北野委員提出資料

第25回障害者制度改革推進会議(平成22年11月15日)
北野 誠一  提出資料

【資料1】

2010年11月15日

中央教育審議会初等中等教育分科会・特別支援教育の在り方に関する特別委員会
「論点整理(委員長試案)」への批判と提案

公教育計画学会
会長 嶺井正也

 さる2010年11月6日に特別委員会に提出された「論点整理(委員長試案)」(以下、委員長試案と記載)は、2006年12月13日に国連で採択された障害者権利条約の趣旨をまったく無視したものとなっていることからとうてい容認できるものではない。
 障害者権利条約とは理念のみならず、法制度として実施すべきことを規定しているものである(実施規定)。委員長試案の総論には、「インクルーシブ教育システムの理念と、それに向っていくという方向性については、基本的に賛成」と書かれている。これは、障害者権利条約を理念規定に矮小化し、実施規定としては容認しないという姿勢であり、委員長案にはその姿勢が貫徹している。
 以下、詳細にコメントを加える。

1.「総論」について

(1) 総論のなかで、「インクルーシブ教育システムにおいて重要なことは、対象となる児童生徒に対して、その時点で教育的ニーズに最も的確にこたえる指導を提供できる多様で柔軟な仕組みの整備。形式的に場を一緒にするのではなく、通常の学級、通級による指導、特別支援学級、特別支援学校といった「多様な学びの場」(カスケード)を用意しておくことが必要」【(1)○3】としている。
 これは排除せずに包摂することを意味するインクルージョンの考え方とまったく異なる発想である。「サラマンカ宣言」や障害者権利条約のどの部分から、こうした「多様な場」を導くことができるのか、根拠を示して欲しいものである。
 また、インクルーシブ教育は「形式的に場を一緒にする」とはいってない。「一緒の場で、必要な配慮」をするのがインクルーシブ教育の基本である。曲解も甚だしい。

(2) また、障害者権利条約第24条の文言である「general education system」について、まったく誤解を与える外務省の仮訳である「教育制度一般」をわざわざ出しているのも問題である【(1)○2】。general education systemをそもそも「教育制度一般」と訳すのも問題であるが、教育制度一般とはいったい何を意味するのか明確ではない日本語を使うことは自分たちに都合のいい解釈にもっていくとの作為に満ちている。さらにそれを今度は「普通教育制度」とし、学校教育法第一条の学校と解釈する点で、条約の制定過程の議論をないがしろにしている。

(3) 「インクルーシブ教育システムについては・・・日本も同様に漸進的に実施していきている」【(1)○4】と強弁しているが、特別支援教育制度への転換をすすめてきた文部科学省の研究協力者会議や中央教育審議会でインクルーシブ教育について議論をすすめてきたことがあったとはとうてい思えない。その強弁を裏付ける報告書や答申を読みたいものである。
 さらに、ここ数年、特別支援学校・学級で学ぶ子どもたちが増加している現状をどう説明できるのか。「多様な場(カスケード)」こそインクルーシブ教育だというのであろうか。

(4) 「共に学ぶ」ことのもっとも基本的な考え方は、「共に学ぶ場」が必要であるというのがインクルーシブ教育の原理である。その原理を無視して、多様に分かれた場で「共に学ぶ」ことが可能であるかのように脚色しているのも奇妙である。

(5) 「学級規模など現在の教育条件が大幅に改善されない状況で、個々の子どもの障害の状態に、教育的ニーズ、学校、地域の実情等を考慮することなく、すべての子どもを同じ場に組みいれて教育を行うことは、形式的な平等化である」【(2)○2】とし、あたかもインクルーシブ教育が現状では無理であると言わんばかりであるが、基本的な姿勢に問題がある。
 障害者権利条約を批准し、第24条のインクルーシブ教育を実現していくには現状を踏まえつつ、どうしていけばいいのかを考えるべきであろう。頭から否定し、特別支援教育の現状を容認する態度は大いに問題である。

(6) 「インクルーシブ教育システムと特別支援教育は、いずれも共生社会の実現を目指すために必要な手段である、同じ方向を向いているものと言える」【(2)○3】との詭弁を弄している。
 前述したように、特別支援教育制度への転換を図る時にインクルーシブ教育について検討したのか問いたい。

