資料4:特殊学級入級処分取消訴訟控訴審判決について

特殊学級入級処分取消訴訟控訴審判決について

 

 本件(札幌高裁平成6年5月24日判決判例時報1519号67頁)は、市立中学校の校長(引用する判決文中では「被告校長」「被控訴人校長」)が、在籍する中学校生徒(引用する判決文中では「原告」「控訴人」)を、両親の同意なく、肢体不自由者のための特殊学級(現行制度の特別支援学級に相当)に入級させたことの取消しを求めた裁判の控訴審判決である。
 札幌高等裁判所は、第一審判決を○1のとおり引用し、○2の判断を付加して、生徒側の訴えを退けた。なお、判決は、本控訴審判決をもって確定している。

 

○1 控訴審において引用・是認された第一審判決(抜粋)

 憲法26条は、1項において、「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。」と定め、2項において、「すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。」と定めている。
 この規定は、福祉国家の理念に基づき、国が積極的に教育に関する諸施設を設けて国民の利用に供する責務を負うことを明らかにするとともに、子どもに対する基礎的教育である普通教育の絶対的必要性に鑑み、親に対し、その子女に普通教育を受けさせる義務を課し、かつ、その費用を国において負担すべきことを宣言したものであるが、この規定の背後には、国民各自が、一個の人間として、また、一市民として、成長、発達し、自己の人格を完成、実現するために必要な学習をする固有の権利を有すること、特に、自ら学習することのできない子どもは、その学習欲求を充足するための教育を自己に施すことを大人一般に対して要求することのできる権利を有するとの観念が存在していると考えられ、換言すれば、子どもの教育は、教育を施す者の支配的権能ではなく、何よりもまず、子どもの学習する権利に対応し、その充足をはかり得る立場にある者の責務に属するものとしてとらえられるべきである(最高裁昭和51年5月21日判決・刑集30巻55号615頁参照)から、現代の民主主義国家においては、教育は、子どもの人格の完成を目指すものとして、子どもの学習をする権利を中心として考えなければならないのは当然である。

 市町村の教育委員会の就学校指定により当該学校に入学することが決定した生徒を、どの学級に入級させるかの決定は、校務に関する事項と解されるから、かかる決定は、学教法28条3項(事務局注:現行37条4項)を根拠として、校長の権限に属するものと解するのが相当である。

 学教法は、・・・その28条3項によって校長に特殊学級への入級権限を認める一方、その権限行使につき、子どもや親に関与を認めていないと解されるから、このような制度を定めた学教法が、・・・憲法26条の趣旨に反し、著しく合理性を欠くものか否かについて判断を要するところ、以下に述べるとおり、右立法には一定の合理性が認められ、立法裁量の逸脱又は濫用は何らこれを認めることはできず、憲法26条には何ら反するものではないというべきである。

 すなわち、心身障害を有する子どもにどのような教育を施すかは、前述のとおり、学校教育という実践の場において、個々の子どもの心身の発達段階に応じて最も適切と解されるところにしたがって決定されるべきところ、右決定に当たっては、科学的、教育的、心理学的、医学的見地等種々の観点から諸般の事情を考慮して総合的に判断されるべきであり、教育の専門家たる校長が、教育的見地から、科学的、医学的等の見地からの判断をも斟酌の上で決定する限り、制度として合理性があるというべきである。

 心身障害を有する子どもにとって必要な教育とは何かについては、原告らが主張するような、機能訓練等は全く必要なく、地域の他の子どもたちとともに同一の環境で学習することであると考える立場が成り立ち得るのと同様、機能訓練等、心身の障害に応じた教育をすることも、その自立を考える上で必要不可欠であると考える立場も成り立つのであって、校長がこれら諸般の事情を考慮して、合理的に裁量権を行使する限り、何ら憲法違反は生じない。

 これに対し、子どもやその親の意向は、必ずしも校長の判断に勝るとはいえないのであって、何が心身障害を有する子どもにとっての利益かは、必ずしも、子どもや親が主観的に利益だと考えることに拘束されると解すべき根拠はない。

