1.教育行政の在り方

(1)中立性の確保について

  • 政治的対立の厳しいところでは、教育委員会制度による政治的中立、レイマンコントロールが必要。戦後の日本の教育で最も不幸だったのは、イデオロギー対立、政治的対立が教室まで持ちこまれたこと。国旗国歌問題がその典型だ。首長が替わることで教育が変わることがないよう、政治的中立性を確保しておく必要がある。
  • 現在、20世紀的イデオロギー対立は終焉したが、政治的対立はなくなっていない。教育行政の安定、学校教育の信頼確保のために教育委員会制度の意義はある。

(2)継続性、安定性の確保について

  • どのような人が市長になるかにかかわらず、教育が適正に行われるよう制度的保障が必要である。
  • 個性的・独創的な首長の場合、その後の継続性・安定性が問題になる。
  • 選挙公約に教育問題が掲げられやすいが、それによって首長交代ごとに教育施策も転々と変化することが危惧される。
  • どんな首長であっても、常に教育がそれなりの水準をもって保たれるということは大変重要。また、教育はそう頻繁に改革されてよいものではない。
  • 首長が替われば自治体の行政全体の方針・総合計画が変わる。教育行政もその一部としてそれに沿ったものでなくてはならない。

(3)保護者、地域住民の教育行政への関わりについて

  • 保護者、地域住民が教育行政に積極的に参加していけるよう、開かれた教育行政を進めるべき。
  • 学校を開かれたものとすることについて、保護者の大半が賛成だが、学校に参加していくことには躊躇する。参加することに消極的なのは国民性の問題かもしれないが、教育委員会問題の難しさもここにあるのではないか。この傾向が教育委員会のシステムの問題として不満になって表出したものならば、非常に危険。
  • 教育行政を首長に「任せる」という国民意識があるならば問題である。国民に参加する、関わるという意識がない限り教育委員会は健全化しない。
  • 一般には、教育委員会が何をしているかわからない。保護者だけでなく教員も同じ。一般市民が教育行政、教育委員会に関心を持つことが課題である。
  • 保護者には、教育委員会や教育長の存在や役割は、正しく理解されていない。
  • 一般市民に教育委員会の情報がほとんど流れてこない。教育委員会会議がいつ開かれているか、どうやったら参加できるかが市民にわからない。
  • 教育委員会で討議され決定した事項を速やかに住民に知らせ、説明していくことで教育への住民参画を図るべき。
  • 教育委員会は常に状況を把握するため現場主義に立ち、保護者や地域住民との連携を密にすべき。
  • 地域が学校の情報を共有することによって、地域の学校に対する認識が変わり、学校の信頼を高めることになる。

(4)全国的な教育水準の確保と地方分権の推進について

  • 教育を受けた地に居続ける人もいれば、広く世界にはばたく人もいる中で、義務教育は、将来どこに行ってもたくましく生き、活躍できるよう、基礎となる人間力を培うものであるべき。義務教育には、決して不平等や格差があってはならず、国の責任で全国共通の水準を確保すべき。
  • 日本全国いつでもどこでも等しく義務教育を受けられる良さを守るべき。
  • 教育においてミニマムスタンダードは重要であるが、地方間格差を作ってはならないわけではない。伸びる部分を抑制する必要はなく、自由競争の下で、よい教育をした地域が刺激を与えて、良い取組が広がってゆく底上げが望ましい。
  • 過疎過密が進み、経済格差も広がっている。教育の機会均等も満たされていない。自由の名の下に規制緩和が進んでいるが、国、県、市町村は、一体となってこうした格差や偏りを調整する役割を果たすべき。
  • 地域間格差、学校間格差、学級間格差が厳然としてある。それを考慮せず画一的な行政を進めると、子どもの状況や保護者のニーズから乖離してしまう。
  • 全国的な義務教育の保障という点を考えれば、義務教育の実施の担保と地方分権はなじまない部分がある。
  • 地方分権の進展により、一般行政における権限委譲は進んだが、教育行政においては、教育に対する国民の関心の高まりを背景として、県から市への指導強化への要請が高まっている。そのほとんどは義務教育に関する教育内容や教員の資質に関するものである。
  • 教育はあくまでサービスであり、利用者個人が選べるような在り方が望ましい。ただし全くの自由選択である財サービスとは異なり、個人がうまく選択できるよう行政の関与が必要。その関与は、人々のニーズを熟知した市町村が行うべき。
  • 現代の行政ニーズの多様化の中では、何が「最適な教育」なのか必ずしも明らかでなく、地方がそれぞれに切磋琢磨して最適な教育の在り方を模索すべき。
  • 地方分権の考え方は大事だが、だからといって国、都道府県、市町村といった縦の流れを否定したり、上意下達といった表現でマイナスイメージとしてのみ捉えるべきではない。規制緩和の名の下に特色や独自性を出すことが、自由に好きなようにやることと考えられ、全国水準の保障が危うくなったり、地域の格差が大きくなったりしてはいけない。
  • 教育行政は、入口管理の仕組みからどうするかをそれぞれの責任と判断に委ね、結果がどうなったかという出口の管理へと、転換すべき。

(5)制度改革と運用改善の関係について

  • 予算や人事に関する権限をより住民や子どもに近い所に与えるべき。首長と教育委員会、都道府県と市町村、教育委員会と学校との関係を、その観点から検討すべき。
  • 選挙は多様な領域の政策を掲げて行われるものであり、教育も含め個々の政策について選択肢があるわけではない。
  • 教育制度は改革に次ぐ改革になっている。既存制度に全力で取組んだ上で次の制度改革に取組むべき。
  • どんな制度でも良い部分と悪い部分はある。良い部分を残し、悪い部分を変えるような制度改革を常に行っていくべき。
  • 教育委員会の問題は制度の問題である。普通の人による運用であってもうまく機能するような効率的な制度とすべき。
  • 戦後形成された制度には、少子高齢化・人口減少・冷戦構造終結などの社会環境の変化によって「制度疲労」が生じている。教育委員会制度もそのひとつにあたり、見直しが求められる。
  • 教育委員会制度について、制度をどう変えていくかではなく、運用でどこまで活性化できるのかをまず考えるべき。
  • 独立行政委員会は、19世紀の終わりにアメリカで生まれ、戦後、日本でも公安委員会や農業委員会としてつくられた。その後、性質が変わってきている。現在、制度の在り方について問題提起されている以上、そこまで立ち返って考える必要がある。
  • 民主的な統制と行政の専門性・中立性・効率性を両立させるものが、行政委員会制度である。行政委員会導入の趣旨として、アメリカは過剰な民主主義に対する行政的専門性の確保に主眼があり、日本では特定の立場に偏らない公正さの確保という点にあった。

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