資料3 第11回地方教育行政部会 小川委員説明資料(教育行政制度に関する米国調査関係)

平成16年9月13日

2004年9月13日

中教審地方教育行政部会における米国教委制度調査報告への補足説明

小川 正人(東京大学)

 日本の教育委員会制度は、戦後改革期に米国の教育委員会制度をモデルに創設されたものである。ただ、改革期においても日本の状況に則して創設され、その後も公選制から任命制への改編もあって同じ教育委員会制度といっても日米のそれは多くの点で異なる内容を有している。そうはいっても、独任制である自治体首長への権限集中を抑制して教育の政治的中立性と安定的な教育行政運営、多元的な政策決定や行政運営を図ること、教育行政への住民参加・統制、教育の素人統制と専門家のリーダーシップによる教育行政運営等といった教育委員会制度に期待される役割は日米に共通していると考えられる。
 そこで、日本の改革論議を相対化してみるという点でも、近年の米国における教育委員会制度の実情と改革動向を概観しておくことは意味のあることと思う。ここでは、「米国における教育委員会制度の実情調査報告」を補足説明するという立場から、米国教育委員会の実際、活動の状況、市長の指導・関与の動き(mayoraltake-over)に関して、特に印象深かった諸点をお話しして日本の改革論議に何らかの参考にしていただければと考える。

1.教育委員の選出方法と教育委員会の活動

1.教育委員の選挙、地位・身分

 教育委員選出の場合、州、学区ともに、公選・任命にかかわらず地域別の選出(全学区選出の教育委員の外に、地域別選出の教育委員というように)、同一政党に偏しない、女性・マイノリテイ代表を含むなどの配慮が見られるし、生徒(高校生)代表を教育委員に含めることも珍しいことではない(州段階では10数州)。

(1)公選の投票率の評価をめぐって

 教育委員選挙の投票率は、州、学区ともに5%~25%程度である。大統領選挙の投票率が55%程度であることから見ても低いと評価されているが、こうした投票率の低さを大きな問題だと捉え公選制を廃止すべき理由として正面から取り上げられることはないようだ。それには、公立学校に子どもを通学させている保護者が投票すれば十分であるとか、教育委員会に対する消極的評価の証だとか、また、何か問題が生じた場合には投票行動に変化(投票率の上昇等)が生じるということから、一般的に住民に広く開かれていることが民主主義の要であるという考え方があるためのようだ。
 ただ、投票率が低いため、一部の組織化された団体や階層に選挙が有利に作用しており当選する教育委員に偏りがあるという批判は強い。そのため、投票率を高める方策として、政治選挙と一緒に教育委員選挙をおこなうべきという意見もあるが一長一短があると指摘されているし(政治選挙に一緒にされることで逆に教育選挙の関心が低下する、或いは、政治選挙とは別に教育委員選挙が行われるのは党派的に政治的中立な状態で教育委員選挙を行う目的があるという意見、等)、また、政治選挙と同様に、教育委員選挙も選挙人登録をしなくてはならないが、教育委員選挙の場合には登録していなくてもより簡便に投票できるように手続きを変更すべき、等の意見もある。

(2)教育委員の身分・給与、属性

 公選制であるからといって誰でも教育委員になれる訳ではなく、一般的には地域でPTA活動や地域の諸活動で要職を務め地域の教育行政に長年の経験、功績を積んだ人物が教育委員となっている例が多いようである。年齢構成を見ても、40歳未満5.9%、40-49歳40.1%、50-59歳33.8%、60歳以上20.3%と、60歳以上が64%を占める日本と比べても活動盛りの40-50歳代が中心的に担っている。全米学区教育委員会協議会でヒヤリングをした際、全米の典型的な教育委員というのは「ビル・クリントン」(白人男性で50歳くらい、高学歴で何らかの教育的教養の持ち主)であるという説明が印象的であった。報酬・給与については、殆どがボランテイア的身分で無報酬か会議出席の日当程度(ガソリン代とかベビーシッター代等)の支給が普通である。但し、大きく富裕な学区では給与が支給されている(例えば、モンゴメリー郡教育委員会やワシントンD.C等では年間1万ドル前後、例外的に、フロリダは大きな州であるがわずか64の教育委員会しかなく、一教育委員会の扱う予算も大きいため教員給与に匹敵するような金額3万8千ドルほど支給されている)。教育委員の任期は、州では4~9年(4年が平均的)、学区では4年が一般的であるが、再任も多く10年、20年近く継続する委員も珍しくはないようだ。

