と触れ合う経験とはどのような状況なのかわからない。特別な場を用意して触れ合うより、「共に学び、共に育つ経験」とすべき。

○障害を改善することがうたわれているが、困難であっても様々な支援を得ながら自己決定して生活することが必要であり、そのためには障害のない人と分け隔てされない生活空間が必要である。そのため地域の小・中学校の通常の学級での学習することが最適である。

○障害のある子ども達のインクルーシブ教育について、障害のある子ども達の「権利」として明確に述べるべき。

○特殊教育でも一人一人に応じた教育をしていると言われ続けてきたが、特別支援教育は、特殊教育時代にはそうではなかったごとく述べられているのは、公平さ、正確さに欠ける。

○条約の理念である完全な包容を目標することと、多様な教育の場を設けることには矛盾がある。

○インクルーシブ教育システムを日本も漸進的に進めてきたとあるが、これまでの日本政府の対応をみるとそうは思えない。

○現在はインテグレーションの段階であり、インクルージョンではないので、「完全参加と平等」を実現する観点が必要である。

○特別支援教育は「障害による学習上又は生活上の困難を克服するための教育」として障害による困難の克服を障害者自身に求めるもので、障害者権利条約の理念とは対極にある。

○短時間ですべてを変えることは難しいので、インクルーシブ教育システムのゴールを定め、そこに向かう年次計画を示すべき。まず、現状、別な場で学ぶ子どもたちを同じ場で学ぶようにすることが必要である。

○子どもの障害は多種多様であり、それぞれの障害に対する理解啓発をまず教育者から行うべき。特別支援学校の教員ですら十分に理解していないことがあり、小中学校の教員となるとますます理解に乏しい。

○本来、インクルーシブ教育は、障害のある人だけでなく、例えば貧困の中で教育を受けられない子どもなど教育制度から排除されている人たちや教育制度に形式的には入っていても実質的に教育の享受から排除されている人たちに豊かな教育を保障するものである。

○特別支援教育は、分離教育ではなく、高度な専門的支援を行う場、多用な学びの場の一つとして捉えることが正しいと考える。

○連続性のある多様な教育システムの一つとして、特別支援学校が位置づけられることは、当然のこと。

○現行の特別支援教育の評価・功績、課題の多角的な検証は十分なのか、様々な障害に対する理解啓発を早急に進め、インクルーシブな社会の形成が必要なのではないか、地域の小中学校での教育と特別支援学校での教育をどのようにバランスよく受けられるのか、通常学級の子どもたちの教育にどう影響するのか、など不安な気持ちで方向性を見守っている。

○子ども一人一人にあった教育を受けるためには、特別支援学校は大きな役割を果たしている。障害の重い子どもたちの学ぶ楽しさを考えて欲しい。

○障害のある子供がいるいないにかかわらず、生命尊重、思いやりや協力の態度をはぐくむ教育は大切である。

○同じ場で共に学ぶことの意義と理念を整理して、国民に周知して共通理解を図ることが大切。

○市町村教育委員会が、障害児について専門性の高い医師の協力を常時得ながら、各学校への指導・助言ができる体制を早急に整備・充実させることが必要である。

○各市町村教育委員会の指導・助言の下、学校個別の指導計画や個別の教育支援計画の作成・活用を通して、幼稚園、小・中学校等での系統的な教育環境を築くとともに適切な教育を実施することが必要。

○障害者権利条約に示されている教育に係る目的を達成させるためには、個々の児童・生徒の障害の特性に応じた複線的な教育環境の構築が必要。

○日本的なきめ細かなシステムの構築のためには、これまでの特別支援教育の成果を生かし、保護者の理解に基づいた教育の提供が必要である。

○連続性のある学びの場については、自閉症スペクトラムの子どもが通常の学級の友だちと一緒に生活できる場としての学級が形成できるようにするなど、それぞれの発達の段階に応じて学びの場が適宜変更できる弾力的な制度・運用とすること。

○条件整備をどのように進めていくのか考えるのが特別委員会の出すべき意見である。

○同一障害者集団の学習の意義及びその保障について明示すべき。特に低頻度発生障害である視覚障害では、同じ障害の子ども同士がともに学ぶ場を通常の学校に確保することは難しい。視覚障害者スポーツ等による達成感、充実感の保障をすべき。

○障害を持っていても、一定の年齢になれば独立して生活を送らなければならない。そうなった時に、教育を受けていないことは、とても大きなハンディとなり、より多くの困難を持って生活しなくてはいけなくなる。

○インクルーシブ教育には理念として賛成であるが、特別支援学校などが果たしてきた役割と成果を否定してはならない。

○制度改革の実施に当たっては、事前に本人や保護者への周知徹底と早期からの全国民への啓発が必要である。

○障害者の権利に関する条約の批准、インクルーシブ教育システムという言葉や理念が先行している。子どもへの適切な教育をどう展開するか、どう展開すれば子どもは楽しく学べ、社会の中で生き生きと生活していけるかという視点を常に持ち、障害の有無にかかわらず、全ての児童・生徒への教育を検討すべき。まずは、特別支援教育とは、インクルーシブ教育とは、といったことを社会に投げかけて、その方向性を広めるべき。

○インテグレーション教育とインクルージョン教育との区別がないまま議論が進められ混乱を招いている。インクルーシブ教育の長所と短所を明らかにして、それを踏まえて障害の状態に応じた十分な教育が受けられるようにすることを目指すべき。

○インクルーシブ教育が、特別支援学校での教育を含めた「包容する教育制度」であるならば賛成だが、通常学級を原則とするものであれば反対。

○単に「障害のある児童生徒が障害のない児童生徒と共に学ぶこと」そのものが「インクルーシブ教育」であり、それを推進する方策が「インクルーシブ教育システム」であると曲解されるおそれがある。

○本人・保護者のニーズに応える上で、現行の専門的な特別支援教育は重要。

○通常の学級に支援が必要な児童生徒が多いのは、それぞれのニーズに合う環境が少ないことや特別支援教育についての偏見などがあるためであり、一刻も早くこの状態を解消すべき。

○交流及び共同学習の意義や特別な支援を必要とする児童生徒への必要とされるニーズ等への適時性の観点から仕組みを整備するなど、基本的な考え方については賛成。

○市町村教育委員会において、例えば常時、障害児に関する専門的な医師の協力を得ながら、各学校への指導・助言ができるような体制作りをすることが必要である。

○自閉症をはじめとする発達障害の理解と実態に応じた適切な対応ができていない。

○共に学ぶための条件整備が最も重要だが、そのためには、まず、条件整備ではなく、教育全体の価値観を共生社会実現のためのインクルーシブ教育へ変換することが大切。

○子ども達の共に育ち合う心を養うことが大切である。

○「同じ場で共に学ぶことを目指す」としているが、その具体的なイメージが示されていない。発達障害の子ども以外の、例えば、軽度の知的障害のある子どもが学ぶ状況をうかがえるような記述にすべき。

○インクルーシブ教育システムの構築のために、学校職員の増員をはじめ、学校教育全体の抜本的見直しを含めて議論することが必要。

○障害のある子どもと障害のない子どもが、ただ同じ場を共に過ごすのではなく、それぞれの子どもが授業や活動を理解し、参加している実感・達成感を持ちながら、充実した時間をすごせて、生きる力を身に付けているかどうかを本質として捉えている点について賛成する。しかし、そのために必要なものは条件整備ではなく、教育全体の価値観の変換である。新学習指導要領に貫かれている能力主義の教育観を共生社会のためのインクルーシブ教育に変換し、障害のある子どもも共に学び合える通常の学級にすることが必要である。

○障害のある子どもは、当然の権利として、普通学級から排除しない権利を有している。

○子どもの教育的ニーズを専門家や親や教師が早いうちに決めるのではなく、その子どもが自分の障害を肯定的に理解できるようになるまで、分けずに、みんなと一緒にいる自分を肯定的に感じることができるようにすべき。

○全ての子どもを同じ場で教育を行うと平等な教育ができないと考えているようだが、頭の良い子は話を聴いただけですぐ理解でき、そうでない子が一緒に話を聴いても別に迷惑にはならないのではないか。わざわざ別学にしなくても、一クラスに2~3人先生がつけば良いのではないか。

○周りの子どもによる声かけは教師による声かけよりも効果的。ただ、大切なのは、その子に何のどういう力を身につけさせたいかをはっきりさせ、その子への支援方法が見つかるようにすること。これについて、保護者と教師が連携できると良い。

○地域の学校か特別支援学校かという二者択一の論争で終わらせず、「共に学ぶこと」が新しい制度で実現されなければならない。

○現在の特別支援教育は「支援」を重視するあまり、障害のない生徒とどのようにかかわらせ「共生社会」につなげていくかという視点が欠落している。障害のある生徒をただ単に通常学級の中で過ごさせれば良いとは思わないが、障害の有無にかかわらず差別のない社会にするための道筋を示してほしい。

○障害特性等によっては特別支援学級の支援はありうるが、特別支援学級の指導の最終目標は通常学級での授業を受けられるようにすることであるべき。

○特別支援学校を新しくつくるのではなく、地域の学校に専門職員、介護員がサポートする取組が求められている。

○「財政負担を含めた国民的合意を図りながら、」というのは、結局、教育条件の整備が改善されていないから難しいとして、課題を追いやるものである。

○財政状況は厳しいが、「共に学ぶ」ことの理念を明確に打ち出し、優先的課題を明示し、その後の社会的情勢や経済情勢に応じて段階的に進めていくべき。

○「触れ合いと交流」によって、障害のある人は大いに傷つく。これは、他者を認め尊重し合う関係ではなく、障害のある人に対する憐れみや同情であり、これこそが障害者差別に直結する深刻な問題をはらむものである。

○インクルーシブ教育とは、ユネスコの「万人のための教育」の枠組みの中で導き出されたものであり、障害に限らず、様々な社会的に不利な状況におかれている子どもに対して「特別な支援」が必要であるとするものである。また、この「特別な支援」とは、分けられた場に籍を置いていることとは別の概念である。

○「将来、社会に参加し市民として生きる時になって、障害のある子ども本人に対しより大きな不平等をもたらす可能性がある」の具体的な内容が不明である。

○作業療法士の視点から見て、知的障害・発達障害・自閉症の子どもが通常の学級で学ぶことは、支援の多少にかかわらず、本人の能力や将来性に何の問題もなく、むしろ、共生社会に資する。

○どんな障害があっても、共に育ち共に学ぶことを保証すべきであり、この論点整理はそのことから外れた方向性が示されているので断固反対。教育を受ける権利を奪っている。健常児にとっても障害のある児童と触れ合うことのない教育現場が良い訳がない。

○障害のある子どもが普通の学級で学ぶことに何の危険があるのか。配慮が必要なのは当たり前なのに、なぜその配慮ができないのだろうか。

○障害のある子どもを隔離すること自体が差別だと感じる。子どもたちには差別という概念がないのに、特別扱いすることで不自然さが生まれてしまう。幼い頃から一緒に育つことで、それを当たり前と感じ、偏見や恐怖心がなくなると思う。現在、障害のない子どもの方が少ないように思う。共に学び合うことでお互いの心が動かされる瞬間があると思う。自分自身、以前は偏見と恐怖心があったが、彼らと接してすばらしい感性と努力、優秀さを知り、恥じている。子どもはどの子もみんな同じですばらしいと痛感している。一日でも早くこの偏見に満ちた制度を変えてほしい。

○学校は学力だけのためにあるものではない。心の教育があってこその学力。お互いが共に学ぶこと、一緒に過ごすことで得るものは他の何物にも代えられない。

○障害のある子どもを二人育てている経験から、上の子は療育センター、特別支援学級を経て特別支援学校に通い文字も読めず数の概念もないが、下の子は保育園から学区の小学校に通い楽しく学んでいる。上の子も小学校に通わせていたらもっと育っていた、と悔やんでも悔やみきれない。すべての子は一旦学区の小学校に入る権利を持っている。むしろ、親がその権利を奪おうとしたら、教育側の人が諭すべき。

○環境整備ができていないからと共に学びたいとする子どもの願いを拒否するのは差別。環境整備は、友達と同じ時間を過ごす中で整ってくるもの。

○共に学ぶことは共生社会の形成に向けて望ましい。分離教育は、学校という狭い空間で生活するうちは支障をきたさない。しかし、学校を出た時にはみんな同じ立場であり、誰であってもお互いに手を差し伸べながら支え合って生きることの必要性を学ぶことのできるインクルーシブ教育の整備に取り組むべき。

○特別な支援が必要な子どもは専門家に任せるという雰囲気がある。さまざまな人が互いにかかわり合いながら生きていくためには、互いのことを、経験を通して知っていることが必要。小学校からそういったかかわり合うことができる環境を作るべき。

○障害のある子どもも通常の学級で学ぶことを第一義に考えることで、教員の意識が変わる。その上で行政として文部科学省ができることをサポートしてほしい。

○義務教育の9年間、我が子は共に育ってきたおかげで、中学校に行く頃には自分の居場所を選べる力がはぐくまれた。障害があって通常の学級で生活することは並大抵なことではない。そのため、分けられた場所へ避難してしまう人が多い。最初から分けなければそんなことは起こらない。

○障害のある子どもと学ぶ機会が多ければ、周囲の子どもたちが、思いを寄せてかかわる可能性が広がる。まずは、かかわる機会をできるだけ多くするよう、本人、保護者が希望する学校へ就学できるよう要求する。

○通常の学級で何人もの障害児を受け入れて教育してきたが、いつもその子がクラスにいることが集団作りの基本で、その子が成長し、周りの子も成長する。いろいろな課題があると思うが、まずは一緒のクラスにいることを実践していくことが大事。

○養護学校という分離・別学の環境下で教育を受け、自立生活センターの職員として働いている。しかし、仲間の多くは施設や家族の下で不自由な生活を強いられている。特別支援学校には専門性があるといわれるが、強い疑問がある。障害のあるなしにかかわらず、同じ地域でお互いに刺激し合いながら学んで遊んで育つ環境が必要である。

○どんな子どもも地域で共に育ち合うことの大切さを再確認してもらいたい。

○通常学級で学んでいる「教育支援の必要な児童生徒」の「実態把握」を行うとしているが、「実態把握」は時として障害児探しとラベリングにつながる危険があるので行うべきではない。

○お互いの違いを尊重し、共にバランスを取りながら生きていく社会になるためには、幼い頃から一貫したインクルーシブ教育が必要である。

○同じ場で学ぶことが「目指すべき」「基本的」で、授業や活動を理解して生きる力を付けることが「本質的」とされているが、逆である。「同じ場で学ぶ」から充実した時間を過ごして生きる力がつく。これが本質である。

○共に学ぶために、「支援」をつけるのであれば、障害のない子どもの勉強の邪魔にならないようにするという新たな「差別」を生む。

○インクルーシブ教育という教育観は価値観の変換であり、それにより教育条件の大幅な改善を行ってほしい。

○環境整備が不十分なことを理由に排除しないでほしい。

○「共に学ぶ」ことについて進んでいくことは喜ばしい。具体的政策を打ち出してほしい。

○障害があることで同じ場にいられないことが、自己信頼を否定する。

○障害のある子どもと障害のない子どもが共に学ぶことは共生社会の形成に向けて望ましいが、教育条件が大幅に改善されなければ、適切に教育を受ける機会が平等に与えられないことについて同感。

○共に学び、共に育つために一層の財政的拡充を求める。

○学習指導要領に共生社会の理念浸透を図る内容を入れてほしい。

○子どもの個性に応じたきめ細かい教育を進めるためには、教育条件の改善が必要。

○「共に学ぶことの追求」は評価できるが、人的・物的環境整備ができないと子どもがつらい思いをする。共に学ぶためには、教職員の適切な配置を含め、財政的裏付けが必要。

○コミュニケーション能力を高め、相互承認を深めることは重要。

○現行の学校制度全体における能力・競争主義を見直すべきである。

○インクルーシブ教育システム構築のためには特別支援教育の検討だけでは不十分。

○障害のある子どもと共に学ぶことは、学校教育全体の問題として議論されるべき。

○条件整備なしに同じ場で学ぶことは、将来的に大きな不平等をもたらす。

○条件整備の工夫を紹介しながら、必要性を述べるべき。

○障害のある子どもが学校にいたから、かかわり方を知り、考え、学ぶことができた。

○論点整理は、障害のある子供たちが排除されることなく地域の学校の通常の学級で「友に学び、共に生きる」教育を受けて育ち合いたいという子供の権利を踏みにじるものである。

○「条件の整備が必要である」で結んでしまうと「財政的に無理」という結論になってしまう。これまで障害を理由に分けてきた日本の教育の価値観の変換が必要である。

○条件整備は全時間、共に学ぶ、生活する中での条件整備であるべき。

○「同じ場で共に学ぶことを追究する」と明示したことは評価できる。実現のための環境整備、教員の配置、専門的な職員の配置などが大切である。

○「同じ障害のある子供同士が共に学ぶことにより、それぞれの障害特有のコミュニケーション能力を高め・・・・」ということがなぜ重要なのか分からない。

○「特別な支援を受けている」ことと、「特別な場所で学んでいること」は全く別なことである。日本においてはこの区別が従来の分離教育から理解されていない。インクルーシブ教育は分けないことが大切である。

○現在のシステムでも「すべての子どもが同じ場で教育を受ける」ことは可能である。

○「障害のある子どもと障害のない子どもができるだけ同じ場で学ぶ」のではなく「原則として同じ場で共に学ぶ」という表現に改めるべき。

○「できる」ことを良しとする教育の価値観の転換を図るべき。

○条件整備を理由にインクルーシブにはできないとする学校や教育委員会の姿勢を改めるべき。

○教育条件の大幅な改善を待たずとも、共に生きる教育の実現は可能。ニュージーランドやスウエーデンの教育にも良い試みがあるので見習ってほしい。

○全体的にこの中に出てくる障害は発達障害と軽度の障害を念頭において書かれている印象を受ける。脳性麻痺、視覚障害、聴覚障害、知的障害、内部疾患などの子どもの姿を読み取ることができない。

