資料1 中央教育審議会初等中等教育分科会 教員養成部会 教員免許制度ワーキンググループ (第2回) 議事要旨

1.日時

 平成17年3月24日(木曜日) 13時~15時

2.場所

 如水会館 3階 「桜の間」

3.出席者

 野村主査、角田副主査、天笠委員、門川委員、甲田委員、佐々木委員、渡久山委員、藤崎委員、八尾坂委員、山極委員、横山委員

文部科学省関係者

 樋口審議官、徳永審議官、戸渡教職員課長、勝野視学官 他

4.議事

(1)教員免許制度の改革、とりわけ教員免許更新制の導入について

 事務局から配付資料の説明の後、各資料の項目ごとに自由討議が行われた。主な発言は以下のとおり(○:委員、●:事務局)

委員
 14年答申時は、教職生活途中における更新の可能性について議論したが、今回は免許授与段階を重視している。子どもや保護者からすれば、新任であっても免許の公証性で証を立てている。免許状の授与段階で、教員としての適格性を判断することが可能であれば、中途における更新制は保護者に対する公証性があればよいので、排除の論理が出てくる必要はない。たたき台は選択肢があり、今後詰めるのだろうが、良く整理されている。

委員
 現在の教員養成に、これまでの教養審や中教審の答申が生かされていない。現在の大学の教職課程では、卒業しても教員としてやっていけない。実践力を育成するための教職課程が作られているのか。一方で、ある程度、学問に対する謙虚さと探求心がなければ、また社会レベルの学問を追求しなければ、日進月歩の教職の世界について行けないが、資料にはこれらの点が書かれていない。

委員
 教養審答申を踏まえて、免許法を50年ぶりに大改正した。現在、医学部以外の学部では教員養成を行なっているが、文学部長や理学部長は、自学部でどのような教員養成をしているか把握していない。答申では、それぞれの大学が養成する教員像を明確に持ち、それを達成する組織構成とカリキュラム編成をしなければならないとしている。また、最小限必要な資質能力という仕上がり基準を示しているが、大学によってはこれらが理解されていないのではないか。免許法が変わり、この科目では、このような授業科目を立てなければならないとなったが、授業科目さえ立てれば十分だと考えてはいないか。答申の精神を受けて、教員養成を行う必要があるが、現状は必ずしもそうなっていない。

委員
 学校の教育課程も変ってきている。昭和50年から20数年続いたプログレシズムという子ども中心主義の流れが、平成10年あたりからエッセンシャリズムという教科中心、学力中心の流れに変ってきた。文部科学省も、教育課程の基準を、エッセンシャリズムの流れに変えようとしている。このような中で、教員養成についても、今までの教職重視という考えで良いのかどうか。また、教科科目を少なくして、これからの教育課程の基準に対応できるのかどうか。例えば、小学校の理科を十分教えられるだけの教員養成を行なっているのか。資料4の最後の「その他」の部分が大切であり、検討すべきである。

委員
 実際の免許授与事務は都道府県でやるとしても、国民に対する公証性を考えれば、国定免許の方が良い。そのような制度設計は地方分権の流れからすると、全くあり得ない話なのか。

事務局  現行の免許制度自体、免許を授与するためには、どの科目が何単位必要ということを課程認定で見ており、国で基準を作っている。このため、現行の免許も国定免許と言えるが、管理・授与の権限をどの段階で行うかについては、都道府県教育委員会が免許の授与権者であり、管理者であるということになっている。国で行うこともあり得ないことではないが、全国を通じて、例えば免許センターのようなものを設けるとなると、地方分権や行政改革の中で、社会的に受け入れられることは困難ではないか。

委員
 免許状の授与段階に関わって検討を行うのであれば、教職課程の履修者を対象に試験を実施するか否かという点がポイントとなる。現行では、教職課程を経れば免許状が授与されるが、このような試験を実施すると、教職課程の位置づけ、性格等が変ってくる可能性がある。従来の議論は教職課程の中味の組み方や、養成する資質能力、カリキュラム論が中心であったが、教職課程の出口をどのようにするのかを論議すべきではないか。更新制の導入がどのような効果をもたらすのかについては、見通しを最大限求めながら議論を重ねることが大切である。

