生涯学習分科会(第113回) 議事録

1.日時

令和3年10月19日(火曜日)13時00分~15時00分

2.場所

文部科学省 東館5階5F4会議室 ※WEB会議

3.議題

  1. 第11期生涯学習分科会の検討課題について
  2. その他

4.出席者

委員

(分科会長)   清原分科会長
(副分科会長) 牧野副分科会長
(委員)      内田委員,清水委員
(臨時委員)   伊東委員,大久保委員,関委員,薗田委員,千葉委員,辻委員,長谷川委員,松本委員,宮城委員,山内委員,横尾委員

文部科学省

(事務局)藤原総合教育政策局長,出倉大臣官房審議官,根本社会教育振興総括官(併)地域学習推進課長,山下生涯学習推進課長,齊藤生涯学習推進課課長補佐 宮本男女共同参画共生社会学習・安全課室長補佐 他

オブザーバー

(ゲストスピーカー)乾喜一郎氏

5.議事録

【清原分科会長】 
 皆様,こんにちは。定刻を少し過ぎましたが,ただいまから第113回中央教育審議会生涯学習分科会を開催いたします。
 分科会長の清原です。今日は文部科学省の会議室から参加させていただきます。よろしくお願いいたします。
 本日は,お忙しいところ御参加いただきまして,誠にありがとうございます。本会議は,新型コロナウイルス感染症の感染拡大を防止するため,ウェブ会議方式にて開催させていただきます。本日は,ユーチューブ上で,報道関係者及び一般の方々の傍聴を受け入れています。また,本日,報道関係者等より,会議の全体について録画を行いたい旨の申出があり,許可しておりますので,御承知おきください。
 次に,ウェブ会議運営に当たっての留意事項の説明及び配付資料の確認を事務局よりお願いいたします。

【齊藤生涯学習推進課課長補佐】 
 本日は,ウェブ会議方式にて開催させていただきます。御不便をおかけすることもあるかと存じますが,何とぞ御理解のほど,よろしくお願いいたします。
 ウェブ会議を円滑に行う観点から,4点ほどお願いさせていただきます。
 1点目,御発言に当たっては,インターネットでも聞き取りやすいよう,はっきり御発言いただく。
 2点目,御発言の都度,名前をおっしゃっていただく。
 3点目,御発言時以外は,マイクをミュートにしていただく。
 4点目,発言に当たっては,手を挙げるボタン,挙手ボタンを押していただき,御発言後はボタンを解除いただければと思います。お手数をおかけいたしますが,御協力のほど,よろしくお願いいたします。
 それでは,資料の確認をさせていただきます。事前にお送りさせていただいておりますが,議事次第及び資料1から資料4,参考資料1と2を配付しております。

【清原分科会長】 
 ありがとうございます。
 もう1点,議事に入る前に,文部科学省で人事異動がございましたので,事務局から御紹介をお願いいたします。

【齊藤生涯学習推進課課長補佐】 
 事務局に人事異動がございましたので,新たに参りました職員を御紹介いたします。
 総合教育政策局長の藤原章夫でございます。

【藤原総合教育政策局長】 
 どうも失礼いたします。9月に総合教育政策局長を拝命いたしました藤原と申します。どうぞよろしくお願いいたします。
 前職は内閣官房のオリ・パラ事務局長でございまして,東京大会の実現に向けて全力を注いでやってきたわけでございますけれども,大会が無事終わりまして,このほど,文部科学省に復帰したところでございます。
生涯学習分科会は,これからだんだんと重要な審議に入っていくことと存じます。
どうぞ委員の先生方,引き続き,御指導,御鞭撻のほど,よろしくお願い申し上げます。

【清原分科会長】 
 よろしくお願いいたします。

【齊藤生涯学習推進課課長補佐】 
 続きまして,社会教育振興総括官兼地域学習推進課長の根本幸枝でございます。

【根本社会教育振興総括官】 
 先生方,いつもお世話になっております。併任ということで,社会教育振興総括官を拝命させていただきました。
生涯学習推進課長以来,ずっと先生方にはいろいろと貴重な御意見等を頂きまして,生涯学習の振興にいろいろと参考にさせていただいております。また引き続き,よろしくお願いいたします。

【清原分科会長】 
 よろしくお願いいたします。
 それでは,新たに着任されました総合教育政策局長,そして社会教育振興総括官にも御参加いただきながら,第11期の生涯学習分科会の検討課題について,審議を開始したいと思います。
 前回の審議を踏まえまして,事務局において,第11期生涯学習分科会の検討課題及び本日の審議について資料を作成しましたので,事務局から説明をお願いいたします。

【山下生涯学習推進課長】 
 生涯学習推進課長の山下でございます。
 資料1を御覧ください。第11期の検討課題及び本日の審議についての資料でございます。
 1ページ目,「第11期生涯学習分科会の検討課題について」ですが,今期の分科会では,分科会としてどのような社会を目指すのかを明らかにするメッセージを出したいとの考えの下,前回,3つの検討課題をお示ししました。
 こちらについて,前回頂いた御意見を踏まえ,清原分科会長や牧野副分科会長と御相談の上,修正した事務局案でございます。修正箇所を赤字にしてございます。
 1点目,「デジタル社会における急激な社会の変化の中で生涯学習・社会教育が重点的に果たすべき役割は何か」でございます。項目には変更はございませんが,前回,表現の統一に関する御指摘や,個人に焦点が当たり過ぎてはいないかという御指摘を踏まえて,1つ目のポツを「誰一人として取り残されることのない社会を実現するために重視する機能」に修正してございます。
 2点目,「これからの生き方を豊かなものにしていくために,特に学校教育を終えた若者が自ら学ぶ必要があるリテラシー・スキルと有効な育成方策について」でございます。激動する社会において,ICT技術のように,学校教育で学んだ内容が短期間で古くなってしまうものもあり,最近まで学校教育を受けていた若者であっても,再学習の必要性が増していると考えられます。また,前回,若者を取り巻く環境をテーマに御審議いただき,配慮が必要な若者が増加している点を複数の委員から御指摘いただきました。
生涯学習・社会教育は,子供からお年寄りまで全世代を対象としておりますが,何を学ぶ必要があり,どういう仕組みが必要かという検討課題2においては,「特に学校教育を終えた若者」に焦点を絞って御審議いただきたいという趣旨でございます。
 3点目,「生涯学習・社会教育が持続可能な地域社会を形成・維持していくために,学びの過程はどのようにあるべき」かでございます。前回は,下線部について,「生涯学習・社会教育が貢献できることは何か」としておりましたが,学び合う,教え合うといった学びのプロセスの重要性に着目する形に修正させていただきました。生涯学習・社会教育の社会的意義や公共性,地域内のコミュニティー間の連携,さらには共に地域の未来をつくっていく共創主体との連携を具体的に明らかにできればと考えております。
 次に,ページをめくっていただきまして2枚目,「本日の審議の進め方」でございます。本日の審議のテーマは,「デジタル社会における生涯学習を考える際の重要な視点」としており,内田先生と乾先生に,それぞれ御専門のウェルビーイングや社会人学習者の視点からの御知見を発表いただきます。
その後,1時間程度,質疑応答と意見交換を予定してございます。
 最後に3ページ目,「本日の審議の視点(例)」でございます。本日の審議のテーマは,「デジタル社会における生涯学習を考える際の重要な視点」に関しまして,1ページにお示しした検討課題のうち,1及び3を中心に御審議いただき,学ぶことの社会的意義を明らかにしていただきたいと考え審議の視点の例を事務局案としてお示ししてございます。
 検討課題1に関する審議の視点としては,個別化が進む中にあって学び合うことの社会的な意義の伝え方や,生涯学習・社会教育が持つ強みを例として挙げてございます。
 検討課題3に関する審議の視点としては,学びの役割,多くの人々の主体的な参画を得るための方策,学び合い教え合うことを地域社会の形成・維持に生かすための工夫,各主体や行政の関わり方や課題を例として挙げてございます。
 これらを参照していただきながら,忌憚なき御意見をいただけますよう,よろしくお願いいたします。
 私からは以上です。

【清原分科会長】 
 山下課長,ありがとうございました。
 ただいまの事務局からの提案を踏まえまして,今回は,デジタル社会における生涯学習を考える際の重要な視点というテーマで,資料1に記載の検討課題1及び3を中心に御議論いただきたいと思います。
 その検討材料といたしまして,本日は,内田由紀子委員と,リクルート進学総研主任研究員の乾喜一郎先生より発表していただきます。
 御発表の前に,乾先生を御紹介いたします。乾先生,一言どうぞ。

【乾氏】 
 よろしくお願いいたします。乾でございます。

【清原分科会長】 
 本日は御参加ありがとうございます。
 リクルート進学総研主任研究員の乾先生は,長年,キャリア情報誌の編集,製作に携わられ,これまで非常に多くの社会人学習者を取材されてこられました。本日は,乾先生のそうした御経験や御知見を踏まえまして,社会人学習者の視点から,社会人に学習を促す上での課題と,個人の学習が社会に及ばす効果について,お話をしていただきます。
 それでは,まず最初に,内田委員から,日本の生涯教育におけるウェルビーイング概念の適用について,20分程度で御発表いただきます。それでは,内田委員,どうぞよろしくお願いいたします。

