地方教育行政部会(第4回) 議事録

1.日時

平成16年5月31日(月曜日) 14時30分~16時30分

2.場所

東京會舘 「ロイヤルルーム」(12F)

3.議題

  1. 「地方分権時代における教育委員会の在り方について」ヒアリング並びに委員の意見表明及び自由討議
  2. その他

4.出席者

委員

 鳥居部会長、國分副部会長、木村副会長、茂木副会長、浅見委員、田村委員、渡久山委員、山本委員、吾妻委員、池端委員、石原委員、稲田委員、大澤委員、小川委員、門川委員、佐藤委員、千代委員、津田委員、土屋委員、宮崎委員、森脇委員

文部科学省

 馳大臣政務官、加茂川私学部長、藤田生涯学習政策局審議官、松元生涯学習総括官、布村生涯学習政策局政策課長、辰野初等中等教育企画課長、山田生涯学習企画官、角田初等中等教育企画課課長補佐(その他関係官)

5.議事録

午後2時30分 開会

○ 鳥居部会長
 それでは、定刻でございますので、ただいまから中央教育審議会教育制度分科会地方教育行政部会を開催させていただきます。
 今日は第4回目になります。
 本日は、皆様、大変御多忙のところを御参集賜りまして、誠にありがとうございます。最初に御礼申し上げたいと思います。
 今日は、教育委員会と首長との関係について御審議をいただくことになっておりますが、まず地方公共団体の首長の方々からお話をいただく、いわゆるヒアリングをさせていただいて、続いて当部会の委員でいらっしゃいます山本委員と土屋委員からの意見表明をいただくことになっております。
 地方公共団体の首長を代表していただきまして、埼玉県志木市の穂坂邦夫市長、それから愛知県犬山市の石田芳弘市長にお願いをしてございます。石田市長は、今日、中央教育審議会の別の部会でございます、幼児教育部会というのがございますが、そちらの委員でいらっしゃって、午前中はそちらの委員をお務めくださったばかりでございます。
 さて、資料でございますが、封筒の中に資料1として、まず最初に意見表明をしていただきます志木市の穂坂市長の説明資料が入っております。御確認いただきたいと思います。それから、続いて、封筒の外に番号なしの資料で、「学びの学校づくり」という資料がございますが、これが2番目にお願いする石田犬山市長の御説明にお使いいただく資料でございます。
 それから、後に山本委員と土屋委員からのお話がございますが、それは封筒の中の資料2-1が山本委員説明資料、資料2-2が土屋委員の説明資料でございます。
 なお、土屋委員からは別途、これは封筒の外に別置きになっておりますが、「教育改革の方向(意見)」という1枚の紙と、それから色刷りで「セカンドスクール」という、土屋さんが市長をお勤めになられている武蔵野市の資料がございますので、御確認いただきたいと思います。

〔馳大臣政務官出席〕

 それでは、早速でございますが、穂坂市長からお願いをしたいと思います。御発表の時間でございますが、約15分程度ということでお願いしたいと思います。
 なお、穂坂市長に対する御質問等は、石田犬山市長の御発表も終わった後で、まとめてお願いいたしますので、よろしくお願いいたします。
 それでは、どうぞよろしくお願いします。