(7) 特別支援教育について、「英国は約20%、米国は約10%が特別な指導を受けているのに比べ、日本は特別支援学校、特別支援学級、通級による指導は約2%程度にすぎない。教育支援の必要な児童生徒はすでにインクルーシブな教育環境で学んでいるとみることもできる」【(2)○4】としているが、まず、比較の観点がずれている。それぞれ約20%、約10%の子どもが特別な指導を受けている英国、米国においては、その子たちはどんな場でそれを受けているかと対比すべきであろう。なお、両国においては就学先の決定システムにおいて保護者や当事者の意思を日本より重視していることと抱き合わせて比較すべきであろう。
 また諸外国と比較する場合に、イタリア、カナダなどインクルーシブ教育がすすんでいる国をどうして引き合いに出さないのか、これも都合のいい比較にすぎないといってよかろう。

(8) 「インクルーシブ教育システムと地域」に関して、「障害のある当事者がどれだけに社会に参加でできるかということが問われる」とか「副次的な学籍を置くことについては、居住地域との結び地域を強めるために意義がある」とか述べているが【(3)○1】、まずは学校の段階で共に学ぶ体制を作ればいいことである。最初から分けておいて、当事者の参加を云々するのは合理的ではない。

(9) そもそも「カスケード」という多様な場を設定しているがゆえに、「交流及び共同学習の推進」が重要だと指摘している。これは、もともと分けないで共に学ぶ環境を作っておけばすむ話であって、わざわざ「交流及び共同学習」を持ち上げる必要はない。

(10) 現在の日本社会においては、障害のある子どもだけでなく、すべての子どもが教育機関から労働への移行に悩んでいる。したがって、とりわけ、障害のある子どもに関してだけ、この問題をクローズアップするのはやはり問題である。

2.就学相談・就学先決定の在り方について

(1) 「就学基準に該当する障害のある子どもは、特別支援学校に原則就学するという従来の就学先決定の仕組みをあらため、障害の状態、本人の教育的ニーズ、本人・保護者の意見、専門家の意見等を踏まえて総合的な観点から就学先を決定する仕組みとすることが適当」【(2)○1】とされているが、これは原則分離教育は依然として変更されておらず、就学先決定の方法として従来の就学基準に他の要素を加えただけのものである。原則分離教育の撤廃はインクルーシブ教育システムのかなめであることから、最も批判すべき点である。

(2) また、これは依然として障害者権利条約に抵触する。条約2条では、障害に基づく区別、排除および制限は差別であるとしている。障害を理由として教育の場を区別することは差別である。条約24条2項(b)では障害のある人が、他の者との平等を基礎として、その生活する地域社会において、インクルーシブで質の高い無償の初等教育及び中等教育にアクセスすることができることとされている。ここからは、全ての子どもたちが地域の学校に学籍をもち学ぶ場を同じくする原則統合、学籍一元化が導き出されるが、委員長試案は逆方向を向いている。

(3) 保護者に就学先決定の権利がない点も問題である。就学先は「本人・保護者の意見を尊重することとし、最終的には市町村教育委員会が決定」【(2)○1】となっているが、これも言葉のまやかしである。意見を尊重するならば、決定権は本人・保護者がもってしかるべきである。あくまでも決定権は市町村教育委員会というならば、「本人・保護者の合意のもと市町村教育委員会が決定する」となる。また、個別の教育支援計画の作成も、保護者の参加は書かれているが、合意について書かれていない。作成するかどうか、作成する際にはその内容に保護者が合意しない限り実行されないことなど、本人・保護者の権利の観点がまったく抜け落ちている。

(4) 就学先を原則地域の学校にすると、早期からの就学指導の在り方も変わってくる。「一人ひとりの教育的ニーズを保障する就学先を決定するため」ではなく、地域の学校で一人一人の教育的ニーズを保障する条件整備について話し合うための就学相談になる。就学先の決定がいかに本人・保護者にとって苦痛を伴うものか、何を得て何を捨てるかを決めなくてはならないからである。安心して通える地域の学校があってこそ、初めて本人・保護者は真の選択ができるのである。