【内田委員】 
 皆さん,こんにちは。京都大学の内田と申します。本日はこのような貴重な機会をいただきまして,誠にありがとうございます。
 早速,話題提供に入らせていただきたいと思いますので,画面共有をさせていただきます。
 では改めまして,私から,本日はウェルビーイング概念の適用についてということで,お話をさせていただきたいと思います。どちらかというと,私自身,具体的な教育であるとか生涯学習に関する事例を持っているわけではなく,むしろもう少し抽象的な概念としてのウェルビーイングというものがいかに生涯学習の中で重要になるか,こういう論点でお話をさせていただければと考えておりますので,どうぞよろしくお願いします。
 改めまして自己紹介させていただきますと,私の専門は文化心理学,社会心理学ですけれども,特に近年は幸福感ということに関連しまして,内閣府での指標の作成とか,あるいは地域,企業におけるウェルビーイングの指標の策定,それから,社会というものがどのように幸福をもたらすのかということについての検討を進めてきました。
 こうした中で,私自身の専門は国際比較と主に欧米との比較が多いんですけれども,特に,こういう比較の中から,日本の特徴として浮かび上がってくる幸福感についての検討も必要だろうということで,本日,少しそういう話も含めてお話をできたらと思っています。
生態環境とか社会環境あるいは学校教育制度というものも,ある種の環境に含むことができると思いますが,こうした環境で私たちが生きて,学習し,育っていく中で,身についていくのが心理・行動傾向です。逆に,こうした環境の中で心理傾向を身に着けた人たちが,社会参加をしていくことによって,新たに制度や社会の状態とか習慣を維持したり,あるいは改変を行っていくというような循環関係があるのではないかと思います。私はどちらかというと基礎研究の中でこうしたことをデータで示してきました。
 その中で,特に幸福感ということを取り上げて研究している理由の一つとしまして,幸福というのは,もちろん,この審議会の中でも随分議論があったと思うんですけれども,一人一人がしっかりと学習をして,いろいろな形の教育機会を得ることによって,一人一人の個人の自己実現というものを守っていく,その対象でもあると思います。しかし個人のものでありながらも,幸福のためには環境制度が必要であり,例えば教育制度がしっかり整っていれば,個人が幸福感を得ていくことが可能になるというような,マクロからマイクロの関連性があると思います。
 教育の受け手は受け身ではありません。教育を受けた人たち,あるいは教育に何らかの形で携わった人たちが,新たに,社会に対する貢献や社会変化を起こしていくことにもなります。その意味において,ウェルビーイングというのを考えるときには,必ずしも個人のことだけを追いかけるべきではなくて,むしろ,それを整えるような社会環境とか,あるいは個人と社会がどんなふうに関わっていくのか,こうしたことを検討する必要があるのではないかということを常々考えております。
 ウェルビーイングは私たちにとっての,1つの目標的あるいは指針になると思います。教育評価ということに関して言えば,達成目標に対して,どれだけ達成してきたかというようなことは,指標として非常に分かりやすい。しかしながら,一方で,例えば子供たちが学校生活を楽しめているかどうかとか,学校があることでその地域がどれだけ心豊かに人々の生活を成り立たせることができているかどうか,こうした点については,もう少し違った角度から包括的に議論をして測定していく必要があるのではないか。ウェルビーイングというのは,単純に個人の現在感じていている快楽的なものだけではなくて,生きる指針,どうすれば,心豊かに暮らすことができるのかという将来設計について広く考えることでもあります。また,自分の子供であるとか,自分の次の世代の人たちに何を伝えたいのか,それを伝えた人たちがつくる国や地域社会の在り方というのがどんなふうになってほしいのか,こういう願いがある意味込められていくのもウェルビーイングなのではないかと思います。家族や友人,自分の住む街・国が,どのようにすれば「よい状態」でいられるのかについて考えることにほかならないと思っております。
 教育というのは,未来に向かってのいろいろな指針を決めていく重要なポジションにあると思うんですけれども,そうした中で,広い意味での社会の幸せあるいは個人の幸せ,これらが両立していくことをきちんと考えていくこと。この場合に測定をしていくというような客観性が助けになってくれることもあると思います。
 今日は論点を2つ用意させていただきました。1つ目としましては,ウェルビーイングを目指す教育が個人をターゲットにするのは当然のこととしてあると思うんですけれども,その個人を支える「場」をいかにつくるかということです。前回の議論の中でも発言させていただいたことですけれども,生涯学習が個人をターゲットにしているということは十分に理解できます。しかしながら場の状態も大切ではなかと考えています。
 例えば,教育現場というのは支える場であると思いますし,教育現場だけに限らず,地域社会そのものを広く学びの場として捉えていくことも必要であろうと思います。すると学校のようなある種教育というものに特化した機関と,地域社会のような多様な機能を持つ場所というものをどんなふうに連携させながらウェルビーイングの場づくりを考えていくのかということも,この議論の中では必要になるのではないかと思います。
 先ほどから繰り返し申し上げているんですけれども,幸福とか生きがいって個人が感じるものではあるけれども,場の状態とは切り離せないわけですね。例えば,私たちは,自分だけすごく幸せになってしまっていいんだろうかとブレーキをかけることもあれば,どうしてもいろいろな形で他者と比べてしまって,自分はこれで十分だと思っていたけど,周りから見れば自分は駄目なのではないかと思ったりとか,社会的な要請とか期待みたいなものと自分というものの考え方を完全に切り分けるのは難しい中で生きています。
 こうした社会感,空気感というものが,現状どうなっているのかを私たちはきちんと考える必要があります。例えば,国際比較をしてみると,いろいろなことが浮かび上がってくるわけですけれども,1つ,ウェルビーイングに関する国際比較でよく言われるのが,日本のウェルビーイングがあまり高くないということだろうかと思います。特に日本の子供のウェルビーイングは低いということを繰り返しメッセージとして言われているわけですね。
 もちろん何か駄目なところがあってウェルビーイングが低くなっているということも当然考えなければならないことなんですけれども,より重要なのはただ単に世界と比較することではなく,今の日本に求められていることをしっかりと議論することです。例えば北米の価値観における幸福では,うきうき,わくわく,どきどきというのがすごく重要視されていますし,良いことが新しい次のよいことを導くという考えもあるので,幸福が1回感じられるとそれを元手にしてどんどん増大していくという考え方があったり,あるいは自己価値とか自尊心とか選択,自分が何かを決めるという主体性に対して,非常に強い文化的な価値や意義を求めている文化だと思います。
 その反面,こうした裏返しとして,やはり格差の問題が広がってきていたりとか,教育に関しても,うまく教育を受けられている人はどんどんと上昇していくわけですけれども,一方でこぼれてしまった人に対するソーシャルセキュリティーが欠けている。そういう中で,日本は北米と比較すると幸福感が低いから,北米モデルでやっていくべきみたいになってしまうのは,あまりにも議論が乱暴なのではないかと考えています。
やはり,自分の国の強み,弱みをきちんと検討した上で,では,どういう幸福感を人々が求めているのだろうか。そういう中で,例えば地域とか,社会とか,あるいは教育現場をどのようにつくっていくのか,そうした議論が必要なのではないかと思います。
 例えば日本では,穏やかさというのを幸福感と考えられがちで,ほっとする気持ちとか,リラックスできる,ああ,自分はここにいていいんだなと,そういう居場所があることが大切にされています。あるいは自尊心の高さよりも友達との関係性というのがとても重要されるようになっていて,そうした中で,自分はここにいていいんだという,受け入れられている感覚が重視されます。そしてこのことは子供たち自身がたくさん悩んでいることなのではないかと思います。そうした中で,ただ高い自尊心を持ちなさいというメッセージだけ発したり,あるいは主体性を持たないと駄目ではないか,自分で決めてくださいという言葉だけを言ったとしても,恐らく空回りしてしまうように思います。
大学生も就職活動のときには,自分はこういうことがしたいですと主体性を出すような訓練をして,一生懸命そういう主張をするわけですけれども,一方で,あんまりそういう主張をし過ぎて人間関係を崩してはいけないと日常的には考えているので,その2つの価値軸というのが,結構,ばらばらに走っているみたいな状態が続いているように思います。これをきちんと適切な形で,皆さんが安心できるような心理的な安全性を獲得しながら,日本の幸福感というのを追いかけていくにはどうしたらいいか,こういう議論が必要であろうと思います。
 自由とか個人達成,自己権利,主体性と言葉では言いますけれども,それを支える仕組み,それを言ってもいいんだと思えるような場をまずつくっていかないと,あなたたちがはっきり意見を言うように頑張りなさいというだけでは,なかなかうまくいかないという現状があるのではないか。そのためにも,社会的なつながり,安心できる場所,社会参加ということが,場の考え方としては大切なのではないかと思っています。そういう意味で個人を支える場というものを,もう一度,改めて考えてみたいというのが論点のその1でした。
 2つ目の炉の点といたしましては,生涯学習の基盤というのは,個人の成長のみならず,地域社会の発展やウェルビーイングに資するような地域社会づくりであるという共通認識のフレームワークが必要なのではないかということです。「共有理解」をいかにつくるかということが,この場合にはとても大事なのではないかと思っています。
 具体的に言いますと,例えば,いろいろな人が教育の機会を受けるべきであるとか,こういうふうに困っている人がいますということを,発信していくことは大切なわけですけれども,しかしながらこうしたことを「よそ事」だと思っている人というのも,一定層いるのではないかと思います。
例えば,自分には教育というのはもう関係ないんだとか,私は自分で自分のことをきちんとやっているんだから,誰かを助けるということに意味があまり感じられないというような感覚です。社会的な基盤,共有理解がない状態になっていくと,ここで一生懸命議論をして,こういう人たちに教育を届けることが必要なんだということをたくさん言ったとしても,あまり,社会全体としてその動きに参画してもらえないという事態に落ちてしまうのではないか。それがひいては分断化というんですか,必要性がある人と,その必要性を理解しない人たちの社会の分断化につながりかねないということに対して,私自身は結構懸念を抱いています。
 そうした中で,生涯学習というのは多様な一人一人が学ぶことができる場を提供するんだというような非常によいフレームワークではないかと思います。生涯学習はウェルビーイングづくり,社会づくりなんだということをまずは共有して,理解をいただいて,多くの人が教育の機会を受けて自己成長を感じることが,翻って,関係ないと思っている人にも何か意義や恩恵があるのだと,そういう認識をつくっていくことが,ここでの議論の中では非常に重要なものではないかと考えています。
 これは私がしばらく地域の幸福ということに関連した調査を行ってきた結果として図示しているものですけれども,例えば,個人のウェルビーイングというのは何に支えられているかというと,地域内の社会関係であるということがわかってきました。そして地域の社会関係で,お互いに信頼関係があるような社会に生きていると,個人もウェルビーイングが高くなるんですけど,そうすると,その地域のために何か貢献したいという意識が人々の中に芽生えていくわけですよね。個人の幸せと向社会性と信頼関係がつながって循環し始めるわけです。
つまり,ウェルビーイングというのは,個人が勝手に幸せになることではなくて,一人一人がウェルビーイングを感じることが,皆さんの向社会的な,地域のためになるような行動を導いていて,そのことが翻って,また新しくほかの人のウェルビーイングにもつながったり,新たな社会関係の維持につながったり,さらには後継世代にどんなことを残したいかという多世代共創の意識につながっていったりします。あるいは排他的になるのではなくて,むしろ,いろいろな新しい人を巻き込む開放性ともつながっていたりします。こういう循環モデルがうまくいっている地域では,結構,このモデルが実現できているように思います。
つまり,場がうまくいっていれば,一人一人が幸せを追いかけることが,あの人が勝手に幸せになっているんでしょうという妬みややっかみの関係ではなくて,むしろ,その人たちが社会にも貢献してくれているし,その恩恵の中で自分が暮らすことができるという意識で,ウェルビーイングのパスがうまく回っていく,そういうことが見えてきました。
 私は,これを教育の現場でも示していけないのかなと思ったわけです。例えば,個人のウェルビーイングというのは,たくさん議論がなされるところだと思います。生涯学習を通じて,人々がどんなふうになっていく力を身につければいいのか,例えば,スキルや社会貢献力が身につくとか,本当にたくさん議論がなされているし,様々な形で指標なんかも整備されてきていると思います。では,これが,ある人にだけ実現できて,ある人にだけ実現できていないという状態にはならずに,実現できた人がうまく場をつくってくれて,その場から,今まで届いてなかった人にもう一度届けるような,循環環境を生み出すために何が必要かというような場の測定ですね,こういうものも必要なのではないか。
場の指標でいえば,安心,安全感があるかとか,多様で開放的な議論ができているかどうかとか,ある程度の秩序と規範もありながらも,それが縛りにはなっていないような状態が整備されているかどうかとか,そういう場の状態を測定できないかと思います。そして場と個人の状態がうまく循環するということをモデルとして考えることができれば,決して生涯学習でターゲットになっている人たちというのが,誰にとっても関係がないわけではない,みんなに少しずつ関係があるんだと,そういう理解も得られると思います。
 今までだったら,自己実現は大事ですと言われても,私が実現することで周りの人が不快に思ったらどうしようとか,特に同調圧力が強いような社会の中では,どうしてもブレーキを踏んでしまうことがあるわけです。でも,そうではなくて,自分がクリエーティブであることや,自分がウェルビーイングを感じていることというのが,むしろ社会のためにもなるのだという意識が共有できれば,主体性などが発揮できるようになるのではないかとも思います。今まではそれがちょっとうまくいっていなかった。つまり,個人が頑張っても,なかなかそれが社会の中に回っていかない,それがブレーキになってしまう,個人も動きを止めてしまうというようなことがあったと思うので,これを新しく醸成したい。
 生涯学習は,特にコミュニティーを軸に多様な人たちを巻き込むことがとても大事になっていますので,個人の成長と教育機会の提供だけではなくて,幅広いコミュニティー醸成を図っていき,その中でウェルビーイングを全体的に支えていく仕組みができればと考えております。
 ちょうど20分になりましたので,以上で私からの話題提供を終わらせていただきます。御清聴ありがとうございました。

【清原分科会長】 
 内田委員,ありがとうございました。
 日本の生涯教育におけるウェルビーイング概念の適用について,皆様もいろいろ御質問や御意見があると思うのですが,この後続く乾先生の御発表終了後に,意見交換と併せてお願いいたします。
 それでは乾先生から,「社会人に学習を促す上での課題と個人の学習が社会に及ぼす効果~社会人学習者の視点から~」について,20分程度で御発表いただきます。それでは乾先生,よろしくお願いいたします。

