資料7 論点ごとの意見(地方教育行政部会第1回~第7回)

1.教育行政の在り方

(1)中立性の確保について

  • 政治的対立の厳しいところでは、教育委員会制度による政治的中立、レイマンコントロールが必要。戦後の日本の教育で最も不幸だったのは、イデオロギー対立、政治的対立が教室まで持ちこまれたこと。国旗国歌問題がその典型だ。首長が替わることで教育が変わることがないよう、政治的中立性を確保しておく必要がある。
  • 現在、20世紀的イデオロギー対立は終焉したが、政治的対立はなくなっていない。教育行政の安定、学校教育の信頼確保のために教育委員会制度の意義はある。

(2)継続性、安定性の確保について

  • どのような人が市長になるかにかかわらず、教育が適正に行われるよう制度的保障が必要である。
  • 個性的・独創的な首長の場合、その後の継続性・安定性が問題になる。
  • 選挙公約に教育問題が掲げられやすいが、それによって首長交代ごとに教育施策も転々と変化することが危惧される。
  • どんな首長であっても、常に教育がそれなりの水準をもって保たれるということは大変重要。また、教育はそう頻繁に改革されてよいものではない。
  • 首長が替われば自治体の行政全体の方針・総合計画が変わる。教育行政もその一部としてそれに沿ったものでなくてはならない。

(3)保護者、地域住民の教育行政への関わりについて

  • 保護者、地域住民が教育行政に積極的に参加していけるよう、開かれた教育行政を進めるべき。
  • 学校を開かれたものとすることについて、保護者の大半が賛成だが、学校に参加していくことには躊躇する。参加することに消極的なのは国民性の問題かもしれないが、教育委員会問題の難しさもここにあるのではないか。この傾向が教育委員会のシステムの問題として不満になって表出したものならば、非常に危険。
  • 教育行政を首長に「任せる」という国民意識があるならば問題である。国民に参加する、関わるという意識がない限り教育委員会は健全化しない。
  • 一般には、教育委員会が何をしているかわからない。保護者だけでなく教員も同じ。一般市民が教育行政、教育委員会に関心を持つことが課題である。
  • 保護者には、教育委員会や教育長の存在や役割は、正しく理解されていない。
  • 一般市民に教育委員会の情報がほとんど流れてこない。教育委員会会議がいつ開かれているか、どうやったら参加できるかが市民にわからない。
  • 教育委員会で討議され決定した事項を速やかに住民に知らせ、説明していくことで教育への住民参画を図るべき。
  • 教育委員会は常に状況を把握するため現場主義に立ち、保護者や地域住民との連携を密にすべき。
  • 地域が学校の情報を共有することによって、地域の学校に対する認識が変わり、学校の信頼を高めることになる。

(4)全国的な教育水準の確保と地方分権の推進について

  • 教育を受けた地に居続ける人もいれば、広く世界にはばたく人もいる中で、義務教育は、将来どこに行ってもたくましく生き、活躍できるよう、基礎となる人間力を培うものであるべき。義務教育には、決して不平等や格差があってはならず、国の責任で全国共通の水準を確保すべき。
  • 日本全国いつでもどこでも等しく義務教育を受けられる良さを守るべき。
  • 教育においてミニマムスタンダードは重要であるが、地方間格差を作ってはならないわけではない。伸びる部分を抑制する必要はなく、自由競争の下で、よい教育をした地域が刺激を与えて、良い取組が広がってゆく底上げが望ましい。
  • 過疎過密が進み、経済格差も広がっている。教育の機会均等も満たされていない。自由の名の下に規制緩和が進んでいるが、国、県、市町村は、一体となってこうした格差や偏りを調整する役割を果たすべき。
  • 地域間格差、学校間格差、学級間格差が厳然としてある。それを考慮せず画一的な行政を進めると、子どもの状況や保護者のニーズから乖離してしまう。
  • 全国的な義務教育の保障という点を考えれば、義務教育の実施の担保と地方分権はなじまない部分がある。
  • 地方分権の進展により、一般行政における権限委譲は進んだが、教育行政においては、教育に対する国民の関心の高まりを背景として、県から市への指導強化への要請が高まっている。そのほとんどは義務教育に関する教育内容や教員の資質に関するものである。
  • 教育はあくまでサービスであり、利用者個人が選べるような在り方が望ましい。ただし全くの自由選択である財サービスとは異なり、個人がうまく選択できるよう行政の関与が必要。その関与は、人々のニーズを熟知した市町村が行うべき。
  • 現代の行政ニーズの多様化の中では、何が「最適な教育」なのか必ずしも明らかでなく、地方がそれぞれに切磋琢磨して最適な教育の在り方を模索すべき。
  • 地方分権の考え方は大事だが、だからといって国、都道府県、市町村といった縦の流れを否定したり、上意下達といった表現でマイナスイメージとしてのみ捉えるべきではない。規制緩和の名の下に特色や独自性を出すことが、自由に好きなようにやることと考えられ、全国水準の保障が危うくなったり、地域の格差が大きくなったりしてはいけない。
  • 教育行政は、入口管理の仕組みからどうするかをそれぞれの責任と判断に委ね、結果がどうなったかという出口の管理へと、転換すべき。

