資料2 教員養成部会専門職大学院ワーキンググループ (第13回) 議事要旨(案)

1.日時

 平成18年6月6日(火曜日) 10時~13時

2.場所

 東京會舘 11階 エメラルドルーム

3.出席者

委員

 横須賀主査、小原副主査岩田委員、上野委員、小関委員、菊池委員、古賀委員、鈴木委員、長谷川委員、畑井委員、平出委員

文部科学省

 徳永高等教育局担当審議官、浅田専門教育課長、ほか関係官

4.概要

(1)教員養成における専門職大学院の在り方について

 事務局からの配付資料の説明の後、岩田委員より東京学芸大学で行われた「教師養成教育と実践経験」に関するワークショップをもとにしたプレゼンテーションが行われ、その後、討議が行われた。主な発言内容は以下のとおり。

委員
 東京学芸大の教員養成カリキュラム開発研究センターでは、教師教育実践交流ワークショップというものを開催している。主に大学で教員養成をしている教員を集めて、毎年テーマを決めて、自らの仕事を持ち寄って相互に情報交換をするということでやっている。昨年度実施した5回目のワークショップで、この実務家教員の在り方をテーマに据えて開催した。
 なぜこういう企画をしたのかというと、当然のことながら、教職大学院の創設ということが政策課題になっており、その教育組織の中で実務経験者というのも一定の規律がある、その在り方を考えようということも視野にはあったが、それ以前の問題として、現実に、教員養成大学・学部で、現場経験を有する方を大学スタッフとして入れる例というのが相当に増えてきている現状がある。増えてきているのは全般的には好ましいが、それに伴う課題が幾つかある。一つは、ただ実践経験があればそれでよいのかという問題、あるいは、実践経験を持っている方がその実践経験を実際の大学での教育現場でどのように生かしていくのかという問題。また、大学のファカルティ、教員集団の中で、アカデミックキャリアの人とこういう経験をお持ちの方が混在をする、そういう教授集団というものの在り方等について、既存の学部と修士課程の教育実践をもとに交流し合おうという趣旨から、昨年11月に企画した。

委員
 ワークショップであるので、本当は、実務経験を有する方で大学で授業を担当されている方をメインの参加者として想定していたが、むしろ、教職大学院の問題などもあり、いくつかの大学の将来計画委員会など教職大学院のことを担当している方が、どのように雇うかというものを参考にしたくて来たような方が多く、基調報告の実践、在り方を中心とした議論となった。

委員
 基調報告者の1人は、40歳代、修士を終えてから私立中高一貫校に勤務(約8年)後、東京学芸大の連合大学院の博士課程に入り教育方法の博士の学位を取得し、その後、附属小学校勤務後、信州大学教育学部の教育方法論講座に着任。学部では臨床教育演習、大学院では教育方法を担当している。やはり現職経験を持っている人を優先的に採用するという人事で採用されたとのこと。
 それからもう一方は50歳代、専門は理科。33年間東京都内の公立小学校で勤務されていて、学歴としては学卒となる。その後、北海道教育大学釧路校に助教授で採用。教育方法。、主に幼児教育のところ、大学院での教材論などの授業を担当。これも、教職経験を有する者を優先的に採用するという人事によって採用された方である。

委員
 一本釣りということが今日の議論のポイントにもなってくると思う。つまり、こういう資質のある方というのを、どのようにして規準として設定していくのかということは、かなり難しい問題であるだろうと思う。参考までに、レジュメの1ページ下のところに5年前に在り方懇の資料として出てきたものを充ているが、国立教員養成系大学・学部の教員のうち現場経験(これも、経験1年以上なので大分甘い基準ではあるが)の比率は、おおよそ上位の職に行くほど高くなり、平均すると2割台ということのようである。教授又は助教授で対応するというのには訳があり、一定のキャリアを持っている人を授業担当者として採るわけであるから、助手から採用するということは常識的に余り考えにくく、そういう事情によるものだろう。この比率もその後増えているだろう。

委員
 基調報告後ディスカッションを行ったが、そこでの論点として、実際経験あればいいというものではないが、では、ほかに何が必要なのかという点について、実践を構造化する力が大事だとか、臨床的な研究の場を構築する力が大事だという意見が出され、そうだということになった。そういうスタッフをどのように確保する、連れてくる、あるいは育てるということについて、決め手は難しいなということであった。国立教員養成系大学・学部のみならず、近年、私立大学でもやはり現場経験を持っている方を実践的な指導の場面に呼ぶというようなことをよくやっているが、私立大学の担当の方に事情を伺ったこともあるが、だいたい研究会などの評判を聞いて、個人的に声をかけていますということであった。
 県協委から推薦してもらった方が必ずしも大学で欲しい方と一致していないという問題もあり、このあたりは何をもって大学での実践的なキャリアを生かした指導力とするのかということは難しいところだということがこのディスカッションでも出てきた。

