今後の地方教育行政の在り方に関する論点とこれまでの主な意見

1.教育委員会制度の在り方

首長と教育長の関係

○ 首長が任命する教育長の任期や罷免の要件をどう考えるか

・教育長を教育行政の責任者とするという考えは大方良いのではという共通認識があると考えている。
・教育長を責任者とする方向でよい。いじめ問題などへの対応の失敗は、教育長の責任が大きく、どういう教育長を選ぶかということが重要である。
・私の町の議会においては、教育委員長が直接答弁を求められるが、委員長に細かいことを質問してもわからないため、教育長を責任者として位置づけるのは議会対応上も妥当である。
・教育委員会を存続させるということであれば、分かりやすくするという視点から、平成10年の中教審答申のように、教育委員会の下に事務局を置いて、その事務局の長として教育長を位置づけ、そして教育長を兼任ではなく専任化することとしてはどうか。
・現在の制度も、教育委員を選んで、教育委員会が教育長を選ぶが、教育長にふさわしい人をあらかじめ議会の同意を得て市長が任命するわけであるから、市長が教育長を議会の同意を得て任命するというのは、すっきりしていいと思う。
・これまでも実態としては首長が直接教育長を選んできた。首長が教育長となる人を育てて任命していくべきである。
・教育といえども、行政全体の中で取り組んでいくべきであり、教育行政も全体を見て他の行政分野とのバランスを取ることができる首長が責任者として担当すべきである。
・基本的には教育委員会の設置は選択制をとるべきだという立場であるが、教育長を責任者とする場合、首長の任免権はよほどのことがない限り執行することができないため、首長の任免権に加え、指揮監督権はセットと考えるべきであり、教育長の適切な事務の執行を確保するために必要な権限が認められるべきである。
・首長の関与に対する懸念については、基本方針の公表等の情報公開や首長と教育長の役割分担のルールの明確化、教育委員会への監視機能の付与等により払拭できると考えられる。
・教育委員会の選択制という議論もあるようだが、これでは仮に人気のある個性的な首長が教育委員会を廃止すると、取り返しがつかなくなる。制度の担保というのは全国一律がよい。
・政治家としての首長は、ときにパフォーマンスも必要とされている。しかし、子どもたちの学力や規範意識、人生哲学を育む行政を首長のもとにおかれてパフォーマンスの対象とするのは国家100年の計を脅かすものであり、首長と教育行政は制度的に離しておくことが必要である。
・教育再生実行会議の提言にもあるように、教育長を首長のラインに置かないことが必要である。一方で現行制度のような合議制執行機関も難しいので、両者の中間的な制度設計も検討する必要がある。教育長を最高責任者としつつ、教育委員会を議会の同意の下に任命し、きちっと形骸化させない制度設計をしてほしい。
・独任制の教育長については、強く反対である。
・「首長が教育行政に口出しできない」という意見を聞くが、現状において、首長は人事権・予算権を有しており、現実に教育行政に何ら関与していないということなどありえず、教育長を独任制にしたからといって、教育長が独走するということは考えられない。首長と教育長を並列にすることはできないという建前論ではなく、現実の問題をとらえて、教育委員会が形骸化している状況をきちんと整理すべきである。
・制度設計の選択肢として、欧米にはシティマネージャーのような仕組みもあるので、独任制の教育長という仕組みも排除するべきではない。独任制の教育長という仕組もメリットとデメリットも検証すべきである。
・仮に教育委員会を合議制の執行機関とした場合、それで教育長が教育行政の責任者たりうるのか。また、改革の目標である責任の明確化ができるのかという点が論点となる。
・教育長と意見が合わないことや、業績が悪いことを理由に首長が教育長を罷免することについては疑義がある。教育における業績をどのように考えるのか。
・教育というのは短期的にはなかなか見えない長期的な成果への考慮が必要で、短期的な成果だけに基づいて当時の責任者だけに責任をとらせることがよいことなのか。
・首長が議会の同意を得て任命した教育長を罷免することについては、任命責任を考えれば慎重であるべき。例えば、議会の過半数ではなく、2/3超の同意を要件としてはどうか。
・教育長の任命罷免について、教育委員が教育長の任命罷免にかかわるという制度設計もあり得るのではないか。
・教育長の任命に議会の同意は不要ではないか。実際、現在も、教育委員としての議会の同意が得られないため、教育長の空席が長くなっている地方公共団体もある。
・教育長の任命に際して議会同意は必要である。
・日銀総裁の国会同意人事のように、地方議会が教育長に対して質疑・応答して、人格、識見、見識をきちんとチェックした上で、承認する必要があるのではないか。
・教育長は、現状においても実質的には議会の同意を得て首長に任命されているし、制度としてもぜひそうしていくべきである。それによって、人選について議会が関心を持つし、専門性・人間的な能力をそこで検証され、担保されることになる。

