「交流及び共同学習」では「インクルーシブ教育」は実現できない

「交流及び共同学習」では「インクルーシブ教育」は実現できない

障害者権利条約批准・インクルーシブ教育推進ネットワーク
(2010.10.18)

 

1.分けていることを問わずして、「交流」を評価すべきではない

 「交流はやらないよりやったほうがよい」と言われてきた。それは、分けられた側の子どもたちや教師からの要求からはじまったことであり、分けられている現状がある以上、そうせざるを得ないからである。しかし、分けていることを問わずして、「交流」を評価すべきではない。

 「適正就学」を盾にずっと子どもたちを分け続けてきた文科省が、こんどは「交流及び共同学習」を「インクルーシブ教育システム構築のための漸進的取組」だと言っている。以下、「交流及び共同学習」が障害者権利条約の言う「インクルーシブ教育」につながるものではないことを、その歴史的経緯から明らかにしていきたい。

 

2.原則分離の姿勢を貫き通してきている文科省

(1)分けたうえでの交流

  • 1961年

    「我が国の特殊教育」(文部省広報資料18)にみられる、障害児教育の二つの意味

    ○1障害のある子のための「能力に応じた教育の機会均等」○2障害児が普通学級にいることで、『障害の無い子の教育そのものが、大きな障害を受けずにはいられません。』障害児を分けることによって『普通学級における教師の指導が容易になり、教育の効果があがる』とある。

  • 1979年

    国際障害者年(障害者の完全参加と平等)を前に養護学校義務化
    「盲・聾・養護学校学習指導要領」に交流について記載される

    『児童又は生徒の経験を広め、社会性を養い、好ましい人関係を育てるため、学校の教育活動全体を通じて、小学校の児童又は中学校の生徒と活動をともにする機会を積極的に設けるよう配慮する』

  • 1980年

    普通学級に対しては、事務次官通達として「心身障害児理解・認識推進事業」を出し、交流教育の趣旨理解の徹底を促した。以後、研修会・啓発資料配布・研究指定校などに取り組む。
    文科省は研究指定校での成果をさかんに発表したが、日教組の教研集会などでは、交流を拒む子のことや問題点が報告されている。まさに「いっしょがいいなら、なぜ分けた」という障害児学級の子どもの声がそれを象徴している。また、交流教育の徹底などはされておらず、現場では「交流」をするかどうかは、担任教師に任されていた。交流を実施しないことで批判を受けることはなかったが、交流をより進めようとすると「行きすぎた交流」と批判され、時間制限がされていた。このことからも、文科省が本腰を入れて、交流に取り組んできたとは言えない。
    一方、保護者に向けては、障害児教育の正しい理解と適正就学のための啓発資料を毎年作成し配布してきている。

  • 1998年

    「小学校学習指導要領:総則第5 指導計画の作成にあたって配慮すべき事項」に交流について記載される。
    『小学校間や幼稚園、中学校、特別支援学校などとの間の連携や交流を図るとともに、障害のある幼児児童生徒や高齢者などとの交流の機会を設けること。』と、普通学級における交流の教育的意義が明記されたが、高齢者の交流と同じ扱いがされている。
     「解説」では、『障害のある幼児児童生徒との交流は、児童が障害のある幼児児童生徒とその教育に対する正しい理解と認識を深めるための絶好の機会であり、同じ社会に生きる人間として、お互いに正しく理解し、共に助け合い、支え合って生きていくことの大切さを学ぶ場でもあると考えられる。』とその目的が書かれている。内容として『直接的な交流(学校行事や学習を中心に活動を共にする)と間接的な交流(文通や作品の交換)』が紹介されている。
     指導要領に書かれたからと言って、現場に交流の強い指導があったわけでもなく、担任任せであったことは変わらなかった。

  • 2004年

    障害者基本法の一部改正において、「交流及び共同学習」が表記される

    「共同学習」は「どの子も分け隔てなく共に学び育つ」という「統合」の趣旨を踏まえたものとして提起されたが、これまでの「交流」と合わされて「交流及び共同学習」として表記された。