委員
 2つ目の問題として、実践経験を持つ教員とアカデミックキャリアの教員との協働のあり方というのがどういうところなのかということ。基調報告の方の場合でも、公立学校との連携や教育委員会の研修企画及び現職教員向けの各種講習等の講師などを担当することが増えているとある。また附属学校との関係改善にも努力しているとのこと。さらに赴任以降3年連続で附属幼稚園の指導講師を担当しているというような現場とのコネクション役がやはりこういう方には期待される。しかし、実は求められている教員養成改革というのは、このように特定の人材が連携を担うということではなく、大学という教育組織全体が教員養成機能を発揮する、あるいは教員養成に主体的に取り組んでいくという、そういうことの問題なのであり、実はこういう形で実務家というふうに特別視されることというのは、いい面ばかりとは限らないのではないかという意見が出されていた。ただ、その接点のあり方としては、やはり教材研究とか実際に子供たち相手に教えるという場面に即して双方がコラボレートしていくということ。例えば、実務経験者が持っている体験や経験ということを科学知と関連づけるとか架橋するとかいうことが重要。これを具体的にどのようにするのかというのは、実例を見てということになるだろうと思うが。

委員
 以上、幾つか教職大学院の実務経験を有する教員の考え方ということで、いくつか挙げたが、一つは、前提として、教職大学院に特有な事情として、今までの大学院がある部分実践家養成の機能を持っているということ、その点に関しどのように改善していくのかということが教育目標にかかわってくると思う。教職大学院の機能としてスクールリーダー養成を打ち出している、つまり、一般の教員の養成ではないという点。それから、やはり双方向型の授業方法を取り入れていくとか教育内容方法における新しさということが売りになるだろうという点。
 先ほど薬学部の実務家教員の話が出ていたが、薬学部や法科大学院などと違って教職大学院の難しいところは、入職前の人だけがこの大学院にいるわけではないという点。つまり、薬学部にいる人というのはまだ薬剤師になっていない人であるし、法科大学院に行く人は司法修習の一歩手前というか司法試験の前なので入職していない人。ところが、教職大学院で想定されている大学院生の中には、キャリアの十分にある現職教員がいっぱいいる。そうすると、一方で実践経験を持つ大学院生がお金払って授業を受けに来ている。他方で、実践経験を持っている大学教員が給料をもらって授業をしているという、そこの腑分けをどのようにするのかということはポイントになろうかと思う。
 おそらくこういう状況を踏まえると、ただ単に事例を知っているというだけではないだろう。つまり法科大学院だと、ある法律の実務に精通した人が豊富な事例をもってケーススタディをリードしていくという形の授業を行っていく。その中では、このような弁護活動をしたらこういう判決になった、こういう和解を導き出した、そのケースをもとに、大学院生たちが検討していくということがありうると思う。しかし、教職大学院では、一方がケースをたくさん持っていて大学院生たちがケースを持っていないということが想定しにくいこととなる。このため、どちらかというと上から「伝える」というよりは「ともに学ぶ」というpier review、要するに横から見るということ。、橋が何本か突き出していて、そこの突端から隣の突端を見る様な、そういう視点を持っている人が必要ということになるんだろうと思う。実を言うと、先ほどのワークショップの企画における私とこの二人の基調報告者たちの関係もまさにそうであった。どちらも、携わり方が違うけれども教師養成教育には携わっている、私の方はコーディネーターで、この二人の方々が話題提供者という形になるという、そこの力なんだろうということだろうと思う。

委員
 もう一点、大学で教えるということに関わり、大学での教育であるとやはり、how toの蓄積だとかskillの熟達だけではない、研究的なリフレクションも引っ張っていける人である必要がある。それから、前回のワーキンググループでも申し上げたが、内容的な新しさよりは中間報告の中でも謳っているような方法的な部分にきちんと習熟している、つまり、豊富な事例を持っていて上から教えるとかそういう形ではなく、それをうまくコーディネートできる、双方向型とか参加型の授業運営が上手にこなせる人ということになるだろうと思う。これは、例えば教員研修で講師を務めた方というのはたくさんいると思うが、そういう方も、何百人か集める中で伝達講習型の指導の経験はたくさん持っていても、余り今回求められている教職大学院の実務家教員にはなじみにくいのではないか。であるから、実務経験の質のガイドラインというのは、レクチャーをやっているその講師としての実績があるとかということよりも、その中身を見る協働型参画、つまりグループで教材研究をどれぐらいやっているとか、そのような方が重要なんだろうと思う。

委員
 もう一つ、今日の論点にもなろうかと思うが、やはり学校や教育行政以外の実務というものをどのように考えるのかという問題はあろうかと思う。つまり、教職大学院のカリキュラム内容や教育目標との関連で、こういう教育内容に関してはこういう実務家がいるんだという、それに対応できるような規準づくりということが求められてくるのかなと感じている。

