学校・教職員の在り方及び教職調整額の見直し等に関する作業部会(第7回) 議事録

1.日時

平成21年2月27日(金曜日)15時~17時

2.場所

文部科学省3階1特別会議室

3.議題

  1. 教職調整額の見直しについて
  2. その他

4.出席者

委員

小川主査、天笠副主査、石塚委員、植田委員、金井利之委員、金井洋子委員、川田委員、小林委員、曽我委員、角田委員、渡久山委員、根本委員、服部委員、若井田委員

文部科学省

玉井文部科学審議官、合田総括審議官、前川審議官、徳久審議官、常盤初等中等教育企画課長、関財務課長、濱口企画官

5.議事録

○ では、議事に入りたいと思います。

 これまで今後の学校の在り方、教職員の職務の在り方、そして教員の勤務の在り方、特に前回では勤務時間管理の在り方などについて議論してまいりました。今日以降、これまでの議論を踏まえて、教職調整額の見直しを含めて、教職調整額の課題について議論していきたいと思います。

 まず、今日の審議に当たって、主に資料1、資料2、つまり教職調整額の創設時における考え方が、三十数年たって、今日の時点でそうした状況がどう変わっているのか、何が変わっていないのか、その辺のところをしっかり最初に議論しておきたいと思いますので、この資料1、2に即してまず、事務局のほうから説明いただきたいと思います。よろしくお願いします。

○ 失礼いたします。それではまず、資料1をごらんください。

 この「教職調整額創設に当たっての考え方等について」というペーパーでございます。この制度につきまして、創設時においてどのような学校運営が望ましいと考えられたのか、またその考えをもとにして、教員の勤務を給与上どのように評価すべきであると考えられたかという点につきましては、人事院の意見の申し出に関する説明、昭和46年2月時点でございますが、これなどによりますれば、以下のように整理できるということで、その後、四角囲みで1ポツ、教員の勤務の在り方というのがございますけれども、全部で3つの柱に分けて、前後2ページにわたって整理をさせていただいております。

 まず1つ目の教員の勤務の在り方の中では、大きく2つございますけれども、(1)として職務内容。教員は、極めて複雑、困難、高度な問題を取り扱い、専門的な知識、技能を必要とされるなど、職務の特殊性を有しているという部分がございます。

 それとともに、学校の業務処理に当たっては、専門職たる各教員の自発性、創造性に大いに期待された。すなわち、教育に関する専門的な知識や技術を有する教員については、管理職からの命令により勤務させるのではなくて、教員の自発性、創造性によって教育の現場が運営されるのが望ましいと考えられたという部分が、まず1つでございます。

 それとともに、(2)放課後・夏休み等の長期休業期間における勤務についてでございますが、時間的拘束性の強い授業時間以外の、放課後や夏休み等の長期休業期間においては、この時間をどのように有効に活用するかということにつきまして、校長その他の管理職の承認が必要ではあるが、一般の行政職とは異なって、相当程度、教員の自発性、創造性に待つところがあると考えられた。

 そのため、放課後においては、校長等による承認のもとに学校外での勤務、例えば図書館での教材研究などができるように、運用上配慮することが適当とされた。また、夏休み等においては、研修(承認研修)のために活用することが適当であるとされまして、場所は自宅で行うことが想定されたというのがございます。

 そうした教員の勤務の在り方とともに、2ポツ目、次の裏のページでございますけれども、教員の勤務時間の管理の在り方につきましては、学校の業務処理に当たっては、先ほど申し上げたように、専門職たる各教員の自発性、創造性に大いに期待され、また、夏休み等の長期休業期間における勤務の実態という面においても、通常の指揮命令のもとで勤務する一般の行政職とは異なる面があって、一般行政職と同様の取り扱いとすることが不合理ではないかと考えられたわけでございます。

 で、教員の勤務時間の管理の在り方については、一般の行政職のように厳格な時間的管理を行うことは不適当であり、弾力的な取り扱いが望ましいとされたわけでございます。

 また、学校外の勤務については、管理職が教員の勤務の実態を直接把握することが困難とされました。

 ※にありますとおり、時間外における職務命令ということにつきましては、無制限な時間外勤務の拡大ということの懸念に対する歯どめという観点から、いわゆる超勤4項目が導入されたという経緯がございます。

 そうした1ポツ、2ポツがありますけれども、3ポツのところで、教員の時間外勤務等に関する給与上の評価の在り方ということで、教員には、一般行政職と同様の厳格な時間的管理を前提とはできないために、時間的計測のもとに支払われる時間外勤務手当制度はとりわけなじまないと考えられた。そのため、実際の労働時間とは関係なく一律支給の給与がふさわしいとされました。

 また、教員の職務と勤務態様の特殊性に基づいて、勤務時間の内外を包括的に評価するということが適当とされ、本給相当の給与としてこの教職調整額が措置されたという部分が、これまでの整理でございます。

 3ページ目、4ページ目につきましては、今申し上げたような、まさに人事院の説明がどうであったのかというものの、実際のものでございます。ここの中でも傍線を幾つか引かせていただいておりますけれども、教員の自発性、創造性に基づく勤務に期待する面が大きい、あるいは夏休みのように長期の学校休業期間があるといったようなことが指摘されております。

 そういったものの考慮によって、一般の行政事務に従事する職員と同様な時間的管理を行うことは必ずしも適当でなく、とりわけ時間外勤務手当制度は教員にはなじまないものと認められる。よって、勤務時間の管理について運用上適切な配慮を加えるということともに、教員の職務と勤務の態様の特殊性に応じたものとする必要があるということで、先ほど申し上げたような(1)の勤務時間管理ということであれば、承認のもとに、業務の種類によっては、学校外における勤務により処理し得るように運用上配慮を加えるですとか、あるいは学校休業期間については、教特法の規定の趣旨に従った活用を図ることが適当であるといったようなことが言われ、また、教職調整額の支給については、勤務時間の内外を問わず、包括的に評価し、俸給相当の性格を有する給与として支給ということがございます。

 あわせまして、4ページ目の職務と勤務態様の特殊性についてという部分につきましては、昭和46年9月当時の前文部省初等中等教育局長監修の解説によりまして、職務の特殊性とは何かということについては、マル1にございますけれども、ここにありますとおり、教員の職務というのは極めて複雑、困難、かつ高度な問題を取り扱う。したがって専門的な知識、技能というものはもとより、哲学的な理念、あるいは確たる信念、責任感を必要とし、その困難な勤務に対応できるほどに教育に関する研修、専門的水準の向上を図ることが要求されるといったような、職務の特殊性というのが記載されてございます。

 それとともに、2番目の勤務態様の特殊性の部分ということにつきましては、通常の教科授業のように学校内で行われるもののほかに、野外観察や修学旅行等、遠足、そういった学校外で行われるものもある。また、家庭訪間のような勤務もあるということの中で、勤務の場所から見ても学校内のほか、学校を離れて行われる場合も少なくないが、このような場合は管理・監督者が教員の勤務の実態を直接把握することが困難である。さらに夏休みのような長期休業期間中の勤務につきましては、児童生徒を直接指導するということよりも、研修その他の勤務が多いなど、一般の公務員とは違った勤務態様の特殊性があるとされておるところでございます。

 そういった昭和46年当時に整理されたものの、今申し上げた教員の勤務の在り方、それから勤務時間の管理の在り方、それらを踏まえた給与上の評価の在り方という点について、そのそれぞれの柱について、これまでこの作業部会においてご議論いただいた部分を、資料2というところで整理しておりますので、資料2のほうをごらんいただきたいと思います。

 資料2の「今後の学校の在り方等を踏まえた教員の勤務の在り方等について」ということの中で、まさに資料1に記載させていただいたような教職調整額の創設時において考えられていた教員の勤務の在り方等と比較した場合に、これまでこの作業部会においてされてきた議論等を踏まえて考えられるところの教員の勤務の在り方等との違いについては、以下のように整理できるのではないかということで、(案)という形でお示しさせていただいております。

 まず1つ目、教員の勤務の在り方の部分でございますけれども、職務内容の(1)の部分については、教員が極めて複雑、困難、高度な問題を取り扱うといったような職務の特殊性については、理念的には変わりがない。

 しかしながら、現在、学校を取り巻く状況の変化が指摘されていて、教職調整額の創設時に比べて、学校は、より複雑、困難、高度で、多様な問題を取り扱うようになってきている。例えば、食育や環境教育など多様な教育が求められていること、その他には、特別な配慮が必要な児童生徒が増えてきている、また家庭や地域の教育力が低下している、さらには精神疾患の教員が増えていることなど、現場が厳しい状況にあるといったような、もろもろの指摘がこれまでございました。

 このような状況に対処するために、教員個々人での対処、あるいは各教員の資質に任せるといったようなことには限界があること、しかし、教職調整額の創設時とは学校を取り巻く環境が大きく変化しているにもかかわらず、学校の組織運営体制や組織文化はあまり変わっておらず、こういった乖離が現在の学校の抱える問題を生んでいる要因の一つであると考えられるのではないかといったご指摘、また今後の学校の在り方としては、現実に立脚するだけではなくて、今後どのような学校であるべきなのかという視点で考えていくことが必要だといったような指摘がございました。

 また、さらに具体的なご指摘として、教員一人一人が学校運営に携わっているという意識を持ってもらって、学校全体として組織的に動く必要があるのではないかといったようなご指摘、また、さらには次、2ページ目になりますけれども、学校のシステムや業務のやり方を改善し、システムを変えることによって教職員の意識を変えていく必要があるといったようなご指摘もございました。

 また、学校の直面する課題に対して、学校の方針のもとに、それぞれの教員について適切な目標設定がなされ、組織として統一した対処ができるようにすること、そのほかにも例えば、授業準備などについても教員個人に任せるのではなくて、学校の方針のもとで、組織としての適切な関与のもとに行われることが求められること、学校の組織について、主幹教諭や主任などを活用して運営体制の充実を図ること、また、教員ですべてを抱え込むというのではなくて、各教職員がそれぞれの専門性を発揮して、適切な役割分担のもとで課題に対処すること、そして現在の学校が抱える複雑・困難な課題に対応するためには、スクールカウンセラー、特別支援教育支援員、理科教育支援員、学校司書など、専門的・支援的スタッフが担うべき業務が増大していること、また、学校に地域住民や保護者の協力は不可欠であって、これらの人材に学校に入ってきてもらう必要があるといったようなご指摘もございました。

