資料1 教員養成部会専門職大学院ワーキンググループ (第12回) 議事要旨(案)

1.日時

 平成18年5月22日(月曜日) 10時~13時

2.場所

 東京會舘 11階 エメラルドルーム

3.出席者

委員

 横須賀主査、小原副主査、岩田委員、上野委員、小関委員、菊池委員、古賀委員、佐々木委員、鈴木委員、長谷川委員、畑井委員、平出委員、梶田教員養成部会長

文部科学省

 徳永高等教育局担当審議官、浅田専門教育課長、ほか関係官

4.概要

(1)教員養成における専門職大学院のあり方について

 事務局からの配付資料の説明の後、自由討議が行われた。主な発言は以下のとおり。

委員
 4月21日に開催しされた教員養成部会において、ワーキンググループの審議状況とあわせ、カリキュラムイメージ(第1次試案)を報告した。その場では、教職大学院については意見はあったが、カリキュラムイメージそのものについての意見というのはあまり出ていなかった。意見のうち受け取っておかなければいけないと思ったのは、「学校経営に関する内容をもっと充実する必要があるのではないか」という意見などであった。
 このため、今後ワーキンググループとしては、学校経営の内容を膨らませる必要があるのではないか、共通科目のイメージ例など場合によってはシラバス例の作成、及び実習のイメージ例の作成などについて、今後検討の必要があるのではないかと思っている。
 以上のことを踏まえ、教職大学院におけるカリキュラムイメージについて、議論をいただきたい。

委員
 これまで本ワーキンググループで議論をしてきて、カリキュラムイメージを固めていき、それで本日はモデルカリキュラムを議論ということなのですが、今後どのくらいの期間といいますか、いつまでの見通しで作業をしたらいいかということについて、事務局から見通しを説明願いたい。

事務局
 教員養成部会の議論については、教職大学院の制度設計は比較的順調に進んでおり、カリキュラムイメージの検討などに進んでいる。このような準備をすればするほど制度としてよくなるということは当然であり、本日議論を予定している実務家教員の具体的なイメージなど、このようなことを詰めておいた方が、大学分科会の方で専門職大学院の設置基準を改正する際極めて便利に働く。
 ただ、教員養成部会での教員養成改革全体についてでは、教職大学院だけではなく、「教職課程の質的水準の向上」「教員免許の更新制の導入」とあわせ以上3点を議論しているわけである。その点では若干様々な観点、とりわけ教員免許の更新制の議論という法的にも難しい問題があり、そういった議論が1年前に考えたスケジュールよりは時間がかかっているという状況である。全体での今後の議論を考えると答申そのものがまとまるのは最短でも7月以降になってしまうのではないかと考えている。また一方で、現在教育基本法案を国会に提出し審議いただいているが、同法案には、従来学校教育の一部として規定されていた教員の箇所を別に条立てし、その中で学校に勤める教員について従来の条文に加えて、教育公務員特例法に書いてあるような、常に研修と修学に努めなければいけないという規定も盛り込んでおり、そういったことも含めて、答申に当たっては教育基本法案の審議の動向も踏まえる必要がある。専門職大学院の設置基準の改正は、当然答申をいただいた後ということになる。
 一方では、これまで大学設置認可申請の時期について、6月申請のほか9月申請などもあったが、大学の設置申請については十分な時間をもって慎重に取り扱うというような社会的要請もあり、今年2月には省令を改正して、すべての大学設置の申請を6月末までに行うとした。そうすると物理的に、7月中に答申が出て、それから後に設置基準改正を行ってということになると、設置認可申請を受け付ける時期はどうしてもおしりの時期があることから、最短でも20年度設置の申請に向けての動きにならざるを得ないと思っている。

委員
 教職大学院の授業としてフィールドワークのことについて、これは医学部保健学科の公衆衛生等に関するフィールドワークをイメージして言っているのだが、フィールドワークを進めるとケースレポートと統計の繰り返しになってしまい、そのレポートが出れば終了となりがちである。それから先に何を目指しどういうふうにやるのかというものが見えない例がかなりある。何を目指し、何をできればそこの成功事例に持っていったという方向性を出すという指針が必要ではないか。

委員
 成績評価等について、現場のベテラン教員が教職大学院の院生を現場で評価するというようなことについて、カリキュラムイメージにつけ加えられたらどうか。

委員
 学生の受け入れについて、特に社会人になっている人が一念発起して先生になりたいということは大歓迎だと思うが、その際に筆記試験なども大事であるが、面接をどうするのか、これは大きなポイントになる。中身のある面接が必要。通り一遍に聞くだけでなく、踏み込んだ面接重視のやり方もあってよいのではないか。

委員
 今までのような入試という受け入れ態勢では困るということについては共通認識であるが、どういう風にカリキュラムイメージに表現できるかというとまだなかなかできていない。

委員
 フィールドワークのところについて、教育関係学会に行くと若い人から多数の報告が並ぶが、それは何か調べて報告しているだけで、何のために調べているのやら、調べた結果どうするつもりなのかというのが見えない。それが業績でカウントされていくという現状である。教職大学院でもそのようなことが起きないよう、もう少し書き込んでいくことが必要かと思う。