○共生共学を当たり前のことにすべき。

○充実した時間を過ごせて、生きる力を身に付けているかどうかという判断は、その時点で計ることはできず、ましてや本人の認識と他者から見た認識は一致しないのに、あえて障害がある子どもだけに外側から見た判断を加えることは危険である。

○学校、地域の実情という地域間格差を肯定することは差別である。

○財源がかかりすぎているというような言いまわしは国民的合意を阻むような策を講じているようにとれる。

○論点整理の方向性はすでに始まった特別支援教育というシステムを正当化するための詭弁のような気がする。

○「同じ障害のある子供同士が共に学ぶことにより」は盲、聾、身体障害の人と明記すべき。コミュニケーション応力が非常に乏しい知的障害のある子供にとっては難しい。

○道徳教育を充実するとあるが、教育で教えるものではない。(同じ場所で)一緒に生きていく中から、みんなで考えて育っていくものである。

○発達障害のある子供については、落ち着いた環境の中でその子にあった教育をすることが理想である。通常の学級の人的、物的条件が改善されない状況下では、同じ教室で学ぶことは、かえって障害のある子供の発達を妨げることになる。

○「教育的ニーズに最も的確に応える指導を提供できる多様で柔軟な仕組み」「段階的に実施」をどう具体化するのかが論点整理では分からない。

○すべての子どもを同じ場で教育しないということは、多くな不公平をもたらすので改めるべき。

○(我が子が)地域の学校に通学している。学力面では通常の生徒についていくことは無理。しかし、共に学ぶことで、いろいろなことが身に付いている。

○(自分自身障害があり)教員をしている。生徒たちとかかわる中で、共に生活することが、共生社会の形成になると実感している。

○特別な教育を受けている子どもの各国間の比較がされているが、通常の学級で特別な支援を受けている子どもも相当数含まれ、単純比較はできない。

○私の住む地域では、特別支援学校に進学すると、地域からは忘れられてしまう。疎外感を感じる。

○条件がそろわなければ、共に学ぶことの実現はできないととれるような文言はとるべき。

○共に学ぶことを実現するためには、これまでほとんど手当てされてこなかった通常の学級の障害児の介助者などへの財政的支援を重点的にすべき。

○どこで学んでも必要な支援と合理的配慮は必要。その財政的措置をすべき。

○財政のことの前にできることから積極的に行っていくという意思を示すべき。

○インクルーシブ教育システムが障害のある子供にとってどうメリットがあるのかという視点で語ってほしい。インクルーシブ教育を進めることが財源削減にすり替えられないようにすべき。

○道徳教育の充実はインクルーシブ教育システムとは別問題で語るべき。

○インクルーシブ教育システムを理念としてその方向性を目指すという位置付けには賛成。

○特別支援教育はインクルーシブ教育システムと同じ方向を向いているが、共生社会の形成の具現化の施策が不十分。

○学校生活は、教師と一対一で学ぶことばかりではなく、友だちとのかかわりの中で学ぶことも多くある。教科学習では得られない、生きていく上での大切な学びがある。

○インクルーシブ教育は教育条件の大幅な改善が前提ではない。イタリアのインクルーシブ教育も「同じ場で共に学ぶ」ことの積上げが制度化されたものである。

○学習権の保障も大切であるが、まずは同じ場で共に学ぶことを追究することに全力を傾けることが必要。

○道徳教育の充実が取り上げられているが、道徳教育のような価値観の押し付けでは真の生命尊重や思いやりの態度などを育むことにはならない。同じ場で共に学ぶことを積み上げていけば、必然的に子どもたちは育つ。

○特別の指導の在り方ではなく、「共に学び合う授業」の在り方こそが検討されるべき。

○特定の障害の有無より、抽象性の高いレベルでの能力育成、評価を促すことで、教職員の意識改革、指導方法の改革・充実を進めるべき。

○基本理念としては、障害のある者も、障害のない者と共に学ぶとしながら、障害のある者は特別支援学校・学級で学ぶものであるという方針が全体を通して貫かれていることは問題。まずは、障害児は特別支援学校・学級へという文部科学省の前提を根本から転換すべき。

○共に学ぶことの重要性を記載しつつ、「環境整備が進まないまま、同じ場で共に学ぶことを進めるのは、・・・危険性がある」とするのは、問題点を正面から受け止めず、環境整備が不十分なことを理由に、多くの子どもを排除していくことにつながる。

○障害児と健常児が一緒の場所で学ばなければ、インクルーシブ教育とは言えない。カリキュラムも異なる場所で学ぶことは学習権の侵害。

○小学校の校長は「障害児が通常の学級に来るといじめられますよ」と平然と言った。そのモラルの低さにあきれた。分離・別学が当然であり、学校には障害児に対応する能力も気力もない。

○インクルーシブ教育には、二つの点で賛成できない。一つめは環境整備に限界があるということ。例えば、障害児にとって不得意な科目は、差が拡がり是正が困難だと思われる。二つめは障害のない子どもによる障害児理解が困難だということ。冷やかしなどのような差別が生じるのではないかと危惧している。そのことによって今の教育現場がより激しい場となり、教師を希望するものも減るのではないかと心配する。

○自身が身体障害者であるが、「現在の教育条件が大幅に改善されない状況で、すべての子どもを同じ場で教育することは将来の不平等をもたらす結果になる」とは考えられない。分離という枠組みの中で、障害のない子どもや市民との合意を図りながら共に学ぶことを実践してきた経過・歴史を十分踏まえて考えるべきだと思う。

○全ての子の在籍を通常の学級にすることは、目指す理念の一つとして重要であるが、この理念だけが突出し、障害のある子どもの正しい理解や最善の支援を見つけていく努力をおろそかにしてはいけない。

○障害のある児・者同士が思いを共有しサポートし合うピアサポートやピアカウンセリング等の取組推進は賛同できるが、教育行政からこの様な取組は行われていない。

○多様な場における人的・物的環境の整備に当たっては、特別支援教育に専念できるコーディネータ(中学校区に1名程度)の配置とその職務等の明確化が必要である。

○特別支援教育は個別の支援に焦点を当てており、子ども同士、子どもと教員との関係性において何が必要かという視点を持ち合わせていない。

○学級編制基準の引き下げ等により教員が十分配置されることが必要。

○難聴児が通常の学級で学ぶことは良いように見えるが、実際は本人は周囲の状況を理解できずに孤独を強く感じ、アイデンティティーが確立できないだけでなく、うつ病を発症したり、引きこもったりと二次障害を起こす可能性が高いことも理解してほしい。

○大幅な枠組の改善を待っていたら、今の体制は変わらない。インクルーシブ教育に転換することと明言し、学校、教育委員会、教員の意識を変えていくことが必要。

○条件整備をしなければ、障害のある子供に大きな不平等をもたらす。財政的な措置を講ずることをはじめ、国として施策の優先順位を上げるべき。それを緊急に行わなければ、障害者の権利に関する条約を批准しても何も変わらない。

○多様な学びの場での人的物的環境整備が必要。

○障害のある生徒が、中学校において、参加できる実感を持って充実した時間を過ごせて生きる力を身に付けることは現実的でないし目標としても適切ではない。「人的・物的な教育条件の整備」が先決である。

○インクルーシブ教育の実現には、道徳教育が重要と述べられているが、「共に学ぶこと」は普通のことであり、道徳的活動ではない。

○学校は小さな社会。いろんな子がいていい。健常者、障害者の分離は大人が仕組んだ差別である。

○教育の場で分けておいて、後から共に生きるための地域や職場で相互理解をというのは現実的でない。

○地域と離れた支援学校へ行くと、卒業した後は、障害をもつ児童生徒が地域で孤立してしまう。

○地域の小学校、中学校で同級生と共に過ごす中で、まわりの人たちとの過ごし方を身に付け、状況判断をする力を身につけていく。小さい時から共に過ごす学校を希望する。

○学校に望むことは、学習の習熟も大事かと思うが、コミュニケーション能力の習熟がより大切。そのためには、みんなと一緒に普通級で学ぶ必要がある。

○障害のあるなしにかかわらず支援が受けられるようにする。誰でも学びやすい環境に整えることが必要。

○親亡き後、その子を見守るのが家庭以外にあれば、親はどれだけ気持ちが楽になることか。そういう世の中の仕組みを作る意味でも、誰もが共に学ぶことを理念としたシステムを作っていただきたい。

○教育課程は年齢が進むほど高度、細分化されていくものであり、分離教育の反省に立つなら、初期において如何に、共に学ぶ教育を実現するかという方策が必要。

○地域社会で生きるということは、当たり前に家から一番近い学校に通える状況にすることだと思う。

○幼いときから一緒に育つことによって、障害があるとかないとかではなく、お互いの違いを認めあう関係を築けるようになっていく。大人になってから出会うと、認め合うことはとても難しい。

○障害を持った子どもたちは、大人になってから、地域で生きていくためには地域の方の手助けが必要。困った時、どうやって助けを求めるのか、また、助けを求められた時どうすれば良いのか、それを学ぶのは学校である。

○特別支援学校・特別支援学級・通級による指導の対象者数が増加している現状はインクルーシブ教育システムに逆行している。

○「障害のある人」に「特別扱いをしている」「特別扱いをしてあげる」という恩恵的な名称は、「障害のない人」から「不平等感」を引き出すので、「特別」という名称は廃止すべき。「特別」なことを望んでいるのではなく、「一人の人間」として尊重され、必要な支援を受け、合理的配慮をされることは「権利」である。

○「特別支援教育はインクルーシブ教育ではない」と国連子供権利条約で言われたことを反省すべき。公立の学区の普通小中学校は、地域の子供達全員に開かれているということを認識すべき。学校側に子供を選ぶ権利はない。

○特殊教育を「特別な場に分離する」ものと認識されているが、特別支援教育についても「同じ場で共に学ぶ」ことを保証しているわけではない。そこに触れることなくインクルーシブ教育の理念とそれに向かっていく方向性に賛成するとは、法的な問題を覆い隠すように各論が述べられているという印象を受ける。

○障害のある人が、排除されずに地域の学校の普通学級で障害のない人と一緒に普通教育を受ける権利を踏みにじるものであるので、基本的な姿勢に反対。

○現在の特別支援教育は別学を原則としているので、権利条約批准に際しては、共学を原則とするインクルーシブ教育への明確な転換を実現してもらいたい。

○inclusive education systemを「包容する教育制度」としているが、「包容」は日本語としてはなじみのない言葉であり、検討を要する。

○general education systemを「教育制度一般」としているが、通常この言葉は、職業教育システムに対する普通教育システムとして用いられるものである。

○特別支援学校の予算を地域の学校の予算に移すべき。この予算でチームティーチングや環境整備をすべき。

○インクルーシブ教育システム構築のための財源確保のため他の教育予算が削減されることがないよう、現状の教育予算にプラスする形での予算の確保とすべき。

○視覚特別支援学校、通常学校に十分な人的・物的配慮が検討されるべき。財政面の検討においては、視覚特別支援学校の予算を通常学校に振り向ける形ではなく、視覚特別支援学校の予算を変えることなく、通常学校でインクルーシブ教育を実現するための財政的裏付けを確保することを検討すべき。

○予算的に難しい点は多々あると思うが、子どもたちにとって最善となる教育を、日本中どこに暮らしていても受けられるようなシステム作りをお願いしたい。

○「過度の負担」とは現在特別支援学校で一人当たりにかかる予算以上の負担が最低限の前提。現状のように、特別支援学校では生徒一人当たりの予算が小・中学校の10倍であるのに対し、小・中学校では国、都道府県が予算をつけず、市町村自治体に丸投げしているのは、小・中学校での教育を受ける権利を著しく侵害している。

○特別委員会は学級規模の改善を強く訴え、インクルーシブ教育システムにかかる費用を開示すべき。その上で国民的合意を図るべき。

○「多様な学びの場」は能力主義によって子どもが選別されているようで不安である。

○必要なのは「多様な学びの場」ではなく、「多様な教育方法」である。同じ場で共に学ぶことを追求するためには、普通教育そのものを特別支援教育に転換すればよい。

○「多様な学びの場」を用意することは、障害者の権利に関する条約にもサラマンカ宣言にもそぐわない。これでは現行の特別支援教育と何ら変わりがない。

○「多様な学びの場」を用意することに賛成。通常の学級、特別支援学級、特別支援学校それぞれの特徴、必要性、良さがあり、その時々に応じて、子どもにとって一番良い場を選ぶことができるようにしておく仕組みが必要である。教育の大きな目的は一人一人の学力を付けることにあり、同じ場にいるから共生できるものではない。特別支援教育の教室数確保や教員定数の改善等、教育現場の意見を反映していただきたい。

○インクルーシブ教育システムの実現のためにも「連続性のある多様な学びの場」は不可欠。特に、安定した健康状態の継続が難しい場合があり、柔軟な対応ができるような配慮が必要。人的物的環境整備の緻密な計画も必要。

○必要なものは「分けられた連続的、柔軟的、多様な学びの場」ではなく、「通常の学級での連続的、柔軟的、多様な学びの場」である。

○委員会の議論のままではインクルーシブ教育には向かっていかない。小・中学校の中で多様な学びの場を作ることが必要。また聾学校を除く特別支援学校を廃止するべきである。

○多様な支援の場の充実とそのためのバランスの取れた予算配分が必要。

○連続性のある多様な学びの場を用意しておくことが必要とあるが、特別支援学校に入学すると地域の学校に転入することは稀である。双方向に連続性のある多様な学びの場とすべき。

○多様な学びの場の連続性については、どの段階においても専門家の助言を受けなら対応することが必要。

○アメリカやイギリスではなく、インクルーシブ教育の先進例のイタリアに学んでほしい。

○イタリアなどのインクルーシブ教育を手本にするのは結構であるが、教育的背景や義務教育全体の制度にも目を向ける必要がある。現在の現場に制度だけを導入することは義務教育全体の破壊にもつながりかねない。

○諸外国と比べて、教育・福祉・社会制度における日本の課題は、理念、人権意識の部分である。制度や技術、設備は、諸外国と比べてむしろ充実している。

○短期的課題と中長期的課題を整理し、段階的に実施していくべく、今後の検討すべき点を明らかにしたことを評価。

○特別支援学校がある限り、インクルーシブ教育は進まないと考える。長期的には、思い切ってこれを解体し、本当の「共生」を目指すべき。

○急激な変革ではなく、短期と中長期に整理し段階的な実施(ソフトランディング)を目指すべきである。

○短期的には、就学先を原則地域の小・中学校として、特別支援教育にかかる平均的な一人当たりの予算を、特別支援学校・特別支援学級から普通学校へ移譲すべき。その後、さらに必要な予算については財源を確保して順次実施すべき。

○中長期的な課題整理は必要であり、早期に示していただきたい。地方の負担はどの程度になるのか。都道府県・学校の間で著しい格差がない形で実施すべき。

○様々な立場の人が参加して「インクルーシブ教育推進10カ年計画」を策定し、徐々にインクルーシブ教育へと転換を図る必要がある。

○短期的な課題とされている就学相談・就学先決定の在り方に関わる制度改革は、少なくとも人的・物的な環境整備及び教職員の確保と同時に検討、実施する必要がある。現状のままでは、子どもに対する「合理的配慮」が軽視される。

○短期的には、就学相談、就学先決定の在り方にかかる制度改革、教職員の研修等について検討し、必要な財源を確保。

○人的・物的環境の整備は特に重要であり、短期的、中期的な視点での整理が必要。

○障害のない子どもより障害のある子どもの家庭のほうが貧困に陥りやすいと言われており、家族生活支援などを具体的に提案する必要がある。

○障害のある子どもの家族が辛いのは、「社会から外される存在になる」と想像がついてし まうから。まずは学校が「みんなおいで」という場所になってほしい。

○「地域における社会福祉政策や障害者雇用施策と特別支援教育との一層の連携強化」とあるが、行政が障害者の生き方に介入する危険性がある。あくまでもソーシャルインクルージョンの実現こそ重要ではないか。

○条件整備なしには、子どもが適切に教育を受ける機会を平等に与えることができないというのは、勝手な憶測であり、間違っている。

○特別支援学校についても義務制の学校と同じく市町村に設置義務を持たせることで、市町村教委が障害のある子どもを地域で受け入れるという姿勢につながるのではないか。

○一番のニーズは、通常の学校で育ちあうことで、そのうえで地域の教育資源を利用できるようにしておくことが必要である。

○社会を担う子どもたちの育ちあいの場に色々な障害を持つ子どもがいて、一緒に生きていく力を付けることができる。

○病院入院時の転学手続きの柔軟化に賛成。加えて、人員配置や施設面での充実をすべき。

○病院入院や療養時に学習空白が生じないようにしてほしい。

○特別支援学校の人材やノウハウを地域の学校へ移動させるべき。

○特別支援学校の分教室を設置することは、インクルーシブ教育と反対の方向を向いている。

○地域性のもとに不平等が起きないようにしてほしい。

○障害のある人を訓練して働けるようにするのではなく、そのままで働けるように社会を変えてほしい。

○個別の教育支援計画は専門家が障害者を支配し、従わせようとするものなので反対。

○警察や司法と連携することは犯罪予備軍と見なしているのではないか。

○インクルーシブ教育システムを目指すのであれば、通常の学校の中で子ども同士の学びの場を構築するような制度改正をすべき。現在のようにスクールバスで1時間もかけて通学するようでは子どもの学習権は保障されない。

