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資料9:北住委員提出資料

(中央教育審議会初等中等分科会 特別支援教育の在り方に関する特別委員会 第3回会議提出資料)

重症心身障害児の教育への配慮とインクルーシブな教育について

平成22年9月6日.

委員 北住映二 (心身障害児総合医療療育センターむらさき愛育園長、
日本小児神経学会社会活動委員会副委員長)

 

 経管栄養や吸引、気管切開など、医療的な支援、医療的ケアを日常的に必要としながら在宅で生活する重症な子どもたちが非常に増えてきている。そのような子どもたちも含め、知的障害と身体障害を合併する、障害のとても重い子どもたちの教育への取り組みが、特別支援教育の体制の中で、学校スタッフ(看護師、教員)による医療的ケアの実施の全国化も含め、進んできた。それにより、医療的支援を日常的に必要とする子どもでも、家庭への訪問教育でなく、社会的な場としての学校に通学し教育を受けることもできるようになってきた。教育行政、学校現場、医療スタッフの、努力と連携の中で、このような取り組みが進められ、障害者権利条約の基本理念である、障害があっても地域で生活するということが、とても重い障害のある子どもにとっても、このような学校での取り組みによって支えられてきている。
 私は重症心身障害児施設の施設長であり、小児科医として外来で在宅人工呼吸器治療などの重症児から自閉症などの発達障害までいろいろな障害の子どもたちの診療を行い、また、複数の特別支援学校の学校医、医療的ケア指導医として教育の場にも直接かかわっている。このような立場から、重症心身障害児の教育へ配慮とインクルーシブな教育について、整理して述べさせていただく。

 

1.基本的なポイント

 重症心身障害児は、動くことや話すことが困難であるだけでなく、その多くは

  • 生きること、生活することそのものについて、様々な具体的配慮とかかわりを必要とし、
  • 身体的に辛い状態、生きることがおびやかされている状態であることを、感じることはできても、それを認識し言葉などで自分から伝達することが困難であり、
  • 周囲の状況などを敏感に感じとり言葉などへの一定の理解はできるとしても、一般の授業内容などの理解をすることに大きな限界がある。

 外国では、重度知的障害がある重症心身障害児は、「蘇生対象外(do not resuscitate)」のラベルを貼られ積極的治療の対象から除外されたり、学校教育の対象としての視野から外されている傾向もあるが、このような子どもたちに対して、日本においては、その命を守るとともに、教育の対象として正面から向き合い、学校での医療的ケアの体制の整備などにより、通学できる体制も整えられてきた。たとえば、東京都においては、今年度、都立の肢体不自由特別支援学校に在籍する生徒1890名のうち、重症心身障害児の中でも最も重いグループである超重症児準超重症児が380名在籍しその中で298名が在宅で、そのうち201名が家庭から特別支援学校に通学している。そのような子どもも含め627名が吸引や経管栄養その他の医療的ケアを日常的に必要としており、そのうちの429名が通学している。
 このような子どもたちに対して、障害者権利条約に謳われている生命への権利(第10条)、健康を享受する権利(25条)を守りながら、適切な教育が行われるためには、以下の点が必要である。

  • 学校での適切な空間的環境などの基礎的条件の整備
  • 充分な知識と技量を持った教育スタッフチームの配置、育成
  • 看護師と教員の連携を中心としての医療的ケアの実施の体制
  • それぞれの子どもが授業や活動に理解や共感ができて充実した時間を過ごせるための配慮

 

2.生きること、生活することそのものについての、様々な具体的配慮と支援の必要性

 重症心身障害児の多くは、体温調節の障害、生活リズム(覚醒睡眠リズム)の障害、てんかん発作、筋肉の過剰な緊張(強いそり返りなど)、感覚的な過敏さ、コミュニケーションの障害、呼吸機能の障害、食事や水分の摂取の障害、消化管機能の障害(胃食道逆流症等)などを合併している。これらの問題が相互に関連して悪循環となり、生命と健康を脅かしている。これらに対して、薬の服用など狭義の医学的治療では限界がある。生活や教育の場における、環境整備、適切なかかわりが、生命と健康を守り、最適な条件で教育が受けられるための基礎的な条件として必要である。

 

1)環境整備、食事などの、基礎的な条件の整備

○1 気温が高いと体温が38度以上まで上がり、気温が低いと34~35度の低体温となるなど、体温調節が困難である子どもが多い。これによる体調の悪化を防ぐために温度が適正に調整される環境が必要である。体温調節障害が強い場合は個室対応が必要な場合もある。カゼをひきやすく、痰がたまりやすく自分で排出することが困難な子どもが多く、空気の乾燥は痰の乾燥化や体調悪化をもたらすため、教室の加湿やネブライザー使用が必要である。