委員
 面接について、本学では18年度から地域推薦を始め、県内の高校からの推薦枠をわずかであるがす設けた。地元の教員になりたいという希望を叶えようということで、多様な面接をした。今後の方策として、入試は当該学科に任せないで、大学挙げてのことだからということで、本学の入試室が面接の仕方については方法を考えて工夫したいと思っている。
 関連して、1月に出張でフィンランドに行った。あそこの授業は何といっても定員に対して10倍も超えるような希望者があり、かなりの人材が集まってくるが、面接の仕方を各大学とも非常に時間をかけて行っていた。その際、教科等の知識は学士修了であるから、それは余り心配ないのであるが、一番見たいと思っているのはコミュニケーションをとる能力であるということ。コミュニケーションを図る能力を見るために、私どもであれば個人面接や集団面接等考えますが、フィンランドでは確実に受験生同士に議論をさせ、その議論の際にイニシアチブをとっているか否かではなくて、その集団の中でまずメンバーの主張にきちんと耳を傾けているか、それからきちんと積極的に語ることができているかというのを審査しているとのことであった。つまり、コミュニケーションを図る能力は教員にとって最も求める力であるということを厳格にし、そこに絞り切って面接体制を組んでいる。
 そこで、教職大学院での面接というものについては、あれもこれもというようにしないで、求める教員の力量というのをもう少し面接に関しては絞り込む必要があるのではないか。また、時間をかけてという部分が必要ということを思っている。

委員
 例えば教員養成系大学の現場での受けとめ方としては、このカリキュラムイメージについて、教科専門の人が関わるルートというのが見えにくいということはよく言われている。
 また、実習の問題で、特にストレートマスターの大学院生が教職大学院に入学した際の実習をどう考えたらよいのだろうかということ。この問題は、教職課程の改善に関する協力者グループで、学部段階での教育実習の改革について議論をしているが、そことも関わってくる問題。つまり学部段階での実習の到達目標を踏まえた上で、その学部を修了した人が教職大学院に入ってきた時に、そこでの実習をどういうふうにするのかということがその上に見えてくる。学内での議論であると、やはり学部の実習はある教科の実習についてしっかりとやるということが基本になっている。その後、スクールリーダー養成ということを目的としている教職大学院での実習は、どちらかというとチームワーク型、同僚と協働しながらプログラムを作っていくとか、学校マネジメントに関する事柄についての実習とか、そういうプラスアルファの部分に重きを置くのが妥当なのではないかというような意見が周りから出ている。ただし、そのようなことを教職大学院の実際の教育内容として考えていこうとすると、どうしても拠点校との深い結びつきが必要になって来る。大学と都道府県教育委員会との関係ではなく、それこそ近隣の学生も行ったり来たりが非常に楽なところの市教委なり、その中の意欲的な学校の校長先生なりというところと直にプランを詰めていくということなので、おそらく都道府県レベルの教育委員会との対応とだけではいけないという問題が出てきている。

委員
 今後の検討事項にもなると思うが、実務家教員の問題について、ただ学校現場での経験があるとか、指導主事の経験があるとかということで、そのような人材を充てるということを考えている大学が多いようであるが、私が危惧しているのは、そのような方々が、教職大学院の実務家というようになってしまうと、例えばここのカリキュラムイメージの7ページにあるような、こういう形式での授業ということを本当にリードできる人材なのかどうなのかということが問題になる。このため、フィールドワーク、なり、ワークショップなり、シミュレーションなりということをできる人というようにある程度WGとして打ち出していかないといけないのではないか。

委員
 このカリキュラムイメージについて、あくまでもこれはモデルであるから、実際大学のカリキュラムの検討の際にはこれを参考にしながら独自の特色を出していくのだろうと思うんが、設置基準にある部分は当然守らなくてはいけないとしても、どの辺までこのカリキュラムイメージを詳細に作成した方がいいのかという問題が1つ。それからこれはせっかく作成したものを答申のレファレンスの資料だけでなく、関心のある大学には早期に配る必要があるのではないかということが1点。
 2点目はこれも質問なんですが、教職大学院は主として小学校と中学校の教員を養成することで検討しているが、高等学校の教員養成というのは視野にいれるべきなのか。
 3点目は、カリキュラムイメージに関し、部会で学校経営に関するところが不足しているのではないかという意見があったとあったが、私が不足していると思うのは、校長や教頭といった方の学校経営というより、もう少し人間的な最近のリーダーシップとか、それから目標設定とか目標管理、PDCAのようなところ、それから経営的な基礎知識とか、評価力とか、そのようなものを盛り込んだ方がいいのではないか、またそのようなものについては民間の知見なんかも使われたらどうかという感じがしている。

