地方教育行政部会(第8回) 議事録

1.日時

平成16年8月2日(月曜日) 13時30分~16時

2.場所

東京會舘 ロイヤルルーム(12階)

3.議題

  1. 地方分権時代における教育委員会の在り方について
  2. その他

4.出席者

委員

 鳥居部会長(会長)、國分副部会長、田村委員、渡久山委員、山本委員、横山委員
臨時委員
 吾妻委員、池端委員、石原委員、稲田委員、小川委員、片山委員、門川委員、佐藤委員、千代委員、津田委員、土屋委員、藤田委員、宮崎委員、森田委員、森脇委員、八代委員

文部科学省

 田中生涯学習政策局長、銭谷初等中等教育局長、板東大臣官房担当審議官、藤田生涯学習政策局担当審議官、月岡生涯学習統括官、樋口初等中等教育局担当審議官、山中初等中等教育局担当審議官、久保生涯学習政策局政策課長、山田生涯学習企画官、前川初等中等教育企画課長、角田初等中等教育企画課長補佐(その他関係官)

5.議事録

午後1時30分 開会

○ 鳥居部会長
 それでは、定刻でございますので、ただいまから中央教育審議会教育制度分科会地方教育行政部会第8回を開催させていただきます。
 お暑い中、また御多忙の中を、御参集賜りましてありがとうございます。
 今までに7回この部会を開いてまいりました。論点整理をそろそろやろうということになっております。そういうわけで、前回の部会で、論点整理を始めたところでございます。その後、この部会が属している会議であります教育制度分科会に、この部会の審議状況を報告いたしまして、分科会としての審議をしていただきました。
 またさらに、全体会議であります中央教育審議会総会も開きまして、総会にもこの審議状況を報告いたしまして、総会としての意見をいただいてまいりました。
 今日は、それらの総会や分科会における議論も御紹介いたしまして、それらを踏まえながら、さらに、この部会としての論点整理を進めたいと考えております。
 初めに、総会と分科会での審議状況などにつきまして、配付資料の紹介も含めて、事務局から簡単な報告をしていただいて、それから審議に入りたいと思います。
 それでは、事務局から、どうぞよろしくお願いします。

○ 角田初等中等教育企画課長補佐
 事務局から御報告をさせていただきます。
 まず、資料の位置づけにつきまして、御説明申し上げます。
 資料1につきましては、資料1-1から1-3までございます。今、御紹介ございましたように、この部会におきまして、7回部会を開催させていただいております。前回の部会におきましては、これまで出ました論点と、論点ごとの主な意見をまとめまして、それをもとに御議論をいただいたところでございます。
 この資料1のうち、資料1-2及び資料1-3につきましては、今申し上げた、これまで出ました論点と、論点ごとの主な意見をまとめた資料でございまして、この資料1-2、1-3につきましては、第7回部会において提出させていただきました資料に、第7回部会において出された意見を加えまして、まとめたものでございます。
 一方、資料1-1でございますけれども、7月15日に、当部会の親分科会でございます教育制度分科会が開催されまして、ここで7回までの部会の意見をもとに、論点整理について御議論をしていただいております。
 資料1-1は、教育制度分科会で提出させていただきました資料に、この分科会において出された意見を加味して、修正を加えたものでございます。
 これら資料1-1から1-3までの資料を、7月29日に開催されました中央教育審議会総会におきまして、審議経過として報告させていただいております。
 以上が資料の位置づけでございますが、資料1-1に沿いまして、若干内容を御説明させていただきたいと思います。
 この資料1-1につきましては、「総論」と「各論」ということで、大きく二つのパートに分けて、まとめさせていただいております。
 1ページ目、最初の「1 総論」でございますが、四つに分けまして、整理をさせていただいております。「(1)」が「市町村や学校の裁量と責任の拡大について」。市町村や学校の人事、予算に関する企画立案、原案提起などの裁量を拡大し、市町村や学校が特色を出し競って向上に努めるようにするとともに、その内容について説明責任を果たすような制度としていくべきではないか。
 「(2)」が「全国的な教育水準の確保について」。地方分権を進めると同時に、とりわけ義務教育については、ナショナル・スタンダードを示して、全国的な教育水準を確保していくことが必要ではないか。
 「(3)」については、保護者、地域住民の教育への参画について、学校運営協議会制度の活用などにより、学校運営や教育行政に保護者、地域住民の参画を得て、その意向をできるだけ反映していくことが必要ではないか、といったまとめをさせていただいております。
 次のページ、最後の「(4)」でございます。「制度改革と運用改善について」ということで、現在の教育行政制度の基本的な理念を維持しつつ、改革の合理性・有効性を検討して行うべきではないのか。教育委員に適材を得るなど可能な運用改善をまず行った上で改革を検討すべきではないか、といったまとめをさせていただいております。

〔銭谷初等中等教育局長出席〕

 次に、「2 各論」に移らせていただきます。各論につきましては、諮問にございました四つの事項を、柱に沿いましてまとめさせていただいております。
 「1」が、「教育委員会制度の意義と役割」ということでございます。
 まず、「(1)」でございますが、「中立性の確保について」。教育は、地方行政の最重要課題の一つとして政治的争点となりやすく、現在でも教育委員会制度によって政治的中立性を確保することが必要ではないか。
 「(2)」といたしまして、「継続性、安定性の確保について」。教育は、首長の交代による影響を受けずに、継続性、安定性を確保されるべきではないか。また、その一方で、教育行政も自治体の行政の一部であることから、首長の交代に伴う自治体全体の方針変更に沿って改革をしていく必要性にも留意すべきではないか、とまとめさせていただいております。
 次に、「(3)」でございますが、「教育行政の首長からの独立」ということにつきまして、教育の中立性、継続性、安定性を確保するために、首長から独立した執行機関が教育行政を担当すべきではないか。なお、仮に首長の教育政策に問題がある場合には、選挙で選ばれなくなること、また議会によるチェックも働くことから、首長が教育行政を担当してもよいのではないか、といった意見もあったところでございます。
 「(4)」でございますが、「レイマンコントロールについて」。専門家のみが教育行政を行うのではなく、地域住民の意向を教育行政に反映するレイマンコントロールの考え方は今後も維持すべきである。なお、複雑化した現代の行政においては、レイマンコントロールが機能することは実際には難しいとの意見もあったところでございます。
 「(5)」の「合議制」につきまして、教育行政の執行機関が様々な分野の代表者で構成されているほうが、地域住民の幅広い意見を代表することになるのではないか。なお、合議制について、決定が非効率、あるいは責任の所在も不明確となるのではないかとの意見があったところでございます。
 「(6)」の「教育委員の人選」でございますが、教育委員の人選が非常に重要であって、人材の充実確保を図るべきではないか。一方、小さな町村では、教育委員の人材確保が難しいのではないか、との意見があったところでございます。
 「(7)」、「教育長・教育委員会事務局の在り方について」。教育委員会が執行機関として実質的に方針を決定し、事務局はその方針に従って事務を行っていくようにすべきではないか。また、教育委員の活動を支援する専門の職員を配置すべきではないか。また、学校に対して専門的指導が行えるよう、指導主事の配置の充実など事務局体制を整えるべきではないか。このようにまとめさせていただいております。
 次に、「(8)」の「制度改革について」でございます。教育委員会を設置するか否かについては、教育行政の基本的な事項であり、自治体の判断にゆだねることは不適当ではないか。なお、自治体が自己の組織について決定権を持つべきとの観点から、任意設置とすべきではないか、との意見もあったところでございます。
 次の、市町村の人口規模や行政資源は様々であることから、教育委員会制度を人口規模などに応じて多様なものにできるようにすべきではないか、という意見があったところでございます。
 具体的な制度改革としては、3ページ目から4ページ目にございますようなものがあるのではないかということで、教育審議会の設置、教育委員の常勤職化、教育委員の選任にあたっての公募や公選の導入、教育委員の人数の弾力化、あるいは人数の増加、教育長と教育委員長が兼職できるようにすること、あるいは教育長の資格職化といったことが意見で出されているところでございます。
 以上が、1つ目の柱でございます。
 「2」の「首長と教育委員会との関係」につきましては、まず、「(1)」といたしまして、「首長と教育委員会との連携方法について」。首長と教育委員会との定期的な協議の場の設定、審議会の設置、基本構想などの活用によりまして、連携を深めるべき。
 また、予算の編成・執行や事務局職員の人事について、教育委員会の自主性が配慮されるべきではないかと、まとめさせていただいております。
 また、「(2)」の「教育行政への議会の関わり」につきまして、議会が教育行政について関心を持ち、議論していくようにすべきではないか。
 「(3)」の「生涯学習、文化、スポーツ等における首長と教育委員会の役割分担について」でございますが、生涯学習、文化、スポーツについては、学校教育とあわせて教育委員会が所管すべきではないか。一方、これらの施策はまちづくりの一部であり、首長との関係も深いのではないか。首長か教育委員会という縦割りの議論ではなくて、自治体全体としてどう取り組むのかを考え、両者が連携していくべきではないか、このようにまとめさせていただいております。
 また、幼児教育についてでございますが、教育委員会が関与していくべきではないか。また、市町村の役割が重要ではないか。
 私立学校については、私学としての自主性の尊重や公立学校との交流連携なども勘案しつつ、教育委員会の関わりについて検討していくべきではないか、このような意見があったところでございます。
 「3」の「都道府県と市町村との関係及び市町村教育委員会の在り方」に移らせていただきます。
 「(1)」の「国、都道府県、市町村の関係について」でございますが、国の指導が、都道府県から学校に進むに従って、強く受けとめられ、教育が画一的となる傾向があるが、それぞれが主体的に考えることによって、そのような状況を改めるべきではないか。
 全国を通じて一定水準の教育を確保するとともに、地域の特性を生かすことが必要であり、指導性と自主性のバランスが重要ではないか、といった形でまとめさせていただいております。
 「(2)」の「市町村教育委員会の在り方について」でございますが、子どもや住民に最も身近な市町村教育委員会が責任を持って教育委員会を担う仕組みが必要ではないか。また、小規模市町村では、共同処理などによって教育行政を広域で行っていくことが必要ではないか。
 政令指定都市については、原則として都道府県と同等の権限を与えるべきではないか。
 「(3)」の「都道府県教育委員会の在り方について」は、義務教育の実施における都道府県教育委員会の役割を、評価や条件整備に特化していくべきではないか。また、都道府県は、市町村の求めに応じて職員を派遣するなどの支援をすべきではないか。
 「(4)」の「教職員人事権の市町村への移譲について」でございますが、教職員の人事権を市町村に移譲する方向で検討すべきではないか。一方で、懲戒処分も含めた人事関係事務を現在の市町村の事務体制で処理することが困難である。また、一定水準の人材を県内全域で確保するために広域人事を行う必要がある。こういったことにも留意すべきではないのか。
 さらには、中核市につきましては、既に研修の権限が移譲されており、教職員の任免や配置などの権限についても移譲すべきではないのか。このようなまとめをさせていただいております。
 最後の「4」の「学校と教育委員会との関係及び学校の自主性・自律性の確立」についてでございます。「(1)」の「学校の裁量拡大について」。教職員の人事権について、校長の権限を拡大する方向で検討すべきではないか。一方、学校の事務処理の負担や、現在の職員の資質向上の重要性に留意すべきではないか。
 学校予算については、教育委員会が総枠を決めて、使途を校長に委ねるようにすべきではないか。
 学校管理規則を見直し、学校の裁量を拡大していくべきではないか。
 また、これら学校裁量の拡大に伴いまして、教職員の配置の見直しや学校組織の強化などの条件整備が必要ではないのか。このような意見が出されております。
 「(2)」の学校評価でございますが、学校評価は、保護者・地域・学校の三者が情報を共有し、学校運営に共同参画することを目的とすべきだ。なお、利用者が学校を選択できる仕組みをつくり、消費者主体のサービスを実現すべきとの意見もあったところでございます。
 また、学校評価の実施方法につきまして、自己評価の義務化、あるいは第三者評価の実施が必要ではないか、といった意見が出されておったところでございます。
 次の「(3)」でございますが、「学校に対する教育委員会の支援」ということで、指導主事の配置の拡大や学校訪問の実施の増加、指導主事以外の学校を支援する職員の配置などが必要ではないか。あるいは、校長会、教頭会を通じまして、学校現場の意見を吸い上げ、施策に反映させるべきではないか。
 最後の「(4)」でございますが、保護者、地域住民の学校運営の参画ということで、学校評議員や学校運営協議会の制度を活用し、保護者、地域住民の学校運営への参画を進めるべきではないか。地域が学校を育てると同時に、学校が地域を育てるという双方向の関係が必要ではないかということで、まとめさせていただいております。
 以上が資料1-1の説明でございます。
 それから、資料2、資料3でございますが、教育制度分科会、総会におきまして御議論がなされて、ここにございますような、簡単なまとめでございますけれども、意見がなされているところでございます。
 かいつまんで御紹介申し上げますと、まず資料2の、教育制度分科会における意見の要旨ということでございますが、幼児教育につきまして、教育委員会が積極的に関与していくべきだ。あるいは、保育所における教育も含めて幼児教育として考えていくべきではないか。
 私立幼稚園につきまして、市町村に権限を委譲すべきではないのか。
 あるいは、私立学校につきまして、私立学校制度は複雑であり、単純に教育委員会の所管とすればうまくいくというわけではないという意見でございますとか、あるいは幼児教育から高校教育段階で様々でございますので、そういった学校段階に応じて関与の在り方も異なるべきではないのか、このような意見がございました。
 あるいは、教育委員会が関わる範囲について、大学教育の部分が抜けているのではないか。
 あるいは、「生涯学習」について、「教育」という中に含めるのが適当かどうか。生涯学習は教育という言葉になじむのかといったような意見もございます。
 また、いわゆる地方分権につきまして、分権によってよくなっているとはいえない例もある。分権すればよくなるとは限らないということも主張すべきではないか。
 あるいは、学校の裁量権の拡大について、人事や予算のほか、学校管理規則の在り方についても議論したほうがいいのではないか。
 あるいは、保護者や地域住民の参画につきましても、既に学校運営協議会の制度化などの積極的な施策が行われているので、そういった状況を踏まえて検討すべきだといった意見も出されているところでございます。
 次に、資料3でございますが、中教審の総会においての意見でございます。ここにおきましては、イデオロギーの終焉といわれる中、コストを負担してまで教育委員会制度を維持する意味があるのか。徹底したケーススタディーを行いつつ、コストと効用の関係をしっかり確認すべきではないかといった御意見。
 また一方で、教育委員会制度維持のためのコストは、財政的にはそれほどかかっていない。むしろ独立した権限を持ち、迅速に決定できることの効用のほうがはるかに大きい。こういった御意見がなされております。
 あるいは、自治体の中で教育を本気で考えているのは教育委員会であり、教育委員会がなくなった場合に、教育の観点からしっかり取り組むことのできる部局がなくなるのではないか。
 あるいは、学校への権限委譲を進めるほど、校長の責務の重さも増大する。このため、学校に対する支援が必要になるなど、教育委員会を存在させる意義は大きいのではないか。
 あるいは、地方分権時代において、できる限り現場に任せたシステムへと組み替えていくことが必要であり、その中で、今の教育委員会制度のよい面をより凝縮した形で効率的に残していくことを考えるべきではないのか。あるいは、総花的に議論するのではなくて、教育委員会制度の行き詰まりを抜本的に打開するためにはどうするのかということを議論すべきではないのか。こういった意見が出されているところでございます。
 資料の説明と、分科会、総会における議論の御紹介は、以上でございます。