 そういったことを考えたときに、学校の業務遂行は、教員の自発性、創造性に負うところが大きいけれども、現在の学校が抱える課題に適切に対応していくということのためには、各教員が組織の一員としてそれぞれの役割を担い、その専門性を発揮して、学校は教員以外の職員も含めた全体として組織的・計画的に運営される必要があるというのが、まず1つございます。

 教員の勤務の在り方という部分での大きな2番目として、(2)説明責任がその下にありますけれども、学校の組織運営の在り方については、公教育に対する地域住民や保護者からの要望が強くなっていること、また組織としての推進力や自浄力が求められていて、チェック機能や責任の明確化という観点から学校の組織運営を考えていく必要があるといったご指摘がございます。

 さらには、地域住民や保護者の信頼を確保することの重要性が高まっており、管理職として適切に部下職員の業務の状況を管理し、教職員の勤務の状況についても具体的に説明ができるようにしておくことが必要であって、その具体的な方策についても検討する必要があるという部分が2つ目としてございます。

 それから大きな3つ目として、放課後・夏休み等の長期休業期間における勤務という部分もございます。上記(1)のとおりに、放課後や夏休み等の長期休業期間における勤務についても、学校の方針のもとに明確な目標設定がなされ、組織の一員として勤務することが求められる。

 また、上記(2)の説明責任といったこととの関係でも、学校外の勤務も、管理職が実施の計画や報告を求めて適切にこれを把握し、進行管理することが必要である。

 現状におきましても、例えば特に研修につきましては、命令による校内研修や10年経験者研修などが充実していて、承認研修(特に夏休み等における自宅研修)は抑制的な取り扱いがなされているといったような状況の変化がございます。

 そういった教員の勤務の在り方に関する大きな柱が1つと、2番目は、先ほども見ていただいた教員の勤務時間管理の在り方という部分でございます。

 こちらにつきましては、上記1の勤務の在り方のところで見ていただいたように、組織的・計画的な学校運営を行うということのためには、教員個々人での対処や各教員の資質に任せて、組織としての関与について抑制的な対応をするということではなくて、学校の方針のもとで、適切な目標設定と進行管理がなされて、各学校の課題に対して組織として統一して対処できるようにするということが必要でございます。

 教員の勤務時間管理ということにつきましては、こちらに幾つかポツがございますけれども、ご指摘として、教員が心身ともに健康に働くためには、教員の勤務負担が軽減されるとともに、適切な勤務時間管理が必要であること、それから2番目として、管理職には、まず勤務時間管理が必要であるという認識をしてもらう必要があること、3番目として、勤務時間管理が困難であるからそれをしないという考え方によって、勤務時間管理が放置されてきたひずみが、今の状況ではないかといったようなご指摘がございました。

 これに対して、組織的・計画的な学校運営を行うことの必要性に加えて、今申し上げたような教員が健康的な生活を送れるようにするという観点からも、学校が組織として適切な勤務時間管理を行うことが必要であり、その具体的な方策について検討を進める必要があるという部分が2つ目でございます。

 それと、3つ目の教員の時間外勤務等に関する給与上の評価の在り方の部分でございますが、こういった上記1ポツ、勤務の在り方、2ポツ、勤務時間管理の在り方にあらわれておりますとおり、教員の勤務の在り方(勤務態様の特殊性)という部分や、教員の勤務時間管理の在り方が変化していることを踏まえて、教員の時間外勤務等に関する給与上の評価の在り方を検討する必要がある。

 また、教職調整額については、現在一律に支給されておるわけでございますが、ご指摘として、頑張っている先生とそうでない先生がおられる中で、同じ給与でいいのかどうかということが1つ、それから、メリハリある給与体系にするということは現場でも受け入れられるであろうということ、それから3番目として、今は勤務負担に応じた給与措置にはなっていない、教職調整額の廃止も含めて議論をしていかないと答えは出てこないといったような指摘もございました。

 次の4ページ目でございますが、さらに現状の変化として、平成18年に行いました勤務実態調査の結果から、残業時間の個人差というものが大きくなっていることも判明してございます。

 そういった中で、教員一人一人の実績を評価し、教員の士気を高め、教育活動を活性化する必要があるという観点から、一律の処遇ではなくてメリハリのある処遇とする必要があり、具体的な方策について検討を進める必要がある。

 備考として、その教員の勤務の在り方、時間管理の在り方、時間外勤務に関する給与上の評価を見直すに当たって、マル1、マル2として、学校の業務処理に当たって、各教員の自発性、創造性をどのように位置づけ、これをどう評価するのか、また、管理職の勤務時間管理の負担、部活動の取り扱い、持ち帰り業務の取り扱い、残業時間の縮減などの実施上の課題にどう対処するのかといったような論点について、さらに検討する必要があるということで書かせていただいてございます。ここら辺は、詳しくはまた資料4というところになるわけでございます。

 5ページ目以降につきましては、参考1として、まさに今まで資料のポツで申し上げたような、これまでの作業部会で出された関連するご意見というものを、教員の勤務の在り方関連ですとか、時間管理の在り方関連、それから給与上の評価の在り方関連ということで、5ページ目から8ページ目まで書かせていただいてございます。こちらのほうは、また後ほどご高覧いただきたいと思います。

 また、9ページ目以降をごらんいただきますと、参考2として、これからの教員の勤務の在り方等に関する中教審答申等ということで、関連のあるものを抜粋させていただいております。

 9ページ目のまず1つ目は、平成19年3月の中央教育審議会の答申における、「今後の教員給与の在り方について」という部分でございます。アンダーラインのところだけ申し上げますけれども、まず、教員給与をはじめとした処遇の在り方についての基本的な考え方ということの中で、いろんな状況の変化がありますけれども、教員の職務について見直しを行い、それぞれの職に応じた役割分担の明確化を図るとともに、学校事務の軽減・効率化または事務体制の強化を図ることなどにより、教員が子供たちの指導により専念できるような環境を整備していくということの必要性が指摘としてございます。

 またあわせて、その下になりますけれども、学校運営に係る業務が増大してきていることを踏まえ、新たな職の設置も含めて学校の組織運営体制の見直しを図ることによって、学校運営の効率化を進めていくことも必要ということで、主幹教諭等の話も出てくるわけでございます。

 また、その下の○のところでは、それぞれの職務に応じた、メリハリをつけた給与体系にしていくことが、教員が適切に評価され、士気を高め、また教育活動を活性化していくという観点から必要であるといったようなご指摘がございます。

 第二章のところでは、教員の校務と学校の組織運営体制の見直しということの中で、今いろんな職、教諭、助教諭、講師等が、子供たちの指導のための時間を十分確保できるようにするということが必要であると。

 あわせて管理職、校長、教頭については、学校組織のマネジメントをしっかりと行って、特定の教員の勤務負担が過重にならないように、教員の時間外勤務の縮減や勤務負担の適正化等を図る必要があるといったようなご指摘があるわけでございます。

 第三章のところでは、メリハリある給与の在り方ということの中で幾つかご指摘がございますけれども、先ほど申し上げたメリハリある給与体系にしていくということの中で、下のほうにございますけれども、1つには勤務実態調査の状況として、昭和41年当時の状況と比べて教員間の勤務時間の差が著しく大きくなってきているということで、差が広がっているというご指摘がございます。

 それとともに、その意識調査ということの中では、教員間の仕事量への負担感の差が開いているといったような実態もございます。

 こうした中で、10ページ目の一番下になりますけれども、教職調整額の制度と実態との乖離が進んできていることから、教員に一律支給されている教職調整額の在り方について見直しを行う必要があるというのが、2年前の19年3月の中教審でのご指摘でございました。

 また、関連するものとして、次の11ページになりますけれども、「学校の組織運営の在り方について(作業部会の審議のまとめ)」というのが16年12月の段階でございますけれども、こちらの中でも、個々の教職員の活動をより有機的に結びつけ、組織的な学校運営を行う体制を整えることが必要であると。

 またそのときに、下の段になりますけれども、学校の組織運営体制について検討する場合に、このような特質に留意しつつ、個々の教職員がみずからの職責を自覚しながら能力や個性を発揮するとともに、チームとしての力を生かしつつ、学校組織全体の総合力を高めるよう、組織として有機的な運営が行われる態勢をつくることが必要であるというご指摘がございます。

 また、最後の関連になりますが、次の12ページ目になりますけれども、平成14年における「夏季休業期間等における公立学校の教育職員の勤務管理について」ということの中で、初等中等教育企画課長通知でございますが、教員の勤務状況について、地域住民や保護者等に疑念を抱かれないことはもとより、この休業期間を教職員の資質向上等に有効に活用し、情報公開等においても十分理解を得られるよう、勤務管理の適正を徹底することは極めて重要でありますということを申し上げてございます。

 また、2ポツ目になりますと、教特法の第20条第2項に基づく研修、いわゆる職専免研修について、以下の点に留意をしつつ、その適正な運用に努めることということの中で、(2)の中では、当然のことながら、自宅での休養や自己の用務等の研修の実態は伴わないものはもとより、職務と全く関係のないようなものや職務への反映が認められないもの等、その内容・実施態様からして不適当と考えられるものについて承認を与えることは適当ではないこと、また、職専免研修を特に自宅で行う場合には、保護者や地域住民等の誤解を招くことのないよう、研修内容の把握・確認を徹底することはもとより、自宅での研修を行う必要性の有無等について適切に判断ということの中で、先ほどの抑制的な部分ということが出てくるわけでございます。

 以上が資料1、資料2でございます。恐縮でございます。

○ ありがとうございました。25分ぐらいの報告で、ちょっとお疲れかと思います。これまでの議論を踏まえて、教職調整額の課題について検討していくわけですけれども、これまでの審議の過程においても、教職調整額の課題を検討する際には、教職調整額が創設された当時の状況や考え方というのが、この三十数年間の時間の経緯の中で、教員の職務や職務の形態、ないしは学校をめぐるさまざまな環境というのが、実際どういうところが変わったのか、変わらなかったのかということをきちっとまずは議論して、その辺の共通認識を踏まえた上で、教職調整額の課題という次に入っていくべきだという議論も、いろんな委員の方から出されてきました。

 そういうことで、そうした教職調整額創設時の状況や考え方、また三十数年間を経て今日において、そうした状況や学校をめぐる環境というのはどう変わったのか、そうした比較の中で教職調整額の課題の整理というのを、次の議論を進めていく上で、少しまずここで最初にしておきたいと思っています。

