地方教育行政部会(第11回) 議事録

1.日時

平成16年9月13日(月曜日) 14時~16時

2.場所

グランドアーク半蔵門 「華」(3階)

3.議題

  1. 地方分権時代における教育委員会の在り方について
  2. その他

4.出席者

委員

 鳥居部会長(会長)、國分副部会長、浅見委員、渡久山委員、山本委員
臨時委員
 吾妻委員、池端委員、稲田委員、大澤委員、小川委員、北城委員、津田委員、土屋委員、宮崎委員、森田委員

文部科学省

 板東大臣官房審議官、藤田生涯学習政策局担当審議官、月岡生涯学習総括官、樋口初等中等教育局担当審議官、久保政策課長、山田生涯学習企画官、前川初等中等教育企画課長、角田初等中等教育企画課課長補佐、その他関係官

5.議事録

○ 鳥居部会長
 それでは、定刻でございますので、ただいまから中央教育審議会教育制度分科会地方教育行政部会、今日は第11回になりますが、開催させていただきます。
 本日は、皆様、お忙しい中を御出席賜りまして、誠にありがとうございます。
 今日は、本部会の審議事項に関する外国調査などの報告を受けまして、その後で自由討議を行うことにしております。議事に入ります前に、事務局から、当部会での審議にも深いかかわりがあります義務教育あるいは教育委員会制度等に関する河村文部科学大臣の試案等が出ておりますので、それつきまして、前川初等中等教育企画課長から御説明をお願いします。よろしくどうぞお願いします。

○ 前川初等中等教育企画課長
 それでは、お手元の資料の一番最後に、参考資料1-1、1-2、1-3、それから参考資料2という四つの資料がございますので、これを御覧いただきたいと存じます。
 前回のこの部会におきまして、8月23日にでございますが、その際に参考資料1-2にございます河村文部科学大臣から示されました義務教育の改革案の試案につきましては、御説明申し上げたところでございます。その後、参考資料1-3にございますような形で、8月24日の経済財政諮問会議におきまして、河村文部科学大臣より義務教育の改革につきまして、義務教育改革案に基づいた説明がなされております。その関係の資料が1-3でございます。
 また、大臣の私的懇談会でございます「これからの教育を語る懇談会」におきまして、9月1日に第1次のまとめが行われております。この内容につきましても、義務教育改革案に重なるものでございまして、特に質の高い教員を養成する教員改革、それから信頼され、地域に支えられる学校づくりを進める学校・教育委員会改革、これらにつきまして、「これからの教育を語る懇談会」の第1次まとめが行われたところでございます。
 これらを踏まえまして、去る9月9日の中教審の総会におきまして、河村文部科学大臣が出席の上、義務教育の改革案についての説明を自らされたところでございます。
 その際に、参考資料1-1にございます「義務教育改革の内容とスケジュール(案)」、この資料をお示しして、今後の中教審での御審議についてお願い申し上げたところでございます。
 そこで、参考資料1-1に基づきまして、義務教育改革の内容とスケジュール案につきまして、御説明申し上げたいと思います。
 まず1ページ目でございますが、義務教育改革の内容といたしまして、目指す学校像を三つの点にまとめてございます。
 第1は、確かな学力、豊かな心、健かな体の育成、人間力豊かな教師による人間力豊かな子どもの育成、こういう学校像。
 第2は、学校の自主性・自律性の確立、地域・学校の権限の強化。
 第3に、義務教育の根幹は国の責任で担保し、地方・学校が創意工夫を生かして教育を実施。
 こういう三つの目指す学校像に基づいて改革方策を取りまとめているということでございます。
 2ページ以下が具体の項目に沿って中教審でお願いしたい審議のスケジュール、その後の制度改正に向けてのスケジュール、そういったものをまとめてございます。
 まず第1の項目でございますが、義務教育の到達目標の明確化と制度の弾力化につきましては、学校教育法における改革、それから学習指導要領においての対応とございます。学校教育法における改革といたしまして、義務教育の役割を明確化し、学校教育法における小学校、中学校の目的・目標の規定の見直し、また、義務教育9年を一つのかたまりとしてとらえて、中高一貫教育を制度化するということが改革の方向性として考えられるわけでございますが、これらにつきまして、中央教育審議会で既に初等中等教育分科会において御審議いただいておるところでございますが、平成16年度中に審議経過報告をいただき、17年度には中間報告、答申までいただきたい。その上で、18年度に制度改正まで持っていきたいという考え方でございます。
 また、学習指導要領の対応につきましては、教育内容の改革とあわせまして、これも中央教育審議会で初等中等教育分科会教育課程部会において既に審議をしていただいておるところでございますが、国語、理数、外国語教育、道徳教育等については、基本的方向性を今年度中に取りまとめていただきたい。また、学校教育法の見直し等の検討を踏まえ、学習指導要領の見直しについては平成18年度末までに検討をお願いしたいということでございます。
 次のページ、教員養成の改革でございますが、大きな柱として専門職大学院の設置、それから教員免許更新制という課題がございます。これらにつきましては、先ほど御紹介申し上げました「これからの教育を語る懇談会」のまとめにも提言が行われているわけでございますが、これを踏まえまして、速やかに文部科学大臣より中央教育審議会に対して諮問をさせていただきたいという考え方でございます。その上で、17年度には中間報告、答申までいただき、18年度には制度改正までつなげてまいりたいという考え方でございます。
 次のページの学校・教育委員会の改革につきましては、学校評議員、学校運営協議会、これらにつきましては、既に中央教育審議会での御答申をいただいた上で、制度化もされているところでございまして、これを直ちに推進してまいりたいと考えております。
 そのほか、学校評価、教員評価、教員人事、学級編制に関する権限の中核市等への移譲、また、教育委員会制度の改革、当部会で御議論いただいている問題、これらにつきましては、中央教育審議会で既に御審議いただいているところでございますが、今年度中に中間報告、答申までいただきたいということでございます。その上で、制度改正、あるいは各都道府県での準備をし、着実に進めてまいりたいという考え方でおります。
 最後に、義務教育費国庫負担制度の改革、国による義務教育保障機能の明確化の問題でございますが、全体の制度の見直し、これは全額一般財源化も含めた検討につきましては、いわゆる3大臣合意、あるいは骨太の方針、あるいは昨年暮れの政府・与党協議会の合意といったものの中で、再三にわたり18年度末までの検討課題であるということについての確認が行われております。これを踏まえまして、義務教育制度の在り方の一貫として検討を行い、これも踏まえつつ平成18年度末までに所要の検討を行うというスケジュールで考えてまいりたいと考えております。
 当面の制度改正といたしまして、特別支援教育に係る教職員配置が柔軟にできるよう、小・中学校、盲・聾学校の国庫負担と養護学校の国庫負担を一本化することについて検討をお願いしたい。その上で、16年度中には制度改正を行うようにしたいという考え方でございます。

〔池端委員出席〕

 若干補足いたしますと、国庫負担制度は養護学校については別立てになっておりまして、養護学校の義務制が昭和54年という遅い時期に実施されたということがございまして、養護学校の国庫負担については別の法律で別立てになっている。それがために、盲・聾学校と養護学校の間での教職員配置の柔軟な対応ができないという問題がございます。これを一本化することによって、各都道府県の御判断で盲・聾学校、養護学校の間の柔軟な教職員配置が可能になるということでございまして、より地方の自由度を高めるという意味で、両方の制度を一本化するということが望ましいと考えているところでございます。
 最後のページは、義務教育改革案には具体的に入っておりません問題で、しかし、中教審で御議論いただいているものをまとめたものでございます。その他の制度改正事項といたしまして、第1は特別支援教育の改革、これにつきましては、現在、中教審で既に審議をいただいております。これについて、今年度中に中間報告、答申までいただき、来年度には制度改正をさせていただきたいという考え方でございます。また、幼稚園と保育所の関係で、就学前の教育・保育所を一体としてとらえた一貫した総合施設の制度化の課題につきましても、中教審で既に御審議いただいておりますが、今年度中に答申をいただき、来年度には制度改正まで進めさせていただきたいという考え方でございます。
 最後に、市町村費負担教職員任用の制度化でございますが、これは現在、構造改革特区の形で既に事業が行われておりますが、これを全国的な制度とすることにつきまして、やはりこれも中教審で、既に教育行財政部会教育条件整備の作業部会において審議に着手していただいているところでございますけれども、これについても今年度中に答申をいただき、来年度中には制度改正まで持ってまいりたい、そのような考え方でおります。
 このスケジュール案につきまして、9月9日の中教審の総会にお示しし、御了解をいただいたということでございます。
 以上でございます。

○ 鳥居部会長
 ありがとうございました。
 この件について御質問等おありかと思いますが、後ほど本議題の中でいろいろと御質問をいただければと思います。
 続きまして、去る7月11日から17日まで1週間、小川委員を中心として調査チームがアメリカ合衆国の教育委員会制度に関する調査を実施されました。また、9月6日には本部会の委員の方々を中心に、静岡県教育委員会をはじめとする地方教育行政の現場を視察してまいりましたので、この二つについて御報告をいただいて、それから本議題に入りたいと思います。
 まず角田課長補佐から外国調査の報告をお願いすることになっています。よろしくお願いいたします。