【乾氏】 
 本日は,このような機会をいただき本当にありがとうございます。それでは,資料のほう,進めていきたいと思います。
 私はこの20年ほど,社会人学習の推進をテーマに活動をしております。資格取得であったり,通信講座であったり,社会人大学院であったり,そういったことを専門とする情報誌で編集長を務めておりまして,現在は,社会人向けの大学・大学院の専門サイトを監修しております。これまで,3,000人以上ぐらいになりますかね,社会人学習者の事例を取り上げてまいりました。
 また一方で,情報紙は部数を増やすには何よりも関心を拡大することが必要でしたので,学習を実施していない方々へも,マーケティングリサーチの形でヒアリングなどを実施してまいりました。
 本日は,何よりもそうした活動の中で得られた実感値をベースとしてお話しさせていただければと考えております。
 ほかに,高等教育機関への提案や提言であったりとか,副業,兼業という形ですけれども実務家教員をしたりとか,地域では読み聞かせボランティアとして活動していたりもします。こちらはコロナでの中止がなかなか解けないのが残念ですけれども,情報誌やそこでの取材例というのはこんな感じのイメージです。こんな感じですね。いろいろ活動しておりますけれども,全ての活動においてミッションとして置いておりますのは,学ぶ大人が当たり前の世の中をつくりたいという思いでございます。そのために,人生100年だから学び続けなければならないとか,大人になってからではもう遅いみたいなネガティブなメッセージではなくて,人生100年だから学び続けられるようになったんだとか,幾つになっても変われるみたいな,そういったメッセージを心がけてございます。
 このように,学ぶ大人が当たり前の世の中をつくりたいというのをミッションに置いておりますのは,そもそも,学習を実施している社会人というのが,日本においてマイノリティーだということがございます。学習実施率については,幾つかの数字がございます。それぞれ数字が違っているのは,それぞれの調査で学びの定義が違っているからです。
左側は内閣府の調査ですけれども,約6割,これについては,あなたはこの1年間ぐらいの間にこういったことがありますかというふうに上がっているんですけれども,これ,勤務先の研修はもちろん,インターネットでちょっと調べ物をするということまで含まれています。むしろこの調査では,そこまで広く範囲に入れても4割が学びの行動をとっていないということに注目すべきなのではないだろうかと思っております。中央の全国就業実態パネル調査でいうと3分の1ぐらい。これも手段は問うていませんので,職場で先輩に聞くというような行動も含まれますけれども,仕事・業務のために自分の意思でという限定が入ると,3分の1まで下がる。
そして右側,学び事・習い事の実施率に関する調査で,これは年齢帯によって数字が異なるため幅があるんですけれども,9.3から24.3%。ヨガの体験レッスンに行くというような趣味の学びも入るのですけれども,自分の意思で学び事・習い事をするということになりますと,ここまで数字は下がってしまいます。
 もう一つ実感しておりますのは,学ぶ人は学び続ける一方で,実施しない人は実施しないままだと。学ぶ人とそうでない人が固定化してしまっているということです。これは年代別の先ほどの調査のデータですけれども,左側が男性,右側が女性です。まず,実施率は,年代を重ねるごとに,どんどん下がっていく。男性の50代から60代が最も低くなります。週刊誌を見ながら,偉そうに今の若い人に文句を言っている人たちが一番学んでいない,そういう残念な現実ですね。
 もう一つ注目いただきたいのは,グラフ上側のグレーの部分,これまで自分の意思で学びを実施したことがないという未経験者の比率を表しています。これが年代を追っても,ほとんど変わっていない。経験を示しますので,本来は年代が上がると下がらないといけないんですけれども,こういうグラフになってしまうということは,学びを実施しない人は実施しないままだということを示しております。編集長として部数拡大を目指した際の一番の敵がこの状況でした。学習を実施しない,していない人に新たに実施を呼びかけることが本当に大変です。
 一方で,学びを実施している人には,この3点の特徴があると思っています。まずは1点目,自らお金,時間,能力を投じているということ。2つ目,これまでの経験を学びの場に持ち込んでいるということ,これは一番,子供たちとは大きな違いだと思っています。そして,様々な学びを繰り返していて,卒業なんてしないということ,これは生涯学習に携わる先生方は皆さん実感されていることと思います。
なぜこんなことが可能になるのか,なぜこんなふうに学びを続けていけるのか。左側,学びを実施しておられる方は,学んでよかったという経験を過去にお持ちなんですね。だから次もきっと面白いはず,役に立つはずと思える。学んだ後が自分でイメージできるんです。そして,学習に対する多様な評価軸を持っていらっしゃるので,学習の意味づけも非常にしやすい。また,学ぶ人の周りには学ぶ人が多いんですよ。私もそうですけれども,学んでいる人のフェイスブックのタイムライン,友人の学び関連の投稿が次々と流れてまいります。コロナで生まれたオンラインの学習機会,参加する人はかなり増えましたけれども,私は参加する人の層が広がったというよりは,学ぶ人が何度も何度も参加できるようになった,そういうことではないかなと捉えております。
 右側,実施しない人というのはその逆です。過去に成功体験がない,役に立ったという実感がない,学びに対して忌避感を持っておられる方すらいらっしゃいます。そもそも,これまで授業も研修も耐える時間だった。あるいは,人に言われて資格を取ったけれども,役立ったと思えない。学んだことを自分の中で意味づける,実践に生かすという考え方がなかなかしにくいんですね。そして,周囲に学んでいる人がいない,あるいは,いても話題に上らない。
社会人学習者を増やすためには,左側の人が繰り返し学べるようにすると同時に,右側の人たちに,学びという選択肢を意識してもらわなければなりません。部数拡大に悪戦苦闘していく中で,私は,次に示す3つの層に分けたアプローチが必要だと考えるようになりました。マーケティングでは,よく年代とか,性別とか,そういったスペックが使われるんですけれども,そうした属性で切っても有効なアプローチに全くならなかったんですね。
 自発的に学び続ける一,二割の方,職場の指示では学ぶことはあるけれども,自分からコストをかけようとは思わない方,そして,今の時点では全く学びを実施しようとは思わない方。なぜ,この切り方を使うのか。それはそれぞれによって学びを阻害する要因というのが異なっているからです。だから解決の方向性も異なる。
 一番上,自発的に学びを重ねる方の場合,阻害要因は,まずは費用の問題です。学ぶお金が続かない。給付金制度は拡充されましたけれども,対象者の面,対象講座の面では,まだまだ,かなり限定的です。公務員は対象外ですし,新しい講座,業務と直結しない講座も対象外です。さらに,続けて学ぼうとしたときに使えない,そういう声もよく聞かれます。
 費用面以外にも,自発的学習者の方,時間や講座のバリエーション,ちょうど学びたい講座がない,そういうハードルがございます。ただ,これらは物理的な要因を解消することで,かなり解決します。デジタル化,オンライン化というのも,この層に対しては非常に効果を発揮します。
 中央の欄,自分では学ばないけれども,業務で学ぶという人の場合,最も大きな阻害要因は,自分でやるときの学びの有効性に実感を持てないということです。解決には,まずは何らかの分かりやすい他者からの視点や指示が必要になります。そして,その上で,やってみてよかったという実感を持ってもらうこと。ただ,知識を伝えるだけの機会では,また,学びたい,今度は自分から学んでみたいと思ってもらうことはできません。
 下の段,全くこれまで実施していない人という場合は,学習機会と接すること自体が少ないというところがあります。また,そもそも学べる環境にないということもしばしばです。まずは学習できるような環境を整備し,学びに至るまで丁寧に伴走していくことが,この人に対しては必要になります。学ばない理由についての回答,普通に言うと,ぱっとあるんですけれども,学習経験ごとに,よく見極める必要があると感じております。
 では,2つ目の話題,学ぶ人はどのように学んでいるのでしょうか。そして,それにどのような効果があるのでしょうか。学びといっても,社会人には様々な学びの在り方がございます。そして,特に自発的学習者の方は,自分のその時々の目的,キャリア課題に応じて,それに応じた,適した学びを選択して併用していらっしゃいます。私はその学びの在り方,一旦,3種類に分けております。この表の縦の列です。
 左側の列,こちらは例えば就転職などで新しい組織に踏み込んだときですね,その組織に適応するための学びです。OJTであったり企業内研修,弟子入りというのもそれに当たりますね。この学びの成功は,組織の中で地位上昇していくこと,出世ということですけれども,何でも組織と一蓮托生になってしまうというリスクもございます。
 真ん中の列,客観的な普遍的な知識が必要になったら,資格取得であったり,外部の教育機関の利用ということになります。成功の指標,エンプロイアピリティの向上ということになりますけれども,ここで得られるのは,既に客観的に有効性が実証されている知識やスキルです。そのため,答えのない課題に取り組むという場合には足りません。
 そこで右側の列,新しい知を創造していく,そういう知を学びの際には,外の学びの場で異なる他者との対話というのが必要になってまいります。このような学びの場ですね,アクティブな形です。学習の場と実践の場を往復しながら,目的としては,自分のミッションやパーパスを実現するための学び。
 私は,そのプロセス,皆さんにお話を伺っていて,このような8の字の形でモデル化をしています。上側が実践の場で,下側がアウェーの学習の場ですね,これを往復しながら学んでいく。学びの場で学んだことを実践の場で持ち込んだときに起こる軋轢や葛藤,これは必ず起こりますが,それも重要な学びの機会になるという学び方です。この3種類の学び,昭和以来の学び,平成以来の学び,令和からの学びみたいな形で,キャッチフレーズ的に言うなら,そんな言い方で表せるでしょうが,大事なのは,自発的学習者の方々が,ばらばらではなくて,うまく機会に応じて併用しているということです。
 さて,そうして何が得られるのか。個人の視点から見ると,3つの学びにはそれぞれ,新しい世界への適応,業務上の課題解決とか,固定観念の除去や新しい問題の発見というのが対応してきますでしょう。そして共通のものとして,新たなつながりの獲得ということが挙げられます。しかし,これは飽くまで学習者個人にとってのみの観点ですけれども,学習者個人にお話を伺っている限りにおいてすら,学びの効果はそれだけにとどまるものではないと認識しております。
 学びに関しては,このように複数のステークホルダーが関係しています。上側が学び手,左の教育機関,右側に学習後に雇い入れたり利用したりする企業・産業界あるいは地域社会,それをさせる国や行政,同じ事象だって,ステークホルダーそれぞれにとっては異なる意味を持っています。
 では,この右下,社会・産業界の視点から見ると,先ほど示した個人にとっての学びの効果はどう表せるのか。新たな世界への適応,一番上の段,学んでキャリアチェンジを実現した個人の場合,転職先の企業からすると,高いコミットメントの人材が得られたということですが,社会から見ると,これまで,ひょっとすると活躍の機会が十分に得られなかった人が活躍するようになる。人材配置が最適化されたと言うことができます。
 業務上の課題解決,これは所属企業の業績向上に直結いたしますね。
 3番目,固定観念の除去や問題の発見というのは,企業にとってはイノベーションの実現につながりますし,社会から見ると社会課題の解決をもたらすでしょう。
 4段目,一見,個人にとってしかメリットがなく見えるつながりの獲得というところでも,所属組織にとっては,心理的に健康なメンバーが増加することは組織の生産性向上につながりますし,社会の観点,先ほど内田先生も言われていたウェルビーイングにも直結していくことになると思います。
 これらを見てきて,幾つか特に留意すべきポイントがあると思っています。5点,挙げたいと思います。
 1点目,社会や所属組織にとってのメリットというのは,往々にして個人がメリットを得るよりも先に現れることが多いということです。学んだ後に,即,自分の待遇などの改善が得られるということはなかなかありません。業務パフォーマンスが向上して,業績アップが得られて,その後にようやく個人のメリットとして現れる評価,地域の上昇,給与アップがもたらされる。途中には,組織要因であったり,社会環境要因であったり,様々なファクターが関係していますから,学習が個人にもたらすメリットというのは見えにくいんですね。そして,右端までたどり着かない場合もある。たとえ業績アップが得られたとしても,最後の評価や処遇がもたらされない場合,極論,個人による学びへの投資に対して企業がフリーライドする状態になってしまう,そんなことを強く感じることすらあります。
 2つ目の留意点,学習のメリットがこのように間接的であるということは,社会人が学びのメリットをイメージする,それを非常に難しくしている要因になっています。このつながりは,自発的学習者の人であれば,先ほど申しましたようにイメージできるんですけれども,そうではない場合,どうしても分かりやすい学習メリット,他者視点での学習メリットが必要になってまいります。
 3点目,学習後の「転職」というのは,転職元の企業によっては損失となります。往々にして非常にフィーチャーされてしまう嫌いがございますけれども,産業界全体から見たとすると,人材配置の最適化というのは利得です。
 4点目,職業と直接関連しない学習内容であっても,例えば既存の固定観念を突き崩すことにつながるような場合,イノベーションの源になります。芸術や哲学,歴史などはその最たるものでしょう。しかし,これらの講座は,現状,教育訓練給付金の対象にすらなっていません。でも,そもそも,答えのない課題に取り組もうとする人材に対してどのような講座が有効になるか,それを予測することは,既存の考え方では分かりません。むしろ,原理的に分かってはいけない。ならば,日時や手段であったり,教育手法であったり,外形的な条件を満たす場合に広く支援をすることが望ましいのではと私は考えています。
 5点目,現場での迫害についてです。イノベーションをもたらす学びというのは,一部の経営者層にとっては望ましい行動です。しかし,リスク回避を優先する企業であったり,目先の目標を追いかけなければならない現場のマネジャーにとっては,短期的な効率性を阻害する「和を乱す行為」になり得ます。実際,学習者の方々にお話を伺っていると,現場の上司,直接の上司から,迫害とまではいかなくても,やる気を阻害される経験というのは,多くの方がお持ちです。上司の人が自分は外では学ばない人の場合,先ほど申しましたように,そういう人のほうが多数派ですから,往々にして,そうなってしまう。
リカレント教育において,一概に産業界のニーズを聞くといっても,どちら側の意見を聞くべきなのかというのは丁寧に確かめる必要があるんです。個人にとっては,メリットが先になって,それが分かりにくい,イノベーションにつながる学びに対して投資できる企業は限定的,それを考え合わせると,社会人学習を促進していくために,公的な支援というのは,もっともっと拡充する必要があると私は考えております。
 最後に,大きく3点に分けて,社会人学習の促進のために有効と考える施策について,手短に述べたいと思います。
 まず最初に,現状認識のための調査研究の実施,本日私が述べたことは,しょせん現場での実感値にすぎません。実際に施策化する,他から理解を得ていくためには,しっかりとしたエビデンスが必要になることでしょう。学習実施率は果たして正確には何を示した実施率なのか,学習経験による阻害要因の違いは何なのか,学習によるメリットはどういうものなのか,これらについて,現状と,また,同じ基準での諸外国の比較についての調査研究が必要になると思います。
 次に,質の高い社会人向けプログラムの量的拡充,何が質の高さなのか。まずは,「誰に・何を・どのように」提供しているプログラムなのかを明確にしたプログラム,それが拡充されてほしい。それが明確であれば,産業界というのも,産業界一般ではなくて,そのプログラムの目的として,どこと連携していけばいいのかがはっきりするでしょう。イノベーションのためのプログラムなのか,安定就業のためのプログラムなのか,まずはっきりさせましょう,そういうことです。
 そして,学習者の持つ学習経験,前半で強調いたしましたけれども,それぞれに対応した施策が重要になると考えています。
 本日,時間が限られていますので,詳細は差し控えますけれども,お話ししてきたように,学習経験による阻害要因の違い,それに対応した施策が必要です。
まず,自発的学習者には,資金面でのハードルの除去,そして,プログラムのバリエーションの拡充ですね。業務上学習者には,また学びたくなるようなプログラムへの改善,最後に,非学習者に対しては,環境整備のためのセクターと連携していくところと伴走の機会の提供,それぞれを,是非実現につなげていっていただきたいと考えております。
 早口になってしまいましたが,御清聴ありがとうございました。私からの発表は以上でございます。