 資料1、2に即してこれから議論していきたいと思いますけれども、この内容につきまして何か質問等があれば、その質問とご意見も含めて、一緒に出していっていただければと思います。大体40分前後、この討議に時間をとりたいと思いますので、よろしくお願いします。

 じゃ、どなたからでもどうぞ、ご自由にご発言ください。どうでしょうか。

○ 資料1の4ページのところです。マル1の職務の特殊性といったところで、そこの4行目、「このように教員の職務は一般の労働者や一般の公務員とは異なる特殊性をもつ職務である」といったようなこと、これは例えば一般の社会の認識とは、かなり表現もかけ離れているのではないかと思うんです。ほんとうにそう思われているかどうか。教員の職務が一般の労働者、例えば企業とか、あるいは公務員とそんなにかけ離れているとは考えられない。

 例えば三十数年前の一つの例で言いますと、教員というのはある意味では、大学を出ている高学習歴の集団というところがあったんですが、今はほとんどそういうことではなくて、学習歴で見ても教員の集団とは変わらないような状況、むしろ逆転するようなところもあるのではないか、そういう中で、教員の集団というか、学校に勤める教員だけが特殊な専門性を持つ職務だという認識にはなっていないのではないかということもあると思います。時代背景が違うということの一つの例として、学習社会、学習歴社会も変わってきていることもあるのではないかと思いました。

○ ありがとうございました。

○ 失礼します。今、委員がおっしゃいました、世の中の学歴平均が我々教員と同じである、そこはまことにそのとおりだと思います。実は我々が非常に困るのは――困るのはというのは、世の中が教員を見る見方でございますが、以前であれば、私の両親は小学校の教員をしておったという関係で、いろいろ昔からそういう話も耳にするわけですが、教員をちょっと高く見ていただける、一目置いていただける、その一つに学歴というのがあるんでしょう、そういうことがあったので、先生が物を言うとそれで終わりと。

 ところが今はそうでない。何をおまえみたいな者が言うかと、私も平気で言われます。非常に困って、教員が中に入っても問題が片づかない、おまえが何を言うんだという目で見られるというのは、非常につらいものがありまして、正しいことを言ったつもりであっても、そういう目でもって見ていただいて発言されると、もうほんとうに事が進まないという現状があります。これが1つです。

 それから別のお話ですが、今の資料1の3ページの(2)の教職調整額の支給にかかわるところで、「昭和41年度に文部省が行なった教員の勤務状況調査の結果その他を勘案して、俸給月額の4%とする」と、この趣旨がここにあるわけでございますが、おととし、18年になされました勤務実態調査の結果を見ますと、我々の残業の時間でございますが、昭和41年で月8時間が、平成18年では月34時間、4.25倍になっております。

 現在、財政の冷たい風が吹き荒れている中であえて申し上げますが、そういうのを考えれば私たちの調整額は、残業が4.25倍になれば当然比例して上がるべきものであろう、しかし今そのことがいろんな会議の中で、むしろ下げるような風潮で語られているというのは、私たちにとっては非常につらいことであります。

 一生懸命頑張っても、給料表自体も山口県も変わりましたし、実はこの4月から山口県の公務員一律、我々の立場で3%減が言い渡されました。3年間、山口県の公務員は、管理職はまだ4%、5%あるんでございますが、既に決まって、全員で耐えようじゃないかということで、私たちも公務員でありますから、仕方がないなと思いながらも、現実のつらい毎日の生活の中で頑張っておるのになぜという思いがふつふつと、なかなか口に出して申す者はおりませんが、そういうところがあります。

 戻りますが、数学的に考えれば、先ほど申しましたように、当時の41年からすれば残業もかなり増えている、比例して上がるべきものがなぜ削られようとしているのかというのは、素朴な疑問であります。

 以上です。

○ ありがとうございました。

○ ここに挙がっている昭和46年の時代の話と学校教育の理念、それから教職員の勤務の在り方、子供たちを育てるという教育の考え方自体は変わっていないと思います。ただ、やはり学校の位置づけが、コミュニティ社会がまだ小さくて、交通手段も少なくて、その地域の文化的な、または生活規範的な中心として学校があり、学校によりどころを求めていた時代、別な言い方をすれば、先生がそうおっしゃるならそうでしょうと判断していただけた時代、何か困ったら学校にみんな集まって、そこで意見交換をしたり、そこでもって場をかりて、さまざまな交流があったりという時代と今とは、決定的に大きく違うと思います。

 またもう一つの違いとしては、責任のとり方についてかなり現代になると厳しくなってきて、資料1の4ページ、勤務の態様の特殊性の中で、野外観察等や修学旅行、遠足などの学校行事ということが挙げられていますけれども、当時はやはり各家庭がそれぞれ海外旅行やそれぞれの地域にまたがって旅行するということができていませんでしたので、学校がその役を担っていたわけですが、現在では学校がそれをやるときのリスク、それから学校がやるために費用が少し高くなる、社会の中で個人で時間や場所を選んで行ったほうが割安になるというような背景もあり、学校がまとめて修学旅行や野外観察に行ったときに何か起きた、昭和46年当時でしたらいろいろお世話になりましてということだったと思いますが、今ではその責任はだれにある、その補償はどうなるというような、学校としては何ら変わっている、新しい理念や新しいことをやっているわけではないのですが、社会での位置づけが随分と変わってきた、ここのところにこの教員の時間外の考え方、それから評価の在り方、またその当時あった、学校が地域の中心としてあった時代よりも、もっと学校の役割、先生方の仕事の在り方を限定していかないと、やり切れなくなってきているということがあると思います。

 以上です。

○ ありがとうございました。

○ 今の学校がどう変わってきたか、今後どうあるべきかというのは、資料2の2ページの真ん中ぐらい、説明責任と書いたその上に、よくまとめられているんじゃないかなと思います。教員の自発性、創造性に負うところが大きいが、現在の学校が抱える課題に適切に対応するためには、要は組織的・計画的にやる必要があると。自発性、創造性に期待する面というのは変わらないと思います。

 ただ変わってきたことは、学校が変わってきたと思うんです。子供の質が変わってきていますので、つまり子供の発達のひずみみたいなものをみんな学校に持ち込まれていますので、複雑、多様、それから幅広い専門性を求められているというところは変わってきていると思います。

 その一方で説明責任を求められていますので、昔のように一人一人の教員がばらばらに対応していては対応し切れないと思いますので、その点、組織的・計画的にやっていかなければならないというところが大きく変わったところではないかなと思います。ただ自発性、創造性に期待する面は変わらないと思います。

 以上です。

○ ありがとうございました。

○ その当時、昭和41年から46年のところ、あるいはその前、教員は実態として超勤がありながら超勤手当に対して何も支給されていない、それが背景にあったんです。ですから超勤訴訟というのがずっと起こっていて、行政側はやっぱり事実超勤がありながら手当を出していないというのはおかしいじゃないかという話で、敗訴の状況がずっと続いているわけです。その背景からこれができているんだけれども、そのときに、超勤手当を一切認めたくない、超勤を認めたくないという思想性がこの中にずっと入っているんです。

 ですから今最初の委員が言われたように、現在これを読むと、どこの国のものかなと思うぐらい現場離れしていますよね。今ごろ教員が労働者性を全く否定された勤務条件の中で勤務するということは考えられないわけですから、そういう面が1つあるし、また一般行政からあえて特殊性を強調したり、あるいは専門性を強調して、そのために、超勤は出さないんだけど4%ですよというような理論づけをしていこうとするところに非常に無理もあるわけです。

 ですから僕は、ここに活字になっているのが、あのときの状況の中で一応合意を得たものですから見ていいと思うんですが、そういうことから見ますと、今ありましたように、教員の自発性や創造性というのは、あのときだって今だって何も変わっていないわけです。いわゆる職務の特殊性というのは変わっていないんです。

 だがしかしそれは、今度は勤務時間から言えば、今は週40時間労働というのは決まっているんです。あのときはもう少し長かったんですが。しかしその40時間労働プラス超勤の考え方を勤務時間として見るのか、それとも特殊性があるからそれは超勤として見ないのか、この辺に問題があると思うんです。ここの46年は超勤と見ないわけです。だから勤務時間内で決められた管理時間を過ぎて教員が仕事をしても、これは超勤とは見ないというような原則に立ってこれができているわけです。しかし実際は超勤があるということが実態でありましたから、じゃ、それに対する手当として、41年の調査の結果、ほぼ4%に値するだろうと出ているんです。

 そのかわり、これはだから非常に難しい理論じゃなくて、難しくしたのは、この調整額というのは調整手当、特殊勤務手当、期末・勤勉手当、寒冷地手当、それからまた退職金まで響くような手当になっているんです。今超勤でこんな手当はないですよね。超勤をした時間に対して、その労働の対価として払われるというのが超勤手当ですよね。しかしこれはそうなっていない。よくできているという言い方もありますが、その辺で、できたときに逆に非常に苦しいやり方で理論づけをして、これはつくられているわけです。

 ですから、私たちが今これからこれを吟味しようと思った場合、これだけではもうできないという実態があります。1つはまず、今の職務の特殊性自身に変わらない部分もあるが、超勤の実態は既にあのときの量、質とは変わってきているという現実です。これを踏まえてどうするか。

 しかしこれでも非常にいいのは、結局自宅研修とかいうのも認められているんです。今よりもある意味では教員の職務実態をとらえているんです。しかし最近は、夏休みも学校に出てこいとか、自宅での研修は認めないとか、そういう部分もないわけじゃないですから、今が悪くなった面もあるかもしれませんが、それはそれとして、結局この時代のものをやっぱりそのまま踏襲していくことはできないと思います。

 ですからそうであれば、教員の超勤というのをどうとらえるかです。果たしてこれのように、超勤があっても超勤とみなさないという考え方でいくのか、やっぱり超勤は超勤としようじゃないかと。だから、例えば40時間勤務にプラスアルファして超勤があるんだということであれば、それを超勤として認めて、それに対してどう措置するんだと。手当を出すのか、あるいはまた今のような本俸の何%でいくのか、それはまた別に考えることにして、やっぱりきちっとした超勤を認めて、その上に立っていかないといけないだろうと。

 ですからあのときの考え方は考え方として、一定の妥協案だし、あるいはそのときの一つの社会的な合意だったと思いますから、それは尊重しながらも、新しい現在の考え方というのは、先ほど委員からあったように、資料2の中で指摘されている状況というのをきちっと踏まえて、今後対応すべきじゃないかと思います。

