教員養成部会 専門職大学院ワーキンググループ(第8回) 配付資料

1.日時

平成17年6月27日(月曜日) 15時~18時

2.場所

東京會舘 11階 シルバールーム

3.議題

  1. 教員養成における専門職大学院の在り方について
  2. その他

4.配付資料

4.概要

委員
 今日のWGの審議の進め方について、今回で概ね本WGとしての審議経過をまとめるという形にしたい。

委員
 教員養成部で2日間にわたり、各団体に対するヒアリングが行われた。慎重論もないわけではないが、その場合は主に、現行の教員養成制度を充実発展させる方が先ではないのか、新しい制度をつくることはいかがなものかということや、あるいはそこにおいて新しい教員像の中に格差が生じたりしないかと言った慎重論があったが、全体としては、積極的に進めるということでいくつかの注文が出されたというように認識している。

委員
 「スクールリーダー」について、例えば大阪教育大学、兵庫教育大学、九州大学の教育学研究科の大学院等がシンポジウム等における文書などを見ても、ある部分では即校長・教頭と書いてある文献もあり、また教育内容や方法の専門的な研究、実践的研究を進める教員という意味で書かれているものなど、様々ある。ヒアリングの場で質問してみたが、校長・教頭という管理職を指すようには思っていない、どちらかといえばソフト面を強力に進められる力のある教員という意味で使っていると言っていた。

委員
 「即戦力としての新人教員」について、それでは今の学部卒は即戦力ではないのかということもある。この点について、「スクールリーダー」の用語について補足したように、「即戦力としての新人教員」についても補足した方が誤解は生じないのではないか。

委員
 教科専門を軽視し、教育現場経験や教育実務だけを指導するようなことがあっていいのかというような議論は当然あり得る。この点について、そうではないということについて記述があった。

委員
 修了者の処遇について、特別な処遇をすることについてヒアリングの中でも警戒感があったように思う。ここでは任命権者において検討されることが期待されるということが主軸になっている。

委員
 実務経験者による指導として、実務家教員などのイメージを詳しく書いており、これは大変いいことだと思うが内容がどうか、議論が必要。

委員
 スクールリーダーについては、鉤括弧があるか無いかで意味が違ってくるのではないか。現在の表現の方が網羅的で柔軟でいいのではないか。また、いわゆるストレートマスターの者がこの大学院に入って、学んで終了していくと即戦力になるということについて、私は即戦力という言葉を使った方が他の先生方が懸念するほどのものではないだろうと思う。即役に立つという印象を多くの者が持つが、グループ内でリーダーシップをとっていけるんだという、その程度の意味があると理解すれば即戦力という言葉を使ってもいいのではないか。

委員
 「スクールリーダー」は、例えば校長・教頭等の管理職など特定の職を指すものではなくということであるが、この目的が優れた教員ということと同時に、マネジメント能力を持った管理職あるいは指導主事の養成という趣旨もある。経験年数でいうと10年程度あるいはそれより下のような意味にとれるが、将来管理職になるとか、何か優秀な学校経営をする人も入りますというようなことがあるといい。

委員
 学校現場の中で中核的・指導的な役割、もちろん学校現場だけでなく、地域の中での役割もあると思うが、校長・教頭ではない中核的・指導的な役割、端的に言えば学校の中では教務主任や研究主任や学年主任等々、これらのことを指すととらえていいのかどうか、当然様々な拡大解釈ができるだろう。学校現場の中で中核的な指導者となってやっていく存在のポストというのは教務主任や研究主任等々ということになるわけだが、そういうものを指すんだろうと私は個人的には思っているが。

委員
 初任者研修について、初任者研修は極めて重要な位置を占めている。学校に入って、教職をしながら勉強をするところに意味がある。もちろんこの専門職大学院の中で勉強することも、現場と一体になって勉強するということであるから、ある意味では期待されるとは思うが、初任者研修はそれとは少し感じが違うような雰囲気で見ている。しかし、専門職大学院で勉強することによって、いわゆる現場の雰囲気を直に感じながら勉強できるような機会ができたということはすばらしいことだと認識している。

委員
 スクールリーダーの定義について、このままだと管理職を除いてしまう書き方になる。管理職などの特定の職のみを指すのではなく、校長、教頭、教務主任、学年主任等を含めた形にしたほうが広がりがある。いわゆる学校力になるような人物が必要であると考える。