○関係機関や専門家との連携が強調されているが、障害当事者やその団体の社会資源との連携こそが不可欠。

○特別支援学校に就学すると、放課後等の時間に同じ学年の友だちと遊ぶ機会が奪われてしまう。

○主たる教育は地域コミュニティーの中で実現できるようにすべき。

○地域により交通機関や教育資源等の偏りがあるので、地域の実情に応じた仕組みができるようにすること。

○多様な学びの場が示されているが、設置者にそれらの教育条件を整備する責任があることを明示すべき。

○中学校・高等学校での障害のある生徒に対する自立のための職業教育の充実が必要。

○地域に生活する視覚障害者のキャリア教育を、障害のない者と同等に実現するため、どの様な支援体制が必要かという視点が大切。

○資源等の偏りがあるので、地域で工夫した教育の提供が必要。

○特別支援教育の地域化を進める小規模な特別支援学校の設置基準や整備計画について具体的に明記されること。

○特別支援教育は、「場の教育」から「個別に支援をする教育」であったはず。様々な場は必要であるが、「特別な場で適切な指導・・・」という文言は、「個別に適切な指導・・・」で良い。

○地域への理解啓発の前に、同じ学校に通う児童生徒の保護者に対する啓発を強調することが必要。

○障害児と直接接する児童たちは理解し合えると思うが、健常者の保護者となるとなかなか難しい。

○健常児保護者への理解啓発の促進が、インクルーシブ教育を進めていく上で強調されるべき。

○地域の小・中学校の全教職員、児童・生徒、保護者に、様々な障害に対する正しい理解と制度改革の理念の理解をしていただきたい。また、学校教育では更なる人権尊重教育を進めるべき。これらを地方自治体に任せるのではなく、自治体による地域格差が生じないよう、国として取り組む必要がある。国レベルでの意識改革が求められる。

○スクールクラスターの考え方はインクルーシブ教育につながるものではない。

○スクールクラスターはこれまでの特別支援教育の要素を羅列しただけである。

○域内の教育資源の組合せ(スクールクラスター構想)は、公による療育の広がりの可能性を感じさせる。スクールクラスターが実現できるような財政面での裏付けを望む。

○「スクールクラスター」の考えは有効。「特別支援教室」より現実的。

○一人一人の障害に応じた就学ができるよう、また、スクールクラスターの構想をより実効性あるものとするためには、それぞれの学校が果たす「役割」と「専門性」を示す基準となるものが必要ではないか。

○中長期的には、域内のスクールクラスターという視点で、特別支援学校の特別支援教育に関する研究・研修機能を備える方向を模索すべき。

○実際に障害児を受け入れる小さな市町村教育委員会の立場から見ると、市町村教委のこれまでの実践の蓄積を参考にしたり、工夫や対応についての調査・分析を行い、それを論点整理での議論に反映させる必要があると思う。

○小中高等学校の学習指導要領に共生社会の理念浸透を図る内容を盛り込むべき。

○特別支援教育を希望する親が増えているというのは信じられない。実験材料として特別支援教育に送り込まれた子どもがいるのは事実である。

○特別支援教育総合研究所を「インクルーシブ教育総合研究所」と改名し、実践研究、理論研究の中心的役割を担ってほしい。

○解決困難ないじめ等により、児童に深刻な事態が生ずると見込まれる場合には、緊急避難的に特別支援学校や特別支援学級で指導できるような保護制度を創設すべき。

○24時間介護が必要だが、中・高・大と普通学校で学んだ。様々な介護が必要であったが、特別な教育はいらなかった。

○アメリカで子どもを学ばせたが、基本的には普通学級だった。一緒の場で可能な限り学び、さらに多様な方法を考えることが必要。

○自閉症の息子に対する支援を要請すると、行政の窓口担当者が、その必要性をなかなか理解してくれない。この理解不足は現在の問題ではなく、過去の学校における基本的な障害者への人権教育の結果だと思われる。成人に対する再教育の機会はあるかもしれないが、障害者に対する人権教育も、学校で考慮してほしい。

○分教室等の設置については、様々な面での不十分な点が見られる。小規模特別支援学校の設置の方向を示すべき。

○健常者も事故にあう等で、障害者になる可能性が十分にある。障害者と健常者は紙一重であり、分けて考えることなどすべきでない。

 

 

2.就学相談・就学先決定の在り方について

○就学相談は、以前よりも細分化され、特別支援学校希望者は、就学時健康診断からも除外され、就学相談も地域の教育相談所では行われないということだけでも、インクルーシブ教育の原則・理念の下での就学相談にはなっていない。

○問題なのは、保護者への説明時間の不足や保護者の意見ではなく、本人への説明や意向の確認ではないか。

○保護者は、子どもの就学先を検討する際には公的機関と対等のパートナーであるべき。

○中度の難聴児は難聴学級を希望しても、通常の学級と判定されることが多いため、必要な支援を受けることが出来ない。就学相談員が古い偏った知識を持っている多く、正しい判定がされていないことが問題である。正しく説明できる相談員の選定が必要。

○段階的に交流の機会を増やし、最終的に全ての時間を地域の小・中学校で教育を受けることができるようにすること。

○最善の就学の場を考えるためには、医療や教育の関係者の知見を集めて生かすことができる制度とすることが必要。

○小規模の町村では、専門的な知見を有する人と相談・支援できる人材及びその予算の確保ができない。

○現状とかけ離れている。制度改正は現実的でない。もっと現場や当事者のヒアリングをすべき。

○論点整理の内容に全面的に賛同する。

○就学先に際しては、本人・保護者の意見が最優先されるべき。早期からの教育相談等は、障害者差別である分離教育に導くものにほかならず、今まで以上に差別社会へと向かわせる危険性があり反対。

○相談に来た人に配られる資料には、共に学ぶ、普通学級で共に過ごすという情報提供がほとんどなされていない。選んでいるのではなく、選ばされている。

○早期からのレッテル貼りによって通常の保育園や幼稚園から離される子どもが心配。

○早期に教育が介入することで、自然な親子の育ちを邪魔してしまう恐れがある。学校教育の相談を始めるのは、就学が近付いた時期で良い。

○早期からの教育相談が何のために必要なのか理解できない。

○学齢簿が作成されてない時点で、学校は合意形成に関わることは適切ではない。相談体制の構築が必要。

○就学相談と称して、通常学級の障害のある児童生徒を幼児期から特別支援教育に誘導しないこと。

○「個別の教育支援計画」は障害のある子どもを取り出していく分離・別学につながるので廃止すべきである。

○早期支援により分離教育が行われてきた。この早期相談・支援の中にともに学ぶことなどについても入れていくべき。

○障害の有無にかかわらず地域の学校で学ぶためには多様な学びの場と教職員の人的整備が必要である。

○教育委員会が「個別の教育支援計画」を作成することが重要とするのは、昔の陸軍のように教育支配を目指す発想である。

○より一層早期から、より強力に、特別な場所での特別支援を働きかける方針に強く反対する。通常学級に在学しながら行うインクルーシブ教育を明確に打ち出すこと。

○現在、学校、教育委員会から情報提供されているものは、「同じ場で共に学ぶ」ことを目的とした情報提供や障害を持ちながら地域の学校で学んでいる例などの情報提供がされていない。

○「地域の資源の活用を十分図り」とあるが、実態としてはボランティアである「親の会」や「当事者団体」に相談は回ってくる。「親の会」や「当事者団体」との連携・協力についても言及すべきである。

○「同じ障害のある一定の学習集団」が学校だけとは限らない。学習塾・教室のように学校以外の場を用意していく必要がある。「一人の子どもとして」「地域の子どもとして」「クラスの一人として」他の児童生徒と同じ意識を持って見る教育者の姿勢が問われることであって、障害のみに着目した視点に偏ることは拒否する。

○「個別の教育支援計画」作成は多忙な教師に事務作業を増加し不評である。面倒な作業が増えるから特別支援学校に行ってほしいとなった例もあるので事務作業を省略し、保護者が話し合いたい時のみ話し合いをすれば済む。

○小さい頃からの支援は大切だが、その時も他の子と同じ経験、機会を奪うことなく、一緒に育つ地域の温かい支援が必要。

○乳幼児期検診の結果を行政が情報の共有を行っていくことは個人情報保護の観点から反対。

○各市町の福祉保健部による就学前段階の「個別の教育支援計画」作成・活用の促進について言及すべき。文部科学省や特別支援学校が先行しすぎている。

○医療関係者は、障害の一般論を知っていても、一人一人子どもによって異なるので、必ず、その当事者の子どもをよく知っている、また、生涯にわたって、その子どもを支援していく可能性のある主治医との連携でなくては意味がない。福祉等の関係部局も実際に療育などを受けている機関とすべき。

○障害児を持つ親は不安でいっぱいであり、早めに教育相談を受けることは良いこと。しかし、現在、障害児も普通学級で共に学び育ち合っていることがまだまだ少なく、情報も少ない。

○障害のある子どもの教育相談は多岐にわたっており、特別支援学校だけでは対応しきれない現状にあり、教育相談担当の教員の加配など、その相談の受け皿を手厚くすることが必要。人的環境条件を早期に整えることが必要。

○大学の附属機関などは都道府県の枠を超えて、相談・支援に関われるようにすることが必要。

○早期支援のみならず、幼稚部から高等部卒業までの一貫教育を希望している本人・保護者の意向も尊重していくべき。同じ障害のある一定規模の学習集団の中で、手話を中心としたコミュニケーションを充実させることができる。それが児童生徒の心理的安定に繋がり、社会性や自立する力も育める。

○「本人・保護者に十分情報提供し」とあるが、教育委員会、学校ともに十分な情報を持っていない。

○医療・福祉・教育を具体的に連携させる制度設計が必要。

○「早期からの相談体制、教育体制を更に充実させることが必要ある」とあるのは大変重要。

○療育機関が不足しており、早期からの教育相談について触れるのであれば、療育機関の充実を提案するべき。

○おおむね賛同。行政による保護者への情報提供のシステムやツールの検討を望む。

○出生時から発達段階に応じての保健指導を含め、必要なニーズを把握し利用できるサービスを選択できる、教育・福祉・保健制度などを包括した子育てシステムの構築が必要。

○障害の適切な理解と豊かな人格形成の観点が必要。障害を受け入れ、正しく理解するためのサポート体制が必要で、具体的な条件整備の内容と推進計画を明記すべき。合意形成の前提条件としても、保護者が判断する力や知識を持つことが必要。

○いちいち口出しする専門家は必要ない。療育センターなどの先回りした情報、忠告のおかげで元気をなくす親が多い。現場の先生は頑張っているのだと思うが、「あなたの子も普通の子どもと一緒に育っていけるから大丈夫」と言える環境を作ることが大事だと思う。

○早期からの教育相談に賛成。

○「障害の状態、教育的ニーズ、学校、地域の実情…困難が予想される場合には本人・保護者に予め情報提供する」ことより、それをどうクリアするかということを考えてほしい。

○出生後の検診の充実と保護者の障害の理解、障害の特性の理解を促進するとともに障害に応じた育児・教育の支援が必要である。

○地域の小・中学校における教育サービス及び支援内容に関する説明を詳しく行うこと。

○自閉症を含む発達障害の早期発見は重要であるが、発見だけを重視して診断するだけなく、その後の早期介入・支援が必要。

○脳の発達や教育の臨界期などについて総合的に研究し、成長の時期や領域などの時期を失することがないようにする必要がある。

○出生後の検診の充実と専門性の高い小児科医の活用が急務。

○教委は医療、福祉と連携して個別の教育支援計画、個別の指導計画を作成し、子どもの能力を最大限伸ばす教育を提供できる就学先を提供できる体制作りが必要。

○保護者が子どもの自立に向けた教育の提供を受けるための就学先を判断できるように、情報提供機関を設けることが必要。

○学校教育だけでなく、発達障害等の障害は早期発見・早期支援が重要。

○3歳児検診・就学時検診だけでなく、公費において5歳時検診を早期に実施すべき。

○保育所、幼稚園等の機能を充実させ、早期発見後の支援体制を創設すべき。

○乳幼児の相談・支援については教育委員会で対応できないのが現状である。

○幼稚園、保育所では、必要以上に発達障害に過敏になり、小学校とのカンファレンスでは配慮や個別指導が必要として大量の子どもたちの名前が挙がっている。障害を通してしか子どものあり様を見られなくなっている現実がある。

○就学先の選択権は本人・保護者にあるとすべき。

○自己決定の権利に基づいて、学ぶ場所の選択権を保証すること。そのためには人的、物的な環境整備が急務。

○障害固有のコミュニケーション能力を高めることを希望して保護者が選択するときには特別支援学校を選択できるとすべき。

○就学時健康診断と就学相談・就学先決定の話し合いは廃止し、地域の小学校への就学が決定した後、必要な配慮や環境整備等、教育行政側の義務で必要な支援の内容について保護者を交えて話し合うべき。

○障害を理由として通常学級から排除する学校教育法施行令第五条、第十八条の二、第二十二条の三や学校安全保健法第十一条、第十二条等の規定は早急に改正すべき。

○障害のある子もない子も、基本的人権として地域の公立小中学校への就学通知が送られるべきである。公立の小中学校において合理的配慮がないためにやむを得ず特別支援学校しか選びようがない今日の状況は、障害のある子どもがインテグレートされているとはいえない。

○本人・保護者の意見を最大限尊重して就学できたとしても、保護者の付添いが強制される。通常学級にいたいなら保護者が付き添いなさいという論理がまかり通っている。合意形成というが保護者と学校・教育委員会は平等ではない。学校・教育委員会からの説明は実質的に強制になる。

○就学先を決めるのは本人及び保護者であり、教育委員会及び学校は障害者の通常学級就学の際に環境整備の遅れを言い訳にして、入学を拒んではならないし、必要で合理的な配慮を行わなければならない。

○保護者が子どもの健康・学習・発達・成長を願うのは当然のことであり記述する必要はない。書くのであれば、第一に子どもの幸せを書くべきである。

○「保護者は、何よりもまず、子どもの健康、学習、発達、成長・・・」という記述は、普通学級を就学先に選択した保護者は不真面目またはいい加減な気持ちで決めたとでも言わんばかりの記述は遺憾であり削除すべき。

○就学相談は、行政側が決めた就学先を親に説得する場になっている。就学相談は、完全な申し込み制にし、専門のカウンセラーに親が意見を聴く場とすべきである。

○「合意形成」とあるが、何をどう話しても上の立場から専門性をふりかざし押しつけるのが学校である。全く聞く耳を持たない上から目線の学校の現状を理解すべき。

○教育委員会の決定は、分けられた場所に行くのがその子のため、といったことが大半であり、その子どもに何かあっても、教育委員会が責任を持つわけではなく、責任のない人がどこまで親身になっていられるか、言わずと知れたことである。

○「地域で進んで受け入れてくれる」という恩恵的な言葉は使用しないでもらいたい。上から目線で言われる必要はない。「地域の一人の子どもとして尊重する」姿勢が重要である。

○これまでの「相談」は指導や強制が多かったのが現実。本人・保護者が望む就学先を実現するためには、親の付添いや条件整備にかかる費用を保護者に求められることもしばしばであった。

○就学先決定について、親の同意があることが必須条件であることを記述していく必要がある。親は自分の子どもに教育を受けさせることに責任と義務を持っているのであり、共生社会の実現のために行うインクルーシブ教育において、相手(親)が納得しないまま決定が行われることは、親が子どもにかける願いを阻害していることであり、それ自体が共生社会と矛盾している。

○基本的には、就学先については、本人・保護者の意向どおりに決定されるべき。手続き上は教育委員会の決定になったとしても、実質は本人・保護者に委ねるべき。その意味でも「本人・保護者の意見を最大限尊重」を「本人・保護者の意向・意見を最大限尊重」と併記し強め、はっきりさせるべき。

○二人の重複障害のある子どもを育てている母親。「総合的な観点から就学先を決定する仕組み」というのは、言葉を変えて、今までと同じことを繰り返しているだけのように思える。ここは「原則、学区への就学」としなければならない。そうしないと変革はありえない。

○なぜ、「原則、学区への就学」と言えないのか。さまざまな立場の意見があるだろう。多様な場として特別支援学校を残してもいい。しかし、そこは保護者が望むときに利用したらいいという程度で十分だ。

○その子の一番の理解者は親。その親が望む環境に生活させるのが当然。不満に思いながら特別支援教育を受けて、どんな良いことがあるか。悪いことの方が多い。

○「障害の状態、教育的ニーズ、地域の実情等により環境整備に困難が予想される場合には・・・」の部分の削除を求める。この文章を、環境整備や支援をしない理由にし、特別支援学校への転校を迫られたり、親の付き添い、過度の負担を強いられたりする。これでは、卒業するまで支援が受けられない。

○大切なことはいくつかの選択肢の中から選ぶことができると言うことである。また、子どもにとって最善の場が選ばれるような支援があることである。

○原則地元校への就学を明文化しなければ、教育的説得の名のもとで就学先が決定されてしまう。

○就学先決定の過程は必要ないもの。どうしても本人・保護者が不安である場合は、各学校の相談員・相談担当の先生を設けて、入学後の学校生活を決めることがインクルーシブ教育の基本。

○就学基準の緩和に繋がると、特別支援学校への入学者の増加に拍車をかけることになりかねないか、また、都道府県の差異がより大きくならないか、といった懸念がある。

○「最終的には市町村教育委員会が決定する」としながら、「本人・保護者の意見を最大限尊重し」となっていることは矛盾しているのではないか。

○就学先の決定時には、特別支援学校、特別支援学級だけでなく通常の学級の選択肢も提示してもらいたい。

○就学相談については、インクルーシブ教育の理念に則った専門的な相談・助言をするために、地域で教育してきた親、教員、施設職員等、インクルーシブな生活の事をしっかりと理解している人が相談員になるべき。