○ 穂坂意見発表者
 皆さんこんにちは。埼玉県志木市長の穂坂邦夫です。
 非常に限られた時間でありますので、ほとんどレジュメに結論をつけて提出をさせていただいています。私どもは25人学級やホームスタディ制度、-アメリカのホームスクール制度と同じでありますがー あるいはチューター制度、リカレント教育等々も実施いたしております。今回、教育委員会の必置規定の廃止 ―市町村長の廃止もあわせて国のほうに特区で申請しているわけでありますが、なかなかうまくいっておりません。
 それでは、これからそれぞれ考えていること、あるいは実態等について御説明を申し上げたいと思います。
 一つは、総論でありますが、私どもは教育行政だけではなく、実施主体が自己責任を持てる体制を、すべての行政に確立をすべきだと思っております。特に義務教育は、基礎的自治体にとりましても非常に大切なジャンルでありますので、この自己責任をとれる体制をぜひつくってもらいたい。それから、私どもの志木市は、できるだけ子どもたちの視点に立った教育行政を推進しよう。供給者の理論ではなくて、消費者の理念に基づいて推進をしていこう、このように大きく考えております。
 「(3)」でありますが、志木市は、おかげさまで教育委員会は非常に権能を発揮していただいております。教育委員長さんにいたしましても、教育委員、さらには教育長、とてもすてきな方々でありまして、立派に機能を発揮していただいております。しかし、それらも首長との信頼関係と連携がその裏づけにある、このようにも逆に認識いたしております。
 ただ、私どもは25人学級等々を実施したわけでありますが、このような抜本的な教育改革になってまいりますと、独立しているとはいえ、今、既に形骸化をしており、大きな改革に進むということについては、ある種の限界があるというように、私どもも、教育委員会も認識しているところであります。
 それでは、本題に入りますが、1番目の教育委員会制度の見直しですが、これは冒頭でも申し上げましたように、実施主体である市町村教育委員会の実態をよく検証していただき、私どもとしては必置規定を廃止しまして、例えば政治的中立性や継続性を担保することは当然でありますが、市町村の自己責任に基づいて多様な形態を導入する、そのように見直しをしていただきたいと思っております。
 見直しにつきましては、市町村で責任を持てる議会の議決を経る条例設置を義務づけていいのではないかと考えております。
 その理由ですが、市町村教育委員会が独立した機能を発揮できない現行システムの実態について、若干申し上げたいと思います。
 一つは、首長の委員任命制度が行われております。これは政治的中立性を担保するという形からいえば、ほとんど形骸化している。私どもがあまり気に入らない、あるいは政治的に合わない委員は、議会に提案することはまずしないでしょう。どうしても首長の意向が入ってくる。実態的にはこの政治的中立性は既に形骸化していると、私どもは認識しております。
 さらに、首長は予算編成権を持っておりますので、尊重義務があるとはいえ、教育委員会のご意見をすべて聞かなくてもできるわけで、そういう意味合いでは、首長が教育行政に対して実質的な介入をしているという現実があります。 さらにレイマンコントロールについてですが、これも私どもは形骸化していると感じております。もちろん設置理念は非常に高いものがあったと思いますが、現実面では5人という教育委員の中で、教育長というのは比較的教育に専門性を持つ方々が多いわけでもありますし、さらには専門的なスタッフも持っております。そういう意味合いでは、教育長の優位性は非常に高い。しかも、少人数でありますから、一、二の素人方々が御意見を言っても、実態的にはそれをなかなか生かすことができない、といった現実があります。
 さらに、4番目でありますが、御承知のように、これは教育の中立性を担保するために、合議制になっております。しかし、その合議制は、一方で責任者の不明確性を呼んでおります。一般の住民は、教育行政のトップの責任者は教育長だという認識をしておりますが、実態的にはそうではありません。ある意味では、教育委員長は教育委員会の座長でもありますし、教育委員会で決まったことを忠実に実行する事務局長が教育長という位置づけにありますから、ある意味では住民が教育長としてとらえている意識とは乖離をしている。そこに不信も生まれてくるということがあります。
 さらに、5番目でありますが、教育長は互選ですが、実質的な任命権は、ほとんどと言っていいくらい首長がそれらを指定する形で、教育長をお願いする、教育委員をお願いする、といった形になっております。ですから、どうしても今、円滑な推進をしているという実態は、首長との連携が現実的に多い、一体化していると言っても過言ではないと思っております。これらから、やはり新しい在り方をつくるべきだと思っております。
 さらに、「(2)」でありますが、私どもは必置規定の廃止が認められるならば、実態に即した新しい教育委員会制度を考えております。
 その一つは、教育の中立性、あるいは継続性、安定性、さらに委員の多人数構成によって、レイマンコントロールを復活する、そういった教育行政に対する責任体制の在り方と明確化であります。
 その新制度の概要ですが、もちろんこれがまさにベストワンなどとは全く思っておりません。一例というふうにとっていただければありがたいのですが、新しい教育制度も、やはり条例設置として、議会の承認を求めるべきだろうと思っております。
 さらに、教育行政の統括的責任者は首長としたらいかがなものか。ただし、首長の直接的指揮監督権は持たない。市町村教育委員会の直接的指揮監督責任者は教育長でいいのではないか。 さらに、教育長の任命は議会の議決を要するということでどうか、このように考えております。
 さらに、教育長の諮問機関として、このような中教審的な「○○市教育審議会」を置き、審議会の答申を求めるとともに、教育長に尊重義務を課したらどうか。そして、審議会の委員は ―今、5人以内で教育委員が求められておりますが、やはり10人から20人ぐらいがいいのではないか。これも条例設置にと考えております。
 さらに、必置規定の廃止がもし認められた場合には、現行制度と新しい制度の選択は住民の選択がいいのではないか。与えられた制度の中でやるというよりは、これから地域の自律性なり、あるいはまた地域の独立性を考えるならば、それぞれ住民がその仕組みも選択をする。このような時代を私たちは大切にし、そんな時代が早く来ることを願っております。