○ 鳥居部会長
 どうもありがとうございました。
 今、説明の中にありましたように、この部会で議論をしたときに出てきた論点整理は、資料の1-2、1-3です。1-2と1-3を使って、第7回のところまで御審議いただいたわけですが、そのときに実は、1-2と1-3の章立ては、教育行政の在り方というのがまず最初にありまして、その後に諮問を受けた4事項の1番目が、教育委員会制度の在り方とも表現していましたけれども教育委員会制度の意義と役割、2番目が、首長と教育委員会との関係、3番目が都道府県と市町村の教育委員会の関係、4番目が学校と教育委員会との関係についてとなっておりまして、資料の1-2、1-3は、それらが出てくるわけです。
 問題は、教育行政の在り方という、まくらに当たる部分をどのようにこれから全体の取りまとめの中で扱っていくかということを考えて、先ほど御紹介いただきましたように、資料1-1では、総論として吸収した形になっています。ですから、総論の副題が教育行政の在り方とか、あるいは我が国の教育行政の在り方とか、そんなことになるのかなという感じで見ています。そういうことも考慮されて、総論ないしは教育行政の在り方についての御意見も、ぜひ今日はお出しいただきたいと思います。
 それから、諮問を受けております4事項につきまして、さらに御意見をいただきたいと思います。
 それから、資料の1-2と1-3を比べますと、この部会での審議は随分たくさんの意見をお出しいただいていまして、それは資料1-3にほとんど列挙、羅列されているのですが、1-2では、それをかなりまとめた形になっているわけです。
 細かく見ていきますと、資料1-3の中で、必ずしも資料1-2に取り込まれていない論点も残っています。それから、もちろん分科会に出した資料1-1の資料にも、この部会で出た議論、1-3に載っている細かい議論が、全部載っているわけではありませんので、その点でも今日、御意見がおありかと思います。
 そんなことをお考えいただきながら、この後、抜けている論点はないか、それから、今までに出された論点を、もう少し書き方を変えたほうがいいのではないかというようなことも含めて、今日は御意見をいただければと思います。
 この後のことなのですが、この後、今までにも何回か、私も含めて何人かの委員で、現地調査、見学をさせていただいたり、それから、ここでも何遍かヒアリングをして、いろいろな方の御意見を伺ったり、それから、委員相互に意見の開陳をしていただいたりということをやってまいりましたが、今日の部会の後、それらのことをもう少し積み重ねていく必要があるのではないかと思っております。
 そういう点から、ぜひこういうヒアリングも必要ではないかとか、こういう意見開陳の場を設けるべきであるという御意見も承りたいと思います。
 それらを受けて、あと2回ぐらい、ヒアリングも含めた議論をした上で、この部会をさらに続けていただいて、部会としての最終的な取りまとめをして分科会に上げていくという手続になろうかと思っています。
 後ほど説明してもらうことになっていますけれども、資料4で、それらが大体感じとしてつかんでいただけるようになっております。
 8月5日と23日に部会を開いて、関係団体のヒアリングを行うことになっています。その2回のヒアリングをした後、まだどこへ行くか、最終的に決定していないのですが、地方視察を9月6日にやりたいと思っています。それから9月13日、9月22日に部会を開かせていただく。この2回で集中的な審議をしていただくというふうに考えております。
 大体この部会の審議の運びとしては、そんなことを考えておりますので、そのことも含めて、御意見がございましたら、いただきたいと思います。
 かなり無責任なお願いになりますけれども、御自由に、どの論点からでも結構でございますので、御意見をいただければと思います。よろしくお願いいたします。
 どうぞ、門川委員。

○ 門川委員
 今までちょっと気がつかなかったのですけれども、今ざっとした説明を聞きまして、4ページ、「教育行政への議会の関わりについて」という記述の中で、「議会が教育行政について関心を持ち、議論していくようにすべきではないか。」ということが書かれていますが、このとおりだとは思うのですけれども、同時に、教育行政が議会に対してきちんと説明責任を果たしているかどうか。そのことも大事です。
 ここには議会の代表の方はおられないわけですけれども、首長が議会にいろいろな説明をするということはあるわけですが、あまり教育行政について議会のほうが関心がないのではないかということなのでしょうが、議会に対して、教育の現状、課題、方針等について行政が説明責任を果たすと同時に、議会も関心を持つという双方向の関係になるのではないかということを、感じ、適切な表現にしていただければと。

○ 鳥居部会長
 ありがとうございました。
 これは角田さん、それに近いことはどこか、1-3には出ていましたか。

○ 角田初等中等教育企画課長補佐
 そういうはっきりした観点では、これまでなかったかと思います。

○ 鳥居部会長
 それでは、今、門川委員から御指摘のあったのは、追加してください。ありがとうございました。

○ 鳥居部会長
 石原委員、どうぞ。

○ 石原委員
 今のところでございますが、ちょっと私はわかりにくいのですが、私ども市議会でしたら、議会の質問のかなりの部分が教育問題です。生徒指導の問題から、30人学級から、教科書の採択、歴史教科書の問題、指導力不足の先生の話、県との関係、今の国の教育施策の動向、市長の次、あるいは市長と並んで教育委員会の答弁が多いのですが、議会のかかわりや関心を持つというか、極めて強く持っておられるというふうな印象を持っておりまして、少なくとも市レベルでしたら、教育問題というのは非常に大きい。どなたでも議員さんは必ず関心を持って言いやすいというような部分がありまして、非常に数も多いですし、私どもも、つい最近、100何問、質問がございました。そのような状況ですので、関心を持って議論していくようにすべきではないかというのは、どういうレベルのところをおっしゃっておられるのでしょうか。

○ 鳥居部会長
 これは角田さん、資料1-1をつくるときの表現の仕方があまりうまくないということであって、こういう形で議論がどこかから出たわけではありませんね。

○ 角田初等中等教育企画課長補佐
 この意見につきましては、どちらかというと、一般的にというよりも、小規模な町村におきまして、というようなお話であったかと記憶をしております。
 ただ、やはり議会の中には、必ずしも教育について関心を高く持っているところばかりではないのでというところで、意見があったことは確かでございまして、そういった意見を、ちょっと表現ぶりがどうかというところもあろうかと思いますが、まとめさせていただいているというところでございます。

○ 田村委員
 教育委員会に任せておけばいいという話が出ましたね。そういう風潮があるのだと。

○ 鳥居部会長
 そういう話ね。ちょっと先生、それを御紹介してください。

○ 田村委員
 そのときの議論では、教育委員会に任せておけばいいという姿勢がかなり強い議会がある。議会の流れとして、教育はもう教育委員会に任せておけばいいんだというのがあるので、任せるという意味ではなくて、議論をするという過程が大事だというような御趣旨の発言があったと思います。
 確かに教育委員会があるのだから、そこに任せておけばいいのではないかということがあることは、実際、現地視察でいろいろお聞きしたときに、そのような趣旨の発言があったことは確かでした。市町村のレベルですけれども。そうではなくて、教育委員会があるにしても、議会がいろいろ議論するということが大事だと、このような御趣旨の発言だったと思います。

○ 鳥居部会長
 そうでしたね。どこか村でしたね。村レベルだと、今のようなことがありましたけれども。

○ 田村委員
 任せておけばいいじゃないかと、こういう話がありました。

○ 鳥居部会長
 どうぞ。

○ 千代委員
 町村レベルにおける今の問題でございますが、私もここへ参画させていただいて、都道府県レベル、市町村レベルといういろいろな区画の仕方があるわけでございますけれども、市と町村で、おのずから非常な差があるのですね。ここに述べられている事柄が、極端に言うと、非常に進んだ地方行政の対応を主として述べられているとすると、小規模な町村の対策は、あらまほしきものになってしまって、具体的な対策がとりえないという実情を持っているところが随分あるのではないかと思っております。
 私も、この審議会をずっと聞かせていただいて、非常に先進的に行われているところは、規模、組織、その他、非常に大きなところが多うございますけれども、小さいな市町村では、それに対応できないといううらみがあります。だから、このあたりは、この答申全体において、市町村がすべて10万都市以上になるとか、そういうことは今の段階では考えられないわけですから、そこのところを少し踏まえて、答申の中で、市町村のレベルにおける差別――区別といいますか、そういうものは配慮すべきではないか。
 特に市町村の、小さな町村といわれた場合の先ほどの村レベルと、また3万人都市、5万人都市、10万人都市とでは、相当な格差があるんですね。ここの御配慮をぜひとも皆さんで考えていただきたいと現実に思っております。
 予算的規模においても、人材においても、これを遂行していく上で、ミニマム・スタンダードを決めても、ナショナル・スタンダードを決めても、それを実施できないような市町村は当然出てくるわけで、その救済措置はどうするのかということが、大変重要な問題だと私は考えております。

○ 鳥居部会長
 ありがとうございました。
 総会と、それから分科会に話を上げたときに出てきた意見――先ほど紹介がありましたが、その中に出てきているのですが、「諸外国では」という文章がどこかにあったと思います。実は、「諸外国では」と言っているのは、イギリスの例を頭に置いて言っていると思うのですが、ずっと教育の地方分権が進んでいって、行くところまで行ったのだけれども、それが行き過ぎてしまって、何でもかんでも地方分権ではだめなんだというサッチャー改革のときのような考え方も出てきたということを踏まえた発言が、総会と分科会でありました。今のお話は、実はそのことにもかかわっているように思うのです。
 要するに、徹底して村・町の単位まで、すべて何から何まで自分で決めてくださいというふうにしたときに、本当にうまくいくのかという問題をやっぱり一度考えておく必要があるということではないかと思うんです。その辺について、もし何か御意見がありましたら……。これはいろいろな御意見があると思うんですよ。
 どうぞ、土屋委員、お願いいたします。

○ 土屋委員
 今お話が出ましたのは、同様なことが市でも言えるのだろうと思います。武蔵野市は、人口13万5,000人、職員数が1,150人ぐらいの市ですけれども、全国の3,200の規模からいきますと、おおむね人口からいくと180何番目。だから、そんなに小さくはない。だけれども、50万都市とか、100万都市というほど大きくはない。こういう都市であります。実は、5万から20万未満ぐらいまでの市は、非常に数が多いわけでありまして、町村の規模のもう少し上の規模というふうなことになるだろうと思っています。
 武蔵野市の場合には、教育委員会に所属している職員の数は、現場を入れて100名近くおります。しかし、私がこの審議会でも、あるいは他の市長会などでも主張していることは、何でもかんでも任せてといっても、先ほど教員の任免の話も出ましたし、それから仮に教育のカリキュラムを組んでいくといったような場合、こういうことについても、とうてい武蔵野市レベルではできません。
 よく職員の採用などもやっているじゃないかと言いますけれども、職員の採用は、実際には、ペーパーテストを外部の専門機関に委託をしていまして、10万都市では、まず職員採用の適正な問題をつくること自体ができない。昔はつくろうとして、かえってそれが非常に偏ったものになったり、あるいはいつの間にかつくっている問題が漏れてしまったり、その種のことに懲りて、10万規模の市では、ほとんど外部に出している、こういうのが実態です。
 ですから、たびたび私は申し上げているのですけれども、教育の分野でやるべきことは、複合的な自治、融合的な自治が必要なので、何でもかんでも市町村におろせばいいというものではない。少なくとも10万規模では、何でもかんでもおろされても困ると、こう現場の意見として申し上げておきたいと思います。
 東京にも50万規模の市がありますけれども、50万規模の市の市長にも、今度意見を聞いてきたいと思いますけれども、たぶん私の意見とそんなに違わないのではないかという気がいたします。全国では、20万未満の市というのは、全国700のうちに、たぶん120~130を除いて全部でしょうから、仮に<700>マイナス<120~130>とすれば、570ぐらいの市町村では、なかなかすべておろされても困るということではなかろうかと思っております。
 ですから、国、都道府県、市町村がそれぞれ融合的な自治で役割を果たしていくということが望ましいのではないかと考えております。ただ、その役割を果たすべきものは何かという線引きは、いろいろだろうと思います。

○ 鳥居部会長
 たまたま1ヵ月ぐらい前に、地方視察の一環として、東京の足立区と台東区の小学校、中学校を見たんですね。そこでびっくりしたのは、台東区の場合ですけれども、我々が見たのは石浜小学校という小学校ですが、公立の小学校が全校同じ制服を着せているんですよ。これは区の教育委員会の方針でそうしているんですね。
 全部の子どもに制服を着せるには、全部負担できない子もいるわけですから、どうしているんですかと聞いたら、それは教育委員会が予算をもらって、補助金を出しているんです。ですから、教育委員会は、かなりそういう点で、その場合には独自性を発揮しているんです。
 そういうやり方のときには、そこまでやらしてあげたほうがいいという感じがするし、一方、今度は、教育内容の企画とかなんとかに関して、みんながてんでんばらばらに区ごとに、あるいは教育委員会ごとに勝手なことをやったら、日本全体としての教育の統一性というのは、どこかへいってしまうような気もするし、難しいところだなという感じがするんですけれども。どうぞ。

○ 土屋委員
 今の、台東区には台東区のお考えがあってやっていらっしゃるのでしょうけれども、私の感覚からすれば、制服はそろえなくてもいいけれども、教育の中身はある程度そろえたほうがいいという感じがいたします。

○ 鳥居部会長
 ありがとうございました。
 どうぞ、横山委員。

○ 横山委員
 別の件でお願いします。

○ 鳥居部会長
 どうぞ。

○ 横山委員
 先ほどこれまでの審議経過をくくった上でご説明いただいたのですが、それを聞いても、はっきり申し上げて、現在の諮問に対する回答として、焦点が絞れないんですよ。というのは、教育行政を担う教育委員会制度といっても、担っている教育の内容があまりにも次元が違い過ぎるわけです。例えば、義務教育もやっておりますし、あるいは高等学校教育もやっている。家庭教育から社会教育までやって、文化、スポーツまでやっている。
 例えば、現在、教育委員会制度が議論されている焦点というのは、私は義務教育だろうと思っているんですよ。それとの兼ね合いでいろいろ議論されている。極端に言えば、教育委員会制度が必要なのは、私は個人的には義務教育だと思っていますから。その他の行政というのは、現実には首長部局と共管事項になっていて、必ずしもそれが教育委員会の専管になっていないわけですね。明らかに専管になっているのは義務教育であって、そこのところの焦点を絞っていかないと、何か拡散していくような気がしてしようがないんですよ。
 例えば、まとめていただいたいろいろな意見でも、それが教育行政一般の話なのか、あるいは個別に義務教育に絞った話なのか、いろいろ出てくるわけですね。したがって、前にも申し上げたのですが、教育委員会が担う本質的な役割は何なのかというものをまず整理した上で議論をしていきませんと、答申に向けた意見を集約するというのは、非常に難しいような気がいたしております。