委員
 幾つかの大学での、学校現場経験者を登用していく事例について、公募の審査基準はどういうところを条件としているのか、また募集は公にされていたのか、あるいはほとんどが一本釣りなのかどうか。もし分かれば。

事務局  全部ではないが、採用要件のところに、県教委又は市教委から推薦された者で学校教育や教育行政分野における実践・実績がある者とか、あるいは、教育実践・教育実習に関する指導実績または行政的実績経験を有する者で県教育委員会から推薦された者などがある。もう少し詳しく申しあげると、客員教授は25年以上の専門分野の経歴を有し、かつ、管理職などの指導的な職の経験を有する者、客員助教授は10年以上の専門分野の経歴を有し、かつ、管理職などの指導的な職に順ずる経験を有する者という形になっており、大体、その現場あるいは教育行政での経験と、県なり市町村なりの教育委員会からの推薦というのを大体かませているというものが多いようである。

委員
 任期がついているというのは、これはもとの職へ戻ることが前提になっているから、おそらく地元の教育委員会との協定に基づいて行われているんだと思う。すると、基本的には県教委等の推薦を受けているのではないか。しかし任期つきでない場合は、インターネットを含めて社会に広く条件を提示して応募者の中から選ぶ。その中に地元の教育委員会の推薦等も含まれるが。ここは、例がどちらかというと任期付きの方が多いけれど。

事務局  今回の調査では年齢を調べていないが、任期がついている方を見ますと、大体教育委員会指導主事であるとか、あるいは事務所の主査・課長ということであると、大体50代前半ぐらいまでということであるとすると、教育委員会等の人事の交流ということであろうと思う。

委員
 例えば、今大学の教授なり助教授なりが、逆に県の教育委員会に乗り込んで、そこで勉強していただいて、また、自分の大学に戻るという、こういうようなケースも考えられるような気がするが、こういうケースはないか。

事務局  若干承知している範囲ですと、教育委員会の方から大学の方に出してもらうのと反対に、助教授クラスだったと思うが教育委員会の方に来ていただき、確か教育センターの方に籍をおいてというケースがどこかにあったと思う。類似のケースが多いかどうかは不明であるが。

委員
 本県の場合、50歳未満ぐらいの若い教授の方を非常勤扱いで県立高校の教頭になっていただいている。その際、当然学校内部の仕事もあるけれども、週に1ないし2回、ある高等学校を指定し、当然従来の教頭がいるわけであるが、それにプラスアルファのような形でやってもらっており、大学と高等学校との橋渡しを中心にやっている。大学からの出前講座のようなケースが最近多いが、その場合にはコーディネーター役をしてもらったり。その他、高等学校の常例会から始まって、日常の公務運営、授業のあり方その他を経験してもらいながら、折に触れてアドバイスしてもらうという形を取っている。県教委から給料は支給していない。

委員
 本市でも、教育委員会と大学と連携して、教育センターの指導主事が客員教授で大学に行き、逆に大学の教授が、教育センターで夜開催している授業力アップコースに、指導主事と協同で講座を持ってやっている。

委員
 以前件の人事の担当をしていたが、実は、大学から県教委に人事交流をいただく際、私は現場に入ってもらいたいと基本的には考えていた。学校では小・中・高あるわけだが、その際校長にということはなかなか難しいものがあるが、教頭先生なり、2人教頭制の学校であればそういうところに関わって、実際の学校の具体的などろどろしたものをひとつ勉強してみるのもいいんじゃないか、こんなような話をさせていただいた時があったが、大学側から言わせると、そこまではちょっと、というようなことであった。県教委の場合、教育センターに参与のような形で大学教員に来ていただいた経緯はあるが。実務家という意味をもう少し掘り下げていったときに、その辺のところをもう少し現場の具体的などろどろしたところのにおいをかいで、あるいは一緒になって研究協働していただく、そういう場面もあってもいいのかなと少し思う。

委員
 教職大学院の場合、学校から大学の教員に行った実務経験者は、大学にかなりどっぷりつかり、10年なりやるというような感じでないといけないのではないかと、個人的な感覚がある。公立学校の場合は、特にキャリアパスが早い。それを、教職大学院への実務家教員の派遣の場合、適任者である必要があるが、やはり大学に行ったらそこに骨をうずめるぐらいで、やるような方もあっていいのではないか。もちろん双方向にもあってもいいかもしれないが。大学の教員の定年と、公立中・高の定年は若干ギャップがあり、心の若さがある方はむしろ経験が生きるが。しかし、大学教員としての在職期間が余り短い期間というのは、経験の交流にはなるけれども、本当にいいのか、教職大学院の本格的な教官としていいのかというのがちょっと疑問を持つ。