 もちろん、教育が、人格と人格との触れあいによって、子どもを成長させていくことを本質的内容とするものであることを考慮すれば、校長が生徒を特殊学級に入級させるとの処分をするに際しては、子どもや親の意向を十分に考慮し、これを尊重した上でなされることが望ましいことであるとしても、子どもや両親の意向に反して特殊学級への入級処分がされたからといって、その一事をもって、直ちに、特殊学級への入級処分の権限を校長に与えるという制度を定めた学教法の規定が、国民の教育を受ける権利を保障した憲法26条に違反するということはできない。

 したがって、子どもを普通学級と特殊学級とのいずれに入級させるかの決定権限を校長に付与している学教法の規定は、何ら憲法26条に違反しないというべきである。

 

○2 控訴審(札幌高等裁判所)において付加された判断(抜粋)

(一) 肢体不自由者に対する中学校普通教育において、当該不自由者を普通学級に入級させるか、あるいは特殊学級に入級させるかは、終局的には校務をつかさどる中学校長の責任において判断決定されるべきもので、本人ないしはその両親の意思によって決定されるべきものということはできない。

 勿論、国民の子女に対する普通教育は、前記(原判決引用)のとおり、国及び地方公共団体がこれを遂行する最終責任を負担し、国は国政の一部として、適切な教育を実施すべきものであるが、しかし、このことは決して普通教育の衝にあたるものが子ども本人やその両親の意向を一方的に排除し、自らの判断のみによってこれを専断することを許容するものではない。けだし、教育権の所在に関するいわゆる教育権論争は別としても、当該子どもが教育の主体であり、能力に応じた教育を受ける権利を有しており、また、両親はその自然的関係により親権に基づき子女を教育する立場にあり、実定法上も普通教育を受け、あるいは受けさせることは国民としての義務でもあり、それ故にこそ、教育のあり方について、親は教師、国、地方公共団体等とともにそれぞれの役割を持ち、正当な役割にしたがって、教育の内容方法に関与することができる地位にあると解すべく、普通教育の過程の中でこの役割が生かされるよう期待し、その考えの実現に向けて努力することに対しては、行政においてもそれに相応しい誠実な対応がなされてしかるべきだからである(但し、このことは、本件における市教委が控訴人やその両親の協議申し入れに応じることを実定法上義務付けられることを意味するものではない。)。

 とすれば、控訴人あるいはその両親が、控訴人の普通学級における教育を希望し、その実現のために被控訴人らと交渉したことは、自らの教育上の信念を表白し実践しようとしたものと評価できるところである。

 

(二) しかしながら、原判決説示のとおり、普通学級間あるいは普通学級と特殊学級間の振り分け入級処分に関して、子ども本人あるいはその両親の意思がそれを決定する要件であるとする実定法上の根拠はなく、また、教育理念の点からしても、それが絶対の要件であるとしなければ前項説示のような考えと矛盾するというものでもない。実際問題としても、入級処分のあり方については、当該子どもに対する教育的配慮が最優先されるべきものとしても、学級編制及び入級処分は当該学校における教育設備、教諭や介護員等の要員の問題を抜きにして決定することはできず、この点を無視して、仮に、子どもや両親の意思のみに基づいて決定された場合には、ときにかなりの混乱を教育の現場にもたらし、他の子どもの教育にも影響することは容易に予測できるところである。そのことから、現行法秩序のもとにおいては、これについては校務をつかさどる校長に一定の枠内において権限を与え、その専門的経験知識に立脚した客観的視野のもとに、当該子どもにとって、また学級運営上より適切な方向としての結論をだすことを期待しているものと解されるところである(学教法のこの点についての規定は具体的に明確であるとは言いがたいが、右解釈の合理性については原判決の説示するとおりである。)。控訴人は、特殊学級への入級を義務づける実定法上の規定はないと主張するが、そのような直接的規定のないことは主張のとおりであるとしても、このことがその権限を校務をつかさどる校長に付与しているとの学校教育法の解釈と矛盾するものではない。

 

(三) このように見てくると、本件において、控訴人や両親が普通学級で教育を受けたい、あるいは受けさせたいとの強い意思を引き続き持って、これを希望してきたことは、前記(原判決引用)のように理解できないものではないが、留萌地方就学指導委員会の専門的検討判断を踏まえ、控訴人の障害の程度のほかに、同人の小学校並びに留萌中における一、二年生の間における授業の状況などを含めた諸般の事情を勘案のうえなされた被控訴人校長の入級処分をして違法であるとすることはできないところである。

 

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