  • 2007年

    学校教育法一部改正  特別支援教育実施

  • 2008年

    「小・中学校新学習指導要領総則:第4 指導計画の作成にあたって配慮すべき事項」に個別指導計画の作成と交流及び共同学習について記載される。
    『(7)個々の児童の障害の状態等に応じた指導内容や指導方法を工夫し計画的、組織的に行うこと。(12)小学校間や幼稚園、中学校、特別支援学校などとの間の連携や交流を図るとともに、障害のある幼児児童生徒との交流及び共同学習や高齢者などとの交流の機会を設けること。』
    「交流」については、文言が「交流及び共同学習」に変わっただけであるが、個別指導計画の作成によって、目的や効果等が強調されるようになってきている。

 

(2)世界的な「統合」に対する動きに対して文科省が行ってきたこと

  • 1981年8月

    「文科省が中央心身障害者対策協議会の国際障害者年特別委員会に提出した文書」

    障害の重い子どもを小・中学校で教育することの問題点として、以下4点を指摘している。○1障害の重い子どもに対しては、小・中学校では、適切な教育ができない。○2一般の子どもたちの教育に支障が生じる恐れがある。○3多額の財政負担を強いられる。○4現行の特殊教育制度、ひいては学校教育制度全体の根幹に触れる大きな問題となる。

  • 1993年

    国連 障害者の機会均等化に関する基準規則

    役人を派遣し「規則六 教育条項 第8項」を入れさせ、特殊教育の必要性を訴えた。

  • 1994年

    ユネスコ サラマンカ宣言

    役人を派遣していたにも関わらず、文科省からはすぐには内容の紹介がなかった。また、同年ドイツが統合教育に変わったことも、文科省が公表したのは2年後だった。

  • 2008年

    過去2回にわたり国連の子ども権利条約委員会から、分離別学体制を改め、統合教育を進めるよう勧告を受けていた。それに対して、「交流及び共同学習によって、統合教育が進展している」と報告している。

     

(3)意味が変質して使われるようになった「共同学習」

 「交流及び共同学習」は2004年の障害者基本法の一部改正において、生まれた言葉である。その審議過程では、普通学級に在籍している障害をもつ子の存在が認められ、どの子も分け隔てられることなく共に学び育つためのものとして「共同学習」が提起されが、当時の政治状況の中で「交流及び共同学習」という形で表記された経過がある。付帯決議には、「分け隔てられることなく共に」という文言が残され、その趣旨から、「交流学習」と「共同学習」は、「分離した上でいっしょにおこなう学習」と「統合した上でおこなう学習」として、本来、別の意味を持つものであった。しかし、文科省は、障害者基本法の一部改正以降、「交流及び共同学習」として、一つの言葉として使うようになり、現在に至っている。

 文科省HP:「交流及び共同学習ガイド」によると

    • 障害のある子どもと障害のない子どもが一緒に参加する活動は、相互のふれ合いを通じて豊かな人間性をはぐくむことを目的とする交流の側面と、教科等の狙いの達成を目的とする共同学習の側面があるものと考えられます。「交流及び共同学習」とは、このように両面の側面は一体としてあることを明確に表したものです。また、この二つの側面は分かちがたいものと捉え、推進していく必要があります。
    • 活動場所がどこであっても、在籍校の授業として位置付けられていることに十分留意し、教育課程の位置付け、指導の目標などを明確にし、適切な評価を行うことが必要です。

 と解説されている。「分け隔てられることなく共に」として出された「共同学習」は、それまでもおこなわれていた教科における交流の意味に変質させられてしまい、分けた上でのそれぞれの教育課程における教科学習として位置づけられるようになったのである。つまり、「交流及び共同学習」は以前の「交流学習」となんら違いがないのである。そればかりか、新学習指導要領では、「教科の目的達成」までもが問われ、交流も「できる・できない」の評価のもとで行われるようになり、「できない」ことで更に巧みに分けられはじめているのである。

 

