家庭・地域の教育力の向上に関する特別委員会(第8回) 議事録

1.日時

平成18年3月29日(水曜日) 10時~12時

2.場所

学術総合センター中会議場3・4(2階)
(東京都千代田区一ツ橋2-1-2)

3.議題

  1. 地域の教育力の向上について
  2. その他

4.出席者

委員

 大日向委員長、大宮委員長代理、赤坂委員、明石委員、加藤委員、見城委員、興梠委員、坂元委員、笹井委員、佐藤委員、杉山委員、土江委員、中橋委員、藤原委員、山岸委員

文部科学省

 中田大臣官房審議官、吉田調査企画課長、高橋生涯学習推進課長、三浦社会教育課長、清水男女共同参画課長、小川参事官、山本地域づくり支援室長、萬谷民間教育事業振興室長、早川家庭教育推進室長、行松地域学習活動推進室長、その他関係官

5.議事録

(1)事務局より資料1、2、3について説明が行われた。

(2)地域の教育力の向上について、意見交換が行われた。

○ 坂元委員
 前回の委員会で、家庭の教育力の低下と言うけれども実は低下しているとは言えないのではないかという話がありました。実際に私も、親が子どもに対する働きかけは、以前よりもむしろ今、増えているという調査データを最近見ることもあり、低下というのは簡単には言い切れないのではないかと思います。しかしながら、地域の教育力については、やはり低下が否めないのではないかと思っております。今日の資料にも、そのことを示すデータがありますが、例えば5ページ、過半数の人が地域の教育力の低下を感じていることや、7ページ、近所づき合いとか、近隣のつき合いというのが現実に減ってきていることなどがあります。しばしば指摘されることですが、地域の教育力の低下によって、家庭や学校の負担がそれだけ増えて困窮しているという状況があるのではないかと思います。
 10ページの資料によると、NPOやボランティアなどの従来型の地縁ではない新しいネットワークが増えておりまして、これは地域の教育力の向上にも資するものではあろうかと思いますが、やはり地縁というのも重要かと思います。例えば、子どもを何かのときに、近所の家庭にわずかな時間でも預けることができると大変楽なのですが、現状はなかなか簡単ではない面があります。学校においても、体験学習等で学校外の協力が重要である場合がありますが、近いところにいる協力者は便利でもあり、ありがたい存在です。さらに、子どもの安全を守るときには、子どもを直接見守る位置にいる近所の人が危険防止の役割を果たしていただくことが、家庭も学校も頼りになるものだと思います。
 家庭について、育児不安や育児ノイローゼなどの問題が言われていたり、学校では多忙問題や燃え尽き症候群などのことが言われており、こういった困窮ぶりや飽和状態に比べると、地縁にしても、新しいネットワークにしても、地域の教育にはまだ成長力があり、伸ばしていく取組は特に重要ではないかと思います。要するに地域が担えるものを増やし、家庭や学校の負担を減らすことができるわけで、そうなれば、家庭や学校において今日新しく求められるようになった取組にも対応できる部分が出て参ります。家庭の負担低減などは、現在の子育ての大変さが少子化の一因という議論もあり、少子化対策にも直結する話でもあります。伸ばすのがなかなか大変でも、少なくともその低下に歯止めをかけていく取組が重要かと思います。
 そういった取組の重要性があるばかりでなく、そうした取組が実際に成果を挙げることが、現実性を持っていると考えられます。9ページには地域の教育に関する潜在的意思は高いというデータがあり、19ページにはきっかけや情報があれば地域の教育に多くの人が取り組めるということを示唆するデータもあります。さらにかつて、地域の教育力があったということは経験しており、全く未知のものではないので、地域の教育力を伸ばす取組には、成果が期待されるもので、積極的に取り組むことも合理的なことだと思われます。