○2 車椅子に座っている時間は短時間にとどめ、床の上で体を伸ばして過ごすことが必要である子どもが少なくない。痰が排出しやすくし肺の換気を促進し呼吸状態を良く保つために、また、高率に合併する胃食道逆流症への対処のために、安全面に配慮しながら、腹臥位(うつぶせの姿勢)を一定時間取るようにすることが必要な子どもも多い。腹臥位を安全に快適に保つために高さや形をそれぞれの子どもに合わせて作った専用のマットを常時置いておくことも必要である。これらのために、安全性や保温性が確保できる床面と、それが確保できる余裕のある空間が必要である。

○3 生活リズム(覚醒睡眠リズム)の障害があり、学校で一定時間眠ることが必要でありそれが確保できないとてんかん発作や緊張の悪化、体調の悪化につながる例もある。過敏さがあり騒がしい雰囲気の中では落ち着いて過ごすことができない子どももいる。そのために、静かさを確保できる空間も必要である。

○4 食事を自分で食べられず介助されて食べさせてもらうことが必要であるだけではなく、摂食嚥下機能そのものの障害があるために、食事の介助方法や食事の形態が不適切であると充分な量が食べられなかったり、食事中の窒息や誤嚥を生ずるリスクの高い子どもが多数である。それぞれの子どもの摂食嚥下機能に合わせた適切な食事形態(ミキサー食やマッシュ食など)が提供されるよう、給食のハード面と体制の整備が必要である。

○5 経管栄養の注入などの医療的ケアは教室でも実施が可能だが、応急的な対応のできるような部屋の確保、ネブライザーなどの機器の管理する空間も必要である。

 

2)充分な技量と知識を持った教育スタッフの、チームとしての配置と育成

 子どもが教育を受けるための基礎的な身体的な面へのかかわりとして、学校スタッフには次のような基礎的な技量と配慮が必要とされる。

○1 それぞれの子どものその時の状態に合わせて、諸要因(呼吸が楽な状態で過ごすことができる、緊張が緩和される、活動が行いやすい、唾液の気管への誤嚥を防ぐ、唾液や痰ののどへ貯留を防ぐ、重症な子どもで合併しやすい胃食道逆流を防止できる、変形や拘縮を悪化させないなど)を考慮しながら、姿勢を適宜にかつ適時に調節し、車椅子や座位保持椅子だけでなく、抱っこや、フロア上の側臥位、腹臥位(うつ伏せ姿勢)などを、適切に安全に取らせる。

○2 筋肉の過剰な緊張に対して、適切に姿勢を調節したり、話しかけなどのかかわりにより、リラックスを図る。

○3 自分で訴えができない子どもからの、体調不良や辛い状態などのサインをしっかり読み取る

○4 窒息や誤嚥(気管に食物や水分が入ってしまう)を防ぎながら、食事や水分の摂取を介助を行う。

 教員が基礎的条件としての以上のような技量を身につけていくことは、机上の研修だけでは困難であり実習でも限界がある。重い障害にかかわる教員がその学校に複数でチームとして存在し、経験を積み技量を身につけた教員が、新任の教員に実際の場面で具体的な配慮の仕方や技術を伝えていく体制が必要である。

 