(5)制度改革と運用改善の関係について

  • 予算や人事に関する権限をより住民や子どもに近い所に与えるべき。首長と教育委員会、都道府県と市町村、教育委員会と学校との関係を、その観点から検討すべき。
  • 選挙は多様な領域の政策を掲げて行われるものであり、教育も含め個々の政策について選択肢があるわけではない。
  • 教育制度は改革に次ぐ改革になっている。既存制度に全力で取組んだ上で次の制度改革に取組むべき。
  • どんな制度でも良い部分と悪い部分はある。良い部分を残し、悪い部分を変えるような制度改革を常に行っていくべき。
  • 教育委員会の問題は制度の問題である。普通の人による運用であってもうまく機能するような効率的な制度とすべき。
  • 戦後形成された制度には、少子高齢化・人口減少・冷戦構造終結などの社会環境の変化によって「制度疲労」が生じている。教育委員会制度もそのひとつにあたり、見直しが求められる。
  • 教育委員会制度について、制度をどう変えていくかではなく、運用でどこまで活性化できるのかをまず考えるべき。
  • 独立行政委員会は、19世紀の終わりにアメリカで生まれ、戦後、日本でも公安委員会や農業委員会としてつくられた。その後、性質が変わってきている。現在、制度の在り方について問題提起されている以上、そこまで立ち返って考える必要がある。
  • 民主的な統制と行政の専門性・中立性・効率性を両立させるものが、行政委員会制度である。行政委員会導入の趣旨として、アメリカは過剰な民主主義に対する行政的専門性の確保に主眼があり、日本では特定の立場に偏らない公正さの確保という点にあった。

2.教育委員会制度の在り方

(1)教育行政の首長からの独立について

  • 教育委員会制度は、首長に教育について考えさせないようにするという欠点がある。問題のある首長は選挙で排除されるし、議会によるチェックもある中で、教育委員会制度に固執する必要はない。
  • 教育は、一自治体の問題としてではなく国家の問題として捉えるべき。この場合、その中立性、安定性、継続性を確保することは大事であり、教育行政の執行体制として、長から独立の機関が担うべき。
  • 首長が替わり、従来と違うことや新たな選択を迫ることになれば、学校現場に混乱が起きる。教育が首長から距離を置いていることは大事。
  • 首長から独立した執行機関の教育委員会が、チェックアンドバランス機能を果たす必要性は理解できるが、新しい教育や変化が求められる時代には、これらは弊害ともなる。
  • 教育委員会がなかったとしてもできないことはない。首長と教育長のコンビで教育が実践されるべきで、首長が教育行政について選挙民から評価されることを信頼すべき。
  • 首長は教育の要素のみで選ばれるわけではないため、教育に関心が無い首長が選ばれた場合、教育が不活性になり教育環境が悪化する恐れがある。また現行の教育委員会制度では、そのような首長であっても誰も責任をとらない、きちっと説明責任が果たされないといった状況になりかねない。

(2)レイマンコントロールについて

  • レイマンコントロールは、専門家だけの判断に偏することなく、住民のニーズを適切に施策に反映させる仕組みである。
  • レイマンコントロールには緊張感を持たせるという役割がある。裁判員制度と同じで、専門家だけだと偏った方向へ行くという考え方が、レイマンコントロールに道を開いている。
  • レイマンは重要なコンセプトである。これまで素人という意味合いが強かったが、むしろ予断や偏見を排して事柄に臨む人たちと考えるべき。
  • レイマンは素人でなく、一般常識人と捉えるべき。一般常識人たる国民の代表が、教育について意見を言う機会を大事にしないと、特定の人間だけで教育が動いてしまうことになる。
  • 教育の問題は、誰もが真剣に考えることができるものであり、教育委員は大局的な判断をなすことができる。議論が伯仲することはあるが、それによって事務が遅滞することはない。
  • レイマンコントロールの本来の趣旨は、選挙によるイデオロギーのブレを防ぐことにある。しかし審議会の設置などでそれは防げる。形式的なレイマンコントロールによって、イデオロギーのブレを防ぐというのは時代錯誤。