3.分離したままの交流ではなく、統合したうえで、必要な配慮と支援を

 「交流」のはじまりは、分けられた側からの、社会性や人間関係の豊かさを求めるものであり、本来は、「統合」に向かうべきものであった。しかし、文科省は一貫して「原則分離」の教育制度を変えず、国内外の「統合」の動きに対しても、積極的に関わろうとしてこなかった。にもかかわらず、「交流及び共同学習」の進展によって「インクルーシブ教育」が実現するかのように論じている。その論理が詭弁であることは、以上の経緯からも明らかである。障害によって分けた上で編成したそれぞれの教育課程の目的に見合った「交流及び共同学習」の進展は、結局、さらなる分離を進めていくことになり、インクルーシブ教育とは反するものである。
 障害者権利条約のめざす共生社会の実現のためには、「共に学び共に育つ」という根本的な教育の目的をたて、原則分離の教育制度を改め、どの子も普通学級に籍を置き、その上で、必要な配慮と支援をおこなっていくべきである。

 

 

交流及び共同学習は本当に共生社会に貢献しているの?
~アンケート調査の結果より(抜粋)~

 

 文部科学省は「交流及び共同学習は、障害のある子どもの自立と社会参加を促進するとともに、社会を構成する様々な人々と共に助け合い支え合って生きていくことを学ぶ機会となり、ひいては共生社会の形成に役立つ」としています。(『交流及び共同学習ガイド』文科省HPより引用 2010/8/5)そこで、インクルネットでは、交流及び共同学習の意義に関するアンケート調査を行いました。アンケートはインターネット及びインクルネットの賛同団体を通じて配布・回収(2010年8月15日~9月15日)。その結果、見えてきたことは以下の4点です。

 

1 「交流及び共同学習をして良かった」という意見

  • (交流学校の児童に)地域で声をかけられうれしかったと保護者から聞いた。(教員 特別支援学校)
  • 回を重ねる毎に、一緒に活動に誘ってくれたりと関わりが増えてきた。(教員 特別支援学校)
  • 児童が同世代の子どもとかかわるとき、教師には見せない楽しい表情をする。(教員 特別支援学校)
  • 車いすの子でも、学校生活が送れることを、子どもたちや父兄にもわかってもらえた。(保護者)
  • いろんな行事に参加できるよう、学校全体で考えてくれた。(保護者)
  • 普通校という世界を知らない生徒と保護者に、地元校での生活を垣間見させることができた。でも、相手校の生徒が遠巻きに眺めているだけだった。(教員 特別支援学校)

       

      → でも、これらは異なった学校にいるために起こるマイナス点(子どもや保護者が地域で知られていない、偏見がある、子どもたちや地域の学校が障害のある子への関わり方がわからない等)を補うものでしかないのでは?

 

2 交流及び共同学習は共生社会の「きっかけ作り」にはなるという意見

  • 形式的は年間行事としての交流は、きっかけ作りにはうまくやればなるかもしれないけど、実のあるものにはならないと思う。(教員 特別支援学校)
  • 交流及び共同学習ではやはり限界があり、共生教育の実現という目標は達成できないと思う。「やらないよりもやったほうがまし」(生涯の早いうちに「障がい」者と出会う、体験するという意味で)という程度だと思う。(教員 特別支援学校)
  • 現実の別学体制で限られた回数での交流では深まりは難しいと思う。だが、交流しないよりはしたほうが、お互いに理解し合うことで地域で生きやすい場作りや経験の広がりにおいては意味があると思う。(教員 特別支援学校)
  • 交流学級で、お客さん扱いになるのがほとんどです。(保護者)

       

      →共生社会を実現するかは疑問であるという声が多く見られました。

 

3 交流及び共同学習の取り組みは、障害のある子とない子が接することは日常的ではないことを子どもたちに教えてしまう

(1)障害当事者本人から

  • 長い学校生活のうち、一時期だけ交流及び共同学習をしても何の意味もない。(本人、特別支援学校卒業)
  • 特別支援学校から年に一~二回居住地交流をしていたが、近所の友達が作れなく遊べないから、一般学校に行きたかった。(本人、特別支援学校卒業)