委員
 学校から大学に教員として派遣される場合、そこで腰を据えてやるという部分が基本にはあったほうがいいとは原則的には思うが、それだけで果たしていいのかなとも思う。時代と共に実務の内容が非常に変わっていく現状がある。かつての経験が必ずしもずっと先々まで流行だとは限らない場合もある。ワークショップのような状況にしても、内容なり方法なりというのは、やはり教育界のご指摘だとは言われながらも、年年歳歳変化していく要素もある中で、ある程度3年なり5年なりという短期サイクルの方も何割かはあってもいいのか。その方が、長期の方と短期の方との組合せといいうか、現場とより近づけるという意味もあるのではないか。また、50代半ば位から65歳ぐらいまで大学教員としてうまくいく人もあるであろうし、また在る程度で学校現場に戻る方がいいという人もいるのではないか。様々な柔軟な組合せがあった方が返ってバラエティに富むということもあるように思う。

委員
 岩田委員のペーパーの特に2枚目の「望まれる資質」について、これは私も全く同感。やはり教職大学院での実務家教員の果たす役割なり方法論上の特徴というものは、ここに一定書いてあるようなことなのではないかと思う。その言葉がなければ、どれぐらい実務家教員を入れるということの価値が出てこないように思う。単なる経験では実務家教員としてもたない。特に教職大学院の場合は、学生の側に、若いストレートマスターと、前世の世代の生き残りみたいな教員からの院生も混在しているわけであり、年齢集団からいっても、ただ経験がある・ないというふうな違いをつなぐというようなことからいくと、従来型の方法なり人間性なりではやはり無理だろうなと思う。

委員
 昭和40年代の終わりぐらいから、国立教員養成大学・学部で、教育現場の方を教授・助教授として受け入れることがあったが、これは当時はだいぶ新聞種になった。この場合の母体というのは、当時、民間でやっていた教科研究で用意してくれた仕事をしていたということが、これが第一世代ではないか。この方は、独特の教育指導のよいところでは卓越していたが、ただ、大学関係者との意思疎通という点ではなかなか反りが合わないところがあり、功罪相半ばであった。そのころの教科教育法の担当者というのは、多くの場合、その場所を借りて使っているというような雰囲気が圧倒的に多く、当時は根本の教科教育の専門家がいなかった。これは、実践的研究者の養成機構がまだ当時はなかったこともある。昭和の終わり頃になると、教育大学の修士課程あるいは博士課程に入り、そこで学位を取って大学院の教員になる者がその後増えてきた。今はかなりそういう人がいる。そしてその後の段階に、教育委員会との交流人事により、大学に教員として入ってきた人たちがいる。
 このように、教育現場で独特の教育研究を自分の腕で開発してきて大学の教員になった世代が、現在やや終りかけている、もしかしたらもう終っているかもしれない。それから、その後、教育現場の経験をもとに大学に入って修士・博士の学位を取って、主に教科教育の専門家になった世代がある。それから、教育現場と大学との交流人事で大学の教員になられた人たち、この人たちは教育実習や教育方法、教育課程といったものを担当されている。概ねこのような流れではないか。

委員
 私も岩田委員の資料にある、アカデミックキャリアと実務家教員の「協働」のあり方という点にやはり注目した。前向きに考えるとして、この両者の分業化への懸念というのをどう克服するかということを、私も課題として考えている。
 これに関連し、実務経験を持つ大学教員の例を見ると、いろいろなケースがあるんだなと思いながら拝見した。例えばA大学でいれば、担当科目が特活あるいは学級経営となっており、この当たりの領域は研究が実践と共にしか進まないという性格が特に強いこともあって、教育現場の方に来てもらっている、というこのような大学は結構ある。C大学の例は教科教育担当で、比較的あるケース。D大学は、明らかに教育実地研究のためにお招きになったなと思うが、これは分業の感じがする。E大学、F大学の例も同様。G大学の例は恐らく教育委員会・学校とある種の交渉というか、そういう部分で連携をお任せになっている人なんだろうと見た。H大学は、随分、余りこれだけ大学が頼ってはいけないのではないかと思うぐらい、多方面にわたって実務家教員の指導におまかせだなと思った。

委員
 分業で留まらないでやるように今から解決しないといけないと思うが、その前に、例えば、実務家教員がコーディネーターとして、大学側の教員をコーディネートするということは大変難しいこと。先ほどの話の中に、民間の研究団体で教材研究等を本当に積み重ねてきていれば、その分でもって何とか教科専門の人とも、わたりあってやっていけるけれども、そこまでの人が今少なくなっているということと、迎えられる方は、いわゆる実践経験プラス行政経験ということで迎えられているため、そのような意味でなかなかそのあたりが非常に難しいので、そこまでのことを要求すると過大な要求になるのかもしれないが、そういう部分で位置づけていかなければ、分業に留まるという心配があると、実務家教員の側から見れば思う。
 逆に、大学教員の立場に立ってみると、これはなかな二重構造になっていると、私は率直に思う。一つは、実践経験というものに対して、一方で敬意を払いつつ、一方で正式に位置づけないという体質がある。このため、いい意味では実践経験者の実践というものに臆さず、そこできちんと論議をしていくという教員であれば、分業に留まらないできちんと様々なカリキュラム等の論議ができる。もう一方では、こういう風潮なのだからやむを得ないということで、必ずしも率直な議論には入っていかないでその部分はおまかせするという体質が、恐らく数だけでいくと多いと思う。課題は、その分業化という懸念をいかに克服するかというところの提案をしていくことであろう。