○ 加藤委員
 地域の教育力に何が期待されるのかという点で、ここは全体として、子ども、教育、あるいは子育て、子育ちに視点が当たっていると思いますが、もう一つ大事なこととして、大人の側の人間力の向上に期待されるのではないかと思います。そのことにより、中教審でも教育基本法の見直しに絡んで、郷土に対する愛情や、郷土を愛する心が大変議論されましたが、そういう視点で大人の側が地域に対する愛情や、あるいは癒し、生活のゆとり、そういうものを感じる側面が同時に期待されますし、それが非常に重要なことではないかと強く思います。
 我々労働組合も、昨今の地域の状況あるいは子どもが大変な事件に巻き込まれることについて、今年の政策の中に地域の安全・安心のために労働組合として地域で何かできることはないかと政策の一つの柱にして、自治体との協議や組合自身が地域で様々な役割を果たしていく、あるいは学校との連携、PTAとの連携等々を打ち出しております。そのときに、我々の側の反省であり国の政策としても、もっと力を入れていかなければいけないと思うのは、働き方の改善だと思います。少し景気が戻ってきたということもあり、極めて長時間労働になっております。今回、厚生労働省の中で、いわゆる時短促進法が衣がえをして、かつて言っていた1,800労働時間が数字としては削除され、それぞれ産業や企業の中で目指していく方向に変わっておりますが、実際には、なかなか企業はそうした労働時間短縮に向けての具体的な政策について実効性が上がってなく、むしろ年休の取得率は下がっている、あるいは残業があまり減っていない。その辺についての大きな枠組みづくりを、特に文科省からこういう視点で、厚生労働省の時間法制なども考えていくというような発信力が問われていると思います。連携をして、そういう視点を持った政策づくりも必要なのではないかと思います。
 省庁間の連携という意味でもう一点は、今、国土交通省では、国土開発計画を抜本的に見直すことをやっています。今までは国土全体を見渡した計画でしたが、地域単位で全国を7つ9つに分けており、その中に、いわゆる郷土というような概念を、どのように含めてもらうのか。地域を考えたときに、子どもの居場所づくりというキーワードがあるとすれば、国土の再開発計画の中に、あるいは地域の再開発計画の中に、道路、公園、川、海といったものの開発計画の中にそういう視点を含めていってもらうことも必要なのだろうと思います。あるいは、地域単位での産業政策について、国、地域で産業振興のために何をしていくのかという視点も持ってもらう。そういう省庁間の連携で、地域力として、大人の人間力を増していくことが、子どもを視点に当てたときの地域の教育力を高めていくことにもなるのだろうと思いますので、そういった視点を大切にしていただきたいと思います。

○ 大日向委員長
 地域の教育力の低下――この低下という言葉をどうとらえるかですが、先ほど坂元委員は、家庭の教育力はイコール低下ではないけれど、地域の教育力に関しては低下は否めないとおっしゃいました。この低下を、例えば何を基準に考えるのか。かつては教育力があったけれど、かつての時代と比べて現代が低下しているというとらえ方なのか。あるいは、子どもが育っていく上で必須条件の機能そのものが無くなっているということを低下と考えるのか。両方とも重複するところはあると思うのですが、後者の観点から考えると、かつても必ずしもあったとは言えないという議論もあろうかと思います。今、加藤委員が言われたご提案というのは、今の時代に即して教育力をつくっていくということかもしれません。そうなりますと、教育力の低下に対して、再生で臨むのか創造で臨むのかというところも、少し整理しながら考えていく必要があろうかと思います。低下という意味を、どういうところにお一人お一人がお考えくださるかということも、少しご意見の中に入れていただければと思います。

○ 笹井委員
 委員長のご質問ですが、基本的には地域社会そのものが、昔のような機能を持たなくなったからかと思っています。だからこそ、地域社会そのものの機能を創造する、つくり直すことが大事ではないかと、それが地域の教育力の向上につながると思います。つまり、二段構えで考えたほうがいいのではないかと思います。
 この中教審の文部科学大臣からの諮問に、地域住民等の力を結集した地域づくり、家庭や地域社会において「子育ち」の環境を改善するための方策について、ということが書かれています。結局そこには、地域社会そのものをつくり変えないと、「子育ち」環境、子どもが育っていく環境、つまり地域の教育力はつくれないのではないかという視点です。だから、地域の教育力を学校教育的に考えると、教える人と学ぶ人がいて、地域に教えるようなリーダーが要るのではないか、そういう人を養成すべきではないかという、すごく人間的な発想になるのですが、そうではなくて、地域社会そのものをつくり変えていく中で、地域の教育力をつくっていこうという視点に立つべきだと思います。
 地域社会、地域づくりをなし遂げないと、子どものよい教育環境は得られない。子どもと大人のいい関係、それから大人同士のいい関係を、もっと信頼できる関係、助け合えるような関係としてつくっていかないと、子どもというのは育っていかない。逆に言うと、そういう関係がないところで、いくら知識や技術を教えても、体験学習をさせても、結局はそれほど有効ではないのではないか。つまり、そういう環境があれば、放っておいても、子どもというのは育っていくものではないかと思います。だから、子どもと大人のいい関係をどうつくっていくかという視点が大事なことは明らかですが、大人同士の信頼し得るような関係、あるいは助け合えるような関係を、地域でどうつくっていくのかという視点をもっと強調していかないと、中教審の答申として旧態依然としたものになってしまうかと心配しています。

