教育制度分科会(第38回) 議事録

1.日時

平成25年11月27日(水曜日)10時00分~12時00分

2.場所

文部科学省3F1特別会議室

3.議題

  1. 今後の地方教育行政の在り方について
  2. その他

4.議事録

【小川分科会長】  おはようございます。定刻となりましたので、ただいまから中央教育審議会第38回目の教育制度分科会を開催したいと思います。本日も、お忙しいところ御出席いただきましてありがとうございます。
 では、本日の資料について事務局から確認をお願いいたします。

【堀野企画官】  議事次第にございますように、配布資料として「今後の地方教育行政の在り方について(答申案)」がございます。落丁等がございましたら、事務局までお申し付けください。

【小川分科会長】  よろしいでしょうか。
 なお、本日、報道関係者より、会議の全体についてカメラ撮影を行いたい旨の申出がありましたので、許可しております。御了解いただければと思います。
 それでは、本日の議事に入りたいと思います。これまでの本分科会の審議の内容を踏まえまして、今日は答申案を用意しました。本日と次回の会議において、答申の取りまとめに向けて議論を深めていただければと思います。それではまず、事務局より答申案の内容について説明をお願いいたします。

【堀野企画官】  それでは、答申案の冊子を御覧いただきたいと思います。基本的には審議経過報告につきまして、その後、検討が進んだ部分について加筆修正をしたという形でございます。
 冒頭から数ページは、審議経過報告のとおりでして、6ページを御覧いただきたいと思います。今後の地方教育行政の在り方について、1.教育委員会制度の在り方についてとあります。この(1)から(3)については、前回のその1の案、その2の案にかかわらず、共通の事項ということでアップデートしております。
 具体的には7ページを御覧いただきたいと思いますが、7ページの教育委員の人選の在り方についての下から二つ目のぽつですが、レイマンコントロールの考え方に立ちつつ、専門家の視点も反映していくためには、現在より多数の教育委員を任命することも考えられることから、原則5人とされている教育委員の人数について、地方自治体がその実情に応じて柔軟に定めることができるようにする必要があるとしております。
 また、8ページの丸3、教育委員の任免等の手続の三つ目のぽつですけれども、これは審議経過報告において、継続性・安定性の確保に資するような仕組みにする必要があり、今後検討するという書きぶりでしたけれども、新しい教育委員の任期、罷免要件については、現行制度の任期、あるいは罷免要件を踏襲することが必要であると書いてあります。
 次に、9ページから10ページにかけてですが、(3)首長と教育長の関係というところで、おおむね3点ございますが、この枠囲みの内容について、本文の方で説明したいと思いますが、10ページの本文の上から二つ目の丸ですけれども、教育長を公立学校の管理等の教育行政の責任者とすることに伴い、今までにも増して、教育長の資質や専門性の担保が重要となることを踏まえ、教育長の資格要件を明確化することが必要であるということを追記しております。
 さらに、その下、最後、四つの丸がございますが、これは審議経過報告におきまして、検討する必要があるという書きぶりをしておりましたのを、こういう提案であると明確にしております。
 一つ目が、新たな教育長については、公立学校の管理等の教育行政の事務執行の責任者とすることに鑑み、例えば、教育長の事務の執行が適当ではないために、学校運営等に著しい支障が生じている場合など、首長が教育長を罷免できることとすることが考えられるということで、罷免要件について限定的ながらも一つ設けることを示しております。
 また、次に、教育長の任期につきましては、現行の教育委員としての任期と同様に、新たな教育長についても4年とすることが適当である。それから、次の丸では、首長と教育長の間では、首長が教育長に対してどのような教育行政を期待しているかを明らかにすることが必要であると考えるということ。それから、教育長の事務執行が著しく適正を欠く場合や児童、生徒等の生命及び身体を保護するため緊急の必要がある場合には、首長が積極的に関与できることとする必要があると記載しております。
 これを受けまして、具体的には11ページ以降を御覧いただきたいと思いますが、(4)新しい制度の方向性として、赤字の部分ですが、首長、教育長、教育委員会、それぞれの権限と責任を明確化し、それぞれに期待される本来の役割を十分に発揮していくため、以下の改革案を提言する。なお、本案の検討の過程では、教育の政治的中立性、継続性・安定性の確保に課題があるとの意見があったことも踏まえ、本案の具体化に当たっては、こうした懸念が払拭されるような制度設計がなされることを期待するという前提で書かれております。
 枠囲みの中ですけれども、一つ目、地方公共団体に、公立学校の管理等の教育に関する事務執行の責任者として、教育長を置く。教育長は、首長が定める大綱的な方針に基づいて、その権限に属する事務を執行する。首長が大綱的な方針を定める際には、その附属機関として設置する教育委員会の議を経るものとする。
 2点目、教育長の権限に属する事務の執行について、首長の関与は、原則として、大綱的な方針を示すことにとどめ、日常的に指示は行わないものとする。
 3点目、教育委員会は、地域の教育の在るべき姿や、基本方針について審議するとともに、教育長による事務執行を住民目線による第三者的立場からチェックすることを目的とすると大枠を書いております。
 具体的な部分ですけれども、その下丸1の三つ目のぽつの部分ですが、首長は、日常的には指示は行わないとすることについてただし書がありまして、ただし、教育長の事務執行が大綱的な方針に反している場合など著しく適正を欠く場合や、児童、生徒等の生命及び身体を保護するため緊急の必要がある場合など、法律に規定された特別の場合に限って、教育長に指示を行うこととするとしております。
 丸2の新しい教育委員会の位置付けと審議事項等につきましては、12ページを御覧いただきたいと思いますが、12ページ上の首長に対する教育委員会の役割につきましては、首長が教育に関する大綱的な方針を策定する際には、教育委員会の議を経ることとするとしております。この場合の、議を「経て」と言った場合には、完全に従う義務まではないけれども、強い拘束性があると解釈されております。
 そして、この大綱的な方針については、教育委員会という公開の場で、首長の意見と教育委員会の意見とが共に住民に明らかにされることにより、透明性の高い手続によって策定されることを制度的に担保するとしております。
 また、教育委員会は、必要に応じて首長に対し、資料の提出や説明等を求めることができる、首長の事務執行が大綱的な方針に反する場合などには、教育委員会が必要な勧告をできることとするとしております。
 次に、教育長に対する教育委員会の役割につきましては、教育長は毎年、次年度の施策を策定するに当たり、その基本的な事項について教育委員会の議を経ることとする。併せて教育委員会は毎年、教育長の事務執行の点検・評価を行い、その結果を公表して、通知すると書いてありますが、公表して必要な勧告を行うこととする。
 そして、具体的なイメージですけれども、教育委員会で審議する次年度の施策については、首長の予算編成作業と同時並行で数か月間にわたって闊達(かったつ)な審議が行われることが必要である。現行の教育委員会は執行機関であるために、形式的な決裁事項についても少なからず議案として取り上げる必要がある一方で、予算については首長の権限であることから、重要な施策であっても立案過程に十分関与できていないという指摘がある。新たな教育委員会においては、こうした決裁事項を審議する必要がなくなることから、次年度の施策の方向性について、地域住民の意思を反映すべく、時間をかけて審議することが期待される。
 点検・評価につきましても、報告書を決裁するだけではなく、過去の基本的な施策が住民の期待に応える成果となっているのか、取組の方法は効果的なのかといった観点から、時間をかけて審議することが期待される。このような形で、年度前半は点検・評価、年度後半は次年度の施策の審議というPDCAサイクルを確立し、実施していくことが新しい教育委員会の中心的な業務となると考えられるとしております。
 さらに、その下ですけれども、政治的中立性の確保、継続性・安定性の確保の観点から、教職員や事務局職員の人事、学習内容や生徒指導等、教科書その他教材の取扱い、こういった重要な個別の事務については、教育委員会の議に基づいて、教育長が基本方針を策定することとするとしております。「基づいて」と言った場合には、法的拘束力があると解されております。例えば、人事異動の基準とか、懲戒処分の基準、教科書採択の基準といったものが考えられます。
 13ページの丸3ですけれども、首長、教育長、教育委員会の連携といたしまして、首長が教育長と十分な意思疎通を図るのはもちろんのこと、教育委員会との間で定期的に議論を行うことにより、地域の教育の課題、在るべき姿を共有して、役割と責任をそれぞれ果たしていくことが期待される。また、教育委員会の会議の議論や、首長と教育長との議論を積極的に公開することにより、教育行政の透明性を図っていくことも求められるとしております。
 14ページは、以上の説明について図示したものでございます。
 15ページですけれども、上記の改革案について、教育の政治的中立性、継続性・安定性の確保に関して課題があるとの立場から、以下の案を支持する意見もあったとしております。
 教育委員会を性格を改めた上で、執行機関として存続させるとともに、教育長をその補助機関とする案で、一つ目のぽつですけれども、教育委員会を執行機関として残すことによって、政治的中立性等を確保する。また、非常勤の教育委員の合議体である教育委員会が責任を持って決定できる事項と、常勤の専門家である教育長が責任を持って執行する事項とを法律で明示することにより、責任の所在の明確化を図る案である。
 この場合、教育委員会が定める大綱的な方針に基づいて、教育長が権限に属する事務を実施することになりますが、この審議の中では、この大綱的な方針については、首長が教育委員会の意見を聞いて定めることも考えられるという意見もあったと書いています。
 三つ目のぽつでは、首長が教育委員会と連帯して責任を果たせるようにするという観点から、首長は教育委員会が策定する大綱的な方針に対して協議を求めることができることとすること、また、学校等の設置、施設・設備、教職員定数など条件整備に関する事務については、首長の所管とした上で、教育委員会と首長が協議して決定すること。
 また、教育長の事務執行について問題があるなど特別な場合には、首長が調査を求めるとともに、必要な勧告ができることとすることが検討された。また、同様の観点から、教育長の罷免要件を現行の教育委員の罷免要件より拡大することや、教育長の任期を現行の4年より短縮することも検討されたとしております。
 しかしながら、この案については、教育長の事務執行が著しく適正を欠く場合や、児童、生徒等の生命又は身体を保護するため、緊急の必要がある場合などに、非常勤の教育委員の合議体である教育委員会が最終責任者として責任を果たせるのかという問題を解決できていないという指摘があったとしております。
 次に(5)ですけれども、教育行政部局が担当すべき事務分担についてで、主に文化、文化財、スポーツの担当についてですが、この点については、審議経過報告では今後の検討とされておりましたが、関係団体のヒアリングを踏まえまして、方向性を出しております。
 枠囲みの中の一つ目のぽつでは、従来どおり、学校教育、社会教育は教育行政部局が担当する。二つ目のぽつ、文化財保護に関する事務については、政治的中立性、継続性・安定性の確保や首長部局が行う開発行為との均衡を図る必要等があることから、教育行政部局が担当する必要がある。三つ目は、文化財保護を除く文化に関する事務や、学校体育を除くスポーツに関する事務は、原則として首長の事務としつつ、地方公共団体の判断で教育行政部局が担当することができるようにする必要があるとしております。
 その後、17ページ以降につきまして、審議経過報告どおりの部分が続きまして、21ページを御覧いただきたいと思います。
 21ページの丸2の三つ目のぽつですけれども、県費負担教職員の給与負担について、指定都市の県費負担教職員の給与負担を、県から指定都市に移譲することですが、これまで財源について調整が行われてきましたけれども、このたび関係道府県及び指定都市の間で財源について合意が行われたことを踏まえまして、検討するではなく、指定都市に給与負担を移譲する方向で所要の制度改正を行うと明記しております。
 その後は、最後の26ページですが、学校運営協議会を基盤とした、学校・家庭・地域の三者の協働体制についてですけれども、最後の部分、審議経過報告では、新たに学校運営協議会を置く場合には、学校評議員を置かないという意見もあったということでしたが、置かないなどということで方向性を明確にしております。
 説明は以上でございます。