○ ありがとうございました。

○ 失礼します。やはり昭和46年と現在とを比較する場合には、この背景としての当時の社会的、あるいは政治的、経済的な文脈というんでしょうか、そういうものとかかわりがあってこういうところが出てきたということについての読み取りは、必要なんじゃないかと思います。

 少なくとも明治以来、この時期までは、安月給の代名詞というのが教職についている人のそれだったんじゃないかと思いますので、この時点では教員の給与を改善していくというんでしょうか、言うなら上げていくという、ある種の社会的な合意形成というんでしょうか、そこまではちょっと言い過ぎかもしれませんけれども、そういう背景があったというのが、この昭和40年代から50年代の初めぐらいだったんじゃないかと思います。そういう文脈の中で、この種のことがいろいろ論議されたり、具体化されてきたんじゃないかと思いますので、そのところを除いてこれだけ見ると、で、これと今と比較すると、やや視点が平板過ぎちゃうんじゃないかなという印象を、まずは持ちました。

 それからもう一つは、そういう点では当時の勤務実態と現在の勤務実態、これはもう文部科学省から調査統計等も出ていますし、既に明らかなように、当時は比較的授業とか授業の準備にかかわる時間に相応の時間が確保されていたのが、現在の場合はむしろそこよりも、生徒指導ですとか、あるいはさまざまなもろもろの諸事務にかかるほうに、かなり時間が多く割かれていて、ですからその2つの勤務実態の調査からすると、明らかに教職の仕事の中身が随分様子が違ってきているということは、はっきりと言えることなんじゃないかと思います。

 そのよしあしをどう評価するかとか、あるいはそれをどういうふうに、この教諭の問題にしていくかというのは、これから議論を詰めていく必要があるところじゃないかと思うんですけれども、比較した場合にそういうことが言えるんじゃないかと思います。

 その上でもう一つは、教員の自発性、創造性ということと、組織として一体としてマネジメントを展開していくということを、二項対立的に位置づけるということは果たして適切なのかどうなのかということであって、組織として展開していくんであっても、そこには一人一人の自発性とか創造性というのは当然求められるわけでありまして、ですからかつては一人一人がそれぞれでやって、今は組織立って、こういう整理の仕方ということについては、もう一考私は必要なんじゃないかと。

 当然今でも組織的なマネジメントは必要ですけれども、やはりそれにも一人一人の自発性と創造性というのは要求されるわけですので、それがなくて組織のマネジメントというのはやはり問題だということですので、そこの点について、私はもう一度見つめ直してみる必要があるんじゃないかと思います。

 以上です。

○ ありがとうございました。

○ 既に多くの方がお話しされていることがあり、それから事務局のおつくりになられた資料は、大変コンパクトにまとめられているのかなと思うんですが、若干こういう点もあるんじゃないかなということをつけ加えさせていただければと思うのは、1つ目は、教員というものをヒューマンリソースとして見た場合に、やはり教職調整額をつくったころには、いわばレッセフェール的にみんなが自発的に、個々人が自由にやり、かつ保護者も地域社会もそれぞれに、普通にやっていれば4%程度の時間で済んだのが、今日では「共有地の悲劇」的みたいにいろんな方が勝手にいろいろ行動すると、膨大な負担を強いると。ヒューマンリソースの持続的な発展をむしろ阻害するような、危機的状況になっているんじゃないか。

 その意味で、自発性は大変大事なことは全然変わっていないんですが、何らかの調整をしないと、資源の枯渇ないし持続的維持が難しくなっているのではないかと。いわばレッセフェール的な、あるいは「共有地の悲劇」的な状態が起きているのではないかということが、ある意味で一番の違いなのではないか。それゆえに、何らかの時間管理とか組織的マネジメント、あるいは計画というものが必要になっているという状況がおそらくあるのではないかなというのが1点目であります。これは多くの方が指摘されていたことだと思います。

 それから2点目は、これには必ずしも触れられていないんですけれども、非常に大きな違いは、学校教育に関する大きな制度が変わっていまして、1つ大きなのはやはり国立大学の法人化ということが与えた影響、つまりこの教職調整額制度は人事院というのが出てきているということからおわかりのように、国立学校に関する問題から始まっていて、それが同時に連動して公立学校に影響するという制度が前提になっていたわけでありますが、それが大きく変わったということです。

 それから当時の――これは今日も教育公務員特例法はそうでありますが――公務員法は3本立てでありまして、国の公務員、それから地方の公務員、国、地方を通じる教育公務員という特殊な制度があったわけでありますが、これも今申しましたような形で、どうも国、地方を通じる教育公務員という概念が、事実上空洞化してきているということがある。

 それからそれに大きくかかわっているのは、地方分権改革というのが行われてきたということで、いわば国の制度がそのまま自治体、あるいは公立学校の教員の制度になるという保証はなくなったということです。なくなったらどうなるのかという具体的な立案がされていないというところで、ただとりあえず現状維持で来ているというところに大きな問題が生じているのではないかなと思います。

 その意味で、いわば教育公務員制度に関する正当性といいますか、レジティマシーをどう与えているのかというのがかなり変わったのではないかと。つまり今までは、いわば学歴が高いというのが一つの根拠だったかもしれません。専門職として教師だからという正当性、そしてもう一つは、国が決めたんだからという正当性で国立学校に準拠していればよかったのが、今日は、教員は専門的だからということでは地域住民はおそらくもう納得しない、それから国が決めたからという理由でももう納得しない。しかし、じゃ、どうするのかということについて答えが出せないまま、とりあえず現状維持の制度で来ているということではないかなと思います。

 そういう意味ではおそらく、地方レベルといいますか、自治体レベルでの政治的な正当性を与えられるような制度設計をしない限り、新たな形につくるのは難しいのではないかなと。今までは国の正当性、つまり人事院が言ったからということと、それから教員は特殊だという教職の正当性に支えられていたんですけれども、いずれも非常に今弱体化している。で、弱体化しているけれども、新たな制度設計のための正当性が与えられないまま、とりあえず今までつくったものを何とか、まさに耐震補強をしながら使い続けてきたということではないかと思うんですが、今回新たに情勢が変更したことを踏まえて行うのであれば、自治体レベルでの政治的正当性を反映できるような仕組みにしないとならないんではないかと。

 それはおそらく、何で最近夏休みとかに学校の教師が働けと言われるのかといえば、これは明らかに自治体レベルの正当性からいって当たり前の話でありまして、ほかの人が一生懸命働いているのに夏休みに遊んでいるように見えるというのが、おそらく正当性を持てない。そこを自治体レベルはみずから正当性を、うちの自治体の学校の先生は夏休みに休むべきなんだという意思決定をする場がないわけです。それは国で勝手に決まっていると。

 そうすると、いわば正当性の空白のまま、教員にしわ寄せをするような形になってきたんじゃないかと。そういう点が、今回やはり大きな変更の必要なのではないかと。いわば、教育公務員の制度に対する正当性を与えるような制度設計をする場が失われているにもかかわらず、それを補強してこなかったということなのではないかという印象を持っていますというのを、ちょっとつけ加えさせていただければなと思います。

 以上です。

○ ありがとうございました。

○ どっちかというと資料3のところに関係あるかなと思っていたんですが、委員から関係する話が出ましたので、その法律的な面から見た教職調整額の性格ないしは位置づけ方に、ちょっと整理し切れていない点があるということを確認しておく必要があるのかなと思います。

 どういうことかといいますと、資料1の例えば2ページ目の3の2番目のところに書いてあるように、基本的には勤務時間の内外を包括的に評価すると位置づけられて、だからこそさっき出てきたように、諸手当へのはね返りもあるというような制度設計になっているわけですが、他方でもとになった給特法を見るとというか、いわゆる超勤4項目に関連する規定の中では、それ以外の超過勤務については命じないものとするという形で、いわば時間外勤務がないかのような言い方もしている。

 時間外勤務がほんとうにないとすると、それに対する対価ということもあり得なくなるわけで、そういうところ、それが1つと、あともう一つは逆に、額の決め方のところではさっき言いましたように、当時の平均的な時間外労働に見合った額という決め方をしていて、そういう意味では、むしろ時間外労働の対価という意味合いも持っているのかなと、幾つかおそらく多面的なとらえ方がされていた、法律的にはそう言えるということを認識、確認しておくべきなのかなと思いました。

 その上で、それに対するその後の動きということで言うと、労働法的な観点から言いますと、今言ったような、十分に整理し切れていないようにも見える状況の中で、結果的に健康確保なら健康確保という観点から、勤務時間の長さそのものをコントロールするという機能が相対的に弱くなってしまっているのではないか。

 これはちょっと教職調整額とは直接そのものではないのかもしれませんが、そういう中で当初、少なくとも制度上想定されていたよりは、多分時間外に行う仕事の中で、教員に実質的に見て拘束がかかるような形で行われている。ほんとうに自発的にやっている、やらないということも選択できるというものではない、もう少し拘束がかかっているような働き方が実態として増えてきているということ、これも出てきたと思いますが、実態調査等から確認できているということなんではないかと思います。

○ ありがとうございました。

○ 今まで出てきたことでほとんど尽きるんだと思いますけれど、私は1つ、自分が校長だったという立場から考えて気になるところがあるんですけれど、絶対量はとにかく変わってきていないんだ、むしろ今現在のほうがいろんな問題の状況が多くなってきて、やらなきゃいけないことが増えている、これはもう、この前のものと今回のこの資料2と比べたときに、きちっと整理ができていると思うんです。

 それを解決するのは、最後の言葉で「組織的・計画的な学校運営を行うこと」であると、この一言で書かれているわけです。確かにこれを言われれば、それこそ天下ご免じゃないけれども、もうそれ以上言いようがないような感じがするんですが、実はこの組織的・計画的に行うということが、そんなに簡単にできることじゃないんだと。校長のリーダーシップを発揮して、組織的・計画的に行うんだという論理の脈絡になっていくんだけど、必ずしも校長のリーダーシップだけでそれがすべて賄えるかどうか、完結できるかということになると、これはもっと校長、しっかりしろよということになるかもしれませんけれども、それだけではいかないんじゃないか。

 それで現在学校運営が、校長と、それから副校長だとか、あるいは主幹だとか、そのほか鍋蓋のつまみの部分を長くして、少しずついわゆる学校運営がスムーズにいけるように、組織的にいけるようにしているんだけれども、それでもそんなに簡単にはいかないだろうと思っています。ですからこのきれいな耳ざわりのいい言葉だけで解決をするという形、だから、もう調整手当は要らないよ、あるいは超過勤務手当をやるにしたって、そんなに上限があって出ないんだよという論理には、私はならないのではないかという感じがします。