○ 鳥居部会長
 この前も1回、横山委員からその話が出まして、いろいろそれに対しても御意見があったところですが、一つだけ、細かいことのように見えますけれども、<義務教育>プラス<幼稚園>というのは、どうしますか。

○ 横山委員
 現実の問題として、幼稚園というよりも、今、一番大きな問題になっているのは、就学前の幼児教育なんですね。その分野で、おのずから幼稚園、あるいは首長部局が担っています保育行政、この辺は当然、教育委員会専管というよりも、就学前の幼児の教育、幼児の環境をどうするかという視点から、これは将来的には青少年の健全育成にかかわってくる話ですから、必ずしも専管という位置づけではなくて、首長部局と連携しながらやっていく行政の分野だと思いますが。

○ 鳥居部会長
 ありがとうございました。
 では、小川委員、どうぞ。

○ 小川委員
 今の論点と全然違うのですけれども、よろしいでしょうか。

○ 鳥居部会長
 結構です。

○ 小川委員
 2ページから3ページの各論の「1」の教育委員会制度の在り方にかかわって、特にレイマンコントロールの話が載っています。現代において、教育委員会制度の意義とか、その役割をどう考えるかというときに、やはりこの点は教育委員会制度の根幹の一つだろうと思います。まとめに書いているとおり、レイマンコントロールの考え方は、やっぱり否定されるべきではないけれども、なお、複雑化した現代の行政においてレイマンコントロールが機能するかは、実際には難しいという意見もあったという話とか、あと「(7)」の教育長、教育委員会事務局との在り方、つまりレイマンコントロールと専門家である教育長との関係の問題を今日的にどう考えるかということなのだろうと思うのです。
 この部会の議論でも、やっぱりその点が一つ大きな論点として出てきていまして、実際、今の地教行法の規定を見ますと、地教行法の23条には、教育委員会が、広範囲の専門的な政策決定とか、執行管理に関する権限が与えられているのは事実です。
 ただ、そうした専門的な政策決定や、専門的な行政管理が教育委員会に与えられているにもかかわらず、実態は非常勤で、なおかつ素人で、月に1回か2回の教育委員会の会議で、そうしたものをこなしていくという、それ自体にやっぱり無理とか矛盾があるのではないかという指摘もあったように感じます。
 そのような指摘に対して、教育委員会の専門性を高めていくことや効率的な案件の処理のために、例えば、教育委員の一部を常勤にしてはどうかという議論もあったと思うのです。私は、基本的に、そうした専門性とレイマンの問題は、どのように整合して考えるのかということをもう一度再整理すべきではないのかな、ということを感じています。
 といいますのは、この部会から1週間アメリカに調査に行かせていただいたのですけれども -アメリカの調査の報告については、また9月ごろ、時間をとって報告せよということですので、今日は、アメリカの調査で得られた知見は、詳しく述べないつもりです- ただ、一つ、レイマンコントロールと、専門家である教育長のプロフェッショナル・リーダーシップとの関係をどう考えるかというときに、私自身、実際、幾つかの教育委員会でヒアリングして、目からうろこというか、以前からそのような考え方は当然みんな知っているわけですけれども、もう一度その意味みたいなところを再確認されたということがありましたので、少し感じたことを述べさせてもらいたいと思っています。
 一つは、私は、今の日本のレイマンコントロールとプロフェッショナル・リーダーシップの関係と、教育委員会の実際の運用の仕方は、少しあいまいになっているのかなという感じがします。
 アメリカのいろいろな事例を今回見て、素人教育委員と専門家教育長の関係が非常に明確に役割分担としてはっきりしているというのが、すごく印象的でした。どういうことかというと、素人である教育委員というのは、専門的な高度の政策立案とか、具体的な専門的な行政執行とか、管理ということについては、基本的に無理があるということで、それについては専門家である教育長にお任せするという関係になっているのです。
 ただ、専門的な仕事については、教育長に全く白紙で委任するということではなくて、実は教育委員会がやるべきことは、地域における教育政策課題は一体何であるのだろうかという、地域の教育政策課題のアジェンダ設定と、基本的な教育方向――方針の大綱というのを教育委員が設定する。そのアジェンダ設定を実際具体的に政策立案して、それをどのように具体的に計画し、執行していくかについては、専門家である教育長にお任せする。その教育長を教育委員会が全米からいろいろ情報収集しつつ自分たちで選ぶことができる。
 三つ目には、そうして選んだ教育長が、教育委員会が設定したアジェンダ設定や、大綱的な方針をどの程度具体化し、どの程度の成果を上げたのかを評価する。つまり、教育委員というのは、アジェンダ設定と教育長を選ぶ、ないしは選んだ教育長が、教育委員との契約の中で、実際どのような成果を上げたのかという評価をする。この三つを教育委員会がきっちり仕事をすることによって、専門家である教育長に専門的な仕事をしっかりやってもらいながら、きちんと地域に評価の情報を還元する。そういうレイマンコントロールと専門家の教育長との関係が、非常な緊張関係を持ちながら運営されているということを感じました。
 日本の場合には、基本的にはレイマンコントロールと教育長の専門的なリーダーシップというのは、教育委員会制度を導入した時点においては、そうした考え方のもとで日本でも教育委員会制度がつくられたと思うのですけれども、残念ながら、教育長職の問題とか、教育長の任命と教育委員の任命が首長から行われるとか、地教行法の関連の規定のありようというのが、なかなか素人教育委員会と教育長の間の緊張関係というものを創り出すことができないまま非常にあいまいにされてきた。その結果、素人である教育委員の存在意義は何なのかということが十分吟味されてこなかった。実際、教育委員というのは、専門家である教育長が提案したものを追認しているというのが実態ではないか、教育委員会の存在意義はないのではないかといういろいろな議論の中から、今日のような教育委員会に対する批判というのが出てきていると思うのです。
 今後、今言ったような役割分担を明確にして、それにふさわしい制度改革や権限を素人教育委員会に与えることによって、今の現行制度の枠内でも、素人教育委員会の果たすべき役割は、いろいろな方策で活性化できるのではないかと考えています。

○ 鳥居部会長
 その場合に、小川先生、アメリカの場合、教育長は教育委員会がスカウトしてきて、別に地元の人とは限らないし、生え抜きのお役人とは限らない。任期があって、終わったら終わりなんですね。

○ 小川委員
 評価して、高ければ、やっぱり再任するし……

○ 鳥居部会長
 再任はされるけれども、もしだめならば、もうそれで終わりと。その人は、またほかへ行くと。

○ 小川委員
 はい。

○ 鳥居部会長
 今、日本の場合、一番そこと違うのは、まず教育長は、何かの形で地元の人で、主として行政関係の仕事に携わってきて、役人をやってきて、それで教育長のポストにつく人がほとんどですよね。そのことを前提として今のお話を整理すると、どうすればいいんですかね。

○ 小川委員
 その辺はいろいろな運用の仕方があると思いますし、実際、今のもとでも、教育長を公募制という形で外部から持ってくるような自治体も増えてきています。公募制という形態であれば、今のような仕組みはフィットするわけですけれども、地元で任命制の市長さんが、例えば教育長と教育委員を兼任という形で任命するという現状でも、その辺の専門家である教育長と、素人である教育委員との役割分担ということを少し意識しながら、権限の再配分とか、仕事のありようについて、お互いのチェック・アンド・バランスをつくるような仕組みは、私はいろいろ工夫できると思いますので、それは少し議論していただければなと思いますけれども。

○ 鳥居部会長
 わかりました。

○ 横山委員
 レイマンコントロールの議論をすると、すぐ専門化、専門性の話が出るのですが、今、小川先生がおっしゃった素人集団と専門家たる教育長という、教育を担う専門性、専門家の教育というのはどういうことをおっしゃっているのか。あるいは、現在の教育委員会は素人とおっしゃるけれども、何をもって素人とおっしゃっているのか。その辺の説明をちょっといただきたいんですがね。

○ 鳥居部会長
 どうですか。

○ 小川委員
 確かに、その辺のところの難しさ、何をもって専門家であって、何をもって素人だというふうな区分けは、確かに非常に難しいのです。でも、例えば教員の能力の向上とか、教員の人事管理の問題とか、具体的なそうした施策の在り方とか運用の在り方は、いわゆる素人である教育委員というのは、やっぱりできない問題ですよね。ただ、そうした教育(行政)に関する知識、技能の保有の深浅という意味合いで「素人」と「専門家」を区別し線を引くのは難しい面もありますので、教育行政の仕事の役割分担の意味で考える方が良いのではないでしょうかーアジェンダ策定、大綱的方針決定は「素人」、その個別、具体的な政策立案と執行実務を「専門家」が担っていくという考え方として。

○ 鳥居部会長
 土屋委員、どうぞ。それから宮崎委員、どうぞ。

○ 土屋委員
 今のお話は、教育の分野だけではなくて、統治構造全体に関して同じような問題があるので、それを抜きにして考えると、非常に違ったものになるのではないかと思います。私もそんなに専門家ではないので、アメリカのあれはわかりませんが、姉妹友好都市などの経験からいたしますと、例えば、一般行政においても同じようなことが言われていて、シティーマネジャー制をとっているところが多いわけです。私どもの市が友好関係を結んでいる市などは、市長は全市から選ばれて、また市会議員は、小さな小選挙区のディストリクトから選ばれて、そして、市長と市議会が一体となって構成して、市長を真ん中にして、市議会、住民が並んで、そこで議論するというやり方をやっています。
 市長は、専門職ではなくて、聞いたらば、2万ドルとか、そういう給与ですから、300万円ぐらいとか。そういうボランティアでやっている。まさに、レイマンコントロールです。
 実際に方針を決めたらば、その方針に基づいてやっているのはシティーマネジャーで、シティーマネジャーはあちこちにトレードされます。そして、シティーマネジャーの報酬のほうがはるかに高いわけで、いろいろな分析的手法を使って政策をやる。ですから、アメリカのシティーマネジャーには、理工科系の、いわゆる経営計数管理みたいな経験者が多いということを聞いております。
 したがって、アメリカの町の方が武蔵野なんかに来て発することは、市長が議会の議長を兼務していますから、武蔵野市の議長の名刺を出すと、議長と市長とどっちが偉いんだ、どっちが権限を持っているんだ、ということを言われるわけです。
 日本の場合には、そうではなくて、実際に市長が、組織管理、政策決定も含めてやっているわけですから、シティーマネジャーのような存在というのはいないわけです。しかも、アメリカでは労働市場の流動性がありますから、A市がだめならB市に行こう。また、B市で失敗しても、今度はもっと上位のところが別に評価してくれるとか、契約思想に基づく、そういう市場の流動性がありますから、そういうことも踏まえて考えないと、日本にはなかなかなじまないものになるのではないかという気がいたします。
 日本で、公募制で幾つかやっている有名なところもありましたよね。それはあまり成果を上げてないというと失礼だけれども、成果を上げてないということはあるだろうと思います。
 また、とりわけ首都圏中心、あるいは大都市圏中心の市町村というのは、道路一本隔てて隣の市みたいな条件もありますから、もっと極端なことを言えば、入り口と勝手口が違う市だなんていう市も現実にあるわけですから、そういう入り組んだところでもって、極めてアメリカのような独立的な都市、そういうことがうまくいくのかなという気もいたします。あわせて考えていく必要があるのではないかと思います。

○ 鳥居部会長
 宮崎委員の関連質問と、片山委員の関連の御発言をいただいてから、小川先生、もう1回。

○ 宮崎委員 小川委員のお話に対して、横山委員がおっしゃったことに関しての関連なんですが、専門家とは何かという部分について、やはりもう少し具体的に示していただかないとわかりにくい。
 つまり、教育長というのは、いま横山委員からもあったように、行政のプロではあるかもしれないけれども、教育のプロではない人がなるケースも多々見られるわけですし、例えば行政職として、土木とか福祉分野でずっと上ってきて、極めてきた方がなるようなケースもあるわけですね。
 一方、教育委員というのは、例えば神奈川県の場合などは、5人のうちの1人は高校の教員をずっと勤め上げて、校長を歴任して、校長会の代表をやって定年した人です。もう1人は、中学をずっと同じように歩んできた人です。もう1人は教育学の専門家です。大学でずっと教鞭をとってきて、そういう意味では、権威といわれるお1人であると思います。そうすると、教育という意味では、むしろそちらのほうが専門家ではないかと思います。しかし、政策決定であるとか、例えば根回しであるとか、予算の取り合いであるとか、そういうことについては素人であります。ですから、何をもってプロというのかという部分をはっきり示していただかないと、これはやっぱり指針にはならないと思います。
 それからもう一つは、少し関連で外れてくるのですが、例えば義務教育というのは、今、大体市町村立ですね。それから県教委との関係ということになると、県立学校でない限り、関係は非常に遠いわけですね。そこで、制度か運用かという議論をしても、そもそも義務教育が、県立ならば県教委がうまく機能するかもしれない。市町村立ならば、市町村教委がうまく機能すれば、近いことが施策としてできるかもしれない。そこのところのねじれがある以上は、政令指定都市と中小、あるいは弱小の市町村との違いは歴然とあるわけですが、状況によってバランスをとっていきましょうというような理想論ではいかない部分が出てくるのではないかと思うのです。
 ですから、市町村が面倒を見切れない小さな自治体で、県が見なければいけないという場合には、やはり義務教育も県立にしていかないと、そこのところはできていかないのではないだろうかと思うのです。その部分が前提としてないところで、専門家か素人かという議論をしても、非常に不毛ではないかという気がいたしましたので、そこをちょっと質問したいと思います。

○ 鳥居部会長
 宮崎さん、わずか5人ばかりの教育委員会の委員が、どんな人であればうまく機能するのか。要するに御質問はわかったのですが、例えば神奈川県の教育委員は、学校の先生上がりというとおかしいけれども、ずっと先生をやってきた人たちで固まってしまっても困るし、教育学者だけで固まっても困るし、あるいはほかの市町村のように、お医者さんと弁護士さんという構成だけでもどうかと思うし、どうしたらいいんでしょうか。ご経験から……。