【小川分科会長】  ありがとうございました。それでは、今、主に審議経過報告とは異なる部分を中心にして、答申案について事務局から説明を頂きました。
 これから、1時間半ほど時間がございますので、自由討議に入らせていただきたいと思います。今の事務局からの説明への質問も含めて自由に御発言を頂ければと思います。どなたからでもどうぞ御自由に。
 梶田委員、どうぞ。

【梶田委員】  事務局で非常に苦労して工夫して書いていただいたというところを、私は本当に御苦労様でしたと申し上げたいんですけれども、ただし、内容的にはやはり非常に危険な要素が多いと。教育再生実行会議の提言があって、それがどうだろうということで中教審に投げかけられたわけです。これは、それを大幅に乗り越えて、首長さんに権限を集中する案になっていると私は思います。
 私は、今の教育委員会の実際の機能が十分だとは思いません。例えば、大阪で起こっていることなんかはとんでもないことだと私は思っております。民間人校長、市長のいわば意向によって十何人選んだ。それは結構だけれども、その半分以上が問題を起こした、ということですよ。こういうことが何をもたらしているのか。
 例えば大阪市の教員採用では、応募者が2倍を切ったんです。普通五、六倍あるんです。京都なんか五、六倍あります。今度追加募集もするわけです、大阪では、いい教員が全然確保できない状況になっているわけです。学校現場は今、悲鳴を上げています。そういうことが実際に起こっているということ。
 それから、御存じですね、このところ、大阪府や大阪市で教員採用、決まった人から考えられないぐらいたくさんの辞退者が出ているんです。教員になるのはものすごく難しいんです、採用試験合格するのは。普通は辞退は出ません。出てもごくわずかです。例外的。それがたくさん出てる、という混乱が既に起こっている。だから、今の教育委員会制度をいいなんて誰も思っていないです。あるいは運用がいいとも思ってないわけです。
 だけども、これを中教審で、教育再生実行会議の提言を受けながら、より一層いいものにしようと議論してきたはずなんです。でもこれ、大幅にはみ出しているでしょ。教育再生実行会議の提言に基づいて諮問があったわけですけれども。
 大きく言うと、例えば14ページのところで、図を見てくださいますと、例えばすぐ心配になるのは人事の問題と教育内容の問題です、教科書を含めての。
 人事も、基準を教育委員会がと言うんだけれども、基準は抽象的なものです。それを、これでいいと、新しい教育長さんが、新しく首長さんが言っちゃえば通っちゃうわけです。基準がなくたって通してるところはあるわけです、大阪みたいに。ですから、これは基準だけでなくて、承認が必要であるとか、基準と承認。
 あるいは、教育内容も、御承知のように、今の指導要領は最低基準ですから、プラスアルファは町でやれます、あるいは県でもやれます。そのプラスアルファ、何を付けるか。これもやはり首長さんが一方的に、つまり例えば4年ごとに代わる。そしてこの首長さんのときはこれを付け加えろと持ってきた、次の首長さんになったら別のものを付け加えろと持ってきたとなったら大変だからどうするかという話を、私も何回もやったし、この中で出てきたはずですよ。
 でもこれ、基準をというだけで大丈夫でしょうか。やはり、教科書採択でも教育内容の問題も基準と承認とか、あるいは、むしろ話を出すのが教育委員会でなきゃいけないんじゃないかと思います。
 教科書採択も御存じだと思いますけれども、今、そういうふうに指導要領が最低基準になりましたから、教科書ごとに、例えば社会科なんかの教科書を比べてごらんなさい。指導要領にないもの入れてますから、随分いろいろとバラエティがあるわけですよ。それを例えば、政治的中立性の確保からという基準を作ったとしても、やはり首長さんがこれにしろということがあった場合に、どうやって、まさに、余り波風が立たないような教科書にする方向に持っていけるか。
 こういう制度改革というのは、もう御存じだと思いますけれども、今の首長さん、99%が立派だと思うんです。99.何%が。ただし、大変なのはちょっと違う種類の首長さんが選ばれてしまった場合に、制度的にどういう歯止めがあるかという、これが制度改革の一番大事なところなんです。
 ですから、教育委員会制度を改革して、こういう歯止めを作っていくのは、私は大事なことだと思うんです。14ページのあれも、とても大事なことだと思うんです。ただ、それを運用する上において、最後は首長さん、執行機関ですからでいいのかどうか。
 この根本のところを、具体のところを非常に工夫されて、今までよりもずっと前進したと思うんです。教育委員会のやるべきことが。だけれども、そこのところをもう少し考えなきゃいけないんじゃないか。これでは、0.0何%の、ちょっと問題のありそうな首長さんが、たとえ何かのことで選ばれてしまったときに歯止めになるんだろうか。歯止めをより一層かける方向で、私は審議していただきたいと思います。

【小川分科会長】  ありがとうございました。今、主に首長、そして教育長に対する教育委員会の役割のところで、単なる人事や教科書採択等の基準だけでいいのかという御指摘で、もう少し首長、教育長の施策の方針、作成、まず、事務執行に関わって、もっと教育委員会が自主的に関与するような仕組みをもう少し踏み込んで検討していけないだろうかという御指摘だったと思いますけれども、ほかにいかがでしょうか。
 門川委員、どうぞ。

【門川委員】  案をまとめていただいた事務局に御苦労をおかけしているなと思います。同時に、私は分科会長小川案がいつか出るだろうと、中間まとめとして作成されたものは審議経過の報告でしたが、最終まとめとしては、いわゆるA案、B案を超えた案が出るんではないかと期待していたんですけれども。どちらかの案に絞るのではなく、両案が抱える課題を乗り越えるような新たな案にグレードアップしていくことが必要ではないかと思います。
 これまで、教育再生実行会議の提言を踏まえ、この会議で議論をしてきました。そして、パブリックコメントや関係団体からのヒアリングも行われてきました。しかし、このまとめにはそれらが反映されてないと私は思います。とりわけ、梶田委員からもお話がありましたけれども、教育再生実行会議の提言は、政治的中立性、継続性・安定性を大事にする、そして教育長を教育行政の最終責任者にする、こういう趣旨であったと思います。決して教育委員会を首長の補助機関とするなど示唆されていなかった、私はそのように理解しています。提言の趣旨を大幅に超えた極めて危険なまとめ案になっていると思いますし、これまでの審議経過も適切に反映されていない。もう一度審議の経過等見ていただきたい。
 教育は国家百年の計でございます。どんな時代にも対応できる、どんな自治体でも心配ないという担保が必要だと思います。
 全国の都道府県市区町村において首長が選挙で選ばれるときに、例えばその町で開発計画が大きな争点になる、首長の不祥事が大きな争点になる、あるいは原発の問題、基地の問題、それだけが争点になって首長が選ばれることが往々にしてあり得るわけです。
 つまり、教育行政が争点とならずに首長が選ばれることがあるということです。今でもあります。これからもあるでしょう。そうした場合、教育問題について極端な考え方を持っている首長が出てくる、特定のイデオロギーで、特定の政党の主義主張を強硬に主張される方が首長になることも十分にあり得る話です。そのときにも耐え得る制度にしなければいけない。そのときに学校現場が、教育現場が混乱するような制度設計はいけないと思います。
 結論を申しますと、合議制の執行機関としての教育委員会は維持するべきだと私は思います。ただし、この会議が開かれた経緯、教育再生実行会議が議論を行われた発端である、いじめ、不登校、子供の命に関わる問題が発生したときに教育委員会が機能していなかったという課題、こうした危機管理体制の整備はきちんと行う必要がある。同時に、教育委員会の議論が形骸化しないようにする、これもそのとおり、すべきであります。これらについては、教育委員会を執行機関とする制度設計の下でも実現できます。
 今回配布いただいた答申案は、どちらかというとA案、その1案をベースにされています。しかし、これまでからB案を支持する、その2案を支持する意見もたくさんございました。
 したがって、答申には、教育委員会を合議制の執行機関とするB案、その2案をベースにした意見も多数あったことを明記していただき、そのイメージ図も掲載して、丁寧にそれを説明していただき、法案作成のときにそれも参考にしていただくようにしていただきたい。
 これまでの深い議論やパブリックコメント・関係団体ヒアリング等々も踏まえると、そのようなまとめ方が望ましいと思います。
 今回配布された答申案では、首長を執行機関と位置付けた上で、政治的中立性、継続性・安定性を確保するために様々な工夫がなされております。しかし、言葉は悪いですが、枝葉は幾ら集めても枝葉であります。幹を変えてはいけません。幹を変えては駄目だ、私はそのことを強く主張したいと思ってます。
 私は、教育委員会事務局の職員として、市長として、40年余り教育行政というものを京都で見てきました。同時に全国教育長会議等々を含めまして、日本中のいろいろな課題も実際に見てきました。地方にはその土地その土地の課題があり、文部科学省から見える課題だけではございません。これからどんな時代で、各地方にどのような状況が生じても、子供の教育を混乱させてはならない、そのことを主張したいと思っています。
 もう一点は、教育の大綱的な方針について。またその方針を策定する際の議会の関わりについてです。前回も申し上げましたが、国政は議院内閣制ですけれども、地方自治体は二元代表制であります。今、議会が住民の声を聞いて、見える議会活動をしていこう、存在感を出していこうと、それぞれの議会改革が活発になされており、教育行政についても議会の関わりをしっかりと位置づける必要があります。
 首長が大綱的な教育方針を定めることが大事だと思います。そのときに、教育委員会の議を経る。かつ、議会で議論をする。こうした手続のもと、自治体として教育の大綱を定める。教育振興基本計画は、全国の市町村でまだ半分ぐらいしか定められていませんが、しっかりと首長の責任において定めるということを明確に規定することが望ましい。これにより、首長の理念を、議会の議論も踏まえて、明確に打ち出すことが可能となります。加えて、首長は予算権を持っています。教育長の任命権も持っています。首長を執行機関と位置付けなくとも、これらの権限で十分、首長の教育への理想が追求できます。こういう制度に改革していったらいいと思います。