委員
 実務経験を持つ大学教員の例を見ると、概ね共通して言えることは、教師としてのキャリアというところはだいたい14、5年から20年位の間である。つまりその間に、教師は何サイクルかの担任経験を経て、知恵も働くようになる。その後、大体17年から20年ぐらいの間に、多分、学習・経営から、学年、それから教科指導等、学校の中で一通り中心的な役割というのは、大体経験していて、その中で注目されて認められて、例えば主任になったり、管理職に登用される者も出てくるのだろう。であるから、資料3のところのにある「5年以上の実務経験」というのは、おおよそ20年程度の経験が必要ではないかというのが大体言えるのではないか。ただ、それだけではやはり十全ではないのだろう。それで、質のガイドラインとして、研修の講師の実績とか協働型企画の実績というのがあり、その辺の経験がやはり必要なのではないかなと思う。見るといろいろあるが、はやり5年というのは、何をもって5年という質が問われるのではないか。ただ、経験年数は14、5年とか20年というのは当然の基準であろう。

委員
 医学の分野では非常に権威主義と保守性が指摘されているが、現場の患者を見ない教授というものは一人もいない。外科のような切った貼ったのような下賤な仕事は私どもはいたしませんと言う外科の教授は外科として成立しない。地域医療ということが、今大学病院が存続していく上で絶対に欠かせない状況になってきている。地域との連携は徹底的に強化していこうということは、附属病院を有する国立大学長の会議でも、全国医学部病院長会議においても常にトップの議題としてで出ている。であるから、教師と医師というのは非常に似ている面と非常に違う面があるのはわかるが、大学の教員が現場にいくことをためらう雰囲気があれば、これは大学が考えてはいけないのではないか。

委員
 先ほどの、実務家教員に望まれる資質については、多分当然のことだろうと思うのですが、知識事例の豊富さ云々などいくつかあるけれども、やはり中教審の方の答申の中でも、優れた教師の条件という中にも使われているが、「総合的な人間力」というか、いわゆる豊かな人間性、社会性、それから大義、人間関係能力-コミュニケーション能力というか、そのような豊かさを持った実務家が、大学の教員として立ってもらいたいなという気がする。これは、極々当たり前のことなのだろうが、人の持っている豊かな人間性、社会性、その辺のところが第一条件になってくる気がする。もちろんそういうことは当然のこととして、コーディネターとしての力量であるとか、あるいは理論と実践の架け橋になるような体験をということも出てくるのだろうと思うが、基本的にやはりその人の持っている人間性というか社会性というか、対人間的な関係能力、そういうものの長けた人がぜひやってもらいたいと、そのような感じがしている。

委員
 新採教員の研修に携わっており、毎回講座の後でアンケートを取るが、指導主事等研修担当者が本当に理論的なことが多かったなというときには、必ず教員の側から、もう大学で聞いているからこういう話よりも実際に現場でこういうふうに授業をやったらこういう反応があったとか、生徒指導に関してもこういう実例がある、といった、やはりその現場で立った先生たちはそういう話を非常に聞きたがる。もう一点は、20年近く学校で実践をやっていて指導主事になったり、あるいは、大学に行った教員は1年程度だから、客員教授で行かれるのは1年だからいいのであって、とても向いている先生はいいと思うが、指導主事も大半は早く学校に戻りたいと言う。ということは、何かというと、結局、子どもとどろどろとかかわって教科指導だけではないその楽しさ、厳しさと楽しさ、保護者会をやった、もろもろのものがきれいというか何かしたいという、そういう総合的なものに関わりたいという者が教師になっている。それが、教育研究が好きだったら、恐らく小学校・中学校の先生にはなっていないのではないかと思う。指導主事になり、とにかく何年かすれば、早く学校にいってここで学んだことを生かして実際に管理職になって、学校教育をしていきたいという、そういう思いで帰ってきているので、これが大学に行って骨をうずめるんだという人がどれだけいるのかという疑問がある。分業化への懸念という話があったが、ある面では、きちんと信用される大学の教員と、管理職になって、もう少し早めに退職して大学で後輩の指導に当たりたいという方もいると思うので、そういう様々なパターンがあってもいいかなと思う。