○ 宮崎委員 すみません。どうしたらいいかと言われても困るところもあるので、私のようなとんでもないのが入っていたりするものですから、それはいろいろあるとは思います。
 ただ、先ほど来、お話が出ているビジョンを示すとか、理念をつくるというところで、リーダーシップを発揮できる人材がそろっていることが必要だと思うんですね。細かい施策は事務局がきちんと受け皿になって進めていけばいいと思うのですけれども、専門家というのも、何を専門家というのかはともかくとして、あまり細かいところまで入りすぎると、枝葉末節で幹が見えない。木を見て森を見ずというところが出てきますので、その森をしっかりわしづかみにして見られるような立場に立って、その地域に根ざした指針をつくれるような人材というものがいればいいのではないかという気がいたします。それは必ずしも学校の先生をずっと勤めてきた人とは限らないと思いますが。

○ 鳥居部会長
 片山委員、どうぞ。

○ 片山委員
 先ほど部会長のほうから、分権をどこまで進めたらいいのかという発案がありましたので、それから入りますと、私も、教育の分野を、どこまでも分権すればいい、分権すればすべてうまくいくという、手放しでそれを礼賛したり、楽観的ではないのです。
 やっぱり教育というのは地方の仕事でもありますけれども、国家の仕事でもありますから、この共同作業をどういう役割分担で国と県と市町村がやっていくか。さらにもっといえば、学校現場との間をどういう分担をしていくかということだろうと思うのです。
 それで、一つは、やっぱり国家が関与する事務であり、また地方が実施する事務ですから、どこまで国家が関与して、どこまで全国統一で守らなければいけないのかということを決めなければいけないと思うのです。それがないと、何でもかんでも分権すればいいという話になると、日本国中で教えることがバラバラになって、本当にいいんですかという懸念がわいてきますから、まずはやっぱり中央政府が関与するべき、守るべきものというのを決めることが必要だろうと思います。あとは、県がやるのか、市町村がやるのか、さらには学校現場まで権限をおろすのかという、その議論だろうと思うのです。
 その際は二つポイントがあって、一つはやっぱり、能力がありますかということがあると思うのです。これは都道府県、市町村というふうに分けますけれども、まちまちです。力量もまちまちだし、意欲も、モチベーションもまちまちです。ですから、必ずしも全国一律に論じることができない分野でもあるのです。大まかには分けられますけれども。
 例えば、私のところも、県の教育委員会が持っている権限をもっと市町村に移したらいいなというのがあるんです。ですけれども、ある部分、ある地域については、むしろ今、町村がやっているものを県がやったほうがいいなという地域もあるのです。同じ県の中でも、まだら模様になるんですね。
 ですから、極端なことをいえば、教員の人事権なんかの一定割合は移してもいいかなというところもありますけれども、ある過疎地で高齢化が進行したところは、義務教育自体を県がやったほうがうまくいくだろうというか、県がやらないといけないのかなという地域も、いずれ出てくるだろうと思っているんです。
 ですから、どこまで分権化するかというのは、一つは、それぞれの地域ごとに力量が違いますから、ある程度柔軟にしたらいいのではないか。全国一律、これは都道府県、これは市町村と決めないで、一応概略は示すけれども、県の中で、県と市町村とがどういう役割分担をするのかというのは、若干応用が効くようにしておかれたほうがいいのではないかということが一つあります。
 もう一つは、チェックシステムがやっぱりきちんとなければいけない。分権してもチェックシステムがなかったら、これはだめになりますから。分権しなくても同じことですけれども。いずれにしても都道府県の段階でも、市町村の段階でも、チェックするシステム、きちんと必要的に、制度的にディスクロージャーが行われて、チェックするシステムが機能していないといけない。
 今、日本の教育行政は、チェックシステムは必ずしも機能していないのではないかという気がするんです。その一つは、さっきから議論になっていました議会が関心を持ってくれない。議会に教育を論ずる力量がないところも多い。それは、議会の議員というのは教育問題だけで選ばれてきませんから。そのような問題もあるわけで、チェックシステムがきちんとなければいけない。
 私は、チェックシステムを担保するのが都道府県、市町村の教育委員会だと思うのです。そうすると、委員がきちんとチェックできる人でないといけない。これはさっき専門家、素人という話がありましたが、私は、ちゃんとチェックできるかどうかということが一つのポイントだろうと思うのです。モチベーションが高くて、チェックすることができるかどうか。
 そうすると、教育委員の人材が必要だ。ここにも論述していますけれども、教育委員にちゃんと人材が必要ですよということは一般論として書いていますけれども、これだけではとても担保できません。本当にいい首長と、いい議会がそろえば、今のシステムでも教育委員は担保できます。
 ですけれども、首長がそうでなくて、必ずしもレベルが高くなくて、議会もそうであったら、これはおぼつかない限りであります。議会対策でもって教育委員を選んだりするところは現にあります。ですから、そういうことではいけないので、首長や議員の資質にかかわらず、一定程度以上のチェックシステムを機能させる委員が確保されるシステムを我々は考えなければいけないのではないかと思うのです。
 そうすると、今の首長が議会の同意を得て任命するというのは、やっぱり限界があります。うまくいく可能性もあるけれども、悪くいく可能性のほうが多い。そうすると、これを変えなければいけない。どう考えるかということを、ある程度私はメニューのようなものをこの場で提示したらどうかという気がするんです。
 さっきから、では、どんな人を選んだらいいですかという宮崎さんの問いかけがありましたけれども、私は属性で、こういう人、こういう経歴を持った人というのは、なかなか言えないと思います。どんないい経歴を持っていても、モチベーションの低い人もいます。
 だから、モチベーションが高くて、見識が高い人をどうやって選ぶか。これは納得の世界だろうと思うのです。まさに民主主義の根幹にかかる問題で、納得できる人がついているかどうか。今のケースは納得できる人が必ずしもつかない。そうすると、選挙ですかという話になって、昭和20年代に選挙をやっていましたけれども、いろいろな問題があってやめました。ですから、これはこれで問題があるのだろうと思います。少なくとも何らかの草の根の民意が反映する、草の根に基盤を持つ、そういう仕組みを考える必要があるのではないかなと、私は今思っています。
 では、どんなところが選出母体になるんですかと言われると、いろいろな考え方があるだろうと思いますけれども、できるだけ教育に熱心な人たちが参画できるようなシステム。例えば一つの案としては、今、学校評議員制度ができましたから、そういう人たちのもうちょっと品質管理といいますか、今の人が悪いというのではないですけれども、評議員をきちんと位置づけて、任免制度も公正にして、透明にして、そういうことができれば、そういう学校評議員の皆さんが例えば一つの選出母体になる。その中で、一定の範囲内での選挙をやる。間接選挙みたいなことになりますけれども、そんなことをして市町村の教育委員を選ぶとか、場合によっては県の教育委員をそうやって選ぶというのでもいいと思いますけれども、そんなことを考えたらどうかなという気がするのです。
 今の学校評議員はちょっと中途半端でして、校長が市町村の教育委員会に推薦をして、市町村の教育委員会が選ぶということになっていますね。本当はもっと草の根で言えば、私はPTAとか、保護者の会などが学校評議員を直接選べるような、そんなシステムにすればより民主的になりますから、そうやって選ばれた学校評議員を、今度は市町村の教育委員の選出母体にして、その枠の中で選挙をやるようなことでもすれば、今とは違ってモチベーションが高いような人が出てくるではないかなという気がするのです。
 そのようなことで、チェックシステム、それから権限委譲をある程度柔軟なシステムにする。そんなことを少し御検討いただければと思うのですけれども。

○ 鳥居部会長
 まだたくさん手が挙がっていますが、小川先生が1回答えてから次に……。関連の質問とか御発言ではありましょうけれども。

○ 稲田委員
 小川委員に関連するのですけれども。

○ 鳥居部会長
 では、先に稲田委員、どうぞ。

○ 稲田委員
 資料1の3ページの真ん中辺の「(6)教育委員の人選について」3行書いてありますけれども、私どもが地方の市町村教育委員会を見ていて痛切に感じることが、この3行に要約されているわけです。私は、市町村合併のこの機会に、今がチャンスだと思うのですけれども、教育委員にぜひ父母の代表を入れるべきではないか。
 今の教育委員会というのは、教育の提供者だけの視点で、教育行政をやろうとしている。そこの中に父母の代表、女性を含めて、これが入っていないわけですね。だから、父親、母親の視点で、教育の受益者の立場から教育を論じられる――5人なら5人の中に2人かそのくらい複数人を入れる必要があるのではないかと思っています。
 今の議員さんとか、あるいは教育委員さんとかを見ていますと、父母の代表、いわゆる40代ぐらいの父親とか母親の代表の中の、優秀なきちんとした理念・理論があり、リーダーシップもあり、そういうレベルの人を小さな市町村とはいえ選べるはずだと思うんですね。議員とか教育委員よりもはるかにレベルの高い教育にも関心を持っているきちんとした父親、母親が、現実の受益者代表としておるわけですから、ぜひそれをここに文章化してでも、いわゆる「父母の代表を教育委員に入れることによって云々」というようなことが非常に必要ではないかと、私はそのように思っています。

○ 鳥居部会長
 新しい御意見が出てきましたので、これについてのまた御意見、御感想をたくさんの方から伺いたいのですが、その前に小川先生の……。

○ 小川委員
 時間がないので、短く。先ほどの私の発言で、土屋委員とか、宮崎委員からいろいろあったのですけれども、基本的には、アメリカの制度をそのまま日本に導入せよということを言っているわけではなくて、あそこに見られる教育委員会と教育長との役割分担というのを、もう少し自覚的に区分してみたほうがいいのではないかというところですよね。そこから、今の教育委員会制度の運用の仕方等々に改善の余地はないのかということを問題提起したつもりでいます。
 というのは、先ほど言いましたように、今の教育委員会制度というのは、地教行法の23条に、教育委員会の権限ということで、かなり広範囲な政策立案と、専門的な管理の権限というのが付与されているのは事実ですよね。そうした広範囲の権限を持っている教育委員会が、先ほども言いましたけれども、月1回ないしは2回程度の非常勤で、いわゆる素人教育委員が担っている。そこにやっぱり基本的に大きな難しさがある。
 先ほど専門性と素人性というふうなことを言って、ちょっと誤解があったので、違った言葉で言いますと、基本的には、教育委員会がやれることで実際に今やっていることは、やっぱりアジェンダ設定とか、方針の大綱的な決定だと思うんですよね。それに基づいて、具体的な政策立案と、具体的な執行というのは、教育長を中心とした事務局が担っているわけです。
 ですから、そういうふうな実際の今の姿に近づけて、教育委員会の役割というのを検証していく必要がある。その上で教育長と教育委員会との間の緊張関係というものをつくって、教育長ないしは事務局の仕事の成果とか、やり方というのを教育委員会がチェックしていく。そういう緊張関係を持たせるような仕方というのは、今の教育委員会制度を活性化していく上での一つの方向性ではないのかなという趣旨ですので、アメリカのような仕組みを今持ってこいとか、そういうふうな趣旨ではありませんので。

○ 鳥居部会長
 それでは、先ほど来、手を挙げていらっしゃる津田委員、どうぞ。

○ 津田委員
 どうもありがとうございます。前にも申し上げたのですが、本当に今、教育委員会制度が必要かどうかというところから見直したほうがいいように思ってしようがないのです。というのは、日本の教育というのは、残念ながら、昭和20年の敗戦で、戦後すっかり変わってしまったわけですよね。
 今の子どもたちを見ると、殺すな、盗むな、犯すなといった基本的なことさえ十分には理解していない子もいるのが現状である。そういった教育システムを中立性、継続性、安定性という名のもとに維持していこうという、そのこと自身が、具合が悪いのではないかなという気がしてます。
 義務教育及び幼児教育というのは、国が一つのスタンダードを決めて、日本国民であれば、公立であろうと私立を問わず、全部受けられるようにウオッチングするシステムが必要だと思う。そういうことで、まず義務教育については枠組みを決めていく。残りというのか、高校教育以上は生涯教育も含めてこの前も申し上げましたけれども、首長の強い意志で実施するべきことではなかろうかと思うんです。
 現状を見てみると、各地区の教育で目立った改革をしている地域というのは、非常に優れた教育長が実施しているケースが多い。もちろん教育長が全部行うということではないでしょう。しかし、大阪なんかでも、教育委員のほうから何かの改革をいっても、それは予算がないからだめだと言われてしまうと、教育長の存在が絶対的です。委員はどんなことを言ったってだめになってしまうわけですね。
 そういう訳ですから、教育長の、出来不出来は、首長と直接関連していると思うんです。軍事、外交、財政といった国のやるべき政策以外のものをやるのが地方だとすれば、地方での行政の教育のウエートというのは、極めて高いはずです。だから、教育について、首長はこれこれの公約をして、実現する為のシステムを自分の責任でやるというのが、改革の必要な時代には非常に重要じゃないかと思うんです。
 それにもかかわらず、中立性、継続性、安定性という名のもとに首長の意志を薄めてしまうこと自身が問題です。日本の教育が、今の状態がいいのならいいけれども、変えなければならないという危機感があるので、こういう会議をやっているわけだから、そこのところを根本的に見直さないと、なかなかいい教育制度というのはできないのではないかと思います。
 教育長出身の首長さんが随分増えてきていますが、それを見ても、教育というのは地方行政の中で、いかに大きなウエートになっているかという一つの印ではないかと思うのです。ただし、今、片山知事が言われたように、教育というのが大きく狂わないようなチェックシステム、あるいはウオッチシステムというのは必要だと思うのです。
 審議会は人材難といわれるが、あるいは夜間に開く委員会をすれば、昼間仕事を持ちながらでもやってくれるような人があるはずです。根本的に、今の教育委員会の在り方というのを否定するところから始めたらいかがかと、思っているのです。