3)教員と看護師が連携しての、学校での医療的ケアの実施の体制

 痰の吸引、経管栄養の注入などの医療的ケアを必要とする在宅の子どもたちが増加しつつある。この子どもたちが通学できるためには、上に述べたような配慮とともに、学校スタッフ(看護師、教員)が医療的ケアを実施する体制が必要である。横浜、大阪、東京などいくつかの地域での実践と平成10年からの文科省による研究事業が行われ、その教育的意義が確認されながらその後の進展がなかった状況のなかで、私たちは平成14年に学校スタッフによる医療的ケアの推進のために小児神経学会として詳細な意見文を出し日本医師会や看護協会にも出向いて理解を求めるなどの活動を行った。その後、平成16年の厚労省での研究会の結論を受けて、全国的に体制の整備が進められてきた。
 私も学校の医療的ケア指導医としてかかわってきたが、このような体制が進むことにより、通学が可能になる(これは家庭だけに限られた生活から学校という地域社会の一つの場への通うことでもある)、医療的ケア以外の面でも子どもへのかかわり方についての学校スタッフの力量が上がる、学校のスタッフも共に関わることにより子どもの健康状態も改善する、家族の負担が軽減される、施設への入所が回避できるなどの、教育的・医療的・福祉的な意義が実現されるのを、多くの医師が実感してきた。
 特別支援教育の体制がある中でこのような取り組みが進み、障害が重い子どもでも、生命と健康を守りながら地域で生活することを支えるという障害者権利条約の理念が実現されてきている。
 この取り組みの中での基本的な点は、まず、学校に看護師を配置すること、教員も看護師と連携して、担当生徒のみについて無理のない一定の範囲の医療的ケアを行うこと、学校に医師が出向き指導医として教員等の研修にかかわることである。教員や看護師個人に委ねるのではなく、学校においてチームとしての体制がある中で、このような取り組みが進んできたという点が重要である。
 医療的ケアを要する生徒がさらに増えている。そして、気管切開や酸素療法を受けている子ども、人工呼吸器治療を受けている子どもたちも増加し、学校で対応を要する医療的ケアの内容はより拡大し高度化してきている。看護師の配置、教員による一定範囲の医療的ケアの実施、医師による学校現場でのサポート、学校でのチームとしての取り組みの体制などが、今後さらに進められる必要がある。
 知的障害を伴わない(あるいは知的障害があるが一定の授業が理解でき共感と参加感を維持できる)が医療的ケアを要する子どもでは、その医療的ケアが人工呼吸器治療など高度なものであっても通常学級での学習が選択肢として保障されるべきである。そのような場合も含め、看護師や教員とともに、パーソナルアシスタント的な在宅療育支援スタッフが学校でも医療的ケアを担うようにできるなどの柔軟な体制も考えられるべきである。小規模の特別支援学級での医療的ケアの在り方も、このような支援も含めた柔軟な体制が必要である。しかし、基本的には重症心身障害児の医療的ケアは、「生徒との関係性の深い教師と専門性の高い看護師が連携してかかわる、それが望ましい」という学校の看護師からの言葉に表されているような連携を基本として現在まで積み重ねられてきた医療的ケアの体制を基幹としながら、進められるべきである。

 

3.それぞれの子どもが授業や活動に理解や共感ができて充実した時間を過ごせるための配慮

    -重度知的障害への配慮

 2で述べた条件を基礎としながら、教育の本来の目的である、子どもたちのさまざまな能力を伸ばし、精神的な成長を促し、生きる力を培っていくことが、基本的で本質的な課題である。そのための充実した時間を学校において如何に過ごせるかが重要である。
 重度の知的障害を伴うと思われる子どもでも、感受性は豊かである。周囲が想定している以上に言葉や周囲の状況を理解している場合も多い。言葉自体の理解は困難でも、言葉かけのイントネーションや雰囲気などを敏感に感じ取り、理解し反応する子どもも少なくない。単純な音よりも一定のリズムやメロディーのある音を好む、大きな音よりきれいな澄んだ音に気持ちを集中させる、優れた演奏は静かに聴いていられるなど、刺激の「意味性」や「質」を敏感に感じ取っている。
 一方で、不適切な刺激や環境は、適応障害の状態をもたらす。周囲の状況が理解できない、授業や活動の内容がわからない、刺激が単純すぎるあるいは過剰である、などの場合に、防御反応・拒否反応としての眠りに入ってしまったり、強い緊張が出たり、不機嫌が続いたり、嘔吐、発熱などの身体症状を生ずることもある。
 また、重症心身障害児では、視覚障害や聴覚障害を合併していることが多い。
 このような状態の子どもたちが、学校で充実した時間を持ち精神的に成長していくためには、上記の2の2)に述べた以上の教員の専門性が必要とされる。そして、教育の場が適切であることが必要である。通常学級などの場で、授業の内容やその場で生じていることの正確な理解はできなくとも、その場の雰囲気を感じ、そこに共感し、参加し、充実した時間を過ごすことができる子どももいる。しかし、同じ場にいるだけで、授業が理解できず、共感や参加感も持つことができなければ、「共に学ぶ」ことにはならない。
 身体障害が重度なだけの子どもでは通常学級での教育が積極的に進められて良い場合がかなりあると考えられる。人工呼吸器治療などの高度の医療的ケアがあっても、その子どもにとっての負担が過度にならないよう配慮しつつ通常学級での教育が積極的に考えられることが必要である。しかし知的障害とくに重度な知的障害を伴う重症心身障害児の場合には、これと同列に考えられるべきではない。
 なお、2で述べた基礎的な配慮と、この3で述べた、教育としてのより本質的な課題は、障害の非常に重い子どもにとっては別個なものではなく、共通した教育的課題である。このことは、母親による次のような文章にも表されている。「今までは、痰がたまってくると、娘は授業へ集中できなかった。現在は、痰がからむと、先生が『○○ちゃん吸引する?』と問いかけ、娘の表情から『ハイ』のサインを読みとってから吸引を行い、呼吸が楽になってくると、『○○ちゃんすっきりして良かったね』と声かけする方法で行っている。こうして、医療的ケアを通しても、学習の課題である要求とか、ハイ、イイエの表出を学んでいる。」

 