○専門的見地より十分な情報提供や助言が教育委員会からなされることは必要なことであるが、最終的には自己決定権が尊重されるべき。

○就学先の決定において、本人・保護者と教育委員会・学校等が教育的ニーズと必要な支援について合意形成を行うことを原則としていることは一定の評価ができる。

○最終的に就学先を決定するのが教育委員会であることに賛成。

○教育委員会は、普通学級での障害のある児童生徒に対する合理的配慮に関する情報収集と保護者・本人及び教育関係者へ情報提供できるように努めるべき。

○障害のあるなしに関わらず、地域の小中学校の情報を冊子やホームページで情報提供したり、説明会や学校開放日を設けたり、例えば、見学先の学校で質問などに職員が対応できるように工夫をする必要がある。特別支援学校においても同様の情報が一般に提供されることは大切。

○学校の職員が就学前の様子を知る研修を目的として、必要に応じて、幼稚園や保育所、療育機関と連携することも大切。

○学校、市町村教育委員会は、まずは、障害のある子どもを地域で受け入れるという意識を持つことが重要で、国は関係者の意識改革のための施策を講ずるべき。

○「就学決定ガイダンス」については、自分の自治体でやっている「就学相談説明会」と同じものであれば、学齢簿の作成や就学時健康診断より前の段階での実施が適当と考える。平成20年度から実施し好評を得ている。

○就学先の決定に当たって、親から虐待や育児放棄を受けている場合や児童福祉施設から通学している場合等、保護者に代わって児童の就学先の決定を支援する第三者機関の創設等、支援体制を整備すべき。

○就学先決定の記述については、基本的に賛同。早期に実現するためには、制度・体制確立のための計画・目標を策定することが必要。

○障がい者制度改革推進会議の意見書では、本人・保護者が望む場合に特別支援学校等に就学できるとしているが、今回の論点整理では、本人・保護者が確信を持って、適切な希望を表明できる方法について整理されており、望ましい方向であると思う。

○早期からの情報提供、合意が得られない場合の仲介者制度、途中での在籍変更の柔軟性等は、本人や保護者の一時的感情に基づいた衝動的希望とならないために重要。

○障害の状態や本人の教育的ニーズなどを最大限尊重するべきであるが、本人・保護者の意見を最大限尊重することは地方自治体の財政的裏付けがない中では対応が難しい。

○本人・保護者の意見を最大限尊重するためには、様々な教育的ニーズに対応できる人的・物的な環境整備が必要であり、これがないと学校現場へのクレームが増加するだけ。

○本人・保護者等の意見を最大限尊重するとなると、運動団体等による先鋭的・組織的な対応も予想され、対応が難しい。

○本人・保護者の意見を尊重しながら、専門家の意見等を踏まえて就学先を決定することに賛成。

○教員等の意識改革の必要性などのために総合的に施策を進めることや、環境整備が進まないままに、障害のある子どもが通常の学級で学ばないようにすることに賛成。

○児童生徒の障害を理解し、様々な質問や疑問等も相談しやすい就学相談スタッフの充実と保護者の意向を尊重した支援の決定ができるようになることが必要。

○本人・保護者だけに判断の重さを負わせるのではなく、教育委員会の責任ある決定と適切な支援が必要。

○視覚障害者の就学先の決定については、基本的には、賛成であるが、視覚障害者の障害特性や視覚障害教育の特殊性を十分ふまえて、就学先を決定する必要がある。

○情報提供について「保護者」のみの記述があるが、「本人・保護者」とすべき。

○市町村教育委員会と都道府県教育委員会で、小・中学校と特別支援学校の管轄が違うことで就学相談においても認識の違いや意思の疎通の難しさ、保護者側の疎外感が生まれたりしているようにも感じる。両教育委員会の更なる協力体制・一体感への努力を希望。

○特別支援学校は、就学先決定の中で、教育的ニーズと必要な支援についての情報提供を保護者に行う役割があると考える。

○子どもが直接体験できる場を用意する、具体的には、特別支援学校で行われているような学校公開や行事の参加、体験入学などを広めていくことが必要。直接的な情報提供の場を作るような計画作りを各学校に求める。

○就学先の決定については、市町村の教育委員会の専門性向上を図らなければうまくいかない(教育相談の力、個別の教育支援計画策定やシステム化への理解、連携体制構築力など)。

○調整機関を設けることが必要。

○就学先の見直しができるように相談機関の設置が必要。

○就学に際して、合意形成に至らず対立した場合には、中立的立場の者の仲介を考慮すべき。

○本人・保護者の意見と教育行政の意見が一致しない場合の仲介者として都道府県教育委員会が例示されているが反対である。都道府県教育委員会も教育行政であり、仲介者としては不適当。障害を持つ当事者中心で構成される第三者機関を設置し、そこが仲介・調整に当たるべきである。

○本人・保護者と教育委員会が意見対立した場合は、司法機能を持つ「機関」の設置が必要。

○仲介者については、教育委員会がふさわしいと考えるであろう人物は、中立とは言い難いと懸念される。教育委員会ではなく自治体本体が仲介登録を行うなど当事者により近く寄り添える人物を想定してもらえるよう今後の審議にお願いしたい。

○意見が一致しない場合の調整の仕組みについては、仕組みがあることで柔軟性が生まれるような配慮をお願いしたい。

○合意形成のために話し合う際の主催は、どの機関が担うのか明確にしてほしい。

○仲介者の構成員、判断事例についても、モデル事業を通して文部科学省から示してほしい。合意形成においては、様々な判断のケースが生まれ、その最終的な判断をする仲介者の役割は重大。

○最大限尊重して就学したところをより良い教育環境にしていくための努力を学校でしていくよう明記すべき。

○財政的に弱い市町村教育委員会においては、ソフト・ハードの面から本人・保護者の要望に応えられない状況が多いと思われる。このことを進めていくためには、国の財政的支援が大前提。お金のある市町村教育委員会はでき、お金のない市町村教育委員会ではできないという差が全国的に広がらないようにしていかなればならない。

○経験してきたことを踏まえれば、環境整備の困難さはありえても、主にはかかわる人の考え方や姿勢でカバーされる面が多く、「予め困難を説明し理解を得る」というのは、このことを強調することは、受け入れて共にやっていこうという姿勢のなさの表明につながる。

○学校現場としては、結果として保護者の意見が尊重されることにより、多様な障害種別や教育的ニーズのある児童生徒が在籍することになり、一人一人の教育的ニーズに対応した教育の保障(障害に対応した学級編制や教育課程、専門教員の確保)が十分にできるのかという不安がある。

○「柔軟に転学できる」については、容易に転学できるとの理解に繋がりかねない不安があり、転学となった場合の人的確保に課題があることは承知しておくべき。

○特別支援学校・特別支援学級から普通学級へは柔軟に転籍できるようにしてほしい。普通学級に戻すようにするための教育相談、個別の教育支援計画、会議等は必要。

○本人や保護者の希望があり相談するのは良いが、必要以上に就学先の見直しを勧めるべきではない。

○現在、特別支援学校と普通学校の行き来は難しい。一度特別支援学校に入ってしまうと普通学校に戻ることは相当困難と言われている。子どもの成長に伴い必要な支援は異なってくるのが当然であり、将来的には垣根が低くなり、もっと自由に選択できるようになれば理想的だと思う。

○就学後も就学先変更の協議が続くとすれば、保護者としては、せっかく地域の学校の普通学級に就学したとしても、就学先変更の協議は普通学級から追い出される圧力と感じられ安心して通わせることができない。

○柔軟に転学できるようにすることは重要。それとともに必要な環境整備や指導体制の整備も必要。

○「柔軟に転学できることを共通理解とする」とは、どちらからどちらの学級に転学することを言っているのかが分からない。

○学籍を一元化しておけば、普通学級に在籍したままで入院中も教育が受けられる。

○学籍の一元化が必要であり、ニーズに応じた個別の支援については、その次に考えることである。

○地域の小・中学校に学籍を一元化した上で、特別支援学校を視覚障害と聴覚障害に限定すること。

○すべての子どもの学籍を地域の学校に一元化し、分離教育の場である特別支援学校・学級を段階的に解消していく展望もなしに、センター的機能を担わせるのは、特別支援学校・学級の現場に過重な負担を強いるだけであり、十分な支援が行えない。

○障害者に対する差別や偏見を解消し柔軟につきあえる感性を身に付ける上では、すべての子どもの学籍を一元化しインクルーシブ教育を実現することが最も早道。その際、地域の障害当事者団体等からの講師から指導を受けるといったことも重要。

○特別支援学校の義務教育段階である小学部・中学部においては、地域の小・中学校に学籍を移せるような、柔軟な就学の在り方が望ましい。

○就学先決定を一つに絞らなければならないのは何故か。インクルーシブ教育の理念は学ぶ場を限定するものではない。障害の状態・発達段階に応じ十分な教育が受けられるようにするには時間的・空間的環境整備が基盤となる。そのためには複校籍制度は必須。

○就学指導委員会を教育支援委員会とする点は賛成。その上で、その委員については、インクルーシブ教育を十分に理解し尊重する人物が入るような制度設計にすべき。

○就学指導委員会が教育関係者に狭められることなく、早期からの教育相談・支援を重視する点からも医療や福祉の関係部局も参画させることが重要。

○就学指導委員会の名称変更が提案されているが、それ以上に重要なのは、就学指導委員会の内容の充実である。

○就学指導委員会から教育支援委員会(仮称)にしていくなど、就学先の決定だけでなく断続的に教育相談を進めていく方向性は賛同。

○就学先の決定の際の専門家は、社会的モデルとして考えられる人を採用すべき。

○自閉症、発達障害の専門家が加わる必要がある。

○決定の仕組みの中に、地域で学んだ経験のある当事者や教員を加えることが必要。

○支援内容が狭い記述であり、生活全般の支援、社会保障制度をどのように位置付けるかなどを書くべき。

○障害のある当事者もしくはその団体を中心とした地域の社会資源を含めた支援こそが必要。

○個別の教育支援計画や就学支援シート等については、保護者が望んだ場合に保護者の納得する内容で作成するべき。

○「特別支援学校以外の障害のある子どもにも広げていくことが望ましい」については、小・中学校でのキャリア教育の位置付けや特別支援学校との連携が一層求められると考えられる。

○「個人情報の活用」「幼稚園や保育所と小学校との間や小学校と中学校との間でそれぞれ連携情報交換」といった文言があるが、「教育機関」に管理されたくない。管理・監視下に置かれることは断固拒否する。削除するべき。

○「個別の教育支援計画」を障害のある児童生徒等全てに拡大していくことは、異動したばかりの校長をボランティアで指導しなくてはならなくなるので止めてほしい。

○特別支援学校の就学年限の延長、専攻科の設置を求める。

○教育と福祉領域との連携を薦め、一本化してほしいという保護者の願いが強い。

○現在の日本ではそれぞれの学びの場に連続性がなく、分離されている。アメリカのような学びの場の連続性をどう作っていくのか、具体的な方向性を明らかにすべき。

○進学や社会生活において必要となる福祉制度や支援機器等に関する知識を得るための自立活動等の指導体制を整備すべき。

○障害のある子どもが通常の学級に在籍している場合、体育、家庭科、美術などの実技科目については、特別支援学校と同等の、障害の特性に応じた適切なカリキュラムや評価を受けられるようにすべき。

○クラス替えや、担任の交代、進学などで障害の状態や必要な配慮についてまとめたものを引き継ぎ、継続的な支援ができるようにすべき。

○ここでの情報や支援が、本人の就学先の希望の妨げにならないようにしてほしい。

○個別の教育支援計画、個別の指導計画のもと、将来の見通しを持ち、学ぶ意欲を高めることが必要。

○社会的に支援していくために、障害者雇用率の達成に向けての取組みや労働・生活・福祉等の地域施策の課題も明らかにすべき。

○総合的な障害者の権利保障の観点から広く、就学相談・教育相談を進めていく必要がある。

○通常の学級に在籍して共に学んでこそ、卒業後、社会に完全参加できる基盤ができる。このことを理念だけでなく、システムとして構築することを要望する。

○乳幼児期から就労まで、個別の教育支援計画を行政が一括管理することになり、個人情報保護がどこまで保証されるか疑問である。

○ソーシャルインクルージョンの形成を展望せず、個々の障害のある人への個別対応だけを自治体が先行して取り組むことで、子どもたちの個性を障害としかとらえられない不寛容が増長される危険を認識すべき。

○一貫した支援は、本人・保護者からの要求、希望に基づくべきであり、行政が一方的に先回りして決めるべきでない。障害のある人の生き方に介入し管理すべきではない。

○個別の教育支援計画、個別の指導計画が幼・小・中・高等学校等に拡大されると、現場にとって負担感が大きいと受け止められる。財政措置を含む体制整備について言及するか、さほど負担は大きくないことを説明しては如何か。

○障害をもった子が、どういった職業に就けているのか、また将来、自立した生活を送るために、どういったスキルを身につけるべきかなどの情報を現場に多く下ろしてほしい。

○一貫した教育支援のためには、学校種が変わっても個別の教育支援計画を活用できる仕組みを整備する必要がある。また、市町村教育委員会の就学決定における専門性の向上が図られる体制の整備を推進する必要がある。

○相談・助言の機能や研修などに当事者が参画できるような仕組みが必要。

○都道府県を介して国の方針を徹底させようとする意図を感じる。市町村への介入の強化は、地方分権の流れにも逆行し、市町村教育委員会の自主性を広げた地方自治法改正の趣旨にも反する。

○教育委員会以外の第三者による相談助言を受けられる機関を作るべき。専門家としては、弁護士、法務局員、人権擁護委員など障害のある児童生徒の人権を尊重した視点で検討できる人も加えるべき。

○就学後の支援(合理的配慮)について、今後、事例の蓄積と情報収集を都道府県及び市町村の教育委員会が行い情報提供を担うとともに、現存の特別支援学校の職員、地域の療育センターの職員、主治医、大学研究機関などの協力を仰ぐべきである。

○数の少ない視覚障害児については、市町村教育委員会では対応が難しいと思われるので、都道府県教育委員会の役割は重要である。

○就学指導を担当する教育委員会の担当者には高い専門性が求められる。

○第三者調整会議を全都道府県及び政令指定都市に設置すること。調整会議は、インクルーシブ教育支援を行っている障害者団体と学識経験者が共同で運営し、適確な支援・助言を行うことができるようにすること。

○「都道府県教育委員会の就学先決定に係る相談・助言機能を強化する必要がある」とあるが、全くそのとおりであり、是非市町村レベルにおいても同様の仕組みが必要。

○就学に係る相談・助言機能を強化することは、学校または教育委員会と保護者の関係を改善し、協力的な関係へと導くことができる可能性を持っている。

○高校への進学についての支援の在り方があまり記述されていない。子どもによっては、自分の行きたい高校が定員割れしていても不合格となるケースもあり問題。

 

 

3.インクルーシブ教育システム構築のための人的・物的な環境整備について

○特別支援学校を希望する子どもたち、特に普通学級在籍児童生徒が途中から特別支援教育を希望する場合の、普通学級での問題点や子どもの障害の状態などについて現状を把握する必要があるとともに、普通学級での支援の根本的な見直しや計画的な整備が必要である。特に義務教育以降の高等教育、大学教育では公教育で受け入れ易くするための配慮の検討や見直しを行うと同時に、私立学校においても受入れ拒否は差別に当たるなどの啓蒙を行うとともに配慮に係る支援を生涯を通じて一貫した支援・配慮を行う視点から私立高校・大学においても係る経費について国や地方自治体が支援できる仕組みを整えるべきである。

○特別支援教育支援員の配置は望ましいことだが、子どもの身の回りのことを全部するので、子ども同士のかかわり合いを遮るおそれがある。また教員は支援員に任せっきりになる傾向があるので、それらの点について注意する必要がある。

○小・中学校の通常の学級での到達目標の設定や共通した教育課程の編成などについて検討する必要がある。特に知的障害の特別支援学校の教育課程と通常の小・中学校の教育課程については一貫性がないので、一貫性が取れるようにする必要がある。

○地方自治体の財政基盤が異なるため自治体隔差が生じている状況下では、対応できない自治体が出てきて、混乱するのではないか。

○特別支援教育の専門的資質を有する教員の確保が求められる。

○特別支援学校の計画的な整備が課題との認識に賛成。特別支援学校の設置基準を策定する必要がある。

○小・中学校等には、特別支援学級担任等や特別支援教育支援員の配置がされているとあるが、高等学校には配置されていない。高等学校へもこれらの配置を求める。

○特別支援学校・支援学級・通級学級の制度はそのままで、更に特別支援教室を提起するのであれば、さらなる分離になる。文科省の姿勢も特別支援教育の一環としての特別支援教室構想であれば、同じことになり、分けられた多様な学びの場が一つ増えるだけ。原則統合の教育制度の上で、リソースルーム的な支援教室を構想すべき。

○(1)の見出しを「障害のある児童生徒等のための環境整備全般」と修正すべき。「障害」とは「個人責任」ではない。社会の環境整備・調整を行うことなく排除してきた社会の側の責任。「排除してきた」反省もなく、恩恵的に上から目線の語句を使用すべきでない。

○財政的なことは重要だが、知恵と工夫(=合理的配慮)でインクルーシブ教育実現のための案を話し合うべき。あちらこちらでバリアフリー化が進んでいるところ、学校も当たり前にバリアフリー化に努めるべき。

