当日配付資料1 土屋委員意見表明説明資料

平成16年12月6日

中央教育審議会教育制度分科会
地方教育行政部会長
鳥居 泰彦様

地方教育行政部会における意見表明

武蔵野市長
土屋 正忠

1 首長と教育委員会の権限分担の弾力化について

 地方自治法第2条4では、市町村がその地域における総合的かつ計画的な行政の運営を図るために基本構想を定めることが規定されている。
 武蔵野市では、昭和46年の「第一期基本構想・長期計画」以来今日まで、市民が参加する策定委員会を中心に、四期にわたり基本構想・長期計画を策定してきた。第四期については、平成15年9月に発足した策定委員会を中心に、平成17年度から26年度までの10年間を計画期間とする策定作業を進めてきた。基本構想については、11月に開催された市議会基本構想審査特別委員会にて審議・議決され、その後の本会議で議決される予定である。また、基本構想を踏まえての長期計画は、最終的には市長が決定する。
 このような基本構想・長期計画の主要な内容には、「学校教育の充実」「青少年施策の充実」「生涯学習施策の拡充」「生涯スポーツの振興」など、学校教育や生涯学習スポーツ、図書館分野の施策や事業が多く盛り込まれている。
 一方、市長の職務権限は、地方教育行政の組織及び運営に関する法律(以下「地教行法」)第24条において、大学の設置・管理、教育財産の取得・処分に関する事務、契約を締結する事務、予算を執行する事務とされているので、長期計画に掲載された教育分野の事項を市長が決定しながらその内容に関与できないことになる。しかし、実際には、長期宿泊自然体験学習(セカンドスクール)の充実を促進したり、教育委員や校長等と意見交換をしたりするなど、教育分野にかかわることが多い。このことから、基本構想・長期計画と地教行法との整合性を図り、首長と教育委員会の職務権限の分担を見直す必要があると考える。
 また、最近のマニフェストのように市長選挙において教育政策を公約する候補者が多く、当選したあかつきには公約を実行することが当然となっている。マニフェストの普及を鑑みると、現行の地教行法第24条に限定して列挙された規定は現実としてなじまないと考える。
 以上のことから、市長と教育委員会の権限分担の実態に即して、現行の地教行法第24条の規定を吟味し、教育の政治的中立の確保と教育委員会制度を尊重しながら、市長の職務権限事項の見直しを検討する必要があると考える。

2 教職員給与費2分の1負担の義務教育費国庫負担制度の堅持について

 国は、義務教育についてナショナルスタンダードを示し、全国の教育水準を確保する必要がある。憲法26条では子どもの教育は国の責務とされているが、この場合の国とは地方自治体を含めた総合的な国を意味すると解される。一方、狭義の国としての中央政府の責務は財政的な措置を行うとともに、全国の教育水準を確保していくことにある。
 現在、国(中央政府)は、基本的な教育制度の枠組みを制定し、教育課程等全国的な基準を設定するとともに、公立小中学校の教職員給与費の2分の1を負担するなどの財政支援を行っている。都道府県は、公立小中学校の教職員の採用、任免、配置にかかわり、2分の1の給与費を負担し、人事面で責任を果たしている。市町村は小中学校の設置者として、校地を取得し、校舎を建設・管理し、教育委員会を通じて日々の教育を執行している。
 このように、国や都道府県、市町村は協力して、良質な義務教育を行うため“融合”的自治を行っているが、大筋においてこの仕組みはきわめて有効に機能していると考える。今日論議されているように国から地方自治体への権限と財源の移譲は一般論としては理解できるが、東京や北海道・九州において義務教育で学ぶ内容が違ってよいかはなはだ疑問である。教育の仕事を地方自治体の自治事務と決めつけ分離的自治へ移行するよりも、日本の義務教育制度にかかわる融合的自治の仕組みを維持したほうがよいと考える。その上で、地方自治体の自由度を拡大するよう改革すべきである。
 以上のことから、国が公立小中学校の教職員給与費の2分の1を負担する義務教育費国庫負担制度を堅持すべきであると考える。

3 貧しさを前提とした教育から豊かさを前提とした教育への理念転換

 国民は、学力低下、子どもの社会性の欠如、意欲・気力・体力の低下、残虐な行為、不登校、小1プロブレム、ニートなど、学習や子どもの現状、健全育成等の面で公教育に不満をもっている。これらの諸問題は、国民の教育にかける期待が大きいだけにマスコミ等でも論議され、国や地方自治体は、これらの課題を真摯に受け止め前向きにこたえる必要がある。問題の解決には、小手先の制度改変ではなく、教育のねらいや本質をとらえ直すことから始めることが肝要である。
 60歳代以上の世代が成長した時代は物質的にきわめて貧しく、その貧しさから脱却するために立身出世し、豊かな生活を手にするといった社会共通の目標があった。ところが今日の子どもたちは生まれながらにして豊かである。エアコンの効いた中でいやになるほど食物を与えられ生命への危機感もなく、なぜ働かなければならないのか、なぜ学ぶ必要があるのかという手応えも見出すことができない。そこで必要とされるのが、教育のねらいを、貧しさからの脱却に求めるのではなく、豊かさを理解しそれを展望することへ転換することである。
 豊かさを前提とした教育は、まず貧しさを体験することから始まる。暑さや寒さ、飢えなどを体験させ、今日の豊かな社会のありがたさを身をもって実感させる。武蔵野市の小中学校で実施されている長期宿泊自然体験学習(セカンドスクール)は、生きるという生物としての原体験を味わい、貧しさを体感しつつ豊かさへの感謝の念を育てている。そして、セカンドスクール等の個人的な体験を基盤として、豊かな我が国の社会の仕組みや国民の果たすべき役割、世界の中での日本の位置付け、発展途上にある国々と豊かさを共有する必要性などを学ばせることが重要となる。そこに始めて今日的な学ぶ目標と意欲、使命感が生まれる。もちろん、セカンドスクールがすべてというのではなく、学校、家庭、地域が連携・協力して豊かさを前提とした教育に取り組む必要がある。
 以上のように、教育委員会の在り方を検討する前提として、子どもの現実と国民の教育への不安を見据えた上で、かつて人類が経験したことのない豊かさを認識するという見地から教育の本質論を展開することが不可欠と考える。

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