4.「権利条約」に則り、インクルーシブな教育を進める場合の課題

 「障害のある人の権利に関する条約」に則りインクルーシブな教育を重症心身障害児について進める場合に、以上に述べたような配慮が、条件ないし課題となる。
 基礎的条件として、2で述べた配慮が必要である。この点への配慮が不適切である場合は、権利条約25条に謳われている「健康」が確保されず、さらには、10条の「生命に対する権利」が脅かされることにもつながり得る。
 3で述べた配慮は、「権利条約」24条においてインクルーシブな教育での目的や要件とされている、「人間の潜在能力並びに尊厳及び自己価値に対する意識を十分に開発すること。」「 障害のある人が、その人格、才能、創造力並びに精神的及び身体的な能力を可能な最大限度まで発達させること。」「各個人の必要〔ニーズ〕に応じて合理的配慮が行われること。」「完全なインクルージョンという目標に則して、学業面の発達及び社会性の発達を最大にする環境において、効果的で個別化された支援措置がとられること。」(訳文は川島長瀬仮訳による)のための条件として、より本質的な課題である。
 欧米では、通常学級の生徒数が1クラス20人台である中で、インクルーシブ教育が追求されている。1クラス20人前後の学級で、教育スタッフ数も充分で、通常の授業だけではなく様々な活動を組み入れ、集団活動と個別活動を柔軟に組み合わせたカリキュラムを組むことができ、それが高学年まで維持できるという体制でなければ、通常学級の場で、多くの重症心身障害児にとって、3に述べた配慮が満たされ権利条約24条の諸項目が満たされることは困難であると考えられる。

 

5.その他の課題など

1)教員の専門性と技量の確保、技量が継承されるような体制

 重症心身障害児の教育にあたっては、先に述べたような基礎的、本質的な面での教員の専門性、技量が必要とされる。これは現在も不充分である。このような技量は、講義や限られた実習だけで身につくものではない。先にも述べたように、重い障害のある子どもにかかわる教員がその学校に複数でチームとして存在し、経験を積み技量を身につけた教員が、新任の教員に実際の場面で具体的な配慮の仕方や技術を継承していく体制が必要である。
 また、このような経験と継承のためには、一定の期間が必要である。教員の異動までの年限が短くなりつつあるが、そのために、専門性を備えた教員が少なくなっている印象がある。特別支援教育における「質」の確保のために、教員の養成の課題とともに、教員のシステムが再考される必要がある。

 

2)地域の状況やその子どもに応じた柔軟な選択肢

 先に述べた配慮がなされることを条件として、柔軟な選択肢があって良い。都市部(人口密集地域)と地方(人口分散地域)での違いなど、地域の状況に応じた体制が取られ、できるだけ身近な学校で教育を受けられることが望ましい。しかし、身近で小規模になるほど生徒の集団としての活性が乏しくなり、また、教員のチームとしてのかかわりや専門性の確保が困難になりやすいという点が課題となる。
 子どもの状況、地域の状況(人口分散地など)によっては、比較的少人数の通常学級に一人の重症心身障害児が通学するという選択肢もあり得る。この場合に、特別支援学校の教員として経験を積んだ教員がその学校に異動しその子の担当となることが望ましい。このように、教員が実践を通して専門性を身につける(それを身近な地域での教育に生かしていく)場としての特別支援学校、特別支援学級という側面も重要である。

 

3)学校の、家族支援機能、地域生活支援機能-厳しくなっている家族の状況への対応

 重症心身障害児においても、ひとり親など、家族の状況が厳しくなっている子どもが増えている。介助されての食事に時間がかかる子どもで、家庭事情から朝にほとんど食事が食べられないままに登校してくる子どももいる。このような子どもの生活が支えるために学校が果たす役割は大きい。平日は学校の寄宿舎に泊まり終末は家庭で過ごすことにより、地域での生活が維持できている例もある。特別支援教育の中でチームとしての支援の体制が取れる中でこのような対応が可能となっている。学校が、開かれた場として地域のスタッフとも連携を取りながら、このような弱体化する家族機能への支援、地域生活支援を行っていくことも、今後の課題の一つである。

 

4)教育と医療の連携の課題、医療的ケア

 重症心身障害児だけでなく、教育と医療の連携の必要性は増加している。その中で、とくに、特別支援学校の校医の在り方など、学校にかかわる医師の専門性の向上や確保が課題である。

 