 ですから私が言いたいことは、もう少しその組織的・計画的な学校運営ということについて、きちっとこういう手だてを講じれば、組織的・計画的な学校運営ができるんだということ、校長のリーダーシップという言葉だけで片づけないで、何とか検討していく必要があるんじゃないだろうかと思っています。

 もう一つ、小学校ではやっぱり女性の教員と男性の教員という、なかなか解決できない問題がありまして、正直言って女性の教員が7割から8割ぐらいいて、その女性の教員によって学校が支えられているという部分が現実にはあるんです。そういうことについて、どうこれを組織的な、あるいは計画的な運営をしながら、時間数を削減したり、調整手当にかわる時間外手当でやれるようになるのか、ここら辺のところについては、小学校の特殊性ということを踏まえた検討がやっぱり必要なんじゃないだろうかと思っています。

 以上です。

○ ありがとうございました。

○ 資料1が教職調整額創設時の考え方で、資料2はその一つ一つに対して私たちが議論してきたことを整理していただいているわけで、非常によく整理されているなと思っております。

 ただ1点、資料2の(1)の職務内容で、「教員が極めて複雑、困難、高度な問題を取扱うことなどの職務の特殊性については、理念的には変わりはない」とありますが、私は職務の特殊性という言葉を簡単に使うのは非常に気になります。で、教員の職務の特殊性というのをあえて認めるとすれば、発達段階の違いはありますけれども、それは人間が相手であるということだと思うんですが、人間が相手であるというのは医者もそうですし、臨床心理士などのカウンセラーもそうですね。

 例えばカウンセラーを例にとりますと、やはり相手の心に寄り添いながら心理治療を行っていくという意味で、非常に専門的な学びを行って技術を修得して、カウンセラーとして活躍しているわけですが、教員も、1つは社会的なスキルを伝えていく、教えていくという側面と、その1個の人間としての子供の内発的なものを育てていくという2つの側面を持っていて、本来は高度の専門性を発揮すべき職だと思うんです。ですから私は、特殊性というよりも高度の専門性であると思います。

 その専門性を必要とするのは相手が人であるからであって、その人である子供たちも現在の価値観の多様化の中で非常に多様化していて、一人一人の教員が自分なりに対応しているだけではとても対応し切れない。つまり多様化している子供を相手にするために、自分のスキルアップをする上でも、個人的に資質向上、能力の向上を図るんではなくて、組織として組織的に今の状況を分析しながら、仕事を通して自分の能力を高めていくという必要性が出てきていると。そういう中で組織として動いていく必要性もあると思うんです。

 ですから、今まで例えば職務が特殊なので勤務時間の管理が難しいとか、職務が特殊なので勤務時間の内外の区別がつきにくいとか、いろんな場面で使われておりますけれども、私は職務の特殊性という言葉ではなくて、高度の専門性が必要とされているということではないかと思っています。

○ ありがとうございました。予定した時間を少しオーバーしていて、この今の柱、資料1、2に基づく議論、意見交換をそろそろ終わりにしたいなと思っていますけれども、この点についてまだご意見のある方がいらっしゃれば。ほかにどうでしょうか。

○ 先ほどお話がちょっとありましたけれども、特殊性というんですか、環境の変化等ありまして、資料2のところに今後の学校の在り方という形の表題になっておりまして、今後の学校の環境変化、どのようにこれから環境が変わっていくのかということもやはり加味して、この学校の在り方であったり、教育の在り方、勤務の在り方というのを考えていく必要があるのかなと思っております。

 特にベテランの先生方がこれから何年かの間で大量にやめていきます。学校の校務分掌自体を回していく中では非常にノウハウがあるわけです。教えるだけではなくて、学校の運営であったり、学級の運営であったり、そういうのも出てくると思います。また、免許の更新であったりとか、もしくはこれからもおそらく時数というのは増えていく、そういう形でどんどん変わってくると思います。そういうものを加味して、おそらく勤務の在り方というのを考えていく必要があるのかなと思っております。

 資料2の3ページ目のほうになりますけれども、先ほどお話がありました組織的・計画的な学校運営という形で、管理職の方、校長、教頭のリーダーシップというお話がありましたけれども、これは校長先生、教頭先生だけではなく、おそらく市町村も含めて取り組んでいかないと、学校の運営というのはきちっと回っていかないんではないかと思っております。ぜひともそういう観点でお話が進んでいくといいんではないかなと。

 以上です。

○ ありがとうございました。ご協力ありがとうございました。

 じゃ、資料1、2に基づく意見交換は、おそらく今後ともまた同じような課題意識に基づいた意見交換が繰り返しあるかと思いますけれども、一応時間もありますので、ここで打ち切らせてください。

 もう多くの委員のほうからも今日ご発言があったように、この資料1、2に触れられていないような新しい切り口でのご意見とか、さらにはこの1、2の内容をより深める形でのご意見も含めて、非常に当初予定していたように、やはり教職調整額創設時とは違った新しい状況とか、新しい課題ということが、今日生じてきていると思うんです。そういう点で、やっぱり教職調整額の制度の課題をもう一歩深めて議論していくべきじゃないかみたいな、大体そういう点での共通の確認というのはある程度得られたのかなと考えています。

 一応この1と2の議論を踏まえまして、次のテーマに入っていきたいと思います。資料3、資料4のほうをごらんください。一応今お話があったように、教職調整額創設当時の考え方、そして現在の状況、今後の課題、方向性、その辺の大きな違いというのはやっぱりあるんじゃないかということで、今ある程度の共通の理解を得られたと思いますので、そのことを踏まえながら、少し現在の教職調整額制度の課題について、次に議論を移していきたいと思っています。

 資料3、4について、これは事務局のほうからまたご説明ください。

○ 資料3、4でございます。

 まず資料3でございますが、「今後の学校の在り方等を踏まえた教職調整額の課題」ということで表題がございます。今までご議論いただいたような今後の学校の在り方等を踏まえると、教職調整額については以下のような課題があり、適切に見直す必要があるのではないかということで整理をさせていただいております。

 そのときの観点というのが、次の1ポツ四角囲みにありますけれども、2つ大きくあろうかということで書かせていただいております。まず、1つ目の組織的・計画的な学校運営の推進、教員が組織の一員として働くことという場面の中では、個々の教員の裁量を重視する教職調整額制度は、組織的・計画的な学校運営の推進の観点から以下のような課題がある。

 まずマル1として、給特法制定時の理念との違いということでございます。教職調整額は、学校の業務処理に当たっては、個々の教員の自発性、創造性に大いに期待し、教員に対する管理職による進行管理について、抑制的な取り扱いが望ましいという考え方に基づいて創設された制度である。

 しかしながら、現在の学校を取り巻く環境の変化に適切に対応するため、組織的・計画的な学校経営を推進していくことにより、教員個々人としても、学校全体としても、質の高い教育活動を行うことができるのではないか。

 そのため、組織的・計画的な学校運営に資する制度とする必要があるというのが、まず1つでございます。

 それとともに、マル2つ目として、超勤4項目と組織的・計画的な学校運営との関係ということでございます。いわゆる「超勤4項目」については、教職調整額制度により無制限な時間外勤務の拡大という懸念に対する歯どめとして創設されたものである。

 実際の時間外における勤務時間については、昭和41年当時と比べて明らかに増大しており、超勤4項目が機能せず、時間外勤務の拡大を招いているという批判もある。

 しかしながら、制度上は依然として、学校として必要な業務について管理職が時間外勤務を命令することができないために、組織的・計画的な学校運営を妨げている一面があるということも否定できない。

 また、次の2ページ目になりますが、現実には、教員は時間外において超勤4項目に該当しない業務についても多くの時間従事しているが、命令に基づかずに業務に従事しているために、当該業務についての責任の所在があいまいとなって、学校として責任ある対応がとりづらいという状況になっている。

 そのため、組織的な学校運営を推進するために、校長等が必要な業務と判断したものについては、時間外であっても適切に命令を出せるようにする必要があるというのがマル2でございます。

 そして、この3番目でございますが、学校として必要な業務に従事しても、その実績に応じて給与上評価されないという部分でございます。教職調整額は、各教員の残業時間の長短や、学校として必要な業務に従事したのか否かにかかわらず、一律に4%を乗じた支給がされることから、現在の教員の勤務実態とは乖離した制度となっている。

 そのため、学校運営への貢献などの実績を適切に評価できる給与制度とし、各教員の学校運営への参画意欲を高め、学校の組織的・計画的な運営に資する給与とする必要があるというものが、まず大きな1番目の組織的・計画的な学校運営の推進という場面での現在の課題ではないかというのが1つでございます。

 それから大きな2つ目として、その下になりますが、業務の効率化、業務の削減、教員の勤務負担軽減という場面でございます。教職調整額は、どれだけ時間外勤務の時間数が長くなっても一律支給であるため、時間外勤務の抑制につながらず、無定量な勤務を招いているという批判もございます。

 また、教員には時間外勤務の時間数に応じた給与措置である時間外勤務手当が支給されず、一律に4%を乗じた教職調整額の支給ということでございます。

 このような現行制度のもとでは、制度上、管理職は教員の時間管理を適切に行う必要があるものの、実態として管理職が教員の時間外勤務の状況やその時間数を把握する必要に迫られることが少ない。そういったようなことから以下のような課題があるということで、次のページにかけて、マル1、マル2と2つ挙げさせていただいてございます。

 まず、マル1の業務の効率化、業務の削減との関係でございますけれども、教職調整額が、時間外勤務の時間数が長くなっても一律支給であり、教員を勤務させることについて予算上の制約がないために、教員の時間外勤務を抑制することや、そのために業務効率化を進めていくインセンティブが働きにくい。

 そのため、教職調整額について、教員を勤務させることについて適切なコスト意識が働き、業務効率化を進める必要性が生じるような制度に見直す必要があるというのが、まずマル1番でございます。

 それとマル2、教員の勤務負担軽減との関係という部分でございますが、業務の効率化のインセンティブが働きにくいということとともに、教員の勤務時間管理の必要性が低いことから、管理職によって教員の勤務負担というものが適切に把握されず、教員の過重な負担が放置されるおそれがある。

 そのために、教職調整額について、運用上も適切な勤務時間管理が必要となる制度に見直す必要があるということが、資料3の部分でございます。

 後ろの、次の4ページ目以降につきましては、1月の第5回の作業部会においてご審議をいただきました、増大する学校業務に対応するための具体的な方策についてということで、今見ていただいたような柱に関連する部分として、組織的な学校運営の推進から、大きな四角、2番目囲みの多様な専用人材、地域人材の積極的な活用、その他、次の5ページ目にありますとおり、業務の効率化、業務の削減、教育委員会のサポート体制の整備といったようなことの中で、こういう方向性でということで議論がされた資料を、参考1として配付させていただいております。