委員
 これはやはり教育改革だと思う。だから、教職大学院の仕組みがいくら正規にできたところで、やはり今までと違わなければいけない。教員についても、もちろんメインのところは大学関係者と学校教育関係者であろうが、それ以外に、上に出ている大学教員は専門職だけではなく、やはり人間力や社会力など様々なものをつけようという意味からいくと、あるいは教授力も、やはりこれからのプレゼンテーション能力なんていうものは、大学で研究している以上に進んでいるところはたくさんあるから、極端に言うと、塾とか在野の教育者とか社会教育者とか、あるいはカウンセリングのトップランナーの人、そういう方を積極的に入れる。教育というのはやはり教育界だけじゃない人が入るということがものすごく大事だと思う。例えばディーンなどはむしろマネジメントであるから、教育界以外の方が来てもいいのではないかというぐらいの感じが大事。実務家教員は教育以外の者も入れられるわけですよね。ですから、例えば国際的なこととか、あるいはキャリア教育、あるいは生き方の問題だとか、あるいはプレゼンテーションとかそういう問題は、もっと全く違った民間の個々の専門職を持っているという人を入れるなどもある。

委員
 私もディスカッションの論点2の中の「分業化への懸念」を懸念していますが、それを払拭する一つの手立てとして、やはり望まれる資質に関し、これらは何も実務家教員だけに求めるものではなく、実務家教員以外の専任教員、これらは例えば既存の教育学研究科の方から移ってくるが、これらの教員にも同じようにこれが求められる。両方の歩み寄りがなければ。

委員
 本学には、県教委、横浜市教委、川崎市教委から任期つきで3人来ていただいているが、ほとんど分業化された中でやっている。本来、もともと学校に所属していた者の何人かもセンターに移ってきて、一緒になって大学の立場から学校教育活動に貢献していこうと展開しているが、それを見てみると、残された他の圧倒的多数の教員は、遠くから眺めているだけという印象が非常に強い。そういう意味で、教職大学院のスタッフは自分の専門のことだけをやってきた人はむしろいらない。それこそ教育研究活動業績がある人を突っ込まなければいけない。

委員
 この分業化というのは非常に重要な言葉。今のアカデミズム中心できた時代であるが、教職大学院って何だろうと思っているわけで、それでも、今、教育現場は、大学では仕方がないから、そこは、教員関係者がやってくれるなら、我々は、やっぱりお勉強しているので済むならと、ならいいやという感覚が非常にあるような気がして、こういう分業化の懸念という指摘が、もっと広げれば教職大学院と既存修士課程との分業化ということにもつながっていく危険性がある。そういう意味では、医学が臨床医学から発生してきたものとちょうど逆で、臨床教育学というのができていない現状がある。私自身もアカデミズムからやってきたけれども、教育現場に入って是非それを少しでもかえていける力を持つ必要がある。

委員
 看護師の養成は、以前は看護婦養成学校で行っていた。それが、近年大学での養成ということで、医療短期大学になり保健学科になった。この保健学科になった時のそこでのティーチングスタッフと、附属病院などで毎日患者と格闘している看護師さんと大きな溝がある。片方はアンケートをとって公衆衛生的なことばかりやって、あんな人が現場に来たって何にも仕事ができやしないよというそういう気持ちが現場で活動している看護師さんたちにはある。一方の方は、アカデミズムという城の中で自分が偉いと思っている。これは比較的新しく生じてきたこと。看護師養成を何とか大学における養成にしなければならないというステップから、保健学科・看護学科が出てきたわけである。このような中で、看護師さんだけの仲間で大学を作った結果がこういうことになっているという側面もある。だから、先ほどの指摘のように、学校の教員だけの考えでつくっていくと、看護学科の悪い二の舞が出てくるのではないか、そういう分業化の怖さがちょっとあるようにも思う。

委員
 「分業化への懸念」ということと「望まれる資質」ということについて、少しイメージを補足すると、望まれる資質のとして「知識は事例の豊富さ」以上にコーディネーターとしての力量を書いたのは、これはたまたま今回の話題提供が実務家教員の話だったので、そちらの文脈から申し上げた話で、いわゆるアカデミックキャリアの大学教員にも、実は、コーディネーターとしての力量を必要とされる。これは、教職大学院については重要となるだろうと考えている。
 正直いって、このワークショップで基調報告をお願いした二人の先生方だが、多分、教職大学院ができたときに、大学教員と組んでいい実践ができるんじゃないかと思っているわけである。そのためにはアカデミックキャリアの方でも当然その専門のレベルの高さだとか研究業績の豊富さだとかっていう以上に、教職大学院の教育の狙い・意図するところに即して実務家教員と組んでコーディネートできるという力というのは必要だろうと思います。それも、ただ単に事例を持っているとか研究業績を持っているとかっていうだけではなく、コミュニカティブな能力ということも含めてのものなんだろうと思う。
 ただし、実は今の大学・大学院で教員養成に携わっている教員の中で、そういう姿勢を持っている人ってそう多くないというのが現実であり、例えば、各大学で教職大学院の議論が進む中で、では誰を貼りつけようか、A先生ならできるよね、B先生ならできるよねという感じで何人かの教員を教職大学院に移し、既存の院は残った部分で維持するというような議論になると、先ほど指摘のあった既存の大学院と教職大学院との分業化ということになってしまう。