6.まとめ-特別支援教育の中で進められてきたことを継承しての漸進的な取り組みを

 インクルーシブ教育を進める場合、ハード面での整備(施設面でのバリアフリー化など)は、費用を要するとしても比較的単純な問題である。構造面でのバリアフリー化や単純な身体介護で対応できる身体障害だけの子どもでは、同じ教室で学ぶという意味ではインクルーシブ教育は本人や関係者の意欲とある程度の予算措置があれば可能であり、かなり実現されてきている。
 しかし、重度知的障害を伴う重症心身障害児の多くにとっては、40人学級制(35人学級となっても基本的には同様)など、現在の一般教育の枠組みや体制そのものが大幅には改善されなければ、その中でインクルーシブ教育の性急な実施を求めていくことは、トータルな面からは権利がむしろ阻害される可能性が危惧される。(これは知的障害児、「発達障害」児についても同様である。)
 国家予算との比率では先進国の中でも最低クラスである低い教育予算という経済的な枠と、40人学級という通常学級の枠という二つの大きな「枠」の制約の中で、不充分な点や問題点は多々あるにしても日本での特別支援教育が進められてきた。その中で、たとえば先にも述べたような医療的ケアへの取り組みや「発達障害」児への教育支援の前進などの、成果が得られつつある。
 今後、基本的な「枠」の大幅な改善を国民的な合意(その財源負担への国民的合意も含め)を得つつ図りながら、特別支援教育の中で進められてきたことのプラス面を継承し、マイナス面を検証し、問題点の改善を積み重ねながら、漸進的にインクルーシブな教育を進めていくことが、現実的で、子どもたちに対して責任を果たすことができる方策であると考える。

 

 

<参考>

全国重症心身障害児(者)を守る会機関誌「両親の集い」平成22年7月号
 座談会「障害者制度改革の動向と重症心身障害児の教育」北住発言記録(一部略)

 

