中央教育審議会教育制度分科会・地方教育行政部会(第15回)における意見表明  当日配付資料 森田委員意見表明説明資料

平成16年11月19日
東京大学 森田 朗

 第15回の会議は、海外出張のため欠席いたしますが、「意見のまとめ」について、私の見解を文書で述べさせていただきます。
 具体的な文章表現については当部会の御審議に委ねますが、これまで議論の対象となっていない部分も含めて、意見を述べさせていただきます。なお、私の専攻する行政学の観点からみた教育行政制度のあり方、問題点については、5月10日の意見発表の資料および議事録を参照していただきたいと存じます。

1.地方教育行政を取り巻く社会状況の変化について

  1. 今や歴史的に大きな変革期にあるわが国では、地方自治体の自立性、自主性を高めることを目指す地方分権が推進されている。多くのことを中央政府が決め、それを地方が実施する時代は終わった。ミニマムの基準の設定は国が行うとしても、その具体的な実現は、可能なかぎり地方の自主性に委ねられるべきである。
  2. 今日のわが国では少子高齢化、人口減少、産業構造の転換、国際化等、社会の大きな変化が急速に進行している。これらの変化は、わが国の歴史上初めて経験するできごとであり、多くの分野で既存の制度が「制度疲労」の状態に陥っている。
     このことは、教育行政についても例外ではない。著しい少子化、社会保障に対するニーズの急増によって、これまで教育に向けられてきた資源の削減は避けがたい。教育の質を向上させるために、これまでの資源量を維持すべきという主張は、これから訪れる高齢化社会における社会保障負担の増加への対応の必要や現状における危機的な財政状況を前提とするかぎり、説得力に欠ける。今、教育行政のみならず、わが国の諸政策において重視されなければならないことの一つは、これからの日本を支える子供たちの将来の負担をできるかぎり少なくすることである。
  3. 教育の質を維持しつつ、全体としての効率化を進めるためには、制度を弾力化し、地方の裁量の余地を拡大することによって、これからのあるべき制度の多様な可能性を追求することが必要である。

2.教育委員会制度の必要性について

  1. 教育水準の確保においてこれまで教育委員会制度が果たしてきた意義は否定しがたいとしても、地方自治体の規模と行財政能力の格差が拡大している今日、小規模自治体における教育委員に適格者を得ることの困難、教育行政の専門性の維持の困難、厳しい地方財政の状態等を考えるならば、一定水準の確保が可能な限り、教育行政の仕組については、地方自治体の選択をできるだけ柔軟に認めるべきである。
  2. このような観点からみたとき、教育の質、そして政治的中立性を守るための制度的仕組として、現行の教育委員会制度が唯一の選択肢であるとはいいがたい。制度は、最低基準を維持する観点からはできるだけ全国的に一律であることが望ましく、またそれが平等性の観点からも望ましいことは否定しないが、問題点として指摘されているように、現実には、制度本来の役割を期待することが困難な自治体も少なくない。
  3. これらの問題点については、運用の改善による対応に務めるべきことはいうまでもないが、とくに小規模自治体の現状をみるかぎり、運用による改善には限界がある。また、地方分権の流れの中で、あるいは地方行革の一環として、新たな制度の提案もなされている。1で述べたような社会状況の変化を考えるとき、すべての自治体に教育委員会制度の設置を義務付ける必要性も合理性もないと考える。

 ※ 「主な意見のまとめ」(案)では、私の意見も反映していただき、すでに修正がなされましたが(10月18日(案)3ページ3の2番目の○(まる))、「教育委員会を置かないことを認めるかどうかについて検討していくことが必要ではないか。」という表現ではなく、もう少し積極的に、できれば置かない場合に満たすべき最低限の条件を明確にする方向で表現されることを希望します。(たとえば「政治的中立性等を担保できる場合には、教育委員会以外の制度を設けることを認めることも検討すべきである。」)