委員
 大学等の養成機関と学校現場が乖離しており、一つの方策として国家レベルでの試験の導入は議論の価値がある。一方で、これから特に小・中学校の教員が大量に養成されなければならない時に、学校現場の困難さが増し、教員の仕事に魅力がなくなってきているという危機感がある。とりあえず取っておくという免許では困るが、採用試験が難しくても免許を取ろうという意欲を持つ学生に対して、現場体験やボランティア等の機会を与えることや、教員の処遇を改善していくことも、重ねて議論しなければならない。現在の財政状況で、それらが画期的に改善することが期待できない中で、あまり過重な負担を求めることは気を付けなければならない。小学校の教員養成は、開放制の下で制限があり、大学側としては負担が大きい。一方、あらゆる学部で簡単に中・高校の免許は取れる。このあたりが難しく、大学を越えた単位互換制度等を活用しながら、分母を大きくして欲しい。同時に、更新制を検討する際には、教員は現場で育つという視点も大事である。素晴らしい大学を出て、免許を持っていても、現場で育つ人と育たない人がいるので、現場で育つ人をどのようにフォローしていく制度とするのかという点も重要である。

委員
 免許の授与の段階では、チャンスを与えることはあっても良く、あまり締め付けることはしない方が良い。むしろ、その後の個々の教員の職能成長プランについて、更新制との関わりの中で、自己啓発を考えた方が良い。教職課程の履修者を対象に試験をするとなると、採用試験との関わりが出てくる。また、試験内容が基礎学力テスト的なもの、ペーパーテスト中心となると、大学の養成内容が試験準備的なものになる可能性がある。養成がいい加減になったり、試験に受かるための塾や予備校ができることもあり得るため、慎重に検討すべき。

委員
 大学の授業のレポートで、教職を目指した理由を書かせると、教員に憧れを持つ学生は多い。採用試験の結果、採用されないので、夢破れることもあるが、その一方で、免許は出席さえすれば取得できるという大学がある。大学が全入時代になると、学力が低い学生も入ってくるため、きちんとチェックをしなければ、実力のない教員が現場に入り、その結果、教職に対する尊敬がなくなり、教師不信が広がることになるのではないか。

委員
 教育公務員特例法では、教員の研修が義務づけられている。また、教員の特例として、自宅研修が認められるなど、教員特有の制度として、教職生活を通じて、専門性や指導力が随時向上するような仕組みを作っている。また、免許制度においては、教職経験を積むことにより、専門性が向上するという上進制度がある。すなわち、教員は経験を積むことにより、専門性も指導力も向上するという形で、全ての制度ができている。この中に更新制を導入するとすれば、教員の専門性等が格段に向上するような仕組みとしなければならず、またそれにより、専門性の向上が担保されると証明することが必要である。適格性については、条件附採用期間や分限制度で見ており、このような仕組みがある中で、なぜ免許状で適格性を担保するのか、説明が必要である。このような観点から見た時、一定期間毎に専門性を高めるという更新制を考えることについて、もう少し理屈を整理しなければいけないのではないか。大学の教員養成の中で、教職に必要な資質能力を身に付けさせることには無理があり、教職生活の中で、次第に高めていく必要があるという考え方を仮に取れるとすれば、更新制の導入により、一定期限内に一定レベルまで達しない場合は、更新しないという考えはあり得るのではないか。

委員
 今回の改革のねらいは、質の高い教員養成であり、これは大切なことである。一方で、指導力不足の教員や教員の不祥事は、現場としても頭が痛いところである。教員に対して、しっかり勉強し、実践力を付けて、子どもと触れ合うようにと言っているが、忙しい。そのような状況の中で頑張ってはいるが、集中して研修に打ち込んだり、自分を見つめ直したりできないところがあり、ある期間、徹底的に研修に打ち込めるようにすることが必要。教育実習生の中には、向いていない学生もいる。経験を積んで立派な教員になる人もいるが、子どもが好きでないとうまくいかず、また、同僚と一緒に仕事をして学ぶことが大きいことから、免許状の授与の際に、これらの資質をどのように見るのかを考える必要がある。質の高い教員の養成・確保は分かるが、資料で示された導入の意義や位置づけが、なぜ更新制につながるのかが分からない。更新制により期待される成果などを示して欲しい。何を行なって更新するのか、試験をするのかなどを具体的に検討しなければならない。

