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資料1


第4回幼児教育部会の議論の概要



幼児の育ちの問題と家庭への支援

人間学的アプローチからここ100年を対象として考えると、子どもは、家庭(自己への信頼、言葉、しつけ等の1次的社会化)、地域の集団への順次の参加(基礎力、伝承、社会性等の2次的社会化)、寺子屋等(集団的規律、読み・書き・そろばん等の3次的社会化)という三つの場で育ってきたが、このバランスが崩れている。
地域の異年齢の遊び集団における二次的社会化が困難となっている。このため、一次である家庭の負担が重くなっている。家庭をどうサポートするか、二次的社会化が不十分な中で育ってきた子どもを三次である幼稚園でどう保育するかが問題である。また、子どもの「身体の育ち」「自尊感情」「対他関係、社会性」の三つに懸念がある。
身体の育ちについては、これくらいならできるということを体で覚えて理解していないという問題であり、これにより、体力の低下、自律神経の発達にも悪い影響が生じている。
自分で遊びを選び、達成し、自信を持つことにより育まれる自尊感情の発達に問題があることが、能動的知性の低下となり、現在の学力低下の背景要因ともなっている。親の押し付け、過干渉、社会の評価的なまなざしに問題があるのではないか。自分らしさ、豊かさの礎となるものを蓄積し、心の原風景を持つことが豊かな人間形成のために重要。
地域の異年齢集団への順次の参加により、子どもは、見て学び、補欠から参加し、身体的に他人と関係付けられるという慣習があったが、その習慣がなくなっている。身体的な協同がないと友達になれない。そういう場を作ってあげることが必要。
地域の異年齢集団による、子どもの放牧の場がなくなり、育児の負担が重くなっている家庭に対しては、親への社会的サポートが不可欠。誰に子育ての相談をしたらいいか、夫婦の間で問題がおこったときにどうしたらよいかわからないという状況にある場合も多い。育児について実地で学ぶ場を提供するなど、家族が家族としてうまく機能するための能力(「ファミリー・リテラシー」)を高めるための支援が必要。
現在の家庭では、世代ごとに背景社会が異なるため、価値観を自分たちで創らなければならない状況にある。そこに問題のある家庭では問題点が子どもにそのまま伝達される。

幼児の遊びの意義と幼児教育の専門性

幼児の遊びとは、自ら発意して自ら達成する活動。幼児教育とは、幼児自らが環境(人的、物的、空間的)に触発されて自らある意図を持ちそれを実現する活動。環境に幼児の発達や人間形成の要素が内包されている。
課題の自覚に基づく意識的働きかけと子どもの自主的選択的行為の保障ということの統一、特に個の課題の自覚と集団性の統一が必要である。
幼児の自発性の発揮にいいタイミングで支援し、お節介にならない程度に関与し自己達成感を残す。
幼児を園庭に出せば遊び始めるというものではない。遊びの常設の拠点を用意することで幼児の集団的遊び活動の展開が図られる。更に、別々の遊びをしている幼児同士にそれぞれの遊びについて「みる−みられる」関係が成立することにより持続的展開が図られる。
関わり重視の母性型保育は我が国の特徴であったが、たとえばフランスでは子どもを他者として観察するのが通常のあり方である。子ども全体としては他者として見、必要に応じて個別に関わるという両方が必要であると思う。
幼児教育における意識性や、大人の作為を気づかせないで子どもを学ばせる工夫の必要性が高まっており、そのためには教育者の相当の力量が必要となっている。その専門性をどう身に着けさせるかが課題。

幼児教育の役割

遊ぶことで何を学ぶのかという理論的な分析が十分に行われないまま、性急に幼児教育に求められる役割が過重なものとなっているのではないか。
遊ぶことの意義を科学的に分析する方法はないが、時系列で個々の子どもを追って行くと経験的に見えてくるものがある。それは、例えば、片づけができるようになる、集中力がつく、自主的な活動ができるということである。
幼児の育ち、社会化の筋道が変わってしまっているが、昔に回帰することは不可能であるし、また、求められてもいない。現在は、育ちのモデルが変化している時代。「自分の生きることの基本モデルを子ども自身が作る」ということが基本である。
最近の教育は「管理」か「放牧」かのどちらかに偏ってしまいがちであるが、単純な二分法ではいけない。
子守りをきっかけとした異年齢集団における遊びによって人間関係の形成を学ぶ機会が失われたため、地域の子ども集団を基盤とした学級形成ができなくなっている。これが現在の学級経営の難しさになっている。

地域の取り組み

二次的社会化が減ってきている中で、幼稚園内の遊びの工夫などが重要であるが、幼稚園だけで子どもをすべてフォローするのは無理。特別な対応が必要な幼児へのカウンセリングなどには、専門家の助けが必要である。
地域には幼児教育に関心が高く、なにかしらの専門性を持った人がたくさんいる。そのような人たちをネットワーク化するため、幼稚園には、そのような人材の人脈を重ねて行く場としての役割を期待する。
地域には、子どもを育てる力、地域力というべきものがある。子どもが自然の中で遊ぶことで成長するということを、文部科学省としても積極的に宣伝すべき。地域の児童館、子ども会などについても教育的アプローチを取り入れれば、もっとよくなる。地方分権の流れの中で、教育委員会が中心となってできることがたくさんある。
自分の町では大人社会全体で子どもを育てようという取り組みを進めている。教育・福祉・医療の垣根を越えた取り組みを目指している。子育て井戸端会議、全ての幼稚園での子育て相談の実施、全ての小学校における子育て語り合いサロンの設置など。共有できる価値観の形成や支援の必要な人への戸口訪問など、行政がどこまでやるべきかという議論もあるが、試行錯誤的に取り組みを行っている。
社会の作り方として、子どもの環境を十分に考えないといけない。公園の設計一つを取っても、幼児を自由に遊ばせる場としての意識が希薄であるように思える。



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