○特別な教育を必要とする子どもが一番に必要とするのは、インクルーシブ教育を実践しようとする学校側の姿勢。財政よりも姿勢が大切。担任や学校の配慮で解決できることを、工夫もせず、財政的な裏付けが無いとして教育現場で責任を回避する姿勢に問題がある。

○人的・物的環境整備が重要ということは理解できるが、整わないと一般の学校に就学できないということがあってはならない。社会全体においても十分な人的・物的支援が整っていない状況を考えると、一般学校への就学を原則とし、可能な限り必要な支援を行えばよい。

○現職の教員や教員を目指す学生に対し、「障害のある子供もクラスの一員として受け入れ、他の子供たちと同じように安心して過ごせるための支援・協力は教師として当然のことである」と教えるべき。

○必要なのは、一人一人に応じた特別の指導の在り方についての検討ではなく、共に学び合う授業の創造。みんなの中で様々な学びを保障していくこと。そのための教育観や授業論などを検討していくべき。

○通常の学級に在籍しているのに特別の場で授業を受けるのは、相反すること。表現的にはインクルーシブのように書かれているが、実際は今までの特殊教育と何ら変わらない。

○インクルーシブ教育に賛成としながら、特別な支援を必要とする子どもが何の配慮もなく通常学級で学ぶことになる危険性を述べていることに大きな問題を感じる。これでは現場の意識も状況も変わらない。

○人的・物的な環境整備は、本人、保護者の思いを良く聞いてその思いに沿うようにすべき。意見も聞かずに学校側が勝手に環境整備をすべきでない。

○論点整理に概ね賛成。地域や他機関の連携を進めるべきとあるが、現在かかわっている生徒の半数が典型的な核家族で、近所とのかかわりもほとんどない。特別支援教育が個別の支援計画をベースに進められるので、地域との関係を持ちにくい家庭に対して多様なアプローチが必要。

○障害のある子どもが普通学校で教育を受けるためには、「今ある人員で」「今の施設で」では、間に合わない。教職員の定数増と、障害ある子どもも高等教育を一緒に受けられるシステムづくりを強く望む。

○「特別支援学校」と「地域の学校・養護学級」での職員配置に大きな差がある。地域にも多く重度の方はいる。障害が重い場合、地域の学校では見られないかもという、学校側の不安が大きくなる。教職員の配置基準について変更すべき。

○特別支援学校の施設設備や多様な発達課題や障害のある子どもたちの学習を担う教職員の定数は、包容する教育制度の理念や方向性を実現するには程遠く、これらの改善が求められる。

○まず、普通学校と特別支援学校との人事交流を積極的に図るべき。次に、教員養成において障害児の教育及び権利についての学習を必修とすべき。特別支援学校の教員を巡回指導に振り向け普通学校の支援に当たらせるべき。予算の増額・学級規模の縮小は当然必要だが、現在の教育資源を有効に使うべく検討すべき。

○現状と課題については、インクルーシブ教育への転換をはかる中で解決されるべき。その方法は、現状を追認するものであってはならない。例えば高等部への入学者が増えていることについては、インクルーシブ教育としての高等学校が同じ場で共に学ぶ場へと転換することで解決するべき。制度的に今の特別支援教育制度を前提とせずに人的・物的な環境整備をするインクルーシブ教育を考えるべき。

○現状と課題については、障害の有無に関係なく、子ども同士の日々繰り返される関係性、失敗や試行錯誤の中で、一人一人が共に生きていくアイデアが学校生活の経験の中で自然に生まれてくる環境整備が必要。教員の指導は、共に学ぶ教育実践・取組を積極的に取り入れることが必要。

○現状と課題については、インクルーシブ教育は全ての児童・生徒の一人一人を尊重する教育であり、「障害の有無」に拘わった視点から考えるものではない。児童生徒の側に「問題」の所在を求めるのではなく、教育を行う側の「問題」を解消すべき。「教育」の在り方を改善する方策を議論すべきであるにも関わらず、「特別支援教育推進」の議論にすり替えたことに抗議する。

○現状と課題の「特別支援学校についても、・・子どもの障害の状態などについて現状を把握するとともに、計画的な整備が課題になっている。」について、「特別支援学校在籍者」の「障害の状態」を「現在」は「把握していない」と言っているが、行政として怠慢。「現状を把握していない」と自白することは噴飯もの。この文章は削除すべき。

○「発達障害も含め、特別支援教育の更なる充実のため、・・・環境整備等が必要。」について、「インクルーシブ教育システム構築のための」と題しておきながら「特別支援教育推進」の内容である。この文章は、「誰も排除しない社会を体現するために一人一人の子どもを尊重し、障害のある児童生徒の人権を尊重し、クラスの当たり前の一人の子どもとして見る教育者であることを心がける。授業を工夫し、支援を行い、合理的配慮のための人的・物的な環境整備を整える。」と変更すべき。

○教育関係者だけではなく、保健、福祉部門の専門家の人材を派遣するネットワークが必要である。本当に子どもを良く知る教育関係者以外の者に就学前も就学後も相談できるよう、財政、福祉などの観点から首長部局の関与が重要であるし、厚生労働省とも横断的に話し合うべき。学校等の施設については、公共施設としてバリアフリー推進の対象となるよう、国土交通省と交渉すべき。文部科学省だけではなく各省庁が協力すべき。

○「特別支援教育支援員」は、分離・別学を固定化する立場になることなく、子ども同士の関係性をつなぎ「同じ場で共に学ぶ」ことを支援するものとして位置づけるべき。

○共に学ぶ実践事例をもっと挙げた上で、多様な学びの場を用意しておくことに触れるべき。あくまでも通常の学級で指導を受けることを基本にしてほしい。

○特別支援教育支援員を無くすべき。正規の職員を増やし、どんな障害があっても地域の学校の普通学級で普通教育を受けられるようにすべき。

○人材の有効活用は述べられているものの、それらの増員や新たな専門性ある職員、専属の校内コーディネーターの配置は記述されていない。これらの教職員増員の具体的な提案が必要。

○教育行政や福祉行政との連携だけではなく、地域の当事者NPO団体(障害者団体等)との連携も行うべき。

○普通級に通学する子どもの家庭で、通学や学校生活において教育ボランティアや通学ボランティアなど、必要なサポートを必要なだけ受けられるように制度を整えることが急務。

○現場での意識改革の必要性、人的・物的な環境整備の必要性については、このとおりと思う。

○学級規模を30人以下学級にすると同時に、特別支援教育の専門性を持つ教員も配置して支援しあえる人的配置をした上でインクルーシブ教育システムを導入してもらいたい。今の環境のままでは教員の負担が増加し、理想とするインクルーシブ教育には到底たどり着かない。

○特に人的な環境整備の改善を求める。現場の先生の数を増やすべき。そのための予算措置。公立学校の先生は、非正規ではなく正規化すべき。30人学級の実現。公立小中学校において、知的・発達障害児にも、本人・保護者・担任が希望すれば介助員がつきやすい人的保障を。学校支援ボランティアなど、市民の手を借りられるシステムをより有効活用しやすい環境整備。全ての公立小中学校にカウンセラーの常時配置。

○特別支援学校の小・中学部は、区市町村が設置者となり、障害のある子もない子も市区町村が総力をあげて義務教育を実施し、地域が一体となって子ども達を見守り、育んでいく社会を形成していく発想が必要。

○一人ひとりを本当に大切にするのであれば、やはり、人的・物的な環境整備が先決。それなくしてインクルーシブだからと、ただ一緒に入れてしまえばよいという考えでは、本当の意味で一人ひとりを大切にしているとは言えない。

○各自治体の財政力には大きな格差がある。国の責任において「人的・物的な環境整備」を進める必要がある。

○特別支援学校は、全国的に適正規模の基準整備がされず、大規模化するなど劣悪な教育環境に置かれているところ、地域性や統合性、適正規模化などについて各都道府県の状況に応じて一刻も早く整備され、教育環境が保障されることが必要。

○基本的に賛同できるが、特別支援学校の人的・物的環境整備もより一層充実されるべき。就学前教育(超早期、早期教育)の制度的検討、人的措置の充実化、学校施設設備の最新の情報システムの充実、学校カウンセラー、スーパーバイザー等専門家の配置等。

○本人、保護者がどの進路を選択しても、教育を受ける権利が実質的に保障され、かつ聴覚障害にかかわる専門的な教育も受けられるような教育環境の整備と、その人的物的整備がきわめて重要な意義を持つ。

○現場での意識改革はもとより必要になる。これまでの別の場で別に学ぶシステムから同じ場で学ぶように転換するのであるから、指導方法、指導内容も変わると言える。そのような変化の中で、これまで以上に意識されるべきは、人権教育であろう。

○「私立学校に対しても配慮することが必要である」と言及しているが、国立大学法人の付属学校についても言及すべき。

○障害ある子どもたちの発達を最大限に保障するためには、通常の学級、通級による指導、特別支援学級、特別支援学校といった様々な場が対等な関係で設置されることが大切であり、その際、それぞれの場がどのような状況におかれているか、客観的に分析し、条件整備を行うことが必要。

○特別支援学校は、全国的に大規模・過密状態にあるが、その根本として、設置基準が制定されていないという問題があり、これを早急に制定すべき。通級による指導、特別支援学級についても大規模化が問題になっており、適正規模をはかる手だてが必要。

○障害のある子どもたちが通常学級で学ぶことを追求していくため、教員加配はもとより、学級規模を縮小し、どの子にも目を配れる落ち着いた教育環境を整えることが求められる。小学校の教員定数の改善が行われたが、特別支援学級、特別支援学校についても教員定数を改善することが、特別支援教育の推進には欠かせない。

○特別支援学校では、様々な障害種の児童生徒の受入れが広がる中、教室が足りず、特別教室や図書室までも教室にせざるを得なかったり、男女別の更衣室が不十分だったりしている学校も少なくなく、学校の環境整備が追いついていない。多様化するニーズに応える人的・物的環境整備を進めてほしい。また、教職員定数の改善を求める。

○通学や校内移動への人的支援、吸引などの医療行為を必要とする子どもへの法改正及び医療行為者の配置を行うべき。

○個別の指導計画や個別の教育支援計画の作成など、専門的な知識を持った職員を特別支援教育コーディネーターとして、学校に配置する必要がある。

○特別支援学校において支援員の活用が図られているが、教職員の人数を減らし、支援員をその分配置するということがあってはならない。教職員の適切な配置が必要。

○施設・設備の充実と、専門性のある教員の配置について、学校設置者が対応できるのか。

○特別支援学校は特別支援教育になってから、大規模統合が進んでおり、子どもたちの成長を保障することとは逆行している。大規模統合はインクルーシブ教育とも相容れない。

○専門性の高いスクールカウンセラーの活用やコーディネーターの専任、精神的な安定を確保できる場の確保、見通しの持てる授業の工夫等教育環境の整備が欠かせない。

○一人一人に応じた適切な支援が必要である。物的環境の整備は可能だが、人的環境の整備が難しい。

○特別支援教育に関わる教職員の研修充実が必要。インクルーシブ教育に関する研修はすべての教職員に必要。

○「多様な学びの場」の実現には、小・中学校等の通常の学級の教員の意識改革が必要であり、そのビジョンやプロセスを示す必要があるとともに、教育予算の増額による条件整備が必要。

○特別支援教育に関する研修を充実するには、教員の業務の軽減などが必要である。

○英国や米国に比べ日本では、現在でも通常学級での指導において、特別な配慮をしながら児童生徒の指導を行っている割合が高く、すでに、それらの国に比べ教員の負担が大きい。

○諸外国に比べ、特別な支援を要する子どもが通常学級に多く在籍しているが、人的にも物的にも十分な支援がなされていないことが課題。

○インクルーシブ教育の考え方はすばらしいとは思うが、まずは特別支援学校の教室不足や施設の充実などに力を入れてほしい。

○「医学的診断の確定にこだわらず・・・」と分析していることは評価できる。そのためには通級による指導が不可欠。現状は、一部の学校を除いて通級による特別支援教室の設置が進んでいない。通級による指導の弾力化をさらに進めていくことが必要。

○インクルーシブ教育システムを推進するに当たっては、その子の個別支援が臨機応変にできる複数教員配置が必須。

○インクルーシブ教育が進むことで学校の先生がますます忙しくなる分、先生や補助の先生の数を増やしたり、評価体制を見直したり、学力重視の考え方を見直すことで、もっと先生方が、余裕を持って子ども達とつきあえるようになる。

○すでに現場では物理的に無理が生じてきている。インクルーシブ教育がさらに進むようになれば、一層困難になる。

○臨床心理士、作業療法士、理学療法士、言語聴覚士の配置は、特別支援学校の教員定数とは別に規定することが必要。同様に看護師についても独立して規定が必要。

○特別支援教育は常に一人一人の教育的ニーズを把握しようとする教職員の眼を育てていくことになり、虐待やいじめを見逃すことのない体制がつくられる。少人数学級の実現に向けた取組は真っ先に手がけるべき課題である。

○通常の学級の子どもの定数を30人以下とし、特に障害の重い子どもがいる学級は20人程度にするなどの基本的枠組みの改正が必要。もっと広範囲の検討が必要。

○特別支援学級や通常学級の定員はもっと下げるべき。

○通常学級の定員を1学級あたり20名にして、2人の教員で授業を進めることを基本とした上で、障害のある子どもがいる場合に、必要に応じて教員を増やすことができるようにすることにより、インクルーシブ教育を実現することができる。

○教職員定数の改善を行い、25人学級を実現すること。特別な教育的支援を必要とする子どもが在籍する場合は20人学級とし、複数担任制とすべき。

○「意識改革」「指導方法の充実」「指導力の向上」は必要であるが、「人的・物的な環境整備」を早急に進めなければ空論で終わってしまう。30人学級をすぐに実現しなければインクルーシブ教育などと言う理念を語るのはおこがましい。

○通常の学校の条件整備が必要と再三述べているが、児童生徒が急増している特別支援学校の条件整備も十分と言えないのではないか。

○特別支援学校高等部では高校の授業をしないので低学力のまま社会に放り出されている。学校が普通教育から発達障害の子どもを締め出したために、格差社会の底辺で苦しい思いをしている。文部科学省も、学校の先生たちも見ないふりをしているようだ。高校進学を希望するすべての生徒が高校生になれるようにしてほしい。

○高等部の急増は高校進学をあきらめる生徒が急増したためであり、高校進学を保障することこそが求められている。特別支援学校高等部を増やすことに反対。

○特別支援学校が圧倒的に少なく、特に高等部はパンク状態である。特別支援学級・特別支援学校への予算の少なさを改善すべき。

○共に学ぶ場として、高等学校に特別支援学校高等部分教室が設置されることは望ましい。

○全高等学校入学者の一割を知的障害のある生徒とするよう法制化するとともに、職業に関する公立高等学校を増やすこと。

○義務教育後については、高等学校での教育を原則とし、空き教室等を利用して福祉関係と連携した高等特別支援科を設けるべき。

○特別支援学校の高等部は、生涯を見据えた教育の観点から、都道府県立で実施し、3年間の在籍年数にとらわれず、本人・保護者の希望により、職業専科的な要素を取り入れた教育の継続や、機能・自立訓練的な要素を含んだ生涯学習が可能な教育を新設させるような方向も構築すべき。

○知的障害のある生徒が普通高等学校へ入学を許可されても、その学習過程は子どもにとって辛く過酷な経験にしかなっていない。覚えることができない、計算をすることができない子に対する手だては、現行の学習評価の制度では行えない。

○「合理的配慮についての特別委員会における意見等」に見られる意識では、合理的配慮が不十分であることを理由にインクルーシブ教育ができないという論理になりかねない。「合理的配慮が不十分なままでは、子どもに適切な教育を行うことができない」という記述は削除すべき。「教育を行うことができるようにするために合理的配慮を十分にする」と変更すべきである。

○合理的配慮は、子ども一人一人に合わせてなされるものであり、合理的配慮をしないことは差別であると捉えるべき。

○合理的配慮の具体化を明示したことは評価できるが、「合理的配慮が十分に行えない」ことを理由に就学先が強制されないようにすべき。

○必要なのは、一人一人に応じた特別の指導の在り方についての検討ではなく、共に学び合う授業の創造であり、そのための教育観や授業論を検討すべき。

○必要な配慮は、小・中学校で一緒に生活する中で明確になるものであり、障害のある子どもを受け入れていく気持ちがあれば、条件整備が十分でないと懸念されても工夫できることもある。できることから変えていく方が実情に合う。

○障害者権利条約の中で、合理的配慮がなされない場合、それは差別であるとされているが、それを良く理解している人を教育委員会に配置して欲しい。

○合理的配慮の具体策の検討にとても後ろ向きの印象を受ける。既に全国各地で障害のある子どもが様々な配慮を受けながら小・中学校の通常の学級に就学し、卒業している実績がある。そのような現場での経験を集め、全国の教育関係者の共有財産として活用することで財源が乏しくとも前進できる。

○「均衡を失した又は過度の負担を課さないもの」という規定を、教育行政のサボタージュの口実として濫用してはならないことを明記すべき。

○まず必要なのは、障害のある子を含む学級全体の教育課程、指導の在り方、授業の方法。障害のある子についてのみ、特別な教育課程、指導方法の必要性が言われるのは、あくまでも現在の教育課程、指導の在り方を前提にし、そこにどう組み入れるかという発想であり、インクルーシブ教育システムの構築に向けては根本的に間違っている。