(3)合議制について

  • 地域住民から見て、教育委員が地域のあらゆる分野、各界各層からの代表者で構成されているほうが広く支持されやすい。
  • 合議制の組織は、独任制の組織に比べ問題がある。一つには決定の非効率、二つには責任が不明確となることである。

(4)教育委員の人選について

  • 市町村の教育長の大半が校長経験者であったり、委員の大半も名士であったりする。人材の充実・確保を図るべき。
  • 人格識見のすぐれた人材の発掘と登用に最大の努力をすれば、教育委員会の形骸化、委員の名誉職化という問題は解決できる。
  • 教育委員の形骸化といった問題は、委員を選任した長や、同意した議会にも責任がある。
  • 小さな町村では教育委員に人材を確保することが困難。
  • 教育委員が名誉職にならないよう、現場主義を徹底し、できるだけ学校現場や教職員、社会教育委員の会合に出席すべき。

(5)教育長・教育委員会事務局の在り方について

  • 教育委員会は一般人の意見を反映する点で民主的な制度とされているが、行政は複雑で高度になってきている。このため事務局が多くの事務を処理し、それを承認するという仕組みになってきており、事務局の複雑さや不透明さに対して、国民の不信の念が生まれている。
  • 教育委員会と事務局の関係だが、現実は、膨大な事務量を抱える事務局が、教育委員会を審議会的に扱っている。
  • 教育委員の多くは、教育政策に自分たちの決定事項が反映されず、無力感を感じている。委員と教育委員会事務局とのつながりがうまくいっていない。
  • 教育委員も教育委員会運営の責任を持ち、教育長が不適格と判断した場合は交代できるような制度にすべき。
  • 教育長は自ら議案を提出し、自ら審議に加わる中で、非常勤の委員がそれを否定するのは難しい。
  • 議会での発言はほぼ教育長が行うが、教育委員長の教育委員会における発言と対社会への発言・責任が不明確。教育委員長と教育長の責任分担を明確にすべき。
  • 事務局が用意する説明資料は、簡潔かつ適切でわかりやすいものにすべき。
  • 首長部局から独立した教育委員会事務局職員の人事、すなわち教育委員会による事務局職員の人事権の把握(せめて室長、課長クラスの人事考課)や教育委員会自体の政策評価が必要。
  • 一般的に、町・村の職員の、教育委員会事務局と首長部局との人事交流が普通に、頻繁に行われるためか、教育行政に秀でた職員がなかなか育たない。指導主事の配置も含め、専門職員の育成をどうするかが教育委員会の活性化に向けて重要。

(6)制度改革の選択肢

1.自治体の状況に応じた多様な制度とすることについて

  • 規制緩和、制度選択の自由の余地を広げ、どのような制度をとるか選択の余地を残すべき。
  • 「画一」から「多様性」へ、「一律」から「選択」へと制度運用を試みるべき。
  • 現行の教育委員会制度がよいとする自治体もあれば、首長へ一元化、あるいは首長から独立した独任制の教育担当者を設けるといった仕組みも考えられる。これらを制度設計して実験すればよい。
  • 政令市、中核市、特例市、その他の市町村は、抱えている問題や行政資源もそれぞれ違い、これを一律に議論することは無理。現行の地教行法について、可能な部分を標準法化することや、規模の違いによって教育委員会の運営や構成に選択肢を与えるようにしても良いのではないか。
  • 地域が柔軟に教育施策に取り組めるよう、都市の規模、能力、意欲に応じて権限を移譲し、教育委員会の活性化を図ることが重要。
  • 一定のミニマムの基準は満たさなければならないが、現行の教育委員会制度以外の形態で合理的なものがあれば、それを選択する余地があっても良い。
  • 国や都道府県からの各種権限移譲を強く求める大都市から、教育事務所を含め県教育委員会の指導・助言がなければ対応できない町村まで千差万別あるのが実態。大都市の教育と小規模の教育を同レベルで考えるのは妥当でなく、幾つかのモデルなり制度の多様化を検討し、それぞれの実態にあった対応ができるようにすべき。

2.教育委員会の設置を地方公共団体の判断に委ねることについて(任意設置)