【小川分科会長】  ありがとうございました。ほかに。今田委員、二見委員の順で。はい、じゃ、帯野委員ということでお願いします。

【今田委員】  梶田先生や門川市長さんの、教育に大ベテランの方の後でちょっと言いにくい部分があるんですけれども、首長さんは選挙という厳しい戦いを制して、その中で誕生される。そこでいろいろな応援、支援、利害関係が絡む部分もあろうと思います。
 私、拙(つたな)い経験ですが、3年間、秘書課長という仕事もいたしました。そういう中で、いろいろなことがあるんだなと思います。そういう意味でいくと、今はこの教育委員会制度があることによって、そういうものに対し教育の世界が、それに巻き込まれないような担保がされているんじゃないかなと、そのことはやはり極めて大切じゃないかなと思います。
 明治5年の学制発布以降、教育の持つ重要性、教育に対する畏れ、この「おそれ」は畏敬の意ですけれども、この畏れがずっと継続されてきたんじゃないか。そして、それを守っていくことが極めて大切じゃないかなと思います。
 道徳教育とか、教科書基準の見直し、こういうものに対する動きが出てきましたので、そういう意味でいけば、私は、教育行政の中で堂々と教育の政治的中立性を主張する資格が出てきたんじゃないかなと。これがなければ、ちょっと待てよという大きな政治の力に引っ張られるかも分かりませんけれども、この二つについて、大きな道しるべができたことは、やはりここで政治的中立性をしっかりと主張して、政治に巻き込まれないような歯止めが必要じゃないかなと思います。
 そういう意味で言えば、今、お二人の先生方がおっしゃった部分を若干、次元が低いかも分かりません。でもそのことは是非、確保していくべきじゃないかなと思います。
 それからもう一点、今回、教育委員の経験から言いますと、首長と教育長と教育委員の連携はいろいろ書かれてるんですけれども、個々の教育委員が、形骸化されていると言われる教育委員が力を発揮し得るような、果たして、日頃の情報提供なり、執務環境を含めて、そういうものがなされているのかというと、私は必ずしも十分じゃない。
 私の場合は、多少行政経験がありましたし、かつての部下が事務局にたくさんいますから、おい、これ頼むぞという格好でやりましたけれども、そういう意味では必ずしもそこが十分議論されていないんじゃないか。それぞれの教育委員が高いモチベーションを持って、そしてそれを継続していけるような、そういう力を発揮できるような視点への取組と言いますか、そういうものを明記する必要があるんじゃないか。日頃の情報提供をしっかりやるんだと、大綱的なことを議論しようと言われても、日頃の部分がある程度ベーシックなものの情報提供がないと、なかなか難しいんであろうと思います。
 それから、最後ですが、今回余り議論の中にはなかったんですが、私は最初に申し上げたんですが、権限と責任の明確化、委員会だけが、委員会の権限と責任の明確化ということだけの議論では駄目だろう。特に横浜のように、先生が1万6000人もいるようなところでは、学校現場がそれだけで一つの大変大きな力になっています。現場の士気と言いますか、士気が上がるような対応、これも昭和56年の時の首相のお声がかりで人材確保法ができたと聞いていますけれども、給与の目減りみたいなこともあると思います。なかなか財政状況が厳しいですから、その辺の対応が難しいんでしょうけれども、やはり現場の士気が上がるような工夫も、決して忘れてはいけない大切なことじゃないかなと思います。
 以上です。

【小川分科会長】  ありがとうございました。二見委員、どうぞ。

【二見委員】  前回のA案、B案からその1、その2にまた変化あって、今日見させていただいて、皆さんおっしゃるとおり、その1であり、A案が残り、B案、その2が姿を消したと啞然(あぜん)としたところでございます。
 教育に関する様々な法令やまた、方針、計画等の中に必ず書いてあることが、政治的中立性の確保と、安定性、そして継続性ということが常に述べられている。それなので、私もこの会の中で何度か申し上げたのは、やはり、現行の首長の執行機関と行政委員会としての執行機関の多元的な関係の中で、政治的中立性が担保されてきたと申し上げたと思います。そういう意味では、行政委員会としての教育委員会を堅持していくのは大変重要なことだと思っているんです。
 もう一つは、実行会議の提言の中は、あくまでも教育長の権限を強化して、責任を明確化すると。これはやはり、教育委員会として、事務局として、意思決定、判断、指示が迅速になることを望まれたんだと思うんですね。そういう点でいけば、教育長を首長が選び、そして教育委員会にあった権限を教育長に多くを委ねていくという点では、そこは担保できるのではないかと思うんですけれども、なぜB案が消えたのかが理解できない。是非、これまでの意見交換、また、審議の中でなされたその2であり、B案については、図も含めて、先ほどありましたように明記していただきたいと思います。
 それからもう一点、今度、文面の中で10ページになるんですけれども、罷免要件のところで、丸の5番目のところに、2行目、例えば教育長の事務の執行が適当でないためという表現、また、一番下の方に、罷免ではありませんけれども、教育長の事務執行が著しく適正を欠く場合云々(うんぬん)とありますけれども、やはり罷免というのは非常に重要な案件であります。適正というのが、判断として、どの程度かというのはありますが、ここに著しくという言葉がかぶることが、私は大事であるし、そのことは著しい状況の中でやむを得ず罷免していくところは首長としての選んだ責任もあるわけですから、やはりここは適正を、適当でないという表現でなく、より重くしておく必要があるんじゃないかなと思いました。
 以上でございます。

【小川分科会長】  はい、帯野委員ですね。

【帯野委員】  冒頭から意見が出ておりました、0.1%の首長にどう歯止めをかけるのか、政治的中立性を担保するのかについてでありますが、頂いたイメージ図上からは、唯一それが実行できるのは、勧告権であると思います。ただ、勧告を出すのは大変な作業で、勧告権がいかに発揮できるかが、今後の教育委員会の存在に関わってくると思うのですが、その場合、事務局をどうするかについては考えておかないといけないと思います。執行機関であれば、恐らく一般財源で交付上の算定措置が受けられると思うのですが、附属機関になってしまいますと、新たな財源措置が必要になってきます。ここをどう考えるのか。
 これで新教育委員会が実際に勧告権を機能できなかった場合は、本当に宙に浮いたお飾りの存在になってきますので、この事務局の存在をどう考えるか、そのことについてちょっと疑問を呈したいというところで、もし回答があれば教えていただきたいと思います。

【小川分科会長】  それ、事務局に対する質問というとこでよろしいですかね。

【帯野委員】  そうですね。

【小川分科会長】  何か今の時点で。

【堀野企画官】  地方自治法上の附属機関とした場合に、通常は附属機関の事務局は執行機関が行うのが通常のスタイルでありますけれども、特別な必要がある場合には、別のやり方もできるというので、そこをどうするかという課題はありまして、教育長の部下となる事務局が教育委員会の事務局をやるのか、そうでないとすると首長が任命した特別の事務局になるのかといったことがありますけれども、いずれにしてもチェック機能という意味でどちらがいいのかは悩ましい点があろうかと思います。

【帯野委員】  教育委員会事務局の方が、新しい教育委員会の事務局を兼任した場合、教育長に対する点検・評価、勧告をどうするかという問題が起こってまいりますので、勧告権という強い権限を行使できるようにするために、この案でいくのであれば、やはり国の施策で、地方に奨励して財源措置を求めることが必要ではないかと考えます。

【小川分科会長】  ありがとうございました。重要な論点かと思います。
 ほかにいかがでしょうか。どなたからでもどうぞ。
 じゃ、辻委員、お願いします。

【辻委員】  今までの議論を踏まえて、今回は事務局もかなり苦労されながらまとめられていて、冒頭かなり批判的な意見もありましたが、私は、今回の案で相当問題はクリアされているのではないかと思っています。
 今回の議論の大きな流れの中で、B案がいいというよりも、現行の教育委員会の役割を重視して、それを更に強化した方がいいという意見があったというのは、私は事実だと思います。
 その観点からすると、むしろ教育委員会を執行機関として置いて、なおかつ十分に教育長等をコントロールできるように、更に体制強化を図るべきだという意見となり、こうした意見は、潜在的にあったと思います。しかし、これは教育再生実行会議の出した方向と基本的に異なるということで、いろいろ議論があって、B案の方に流れてきてたという事情があったと思います。
 先ほど人事の話が出ましたが、今は、教育長ではなく、執行機関である教育委員会がやっています。今までの議論の中でも、教育長を執行機関にすべきだという議論はありません。したがって、人事の権限を動かすとすると、それは、執行機関である教育委員会から、最終的に今度、新しく執行機関となる首長に置いて、しかし、首長が勝手に人事をやらないように担保する仕組みを考えることになると思います。教育長に独任的に人事権を持たせるのはよくないということでは、今回の審議においても合意があったと思います。
 この前提からすると、教育委員会を執行機関としないケースとしては、基本的には今回の案以外はなかなか考えられないのではないかと思います。首長を執行機関とする案をベースに制度設計をして、前回より今回は、教育委員会の役割が強くなるように規定しており、私は、首長の暴走を防ぐという点については、一定、改善がみられたと思います。
 これで不十分だということになると、それはB案がいいのではなくて、教育委員会をちゃんと更に強化しろということになると思います。教育委員会を執行機関として残して、人事権もそこにこのまま最終的に残せということです。教育再生実行会議の議論とは違いますが、そういう意見も少数あったことを書いておくことはいいことだと思います。しかし、B案では、人事の権限は、教育委員会には基本的にないことになっていて、それは最終的にどこにあるかというと、多分、教育長に置かれていて、それでは独任制になってしまいます。
 これは、今回の改革からは、やはり大きく異なることになってしまいます。今回の皆さんの大勢の意見を1本でまとめるとすると、今回の事務局原案に最終的に集約していくと、私自身は思います。
 以上です。