○ 鳥居部会長
 では、千代委員、どうぞ。

○ 千代委員
 先ほど、枠組みの問題が出まして、そのままになっておりました。義務教育だけを教育委員会は扱うのかどうか。今の時代において幼児教育を教育委員会の権限の中から外してしまって、小学・中学校だけを扱うというのは、ほとんど無力化しているのではないかと思います。
 というのは、小学校へ上がってきたときに、発達段階において、もう既に子どもたちの性格がほとんど決まっているといっても過言ではないというのが、今の時代なんです。そうすると、幼児教育というより家庭教育も含めてですけれども、この問題を無視して、義務教育だけを話していても、現場として私が見ておりますと、とても無理だろうというように思います。
 家庭もしくは幼稚園、さらにここで問題になっている保育園というものがございます。この保育園自体でもルールが全くありませんね。制度的なルールはあっても、どういう子どもを育てていくのか、そういうことになると、何ら言及されていない。
 さらには、私立の幼稚園や保育園になると、もうそういう指針すらないわけでありまして、ナショナル・スタンダードがある意味で幼児教育にまで及んでこないと、これから小学校、中学校だけを対象にした義務教育というのは、今、津田委員が申し上げたように、無力化するのではないかと思います。
 そういう面で、教育委員会の在り方の諮問の中で言われている、幼児教育を教育委員会の対象にすべきというたった1行では、これは具体化できないだろう。それではどういうようにするのかという問題があろうかと思います。
 そうなってきますと、厚生労働省とか、文部科学省の縦割り行政では、今、幼保連携そのものを取り上げても、随分大きな問題を抱えてしまっているところですから、それを避けて、小学校からの義務教育という考え方で諮問に対応することは難しいのではないか。同時に、高齢社会がこれだけ進展している中で、生涯教育か、生涯学習かという概念すらまだはっきり分かれていないような段階でございますから、これを含めて首長部局と教育部局の対応も、今、普通には社会教育という分野で生涯教育というのは扱われているわけですけれども、一部非常に進んだところは、「生涯学習」ということで進めております。
 だから、この枠組みを先に決めていただかないと、このような今までの整理の段階では、それではこれは具体的に何を指しているのかという問題になると、説得性に非常に欠けてくるだろうと思っております。その上でチェックシステムが必要だったり、人材の対応をどうするのか。もしくは大きな政令指定都市から始めて、わずか3,000とか5,000ぐらいの市町村に至るまでどうするのかという問題に及んでいかないと、どうも枝葉末節のほうから先に話されると、私ども行政の立場としては非常に疑問を感じておりますので、そのあたりをもう少し議論していただきたい。このあたりをきちっとしておかないと、これからの教育委員会の在り方というのは、とても有名無実になってしまうのだろうと思うので、ちょっと述べさせていただきました。

○ 鳥居部会長
 先ほど来、森脇委員が挙手しておられますので、まず森脇委員、それから土屋委員、それから森田委員、どうぞ。

○ 森脇委員
 それでは、ちょっと違う視点になるのですけれども、よろしいでしょうか。この資料の6ページのところの学校と教育委員会との関係というところですが、そこに挙げてあります学校の裁量の拡大、学校への権限委譲、これは地方分権が進みますと、ある意味でどこまでというのが大事なところでありますけれども、一つの大きな変化という意味では、当然のことだと思います。
 それから、学校の評価ということにつきましても、その次の、ここは特に重要だと思ったのですが、学校に対する教育委員会の支援ということも、これから今までの支援と違う、新たな役割が私は出てくるととらえられるのです。そういう意味ではいいと思いますし、それから、「(4)」の保護者、地域住民云々というのも、いずれも今までの議論がされていたものが整理されていると私はとらえました。
 ただ、そのときに、感想も含めて申し上げるとすれば、今、御発言がずっと出ておりましたような日本の教育改革、特に人間教育というところが急がれるわけですね。しかしながら、教育はとまっているわけではないし、とめられないわけですから、当然のことですが、やりながら改革をしていくという、なかなかやっぱりこれは難しいところだと思われるのですけれども、いろいろなところで、権限委譲、あるいは学校の評価という面、それから説明責任ということが出てまいります。どれ一つとりましても、現場は大変な変化に対応していかなければならないわけです。
 そうなりますと、例えば学校の経営一つとりましても、マネジメントをしっかりやらなければならない。しかしながら、今、日本の学校で経営がきちんと今までやられてきたかというと、甚だこれは疑問だと思います。
 それから、本当に自主的に、あるいは自律的にそれぞれの学校で教育改革を進められるかというと、これも非常に難しいというよりも、差があるのではないかということが言えようかと思うのです。
 学校は自己評価力というのを上げなければなりませんが、それはその学校だけでやるのは甚だ苦しいところであります。だから、日本全体でとらえたときに、やっぱり教育委員会のところのある専門性をより充実させてサポートをするという力が望まれるというか、必要なのではなかろうかということをちょっと申し上げたいのです。
 専門家ではございませんので、制度上で、どういうふうに具体的にというところではなかなか表現しにくいのですけれども、日本の学校経営の場合に、そういった新しい説明責任、あるいは自己評価力が必要なのです。チェック機能と先ほどおっしゃいましたが、それにプラスして、もっと先に大事なのは、学校そのもの、一つ一つの学校の自己評価力ではないかと思うのですけれども、それが甚だ基盤ができておりませんので、そのサポートを教育委員会が行う。新たな専門性、教育研究したり、あるいは学校経営の研究をしていただいて、サポートしていただくというものが望まれるように、必要性が高まってくるように私には思われるのですけれども、その辺をちょっとここに書き込んでいただく必要があるのではないかというところが感想でございます。
 あと1点だけ、今度は総論のところにも、そういう議論がいろいろ出ていた中で、今の段階はまだ骨子だと思いますが、これを公表していただくときには、国民が希望が持てるような、つまり教育というのは自治体や学校や教育委員会や、そういったところの連携を今後どういうふうに工夫して、教育問題に対応していくかというところと、今のところをもう少し書き込んでいただいてもいいのではないかなと思いました。

○ 鳥居部会長
 どうもありがとうございました。
 先ほどの教育委員会は要らないと言うと、ちょっと言い過ぎかもしれませんが、津田さんの意見と、それから横山委員と千代委員との間でお話がありました義務教育に絞っていくというところから始まった議論と、両方が今、引っかかっています。
 これに関連して御意見をいただきたいのですが、では、先ほど来挙がっている挙手の順に、藤田委員、森田委員、片山委員、門川委員、石原委員、池端委員、吾妻委員、どうぞお願いいたします。

○ 藤田委員
 今の問題に入る前に、先ほど津田委員から、教育委員会は不要だというお話があったわけですが、その前提として、日本の教育が極端にだめだという御認識を示されたんですが、日本の教育はいろいろな問題を抱えておりますし、改善すべき点が多々あることも事実ですし、保護者の方々や、市民の間にも不満や不信があることも事実だと思います。しかし、国際的に見て、日本の義務教育が根本的に変えなければいけないようなだめな水準にあるという認識は、非常に問題が大きいと私は思っております。
 ですから、現行の教育委員会制度を含めて、これをがらがら変えたらよくなるということ自体が、極めて私は問題の多い幻想だと思いますので、そこの点につきましては、もし必要ならば、適切な議論をしていただきたいと思います。私の書いているものも含めて、いろいろな研究者が書いておりますので、私はお読みいただければと思いますし、必要ならコピーも配りたいと思います。
 それから、そういったことで、教育委員会の役割の範囲に何を含めるべきかということについて、幼児教育、あるいは就学前教育、子育て支援、その他様々なものを含めていくべきだという議論もある程度わかります。
 それから、逆に、生涯学習やスポーツ、文化等はどういうふうな位置づけをすべきかという点についても、議論の分かれることだと思います。
 この点については、先ほど来何人かの委員の方が、事実上、首長部局と教育委員会との連携のもとに、共同で管理しているというところがあると思いますし、そこの連携の在り方を適切に進めていく必要があると思います。
 もう一方では、前々から私が言っていたことですが、いずれにしましても、そういった生涯教育やスポーツ等においてもそうですし、就学前教育についてもそうですけれども、具体的な改革をして、何かを始めますと、基本的には、いずれはそれを持続的に担っていく担い手が必要になってきますから、そこではある程度の専門性と持続性というのは、必ず問題になってくると思います。
 ですから、そういう意味では、そこの部分については、私は教育委員会なり、あるいは教育委員会がすべてやるべきだということに異論もあるでしょうけれども、例えば社会教育主事の中には、もっと一般行政や、そういったことを担当する人たちが入ってもいいことだと思いますし、そういうような様々な形での連携の在り方、強化の仕方を考えていく必要があるのではないかと思っております。
 それから、もう一方で、片山委員の提案されたことに、私は基本的に、ほとんど全面的に賛成でありまして、国と地方との関係の、国がやるべきことをやはり明確にするということと、そして、地方の力量差に応じて、幾つか対応できるメニューというものは、教育委員会制度の枠組みの中でやはり考える必要があるのだと思います。
 それに加えて、チェックシステムも基本的に重要ですが、実は数年前に私はオンブズマン制度という機能もまた重要なのではないかということを書いたのです。もちろん教育委員会の仕組みの中にそれをというか、事務局の中に日常的にはそういう窓口を設けるということは必要なことですけれども、やはりもう少し大局的な観点からのオンブズマン機能というものも、そこに加えていく必要があるのではないかと思います。
 それと同時に、先ほど横山委員が言われた、全体にこの報告書をまとめて、答申をまとめるに際して、今、話題になっております教育委員会の役割とか範囲というものを、どのように相互に位置づけて、それぞれについて何が必要かということを少し明確にしないと、「いろいろな意見がありました」ということになりかねないという印象を私も持ちました。
 それと、もう一つ、本日時点でのまとめにおいては、いろいろな意見があって、その中には、必ずしも多くの方が共通に合意しているというわけではない異論や対立意見も含まれていると思いますので、そういう異論や対立意見の位置づけ方、扱い方についても、どこかの時点で御検討いただければと思います。

○ 鳥居部会長
 最後におっしゃった点は、御存じのとおりだと思いますが、資料1-2で、対比型で最初書いていたんですね。それをどうやって一本にまとめようかと事務局が一生懸命考えた結果が、資料1-1になったということです。藤田先生、御指摘のとおり、まだ対比型で残したほうがいい部分がたくさんありますので、もう1回配慮したいと思います。
 森田先生、それでは、どうぞお願いします。

○ 森田委員
 私は必ずしも教育の専門家でございませんけれども、ここに出席させていただきまして、また、いろいろ御意見を伺ってきたところでございます。
 今、藤田先生の御指摘にあったところですけれども、今回、配付されました資料を拝見いたしまして、いろいろな論点があって、それぞれについていろいろな考え方があると思ったのですけれども、これから教育委員会制度を中心として教育行政の仕組みをどうするかというときに、骨になるような考え方の軸というのが見えてこないという印象を持ちました。その点、先ほど小川先生のほうから御指摘がありました、アメリカの教育委員会制度といいますのは、ある意味で骨になり得るお考えをお示しいただいたのではないかと思っております。
 私自身、アメリカの教育行政の仕組みについてはよく存じませんけれども、先ほどのアメリカの教育委員会制度で御指摘になった点、あるいはその後、土屋委員がおっしゃいましたシティー・マネジャー・フォームという、アメリカの自治体の形態ですけれども、これは、アメリカの場合には、こうした行政組織についての一貫した哲学のようなものがありまして、それがきれいに反映されていると理解できるのではないかと思います。
 どういうことかといいますと、いわゆる民主主義、一般の人が選ぶ人と、もう一つは専門家、その関係をどうするかという、そこが一番の軸になるわけでございます。あくまでも管理運営とか、細かい事項に関して言いますと、これは専門家のほうがはるかに優れている。しかし、大きな方向に関しては、これはやはり住民の意を受けた、住民から正統性を付与された人たちが決めなければいけないという仕組みでございまして、シティーマネジャーも先ほど御紹介がありましたアメリカの教育委員会の制度もそうですけれども、基本的に政策の大きな方向と、そしてリソース調達・配分の大きな枠組みと、管理をする専門家の人選 ―これは罷免も含めてですけれどもー に関しては一般の人から選ばれた委員会がきちんと責任を持って行う。その委員会の付託を受けて、委員会の信頼のもとに専門家が管理をするという仕組みでございます。
 これは、もう少し広げて言いますと、例えばステークホールダーと、企業の役員会もそうですし、最近、日本でもだんだん企業にも入ってまいりましたけれども、いわゆる一般の役員と執行役員の区別にも、それに通じるところがあろうかと思います。
 アメリカの場合には、そうした考え方がいろいろな組織面に適応されております。ただ、専門家と素人の境界線というのは必ずしも明確ではなくて、それが次々と新しい組織形態を生み出している一つの理由ではないかと思います。こうした考え方のもとでいろいろな制度がつくられているということを踏まえて考える必要があるのではないかと思います。
 したがいまして、そうした前提を持たない日本の場合にこの制度をそのまま適用するというのは、どなたかから御発言がございましたけれども、やはりいろいろと別な問題を発生させる危険があると思います。
 しかしながら、反面におきまして、我が国の教育委員会制度のそもそもの原型といいますのは、これはちょっと言い過ぎかもしれませんけれども、その哲学の部分を必ずしも十分に理解することなく、その制度形態だけを我が国の土壌の中に取り入れてきたというふうに思われないわけではございません。
 したがいまして、これは行政組織の観点から見た場合に、教育委員会制度がどのような制度原理に基づいてつくられ、運営されるべきかということについて、常に矛盾する様々な意見が出てきているように思います。ただ、これもイデオロギー対立が激しい時代におきましては、こうした形での運用がなされたということについて、それなりに理解できないわけではございませんけれども、それが終わった時代に、今初めて、そもそも教育委員会というのが何のために、どういう役割を果たして、どのような原理で動かすべきなのかということが、問われるのではないかと思います。
 その中から、経験主義的に、十分にうまくいったんだから、この仕組みをさらに改善していくべきであるという意見と、そもそもその原理がはっきりしないところから問題が起こっているから、これはゼロベースで考えるべきであるという意見が出ているのではないかと思っております。
 日本の場合、例えば議会と教育委員会の関係ですけれども、私もかつて習った行政に関する法律の講義では、教育委員会というのは、政治から中立である以上、議会はそれに関与すべきではないという考え方が示されているのが、通説のように聞きました。教育委員会は教育委員会として、別なデモクラティックな仕組みとして運営されるべきであるし、そうなっているんだという話です。
 しかしながら、先ほど来ございましたように、議会の関与を強めるべきであるということになりますと、これは政治的中立性なり、民主主義と教育委員会の自律性との関係というのはどのように原理的に整理していくのか、これは課題だと思います。
 先ほど、レイマンコントロールのレイマンと専門家の話、これはアメリカの場合には、まさに選ばれ方によって明確であって、実体的な基準はないと思います。さらに、教育委員会の政治的中立性と政治性といいますか、民主主義の関連で申し上げますと、私は20年前にアメリカの南部に住んだことがありますが、そのときの印象では、アメリカの教育委員会は、首長あるいは議会とは違った意味で極めて政治的でして、進化論を学校で教えるべきかどうかということを延々と議論している。それをどうするかということは、選挙のたびごとに変わるということもあり得るわけです。
 したがいまして、何を申し上げたいかといいますと、やはり日本の場合の教育委員会というのは何なのかという、その制度原理を考えてみる必要があるのではないか。
 もう一つ、傍証を申し上げますと、戦後、アメリカ的な独立行政委員会制度が随分導入されましたけれども、だんだん換骨奪胎されまして、独任制組織に附属する審議会のようなものになってきたものが多いと思います。
 今日では公安委員会、教育委員会、農業委員会があり、農業委員会は任意設置に変わろうとしておりますし、公安委員会がどういう問題を持つかというのは、警察刷新のときに議論になったところでございます。そういう意味でいいますと、この制度を見直してみる必要があるのではないかと、私自身は思っております。
 ただ、どの方向でどういうふうに見直すかということになりますと、これはなかなか難しいところでございます。したがいまして、このことにつきましては、私は何回も申し上げてまいりましたけれども、どういう方向で見直すかわからないときには、いろいろと実験をしてみる。その意味で多様な制度を許容するというような考え方があってもいいのではないかと思います。
 これまでの議論については、幾つかの論点を整理する必要がある。論点の整理というのはある程度されておりますけれども、議論の幾つかの次元が混乱しているような気がいたします。
 一つは、実際に教育委員会を、教育システムを動かしていくための管理のユニット、効率的で責任ある管理のユニットとしてどういう仕組みとどの規模が望ましいのかということがあるかと思います。
 もう一つは、やはり政治との関係、あるいは専門性との関係ですけれども、決定をどういう仕組みで行って、どのユニットで行っていくのかということ。
 3番目は、今日、御意見が出て、なるほどと思いましたけれども、教育委員会なり何なりの教育システムがどのような機能的範囲で責任を持つべきなのか。幼児教育、あるいは生涯学習まで射程に含むべきかどうかという議論もあろうかと思います。
 最後の点について申し上げますと、余計なことですけれども、私自身、地方分権関係に長らくかかわってきましたけれども、そこでずっと懸案で出ておりますのが幼保一元化の問題でございます。市町村の側からは、子どもが減ってくるときに、できるだけ統合していく、あるいは少子化に備えて幼稚園においても保育を充実させる、あるいは保育園をさらに充実させる。それがあるわけですけれども、常に二元的な制度のもとで、市町村の側で言いますと、非常に非効率、様々な障害というものに直面している。これは何とかならないかということでございます。
 私自身は、これを幼児教育に統合するか、保育行政に統合するかは、別に専門家ではないので、何とも申し上げませんけれども、とにかく一本化するという方向で答えを出していくということが必要ではないかと思っております。
 この間の分権会議におきます分権改革の中では、もう一つ、第三の道をつくるということで、これは幼保一元化ではなくて、三元化という方向が示されたように思いますけれども、これが果たして本当に地域にとっていいのか、そのことについてはよく考える必要があるのではないかと思っております。
 長くなりましたが、以上でございます。