  • 教育委員会の必置規制を廃止すべき。ただし教育委員会制度そのものを廃止するのではなく、設置しなくともよいとすべき。
  • 地方分権では、それぞれの地方が自ら望ましい組織を考えていくことが、自己決定、自己組織権として重要。地域が責任を負うのが地方分権の理念だとすると、現在の教育委員会制度は地方の裁量を縛っているのではないか。
  • いくつかの選択肢から選択するという考え方は、分野や規模に応じたものでは有り得るが、教育委員会制度そのものの設置の是非といった根幹に関わる問題では導入すべきでない。
  • 教育委員会制度の在り方を住民の選択に委ねた場合、住民の意向をどのように把握するのか。また、この場合は首長が変わる度に制度が変わってしまい、教育の安定性を図ることができない。
  • 教育委員会を廃止した場合、首長による教育の直轄・議会の過度の介入や、権限を有する教育長や部長など少数の官僚による教育施策の決定と学校への権限移譲・事務一任といった事態になる恐れがある。
  • 現在の教育委員会制度は基本的に堅持すべき。教育委員会制度の廃止や首長部局への移管については、教育行政が活性化される保証はなく、むしろ継続性・安定性の面での危険性がある。

3.その他の制度改革

教育審議会の設置
  • 教育委員会と教育審議会の機能は全く別。教育委員会は政策決定をする執行機関であり、教育審議会はあくまで諮問機関である。教育委員会を廃止し、教育審議会を導入した場合、政策決定を独任制の教育長だけが担うことになり、首長・教育長の権限が強化され、大変危惧される。
教育委員の常勤職化
  • 教育委員は選挙で選ばれるわけではなく、また非常勤であることから非力である。
  • 教育委員の常勤化を含め、委員の待遇を見直すべき。
  • 教育委員が非常勤、合議制というところに限界がある。委員は月一回の定例会しか集まらず、また自分の本当の職業を持っているため、結局事務局主導型になる。教育委員は、市民の良識、市民の見識を十分に発揮できるようにすれば十分だ。
  • 教育委員長の常勤化など教育委員の一部の常勤化など、自治体の首長や議会の選択に任せてもよいのではないか。
教育委員の公募・公選による選任
  • 教育委員の準公選制など、自治体の首長や議会の選択に任せてもよいのではないか。
  • 本当に民意の反映というのであれば、公選制の仕組みが考えられてもよい。
  • 改革派の町長のもと、教育長の公募制を採用した町では、当該町長の辞任と共に公募教育長の進退について裁判で争われ、教育行政上の混乱、空白が生じている。
教育委員の人数の弾力化
  • 教育委員の数を条例で定めるなど、自治体の規模に対応できるよう委員数を柔軟化させるべき。
  • 委員の人数を増やした場合、選任が大変な上、それぞれの責任の所在が不明確になる。
教育長と教育委員長の兼任
  • 教育長と教育委員長の2本立ての制度が小規模の市町村にとって必要なのか。教育長が教育委員会を代表するという選択肢があってもよい。
教育長の資格職化
  • 教育長のリーダーシップと専門性を高めることが必要。例えば、教育長の「資格制」を再検討する余地がある。

3.首長と教育委員会との関係

(1)首長と教育委員会との連携方法について

  • 予算の編成・執行、事務局人事について、教育委員会の自主性に配慮すべき。
  • 予算は歳入・歳出がセットであり、教育委員会に予算権限を与えることは現実には難しい。人事についても自治体として一体的に行う側面がある。
  • 首長が学校を訪問したり、教育委員と定期的に協議したり、小中学校の校長の研修会に参加して直接議論したりすることで、学校教育に首長の意見を反映できる。
  • 教育委員会と首長の連携が良いところほど、教育行政がうまくいっている。
  • 教育委員会は、地域の慣行や制度の枠内で政策を執行しようとする傾向があるが、首長は、教育委員会よりも住民の要求をストレートに受けるので、制度の枠や慣行を度外視した発想で地域の教育問題を考え、教育委員会に問題提起する。そういう緊張関係が良い結果につながっている。
  • 首長と教育委員会の相互理解の上に教育が成り立つのであり、年に数回、首長と教育委員会の話し合いの場を設け、そこで首長の考えを教育委員会に理解してもらうことが重要。しかし実際には、首長の教育に対する理解に各自治体での温度差は大きい。
  • 学校教育(公教育)の振興については、中立性、安定性、継続性が大事であり、教育委員会が担うべきだが、より根本的な検討が必要な場合は、首長と懇談会、臨時審議会などを通して連携して検討すべき。
  • 首長にとってもその地域の特性を示す上で教育問題は大事であり、首長が責任を持って信頼できる人を教育長に任命し、教育にコミットすればよい。
  • 議会で議決する自治体全体の基本構想・長期計画と、地教行法上の教育委員会の権限をうまく調和させるべき。
  • 首長のリーダーシップを法律上明記すべき。
  • 教育委員会は財政自主権がないため、首長に見識がない場合、教育に関心も予算も振り向けられない。
  • 教育委員会に自主課税権・予算編成権・予算提案権を与えて、説明責任を全うさせる制度設計も考えられる。