3.教育委員会の組織および運営の改革

  1. 教育委員会を設置する場合、その組織および運営のあり方については、積極的に弾力化を図るべきである。教育の政治的中立性を担保することは必要であるが、中立性の意味も、今日では、冷戦構造が存在していた時代とは明らかに異なっている。極端な党派的要素を教育行政にもちこむことは排除されなければならないが、教育行政に理解のある首長の創意工夫を教育政策に反映させる仕組みは、積極的に導入されるべきである。
  2. わが国の教育委員会制度における政治的中立性は、教育行政について首長や議会が介入することを戒めているが、教育委員の任命、予算の決定は首長、議会が行っている。そのため、首長は予算に関して納税者に対する責任を有しているにもかかわらず、教育政策の立案執行に関しては関与できない、権限と責任とが乖離した制度となっている。
  3. 教育行政組織に完全な中立性、自主性をもたせるためには、アメリカの学校区のように、委員を公選とし課税権を付与した自立的な団体であることが望ましい。現在のわが国において、そのような制度が適しているか疑問ではあるが、一定の条件を満たす限り、希望する自治体がそのような制度を創設することを排除する理由はないと思われる。とくに教育委員の公選制については、選択肢として認めるべきである。

4.教育委員会と教育長

  1. わが国の教育委員会のモデルともなっているアメリカの制度についての考え方は、効率的で質の高い行政は専門家によって実施されることが望ましいが、専門家の独善を避けるためには、一般市民(レイマン)が、専門家の意見を聞いて、基本的な方針について意思決定を行うとともに、専門家による政策の実施を監督する仕組みが必要である、というものである。このような制度を作ることによって、意思決定と執行それぞれの責任を明確にするとともに、レイマンと専門家の利点を結びつけることができる。
  2. このような観点からみたとき、教育の専門家である教育長が委員となるわが国の現行制度は、制度の根拠となる論理が必ずしも明確ではない。専門家が決定に携わることは専門家の独善を招く可能性があるとともに、決定と執行の責任が不明確になる危険がある。まして、教育長の実質的な選任を首長が行っているとしたら、それは政治的中立性の趣旨に反する可能性がある。
  3. したがって、教育委員会教育長との関係については、前回の会議における多数の意見と同様に、教育委員会を設置する場合には、教育長は、教育委員とすべきでなく、教育行政実施の責任者として、教育委員会が任免権を有する職とすべきである。
  4. なお、教育委員会以外の制度を設ける場合にも、この決定と執行の区別を明確化することは必要であり、教育の政治的中立性は、民主的正統性をもつ機関が意思決定を行う仕組みとすることによって担保されるべきである。

5.首長、議会と教育委員会との関係の改善

  1. 上記2で述べたように、教育委員会以外の制度の設置も認めるべきであると考えることから、首長、議会と教育委員会との関係を論じる必要があるのは、教育委員会が設置される場合である。
  2. 首長と教育委員会との権限分担については、教育委員会の必置規制の緩和が必要と考える立場からは、当然に積極的な弾力化を進めるべきであると考える。学校教育と、社会教育、文化財保護、幼児教育、生涯学習、文化・スポーツ行政とは関連性があり、したがって教育委員会が担当すべきという主張にも一理あるが、行政分野はそれぞれ多様に関連しており、社会教育、生涯学習は社会福祉、勤労者福祉行政と、また文化財保護や文化・スポーツ行政は地域振興、観光行政等と、そして幼児教育は保育行政とも関連している。それらの行政分野のどれとどれが親近性があり、どのように組み合わせて実施するかは、各自治体が、それぞれの政策体系の中でどのように位置づけるべきかを判断すべき事項である。国が一律に決定することは、地方分権の趣旨に反することはもとより、地域の実情に応じた、活力ある教育政策の発揮にとっても障害となるように思われる。
  3. 教育財政に関しては、3 ―2で述べたように、教育委員会が独自の財源を保有しておらず、また首長が予算の編成権を有している以上、教育委員会が歳出に関して独自の権限をもつことは、財政民主主義の観点から、制度的に困難である。首長部局が、事実上、教育委員会の政策を尊重することが望ましいといえるかもしれないが、それを制度的に担保することはできないし、それは教育の政治的中立性に反する危険もある。
  4. 教育政策の立案実施に関して、首長と教育委員会との協調を重視するならば、現行の教育委員会制度よりも、自治体としての政策体系の中へ教育行政を位置づけることがより容易な育委員会以外の制度の可能性を探求すべきである。この点からも教育委員会制度の必置規制は、見直されるべきである。

-以上-

お問合せ先

生涯学習政策局政策課