○ 大宮委員長代理
 基本的には、運命共同体的な地域社会が崩壊して、個別化して、今の社会は、地域の相互の人間関係の機能が低下している。これをどうするかが我々の課題。だからきっかけや輪などいろいろなものを仕掛けないと、地域の教育力は、自然機能としても現実的にも低下しているというのが私の認識です。逆に言えば、NPOやボランティアが非常に増えているというのは、そういう危機感を持った人たちが、いろいろな仕掛けで、地域の人間関係や地域の教育力を何らかの形で再生しようとしている動きだと認識しています。
 次に、先ほどの資料を見て、2つ視点としてお話ししたい。一つは個人の成長として、資料に定義がいろいろありますが、2ページの中教審のところに、地域社会の中で大人や様々な異年齢の友人と交流し、生活体験、社会体験、自然体験を豊富に積み重ねる。こういうのが、今の地域社会の中では、放っておくと無くなっているので、いろいろな意味で、こういう生活体験、自然体験、社会体験、異年齢集団の体験を、我々大人、あるいはいろいろな機関が仕掛けなくてはならないと思います。4ページの最後の定義のところの、コミュニケーションあるいは人間関係、これが非常に我々大学人として、地域や地域社会で育った後に受け入れる大学としては、とても危機意識を持っています。非常に学習のレベルが高くて、偏差値が高いけれども人と全然話せないような学生、個別にカウンセリングをしないと生き方の方向性を持てないような学生が年々増えているような感触を持っています。これは感触ですが、しかしながら確実に、コミュニケーション、人間関係、多様な体験、いろいろな人との出会いということを、体験をしないまま大人になるという可能性も今の社会の中ではあるので、地域の教育力と言ったときに、仕掛けをたくさんやるということが一つ大事だと思っております。
 もう一つ、本日の論点の中にありませんが、私は地域政策学部にいるのでぜひ考えていただきたいことは、今、地方分権の時代と言われていて、地方の地域の住民が、地域の課題を自分たちで解決するという方向転換、大転換をやっており、団体自治と住民自治が地方自治の両輪なわけですが、地域住民が地域のことを自分たちで解決するという地方分権、地方自治にとって、地域の教育力は必須です。地域にかかわっていく、地域の公共的なことに自分たちがかかわっていく、あるいは地域社会に自分たちがかかわって地域のことを自分たちの手で解決するという、新たな公共性という視点が我々の社会の中で非常に欠けてきたのではないかと思います。個人が豊かになり、個人がその能力を開発すればいいという仕組みの中で動いてきて、地域課題を地域の人たちが自ら解決するという地域力、あるいは社会力、社会にかかわる力を地域の教育力として、もう一度視点を見定めてとらえていかないといけないと思っております。

○ 杉山委員
 子どもを育てるに当たっての教育力の前に、まず大人が、この地方分権の時代に、どういう能力を兼ね備えて地方自治にかかわっていくのかという問い直しも、一つ重要な課題かと思います。ここに当たっては、例えばコミュニティーワーカーやネットワーカーなどいろいろな言葉で、地域のつながりをつくる大人をどう育てるのかがあり、これは生涯学習の部分の大きなポイントかと思います。子どものほうに戻ると、地域の教育力というときの地域とは誰かというのをよくよく見てみると、専業主婦のお母さんや退職して地域にいらっしゃる高齢の方たち、自営の人になっている。地域を我々はどのように見ているのかという部分も、少し議論が必要ではないか。そこでできることとできないことがあり、やってはいけないことというのも実はあるのではないかと思います。地域にできることはたかがしれているのではないかという部分も含め、ここは押さえたいというところがあるのではないかと思います。機能とは何かと思ったとき、子どもにはサンマ(三間)が必要だと言われます。空間と、時間と、仲間と言ったとき、確かにそれは大分減ってしまっているのは印象として持っていて、それをどうやってつくり出そうかというところを、具体的にアプローチをかけていくことも必要ではないかと思います。
 もう一つが、一致団結して地域でとなってくると、多様さを受け入れる部分が抜けがちになってしまいます。いろいろな方がいらっしゃり、時代も変わってきて外国人のご家庭など多様な家族も増えてきているなど、いろいろなことを考えたときに、懐の深さ、寛容性が地域に一番求められているのかもしれず、どうやってみんなでつくり上げていこうかということではないかと思います。積極的にかかわり一生懸命考えていらっしゃる方以外の方が多いので、全く考えていない、自分は地域に入っていないという人たちに向けてどういうアプローチができるのか、理解していただくかということも必要ではないかと思います。