委員
 スクールリーダーについては、幅広く考えたが方がいいと思う。校長・教頭を含めた記述ととられるのではないか。それでは「将来の指導主事や学校の管理者」とは矛盾が出でくる。本文では「将来において」と文言をつけながら、学校の管理者(校長、教頭)を指す言葉があるのに、わざわざ括弧書きにして、違いますよと、断り書きととれるような表現を入れることは適切でないのではないか。

委員
 ストレートマスターについて私はあまり期待が持てないと考えている。「より実践的な指導力・展開力を備え、新しい学校づくりの即戦力となる新人教員の養成」は断定的表現である。他の大学院と違って、新人教員として即戦力に特化した評価ができるのかどうか。

委員
 即戦力、ストレートマスター、新人教育について、初任者研修は終えている位の力量を持てるようでないと意味がないのではないか。逆に考えると、専門職大学院の中身が理論に偏っては意味がない。専門職大学院が初任者研修レベルを軽々超えるような内容になっていなければいけない。任命権者が初任者研修の免除、一部免除を決めればよいのではないか。

委員
 初任者研修は制度化されつつあり、学校を空けることはとても厳しい状態である。学校内での初任者研修の充実が必要である。教職大学院で理論と実践の双方を実行されることが望ましい。実践を通しながら学校内の研修の充実が必要である。

委員
 初任者研修の制度は、まさに教壇に立って子どもたちを教え、教えることを通して、また教えることを実際に周りの先生が見ながら初任者を育てていく。その課程で、地域の考え、県の教育課題、我が国が持っている教育課題について幅広く学ぶ。初任者研修は、地域全体で学校全体で初任者を育てていく体制をつくることに意味がある。専門職大学院における教員養成と初任者研修制度のねらいは違う。任命権者が初任者研修の全部・一部免除を決めることでよいのではないか。

委員
 スクールリーダーについて、「地域における指導的役割」のところに「学校」という文言を入れるほうがいいのではないか。校長・教頭・他の職員を広く含めた趣旨には賛成だが、私自身のイメージとしては現在管理職それ自体がある人よりも、現行の大学院を見て、一斉に携わっている方がポイントになる。管理職の理解が必要であるが、実践を持ちながら、後輩にインパクト、影響力を与えるやり方と、実際に管理職になったときの指導には質の違いがある。そういう意味で、専門職大学院で本当に実践力をつけ、その力をつけて学校に帰るには、専門職大学院で実際に学級なり、児童を担当することが大事。

委員
 全体の考え方として、教職大学院をつくる以上、どのような人材を養成するのかを一言で表す必要がある。それが「スクールリーダー」「即戦力教員」であり、わかりやすく書き表す必要がある。学校の場合、スクールリーダーに相当するのは、校長のほか教頭・教務主任・生徒指導主事などであって、学校における職や役割分担と結びつかないで、スクールリーダーが動いていくならわかりやすくなる。
 我が国の教員養成の主体は何なのかを考えた場合、やはり現段階では学部段階における教員養成が中心であり、学部段階で幅広く養成されるのではなく、即戦力すなわちすぐに教壇に立てる教員、それを念頭において即戦力新人教員という表現は妥当なのか。確かにキャッチフレーズとしてはわかりやすいが、教員養成の本質から言うとそれでいいのか検討が必要。
 もう1点は、今回つくる教職大学院と学部との関係である。教職大学院について学部の授業を担当する教員との関係をどうするのか。一般の専門職大学院では学部との関係はできない。

委員
 私立大学や一般の大学における教員養成学部について、そのことの猶予期間を考える必要がある。

委員
 免許状について、教職大学院は「教科に関する科目」「教職に関する科目」を開設する。その専門職大学院は専修免許状を出すが、もともと専修免許状は「教科に関する科目」「教職に関する科目」いずれでも修得できるものである。専門職大学院で教員免許状を出すとすれば、両者を開設し履修しなければならない。このことは、対免許制度との関連において大丈夫かどうか。

委員
 免許状については、免許制度全体としてより検討する必要がある。「教科に関する科目」「教職に関する科目」が24単位以上どちらかとれば専修免許状になる。設置基準では、実習の単位10単位以上となっている。共通部分では5分野にわたり全ての領域で開設することとなっている。

