戻る

資料3

中央教育審議会初等中等教育分科会教育行財政部会第2回議事要旨


1. 日   時   平成15年7月9日(水)15:00〜17:00

2. 場   所 文部科学省別館   10階   第5・6会議室

議   題
(1) 義務教育など学校教育に係る諸制度の在り方について
(2) その他

4. 配付資料
 
資料1 義務教育の役割について(検討のメモ)
資料2 義務教育制度に関する資料
資料3 中央教育審議会における義務教育に関する主な意見の概要
資料4 義務教育に関する主な提言事項(抜粋)
資料5 今後の教育行財政部会開催日程(案)

5. 出席者
(委員)   木村部会長、國分副部会長、赤田委員、佐藤委員、渡久山委員、横山委員、河邉委員、宮委員、矢野委員、吉野委員、若月委員
(オブザーバー)加藤委員

(文部科学省)   結城官房長、玉井総括審議官、樋口初等中等教育局審議官、金森初等中等教育局審議官、河野主任視学官、辰野初等中等企画課長、前川財務課長、義本幼児教育課長、竹下教職員課長、藤原施設助成課長   その他関係官

6. 概   要
 
事務局から資料の説明があった後、自由討議となった。その概要は以下のとおり。
○:委員、●:文部科学省

   「資料4   義務教育に関する主な提言事項(抜粋)」の中の「骨太方針2003」の提言での公立学校の管理・運営の民間委託の具体的イメージ及びコミュニティ・スクールとは何か。
   公立学校の管理運営の民間委託とは、地方公共団体が設置する公立学校の運営を第三者に委託するというものであり、公立学校の形を残しながら、教育の事業そのものを外部に委託することである。
   コミュニティ・スクールについては、教育改革国民会議での議論から出てきたもので、公立学校の運営に際して、地域や保護者の代表を含めた管理運営組織を学校内に設け、そこに人事権や予算等を含め、大幅な裁量権を持たせて学校を運営するイメージである。
   コミュニティ・スクールについては、現在、実践研究を行っているが、公立学校の管理運営に地域や保護者が入り、学校の裁量権を広げる形に対し、公立学校の管理運営委託は、学校の運営を外部にそのまま委託し、運営する考え方である。
   コミュニティ・スクールという言葉が我が国で一般的になってきたのは、教育改革国民会議からである。最初はいろいろなタイプの学校があっていいのではないかという議論から、アメリカのチャータースクールの話が出てきたが、範囲が広すぎるのでコミュニティにいる親が積極的に学校運営に参加するという意味でコミュニティ・スクールに限定したと記憶している。
   また、アメリカのチャータースクールは、資金は公で、マネジメントは民というイメージである。
   学校教育でどこまでやるか、教員の役割とはどこまでかということが現実問題としてある。学校週5日制が学力低下の要因というように言われるが、現場を見ると生徒指導などに時間を取られて授業に有効に使える時間が減っている例が多い。
   教員は生徒の生活指導的な問題についてまで責任をとらなければならないのか。少なくとも学校に入るまでに最低限のしつけがなされるべきであり、学校教育を考えた場合、教員の役割は何かを明確にしていくことが必要と考えている。
   会議や学校行事等に加えて、新たに事前準備が大変な総合的な学習の時間が加わるなど、教師は多忙になっており、十分な生徒指導や教科指導ができない。
   平成14年に文部科学省が行った学力調査の結果にあるように、勉強しない子どもや勉強する意欲がない子どもが増えていることへの対応を考えなければならない。多くの保護者には公教育に対する不信感があり、きちんとした学力をつけてほしいという要求に応えるためには教員が直接子どもたちとふれあう時間の確保などの教育の内容の充実が大切である。
   今、幼稚園にはおむつがとれないまま入園してくる幼児がいる。3年間で人の話を聞き、学習の目的を自ら持てるまでに育てたいと思うが難しい。
   義務教育制度だけの問題ではなく、小学校教育につながる就学前教育の位置づけをしっかりと考え、連携を深める必要があると感じる。