○ 興梠委員
 私は学生と地域の教育力を考えるときに、2つに分けて考えています。一つは意図的教育力と無意図的教育力です。本日の資料に、『生涯学習事典』における定義が書いてあります。ここでは広義の教育力と狭義の教育力とあります。狭義の教育力は、例えば意図的に様々なプログラムや仕組み、事業を行うことによって醸していくこと。もちろん無意図的な教育力に大きな刺激を与えていく役割がありますが、ここで議論するときに、広義と狭義を意識しながら総論を書くべきかと思います。私が心配することは、狭義の教育力に関するアプローチに終始するあまりに、広義のものに対する視点を忘れてしまうことです。また、双方が与えていく役割や、相関関係について論じていかなければいけないと思います。
 そう考えると、1つ目は、広義の教育力の基本の単位は家庭だと思います。教育に対する関心を親が持っているのは当たり前ですが、問題は、家庭が小さくなり孤立化していくことです。家庭と地域とのありようについても総論で述べていくべきと思います。
 2つ目は、家と塾と学校の三角関係の中で子どもたちが暮らしている。それを新たな関係性としてつくっていくことが、地域だと思います。極端なことを言うと、子どもを家と学校と塾から離すことをどうやってできるのかも、一つの大きなポイントかと思います。3つ目は、子育て縁を多面的な形で論じていく必要があるかと思います。縁を結ぶとか、つくる役割を持つ人たちの重要性です。
 本日のデータにボランティア人口が増えているというデータがあります。また、1998年にNPO法ができ、NPO法人が増えていくことも当然です。しかし、ボランティア人口が増え、NPOの数が増えたからといって、教育力が向上していくのか。ヨーロッパやアメリカの例を見ると、そういうことではない。問題は、ボランティアや多様なスキルを持つNPOが子どもに対してどれだけ関心を持ち、そういった活動や専門的領域の中から子どもに対する教育力をつくり出していくことができるかということです。そうした力はどのようにつながり結ばれていくかということが非常に重要だと思いますので、ただ数が増えただけでは短絡的な議論になると思います。

○ 明石委員
 人間が住む中で一番近いのが自分の身内や家庭で、次に第三者、世間があり、そのあとに赤の他人がある。世間は、名前も顔も知られており自分も知っている、人間関係のある関係。赤の他人は、自分も名前も顔も知らないし、知られていない関係。今、赤の他人の空間が広がってきて、身内のサイズが小さくなってきた。世間が小さくなってきたととらえたほうがいい。その世間をとらえる場合に、2、3の視点があって、客観的に地理的空間での世間と、心の中の世間があります。例えば同じ学区で一緒に友達と遊ぶことは、地理的空間も心の空間も同じです。同じところに住んでいるけれども、遊び相手は違うところの学区というのは、地域は心理的には違う。
 地域の教育力は、一言で言うと、自分の住んでいる範囲の公を学ぶことです。だから、公民館といい、公園といい、公というのを学ぶ機会が昭和30年代頃まではあったと思います。公とは、1つ目は規制力で、これをしてはいけませんよと誰かから注意されたものです。小さい子をいじめたら先輩かおじさんかおばさんから叱られたものです。そうやって、公のルールを学んでいたと思います。つまり自分の行動を規制する力があることが、教育力の一つかと思います。2つ目が、人間づき合いを学ぶこと。物を借りる場合やもらい風呂をするとき、こんばんは何とかですがお風呂を貸してください。ありがとうございましたと帰る、それらで世間のつき合い方、人間関係のつき合い方を学ぶ機会があった。
 この2つを通して、公を学んでいたが、今、非常に衰えてきたから、皆さん危機意識を持っていると考えた方がいい。昔は村八分が怖かった。村八分にされたら困る、生きていけない。今の社会では、地域の教育力がなくても生きていければ、要らないのです。しかし地域の教育力がないと生きていけないという危機意識を持っているから何とかしたいと、この審議会も開いていると思います。だからこれから議論していきたいのは、地域の教育力の中で、どのような公を学んでもらうか。それがひいては、地域を越えて国の問題、世界の問題であり、地域における公とはそもそも何であるのか。文部科学省もいろいろ推進しており、子どもの居場所というのはまさに公を学習している場かと思います。