○ 角田初等中等教育企画課課長補佐
 それでは、資料1に沿いまして御説明申し上げます。
 訪問した機関でございますが、資料の1枚目にございます、ワシントンDC、メリーランド州、ニューヨーク州内の教育委員会、関係団体、研究機関等を訪問いたしまして、インタビュー調査を行っております。訪問者はここにございます、当部会からの小川委員、事務局から次田専門官、岸本係長が行っております。期間はここにございます1週間でございました。
 2枚めくっていただきまして、1ページを御覧いただきたいと思います。米国におきましては、教育委員会は州及び学区に置かれております。学区について、あらかじめ御説明申し上げたいと思います。アメリカにおきましては、上下水道や公園管理、警察行政など分野に応じまして特別区が設けられておりまして、一般行政とは独立した特定の公共サービスが提供されております。学区については、こうした特別区の一つでございまして、特に公立の初等中等教育行政を所管する教育行政の基礎単位となっているところでございます。ちなみに、学区は全米で1万5,000弱ございますけれども、その規模はかなりバラツキがございまして、在学者が100万人を超えるようなニューヨーク市学区という大きな学区もございますれば、あるいは100人に満たないようなものまで、様々となっているところでございます。
 それでは、資料の1ページにございます柱の1でございます。教育委員会の責務・活動実態でございますが、まず会議につきましては、州レベルでは大体年に12回から14回程度、学区レベルでは月2回、あるいはそれ以上の頻度で開催されております。1回の会議の開催時間でございますが、州レベルでは1日半、学区レベルでは終日あるいは夕方からの2~3時間という状況でございます。
 また、最も重要な審議内容は予算でございまして、州や一部の学区におきましては、教育予算を含めた全体の予算の決定は議会が行うものの、支出につきましては教育委員会が権限を有しているところでございます。また、学区教育委員会にとっては、教育行政の専門家である教育長の任用が予算と並んで重要な審議事項になっているところでございます。
 また、定例の会議では、政策決定のほかに、生徒の退学処分等に関する異議申し立ての機会も提供しているところでございます。
 二つ目の地域住民との対話、会合への出席ということでございますが、地域に対しましてアカウンタビリティを果たすために、教育委員には地域住民との対話が強く求められているところでございます。
 モンゴメリー学区におきましては、州議会や郡議会への出席のほか、父兄や人種団体など地域の住民や団体との対話の場に教育委員が参加しているという状況もございます。
 また、インターネットの活用によります情報発信も重要と考えておりまして、州及び学区で積極的に実施されているところでございます。
 1枚めくっていただきまして、2ページでございますが、教育行政の独立性というところでございますけれども、政党や首長などからの党派的な影響を避ける必要があるという認識が共有されているということ、また、権限を首長など一極に集中させないということが、民主主義にとって重要と考えられてきたことが、教育行政の独立性の背景ということでございます。
 こういったことから、教育委員の制度につきましても、一旦任命されました教育委員は、倫理的問題を起こさない限り、解任されないこと、あるいは教育委員の入れ替えは一部の委員について行われるといった制度になっております。
 また、教育委員の選任でございますが、州につきましては、約3分の2の州では州知事による任命、残りの3分の1では公選になっております。また、学区の教育委員会につきましては、95パーセントが公選になっておりまして、残りの5パーセントが任命制になっております。
 公選の際の投票率でございますが、州及び学区双方ともあまり高くない、低いとい状況となっておりまして、5パーセントから25パーセント程度となっております。ただし、地域で重要な争点がある場合には投票率が上がるという状況でございます。
 また、教育委員会の規模や人気につきましては、州によって様々でございまして、1枚めくっていただきまして3ページを御覧いただきますと、人数でございますとか、あるいは任期が書かれているところでございます。御覧いただきますように、州によっては16名以上、大きなところでございますと、ペンシルバニアの21名といった規模の教育委員会もございます。また、任期でございますが、最も長い州では9年のところがございます。また、学区の教育委員会につきましても、7名から8名のところが多うございますが、10名以上のところもございます。学区の教育委員会の任期でございますけれども、4年が多くなっておりますが、6年までのところもございます。
 次に4ページ目でございますけれども、年齢構成でございますが、学区、市町村レベルで比較いたしますと、日本の場合は、60歳以上が64.4パーセントということで、非常に多い状況でございますけれども、米国におきましては40歳代が40パーセントと最も多くなっておりまして、日本よりも若年の傾向がございます。
 次に、「3」の「教育委員会と教育長との関係」でございます。
 教育長の選任につきましては、教育委員会にとって非常に重要な責務とされておりまして、州及び学区におきましては、募集の広報を実施するとともに、専門のコンサルタント等、外部組織を活用いたしまして、候補者の選定を実施、最終的に教育委員会が多数決で決定するという形で決めているわけでございます。
 また、「(2)」の「教育委員会と教育長との関係」ということでございますが、多くの場合、雇用関係にございまして、任命・雇用者である教育委員会は教育長を解雇する権限を所有しております。こため、教育委員会と教育長との間には一種の緊張関係が存在いたします。
 州教育委員会及び州教育長の選任方法でございますが、多くの場合、次の四つのモデルに整理されるということで、5ページに簡単なポンチ絵風のものをおつけさせていただいておりますけれども、モデル1といたしましては、州教育委員会は知事が任命し、また、州教育長は州教育委員会が任命するという形。
 下のモデル2でございますが、州教育委員会は州知事が任命し、州教育長は選挙により選出するということでございます。
 三つ目が、右のほうに移りまして、州教育委員会は選挙で選出し、州教育長は州の教育委員会が任命するという、モデル3でございます。
 また、モデル4でございますけれども、州教育委員会及び州教育長ともに州知事が任命する、こういうこともございます。こういった四つのモデルがあるところでございます。
 また、教育委員会と教育長の役割分担でございますが、6ページを御覧いただけますでしょうか。州及び学区双方とも、教育委員会は政策、方針、基準等の決定、教育長は決定された施策の実施という役割分担があるというのが一般的な状況でございます。
 次に「4」の「教育委員会に対する支援組織」について御説明いたします。
 フロリダ、あるいはカリフォルニア州のような大規模な州の例でございますけれども、州教育委員会の補佐組織を独立して置いているところがございます。また、学区レベルにおきましても、モンゴメリー学区のように大規模学区には、教育委員会を支援する組織や専門スタッフが置かれているところもございます。
 また、教育委員会の活動を支えるものといたしまして、全国的な教育関係団体の役割も非常に重要であるとされております。例えば州の教育委員会の全国団体、全米州教育委員会協議会は州教育長の候補者に選考に関します支援でございますとか、あるいは教育委員を対象といたしましたワークショップの開催なども行っております。また、学区の教育委員会につきましても、同様の団体が構成され、非常に重要な役割を担っているという状況がございます。
 最後に、「5」番目の「都市部における教育委員会制度の見直し」の動向について御説明させていただきます。
 近年、大都市におきまして、首長の権限を拡大する観点から、教育委員会制度の見直しの動きがございます。この動き、ほとんどのケースは、現在の公選制の教育委員を首長の任命制に変更するものでございます。また、これら学区教育委員会における公選制から任命制への制度変更は固定的なものではございませんで、むしろ問題解決のための暫定的な措置といたしまして導入をされているという状況でございます。
 教育委員会の決定権限を首長部局に吸収いたしまして、教育委員会制度を廃止している事例もございますが、こういった事例はニューヨーク市学区のみでございます。ニューヨーク市学区におきましては、教育政策に関する重要な案件につきましては、保護者等から構成される委員会組織に諮問いたしまして承認を得なければならない、こういった規定がなされているところでございます。
 こういった制度見直しの背景でございますが、首長の権限強化は、人権問題や貧困層の存在など、社会構造的な課題と密接に結びつく都市部の教育問題が学区の教育委員会単独で解決できる範疇を超えるものとなっていることが最大の背景であるとされているところでございます。
 こういった制度の見直しに対する評価でございますが、積極的な評価といたしましては、首長を中心とする集権的体制によりまして、教育改革を戦略的に前進できる、あるいは学力の低い児童生徒群、あるいは教育成果の上がらない学校に焦点を当てることで、政策の方向性が明瞭となる。あるいは、教育成果に対する責任の所在が明確になるといったようなことが指摘されているところでございます。
 また、一方で消極的な評価といたしましては、教育政策を重視しない首長が就任して、従来の取組が継続されないといったような可能性に対する憂慮、あるいは制度見直し後の教育政策が州内統一テスト等で測定される児童生徒の学力に対して過度に重点を置く傾向が見られるといったようなことが指摘されているところでございます。
 なお、ニューヨーク市の場合でございますが、首長に対する権限の集中に対しまして批判がございます。また、権限移管を行っていない都市部の首長の中には、こういった動きに対しまして、やはり教育については専門の組織に任せたほうが優れた成果を上げられるのではないかといった意見を述べる者もいるということでございます。
 また、ワシントDCの場合は、最近、首長が学区教育委員会の権限を首長部局に移管するために、条例の改正を試みたわけでございますが、議会の反対によりまして、結局、実現されていないという状況がございます。
 以上が概括的な説明でございまして、8ページ以降でございますけれども、メリーランド州教育委員会以下、具体的な事例につきましての資料をつけさせていただいております。
 10ページがメリーランド州の中のモンゴメリー学区の例、12ページが、これは州が違いまして、バージニア州でございますが、アーリントン学区の教育委員会の例ということでございます。
 次に、資料2につきまして、簡単に御説明申し上げます。資料2は、諸外国の教育行政制度につきましての資料でございます。アメリカにつきましては、今、御説明申し上げたとおりでございますけれども、そのほかイギリス、フランス、ドイツ、そして韓国の教育行政制度について、簡単に整理させていただいております。
 イギリスでございますが、これは地方議会に当たります参事会の中に、その委員で構成をされます教育専門委員会 ―地方教育担当局、LEAと称されておりますが、ここが教育制を担当しているところでございます。
 また、フランスにおきましては、これは国の機関であります大学区の総長、あるいは県レベルでは大学区の視学官、市町村レベルでございますと国民教育視学官という、これら国の機関が教育行政をそれぞれ担当しているという状況にございます。
 また、ドイツにおきましては、初等中等教育は州の役割とされておりまして、州の文部省が教育行政を担当しているところでございまして、それぞれ県、郡、市町村ごとに、学校を担当する部局が置かれているということでございます。
 また、韓国でございますが、これは学校の設置管理につきましては、広域の自治体でございます広域市と道の事務とされておりまして、こういった広域市と道に合議体の教育委員会と独任制の教育監が置かれているところでございます。また、区・郡・市レベルでございますけれども、これは広域市と道の機関であります教育監の下部機関として、教育長が置かれておりまして、事務を行っているという状況がございます。
 雑駁な説明でございますが、以上でございます。