○環境整備がされなければ通常学校には受け入れられないという姿勢では永遠に分離別学は変わらない。

○特別支援学校のため、一部の人が時々使うか使わないかもしれないものに高額な予算を浪費するくらいなら、普通学級の中で合理的配慮することの方が、ずっとたやすいこと。

○共に学び育つために必要な配慮や支援は「障害児」だけではなく、すべての子どもにとって必要である。

○インクルーシブ教育における合理的配慮の一つとして、「情報保障」の課題は極めて重要であるが、今回の論点整理ではほとんど触れられていない。「アクセシブルな電子データでの教科書、教材の保障を国の責任において実現する」ことと、「教科書会社自らが上記の電子ファイルを紙の教科書と共に出版することを時限で奨励し、一定期間後に義務化する」ことを論点整理に盛り込むべきである。

○共に学ぶことができるような授業がされることが大事であり、そのためにはクラスの人数が少ない方が良い。

○通常の学級で学ぶ障害のある児童生徒一人一人に応じた弾力的な教育課程及び指導の在り方、評価方法について検討する必要がある。

○視覚障害のある児童生徒については、晴眼者と同じ教育課程を実現する体制や配慮といった観点も重要。修業年限に柔軟性を持たせる制度、特別支援学校との連携等をして時間に合わせて視覚障害者が学べる量だけ内容を削減することだけが検討されることのないようにしてほしい。

○発達障害のある子どもが高校へ進学する場合において、例えば試験問題が読み取れない(LDの場合)、面接で適切な返答ができない(アスペルガーの場合)など入学試験での課題をどうするか、高校進学後どのような合理的配慮・支援が得られるのかなどについて方向性が述べられることも必要である。

○インクルーシブ教育を進めるに当たって、合理的配慮の必要性の視点から述べられているのは良いが、教育課程をどうするかについて具体的な方策が述べられていない。特に知的障害や自閉症の子どもに対して、その子に応じた教育課程を保障するとなると、インクルーシブの環境の中で具体的にどうしてゆけばよいのか、専門的な見地からの提案が必要である。

○合理的配慮を含むインクルーシブ教育の実現に向けて、個々の特性に応じた環境作りを進めていくことに基本的に賛同する。特に、発達障害児支援に関して、○1特別支援教育を担当する教員だけでなくすべての教育関係者やPTA、地域関係者に向けて普及啓発を行う機会を確保すること、○2他の関係諸機関との連携や情報交換を進めるために、スクールソーシャルワーカーを確保すること、○3特別支援教育コーディネーターやスクールソーシャルワーカーの専門性や資質などの適正評価を確保すること、○4個々の特性に応じた教育内容の選択を可能とさせるために、自閉症・情緒障害児学級や通級指導教室の数を増設することの配慮を進めていただきたい。

○「合理的配慮」は新しい概念であり、環境整備のための財源との関係が大きい中で、地方自治体の財政状況も多様であり、国民の理解も必要である。地方自治体が個々の事例で困ることのないよう、最低限どこまで整備すればよいかなど、合理的配慮に対する国としての考え方を示す必要がある。それがないと、各地で財政的に環境整備が難しい自治体とどうしても場の統合を求める保護者との間で紛争が起こるのではないかと危惧する。

○子どものニーズに応じた合理的配慮を確実に行うため、現在のような単なる指導計画案ではなく、アメリカのIEPやイギリスのステイトメントのように、予算付きで必要な配慮・支援を保障する公的な契約文書としての位置付けに転換すべきである。

○現在特別支援教育が推進されている中、一層理解推進を進めるための活動は喫緊であり、多様な体制整備等を進めながらも啓発活動を進めることが重要である。

○一人一人に応じた特別の指導を極めれば「家庭教師」しかいないが、学校は集団であることに意味がある。特別支援学校や特別支援学級に分けるための一人一人に応じた特別の指導ではなく、通常の学級において様々な学びを保障することが大切。

○「合理的配慮」として「教育課程」が取り上げられているが、障害のある子どもの個別の「教育課程」をつくることが「合理的配慮」とされることの危険を感じる。現行の能力主義、技術主義優先の「教育課程」を見直し、共生社会を目指す人間的ゆとりに満ちた「教育課程」への見直しが必要である。

○合理的配慮も様々であるが、ICFの分類が必要なのではなく、その子に何が必要なのかについてその子や家族でなければ分からないことに配慮すればよい。

○一人一人に応じた特別な指導の在り方について検討する必要があるとあるが、一人一人に必要な指導があるとすれば、それは家庭が担うべきもので、学校で多くの健常児といる時間にすべきものではない。みんなへの教育の中身を、その子にも理解しやすいように、また興味を持って授業に参加できるように工夫すればよい。

○児童の権利条約委員会の勧告に従えば、「過剰な教育の競争」を見直すことなく現状のままを前提として障害のある児童・生徒を通常の学級に在籍させるべきではない。「インクルーシブ教育」はクラス全員の一人一人を大切にする教育であり、そのための授業方法の在り方を考えることである。

○現在、通常の学級に通っていても支援を受けられず、行きにくいと感じている親子の声を聞く。インクルーシブ教育が法的に保障され、十分な配慮と支援が行われることを求める。

○視覚障害のある子どもにとって、特別支援学校に通っている場合と同じ発達を保証した上で、更に、共に学ぶことの効果がプラスされるというシステムを検討する必要がある。

○施設の整備についてあまり触れられていないが、インクルーシブ教育の推進を始めるに当たっては、前提として一般社会並の施設面の改修(学校の全面バリアフリー化)が必ず必要である。バリアフリー化の方法は「全面改築」ではなく「一部改修」が現実的で適当であるが、少ない予算を分ける場合優先順位が必要になる。「一部改修」をする場合には「現在、実際に改修や設備を必要としている児童生徒などがいて日常的に困っていること」や「児童生徒の安全や教育の権利がおびやかされていること」などが優先順位を決める際に考慮されるべきである。

○合理的配慮については、一層の検討が必要である、という点に賛成。今後は各障害種別の代表者等の専門家を含めた検討の場を設けて条件整備を進めることを要望する。

○合理的配慮の具現化を明示したことは大変良いことであるが、現場ではまだまだ物的環境整備(特にエレベーター)は十分に整っているとは言い難いのが現状である。また、それによって就学を断られることも現実に起きている。現場では、インクルーシブ教育を進めようにも環境があまりに整っていないため、就学を無責任に引き受けても十分に対応できないことから、お断りしているのが現状である。理念を掲げるだけでなく、現場の実態に即したハード面での環境整備にも力を入れて欲しい。

○電子教科書や電子黒板等の導入に当たっては、視覚障害のある子どもが容易に利用できるようユニバーサルデザインに配慮すべき。

○ろう者・難聴者・盲ろう者と同様に、盲者にとっても適切な言語やコミュニケーションの環境を考えることは必要。言葉の概念の理解には、視覚による間接体験を補うための膨大な直接体験が必要であり、視線・表情・身振りをはじめとする非言語的コミュニケーションの存在とその重要性について理解し、身に付けるための訓練も必要。こうしたことを行うための視覚障害特別支援学校での学習が重要になる、といった情報も本人・保護者に十分伝えるようにしたい。

○「合理的配慮についてはソフト・ハード両面が必要」とされており、その点は評価できるが、現状は本当に厳しい状況にあり、現場教員の苦労にとどまらず、児童の学習権にも関わる非常に緊急性の高い課題と言える。現状の改善について、「速やかな対応」を促す内容を明記すべき。

○各種機器のソフトウェア・ハードウェアの技術革新は日進月歩であり、都道府県個別での対応は効率的でない。購入・レンタル等に関する制度を国レベルで定めるべき。

○合理的配慮は、障害者権利条約に基づき、更に充実していくことを加えるとともに、多くの人にとって耳慣れない言葉であることから、行政の施策として、通常の学級の教職員、障害児の保護者への説明を徹底することも明記すべき。

○入試に関する記述が不十分。入試においてそれぞれの障害のニーズに応じた環境を整えることは障害者の自立と社会参加を考えても必要不可欠な要素。弱視児が学習に使用している拡大教科書の文字に準じ、入試が受けられるような合理的配慮を望む。学習障害児の電子データ受験などにも当てはまる。総合的な入試における配慮が前進するような制度設計をすべき。

○特別支援学校学習指導要領では、知的障害の教育は示されているが、自閉症や発達障害の教育についてはとりあげられていないので、制度改革について検討するとともに学習指導要領にも示す必要がある。

○小・中学校等の学習指導要領と特別支援学校の学習指導要領の一元化を図ることにより、小学校段階、中学校段階で必要とされる教育を整理し、小・中学校の通常の学級に在籍する児童生徒のニーズに応じた教育ができるようにしていくことが必要である。

○合理的配慮が不十分なままでは適切な教育を行うことができない。しかし、現時点では合理的配慮の内容や合意形成が進んでいない。検討してみなければ分からない面もあるが、すでに分かっている合理的配慮もあるので、できるところから進めていくということが必要。

○車いす使用の子供が通常学級にいる場合、授業する部屋は1階にすれば良い。

○ただ一緒にいるだけでは問題の解決にならない。一緒にいて、その中で合理的配慮がなされ、共に育っていけば、差別が大分軽減される。

○様々な子どもが増え、障害ある子へ担任の目が十分に行き届かない、学習教材や生活を支える施設設備がどの学校にもそろっているというにはほど遠い状態。

○同じ場で学ぶには、どんな環境を整えるのが良いのか、どんな配慮が必要なのか、しっかり調べた上で、財政的な裏付けをして、それから、同じ教室で、ということになるのではないか。

○情報障害、コミュニケーション障害を持つ聴覚障害を持った子どもが通常の学級で教育を受けるに当たっては、情報・コミュニケーションアクセスの保障が必要。ただ、それのどのように感じるかは聴覚障害をもつ子ども一人ひとりそれぞれである。

○通常の学級で特別扱いされていると考えがちになるのが事実であり、それがもとで聾学校に転学した人がいる。

○本人・保護者が学びの場に選んだ場で、専門家の助言の必要を望んだとき、特別支援学校に在籍していようと、特別支援学級に在籍していようと、通常学級に在籍していようと、その助言という支援は得られるべき合理的配慮である。

○体力がない子どもや医療的ケアが必要な子どもに対して、現在でも対応できていない。保護者が登下校させたり、訪問になったりしている。同じことなら、近所の学校の方がずっと良い。近所に自分の子どものことを知っている子どもがいて、成長を喜び合えることが大きな安心と豊かさにつながる。

○地域の小・中学校の施設の整備や介助員の配置とともに、医療的ケアの実施のため看護師の派遣が必要。その際、看護師が校外行事等に参加できるようにし、保護者が待機しなくても良いようにすべき。

○一番重度の医療的ケアの子どもへの支援充実のための検討を行うべき。現在、吸引・注入は保護者に頼る所も大きく、校外宿泊などに参加できない子どももいる。

○特別支援学校における教員の専門性向上のため、教員養成において重症心身障害児や医療的ケアに関するカリキュラムを加えることが必要。

○医療的ケアを必要とする児童生徒の就学にあたっては、生命の尊重を第一義とする必要がある。

○全ての教員が医療的ケアを実施できるよう研修を義務付けるとともに、教員が障害のある子どもの生活サポートを実施することをとおして、周囲の子どもが介助を覚えることができる。

○私の住むところでは各地の特別支援学校に寄宿舎があり、子どもたちは親からも地域からも切り離されて教育を受けている。多様な学びの場は時代に逆行している。

○格差社会等の原因により、家庭の機能が低下する中、障害のある子どもたちが普通学校も含めて学校へ通うことができるようにするため、寄宿舎の機能は生かされるべき。原則統合によって生まれるであろう多くの通学困難児童生徒を対象とし、寄宿舎を無くす方向ではなく、今の寄宿舎指導員の力量や経験を生かす方向で、新しい寄宿舎の役割をきちんと提起してほしい。

○寄宿舎のことが触れられていないが、寄宿舎の今後の在り方についても入れるべき。統合によって寄宿舎をなくす方向ではなく、今の寄宿舎指導員の専門性や建物を有効活用することで、新しい寄宿舎の役割が見えてくるのではないか。

○交流教育のはじまりは、養護学校の児童生徒の分けられた側からの求めに応じたものであり、本来は統合にむかうべきものであった。しかし、文科省は一貫して「原則分離」の教育制度を変えなかった。「交流及び共同学習」の進展によってインクルーシブ社会が実現するかのように論じているが、分けた上でそれぞれの教育課程の目的に見合った「交流及び共同学習」の進展は更なる分離を進めることになり、インクルーシブ教育には反する。

○交流及び共同学習は障害のない子と障害のある子が関わる契機にはなるが、分離があって初めて交わることを前提としており、共生社会の構築にはつながらない。

○交流及び共同学習を進めるのではなく、原則統合を進めてほしい。

○近年、特別支援学校における交流活動は殆どなく、交流の必要性さえ認めていない実態がある。分けておいて交流というのは対等な関係ではない。

○交流及び共同学習は部分的に行うことにより、障害を持つ子ども達に対する差別意識を植え付けることにつながる可能性があるためやめるべきである。全時間地域の学校における通常の学級において障害のない子どもたちと共に学ぶことにより、すべての仲間に対する理解が深まり、思いやりのある人間関係が構築できる。

○共に学ぶためには、学籍を同じにすることが必要。交流及び共同学習では臨時的な存在になってしまう。

○交流及び共同学習は分離教育に活用されている。

○地域の小学校と養護学校小学部の教員を経験した立場から言えば、「交流及び共同学習」はインクルーシブ教育とは相容れない。障害児は、「交流及び共同学習」によって、健常児の「思いやり教育」の教材にされることに憤っている。年に数回の交流では教員がいくら努力しても「お客様」の域を脱せず、「交流」自体に限界がある。

○「交流」や「共同学習」である限り、いくら推進してもインクルーシブ教育とは別物であるという認識が必要。

○交流及び共同学習ではなく、共に学ぶ環境を整備すべきである。

○触れ合いや交流では真の理解にはつながらない。

○特別な場を設定して出会わせることでは、「障害のある子は別の場で特別の教育を受けるのだ」という意識をすり込んでしまうが、これではインクルーシブ教育に反する。

○たまに交流の機会を設けても互いの個性を認め尊重し合うという土壌の形成にはつながりにくい。

○本人の希望があれば、同じ障害のある者との交流を行うことがあっても良いが、自分と同じ障害の人には会いたくない人もいるため、不自然な人間関係構築を勧められる必要はない。

○特別支援学校と通常の学級との交流及び共同学習を積極的に設け、インクルーシブ教育を推し進めることに賛成。そのための特別支援学校への人的措置も重要である。

○統合を原則とすることを明文化した上で、交流及び共同学習を統合のための方策として位置付けるべきである。

○重度障害については、交流及び共同学習を重視して、特別支援学校での配慮や支援を充実させることが必要。

○「特別支援学校と幼稚園、保育所、認定子ども園、小・中・高等学校等との間」で「それぞれ行われる交流及び共同学習」を一層推進するとともに、例えば、「居住地校に副次的な学籍を置くことについて」に賛成。今後は、双方の学校における教育内容の整理、推進体制や通学方法・付添いなどの条件整備について検討することを要望する。

○交流及び共同学習には、通常の学校又は特別支援学校に就学先を決定した児童・生徒が、就学先の変更を考えるための情報を得るという意義もある。

○学ぶ場は学校、育む場は地域、といった考えのもと、地域とのつながりを大切にすることを確立してほしい。交流及び共同学習は多くの努力や配慮、時間が必要だが、その大変さを超えるだけの意義があり、必要な制度。副籍を持つことの意義をもっと広め、区市町村と都道府県教育委員会の相互協力を高めて欲しい。

○特別支援学校と地域の普通学校との交流及び共同学習、特別支援学級の子どもたちと普通教室の子どもたちとの交流及び共同学習の推進を拡大すべき。

○障害のある児童生徒が居住地での社会参加を勧めるため、居住地の小・中学校との交流教育を積極的に行うことが必要である。

○同じ場で共に学ぶことだけが、特別支援教育の充実ではなく交流及び共同学習を積極的に進めることが必要。

○交流及び共同学習の機会の重要性は否定しないが、地域の学校で共に学ぶことを原則とする考え方を否定する論拠にしないこと。

○交流及び共同学習では、事故の責任について検討する必要がある。

○すべての時間を交流及び共同学習にすることを含めて、学校及び市町村教育委員会が独自にできるようにすることが必要である。例え特別支援学級に在籍するすべての子どもが全時間交流及び共同学習という形で進めても、特別支援学級に関する予算配分を行うことが必要である。

○学校間交流は多くても年に数回が限度。子どもは指導者の計画に従って行動しているだけであり、お互いを知るための意見交流もできない。小学校高学年ともなれば地域の学校に通う子どもは自分の疑問や思いを隠すようになる。そういった隠された疑問や不信、批判が、子どもたちなりの「タブー」として障害者理解は困難であることの証明として心の中にしまわれるであろう。

○交流及び共同学習を推進するためには、教育課程や教員配置などの問題がある副次的な学籍を置くよりも、地域に根ざした小規模な特別支援学校を増設することが必要。また、分校、分教室についても触れられているが、これらも小規模特別支援学校へと移行することを前提として設置されるべき。

○本気で交流し、本気で理解し合う場面にしてほしい。そのための方法を考えてほしい。

○交流教育については、差別や偏見の助長につながる危険を内包しているので、抜本的見直しが必要。「学校間交流」は、多くても学期ごとや年に数回というのが実情。「居住地交流」は、居住地校に籍を置くことが絶対条件と思う。

○交流及び共同学習や副次的な学籍などの取組においても、そこで行われる教育の内容が配慮されるべき。共に学ぶ健常児にとっても「それぞれの授業や活動を理解し参加していることを実感・達成感を持ちながら、充実した時間を過ごせて、生きる力を身に付ける」ものでなければならないことを明示すべき。