(2)生涯学習、文化、スポーツ等における首長と教育委員会の役割分担について

  • 教育委員会が担うべき行政の核心は何か、焦点をあてて議論すべき。
  • 教育委員会の最も重要な役割は義務教育の徹底である。
  • 生涯学習、文化、スポーツについては、首長か教育委員会かという縦割りの議論ではなく、自治体全体としてどう取り組むのかを考え、首長のリーダーシップの下で両者が連携していくべき。
  • 私立の学校も知事部局から教育委員会の所管とすべき、又はより教育委員会との関係を密接にすることを検討すべき。公立と私立とが各々特色を出して切磋琢磨すべき。
  • 社会教育などについて、首長の意見が通らないから首長に事務委任するというのではなく、図書館や文化施設の管理運営を財団に委託するなど工夫すべき。
  • 生涯学習や青少年教育についての首長の意欲と認識に濃淡がある。生涯学習にしても、あれは教育委員会の仕事だということで済ませてしまう。急速な高齢化の中で、生涯学習、生涯スポーツの振興は公共事業よりも大事な問題であり、首長は真剣に取り組むべき。
  • 青少年の問題行動への対策には乳幼児期の対策が必要となる。青少年教育と家庭教育についても認識を持ち、首長と教育委員会が密接に連携していくことが必要。
  • 生涯学習振興行政、文化行政、スポーツ行政は、学校教育行政とあわせ教育委員会が所管すべき。
  • 社会教育・生涯教育、文化・スポーツ等の振興について、教育委員会が担う場合には学校教育との連携、事業の安定・継続という点でメリットがあり、他方、首長部局が担う場合は、新規事業の企画・実現、予算確保といった点でメリットがある。
  • 新規事業の企画や実現は、首長部局と教育委員会の双方でやるべきだが、制度的な普及・拡大が進む場合は、運営・監督・支援は、専門性と継続性を確保しうる教育委員会が担当すべき。
  • 学校教育・社会教育の共通点は、公平性、公共性、中立性にある。相違点は、学校教育が継続性、安定性が求められるのに対し、社会教育は変動する社会の課題、個人の問題の解決を目指す学習を支援するため、柔軟性・迅速性が必要という点にある。
  • 生涯学習支援システムの整備・充実など生涯学習振興行政固有の領域は、教育委員会が所掌すべき。
  • スポーツ、文化・生涯学習は、コミュニティーの力を全面的に活用して規制緩和し、首長のリーダーシップのもとで財団法人やNPO等が担うよう改革すべきで、この場合、教育委員会は企画管理、監督等を行うべき。
  • 生涯学習に係る分野には専門性が必要なものが多く、また、教育委員会に専門スタッフが揃っている点からも、生涯学習の教育にわたる分野は包括的・システム的に一貫性をもって教育委員会が担うべき。
  • 0~5歳まで、公が教育面で関わることがほとんどない現状。幼児教育は教育委員会が関与すべき。

(3)教育行政への議会の関わりについて

  • 首長や議会が、見識を持って教育について真剣に考え、人的にも財政的にも投資をするようにすべき。
  • 教育委員会のみを取り上げるのではなく、首長や議会が教育行政にどう関わっていくか教育委員会、首長、議会それぞれの役割分担や連携の在り方について議論が必要。
  • 教育を論ずる際には、それを取り巻く自治制度についても検討すべき。

4.都道府県と市町村との関係

(1)国、都道府県、市町村の関係について

  • 小中学校の現場が教育委員会を向いている。教育委員会は首長を見ないで都道府県に直結している。都道府県は文部科学省の方を見ている。このような点が批判や物足りなさを生んでいるのではないか。
  • 国、都道府県教育委員会、教育事務所、市町村教育委員会、学校という縦系列の長さの中で、実際に権限がないにもかかわらず国の意向が強く受け止められ、硬直化する仕組みとなっている。国の通知を都道府県や市町村が単に学校現場に流すだけではなく、都道府県や市町村それぞれが何をできるのかを考えるべき。
  • 教育について上意下達との批判があるが、国は各界の意見を反映し政策の内容を吟味できる一方、町村レベルではそれができないことが多い。また、権限と共に財源も一緒におろされるのであれば、逆に格差が広がる。地方の自由にすれば良い教育が実現できるのかどうか、よく検討すべき。
  • 国、都道府県、市町村の融合的自治を通してナショナルスタンダードを堅持すること、同時に地域の特性を活かすことが大事。現状では、ナショナルスタンダードを教育業界が決め、それに対し国民が不満を持っている。
  • 地教行法等の見直しにより、都道府県と市町村の関係がイコールパートナーの関係へと移行しているが、依然、分権が不十分と考える市町村と、逆に不安を抱く市町村がある。都道府県の指導性と市町村の自主性のバランスをどう図るかが重要。