(5) 一貫した就学相談として、学期ごと、学年ごとに就学相談をして柔軟に就学先を変更できる仕組みが書かれているが【(2)○4】、この観点が強調されると、問題が生じるとすぐに子どもを転学させる方向に意識がいってしまい、その場でじっくりと問題に対処する、条件整備を考えることを怠ってしまう。委員会の議論の中でも、判定された就学先に反して普通学級に行った子どもがやはり特別支援学級、特別支援学校に転学しているというフォローアップ調査について報告された際に、フォローアップとは保護者の選択をいかにフォローするのか、普通学級でいかにその子が学べる環境の条件整備を教育委員会がすることではないかという意見が出たが、その通りである。先に判定ありきの就学相談は、従来の適正就学を中学後にまで伸ばしたものであり、本人・保護者が安心して学習する普通学級の整備をおろそかにする恐れがある。

(6) 【(2)○5】に保護者の支援が書かれているが、米国、英国では保護者の選択権が権利として認められており、それを支援するためのものであるという前提が抜けている。何をもって「必要な情報」とするのか。保護者に権利なくして情報提供等の支援をすることは、行政側が必要と思っている情報を保護者に提供することであり、これは情報を押し付けであり、保護者の意見を行政の望む方向に誘導する恐れがある。

(7) 【(2)○6】で「受け入れ先の条件整備」について「条件整備に困難が予想される場合は保護者に説明し」とある。条約のいう合理的配慮についてであるが、まず、困難が予想される以前の、合的配慮をしないことは差別であるという大前提が抜けている。先に、条件整備を国と自治体が責任を持って行うという確認が必要である。

(8) 【(2)○9】で「就学先決定について本人・保護者の意見と行政の意見が一致しない場合のしくみ」として、都道府県教育委員会がその役割を担うと書かれていている。これは本人・保護者にとって非常に不公平である。調整機関はあくまでも第三者機関であるべきであるし、そこには障害者権利条約に精通した専門家や地域で暮らしている障害当事者が入らなくてはならない。

(9) 「(3)一貫した支援の仕組み」に記載されている個別の教育支援計画、個別の教育計画、支援シート、就労支援、キャリア教育は、学籍一元化、原則地域の学校での就学の観点から位置づけなおすことが必要である。

(10) 【(4)○3】で就学相談について都道府県の支援としてモデルを提示することは地方分権化に逆行している。都道府県の役割は、市町村教育委員会が独自の方法に基づいてインクルーシブ教育を推進するための支援であり、画一的な就学相談の押し付けではないはずである。

(11) 資料3 障害のある児童生徒の就学先決定について改正イメージが、2009年2月の特別支援教育の推進に関する調査研究協力者会議の審議の中間まとめで提示された改正イメージよりも後退している。後者は就学指導委員会で総合的判断により就学先を決定するというもので現行制度となんら根本的に変わらず容認できないものであるが、委員長試案では総合的判断の前に就学基準がおかれている。原則統合にさらに遠のいてしまっている。

3.特別支援教育を推進するための人的・物的な環境整備について

(1) 「特別支援教育を推進するための人的・物的な環境整備」ではなく、「インクルーシブ教育を推進するための~」とすべき。

(2) 「環境整備が進まないまま、インクルージョンを進めることは、結果としてダンピング(特別な教育を必要とする子どもが何らの配慮もなく通常の学級で学んでいる状態)となる危険性がある」【(1)○1】とあるが、これはインクルージョンの定義が間違って理解されている。障害者権利条約では、自己の生活する地域社会で教育にアクセスできること、個人の必要に応じた合理的配慮がされること、必要な支援をうけることなどが確保されることとして同列に書かれている。つまり、インクルージョンを進めるためには、普通学級に在籍することと合理的配慮や必要な支援を行うことは同時に保障されるべきなのである。ダンピング論はインクルージョンを先送りする考え方になっている。

(3) 【(2)○1】に合理的配慮に関する説明があるが、大前提である合理的配慮をしないことは差別である点が抜けている。

(4) 交流及び共同学習の推進に当たって、居住する地域の学校に副次的な学籍を置くことが書かれているが【(3)○3】、障害者権利条約のインクルージョンの観点からは、地域の学校に学籍を置き、特別支援学校に副次的な学籍を置くことが妥当である。

4.教職員の確保及び専門性向上のための方策

(1) 「すべての教員が特別支援教育についての専門性をもっていることが望ましい」【(2)○1】とされているが、教員に必要なのは障害の知識ではなく、多様な人間を尊重し誰も排除しないインクルージョンに関する知識である。ユネスコ等が発行しているインクルージョンのための教員研修用書籍等を援用し研修を行うことが今後必要であろう。