委員
 現行の専修免許状は難しい問題を抱えており、その点も加味しつつ専門的につめる必要がある。

委員
 教職大学院と学部教育との関係で、担当する教員は学部教育と兼担できるようにしたほうがいいのか。

委員
 兼担できるようにしないと、私学や一般の国立大学の教員養成学部は、専門職大学をつくりにくくなるのではないか。

事務局
 その点について、私立大学団体からのヒアリングなどにより、大切な論点として指摘していただいている。最低必要専任教員数は11人であり、平成25年度までは11人中では6人までが兼担可能。最低基準なのでこれを上回ることはあり得る。今のところこの形で私学も含めて意欲のある大学は十分に利用できるのではないか。

委員
 教職大学院は法科大学院と違って、教員養成は学部の基礎であり、法科大学院の専門性とは違う。すると、簡単に今の修士課程の大学院と変わらなくなる危険性がある。今の修士課程を全部なくし、現行の修士課程の大学院を専門職大学院に全部変更すると違ったことになる。開放性を原則として、現行上に刺激を与える形では、簡単につくれる形でないと意味がないのではないか。

委員
 あくまでも、学部との兼担はできないというのは申請に当たってであり、設置された後に学部の授業を兼担しても構わなく、コースワークを充実させた密度の濃い大学院教育を行ってもらいたい。アカデミックな大学院とは違う特殊な大学院をつくってもらいたい。十分な教員スタッフを用意する。設置後、教員が学部の授業を行うことも可能である。つくりやすいかどうか別途別議論であるが、学部との関連性について直接結びつくものでもない。

委員
 ワーキンググループとして、専門職大学院のための特殊な免許状をつくるとすることはどうか。修了者の処遇については、採用する側の教育委員会サイドへの配慮を考えると、この程度の表現が適当ではないか。一次試験免除、初任者研修の免除や一部免除などを明記する必要はない。間接的な表現にしてはどうか。

委員
 このようなやり方では、なぜ専門職大学院をつくるのかという話になってしまう。教員養成系では出口が保証されていないと困るのではないか。

委員
 処遇については明記できない。処遇を行うとの保証を与えると採用で有利になり、教育委員会としても困るのではないか。

委員
 従来の教育系大学院と専門職大学院の違いをアピールするときに、判断材料がないと学生が動かない気がする。行ったら得をするというものは処遇ではないのか。同じ専修免許状なら、従来の大学院では1年目は勉強をし2年目は論文という形で大学にいかなくてよく、専門職大学院だと2年間学校に行かないといけないので、学生は楽して専修免許状をとるという形も出てくる。同じものなら従来の大学院で楽してとるのが学生の気分ではないか。この危険性があるので、もう少し免許の在り方を配慮した方がいいのではないか。

委員
 免許状や処遇というインセンティブにかかわる部分で曖昧になってきた。初任者研修の一部又は全部免除程度である。採用する場合をとっても、ストレートマスターが実習をしてきた上で、即戦力としてある程度評価してきた人に差がない。議論の後退でないか。

委員
 財政や県の教育行政により、教員は地元で採用し養成していくことだと思う。こういう形でやっていく中で、実際の動きの中で教職大学院修了者の扱いについて検討することとなるだろう。

委員
 都道府県の教育委員会は、より質の高い研修に関心を持っている。

委員
 免許状に関して、このままでは同じ専修免許状は2種類存在してしまい、専門職学位と一般の修士学位で区別しないといけない。その区別がどれだけできるのかという問題になる。

委員
 処遇について、実際の修了者を見てみなければ採用枠を設けることもできていないのは致し方ないだろう。

委員
 初任者研修について、レベルの高い初任者研修は、今回の専門職大学院のプランと重なる部分があるのではないかと思う。初任者研修は一部又は全部免除することを可能とするという形をとり、今後期待される専門職大学院とすればいいのではないか。

委員
 初任者研修制度は専門職大学院での履修結果により代替が可能なのか。制度上つなげる上では、どこまで担保されているのかが大事である。そういう意味で、専門職大学院の終了要件として教育実習が10単位以上義務付けられているが、ほかでは5領域にわたって学ぶだけではなく、教育の方法等についてもどこまでも設置基準で規定できるのか、法律等で明確にしばれるのか、初任者研修の免除と大学に共通的に担保できることが法令上どこまで担保できるのかが論点である。