政治的中立性、継続性・安定性の確保

○ 教育委員会は教育長の事務執行に対してどのような権限を持つべきか

・教育委員会の審議を必要とする事項をどう考えるか。
・教育委員会の審議の結果にどの程度の法的拘束力を付与するべきか。
・教育がその時々の政治的な風潮に流されるということでは、学校教育に対する保護者や地域の信頼が得られない。
・教育委員会は学校教育の一番の推進役なわけだから、ぶれないような教育施策が続いていく、そういう制度設計にする必要がある。
・教科書等が首長の交替とともに変わってしまうことについては、常に懸念をしている。
・学校支援地域本部などに熱心に取り組んでいた県が、首長が変わった途端にハコモノに力を入れることになり、ソフトの予算は切られたということがあった。こういう方針転換には現場が混乱するので、継続性・安定性が必要である。
・地方教育行政の大部分は、学習指導要領や義務標準法等が細かく設けられており、政治的中立性を犯す事態は想定しづらい。
・県費負担教職員の任命において、政治的中立性を脅かすほどの介入があったのか。こういう点にあまりこだわっていては全体が見えないのではないか。教育が特殊だからといって、教育委員会が特殊である必要はない。
・教育行政において政治的中立性が要求される仕事はほとんどないのではないか。抽象論ではなく、具体的な仕事を書き出して中立性が必要か考えたほうが良い。
・教科書採択や国旗国歌の問題においても、首長が教育委員会の事務執行に影響を与えるということは十分にあり得ることであり、政治的中立性が必要な仕事はある。
・政治的中立性のある仕事を棚卸にするというのも一つのアイデアだが、目に見えない潜在的なリスクもある。大阪の桜宮高校のようなことも起きているので、教育委員会の仕事を棚卸するだけでは見えないものがある。
・政治的中立性について顕在的な形で大きな問題になるものは多くないと思うが、現行の教育委員会制度はセーフティーネットとして機能しており、長の教育への関わりが抑制的になっていると感じる。政治的中立性については、あまり問題にならないから必要ではないという議論にはならない。
・政治的中立性については、大学については学生も大人でありほとんど問題ないが、小中学校については首長に対する牽制が必要である。
・教育長・教育委員の任命、予算編成、市町の中期計画、教育委員会事務局と首長部局の職員人事など、首長が教育行政にリーダーシップを発揮する場面は多い。教科書の内容、国旗・国歌の取扱、主幹教諭やスクールカウンセラーの配置などについて意見を持つ首長もいる。教育委員会の権限が今以上に制限されると、現在保たれている専門性・中立性が脅かされる可能性がある。首長への制限が必要である。
・教育行政においては政治的中立性・継続性・安定性の確保が何よりも重要である。仮に教育行政の責任者を首長とする場合、学校現場で偏った教育活動が行われることにつながるおそれがある。
・政治的中立性というのは、教育行政の安定をどう維持するかという問題でもあり、その安定性は教育行政の専門性と深く関わっている。深刻なのは教科書採択の問題である。現場で調査、研究しているのは、教科書が実際の授業で子供たちに、みずから学ぶ力を付けさせるものかどうかということであり、教科書採択においては専門性が必要である。
・政治的中立性が脅かされるリスクとして、人事の問題もある。大分県の事件のあと、2年くらいは静かだったが、採用・配置に関する人事のリクエストは地方議員からも寄せられるようになった。
・人事については、校長等の人事に選挙で首長の応援をする人の色が付いてくることが気になる。現状において概ね問題がないからといって、政治的中立性の確保の仕組みがいらないということにはならない。この点については、50年、100年の展望をもった仕組みづくりが必要であり、特定の首長の意向を気にするような教育行政の体制になってはならない。
・首長の関与もなく、一人の役人である教育長が大きな権限をもつのは危険である。基本方針については教育委員会や首長が決めることにすべきである。
・今後の教育界における中立性の確保のために大切なのは、暴走する市長が出現したときの防御装置を用意しておくということである。
・首長の暴走ということが問題として挙げられているが、教育長には選挙がなく、やりたい放題になるため、むしろ教育長に任せきりにすることの方が問題。首長の暴走については、教育委員会の審議を経なければならない事項を定めて抑制すればよい。
・観念論で政治的中立性というが、地方自治体の業務の中で、首長が関与しない業務はほとんどない。予算権を首長が有している限り、首長と教育委員会との連携がないと絵に描いた餅になってしまう。
・教育の政治的中立性は非常に重要であるが、首長と教育委員会の意見交換はあった方がよい。
・教科書採択などは政治的中立性が必要だが、社会教育や生涯学習にまで首長が口を出せないというのはおかしい。
・文化財・スポーツといった行政分野は首長部局と一体性をもってやっていくことが重要だが、学校教育は特に中立性が必要である。
・現在の教育委員会制度の問題は、非常勤の教育委員が子細にわたることまで見なければいけないところである。監督管理については委員会、日常の業務執行については教育長と棲み分けをし、イメージとしては公安委員会に近いものとする案が考えられる。教育委員の中の一人が教育長として責任者となるという方法もある。
・自分たちが最終権限を持っている教育委員会だということで、ここまで仕事をしているんだという自負を持ってやっている教育委員も数多くいる。これが、例えば審議会レベル、あるいは諮問機関レベルまで落ちたときに、そこまでの活動を責任を持ってやっていただけるかどうか。教育委員会の位置付けについて、あまり軽くすることは好ましくない。
・教育委員に責任感を持って職務に取り組んでいただくためには、しっかりとした権限が必要である。
・教育行政は住民の選挙により選ばれた首長が住民の負託を受けて行うべきであり、首長を教育行政の責任者とすると共に、教育長を首長が任命する事務執行の責任者、教育委員会を首長又は教育長のアドバイザリーボードとすることが適当ではないか。
・政治的中立性、継続性、安定性を確保する観点から、教育委員会を、首長と教育長に対する監視機能や、教育の基本方針などに関与する法的な権限を持った附属機関とすべきである。
・合議制だと少しずつ人が替わるので変化はゆっくりになるのと、ぶれが小さくなりやすいという点から、教育委員会は合議制執行機関とする方がよい。
・教育委員会を諮問機関にしていくことは、教育長が権限を持ち過ぎることとなり、危険ではないか。一方、教育委員会を廃止して首長と教育長の連携による教育行政を目指すという意見は、教育の本質的な機能、その影響力の大きさを考えると、少し踏み込み過ぎではないか。
・教育の政治的中立性確保のために、教育委員会は合議制の執行機関として存続した方がよい。執行機関でなければ、教育委員の発言は重んじられなくなり、政治的中立性の確保は困難となる。
・教育委員会は、諮問機関とはせず、教育方針等を決定する合議制の執行機関として残すべきである。