【清原分科会長】 
 乾先生,ありがとうございます。社会人に学習を促す上での課題と,個人の学習が社会に及ぼす効果について,自発的学習者,業務上学習者,非学習実施者と類型に分けて,具体的にお話ししていただきまして,ありがとうございます。
 それでは,ただいまの内田委員,乾先生の御発表を踏まえますとともに,本日,資料1で事務局より説明していただきました本日の審議のテーマのデジタル社会における生涯学習を考える際の重要な視点,検討課題1として,デジタル社会における急激な社会の変化の中で生涯学習・社会教育が重点的に果たすべき役割は何か。
検討課題3,生涯学習・社会教育が持続可能な地域社会を形成・維持していくために,学びの過程はどのようにあるべきかについて,皆様から自由闊達な御意見を賜りたいと思います。
 特に,学ぶことが個人の基本的な権利であって,個人の意思が尊重されるものであることを前提としながら,学ぶことの社会的な意義を本日の議論で明らかにできればと考えております。
 それでは御発言いただきたいのですが,御発言に際しましては,手を挙げるボタンを押していただきましたら,こちらから指名させていただきます。そうしましたら,ミュートを解除していただきまして,御発言をお願いいたします。皆様いかがでしょうか。
 それでは,ただいま手を挙げていただいている委員の皆様の順に,まず御発言いただきます。
 横尾委員,大久保委員,関委員の順で,まず御発言いただきます。
 横尾委員,よろしくお願いします。

【横尾委員】 
 こんにちは。皆様,御無沙汰しております。
 お二人からとても貴重な話を頂いて,誠にありがとうございました。ウェルビーイングの在り方,考え方,発想,いろいろなトライアルもされているなと感銘しました。また,いろいろなお仕事を通じて,日本人の学びの実態を,社会人も含めて,俯瞰されてのお話で,大変興味深く拝聴しました。拝聴しながら感じたこと,また,日頃思っていることを交えて,二,三点,意見を申し上げたいと思います。
 まず1点目は,先般のノーベル賞受賞の折に話題になった言葉ですけど,「好奇心」ということです。やっぱり,「知的好奇心」をどう高めるかということを片方ではしておかなければいけないなと強く思うんですね。80代を過ぎても,ノーベル受賞者になっても,若い研究者のところに行って,一緒に研究をやろうかとか,刺激を求めていらっしゃるし,また,自分もインスパイアをされていかれるということです。その根幹には,知らないことを知りたい,知ることによって自分がより広く見識を持てるし,自分の人生が豊かになる,いわばウェルビーイングがもっともっと高まっていく,そういったことを本能的に先生は御存じなんだなと思ったのです。
 もう一方で感じたのは,実は私,以前,アメリカに教育関係で視察に行ったんです。その時に,カーンアカデミーというビデオを使っての教材を全米的に展開し,全世界でも受信できますけど,提供している組織が運営している学校を拝察しました。
そこで一番感心したことがあります。今でいう日本の小中学生クラスの子供たちですけれども,すごいなと思ったのは,学習に関する自己管理,タイムマネジメントを自分たちで積極的にやるということです。大人である視察者の私たちも,世界から来た人たちとして同時に体験させてもらいましたけれども,圧倒的にカーンアカデミーの彼らは早く自分の時間の有効な使い方を判別できる。自ら工夫して,1週間分のタイムスケジュールをつくっていくんです。その中には,提供してもらえる学び,自分でやらなければいけない学び,そして,ネットか何かで新しいところから持ってくる学びなど,いろいろなことを多様に取り混ぜながら,自分自身のタイムスケジュールをつくっているのです。そして,そこで自分の学びをよりよくしていくというのを日常的にやっています。彼らは多分,このような資質を習慣として持っていると思うのです。考えてみると,日本人はこういった例があまり習熟されていないなと思ったのです。知的好奇心を高めながら,自分の時間管理をしていくと,人生は同じように1日24時間で,1年は365日であり,それが人生80年であるならば約3万日程になるのですけれども,そその時間という資源をどう使うかということ,こういった学習や訓練もどこかでしたほうがいいのかなということを1つ目に感じました。
 2つ目に思ったことは,知ということ,知識,知恵ということが心も豊かにすることができることを,若いときに早く経験したほうがいいようにも思いました。ともすると,いい学校に行きたいための学習ドリルと,偏差値アップと,そのために学習量をどうこなすかで,子供たちは一生懸命頑張っているのです。けれども,本当にそれだけでいいのかということですね。やっぱり,知ることがとても自分を聡明にするし,知ることで問題解決やソリューションができたら本当に人々は喜んでくれる。そして,知ることがこんなにすばらしいのだということと,それに,知るという学びを体験することで,喜びを体験することで,もっともっと創造的な学びも引き出せるのではないかと思うのです。だから小学校から中学校あるいは高校の課程の中で,知ることを知る。つまり,知は心も豊かにしていくということを実体験していただく必要があるなと感じながら拝聴させていただきました。
 3点目に思ったことですけど,実は,学びにも大きく2つあると思いました。1つは社会人として当然必要なことですが,自分の入った会社とか,自分が進もうとしている進路でスキルを高めるという学びがあります。これは会社でいいますと,就職するための技術やスキル,または,中に入ってから自分をパワーアップして,レベルアップして,地位にふさわしい知識も必要だとなっています。欧米ですと,こういったものや機能を図書館が担っていて,ニューヨーク公立図書館をはじめとして,館内にきちんと就業コーナーがあって,そこに行ってみれば,自分もぱーっと自己向上できるようになっているのです。そういうスキルアップの学びというのが一つあります。
 もう一つは,いわゆる海外でいうところの教養とかアートに近いのですが,人格を高めていくような,あるいは,心豊かな人生を送るために必要な学びはなにかということも,しっかりとサポートしていく必要があるのかなと思いました。言い古された言葉であり,今はあまり聞きませんが,「教養」とかがあります。年配の方は,「たしなみ」とかということを言われますよね。あるいは何々道というものがありますね。たとえば,書道,茶道などあり,いろいろなことに親しみながら,自分の立ち居振る舞いから,物の考え方から,そして人様と接するときの処し方まで日常で学ぶということを,実は日本人は伝統的にしているのです。そういったことをもう一度発掘して,本日のテーマである生涯学習あるいは社会教育の中で,もっともっと刷り込んでいくというか,もっと光らせるというか,そういうチャンスがあって,人々がそこに親しみながら,さっきお話しになったウェルビーイングを高めていくとか,あるいは自分の人生にとって必要な知識を身につけるとか,そういったことができるようになっていったらいいなと思ったところです。
 大きく3点,ちょっと漠然と言ったところもありますが,そういったことを強く感じましたので,今後の検討の中で扱っていただくと有り難いと思いました。
 以上でございます。

【清原分科会長】 
 横尾委員,ありがとうございます。
 幾つかキーワードをいただきましたので,また,生かしていきたいと思います。
 それでは続きまして,大久保委員,お願いいたします。

【大久保委員】 
 大久保でございます。ありがとうございます。
 お二人の御報告を大変興味深く聞かせていただいておりました。その中で,内田委員のお話に触発されて,以前に私の所属する研究所で行った研究を思い出しておりました。その研究は何かというと,人間関係についての研究です。国際比較も含めてやった結果ですけど,子供たちは,学校と家族というのが二大人間関係だと思いますし,社会人でいえば,家族と職場がどこの国においても二大人間関係になっているんですが,ほかの国,このときはアメリカとかフランスとかデンマークとか中国という国と比較をしてみたんですけど,日本は,大人の場合は家族と職場の関係だけに閉じている人が結構多いんです。
それに対して,ほかの国はもっと多様な人間関係を持っていて,家族と職場以外の関係で親しいつながりが何個もあるという人が結構多くて,その違いがはっきり出ていて,大変興味深かったとともに,非常に不安に感じたわけです。人間関係の質といいますか,中身はどうかなということで,そこを見てみるために,ベース性とクエスト性という新しい概念を作ったのですが,ベース性というのは,そのつながりが,ありのままの自分でいられて,何かあったときに助けてくれて,安全基地みたいな役割を果たすような関係性です。
もう一つは,一緒に目標を追いかけられるとか,刺激を受けるとか,そういうような関係をクエスト性と呼んでみたわけです。そういうベース性を含んだような関係とかクエスト性を含んだ関係はありますかということも聞いてみたのですけど,この結果,日本の大人の場合ですけど,両方あると答えた人が26%,ベース性だけあると答えた人が30%,クエスト性だけが3%で,どっちもないと答えた人が44%もいたんですよ。ですから,家族はもちろんいるのだけれども,あまりいい関係ではなかったりとか,職場の人間関係もベース性もクエスト性もないという,もしかしたら,しがらみしかないような関係で,あまり,つながりというものがうまくウェルビーイングにつながっていないように結果でした。将来に対して見通しが立つとか展望が持てるということとの相関関係を見てみると,ベース・クエストの関係性がある人のほうが圧倒的に見通しが立つ。そうでない人は,将来に対して前向きな見通しが立てられないという関係がきれいに出ましたので,人間関係が持っている重要性というのを感じたわけです。
 さて,これからは社会教育とか生涯学習というものとの関係性についてのお話ですけど,私は,学校とか,あるいは家庭というもの以外に,もう一つのつながり,人間関係の場としての生涯学習とか社会教育の場というのが大事なのではないだろうかと思いました。学んだ結果として得る知識とか技術とか以上に,一緒に学んだ仲間とか先生とかとの関係性というのは,大きな財産,貴重なつながりになる可能性があるのではないかと思います。
本来であれば,学習の場ですから,ベース性とクエスト性でいえばクエスト性だと思うんですけど,そうではなくて,教育の場だけれども,それ以上に,自分の居場所だと思えるとか,そこの中で自分らしくいられるとか,そういうほっとするような感覚が持てるとき,そういう場として学びの場を感じている人もたくさんいて,そういう意味で生涯学習とか社会教育というのが役に立てるのではないかなと。今回の議題で重視する機能とか学びの過程というお話がありましたけど,そんな観点で,社会教育,生涯学習を捉えてみるというのは一つ重要ではないかなと感じました。
 