○ 鳥居部会長
 ありがとうございました。
 それでは、小川先生からも御説明をお願いしたいと思います。

○ 小川委員
 私の報告は、資料3のレジュメを使いながら、補足説明をさせていただきたいと思います。
 今、角田課長補佐のほうから、我々が調査で入手した資料とか、データをもとに、いわば客観的な資料データに基づいて、実情を報告しましたけれども、私のほうからはそれをベースにしながら、少し今の報告でちょっと不足しているところで、特に日本の教育委員会制度改革を議論していく際に、少し参考になると思われる内容について補充させていただきながら、評価的なコメントも含めて補足的な説明ということで、これからお時間をいただければと思っています。時間が限られていますので、文章を読む形で、一部飛ばしながらですけれども、報告させていただければと思います。
 「はじめに」のところは省略で、「1」の「1.教育委員の選挙、地位・身分」のところから進めていきたいのですが、今の話にもありましたけれども、州・学区とも公選、任命、それぞれいろいろな教育委員の選び方があるのですけれども、特に注目して、おもしろかったのは、公選・任命にかかわらず、様々な教育委員選びについての配慮がなされていたということがわかりました。
 例えば公選制の場合には、アメリカの場合には、地域によって人種的な構成が違ってきますので、公選の場合でも選挙を地域別に分けて、全学区選出の教育委員のほかに、地域別選出の教育委員を選ぶという方法もありますし、また、任命の場合には地域別の委員を任命するということに加えて、同一政党に偏しないとか、女性とか、マイノリティーの代表を含むような配慮も行われていたということです。
 特に日本では全く試みられていない例として、生徒、特に高校生の代表を教育委員に含めるということも、アメリカでは珍しいことではないようです。州レベルでは10数州が生徒、高校生を教育委員ということで入れているようです。また、学区教育委員会でも、高校生の代表を教育委員にすることも珍しくないようですけれども、ただ、1万5,000ぐらいある教育委員会の中で、どの程度が高校生を代表として入れているかということの数字は、残念ながらまだ調べられておりません。
 次の「(1)」の公選制の選挙の投票率の評価をめぐってですけれども、先ほど事務局の報告にありましたように、州・学区ともに投票率は5パーセントから25パーセントということです。ちなみに、大統領選挙の投票率は55パーセント前後だという話でしたので、一般の政治選挙から見ても教育委員の投票率は非常に低いということです。
 ただ、非常に注目したのは、このように教育委員選びの投票率の低さは問題ですけれども、それをとらえて公選制が形骸化しているということで、公選制を廃止すべき理由として正面から取り上げられて検討されていることはないようでした。なぜなのかということをいろいろお聞きしましたら、これは子どものいない一般住民で、選挙人登録した方は投票できるわけですけれども、全員が投票しなくても、公立学校に子どもを通学させている保護者が投票すれば、それは教育委員選びの機能は十分であるとか、これはむしろ教育委員会に対する消極的な評価のあかしであるとか、また、何か学区で教育問題が生じた場合には、投票行動に変化が生じるということから見ても、一番重要なことは、一般的に住民にそうした選挙という形で開かれていることが民主主義のあかしであるという考え方が、どうも非常に強いようです。
 ただ、投票率が低いために、問題として指摘されていたのは、一部の組織された団体や階層に選挙が有利に作用して、当選する教育委員に偏りがあるという批判は根強くあったようです。そのためにいかにして投票率を高めるかといういろいろな議論があるのですが、例えばその議論の一例として、政治選挙と一緒に教育委員選挙を行うべきであるという主張、即ち、今、教育委員選挙というのは、政治選挙とは切り離す形で行われているんですが、教育委員選挙への関心を高めるために、政治選挙と一緒にやるべきだという議論もあるようですけれども、それについては、ここに書いているように一長一短があるようです。
 もう一つの主張としてお聞きしましたのは、政治選挙と同様に、教育委員の選挙も、選挙人登録をしなければ投票権はないということで、そうしたことが、特にマイノリティー、貧困層の教育委員選挙への参加を押さえ込んでいる理由にも挙げられていまして、教育委員選挙の場合にはそうした選挙人登録をしなくても、より簡便に投票できるような手続に変更すべきではないかという意見も聞かれました。
 「(2)」の教育委員の身分、給与等々ですけれども、いろいろお話を伺いますと、公選制であるからといって、誰でもが教育委員になれるという状況にあるわけでないようで、一般的には地域でPTA活動とか、地域の諸活動で要職を務めて、地域の教育行政に長年経験、功績を積んだ人物が、結果的に教育委員となっている例が多いようです。年齢構成も、先ほど事務局のお話にもありましたように、日本では60歳以上の教育委員が64パーセントを占めているわけですけれども、それと比べるとアメリカの場合には40代、50代が教育委員の中心を担っているということのようです。
 全米学区教育委員会協議会というところでヒアリングをした際に、事務局の方が、全米の典型的な教育委員は、ある意味ではビル・クリントンである、白人男性で50歳ぐらいで高学歴で、何らかの教育的な教養の持ち主というのが、平均的な教育委員像であるということを説明されましたけれども、それは非常に印象的でした。
 報酬、給与については、ほとんどがボランティア的な身分で、無報酬か、せいぜい会議出席のための日当程度の支給が普通であるということのようです。ただ、大きく、なおかつ富裕な学区の場合には、給与が支払われている例もありまして、私たちが訪問したモンゴメリーの教育委員会とか、ワシントンDCの場合には、年間1万ドル前後の教育委員への支給で、教育委員長はそれに2,000ドル、プラスされるということのようです。
 これは今回の調査ではないのですけれども、いろいろデータを調べてみましたら、アメリカで一番高い給与を支払っているのは、ここに書いているとおり、フロリダのようで、ここではほぼ公立学校の教員給与に匹敵するくらいの額で、3万8,000ドルぐらい教育委員に給与が支給されているようです。しかし、フロリダの例というのは、あくまで例外中の例外でありまして、普通の学区においてはほとんど無給ないし日当程度ということのようです。
 「2」の教育委員会の会議、運営ですけれども、これも先ほど事務局の報告の内容を読んでいただければ、ほぼそこに網羅されているのですが、一言で言えば、住民に対して徹底して開くということが行われているということを感じました。会議の公開だけではなくて、住民の意見表明の機会ないしは教育委員会の政策決定について、異議のある方は必ず異議申し立てをする機会が保障されているとか、あと私たちが訪問したモンゴメリーの場合には、地域のケーブルテレビで教育委員会の会議が放映されているということも行われていました。
 大きな「2」ですけれども、教育長と教育委員会の役割分担に基づく緊張関係 ―法的でアカウンタブルな関係が装置されているということが、もう一つ、私自身、強い印象を受けました。
 基本的に教育委員会の仕事は、たくさんあるわけですけれども、その中でも特に重要なのは、ここに書いているように、地域の教育要求を集約して、地域の教育政策課題のアジェンダ設定をして、ないしは大綱的な方針設定をすること。それに基づいて、自分たちが設定したアジェンダ設定や大綱的な方針を具体的に施策化し、それを執行するための専門家の教育長を選んで、教育長と契約を結ぶこと。三つ目には、契約に基づいて、教育長の仕事や成果を評価し、それを地域に公表するとともに、教育長の再契約ないしは解雇を決定する。これが教育委員会の仕事の中でも最も重要視されているようです。
 このような仕事をするために、日常の教育委員の仕事ぶりというのは、特にモンゴメリーでお話を伺ってきたのですが、各教育委員は所管の学区内の学校の幾つかを担当校ということで任されまして、そこで日常的に学校訪問をして、学校の実情や要望とか、問題を、日常的に把握する努力をされているとともに、地域の様々な住民、団体との対話を重ねながら、耳を傾けている。
 さらに、モンゴメリーでおもしろかったのは、教育委員長はたしか週に1回、木曜日というふうに聞いたのですが、教育委員会の事務所がありまして、そこに1日詰めて、そこに住民が自由にいろいろな教育問題を、教育委員長に直接訴えるとか、相談するという機会を設けているとのことでした。
 こうしたいろいろな住民の要望とか、意見を集約する活動を幅広く行い、それに非常に多くの時間を割いているという印象を持ちました。
 次のページの「2」の教育長の選出方法ですけれども、州にはいろいろな教育長の選び方があるのですけれども、学区の教育委員会においてはほとんど教育委員会が教育長を自ら選ぶことになっています。その選び方はいろいろパターンがあるようですけれども、ここでは「1」から「5」まで、いろいろな教育委員選びの手続を書いていますけれども、中心的には「4」「5」のように、専門家、有識者に委員を委託するとか、あと専門の調査機関やコンサルタントに依頼して、そこで複数の候補者を全国的にリクルートしてもらって、最終的には教育委員会の会議で、どの教育長がいいかということを決定するわけですけれども、そのような手続をとるようです。
 そのプロセスの中で重要な役割を果たしているのは、州教育委員会ないしは学区の教育委員会の全米組織の役割でして、どのような教育長が全米にいるのかという情報は、一つの州や一つの学区では把握しきれませんので、そういう情報を持っている全国組織に、自分たちはこういうふうな教育長が欲しいのだということでお願いして、そういうリクルート活動をしてもらうとか、また、こうした全米の教育委員会組織以外に、民間のコンサルティングのいろいろな機関がありますので、そういうところを活用してやるということのようです。
 これもまたモンゴメリーの話で恐縮ですけれども、モンゴメリーにおける教育長選出の取組は、私は非常に印象的でした。どういうことかというと、モンゴメリー学区の教育委員会では、自分たちの地域の教育長を選ぶために、地域における教育課題は何なのか。その教育課題を実現するために、どのような能力を持った教育長が必要なのかということを、事前の取組ということで、住民との対話やいろいろな調査を行って、そうした地域の教育課題、重点的に解決すべき課題は何かということを明確にしながら、合意形成を図っていく。そうしたものに取り組んでくれる教育長像は、どのような人がいいのかということを明らかにして、それをコンサルタントに持ち込んで、全米的な候補の中から数名の候補者を選んでもらうという取組をやったようです。
 ちなみに、モンゴメリーの場合には、学力向上、カリキュラム開発、教員の能力開発に重点を置いて取り組んでほしいという地域の要求が強いということで、カリキュラム研究開発に実績のある教育長を選んだというお話でした。
 最後ですけれども、市長による教育委員会の関与、指導強化の問題ですけれども、この背景等々については、先ほどの事務局からの報告にありましたので、これを支持する考え方、反対する考え方を紹介しておきたいと思っています。
 一つは、市長による教育委員会のテイクオーバー、つまり、公選制の教育委員会制度から任命制に切り替えるという考え方を支持する理由ですけれども、一つは、一般政治選挙とか、一般行政から切り離された独立性の強い公選制の教育委員会では、政治や行政の機能を非常に分散化させてきたのではないか。特にこういう立場の方は強調するのですけれども、過度の民主主義が、実は今の、特に大都市の教育行政の抱えている問題は、教育だけではなくて、福祉やほかの社会政策と関係づけて取り組まなければならないにもかかわらず、一般行政とか、政治から切り離された公選制の教育委員会は、非効率的である。そういう点で、そうした公選制を廃止すべきだという考え方が一つです。
 もう一つ、有力な考え方は、今、ニューヨークをはじめ、アメリカの大都市の教育行政の問題点をめぐっては明らかに公立学校の改革と、公立学校の生徒の学力の向上が、全員が一致できる明確な目標であることは明らかである。目標が明確である以上、その目標の実現に向かって、市長のイニシアチブでもって、一体的な効率的な教育行政を進めていくほうがはるかに効率的だし、成果が上がるのではないかという考え方が、市長のテイクオーバーを支持する理由として有力のようです。
 それに対して当然反対の意見ないしは疑問の声もかなりありまして、一つは、果たして公教育の改革をめぐる方法や目標において大きな対立はないのかという疑問・批判です。多民族、多人種で構成されているアメリカの都市学区においては、教育に対する要求や政策のプライオリティをめぐって、様々な対立をはらんでいるのは事実であって、その教育の在り方をめぐる様々な対立を調整して、この地域で何が重要な政策課題かというプライオリティを決定していくためには、やはり公選制教育委員会制度の存在意義はいまだに大きいのではないかという考え方とか、もう一つは、教育行政の目標が明確だということで一元化して、そこに効率的な学校改善を最重要課題とする市長のテイクオーバーというのは、性格的にはやはり学校の標準テストに最大の関心を払う傾向を持つというのは、賛成、反対、どちらの立場の方も一致することですけれども、そうしたテストに傾斜するような行政施策というのは、教育行政や学校の専門的な自律性を軽視したり、過度の学校管理や教育行政管理をつくり出すのではないかという危惧も出されていました。
 もう一つは、今の様々な都市の教育行政の問題というのは、公選制教育委員会制度が過度の民主主義である結果ではなくて、むしろ逆に民主主義が不足してるのではないか、その結果ではないかという批判もあります。例えば無報酬でボランティアという現在の教育委員の身分とか、地位というのは、一定階層の人々しか教育委員になれないし、有力な地域リーダーが無報酬でボランティアの仕事に引きつけられるということはない。そういう点で、教育委員に専念できる、そして地域の有能なリーダーが教育委員になれるように、きちんとした給与を支払うべきであるということとか、先ほど報告したように、教育委員の今の選挙の仕組みが、どうしても中産階層に有利な仕組みになっているので、もう少しマイノリティー、貧困層ないしは組織化されていない多数の住民が教育委員の選挙に参加できるような仕組みづくりが必要ではないかという議論も、市長のテイクオーバーに反対する一つの、公選制教育委員会制度をむしろ活性化する立場から、そうした教育委員会の改革議論もあるようです。
 ただ、こういう議論がいろいろありますけれども、どっちがという話になると、私たちはなかなかその辺、評価が難しいです。アメリカで大きく議論になっているのは、こうしたテイクオーバーが都市部を中心にして、少しずつですけれども、広がっている中で、こうしたテイクオーバーが公立学校改革とか、子どもたちの学力向上という成果を本当に生み出しているのかどうか、その辺での検証が、今、政治学とか、教育行政学の研究者の間で行われているようですけれども、明確なデータを踏まえた検証はまだ見ることはできません。そういう点では、なかなか評価が定まっていないというのが現状のようです。
 最後に、「おわりに」ということで、日本の教育委員会制度改革への示唆ということで、ひとつ。
 一つは、教育委員の公選制の選挙ですけれども、今言いましたようにいろいろ問題を抱えているのですけれども、公選制教育委員会制度を廃止すべきという議論を引き起こしていないということについては、正直言いまして驚きを持ちました。なぜなのかということは、先ほども説明しましたけれども、基本的には教育委員会制度の意義というのは、権力集中の抑制とか、権力の多元化というところで、最大限評価されているのかなと。確かに公選制教育委員会制度の投票率の低さというのは、今、市長の公選制から任命制に切り替えるテイクオーバーを正当化する、ないしは支持するための一つの正当化の理由には挙げられていますけれども、投票率の低さ、イコール公選制を廃止しろという議論には直接結びついていない。そういう点で、公選制教育委員会制度の権力集中の抑制とか、多元化というところで、教育委員会制度の意義というのは、かなりの支持があるのかなという感じがしました。
 二つ目は、驚いたのは、教育委員の意欲か、高い使命感というのは、一体どこから生まれてくるのか、正直言ってよくわかりませんでした。自分の仕事を持ちながら、あれだけ広範囲の住民と対話を重ねながら、地域のアジェンダ設定や基本的な方向を決めていく作業を時間をとってやるわけですけれども、そういうエネルギーとか、使命感というのは、その背後には一体どのようなことがあるのだろうかというのは、正直言ってわかりませんけれども、一つには、公選制という自分は住民から直接選ばれたという自負、ないしは住民から選ばれたという正統性が一つは背景にあるということと、もう一つは、教育委員が地域のアジェンダ設定をやって、それを実現する専門家の教育長を自分たちで選ぶという仕組みづくりをきちんとしているところに、ああした教育委員のエネルギッシュな活動の背景があるのかなと。そういう点で、日本でも今まで公選制的な試みは、過去のいきさつがありまして、なかなか正面から議論できない雰囲気もあるわけですけれども、今後、地域の教育委員会の組織や運営を自治体の状況に応じて、柔軟に多様化して工夫していけるような余地が、この中教審の一つのテーマでもあるわけですけれども、もしも自治体の中で、そうした教育委員選びの中に公選的な試みをしてみたいという意向があれば、それも認めるような弾力化、多様化の方向もあっていいのではないかという感想を持ちました。 最後ですけれども、今言いましたように、アメリカの教育委員会制度の前提は、素人の教育委員会に対する非常に強い信頼が前提にされて、組織化され、運営されているのですが、そうした素人教育委員会への強い信頼というのは、もう一方では、そうした素人教育委員会が決めた方向性を、具体的な政策立案とか執行のレベルで実現していく専門家である教育長の専門的な地位とか、身分とか、ないしはその専門性を担保するような専門職資格がきちんとあるからこそ、そうした素人教育委員会への強い信頼が、もう一方では機能しているのかなと思います。そういう点では、教育委員会制度の議論という場合、特に素人教育委員会の話が中心ですけれども、もう一方で、専門家である教育長の在り方、その確保の仕方も密接不可分な課題ではないのかなということを確認できたように思います。
 予定の時間よりも長くなってしまいましたけれども、これで終わらせていただきます。