○ 山岸委員
 NPOの立場から申し上げます。地域力、地縁を中心にした従来の地域の再生を考えることも必要であると思いますが、顕著にアンケートにもあらわれているのは、新しいコミュニティーをつくっていく動きが出てきていると思います。
 これは私の感想ですが、かつては圧倒的に学校の先生が偉いという感じで、上を向いていた。ところが今は大体近所にいる人は高学歴で、大学ぐらい出ているという環境に移ってきたと思います。学校の置かれている位置が随分違ってきていることを、明確に考えていく必要があると思います。学校がありPTAがあり、そこから住民に発していくというピラミッド構造的だったものを、学校教育と地域住民やNPOが対等の関係になって、学校も地域教育の一主体になる。学校の側も地域の側も、そこがうまく転換できていないのではないかと思います。学校が地域住民やNPOと対等なパートナーシップという協働関係をどうつくっていくかという政策に移っていかなくてはいけないかと思います。
 NPOは、市民のいろいろな思いや、ボランティアをやりたい人たちの力を結集する道具であり組織ですから、それを強固なものに、地域あるいは行政も一緒になってつくっていく。そして、NPOや市民、住民が力を持つことにより、行政や学校と対等の関係を持っていくことになっている。そうなると、対等な力関係の中で初めて、本格的に市民とか父兄が参加する気になる。従属関係では力を発揮しようと思わないのです。自分の子どもがいるから、半分ぐらい一生懸命行ったりすると思うのです。 NPOは、地域の課題を解決することと、地域の仕組みを変えていくために、つまり旧来の地域とはまた別にコミュニティーをつくっていくために登場してきたのですが、あらゆるNPOは教育力を持ち教育には非常に熱心です。しかし、ピラミッド構造はまだ解けていないのでNPOがうまくそこに入り込めない、情報もなかなか来ないのでNPOも力をうまく発揮できないのが現状だと思います。
 先ほどのデータを見ても、社会参加するための情報がない、あるいは機会がないというのは、もっとNPOが自立することに向けて、少し戦略的に教育行政にかかわっていくことが必要です。例えばNPOが教育関係のNPOのデータベースをつくったり、教育的なNPOが自立できるような支援やマネジメントできるような訓練、どうやって教育行政とNPOがかかわれるかという情報を、もっと出していくべきではないかと思います。それにより情報が交流していくと、協働の関係が進みチャンスも増え、ボランティア活動ももっと組織化されると思います。ボランティアは文科省が今、中心的に行っていますが、本来はNPOがボランティアを組織化するというのが世界の常識ですから、行政がやるということではない。戦略を持った政策をつくっていくことに、それだけで全て教育力が解決するわけではないと思いますが、少し政策転換していくべきかと思います。

○ 土江委員
 教育行政という立場で、地域の教育力、そして期待するものについてお話しさせていただきます。地域の教育力に関する実態調査によれば、大都市と町村との地域の教育力に認識の差がある。そうかと思うのですが、地域の教育力と共通的に考えたとき、人・もの・ことについて地域でどれだけ出会いの場が確保できるかが大きな地域の力と考えています。そこで、子どもたちが自主的に判断し、行動し、自らを高めていくような仕組みという教育力もありますがやはり仕掛けていくこと、そうした仕掛けをどうやっていくのか。そのとき生涯学習が担保されないといけない。大宮委員の説だと、個人の学習が、生活力が社会力となっていかなければいけない。そういう仕掛けと、仕掛けることが担保される前に、例えば子どもの居場所づくりあるいは生活リズムの向上をめざす事業など、家庭あるいは地域の教育力のための大切なメニューだと思う。そういう事業の明確化が、さらに広く普及されていくこととあわせて、各事業の有機的な連携をしっかりと国民の皆さんに分かるような仕掛けづくりが必要と考えます。
 期待するものとしては、地域の教育力は学校教育といかにリンクしていくのかということです。今、総合的な学習の時間が出ていますが、そのベースになる様々な地域での活動が目指すものは、やはり生きる力かと思います。子どもの居場所等の課題にも出ていますが、例えば学校行事との調整ができない、あるいはこれは社会教育事業だという学校側の認識が非常に強い。そうではなくて、学校がいかにそこに入っていきながら、学校とリンクして子どもたちをどう育てていくのか、学校が社会教育に対する意識を変えていくことが必要です。そのためにどうするのかが、大きな課題ではないかということで、私どもも4月から、教育委員会の職員7名を各中学校へ教育支援コーディネーターとして派遣する。学校から地域づくりをしていく。公民館も学校も、社会教育を推進していくだけではなくて、さらに地域づくりという視点をとらえた考え方が必要ではないかと考えています。