事務局
 委員より意見のありましたことについて、カリキュラムイメージはもちろん法的強制力を持って強制をするという類ではないが、できるだけ各大学においては、これは基本的に教員養成課程の大改革であり、そこはむしろこれを基準にしっかりと守ってもらいたいと考えている。
 もう一つは、これはあくまでも性格上、義務教育構造改革という中でやっておりますので、小学校、中学校が中心となる。高等学校でももちろん教科が中心ではあるが、高等学校教員に欠けているのは教科の専門知識ではなく、生徒指導の知識とか、そういった教職の知識なんだと思う。主として小中学校の教員をイメージして設定しているけれども、その中で高等学校の先生が医学部や文学部または経済学部を卒業し、高等学校の社会科の免許状を持っている方、理科の免許状を持っている方が、それで教職大学院へ入学したいという方にとっては、今回の設定の方がよいと考えています。ただ、いずれにしても小・中学校の教員養成を中心として考えている。
 学校経営でして、少々誤解があり、教職大学院については「スクールリーダー」という言葉を使い、あくまでも一般の教員におけるリーダー的な存在としてスクールリーダーという語を使っているが、それにより、いわば管理職養成の専門職大学院というように誤解をされて、教育サイドの方、教育委員会の方から、校長・教頭にふさわしい内容をもっと盛り込むべきだという意見が出た。それが学校経営ということで意見が出たわけである。であるから、それは若干前提が少し誤解があるのではないかなと思っている。特別の人を再教育で養成するというよりも、むしろストレートマスターも含めて、普通の、学校現場で働いている教員を養成する、あるいは普通の学校で働く教員のうち、特に一生懸命中核的に頑張っていただける方を養成するという、そういうことを念頭に置いている。
 教職大学院は管理職養成の大学院ではなくて、一般の教員養成の大学院であるということで、部会において意見はありましたが、最終的には部会の皆さんわかっていただいたと思っている。

委員
 実務家教員のあり方の議論をすれば、カリキュラムイメージにまた戻ってこざるを得なくなると思うし、結局カリキュラムイメージを深めることになると思う。

委員
 実習校のイメージというか、もう一つモデル的な要素ということであれば、その際の校種、どういう学校を実習校にして選ぶかというときに、小・中学校、義務教育中心ということはわかるにしても、最近小中一貫教育というのが出てきている。まだそれほどの広がりではないにしても、品川区ほどには有名でなくても、各地に色々な試みがある。この前も実際小中一貫教育をやっている学校へ行ったが、小・中の教員が実に活発に相互乗り入れをしながら、授業も行うし、学校経営も共同で行っている。小学校と中学校というのは従来は義務教育だから一体だと言われながらも、実際のところはかなり壁があった。小学校は小学校、中学校は中学校、学級担任制と教科担任制の違いなどと言いながら、本音の部分では別の学校というような意識が強くあった。それが随分変わってきているなということが1つ。それから制度的にも広がってきている中高一貫というのが公立でもある。連携も含めれば、数百校にも及ぶと思う。この中高一貫教育というのは、中高の壁をなくしながら両方のよさをどう接続の問題を解消しながら発展させるかということで、校種を狭く考えないこれからの進み方というか、現場はそこまで進んできているということを考えれば、教職大学院の実習校の選定に当たっても、そういうものがあると、教科指導の連携・継続性ということもあるので、少し書き込んだらどうか。むしろ中身に触れたような実習校のあり方というものを例示してもいいのではないか。

委員
 今学校現場で一番必要としている人たちというのは、やはりリーダー的な存在の人。話が少し違うが、長期間教員採用に関わってきたが、そうした中で単なるペーパーテストだけではだめで、討議、面接、集団討議等をする中で一番顕著に感じたことは、1対1の面接というのは見事にすばらしい答えを出す、まさに我々が予想したことを答えてくれる、我々もすばらしい先生になると感じる。これが集団討議となると評価が違ってくる。いわゆる周りの仲間の意見を聞きながら、そしてそれに対して自分はこのように考えるんだという、そのような場面での答えというのは非常に難しくなってきている。そのことが学校現場の中にもあらわれてきているだろうと思う。教員になって、要は対人関係というか、コミュニケーション能力というか、人の意見、周りの状況、雰囲気、それらを十分に感じ取って、保護者や、子供の情操とか、そういうことを感じ取って対応していく、そのような勉強ができていない。これは勉強で培われるものではなく、持って生まれた身にあるものなのかもしれないが、そういう面が欠けている。そうした中で、将来のスクールリーダーとなるべき存在の人たちは、まさにその辺のところをしっかりと持った人たちになってもらいたいと思っている。そういう意味で、そういう面をしっかり持ったリーダー的な存在、このような人材を学校現場や地方の教育委員会は確保する必要がある。そして、そういう人たちはやはり将来的には、教職大学院が管理職の養成を意図していなくても、結果的に管理職になっていると思う。
 したがって、決して教職大学院は管理職養成というものではないとか、そういうことを言う必要はないと思う。学校の中で主任としてみんなをまとめている存在というのは、将来的にはそれは教頭や校長になっていくべき一人なのかなと思う。あえて管理職云々ということは明言しなくてもよいような感じがする。

委員
 私も面接にかかわったことがあるが、今は非常に勉強しているから、40分ぐらいの個人面接ぐらいではなかなか見抜けないところがある。また、集団で面接をした場合には今指摘があったようなずれが確かにある。