 また6ページ目は、前回、第6回目の作業部会において、勤務時間管理ということの中で出てまいりましたが、今後の教員の勤務の在り方についてというところでお配りさせていただいた資料でございます。

 そこの中では、繰り返しになりますが、教員の勤務をめぐる状況ということで、いろんなデータが勤務実態調査の中から出ていると。授業を準備する時間が足りないことに関して「とても感じる」、「わりと感じる」ということも、小中学校でも非常に高い割合が出てございますし、教員の仕事についてはやりがいがあるということも非常に高いわけでございますが、その一方で、教員が行うべき仕事が多過ぎるということも、7ページ目の冒頭の円グラフになりますが、「とても感じる」、「わりと感じる」ということを合わせますと、非常に高い割合になっている。また、精神疾患による休職者の数というものも増加の傾向があるといったようなことでございます。

 そうした中で前回ご議論いただきましたのは、7ページ目のローマ数字2になりますが、今後の教員の勤務の在り方ということの中で、組織の一員として働く、授業を中心にして働く、勤務負担が軽減され、心身ともに健康な状態で働くといったようなことをご審議いただいたわけでございます。

 それとあわせまして、資料4でございますが、「教職調整額の見直し方策及び見直しに係る論点」ということで、これは裏表の1枚紙になってございますが、そのときに、過去の教職調整額の見直し等に関する検討会議の審議のまとめということの中では、「教職調整額制度に代えて時間外勤務手当制度を導入することは、一つの有効な方策であると考える」ということでご指摘がございましたけれども、その際に2ポツ目として、教職調整額の見直しに係る論点といったようなものが幾つか出されました。

 四角囲みにありますけれども、そもそも教職調整額の見直しということにつきましては、単に給与の問題にとどまらず、学校の組織運営、教員の勤務時間管理、教員の時間外における勤務の在り方などにも大きく影響する問題であると。そのため、教職調整額の見直しによる影響などについて十分に検討する必要があるということが言われたわけでございまして、括弧の中の参考で言われておるのは具体的な論点として挙げられたものでございますが、まず、教員の職務の特殊性ということで、教員の自発性や創造性に基づく勤務と、それに対する給与上の評価をどのように行うかなどについては、今後さらに検討を進める必要があるというのが1つ目でございます。

 その他、4つ挙げられておりますけれども、管理職の負担という部分で、部下職員の勤務時間を管理することは、管理職に当然求められることである。適切に勤務時間管理を行える体制をどのように構築していくのか、そのために必要な措置は何かなどについて、今後検討を進めていく必要があるというのが2番目でございます。

 裏をおめくりいただきまして、マル3として、部活動の取り扱いでございます。部活動指導については、それが学校教育上果たしている役割も踏まえ、その在り方について、今後さらに検討を進めていく必要がある。

 4番目が持ち帰り業務の取り扱いでございます。持ち帰り業務については、あることが前提になるというのではなくて、そのような業務がないことが本来あるべき姿であるという前提に立って、どのようにすれば自宅ヘの持ち帰り業務をなくすことができるのか、その方策について今後検討していく必要があるということでございます。

 そして最後に5点目、残業時間の縮減ということでございますが、教職調整額制度のもとで残業時間が増大していることは否定できない事実である。このような状況を踏まえ、学校業務の効率化などとあわせて、教職調整額制度の見直しに当たっては、教員の時間外勤務が抑制されるような仕組みとなるよう、今後検討していく必要があるということで、5点ほど具体的な論点として示されたというものが、検討会議の結果でございます。

 以上でございます。

○ ありがとうございました。今、資料3と資料4を一緒に事務局のほうから説明いただいたんですけれども、今日は残りあと35分ぐらいしかありませんので、おそらくこの資料3、資料4を一緒に両方議論するというのは、かなり時間的には難しいのかなと思っています。

 資料4で示された教職調整額の見直しの具体的な方策や、その見直しに係る論点、これ自体もかなり大きなテーマでして、おそらく次回以降、この辺については時間をかなりとって意見交換する予定でありますので、今日は残り35分については、基本的には資料3の今後の学校の在り方等を踏まえた教職調整額の課題、この辺のところを中心にして、その議論において、さらにこういう点での見直しの課題とか論点があるんじゃないか、そういうことで資料4にかかるようなことについても関係があれば、若干そこで出していただくということは全く構いませんけれども、基本的には資料3の教職調整額の課題のところで少し意見交換して、その完結する範囲でそうした見直しの方策とか見直しの論点にかかるようなことも、ご意見がもしも今日の時点でございましたら、当然つけ加えていただきながら意見交換をしていきたいと思います。よろしいでしょうか。一応そういう進め方をさせていただければと思います。

 ではどうぞご自由に。

○ 資料3のところに「増大する学校業務に対応するための具体的な方策」とあるんですが、学校でよく見ていると、1人の先生がさまざまな業務を複合的におやりになっている。例えば民間企業などであれば合理的に、やはりいろんな時間的なものを効率よく考えていくならば、例えば教諭の先生は子供にほんとうに勉強を教えるところに一点集中のようにきちんとし、それに対する研修もそのように行い、今度はそれ以外、子供を育成するさまざまな道徳的な部分は、また別の先生が業務をするというふうに分けていかないと、常にあれもこれも、つまり最終的にはその先生の子育て論において子供たちが育てられるという組織になってしまうんです。だから組織的にといいながら、そのクラスのその先生の子育て論でいろんな育て方になってしまう、ここを少し変えることができるならば変えていかないと、業務分業ができないんじゃないかなと思います。

 もう一点が、教諭というのは基本的に子供に勉強、知識を教える仕事をするのがメインであれば、この研修に関して、公的に研修する部分と自主的に研修する部分があります。公的にこれだけはやっておかなきゃいけない研修部分に関しては、命令ですから、ある程度の仕事として認める部分があるかもしれませんが、自己をもっと高揚するという部分に関しては、一般社会でも我々PTAの活動もそうですが、これは自分を高めるわけですから、自宅研修に給料が払われるというのは、あまり観念的に言うと理解が苦しい。やはり自己学習というのは自分で自己投資しているわけですから、そこもすべて先生には認められるんだよというのが、時代とともに違いになってきたんではないかなと。

 我々がPTA活動をするときに、報酬を伴うとは考えないわけですよね。これは社会ボランティアや子供たちのためにみんなが無報酬でやるという考え方で物事をやる。でもそれが先生方にとっては勤務となると、そこにまたPTA活動をやっていても若干違和感があったりする。それが勤務なのか、勤務じゃないのかが明快になったほうが、ボランティア同士としては非常にやりやすい。このような少し物事の分け方をきちんとしていくと、もう少しこの体制のサポートの仕方が見えてくるのかなと。

 私は持論としては、教諭はやはり学業に専門して知識を子供たちにしっかり教える部分、だからそれ以外の子供を育成する、そういうさまざまな精神的なものは、サポートとしてどれだけ、社会を受け入れながら学校マネジメントができるか、それが有料で人材を配置しなきゃいけないのか、ある意味において社会のボランティアにすがることができるのか、この辺もきちんと考えることができれば、かなりいろんな見方で学校を変えることができるのかなと思います。その後は論議だと思います。

○ ありがとうございました。

○ 先ほど資料2のところで、実態がある程度出てきたと思うんです。それを踏まえながら、もう少し平成18年の文部科学省がされた実態調査、僕はあれに依拠してまず考えるべきだと思うんです。要するに教員の勤務実態、ほんとうに子供のために割く時間よりも、ほかのところに割いている時間というのが非常に多いわけですから、そういうことにならないようにするためにも、今資料2にありましたような、幾つかの職員、支援員を配置する、また、この間発言があったように、学校事務職員が分担し得る事務については分担するという形での改善もあるわけです。

 そういうことも一つ提起されていますが、資料3、あるいは資料2もそうなんですが、ただここで、これはいいことかどうか、この超勤4項目や教職調整額制度があったために、管理者がどうも時間管理を怠ってきたという感じのものもあるんです。これはこっちにも管理者卒業生がたくさんいらっしゃいますから。事実今もいらっしゃいますか。それはほんとうかなと思うんですが、ただ学校現場が超勤を含めて、あるいはまた今の実際の執務時間等を含めて、時間管理がされていないというのは実態なんです。

 ですからもしも超勤実態に合わせて超勤手当を払うということを前提に考えた場合、やっぱりきちっとした時間管理というのをやらんといかんですね。これは管理者の第1の仕事になると思います。

 この間の玉川学園なんか、ここは民間なんですが、やっぱりタイムカードを入れて、勤務時間、退庁時間というのを明確にしている。そうすると、執務時間以外の時間というのはそこから出てくるわけです。そうすると、これが校長が命令した時間なのか、あるいはそうじゃなくてやった時間なのか。今、委員が言われたように、持ち帰りの時間は原則的に超勤とみなさないということであれば、実態として今の先生方は非常に大変なんです。大体採点はほとんど持って帰るんです。事件が起こるのも、大体持って帰ってコンピューターが盗まれたという事件が起こっているわけですから。そういうことですからこっちにも書いていますように、事実超勤持ち帰りを少なくしようということがありますよね。

 だからもしもそうであれば、やっぱりその方向というのは非常に大事なことでありますから、私の感じとしては、ここに書いていますのは、教員の特殊性という言葉はどうかわかりませんが、ただ個々の教員の自発性とか創造性というのは学校現場では非常に必要なんです。それと今の組織的・計画的な運営とはバッティングはしないと思うんです。矛盾はしない。ですから教員の自主的、あるいはまた創造性というものが発揮できるような形の組織的・計画的な学校運営、学校経営とあっていいと思うんです。

 ですからそれはバッティングしないと思いますから、その辺はもう少し議論していくことにして、考えてみますとそういうことがあるんですが、ただこの3の中で、やはり今までのように超勤が実態として非常に多くなっている現状をどう打開するか。それは先ほどの4%の調整額からも乖離しているというのも記述のとおりでありますから、そういう意味ではこれを踏まえて改善すべきだろうと思いますが、もう一つ、この中に持ち帰りが4にありますけど、やっぱり教員のワーク・ライフ・バランス、要するに労働と生活とのバランス、これはもう少し考えないといけない。