【小川分科会長】  ほかに。じゃ、森委員、どうぞ。

【森委員】  今回の議論の出発点が、責任と権限をしっかりと一致をさせて、深刻な問題が起きたときにきちんと対応できるようにするというのが出発点であったと思うんです。答申案、もう少しそれを書いた方がいいと僕は思いますけれども、政治的中立性や継続性が出発点ではなかったと思うんです。責任と権限をしっかり一致させるべきだと。
 そのときに例えばいじめ問題等で裁判になったときに、結局対応しなきゃならないのは首長だとか、平成18年の教育基本法の改正で教育振興基本計画を位置付けたときに、教育委員会の権限ではなくて、地方公共団体の権限としたこととか、そういう一連の中での議論があったと思うんです。
 それが、特定の首長さんをみんな頭にイメージして、あの方を止めるにはどうしたらいいかという議論になってしまっているんですが、そうではないんじゃないかと僕は思います。そのことで言えば、今の教育委員会制度でいいと思っている首長は結構います。うまくいっていますから。
 ところが、一度問題が起きたときにどうかと考えたときに、先ほど梶田委員がおっしゃった、民間人校長とか教科書採択とかあるいは成績のいい校長の発表とか、いろいろなことありますけれども、結局、今の制度でも歯止めがかけられないことが問題なんじゃないですか。
 それが今度この案になるとさらに、進むとか進まないとか抽象論をやってもしようがないと思うので、そうではなくて、今、何で歯止めがかけられないのかという問題なんじゃないでしょうか。それは地教行法というのは役割分担だけ決めておいて、例えば教育委員会に勧告権がないわけです。
 それから、教育振興基本計画は非常に大事な計画だと思うんだけれども、今回の計画の大綱を決めるというのは、非常に私は大きなことだと思いますよ。そのとき、新しい教育委員会がどう関われるかという問題じゃないかと思いますよね。首長の余り深く考えない、思いつきみたいなのじゃなくて、しっかりした基本計画が立てられるかどうか。
 それが例えば10年続く計画になればそう簡単に首長が代わっても変えられませんよ。しかも公の場できちんと議論することがすごく大切だと思います。そのときに、ちょっと言えば、民間人校長がいいか悪いか、それは余り意見を言いませんけれども、民間人校長の問題だって、基本大綱に書くとき、一体何のためにやるんだという議論がしっかりなされることがすごく大事なことなんじゃないでしょうか。
 例の、成績順の校長を発表する問題だって、結局、首長が予算権を持って、指示したことが表に出ないのが問題なんですよ。指示した事実は表に出るんだけれども、何のためにやるのかという乾いた議論がなされなかったのが一番の問題だと私は思うんですよ。やはり、きちんと誰かが何のためにそんなことをやるんだということを文書か何かできちんと発表して、首長が文書で答えなければならないとなったときに、恥ずかしくて答えられないですよ、きちんとした文書が出ていれば。私はそういう問題だと思うんですね。
 ですから、その1というか、その案で統一したとしたときに、基本的大綱をどうやって決めるんだ、どうやって議論するんだ、今言った事務局も含めて勧告権は本当にできるのかという議論をきちんとしとくべきだろう。それが今、梶田委員がおっしゃった、あるいは門川委員が心配していることに対する回答になるんじゃないか。
 私は、大綱を決めることと、それを公の場で議論することと、それから首長が何かを指示するときにはきちんと理由も付けて公にするといったことをしっかり決めることがすごく大事なことだと思ってます。
 ですから、補助機関かどうかとか、執行機関かどうかという問題じゃなくて、問題点をオープンにして、正々堂々と議論ができるような仕組みにするかどうかが私は一番大事だと思っております。
 それから、ちなみにもう一つ言うと、門川委員にしても梶田委員にしても守りたい部分があるはずなんですよ。守りたい部分というか、首長に口を出させたくない部分が必ずあるんです。出してもいい部分と、出しちゃいけない部分が必ずあるはずです。そこのところをもっと本当は精緻に議論すればよかったなというのが私の思いなんです。教科書選定に口を出しちゃいけないとはっきりと書いてもいいと思うんですよ。
 だけど、ちょっと意見を言いますと、社会教育も口を出しちゃいけないと言われると、それはないでしょうという議論になる。だから、今の案で、教育長の責任分野をしっかり決めるのはすごく僕大事なことだと思いますよ。社会教育は生涯学習とは違うという理屈はありますけれども、社会教育と生涯学習の違いはいろいろ議論されているのは私、いろいろ勉強してますけれども、現場ではもうほとんどないですよ、境界なんてのは。
 で、社会教育も例えば教育長に置くという今、案になっていますけれども、それをやると首長、口出さざるを得なくなってきます。というか口を出さないとうまくいかなくなっていく。そういう部分があると私は思います。
 それから、何度も言いますけれども、ちなみにちょっと申し上げておくと、前々回意見発表した仙台市長の奥山さん、これ、政令市長会としての意見じゃなくて個人的な意見ということでしたけれども、それと、中核市長会の奈良市長さん、高松の大西市長さん、それから大津市長さんも含めて、その1とその2であれば、その1を基本にすべきだという意見だったということを申し添えておきます。
 ただ、いろいろまだ不備があるんじゃないか、今言ったようなことですね。もっと例えば教育委員会がしっかりと勧告とか提言とかができるような、事務局も含めて作るべきだという意見だったということを申し添えたいと思います。
 以上でございます。

【小川分科会長】  ありがとうございました。ほかにいかがでしょうか。
 じゃ、村上委員、そして白石委員、そして貝ノ瀨委員、そしてまた門川委員でお願いします。
 村上委員から。

【村上委員】  どうもありがとうございました。答申案は非常にやはり事務局の方で苦心をされて作成されたと思うのですが、私も門川委員や梶田委員と同じように、やはりこの案では非常に危惧を覚える立場であります。教育委員会は執行機関として存続すべきなのではないかという15ページに書かれてある方の案を、もう少しウエイトを置くべきなのではないかと思います。
 門川委員、それから二見委員がおっしゃったように、教育委員会を執行機関として存続する15ページの案に図を入れることも必要だと思いますし、それから15ページの下の方に、しかしながらというところがあるのですが、ここは、確かに最終的に教育委員会が最終責任者として責任を果たせるのかという意見があったことは承知しておりますが、しかし、これに対して私が申し上げてきたのは、教育委員会と教育長の役割分担を見直すのである、教育委員会の仕事を限定して、いわゆる緊急の対応、今回問題になっているような緊急の対応については明確に教育長の権限にするのであるということを申し上げたと思いますので、15ページのしかしながらのところは、やはり両論を入れるべきではないかと。
 15ページのような指摘もあったけれども、一方で、教育委員会と教育長の役割分担を見直すことで、緊急の対応という緊急時の責任の所在と政治的中立性、継続性・安定性の両立が図れるのではないかという意見があったことも是非入れていただきたいと思います。
 教育再生実行会議の案と比べてどうかという議論もあるんですけれども、教育再生実行会議は教育長を教育行政の責任者とすると書かれてありました。これはニュアンスとしては、首長からは独立をさせるという趣旨だったと理解しておりますので、そう考えると、今回出ている案は、執行機関は首長になりますので、これは果たして教育再生実行会議の枠の中に入っているのだろうかと思います。いわゆるB案、その2の案が枠からは外れているという御指摘もありましたが、今回出ている案も本当にその枠の中に入っているのだろうかと思いました。
 一応私の考え方はそういうことなんですが、14ページの図に関してもちょっと申し上げようと思うんですが、やはり首長に対する歯止めとか、先ほど森委員がおっしゃった公開の原則はもっと具体的に書き込むべきだと思います。
 具体的に申し上げますが、例えば特別な場合に首長が教育長に指示すると書いてありますが、例えばここで、教育委員会に意見聴取を義務付けて、議会にその結果を報告するであるとか、あるいは人事に関して言いますと、例えば首長が教育長を罷免するときには指示を要件とするとか、つまり、指示と罷免の要件は非常に似ているので、そうであれば、特別な場合の指示をして、それでも駄目な場合に罷免をするというように、罷免に当たっては指示を要件にするであるとか。
 あるいは教育委員会の権限に関しては、教育長の人事というところで教育委員会を関与させる。これは意見聴取であるとか、あるいは可能であれば、教育長の人事の承認も教育委員会に持たせるとか、そういった首長の教育長に対する関与の仕組みはもっと細かく規定する必要があって、更に例えば、現行で国が地方に関与するときのように文書で行う。
 これは教育委員会が首長に勧告するときもそうだと思うんですが、勧告については、首長、教育委員会、どちらから行うにしても、文書で公開でやる、できる限り議会に報告をするというような細かい制度設計が必要ではないかと思います。
 その点で言いますと、9ページ、10ページのあたりに、例えば9ページの枠内の最後のところに、教育長の事務執行が著しく適正を欠く場合とか、緊急の必要がある場合、首長が積極的に関与できることが必要であると書かれてあるんですが、ここは積極的に関与というのではなく、もう少し具体的な権限を指示できるようにするとか、積極的に関与というとすごく幅広いので、ここはきちんとどういう権限が必要なのかを書き込む必要があるのではないかと思います。これは10ページも同じことです。
 それから、今まで出てきてなかったので、いきなりここで申し上げるのもなんなのですが、いじめとかの対応のときに一つ問題があるのは、責任の所在もそうなんですけれども、今、救済の仕組みが具体的に明確でない。つまり、学校内とか教育委員会に訴えて駄目で、何か起こるといきなりすぐ次は民事訴訟みたいな話に飛んでしまうのですが、もう少し紛争解決の仕組みを合議制の下できちんと作れないかと。
 つまり、準司法的な機能とか、裁判外紛争解決、ADR的な機能を教育委員会なり第三者委員会なりに、これはいじめ対策基本法でもありますけれども、もう少し救済の仕組みを実質的に、これはどちらの案にしてもそうなんですが、きちんとできないのかということは考えました。
 それから、最後の1点なんですが、責任と権限の一致というところで、今まで特にその1の根拠としてずっと言われてきたことであるのですが、ちょっと私、この点で疑問がありまして、一つは、責任と権限の一致を言うと、つまり行政委員会自体が必要なくなってしまう。警察も選挙管理も。つまり警察も、警察官が何か非があったとき、裁判になったときに、やはり被告になるのは首長なんです。ということは、訴訟のときに首長が被告になることを根拠にしてその1の案を選ぶのであれば、これは警察も首長の直轄にすべきだという話になってきます。
 選挙管理の話もそうで、予算権を行政委員会は持っていないので、予算があるから首長の権限ということであれば、警察も選挙管理も人事の不服申立ても全て首長がやらないといけないという話になってきます。もちろんそれはそれで一つの考え方としてあり得るのかもしれませんが、そういうことを前提というか、行政委員会全体に波及する問題であるということ、つまり、教育委員会だけではなくて、警察とか選挙管理とかその他の執行機関、首長以外の執行機関全てに関わる問題になってくるということです。責任と権限の一致というのは確かにシンプルそうな議論なんですけれども、もともと首長に権限が集中し過ぎているから、分散させるためにこういう制度になっているのであって、これをまた、首長が予算を持っているとか、訴訟は首長が被告だからということで首長に集中させるのは、ある意味本末転倒な議論になっているような気がします。やはり議論としては政治的中立性、継続性・安定性と緊急時の責任主体の明確化をどう両立させるかに絞って制度設計を考えていくべきではないかと思います。
 以上です。