○ 鳥居部会長
 ありがとうございました。
 資料4を御覧いただきたいのですが、ただいまの御報告は、アメリカの調査の御報告でしたけれども、国内の地方視察を行いました。これは説明者を今日は用意しておりませんので、私が簡単に御説明いたしますが、資料4にありますように、今回は静岡県、それから静岡市、それから静岡市の近く、約1時間ほどのところにあります岡部町、三つの教育委員会を視察いたしまして、それから岡部町の町立岡部中学校を視察してまいりました。視察者は、そこに書いてありますよう、私と木村副会長、田村委員、吾妻委員、池端委員、稲田委員、門川委員、それからこの部会の委員ではいらっしゃいませんが、橋本委員、それからスポーツ・青少年分科会会長でいらっしゃいます松下委員というメンバーで行ってまいりました。
 今日は、行きましたメンバーのうち、吾妻委員、池端委員、稲田委員が今日は御出席でございますので、また後ほど何かありましたら御説明をお願いしたいと思います。
 行きました先の教育委員会のメンバーが、静岡県については1ページに表になっております。御覧いただくとわかりますように、委員長が鈴木さんという大きな会社の副社長さんでもあり、静岡銀行等、銀行の取締も兼ねていらっしゃる方です。
 それから、静岡県の教育委員会でのヒアリングの結果については、1ページの下のほうから2ページの真ん中以降まで書いてございますが、私どもの感想としては、一言で言って、首長と教育委員会との関係、つまり、知事さんと教育委員会との関係が非常にうまくいっていると思いました。
 それから、2ページの下のほうに、静岡市の教育委員会のメンバーのリストが載っております。これも委員長、以下ずっと書いてありますが、5名のうち3名が会社役員と書いてありますが、お三方とも会社の社長でいらっしゃいます。
 次の3ページにまいりますと、岡部町の教育委員が載っています。岡部町でも、非常に自信を持って教育委員会が学校との関係、それから町長の関係をうまくやっているということを、改めてびっくりするような思いで見てきまして、4ページの「(4)」にありますように、長谷川先生という女性の校長先生が、まだ着任1年ちょっとだそうですけれども、非常にしっかりとした学校運営をしていらっしゃる様子がわかりました。細かいことは省略させていただいて、後でお目通しをいただきたいと思います。
 今日の本題に入らないといけないのですが、あと1時間ぐらいしか時間がありませんので、実は本題ですが、今後の審議を進めていく上で、あらかじめ見通しをお話ししておいたほうがよろしいと思います。
 当部会といたしましては、遠からず中間報告の取りまとめの段階に入らざるを得ません。このために、次回は中間報告の骨子案について御審議をいただくことにしたいと思います。したがいまして、今日、事務方が用意してくれました資料等は、その骨子案にこぎつけるための素材、骨組みといいましょうか、そういうものだと御理解いただきたいと思います。次回はそんなわけで、中間報告の骨子案について御審議いただき、次々回、それからもう一つ先の回で、中間報告案の御審議を続けていただいてというふうに考えております。
 繰り返しになりますが、そんなわけで、今日は中間報告に向けて、これまでの会議で十分議論ができていなかった事柄等について、まず重点的に御議論いただきたいと思います。資料といたしましては、資料6というのをお配りしてございまして、これは当部会の議論を踏まえて、総会に報告をしたときの資料が中心になっています。当部会の議論というのは、相当細かくやってきたわけですが、それを総会に上げるために、かなり取捨選択したところもございますので、資料7に、当部会の一番詳しい論点整理が用意してあります。これが私たちこの部会で議論してきた資料だというふうに御理解いただきたいと思います。
 今日は、もちろん資料7に沿って、次回の中間報告の骨子の中に、これだけはしっかりと盛り込むべきだということを御指摘いただくこともぜひお願いしたいと思いますが、とりあえず私の判断で、資料6のほうを見ていただきたいのですが、資料6をずうっと見ていっていただいて、特に今まで議論がまだ十分行われていなかったところというと、どこかといいますと、一つは3ページの制度改革、「(8)」番でございますが、これについてまだ十分な議論が行われていないと思います。
 それから、4ページでございますが、真ん中辺に首長と教育委員会の役割分担というのがございます。このあたりがまだもう少し議論を深めていただければと思うところでございます。
 それから、7ページ、最後でございますが、保護者、地域住民の参画というところについても、まだあまり深い議論を行っていないように思います。
 こういったところを中心に、繰り返しになりますが、もちろん資料7の細かい論点の中で御意見があれば、それも出していただきたいと思います。ちょうどあと1時間、時間がございますので、御一覧いただきながら、どなたからでも御質問、御発言をお願いしたいと思います。
 また、かなり割愛させていただきましたアメリカ報告及び静岡報告についての御質問等も、関連のあるところはぜひお願いしたいと思います。よろしくお願いいたします。
 吾妻委員、どうぞ。

○ 吾妻委員
 ただいまの資料6の、最後からでは失礼かもしれませんが、どこからでもという解釈で、最後の7ページの保護者、地域住民の学校運営への参画についてということに関してですけれども、実は先日、ただいま会長さんからお話がありましたように、静岡の視察に参加をしてまいりました。最後の岡部中学校の様子を見学したわけですが、1万ちょっとの町で、1町1中学校、非常にすばらしい学校の様子を見させていただいたわけですけれども、お話を伺うと、来年度は町村合併で、藤枝市ともう一つ、焼津市と合併をするんですね。合併をしてしまうと、1町1中学校の非常にいい姿が、大きな都市、大きな教育委員会に埋没してしまうのではないかという話がありまして、バスの中で、京都の教育長さんと、あと角田さんとで後ろで話をしたのですが、ああいう学校ほど大きな町村合併をしたようなときに、学校に学校運営協議会のようなものを設置して、その学校のよさを残すというか、さらに広めていくようなことができるのではないかという話がちょっとあったんですね。
 そのことに関してですが、それとはちょっと裏腹の話になるんですが、前回のこの会議で、土屋委員のほうから学校評議員に関して、PTAでも間に合うのではないかということで、最後に議論になったと思うんです。そのときに、学校運営協議会のところまでは話が進まなかったような気がするんです。もう1回、あの辺のところを、今の7ページの内容等を含めて振り返ってみますと、土屋委員がおっしゃるように、PTAはPTAで十分間に合う部分があると思うんです。PTAは学校の協力だけだという論もありますけれども、そうではなくて、PTAとして学校に、保護者のほうから積極的にいろいろな提言などを行っている学校はたくさんありますし、それからPTAサイドで保護者のアンケートなどをたくさんとって、学校にどんどんいろいろな提言をしていく。あるいは、学校の中の空き教室などを一つ、PTAの教室としていただいて、そこで常時、PTAの役員などが学校に来ていて、学校との関係がうまくいっている。そのほか、会員同士の研修を積極的に行うとか、学校の教員側と保護者と一緒に研修会を行うとか、いろいろな活動があって、私は十分それで間に合う学校もあると思うんです。
 しかし、学校評議員とPTAのどこが違うのか。決定的に違うのは、大体特別の学校を除いては、PTAは保護者の集団です。それに対して学校評議員の場合には、保護者とは関係なく、その町、あるいは地域の教育熱心な、いろいろな提言をいただける方を委嘱して、学校評議員を運営しているわけでして、これはPTAの場合には、こういう言葉は使ってはよくないんでしょうけれども、いわゆる子ども人質論みたいなのがありまして、PTAの場合にはもう一つ思い切った提言が学校にできない。それに対して学校評議員の場合には、遠慮なく学校に厳しい提言をしたり、あるいは保護者とはまたレベルの違った、幅の広い、奥の深い提言などがたくさんなされていて、非常に学校評議員の成果を発揮している学校がたくさんあると思うのです。
 ただ、問題はまだ学校評議員制度が始まって、何年もたっていないわけでして、その成果が確認されない、あるいは横並び意識にとりあえず学校評議員を設置した学校、地域が結構あるんです。その辺を十分にまだ確認しないうちに、今回の学校運営協議会制度が出てきたことについて、まだ現場としては〈どうして?〉みたいなことを感じている人が、たくさんいると思うんです。ですから、その辺の本意をもう少し知らしめていくというか、学校現場あるいは地域がその辺のところを積極的に受けとめていかないと、なかなかうまくいかないのかなと。いみじくもといいますか、訪問した静岡県の岡部中学校の校長先生に、鳥居会長のほうから質問されたと思うんですが、学校運営協議会についてはいかがですかということに対しては、現在、学校長が自由にやらさせてもらっていることから、運営協議会が導入された場合には、少し窮屈に感じるかもしれないという発言があったわけです。もう一つ、評議員から学校運営協議会というところを、何か勉強してみたいといいますか、もう少し議論あるいは地域・現場に具体的なPRをしていかないと、評議員と運営協議会とごっちゃになって、結果として幾つもの組織はできたけれども、本当の深まりがどうなっていくのかということで、不安に思っているところがあります。