○ 鳥居部会長
 ありがとうございました。
 これは単純な御報告というか、中教審の中に、全然違う分科会の違う部会で幼保一元化を、今、審議しているところがありまして、そこでは幼稚園、保育園を合わせた形の運営母体をつくっていく。それを一元化と呼ぶのか、三元化と呼ぶのか、よくわかりませんが、そういう方向で話が進んでいまして、予算の出元が違いますので、それのもとになっている文部科学省と厚生労働省との間でも、一つのまとまった合議体の統一した議論の場をつくるということで、既に2回ですか、3回ですか、議論が行われています。これは情報まででございます。
 今、森田先生から解説していただきましたけれども、片山委員、それから土屋委員、それから田村委員、たくさん手が挙がっています。では、まず片山委員から。

○ 片山委員
 先ほど津田委員から、教育委員会の不要論ということではないのでしょうけれども、抜本的にという話がありました。それとセットで、首長のもとでめりはりの効いたというか、教育行政をもっと進めたらどうかという御発言で、私はまったく同感なのですというか、同感なのでした。
 といいますのは、私も知事になったときに、教育は、私自身が子どもがたくさんいて、個人的にも関心があったし、また、日本の将来を考えたとき、教育が一番大事だと思ったものですから、教育には殊のほか関心があったのです。そういう観点で知事として教育委員会の教育行政を見ましたら、本当に不満がいっぱいありました。どうしてこんなに説明責任を果たさないのだろうか、何でこんなに不透明なのだろうか。議会の議論を聞いていても、本当に情けない。こんなことなら、自分の手でしっかりと教育行政をやりたいと思いました。
 だけれども、教育委員会制度があって、前の知事の時代に任命された教育委員とか教育長がいましたから、悶々としていたのですが、しばらくすると、教育委員の任命がえができますので、順次任命がえをして、今どうかと言われますと、今、知事になって5年たちましたけれども、私は今の教育委員会の制度でほとんど不満がありません。大体自分の思っている教育というのは、教育委員会の行政の中に反映してもらっています。もちろんまだまだ完全ではありませんけれども。
 ですから、私自身は、今の教育委員会制度には大した不満は、もうありません。ですから、今の教育委員会行政でそれを改善していくことでいいのではないかと実は思っているのです。
 もう一つは、他の自治体の首長さん、これは県も市町村もそうですけれども、見ていまして、率直に言いまして、教育に関心のある方と関心のない方がおられます。それから、教育まで手が回らない、気が回らない、キャパシティーの限界に来ているという首長さんもおられます。申しわけないですけれども、これは本当なのです。私の方から一生懸命教育の重要性を説き、教育の有用性を説いても、悪気はないけれども、そんなことまで気が及ばない首長もいます。
 やっぱり限界があるのかなと思います。そういう意味で言うと、分権と言っても、ちょっと違った分権で、分権というと、すぐ国から県さらに市町村と、こうなるのですけれども、同じレベルの中で、県なら県の中、市町村なら市町村の中で、権限の多元化が必要ではないかと、私は最近思うようになりました。
 今、大体、ほとんどすべてが首長に集まるわけです。国が各省でずっとばらばらに各大臣がやっていることを、県のレベルだと、ほとんど1人でやることになるわけです。もちろん教育委員会とか公安委員会がありますから、全部ではありませんけれども。市町村でも同じことなんですね。区域は違いますが、行政の種類で言うと、ありとあらゆることを1人がやることになるのですね。できっこないです。
 私は地方自治をずっとやってきましたから、自分で言うのも変ですが、比較的わかるほうだと思いますが、四六時中県政のことを考えていて、それでもあらゆることを十分にはできません。そうすると、1人の人間では限りがありますから、やっぱり重要なものについては、ある程度多元化しておいたほうがいいのかなというような考え方になると、教育委員会という今の制度がいいのかどうかはともかくとして、ある種の多元化をしておいたほうがいいのかなと思います。
 現実には、選挙の政治的関係によっては、教育に関心のない人が出てきますから、そういう人が出てきても、教育についてきちんと見識を持って、モチベーションが高い、そういう集団が行政をやるというシステムを置いておいたほうがいいのかなと、最近、私は思うようになりました。
 それでは、教育に意欲のある首長さんが出てきたときにどうなのだと言われますと、教育委員会のほうにも人材がしっかりしていれば、教育に熱心な首長が出てきたときには、それが連携をとって、よりよい、さらに教育環境を高めることができます。ですから、連携がとれますから、分断されていても問題はないと思います。
 それから、教育に関心のない首長が出てきたときには、ある種の遮断効果が働いて、教育行政の分野は教育行政の分野で、悪くならないままうまくいくという効果があるのかなと思いますので、津田さんの言われることは、私も最初賛成だったし、一般論としては、理念的にはいいと思うのですけれども、現実を見ますと、やっぱり教育を重視する立場からは、ある程度分断をしておいたシステムのほうがいいのかなと、最近思うようになりました。
 森田さんは独立行政委員会がもう古いと言われましたが、そういう面も実はあるのですが、私は多元化という面で言うと、独立行政委員会というのは、もっとこれから改変を加えて多様化したらいいと思うのです。鳥取県では現実に、地方自治法にはないような独立行政委員会、準独立行政委員会的なものを条例でつくって、結構ワークしている面もあるんですね。だから、一概に、戦後アメリカから導入した独立行政委員会制度をなくしてしまわなければいけないということではない。むしろリバイバル、活性化することは可能ではないかなと思っています。

○ 鳥居部会長
 ありがとうございました。
 たくさん手が挙がっているのですが、こちらから、今度は吾妻委員、池端委員、石原委員、それから土屋委員の順にお願いいたします。

○ 吾妻委員
 今日のお話の中で、前半のほうで、小さな市町村にも適用できる答申をというようなお話が出てまいりまして、まずそのことを一つお話ししたいと思います。
 第1回目のときもお願いしたわけですけれども、全国にはいろいろなレベルの市町村があるわけで、合併が幾ら進んでも、小さい町、村は残るということで、その辺にも視点を当てて、ぜひ議論をしていただきたいということをお話ししておいたわけです。どちらかというと、小さな町、村よりは、もう少しレベルの、規模の大きいところに視点を当てた話が多いのかなというようなことで、少し心配していたのですが、今日、そのことが一つ出たことは、大変ありがたく思っております。今後とも、そういう話について、ぜひ取り上げていただければと思います。
 今日のお話ですけれども、教育委員会制度があるべきか、なくすべきか的なお話から、教育委員にどういう人を選んだらいいかというお話まで、非常に内容の格差が大き過ぎるような気がしまして、何か議論になかなか入り切れない委員が、私を含めて結構いらっしゃるのではないかなと思うんですね。それぞれに言いたいことはたくさんあるわけです。
 例えば、先ほども反論がありましたが、日本の教育が非常にまずいという前提で制度改革ということでいいのか、イコール制度ではなくて運用面であるのではないかみたいな議論もしたいと思います。それから、教育委員会の守備範囲も、幼児教育から青少年の健全育成問題、生涯学習、そして学校教育も、義務教育を中心に、あるいは高校教育まで含めて、この守備範囲の議論もまだまだたくさんあると思うのですね。当然、教育委員の人選につきましても、先ほど、どなたか、ちょっとおっしゃいましたけれども、教育長の公募制の問題についても、もう少しお話ししたいこともあります。
 かといって、各委員、それぞれにたくさんの御意見を持って、ここにお互いに集まるわけですので、フリートーキングも非常に大事だと思いますが、何かこういうことを申し上げると、お叱りを受けるかもしれませんが、半分ぐらいはフリートーキングにしていただいて、半分ぐらいは、今回はこういう問題について議論をしましょうみたいなことがあってもいいのかなと。一つの御意見に対して、何か申し上げたいと思うと、次の方が全く違うお話に移動していってしまうみたいなジレンマを感じながら、今の時間まできたわけです。半分ぐらいは、次回はこういう問題を焦点に議論をしましょうみたいなことが、もし御検討いただければなということを思いながら、一言申し上げました。

○ 鳥居部会長
 ありがとうございました。
 それでは、池端委員、どうぞ。

○ 池端委員
 失礼いたします。実は私も、吾妻委員がおっしゃったように、次回は何々というふうに、ちょっと整理をしていただいたほうがありがたいかなと思っておりました。
 それと、稲田委員のほうからもございましたが、教育委員制、また学校評議員制、これから進むであろうと思われます学校運営協議会制に、我々保護者の代表をぜひともとおっしゃっていただきましたことは、大変ありがたいと思っております。今までも既に「選出の対象とすべし」となっておるところではございますが、私たちの周りでは、実際の話、なかなか進まぬ現状というのが事実でございます。
 それと、教育委員会制ですが、学校評議員制、また運営協議会制というのが、若干、我々から見ていますと、ミニ教育委員会制度みたいな形でとらえられておる部分があります。実は、なかなか機能がしないというのが私たちの考えているところで、既に設けておられる学校のほうで、今、どういう状態で実際はやっておられますかというふうに、何校かに実はお聞きをしたのですが、実際やっていることは、校長先生が評議員さんを集めて、行事説明会をやっている。何月何日参観日、何月何日運動会、何月何日無事に遠足が終わりました、けが人なし、以上でございますということで、我々は何のために、忙しいのに集められたんやということで、評議員さんらが怒ってはるというのは、よく耳にするところでございます。これは自己評価に関しましても、そういうように評議員さんは受けとめておられるところが多うございます。
 それと幼保の話で、就学前教育のお話がございました。我々PTAのほうといたしましては、今、PTCAということで、どんどん地域をひっくるめてやっていきましょうということで、その中には、当然、就学前の地域の子どもたちも含まれております。それと、PTAという団体には幼稚園部会というのが既に昔からありまして、当然、一緒にやっておるわけです。今、本当に改めて家庭教育は教育の原点であるということで、そのあたりも、我々、耳の痛いところを随分御指摘を受けておるわけでございますが、我々といたしましては、やはり幼保なしでは、なかなか教育というものは今後語っていけないのではないかととらえております。
 報告を兼ねまして、以上でございます。

○ 鳥居部会長
 ありがとうございました。
 では、石原委員、どうぞ。

○ 石原委員
 教育委員会の在り方におきましては、私は地方という一括りではなく、県の教育委員会と市町村の教育委員会は、その権限も役割も非常に違いますので、そのことを明確に区分することが大事だと思っております。その上で、市町村の場合は、それぞれ、義務教育の事務は市町村事務となっておりますし、市町村立の学校をつくっている市町村が、自分のつくった学校に対して責任をきちんと持った運営ができるということは、私は大事だと思っております。学校はつくるけれども、運営はできません、力がありませんと。子どもの教育のことですから、どんな僻地でも、どんな小さいところでも、親は自分の子どもの教育をしています。それほど義務教育について大学のような高度な専門性とか、そういうことよりも、やはり子どもをきちんと教育していく仕組みとして、私は市町村がきちんとした力を持つことが、基本的には大事だと思っております。
 しかしながら、現状において難しければ、先ほど柔軟にというお考えが示されておりましたが、中核市のほうで研修権限を持って教員を育てていますが、そういう人たちが安定的にきちんと蓄積されることによって、学校教育の質が向上されるということは、とても大事だと思っております。やはり教育については人の問題が大きな問題でして、教員をどう研修させるのか、どのくらい学校に行かせるのか、そして、その学校をどんな特色を持った、どんな地域に根差した学校にするのかということの一義的な責任は、それを設置しているそれぞれの自治体にあると思っております。
 そういう意味では、せめて中核市ぐらいまでは、人事について、さらに権限を持つことによって、きちんとした人事管理と教員を育てていくという意欲をその自治体が持っていなければ、私はどんなことを言っても、なかなか教育改革はできないと思っております。
 その上で、やはり小さいところは、専門家もいませんし、事務局も脆弱であるということは事実です。そういうところを基本的には県や国がきちんと見るということで、全体の水準を、能力と意欲のあるところがきちんと担いながら、難しいところについては、国や県がきちんと支援体制を組んで、全体として今よりももっときちんとした教育の質を向上させるということがないと、日本の教育は単にいいんだ、いいんだと言っていても、諸外国も非常に頑張っていますので、そういう意味では、足腰の強い、そして、それぞれが自分のところの子どもは自分たちできちんと育てるのだという意欲をかき立て、しかも、それが制度で担保できるような、そういうことが教育委員会の在り方に関する論点整理の中では、とても大事だと思っております。
 その意味で、1ページ目に市町村や学校の裁量、つまり現場に近いところがきちんと責任を持つということ、また、中核市のほうにもそういう権限をおろすということ、このことはぜひお願いしたいと思っております。
 また、首長さんとの関係ですが、実質的には行政委員会ではありますが、首長さんが関与できないということは全くあり得ないわけで、人事、予算、政策において、首長はそれぞれ御自分の思いを述べ、また実現しているという中で、それが首長さんのほうにとって難しいということはないと思います。ただ、直接的に所管したいのか、いわゆる間接的に、先ほど多元性という言葉が出ましたが、多元的にしたほうがいいかという問題ではないかと思っております。