○「交流及び共同学習」は、分離を前提としたものであり、障害をもたない子どもとの対等な人間関係づくりや障害者差別の解消には結びつかず、むしろ障害者に対する差別意識を醸成してしまう危険性が高いことから、フルインクルージョンが実現するまでの、短期間の「次善の策」であることを明記すべき。

○「交流及び共同学習」については、教育行政が様々な条件を課すようになったため、かえってその機会や時間が大幅に減少してしまった地域が数多くある。本人・保護者のニーズにもとづき、現場の裁量で柔軟に実施するべきであることを明記すべき。

○障がい者制度改革推進会議の「第二次意見」に、現行の「交流及び共同学習」の問題点を指摘した記述があるので、それも踏まえた上で、全面的に書き改めるべき。

○交流及び共同学習は継続的に回数多くできた方が効果的である。学校間交流は近くの学校であれば回数も確保できる。特別支援学校が小中高等学校と隣接していると良い。

○副籍交流では付添いや時間割の調整が現実的な問題になっている。介助員の配置等が必要である。

○施設配置の見直しや補助員等人的、施設的な配慮が必要。

○教育活動の実施を可能にする教育課程の見直しが必要。

○聴覚障害児が小学校等で学ぶ場合には、授業に(教師の会話の)情報保障があったとしても、友だちとのコミュニケーションが成立しないことがある。そのためには聞こえる子どもが手話を学ぶなり、聴覚障害児への理解を深めるための環境整備も必要である。

○特別支援学校という自分の居場所があり、自分をそのまま受け入れてくれる先生や友達がいる特別支援学校があるからこそ、2学期に1回の副籍での訪問が楽しめるのだと思う。

○交流先の先生が障害について理解がなく、心無い言葉に傷つき副籍を辞めてしまう友人もいる。

○インドでは、障害児学校近隣の通常の学校で朝から午後3時まで学習し、その後障害児学校に戻って不足する内容を補う方式をとっている。特に人数の少ない視覚障害児童制度の場合、このようなやり方も選択肢として考えられる。

○障害の子や、外国籍の子、しんどい思いをしている子など、いろいろな子の中で育つからこそ、いろいろな子が一緒に生きていくにはどうしたらいいかと、自分以外の子のことも考えられるようになるが、交流という形や限られた空間では限界がある。

○障害のある子どもにとって、相手を正しく理解する課題は極めて難しい場合がある。また、障害のある子どもが障害のない子どもの学ぶ材料になってはならないと考える。わかる喜びやできる喜びを保証できない「共に学ぶ場」は、子どもの人格形成に悪影響を与える。「できるだけ同じ場で共に学ぶことを目指すべき」と記載することで、そのことが画一的に進むことに危惧を感じる。

○運動の苦手な子どもでも平等に楽しめる「フロアホッケー」プログラムの活用が大変効果的だということが、取り組んできた経験から実証されている。「フロアホッケー」による交流を各学校単位で盛り込んで行けるような実際的な運用を期待する。

○全ての子どもが通常の学級に学籍を置く「学籍一元化」と、通常の学級、特別支援教室、特別支援学級、特別支援学校において特別支援教育が適切に受けられるように、特別支援教育への登録をする「登録システム」を導入すべき。これにより、形式的な副籍や交流及び共同学習を実質化でき、また、小中学校の先生が、当該児童生徒についても自分自身の学級の問題であるという認識を持てる。

○一部の自治体で実施している居住地校に副次的な学籍を置くことについては、居住地域との結びつきを強める実績がある。この成果を認め、居住地校に学籍を置き、副学籍を特別支援学校に置くべきである。

○「副次的学籍」とはインクルーシブの理念を全く無視するに等しい考え方であり、「居住する地域の小・中学校への学籍一元化」が障害のあるなしにかかわらず子どもの当然の権利である。

○東京都の副籍が紹介されているが、これは特別支援学校に主籍を置くもの。インクルーシブ教育の中では地域の学校に主籍を置き、特別支援学校に副籍を置くという考え方が求められる。就学前に障害の程度を把握し、教育委員会と特別支援学校で協議した上で副籍を置くことを確認していくシステムにすれば、弾力的な転学についても更にうまくいくと思う。

○百歩譲って「副次的な学籍」を設けるとしても、それは特別支援学校側であるべき。

○地域の小・中学校に副次的な学籍を持たせることで一体何を目的としているのかが理解できない。もっと「学籍一元化」についてどのようなことができるか考えるべき。

○障害者権利条約の趣旨からすれば、居住する地域の小・中学校に副次的な学籍があるのはおかしい。地域の学校、学級においてまず基本的な学籍、正式な学籍があるようにする必要がある。「副次的」という言葉には、「障害者は本来、普通学校に入るべきではない」「障害者は次席の存在」という意識が入ってしまう。対等という概念がない。

○地域の学校に主籍を持ち、副籍を特別支援学校に置く子どもの人数に応じて教員を配置するような仕組みにできるよう、標準法を改正する必要がある。

○「副次的な学籍」については、すべての子どもの学籍を地域の学校に置き、必要に応じて特別支援学校に副次的な学籍を置く制度とすべき。

○副籍制度についてモデル事業を実施してほしい。

○副次的な籍については学校だけのモデル事業でなく、地域社会で支える仕組みも考慮したモデル事業とすべき。

○居住地域との交流及び共同学習には児童生徒の付添いや時間割の調整などが現実的課題であり、それらについて検討していく必要がある。

○居住地校との交流及び共同学習には児童生徒の付添いや時間割の調整など現実的課題があり、それらについて検討していく必要があるとあるが、現実的課題のある交流や共同学習ではなく、日常的に共に学ぶインクルーシブ教育への転換をすべきである。

○居住地校交流で、居住地校に籍を置くことは絶対条件。人的な環境整備がなされていないことが問題。

○特別支援学校と居住地校との交流の難しさを感じている。学校がより協力的かそうでないかがあるように感じる。

○特別支援学校の教員による巡回指導等、小・中学校と特別支援学校との連携に反対。特別支援教育が障害者差別の教育なので、小・中学校と連携されるのは迷惑である。

○センター的機能は必要ない。障害と言ってもその子によって個性は様々であり、現場の先生が目の前の子どもをみて、その先生の感覚で必要なことを考えれば良い。現場の先生に自由にやらせるべき。

○センター的機能によって特別支援学校に行くべき子と判定された例があるため、適正就学を前提としたセンター的機能には反対。

○障害についての専門知識は得られても、普通学級の中で他の子どもたちと一緒に学ぶ方向へのノウハウは得られないのではないか。

○特別支援学校の在籍者をできる限り地域の学校に戻し、特別支援学校勤務の教師をチームティーチングの教師として地域の学校に勤務させ、特別支援学校で習得した経験を他の教師に共有する核とすべき。

○特別支援学校も、教育相談など求められた場合には他校の教員への助言なども行っているようで、それが大変良かったという話を聞く。特別支援学校の教員は、豊富な経験を有しているので、教員同士の交流の場を設けるなど具体的な機会を増やし、情報交換、意見交換などがもっと活発になればと思う。

○小中学校の特別支援学級にセンター的機能を持たせることについて、賛成である。特別支援学校のセンター的機能自体は否定しないが、特別支援学校は、教員への支援、児童生徒への支援、関係機関との連絡調整を行うには心理的・物理的に遠い。

○特別支援学校のセンター的機能に期待できる部分(間接支援)と、現実的に無理がある部分(直接支援)を明確にしてほしい。

○センター的機能は、市町村内の様々な実情や年間計画を分かっている人に相談、助言、支援してもらえるような直接支援の仕組みが必要。

○特別支援学校では個に焦点をあてた取組を行っており、今後のことを考えるとセンターは小・中学校におくべきである。

○特別支援教育は通常学級へのセンター的機能であると明言すべきである。

○就学相談の支援システムを構築するために、市町村教育委員会への更なる支援が必要。特別支援学校のセンター的機能との関連を明確にすべき。

○センター的機能を活用しようと思っても、県教委と市町村教委との連携が十分でないため、円滑な活用が出来ないことがあるので、改善することが必要である。

○人的・物的な環境整備については、特別支援学校のセンター的機能を今まで以上に活用できるようにすることが必要である。

○特別支援学校に近い市町村の学校は活用できるが、遠い市町村の学校にとっては活用できない。

○特別支援学校のセンター的機能は特別支援教育の推進だけに動くのではなく、通常の学級の中で障害児が共に学ぶための指導助言ができるセンターになる必要がある。

○特別支援学校のセンター的機能の充実やコーディネーターのために人的配置の対策などが必要。

○特別支援学校の教育内容と関係ない業務を教員がしなければならなくなり、そこの児童生徒にしわ寄せが行く。

○これまで培われてきたノウハウや通常学級では購入できない教材、教育機器を通常学級で共に学ぶために活用すべき。

○分校、分教室の設置に反対。どんな障害のある子どもも障害のない子どもと分け隔てなく一緒に学べる制度を構築すべきである。

○分教室の設置形態における教育条件整備の不十分さや実践上の困難が数多く報告されている。また分校は過渡的形態として位置づけられる必要がある。小規模特別支援学校設置の方向を示すべき。

 

 

4.教職員の確保及び専門性向上のための方策について

○専門性については、特別支援学校や特別支援学級における指導内容や方法に偏っている。共に学ぶための指導方法や内容についても専門性として取り入れていくべき。

○インクルーシブ教育の構築に必要なものは、「共に学び合う」ための教員の意識改革や授業改革である。

○家庭での虐待・ネグレクトや不登校、保護者や生徒の精神疾患への対応、発達障害の特性を踏まえた指導の在り方など様々な対応が教員には求められており、医学面についての研修が必要。

○指導教諭の位置づけなど教員制度の整備が望まれる。

○インクルーシブ教育先進国での実践や日本においても30年以上積み上げられてきた通常学級での「共に学び合う」の実践をもとに、研修していくべきと考える。

○現状として、正規採用者の数を抑え臨任者を当てている採用状況や、専門性が向上できる余裕のない働かされ方がある。専門性のある教員による教育がなされていると言い難いが、それは、個人の努力の問題ではない。

○障害児のことは専門家におまかせという意識を多くの教員に植え付けないための工夫が重要。

○特別支援教育コーディネーターの配置には、障害のある子どもを通常の学級にいられなくするので反対。

○教職員に確かな人権感覚を持たせることが必要。そのためにも、どの子も地域の通常の学校にアクセスされるような制度改革が必要。

○専門的な技術よりは、子どもを温かく見守る気持ちや子ども同士の問題解決能力が必要。

○定時制高校に勤め、知的障害の生徒を指導してきたが、職員全体で試行錯誤を繰り返しながら指導法を編み出せたことから、経験とインクルーシブな心構え、理念さえあれば十分に対応可能である。

○大学での教員養成などについて今後検討が必要であるが、専門性は絶対ではなく、きちんとした人権意識の向上こそが大切。

○私達障害者は、常に専門性を求めているわけではないし、地域で生きるには専門性はあまり必要ではなく、付合いを通して理解していけばよいので、あまり専門性についての知識は必要ない。

○「インクルーシブ教育」を目指すなら、障害のない子ども達と一緒に同じ空間の中で教育活動を組織していく能力が求められるが、特別支援学校教員は大勢の集団の指導はできないので、特別支援学校教員が地域の学校に自由に移動できるようにシステムにしてほしいし、「障害のある子もない子もともに学ぶ中で」という文言を加え、専門性の方向性を明確にすべき。

○論点整理で述べられている専門性は特殊教育時代に必要とされたものであり、インクルーシブ教育に向かうためのものとは異なり、通常の学級が障害のある子とない子が支えられるような関係づくりが重要で、そうした専門性が必要。

○障害についての知識や理解だけでなく、「共に生き、共に学ぶ」教育のための「専門性」が必要。

○特別支援教育における専門性というより、教師の人間力が必要で、豊かな人間性のある教師を確保することで、心ある教育が展開され、様々な工夫がなされていく。

○障害に対する「専門性」ではなく、どの子も豊かになれる授業づくり、学級集団づくりといった、教師としてごく当たり前の「専門性」の向上策を明示すべき。

○障害者を区別するための専門性ではなくなるように明記すべき。

○通常の学級にいた障害のある子が、特別支援学校からの担任教師に個別に訓練され、精神的苦痛に嫌悪感を抱き、その影響を引きずっており、特別支援教育の能力が必要とは思えない。

○重度障害のある息子を小学校に通わせているが、障害のある子の教育に必要なのは、専門家ではなく、子どもに愛情を注ぎ、成長を見逃さず、自ら学ぶように導いてくれるような教員。

○肢体不自由学校での機能訓練や自立活動は実は効果の程は定かではなく、保健体育の教員が多く、専科の授業が素人によるものとなっており、個別指導計画を見ると専門用語が多いADL関係だけで、教員は専門的なことをやっている気分にはなるのだろうと思う。

○専門性を高めるには、今の専門性を疑ってみることが必要であり、「歩いたり」「しゃべったり」を執拗に求め、何か欠けたもののように扱うのは、インクルーシブ教育とは矛盾している。

○教員の研修で今最も必要なのは、専門性をもつことではなく、障害児と親を虐待しないように禁止することで、親の付添いがないと普通学級においてもらえないという恐怖を感じた。

○ハンディのある子は必ず存在するのであるから、誰かが責任を持って引き受けて専門家になるのではなく、全員がかかわることになり、通常の学級で障害のある子どもを受け持っていてインクルーシブ教育に前向きな教師の話を聞くべき。

○指導技術が身に付くまでに、子どもの芽は枯れてしまうので、教師も子どもたちと共に学んでいく努力が必要。

○障害のある教員を確保する記述は評価するが、障害のある教員が安心して勤務できるようにすることが必要で、障害についての理解は共に生きることでしか育まれず、「専門性」は実は「慣れ」が基本。

○県教委の指導主事には特別支援教育の専門家はいてもインクルーシブ教育の専門家はいない。教職員の意識改革や授業改革に共に学び合うための視点を中心においてほしい。

○論点整理の専門性というのは「特別支援教育」における専門性である。すべての子どもに実質的に効果のある教育を実践するための知識は、子どもと出会う中で身に付く。インクルーシブ教育に専門的な指導技術はない。

○教員の専門性として、障害者の権利や障害者差別に関する知識、差別を克服していく方策についての知識が必要。英国では障害平等研修や障害平等計画の形で具現化。また、共に学ぶ授業創造の専門性もインクルーシブ教育の土台。これらの必要性を明記すべき。

○すべて特別支援教育のためのものであり反対。求められるのは共に学び育ち合うための教員の意識改革や授業改革。インクルーシブ教育を進めている国の実践や日本において通常学級で共に学ぶ実践をしてきた教員から学ぶべき。

○インクルーシブ教育に転換すれば、必然的に教員が学ぶ内容も方法も変わらざるを得ず、その在り方の中で養成、配置、研修が行われるべき。教員養成大学の附属学校はインクルーシブな制度にし、教育実習をインクルーシブ教育の学びの場とすべき。

○インクルーシブ教育に賛成しており、教職員の専門性の確保のためには、教員養成課程に特別支援教育の基礎理論の履修義務化、専門家育成と教員への指導事例等の情報提供の拡充及び情報提供体制の整備、教員支援の体制整備、管理職の研修強化と管理職登用時の特別支援研修義務化。

○特別支援教育コーディネーターについて専門性を持った教員が配置されるように定数法の改善の必要性を明記すべき。

○スキルのないまま資格だけの、専門性のない教員が多いと感じる。徹底した方策を望む。

○指導の継続性や専門性の確保のために在職年数の延長についてもっと明確に打ち出せるように求める。

○特別支援学校の教員の異動について触れられているが、具体的な改善策を詳細に記述してほしい。例えば特別支援学校に勤めた教員については、最低5年間は勤務する、10年以上勤務しているベテラン教員を一定割合で確保する、など。仮に人事の活性化のための異動を行なうにしても、弱視特別支援学級に移動させるなど、その教員の専門性が生かされるような配慮が必要。

○特別支援学校において長年積み重ねられてきた専門性の伝授・継承が重要であり、そのことで聴覚障害のある子どもと保護者の多様なニーズに応じることができ、聴覚障害教育のセンター機能を果たす上でも重要である。

○インクルーシブ教育の構築のためには、教員養成の在り方、管理職を含めた現職員の研修体制、採用配置などについて今後検討が必要。

○専門性を有する中核となる教師を養成し、各学校に配置することがとても重要であり、すぐにでも実施できる内容である。

○専門性は子どもと出会うことによって身に付くが、同時に療育機関の担当者、主治医、研究機関、特別支援学校教員などに助言を求め、指導、支援の向上に努めるべき。

○「学校としての障害種ごとの専門性を確保していくことを考慮した上で、同一校における教員の在職年数の延長など弾力的な人事上の配慮を行うことも考えられる」については、今後の連携した支援体制を進める上で重要であり、従来の勤務体系にとらわれず、運用できるように人事に関して整備を。

○論定整理の教書員の確保などの意見に賛成であり、盲学校は県内に1校しかないことが多く、一律な年限を区切った異動によって専門性が低下していることから、弾力的な人事上の配慮必要。

○教員の人事においては、副籍やセンター的機能といった体制づくりに際して、連携した支援体制を進める上でも重要であり、従来の勤務体系にとらわれず、運用できるようにすることが必要。

○特別支援学級や通級を担当教員でセンター機能を有する者は同一校の在職期間を延長で きるよう配慮が必要で、そうしなければ、定点観測している保護者からの信頼を得られない。

○特別支援学校として障害種ごとの専門性を確保していくことを考慮した上で、同一校における在職年数の延長などの弾力的な人事の考慮を行うことも必要。

○特別支援学校教員の通常学校支援等の実績や研究報告等により有効な場合には、在職の延長等柔軟に対応すべき。

○同一校への長い勤務は、一人の教員に任せすぎてしまう結果になる。

○教員の確保、専門性の向上の意見に賛成だが、教員の時間的・精神的なゆとりを取り戻すことが重要であり、急増する特別支援学級担当教員の研修の場を充実させることが必要。