委員
 現在、採用後の研修に携わっているが、グループで研修をしている中で、とにかく最初のときに自由に今の悩み、あるいは困っていることを話してみなさいと言うと、やはり保護者対応、それから教室でじっと座っていない子の対応をどうしたらいいか、本当にそれに追われているということであった。それから、職員室で同僚にどのように話しかけていいのかということで悩んでいるなど、本当に何か初歩的なというか、これが現在の学校の現状なのかと改めて思ったりする。そうした場合に本当にすぐ大学を出てそのまま入ってこられた人と、それから何年か経験して、5年、10年経った人が教職大学院に入ってくると、狙うところが全然違ってくると思う。であるから、色々なコースをつくるということが一番の方策だと思う。
 また、実習校を決めるにしても、それもテーマがそれぞれ違ってくると思う。現場で苦労をしたり、悩んだり、保護者対応で親から苦情が来たりとか、そういう経験をしたことのない出たばかりの人であると、やはりそのイメージがなかなかわかない。実習は確かに何週間か行ったにしても、それはある程度その学級担任がクラス経営をしている中での、責任もない中で、それで何かがあれば担任がきちんとした対応をする。その状況の中で実習をして戻っていくわけであるから、やはり現場で1人で自分の学級経営をするのとでは責任の重さが全然違う。そこで色々なコースが必要ではないかと感じる。
 それから先ほど発言があったように、本当にコミュニケーションというか、人の話を聞いてきちんとそれを解釈したり、それからどういうふうにその方に対応していくかということは、親であれ子供であれ同じ教員であれとても必要なことで、その辺の能力をどうやって培っていったらいいのか。昔はそんなことはしなかったのであるが、今はそれが必要だということの現実を感じている。

委員
 様々な形でこういう形で整理していただいていることについては感謝と敬意を表したいのであるが、大学によってはそれぞれが実質的にカリキュラムというのは当然のことながらつくっていくわけで、専門職大学院についてもこのことは当然なわけだが、、専門職大学院というのは他の分野でも色々あるわけであるが、なぜ教職大学院についてのみ、このような詳細な骨格のイメージを作成しなければいけないのかということについて、まだ理解ができていない。
 現在の流れを見れば、規制緩和、これを一概にいいと肯定するわけではないけれども、やはり大学の主体性を尊重しながら、適切な評価によってよりよいものを目指していくというのが全体の流れとしてあるが、どうして教職大学院だけこのようなことを論じていくのかということについて、もう少し明解な説明が要るのではないかという感じが率直に言って感じる。
 仮にこれを前提としたときに、教職大学院のつくり方というのを既存の修士課程との関係で見ると、恐らく色々なつくり方があるのだろうと思っており、ある大学では修士課程について分野というものを見て、ある分野を教職大学院でやりましょうと、残る分野は既存の修士課程でやりましょうというようなつくり方があれば、それではなくて、やはり一応修士課程の全分野を網羅しながら、スクールリーダーについては教職大学院で養成しましょうというような、教職大学院のつくり方もある。そうすると、それはその大学の教職大学院をどう構想し、どうつくっていくかということによって、カリキュラムというのは当然違ってくるはず。一律にこのようなカリキュラムイメージということが本当に言えるのかどうかというような感じも率直に言ってしないではない。
 そういう教職大学院のつくり方こそまさに本来論ずられるべきことなのであって、教職大学院としてどういうつくり方をするのかということについて、様々なものを許容するのであれば、やはりそれぞれのふさわしいカリキュラムというのはそれぞれの大学が考えていくしかないのではないかという感じがする。

委員
 やはり教職大学院というものができれば、当然のことながら既存の修士課程とをどうするのか。この修士課程のあり方がきちんと論じられなければいけないと思うし、一方において教員免許制度の更新制が導入されれば、例えば10年講習を受けなければ免許更新はされないというようなことがあれば、やはり優秀な先生はそちらに流れていく。そうすると、修士課程に来る現職の教員も場合によっては減るのかもしれない。そういう中で、修士課程のあり方をこの際きちんと論じておかないといけないのではないか。もう一つ、免許更新制の場合には更新をしなければ人前に立てないわけであるから、その意味においてはその更新のあり方、内容、方法をどうするかということについては、これはかなり詳細に論じなければいけないと思う。そのような論じ方と、この教職大学院におけるカリキュラムの論じ方ということは、一つの答申になっていくわけあるから、当然バランスも必要になってくるわけで、どこかでそのバランスをとる舵取りというか、どこまで詳細に論じていくかということがよくわからない。

委員
 例えば免許の更新制の講習の内容については、教員養成部会の下のワーキンググループで詰めている。そのことと関連し、教職大学院のあり方について、基本的に何をやるかということについては2つの前提があるんだろうと思う。1つは既設の大学院と違うもの、やはりこれがないといけない。現在教育学部や教育系大学の上にマスターがあるが、それとどのような違いを出さなければいけないのかというのがかなりあり、それで少しくどくなる部分があるのかなとか思っている。もう一つは、専門職大学院としてつくるわけであるから、違うだけでなくある意味でハードルが高いというか、これをやらなければいけないだろうというのがある。つまり既設の大学院は色々な教育学部、教育系大学で行っていることの、より一層これは学術的にも実践的にも色々な意味でレベルを上げるということ。このためかなり広範囲のものを扱うわけであるけれども、専門職大学院というのは初めから焦点を当てなければいけない、そういうことで、今の既設の大学院とこれとの違いを際立てしなければいけないということにもなる。ということで、若干少なくともワーキングとしては書いておく必要があると思っている。