委員
 総じて言えば、答申も読まずに教員養成を行なっている大学が多い。例えば、小学校の場合は全教科担当しなければならないが、現在の入試制度では、入試の選択科目によっては、ほとんど勉強していない教科がある。そのような学生も受け入れている中で、卒業まで全教科について、学力をつける仕組みを作っている。例えば、数学であれば、中学2年から高等学校、大学4年までの数学をきちんと学習させ、教員として送り出している大学がある。理科の物理・化学・生物・地学で欠けた教科についても、同様にしており、音楽や美術も同様にしている。文科省では、課程認定をする際、シラバスまで調べ、実地視察も行い、問題点を指摘するとともに、良い事例を紹介しているが、これらについては、今後益々力を入れていかなければならない。養成段階で、最小限必要な資質能力を備えた教員を送り出さなければ、現場が困る。実地視察をすると、現場は授業時間の確保のため真剣になっている中、教育実習生を受け入れて授業時間が確保できず、非常に迷惑しているという声を聞く。1年間の条件附採用期間できちんとチェックされておらず、このことが不適格教員や指導力不足教員を生み出しているのではないか。

委員
 ここ数年、条件附採用期間は厳格に扱われるようになってきた。一般の行政職では、1~3年目はまだ素人であるが、教員は違う。23歳で教壇に立ち、生徒と相対するという職責を担うこととなるため、保護者からすれば、10年後に検証されても困る。採用段階で、しっかりした教員が採用されているという安心感を与える制度はどうあるべきか、また、採用段階でどのくらいの資質能力を備えた教員を確保できる制度とするかが、更新制の在り方を規定していくのではないか。

委員
 更新制がなくても、現行制度を活用することで、その気になれば出来るのではないか。現職研修や分限制度を活用して、やれるところはやっている。ただし、今より少しでも子どもの教育にプラスになるのであれば、更新制は出来るだけ弊害を減らして導入する方向に可能性を見つけたい。その際、大学が全入時代となり、格差が出てくる中で、単位取得証明書のような免許では問題ではないか。現在、採用試験では、1次試験から全員面接、2次試験は集団討議や模擬授業を行なっている。また、採用後3年経ったら、採用試験の結果と3年後の勤務実績とをクロス分析している。そして、教員養成系大学と教育委員会、校長会により、教育実習の在り方の検討を行なっている。大学の自主性を尊重しつつも、ダブルスクールで学ぶようなことにならない制度を担保し、養成段階をどのように改善するかが課題。また、小学校の教員には、あらゆる能力を求めすぎている。更新制とは関係ないかもしれないが、小学校教育が変っていく中で、免許に多くのことを求めすぎているのではないか。

委員
 養成、採用、研修を通じて、一人前の教員が育って行く。養成期間4年に採用、初任者研修の後5年、あわせて最初の10年がポイントになる。すなわち、採用5年目が一つの区切りではないか。ライフステージに応じて研修を組み立てていくという考えが、1970年代、80年代から出てきて、現在に至っている。教員の成長を考えた時、ライフステージの組み立て方が見合っているのかどうかを検討する必要がある。これまでは、養成から5年目くらいまでの10年間の課題が表に出てこなかった。採用が厳しく、養成側からすると、いかに採用試験に受かるかが関心であり、その後を視野に入れることがあまりなかった。採用されて、リタイアしたという話は聞こえていたが、表に出てこなかったのは、正規の職に就けずに、20代後半や30代で正規に採用されることがあったため。採用されたばかりの教員が難しい状況に置かれており、養成段階から5年目くらいまでをどのように機能させていくか、その先に更新制を位置づけることになるのではないか。