新しい教育委員会の組織と役割

○ 教育委員を誰が、どのような手続きで任命するのか

・教育委員は教育長が任意に委員を選ぶということではなくて、首長が議会の同意を得て任命する方がよい。
・教育委員会は議会同意によって任命され、議決する権限を持たせるべきである。その際、教育委員は充て職としてはならない。
・仮に制度において、新しい教育長が独任制執行機関的、教育委員会が諮問機関的な役割となった場合、教育長が教育委員のメンバーを選ぶことになると、お手盛りになる。教育委員も引き続き首長が議会の同意を得て選ぶ形がよい。
・教育長と教育委員を切り離して考えるべきである。首長が変わる場合、教育長の任期は関連するとしても、その一方、教育委員の任期は継続性・安定性の確保の観点から4年間の任期を全うできる形が望ましい。
・安定性・継続性の確保の観点からは、首長と教育長の任期は必ずしも一致させない方がよい。

○ 教育委員の人選の在り方はどうあるべきか

・コミュニティ・スクールのような、民意を反映した仕組みをしっかりと定着させていく中で、その代表が教育委員として選ばれていく方がよいのではないか。
・教育委員が、地元の名誉職になっていたり、選挙の論功行賞でなっていたりするという話も聞くので、地域のために教育のために活動しているような人が教育委員に選ばれるようにすべきである。そうすることで、教育長に対して教育現場・市民感覚という視点からチェック機能が果たせる。
・学識経験者を教育委員に登用することもありうる。
・教育委員には、コミュニティ・スクール経験者ばかりではなく、例えば、世界経済がどうなっているとか、科学技術立国という視点から大きな視野を持つ人が必要である。コミュニティ・スクールの委員だけでは視野が狭くなる。