委員
 実は先ほどからスクールリーダーという言葉が出ているが、実は中間報告に割と広いことが書いている。つまり、教職大学院というのは言い方としては2つの教員像を養成することになっている。1つはよく言われるスーパールーキー、新人だけれども非常に実践力を備えてやっていけるような人を養成する。もう1つは現職の教員で、学校の中で指導的な機能を果たしてもらえる人を養成する。これが書いてある。「指導的な」ということで、これは必ずしも教頭・校長ということではなく、それは隣接するものとしてということで考えている。つまり、隣接するものとして、例えばということで、高度なマネジメント能力に特化した養成機能が考えられている。

事務局
 専門職大学院の中で、ここだけなぜカリキュラムイメージがあるのかということについて、当初はこの教職大学院を構想するに当たってはさまざまな教員養成、教育にかかわる専門職大学院、それは当然多様なものがあってしかるべきだし、大学の主体性があってしかるべきと思っている。その中で、これまでの教職課程を全部見直す上で、教職課程の中で少しきちっとしたものをつくっていく、そういう改革のモデルケースとして教職大学院というものを構想したわけである。そこの点において、中間報告の段階で明確に、隣接分野については教職大学院の目的とはせず、こういったことについてはどうぞ自由に制度設計をしていただきたいわけで、教職大学院とそれ以外の幅広い教員養成に関する専門職大学院、こういった、多様なタイプときっちりしたタイプと、2つのものを制度設計しているわけである。
 そこで、具体的にきっちりしたものを制度としてつくる以上は、その内容についてもある程度明確なイメージを持っていないといけない。教職課程改革のモデルケースとしての教職大学院という位置づけがある以上、その内容についてもある程度制度的に示す必要がある。そうでなければ、今までの教員養成に関する様々な施策とほぼ同じことになってしまう。そこは若干内容に踏み込んだ形でも示す必要があると思っている。
 もちろん、中央教育審議会のワーキンググループとして示すということが、そこは従来の、例えば薬学であれば協力者会議というところで示されたのと少し違うのかもしれないが、中央教育審議会の初等中等教育分科会であり、いわば教育委員会サイド、学校教育のサイドから大学に注文するという形で示しているという形である。これが高等教育の大学分科会でこういうモデルカリキュラムを示すことになれば、ちょっとそれは少し違うのかなと思っているけれども。
 なお、教職大学院に限らず、例えば会計専門職大学院でも、これはあくまでも自主的な会計専門職の方々が集まって行っているだけであるが、財務省と文部科学省が協働する形で会計専門職大学院についてはかなり詳細なモデルカリキュラム等もある。専門職大学院の中でなぜということになれば、それは制度的に初等中等教育政策の一環として、教職大学院制度を専門職大学院制度を利用して推進する以上、いわば政策的な意図の中で教職大学院の具体的なイメージを明らかにするためにカリキュラムイメージをつくっていくんだということだと思っている。

委員
 結局、大学の養成の現場でもそうであるし、学校の現場でもそういうところが結構強いが、なかなか教員同士が議論ができない。例えば冒頭出たように、色々な報告書を集めるんだけれども、お互いに褒め合ってしまって、お互いに参考になりましたと言うだけで、それについて本当に議論というのができないという、そこの風土をどう変えていくのかというところも、もう少しカリキュラムイメージの中に入れた方がいいのではないか。

委員
 これから議論が、各大学、あるいは教育委員会の決定が進んでいくと、必ず出てくる問題がある。もう既に部会で出ている意見、周りから聞こえる意見がそうであるが、大学の側からは教科専門をどうするんだと、実務だけでいいのかという声がどんどん大きくなってきているが、これは正しい面もあるが、これまでの教員養成をどれほど教科専門がだめにしてきたかという反省を抜きにしてそれを妥協していくと、結局何もやらないときと同じことになっていく。同じように、教育現場の研修だって、個人個人の管理職をつくるということを軸に重ねてきているわけで、そこのところの必要性は否定できないけれども、その中でどれほど学校の力を強くしてきたのかという反省をやっぱり持たないといけない。そういう意味で、これから教科専門をどうするんだ、大事ではないかという声と、管理職をつくらなくてどうするんだという声が、これからやっていけばやっていくほど出てくるが、そこに対して適切に答えられるものを持っていかないと、他の改革との関連も私たちが意図するものも見えないかと思う。