委員
 初任者研修を終えて5年目、2回目は10年経験者研修と同時期、3回目は40代になる20年目、4回目は50代になる30年目と、生涯4回の更新が良いのではないか。更新制は、実績や専門性向上等をしっかりやれば、大半の教員は更新されるが、各ステージにおいてどのような教員を生み出していくか、また、どのような資格を与える研修で更新するのかをきちんとすれば良い。経験者研修や教員評価、あるいは職能レベルによる資格付与を一体として青写真を作っていけば良い。

委員
 今後、10年間で大量の教員が必要となる。国としての教員政策をきちんとしなければいけない。教員不足が明らかになっていながら、更新制で負荷をかけるのであれば、教員のなり手がいなくなる。人確法による一定のメリットも現在では、行政職との差は3パーセントくらいであり、実質的に、メリットは少なくなっている。更新制については、現職教員に適用することを前提とするのか、それとも新たな免許状授与の段階から導入するのか、整理する必要がある。14年答申で、慎重であるべきだとしたのに、再び更新制が出てきたのは、現職教員に対する期待だと思うが、それらについては、10年研や不適格教員の認定など他の制度が出来ている。

委員
 更新制に反対ではない。大学における専門教育は、4年間では完成しないというのが概ね前提になっており、分野によっては修士課程が必然になっている。教員の職責について考えた時、4年間で十分な資質を持った者を学校現場へ送り出すことは難しく、現在の教員養成において完璧を期すことはできないことを前提とし、かつ教員は研修で特別な扱いがなされていることを考えた場合、一定期間内に、教員としての専門性が一定レベルまで達することは当然要求されると考える。そのようなレベルに全ての教員が到達することを期待し、実現し得ない教員については排除するという更新制を導入することは考えられる。また、教職に対する信頼性が揺らいでいることは事実であり、教員や免許状の社会的信頼を適切に確保していく必要がある。現在、免許状の失効や取上げ等の制度があるが、そこに至らないレベルで教職としての信頼、あるいは免許状の信頼を失う行為を排除する更新制も考えられるのではないか。更新制は、理屈を考えれば導入することはできるし、一定の機能、役割を持つと考えられる。それとは別に、4年制の教員養成を前提とする以上、今の教員養成で良いのかを議論する必要がある。前回も、養成段階で適格性を判定していないという指摘があったが、そうであれば、適格性を判定する仕組みとして、教育実習に加えてキャリア教育としてふさわしいものを用意していく必要がある。更新制の議論の他に、養成段階は現状のままで良いのかということについて、再度議論する必要がある。一種免許状に標準的な資質を求める一方で、教職課程において、教科又は教職に関する科目を設けており、標準的に必要な資質として、そのような扱いが妥当なのか論ずる必要がある。

委員
 学校でこの問題を話した際、教員になる人が三分の一になる、または極端に減るという話があった。あまりにハードルを高くするのはどうか。教員に対して必要なことをきちんと教え、かつ組織的なことはやっているが、全員が素晴らしい教員で構成されている学校というのは想像できない。現場が求めているのは、毎日インセンティブ高く生徒と対応する教員である。インセンティブが高く、勤務実績をあげている教員は、多くのポイントを与える。何年毎に更新というのではなく、一定のポイントを取得すれば、上級免許状にするというのはどうか。

委員
 これから教員になる者から更新制を導入するというのが原則ではないか。その場合、10年研、20年研があり、また、ほとんどの県で、人事考課制度が職能成長という視点で導入されていることから、現職教員については、人事評価を活用することで職能開発ができるのではないか。教員養成の在り方は、何十年も問われてきており、完璧な養成はできない。だからこそ研修が必要である。入り口段階は何らかの形で機会を与えて、その際に免許状を終身にするのか、仮免許状にするのかという問題はあるが、ペーパーティーチャーの存在は無くすのが良い。

委員
 更新制導入の是非について検討する際、教員の社会的信頼が上がるのか下がるのかが大切な視点である。更新制については、社会の中で教育活動をしていく上で支えになるものとして、機能するようにする必要がある。日進月歩の時代であり、数年たてば知識が古くなってしまう。研修等がある中で、更新制がどのような位置を占めるのかを議論する必要があるが、基本的には、古い知識を常にリニューアルする、あるいはそのような専門性を持つ者であると制度的に位置づけられれば良い。

5.閉会

お問合せ先

初等中等教育局教職員課

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