【清原分科会長】 
 ありがとうございます。大久保委員が言われた点は,内田委員の御発表の中で,個だけではなくて場というキーワードをいただき,今,人間関係ということについても大久保委員に触れていただきまして,このことは正に,先ほど横井委員もおっしゃいましたけれども,それぞれの個人の多様な関係の中で,学習がある,知的好奇心が生かされるということとつながってきたと受け止めました。
 それではこれから,順番で申し上げますと,関委員,山内委員,千葉委員の順番で御発言をお願いいたします。
 それでは,関委員,お願いいたします。

【関委員】 
 内田先生,乾先生,本当に貴重なお話ありがとうございました。
 内田先生,乾先生に,もう少し伺いたいなと思う点,お尋ねできたらと思うんですが,初めに内田先生にですけれども,私も正に言葉の幸福の相互作用を生み出していくことが大切なことだとずっと感じて仕事をしてまいったところです。でも,なかなか,個人ごとに幸せというものに対しての感覚,捉え方が異なっていることをずっと感じていました。みんなが点のままの状態ではないかなというのをいつも感じてきたものでございます。個人の成長あるいは地域の発展,両者を実現させていこうというお話もされておられましたけれども,それを実現させていく上で一番大切だなと思う点,もし,もっと突っ込んでお話しいただけるのであれば,是非お話しいただけたらと思います。
 あと,コミュニティーという話も出ておりました。このコミュニティーは,地縁というイメージで捉えていいんですかね。それか,もっと広く,いろいろな思いを持った人の集団というイメージのほうがよろしいのか。そして,コミュニティーと捉えるのであれば,今,地域運営組織みたいな活動をいろいろなところで展開しておりますけれども,そういったものと生涯学習・社会教育がどうつながっていくのか,その辺をお教えいただけたら有り難いなと思います。
 あと,乾先生のお話の中で,我々,これまで,社会人の生涯学習・社会教育に対して取り組んでこなかったんだなということを改めて教えていただいたような気がします。どちらかというと,給料を稼ぐ世代ではなくて,そこからリタイアした世代を対象にした,人生でいえば,上り坂の人生の学びではなくて,むしろそれを下っていくときにどう下っていくかを学んでいくような学びが今まで多かったような気がします。
そういう中で,両者をうまくつなげていくような学びに対してのお考えなどがあれば教えてもらいたいということと,あと最後のほう,大分はしょってお話しされたと思うんですけれども,教育機関の「多産多死型」の講座という表現が非常に目に留まってしまったんですけれども,この意味するところが何かということを教えてもらえたら有り難いなと思っております。
 あと1点だけ,初めの2点のうちの1つ,デジタル社会における社会教育の果たすべき役割という点ですけれども,間違いなく,今,情報格差は存在して,このままほっておくと,ますます溝が深くなっていくという気が正直いたしております。今回の新型コロナのワクチン接種の対応であったり,その他いろいろな行政の支援策も,ネット対応が当たり前になっておりました。
しかし,年配の方は,なかなかそれに関わっていくことができない状況にある。どうすればこういった人たちをきちんとサポートしていけるかというときに,社会教育は間違いなく,もう一歩踏み出すべきではなかったかなという気がいたします。今回,こういう状況になったために,なかなか人が集まる学習が展開できないということで,リモートとか,いろいろなものに関わってきたわけですけれども,まだまだ,そこに関わっていけない人たちがいっぱいいるということを改めて教えてもらったような気がします。
 社会教育では,身近な人々がそこに集まって,分からないときは分からないことを正直にお互いが出し合いながらそれを克服していくような,温かい人間関係の下での学びが展開できるのではないかなと思います。これから先,公民館等の社会教育施設がそういったものをどんどん引き受けて,情報弱者の存在を1人でも減らしていくような取組を是非進めていくべきではないかなと思っております。
そのためには,社会教育施設のICT環境は間違いなく,まだまだ不十分な気がします。そういったものの整備であったり,あるいは子供たちにはGIGAスクール構想でタブレットが配置されておりますけれども,そういったものをうまく使い合いながら,高齢者と子供がうまくつながっていくような学びの場なども,社会教育の中で引き受けていくのがこれから大事ではないかなと思っております。
 以上でございます。

【清原分科会長】 
 関委員,ありがとうございます。場の大切さを実感される中から,内田委員,そして乾先生に,大きく2点ずつぐらい御質問がございましたので,順次,お答えいただければ幸いです。
 まず,内田委員からお願いいたします。

【内田委員】 
 関委員,どうもありがとうございました。大変重要な御質問を頂いたかと思います。
 1点目にいただきました個の成長と地域の発展を両立させるために重要な要素は一体何なのかということですけれども,私,先ほど大久保委員がおっしゃったような,関係性というのが非常に重要なキーワードになってくると考えています。というのは,やはり,個というものと場所というものをつないでくれるのが,恐らく,身近な関係性であり,かつ,身近な関係だけではなく,いろいろな人と自分がつながれるという可能性を感じてもらうことにもなるからです。ともすれば関係性がすごく閉じてしまう,先ほど正に大久保委員の話にもあったように,日本の社会の中では,時間もない中で,すごく自分の関係性を限定していることがあるんですけど,これは非常にもったいないと思うんですね。様々な形,地域の中でも地域参加できていない人って本当にたくさんいらっしゃると思います。そうした中で,新たな形でいろいろな人とつながることもできるし,周囲に安心できるような他者もいる,そういう状況があることが,恐らく場と個人をつなぐ重要な起点となっていくだろうと考えています。
 では,コミュニティーというのが地縁なのか,それとも興味,関心などを共有する集団も含めるのかということですけれども,両方含まれるだろうと思います。地縁というのは,土地という皆さんが守りたいという気持ちとか,土地の中からいろいろな恩恵を受けるということ,もう少し状況を改善したいという思いもつながるので,非常に分かりやすいくくりになっていると思います。こういうところには,例えば公民館とか,小学校とか,様々な公教育に活用できるような場所があったり,あるいは,場所や地域によっては,例えば博物館や図書館があったりして,学びが展開しやすいのが地縁のよさだろうと思っています。一方で,そこだけに閉じるものではなくて,恐らく,生涯学習にあるような,様々な自分の興味,関心に基づいたような,ある種のつながりというのも新しい場として,地縁ではないコミュニティーという形で,私たちにとって新しい関係性をもたらしてくれるものにもなるだろうと思っていますので,地縁をモデルとして活用しながら,地縁がないような集まりにもそれが適用できるような,そういう具体的な方策づくりをしていくとよいのかなと個人的には考えております。御質問いただき,どうもありがとうございました。

【清原分科会長】 
 ありがとうございました。関委員,よろしいでしょうか。

【関委員】 
 結構でございます,ありがとうございます。

【清原分科会長】 
 それでは,乾先生,御回答よろしくお願いします。

【乾氏】 
 御質問ありがとうございます。関委員からいただいた1つ目の質問,上り坂,下り坂,両者つなげるものはというお話を頂きましたけれども,実際,これは大久保委員からのクエスト性とベース性のお話であったり,横尾委員の共有のお話とつながることもあると思うんですけれども,この両者の違いって,どんどんなくなっていくのではないかなと私は捉えております。といいますのも,スキルや学ぶ技術,好奇心というのが,現在の時点で学んでいない人たちをどう引っ張り込むかというのを考えていったときに,まずはスキルであったりとか,クエスト性の学びのところがスタート地点となって,その上で,そこからベース性がもたらされたりとか,ベース性自体もクエスト性があってこそもたらされる。この行き来というのが非常に大切になっているなと。
パソコンを学ぶときに,パソコンを学ぶというきっかけがあって,初めて学びの場に来ていただける。そこの場でつながりがあって,初めて学ぶことって楽しいと思ってもらえて,まずは,ちょっと言葉は悪いですけれども,だましてでもいいから学びの場に連れてくる,役に立つと言って連れてくるというところが必要になってくると思っています。そうなると,上り坂,下り坂って,どっちがどうというのは関係ないのではないかなと感じております。
 もう1件,すいません,先ほどぱっと飛ばしてしまったんですけれども,教育機関の「多産多死型」の状況をどうつくるかということですけれども,今もお話ししていたように,どの教育機会,どんな内容のどんなバリエーション,どんな学び方,どんな技術,様々な掛け合わせがあって初めて教育のプログラムはできますけれども,何が有効かというのは予測できません。
なので,多産多死であることを前提にプログラムを開発して,運営,更新していくという仕組みを構築していく必要があるんだろうなというところが意味したところでございました。どうしても正解を事前に求めて準備して,集まらなかったのは何が問題だみたいになってしまうんですけれども,いや,それもあり得るよと。集まらないんだから,つまらないプログラムだったで終わるんではなくて,実施したことによって何が成功のポイントなのか,失敗したのはなぜかがわかる。失敗したからといって駄目だというような状態をつくらないことが必要です。
しかし,どうしても教育機関の先生方とお話ししていると,失敗をいかに避けるかということが前提になってしまうので,それに対する対策が必要だと感じたところが意味したところでございました。すいません,お答えになっておりましたでしょうか。

【清原分科会長】 
 ありがとうございます。関委員,よろしいですか。

【関委員】 
 はい。私も全く同感でございます。そういった新しい挑戦をしていきたいなと思います。ありがとうございました。

【清原分科会長】 
 ありがとうございます。
 それでは,山内委員,御意見よろしくお願いいたします。

【山内委員】 
 内田先生,乾先生,ありがとうございました。
 2人の話をお聞きして,今日最初に提出されたデジタル社会における課題という意味でいうと,自発的に学ぶ人とそうでない人の差をどうしていくのかということが,デジタル社会において非常に大きい課題になってきているのではないかと思います。私自身,MOOCで,数千人,数万人の学習者が集まるプログラムを運営しましたが,全員,自発的学習者なんですね。自発的学習者は,まだまだ整備が必要ですけれども,デジタル社会によって,無料だったり,非常に安い金額で学べるようになってこれはいいことだと思うんですが,そうであるだけに,そうでない人との差が非常に広がってきているというところをどうしていくのかというのが課題だと思います。この課題の裏側には学習観の問題があるのではないかと思っていて,乾先生から具体的に学ばない人のイメージを聞くと,人間の知能が変わらないという固定マインドセットを持っている人は,多分,学習に指向性がないので,どうしてもそこから目を背けてしまうところがあって,成長マインドセットを持っている人は,自分が変わるためにどんどん,正に内田先生がおっしゃるように,コミュニティーの場に出ていて,自分が変わることに幸せを感じるから,どんどんそれがよいサイクルで回っていくというふうに感じました。情報環境の差ももちろんあるんでしょうが,学習観の差がある中で,学びに向かうことに傾向がある方をどう巻き込んでいくのかというのが,公的な役割を持つ存在としては,非常に重要な議論になっていくのかなと思います。
 それで,お二人に是非,これ結構,生涯学習のアポリアだと思うんですけど,つまり,学びたくないと思っている人に,最初,何をすればそれを変えていくことができるのか,その第一歩が非常に重要で,成功経験で回り始めればいろいろ手を打てるというイメージがあるんですが,最初,何をすればいいのかというのは私自身も悩んでいるところがあって,是非御意見を伺えればと思います。
 私からは以上です。

【清原分科会長】 
 ありがとうございました。正におっしゃるとおりで,自発的に学ぶ人とそうでない人の差が格差にならないようにということは大きな課題だと思います。お二人にそれぞれ御質問ございました。では,今度は乾先生からお答えいただいて,次に,内田委員,お願いします。いかがでしょうか。