○ 教育委員に求められる資質・能力をどう考えるか。引き続きレイマンコントロールを重視していくのか。高い専門性を持つ教育委員も必要と考えるか

・教育委員は非常勤だからできないのではなくて、非常勤でもできる環境を整えていくということが大切である。
・教育委員は今まで監査役として教育委員会に参加していたが、いじめの問題が起きて、世の中の論調は、教育委員にプレーヤーとしての在り方を求めている。教育委員については、現役で社会で活躍している方をメンバーに入れるということが非常に重要なことであり、そうした非常勤の方に責任をとらせるのは不適切である。
・教育方針、教科書採択の観点・手順等については、レイマンがコントロールする仕組みを残すことは重要。
・原子力規制委員会のように専門家だけで構成される委員会にするのも選択肢の一つだが、常勤と非常勤の二者択一だけではなく、NHKの経営委員会のように、半分常勤、半分非常勤という選択肢もあるのではないか。
・定年退職後の方だけではなく、40~50代の企業経営者等、幅広い人材を教育委員に任命するには非常勤でなければ難しい。
・レイマンだけではなく、専門性の高い人も教育委員になっていただいてもいいのではないか。
・教育委員は、単なるレイマンだけでは困る。この点については、社会教育委員会が参考になる。社会教育委員には、学校教育及び社会教育の関係者としての1号委員、保護者・家庭教育関係者としての2号委員、学識経験としての3号委員、という3つの属性がある。委員の人選についても、世間から見てわかりやすい形にすることが重要である。
・レイマンコントロールは民意の反映のために設けられているのであり、今の仕組みは維持した方がよい。もし改革するとしても、教員経験者だけではなく、コミュニティ・スクールや学校支援地域本部の代表等を入れることを想定すべきではないか。
・教育委員の構成について、現行制度はレイマンコントロールという建前だが、専門家が入ることも排除はされていない。新しい制度においても専門家とレイマンの混成がよい。
・レイマンというより、それぞれの見識ある人を選ぶべきであって、なぜ選んだかという根拠を説明していただくことが大事である。
・学校教育の教員経験者ばかりを選んでいるというところが非常に問題であって、もっと多様な人材を、そして地域の教育に貢献してくださる人材を選ぶべきであり、そういう委員であれば、合議すべきことはある。

○ 合議体の機関として教育委員会の果たすべき役割、職務権限をどう考えるか
・地域の教育のあるべき姿や基本方針の審議
・教育長による教育事務の執行状況に対するチェック
・その他


・教育委員は成人式、入学式、卒業式で来賓と招かれて挨拶をするよりも、教育現場でなるべく先生や学生、児童の声を聞くべきではないか。地方議会においては、委員が非常勤であるということを理解して、答弁のあるときのみ呼び出せばよいのであって、単に議会に座らせておくということは、今後やめるべき。
・どのような情報を教育委員会事務局が出すのかが、教育委員の役割を決めている面もある。非常勤の委員は情報がなければ判断ができない。教育委員会事務局がどのような情報を出して、委員が何を判断すべきか明確になるとよい。
・教育委員は教育長や教育現場の指導・監督といった役割を担うべきである。
・教育委員会が形骸化しないよう、一定の権限を持つことも必要であり、一歩離れた所から教育長の事務執行をチェックできるようにし、単なる審議機関にしてはならない。
・合議制執行機関の性格を残すのかどうかが大きな課題であるが、現行制度でも教育長に委任できない事務(地教行法第26条第2項)が法定されており、これをやらなくなるというのは執行機関ではなくなるということになる。
・教育委員会の意見を教育長が尊重するような仕組みが必要であり、教育委員会の審議を経るべき事項は、現行制度(地教行法第26条第2項)をベースに検討すればよい。
・現行制度において、合議制の教育委員会が、教育長に委任できない事務(地教行法第26条第2項)の中にも、形骸化しているものがある。教育長の専決事項を増やし、そこで生み出された時間で教育委員会は大所高所の議論をすべきである。
・合議制の執行機関において、細かいことではなくても、方向性や大きな視点についての意見をいただける制度を考えるべきである。
・教職員の処分、教育行政の点検・評価、学校の統廃合等については教育委員会が決定すべき事項であるが、条例等の文言修正や教職員の(処分以外の)人事については、教育長の専任事項とすべきである。
・現在、教育委員会は事務局の誤った判断へのチェック機能の役割を担っており、今後もその役割を担うべき。
・教育委員会が審議機関的なものになったとしても、幾つかの内容についてはチェック機能、監査機能を持たせて、教育長の仕事の一部に教育委員会の同意を要件としたり、教育長へのチェック機能を果たしていただくのがよいのではないか。
・社会教育、文化・スポーツ行政についての、首長部局との職務分担について議論が必要ではないか。