 さらに、二つ目ですが、教育行政における首長と教育委員会の関係と連携の在り方についてですが、先ほども申しましたように、実態的に首長と教育行政はまさに不可分であります。教育委員会が形式上、首長から独立した機能を持っていると言われておりますが、実態は従属関係に近い。こういうものを余儀なくされていると思っております。ある意味では、教育委員会そのもの、委員そのものが、大変なご苦労をされているのではないかと思っております。例えば、教育委員会が独自の教育行政を目指そうと考えても、予算編成権が障害になってなかなか難しい。しかも、首長は、焦らなければ、少し時間を置けば、すべての教育委員をすげかえることが、現行法では可能でもあります。
 さらに、生涯学習や文化、スポーツ、これらについては、全く一体的といいますか、直接的なまちづくりの一環でありまして、基礎的自治体の任務であるコミュニティを醸成するという意味では、主要な行政課題となっており、全く首長とその関係は切っても切れない。ですから、私は、現行制度は理念と異なりまして、首長と教育委員会の関係にとって、様々な矛盾、実態面と違うということがありますので、もっと逆に教育委員会が十分な権能と個性を伸び伸び発揮できるような抜本的な制度改革が必要であると思っております。
 三つ目でありますが、市町村と都道府県の関係及び市町村教育委員会の在り方についてのうち、市町村と都道府県の関係については、ぜひ委員の皆さんにも特別配慮していただきたいと思っております。先ほど申し上げましたように、実施主体が自己責任の持てるシステムは、ある意味ではそれぞれ行政を進める上での原則でありまして、絶対条件でもあると考えております。
 実質責任者を明確にするために、私は、市町村が国と直結して推進することが原理原則だと考えておりまして、小規模自治体が多いことから、広域機能を持つ都道府県に現行権能をゆだねるシステムは、本末転倒だと考えております。逆に市町村にゆだねることのできない各種の障害―例えば小規模自治体等があるでしょうーこれらの弊害をどのように除去するか、補完措置をどうするか、これを原則としていただきたいと思っております。
 その一つは、教育人事権やクラスサイズ等々の基本的な権限を、担当する市町村にゆだねていただきたいと思っております。結果責任をあいまいにしておりまして、これも帰結しますが、自己責任をとれる教育制度を早急に確立すべきだと思っております。
 さらに、現実は御承知のように、一括して都道府県が教員を採用し、人事権を持つということになっております。私は、地域立学校を標榜しておりますが、こういう地域立学校を進めるためには、地域との連携や各学校の個性が認められており、このような意味合いからも、実施主体における教員人事権等を明確にする必要があると考えております。
 市町村に権限をゆだねることのできない各種の障害、先ほど申し上げましたように、小さい自治体等の補完措置につきましては、次のように考えております。
 その一つは、適当な広域規模を各市町村に求め、設置される機関に権限をゆだねたらどうか。
 また、そういうことができないものに限っては、各都道府県がこれらにかわって、それぞれ現行のように教育行政を進めることができるようにしたらいいのではないか。補完措置には、まだ様々な条件が必要でありますが、原則的にはそのように基本原則を確立すべきではないかと思っております。
 次に、市町村教育委員会の在り方でありますが、これらも様々に連動しておりますが、実施主体である市町村が主体的に多様な教育委員会制度を置くシステムに改善を図る、このようにお願いしたいと思っております。
 特に、実施主体である市町村が、教員の人事権などの移譲を受けるためには、やはり一定の広域性が必要であると思っております。先ほど申し上げましたが、広域性を求めるには、合併が必要だ。もちろん大きい、30万、50万、あるいは政令指定都市は問題ありませんが、小さい自治体がそう簡単に合併が進められるとは考えてもおりません。そういう場合には、先ほど申しましたように、補完措置をとることをぜひ考えていただきたいと思っております。
 最後に、学校と教育委員会の関係及び学校の自主性・自立性の確立でありますが、私どもは志木市流の地域立学校を推進したいと思っております。そういう意味におきましては、市町村自治体の責務において、公立学校のあるべき姿を模索したり、分析したり、構築できる時代にあると言っても過言ではないと思っております。私どもは、教育は人づくりであり、まちづくりである、このように考えております。
 特に現行制度上からいえば、地域の実情に即した地域性を特色とする施策を展開、推進していくことが必要でありますが、そのためには、県費負担の校長が広域人事異動で配置される現行システムにおいても、いち早く赴任地の地域を知ることのできる研修制度など、現行体制が続くとすれば、それらの改善の余地は多数あると思っております。
 最後になりますが、学校の自主性、あるいは自立性の確立でありますが、校長を中心とした学校経営は当然不可欠であると考えております。特に校長は独立性の高い経営者となり得るだけの条件整備を、私どもは志木市なりにやっていかなければならないと考えており、できるだけ力量が発揮できる権限の移譲及び強化を、教育委員会とともに現在取り組んでいるところであります。
 特に教育課程の編成につきましては、実質、校長の手にゆだねることが重要であると考えております。現行の学習指導要領の総則には、「各校においては……教育課程を編成することができる」とうたわれておりますが、現状では全国一律の教育課程、要するに時間割となっております。このことも改善の余地があると考えております。
 志木市では、教育委員会規則、要するに管理規則の改正をいたしまして、校長裁量権の拡大や地域立学校経営協議会 ―今の学校評議員制度がどうしても形骸化をしているということがあるものですから、実態的に公募等に対応した地域立学校経営協議会の設置については、本年度からスタートしたところであります。
 時間の制限がありますので、大変雑駁でありますが、市町村が実態的に感じていること、あるいは実態に応じた改革をしていただきたいこと、それらを率直に申し上げました。どうもありがとうございました。