【乾氏】 
 山内委員,ありがとうございます。正に一番,戦いを繰り広げてきた分野でございまして,私自身も,正直,大きなお世話と言われ続けております。学びたくないのに何で引っ張り込まれなければいけないのか。でも,客観的に見たら,あなたって絶対これ,それこそパソコンのキーボードをたたけるようになったほうがいいよねと。でも,自分からはそこに来ようとしない。やっぱり,最初の段階では引っ張り込む必要があると思っています。何らかの形で強制的に引っ張り込むとか,それこそニンジンをつり下げて,無料で,かつ,来たらこんなメリットが手に入るんだ,クーポンをあげるとかというところまで含めて引っ張り込む。報酬を先にあげるとか,ニンジンをあげるというところと,それがスタートになって,企業側に所属している方であれば企業からの強制もありえる。そこと,2つ目は,その機会において楽しいと思ってもらえることが大事です。せっかく連れてきているのに,楽しくない学びの機会というのが非常に多いですよね。引っ張り込まれたから耐える時間になってしまう,それでは変わらない。そこのところでは,幾つか私も,例えば男女共同参画センターで女性の支援をしていらっしゃる方々の取材をさせていただいたときとかには,すごく手がかかるんですけれども,これにはどういう意味があるのかとか,これやってみたら,次どういうふうに生かせるのかというガイド,伴走も含めたところで,そういうプログラムを実施する必要がどうしてもあるのではないかなと。ただ,お金もかかりますし,投資も必要です。民間では非常に効率性も悪いと言われてしまってなかなかできないことなので,やはり,ここについては公的機関による丁寧な伴走が必要だと考えております。

【清原分科会長】 
 ありがとうございます。
 それでは,内田委員,お願いします。

【内田委員】 
 山内委員,どうもありがとうございます。大変重要な問いで,なかなか答えが出るものではないなと,私自身,ちょっと考えておりましたが,1つは入り口を多様にしておくことはすごく大切かなとも思いまして,例えば地域での学習となると,地域の集まりに行かなければいけない義務感のようなものが起こっていたと思うんですね。それは人によっては何となく嫌であるという人も当然いらっしゃるわけですね。入り口が狭いと,ある意味,そこにフィットする人しか入れない,フィットする人だけが楽しんでしまうことで,新しい人が更に入りにくくなるという悪循環をもたらします。この悪循環をいかに断ち切るかを考えたときに,入り口が多様であることというのは重要で,そういう意味で,デジタルというのはすごくいいきっかけでもあるような気がしていています。中にはいろいろな人と対面で話をするのが苦手な人もいるわけで,デジタルでコミュニケーションするというのは,非常にいい入り口になったりもすると思います。そういう意味で,間口を広げる一つのツールとしてデジタルを活用できると思いますし,取っつきにくいデジタルだけではなくて,動画のコンテンツなんかもそうですけれども,テレビと同じような感覚で使っていただけるような,ある種のメディアの多様性というのが出てきたときに,入り口はどんどん広がっていく可能性もあるのかなと思います。
 もう一つは,やっぱりインセンティブとともに,ある種の役割感みたいなのも必要ではないかと思います。役割感が義務になってはいけないんですが,これをやることが,例えば地域の子供にとってこんなメリットがあるよとか,あなたの持っているこの知識は,実はこの人にとってすごい大事なことなんだよというような,何か自分がどこで役に立てるのかという情報が共有されたり,人あるいはデジタルツールがそれをうまくコーディネートして,個人が持っている経験や知識がうまく活用できるようなところに引っ張っていけるといいなと思っています。地域の中で「何か恩恵を受けたい」と思っている人ももちろん一定数はいるんですけれども,一方で,そんなことはご免だという人もいて,そういう人たちはむしろ自分が培ってきた社会経験を誇りをもってうまく活用したいと思っていると思います。そうすると「与えられる場」だけではなくて「与える場」にもなるはずで,これも入り口の多様性かもしれませんが,そういうことから引っ張り込めないのかなと思ったりもいたしました。

【清原分科会長】 
 ありがとうございます。山内委員,いかがでしょうか。

【山内委員】 
 ありがとうございます。角度は違いますが,学ぶことの意義やメリットをどう可視化して,インフォームドコンセントした状態で,入り口の一歩を越えていただくかということと理解しました。
どうもありがとうございました。

【清原分科会長】 
 どうもありがとうございます。
 それでは続きまして,千葉委員,長谷川委員,伊東委員,薗田委員の順番で,後半30分ぐらいになりましたので,そのこともお気に留めながら,御発言よろしくお願いします。
 それでは,千葉委員,よろしくお願いします。

【千葉委員】 
 ありがとうございます。千葉でございます。
 内田さん,乾さん,大変興味深いお話を聞かせていただいたと思っております。その上で,率直に申し上げまして,我が国が生涯学習社会であるということを知らない人たちが非常に多いのではないかというのが私の感覚です。
私自身も,その1割から2割に当たる学習をしている人間の1人ですけれども,しかし,私の学びに国がどういうふうに支援をしてくれているのかということについては,ほとんど知識がありません。どういう形が何かあるのかも分からないんですけれども,全て自費でやっているというのが現状でございまして,そういう状況が現状ではないかと考えておりまして,私の学校では,職員の学習支援を助成しておりまして,多くの教職員が大学院や大学で学んでおりますけれども,企業における社員教育の法人税の減税も結局流れてしまって,そういったことも生涯学習社会のイメージというものがなかなか広がっていかないということにつながっているのではないのかなと思います。
 その上で,今,一番そのことを知らなければいけない人たちというのが,初等中等教育あるいはその前のお子さんを持っている方たち,御両親や本人ではないのかなと思いまして,その方たちが,我が国は誰一人として取り残されることのない社会を実現しようとしているということを早いうちに知るべきではないかと思うんですよね。
中学までは義務教育ですけれども,高等学校は無償化で学ぶことができますし,我々,高等教育機関も負担軽減という形が適用されますので,学びの継続ができるということを貧困層などには特に早く知ってもらう必要があるのではないのかなと思うんですよね。例えば少年野球なんかも,それぞれ進学先で活躍,活動の場があり,最終的にはメジャーリーグまでつながっているということが,そこで野球をしている人たちのモチベーションではないかと思うんですけれども,学びの点においても,つながっている中で自分たちは学習をしているんだ,あるいは自分の子供たちはそういうところで学んでいるんだ,そして,誰一人として取り残さないという社会で生きているんだということを,是非伝える必要があるのではないのかなと思っております。
 それから,内田さんの話にもちょっと触れたいんですけれども,やはり,幸福といいますと,今,グルメだとか,ブランドだとか,そういうものを持っていないと,あるいはそういうものを食べていないと不幸感みたいなのがある世の中になっていまして,私は,テレビ朝日の「人生の楽園」という番組が好きでよく見ておりますけれども,あの方たちは,グルメだとかブランドだとかというような人に喜ばせてもらうのではなくて,自分たちがよく生きることで幸せを感じている方たちだと思うんですよね。ですから,そういうようなストーリーであるとか,ナラティブであるとか,そういう好事例をいろいろなところで発信していくことが大事なのではないのかなと思いました。
 以上,簡単ではございますけれども,意見を述べさせていただきました。ありがとうございます。

【清原分科会長】 
 千葉委員,ありがとうございます。生涯学習を考えるときにも,初等中等教育の段階から,日本は生涯学習社会であって,いろいろな学びの機会があるのだということを子供たちも保護者も認識することから非学習者を減らすことにもつながるという,そんな継続性の視点をいただきました。幸福感の多様性も含めて,ありがとうございます。
 続きまして,長谷川委員,お願いいたします。

【長谷川委員】 
 では,長谷川から,本日の検討課題に即しまして,意見を申させていただきます。
 先ほどの内田先生,乾氏のお二人のお話は,期せずして,プログラムの妙だと思うんですけど,違うトピックのことと思わせて,実はかなり内容的にリンクしている,つながる内容で大変感銘を受けまして,勉強させていただいたんですけれども,1つ目の検討課題1につきましては,たとえデジタルの社会,デジタル環境の学びにおいても,場の重要性ということが改めて重要であるということを感じました。私,今後御紹介する機会もあると思いますけれども,美術大学という中で,社会人向けの,これは美術を教えるのではなくて,イノベーション教育ということを今実践しておりますけれども,美大という環境は,社会人のコンサルタントの方ですとか,教員の方ですとか,非美術バックグラウンドの方が大勢いらっしゃるんですけれども,美大だからやってもいいのかなという感じで,みんな結構チャレンジできるんですね。
 もっと言いますと,先ほどのお話にもあった,実はプログラムづくり自体も,結構,美大的にプロトタイピングしていた多産多死型といいますか,プログラムがかっちり固まったものではなくて,割と学生にもプログラム自体の開発中であるというような,進行中であるということ,もともと扱っている問題がウィキッド・プロブレムという答えのない問題を扱っていますので,固定化されたプログラムではなくて,そこに立ち向かう,どういう考え方でやっているんだということを教員側もオープンにしてやっているということもありまして,それを受けてくる社会人生の人たちも,自分たちもここだったらチャレンジしていいんだというようなそういうムードができることで,割とチャレンジができるような,共創的な関係ができているようなところがありまして,いかにこれからのデジタル社会の中での教育の場でそういった場を提供し続けられるかということが,やはり重要になってくるということを特に感じました。
 そことも関わってくるんですけれども,2つ目の学びの過程のところで,これも先ほどから先生方が御指摘いただいていますように,何を目的として学び始めるかということの難しさということを改めてきちんと議論しなければいけないなと感じております。といいますのが,また私どものプログラムになってしまうんですけれども,イノベーション教育というようなことで,正直,何をやるかよく分からないというところがあるわけですね。美大だから,ちょっと美術的なことも学べるのかなとか,いろいろ,誤解であったりとか,勘違いだったりとかも含めて,海外のデザインスクールで今こういうことがやられているので,自分もそういうことをやりたいというような,割と適切な目的を持ってくる人もいるんですけれども,誤解を持って来る方も結構いるんですね。結構,自分の企業の中の課題,目先の課題――目先というと語弊はありますけれども,自分の企業の中の直近の課題の解決を研究課題として,大学院ですので,一応,研究計画を入試時には持ってくる必要があるんですけれども,そういうことを持ってくる中で,アート教育のプログラムを経まして,自発的に何かを自分で考えてみようということに気づきまして,これは内田先生のお話のウェルビーイングのような文脈で,自分の生活とか,自分たちの社会のことに目を向けようということで,入学時に自分の会社の組織を変えることをやりたいと言っていたような大学院生が,卒業研究では地域社会にコミットすることをやりたいと研究計画が変わっていくなんていうことが,かなり起こるんですね。これも,自分がどういうことを学んだ末に扱っていきたいのかということ,現状の企業に勤めているスキームの中ではなかなかそこが見えなくなってしまっている中で,外側の,もっと社会に関わっていくことが潜在的に自分ができるかもしれないということに気づけないというところ,先ほどからお話にあるような,ちょっと疎まれるようなイノベーション人材になっていくということが結果起こるんですけれども,最初からそれを目指して,自分が枠の外に出られるという想像自体をすることが,構造的になかなか難しいということがあると思います。
先ほどから,学ぶための動機づけのお話も出ていますけれども,学ぶ中でも,自分が学ぶことによって変わっていけるんだということ自体をどのように,これは知らないことは知らない問題として構造的に難しいわけですけれども,どのように,外側という世界があるんだと,そこへの期待値を持ってもらうんだということを伝えていくのかというあたりも,こういった生涯学習のプログラムの中で重要になってくるのかなということを感じております。
 以上,意見となります。

【清原分科会長】 
 長谷川委員,ありがとうございました。途中,キーワードとして,キョウソウという言葉を使っていただいたんですが,共に創造するほうでしょうか,協力して創造するほうでしょうか。

【長谷川委員】 
 これは共に創造するほうですね。学習のプログラム自体を教員だけで一方的に提示するのではなくて,プログラム参加者の学生と一緒にするプログラム自体をつくっていくのだという関係性を持てているということで,共創という言葉を使いました。

【清原分科会長】 
 ありがとうございます。今日,何人もの委員の皆様から,学び合うとか,今は共創,共に創るとか,今後,教え合うということもあると思うんですが,相互性というか,それが生涯学習の魅力というか,無意図的働きとして効果を示しているのかなと,今のお話でも再確認させていただきました。ありがとうございます。
 それでは続きまして,伊東委員,薗田委員,辻委員,順次,御発言をお願いいたします。
 伊東委員,お願いします。