(2)市町村教育委員会の在り方について

  • 政令指定都市については、原則、都道府県と同等の権限を与えるべき。
  • 子どもや住民に最も身近な市町村教育委員会や学校が、地域のニーズや学校の実情をきちんと把握し、責任ある教育行政を担う仕組みが大事。
  • 小規模市町村の広域化方策について、その困難さも含めさらに検討すべき。
  • 小規模の町村では、教育委員会を設けないという選択肢があってもよい。
  • 市町村レベルでは対応しきれない複雑な行政事務、人材確保という観点から、教育行政の単位は、政令市、中核市、特例市くらいまでとするのがよい。小規模市町村など特例市よりも小さな自治体では、共同処理方式の可能性を検討すべき。
  • 市町村は、地域の問題に自分たちで責任を持って対応するといった力量をつけるべき。そのために、制度の選択制・多様性の枠組を用意し、どれがふさわしいかを考える機会を与えるべき。
  • 政令市は、都道府県から独立して教育行政を進めることが可能。中核市は、人事権なども含めて都道府県教育委員会と共同で、その他の市町村は都道府県教育委員会との役割分担を明確にして、教育行政を推進すべき。

(3)都道府県教育委員会の在り方について

  • 県の教育委員会は、市町村や学校における情報開示を積極的に促して、評価機関としての役割に特化し、指導力不足教員の認定や分限免職の指針等、教育のインフラづくりをすべき。
  • 国や都道府県は、市町村の求めに応じ、専門家を教育委員や企画担当職員として派遣すべき。
  • 政令市を抱えている県では、政令市と県との関係が大きな課題である。

(4)教職員人事権の市町村への移譲について

  • 市町村教育委員会が主体的に校長の人事、教員の任免を行い、都道府県教育委員会が市町村教育委員会をチェックする仕組みをとるべき。
  • 人事権の市町村への移譲は、懲戒処分や採用も含めて考えると無理がある。ある程度広域で人事を行う方が良い。
  • 人事権を設置者に移した方が、組織に対するロイヤリティーも生まれ、地域に根付く。離島なども行政職員は独自に採用しているし、教員もその方が資質向上する。
  • 地方で採用すると地域に愛着をもったそれなりの教員を採用することも可能ではないか。
  • 都道府県の人事権を市町村に移譲したとしても、市町村には人事事務を行うスタッフとノウハウがない。それらを備えた大きな市があったとしても、優秀な教員が都市部に集中し、都市部と周辺部の格差が広がり、県全体の教育力が下がる恐れがある。
  • 離島・へき地を抱えている都道府県では広域人事が必要であり、制度は廃止すべきではないが、広域人事を基本としつつ市町村のイニシアチブが働くように工夫すべき。
  • 人事異動は教員の希望が前提となっている。これを自由にさせると、へき地や出身者が少ないところには教員が行かなくなってしまう。県全体の教育力アップという観点から、バランスよく広域人事することは県教育委員会しかできないのが実態。
  • へき地の教員確保の問題については、画一的な教員給与体系を改め、へき地では手厚く給与を支払うなど、弾力的な給与体系を市町村レベルで選択できるようにすれば、解決できる。
  • 辺地においては、給与を手厚くといっても財源が無く、実際に人材確保は難しい。
  • 中核市は研修の権限は移譲されているが、人事権は移譲されていない。異動の見通しが立たないため、市に研修権限を与えられても、実際の研修効果を得られるか課題である。
  • 教員の不祥事の説明責任は、任命権者である県が負うのか、市町村が負うのか曖昧であり問題。どちらが権限をもつのかという点ではなく、どちらが説明責任を果たすのかという点から検討すべき。
  • 市町村の歴史や風土、慣習といったものを研修に盛り込むなど、教員研修は市町村の教育委員会がしっかりと行うべき。
  • 義務教育費国庫負担制度、県費負担教職員制度、人確法のメリットは極めて大きい。これらを前提に、市町村や学校の裁量を拡大する方途を模索すべきである。
  • 市長たちは、指導力不足教員に対して教育委員会がほとんど対応していない状況や、民間経験者など有能な人材を採用できない状況などを問題視し、人事権を市におろすべきと主張している。
  • 教職員研修の内容と方法に加えて、都道府県で行う研修と市町村で行う研修との役割分担が不明確。
  • 教員の人事について、県は市町村の納得が得られるよう改善が必要。小規模な市町村で研修をするのは困難であり、県が事前に資質を担保してから送りこむべき。