以上

提案:インクルーシブ教育の理念に賛成であれば、実現に向けた計画を立案して実行すること

 最後に、結論として、私たちの提案をしておきたい。委員長試案は、「インクルーシブ教育システムの理念と、それに向っていくという方向性については、基本的に賛成」としながら、現在の特別支援教育の「多様な学びの場」(カスケード)を追認し、その理由として、「現在の教育条件が大幅に改善されない状況で、個々の子どもの障害の状態に、教育的ニーズ、学校、地域の実情等を考慮することなく、すべての子どもを同じ場に組みいれて教育を行うことは、形式的な平等化である」としている。この認識では、障害者権利条約の理念に反し、別学制度の現状が何も変わらないままである。
 インクルーシブ教育の理念に賛成であるならば、学校教育法施行令第5条、第22条の3や学校保健安全法第12条を改定し、障害の有無に関係なくすべての子どもが原則として地域の学校に就学する仕組み、まさに、インクルーシブ教育への制度改革を行い、同時に<現在の教育条件を改善し、個々の子どもの障害の状態に、教育的ニーズ、学校、地域の実情等を考慮して>、つまり、合理的配慮についても検討された内容が盛り込まれた「インクルーシブ教育推進計画」を立案して実行に移していくべきである。
 今こそ1980年代から待たれた原則統合、インクルーシブ教育制度へ転換する絶好の機会と考えて提案したい。

【資料2 障害児の就学にかかわる法令】

学校教育法施行令 第5条  (入学期日等の通知、学校の指定)

市町村の教育委員会は、就学予定者(法第17条第1項又は第2項の規定により、翌学年の初めから小学校、中学校、中等教育学校又は特別支援学校に就学させるべき者をいう。以下同じ。)で次に掲げる者について、その保護者に対し、翌学年の初めから2月前までに、小学校又は中学校の入学期日を通知しなければならない。

  1. 就学予定者のうち、視覚障害者、聴覚障害者、知的障害者、肢体不自由者又は病弱者(身体虚弱者を含む。)で、その障害が、第22条の3の表に規定する程度のもの(以下「視覚障害者等」という。)以外の者
  2. 視覚障害者等のうち、市町村の教育委員会が、その者の障害の状態に照らして、当該市町村の設置する小学校又は中学校において適切な教育を受けることができる特別の事情があると認める者(以下「認定就学者」という。)

学校教育法施行令第22条の3 (就学基準)

法第75条の政令で定める視覚障害者、聴覚障害者、知的障害者、肢体不自由者又は病弱者の障害の程度は、次の表に掲げるとおりとする。

区分

障害の程度

視覚障害者

 両眼の視力がおおむね0.3未満のもの又は視力以外の視機能障害が高度のもののうち、拡大鏡等の使用によつても通常の文字、図形等の視覚による認識が不可能又は著しく困難な程度のもの

聴覚障害者

 両耳の聴力レベルがおおむね60デシベル以上のもののうち、補聴器等の使用によつても通常の話声を解することが不可能又は著しく困難な程度のもの

知的障害者

 知的発達の遅滞があり、他人との意思疎通が困難で日常生活を営むのに頻繁に援助を必要とする程度のもの
 知的発達の遅滞の程度が前号に掲げる程度に達しないもののうち、社会生活への適応が著しく困難なもの

肢体不自由者

 肢体不自由の状態が補装具の使用によつても歩行、筆記等日常生活における基本的な動作が不可能又は困難な程度のもの
 肢体不自由の状態が前号に掲げる程度に達しないもののうち、常時の医学的観察指導を必要とする程度のもの 

病弱者

 慢性の呼吸器疾患、腎臓疾患及び神経疾患、悪性新生物その他の疾患の状態が継続して医療又は生活規制を必要とする程度のもの
 身体虚弱の状態が継続して生活規制を必要とする程度のもの

学校保健安全法 第12条

市町村の教育委員会は、前条の健康診断の結果に基き、治療を勧告し、保健上必要な助言を行い、及び学校教育法第22条第1項に規定する義務の猶予若しくは免除又は特別支援学校への就学に関し指導を行う等適切な措置をとらなければならない。

お問合せ先

初等中等教育局特別支援教育課

(初等中等教育局特別支援教育課)