○ 鳥居部会長
 ありがとうございました。
 土屋委員、お待たせしました。それから田村委員。

○ 土屋委員
 項目的に申し上げたいと存じますが、全体的な評価は片山知事がおっしゃったことと同様な認識を持っております。
 小川委員がおっしゃった、地教行法の改正、権限の再配分をどういうふうに変えるかといったようなことについては、前に申し上げましたが、首長との関係をもう少し地教行法上、整理する必要があるのではないかという感じがいたしております。
 それから、津田委員がおっしゃった、殺すな、犯すな、盗むなということの根本ができてないではないかということは、極めて大事なことで、今一番、日本だけではなくて、韓国でもこの間、十何人殺したなんていうのが出てきたりしましたから、現代社会が持っている、大きな問題ということだろうと思っております。
 問題はまさに、現代の問題というのが、そこに象徴的にあると思いますけれども、教育委員会はスーパーマンではありませんから、全部できるというわけではなくて、首長も、様々な社会現象も含めて、文明論的なものも含めて、どうやって取り組むのか、極めて人工的な空間の中にいる我々は、どうやって取り組んでいくのか、命というようなことをどうやって受けとめていくのかということで、総力を挙げて社会全体が様々な役割を果たしていく必要があると思います。
 そういう意味では、津田委員がおっしゃった、問題ということについては、もう少し詰めて、これをテーマにして議論したほうがいいのではないかと考えております。
 それから、幼児教育等についてでございますけれども、幼児教育ということは家庭教育、母親教育ということにもなります。父親の教育でもあります。しかし、全体として現場で見ていると、非常に管理能力を失ったというか、自分の子どもを育てる能力を失ったのが目立ちます。全体としてはそんなに多い数ではないけれども、そういう人が目立ちます。
 したがって、これは幼児教育というよりも、母親教育、父親教育のレベルになってくるのですけれども、子育てについて、あるいは自分の子どもを愛して、これは前にも私は申し上げましたが、会長が他の部会で、生まれてきてくれてありがとう、大切にするよとおっしゃった。そういう原点から行かないと、なかなか根本的な立て直しにならないのではないかという気がいたします。
 そういう意味で、これは文部科学省がやるのか、教育行政の中でやるのか、あるいは厚生労働省がやるのかという議論がありますけれども、私はこれも幼保の一元化という制度論だけではなくて、生涯学習、とりわけそういう営みに対して、人間の教育としての営みだということで、こういう営みを営々とギリシャの昔からやってきたわけで、教育の営みというのは、言ってみればそういう営みだと思いますので、これは避けて通れない。ただ、教育委員会所管事項であるのかどうかということは別にして、教育の目的ということについては、当然避けて通れないだろうと思っております。
 それから、各論になるのですが、教育委員会が各学校をどれだけ支援できるか、このことについては、まず学校の校長以下の当事者能力、例えば予算とか人事とかという当事者能力を高めていくということは必要だと思います。私学などと比べれば一目瞭然なわけでありますから、やはり私は当事者能力を高めていくということは必要だと思います。
 しかし、現行の学校体制だけではでき切れないことがたくさんあります。例えば今、問題になっているのは不登校児問題で、例えば武蔵野でもあるのですけれども、5年生ぐらいまでほかの地域にいて、2回ぐらい小学校をかわって、不登校でどうしようもないから武蔵野の学校に来た。それは別に武蔵野がいいからとかそういうことではなくて、雰囲気を変えようと。近くだから何とかという感じで来ているわけです。
 こういう子どもが1人来ると、学校はものすごい力を入れなければなりません。力を入れる割には、なかなか成果が上がらない。担任がその子どもの顔を見たことがない、行っても会えない、こういう子どもが義務教育の名のもとに一応卒業していくのです。こういうケースはいっぱいあります。だから、私は来年からは、教育委員会が特別チームをつくって、そういう子が仮に入ってきたといったら、学校を中心にしながら、その特別チームをそこへ張り付けて、そして何とか軌道に乗せてやれと。不登校を少しでも回復するように、もちろん民間の力も借りてというようなことをやっていく。これなんかは、学校に対する教育委員会の直轄チームみたいなものをつくって支援していくということが非常に大事だろうと思っております。
 それから、森田先生がおっしゃったレイマンコントロールとの関係で、いわゆる政策決定や方針を決める際の、一般の人から選ばれたという、その選ばれたことの正当性についてであります。選ばれるということは、必ず権限が付与される代議制の基本だろうと思いますけれども、それは現在のところ、選挙でやるか、あるいは選挙した人が任命するか、こういうことしかないだろうと思っております。
 ほかに何かいい方法があるのなら、ぜひ御提示いただきたいのですが、基本的には、今の教育委員会制度でも、知事、市町村長が選挙で選ばれて、それが議会の同意を得て任命するということですから、そういう意味では正当性をきちっと持っているわけです。このシステムではないシステムが、果たして教育委員会としての機能をどういうふうに活性化するのか、あるいは向上するのかということについて、これは非常に問題であります。
 実は、現場にいますと、例えば学校運営などについても、「市民の意見を聞いてない」とか、よく言われます。ところが、よく突き詰めてみると、自分の意見を聞いていない。こういう話がたくさんあります。長い間、市長をやっていると、そういう場面にちょくちょく出くわします。だから、結局、正当性は一体どこにあるのかという、そこの基本にかかってくるような気がいたします。
 また、農業委員会の任意設置のお話も出ました。武蔵野にも、かつて農業がありましたけれども、今は40ヘクタールぐらいしかありません。それは時代とともに変化してきたのです。だけれども、教育はますます大事になっているということですから、それは必ずしもイコールではないのではないかなという気がいたします。
 もう一つ、学校評議員制というのは、武蔵野もやっています。これは文部科学省がやれと言ったんですか。何かいつの間にかおりてきて、学校評議員制ができたからやらなければと言っていますけれども。
 こんなことを言うと何でございますけれども、大体、小・中学校の校長というのは、3年から5年で動くのです。地域のことなんかよくわからない。わかるころは異動してしまうのですから。どうしているかというと、結局、町内会の何とかだとか、商店街の何とかだとか、そういう話になって、私、これはいろいろ問題があるから、「市長合議にしろ」と言って、市長合議になっているのです。市長合議が、現在の地教行法上、かなり教育委員会の権限を侵害しているのではないかという気もしないでもないですけれども、私のほうがよくわかるのです。その人の背景とか、どのような判断を持っているかとか、それは私、40年市政にかかわっていますし、55年市民ですから。
 だから、制度をやれと言ったために、さっき言った学校行事ばかり報告しているとか、その程度のことしかできないので、そういう制度は屋上屋を重ねることになる。私は、学校評議員制というのは、私学みたく経営の責任まで持っているのなら別だけれども、そうではないのだから、ここに幹部の方がいらっしゃるから、やめろとは言いませんけれども、あまり機能していない。少なくとも武蔵野においては機能していないと、こういうことを申し上げておきます。

○ 鳥居部会長
 ありがとうございました。
 それでは、門川委員、それから津田委員、それから佐藤委員。

○ 門川委員
 制度論が多いのですけれども、私は、この教育改革は、つまるところ校長がリーダーシップを発揮して、授業が改善されるのか、子どもが変わるのか。同時に、親が変わり、地域が変わっていくのか。そして、教科をはじめ幅広い学力、道徳性などが身に付くのか、生きる力につながるのか。それに尽きるわけですね。その部分で、より地域の子どもは地域で育てようという分権のほうが、今よりはいいだろうということであります。
 ただ、京都市も学校分権をどんどんやってきたわけですけれども、分権というのは手間暇がかかる。集権的にやったほうが効率的ではあります。この8年、9年の間に、専門的な職員、いわゆる学校を指導し、サポートし、相談し、かつチェックするという、京都市で言いますと、カリキュラム開発支援センターとか、地域教育専門室とか、家庭教育支援室とか、不登校の子どもの相談センターということで、50人を超える専門職の増員をしてきました。300校の学校指導で、それぐらいの専門家が要るのです。
 悩んでいる先生に教室まで行って相談を受け、悩んでいる学校長のサポートをする、あるいは今の評議員制度でもいろいろな問題はあります。しかし、十分機能し始めています。これには専門的な指導が必要です。評議員が悪いということだったら評議員をかえたらいいし、また、評議員は外で文句を言うよりも、そこで意見を言うべきなのです。この制度を京都市は13年度に全校に設置しましたけれども、13、14、15、16、年々充実してきています。初めは地域の役員だけだったのが、だんだん親の世代に、あるいは保育園の関係者、幼稚園の関係者、そういう人が小学校の評議員に入ってくる。保護司さんが入ってくる。こういうことで本音の議論ができるようになってきました。1年、2年で結果を見て、やめたほうがいいということではないのではないかなという気がするわけです。
 そこで、本当に教師が変わり、親が変わり、地域が変わる。そんな専門家の指導支援、チェック、こういう体制を教育委員会がどうしてつくっていくか。このときに、私は思うのですけれども、この8月10日にも「地域教育フォーラム」の第6回目をやるのですが、近隣の市町村からいっぱい来はるんですね。ですから、カリキュラム開発支援センターを去年発足させまして、今デジタル化しようと。これは京都市だけでやる必要はないわけです。どんどんデジタル化していこう。そうすると、本当は町村合併ができ、教育委員会が広域化するほうがいいとは思いますけれども、カリキュラム開発支援センターを共同で持っていくとか、不登校の子どもの相談センターを共同で持っていくとか、そして本当に学校をサポートし、支援し、親にも学んでもらう、そういうようなことはいろいろな工夫でできるのではないかなと思っています。
 その一つとしまして、とりあえず50数人を増員してきたわけです。改革の時期だということで。市長に無理を言いまして、いずれ減らしますからということで、今、増員を一生懸命しているわけですけれども、実際はずっといるわけですね。その一方で、管理・事務部門の人員を一生懸命減らしているわけです。50人分は減らせていませんけれども。
 そこで、もう一つ、ぜひともこういうことが必要ではないかと思うのです。午前中、授業をやって、昼から他の学校への指導ができるとか、あるいは何曜日と何曜日にそういうことができるとか。これが今、都道府県費負担教員で、それをやりますと、会計検査のときにものすごくチェックされるのです。出勤簿を見て、都道府県で給料を払っている人を指導主事的に使っていないか。しかし、現実に教壇に立ちながら、その人がまたいろいろなことを指導・支援していくという、必ずしも現場と切り離して教育委員会に来るのではなく、学校現場にいて指導主事的な仕事をする。そういう関係が、今できないのです。一旦教育委員会に来たら、ずっとその人は教育委員会にいなければならない。あるいは、出るときになかなか出にくい。
 しかし、プレーイングマネジャーみたいな制度もあわせて考えていただけたら、専門家をどんどん教育委員会なり、そういう支援センターに充実させる。トータルとしての人員を増やす必要もありますけれども、そんな制度も要望したいなと思っています。以上です。

○ 鳥居部会長
 ありがとうございました。
 それでは、津田委員、どうぞ。

○ 津田委員
 先ほどから、私が現在の教育に非常に不満を持っているというような受けとられ方をしています。もちろん不満は持っているのです。だけれども、義務教育システム全体は何も否定しているのではないのです。ただ、外国と比べてという場合に、今は学力も非常に低下してきているということは問題だと思います。
 確かに、子どもの犯罪は外国に比べて若干少ない。これだけの所得がありながら、子どもが非常に数少ないですから、日本の子どもほど豊かな子どもはない。豊かであれば泥棒しない。そういうことで少ないというのも、当然の理であります。
 教育で一番根本になる道徳、あるいは愛国心といったものが、昭和20年に切れたわけですよね。それ以降は、口にするのがためらわれるような雰囲気になった。先ほどから出ているアメリカの制度を非常にほめていらっしゃるけれども、アメリカの制度は愛国心教育というのは大変なものですね、それだけに、ああいうテロに対して猛烈な怒りが起こる。
 私は、人間として愛国とか愛郷、家族を愛するという心があれば、それらを守るエネルギーになるのではないかと思っています。ところが、そういうことを言うことがはばかられるような空気のまま、60年たっているわけですよ。私はそういうことを教育委員会で言いました。情報公開ですから、会議の始終が流れますと、翌日から先生方の抗議書が、自宅へ猛烈に送られてくる。電話もかかってくるということで、家内なんかは、「家へ火をつけられるよ」とか言って心配するわけですよ。そういうふうなことで教育委員会制度が、本当の意味で成り立つかどうかですね。
 先ほどの片山知事の話、私は前から片山知事は尊敬しておりますが、片山さんが言われたら、教育委員会も恐らく片山さんの言に添って、「いいなあ」と思ってやるのだろうと思うんですが、逆に言えば、もう中立でなくなっているわけですよね。片山さんに対して非常にロイヤリティーが高い教育委員会ができてしまう。
 だから私は、行政の長が、自分の持ち場の教育をどういうシステムをつくるか、自分で決めたらよいと思います。1人の手で回らないなら、先ほど森田さんのおっしゃったような行政委員会をつくってもよい。だけど、全国ひとしく教育委員会を形として作るのは効果がない。私の住所を流して、組織的に「抗議しろ」という回覧を組合が流す。これはまだ去年のことです。現代でもそういうことが起こる。
 レイマンコントロールというのは、普通の市民が就任する。家族もあるので、脅されたら困る。そういうレイマンコントロールが運用されるほどの民主主義があるのか。国民のレベルが本当に上がっているのかなという疑問もあります。
 私は、なにも全部が全部やめなくてもいいけれども、行政の長が、自分のガバナンスを達成するのに、どういうシステムがいいのかという目で見直せばいいではないかと思っているんです。先ほどの話、私の発言から、若干非難めいたお話をいただいたので、もう一度説明させていただきました。以上です。