○技術向上のためには、教師全体で問題を共有し、解決を探ったり、一緒に考えたりする教師間のつながりや安心感が必須。

○専門性の中には、保護者の障害受容の過程や養育努力についての理解、保護者と教員の連携についても内容として必要であり、また、他校通級は不平等であり、同一市内でのサービスに違いがあることにも腑に落ちず、全小・中学校に通級指導教室設置が必要。

○特別支援学校の教職員は普通学級の教職員よりも知識も意識も低く期待はずれであった。

○自閉症の児童生徒は知的障害の特別支援学校で教育が行われていることが多く、障害種別に応じた専門性については、制度的にも実質的にも不十分であり制度の改善が必要。

○特別支援学校における自閉症の教育課程の検討を図ること。

○特別支援教育にかかる悉皆研修が必要である。

○教員の研修や相談に応じる体制作りを教育委員会が行う必要がある。

○特別支援学級の児童生徒が増加しており、通常の学級にも支援が必要な児童生徒が増えており、そのような状況で、特別支援教育における専門性を有する教員が不足しており、教員の増員が必要。

○現職教職員の研修の充実と併せて、大学の教員養成で特別支援教育の基礎を必修とすべき。

○インクルーシブ教育システム構築のため、教職員の確保や教員の専門性の向上を図ることに賛成。校長と教頭に対しては、任用に当たって考査し、積極的に対応しない場合は分限処分。現職教職員の研修体系等も整備が必要。

○地域の学校での指導が不十分なら地域の学校に専門性の高い教員(指導者)の配置は必要。

○障害のある子供が通常の学級で学ぶことにより教員の専門性も高まる。

○中学校では、教員の各教科の指導、領域等の指導における専門の向上に取り組んでいるが、その際、特別支援教育の専門性の向上も含めて行う必要がある。

○小・中学校の管理職や教員の特別支援教育に関する知見を高めとともに、コーディネータや特別支援学級担当者の専門性向上を図ることが必要である。

○担任には専門性よりも、「その子と周りの子をいかに近づけるか」と考える力が必要。障害のある子どもが一緒だから起こるかもしれないトラブルがまだ起こっていないうちに、疑心暗鬼になる必要はない。

○専門性の受け皿としての特別支援学校の意義が認知されるべき。

○障害が重く、特に医療的ケアを必要とする児童生徒にとっては、専門性が高く、一定の研修を受けた教員と、理学療法士等の専門職員の配置など特別な配慮が必要。インクルーシブ教育を優先するあまり、普通学級や普通学校では対応が困難な重症心身障害児などの重度の障害児がその児童の教育的ニーズに即した教育を受ける機会を失うことがないような配慮が必要。

○特に、視覚障害、聴覚障害の学校は県に1、2校であり、人事上の配慮により専門性が流出しないようにすることが求められる。

○インクルーシブ教育を進める上での一番の困難は現場の教員の意識改革である。大学において「インクルーシブ教育」に関するカリキュラムを充実させる必要がある。

○論点整理には高頻度と低頻度の障害によって対応を変えることが書いてあるが、インクルーシブ教育においては、どの障害でも対応が必要であることから、障害の種類によって対応は分けない方が良い。

○教員の専門性など不必要で、子どもが当たり前な学校生活を過ごせればいいことで、治らない障害を訓練によって二次障害にするようなことでは何もならない。

○全ての教員に、障害当事者や地域の小・中学校に通わせたことのある保護者等を講師に招きインクルーシブ教育に関する研修を実施すること。

○すべての教員がインクルーシブ教育の理念等を学ぶべき。特別支援教育は個々の障害児の社会適応に着目するのに対し、インクルーシブ教育は社会の環境整備により障害者が恩恵を享受できるようにするものであり全く異なる価値観に基づいている。

○インクルーシブ教育システムの構築のためには、教職員と保護者などの「心」をどう育てるのかにかかっている。インクルーシブ教育は、机上の議論ではとても理解できるものではない。教職員も支え合い相談しあう体制をつくり多種多様な視点のもとに評価を行うべき。

○アメリカなど先進国では、普通学級の中で障害児を受け入れ、どのように教えていくかについて学ぶカリキュラムがあるという。日本の教員養成でも必修にすべき。日本の大学では、特別な場で特別な子供を教える方法だけを教えてきた。

○インクルーシブ教育を進めるために一番大切なのは楽しく学びあい、笑いあえることであり、教員や文科省の意識改革が必要。

○インクルーシブ教育を進めるためには、人権教育をはじめとする共生教育について研修を深めることが必要。県や市町村のセンター研修に盛り込むべき。

○特別支援教育の理念は必要がなく、障害者権利条約に基づくインクルーシブ教育の理念、人権教育が必要。

○学校関係者全体の障害のある児童に対する差別的な扱いを目の当たりにしてきて、最も優先されるべき研修は、特別支援教育の理念より人権教育である。

○記載されている研修を否定するものではないが、障害者人権条約に沿った人権教育を中心に行うべき。

○インクルーシブ教育は一部の教員が担当するという、そのような専門性が必要と言うことではなく、すべての教員に一般化していくことが何より重要。

○教職員の万能主義は、創造性が求められる教育界においては望ましくない。

○教員養成では、インクルーシブ教育の実践を学ぶ機会を提供し、普通の学校で共に学ぶ教育を前提とした学級運営や教材研究などの研修の機会を設けるべき。

○教員の研修に際しては、地域の障害者当事者と日常的な接点をもつことが必要であり、教員が自主的に地道に生活の中で関係性をもっていくべき。

○官制研修だけではなく、自主的な研修のための条件整備が必要であり、また、正規職員の配置によって専門性の向上を図ること、一律の年数ではなく弾力的な人事異動、障害者効用率の達成が必要。

○大学・大学院等における教員養成課程の見直しに際しては、点字・手話を内容とすることが必要。

○リーダーシップやマネージメント力を有し学校で発揮できる人材を確保するために、抜本的な見直しが必要。

○特別支援教育における教員の専門性が正当に評価される環境が必要。

○特別支援学校と通常の学校の教員の交換留学が必要。

○全ての教員が特別支援教育に関する専門的知識や対応方法を身につけることは賛成。

○学校卒業後を含めたライフステージを見通した研修ではなく、目先の「評価・アセスメント」や「困った事態の対処法」のみに終始しており、人を育てる視点がない。

○自閉症については、視覚優位という点のみが強調されて行動に関する強制的な指導が行われている。聴覚過敏等への配慮や当事者体験等を踏まえた指導が必要である。

○キャリア教育の充実を目指しているが、離職の理由、特に社会から排除される要因等を把握し、指導に生かすことが必要。

○自閉症については、必ずしも自閉症に関する専門性のある教員が配置されている訳ではないので、現在の特別支援学校のセンター的機能での対応は不十分。

○聾学校教員は他の特別支援学校とは異なり、言語習得について特別な専門性が要求される。手話コミュニケーション技術などの習得には数年の年月を要する。専門性を習得した教員を他の校種に異動させることは税の無駄遣いである。

○聾学校の教員の専門性向上のためにはベテラン教員の存在と学外の専門家の支援による研修も大切である。

○教員の手話技能は個人差、学校差が大きく、信頼できる手話検定等によって、聾学校教員に必要な手話レベルの共有を図る必要がある。

○コミュニケーション手段その他の支援をするためのコンピューター技術者や手話通訳の常時配置が必要である。

○大学の教員養成課程で特別支援教育にかかわる履修・習得を充実させる必要がある。

○すべての子供が通常の学級に学籍を置くとともに、特別支援教育への登録システムを導入すると、特別支援学校で学ぶ児童生徒も小中学校で認識される。特別支援教育に関する研修を、校長等管理職を対象として実施することに賛成でありすぐに実施すべき。

○専門性のための施策として、障害者の選択権を保障し、障害を理由に差別しないことを全教職員に指導、研修を徹底すべき。

○担任から「授業が分からないのに、ただ座っているだけでは無駄だ」と言われたが、「知的障害者は何も分からないのだから、生きている意味がない」と言われたのと同じと思い、差別・人権に関する研修が必要である。

○特別支援教育が始まってから、専門家でなければ障害のある子どもは指導できないと思う教員が増えているが、専門性は不要であり、特別支援教育は普通学級から障害のある子どもを追い出す教育であるので直ちにやめてほしい。

○専門性を向上させても教職員の障害観は変わらない。制度の根幹を変えることが必要。

○障害者差別の特別支援教育を地域にまでばら撒くことになるので研修の実施に反対。

○普通教育の中で障害のある子供が安心して学ぶ研究をするために国立特別支援教育研究所は不要。廃止すべし。

○特別支援教育の推進は必要がない。特別支援学校に専門性があるとは思えないという卒業生の感想があり、専門性の向上などはありもしない。

○特別支援教育の質の向上については、障害のある児童生徒の思いより文部科学省特別支援教育課の思いに重点が置かれており不愉快。

○インクルーシブ教育には金がかかると言いながら教員の研修には費用をかけるのは調子が良すぎる。義務的に研修よりもインクルーシブ教育にしていくことが重要。

○無駄な研修費にお金をかけるより、受け入れてから理解し合うことのほうが堅実。

○インクルーシブ教育システム構築のために最も必要なことは子どもたちから学ぶこと。これまでの養護学校・特別支援学校を基軸にした専門家研修は破綻。インクルーシブ教育システム構築のノウハウを持っていない。実践を重ねてきた学校に学ぶべき。

○インクルーシブ教育先進国での実践や、日本においても30年以上積み上げられてきた通常学級での共に学びある実践をもとに、研修をしていくべき。

○障害種ごとの専門性を確保していくことを考慮して方向性を打ち出したことはすばらしい。人事上の配慮や教員の養成・研修など総合的に触れられていることも評価。特に聾学校では、手話を身につけるために他の研修とは比べものにならない時間が必要。

○障害についての知識をもつことは必要。専門性に傾きすぎず、障害のある子どもを含めた集団づくりという視点が重要。すべての教職員が子どもとのかかわりの中で経験、知識を深めていくことが重要。

○専門知識や経験、熱意のある教員が指導に行きづまったり心の病に罹患して現場を離れることを回避するため、特別支援教育に携わる教員が専門的な知識の習得や指導計画の作成などに支援を行う体制を整備すべき。

○障害児への理解を深めていただくためにも、小中学校の先生に特別支援学校への研修をお願いしたい。

○支援学校教員が児童生徒の地域の学校に出向き、児童生徒が所属する学級にTTとして、インクルーシブ推進の研修などを担当。

○支援員は学校ボランティアであり、一人一人の状態も希望も違うのに研修は意味がない。保護者と教師と話し合っていくことの方が重要。

○教育実習では、特別支援学校、学級での実習を何時間か義務付ける。

○特別支援学校、学級の担任かどうかは問わず、すべての教師に1年に一度は数時間の研修を義務づける。

○専門性向上により、地域の関係機関との連携による研修や大学等の研修を実施していくことに賛成だが、現実には教員が足りない中で、研修に行くことは不可能に近い。

○研修の際、教員を補充できるような仕組みが最低限必要。人員の確保を明記すべき。

○特別支援学校の研修は、認定講習の増加に伴い受講しやすくなったが、教科の専門性を向上するための研修機会は、ほとんどない。

○スキルや知識は、子どもと出会う中で身につくもの。指導技術が担保されなければインクルーシブ教育に転換できないという理論に使われては困る。

○各教科を指導できる教員の確保が難しいことがあるなかで、特別支援教育に関する専門性のある教員の確保については、広く意見を聞き、長期的な視点で検討すること。

○児童生徒の学びにつながる取組である教員研修、教育方法の実践研究、外部専門家による巡回指導、特別支援連携協議会への支援も重要である。

○障害児教育の先導的な役割は特総研のみならず国立大学の附属学校にも求められる。視覚障害教育に関して言えば、盲学校教員養成課程を持つ宮城教育大学や広島大学にも付属学校を設置し、公立学校を引っ張っていく役割を果たしてほしい。

○大学での教員養成ということも書かれているが、現場で学ぶことをもう少し重視しても良いのではないか。

○高発生頻度障害と、低発生頻度障害の研修を分けて行うという取組は良い。

○特別支援学級担当教員の特別支援学校教員免許保有率が約3割であることを最優先で改善すべきである。

○教員が求めても免許取得のための認定講習を受講できない場合がある。予算を増額して対応すべき。

○特別支援教育免許を取得できる大学は少なすぎ、これからの特別支援教育に対応できない。教員免許を持つ者なら誰もが特別支援教育に対応できる体制作りが急務。大学のカリキュラムの見直し、免許制度の見直しが必要。

○特別支援学校の教員が免許状を100%保有できるようにするためには免許を取得できる機関を整備することが必要。教員採用に当たっても免許取得等を考慮するなど、現行制度の課題を整理し条件整備を進めるべき。

○視覚障害や聴覚障害など、子どもは少ないが極めて高い専門性を要するものについては、担当障害の範囲を限定した専従免許制度を創設すべき。

○小・中学校等における特別支援教育担当教員について、免許、教員採用・配置、人事異動、教員養成などの施策の在り方について専門性向上の視点から総合的に検討することが必要。

○認定講習のみでは実現は難しく、採用や人事異動、配置において特別支援学校免許所持を条件にすべきであり、また、特別支援学校の教員採用等は、高校とは異なる体系にすべきであり、さらには講師の配置は専門性の低下につながることから正規職員を配置すべき。

○免許状更新講習の中に、特別支援教育に関する内容を位置付けるとの記述があるが、資質向上のための研修とは本質的に異なるものと考える。免許状更新講習の廃止を求める。また、更新講習の抜本的見直しによって、特別支援教育教員の資質向上を位置付けるのであれば、全額国の予算で実施し、受講については公費出張を認めるなどの制度に改める必要がある。

○教員免許取得に際して、特別支援教育に関する知識と理解の履修と教育実習が必要。

○特別支援学校で特別支援学校免許状を保有しなくても教員になれる現行制度を見直すことは賛成だが、現在は免許更新講習の受講等も必要なため、教員の負担増が心配である。

○特別支援教育にかかわる人は、特別支援学校教諭免許状の取得を義務付けるべき。何の知識、技能を有しない教員が多すぎる。

○特別支援学校に名称が変わり専門性が強調されている。養護学校義務制以降、教員不足から他の教科の教員がたくさん採用されており、今さら専門性を言うのはおかしい。共に学ぶ教育では、一般の教員免許だけでよく障害児教育の免許はいらない。

○教員養成課程が6年になることが検討されているが、教員を目指す若者が減ることになる。教員免許更新制特別支援教育の研修を加えることは更なる負担を教員に強いる。教育現場は多忙を極め病気休職者増加の一途である。その状況を解消しない限り、専門性を高めるための研修を計画しても参加できない状況である。学校教育の抜本的見直しが必要。

○中央教育審議会における教員の資質能力向上部会の審議経過報告案で示されている、教員養成の「修士レベル化」における専門免許状(仮称)に特別支援教育を位置付けてはどうか。都道府県が現職教員に専門免許状を取得させる仕組みを検討することも言及すべき。

○教員免許取得のための必修科目に特別支援教育・広汎性発達障害・精神障害に関する物を新たに設ける。

○障害のある教職員の必要性と確保のための法的整備を進めるべき。

○障害のある教師が身近にいることは、助け合って生きていくロールモデルであり、いじめ自殺問題が多発している通常の学級にも障害のある教師の存在は大きい。

○障害のある教師を確保するよう明示した点は評価するが、まだ雇用率は低いことから、条件整備を進める必要があり、知的障害特別支援学校に知的障害者が勤められるようにすべき。

○教育委員会が法定雇用率をクリアしないのは恥ずべきこと。地域の学校で障害のある子どもに合理的な配慮を実行して受け入れれば大学進学者も増え、教師になる人も多くなり、引いて法定雇用率引き上げになる。

○インクルーシブ教育を進めるためには、小・中・高等学校でこそ障害のある人が採用されることが重要。「特別支援学校をはじめ」の部分を削除すべき。文部科学省は、当事者の声を聴き必要な合理的配慮などの条件整備を進めとともに、各都道府県を指導すべき。

○障害のある者の採用は、障害のある児童生徒のロールモデルというとらえ方ではなく共生社会のモデルととらえるべき。

○視覚障害の特別支援学校の音楽教員の養成として、筑波大学附属視覚特別支援学校高等部専攻科の音楽科の卒業者に、かつて盲学校で音楽の教員となる資格が与えられていた制度も参考にすべき。

○障害当事者が教職員に採用されるためには障害のある子どもが普通学級で一緒に学べる制度に転換することが必要。先生も生徒も普通学級に存在することが普通の在り方。地域の学校こそがロールモデルになるべき。

○児童生徒の個別の教育的ニーズに応える多様で柔軟な仕組みを整備するのであるから、障害のある当事者の教職員を確保することを含めて条件整備等を進める必要がある。

○すべての子どもたちにとって、障害のある教員を積極的に採用する意義は大きい。

○脳性マヒの中学校教員がいるが、教職について10年を経ても学級担任をもたせられないでいるという実態もある。差別なき採用・人事配置こそ進められるべき。

○様々な学校において、障害のある当事者の教職員が確保されるよう明記したこと高く評価する。

○障害のある教職員が身近なロールモデルとなるとの指摘は当然のことである。このことを強調すべき。

○全国でも数少ない当事者の教職員に現状を聴き、必要な支援を行うこと。

 

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初等中等教育局特別支援教育課

(初等中等教育局特別支援教育課)