委員
 今までの大学院と学部にまかせて、「研修にきてくれ、採用してくれ」といいつづけても、だめだった。教職大学院を大学ベースでつくって同じようにしてはだめである。処遇してもらえるような専門職大学院をつくらないといけない。そういう意味で、教育現場、教育委員会と一緒に大学をつくるという位の意味でないとだめであると思う。初任者研修や10年経験者研修を担保するようなものをつくれないなら、専門職大学院とは呼べない。

委員
 初任者研修や校内研修を評価している。まさにそれだけの研修を担保してそれらをやれればいい。研修は現場の教員にとってものすごく大変で、そこでやられている高度な内容(教育手法)に評価している。

委員
 初任者研修を初めから自動的に免除するのではなく、任命権者の判断で免除するのは可能である。スタートして10年以上立った初任者研修については、中身をもう一回見直し、検討を各県にお願いしたこともあり、常に不断の見直しが必要である。逆にいうと、大学と各教育委員会が切磋琢磨して競争環境をつくるようにしたほうがいい。

委員
 採用について、公立学校の場合法令上「選考して行う」としか書いておらず、制度上担保していない選考方法について触れないので、何らかの措置を制度的に担保することはないので、こういう表記になる。

委員
 実務家教員について、教科・教職に関する科目で、これは教育課程の実例や領域で採用すべき実務家教員のイメージを考えると、教職大学院における開設科目は教職に関する科目に限られないか。

委員
 専門職大学院がこれからつくる展開の内容を考えると、そこで行われている科目は全部教職に関する科目ではないか。

委員
 実習部分10単位、その上に共通部分の5領域があるが、その他のコース別分野としては、その例として教科教育系も想定している。

委員
 コース別選択として、例えば理科教育専攻というものが出てくると言う想定なのか。

委員
 教科教育系を残りの単位で行うのはあり得る。ベースには教職があって、その上での個別専攻といえる。

事務局
 教育課程について、体系的に教育課程を編成すると言う趣旨は、5領域については設置基準上は単位数を書かないからといって、例えば5領域にわたって1単位づつ、計5単位とした場合、教職大学院の要件を満たしているといえるのか。共通科目部分が実習以外の部分の半数程度以上を含めないと、体系的に編成されているといえないのではないか。

委員
 教職大学院の開設科目について、今までの大学院の教科の専門性を考慮した場合、教職だけをやっていればいいのかとなる。免許法の上では「教科に関する科目」「教職に関する科目」と置き換えなければならない。従来型の教科・教職の二分法ではない形で考えていこうとしている。

委員
 教科専門的なものを排除するのか、しないのかが問題。専門職大学院制度の活用に当たって、学校が直面している課題に対応する実践力の養成という共通的な目的の下に、各大学の判断によって教科専門的科目を含める教職大学院もあり得るのではないか。

委員
 採用する側としては、英語教員、国語教員、小学校教員、数学教員などでは、T字型の才能を持っている人でないといけない。その人が教科を教えるのがいい加減では困る。50分の授業をきちんとこなしてくれないと困り、共通科目がその素養になるようにしないといけない。

委員
 それはそのとおりであるが、あまりにも教科の専門が強調されると、教科のための教科、研究のための研究を復活させることであり、それを認めるのであれば無意味な大学院になる。教員としての実力に通じる教科の専門性でないと困る。研究論文を書いても、50分の授業のバックグランドを書いたに過ぎない。採用する側としても、国語教員で現・古・漢のうち現代文だけしか力量を持たない者を採用するのでは困る。

委員
 補論について、学校教育と教員の在り方に関する領域のところはいろいろ議論のあったところであり、人間力とか、あるいは教養とかを含めて、今回の諮問でも、高度の専門性と豊かな人間性・社会性というところだと思う。その辺について、倫理観なり、本来の使命なりというところが教えられなければいけない。

委員
 学校と社会について、学校の教育力を創造的・戦略的に構築していくことが必要なのではないか。縦にいくつかの領域を並べて、それを横にどうつないでいくかというオムニバス形式ではできない。横にどうつなぐのか、視点を付け加えたほうがよい。