○ 佐藤委員
 今の地域の状況は、私たちが避けてきた、地域にこだわらないで生きる生き方を求めてきた結果だと思います。そう考えると新しい地域をつくっていくということであり、古い地域に戻るわけにはいかないのではないかと思います。世間というのは、自分というものがなくても世間の規制などにより自然に縛られているものだと思いますが、それをもっと意識的に自分でしっかり理解した上で、個人として社会に参画するものにしていかないといけないと思います。もとに戻る、前はあったけれど今はないという議論ではなく、次のステップに行くということを認識した上で、地域の教育力を考える必要があるのではないかと思います。
 若い人と話していると、パブリックはみんなのものであるという認識より、誰のものでもないという認識になっていると感じることが多く、それをもう一度、個人と地域の関係から説き起こしていかないと、理解できないのではないかと強く感じます。また、場を共有することによって知り合いがたくさんでき、子どもにもいい影響があるので、共有する場をつくっていくことはどんな場合でも意味がある。自治会すらなくなるような状況があり、もう一度学校を中心としたみんなが集まる場を考えなければ、本当にばらばらになってしまうのではないかと思います。
 ただ、NPOやボランティアの話のように、選択的なものになってきていることも否めなく、逆に言えば、例えば塾のような新しい居場所もできてきているので、そういうものに対する働きかけもすごく大事かと思います。学校より塾のほうが進んでいて、例えば働き方に対してのキャリア教育は、結構塾は積極的にやっていると聞いたことがあります。塾はお客さん相手の商売なので、非常にその点は敏感にやっているところですから、そういうものもうまく活用していくことも考えられるのではないかと思います。

○ 藤原委員
 私は一貫して具体的なことを述べたいと思いますが、その前に大日向委員長が先ほど問いかけられました、地域の再生なのか創造なのかは非常に大事なポイントだと思っており、私は、再生で済ませられるところは相当ラッキーなところだと思います。まだ恐らく商店街が十分残っているようなところは、地域は再生するのだと思いますが、大概は創造という方向に向かわざるを得ないと思います。東京だけではなく、地方都市もすべてそうだと思います。
 地域と言えば誰を指すか、これが非常に大事なところですが、もともとは民生委員や児童委員、青少年委員、保護司という方に、町会長と商店会長が加わって動いていたのが地域だと思います。これは非常に今でも大事で、地域の地盤であり底力だと思います。和田中の場合でも、こういう人たちがいわゆる地域のセキュリティーを支えています。ですが、これから必要になるのは実は違う種類の人です。それをここではコーディネーターという言葉で総称しているのではないかと思いますが、新しい学びのコミュニティーを形づくれるコーディネーターです。これはコーディネートするものが従来とは違います。例えば企業の資源もコーディネートしたり、町会や商店会を超えたネットワークをつくったり、会計を含めた事務的な技術をネットワークして、そういうものを全部コーディネートできる人が求められている。それをたまたまNPOや個人もしくはグループが行ったり、志ある教師や保護司が行ったりということだと思います。結論は、このコーディネーターをどう育てるか、どう支援するかということかと思います。
 そのときに、3つの視点をぜひ入れていただきたいと思います。一つはこのコーディネーターに一体どういう支払いをするかというミクロ経済です。杉並区の場合には、1日何時間働いても2,200円。あるいは、和田中の地域本部の場合には、それをさらに割って、1,100円の人とゼロの人とを使い分けています。経済を議論しないで、虹色のコーディネーター育成計画はないと思います。ちなみに和田中の場合には、150人からのボランティアを縦横に使い、1年で図書室の運営、土曜日寺子屋の運営、緑の維持等々、すべて含めて300万円ぐらい使っていると思います。300万円というお金は高いかというとそうでもなくて、1人の教員の人件費の4分の1ぐらいであり、杉並区の70校すべてに地域本部をつくるのに2億円しかかからないのです。2億円というのは、たった1校の年間の人件費を含めた運営費です。少子化で数が減るわけですから学校1校閉じれば、その額でほかの学校全てに地域本部はつくれるという仮説が成り立ちます。
 2つ目は、コーディネーターを活かすためには、学校で行うのなら、学校長にマネジメントの感覚が必要です。今の校長は、経営の感覚のない方が多いので、パートナーシップと言ったときにその意味がわからないと思います。例えばPTAについて、PTA対策という言い方をする。周りにいる大人の力を徹底的に引き出していって、それを子どもたちのために還元するという経営感覚、もしくはマネジメント感覚がない方が多いのです。どうすればいいかというと、校長あるいは教頭の任用の段階で、そういうセンスのある人だけを選ぶべきだと思います。そういうセンスは、残念ながら研修で身につけられるものではないと思うので、もともとそういう異質な人と仕事ができる人とできない人といるのです。したがって、今後の校長の任用以前の教頭、副校長の任用の時点で、コーディネーターを活かす技術あるいはパートナーシップということを徹底的に教え体にしみこませるべきだと思います。
 3つ目ですが、地域の教育力について抽象的な概念が、きれいな言葉のまま行くのが私は非常に疑問で、それが高まるとどうなるのかを、もう少しリアルに研究する必要があるかと思います。実際、地域の教育力が上がり学校のイメージが高まると、地価が高まるあるいはアパートの賃料が下げ止まるということが起こります。和田の地域に今、何が起こっているかと言うと、海外の転勤、地方からの転勤で3月に転勤が10何人いたと思いますが、和田地域のアパートの賃料は下げ止まっていますし、地価が上がっていると思うのです。そういうリアルな経済に結びついている。つまり学校に協力することは、ただ気持ちいいとか自己実現とかそういうことを超えて、地域経済との基盤をつくるということを、はっきり出したほうがいいのではないかと思います。
 最後に現在土曜日寺子屋に35人の学生ボランティアが働いておりますが、このうち3組カップルが生まれており結婚が近い組もありますので、少子化対策になっているということも、ちょっと加えておきたいと思います。私は地域本部の効果をしっかり証明して、パッケージ化し、全国に打って出ようと思っています。これを文科省の今度の予算でぜひやらせていただきたいと思っております。