○ 鳥居部会長
 岡部町の場合には、非常にうまくいっているというのと同時に、今、吾妻委員が御説明くださったような問題と、その裏側の問題と、両方をうまく処理していると思うんです。どういうことかというと、これは埼玉県の小学校、中学校の視察のときもそうだったんですが、埼玉県の場合には児童の約10パーセントが親が離婚しているんです。岡部町はそこまでではないんだけれども、かなりの程度離婚している親がいる。さらに、親が子どものいじめというか、親が子どもの虐待をやっていることが明らかである子どもが何人かいて、その中の一人だか二人は、家に帰らないで山へ逃げちゃって、山で暮らしているというんですね。それを民生委員が ―民生委員というのは、我々、まちで暮らしている人間にはぴんとこないんですが、要するに戦前に方面委員制度ができて、地元の心あるボランティアの人たちが方面委員になって、戦後は民生委員と名前が変わってきたわけです。都会では民生委員なんていうのは、ほとんど何も機能していないまちもあるんですが、岡部町の場合は民生委員が実は頑張っていて、かつ民生委員のうちの一人が、学校評議員のメンバーなんです。その人たちが、山へ逃げて暮らしている子どもの面倒を見ているわけです。そこまで地域との密着した関係が成り立っていることを全部頭に入れて、校長先生はやっているんですね。ですから、修学旅行に行くときも、そういう子どもたちも必ず連れていく。連れていくためには、お小遣いの準備から、着るものから下着から全部、行った先で調達できる準備までして連れていくらしいんです。そこまで面倒を見る評議員がせっかく機能しているのに、今度新しい学校運営協議会ができ上がってきて、校長先生に対する方針の指示を出せるというようなことのほうにむしろ重点を置いた物の考え方をされたときに、窮屈になるのではないかという、今、吾妻さんが御紹介くださったような話らしいんです。なかなか難しい問題だと思います。
 今、私、地方であるがゆえの民生委員の機能をお話ししたわけですが、これがほとんど機能していない大都会の場合には、一体どのように地域との関係を考えていったらいいのか、問題を抱えている子どもたち、あるいは保護者との関係をどう考えたらいいのかというのを、どこかで扱わないといけないんだなというのが吾妻さんの御指摘だと思います。
 どうぞ、池端さん。

○ 池端委員
 失礼いたします。少々遅刻してまいりまして、大変申しわけございませんでした。
 実は日本PTAの事務局へちょっと寄っておりまして、ちょうどその話をいかがお考えかということを、役員の方がおられましたので、ちょっとお伺いをしてまいりました。運営協議会に関しては厳しいものがあるのではないかというお話でした。それと評議員のほうに関しましても、これはあくまでも学校長のほうから指名を受けるのであって、我々PTAのほうから入りますとか、入らせてくださいというものではまたないということです。それと先ほど吾妻先生もおっしゃいましたが、あまり校長先生にやいやい言うと、PTA入らんとってというようなことにも往々にしてなりかねないということもお話があったわけです。
 特に我々、心配しておりますのは、運営協議会のほうでは、あまりにも校長先生の権限に関しまして、委員会のほうがこれはだめだ、あれはだめだ、もう必要ないということに偏ってしまう可能性もなきにしもあらずということで、そのあたりは、先ほど岡部中学校の校長先生のお話もございましたけれども、窮屈になるのではないかと。そのあたりの心配がございいました。
 それと評議員、また協議会のほうですけれども、極端なことを言うと、公民館の運営と同じような形に学校の運営がなってしまうのではないかという心配があるであろうということで、そういうお話が先ほどございましたので、報告を兼ねて申し上げます。

○ 鳥居部会長
 ありがとうございました。
 今の問題は、保護者、地域住民と学校運営との関係、参画の問題ですけれども、それ以外の問題につきましてもどうぞお願いいたします。
 どうぞ、大澤委員。

○ 大澤委員
 学校評議員制度ですけれども、制度としては学校評議員ということになっておますが、現実の学校の運営等を見ておりますと、学校評議員で一堂に会しながら意見交換をしていただいたり、外部評価をしていただいたりという取組がかなり広がってきていると思っております。学校評議員制度と外部評価とをセットにしながら、学校の自主性・自律性を確立していこうということで、今、いろいろな学校がそれぞれ試みながら進めてきているところだと思っております。一部形骸化しているとか、そういう御批判はありますけれども、現実問題としては学校は地域にありますので、地域のあの方を抜いてはちょっととか、学校運営上では、いろいろ配慮しなければいけないこともあるんです。そんなことを取り込みながら、各自治体で学校評議員制度の要綱をつくりながら進めているのが実情だと思っております。ですから、このあたりがもう少し外部評価と学校の説明責任といったようなところは時代の流れ、校長たちはその動きを十分しておりますので、その方向を少し見守って、成熟していく方向で継続していくことが必要ではないかと思っています。
 それから、学校運営協議会と並べてありますと、十分理解しませんと、難しいところがあります。似たような名称で既にやっております。学校運営連絡協議会といったような名称で学校評議員の方が集まるような会のようなことをやっているところもありまして、一部正確に伝わっていないところがあろうかと思いますが、教育委員会の指定する学校において、地域運営学校としての学校運営協議会を設置し、校長や教員の人事権も含め、そしてカリキュラムを含め、かなりの決定権限を持つというところにつきましては、今、研究実践校がスタートしたばかりで、その結果が出ていないんです。それも地域性によってかなり違う。前段階にある問題がかなり違っていますので、そういったところの実施結果と成果と課題といったようなところを見ながら進めていくことが必要ではないかと思っております。
 いろいろなことが矢継ぎ早に展開されておりまして、学校もそれに追いつこうとしておりますが、それぞれの結果がまだ十分確認されていないままに進んでいますので、こういう方向性もあるけれども、状況を見ながら、結果を見ながら進めていくという方向性の検討も必要ではないかと思います。

○ 鳥居部会長
 今の件で、静岡県の場合は、角田さん、県の教育委員会が目標を掲げて、全校、学校評議会はやる。目標は100パーセント達成されたところであると言っていましたよね。学校運営協議会について下手に目標を掲げて、100パーセント目標なんていったら、今の大澤先生の話に照らして考えてみると、危なっかしいことになるんでしょうかね。相当慎重にやらないと。

○ 角田初等中等教育企画課課長補佐
 静岡の視察では、今、会長がおっしゃるようなお話があったところでございます。そのときは、学校運営協議会をどうするかというところまではなかったかと思っておりますが。

○ 鳥居部会長
 どうぞ。

○ 渡久山委員
 これは文部科学省で、全県の設置実態というのは、この間出なかったですね。ただ、県あるいは市町村でどれぐらいかということは出たんですが。私が幾つか聞き取りしたところでは、静岡は学校評議会が非常にうまくいっている県の一つだと思います。ですから、教育委員会そのものが非常に熱心にやられているということを聞いています。それが一つだと思います。
 先ほどからいろいろ議論がありますように、今、学校では、地域とのパイプといいましょうか、関係というのは、先ほどから出ているように、一つはPTAがあります。しかし、PTAの場合は、吾妻委員からもあったように、人質論とか、いろいろあったりして、これは子どもが学校に来ている保護者が限定されて、PTAの組織になっているわけです。そういう関係もあるのが一つです。だから、学校に話しにくいというのが一つある。また、学校によってはだんだん形骸化しているという側面があることはあるんです。出席が例えば保護者といっても、父親の参加はほとんどない、母親だけになっているという面もあります。あるいは、特定な人に偏りつつある。だから、評議員制度が出てきたと思うんです。
 ただ、評議員制度も、静岡のようにうまくやっているところもあるし、会長さんからもありましたように、校長がそれぞれの委員の選び方を慎重に、あるいはもっと機能的に選ばれているという場合はあると思いますが、校長が恣意的に選ぶというようにもなっているわけですね。もちろん教育委員会が任命していますけれども。しかし、教育委員会はそれを受けて任命するわけですから。そうであったら、校長の言いなりの機関になる可能性がまたこれにあるわけですね。そういうことが一つあるし、設置について、ややもするとこれは危惧である場合もあるわけですけれども、校長の味方だけになっているというものになっていて、実際に地域に広がらないという部分がある。静岡の場合は別ですけれども。
 それから言うと、私は、運営協議会になっていったときには、二つの要素があると思うんです。一つは保護者から、あるいは地域の代表という、代表の選び方が一定程度示されていて、そしてプラスアルファというか、各県の教育委員会が委員をプラスしていくことができるわけですね。そこには地域における民主主義的な選び方や、学校の一定程度の校長に対する規制が入ってきますよね。そういう面で、学校がやりにくい面もありますけれども、もう一つは、地域の教育ニーズがもっと聞けることもできてくるわけですね。そういう意味で、評議員制度よりは一歩進めた形で出ていくのではないかということを感ずるんです。
 今のように評議員制度が既に定着しているところであれば、別に不都合ではないと思うんです。例えば委員の全部が保護者でないという場合ですね。そうすると、そのうちの一部保護者に代えればいいわけですから、そんなに困難なことではないと思います。そういうことになってくると、地域における教育に対する考え方や学校に対する協力の在り方、あるいは学校や地域との民主主義的な関係、そういう民主主義の成熟度の問題等を含めて、この問題は機能的に動いていくのではないかという気がしています。

○ 鳥居部会長
 ありがとうございました。
 どうぞ。

○ 國分副部会長
 学校評議員と学校運営協議会ですが、先ほど前川課長が説明された内容とスケジュールのところの何ページでしょうか、学校教育委員会の改革の方向で、学校評議員、学校運営協議会の全国的な設置の促進と書いてあります。
 それから、今議論している論点の整理の一番最後の7ページの、先ほど会長がおっしゃった「(4)」のところの学校運営への参画についても、「学校評議員や学校運営協議会の制度の活用」と書いてあります。
 つまり、まだこの段階では、学校評議員と学校運営協議会というのを全く同じ扱いをしているわけですね。しかし、これはもう随分違うことだろうと思います。学校評議員と学校運営協議会とは全く違うと言っていいもので、学校評議員のほうは、校長先生の最終的な判断で、どういう方にお願いするか、そして、そこで意見を言ってもらう、あるいは自分が相談をかける、それについて校長さんは参考資料としてその意見を伺うのであって、最終判断は校長さんがやるという性格のものですから、常識的に見れば、かなり全国化しても、校長が困るという性格ものでなくて、いろいろな意見を出してもらうという活用の方法があると思うんです。
 ところが、学校運営協議会というのは、先般、法律改正してできたものです。これは参考意見ではなくて、校長を縛るんです。権限を持って、人事について発言権を持ち、しかも学校の運営方針について決定権を持つ。場合によっては、人事について別途任命権者に物を言う、権限を持って。全く違うものです。
 したがって、これは住民の学校運営への参画の一つのパターンとしてはあるけれども、メリットもあればデメリットもある。まさに地域の実情によって、そこのところは異なってくる性格のものだろうと思います。そして、まだ結果が必ずしもいろいろ出ていないという段階において、学校評議員と学校運営協議会を全く同じレベルで、この段階ではそうかもしれまんが、最終的にまとめていくときには同じ扱いというのはちょっといけないのではないかという気がいたします。

