10.全日本教職員組合

2004年9月21日

中央教育審議会教育制度分科会地方教育行政部会長
鳥居 泰彦 様

「地方分権時代における教育委員会の在り方について」に対する意見

全日本教職員組合
中央執行委員長 石元 巌

1.教育委員会制度の意義と役割

 教育基本法は、第10条で「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。2.教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない」と述べ、教育と教育行政を区別し、教育条件整備という教育行政の基本的な役割を明確にしています。そして、1947年に文部省(当時)が出した「教育基本法の解説」では、教育委員会制度について、「直接にというのは、国民の意思と教育が直結してということである。国民の意思と教育との間にいかなる意思も介入してはならないのである。この国民の意思が教育と直結するためには、現実的な一般政治上の意思とは別に国民の教育に対する意思が表明され、それが教育の上に反映するような組織が立てられる必要がある」と説明した上で、一般行政から相対的に独立した組織としての教育委員会の設置と、教育委員の公選制を根拠づけています。
 教育委員会制度のあり方について検討する際には、そもそも、なぜ教育委員会制度が設けられたのかという根本に立って検討することが必要であると考えます。この点で、「教育委員会の在り方に関する論点の整理」(以下、「論点整理」)では「総論」として「学校運営や教育行政に保護者、地域住民の参画を得て、その意向をできるだけ反映していくことが必要ではないか」と述べられていますが、そのとおりだと考えます。ただ、ここで「学校運営協議会制度の活用などにより」とされている点については、学校運営協議会で果たしてそれが保障できるのか、という根本的な疑問を抱いていることを申し述べておきます。
 また、「各論」の「教育委員会制度の意義と役割」において(3)の「教育行政の首長からの独立について」では、「首長から独立した執行機関が教育行政を担当すべきではないか」という意見と「首長が教育行政を担当してもよいのではないか」という意見が両論併記されていますが、すでに述べてきた教育委員会制度の根本にたって「首長から独立した執行機関が教育行政を担当すべき」という意見を支持します。
 また、「制度改革」について、教育委員会の設置についても「自治体の判断に委ねること(任意設置)は不適当ではないか」という意見と「任意設置とすべき」という意見の両論併記になっていますが、教育委員会制度は、国の施策として必要と考えており、自治体の判断による任意設置は不適当であるという意見を支持します。さらに「具体的な制度改革」として6つの意見が記載されていますが、「教育委員の選任に地域住民の意向を反映させるため、公募や公選で選任するようにしてはどうか」という意見は重要であると思います。それは、教育委員会制度の出発点は、上述した理由から公選制が採用されていたことに由来します。したがって、この意見を基本的に支持しつつ、公募よりも公選制が望ましいと考えます。

2.首長と教育委員会との関係

 首長と教育委員会との関係についての基本的な考えは、すでに述べたとおりです。そのうえにたって、いくつかの点で意見を申し述べます。
 まず、「論点整理」で述べられている「予算の編成・執行や事務局職員の人事について、教育委員会の自主性が配慮されるべきではないか」という点です。戦後の教育委員会制度の出発点にあたってつくられた「教育委員会法」では「地方公共団体の長は、毎会計年度、歳入歳出予算を作成するに当たって、教育委員会の送付に係る歳出見積もりを減額しようとするときは、あらかじめ教育委員会の意見を求めなければならない」として、実質的に教育委員会が予算権限をもつしくみがつくられていました。いま、地方ではとりわけ大型開発による財政危機のもとで、そのしわよせが教育にもちこまれ、教育予算が削減されるという事態が多く見られます。教育は、経済・財政の論理で律してはならないものであると考えます。したがって、予算編成・執行において教育委員会が実質的に権限をもつことができるよう、改善されることが望ましいと考えます。
 次に、「教育行政への議会の関わりについて」ですが、「論点整理」では、「議会が教育行政について関心を持ち、議論していくようにすべきではないか」と述べられています。議会が教育行政に関心を持つことは当然に重要なことです。しかしその際、議会が、教育と教育行政との関係、議会と教育行政との関係をわきまえて対応しないと、議会が教育に対する「不当な支配」を引き起こす危険性が大いにあると危惧します。たとえば、東京都の養護学校の教育実践や教育活動に対する、議会と教育委員会一体となった介入は、その際たるものであると考えます。教育基本法第10条の立場に立ち、教育行政には、教育の持つ国民に対する直接責任性を自覚した対応がいっそう求められます。同時に、議会には、教育と教育行政のそれぞれの独立性を尊重し、決して「不当な支配」をおこなわない対応をすることが求められると考えます。