2.教育委員会の会議、運営

 住民に対して「開く」ということが徹底して行われているという印象をもった。
 単なる会議の公開だけではなく、住民の意見表明や異議申し立ての機会の保障、インターネットでの会議放映や情報へのアクセス整備、等がしっかり行われている。

2.教育長と教育委員会の役割分担に基づく緊張関係=法的でアカウンタブルナな関係

1.教育委員会の役割

  1. 地域の教育要求を集約しながら、地域の教育政策課題のアジェンダ設定、大綱的方針設定を行うこと
  2. 上記の政策課題、大綱的方針を具体的に政策立案し執行、管理していく教育長を選出し、契約を結ぶこと
  3. 契約に基づき、教育長の仕事や成果を評価し、それを地域に公表するとともに、教育長の再契約や解雇等を決定すること

 教育委員は、担当の学校を任せられ日常的に学校訪問をしたり、地域の様々な住民、団体との対話を重ねたり、教育委員長は週に一度は教育委員会事務所に詰めて住民の要望等を聞く機会を設けたりする等、住民の要望、意見を集約する活動を幅広く行いそれに多くの時間を割いている。

2.教育長の選出方法

 教育委員会が選出するといっても(州レベルの知事の任命にも言えることであるが)、教育長選出は州、学区にとって極めて重大な案件であることもあってその手続きは慎重である。一般的には、1.特に公募などせず学区内教育行政専門職員から抜擢する方式、2.広く公募し教育委員会や委員会に小委員会を設けて選任する方式、3.住民や教職員からなる諮問委員会を設け選考を委ねる方式、4.教育委員会が研究者等の有識者に選考を委嘱する方式、5.専門調査機関やコンサルタントに依頼し複数の候補者をあげてもらい教育委員会が最終決定する方式等があるとされているが(坪井由実『アメリカ都市教育委員会制度の改革』勁草書房1998年184頁)、私達の全米州教育委員会協議会のヒヤリングでも、各州の教育委員会が教育庁長官を選ぶ場合、全国的なリクルートが不可欠で、その際、同協議会にも依頼が多く、協議会が各教育委員会から希望する教育庁長官候補者の経歴・経験・能力等を聞き全国的リクルートを行い複数候補者を紹介する等の活動を行っているという説明があった。また、モンゴメリー郡学区の教育長選出の取り組みは印象的で、自分達の地域の教育長を選ぶために、住民との対話やアンケート調査等を行い、地域が重点的に取り組むべき教育課題を明確にしつつ合意形成を図りながら、それらの教育課題に積極的に取り組んでくれる教育長像を明らかにしてコンサルタントに教育長候補者のリクルートを依頼し選考の取り組みを進めたという(モンゴメリー郡学区で期待される教育長は、学力向上、カリキュラム開発、教員の能力開発に重点をおくため、カリキュラム研究開発に実績のある人物を選考したという)。

3.市長による教育委員会の関与・指導強化(mayoraltake-over)の評価をめぐって

 take-over(権限移管)ということは、学区が学校運営の権限を有しているが、その学区が学校運営に失敗した場合には、州が学区の権限を吸い上げて州が学区の学校を直接管理運営するという場合に使われ、学校の管理運営をめぐる州と学区の権限関係の再編といった問題も含んでいる。そのため、市長による教育委員会のtake-overといった時、言葉のニュアンスとして市長=市長部局と教育委員会の関係を大幅に再編する動きが起こっているのかという捉え方をしていたが、市長による教育委員会のtake-overという場合には、公選制の教育委員メンバーの一部ないし全部を市長の任命制に置き換えることを意味するものであることが関連の文献・資料や今回の調査で分かった。

1.市長による教育委員会のtake-over(公選制から任命制へ)の背景、支持の理由

  1. 一般政治選挙や一般行政から切り離された公選制教育委員会は、政治や行政を分散化させてきた。こうした分散化-過度の民主主義は、特に、福祉や他の社会政策と関係づけて取り組まれなくてはならない都市教育行政を進める上では、非効率である→市長選挙での教育要求の集約と権限の集中・統合で非効率な過度の民主主義を排して効率化を図っていくという考え方
  2. 住民が求める教育政策や教育行政に関する目標が明確であるとすれば、公選制教育委員会は非効率である。現在の都市教育行政が取り組むべき目標は、学力の向上という一つの目標が明確にあるわけであるから、その目標の実現に向けて市長の下に一体となった効率的な行政をつくり学力向上の取り組みを進めていくべきであるという主張