委員
 設置基準にかかわって、レジュメの最後のところにある、一条校以外にかかわる「実務」の考え方について、私も今のところいいイメージがない。先ほど来の話を伺っていると、例えば、実務家の教員の定義などを整理する際に、一条校や教育行政以外の人材を一定比率入れろということもあってもいいのではないかと思う。このため、実務家何割以上というのではなくて、その中の幾人かは学校以外の教育関連とかいうところから入れていくべきだというようなことを、どの程度の強さをもって書くのかということはあるのではないかと思う。

委員
 課程認定の際、最近は私立の大学であっても教職担当者に、相当程度教育現場の経験ある者をかなり強く打ち出しているとの印象があるが、そうすると逆に本当に大丈夫なのかという議論がよくあるので、その辺を紹介いただきたい。

委員
 課程認定の際の教職科目担当教員について、ここ数年来、実践的能力を育てるということで、現場経験者をなるべく多く採用するようにとつめてきたために、新規に課程申請する大学ではかなり入れているが、その多くが学校管理職となっている。その際に経験内容を見ると、個人調書の中の教育活動歴では、研究歴・研究業績の方は皆無に近いのが出てきたりする。その際担当する科目は大体生徒指導、特活、ないしは教育行政。だから極端なところ校長をやればいいんだということで採用してしまう大学が圧倒的に多い。それともう一つは、栄養教諭養成の場合、学校でどのくらい栄養職員として経験してきたかであり、それもOKという扱いが多い。この際、経験年数が多ければ多いほどいい。何か非常に安易な考え方があるかに思われている。また、ある超有名な大学の医学部の定年の方、基礎医学を専門にしている人が、教育概論を担当するという。確かに業績見ると本当にすごいのではあるが、その人が栄養の教育を概論するという。担当内容は、やはり専門内容と担当科目のマッチングが必要。確かにその方の場合、やってきた専門はどこ行っても通用するので、栄養学としてどうなるかという何回かの授業は担当していいのではないかということになるが、逆に教育内容に関する部分は逆に学校栄養職員などを補充して複数で担当してくださいということにした。
 いずれにしても、非常に安易に経験年数と最後の役職のステータスで担当できるんだという判断をする例がある。栄養教諭制度創設の際にも、教員審査の際、経験年数だけでなくして何かペーパーはないか、例えば栄養研究発表会で何か事例を発表した、そのペーパーでもないか、あるいは地域での職員の集まりで報告書を作っていればそれでもいいから、とにかく経験年数だけでないほかの何かを提出してくださいと粘り強くやった記憶がある。

委員
 私は比較的実務経験者の考え方として甘い方であるが、レポートなどもゼロというのはやはりないのではないかとおもうのだが。

委員
 私立大学で教員経験者を採用する際の観点では、教員も一跳びに校長になるわけでなく、それなりの力があるから主任、教頭になって、最終的には校長になっているわけであり、校長であったということはある意味教師としての力の尺度として見ざるを得ない。現場の教員の場合、大学の教員資格審査に耐えていきたいというそのペーパーというものがないため、結局、役職がある意味で教員としての力の尺度と見さざるを得ない。他方怖いのは、大学関係者の中に現場の教員に対する偏見があること。現場を離れた教師は木から落ちた猿とはっきり言う大学の先生もおられる。そういう声に対抗できるのは、自分は校長等管理職までやったというのが一つのよりどころになる。

委員
 もう一つ、実力のある教員を引き抜こうとしても現場は離さない。確かに力がある教員を大学に取られるというのは、それに相当する教員をどこからか探さなければいけないという現場の仕組みがある。そうすると、どちらかというと年功序列で役を閉じたと同時に、65歳まで大学でお願いしますというようなこともある。この際に、今悩んでいるのは、学部課程の実務家教員と教職大学院の実務家教員をどのように差別化するのかという点。これは、現実問題として、今学士課程にいる実務家教員にどなたか推薦していただけませんかと依頼する。素直に応じてくれる教員もいるけれども、一部には、自分が推薦する後輩が気がついたらば大学院にいるという感情的な問題というのが出てきて、なかなか推薦してくれない場合がある。であるから、あなたの担当は学部課程でしょう、しかしかこういう経歴ですからこういう何かがありますか、この方は大学院の教員でしょう、なぜならば採用者側の恣意的な判断でない、誰もが納得できる指数というのがあるとありがたいものだとしたい。そのときに、やはり校長職というのは一つの尺度になる。同じ校長職の中でどのような格差をつけるかという問題を考えると、先ほどあった、何らかのペーパーにならざるを得ないが。それで、何かパブリックペーパーの定義、ペーパーの種類について議論が必要。この際、現在の大学設置審査の場合、個人についての業績審査ではこれは大体学会の論文という、アカデミックなものに限られているが、このままでやったら教職大学院というのは成立しないのではないか。