3.市町村と都道府県との関係及び市町村教育委員会の在り方について

 「論点整理」では、「国、都道府県、市町村の関係について」、「国の指導が、都道府県、市町村、学校と進むに従って強く受けとめられ、教育が画一的となる傾向があるが、都道府県、市町村、学校それぞれ何ができるかを主体的に考えることにより、そのような状況を改めるべきではないか」と述べられていますが、私たちも同様の認識です。「地方分権」をすすめるのであるのならば、たとえば学習指導要領には法的拘束力があるとして、多様であるべき学校の教育活動にまでおしつけてきた国の画一的指導を抜本的に見直す必要があると考えます。学習指導要領は大綱的基準として、都道府県、市町村、各学校の裁量を大きく拡大することが求められるのではないでしょうか。
 また、「市町村教育委員会の在り方について」では、「子どもや住民にもっとも身近な市町村教育委員会が責任を持って教育行政を担う仕組みが必要ではないか」と述べられていますが、この意見を支持します。なお、「小規模市町村では、共同処理などによって教育行政を広域で行っていくことが必要ではないか」という意見については、基本的には小規模市町村であっても、教育委員会の果たす独自の役割があり、安易に「共同処理」はおこなうべきではない、と考えますが、いずれにせよ、これは各市町村の自主的判断が重要であり、その判断にゆだねるべき問題であると考えます。
 「都道府県教育委員会の在り方について」では、「義務教育の実施における都道府県教育委員会の役割を、評価や条件整備に特化していくべきではないか」と述べられています。「評価」が何をさすのか、これだけでははかりかねますが、それが教育行政のおしつけによる「学校評価」や「教職員評価」を意味するのであれば、それは、おこなってはならないことであり、反対です。一方、条件整備については、そもそも教育基本法第10条は教育行政の条件整備義務を規定したものであり、「特化」というより、教育委員会の本来果たすべき役割であると考えます。
 「教職員人事の市町村への移譲」について、「論点整理」では、「教職員の人事権を市町村に移譲する方向で検討すべきではないか」と述べられています。教職員人事は、現行法でも、地教行法が「都道府県教育委員会は、市町村の内申をまって、県費負担教職員の任免その他の進退を行うものとする」としており、これを尊重し、市町村教育委員会のもつ、それ相当の参与権を尊重する対応を都道府県教育委員会がおこなうことが必要であると考えます。

4.学校と教育委員会との関係及び学校の自主性自律性の確立について

 「学校の裁量拡大について」、「論点整理」では、「学校管理規則を見直し、カリキュラム編成などについて学校の裁量を拡大していくべきではないか」と述べていますが、この意見を支持します。すでに述べたように、学校の教育課程や教育活動は、大綱的基準にもとづきつつも、その地域の実態や子どもの実態に即して創意的につくりあげられるべきものであると考えます。しかしそれが、これまでの国や教育委員会の画一的指導のもとで困難にさせられてきました。とりわけ地方教育行政においては、「学校管理規則」が、学校が創意工夫された教育活動をすすめるうえで、障害となる場合も多く見られます。こうした事実にたって、思い切って学校管理規則を見直し、学校が生き生きと教育活動をすすめることができ条件整備をおこなうことは大変重要な課題であると考えます。
 「学校評価について」では、「学校評価は、保護者・地域・学校の三者が情報を共有し、学校運営に参画することを目的とすべきではないか」と述べられています。ここに述べられている限りにおいて、私たちの考えと近いものがあると考えます。私たちは、教育を前進させるために、子どもの意見をよく聞き、教職員と父母が地域住民もふくめてよく話し合い、合意をつくりながらとりくむことが必要であると考え、それを「子ども参加・父母共同の学校づくり」と名づけています。教育活動の評価は、本来この学校づくりに内包されているものであり、それは、一方が評価者、もう一方が被評価者という固定的関係ではなく、子ども、父母、教職員がお互いに双方向で意見を交わしあいながらすすめることが本来の評価活動であると考えています。実際、子ども、父母、教職員の代表でつくられている「三者協議会」などでは、「授業について」というテーマで協議され、子どもたちがわかる授業をつくるためにどうすればよいか、これまでの学習指導のあり方や授業をお互いにふりかえりながら、真剣な話し合いがすすめられています。これこそが評価活動ではないでしょうか。したがって、いま、各地でおこなわれているような、教育行政が学校に目標をおしつけ、それにもとづいて教育行政が「評価」するなどということは、おこなってはならず、教育基本法第10条に照らして、「不当な支配」にあたると考えます。私たちの考えも考慮に入れていただき、ここに述べられている、三者の情報共有と学校運営への参画に子どもの意見表明を付け加えるなど、議論を発展させられることを望みます。
 「保護者、地域住民の学校運営への参画について」は、上記の問題とかかわる重要課題です。「論点整理」では、「保護者、地域住民の学校運営への参画をすすめるべきではないか」と述べられていますが、私たちも同様の考えです。また「地域が学校を育てると同時に、学校が地域を育てるという双方向の関係が必要ではないか」とも述べられていますが、これも私たちの考えと重なるものであり、事実、先に述べた「三者協議会」の発展として、地域住民をふくんだ「地域フォーラム」がとりくまれている学校も少なくなく存在します。地域が子どもたちを育てるという点からも、また、子どもたちが積極的に地域にかかわり、地域社会の発展に貢献するという点から、引き続く積極的検討を望むものです。
 ただし、「学校評議員や学校運営協議会の制度を活用し」と述べられている点については、先にも述べたように、この制度が、学校の自主性や自律性を助けるのではなく、逆にそれを損なうものであるという基本見解をもっていることを表明しておきます。
 最後に、これまで中教審においても、また、文部科学省の施策においても、「学校の自主性・自律性の確立」という言葉は使われていても、実際は、その言葉とはうらはらに学校の自主性や自律性をそこなうことが次々におこなわれてきていることに強い危惧をもっています。今後の中教審での審議が、言葉の真の意味での学校の自主性、自律性の発揮に役立ち、公教育を充実させていくことができるものとなるよう、心から願って意見表明とするものです。

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