【伊東委員】 
 宮城県教育委員会の伊東でございます。3回目にして初めての出席ということで,本当に申し訳ございません。よろしくお願いいたします。
 内田委員,そして乾先生からのお話,ありがとうございました。生涯学習につきましては,現状,内田委員のお話の「個人のウェルビーイング」が今までどうしても重視され,あと,乾さんがおっしゃるような自発的学習者向けの催しというのがやはり多かったなと思っています。
 今回,誰一人として取り残されることのない社会という観点を考えますと,やはり,地域福祉の分野に,とても近づくように思われたところです。私,県の職員として保健福祉をずっとやっている期間が長かったので,言ってみれば,チャレンジをしないというか,できないというか,そういう人たちへの関心というのは高いんですけれども,福祉というのは様々な制度があって,対象者もほぼ決まっているんですけれども,生涯学習・社会教育というのは,制度のはざまにいる,そういう方々につながる可能性があるんだなというのは,皆様のお話を聞きながら非常に感じたところであります。
 ただ,正に任意性というか,徹底されているので,そうした「場のウェルビーイング」,あるいは地域社会づくり,非常に重要なことも含めて,情報を届けたい人に届かないというか,届けられない,そういう状況をどうするかというのは,ずっと課題でもありましたし,これからも課題なんだなと,また再確認したところでございます。
 宮城県の場合,やはり大きな災害があったということで,災害対応ですとか,あるいは健康の維持とか,自分や他人――他人というか家族も含めてですが,命に関わるような共通課題による取組というのが,我が県にとって非常に大きなテーマとして引き続き不可欠だなと考えているところでございます。
 学びに向かう子供たちをどう育てていくのか,そして,社会に出て,どう学び続けるかというのも非常に関心が高いところですけど,地域の話をもう少しさせていただければ,宮城県は,東日本大震災後にコミュニティーがかなり危機的な状況になりまして,人がばらばらになって,一気に高齢化が進んで危機的な状況になったときに,成果があったのは,町の社会教育主事とか,そういう人がアウトリーチで回ったという,まずは人に会いに行ったというところが非常に大事だったなと。そして,出張して講座を開いたりとか,そういうアウトリーチによって人がつながっていったということが非常に成果があったなと思っています。
 それから,若い世代という意味で,ジュニアリーダーたちも頑張ったというところもありまして,やはり,若い世代が入ってくるというのはとても大事だと思います。アウトリーチはアナログな話ではありますけれども,家庭教育なんかも,みんなが集まっているところに行くというところがとても大事だなと思っています。
 もう一つは,デジタル社会という意味では,公民館で,非常に人口減少とか少子高齢化に危機感を感じた地元のまちづくり協議会が,全住民のアンケートをやったり,あるいは若者会議というのをやったんです。若者といっても49歳までですけど,若者が企業と組んで,高齢者向けのSNS,LINEの講習会などをやって,地域全体をLINEでつなぐというようなことをやりまして,防災情報提供とか居場所確認にも非常に役立てたという事例があります。やはりICT環境の整備と,あと人材の養成という,そこへの支援というのは本当不可欠だと思いますけど,こうした取組が広がっていけばいいなと期待しているところでございます。
 以上でございます。ありがとうございました。

【清原分科会長】 
 伊東委員,ありがとうございます。福祉,そして防災,命を真ん中に置いた助け合いのための学びというような視点も,デジタル化の技術を活用しながらこそ生かされる可能性を示していただきました。ありがとうございます。
 それでは,薗田委員,辻委員,牧野委員,続けてお願いします。
 薗田委員,お願いします。

【薗田委員】 
 ありがとうございます。
 内田委員,乾先生,すごくいいお話を本当にありがとうございました。乾さんのお話は感想になりますが,こんなに学びを真剣にやっている人が少ないんだと,33%の数字にびっくりしました。逆にリカレント教育の重要性というのも同時に感じました。是非,ミッションとパーパスの違いというのを,後でお時間があれば教えていただきたいです。内田委員に是非御意見をお伺いしたいのが,個と場の関係性というところは私自身,すごく頭の中での整理ができました。
実はクレアンという会社をスタートして33年目ですけれども,関わる人たちをみんなハッピーにするための場づくりということでスタートして続けています。その中でも,特に今回,地域の一体感から始まって,異質,多様性,そして向社会性,それが多世代共創と,どんどん進化というか,レベルアップされていると思いますが,実はクレアンでやっている仕事というのは,企業に対して,いろいろなサステナビリティの考え方,最近の潮流ではSDGsであったり,ESGであったり,そういったグローバルな枠組みを推進しています。その中で,サステナビリティというキーワードが非常にウェルビーイングと近くなってきていると感じています。時間軸とか,地域社会もローカルですごく大切ですけれども,世界全体の世界の社会を考えると,ちょっと範囲が違うだけで,もしかしたら同義語かもしれないなと今お聞きして感じました。実際,今回の重要性では,これからのデジタル社会において,生涯教育とか社会教育で,私たちの社会が持続可能なのかどうなのかというのは非常に重要な観点になってきていると思います。
最近はプラネタリーバウンダリー「地球の限界」という言葉によって,この10年以内に,私たち人類は考え方を変えなければと言われています。ライフスタイル,働き方,価値観を変えていかないと本当に社会は持続できないのではないかという背景も考える必要があります。誰一人取り残さない社会をつくるために重視するキーワード,あるいはリテラシー・スキルとしても,サステナビリティというキーワードが非常に重要になってきているのではないかと感じています。最近は企業のリーダーシップ育成の研修の中にも必ずサステナビリティを入れている背景もありますので,是非,ウェルビーイングとサステナビリティの関係性についての御意見をいただければと思いました。

【清原分科会長】 
 ありがとうございます。キーワードとして,地域,社会,あるいは組織のサステナビリティと,そしてウェルビーイングが密接な関係があるということで,ちょっと時間の関係で,順次,御意見いただいて,もし時間がありましたら,また,内田委員,乾さんからもと思います。
 皆様のお手がたくさん挙がりましたので,この後,辻委員,宮城委員,松本委員,牧野委員ということで。
 では,辻委員,お待たせしました。よろしくお願いします。

【辻委員】 
 貴重なお話ありがとうございました。人が幸せになるのに場が必要だと。しかも,その場の成長あるいはコミュニティーの成長と個人の成長が結びついているというお話は,本当にそのとおりだなと思います。
 また,学ぼうとしない方々にどういうふうに窓口を広げていくかということも真剣にお考えで,すばらしいことだと思うんですけれども,そういう場をつくるにしても,あるいは参加しづらい方が参加するにしても,デジタル化というのは1つの武器になると思っているところです。
 私,若者の居場所の実践者から話を聞いたことがあるんですけれども,何とか居場所に来ていた若者が,コロナになって,それができなくなった。団体で頑張ってオンラインでそれをやりますよとなって,オンラインに参加したんだけれども,2つの点で,ちょっと満たされないところがあるというんですね。1つは,現場に行っているときには,ずっと黙っていてもよかった,要するに,いるだけで参加しているということがあるんだけれども,オンラインになると,何か話さなければいけないということで,ちょっとプレッシャーになったという話と,それからもう一つは,直接そこまで行くと,例えば1時間ぐらいかけてそこまで来ると,それでよく来たねとねぎらわれると,自分はよく来た,頑張ったと自分でも確認できるんですが,オンラインでよく来たねと言われても,あまりぴんとこないというようなことがあって,デジタル化というものは,もっと技術が進んでいけば,そういうこともクリアできていく部分もあると思いますし,一方で,人間が変わるということもあると思うんですね。若者であれば,数年もすれば,デジタルの中で本当に深い話もできるようになっていくのかもしれないとも思います。
でも,普通に考えると,ハイブリッドという形で,オンラインでも直接参加もできるという形かなと思うんですけれども,ハイブリッドって,私ども大学でもそうすることが望まれているみたいですが,今のところ,みんな手弁当で,あまり整わない機材でやっているんですけれども,少しずつ教室にそういうものが整理されて,ハイブリッドがしやすくなってきている。だから,そういう居場所なんかをやっている団体さんが,何かの助成を受けて,ハイブリッドで居場所ができるということを応援していただくことが大事かなと思っております。あわせて,ハイブリッドにしますと,実は難しいのは,大学でも,オンラインのほうがいいやと言って姿を見せない学生と,わざわざやってくる学生といて,来ない学生のほうが多いわけですけれども,では,来ない学生が本当にそれで幸せで満足しているんだろうかというところがこれまた分かりにくくて,下手をすると,直接来ている学生とオンラインの学生の間で分断も起きかねない。だから,居場所なんかをもしハイブリッドにしたときに,どういう働きかけをしていくことが大事かというのを,そういうコンセンサスをつくって,あるいは分断にならない留意点みたいなものを関係者で学び合うような機会をつくっていただけると有り難いなと思いました。
 以上です。

【清原分科会長】 
 ありがとうございます。ハイブリッドというキーワードも,これから重要になっていくと思います。
 それでは,宮城委員,お願いします。

【宮城委員】 
 こんにちは,那覇市若狭公民館の宮城です。
 本日は,内田委員,そして乾さん,貴重なお話ありがとうございました。個人の学びと社会の幸福について,学ぶ人,学ばない人の話なども併せて,本日のお話は,とても勇気をいただいたというか,若狭公民館で取り組んでいる実践とつながることに対してういいお言葉をいただいたような,そういう気持ちがあります。また,公民館という現場で,この学びをどう社会に還元していくかということを考えるきっかけにもなったかなと思っております。
 本日のテーマの中で気になったところというか,そうだなと思ったところ,誰一人として取り残されない社会というときに,取り残されているのは誰なのかを意識することがとても重要だなと思ったりしています。公民館,生涯学習・社会教育というところで,何かアクションを起こして,その人たちに届けようと思っても,やはり苦労することがあります。入り口を多様につくって,若しくはちょっとおせっかいを焼いて連れてきてというようなことと同時に,その場が楽しくあるように工夫する必要があります。その工夫はあちこちでされているとは思うんですが,その際に,漠然とつながっていない人に来てほしいというだけではなかなか難しいです。
実際,公民館ではどうしてもそうなりがちなので言っているんですけれども,そういう取り残されている人がいるだろうという想定をしたときに,そことつながっている人がいるのかとか,そういう機関があるのかということを丁寧に見ていく必要があるのかなと思ったりしています。そのつながっている人たちを通じてつなげる。公民館というのは,自発的に,主体的に来ていただかないと,届けることができない場なんですね。なので,こちらから多様な入り口をつくっているつもりでいても,どうしても届かないということがあります。行政機関はもちろんですし,地域福祉的な観点からもそうですし,いろいろなNPOとか,興味,関心事のコミュニティーだとか,そういったところからアプローチしていくということも必要かなと思っています。先ほど,アウトリーチという言葉も出てきたんですけど,公民館という施設から考えるとアウトリーチとなっていくんですが,逆に地域をフィールドとして考えたときに,公民館からアウトリーチして発信するというよりも,地域にいろいろな資源があることをつなぎ合わせていくような視点で取り組む必要があるかなということを改めて感じました。
 1点,ICTとかデジタルディバイドの件でもちょっとつながるような事例があるので,御紹介したいと思います。那覇市で市民活動,地域活動を行う実践者を育成するプログラムがあります。今,コロナ禍で中止しているんですけど,その育成プログラムの企画運営を受託した際,地域課題のリサーチをしたり,解決のためのプログラムを提案していくようなものにしました。楽しく学べるということを意識しながら,企画提案をしておしまいではなく,それが実践できるようにということを強く意識してもらいました。その直後にコロナ禍に入り,なかなか活動できないなということがありましたが,いざ災害が起こったときに,近所でお互い高齢者等の災害弱者の見守りをしていくようなプログラムを考えていた首里という地域で活動していたチームは,コロナ禍の状況も災害時と同様だと想定して,何かできることがあるのではないかということで動き始めました。高齢者のワクチン接種は,電話予約とインターネットの予約,両方できるようになっていたんですけれども,電話も殺到して全然つながらない,インターネットは予約の仕方が分からない。そういったところで,彼らが予約をサポートすることに取り組みました。民生委員とか地域の自治会の方とかに聞くと,皆さんもう受けているから大丈夫だよというような声が聞こえてきたんですけれども,実際これをやってみると,予約の仕方がよく分からないという人が結構いて,そういった人たちをサポートするような動きが出てきました。この取り組みが那覇市内の他の地域にも広がっていきました。この取り組みによって取り残されている人がいるかもしれないと想像することの意識づけになったということもありますが,共助と公助のつながりについての課題というのも見えてきました。やっぱり,届けたくても届けられない人がいることや,地縁団体や公民館でも高齢者の情報を意外と知らないということが明らかになってくるんです。地域包括支援センターや民生委員の方々は孤立しがちな高齢者のことも知っているんですけれども,彼ら自身もどのように動いていいのか分からないということがあったり,行政の各機関の協力も得られるような方向性を作っていったんですけれども,連携がスムーズでないところもあったりして,そういった課題が出てきた。個人情報の問題もあるんですけれども,動くことによっていざというときの連携の体制の重要性や課題が見えてくるということがありました。楽しく学ぶというところから始まったものが,課題を発見して動くことによって,共助や公助のつなぎの点での課題が見えてきました。
 実は,ワクチン接種の予約のサポートというのは,高齢者だけではなくて,在住外国人にもすごく適用できるということが分かりました。私たちは,もともと市内の在住外国人とも様々な取り組みを行なっているのですが,この高齢者ワクチン予約サポートの取組について若狭公民館のSNSで発信したところ,その情報をキャッチした外国籍の方々も,公民館に予約のサポートをしてほしいということで来たり,何件か問い合わせをいただきました。これは当初は想定していなかったことです。
つまり,”取り残されない”といったときに,それが誰であるのかということをその都度丁寧に見ていくことと,そこに眼差していくこと,そしてその取り残されるかもしれない方々につながっている人たちと連携を強化していくことというのは非常に重要かなと,今日お話を聞きながら思ったところで発言させていただきました。
 私からは以上です。