委員
 先ほどの即戦力という言葉について、学校の組織づくりは経験年数がものをいう部分が相当ある。その中で、若いけども積極的にものを言ってぐいっとひっぱっていける、あるいは中核になれるという意味で、即戦力は学校づくりの新鮮な新しい戦力となり得る側だと思う。また、校長や教頭などのスクールリーダーとの関係のところがあるが、今後、専門職大学院で学んだ人というのは、この先いくつかの可能性がある。教務主任や、教頭・校長といった管理なところにつく人もある。あるいは指導主事ということもある。あるいは生涯一教師、それこそ教えるプロとして生きていく。従来はスクールリーダーといえば校長・教頭という考えがあったが、スクールリーダーといえば校長・教頭と言う考えではなく、新しい学校における役割を問題提起しているのではないか。

委員
 現実に校長、教頭など管理職を対象に、教員養成大学よりは旧帝国大学、例えば東北大、筑波大学が取り組んでいるが、そこで研修してくると教頭になれるということがいわれているが、それとは違ったものが必要である。

委員
 現在でも相当の修士課程が定員割れを起こしている現実があり、近くに専門職大学院ができるとそちらに集中してしまうのではないかという点が大学関係者の不安としてある。つまり、学部を中心とした教員養成の体制が不安定になっていく、現代のマスターの改革が思うようにいかなくて、結局それが専門職の方にいくのではないかということである。ただ、不安定になるけども、思い切って専門職大学院の方向に進もうという決断が問われてくるのではないか。

委員
 実際に採用などやっている人は、学級担任として全体の掌握ができて、授業もできているという人を即戦力と言っていた。だから、ストレートマスターで全く教育実習などしっかりやっていない者であると、やはり学級経営がうまくいかないので、初任者研修を充実させてきたわけであるから、専門職大学院であれば学校と連携をとって、実際に教壇に立ちながらやるのであれば、終了後即戦力になるのではないか。ただ、実習のときには学級担任がいて学級経営をしていて、その中に乗っかって授業するのでは本当の苦労はわからない。本当にそれで即戦力になるかどうかは未知数である。

委員
 教職大学院に入るための入学要件や選考方法は要らないのか。普通の大学院のように試験があるのか、現職の人だったらどうやって入るのか。

委員
 即戦力となる新人という部分では、即戦力という言葉をもし使ったとしてもスクールリーダーについて注釈を入れるという程度のことは必要かと思われる。工夫が必要。

委員
 入学要件については書かれているが、入学選考は各大学が決めることであり、提言は書かれていない。

委員
 入学選考は各大学院に任せるということ。ただ希望者全員を入れるということはやめたほうがいい。いずれにせよそれぞれの大学院で決めること。

委員
 補論のところで、全体構造を見ると、具体的に単位として、例えば学校における実習科目10単位、共通科目25単位、コース別10単位とするとトータル45単位となる。それをどういうようなカリキュラムに盛り込んでいくか、振り分けるか。また教員養成関係者においてモデル的な教員養成カリキュラムを作成することについであるが、さあつくってくださいと言われたときに、関係者は非常に戸惑うのではないか。そういう意味では、モデル的なカリキュラムとして具体的に示したものを、これに補充資料としてつけていただければ、非常に見やすいもの、理解しやすいものになるのではないか。

事務局
 教員養成について、大学制度を活用することの難しさという要素があり、それが師範学校制度と違うところ。免許制度が厳格にあって、それを授与することを目的として教員養成の完成形の学校をつくるということではなくて、専門の職業であれ、大学制度を活用するということになると、免許法で規則していること以上に、今回は専門職大学院制度であることから人材養成との観点からかなり踏み込んだ形で制度設計しているが、これ以上具体化していくと、大学制度としての規則の枠を越えてしまうこととなり難しい。一方で、モデルコアカリキュラムについて、医学教育の世界であると、医師の国家試験資格ということであり、看護師とか一種の職員の資格試験があるから比較的考えやすいということなのかもしれないが、それ以上に踏み込んだ形であれば、文部科学省の答申がなくても、専門家の方が集まって、国としては財政的支援などをしながら、いろいろなグループが立ち上がってつくられている。例えば工学の世界ではJABEEという技術者教育認定機構による認定という形で行われている。今の時代であれば、様々なある程度の関係者たちの主体的な取組が、それが一通りでも二通りでもあり、行政がそれを応援していくんだという方がいいのではないか。