2.市長による教育委員会のtake-over(公選制から任命制へ)への批判、疑問の考え

  1. 明確な一つの目標があり都市教育行政はそれを中心に効率的な政策の取り組みを行えばよいという前提への懐疑=多民族・他人種で構成される都市学区住民は、教育に対する要求や政策のプライオリテイをめぐって様々な対立を孕んでいるため、教育要求を調整し政策のプライオリテイを決定していく公選制教育委員会の存在意義はいまだに大きい
  2. 教育行政の目標を一元化し効率的な学校改善を最重要課題とする市長のtake-overは、学校の標準テストに最大の関心を払う傾向をもつ
     → 教育行政や学校の専門的自律性を軽視したり、過度の管理をつくり出すという危惧
  3. 今日の公選制教育委員会の問題は、過度の民主主義の結果ではなく、逆に、過小な民主主義の問題である-無報酬でボランテイア等という現在の教育委員の身分・地位では、一定階層の人々しか教育委員になれないし、有能な地域リーダーを教育委員に引きつけられない、また、教育委員選挙の現状も少数の組織された団体や階 層に有利にしか機能していない、等
     → 教育委員の給与改善を含めた身分・地位の改善、教育委員選挙の改善、等の提案

 市長による教育委員会のtake-overをめぐっては賛否両論が拮抗しているという状況であるが、こうしたtake-overが実際、公立学校の改善や子どもたちの学力向上という成果を生みだしているのかどうかという点でも、まだ明確なデーターを検証したうえでの評価は定めっているとはいえないのが現状である。その検証が試みられているが、(幾つかの研究論文を読んだが)確定できないというのが結論である。

おわりに-日本の教育委員会制度改革論議への示唆

(1)教育委員選挙について、投票率の低さやある種の偏り、過度の民主主義の象徴といったような批判がある一方、そうした問題が、公選制教育委員会を廃止すべしという論議をひきおこしていないという事実に率直に驚き
 →教育委員会制度の意義は、権力の抑制と多元化というところで最大限評価されているのだなということを感じた。現在、分権改革や自治体改革等で、政策決定の迅速化、行政効率ということが強調されているが-米国の大都市における市長による教育委員会のtake-overの動きもそうしたことを背景にしているが-、他方で、権力の抑制と多元化という価値も重視されて教育委員の公選制を根付かせようと努力している点は考えさせられた。

(2)教育委員の意欲や高い使命感、広範囲の住民との話し合いを重視して住民の声を集約しながら地域の教育課題についてアジェンダ設定をしていくという活動の形態を生み出しているものは一体何かを考えさせられた
 →やはり、教育委員である我々が地域の教育課題や大綱的方針を決定し、その具体的な政策立案と執行を専門家の教育長に任せ、しかし、その仕事ぶりは評価チェックしますよという実際の役割分担にもとづく権限や法的仕組みがきっちり存在していることと、そうした教育委員の仕事ぶり活動ぶりには、住民の直接選挙で選ばれたという自負や正統性というものが背景にあるように思われる。
 日本でも、教育委員をどのように選ぶかということは重要なテーマであるが、仮に、今後、教育委員会の組織や運営を自治体で柔軟に工夫していける余地を拡大していくのであれば、首長が自分の自治体で教育委員選びに公選的な試みをしてみたいという意向があればそれを認めるようなこともあってよいのではないか-過去のいきさつからそうした公選的な工夫を最初から排除する必要はないのではないか、

(3)米国の教育委員会制度は、そうした素人教育委員を住民の選挙で選び、それら教育委員が地域の教育課題のアジェンダ設定を行い大綱的方針を決め、その具体化と執行を専門家教育長に任せるという、いわば素人教育委員への信頼を前提に組織、運営されているが、そうした素人教育委員会への信頼は、他方で、教育長が専門職としてその地位・身分が確立し社会的信頼があって始めて成り立っているのではないかということも感じてきた。教育委員会制度は、素人教育委員会の在り方が主要な課題とされがちであるが、教育行政の専門性といったこと-その要ともいえる教育長の確保や在り方も不可分な課題であるということを再確認できた。

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