委員
 例えば初等中等教育行政と、それから高等教育行政、これはやっぱり両者のバランスの中で考えなければいけないと思う。そういう中で、大学が自主的にどう考えるかということについては、これはやはり重要な要素として、初等中等教育との関連の中でどこに基準を置くかということは、これもやはり考えておく必要があると思っている。それはそれとして、教職大学院というものをいわば1つのてことして、学部における教員養成のあり方等を見直すということは、これは1つのやり方としてあり得るとは思うけれども、やはり多くの教員というのは学部で養成されるわけであるから、学部での養成こそきちんと見直すのが本筋なのであって、教職大学院のあり方から学部にはね返している考え方そのものは私はいかがなものかと思っており、そのことについては、教員養成の今後のあり方をきちんと踏んでいく中で考えていくようにしたほうがいいのではないか。
 それともう1つ、基本的に気になるのは、教職大学院というのは確かに言われるように、ほかにも専門職大学院の教員養成についてはあり得るだろうと言われるが、現実にはやはり教職大学院に特化していくわけである。それとの関連で、やはり色々な教職大学院がありえると思う。それを1つのカリキュラムイメージで本当にうまく表現できるのかどうかということについては、やっぱり私は心配しているところがあり、それぞれの教職大学院の在り方によって、どのカリキュラムが必要になるか違ってくると思っているものですから、あえて申し上げておきたい。

委員
 色々な教職大学院があってしかるべきだという意見ももっともだと思っているが、これができ上がったのでひたすらこれに従わなければいけないんじゃないかという具体性のない大学は、恐らくどんどん遅れをとっていくのだろうと思っている。
 中間報告の50ページ、学校における実習は約10単位、共通科目の部分を20単位、これも5分野があり、それぞれどういうようなところにウエートを置くか、当然大学に委ねる。コース別のところもやはり全体の枠としてはこれがあっても、カリキュラムイメージができ上がったとしても、それを参考にしてそれぞれの大学の事情、特色に合った教職大学院が出てくる。そういうものと私は期待している。
 それと、聞くところによると、学部レベルで座学一辺倒であった一般大学の教職課程で、このカリキュラムイメージの内容を読んで、これは今後こうあるべきだと思われるというのがあって、できる限り内容の濃いものをカリキュラム改革に導入していきたいという動きがなきにしもあらずである。
 このカリキュラムイメージは、非常に濃い影響を及ぼしているということである。

委員
 教育委員会サイドでも、学部の教員養成課程の内容、コースの内容や、既存の大学院のカリキュラムを問題視していて、何か風穴をあけたいと思っていたこの時期に、教職大学院構想が出てきて、これまでと質の違うものが出てきたということで、推進してもらいたいという声の方が大きいというように判断しているので、先ごろから危惧されている点はそんなにご心配なさらなくてもよろしいのではないかと思っている。

委員
 以前、医学教育のコアカリキュラムという議題をやった際の理念は、とにかくまず1つは明治以来カリキュラムが変わっていないということ。もう一つは、各教科に医学教育を任せておくと、座学の重視を主張する偉い先生がいるので、座学ばかり詳しくなってしまって、患者さんが自分の前に来たときに脈一つとれないという問題がある。それを少なくとも医学教育の中で患者を前にしたときにきちんと相手の目を見てきちんと話ができること。これがスタートになり、それからまた国公私立合わせてちょうど80の医学部があるが、それを卒業した学生が一種の品質管理として、ここまでは必ず知っているということの評価を、国家試験に全部任せるのではなく、教育課程においてもここまでは知っているという、これをもとにモデルコアカリキュラムというのをつくった。
 ただ、こういう画一的なものにしていいのかどうかということについてはかなり抵抗があった。委員会の方は、せめて5割~6割はやってほしいと、あとは大学がどうぞ工夫してください、5割~6割位はどうしてもここは足場として必要だというところが出ているはずだから、よく読み取って、大学の実情に応じてやってもらいたいということをお願いして、現在そのとおりにいっている。
 であるから、教師の養成の場合も、大学に全部任せておくと、例えば理学部で東京教育大学でノーベル賞をとった朝永振一郎先生がいたが、理科教育の人はみんな朝永振一郎になるのが一番いいと思っているわけで。しかし、これは私どもからすれば理学部でやってもらえれば一番いい話で、教育学部の理科教育であれば、朝永振一郎先生のようにノーベル賞をとることも、そういう人が出ることはあっていいとは思うが、理科教育をせめて小学校、中学校ではしっかり教えるための知識・技能、それが大前提で、その上で自分の研究をすることが大事なのではないか。
 理科の先生は、自分の研究が進むことが一番いいと思っていて、世の中でどんな教育が行われていても、教育学部に属していながら知らない顔をしているというようなことでは、これから世の中に対して説明責任がつかない。だから、そこのところが、さきほどのコアカリキュラムのように、ここまではやってもらいたいというのは、医学部については、文部省から言われてつくったのではなく、医学部長会議でこれをやろうと言ってつくった。だから、本当はこのようなカリキュラムイメージは教育学部から出してもらいたいと思っている。私はこのWGに、大いに期待している。