○ 鳥居部会長
 ありがとうございました。
 それでは、続きまして、犬山市の石田市長からお願いいたします。

○ 石田意見発表者
 愛知県犬山市長の石田と申します。武蔵野市の土屋市長さん、今ご発表がありました志木市の穂坂市長さんは、市長会の中でも極めて力のあるオピニオンリーダーでいらっしゃいますので、私のごときが発表するのは内心忸怩たるものがありますが、なるべく客観的にご報告を申し上げたいと存じます。
 実は今日、ご案内いただきまして、提言実践市長会の会長の立場からもという御希望が書いてありましたので、その立場からもご報告を申し上げたいと存じます。
 この会は、10年前に地方分権法ができまして、地方からもっと声を出さなければいけないということで、全国の市町村長の有志が50人くらい集まりましてできた会です。この10年間に我々市町村長が一番関心のあるテーマは、合併論でした。これはタイムリーな問題ですが、それを除くと、2番目に関心のあるのが教育問題です。ですから、市町村長というのは教育に極めて関心を持っているという事実を、まずご認識いただきたいと思います。
 4~5年かけて議論しました中で、ただ議論するだけではだめだ、何か政府に提言しようということで、つくった会が提言実践市長会です。六つぐらいの部会に分かれて議論いたしまして、私が代表を務めさせていただいておりますので、私の名前で総理大臣に教育部会の議論を文科大臣にも提言したわけです。その提言について簡単に要点を言いますと、まず第1番が、首長が主体的に教育に参加したい。市町村長がどうも消化不良なのは、教育が自分の意のままにならないということで、もっとダイレクトに自分たちで教育に影響力を持ちたいということです。
 それから、具体的に言いますと、教職員の人事権について、発令、任命について、首長が直接できるようにならないかという提案です。
 それから、関連がありますが、教員の人材確保について、インターン制度を新設したいとか、中途採用の道を開きたいとか、マスター・ティーチャー制度を導入したいとか、教育行政官の養成についての提案、あるいは幼児教育の選択制についての提案、そんなことを具体的に提案したわけです。
 そこの中で、全国の市町村長の中で意見が分かれるのは、教育委員会が形骸化している、教育委員会は首長部局へ持ってきて、審議会制にしてやったらどうだという意見を言う方も複数ありました。この提言書をまとめて大臣に提案いたしますときに、この教育部会は、出雲の市長の西尾さんでございましたので ―私もとても仲良くしていますが、この教育委員会制度については意見が分かれました。妥協いたしまして、選択制はどうだと。首長の選択によって教育委員会を、今までの教育委員会にするか、首長部局の審議会制にするか、選択制はどうだという提案もしたところでございます。これが提言実践首長会の提言についての報告です。
 私は、現在の教育委員会制度を堅持して、十分目的は達せられるという論者でございます。特に学習指導要領が最低基準という、これは地方分権の中で極めて劇的な考え方です。私ども地方はどういうふうにその受け皿をつくっていくかということが、非常に重要な課題であるととらえまして、以下、私ども犬山市の実例を申し上げます。
 ところで、「学ぶ」ということ、あるいは「ゆとり教育」、これは国民的な議論になりました。学力とはどういうことかということについて、具体的には地方の自治体が、受け皿をつくらなければいけないという立場から、今日、「学びの学校づくり」という資料を提示いたしましたが、学校は教えるのではなくて、学びの学校づくり。学ぶという視点で学校をとらえ直したいと考えます。
 ところでその前に、それぞれの自治体、まちというものはどういうものか。私は、これは生涯学習の最高の教室であるととらえております。そこに住む人、来る人の生涯学習の教室である。生涯学習があって、住む人、来る人が学ぶ喜び、学ぶ成長を促すようなまちをつくっていきたい。その中で、学校教育をとらえることが重要ではないかと思っております。
 まち全体の学ぶ喜びといいますか、学ぶ成長の仕掛けをしていくのが教育委員会の仕事であるととらえております。学びの学校づくりですが、これは具体的な手段としては学級改善ということです。私の住むまちの愛知県には、トヨタ自動車という年間1兆円以上の利益を出す企業がありますが、このトヨタ自動車が「改善」という、世界に通用する言葉をつくりましたが、この改善ですね。際限なく授業改善をしていく。授業で子どもたちの学ぶ意欲をつくっていく。それを応援する仕組みが教育委員会であるという位置づけで、教育委員会を十分に生かし切ることが必要であり、また、そういうことができると思っています。
 授業改善の中で、先ほど申し上げましたが、私どもは教育について抽象論を言っておってもいけませんので、具体的に学力を高めていく。その手法として少人数授業に絞りまして、これに全力投球しております。もちろん少人数授業は、いろいろな手法がありますが、私の経験で役に立っておりますのが、教科書です。私は教育の素人なものですから、教員に、教科書なんか自分でつくったらどうだと。特に指導書がいけませんですね。指導書が教員の自立を阻害しておりまして、素人の暴論ですが、1年間の猶予を置いて、指導書の予算をつけないということを言いました。
 そこの中で、副教本を自分たちでつくる。犬山バージョンと申しますか、最初に算数・数学、それから理科、今年度は国語の副教本を、教師たちが自分たちでつくっていきました。教員たちの意欲を支援していく教育委員会であるべきだと考えておりますし、現実に私どもの教育委員会は、教員たちの内発的な自立を支援する、十分に担保した組織になっております。
 教科書の選定、カリキュラム、授業の規模を決めること、授業を構成する諸要件は教育委員会でほとんど可能です。文科省にも、県の教育委員会にも市町村の教育委員会にだけ与えられた権限があるわけです。教育委員会は極めて地方主権を表現した制度ではないかと今さらながら私は考えております。
 それと私、さっき穂坂市長のお話を聞いておりまして同感なのは、教育委員会が政治的に中立、中立と言うことが、かえって市町村長たちが、何だか自分たちでできないのではないかという誤解が、まさしく私は誤解であると思っていますが、そういうものが生じてきているのではないか。政治的に中立とイデオロギーから中立とはちょっと違いまして、教育委員会もいい意味での政治権力をバックにしないと、力が出ないと思っておりまして、私は、もう少しストレートに権力構造をバックにした教育委員会があってもいいのではないか、また、そういうことを言ってもいいのではないかという考えを持っております。
 それから、生涯学習の中で、私は、教育と文化は表裏一体だと思っておりまして、自治体の文化を行政として取り組むことは非常に大事だと思っています。文化こそそれぞれの自治体のシティ・アイデンティティというものですね。どこにもないチガイですね。文化というチガイを絶対に行政に取り入れる。それを議論するところが教育委員会であるべきで、むしろ教育委員会の仕事をうんと広くして、私が今考えておりますのは、ほかの福祉だとか、環境だとか、土木だとか、建築だとか、ほかの行政も数年間教育委員会へ来させて、教育とか文化を経験させて、また戻す。まち全体が、先ほど申し上げました生涯学習の教室であるというとらえ方をするならば、教育委員会の範囲をもっと広げていくべきではないか。最近生涯学習を首長部局へ持ってきてやっている自治体が、増えています。成功例も聞かないわけではありません。ありませんが、私はむしろ反対に、教育委員会に市町村の行政を権威づけると申しますか、そういう方向で、私のまちは実践をしていきたいと考えております。
 以上で報告とさせていただきます。ありがとうございました。