   議論の前提として学力、意欲、社会規範の低下の議論がで出てきているが、これは大人、親の問題であり、子どもだけの問題ではない。
   教育改革を議論する際に、財政問題抜きでは語れないという認識は正しいが、財政問題のとらえ方が間違っている。国の財政問題に関連して、その全てにお金をかけてはいけないのだ、というのは一部の人が言っているだけである。
   教育は投資であり、教育にお金をかけることは必ずリターンがある。不況の中においても、家計における教育関係の支出は伸びている。本来であれば教育は塾などではなく公教育に委ねて、教育関係に支出していたお金を他の分野に支出した方が消費の刺激にもなるということもあり、教育への財政投資は不可欠である。
   日本は家庭と企業の双方の努力で、最小の政策投資で最高の教育効果をあげてきたが、家庭や企業は教育に投資できなくなってきている。その中で質を高めていくためには、やはり財政投資が必要である。
   また、現在のような不況下においては、教育分野に雇用を創出するということも必要である。
   資料3の「財政的な論理だけで議論がなされているのは好ましくない」という記述は適当ではない。
   一部の経済学者が指摘しているようなことだけではなく、本来的な財政の基盤投資の社会的・経済的意義を議論する必要がある。
   人的資本である義務教育がGDPなどにどれだけ貢献しているかという試算をしてみるとよい。例えば可処分所得に占める労働賃金のうちのどのくらいが義務教育による貢献なのかという試算などはどうか。
   国の予算全体として、国債はこれ以上増やせないので必要ないところは減らすことが求められている。文部科学省の予算全体は削減するが義務教育の関係は増やすべきである、といった議論も文部科学省の予算書などを見ながら議論するべきではないか。アメリカのようにPFIなど民間でできる部分は委ねるといった手法を取り入れて費用を削減し、必要なところは増やすという細かい気配りが必要である。
   家計における教育費の話だが、最近の若年家庭は住宅購入か子どもの教育かの二者択一を迫られるような状況である。家計への負担の大きくない義務教育を受けるだけでしっかりと基本を身につけることができるようにすることが必要である。
   教員に負担がかかっていることについては、もっと子どもと接する時間が設けられるよう、補助教員制度などを設けて教員の負担を減らし、教育に専念させる必要がある。学級編制は、諸外国の例も参考にしたらよいのではないか。
   アカウンタビリティという観点から、最近、大学で学生による先生の評価が取り入れられているが、小・中学校における児童生徒による教員への評価も効果があるのではないか。
   不登校や暴力行為を行う子どもが増えているということについて、それを前提としたカリキュラムが必要ではないか、そのためにも不登校の状況やそのような子どもたちに対して行ったアンケート調査の結果があれば示して欲しい。そのほか、学力の判断基準として、諸外国との比較も必要ではないか。
   日本の教育の現状がどうなのか、認識をある程度まとめてから議論すべきではないか。今後の議論の中で、そのようなことを行う予定はあるのか。
   日本の教育の現状に関する基礎的なデータを集めただけでは、結論は出ないのではないだろうか。
   また、今後の審議は問題を整理し、ワーキング・グループ等をつくって議論すると同時にヒアリングも逐次行う予定である。
   義務教育の二つの大きな意義・使命の一つは、国家国民としての統一性を図ることであり、この観点から、知=学力を意識して教育行政を進めている。もう一つは、一人一人の個性・能力を伸ばすということであると考えており、今は中学校でのキャリアガイダンスに力を入れ、進路指導などを通じて子どもの情報選択能力の基礎を作ることを図っている。
   学校選択制を取り入れた場合、地域と学校の結びつきが活発になってきている。その結果、教員は今まで以上に地域に出なければならず、ますます忙しくなっている。