○ 鳥居部会長
 ありがとうございました。
 どうぞ、森田委員。

○ 森田委員
 今の話題とちょっと違うことでもよろしゅうございますでしょうか。早目に退席させていただきたいと思いますので、先ほどの論点の整理でいいますと、「(8)」の制度改革というところについて、私の見解を述べさせていただきたいと思います。
 3ページの制度改革のところでございますけれども、教育委員会を設置するか否かは、教育行政の基本事項であり、自治体の判断にゆだねることは不適当ではないか。そして、「※」印で、少数意見として、自己組織権に基づいて任意設置とすべきではないかという意見があったということでございます。
 私の意見は、どちらかというと、かねてから申し上げていますように、「※」印のほうに近いと思っています。その意味で言いますと、ここのところの書き方の問題で、任意設置といいますと、全く置かないことも考えられるという気がいたします。教育委員会の制度の中にも、幅広い制度的な選択肢があると思いますし、それに類するような多様な制度も考えられるのではないかと思っております。そういう意味で、例外を認めるという可能性についてもう少し趣旨を強く、この部分の書き方としては書いていただければと思います。
 また、先ほど鳥居会長が静岡県の岡部中学校の山で暮らす子どもに対して地域が大変ケアをしているというお話がございましたけれども、都市部はいかがなものかということに関して言いますと、これは2番目の「○」に関しますけれども、やはり市町村の規模とか、行政の資源によっていろいろな形があり得るのではないかという気がいたしております。
 関連しまして、その後、3ページから4ページにかけまして、いろいろ制度の幅を持たせる御提案があるわけでございますが、私自身はこれに限らず、もっといろいろな可能性があるのではないかと思っております。
 それに関連して、今日、大変いいお話を聞かせていただいたと思っておりますのはアメリカのケースでございまして、もちろんアメリカの場合はいろいろございますけれども、向こうの考え方としましては、とにかくそれぞれの地域に応じていろいろなものを選択していく。それはメリット、デメリットについて大変批判もあるし、高い評価を受けるところもあるわけですけれども、それを一つの実験としてやっていくというところが、特に多様な社会であるがゆえに、そうせざるを得ないところもあろうかと思いますが、我が国でもそういう考え方を取り入れていってもいいのではないかと思っております。
 これが私の意見ですけれども、次に、アメリカの調査報告についての質問もさせていただきたいと思います。それは今日の御報告であまり触れられなかったというか、ほとんど言及されなかったところではないかと思いますけれども、財政の話でございまして、教育委員会の主要な事項が教育予算に関する決定であるとか、そういうお話がございましたけれども、財源をどうしているかということと、当然のことながら地域でその財源を調達しているということになりますと、財源の偏在性といいましょうか、偏りが出てくるのではないか。
 また、教育長については教育委員会のほうから ―教育委員のほうは無給に近いところが多いというお話でございましたが、教育長に関していいますと、専門家の間から全国的なベースでリクルートしてくるというお話だったと思いますし、それが契約によるといたしますと、同じようなものとしてシティーマネジャーというのがございますが、あれはまさにどれくらい報酬を払うかということが、いい人材を調達するための大変大きな問題になっているわけでございまして、同じようなことが教育長についても言えるのか、先生はどうなのか。さらに言いますと、どうしても高い給料が払えるところと払えないところが出てくるのではないか。そういう問題については、アメリカの場合にはどうされているのか。いいとか悪いとかともかくといたしまして、少しその辺も伺いませんと、アメリカの制度の全体像が見えてこないような気がいたすものですから。
 そういうことも含めて、もう一度結論述べますと、多様な仕組みが考えられていいのではないかと私は思っておりますので、そのことを教えていただければと思います。

○ 鳥居部会長
 今の御質問にまず角田さんからお答えいただけますか。

○ 角田初等中等教育企画課課長補佐
 学区の財源でございますが、公立学校の設置維持につきまして、一般的に独自の課税権を持っています。スクールタックスという形で、学校税を地域住民に課すことが認められております。ただ、このスクールタックスだけで学区の財源が賄われているわけではございませんで、州の補助金がかなりの割合で入っているという状況でございます。委員がお話になりました学区間の財政的な状況の是正ということでございますが、州の補助金によりまして是正するという状況があるととらえております。
 ちなみに、古い資料で恐縮でございますけれども、1995年度の数字でございますが、これは米国全体の数字でございますので、個々の学区にいたしますと恐らく違ってこようかと思いますけれども、全体でということでお話し申し上げますと、初等中等教育にかかります教育費の構造ということでございますが、学区が負担しておりますのが全体の約4割、39.9パーセントということでございます。州が43.8パーセント、また、連邦も若干負担しておりまして6.1パーセント、そのほか授業料でございますとか、私費負担等がございまして、これにつきましては10.2パーセントということで、全体的には4割を学区が負担しているということでございます。

○ 鳥居部会長
 森田先生が御退席になっちゃうといけないんで、問題をもう一つ伺いたいんですが、任意設置という考え方を、さっきの静岡の場合とアメリカの場合について当てはめて考えてみますと、静岡の場合、県の教育委員会と市の教育委員会と岡部町とか、何々村の教育委員会とありますよね。任意設置というのは、どこが任意設置にしやすいのかというのを考えますと、たぶん県の教育委員会というのはむしろ委員会があったほうが安定的なのかもしれない。首長さんと知事さんとある種の拮抗関係になっているほうがいいのではないか。ところが、岡部町までいくと、町長がほとんど全部仕切っても、うまくいっているみたいな感じがするわけです。上よりも下のほうが任意設置しやすいような感じを受けて私は帰ってきたんです。
 アメリカは逆で、大統領がいて、州のガバナーがいて、そこのところは何も教育委員会を置かなくたって十分機能している。ところが、下へ行けば行くほど教育委員会の機能があったほうがよさそうに、今のお話だと聞こえる。どうも日本とアメリカで逆さまの関係になっているような気がしながら、先生のお話を伺っていたんですけれども、どうですか。

○ 森田委員
 幾つか論点があると思いますけれども、ただ、アメリカの場合は、基本的に市町村といいますか、ミニスパリティーの規模が日本よりはるかに小さい、平均すると小さいと思いますし、全く置かれていないところでも、人が住んでいるところはございますので、そういうところできちんとした教育をどうしていくかというときに、まさに学校を設立して運営するためだけの自治体というのが、スペシャル・ディストリクトという制度です。したがって、そこで必要な経費はそこの住民に対して課税をする。それがだんだん、州が援助をしたり、水準を上げていくということになっていると思います。
 そういう意味でいいますと、向こうの場合には、まず学校をつくって運営していくために、そういう仕組みが必要だったというのが、下からといいましょうか、住民に近いところで出てきた理由だと思います。日本の場合は、むしろ考え方が逆でございまして、いわゆる政治性のような話から出てきたものですから、―それだけではないかもしれませんけれども―、県レベルできちんとした行政委員会というものを置く。それはむしろ置くだけの力があるという前提で、そういう仕組みが望ましいという話になってきているのかなと思っております。
 したがいまして、政治的な中立性の話と負担能力の話と、あるいはより教育を身近なところでやっていくという幾つかの次元が錯綜していて、どの軸を優先するか。都道府県に教育委員会を設置して、市町村のほうは任意制でいいのではないかという考え方もあろうかと思います。それはそれとして、どうしても都道府県レベルでそういう委員会があったほうが望ましいというならばそういう制度で、市町村についてそれを少し弾力化するということもあり得るかと思います。別な観点から言いますと、都道府県でも1,200万の東京から、60万の鳥取県まであるわけでございまして、それぞれのところでまたそれぞれのいい仕組みをお考えになった場合に、それをどのように認めていくか、認めないのか、それはまた別の問題ではないかと思います。その辺は、制度の問題としますと、教育委員会という今の制度を置くか置かないか、制度をどのように変えていくかという話と、どのレベルでそれを考えるか。それも規模のレベルで考えるか、自治体の階層のレベルで考えるか、また、それぞれ首長さんとか、議会などの関係においてそれをどう考えるか。いろいろなことがあるので、乱暴に言いますと、全部含めていろいろなやり方を少し考えて、選択の余地を設け実験してみてもいいのではないか。もちろん何でもありというわけではございませんけれども、少しその辺は弾力的に考えたほうがいいのではないかという気がしましたし、今日のアメリカの報告を伺っていて、その意を非常に強くしたということでございます。

○ 鳥居部会長
 ありがとうございました。
 土屋委員、どうぞ。

○ 土屋委員
 森田先生がいらっしゃるときに、森田先生と違うようなニュアンスのお話をしたほうがいいと思って手を挙げたんですけれども、確かに私たちがお付き合いしている中には、武蔵野市は富山県の利賀村なんていうまちとやっているんですけれども、これは1,000人の村ですから、これは教育委員会を置かなくてもいいのかなという気もします。一般的に今問題になっているのは、教育委員会を置くか置かないかの論点ではなくて、文部科学省を中心とする標準的な国の統一的な教育行政がどこまで下に伝わるか伝わらないかという、そこがポイントだろうと思います。例えば私どもは13万ぐらいのあれで、最新の統計ですと、人口からいくと160何番目なんです。こういうところは比較的教育を一所懸命やろうとする首長が出れば、標準以上の教育行政ができます。しかし、私が知っている首長というのは、いろいろタイプがありまして、ピンからキリまでという言い方は失礼だから、教育に興味を持っていらっしゃる方もいれば、福祉に興味を持っていらっしゃる方もいれば、土木行政に興味を持っていらっしゃる方もいる。そういう教育にはあまり関心をお持ちでない方が首長になったときに、それでは何を頼りに子どもたちは学校教育を受けていくのか、ここがポイントだろうと思っております。
 ですから、ある程度首長から独立した形の教育委員会制度があれば、まあ、上意下達とは言いませんけれども、国がある程度考えているような教育委員会、教育制度の底支えみたいにはなるんで、前にもちょっと同趣旨のことを申し上げましたが、そういう意味では、教育委員会制度を制度的にある程度 ―うんと小さなところまで必要かどうかということは、1万人規模ぐらいのところにはどうかという議論がありますけれども、私はある程度制度的な保障としてやっていって、その場合には中央集権という言い方はあれですけれども、ナショナルスタンダードでいい。逆に言えば、ナショナルスタンダード以上のことはできない。こういうことが実態としてあるのではないかという気がします。
 ですから、教育委員会制度というのをどういうふうに考えるのかによって、いろいろな意見が出てくると思いますけれども、教育に関心を持たない首長が出たときに、どう教育のナショナルスタンダードを保障するのかという制度として、ある程度きちんと位置づけたほうがいいのではないかという気がします。

○ 鳥居部会長
 どうぞ、稲田委員。

○ 稲田委員
 私は、佐賀というどちらかといえば地方にいまして、痛切に感じることは、今、教育に関心のない首長云々の話が出ましたけれども、そういう人がかなり多かったんですね。教育の問題は教育委員会にお任せしますという考え方の首長が大多数だったように思うんですが、今、非常に違った現象が出てきたわけです。これは急激に知事とか、市長とかといった首長が若返って、いわゆる四○代になってきたものですから、子どもが小学校に行っているというのが何人もいます。そういうふうになってきますと、教育に対する考え方が変わってくるわけですね。
 例えば、佐賀市の木下という市長がいますが、これは四三、四歳です。彼はいわゆる教員の人事権を市に譲ってほしいということをしきりにおっしゃっています。これに対して、これもまた小学校のPTA会員である同年代の知事が、非常に理解を示しているんです。県の教育委員会がそのような方向を示しているわけです。今までは人事権なんていうのは、やはり県が握っておかなければいかんという考え方をしていたのですが、今、そのようにして動きが見え始めている。
 もう一つは、佐賀市の場合でも、市長の教育方針に合った教育長とか、教育委員会とか、そういったものにしたいという意欲が非常にうかがえるわけです。例えば品川区は自由学区制ですから、これに佐賀市長が興味と関心を持っているわけです。もう既に決めていると思うんですけれども、できれば品川区立小学校の校長先生を佐賀市の教育長に持ってきたいというふうな考え方をしているようです。話もしていると思うんですけれども、これは議会がどう言うか。議会を通さなけばいけませんので、まだ議会を通していませんから、壊れるといけませんので、名前までは言えませんけれども、はっきり品川区立の小学校の校長と。
 そのようになってきますと、かなり変わった教育委員会あるいは教育長が出てくると思うんです。したがって、首長が若返ってきて、教育の本当の意味での保護者というか、クライアントとして考えてきた場合に、こういう問題が出てくるわけで、4ページにある首長と教育委員会との連携方法についても、また新たな動きがあちこちから出てくるのではないかという見方をしております。これは実例ですけれども。