【小川分科会長】  ありがとうございました。白石委員、どうぞ。

【白石委員】  私も今まで曖昧な部分がはっきりしたという点では、首長が教育委員を任命し、教育長も任命すると、それを明確にすることがまず責任の所在をはっきりさせることにおいては、この内容で私はいいのではないかと思います。
 何かあったときの責任者は誰かということは非常に大事なことなんですね。ですから、現実に今やっていることを、つまり首長が教育委員を実際には選んでいるんですけれども、ただ、議会の同意を得るとか、教育委員の互選であるとか、そういう形で何となくごまかしているわけです。それをはっきりと、首長が任命することにするだけですから、今と比べて権限が強くなるということには、私は特にならないと思うんです。そこのところを明確にして、任命するわけですから、当然任命責任がありますよと。
 しかし、今の制度で言うと、教育委員同士で教育長を互選するわけですから、もし私の意図するところと違う教育長が出ると、選んだ教育委員さんの責任ですよとなるわけです。そうすると非常に曖昧な部分が残ってしまうわけです。
 そういう意味では、教育委員、教育長は首長が責任を持って任命し、そして教育委員会は従来と同じように士気を持って、大綱的な部分を首長に対して進言をすることで、非常にすっきりする。これをもって、教育委員の質が下がったり上がったりすることではないと、現状とほとんど私は変わらないと思います。
 同時に、そうしたからといって、首長が政治的中立で問題があるとかないとかいうことには私はならないと思います。政治的中立という言葉が何度も出てきますけれども、教科書採択の話が先ほどありましたけれども、もしそういう心配があるのであれば、教科書採択について全く別の方法で教育委員会を中心に考えればいい話であって、従来も、我々のような町村の立場から言うと、教科書の採択に首長が首を突っ込むことはあり得ないわけです。これからもそんなことをするつもりはありませんし、多分、恐らく全国の市町村長はそんなことは考えてないだろうと思います。
 それから、もう一つは政治的中立性と言いますけれども、確かに首長は選挙で選ばれますから、それで多分、首長にそういう任命権が与えられると、政治的な中立を侵されるんじゃないかと考えがちですけれども、決して私はそうではないと思います。
 逆に、教育の政治的中立性というのは、例えば、先生の教え方であるとか、そういった教育の中身であるのであって、首長が何か首を突っ込むことで教育の中立性が侵されるなんてことは私はないと思います。そんなやわな教育委員は要りません。そういう教育委員を選ばなければいいわけですよ。だからやはりこれはもう、ひとえに教育委員の質の問題であるわけです。
 ただ、町村の立場から言うと、じゃあ、そういう教育委員がいっぱいいるかというと、そうはいるもんじゃないんです。ですから、例えば10ページにこういう文言がありますけれども、上から二つ目の丸で、「教育長を、公立学校の管理等の教育行政の責任者とすることに伴い、今までにもまして、教育長の資質や専門性の担保が重要となることを踏まえ」、ここまではいい。その後、「教育長の資格要件を明確化することが必要である。」とあるが、この教育長の資格要件については、今まで余り議論の中でなかったように思うのですけれども、教育長の資格要件をどう決めるのか。ちょっとこの辺は私も非常に理解をしにくい部分があります。つまり、教育の専門家というのはじゃあ誰を言うのか。教育について研究している人が専門なのか、あるいは学校の先生のOBが専門家なのか。
 逆に、私は教育委員というのは、教育に関係ない、まさに主婦の代表であったり、企業の代表であったり、そういう人も一緒に入って、多面的に教育の在りよう、あるいは子供の育て方、子供の環境、そういったことを議論するのが私は教育委員会だろうと思うんです。全部学校の先生だけが教育委員を構成したらおかしなことになりますよ。ただ、同時に、全くの素人だけでも困ると思うんですね。ですから、この教育長の資格要件とか、あるいは教育委員の資質ということを余り突き詰めていくと、非常に偏った教育委員会になってしまうと思いますので、まさに幅広く、常識を備えた人を選ぶという程度で私はいいんじゃないかと思います。

【小川分科会長】  最後の教育長の資格要件については、この分科会の中でもまだ突っ込んで議論しているわけでもないんですが、基本的にはただ、何らかの資格制度を作るとかそういう意味ではなくて、あくまでも任用資格を少し今まで以上に明確にしましょうという趣旨と私は理解しているんですが、事務局の方、今の段階で御説明できることございますか。

【堀野企画官】  ここに書いたことは、いろいろ誤解を生じて申し訳なかったんですけれども、資格要件は今でも、教育委員の要件は、人格が高潔で教育に識見のある者ということですけれども、教育委員でなくなるとすれば、教育長はどういう方から選ぶかは、何かしら法律に規定をする。その際に、教育委員会とそのまま同じ、今の教育委員と同じなのか、もう少し教育あるいは行政にきちんと識見のある方という、今の委員とはちょっと違う書きぶりも必要になるかなという意味で書いたものでありまして、何か特別な資格を設けるとか、そういう趣旨で書いたものではございません。

【白石委員】  同じように12ページの一番下のぽつに、「教育の政治的中立性の確保、継続性・安定性の確保の観点から、教職員や事務局職員の人事、学習内容・・・」と書いてあります。また、「教育委員会の議に基づいて、教育長が基本方針を策定する」とありますけれども、通常は町村の場合、一般的に、教育委員会の職員人事は町長がやるんです。教育長や教育委員会がやるんではないんです。ですから、県であるとか、大都市の場合は分かりませんけれども、一般的な町村の立場から言うと、人事は全て町村長がやるわけです。教育委員や教育長が教育委員会事務局の人事をやるということは、例外的にやっているところはありますけれども、多分そうはないような感じがします。

【小川分科会長】  事務局の方から何かございますか。

【堀野企画官】  現行制度においては、基本的に教育委員会の職員及び学校の教職員の任命権は教育委員会にあることになっておりまして、辞令も教育委員会名で出ていると思います。そして、ここで書いておりますのは、政治的中立性の確保について最も大切なのは人事と教育内容ということが教育再生実行会議以来、繰り返し言われておりますので、人事については教育委員会の方針の下に教育長が決めるのであろうという前提でこのような記述をしているところでございます。

【小川分科会長】  関連の……。

【白石委員】  教育委員会というのは、県の教育委員会とそれからいわゆる政令指定都市の教育委員会、それからいわゆる一般的な町村、小さい市、そういうのとは人事なんかも違うわけです。それを全部一緒に混ぜてしまうと、こういう問題が出てくるんです。
 町村の場合、教職員の人事権はありません。これは県教委がやるわけですから。事務局職員の異動は、普通町村の場合は、全て町長部局がやっています。議会の人事でもそうなんです。ですから、そういう前提で教育委員会の事務局職員を考えてもらわないと。教育委員会の事務局職員は教育長とか教育委員会が決めるんじゃないんです。そういう前提で議論を進めていただきたいと思います。