○ 見城委員
 地域が変化してしまったわけですが、資料2の2ページ目に、教育改革に関する第一次答申のところで、昭和60年にもう教育力の低下が言われて、それからもう21年たっている。総論のところで、まず地域の変化が既にこうなったということを、具体的に、音を立てるように変わった日本の「地域」という言葉が持つ意味の変化を明快にしていただきたい。昭和60年のころ既に地域は分解していて、今さらに広範囲の合併により、子どもの点在化が出てしまっています。地域を語るときに抜きにしては語れないと思いますので、しっかり押さえていただきたいと思います。
 2点目は、スクールバスについてです。いろいろ地方に行っておりました中で、学校にいるときだけがコミュニティーという場合があることを実感しました。ある小学校では子どもたちはスクールバスで集まってきます。そして、スクールバスで帰されてしまいます。この委員会で出ている議論のスタートにつけないわけです。学校にいるときだけがコミュニティーになっているのではないかということを検証した上で再生に向けなければ何も始まらないと思いました。
 過疎が、現実、大変な状況であり、東京の都心部でも何組というのがもうないところもあります。そういう中で、学校が大変充実しているので、学校を思い切って改革するなら、学校外のことも学校内でやるぐらいのラジカルな対応をすべきです。非常に条件のそろっている学校は改革が進み再生できるでしょうが、地域よっても様々ですので、地方の地域と首都圏の地域の違いについても明確にしていただかないと、問題は解決しないのではないかと思います。過疎という言葉も、地方の山の中の過疎もあれば、合併して集合体ができたところの過疎もあれば、都心の過疎もあり、最初の地点でしっかりそれらを踏まえた上での対策に持っていくべきだと思います。

○ 大日向委員長
 私が先ほど、地域の教育力を考えるときに、再生なのか創造なのかという問いかけをさせていただいて、藤原委員が、再生だと言えるところは相当ラッキーだと言われました。また今、見城委員が言われたことも、それに近いかと思うのですが、本当に地域は再生できないほど崩壊しているのかどうかということも、やはり地域性があると思いますので、中橋委員や大宮委員のご意見を伺えればと思います。もう一点、先ほど杉山委員が、地域がしてはいけないことがあると言われましたが、してはいけないことは具体的にどういうことなのかも、お教えいただければと思います。

○ 中橋委員
 私は乳幼児の子育て支援をしているので、周りのお母さんたちに幾つか聞いたのですが、乳幼児のいるお母さんたちは、あまり地域というものを意識していないし必要としていないような感じを受けました。地方だと、家を出たら車に乗って保育園や職場に行ったり、車に乗って私たちの広場に来る。地域の人とは会うきっかけもないし、手助けも必要としていない。しかし、小学校に子どもが入学するときに、初めて地域ということを考える方が非常に大勢いるのですが、急に地域の中に溶け込めるものではないので、どうしたら若い時期から地域を感じることができるのかが課題です。
 例えば、春から私たちの子育ての広場が、休園になった幼稚園のところに移転することになり準備を進めているところですが、NOPが急に地域の人たちに手伝ってくださいと呼びかけてもあまり反応がない。そこで呼びかけ方を変えて、この壁を塗るから、白いペンキが余っている人、ハケを持ってきてくれる人、土を掘る機材を持っている人と具体的に問いかける。隣町の例ですが、有線放送が生きていて、チャンネルをひねろうが、ひねるまいが、決まった時間に流れてきて、1年生が今帰るので一緒に外に出ましょうと言うと、近所の人がみんなの目で下校している1年生を見守ることができるなど、みんな学校の子はうちの子だという印象を、有線放送から受けている。また、回覧板などを使って、具体的にこういう人が欲しい、こういうことがしてほしいということを流すと、協力してくれる人が集まってくる。情報発信のポイントを具体的にするとか、昔からあるツールをもう一度見直して、それで再生とは言わないですが、創造するきっかけにしていけば、地域を少し強固にすることができるのかと思います。