○ 鳥居部会長
 ありがとうございました。
 どうぞ、津田委員。

○ 津田委員
 いつも同じようなことを申し上げて申しわけない。本当に教育委員会が必要かどうかというところから考え直す時期にあるのではないか。今日、アメリカのお話を聞いて、ますますそう思っています。教育委員会がなければできないことって、何があるのかなと思って考えてみたんですが、あまりないような気がするんです。
 幾つか理由があるんですが、一つは、教育委員会と首長の関係がうまくいっていて、首長の意思がよく反映されているところが、教育委員会がうまくいっているところだといわれる。それは本来のレイマンコントール、即ち首長との独立性という点で、何か矛盾しているのではないかという気がしております。
 日本の財政赤字を考えますと、非効率的なことは一切合財削っていかざるを得なくなる。教育委員会で、全国でどれぐらいの経費を使っているかというと、正確にはわからないんですが、3,200の市町村があり、平均5人おるとすれば、1万5,000人はいらっしゃる。年間の総報酬では100億とか、あるいは200億になるでしょう。
 教育委員会ができた効果があればいいと思うが、アメリカの制度が戦後持ち込まれて、日本の教育が50年たって、国のことも思わない、家族のことも思わない子どもらが増えておる。惨憺たる結果になっていると思う。それではアメリカの教育がうまくいっているかというと、少年犯罪の増加や、その他を見ても、うまくいっていない。
 日本の場合、首長によって教育が非常に悪くなるのではないかとう心配については、一つの歯どめは、首長は公選制である。出来の悪い首長は、民衆が首を切る権利がある。これは最高の歯どめではないかと思うんです。先ほど土屋さんもおっしゃったことや、他にも例が出たように、中にはおかしな人もいるかもわからないけれども、国がナショナルスタンダードをはっきりと示し、最低のやるべきことを決めておけば、それに反しているかということが国民の目に明らかになる。国民だってばかではないから、ふるいにかけていく。―私はしばらく教育委員会をやっておったんですが、先生でぐあいの悪い人がおると、教育委員会名で処罰する。その発令は教育委員会名でやるので人ではない。首長が処罰すれば、処罰するということについての責任の所在もはっきりする。教育委員会名で発令するということで、何となく責任がぼやけてしまっている。
 日本の教育で一番必要なのは、責任者が誰かということを明確にすることではないかと思うんです。政治でもすべてそうです。レイマンコントロールというと、形としてはいかにも民主主義を象徴しているような形になるんですが、実態としては、教育の責任の所在をあいまいにしてきた一つの原因ではないかという気がしてしようがないんです。
 一挙にやめるかどうかは別にして、教育委員会の在り方自身、必要かどうかというところから本当は考え直さないと、日本の教育の根本的な改革はできないのではないかという気がいたします。

○ 鳥居部会長
 ありがとうございました。
 どうぞ、北城委員。

○ 北城委員
 今のレイマンコントロールに関してですけれども、私も直接教育委員会に参加しているわけでなないんですが、しかし、日本の制度をいろいろ見てみると、教育についてはどうしても社会の変化についていっていないのではないか。大学教育、あるいは初等中等教育の在り方というのは、我々実業界で仕事をしている身からすると、非常に改革が遅い。そういう意味では専門家だけによって教育をするというよりは、教育委員会等に一般常識人あるいは企業経営者 ―労働者のうちの大半は企業で働いていますから、企業経営者の視点も入れながら教育改革をやっていくことは必要ではないかと思うので、教育委員会の中身の実態のほうをうまく機能するように変えていったらいいのではないか。
 確かに伺うところによると、教育長というのは、暗黙のうちに教育委員で、首長が「この人を教育長にしよう」と思っている人が教育委員になると、その人が教育長になってしまうというふうに伺っているので、アメリカの例のように、教育委員会があって、おかしな教育長は教育委員会が交替をさすとか、そういう評価も含めて、実質的に教育委員会が機能するようになれば、レイマンコントロールの意味はあるのではないかと思うんです。日本の企業の取締役会も、形式上は取締役が社長、会長を選ぶということになっているんですが、実態は社長、会長が取締役を選ぶのが日本の取締役会で、実際、商法の趣旨と全く違うことを日本はやっているので、形と実態が違うんですけれども、教育委員会についても、一人一人の委員を選ぶときには首長が選ぶのかもしれませんけれども、レイマンコントロールの聞くような方を教育委員にしておいて、教育委員が本当に教育長を評価しながら、必要であれば教育長を代えて、教育の仕組みを変えるということが必要ではないかということ。
 もう一つは、今回の改革の点で、市町村の教育委員会に人事権を与えるべきか、あるいは県が人事権を持つかということに関して、資料6の5ページの下に、教職員の人事権は市町村に移譲する方向で検討すべきではないかとありますが、私はこの方向でやっていただきたいと思うんです。県が人事権を持っていること自体が ―最終的には校長先生に人事権を持ってもらうべきではないか。上申権は今もあるようですけれども、基本的な人事権は校長にあって、例外的な広域異動とか、教員からの希望とか、例外があれば、市町村あるいは県にまたがってもいいと思いますが、基本的な人事権は校長にあるという格好でいく方向がいいと思います。

○ 鳥居部会長
 ありがとうございました。
 どうぞ。

○ 國分副部会長
 ただいまの発言に関連して、前半部分ですが、教育委員会が教育長の任命権を持つべきであるという御議論がありましたけれども、教育委員会制度の議論をするときに、いつも教育長の人材確保というのが問題になるわけです。しかし、どうも今回は、その点についてあまり議論がされていないように思うんです。
 先ほどのアメリカの報告でも、教育長の選考に教育委員会が全責任を持ってやる。同時に、教育委員会と教育長は雇用関係にあるというお話がありましたけれども、現在の都道府県の教育委員会の教育長は、それに逆行した形になっているわけですね。それは平成10年でしたか、中教審が答申した内容とは違う形で教育委員会の人事権が……。つまり、都道府県の教育長も特別職にすべきだ。待遇改善を図るという観点から、同時に当時、文部大臣の承認制が廃止された見返りとして、議会の同意を得るというのが中教審の答申であったんですが、最終的に実現したのは、教育委員から教育長を選ぶ。教育委員会は知事が選ぶわけですから、まさに実質的に知事が教育長の任免権を持つ、こういう形に変えられてしまったわけです。
 それが運用してまだ数年だと思いますので、その功罪をどう考えるかというのが根本的にあるように思うんです。
 先ほどおアメリカでの報告でも、教育委員会は教育熱心ではあるけれども、素人である。しかし、そこを補って、教育長という専門家がいるんだ。この専門家とは何だというのが、たしか二、三回前のここでも問題になったんですが、その議論はあるんですけれども、専門家を得る。つまり、教育内容について詳しい人なのか、行政の専門家なのか、両方兼ねた人でなければならないのか、いろいろあると思うんですけれども、教育委員会があるという前提ですけれども、その中での教育長の人材確保というのを改めて考える必要があるように思います。
 先ほどの静岡の例でも、偶然かもしれませんけれども、県の教育長さんは高校出身の方ですし、それから静岡市、岡部町は義務制の校長さん出身ということでありました。
 ついでに申し上げれば、知事部局とうまくいっていれば、教育委員会制度の存在意義はないのではないかというお話がありましたけれども、かつて九州のある地域で、教育委員会と首長が猛烈に対立したことがあります。知事が何とか教育に入りたいというのを、教育委員全員が体を張って阻止した。教育委員を変えようとしたけれども、今度は議会が抵抗したという歴史もあることを一つ御記憶いただきたいと思います。

○ 鳥居部会長
 土屋委員、どうぞ。

○ 土屋委員
 現実的な意見ばかり言って恐縮ですけれども、先ほど北城委員がおっしゃった趣旨は、おおむね私も賛成なんですけれども、教育長が実際にいろいろ機能しなければいけないということ。
 ただ、人事権についてですが、人事権というのをどこまでを人事権と言うのかによって違ってくると思います。つまり、採用から始まって、最後は処分まで含めた人事権を持つということについては、私どもは13万ぐらいの市ですけれども、教育委員会のスタッフにそんなに人を配置するわけにはまいりません。全体の数が現業を入れて1,100名ぐらいしかおりませんから、いわゆる事務職というのは800から850ぐらいしかいない。800ぐらいというのは標準であります。800ぐらいのところで、わかりやすくいえば、20代から50代までに800ぐらいの人がばらけているわけですから、その中で福祉あり、都市計画あり、治安あり、防災あり、また、教育あり、福祉だって細かく分かれております。
 そういうことからいくと、教育委員会の事務局に、いわゆる教育のすべてに通暁した形で、法律にも通暁した形で、処分まで行えるような人を置くということは、逆に膨大な事務局を抱えていく必要がある。だから、実際に任免まで入れてできるのは、政令市とか、そういうレベルでないときちんとできないのではないかという気がいたします。例えば10万ぐらいの我々の市は、先ほど申しましたように、人口でいくと160何番目ですけれども、それ以下の市で人事の任免も含めてやるということになると、むだな職員を抱えることになるだろうと思っております。
 それから、私、制度を設計するときに、いわゆる能力のある指導者とか、意欲のある指導者が出たときは、これはいろいろ伸びるわけで、民間の企業の場合も当然だと思いますけれども、ただ、義務教育の場合には、そうでない指導者が出たときに、どうするかということを考えておかないと、制度設計としてはいろいろ問題が起きるのではないかという気がします。
 佐賀県知事もこの間シンポジウムで御一緒しましたし、佐賀市の市長もよく知っております。市長会やその他でお付き合いがありますから。二人とも意欲満々ですよね。柔軟だし、新しいタイプの首長だと思います。だけど、そういう人がいなくなったらどうするのか。選挙で落ちて、いや、落ちてと言うと失礼ですが、自発的にやめたりして、そうじゃないタイプが出た場合にどうするのか。こういうことを含めて考えていかなければいかんのではないか。
 先ほど御発言の中に、教育委員の任命の話と、例えば品川区の校長を連れてくるという話は、現行の人事権の中でできる話で、つまり、現行の制度の中でできることをきちんとやった上で、なおかつ制度としてそれをどう見るかという議論をしなければならないだろうと思っております。
 それから、先ほど津田委員がおっしゃった中で、今の若者を含めて、極めて残念な現象というのは、現場で嫌というほど見聞きいたしております。武蔵野市も「子どもSOS支援センター」というのをつくって、親が子どもに虐待するのを24時間で対応しようということまでやっております。幸い武蔵野市の場合には、件数が少ないんですけれども、そういうことも含めて、今、非常に残念な状況が起こっておりますし、また、最大の問題点は、最近、新聞に出ていたニート。ある程度年齢がきても、就職もしないし、それから職業訓練も受けない、こういう層が、一説によると50万人とか、新聞でさっと見ただけですからあれですけれども。
 さらに問題なのは、この間もあるところで国際比較等が行われておりましたが、高校生の意識みたいなものは、自分の親が本当に苦しくなって、助けを求めたときにどうするかといったときに、アメリカや韓国や中国は、60パーセント台が親を助けると言っている。我が日本だけは20パーセント台。そのほか幾つかの指標があります。
 津田委員がおっしゃった、この国はどうなったんだという嘆きは、本当にそのとおりだと思います。だけど、それが学校運営協議会とか、あるいは評議員とか、そういうことの制度だけで本当に対応できるんだろうか。私は日本における教育観を根本から変えなければならないと思っています。それは一言で言えば、明治以来続いた貧しさを前提にした、身を立て名を上げよ励めよと。世の中に出て成功すれば、自分は豊かになれる、あるいは周辺も助かる。こういうふうなことを動機づけにした教育を ―生まれながらにして子どもたちは豊かで、エアコンのきいた中で、腹いっぱい食べて、そして時間がくれば親が管理してくれる。そのように時代状況が変わったにもかかわらず、教育のポイントを依然として貧しさからの脱却みたいなところに置いているのではないか。我々は学校教育も、家庭教育も、地域教育も、スタートしたときから物質的には豊かなんだ。だけど、その豊かさを前提にしてどうしたらいいかというように、具体的な方法も含めて、そこを変えていかなければならないのではないかという気がいたします。