○ 鳥居部会長
 はい、ありがとうございました。
 それでは、森田委員、どうぞ。

○ 森田委員
 私の申し上げたことについても、幾つかコメントいただきまして、その中で、若干誤解をされていると思われるところもありますので、その辺について、少し補足させていただきます。
 一つは、土屋委員のほうからございましたけれども、選ばれる人の民主的正統性――難しい話がございました。選挙で選ばれるか、選挙で選ばれた人が任命するかというお話ですけれども、これはある意味でそのとおりでございます。方法としては、それ以外に、政治学のほうでは、くじ引きという制度もございますけれども、これは「昔は」ということになるかもしれません。ただ、昔でないのは、裁判員は同じ仕組みを採用しておりますので。
 ただ、ここで政治的な正統性を問題にするのは、任命するときの話ではなくて、やめさせるときの話です。その政治的な任命者、あるいは選んだ人が、一定の期間たったとき、あるいはリコールしたときにやめさせることができるかどうかというのが一つのポイントでして、これは公募制の教育長の問題で、具体的には申し上げませんけれども、問題になっているのはそこのところだと思います。そのことが一つ。
 もう一つは、行政委員会制度について言いましたけれども、別にアメリカの制度がいいと言っているわけではなくて、アメリカはそれなりに考えた原理、ないし一定のしっかりとした哲学に基づいて、その制度というものが考えられているように思われます。日本の場合には、どうもその哲学が必ずしもはっきりしないがために、いろいろと換骨奪胎されたり、やめてしまったりしたものが出てきているのではないか。これは鳥取県もおつくりになっているそうですが、新しい仕組みをどんどんおつくりになるのは大いに結構だと思いますし、そういう形で教育委員会制度を変えていくことも、大いに差し支えないのではないかと思います。
 しかし、ある条件のもとで、こうやったら機能するということがきちんと説明できるかどうか。ただ漠然と、存在するから、やってきたから合理的だというのでは、今の時代になかなか適しないのではないか。その意味で言いますと、今、津田委員がおっしゃったことと同じですけれども、全く置かないということも含めて、いろいろな可能性を実験してみる必要があると思います。
 特に、先ほど申し上げましたけれども、管理面の能力と規模の問題について言いますと、人口360万の横浜市から1,000人以下の村まで同じような仕組みを置くということは、どれぐらい合理性があるのか。それについて、それぞれのところが特に当事者の方が手を挙げてやっていく。これは場合によりましては、それぞれのところでどういう教育システムを選ぶかということ自体を、一つの選挙のときの争点にしてもいいのではないかと思います。その中からだんだん関心が高まってきて、自分たちのところの教育の仕組みをどうやってつくっていったらいいのか。そういう問題関心を引き起こしていく。それがある意味で言いますと、地方分権の理念にもかなうと思いますし、教育委員会の活性化にも結びついてくるのではないかと思います。

○ 鳥居部会長
 どうもありがとうございました。
 佐藤委員、千代委員、そこまでにちょっとさせていただいて、あと、田村委員と國分委員、先ほどからずっとお待ちですので。すみません。

○ 佐藤委員
 それでは、教育委員会制度の内側にいる人間として、一言申し上げたいと思います。
 不易流行の中で、「教育は人なり」というのは今も変わらない。「行政も人なり」ということは、これも今も変わらない。ですから、制度論も、いろいろアイデアの中では去来しますけれども、人を得なければ、どんな制度があってもそれは機能しないと私は考えるわけです。
 先ほど非行の問題もありましたが、非行少年のいろんな面接をしていて、親に優しく抱かれたことがないというのが圧倒的に多いわけです。ですから、教育もさることながら、親は子どもに対してどうあるべきかということの理念を、あるいは習慣を、小さいときからこれはやっぱり教育しなければならんと思いますし、そういう点では、教育委員会制度の中で、私どもの責任の一端があるというふうに心得ております。
 それから、私は教育委員の一人でありますけれども、やはり教育委員会が機能するためには、委員の資質なり、あるいは抱負なりというものが、大いに働くものであると思っております。
 といいますのは、最近の体験ですけれども、教育委員が1人、定例的に交代期にあったわけですが、1人かわったんです。教員の経歴はありません。お菓子屋の旦那なわけです。齢は44~45歳。実にすばらしいセンスを持っています。これはやっぱり人を得てこそ委員としての資質が、委員会において、あるいは行政において発揮されるものというふうなことを実感しました。
 こういったものが、5人なら5人の委員、一人一人に備わることが全うできるとなれば、首長さんが真剣になって委員に対する考え方をしっかり持っていただいて人選をするということが、制度論よりも、まず現時点で必要なことではなかろうかと思いますし、先ほどレイマンコントロールというお話がありましたけれども、私もその線には賛成であります。
 この資料の中にもありますけれども、各界各層から、教育委員が選ばれるということは、地域の住民にとっては、納得される最低限度のラインだということであります。そういう意味では、仮に教育にかかわらなかった経歴の方であろうが、あるいはそういう専門家でなかろうが、これは当然あってしかるべきと思います。それにつきましても、教育長の資質というのは、それに勝るものとして、当然リーダーシップを持った、教育行政に堪能な者がそれに当たるべしというふうな感を深くしております。
 私どもの盛岡市の場合には、非常に優れた教育長ですから、市長も、そして私ども委員も、議会も、みんな信頼を持って、その事務局の執行体制に対して賛意を表しているわけであります。やはりこれとても、首長さんの感覚と申しますか、あるいは教育に寄せる真意と申しますか、そういったものが深くかかわってこそのことでありまして、機能するもしないも、これは制度論に先んじて、首長さんの認識いかんにかかわるということを、内側から申し上げます。

○ 鳥居部会長
 ありがとうございました。
 それでは、千代委員、どうぞ。

○ 千代委員
 今の佐藤委員のお話ともちょっと関連というか、重複する点もありますが、先ほどから私が規模の問題を強く申し上げているのは、必ずしも人口が10万以下だった、30万以上の中核都市だったから、すべてがそれによって解決するということではないわけで、小さな市町村は市町村で新しい教育行政をやっているのは、事実、たくさん私は知っております。私もその1人でございます。変わった町長だということで評価されておりますけれども、教育に対する情熱というのは、今、佐藤委員おっしゃったように、市長もしくは教育長が、そうしたリーダーシップをとってやっていくかどうかの意欲にかかわってくるであろうということは言えるだろうと思うのです。
 総じて、やはり小さな町村における教育行政には手抜かりがある。それは決して人材が足らないからだけではなしに、財政的に非常に厳しい。また、人としては優れているのだけれども、地域の運営に精通していない人も結構いる。こういうことがあって、小さな行政の場合には、非常に厳しい状況に立たされているということは、御理解いただきたい。だから、小さな市町村は必ずしもだめというような御認識は必要ではないと思いますが、その可能性がかなり大きいということでございます。
 私は、前回のヒアリングのときに申し上げたのですが、先ほども津田委員がおっしゃいましたように、教育委員会の在り方というのを、地方自治体において一遍見直してみてはどうかと、私は提言したわけでございます。それは単なる制度の上で考えるというわけではなしに、それぞれ3,200~3,300の市町村が、それなりにもう1回見直してほしいというようなことを、私は学校評議員制度より以前に、まず市町村に課すべきではないかと思っているのです。
 過去のケースをそのまま踏襲しているところも結構あるわけでして、ここにおいでの知識人の皆さん方は、それなりに最先端をいっているのですが、そういう市町村ばかりではない。これをやはり文部科学省の幹部の皆さんは、よく御理解いただきたいと思っております。それがやっぱり地方の認識であろうと思うのです。同一に、同じレベルですべてが律せられるというような問題ではもう既になくなっているのではないかと思いますので、この点だけは私は強調させていただきたい。
 ぜひとも皆さん方で、教育委員会の在り方というのを、地方自治体にもう1回問いかける。こういうことからやってみたほうが、これからの教育行政においては重要なのではないか。いろいろな問題が出てきますよ。幼児教育もあれば、生涯学習もある。そういう問題をどうやって各自治体で理解していくか。上で決めて、そのとおりだというようにして、そのまま従うような市町村は、今はそんなにたくさんございません。そういうことをどうぞ御理解いただいて、地方自治体のほうにもいろいろとサジェッションをいただくのがよかろうかと思っておりますので、お願いいたします。

○ 鳥居部会長
 ありがとうございました。
 ちょうど時間になってしまったのですが、ずっとお待ちいただいていますので、2~3分お時間をいただいて、田村委員と國分副部会長からお願いをしたいと思います。どうぞ。

○ 田村委員
 申しわけありません。お時間がないところで。
 先ほどのお話の中で、私の立場としては、教育委員会というのを、機能を検討する必要はあるけれども、制度としては残さないといけないのではないかと思っている立場なのです。それは、独立行政委員会ということで、森田委員から解説がありました。つまり、あの時期に、日本の民主化の象徴として、教育委員会制度というのが導入されたわけですね。
 その例として申し上げると、例えば、日銀の改正法といわれる法律が、民間経営委員を入れたのが教育委員会を入れたのと同じ時期です。改正日銀法といわれたのは、つくられたのは、実は改正されたのが昭和17年、第二次大戦最中です。御存じのように、それが改正されたのは、実は20世紀が終わるころにようやく改正されたわけですね。つまり、日本は民主化されているというけれども、本当にされてきているのかという議論でしますと、私はまだかなり危ないところがあると見ているのです。
 ですから、次の世代を育てる子どもたちの教育にかかわる部分に、民主化の象徴である教育委員会という制度は、これは機能を議論することはいいけれども、制度そのものをなくすというのは、非常に危険だというふうに個人的に思っているものですから、これは大事にしなければいけないのではないか。
 分権委員会でいろいろな議論をされるのは大事ですし、そのことが内容の機能の改革につながるという意味では大歓迎ですけれども、制度をなくしてしまうのは、非常に危険ではないかと常日頃思っているものですから、その意見だけ申し上げさせていただきます。

○ 鳥居部会長
 ありがとうございました。
 それでは、國分副部会長、どうぞ。

○ 國分副部会長
 時間もございませんので、いろいろ申し上げたいことはありますが、2点だけ申し上げたいと思います。
 一つは、先ほど来議論になっている教育委員会の所管の問題であり、もう一つは、今日はあまり議論にはありませんでしたけれども、教員の人事権を地方に委譲したらどうかという点についての意見でございます。
 まず、1点目の所管の問題ですが、私は学校教育、特に義務教育については、教育委員会が所管すべきであるというふうに考えます。しかも、改善するかどうかということは別として、教育委員会制度のもとにおいて、それは所管すべきであると考えております。それ以外の、例えば文化であるとか、スポ-ツであるとか、生涯学習であるとか、これは絶対に教育委員会でなければならないという理由がないだろうと思うので、それはまさに地域の実情によって、首長のほうで持つか、あるいは教育委員会のほうが持つか、どちらでなければいけないというふうな決め方はどうだろうか。
 例えば、地域の実情によって、スポーツ一つをとってみましても、ある地域においては、スポ-ツ活動というのは、学校体育に依存しているところがあります。この場合に、教育委員会を離れてスポ-ツの振興をいってもしようがないわけで、そういうところはやはり教育委員会が所管したほうがいいでしょうし、そうでないところもあるかもしれません。その辺は、地域の実情によって所管を考えたらどうだろうか。ただし、学校教育、なかんずく義務教育は教育委員会が所管すべきだろう。先ほど、現下の教育事情、いろいろな問題が出ているという議論がありましたけれども、それを教育委員会制度のせいにするのは、私はどうだろうかなと思っております。
 それから、もう1点の人事権の問題です。石原委員からそれらしい御発言はございましたけれども、現在の市町村立学校の教員の人事は、市町村教育委員会の内申を待って都道府県教育委員会が行う、単純にそのようになっております。しかし、その実態は、47都道府県がありますので、47通りの実態があると言っていいのだろうと私は思います。
 例えば、北海道のようなところは、14の教育局がもう事実上、県のような機能を持っておりますし、徳島県のように教育事務所がないところは、本庁が全部取り仕切っているというところもあります。県全体がまず方針を立てて、市町村教委がそれをある程度踏まえて対応しているところ、あるいは逆に、ボトムアップといいますか、市町村教委から何かのあれが持ち上がっていくところ、政令指定都市があるところ、あるいは中核都市が一つのところ、あるいは幾つもあるところ、それぞれみんな違って、それぞれのやり方の実態というものができ上がっているわけで、この市町村教委に人事権を委譲するかどうかということは、制度の問題なのか、運用で解決すべき問題なのかということを、やはり考えていかなければならないのではないかと考えております。
 いろいろ申し上げたいことはありますが、とりあえず以上のことだけ申し上げておきます。

○ 鳥居部会長
 ありがとうございました。
 事務局から手が挙がっていますけれども。

○ 角田初等中等教育企画課長補佐
 ちょっと補足をさせていただきます。
 私、冒頭に御説明申し上げたのが、ちょっと舌足らずであって恐縮だったのですが、本日お配りしておりますものは、これまで委員の方々からいただきました意見をもとに論点を整理したものでございまして、これを土台に御議論いただきまして、中間的な整理はさらに先にさせていただきたいと思っております。
 日程にもございますように、今後、ヒアリング、あるいは地方視察も経て、さらに、それぞれの論点について、具体的に御意見をいただくのは、またその後にいただきたいと思っておりますので、その点、冒頭に本当は申し上げるべきだったのですけれども、ちょっと御紹介が遅れて恐縮でございました。これはあくまで論点の整理のペーパーでございまして、今後の方向性につきまして、また別途いろいろ御意見をいただいた上でまとめていくという過程をとらせていただきたいと考えております。

○ 鳥居部会長
 ありがとうございました。
 それでは、時間もちょっと超過いたしましたので、ここで今日の部会を閉じさせていただきますが、最後に、事務局から、今後のスケジュールについて、御説明をお願いいたします。

○ 山田生涯学習企画官
 今後の日程につきましては、鳥居部会長、それからただいま角田補佐から説明がありましたが、資料4にあるとおりでございます。
 次回につきましては、8月9日の1時半から4時まで、東京會館のロイヤルルームで開かせていただきますので、よろしくお願いいたします。

○ 鳥居部会長
 関係団体ヒアリングというのは、大体もう、どこを呼ぶか決まっているんですか。

○ 山田生涯学習企画官
 はい、決まっております。

○ 鳥居部会長
 関係団体というのは、どういうものですか。

○ 角田初等中等教育企画課長補佐
 この部会におきましては、教育委員会、あるいは首長の方、教育関係の方、その他の有識者の方をいただいておりますけれども、とりわけ関係の深い教育委員会の関係団体、これはたくさんございます。また、首長関係の団体もございますので、まずそちらの方々からそれぞれ御意見をいただくということを考えております。また、そのほか、生涯学習、文化、スポ-ツ関係の御意見をいただくために、それぞれの団体の代表の方でございますとか、あるいは校長会等、その他の団体につきまして、これは23日のヒアリングのほうでさせていただきたいと思っています。
 当面、まず次回のものにつきましては、今申し上げました教育委員会と首長の関係の団体の方々に、それぞれ意見陳述をお願いしているところでございます。

○ 鳥居部会長
 はい、わかりました。
 それでは、そのような形で、関係団体からのヒアリングを、これから2回にわたって行います。次回、8月9日、それから8月23日と、お願いしたいと思います。
 それでは、これにて閉会とさせていただきます。ありがとうございました。

午後4時9分 開会

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生涯学習政策局政策課