 障害のあるお子さんの医療に関わる医師の集団として、小児神経学会という3000名以上の医師の集まりがあります。障がい者制度推進会議が5月24日にまとめられている第一次意見(素案2)を見て、私どもは非常に危機感を持ちまして、小児神経学会として緊急に要望書をまとめて推進会議に提出しました。その一部を読ませていただきます。
 「私たちは障害のある子どもも障害のない子どもも、地域で共に育ち、共に学び、共に生きることが大事であり望ましいことに異論はありませんが、『個人個人にあった、最も適切な教育の場が与えられ保障される』ことが重要であると考えます。インクルーシブ教育の性急な原則的な実施が求められることにより、現在の特別支援教育が志向している『障害のある子どもの多様なそれぞれの障害と一人一人のニーズに合わせた教育』が保障されなくなる可能性が危惧されます。また、現時点で、把握されている学級定数の問題、学級担任体制の問題、カリキュラムの問題、保護者と学校との間で頻発している諸問題の解決への見通しがないままに、インクルーシブ教育を中心とした改革案が実行されることになれば、特別支援教育のみならず学校教育全体の崩壊につながるおそれがあります。」
 これは実際の教育現場に関わっている医師が等しく思っている危惧であります。具体的には、通常学級で周りのサポートがとても良くて先生も理解があって楽しくしっかり学んでいる知的障害児のお子さんもいますけれども、なかにはイジメにあっていたり、不登校になったり、厳しい状況になっているケースもかなり見受けられます。それから発達障害児がクラスにいる場合、その方への対応が困難で学級崩壊につながってしまい、その結果、その子の親御さんが責められ、むしろ差別を生んでしまっているケースもありました。
 それから、この第一次意見というのは、今日の主題である重症心身障害のお子さんの立場に立っていない。特に知的障害と身体障害、両方重度である重症児のニーズの問題には立っていないのではないかと思います。医療的ケアの問題が出ましたが、知的障害のないお子さんの場合は、身体的に最重度であって人工呼吸器治療を必要としている場合でも、適切なサポートがあれば決して通常学級で学ぶことは不可能ではないし、そのお子さんにとっても不適切じゃないケースがかなりあります。一方で、やはり重度の身体障害もあってかつ知的障害も重いお子さんの場合には、お子さんにとってかなりつらい状況で学校で過ごさなければならないことも出てくると思います。生命維持だけではなく、そのお子さんが学校でどれだけ充実した時間を過ごせるかということが一番の基本だと思います。インクルーシブ教育を機械的に始めた場合に、そのような充実した時間をどれだけ過ごせるか。今の流れの中では、重度の障害と言っても自分で発言もできて、社会的行動もできる身体障害の方の主張が強いように思われます。自分の主張もなかなかできない、重度の知的障害があるためにコミュニケーション・表現ができない、そういうお子さんの立場に立って現実的な判断をしていくことが必要だと思います。
 例えば、第一次意見の素案2を見ますと、視覚障害・聴覚障害の場合には、特別支援学校に就学して、通常学級に在籍することを原則とするところからは外して考えるとされています。特別支援学校に就学し、または特別支援学級に在籍することができると書かれています。重症心身障害の場合も、多くのお子さんは、見る力がかなり弱く、聴く力も弱い、それからコミュニケーションの力も弱い、これはいわゆる視覚障害・聴覚障害の方と同質の問題を抱えているわけです。素案2では、障害の特性に合わせた対応ということを認めている訳ですので、重症心身障害の方もそのような対象として考えていただくことが論理的にも自然なことだと思います。
 障害の重いお子さんと言ってもそれぞれの方がいろいろなイメージを持つと思います。私も肢体不自由の学校に昭和56年からかかわって、いわゆる障害が重いと言うと重度の肢体不自由をイメージしました。その頃から単に身体障害が重いだけじゃなくて、重度の知的障害もある、それからさらには、単に移動ができないとか身体の動きが難しいということじゃなくて、生きることそのものに多くの支えを必要としている方に目が向くようになりました。具体的には、次のような状態です。自分で食べることができないだけではなくて、介助の仕方やタイミングを誤ると窒息や気管の方に入って誤嚥をしてしまう。食べることそのものも難しい。それから呼吸の状態も通常の仰向けの姿勢でいるとどんどん悪くなってしまう。車イスに長時間乗っていると悪くなってしまう。呼吸をすることも難しい。生活リズムがなかなか取れなくて無理に起こすとかえって具合が悪くなってしまう。それから体温の調節が難しくて、夏は体温が上がってしまって熱が出るし、冬は体温が下がって冬眠状態になって動かなくなってしまう。それから、しばしば痙攣が起きたり、始終緊張が強く反り返ってしまって、それによって呼吸も苦しくなって熱も上がったり…。
 障害が重度のお子さんというと、動くことができないだけと捉えられがちですが、生きていくことに多くの支えが必要で、また、辛い状態であってもなかなかそれを伝えにくいのです。一方で、診察の場面でも悲しいことを話すとボロボロ涙を流したり、音楽でも演奏が良いと静かに聴いているけれども、そうでないととたんに声を出したり泣いてしまったりというように、とても感受性が豊かです。自分からはいろんなことが伝えにくく、周りからもわかりにくい。そういう重症心身障害のお子さんは、生きることにもとても支えが必要です。教育の中で障害の重いお子さんを捉える場合に、たんに動けないとか、医療的ケアが必要といったことだけじゃなくて、生活リズムの問題、呼吸の問題、感受性の問題、コミュニケーションの問題といったことも、たくさんもったお子さんであるということをまず共通認識していただくことが必要だと思います。