委員
 事務局から説明がありました資料5-4に関して、今回教職大学院の教員のあり方の中でも実務家教員の在り方というのがポイントである。要するに、経験が何であるかとか、実務の能力が何であるかということを見ていくと、最終的に指導能力の問題になるのではないかということ。
 例えば教員研修で講師をやったことがあるとか、そこの指導者であることがあるとか、例えばそれが座学の指導の経験しかないというと、恐らく教職大学院の意図するところの実践的な部分を担うというようには、それだけでは適切ではないということになる。
 私の意見ということで、このように考えるのはどうだろうか。カリキュラムイメージの6ページ、7ページに教育方法の問題が出ているが、例えば1条校でのキャリアがあるとか、あるいは指導主事としてのキャリアがある人とか、あるいは教員研修現場でのキャリアがある人などを入れるような場合でも、例えば7ページに書いてあるような授業形式による指導経験のキャリアを有しなければいけないのではないか。つまり、どういう研修の内容をやったのかではなく、こういう方法に習熟している人かどうかというところで基準を考えていくようにすると、この教職大学院での指導者の中の実務的な部分を担う人という点では、該当するのではないかと思う。
 つまりこの教職大学院の新しさというのは、恐らく方法的な部分で今までの大学教育と教員養成教育は違うということを打ち出すことが大きいだろうというように思うので、ここをポイントにしてみたらどうか。

委員
 これにどの程度の具体性を持たせた例示をするかということがポイントになろうかなと思うが、一般的に学校現場での指導的役割を十分に経験した人というのがおられるかと思うが、これは退職した元校長とか教頭とかOBになる。あるいはそれ以外の方とありますが、今の時代の変化の早さということもいろいろ考えていったら、将来的な発展ということも考えに入れた場合は、現職をどれだけ実務家教員として大学が受け入れられるかということもポイントになるのではないか。
 色々な都道府県で、現場の教職員を大学の教官に期間限定で迎え入れているという例が出てきている。それを限定でなくてもいいと思うが、より実践的な現代的課題に対処できる人材ということをどこかに入れておく方がいいのではないか。もちろんOBが悪いという意味ではないが、そういうイメージに固定しないという意味である。都道府県や市町村の教育委員会の幹部職員の中にもそういう人材というのは相当いるわけである。その中の働き盛りというか、資質のある者を迎え入れられるということが一つの活性化にもなるんではないかという気がする。

委員
 県の教育委員会と大学が協定関係を結び、人事交流を昨年から行っている。県の指導主事を大学の教育学部の助教授に迎え入れている。大学の助教授を県教委の研究指導主事で迎え、2年から5年かけてお互いに学び合おうという形の中で講師の交流を図っている。
 もう1つ、現在教職大学院のことについて大学と県教委とで話し合っているが、教員養成大学を出てきて教員として頑張っている者の中にも色々な課題が生まれてきている。それに対するいわゆる補完的というか、教育委員会としても独自にやはり研修会を色々な形で持っているわけである。であるから、地方も黙って見ているわけではなく、この大学ができなくてもそれにかわるべく、あるいは補完できる研修会等を今の課題にマッチした形で持っているわけであり、教育委員会としても今回教職大学院ができるということに非常に大きな期待が実はある。
 管理職がかわれば学校が変わるというようなことを、実は本気で思っている1人であり、少々話題がずれるかもしれないが、いい校長を育てる、これはやはり大切な役目じゃないかというような気がする。やはりいい学校をつくるには、いい校長を育てる、いい管理職を育てる、それをするにはやはりいいリーダーということになっていくだろうと思う。

委員
 これから、はっきり言うと管理職が低年齢化する。逆に言うと年功序列で、校長や教頭を置かなくなる。そういう中でやはり色々な場、もちろん行政の中でも目をつけた人は地域の中で色々なところを経験してもらって育てている。しかし、同時に大学がどこまでそういうことと関わってくれるか、バックアップしてくれるか。もうこれからの教育はリーダーシップをとれる人、本当の意味でリーダーシップをとれる、しかも力量がある者ということになる。あいさつが上手にできて、上手に実務の担当ができればいいのではなくて、実質的に教員組織の教員でなければいけない、教員を指導する教員でなければいけない、父母に対する教員でもなければいけないという、第1次的な教員でなくて、その上の教員でなければいけないという話はどこの教育委員会を回ってもおっしゃる。
 したがって、そういうことは、教員養成のカリキュラムの中にどう念頭に置くか。先ほどから色々出ていて、どのように表現するか非常に難しいが、やはりそのことは非常に重要であり、今現場が一番求めているのはそこだと思う。

委員
 英語教諭の場合にも英語の専門科目を担当する人と教職との、それこそここで言う架橋、橋渡しをする科目として英語教育概論ということを設定した。それは内容を見ると、いわゆる実務家教員、どうしても必要な内容、それで審査しましたところ、それこそこの論点例の1と2の実務の能力というのはイコール学校英語職員として何年勤めたかという、それがどんどん出てくる。
 大学の教育資格審査に相当するものであるので、個人調書を出してもらうけれども、それには経験を5年したとか、教育センターで大テーマが示されていて、それについてこういうふうにしたとか、講義したとか、指導したとかそういうことがあったので、その内容について問い合わせをすることが非常に多かった。どうも実務経験になると、何年したかということを判断する主な根拠にしてしまいがちであるから、ぜひ3番目の教育上の指導能力、経験を踏まえてどういう指導内容、具体が示されたか、実際行われたかということを示す資料を是非提出してもらいたいということで審査する必要がある。