○ 鳥居部会長
 ありがとうございました。
 穂坂市長と石田市長のお二人から大変貴重なお話を承わりまして、私どものこの部会としても大変参考になりました。
 限られた時間ではございますが、皆さんから御質問、御意見、さらに両市長のお話を伺いたいといったようなことがございましたら、どうぞお願いいたします。
 どうぞ。

○ 稲田委員
 佐賀の稲田でございます。実は教職員の人事権の問題で、両市長がお触れになりましたけれども、佐賀県でも市長会がございまして、その市長会で、佐賀県のあすに向けての教育問題に対する要望という、17項目ぐらいの要望を県の教育委員会に出しているのです。その中で一番力を入れて要望しているのが、いわゆる教職員の人事権を市によこせということなのです。
 実は、佐賀県は七つしか市がございませんけれども、最近、市長が急激に若返りまして、そのうち半分は40代なんです。そうすると、いわゆる子どもさんがまだ小学校に行っているとか、あるいは小学校にも行っていないとか、いわゆる教育のクライアントといいますか、受給者の話を穂坂市長がおっしゃいましたけれども。文字どおりの受給者で、PTAに行っているのが市長になっているわけです。こういう人たちがまず取り上げたのが人事権の問題。43歳の佐賀市長は、この人はこれから学校に子どもが行くのですけれども、肝心の人事権が佐賀市にないというのは、どうしてもおかしいと。いわゆる指導力不足などの問題教員の処分にしても、市のほうがやろうと思えば、的確にもっとできる。何か腫れ物にさわるようなやり方を県の教育委員会としてはやっているわけです。分限免職なんていうのは例外中の例外で、ほとんどできていない。一人やったら、それが新聞に載るくらいです。
 ところが、市のほうに言わせると、教員の中の3%ぐらいが指導力不足、いわゆる授業ができない教員いる。そのために、学年内格差が生じてきているという。
 また、採用にしても、民間人でいろいろな経験を積んだ人を採りたいとか、あるいは海外協力隊に言ったような経験を持った人を採りたいとか、そのような考え方があるけれども、採用も、配置も、県の教育委員会が全部するわけですから、あてがわれた人で賄っていかなければならないということなのです。
 実は今日、朝、新聞を読んでいましたら、お読みになった方がいらっしゃるかと思いますけれども、朝日新聞に、都市部、東京とか、大阪とか、神奈川ですけれども、教員の青田買いといいますか、人材を探しに地方まで出ていっていらっしゃるわけです、採用のために。佐賀の場合は非常に競争が激しい。教育委員会は狭き門とか何とかいって、悦に入っているかもわかりませんけれども、そういう状態の中で、わざわざ求人に来られているわけです。そして、いつまででも本採用にならない先生をスカウトしているわけです。私の知人もこの春、神奈川に本採用で行かれました。