教育行政関係者の資質能力の向上等

○ 教育長等の資質・能力の維持・向上の方法はどうあるべきか

・直接の学校の教育指導に携わる指導主事が、統計上でいえば1万人以下の町や村では1.2名しかいない。私の町にも1名しかいない。そういう小規模な町村では、直接の学校現場の指導には教育長の教育経験が非常に重要になってくる。
・小規模市町村で専門的な人材が必要であることは、教育委員会の広域化等による解決も可能ではないか。
・事務局のみであれば広域化はあり得ると思うが、教育委員会そのものの広域化については、関係する複数の首長、議会の思いが様々あるので難しいのではないか。
・国や都道府県が主体となって、教育長の研修を積極的に実施することも必要ではないか。
・採用時から教育行政職として採用し、将来の教育長候補を育成するやり方も有効ではないか。
・教育長のスキルの問題は大切だが、今や教育行政は介護、福祉、環境等様々な分野と関連しており、教育の専門的知識だけではできない。
・「学び続ける教育長」ということで、資質をしっかりと担保し、能力もブラッシュアップしていくような、そういう機会を作っていくということが必要ではないか。

○教育行政部局の体制強化の方策をどう考えるか(指導主事等の専門職の配置充実、新たな制度の下での教育行政組織の名称など)

・一般市民は、教育委員会事務局が教育委員会ととらえていることが多い。事務局が学校現場をバックアップする機関でなく、新しい仕事やルールをオーダーする、現場をチェックする機関になっているという印象がある。現場がよかったと思えるような改革にしていただきたい。
・教育委員の報酬・待遇の改善、教育委員をサポートする事務局スタッフの充実により、教育委員会会議の活性化や現場との交流を積極的に行える体制を整えるべき。
・高い識見、多様な経験を持たれた教育委員と事務局スタッフの総和である「教育委員会力」を高めるために、専門、プロを育てていくことが大事である。教員出身の教育職と行政職の融合として、校長経験者の半数以上は、教育委員会も学校長も経験するということに取り組んでいる自治体もある。
・事務局については教育専門家が養成されてこなかったという問題や教育職は指導主事として行政事務にかかわる中で経験を積むことが多いようだが、行政職員で教育のことがよくわかっている人をどうやって育成していくのかが重要である。人口規模が小さいところでは難しいが、京都市のように、行政職に教育の研修を受けさせている例もある。
・教育行政の体制強化がカギだと思う。例えば、指導主事のなり手が少ないという点があり、待遇面の改善はできないか。指導主事になると給与が下がるような状況は変えるべきである。
・「急に指導主事になってしまう」ということが問題である。指導主事になってからのOJTでは厳しいものがある。民間企業では、登用する前に目を付けた人には早めに声をかけるなり、選抜している。これに類するようなことを教育行政においても行うべきである。
・仮に、教育委員長と教育長を一致させるとして、事務方の名前をどうするのかという問題がある。たとえば「教育庁」という名称を付けることも考えられるし、「子ども教育部」という名称を付けているところもある。また、教育委員会を新しくするのであれば、その名前もどうするのか。たとえば、「教育振興会議」といった名称はどうか。

その他

○ 人口規模に応じた教育委員会の在り方をどう考えるか

○ その他

・広域的自治体としての都道府県と、それから基礎的自治体として住民として極めて近いところにいる区市町村の教育行政の在り方、それから教育委員会制度の在り方は少し分けて議論する必要があるのではないか。
・直接の学校の教育指導に携わる指導主事が、統計上でいえば1万人以下の町や村では1.2名しかいない。私の町にも1名しかいない。そういう小規模な町村では、直接の学校現場の指導には教育長の教育経験が非常に重要になってくる。(再掲)
・教育委員会事務局で難しいのは、小さいところは教育の専門家とか教師の出身の方が少なく、教育長ぐらいしか教員出身者がいない。一方で、大きな自治体になると、教育職出身の方と行政職出身の方の意思疎通が、組織が大きくなる分難しくなるところである。
・人口規模による教育委員会の在り方という視点も重要である。基礎的自治体の人口規模の違いは大きいが、設置者としては同じ仕事である。教育委員会で議論されたことが政策として具体化していかないと意味がないのであって、それにはエネルギーが必要である。事務局が小さなところではスタッフが少なく、それができるかという意味で、規模の観点は、形骸化議論と無縁ではない。


 

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