5.学校と教育委員会との関係

(1)学校の裁量拡大について(学校への権限移譲)

  • 授業以外のことを行うスタッフが必要。公務に関し広範にこなす教頭に相当するような人材の配置が必要。
  • 教師が授業、教材研究などに専念できるためには授業以外の校務を受け持つ人材として、管理職や事務職員では不十分。教職員の配置の見直しや学校組織の強化など条件整備が必要。
  • ガバナビリティの欠如を解決するには、学校長に予算などの権限を与え、また責任を負わせるべき。コーポレートガバナンスに近いものを学校に求め、その学校を支援する市町村(すくなくとも中核市以上)の教育委員会に、教員の任命、免許状等の基本的な教育行政の権限を与えるべき。
  • 民間でも本社が支社にあまり関わらないことで経営が改善されたように、教育委員会も学校への関与を減らし、現場の裁量を拡大するほうがよい。
  • リーダーシップをとれる人は多くないということを踏まえるべき。権限を下におろすほど、関わる者の人数が増え、人材を見つけることが難しくなる。
  • 自主性・自律性の向上は必要だが、ナショナルミニマムを保障するような仕組みが埋め込まれることが必要。
  • 何が最適かを個人の選択に委ねた場合、地域差や学校差が生まれ、学校の廃校にさえ至りうる。国として教育のスタンダードを全て取り払うことがよいのかどうかの検討が必要。

人事権

  • 基本的には校長に権限を委譲し、学校運営協議会が評価し、その評価に従って教育委員会が校長の人事を行うべき。
  • 教員の任免、勤務評価、給与などの人事権は校長が持つべき。ただし教員配置が固定化しかねないので、一定期間勤務したら異動を申請できるといった措置が必要。基本的に校長が人事権を持ち、教育委員会はそれを尊重し、問題になった場合に調整するという役目を負うべき。
  • 私立学校同様に、教職員の任免権を学校におろし、教員にも学校を選べる選択肢を与えることが望ましい。
  • 校長が一番求めているのは、校長裁量で活用できる人事枠の創設である。
  • 学校で教員採用を行うことについては、現在、アメリカにおいて、先生が年度途中により優れた学校へと移動してしまうスクール・ホッピングという大きな問題が起きている。学校単位で教員を採用することは、このような問題を起こし、課題を抱えた学校ほど困難な状況に追い込まれる恐れがある。
  • 県費負担教職員は県が配置しているが、講師や臨時の補助員、介助員の人選は学校で行っており、その事務が大変な負担となっている。
  • 人事権の委譲を考える際、市町村で配置している用務員や事務室の職員なども含めて考えるべき。
  • 良い校長は、どんな教員が来てもそれを改める力量がある。学校が良い、悪いではなく、管理責任ある校長がどう教員を指導し援助するかの問題であり、採用・任命よりも校長自ら教員の資質向上に励むべき。
  • 企業では、人事部が職員を採用し、職員の配置等は各部の部長が行う。この場合、部長が有能者を抱え込む事態にもなるが、その場合は人事部が調整することになる。

予算

  • 教育委員会が学校予算の総額を決め、その予算をどのように使うかは校長が決めるべき。
  • 学校運営上、100万円もあれば機動的な対応ができるのではないか。

組織体制

  • 校長の能力が不足しているという意見があるが、校長の責任を強くすれば、それに見合った人が選ばれる仕組みができてくる。
  • 校長に裁量を委ね学校に任せようとしても、学校だけには任せられない場合がある。公の教育として全体を統括する教育委員会と学校の相互の緊張関係が必要。
  • 権限の増加に伴い、教頭の複数配置や主幹制度、主任の活用など学校組織の強化が必要。
  • 教員が児童生徒の指導と授業改善に専念できる環境作りをすべき。例えば、スクールカウンセラーなど教育相談機能を充実させ、教員が授業に専念できる体制作りをすべき。
  • 校長の権限を拡大するには、そのための管理能力が必要であり、管理能力向上のための研修、外部からの校長登用などの対応が求められる。制度改革にあわせ、校長の意識改革も必要。