   義務教育の課題ということを考えるとき、教員が地域に出なければいけないという現状を踏まえると、学校と地域や家庭などの教育との役割分担を明確にした上で議論しないと、具体的な解決策は出てこないのではないか。
   今の義務教育制度はしっかり機能しているのだろうかと感じる。不登校児童生徒数は14万人と言われているが、学力論争の中ではかやの外に置かれているのではないか。また、学校を教員だけで動かすのではなく、学校外の資源を活用していくシステムを考えていくべきではないか。
   障害児に関しては障害者基本計画が策定され、その中に様々な機関を超えた支援体制の必要性について盛り込まれており、これは、障害児だけでなく義務教育にも必要であり、学校制度と連動しながら進めることが必要。
   学校現場が非常に混乱しているのは事実であり、スクールカウンセラーの導入は大変意義があることだと思う。スクールカウンセラーへのアンケートの中で、一番求められているのは不登校、問題行動に加えて、LDやADHDなどいわゆる発達障害の子どもたちへの支援であり、学力論争だけでなくこの問題についても検討する必要がある。
   教育の実態を把握する際に、義務教育段階においても幅広いことが行われている中でアベレージだけを見るのではなく、ナショナルミニマムを明確にしてそのミニマムについて検討することが重要である。
   義務教育には財政の裏付けが必要であるが、現実には国の財政は破綻していることも事実であり、財政全体を踏まえつつ教育分野について考える必要がある。教員費用の問題についても、公務員全体の人件費を見ながら議論しなければならない。
   義務教育については、国家・社会の形成者たるものをどう育成するのかという視点が重要である。教育に対する財政の投資効果や現在の財政状況などの観点から義務教育を考えるというのは反対である。
   今の財政状況の中だけで考えるのではなく、もっと普遍的な財政全体の枠組みの中で教育はどういう位置を占めているのかということを理解する必要がある。義務教育は社会に必要なインフラだから、現在のような不況下だからこそ教育への投資を増やすなど、財政面の充実も必要である。
   教育と財政を分離して考えるのは日本だけであり、両面をリンクしながら考えるのが世界の常識である。
   財政との関連については経済の活性化や国の財政は逼迫しているので削減しなくてはいけないという意見が先行した議論になっているのではないか。「人間力戦略ビジョン」を見ても、教育は先行投資という政府の考え方もあり、やはり財政的な裏打ちがあって、日本の教育が発展していくのではないか。
   OECDの1989年のデータによると、GDPに対する教育費の比率は平均で4.64%だが、日本は3.55%であり、日本の教育関係の支出は平均よりも少ないということが言える。義務教育は授業料のみが無償とされているが、戦後すぐにその規定ができたときとは状況も異なってきている。この見直しなども今後議論する必要があるのではないか。
   都市と地方が同じ教育でいいのか。地域ごとの違いを生かした、特色ある教育というのも必要ではないか。
   中国の学生は、教育を受ける目標としてお金持ちになりたいという明確な強い意識を持っている。一方日本の学生には特に目標もなく教育を受けている。国全体の経済規模でいうとあと10年くらいで日本は中国に追いつき、追い抜かれかねない。日本には人的資本しかないわけであり、必死にならなければならない。
   義務教育は国家が国民に対してどのような教育を保障するのかというのをまず先に示し、その後に財政の問題を検討すべきではないか。
   公教育に対する不信感は先進諸国でもみられ、その不信感が政治に対する不満と結びついているという指摘もある。
   義務教育のナショナルミニマムとは何かを議論する必要がある。管理運営や制度の弾力化の問題との対応として予算の配分も重要なテーマではあるが、そこまで踏み込むのか。
   義務教育費国庫負担金の問題は、財政面からみて教員の人件費を削るべきであるという観点からでなく、国と地方の経費分担の在り方の観点から議論されている。それが義務教育という観点からみて妥当かどうかという観点から議論すべきではないか。


ページの先頭へ