委員
 つまり資料にある「高度の教育上の指導能力」というのが大事だと、ただの経験年数ではないというのはだれでも認めるところ。それでは、高度の教育上の指導能力というのをどこで見ていくのか、何が担保しているのかということになると、これも難しく、今、話しがあった英語教諭のことに関し、私も同じような経験があり、教育行政、あるいは研修の経験者がたくさん大学の教員に採用されたり、非常勤に採用されたりして、課程認定の審査の場に出て来る。それだけ見ていると、経験が非常に強調されている。考えると、経験があれば大丈夫だという考え方が教育現場には強い。あるいは、大学も今までそういうものがなかったから、そういう経験を持っている人を入れればいいという感じが強いのではないか。であるから、論文みたいなものはほとんどない。どこかの講習会で講師したというだけが並んでいると、そういう書類が相当出てくる。課程認定でそれがだめとなっているわけではないが、どこかそれでいいのかな疑問を感じる。やはりここのところの架橋、融合というものができていないと、人的な面でもできていないという感じが非常にするのであるが、教職大学院の中でそこのところが突破できるガイドラインみたいなものが必要なのではないかなというように思う。

委員
 要するにここでカリキュラムイメージの大体4ページあたりから6ページあたりの内容を外して実務教員のイメージを打ち出すというのはおかしいので、この辺をとらえる形で出す必要があるのではないか。校長のあり方とか、色々なものと結びついてしまうけれども、やはり基本はそこから考えていくしかないのではないか。

委員
 実務家教員にとって大事なことは、いわゆる大学の専任教員もそうであるが、実務家教員は、実践の面から理論を架橋できるということが大事なんだろう。このこともやはり外すわけにはいかないので、どうするかといったときに、大学というか養成の現場と学校の現場というのは、教育委員会などで最近は共同でいろいろ研究会なんかをやっている、そういうプログラムが相当出ているので、そこでどういう方が講師になっているだとか、どういうテーマを取り扱っているのかとか、どういう指導をしているのかとか、その辺の具体的な事例にある程度即して見ていった方が、ここでどういう内容を書き込むのかというときの書き込む内容について何か知恵も出てくるのではないか。
 ですから、基本はやはり内容を踏まえるということと、それからもう少し実態がどうなっているのかというようなことを、考える必要があると思います。

委員
 大学の場合にも、従来のような大学教員の枠ではなくて、いわゆる大学院から学会という形ではなくて、実務経験から教科教員等を担当する方たち、このような人たちのことも念頭に置かなければいけないだろうと思う。

委員
 研究者なら論文なり学会の発表というのが一つのアピール材料になるわけだけれども、学校の教員や教育委員会など教育センターの人間には、そのようなものがないわけである。それをつくり上げていくこと自身が無理があることは確かであるが、少なくとも論文という形ではなくても、何らかのものは出してもらうということは当然あり得る話だと思う。研修の講師をした場合のレジメなり、何らかのそれを裏づける指導力のペーパーなり、データなりというのがあるだろうと思う。それは色々工夫していただいて、その条件というふうに例示していてもいいと思う。
 もう一つは、先ほどからコミュニケーション能力が教員の中に足りないことについて、養成の過程で問題だという話があったが、コミュニケーション能力を実務家教員が身につけてなければ、指導に非常に弱いわけである。どのような指導的なコミュニケーションを図るかということを採用にとって一つの判断材料にするという点では、面接やプレゼンテーション能力といったようなものも論文にかわるものとして実務家教員を判断するデータになり得るのではないか。それは必須条件とまで言わないにしても、例示として挙げておいた方がイメージがよりリアルになるような気がする。

委員
 教員以外の方が実務家教員になる場合の考え方というものも記載されているが、組織力やコミュニケーション能力などについて、教員関係以外の人の場合は実務経験で大体判断される。余り教育に関係した研究会で発表したとか、教育の論文を出しているとかなどは実務者の場合は難しいこと。その専門分野で論文を出しているなどはあると思うので、そういう配慮は必要なのではないか。

委員
 検討課題に、事後チェック(事後評価)の観点についてが入っている。これは、そういうことが今後の検討課題としてあるということを念頭に置いていただくということ。

委員
 実務家教員ということについてですが、この教員の身分というか籍というのは、完全に大学に属するのか、それとも現職の小・中学校に属するのか、あるいは教育委員会等に置きながらということも含めた考え方でいいのかどうか。

委員
 基本的に大学の先生は大学に籍を置くということになる。ただ、いわば兼任ができるかどうかということがあるが、それは中間報告の91ページに教職大学院組織のイメージというものがあるが、専任教員のうち何人かはみなし専任が可能ということ。例えば教育委員会の教育センターの研修主事をしながら、ある大学にとっての実務家教員であるということが可能になり、現在も法科大学院の場合の現職弁護士さんなどが教えている。そういう意味では、専門職大学院が、現時点におけるそういう現場の仕事を肌身で感じている方に来て頂くことが可能になる。

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