(2)学校評価について

  • 地域の教育を考える上で、学校の自己評価に加え、地域のことがわかる第三者による評価とその公表が必要。
  • 評価から説明責任、さらにその先の具体的な取組みへと好影響が循環するよう、評価システムの確立が重要。その際、画一的な評価システムを打ち出すのではなく評価基準はそれぞれの学校ごとにPTAなどと一緒に考えるべき。
  • 教育で一番大事なのは保護者・地域・学校の三者関係。学校評価は、三者が情報を共有し、学校運営に共同参画していくためのものであるべき。評価が学校の序列化につながってはいけない。
  • 学校評価と学校選択制が結びついた場合、学校の序列化につながる危険がある。
  • 評価によって改善を目指すものは何か(1.個々の学校の改善か、2.学校システム全体か等)、改善を生み出すインセンティブメカニズムと評価をどう結びつけるか(自己改善努力に対する資源配分など)、共通の尺度で評価するのか、などについて明確にすべき。
  • 評価自体は大変コストがかかるが、それを上回る改善をどのような形で生み出すかが重要である。
  • 学校評価には、学内の意識変革、議論の整理、教員の教育手法改善という効果がある。また評価結果を第三者に見てもらうとことで学校のPRになるという副次効果もある。
  • 行政評価における目的は、1.内部の自己啓発、2.内部のパフォーマンスの改善、3.外部から見た格付け、である。
  • 学校評価は学校のランク付けになるとの意見があるが、ランク付けが必ずしも悪いというわけではない。
  • 評価には、学校の教育内容そのものの評価と同時に、校長の学校運営改善取組みへの評価、すなわち校長の評価も必要。
  • 教育には、数値で表せるものと表せないものがあり、結果についてもその時点で求められるものと求められないもの、求めてはいけないものがある。教育改革の流れの中、目先の成果を性急に求めることがないよう、教育的な視点で方向性を考えるべき。
  • 利用者が学校を選択する仕組みをつくることにより、消費者主体のサービスが実現できる。
  • 学区制の撤廃を実際に行ったところ、1.学校の格差の拡大、2.過密化する学校と過疎化する学校の出現、3.問題のある生徒が特定の学校を選択し、誰も手の付けられない学校になるなどの問題が起こった。
  • 学校の良し悪しの半分は、そこに集まる子どもたち、保護者、地域の人々で決まるため、学校選択制の採用は学校を序列化してしまう。義務教育段階で進めることは適切でない。

(3)学校に対する教育委員会の支援について

  • 学校から教育委員会に求めるのは、1.指導主事の配置の拡大、学校訪問機会の増加、2.指導主事以外の学校をサポートするメンバーの配置、3.校長裁量予算枠の創設である。
  • 校長会、教頭会等との意見交換を行う教育委員会は、県レベルになると少ないが、もっと意見交換を行うなど、現場の状況や声をしっかりと把握すべき。
  • 学校の調査や報告業務が増加傾向にあるが、学校が授業に専念できるよう、調査等は精選すべき。

(4)地域住民の学校運営への参画について

  • 保護者は学校に不平を言うだけではなく、学校とよく話し合って同じ方向を向いて連携・協調すべき。
  • 地域ぐるみで学校を育て、同時に学校は子どもを育むような地域を育てるというような双方向の関係が必要。

※ その他

  • 教育委員会の機能強化の方策として、1.審議会・協議会を設置するなどによる企画・立案能力の向上、2.適切な学校視察や研修による監督・指導力の向上、3.調査委員会や公聴会の設置などによるオンブズマン的機能の向上、などが考えられる。
  • 教育行政において説明責任を果たすのが誰なのか不明確なことが、今の教育委員会制度の課題である。
  • 教育委員と社会教育委員の関係、教育委員会、生涯学習審議会・生涯学習推進会議、社会教育委員の会議の三者の関係の改善が必要。
  • 保護者にとっての最大の関心事は、教員の資質向上である。
  • 開かれた学校づくり、説明責任、参画によって地域から常に見られるという状況の中で教師が説明責任を果たし、その資質確保を図るべき。
  • 研修強化ではなく、授業改善に専念できる体制作りに取り組まなければ、教員の資質改善に寄与しない。
  • 校長や教頭、教員の資質向上のため、社会経験、教育以外の現場の経験を積むようにすべき。
  • かつて244日ほどあった年間授業時数が200日を切るような現状で、学校は、本来の教科への取組みはもちろん、O‐157や鳥インフルエンザ、不審者の侵入、校外学習への対応など、次々と出てくる新しい課題にも取組まなければならなくなっている。子どもを育てるのは学校であるという発想が強いが、学校だけでなく、家庭や地域の役割も明確化すべき。

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