 ある団体が調べた外国の教員の実態があるんですけれども、日本の教員は学校の時間を含めて、教育に割いている時間がすごく多いんです。ですからそういうことを考えてみると、この辺をきちっとしていかないと、今の超勤の問題についての最終的な結論は出ないような気がしますので、そういう形も含めて議論していただければと思います。

○ ありがとうございました。

○ 今、お話がありましたけれども、先ほどの私の発言が若干誤解されているとしたら、ちょっとそれを確認の意味で申し上げますけど、私は組織的・計画的な学校運営のもとに教員の自発性、創造性に期待しなければならないと、そういう意味で言っておりますので、決して矛盾するものではないと思います。

 今の発言に関連して、勤務時間の管理が学校はあんまりされていないんじゃないかという話ですので、私は現場ですので若干お話ししたいと思いますけれども、確かに勤務時間の管理は厳格ではありません。それはなぜかというと、決して勤務時間の管理ができないからじゃないんです。やろうと思えばできるんです。

 でもその後が問題なんです。じゃ、実態が把握できて現実が浮き彫りになったらどう対応するのか。校長は時間外勤務手当を払えるわけではない。人を増やせるわけではない。それから仕事も大幅に削減できるわけではないんです。これは教育委員会も同じなんです。そういうことでなかなか積極的になれなかったというのはあると思います。

 ただ労安法で、100時間を超えれば本人の申出で医師の面接指導を受けさせなければならないわけで、もう学校は、当然時間外勤務の管理、出退勤時刻の管理はやらざるを得ないと思っていますので、間もなくどこの学校でもやるようになると思います。

 で、問題といいますか、やっぱり今、教員の自発性、創造性を大事にしなければならない制度はどうあるべきかという話に結びつけないといけないと思いますが、そのためには教職調整額制度というのは、非常に私はすぐれた制度であるとは考えております。

 以上です。

○ ありがとうございました。

○ 先ほど来の皆さんの意見を聞きながら思ったんですが、資料3の1ページのマル1の給特法制定時の理念との違いということですが、これはこれからずっと先のことになるかとは思いますが、例えばまとめの文章として表記するときには、先ほど来各委員さんが言われたようなこと、制定時と現代との乖離というか、どこがどう違ったかということを、もう少し具体的に表記しないとわからない。例えば時代背景とか、あるいは社会的な基盤がどう変わってきたのかとか、さらには一般国民の学校教育に対する見方、認識とかいったようなことは、先ほど来いろんな委員さんが言われたようにいろいろ違って、時代背景が違ったとか社会が違ったというだけでは済まされない、そういうことを具体的に表記して、これはだれもが納得するような文面にしないとわかりづらいのではないかというのが1つです。

 それからもう一つは、この資料3の5ページのところで、ちょっと私は前にもこのことについてお話ししたと思うんですが、5ポツのところ、教育委員会のサポート体制の整備ということで、学校の組織運営を考えるときに、学校の組織運営と教育委員会の組織運営とは切っても切れないです。今、教育委員会の組織運営を考えたときには、教育委員会だけの裁量ではもう身動きできないような状態にあると思うんです。地方へ行けば行くほどそういう状況にあると思うんです。

 それは大きく言えば、日本の次の時代、次代を担う人材育成というような認識に立って、首長部局とどう連携して人材育成にかかるか、そういう認識を盛り込まないと、これは学校だけ、あるいは教育委員会、教育の問題だけということではもう済まされないようなところなんではないか。例えばこの5ポツのところにそういうようなことが入っていかないと、これは教員だけ、教育だけに働きかけても何も変わっていかないんではないかということを危惧するわけです。

 以上です。

○ ありがとうございました。今、委員から出た、教職調整額創設時のさまざまな社会、経済的な環境を、文脈を含めて少し正確に書いてほしいというのは、確かにそうだと思いますので、それは報告書の際には少し事務局の方とも相談しながら検討してみたいと思います。

○ はい。

○ ありがとうございました。

○ 組織的・計画的な学校運営、私もそういうふうに方向性としては思っているんですけれども、ただ、その場合に1つ認識しておく必要があるかなと思うのは、そもそもこの学校という組織の特性というのが、限りなく個業的な側面というのを非常に強く持っていて、それをある意味で抑制したり、そういう個業的な側面を共用に持っていく、そこに歴代の校長先生がマネジメントでご苦労されてきて、それが機能した学校と機能しない学校で、大きな全体としての成果というのが開いてきた、大ざっぱに言うとそんなとらえ方をしているわけなんです。ですから簡単にぱっと言葉とすると、組織的・計画的な学校運営なんですけれども、そのあたりのところの、まず学校の組織をとらえていく必要があるんじゃないかと思うんです。

 教職の世界では古くからもうご承知のとおり、学級王国という言葉もあるぐらいでして、先生方は自分の守備範囲とするところについては全力を傾けます。ですけれどもそれを超えたところについては、どちらかというと後ろのほうに引く、そういう気質というんでしょうか、あるいは組織の体質があるというところですので、そういう点でいくと、組織的・計画的な学校運営、ここのところがなかなかすんなりいかないというのが学校の持っている特質ととらえたいと思うんです。

 その上でもう一つですけれども、こういう組織的・計画的な学校運営というのと、個々のお一人お一人の先生方の働きがいというんでしょうか、あるいは教職員集団としてのモラルというんでしょうか、こういうものとがうまくセットされる、あるいはセットするようにしていくというのが、またマネジメントの一つ問われているところだと思うんですけれども、往々にしてその個々の先生方の働きがいというあたりのところというのは、うまく結びつけられないというのもまた一つであって、そういう点では、教職調整手当というのとそこら辺のところをどううまく織りなしていくのか、お一人お一人の先生方の働きがいということと、学校の組織運営というのをつないでいくような位置づけになればと思うんですけど、改めてこの辺のところも検討すべき課題という形の中に、また議論を必要とする課題という形で位置づけていただければと思います。

 以上です。

○ ありがとうございました。資料3中心と先ほど言って、資料4については、もしもその限りであればこの場でもご意見をという話でしたけれども、何か資料4のほうについては、かなり皆さん抑制されているのか、遠慮されているのかと、ちょっと聞きながら心配していたんですけれども、もしも資料4にかかわるようなこともあれば、自由に出していただければと思います。よろしくお願いします。

○ この資料3の2ページの一番最後のところに、「教員を勤務させることについて適切なコスト意識が働き」と、「コスト意識」というのがあるんですが、教員というのは非常にそのコスト意識が低いことは事実だと思うんです。やっぱりコスト意識をきちっと持たせるということが必要なんじゃないか。

 今のこの議論は、勤務時間の長さで規定をしているんですが、勤務時間というのは実は非常に個人差が大きいんです。例えば答案の採点をするのにしても、40人の採点を30分で終えちゃう先生もいれば、1時間、あるいはゴム印を押すのに10分間で終わる人もいれば、新卒なんかは30分も40分もかかってもきれいに押せないということがある。一生懸命集中してやる人とそうでない人もいるわけです。ですからこの勤務時間ということを単位に置くということが、何かごまかし、まやかしになっているような感じがしないではないんです。もう少し私は教育の事務ということに対して、科学的なメスを入れていく必要があるんじゃないだろうかと。

 例えば採点だって、問題によっても人数によってもいろいろ違うだろうと思いますけれども、これについては大体30分ですよとか、そういう数値的なものを入れていくことによって、どれだけの仕事量をしたのか、つまり時間量じゃなくて仕事量で測っていくようなことを導入していかないといけないのかなと思っているんです。

 この辺のところはそう考えていくと、例えば個人でできるものと組織としてやらなきゃいけないものがありますね。授業は絶対に教員は逃げられないわけですから、授業は絶対やります。それから会議だって、これは組織としてやっていかなきゃいけないわけだからやらないわけにはいかないけれども、校長さんなりなんなりが考えて、もっと精選したり少なくしていくことはできるだろうと思う。

 もうちょっと教員の動きだとか仕事の内容というのを、大ざっぱなとらえ方じゃなくて、一つ一つきちっと分析してみると、そんなにたくさんのものがあるわけじゃないんだろうと思うんです。個人でやるものと組織でやるもの、それから個人と組織の両方がかかわってやるもの、そういうことを分析しながら、もう少し科学的にメスを入れることによって、仕事量で評価していくという考え方を入れていくことが、これは40時間労働制の問題とどうマッチングするのか、なかなか難しいところだとは思いながらも、しかし何か漠然とこの勤務時間ということだけで評価していくところに、問題があるんじゃないだろうかという感じがするものですから、それが果たしてどのぐらいできるかわからないけど、もうちょっと教員の仕事というものを、単位時間とか、あるいは点数なんかで置きかえるようなことを考えてみる必要があるのではないだろうかと思いました。

 以上です。

○ ありがとうございました。

○ 資料3を含めて今まで全般的な議論が、「教員が」または「教員の」となっています。それで今回、この時間管理その他、校長さんの裁量、校長さんの管理ということが出ていますけれども、先般話題に出ました、やはり管理職側の勤務が長くなる、それについて管理が行き届かない。

 もちろん管理職ですから勤務の時間について裁量権が任されていて、あるわけですけど、だからといってフルに働き続けていいということではないわけで、自分の裁量で休みをとったり、時間を少し短くして、翌日の長い時間に充てるとかいうことが認められていると理解するわけですが、そういう中にあって、ここで皆さんで一生懸命議論してきている一方で、先生方の勤務時間を短くしたり負担軽減を図るために、教頭さんや副校長さんがそれを被るということになったら、またちょっと違うと思いますので、この中に1つ管理職のありようも検討されなければならないのかな、書かれていないと無理がくるかなとは思います。

 以上です。

○ ありがとうございました。ほかにどうでしょうか。資料3、資料4にかかわっても構いませんのでどうぞ。

○ 先ほどの話の中で、1人が仕事をする量という考え方、建築であれば1人工、2人工とか、それがいくら時間がかかろうと幾らですよと。じゃ、先生方がそれができるかどうかですね。1人工を何時間でもかかっていたら、これは今度は労働させ過ぎですよという問題で、幾らかけてもいいということにならないわけですよね。

 そうすると、先生方がもう少し自分が置かれている立場というのを考えないといけないのは、やはりある程度のことはある程度の時間でやるということ、ここをものすごく意識していただかないと、その作業量も分けられない、仕事の分業もできない。つまり先生方の今持っていらっしゃる現状認識を相当変えないと、この教職調整額を大きく改革しても教育改革ができるようには、社会と遊離しない状況にするには、なかなか厳しいものがある。