 医療的な問題だけに限れば、今いろいろな手立てが進んでいますので、人工呼吸器を使っていても通常学級に通えたり、十分に楽しめる、学習もできるお子さんもいます。しかし、コミュニケーションの手段が乏しかったり、あるいは自分で表出できない場合には、かなり配慮しなければならないことがあります。医療的に重度であることが一つ大事なポイントですけれども、それだけではなくて、全体的にいろんな面でのサポートが必要で、そして子どもたちがもっている様々な感情を周りがきちんと感じ取れなければなりません。子どもたちが単に生きているだけじゃなくて、辛くなく生活できる。充実して生きていける。学校がそのような場であることが必要であると思います。
 年々このような配慮を必要とするお子さんがどんどん増えてきている状況の中で、我々医者の立場では命を守ることが一つは義務ですけれども、それだけじゃなくて、子どもたちが充実して過ごせることが命を守ることにつながると実感しています。学校に行って楽しく過ごせることで生活リズムができるし、教員の適切なかかわりの中で呼吸が楽になったり、命を守るためにも充実した楽しい時間を過ごせたりすることが大切だと学んできたところです。実際に多くの医師が、学校にいる時と病院にいる時の子どもたちの表情は全く違うと言います。病院では泣いてばかりいた子どもが、学校ではこんなに生き生きしている。写真を見せていただくことや、実際に医師が直接学校にいく機会がありますので、皆さん異口同音にこれは教育の力だと言いますね。適切な教育で子どもたちが生き生きとして人生を過ごせることに、我々医師も感動し、支えられて、医師としての仕事をしています。そういういい意味での相互作用が進んできています。十数年前であれば、医師も「こういう重い子はお家で無難に過ごしましょう」ということが多かったのですが、実際に診療をしながら学校での様子を見るにつけ、実感として感じていると思います。それからやはりご家族が大変ですから、医師は患者さんを支えるだけじゃなく家族をも支えるのも仕事です。その家族を支えるためにも教育の場で様々なサポートが必要だということを、我々自身も学んできました。その中で、以前は医療か教育かという言い方をされてきていましたが、医療と教育の連携というのは単なる謳い文句ではなくて、実際のかかわり方を通して我々医師もその大事さを思い、忙しい中でもできるだけ時間を割いて協力するようにしています。ですから先程示したような要望書も出します。今日までいい形で連携が進められてきました。それをよりしっかり推し進めることが大事なことだと思います。
 重症児の医療というのは、単に薬を出すとか酸素を入れるとかでは済まないのです。一つは食べることに関して、誤嚥や窒息をしないでしっかり食べる力をどう伸ばしていけるかということが健康そのものに関係してきます。それから呼吸を楽にするには、単に痰が多いから痰切りの薬を出すとか吸引すれば済むのではなく、呼吸が楽になるような姿勢をとるとか、痰を出しやすいように呼吸の介助をするとか、先生方の普段の教室でのかかわり、姿勢のとり方、介助の仕方など様々な支援の仕方が大きく影響してきます。そういう面では医療面の課題も、個別支援の中で細かに対応することが重要な要素をもってくると思います。
 医療技術が進歩してきて、いのちが守れるようになってきた結果として、大人の方も含めて重症の方が生きていられるようになりました。ただ、それを支える基盤というのが日本ではまだ充分ではありません。そういう意味では、医療技術の進歩が本当に患者さんや家庭にとってプラスになっているのか疑問を感じることもあります。まだ医療の進歩を支える基盤が乏しく不十分なまま、技術が進歩しているということでいくつか問題が出てきています。私たち小児科の医者も一生懸命頑張っていのちを守っています。けれども重い障害が残ってしまうことがあります。そういうお子さんがとても多くなり、学校の教育の場の対象となってきました。私たちは、そういう中で平成10年に医師グループで意見書を出したり、14年にも学会として意見書を出しました。一方で、後ろめたさがあったのは、われわれ医療の側がつくりだした問題の責任を、学校に、教育機関に負わせてしまっているということです。教育機関の方でも、医療的ケアの問題というのは、医者が助けておいてその後を教育機関に押し付けられても困るというのが、本音としてはたぶんあったのではないかと思います。それに対して、文科省を含め先生方がそれをマイナスではなくプラスとして対応してくれたことには大変感謝しています。
 そういう中で、我々がとても嬉しかったのは、先生が医療的ケアをお母さんや看護師の代わりとして、単に大変だからやってあげるということではなくて、教育的かかわりの一環として捉え、実感として伝えていただいたことです。これは実際に先生方からいただいた文章ですが、「自分から表現する力が弱い子ども達と接する私たち(教員)にとって、0歳からの発達を細かく見る力は子ども達への理解と共感を広げました。そして今、医療的な知識や医療的なケアができる力は、さらに子どもに対する理解を広げ、子どもと関われる場面を増やしてくれました。重症児のケアは重症児の教育において、子どもが大人への志向性を高めるというだけではなく、教師が子どもへの愛情を形成する基本になるものだと、あらためて思いました。私は、医療的ケアができるようになった結果、子ども達とより深く広く明るく接することができるようになりました。このことがとてもうれしいと思います。」医師として教育現場に関わってきて、現場からこのような声を伺ってとても嬉しかったですし、これはとても素敵なことだと思います。
 (大事なことの)一つは今までのお話したように、先生の個人の努力じゃなくて特別支援教育の中のチームとしてかかわることで、このような方がでてきたということですね。形だけじゃなくて実質としてもこのような内容が深まってきて、それが続けられているということに感謝したいと思います。