○ 大宮委員長代理
 3点あります。一点目は、戦後高度成長以来、地域の人間関係やそういう部分が衰退している傾向はありますが、ここ10年ぐらいの大転換として、例えば市町村合併を、今ものすごい勢いで行っている。群馬県では70の市町村が、今の3月時点で39になります。行政規模が大きくなったときに、我々の顔の見える人間関係、顔の見える範囲での人と人とのかかわり合いのあり方をどうするのかというのは、国家的なテーマだと思います。それを例えば小学校区という、歩いていける範囲での人間関係として大人も子どもも含めて再構築をしっかりと行わないといけない。
 1995年は、ボランティア元年と言われました。地域のあり方そのものが、中央集権から地方分権へとなり、そういう部分をどう、今再構築するのか。これは再生というよりも、創造と言ったほうがいいかと思います。地域の新たなる創造、新たなる公共空間の再創造と思っています。地域づくり、地域の創造、パートナーシップ、新たな公共、こういう視点で地域の教育力をもう一度考えると、今、分岐点に来ているととらえたほうがいいのではないかと思います。お誰かがやってくれるのではなくて、地域そのものを地域の人たちがつくる、創造するのだという視点で、子どもや大人をどう教育するのかという問題。学校教育と社会教育の融合のときに、リーダーとしてどのような人がマネジメントをしっかりやれるのか。例えばキャリア教育を群馬県でやりますと、学校行事が全部決まっていて、いろいろなことをやろうとしても入れない。そのぐらい、学校教育と様々な社会教育の連携が、なかなかできない、マネジメントできないという状況をどう変えていくのかということも、重要な視点かと思います。

○ 赤坂委員
 私のやっている幼保園のある地域では、1歳から2歳の子どもを持っている約8割の人は、家庭で子育てをしています。そういう観点から言うと、子どもを持って初めて地域で暮らすお母さんたちが、どこで場を共有しながら地域の一員として生活するかということは大変重要で、場を共有する機会、そういう場がないということが、地域にその人たちが根ざしていく大きなポイントになるのではないかと思います。初めて子どもを持ち、様々な人・もの・ことと出会いながら、自分も育ち、あるいは地域のネットワークをつくっていくということは、乳児の子どもを持つ家庭すべてにかかわると思うのですが、そういう人たちが地域とかかわっていく場を保証していくことが地域の教育力の向上にもつながっていくと思います。

○ 杉山委員
 してはいけないことがある、と言いましたことについて、例えば子どもを守ることを最近いろいろなところで言われるようになり、登下校子の子どもをどう守るかを、地域のご高齢の方たちがきっかけになったり、団塊世代がどんどん地域にお戻りになられてパトロールをするなどいいことだとすごく安易に考えていました。しかしいろいろお話を聞いていくと、例えば母親たちが当番制で子どもの送迎をするということが当たり前であることが、働きながら子育てをしている母親にとってはものすごく大変なことで、そのために仕事を辞めたという話も聞いたりします。またご高齢の方たちが来ると、子どもたちはあいさつを強要される、それで例えば、シニアの人たちがパトロールをするようになって、元気なあいさつが飛び交うようになったというような報道になってしまったりするわけです。よかれと思ってみんながやっていることが、本当にいいことなのかどうなのかという検証なしにやるのは非常に怖い。特に一番弱い人の声がかき消されてしまうのではないかということにも配慮していく必要があるのではないかと思います。

○ 大日向委員長
 本日ご欠席の松下委員からお手紙をいただいています。一部ご紹介させていただきます。地域の子どもたちにどのような人になってほしいかという地域全体の目標を皆が共有することと、その目標達成のために地域全体で協働する、この2つが重要であるとお書きになって、例えば具体的に、栃木県鹿沼市の学社融合の取組などをご紹介くださっています。本日は皆さんのお話を伺って、地域の力そのものがなくなっているのか、低下しているのか、そのあたりは微妙だと思いますが、少なくとも子どもが子どもとして育っていくために、そして人が大人として生きていく上での人間力向上という観点からも、様々に検討することが必要だという点は一致していたと思います。ただその前段に、私は最後に大宮委員が言ってくださったことがとても大切だと思います。初めから地域の教育力が低下したではなく、行政基盤がこれだけ変わってきている、それが地域の教育力低下にもつながっていくのだということです。そういう前提のもとに、何を求めて、再生や創造をしていくかという様々な議論が、委員の皆様から出されたと思います。杉山委員が言われた、理念は正しくても方法を間違ってしまい、地域で暮らす人たち、弱者の方々が苦しむようなことになってはならないということは、私たちは心しなくてはいけないと思います。それでは具体的にどうしたらいいかということは今後各論の議論になっていくと思います。

(3)事務局より、今後の日程について説明が行われ、閉会となった。

-了-

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