(2)交流先の子どもたちの様子から

  • 交流先の児童の感想が、「(障害があっても)一生懸命生きている」とか「僕もがんばろうと思った」等が多く、そこで止まってしまうこと。(教員 特別支援学校)
  • いかにもその場限りの態度であったり、教員に言われて仕方なく介助などをしている場面に遭遇した。(教員 特別支援学校)

(3)結果として障害や違いを強調し、自然な人間関係にはならない

  • 何もやらないよりは少しでもやった方が良いのかもしれないと思う反面、特別支援学校の人たちと自分たちとは違う存在だと言うことのみ、強調されてしまう危険性を常に感じている。本来ならばあなたと一緒に勉強したり生活していたりしたかもしれない存在、同世代の仲間だという意識になるのか、疑問に思ってしまう。小中学校まで同じクラスであった同級生が、たまたま交流会で再会して、複雑な表情を見せていたのが忘れられない。(特別支援学校 教員)
  • 一つのきっかけになるかもしれないが、その学校で生活していないことは、ともに生き、いやなことも好きなことも共有できる人間関係にはなりにくい。どうしても表面だけの(形だけの)知識と理解になり、深い人間関係は築けない。(保護者)
  • 障害のある人は必ず誰か近くに世話する人がいるという印象を持たせやすい現在の交流では、取り出す発想を生むが、「ともに」という考えが出にくいのではないでしょうか。(保護者)

 

4 交流及び共同学習ではなく地域の学校で日常的に一緒に過ごすことが共生社会につながる

(1)特別支援学校から地域の学校に転籍した子どもの保護者の回答から

 交流は年に3回。交流ではやはり「自分たちとは違う子」という意識が子どもたちにあったように思う。近づいて話しかけたりする子は1~2人で、本人に話すというよりも保護者に話しかけていた。
 地域の学校に転籍して普通学級で過ごすようになると、子どもたちは「自分たちの仲間」という意識で接してくれる。本人に話しかけ、車いすを押し、よだれを拭き、手をつなぎ、図工で作った作品をプレゼントしてくれた。誰かに言われたのではなく、子どもたちが自然にやっている。言葉によるコミュニケーションが苦手なうちの子を前に、子どもたちは会話をする。水筒を前にしてさわったら「お茶がほしい」。さわらなかったら「いらない」。うちの子がさわると「ほしいと言っているから飲ませてあげよう」という。子どもたちが日常を共に過ごしたからこそ成り立つ会話。
 交流では得られなかったこと。それは近所を散歩しているときに名前を呼んで駆け寄ってくれること、大きなお祭りの人混みの中で声をかけてくれること。地域にあるスーパーでじろじろ見られないこと。全て普通学級で過ごすようになってから得られたこと。
 兄は弟が自分と同じ学校に入ったことをとても喜び、また、弟の車いすを押し、二人だけで近所を散歩するなどしている。堂々とこの町で生きている。
 以上のことは、交流をしていた特別支援学校時代にはとうていあり得なかったことで、想像すらできなかったこと。日常を共に過ごすからこそ、「こういう時はこうなんだ」ということを感じ取れる。だからこそ共に助け合うことができるし、人権と個性を尊重し会えるし、共生社会の実現を目指すことができる。ゆえに、交流及び共同学習はインクルーシブ教育とは言えない。(保護者)

(2)交流及び共同学習をインクルーシブ教育へつなげる実践を

  • 数年前に担任していた児童のことであるが、6年間の居住地交流の結果、卒業に当たり交流校の友だちから一緒の中学校に行こうの一言で迷いが吹き飛び地域の学校に進学しました。その後も友だちの支えで苦しいこともあるが学校生活を楽しんでいる。とてもたくましく成長したし友だちもごく自然なことをして接しているように感じる。(教員 特別支援学校)

 

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初等中等教育局特別支援教育課

(初等中等教育局特別支援教育課)