○ 鳥居部会長
 ありがとうございました。
 津田委員、どうぞ。

○ 津田委員
 申しわけないです。短く申し上げますが、今の点がまさに問題だろうと思う。私も教育委員を5年ほどやっていたんですが、文部省検定を通った教科書がいろいろ出てくる。特に社会科とかでですね。教育委員会で審議すると、結局、どちらかというと無難なものを選ばざるを得ない。例えば、扶桑社のよく言われる「新しい日本歴史の見方」という本を採用するのは、大体私学系です。そういう協議をすると、必ず多数決で、どちらかというと無難なほうへいってしまうので、公立学校では採用されることがない。そういうふうに教育委員会というのは、いわば激変を緩和するための組織であるだけに、新しいことをやりにくい制度、仕組みになっている。
 もう一つ、レイマンコントロールの件ですが、アメリカあたりは社会奉仕の観念が行き届いていますから、先ほどの調査でも、教育委員のお年が40から50歳ぐらいの人が非常に多い。しかも、勤め先を見ますと、政府の職員も入っていましたけれども、そういうのに出席することを積極的に認める。ところが、日本の場合、40歳、50歳の人が、仕事中に「今日、教育委員会だから休ませてくれ」なんて言ったら、会社は嫌がる。だから、レイマンコントロールというものが、60歳以上定年を過ぎた人、時間のある人になってくる。もっと働き盛りの人に、給料を出して、やれというふうになってくると、その人は既にレイマンでなくなっちゃうわけですね。教育に専従してくるから。その辺のことが矛盾としてあるのではないか。社会的な仕組み全体も考えないと、なかなかアメリカと同じようにはいかないのではないかと思います。

○ 鳥居部会長
 ありがとうございました。
 時間がなくなりましたので、お一人ずつ手短にお願いいたします。
 それでは、山本委員、どうぞ。

○ 山本委員
 申しわけありません。私も4時過ぎに出なくてはならないので、お願いでございます。
 資料6の論点整理をだんだん中間まとめにしていくというお話ですが、一度、総論の前に問題点の整理をしていただけないかということでございます。諮問に問題はありますけれども、ずっと議論で出てきていることは、その根底にある問題だと思うんです。そこをクリアにしておかないと、先ほどの制度改革の問題にしてもうまくいかないのではないか。例えば具体的に申し上げますと、私が聞いていて、あるいは自分で考えて、戦後、日本の社会構造の変化がたびたび出てきていますが、それに対応してこなかったところの問題が大部分かもしれない。今、過疎化・高齢化ですね。市町村合併が進みますけれども、過疎化・高齢化の高齢化なんていうのは対応できない。そういうことに伴って、教育委員会の活力が落ちてきているという問題もあるかもしれないわけですね。先ほどのアメリカの例では、教育長をあちこちからリクルートする。日本の場合には、当該地方公共団体の長の被選挙権を有する者となっています。というようなこととか、いろいろあるわけです。そうしますと、根底にある問題をもうちょっときちんと整理してみて、それに対して、今の教育委員会で対応できるのかどうなのかということを検討していかないと、いつまでたっても議論が進まないような気がします。私は今の教育委員会の弾力化とか、思い切って大綱化でもいいかもしれない、それで十分対応できると思っているんです。その辺がぼやっとしているために、議論が散漫になっているような気がしますので、これはお願いでございます。

○ 鳥居部会長
 では、吾妻委員、それから渡久山委員、お願いします。

○ 吾妻委員
 教育委員会制度は大事な話だと思うんですけれども、何かまた途中でまた違うほうにいったような気がするんですが。いろいろな教育委員会の運営の仕方、あるいはエバリュエーションがあると思うんですけれども、先ほどのどなたかの、なくてもいいという意見は、私はちょっと納得できないんです。教育委員会そのものと、教育委員会の事務局とが混同して議論しているところもあると思いますし、それから先ほどの首長が教育に非常に熱心な場合とそうでない場合との問題、あるいは首長が例えば住民から見て問題があれば、選挙があるじゃないかと。でも、選挙で落ちるほど教育に失点を残した、それからでは教育は間に合わない。その間に子どもは毎日成長していくわけですから。この論は私は好きでないんです。国民が見ている、選挙があるという論法はね。
 それから、どんなに教育に熱心な首長でも、教育だけ見ているわけではないわけで、たくさんのことを抱えての中の教育ですから、それぞれの地方自治体には教育を専門にという事務局が当然あるわけでして、そこの統括をする教育長、そして教育長を含めた教育委員という制度は、私は欠かせないと思うんです。
 それから、レイマン論ですけれども、現在の制度ですから、教育委員は非常勤で、例えばどういう人を専門家と言うかという議論は別にして、どんな教育の専門家でも教育委員の立場だと、ある意味でレイマンになるわけです。毎日そのことを扱っているわけではないわけですから、事務局職員が毎日、一つ一つの問題をやっているのに比べれば、月に1回、2回出てきて、その報告を聞いて、判断をするというのは、教育に長く携わった人でもレイマンになると思うんです、その部分ではね。それでいいと思うんです。
 問題は、事務局をどう充実させるか。ですから、私は最初のときに申し上げましたけれども、教育委員会制度を残すか残さないかみたいな議論ではなくて、今の教育委員会制度で、運営の仕方、内容の充実の仕方で、まだまだやれるのではないかという考え方です。例えば国でいう、文科省、あるいはほかの省庁との絡みで言うと、国の役所の場合にはほとんどが文科省に入れば、そこで専門的に教育の仕事をすると思うんです。しかし、県や市町村の職員は全く違いまして、ある年数福祉をやっていたかと思うと、次は建設関係に行く。それがまた教育委員会事務局に回ってくる。また二、三年たつと移っていく。教育を専門にという職員が育たない。そういう危険性があるときに、それを統括しているのは教育長であるし、教育長と教育委員会が県とか市町村の場合には大事な力になっていると思います。
 それから、これから先の議論の中でぜひ入れてほしいと思っていたのは、教育委員会の事務局をどう充実していくかという中で、財力のあるところだけというのではなくて、規模の大きいところだけというのではなくて、どこも教育委員会制度をしく以上は、事務局に指導主事を必ず置くとか、社会教育指導主事を置くとか、あるいは事務局の専門的な職員をどのように育成していくかみたいなことを、ぜひどこかの文言に入れていただければと思います。

○ 鳥居部会長
 ありがとうございました。
 だいぶ時間が過ぎておりますので、大変恐縮ですが、手短にお願いしたいと思います。渡久山委員と宮崎委員でおしまいにしたいと思います。

○ 渡久山委員
 結論だけです。今議論になっている一番根本は、教育委員会の活性化なんです。活性化という場合に、幾つかのファクターがあるかもしれませんが、一つは権限だと思います。もう一つは、選び方だと思います。だからといって、今、果たして公選制までいけるかどうかわかりませんけれども、首長の任命制であっても、一つの枠をつけた任命というのをさせてみることもいいのではないか。
 それと同時に、教育長は、行政権限としては首長から見たら同じ権限を持つという形で、教育委員会が任命をするという形で、教育長は分離して、きちんとした専門家を置くという形にしていかんと、これは活性化されないのではないかという気がするんです。これは権限の問題です。
 それから、今、地教行法が変わって、県教委の持っている権限が非常に大きくなってきているんです。あるいは、もともと持っていたのが、いろいろな指導・助言、あるいは援助という形で、ある意味ではならされてきている面もあるわけだから、その辺をもう一度洗い直して、権限を強化していくという形にすれば、もっと活性化していくのではないだろうか。人事権については、できるだけ現場に近いほうに持っていく方法があったら、そのほうがいいのではないかという気がいたします。

○ 鳥居部会長
 ありがとうございました。
 それでは、最後に宮崎委員、どうぞ。

○ 宮崎委員
 教育委員会のミッションが明確でないというところが、よく見えないところだと思うんです。先ほどのアメリカの報告を非常に興味深く伺いましたけれども、わかりやすいですよね。要するに、教育長の優秀なのをとにかく選んで、雇う。そこがあるかどうかが一番大きな問題で、先ほど副部会長先生がおっしゃったとおりで、現実にはいろいろな理念とか仕組みをつくろうとしても、実質的は降ってくる教育長という立場になってくると、実現できないわけですよね。だから、教育委員会というのは、とにかく教育長を決めるんだというはっきりとした ―今、権限というお話もございましたけれども、すっきりとわかりやすく、権限を持たせるというふうにしていただけると……。私はそれは現場で非常に感じているところですが、幾ら委員会で建設的な理念だの施策だの、政策決定とか意思決定をしても、事務局の中を通っているうちに、いつの間にかうまいぐあいに消えていくわけです。なぜそうなるのかというのは、やはり教育長の選び方というところが非常に大きいと思っています。
 それから、例えば委員会に、先ほどのレイマンのお話ではないですけれども、どうして40、50とか、若い世代で本職を持っている人がなかなか出られないかというのは、委員会を夜やってくれれば、結構出られるわけです。つまり、夜できない事務局主導型の時間設定というところからして、中教審もそうですけれども、やはり出にくいと思うんです。その辺の構造全体をどう変えるのかというのも非常に大きなテーマだと思います。だから、ミッションをはっきりする。一番の問題点は、教育長の在り方、決め方、それから教育長と教育委員会との本当の関係という部分ではないかと思います。

○ 鳥居部会長
 どうもありがとうございました。
 それでは、最初に申し上げましたように、次回は中間報告の骨子案を用意して御審議いただくことにしたいと思います。今日の御議論の中でも、例えば教育委員会を任意設置にすべきであるという御意見と、いや、やはり教育委員会はきちんとつくっておこうという御意見とがありまして、骨子案をつくるといっても、なかなか事務局は難しいだろうと思います。その辺のところは次回以降の審議で詰めていきたいと思います。
 大体目標といたしまして、次回を含めまして、全体で3回ぐらい回を重ねる過程で、中間報告案をまとめたいと思っておりますので、御協力をお願いしたいと思います。
 最後に、事務局から、今後の日程につきましてお願いいたします。

○ 山田生涯学習企画官
 資料9でございます。日程につきましては、先ほど会長からお話のあったとおりでございまして、次回につきましては、今月22日の2時から4時まで、当グランドアーク半蔵門の、部屋のほうは4階の富士(東)の間でございます。どうぞよろしくお願いいたします。

○ 鳥居部会長
 ありがとうございました。
 それでは、これにて今日の会合を終わりにさせていただきます。
 大変不手際で遅くなりまして、恐縮でございます。ありがとうございました。

お問合せ先

生涯学習政策局政策課