〔木村副会長退席〕

 こういうことを市のほうに任せて、きちんとやったほうがいいのではないか。ぜひこれは、こういう会合で言ってくれんかという意欲のある市長がいましてね。今言っているようなわけですけれども、この点につきまして、両市長、どういうふうにお考えになりますでしょうか。

○ 鳥居部会長
 穂坂市長からどうぞ。

○ 穂坂意見発表者
 石田市長とも友達なものですから、いろいろなところで一緒なのです。今のお話ですが、私どもも若い方々の市長と全く同じで、一番怖いのは、あてがいぶちでやっているから、おれたちに責任が全部ないんだと。「ない」とは言いませんが、「全ての権限がないんだ」という校長先生は、そういう逃げ道といいますか、あいまいさといいますか、その辺がむしろ怖いと思っているわけです。
 問題は、広域性ですね。私どもも自前でとりたいと思いますが、例えばうちなんか6万7,000ですから、自前でとると、そこっきり動けなくて、全く人事異動ができないんです。ですから、広域的なことをどこら辺でやるか、規模的に。それさえ私たちが工夫をすれば、私は、今のご意見のとおりが一番いい。やはり自己責任をきちんと持てるというのが一番いいと思います。
 もう一つ、私は県議会の議長もやらせてもらって、埼玉県は700万ぐらいいますから、結構大量に採るわけです。もっと工夫して採ったほうがいいといっても、なかなか県レベルになってきますと、個性のある先生を採るのは無理です。成績順でバタバタ採っていく。ですから、成績はいいけれども、人間としてのある意味では醸成をされていない、未熟さを持っているのがいっぱいいる。そういうことを市町村でやる場合には、もう少し幾つかに分けられますから、もっと工夫した、もっとすてきな先生が、地方の努力によって採れる。

〔馳大臣政務官退席〕

 やはり人事管理、人事権から始まらないと。人事権がない人が管理者ですと、普通の社会だっておかしいと思いますよね。実態的に私はそうだと思うのです。若い方々の市長の意欲は大事にすべきだと思っています。

○ 鳥居部会長
 石田市長、どうぞ。

○ 石田意見発表者
 まさに自分のまちの小・中学校の教員の人事権が何かわからない。辞令を出すときにも、県の教育委員会で出すわけですね。そのことに対する不満がものすごくありますね、市町村長に。ただ、私は、一気にこれは県から市町村で採用ということは、現実問題として非常に難しいだろうと思います。ですから、市町村と県がよく話し合い ―今、あまり話し合いがないです。話し合わなければいけないと私は思っています。
 それから、私も穂坂さんも県会議員をやっていましたから、県の知事にしろ、議長にしろ、別に対等で物を言いますが、ほとんどの市町村長は ―土屋さんなんかは、県知事よりガッといかれる方ですからいいのですが、ほとんどの市町村長というのは、県へ行くと、ハハーッと一方的に聞かなければならない力関係なんです。
 ですから、私はよく研究しましたら、任命権の前に内申権というのがありまして、それを見まして、こっちの思いどおりに人事をやれるわけですよ、市町村で。それから、監督権もあるわけですから、県に行って、こっちに内申権がある、監督権があります、だからこっちの思うとおりの人事をやらせてくださいと。まずこちらの希望する教員を引き上げないでくださいと。この教員はここへくださいと。それを聞いてくださいと、こういうことを主張しまして、今は任命権は県にあっても、私は何ら不自由を感じていません、ここ数年来。