【小川分科会長】  ありがとうございました。貝ノ瀨委員でしたね。

【貝ノ瀨委員】  幾つかあるんですけれど、とにかく非常な労作と言いますか、苦労して作られたなと思われますが、本丸については後でまた申し上げますが、まず、今まで議論になっていないところなんですが、ほかのことにもたくさん触れておりますので、その点からまずお話をしたいと思います。
 例えば20ページの人事権の移譲ですけれども、これは全体の書きっぷりとしては、やはり人事権の移譲を進めていくということで、もちろん賛成ではありますが、もっと具体的に踏み込んで、大阪府の豊能地区のような事務処理特例を活用したような、こういう地区を進めていくならば、全国に幾つかもっと複数たくさん作って、検証しながら進めていくとしなければ、絵に描いた餅になると思います。
 人事権移譲に合意が得られる地域においてはなんて言うと、得られない限りは全然やらないということになりますので、積極的に進めていけるような地区を、できれば全国都道府県に1か所ぐらいずつ設けて検証していくことが大事じゃないかと思います。
 それから26ページに学校事務の共同実施ということがありますが、学校事務の専門性をもっと強化することがやはりこれから望まれると思います。これは前の方にも教育委員会事務局の職員の事務能力の強化、専門性を強化するというのがございますけれども、教育委員会の事務職員だけじゃなくて、学校事務のまさに第一線の、学校にいらっしゃる学校事務の方の教育に対する専門性も強化していくことが大事じゃないかと思います。
 そういった動きは今既に、自主的に事務の方々、全国的にそういう方向で動いているとは聞いておりますけれども、更にそういった動きを応援していくことが大事ではないかと思います。
 それから、コミュニティー・スクールとの関連ですけれども、今現在、非常にダブった機能を果たしております。学校運営協議会の機能と学校支援地域本部の機能ですが、これはできるだけ、より一体となって進めた方がいいということですが、それはもちろん賛成ですが、実際に扱っている担当が違うんですね。例えば、国の方でも学校運営協議会は初中局で、学校支援地域本部は生涯局となっておりますので、できれば現場に一本化を求めるんであれば、担当も一本化していく方向でいかないと、現場が難しくなるんではないかと思います。
 それから、学校評議員ですが、新たに学校運営協議会を置く場合には、学校評議員を置かないことができるということも結構でございますけれども、今後ともこの評議員制度の在り方についてを検討すべきだとなっていますが、私は、学校評議員制度の在り方ではなくて、廃止を検討すべきだと思っています。
 それから、本丸の教育委員会制度についてですけれども、先ほど来出ておりますように、教育再生実行会議の方のポイントは、教育行政の事務執行の責任者を教育長にすべきだということが非常に大きなポイントになっていることはもう間違いないことでありますが、そういうことを考えますと、にわかに教育長を独任制の執行機関と連想しやすいですけれども、そこまで踏み込んで話し合っていたわけではないのでありまして、法律的にも今はなかなか難しいことがあろうと思います。
 ただ一方で、教育委員会制度は堅持すると。そして、政治的中立性、継続性・安定性も維持するんだと、教育振興基本計画にも明示されていることでありますけれども、そういうことにはなってはおりますが、この分科会の当初の議論では、教育委員会自体なくてもいいという話もあったり、政治的中立性なんかは何なんだという話もあって、いろいろ錯綜しておりましたけれども、結局ここで落ち着いて、教育長、教育委員会、首長とこういうふうに出てきているわけで。
 ただ、教育再生実行会議の方での中身に余り注目されておりませんけれども、首長の役割もきちんと責任を果たせるようにすべきだという項目もあるんです。ですから、そういうことも勘案して考えたときに、教育長を事務執行の責任者とするときに、教育委員会が果たして今までどおり執行機関として両立し得るかということもやはり考えざるを得ない。こういうふうにまとまってきた段階になりますと、やはりどこが最終的な執行機関として考えるべきかになってくるんだと思います。
 そこで、今こう、最初、A案、B案ということがあったり、今のような案が出てきているわけでありますけれども、そこで、強い御意見として、首長が執行機関となると暴走すると、俗っぽく言えば、そういうお話もございます。
 確かに、そういう例が示されるようなことも実際にはあるわけで、そういう危惧はもちろんあるんですが、ただ一方で、余り議論されませんでしたけれども、例えば教育長や教育委員会が暴走するというよりも、何もしないリスク、ちょっと言いにくいんですけれど、市民のいろいろな強い願いがあったり、首長が公約して当選しても、それが一旦就任しちゃうとそこそこの仕事でというとこで、なかなか進まない。しかし、罷免するには相当な要件が必要だということになって、そう簡単に替えるわけにもいかないという中で、そういうことも考えたときに、バランスを考えることも必要になってくるんではないかと思うんです。
 ですから、そういうことも考えますと、大綱的な方針の策定を首長が執行機関としてという前提になりますと、やはり大綱的な方針の策定は是非、町ぐるみで策定してもらうと。という意味は、やはり教育委員会の議を経てという、そういう「議」なんて曖昧なことを言わないで、承認ですね、そういうことをしっかり明示すると。それから、教育委員会の審議事項も、ただ基準だけじゃなくて、内容的にも事務の承認ということもあってもいいんじゃないかと思います。
 それから、教育長についても、梶田先生が前からおっしゃってますけれども、やはり執行機関の補助機関、補助機関というと何か首長の子分みたいな、丁稚(でっち)みたいな感じですので、これは法律用語にはなくても、特任制の教育長、独任制ではないですよ、特任制の教育長とかって。これは法律用語にはなくても、そう言いならされて、きちんと一定の独立性を持って仕事ができるという位置付けをしてもいいのではないかと思います。
 それから、教育長が執行する基本方針とか人事についても、教育委員会の議を経るとかじゃなくて、これもやはり承認を得るといった形で、きちんと曖昧なところを残さずに、それぞれの役割をきちんと明示するという中で、全体のバランスを取っていくことが必要ではないかと思います。

【小川分科会長】  はい。門川委員ですね。あと、及川委員。ほかにございますか。
 じゃ、どうぞ。

【門川委員】  現職の首長が、首長の権限を執行機関とするA案を支持されるのは当然だと思います。私はあえて、現職の首長が望ましいと考える案ではない方がいいのではないかなと、こう思います。また、森委員から御指摘がありましたが、特定の個人をイメージして議論をしているのではないかとか、何かを守りたいという思いで議論をしているのではということはありません。もしそうしたイメージで見ておられたら、誤解を生んだ私の表現力がまずかったのだと思いますので、言い方を変えたいと思います。
 それから、前段にもう一つですが、国旗、国歌の掲揚・斉唱や、あるいは文部科学省の検定済みの教科書の中からどれにするか採択するという行為が、政治的中立云々(うんぬん)の例として議論されますけれども、これは政治的中立と関係のない問題だと思います。国旗掲揚、国歌斉唱するのは法で定められており当然であります。それを妨害するかしないかということでありまして、政治的中立を確保すべきという議論とは別だと私は思っています。
 さて、一つ目に申し上げたいのは、首長の教育行政への関わりです。首長が生涯学習、社会教育はもとより、学校教育の目標を語る、方針を示す、これは当然であります。「首長は教育に口を出すな」なんてことはもってのほかであります。首長が、教育委員会の議を経て、さらに、できれば議会の議決を経て、教育振興計画をきっちり定め、それに基づく予算を議決し、その自治体の教育を向上させていく。これが一番最初にありまして、その下に、首長が教育委員、教育長を議会の同意の下に任命していく。任命責任を明確にする。
 こうした下で教育長が何もしない、適格でないというのであれば、それは任命責任のある首長の責任です。現行制度の下でも、首長が覚悟を決めれば、大抵のことは実行できると思います。首長と教育委員会の関係で言えば、ヒト、モノ、カネ、実質的に全ての権限は首長にあります。教育委員会事務局の人事までが、白石委員のおっしゃったとおり、事実上首長がやっています。京都市の教育委員会は、首長が自由に教育委員会事務局人事をできないような仕組みを作っておりますので別ですが、実質的には全国、ほとんど首長が人事をやっています。
 二つ目に申し上げたいのは政治的中立性,継続性・安定性についてです。私は、政治的中立という言葉が非常に誤解されていると思いますので、私なりの解釈を申し上げます。政治の世界、特に選挙においては、争点・違いを明確にし、有権者に二者択一を迫ります。そして49対51で決まります。
 しかし、我々が目標としている学校教育、生涯学習には、二者択一はなじまないと思います。本当に望ましいことを皆が考え、一致点を拡大する。
 そして、親・地域・教職員が懸命に行動しようと、情報を共有し、課題意識も共有し、そして、最大限の力を出して教育を変えていこう、次の世代の子供を育んでいこう、生涯学習のまちづくりをしようと行動も共有することが望ましい。そのときに政治的対立は必要ないんです。
 ところが、選挙では政治的対立があり、あの人の言うことには反対、この人を支持する、ということになる。そうした政治的対立、政党間の対立から、教育は少し距離を置きませんか、と。これがレイマンコントロールの趣旨だと思います。
 一方で、レイマンコントロールを発揮するために存在している現在の教育委員会について、非常勤の教育委員に責任が取れるのか。こういう課題意識がありましたこの点については、教育長を事務執行の最高責任者とし、教育委員は大きな方針を定めると役割を明確に決めることで、解決できると思います。教育委員長という呼称が、教育長と紛らわしいなら、代表教育委員と呼べばいい。そもそも、教育委員が一つ一つの事案の責任をとることは制度上想定されていません。賢者が集まり、大綱的な方針を決める。そして事務執行は教育長が行い、この点についての責任は教育長が取る。こういうことであります。
 責任と権限の所在については、村上先生がうまく説明してくださいました。例えば自治体が大学を運営する。大学によるいろいろな決定行為について、市長が訴えられます。しかし、だからと言って大学運営を市長が直接行ったらいいのかというと、そういうことではありません。権限と責任を必ずしも一致させなければならない訳ではない。
 そして具体的な制度設計ですが、私は、案その1、案その2ではなしに、新たな案として、教育委員会を執行機関としながら、首長が教育の大綱的方針を、議会の議決を経て、教育委員会の議も経て、決めるという制度設計を提案いたします。教育委員会を形骸化するような今回の答申案は駄目だと思っています。
 教育委員会を執行機関とする。これは明確にする。附属機関になってはいけない、決定権を持たなければならない。これから先どんな時代が来るか、また、地方でどんな政治的対立があるか、ということを憂慮するのは、特定の首長や特定の地方のことだけで言っているわけではないんです。
 それから、最後になりますけれども、大津市の事案が大きな議論になった点についてです。これは、危機管理体制をしっかりと構築すればいいんです。問題は行政の執行能力にあったと思います。もし首長を執行機関としても、首長部局の教育局で同様の問題が起こったときに同じような結果に決してならないと言えるかどうか、疑問が残ると思います。大切なことは教育行政の専門家をきちんと育てることです。市長や知事の意向で教育委員会事務局の人事まで変わってしまうようでは駄目だと思います。

【小川分科会長】  ありがとうございました。及川委員、どうぞ。

【及川委員】  些末(さまつ)なことで申し訳ありません。イメージ図で教育委員会と教育長との関係で言いますと、教育委員会の「議に基づいて」基本方針を策定とか、「議を経て」基本施策を策定といった朱書きがありますけれども、こういったことからすれば、案その1にはあったんですけれども、教育委員会と教育長のところの矢印が引かれるのかと思ったんですが、それがないのは特に何か意味があるのかをちょっとお伺いしたいと思います。
 それと、これは全く印象なので、具体的な根拠はありません。この案を読ませていただいて、イメージ図を見たときに、やはり教育委員と学校の距離が随分離れるなという感じがしました。特に、都道府県教育委員会よりは、市町村教育委員会の方は、現行では責任と権限があったわけですから、当然、自治体や地域の実情を踏まえて、各学校の状況を把握せざるを得なかった。それはそういう責任があったわけですが、先ほどの矢印の話じゃありませんけれども、こういった形で、距離が離れてしまうということは教育委員会制度の趣旨からするとどうなんだろうと、ちょっと印象として思いました。
 以上です。

【小川分科会長】  事務局にちょっと第1番目の質問が今出てまして、14ページの図のところで、首長、教育長及び教育委員の権限関係、法制度的な権限関係に関わる矢印がないところという趣旨で、それをどう理解したらいいんだろうかということですけれども、今、及川委員が、教育長と教育委員の権限関係の矢印がないという御指摘だったんですけれども、ほかにも例えば、教育委員を選ぶ際には、首長が議会の同意を得て云々(うんぬん)というところ、そういうものも矢印がないですよね。
 ですから、この図の中に全てそういう法制度的な権限関係、全て矢印で記載するという趣旨ではないと思うんですけれども、一応及川委員からそういう疑問が出てますんで、何か事務局から御説明ございますか。