委員
 校長であれば誰でもいいよというのは問題とはいうものの、校長は誰でもなれるわけではない。やはりそれなりの過去の実践、現場の時代の業績、そして主任や教頭をなどやりながら、その間に大体三分の一、半分ぐらいは行政に何らかの形でかかわりながら、最後といいましょうか校長になる。それが一つのパターンになっている。その際大きな学会に発表するようなことはなかなかできないが、その時代その時代に自分の教科の実践、それを公の場で披露する、全国的な研究会等々を披露する。そうした経験は多くの教員が持っている。そのうちでそれなりの教員になると、自分の書いた、研究した書物を全部整理して、また、冊子にしたり、本に出したりというような場合もある。そういう意味から、校長の中にもいろいろ問題のある方はおられるが、その校長も県・市町村教育委員会のそれなりの一つのハードルを越えた中での任命されたものでもあるので、ある意味では尊重していただいてもよろしいのではないか。そして、その人には、それなりの研究してきた過去の経緯、これも尊重していただいていいのではないか。

委員
 意見のあるように、仕事がかわってきているわけですから、ずっと校長を経験されたということ自体はそれはそれでやっぱり適切に評価されるべきと思う。ただし、やはり研究の業績をこれからやはり丁寧に評価される必要もあるだろう。やはりこの点、今までとは違うやり方でやっていったらいいのではないか。その際、キャリアというものを何かで出してもらって、それをしっかり見抜いていくしかない。その際、実践記録というのは相当意味があると思う。実践記録の書き方が記録が簡潔でポイントを得ていない方の場合はもうだめなのだろうと私は思っており、発表の仕方などを見ると大体力量はどの程度かなというのは検討つくところもある。教員として十数年あるいは20年も経験すると、実践記録もうまく書けないというのは。実践記録という実践記録を中心として書いて出してもらい、記録だけでも相当、その人の指導力が評価できるのではないか。

委員
 先ほど木から落ちた猿の話があったが、大学医学部では、開業した医師は木から落ちた猿扱いのところがある。ところがしばらく前に、浦賀で開業していらっしゃる医師で、論文のほとんどない医師を大学の医学部の教授に選んだことがある。どういうやり方をやったかというと、問診だけで何人かの患者を診断した。検査をしたりとかは一切なし。そういうことを、しかもその先生の卒業された大学は、明らかにその大学の人たちは自分たちより低いと思っているタイプ。その人を教授にした。だから、先ほども話のあったように、今までとかわったやり方ということを設置審査の際でも考える必要がある。

委員
 これまで議論してきたことでは、実践経験に加えるべき資質・力量として、実践を構造化する力や、臨床的な研究の場を構築する力など、ほぼ共通の認識であろうが、では、これを担保するものが何なのかというところに絞られている。経歴についてはほぼ共通の認識が生まれております。とすれば「+α(プラスアルファ)」と書かれている、本当はこっちが大事なことだと思う。

委員
 中間報告の補論の中で、実務経験者として、学校教育関係以外にも、医療機関関係者や福祉関係者、児童相談所関係者、学級経営・学校経営に関する内容としては、企業関係者など、想定されるものとして幅広に出されているが、この辺のところについてもお考えをいただきたい。

委員
 必ずしもこれは専任じゃなくてもいいが、そういう方を講師等も含めて入れるということが重要。企業でもマネージメントだけではなく、いわゆる教職員もやっぱり国際性のような問題あり、国際情勢などもどこかで入ってくると思うので、そういう分野の方とか、これもまた非常に多様だと思うので、それを意識的に入れていただくということは必要なのではないか。

委員
 例えば、教科等の指導法に関するときに、塾というものをどう見るかというようなことに非常に問題がある。現状でも、一条校の教員養成している大学が、そうでないところの先生を講師としている。外部の是非というものもあると思うが、彼らは彼らである目的の点での指導法というのは、学校の教師も見習えるものを持っている。その辺のところをどのように考えていくのかという点がある。

委員
 これは非常に重要な論点になるだろうと思うが、ここの議論でもそうであるし、外でもそうであるのだが、教師の養成というのは専門職養成のひとつだと見なされつつありながら、ほかの専門職と割りに違うのは何かというと、再生産に対する危機感というか、リプロダクションに関する機関についてである。つまり、医師の経験者が医師を育てるということとか、看護師の経験者が看護師を育てるということが問題なのか、あるいは薬剤師が薬剤師の後輩を育てるとか、法曹経験者が法曹の後輩を育てるといった点では、リプロダクションに余り抵抗感がない。にもかかわらず、教員の場合は教員経験者が教員を育てるというだけではいかんのだという議論がやっぱりある。そこを、恐らく、その批判に答えるポイントがここにあるのではないか。今のところいいアイデアがないが、非常に重要なポイントだと思って捉えている。

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