 だから量でもない、質でもない、今どのようにそれをするかというと、やる意欲を持たせるためにある程度の給料を渡すというなら、そこも一つの原則になってくるような気がするんです。じゃ、もらえばどんどんいつもそれで満足しない、次を要求するという形になっていくということもありますので、やはり社会の中で先生方がどれくらい今恵まれた職であるのかというのを、もう一つ僕は考えていただきたい。

 よく先生方とお話しするのは、先生方は民間企業の皆さんと違って、定年までずっと働けるという保証があるんですよと。この保証が社会の中でどれほど高価なものか。つまり民間の方たちは、いつ職がなくなるかもしれない、いつ失うかもしれない、いつどうなるかという、未来がいつも不安定な中で働いている。それが保護者の多くなんです。

 それから見ると、先生方がどれくらいうらやましがられているかということをわかって働いていただかないと、給料だけの論議をしていると、そのうちみずからの職業が失望感を与える職業になってしまいますよということを、よく飲みながらお話しするんですが、ここはとても大事なところで、量でやれるならこんな最高なことはないと。すごくわかりやすいんです。ぜひその辺を、現場にいらっしゃる方からちょっとお聞かせいただきたい。

○ 今ご指名がありましたけれども、どうでしょうか。

○ ご期待に沿えるかどうかわかりませんが、ちょうど2日くらい前に、本校の教頭から、うちの学校はどれくらい1年間に総額使っているんだろうというお話がありました。ちょうど私は、年度末ですので、1年間で人件費、市からいただくお金、保護者からいただくお金、その他の学校支援にかかわるようなお金という一覧をつくりましてグラフ化したものを、教頭に差し上げました。

 教頭と教務主任がそれを見て、人件費がうちの学校で約8割でしたので、おれたちはこんなにいっぱいもらっていたんだなという驚きと、総額でうちの学校は小さい学校ですので1億ちょっとでした。1億だとすると、生徒1人当たり幾らかかっているんだろうと。幾らかかっているからこれくらいの生徒を。これは今見えるだけのお金であって、その他補助金がさらにその倍はあるだろうということですので、これだけのお金をかけて1人の子を教育するんだという意欲を、もっと先生方に持たせなきゃいけないという話になりました。

 私は、市費と預かり金の比較、どれだけ保護者から負担軽減をすることが適切なのかという話し合いに持っていくのかなと思っていましたら、逆に人件費のほうに入りました。そういう資料を提供することによって、自分はこういう子を育てたい、こういうことをやりたい、だけど無制限に時間があるわけでもないし、給与も増えるわけではない、そこのところをよく考えて、先生方の来年度の組織を考えようということになっていきました。

 コスト意識を育てるという意味では、そういう働きかけが大きな働きかけになるのかなとは思っています。現場では、先生方はやはりコスト意識というのはなかなか、何もしなければ生まれることはないと断言したらしかられるかと思いますけれども、ないだろうなと思います。しかし働きかけによって変わっていきます。

 それと、校長先生方も教頭先生方も、ほんとうに勤務時間についてはすごく多くなっていくだろうと思います。先ほどのお話もありましたように、やっぱり管理職の方々の勤務時間、業務内容についても、ここで話し合うべきなのではないかと思っております。

 以上です。

○ ありがとうございました。残り10分ぐらいになってしまいましたけれども、資料3の調整額の課題と、またそれを踏まえて次回以降、少し時間をとって審議することになるかと思いますけれども、教職調整額の見直し方策、またその論点にかかわって、こういう点についてはどうなんだろうかということも含めて出していただければと思います。

○ コスト意識がなくなってきた一つの理由は、この調整額にもあると思うんです。幾ら超勤している人も何も超勤しない人も同じぐらい4%出るわけですから、できていない。それから時間管理が十分でないというのは管理職だけの責任でもないんです。それが学校現場の体制になっていますから、それはよくないですね。

 ただ問題は、私が感じるのは、ほかの外国なんかと比べますと、外国の場合は授業時間が幾らだと、それがコストになっているんです。一番大事なのはそれで、それに付随した教材研究というのが次のコストになっていますから、これが教員の給料の主な部分を占めているわけです。ほかのその他の業務については、手当が出るもの、出ないもの、あるいはやらなくてもいいものというのがあるわけです。

 ただ日本の場合には何でもかんでもやっているような感じで、お葬式以外は全部やるのが学校だとよく言われるわけです。だから今度の場合、非常に僕はいいなと思ったのは、こういうことを議論しながら教員の本務は何なんだ、本務にはどれぐらい時間がかかるんだと。その時間がかかることについて、1人1時間どのぐらいのコストで仕事をするんだということがやっぱり出てきたらいいなという気がして、今のコストの問題については1つ考えます。

 それからもう一つは、これは緊急な問題として、現状としてあまりにも超勤が多過ぎる実態なんです。この実態をなくしていかんと学校現場は非常に厳しいということが2つ目です。

 3つ目は、超勤をする人としない人の格差が十分現実にあるということです。ですからそれをどうするかというのを見ておかんと。ただそれを、長い時間やっている人は熱心なまじめな教員でと思うのはちょっとまずいんです。それだけにはよらないです。教育活動の質というのはそういう、ただ長い時間働いているからというだけではないので、やはりここに出てくる計画性や専門性、あるいは自発性や創造性、教員の特殊性というものについては、もう少し丁寧な議論をしたほうがいいんじゃないかと思います。

 以上です。

○ ありがとうございました。ほかにあと二、三ございましたら。

○ 資料3の2ページ目のところですか、2の業務の効率化、業務の削減の上のところになりますけれども、○のところですか、「学校運営への貢献などの実績を適切に評価できる給与制度とし」という形で、非常にこういう制度というのが望ましいのかなと思っております。

 そういう中で、教員自身にもやはり変わってもらわなくちゃいけない。前々回ぐらいですか、意識の問題というのが少しあったと思いますけれども、先ほどの教員の自発性であったりとか、創造性であったりとか、その個業的なところというのは非常に教員の方は強いと思うんです。ただし協業性というんですか、校務分掌の引き継ぎが弱かったりとか、授業の準備だとか、教材研究だとか、そういう資料関係の融通性が非常に薄かったりとかいうのが今、教員の現場の実態だと思います。ですからそういうところはやはり、1つ変わっていただかなければいけない点だと思います。

 もう一点は時間管理、先ほど管理職の話がちょっとありましたけれども、やはり積極的に時間管理の必要性を理解していただいて、出していただくというという環境も、考えていただかなければいけないと思います。おそらく今、大変だから、面倒くさいからそういうのをやりたくないというのが実態だと思いますので、教員自身がやはり意識を変えていっていただかないと、おそらく難しいのかなと。そういう中では、こういう実績を適切にという評価はいいのかどうかわからないんですけれども、そういうものに協力していただける教員の方というのは優遇されるべきかなと思っております。

 以上です。

○ ありがとうございました。

○ 失礼します。業務の効率化、業務の削減ということについて申し上げます。私は中学の一教諭であるというのはもう申し上げておりますが、とかく我々の現場では、みんながかかわるべきことなんですが、教務の仕事と生徒指導の仕事というのを大きく2つに分けることがあります。

 ポストによって当然分かれるわけですが、教務の仕事、例えば授業を組んだり、実習の監督を入れたりというのは計算ができるんです。ところが生徒指導の担当になりますと、24時間対応しなければいけない。生徒指導担当は諸問題の受付係、処理係とよう言われて、みんなで生徒指導はすべきですが、そのポストにいる者については計算ができない、予測ができない。特に荒れた学校と呼ばれる学校についておりますと、1つだけではない、2つ、3つが同時に重なってきて、ほんとうに心身ともに疲れる。もちろん解決したときにはすかっとします。そういうものがあって計算ができないものを抱えているというところは、ぜひご理解をいただいておかなくてはいけないと、私の立場で思いましたので申し上げました。

 以上です。

○ ありがとうございました。ほか、どうでしょうか。

○ 私はこの会とは別に、指導が不適切な教員に対する人事管理システムのガイドラインの作成にかかわってきたんです。いわゆる指導力不足教員です。学校の中に、そういう組織からはみ出した、指導が不適切な教員がいるということで、今議論されている学校の組織運営を考えたときに、そのガイドラインをつくるときの各委員さんの認識とか私自身の認識の中にこういうことがあったんですが、学校教育というのは、良好な人間関係に基づく信頼と尊敬を基盤として営まれるものであるということです。

 ただ、この組織運営を考えたときに、機械的に管理するという印章を与えるものではなく人間的な側面を資料3というようなところにどこかに盛り込まないと、何かぎすぎすしたような組織になってしまうのではないかということを懸念したものですから、何度も言いますが、学校というのは人間関係に基づく信頼と尊敬を基盤にした、そういう組織運営ということを盛り込まないといけないのではないかなということを思います。

○ ありがとうございました。よろしいでしょうか。

 じゃ、時間がちょうどあと5分程度しかありませんので、もしもなければ今日のところはこれで終わらせていただきたいと思いますけど、ありがとうございました。

 後半のほうの議論、主に資料3、資料4に基づく意見交換ですけれども、基本的には資料3の内容を深める立場からいろんなご意見を多くいただきました。ありがとうございました。

 ただそういう中から、例えば教師の仕事の評価、時間管理を、時間ということではなく、もう少し仕事の量的な側面からはかる、ないしは見る必要があるんではないかということとか、例えばそれとも関係ありますけれども、教員の本務は何かということをもう少し明確にしながら、そういう時間管理が一つの基準になるような、教師の仕事の標準化みたいなことも少し考えていかないと、なかなか時間管理をしていく際にいろんな不都合が出てくるんじゃないかとか、今後少し検討を要する、なかなか難しい問題提起もあったかのように思います。

 こうしたことを含めて、少し教職調整額の見直しの具体の方策や、その見直しにかかわる論点整理を事務局のほうと相談して、整理して、次回以降、皆さんの審議に付していきたいと思います。今日はほんとうにありがとうございました。

 じゃ、これで今日の審議は終わらせていただきたいと思いますけれども、次回以降のスケジュールについて、よろしくお願いします。

○ 資料5でございます。今後の開催予定でございますが、次回、第8回につきましては、来月16日月曜日、時間は13時から15時、場所はこの東館、上のほうの16階になりますので別エレベーターになりますが、16階の特別会議室ということで予定しておりますので、よろしくお願いいたします。

○ ありがとうございました。これで終わります。

 

── 了 ──

 

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