【堀野企画官】  教育委員会から教育長への矢印については、教育長がこの案では補助機関となっておりまして、首長の附属機関である教育委員会から、通常は執行機関である首長に矢印が伸びるのが基本的な考え方ですけれども、首長ではなくて、補助機関である教育長に対して、直接教育委員会が物を言っていいのかいけないのかという議論がありまして、じゃ、諮問だったら首長からなのか教育長からじゃおかしいのかとか、勧告だったら権限がはっきり分かれていれば両方にしてもいいんじゃないかとか、そういったことの法的な整理があって、直接補助機関に矢印が伸びているのはどうなのかという疑問の声が多々各方面からありました。このことを踏まえて、教育長に直接矢印を書くと、首長経由じゃないと形式的にはおかしいんじゃないかという疑問がたくさん出てくるので、一旦外しているということでございます。

【小川分科会長】  今後の、更に詰める作業というか、宿題ということのようですので。
 すみません、先ほど発言の挙手が森委員、辻委員、村上委員とありましたけれども、ほかにいかがでしょうか。では、竹原委員。
 最初は森委員からお願いします。

【森委員】  責任と権限の一致について若干申し上げますと、いみじくも門川委員がおっしゃったように、予算と事実上の人事を持ってますから、首長はやろうと思えば何でもできる。その仕組みがやはり今の制度でいいのかというところにまた行くわけですよ。ですから、私先ほど申し上げましたけれども、予算権を昭和31年の改正で首長が持った瞬間から、教育についてしっかりと首長が責任を持たなきゃならない体制になったんだと思うんですよ。
 それがいかんという議論があるのは承知していますけれども、それはもう、そういう既成事実がございます。予算を持っている限りは、予算を伴うものについては、本当にもう首長が、教育委員会、幾ら決定権があったって妨害しようと思えば幾らでもできますよね。
 私が申し上げたいのは、ある首長が教育長に指示をしたり、教育委員会に事実上指示はないんだけれども、飲ませたりするときに、それが表に出ないのが問題なんだと思うんです。事実上、権限とか権力を持っている人間が、明確に位置付けがなくて、形の上では教育委員会が全部決定権を握っているような形になってることが問題なんじゃないかということを申し上げてるんで、裁判がどうのこうのなんて小さな話をしているわけじゃありません。
 実際に現実に起きていることを見れば、首長が権限を持っているのは確かだ。そうすると、今、この図は、現実の実態を反映している図だと私、思います。ただそのときに何が付け加わっているかというと、思い付きで指示するんではなくて、しっかりと計画の大綱を立てるということ。
 それから、もう一つは、教育委員会がただ諮問に答えるんじゃなくて、勧告とか、承認というのはまた議論がありますけれども、承認したり、あるいは積極的に文書で注意をするみたいな、そういう強い権限を持たせることが今と違っているんだと思います。
 執行機関か補助機関かは、僕は余り意味がないんじゃないかと。執行機関よりも、しっかりと勧告権限とかそういう計画の承認権を持つ方がはるかに高いですよ、地位は。執行機関なんてのは別に、事務をやるだけですから。現実に事務ができないから、うちの教育長はぶつぶつ言ってますけれども、一々予算が決まったら全部、また教育委員を集めて、全部説明して、何の意見も出なくて決まっているという、執行機関だからなんですね。
 そういうところを踏まえてすれば、やはり新たに付け加わった大綱を決めることと、勧告権、これはどこまで拡大するかも含めて、首長の意見の中にはしっかりと監査委員のように強い権限を持たせたらいいんじゃないかという意見もございます。その二つは、非常に、今の制度よりもはるかに教育委員会の地位が高くなって、首長への歯止めにもなると私は思っていることを申し上げたい。
 それから、先ほど貝ノ瀨委員が何もしないと言ったら、私、本当にそう思うんだけど、首長の不作為というのがあるんですよ。議会質問になったときに、俺は関係ないから教育長が答えろと。予算に関わることでもそういうふうに逃げちゃう首長がいるんですよ。
 だから、それを逆の面から、プラスで言いますと、予算権を持っている首長が責任を持つことによって、良くなる点もいっぱいあると思うんです。首長が教育に関心を持って、いろいろな教育環境の整備とか積極的に関わっていくことで、いろいろいい制度が出ているんですよ。長岡市の自慢するわけではありませんけれども。そういう面も見なければいけない。そうすると、99.何%とおっしゃっていてあれだけれど、0.何%のために、そこだけに集中して制度を作りますよと、これは私はっきり言いますけれども、角をためて牛を殺すという例えにぴったりになると思います。
 首長がしっかりと責任を持って、予算もしっかり付けて、教育を振興していって、教育政策を前に進めていくという体制を作るべきで、そういう意味での責任と権限の一致を申し上げているということでございます。
 以上です。

【小川分科会長】  ありがとうございました。辻委員、どうぞ。

【辻委員】  私も先ほどから皆さんの御意見を聞いておりまして、これは前から思っていることでもあるんですが、門川委員の言われていることと、それから森委員の言われていること、私は大部分のところは重なっていると思っています。
 門川委員の発言の中で言うと、最後の教育委員会を執行機関とするというところは、森委員の発言と、やはり明確に違います。しかし、その前の大綱を決めて云々(うんぬん)かんぬんのところは、相当程度、重なっていると私は理解しています。
 それから、今回の14ページの案と、15ページの案を見ても、教育長と首長の実質的な役割関係や、形式的権限をどこに置くかについては法制度上、差がありますが、実質的に教育委員会が行う仕事については、大差がないように、私は思います。それは、前回の会議のときも、岐阜市の教育長の方が指摘されておりました。教育委員会が実際に行うことについては、かなり一致点が見られると思います。
 そうであるとすると、論点は、教育委員会を執行機関として法制的に位置付けるべきかどうかという点に集中していることになります。
 これは、改革の原点として考えてほしいんですが、もともといじめ対応を考えたときに、教育委員会と首長の間でどういう役割関係になっているのか、また、教育委員会の中の委員長と教育長の関係がどうなっているかがいろいろ課題になっていました。しかし、この15ページの案は、現行をほぼそのまま追認する形になっています。しかも、そればかりではなく、今度は法制的に、教育長にも一定の独立した権限が生じ、教育委員会にも一定の権限が残り、それから予算を持つ首長との関係も残るということで、通常、考えると更に複雑で分かりづらい制度となってしまいます。
 これは、今回の改革の原点からすると、大きなマイナスであると思います。なるべく法制度を簡潔に制度設計することを考えると、14ページのものを基準に、その中で教育の継続性・安定性をどれだけ重視した制度設計をするか考えていかざるを得ないと思います。
 それともう一つあります。今回は、教育委員会の役割から教育の政治的中立性、継続性・安定性を重視するところに議論が集中しています。しかし、今回、教育長が首長の補助機関となると、首長の一般的な指揮・監督権限の下で、狭い意味での教育以外の、子育て全般だとか、より大きい分野で活躍してもらうことも、より重要になります。今回の制度設計においては、こうした活動が今よりもやりやすくなります。狭い意味での学校教育ではなく、今、社会教育の話も出ましたが、社会教育の話も含めて、首長の一般的な指揮・監督権限の中で、教育長が市全体の子育て部門を総括する役割を果たすよう留意していくことが重要だと思います。
 以上です。

【小川分科会長】  ありがとうございました。村上委員、お願いします。

【村上委員】  先ほど、何もしないリスクということで、首長にも教育委員にもあるというお話だったんですが、これはもちろんそういうリスクもあるんですが、逆に一人の意向でいろいろかき回されてしまうリスクは、逆の意味では存在するわけです。
 やはりその辺は、どちらのリスクをより避けるべきなのかという議論で、先ほど0.何%の自治体のためにというお話がありましたが、これはいわゆるA案、B案、どちらにも言えることでして、前回、岐阜市の早川教育長がおっしゃっていたように、平時は多くの自治体はどちらでも一緒だろうと。
 非常時、つまり政治的中立性がシビアになってきたとき、あるいは緊急の対応が必要になってきたときにどういうリスクが生じるのかということだったと思うので、リスクという点では、1案であろうと、2案であろうと、別の意味で、別の種類のリスクをそれぞれ少数の自治体は抱えることになるのであると。
 これはどちらを取るかという意味で、私はより安全に、セーフティーネットという機能を重視すべきだと思います。長期的な責任は教育では取りようがないと思いますので、そういうこともあって、やはり教育委員会は執行機関として残すことがセーフティーネットという意味からも重要なのではないかと思います。
 あと、首長から教育長への関与というところなんですが、これはその2の案でも、首長は教育長に対して調査、勧告ができることになっています。これはどちらの案にしても、隠密(おんみつ)裏にやる、そういう指示をする首長はやはりやってしまう、どちらの案にしても隠れてやる人はやってしまうし、公開でやる人はやるということになるわけで、教育長が要は首長と意見が違う、折り合わないときに、これはどちらも特別な場合の指示であっても、いわゆるB案の調査、勧告であっても、そういう手続はきちんと公開の下でなされるので、この辺は、公開の原則という点では、どちらの案でもそんなに差はないのかなと思いました。
 それからあと、ちょっと細かいところになるんですけれども、先ほど帯野委員の事務局に関する指摘は、私も重要なところだと思いまして、この辺はもしかしてオンブズパーソンとかあるいは何らかの第三者機関、例えば首長の附属機関なんだけれども、一定の独立性を持つような第三者機関でどういう事務局形態を取っているのかをちょっと調べてみて、それを参考に制度設計をするという、オンブズパーソンや、あるいは行政の苦情の処理とかは一つの例になるのかなと思いました。
 それから、資格要件についてなんですが、これは免許制が一番厳密なんですけれども、なかなかそういうわけにもいかないと思うので、例えば教育に関する職とか、あるいは教育行政とか、教育じゃなくても行政に関する職の経験であっても私はいいと思うんですが、やはり一定の職務経験を、教育長が完全にポリティカル・アポインティーというよりは、ポリティカル・アポインティーではあるんだけれども、一定の専門性を担保するということで、何らかの職務経験を任用資格にするぐらいであれば、それほど差し支えはないのではないかと思います。
 あと最後に、ちょっと出ていないところで、議論すべきかどうかなんですが、首長と教育長の任期をずらすかずらさないかという点は明記がされてないのですが、ここのところはすり合わせる必要があるのかないのか、意見が分かれそうな気がするのでちょっと難しいとは思うのですが、首長と教育長の任期を一致させるのか不一致にするか、あと任期をどれぐらいの長さにするかに関して、もし詰められるのであれば詰めておいた方がいいかなとも思いました。
 以上です。