 それから、今どんどん在宅の重症のお子さんが増えています。文科省から公表されている資料によると、特別支援学校全体で、平成21年には、全国で医療的ケアを必要としている生徒は6981名います。施設や病院への訪問教育というのは約900名ちょっとですから、5000名以上の方が基本的には在宅ということになります。その中でも驚いたのは、気管切開のお子さんが1813名、人工呼吸器の方が720名、酸素療法の方も約1000名いるということです。これだけ重い方が増えています。これは医療的ケアの対象が進むことによって、障害者の権利条約でいう地域社会での生活が支えられている。これが大きな側面だと思うんです。私が実際かかわっているご家庭でも、学校での医療的ケアがきちんとできなければ、在宅は難しかっただろう、やむなく施設入所を選ばざるを得なかったであろうと思われる方がかなりいます。これは特別支援教育の体制が進んでいく中で、重い障害があっても地域で過ごすことが実現されてきているということだと思いますね。
 それから、医療的ケアが必要な方は難しいと思いますが、医療的ケアまでは必要ないけれどもかなり重度で発作もある、ただ寄宿舎ではある程度生活が可能な生徒さんがいて、私がかかわっている学校でも、寄宿舎があることによって、在宅での生活が保たれている部分もあります。やはり家庭の状態は今かなり厳しいですから。そのお子さんは、平日は寄宿舎で、休日は家庭でということがなければ、地域での生活は難しいだろうなと思います。今、予算の問題等で寄宿舎が減らされようとしている中で、寄宿舎と学校でいろんなサポートしてもらうことで、客観的には福祉的機能を果たしていると思います。
 医療的ケアもそのような役割が大きいと思います。「教育的に」が一番の主体ですが「福祉的に」も意義がある。特別支援教育の体制がきちんとある中で、そういった社会的な役割を客観的に果たしているところもある。もっと社会的に認識されていいと思います。インクルーシブ教育でたとえば寄宿舎がいらなくなったら、その辺の機能も失われてしまうと思います。ある程度恵まれた条件にあるお子さんに関しては、インクルーシブ教育で済む部分もあると思いますが、かなり厳しい家庭条件のお子さんもいらっしゃるので、今の特別支援教育のいい面、積み重ねてきたものが失われないようにしてほしいと思います。
 もう一つ、医療的ケアの問題で大事なこととして、ある意味では生活行為として教員ができる範囲を広げていく部分も必要だと思うのですが、ただ、やはり医療職のかかわりが必要だと思います。看護師さんもしっかり配置する、無理が無い範囲は教員が行うという、いわゆる医療の専門職とそれ以外の人達の協働のいいモデルとしての役割を果たしていると思います。それがとても大事な点だと思いますね。
 ある看護師さんが、「生徒との関係性の深い教師と専門性の高い看護師が連携してかかわる、それが望ましい形だ」と。これは経験からそのような言葉で文章に書かれています。医療的ケアを行うことが教員の主な役割になってはいけない、あくまで補助的に、子どもへのかかわりの一つの手立てで、より生徒達の力を伸ばすことが主体で、その条件として医療的ケアがある。看護師の配置が進むにつれて、教員のかかわりが希薄になる傾向もあるのですが、一定の範囲は先生方もかかわってやっていただきたいと思います。
 医療職は必要です。推進会議の「医療に関する意見」を読みますと、今の議論というのは、まだ古いイメージの医療なんですね。実際には看護師さんも、病院とか診療所だけでなく、今は学校教育の場や福祉の場に入っているし、医師も単に診察室で見るだけじゃなくて、様々な場に入ってきている。そういう意味でも医療は支える役割を果たしてきているわけです。
 素案2の医療のところを見ると、「地域生活を容易にするための医療の在り方」の中で、「たん吸引や経管栄養等の日常生活における医療的ケアについては、その行為者の範囲を介助者等にも広げ、併せて必要な研修や手続の更なる整備等を行う」これはある意味で私は賛成です。ただ一方で、やはり看護職・医療職がよりしっかりかかわれる体制を一緒にしていかないとケアの質が保たれない。旧来の医療のイメージしかない中で周りだけができるようにするというのではなく、ケアの質を保つ、学校の医療と教育の連携、具体的には看護師や医者と教員が連携して進められたその内容が、地域の他の生活の場においても考え方としては受け継がれるべきだろうと思います。
 推進会議においても、障害者の権利条約の批准に向けてということが一番基本になっています。権利条約を読み返してみると、第二十四条の教育の項で「障害のある人が、その人格、才能、創造並びに精神的及び身体的な能力を可能な最大限度まで発達させること」。それから私達医師の立場で大事だと思うのは第十条の生命に対する権利で、「すべての人間が生命に対する固有の権利を有することを再確認するものとし、障害者が他の者と平等にその権利を効果的に享有することを確保するためのすべての必要な措置をとる」、特に生命を守るということが義務付けられている点です。それから、第二十五条の健康では、「障害のある方達が障害に基づく差別なしに、到達可能な最高水準の健康を享受する」とあります。
 要するに、生命を守る、それから健康な状況を保つ、これをしっかりと関係者と国は努力をしなければならないということですね。権利条約というのは単に差別撤廃を言っている条約ではなくて、どんな障害があっても地域で暮らすということを大きな目標にしながら、その中で命と健康を守り、かつ最大限に力を伸ばしていくという教育も謳われています。
 それからもう一つ子どもの権利条約(これはすでに日本は批准しているのですが)では、第二十九条で「児童の人格、才能並びに精神的及び身体的な能力を可能な最大限度まで発達させること」これが教育の目標として言われているわけですね。地域で暮らすということが大きな目標であっても、それとともにこのような命と健康を守る、それから教育で子ども達の力を最大限度伸ばすということが謳われています。
 したがって、これらの条約の内容に照らして考えれば、私は、それぞれの適切な場として生活の場や教育の場を分けること自体が差別とは考えません。同じ地域の中で場が分かれたり、あるいは一緒にしたり、それを柔軟にすることで、それぞれのお子さんの状態・状況によって、生命・健康の権利、それから最大限力を伸ばす教育というのも共に満たされるようにしていかなければならないと思います。

 

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-- 登録:平成22年09月 --