委員
 実習と共通科目分と選択科目分の比率について、事務局から言われたように、共通科目から各1単位、計5単位でいうことがありえないということが、「体系的に形成される」ということが書かれているということだが、共通部分が半分以上が設定されるべきものであるということが、比率などという言葉や単位数ではなくても、何らか必要かもしれない。教職大学院の性格がはっきりわかるようにした方がよいのではないか。

委員
 連携学校の視点が強い調子で書かれてあるが、10単位相当の実習を行う場として大きな意味を持つと、言うなれば教職大学院の目玉か柱になり得る部分だろうと思う。これは基本的に賛成だが、こうであるなら指定される一般校が問題である。附属学校は当然推薦されるからいいが、一般の小・中・高校のサイド側にも配慮する必要がないのかどうか。協力校になる一般校に対して、現在も学部の教育実習のために、あるいは学校のために何十人も来ているわけであるから、教職大学院の指定学校になる学校はそんなに沢山ないかもしれないが、10単位相当の授業を提供することになる。WGの議論が高等教育局中心にされてる中で、初等中等教育局にかかわる部分だと思う。この指定される学校のことを考えてくれてるのかなという心配はある。その学校の教員がどのような形で協力するのか、当然時間数なり内容を伴ってやっているわけで、これだけはっきり教職大学院設置基準上指定して明記するのであれば、連携指定の学校に対しては、はっきりいえば財政上の措置などということ等何らかの国の支援がなければ受け入れ難いということも起こりかねないのではないかと思う。

委員
 指定という言葉はとても形式的な雰囲気も感じるので、指定という言葉は止めたほうがいいと思う。設定程度の方がいいと思う。連携教育校の当該大学から見れば、連携協力校を「設定」しなければいけないので難しいと思った。

委員
 そのとおりと感じる。そういうことのできない大学が専門職大学院をつくることができないと、そう考えるべきだと思う。

委員
 教科専門について、工夫して書いていると思うが、この部分が部会ではかなり議論になるのではないかと想像する。例えば、小・中学校では授業だけではなく教育というのは学校のことでいろいろな仕事があるし、それでやはり教師の仕事としては欠かせないけれども、勝負すべきところはあるということだと思う。従って、教科専門がどのような形できちんと位置づいていくかということが非常に大きな課題になっていくと思う。また、現行では教科専門の教員が圧倒的に多いわけであり、その部分の資産というか、エネルギーというか、それをどのように活用していくのか。そうすると、その部分が入って行くということも考えられるが、現行の大学院を同時にどうやって直すのかということが問題になっていくと思う。経過を見ながらこれでいいんだという開き直りになるのか、もっと専門職大学院の部分が進めばいいということになるのか。それを各専門職大学院の在り方として全体として議論していくこととになるのだと思うが、その場合に、今の時点でそこをクリアしようとするやり方のひとつが実務家教育の組み合わせがあると思う。

委員
 実務家教員の最後に書いてあるように、実務家教員についていろいろな事例を挙げているが、一番コアになるのは教員自身なんだと思う。そういう意味で、専門大学院が出たときに、従来とは違う形で専門職大学院を位置付けるためには、この実務経験者とのチームで、どのようにそれを発揮していただくかが問題になっていくんだろうと思う。それらの部分を必ず各大学が問題にしてくると思うので、それを議論していただきたい。

委員
 5領域についての具体的な内容例について、特にこの学級経営のことだが、これは現行でもこのような科目があるが、あまり功を奏していない。このあたりは現在大変手薄だと思うので、このあたりの出し方は少し工夫が必要かなと思う。

委員
 WGとしての議論はここまでとして、本日の議論を元に,検討を要する点を、主査・副主査におまかせいただき、事務局と相談するということでよろしいか。他方、教員養成部会に提出するまでの間に、文書でお気づきの点を提出いただくことも可能なので、是非御協力いただきたい。

以上

お問合せ先

総合教育政策局教育人材政策課

(総合教育政策局教育人材政策課)