○ 鳥居部会長
 ありがとうございました。
 國分副部会長からどうぞ。

〔宮崎委員出席〕

○ 國分副部会長
 穂坂市長さんにちょっとお伺いしたいと思いますが、人事権等についての市町村教育委員会の権限、あるいは学校の自主性等々、議論があると思いますが、教育委員会制度自体についてお伺いしたいと思います。
 レジュメの1ページの下のほうに、現行の教育委員会制度の問題点、例えば政治的中立性の形骸化であるとか、レイマンコントロールの形骸化だとか、あるいは首長の実質的介入であるとか、さらには合議制のために責任が不明確である、それから教育長に対して実質的な任命権行使、こんなことがいろいろ言われている。これは確かにそういうふうに指摘されてもやむを得ない、そういう実例がないとは言えないと思いますが、そうでないところもあるわけです。
 したがって、2ページのほうの下のほうで、いわば選択的導入を提言されているわけですね。選択的導入の一つの例ということですが、新制度を書かれているのですが、拝見すると、これは一つの例ということではありますけれども、形骸化された教育委員会制度と違うのは、委員の数が10人以上、20人以内というところだけが、実質的に違うところではないか。つまり、首長が実質任命しているということを制度化する。あるいは、教育委員会が形骸化して、権限を行使できないでいるのだから、そんなのは諮問機関にしたらどうかということで、いわば問題になっているところを制度化するような印象を持つのですが、何かほかにご意見があるのか、その辺をちょっとお伺いしたい。
 私は、例えば首長が実質的に介入するといっても、それは予算編成に絡むことは、確かに首長の理解がなくては進まないと思うのです。しかし、例えば教育内容あるいは学校管理の在り方等々については、市町村長とは別に教育委員会自体の判断というものがあるだろうと思いますし、教育委員会が形骸化しているといっても、例えば通例はイエスマンの機能しかやらなくても、年に1回でも教育委員会として識見を示す、こういう機会もあるのではないか。それはそれでもって残しておいたほうがいいのではないかと、こんなふうに思うのですが、いかがなものでしょうか。

○ 鳥居部会長
 どうぞ。

○ 穂坂意見発表者
 一つは、機能しているところもあるでしょう。私どもが知っている範囲では、首長と教育委員会が非常に連携がとれて、同質のと言っては大変失礼ですが、非常に円満な中にうまくやっている。私もそんなに焦っていませんので、それはそれでできるのです。しかし、実態と理念が違う。つくったときの崇高な理念と、現実面が狂っていれば、それは直すべきだと思うのです。というのが1点です。
 二つ目は、今、全く素案として出しましたが、例えば選挙のときに、首長が教育に触れない選挙は一つもないのです。教育の中立性は私は大事だと思う。しかし、首長は教育をかなり高いレベルで、あるいは非常に重点的な項目で、義務教育についてもきちんとした見識を持ってやります。そのように実態は、首長が教育に対する責任を持つような、市民もそんな期待を持っていますし、現実がそうなっている。
 ですから、私は、そんなに変わってないようなのですが、ある意味では、どうせそういう形でやるのだったら、総括的な責任者は首長でもいいのではないか。私は、教育委員会そのもの、教育長の職が要らないというわけではないのです。ですから、総括的なものは首長でもいいのではないか。しかし、直接的な指揮権を首長が持つべきではないと思っているのです。
 もう一つ、実態的な責任者は、私は教育長でいいと思うのです。しかし、今の教育長は実態的には責任者なくせに、法的には責任者ではないのです。そうなってきますと、首長も責任者でないし、教育長も法制的な責任者ではないという、そういう矛盾は、すっきりするべきではないか。もちろん、したことによって、デメリットも弊害もあるでしょう。しかし、それらを両方、メリット、デメリットをやはりきちんと検証して、今までのような在り方が本当にいいのかどうかというのを基本的に、根本的に考えるべきではないかと思っています。
 御指摘の点では、私は首長が総括責任者のような位置づけが望ましい。それから、教育長が実態的な責任者なのだから、形式的にも教育長が責任者でいいのではないか、このように思っています。
 最後に、レイマンコントロールは、先ほど副部会長からお話がありましたので、その2点については大きく違う。こういうふうに御理解をいただければありがたいと思っています。

○ 鳥居部会長
 あと何人ぐらい……。今、予定の時間を30分近く超過しているのです。ですから、今、大体10人手が挙がっているのですけれども、お一人30秒ずつとしても、5~6分かかっちゃいますので、もしどうしてもという方はうんと手短にお願いします。ぜひ御理解いただきたいのですが、予定を30分超過していますから。お願いします。
 どうぞ、津田さん。

○ 津田委員
 短く言いますが、お聞きしていて、レイマンコントロールのいわゆる素人から選ばれる4人と教育長とが、やや混同していないかと思うのです。教育長というのは本当に教育の責任者として必要だと思うし、これからの時代というのは、首長にとってはその地域の特性なり、自分の考えの具体的な案を示すのには、教育問題というのは極めて重要だと思うのです。自分の責任で実現するべく、自分の信頼できる教育長を選んで、コンビで仕事をする。
 一例を言いますと、滋賀県の国松知事は教育長に松下電器の人事をやっていた人をスカウトして持ってきて、自分の意志をそこで具現しようとしている。それでいいのではないかと思うのです。いわゆるレイマンコントロールの本来の趣旨というのは、イデオロギー対立が非常に激しかったころに、選挙によって首長の所属政党が変わったりして、大きくぶれるのを抑えるためにやったと思うのですが、もう今、そういう時代ではないと思うのです。そこまでの振れというのは国民が許さない。だから、イデオロギーによってのぶれというのは、もっとほかの防ぎ方があるのではないか。審議会とか、そういうものでやるべきであって、今の形式的なレイマンコントロールを持ち込んで、それを阻止するというのは、やはり今の時代には合っていないのではないかと思うのです。
 そういう意味で、穂坂さんのおっしゃった案にはほとんど賛成なのですが、10人なり選ぶとおっしゃったところは非常に反対でございます。以上です。