【小川分科会長】  ありがとうございました。竹原委員ですね。お願いします。

【竹原委員】  長い間の議論で、本当に難しいと思って聞いておりました。今回の答申案を読んで、首長、教育長、教育委員会の役割が明確になり、今まで曖昧だった教育委員会と教育長の役割が切り離され、日常、どういう関係を持ったらいいか大体合意ができたように思います。教育委員会は、審議や評価をし、大事なサイクルを回す役割になるだろうと思いますし、そのためには情報が教育委員会に常に入ってくる、現場からも、事務局や市長部局からも入ってくる、そういう機関であればと思いました。
 首長に関しては、予算という大きな力を持っていらっしゃると思います。もう一つ、他の部局との連携調整ができるのも、首長ではないでしょうか。教育に対する理解を更に深められて、調整力、推進力を高めていただけるのではないかと期待しています。
 教育長に関しては、責任が明確になりましたが、かなり重い責任を持たれると思いますので、事務局機能の再検討が必要なのではないか、今までの事務局のようにやっていていいのだろうか、もっと強化した事務局機能を持たないと教育長をサポートし、実行できないのではないかと思っております。
 そしてお飾りではない教育委員会を機能させるにはどうしたらいいか、専門家の意見が必要だと思いますが、「特別な補助機関」とか「勧告」を私たちに分かるように示していただければと思っております。
 24ページにありますが、「教育委員会制度の改革を行うとともに、教育に関わる様々な当事者が連携・協働する体制を構築することが重要である。」という一文が私たち地域で活動する者にとって一番大きな意味のある文章であると思っています。
 更に学校の中に連携担当を置く、校務分掌上位置付ける、地域総がかりで子供たちを育むという言葉もあります。これからは、企業の方、行政のほかの部署の方、他のセクターの方など様々な方が関わって、教育を国家の大事な事業として推進するのだと思います。そういう意味で、「地域総がかり」でというところは、「社会総がかり」と変えていただきたいと思います。

【小川分科会長】  ありがとうございました。残り、時間ないんですけれど、発言、更に希望される方、お二人だけでよろしいですか。3人でよろしいですか。
 じゃ、門川委員から始めていただければと思います。

【門川委員】  繰り返すようで申し訳ございません。お二人から御意見があったので、あえて触れておかなければならないと思うんですけれども、現在の教育委員会制度、地方教育行政は、様々な過去の反省の上に成り立っていますので、今回の改革も、これから50年、100年先を見据えて、誤りなき改革にしなければならないと思います。教育委員会には予算権限がなく、首長が持っておられる。その上、今回の改革で附属機関にしてしまう。いろいろな方策を考えていただいておりますけれども、これでは教育委員会の形骸化が進むと思います。
 もう一つ、附属機関たる教育委員会から首長・教育長への勧告権の話が出ました。首長・教育長の部下としての事務局と、それに対する調査・勧告を行う教育委員会の事務局を別に置くのか。この場合、相当の体制を新たに作らなければならない。教育委員会の事務局の方にも事務局長を置かなければならなくなる。ここまでしなければ、今回の答申案のような制度は機能しません。非常に無理のある制度を描かれておられる。
 現行制度をベースにしつつも、危機管理体制をしっかりと整備する。そして首長が大綱的方針を定め予算をつける。また、首長が責任を持って見識ある人物を教育委員として選び、そして事務執行の責任者である教育長を直接、議会の同意を経て選ぶ。こうした改革の方がよほどすっきりしています。今回の答申案は、インパクトがある方がいいとの考えから、変えるために変えている印象を受けます。
 しかし、教育行政まで、インパクト、パフォーマンスで進めては駄目ですよ。首長は、パフォーマンスで、前任より何か変わったと住民に印象を与えるための政策をよく実行する。政治的中立というより、それが一番怖い。教育はそんなものではない。ですから、我々は、教育行政制度を変える議論において、大きく変わったように見せ、実際は複雑であるという制度改革はすべきではないと思います。

【梶田委員】  いろいろと御意見が出たんですけれど、繰り返しますが、よく考えてもらいたいんですよ。根本が極めて危険だという。どういうことかというと、先ほど出てます、99.何%の方がちゃんと立派であっても、首長に権限を集中するのがいいのかどうか。これはある意味では戦後民主主義の非常に大きな曲がり角の象徴なんですよ。
 つまり、上意下達でなくて、例えば警察だとか選挙だとか教育は、別に行政委員会を作って、上意下達から少しはみ出す形でやっていこうというのが戦後の行き方でしょ。それでやっていたら、手間暇かかりますわ。民主主義というのは手間暇かかるんですよ。すっきりやって、例えば選挙で選ばれた人だから、民意を背負っているからというのはいかに危険かを、先ほどから門川市長もおっしゃっているけれども、例えばポピュリズムで、パンとサーカスで行政をやろうという、票を集めようという思いだってあるわけですよ。そういうものの一環に教育が組み込まれていいのかなんですよ。
 私は、ちょっとした教育委員会制度改革じゃないと思っております。基本的な、これまで大事にしてきた、例えば警察、選挙、教育というそのときそのときの色と権限を握っている方から、ちょっと距離を置いて別の形でやっていこうという、そういうものに対する、ノーと言う。これ、はっきりしたノーなんですよ。首長が執行機関になってしまう。これがいかに重大なことか。
 皆さん、思い出してください、選挙で勝てば何でもいいと思ったら大間違いですよ。ヒトラーも選挙で出てきたんですよ。これの怖さを。ワイマール憲法の時代の民主的な制度の中で、選挙で出てきたんです。選挙で出てくれば全て大丈夫だという、そういうわけにはいかないから、万が一のために、セーフティーネットを作っておこうというのが戦後のいろいろな制度の話でしょ。これは具体的な首長さんを信頼しないんじゃないんですよ。万が一のためにどういう歯止めを作るか。
 そして日常的なものをチェック・アンド・バランスでこういうことをやりたい、結構です、それ。でも全く違うところからもう少し検討してみましょうという、これをもう一つ別に作ってきた。教育委員会制度はそういう面もあるわけです。ということで、やはり、合議制執行機関としての教育委員会をやめるということであれば、私はかなり重大な決意を持って考えなきゃいけない、そういう問題だろうと思います。

【小川分科会長】  じゃ、貝ノ瀨さん。

【貝ノ瀨委員】  今、お話のように、そういうリスクと言いますか、危険な要素はいろいろな場面で、どんな制度のときでも想定されることは事実だろうと思いますし、門川委員も森委員もおっしゃってましたけれども、首長さんの立場からすると、実態論としては、首長さんの立場だけじゃなくて、私の経験論から言っても、首長は現実に圧倒的な力を持っています。予算も人事も、何と言っても総合的な行政の、選挙で選ばれた立場で、実態的には大変な力です。
 だからこそ、いろいろな話題になるようなことも既にあるわけですが、逆にこう考えられませんか。ですから、そういう存在であるがために、あるのだから、歯止めをかけることは、そこに執行機関という言葉は何かなじまないかもしれませんが、執行機関として位置付けた中に、しっかりと、今まで無原則に、例えば教育長なり教育委員さんにささやいたり、それから、いろいろ人事を通してとかいろいろな話合いでとか、いろいろな形で伝えられた以心伝心も含めたいろいろな圧力等について、しっかりと法定をして、首長が教育委員会に対して、また教育長に対して、指示なり、命令なりがちゃんと特定されると、そうした方がかえって、逆にリスクが避けられるんではないかという考え方もあるんではないかと思うんです。
 今、現状は、その辺が曖昧になっていますから、うちの例は出しませんけれども、あちらこちらでもって、いろいろな、教科書の採択についてだって何にしたって、いろいろな教育長仲間で話をしたときに、そういう話は現実にあるわけです。圧倒的に、人事権、予算権を持っているんだから。門川さんがおっしゃるように、もうとにかく、圧倒的に、やろうと思えば何でもできるんですよ、はっきり言えば、首長は。それを無原則な形にしない方がいいんじゃないかということも考えられませんかということですね。

【小川分科会長】  ありがとうございました。吉田委員、最後でよろしいですか。

【吉田委員】  すみません、時間のないところ申し訳ございません。実際には先ほど来、意見で出てますように、今でもしっかりと教育行政が行われている自治体は幾らでもあると思うんです。逆にそれが普通だと思うのです。
 ですから、その自治体がより動きやすくするためにどうしたらいいかと言えば、やはりこれは現状でも首長、教育長、教育委員会が常に連携をしっかりと取って、それぞれお互いが責任を持って行うという、規範というか本来の形に返れば、何ら問題ないのではないかと思います。
 そういう中で、やはり教育委員に選ばれた方が、首長の思いだけに、何でも自分は本当は間違っていると思っても言えないような、そういう感覚がおかしいのであって、そういう人が選ばれないようなしっかりとした制度を作ればいいのであって、そういう中で、私は是非、教育再生実行会議の方から出されるのだとすれば、本来であれば日本の教育を立て直すために、各三者、首長、教育長、教育委員会が協力していい教育をやってくださいよ、応援してますよと言われることの方が大事なのではないかなと。
 それをやりやすいように国として教育の基本をしっかりと作って、それに協力してくださいという形がベストじゃないかという気がしておりますので、あえて余りこの制度のA案だ、1案だ、2案だということよりも、現状をしっかりと見直してやっていく、お互いがやればいいんじゃないかという気がいたしております。
 以上です。

【小川分科会長】  ありがとうございました。時間がちょっとオーバーしてしまいましたけれども、まだまだ議論が尽きないと思いますが、今日はこの辺で終わらせていただきたいと思います。
 今日出た答申案と今日の分科会で出た議論については、29日、中教審の総会がございますので、そこで御紹介させていただいて、中教審の総会でも議論を頂く予定でおります。また、中教審で出た議論、そして今日頂いた議論を踏まえて、次回の会議では、今日提案の答申案の内容を、修正するところは修正しながら、分科会としての取りまとめのための、できれば最後の議論にしていきたいと思っておりますので、よろしくお願いいたします。
 次回の会議は、既に事務局から御案内があったかもしれませんが、確認したいと思いますけれども、12月10日火曜日、10時から12時、文部科学省の旧庁舎の6階の第2講堂を予定しております。よろしいでしょうか。詳細については、事務局からまた御案内がいくかと思いますので、よろしくお願いいたします。
 それでは、今日の分科会、これで終わりたいと思います。ありがとうございました。

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