【清原分科会長】 
 ありがとうございます。具体的な事例を御紹介いただき,つながりの重要性が分かったと思います。
 さて,予定の3時を過ぎております。ここでお諮りいたします。また,御発言いただきたい方がいらっしゃいまして,延長させていただいてもよろしいでしょうか。
 そして,御予定のおありになる方は,申し訳ございません,3時を過ぎましたので,次の御予定に移っていただいて結構ですが,松本委員,牧野委員に御発言いただいて終了としたいと思いますので,よろしくお願いいたします。
 それでは,松本委員,お願いします。

【松本委員】 
 手短にいきたいと思います。
 まず,内田委員,そして乾先生,ありがとうございました。私も現場の実感値と重なるところがありまして,大変,共感いたしました。
 1つだけ申し上げたいと思います。内田委員がおっしゃっていた国際比較の話ですけれども,ある意味,自国の強みと弱みというようなところもございました。そういうようなところでいえば,実は私たち,イタリアの教育機関と連携しているわけですけれども,イタリア人が日本に来たときに,いろいろと話をしながら,いわゆる西洋の感覚と私たち日本としての東洋の感覚のお話をするわけですけれども,ある種,正にウェルビーイングというか,幸せ感とか,あるいは平和感についての話が上がってきました。そのときに,西洋はいろいろな歴史の中から,平和とか幸せというのはつくるものだという感覚があるけれども,日本というのは,平和とかあるいは幸せというのはあるということを大事にしているということがあるんだなということを互いに確認し合ったわけです。そういう意味でいうと,日本人というのは,何かが起こらないことのほうが平和であったりとか,幸せであったりとかいう感覚があるんだと思います。それは恐らく,これまで豊かな自然の中で生活してきた私たちの歴史があるのかもしれませんが,いずれにしましても,イタリアの方と日本の地域を回りながら話し合ったのが,日本にはこれだけ魅力的な地域がたくさんある,あるいは美しい自然がたくさんある,そういったものがあることと同時に,私たち日本人としてのある種の精神性というか,正に一期一会の言葉に代表されるように,今ここということを大切にする,今ここということを豊かにするということの積み重ねが人生を豊かにしていくのではないかというような感覚,あるいは自然への共感性,そういったことをイタリアの方々が学んで帰られるわけですよね。
 何を言いたかったかといいますと,ある種の共有理解をつくっていくというお話がございましたし,今日の議題の1つでもあるかと思うんですけれども,生涯学習・社会教育というものが持続可能な地域社会を形成,維持するというような観点,その中で大事な観点になってくると思うところが,私たちが大事にしてきた感覚,感性というものを改めて見直していくこと,魅力的なこの地域について,また,みんなで語り合っていくような,ビジョンなりを確認し合っていくこと,そういったことをベースに置きながら,美しい自然,そして魅力的な地域がたくさんある日本を見直していきながら場づくりをしていくということ,それが,正に個人というものだけではなくて場をターゲットにするというところのフォーカスになってくるのではないかと感じながら聞いておりました。
 幾つかあるんですけれども,この点が一番申し上げたかったので,以上にさせていただきます。ありがとうございます。

【清原分科会長】 
 ありがとうございました。お互いの幸せを願い合うというのもキーワードのように受け止めました。
 それでは,牧野委員,お願いします。

【牧野副分科会長】 
 内田委員,乾先生,どうもありがとうございます。それから,皆さんも,とても刺激的な御発言をどうもありがとうございました。とても触発を受けました。副分科会長としてあまりしゃべるなということだと思いますので,一番最後に少し発言させていただきます。また,私はフィールドワーカーで,実際には現場に入っているのですが,議論をし始めると成層圏を飛んでいるような抽象的な話が多くなりますので,できるだけ控えたいと思うのですが,1つだけお話をしたいと思うことがありますので,発言させていただきます。今日の皆さんの御報告,御発言を受け,またデジタル社会における生涯学習の役割を考えていく上で,しかも政策化することも考えますと,政策の枠をつくる,例えば個人とは何かとか,それから社会とは何かというような議論をしなければいけないのではないか。それは,いいかえれば,学びとは一体何であるかといった議論をしなければならない事態に,私たちは今,立ち至っているのではないかということです。その意味では,今日の御議論は,どちらかというと,今までの社会における個人と社会,個人と場の問題であって,個人が場をつくっているということ,それは個人が集まって社会をつくっているということ,そしてその個人の在り方そのものが,例えば場に規定されているということ,こういうことが議論されたのだと思いますが,これもやはり個人を前提として置いているはずです。ですけれども,もう少しそこを,例えば,私たちは社会に生まれ落ちてきて,言葉を覚え,それを使って,社会から自らをある意味で引き剥がして,改めて言葉を使って社会を構成していく,そしてさらにそこから自分を言葉で立ち上げる,こういうことをやりながら生きているということを考えますと,もう少し個人というものが一体どんなものか,社会とは何か,私たちが社会をつくって学ぶとは一体何かといったことを深いところで議論しておいたほうがいいのではないかという印象を持ちました。時間もありませんので,このあたりさせていただいて,文書か何かで意見を出したいと思います。今日は本当にどうもありがとうございました。

【清原分科会長】 
 どうもありがとうございました。私からも一言だけ。実は,雑誌「社会教育」の2021年8月号の今月の言葉に,私,ニューノーム時代,デジタルディバイドを解消し,多様な学習を通して,あらゆる人々のウェルビーイングの充実をという短い文章を寄稿させていただいたんですが,その冒頭に,宮城さんの事例のように,実はワクチン接種を巡って顕在化したデジタルディバイドがあって,それは単にパソコンを使えないとか,予約できないとかという予約する側のデジタルディバイドだけではなくて,宮城さんが紹介されたように,そういう予約を支援する人やグループがいる地域といない地域というところにもデジタルディバイドがあったのではないか。また,テレワークとオンライン,遠隔授業がいろいろ進んだわけですが,ポジティブな面では,時間的,距離的あるいは心身の障害等の制約が解消されたり,また,会えない代替,補完としての教師と子供,学習者同士のつながりが確保されたというプラスがありますし,他方,テレワークをして初めて自分の地域を見直したというような声も働く人から聞こえてきたりしました。私も,内田委員が今日,美しく整理していただいたように,これから心身共のウェルビーイングを目指して,その実現を担っているのは,地域における多世代交流による多様な社会教育・生涯学習,そして一人一人の学習ではないかというような文章を書かせていただいたんですが,今日,内田委員,そして乾先生のおまとめや実践から,正にこれから,教え合い,学び合いながら,広い意味でのコミュニティーを共につくって,自分の幸せが他者の幸せ,他者の幸せが自分の幸せになるような学び合いというのも方向性としてあるのかなと実感した次第です。
 それでは,本当に時間がないんですけれども,内田委員,乾さん,もし,この議論を通じての御感想があれば,一言ずつお願いします。
 内田委員,どうぞ。

【内田委員】 
 機会をいただき,ありがとうございました。今日は本当にたくさん御意見とか御質問をいただいて感謝しております。私自身も,いろいろ整理するよい機会になりました。
 1つ,薗田委員からいただいていた質問,サステナビリティとウェルビーイング,これは非常に強く関係していると思います。ウェルビーイングというと個人と考えられると思うんですけど,恐らく個人から地域社会とか家族とか場というところまでいって,さらに,ほかの世代,次の世代までというふうに,やっぱり同心円状にいろいろな形でウェルビーイングを拡大して考えたときに,サステナビリティというのは非常に関わってくる概念だろうと思います。要は,次世代のウェルビーイングを考えるというのが,サステナビリティにほかならないと思っています。生涯学習とか生涯の教育というのは次世代のウェルビーイングを考える肝となるものであると今日改めて実感させていただきまして,また,様々な委員の先生方からの御発言を通しまして,社会とか場ということについても改めて考えながら,生涯学習の議論を進めていくことに非常に大きな意義があるんだなということも改めて感じました。今日は本当によい機会をいただきまして,ありがとうございました。

【清原分科会長】 
 こちらこそ,ありがとうございました。
 乾先生,お願いします。

【乾氏】 
 私も本当に,今日は貴重な機会をありがとうございます。
 最初に薗田委員からのお話について,ミッションとパーパス,あえてパーパスと言ったのは,ミッションという言葉がどうしても企業の中で上司からの指示というような非常に矮小な意味合いで使われるケースが多いので,そこでパーパスという別の言葉で言い換えています。基本的には,天から与えられたミッションというか,使命というか,そういう意味合いで使っているものでございました。両方使ったというのは,そういう狙いでございます。ただ,企業の中での使命的なものと,今日感じましたのは,先生方からのご意見の中で,家庭と職場以外の場所というのをいかにつくっているかというのを拝見したときに,本題の学びの場に出てきている方たちって,そういう意味では幸せな場所というのを日頃から味わっているんだなと,大きなお世話だと思いながらも,この幸せな場所に是非もっと多くの人が来てほしい,どうやって引き込めるだろうかというのが改めて自分のミッションだなと感じた次第です。
 たまたまですけれども,すごくヒントになるなと思っているのが少年野球の指導の場なんですね。お父さん,お母さん方が,最初は子供がいるから致し方なく参加してくるだけなんですけれども,その中できちんとした指導するには,コーチングを勉強しなければいけない,スポーツ指導者をやらなければいけない,審判員を勉強しなければいけない。それまで学びに参加してこなかった方々が一気に参加してくるきっかけになる。先ほどの先生方の中で役割の話がされましたけれども,何かしらそういう機会というのをもっともっと増やしていくことができればいいのかなと。やはり人手が必要なんだろうけれども,そういう意味合いでは,やらなければいけないことはまだまだいっぱいあるんだなと,今日,改めて感じた次第です。

【清原分科会長】 
 こちらこそ,ありがとうございました。私,名前がケイコというものですから,ケイコとマナブにどれだけ触発されたかということで,すいません,前回に引き続き,時間を延長してしまいましたのも,皆様の熱心な意見交換のおかげということで,お許しいただければと思います。
 それでは,本日いただいた貴重な御意見は,私と牧野副分科会長,そして,事務局とで,また次回の検討に向けて生かす資料としてつくっていきたいと思います。また,本日,お時間の関係で,十分発言できなかった方は,遠慮なく事務局にメール等でお寄せいただければと思います。
 それでは,本日の議題は以上になります。事務局から連絡事項をお願いいたします。

【齊藤生涯学習推進課課長補佐】 
 資料4を御覧ください。次回の第114回分科会は12月21日火曜日,13時から15時を予定しておりますので,皆様におかれましては,日程の確保をお願いできればと存じます。
 以上でございます。

【清原分科会長】 
 ありがとうございました。
 それでは,本日の生涯学習分科会はこれにて閉会いたします。皆様の熱心な御参加に心から感謝します。時節柄,どうぞお体を大切にしてください。本日はどうもありがとうございました。
 

―― 了 ――

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