○ 鳥居部会長
 教育長がどういう役割を果たしているか、私たちも実際の現場を見ると、町によってみんな違うので、いろいろだと思うのですが、今、想定しておられるのは、一体、教育長というのは何を……。

○ 津田委員
 今、日本の中で起こる教育について、我々が目を見張るような改革をしているところは、すべてユニークで個性的な、実行力のある教育長のおるところですね。

○ 鳥居部会長
 別の言い方をすると、教育委員会で審議しなくても、教育長が一人でどんどんやっちゃうと。

○ 津田委員
 自分の部局を持ってやれば、それでいいと思っております。

○ 鳥居部会長
 ということは、教育委員会の委員は、どうしたらいいのでしょうか。

○ 津田委員
 教育委員会の委員は、今のようなレイマンコントロールで選ぶ委員は廃止してもいいのではなかと思っています。

○ 鳥居部会長
 わかりました。
 千代委員、どうぞ。

○ 千代委員
 穂坂さんにお願いしたいのですが、大きな市や政令指定都市についての人事権というのは確立されていて、よかろうと思いますが、先ほど御指摘になった広域規模の形でなければ教育の交流等が非常に難しい、10万以下の都市等の人事権について、広域的な規模のものをつくってはどうかというお話でございます。私の町は、穂坂さんのところより小さな埼玉県松伏町という町でございますが、今、埼玉県では、県の教育事務所の人事を市町村に任そうという流れが生まれつつあります。こういう事態が生じているのは、県の教育委員会の人事権の実態が、それこそ形骸化している。つまり地域の実情がわからないで、市町村から内示を受けた人をそのまま部分的に、広域的に配置していっているというのが、実情だと思うのです。これでは県の教育委員会の人事権というのは、金を配分するだけであって、その内容はほとんど問わないで、あとは教員の研修等も十分に行わずに、その配分だけを市町村に割り当てている。ここには市町村における教員採用の独自性というのは全く配慮されていない。このあたり、穂坂さんは、広域規模におけるものについては、どのように適応したらいいとお考えでしょうか。

○ 鳥居部会長
 今の千代町長の御質問と類似の御質問がありましたら、一言ずつ。それから、穂坂市長と石田市長にまず答えていただいて、その次の質問にいきますけれども、どうですか。いいですか。
 では、一言お答えいただけますか。

○ 穂坂意見発表者
 そのとおりだと思います。ただ、大きいところの市立高等学校はいいのですが、小さいところの市立高等学校は、ほとんど先生がずうっとそこに採用されて、一つのところでずっといますから、その弊害が出てくる。そのために広域区みたいな、例えば私どもはまだ6万7000と小さいですから、幾つかで組んで、それでやったほうがいいのかなと。雑駁なのですが、そういう思いをしています。埼玉県でもそういう動きがあるのを私も承知していまして、ぜひこれから埼玉県の上田さんに言って、少しおもしろいのをやろうではないかとは私自身思っています。本当にそのとおりで、私は意見はほとんど同じだと。ただ、小さいところが多少組まないと、硬直化してしまうのではないかという心配は多少あります。

○ 千代委員
 ちょっと補足してお願いしますが。県の教育委員会の在り方というのは、穂坂さんはどのようにお考えでしょうか。

○ 穂坂意見発表者
 やはり形骸化は、そのとおりです。わからないと言っています。広過ぎて。ほとんど知っているのは、教育事務所が実態と実権を握っているのです。しかし、あれが今度はまた硬直化の原因になってしまって、始末をどうするかというので、どういうふうにしたほうがいいかという方策を、今、非常に考えている、と聞いています。そういう意味では、今、ちょうど改革する、お互いのチャンスではないかと、このように受けとめています。

○ 鳥居部会長
 今のお二人の会話の中に出てきた、埼玉県の場合には、地方教育事務所が、今、四つでしたか。

○ 穂坂意見発表者
 もう少しあります。五つ。

○ 鳥居部会長
 五つですか。それが事実上やっていて、県の教育委員会、教育長よりも、むしろそっちのほうが実際の指示を出しているという実態がありますね。

○ 千代委員
 現実にはその教育事務所は、名簿を並べるだけなのです。地域の市町村の教育委員会や教育長が、周辺の市や町の人事の交換をまず決めてしまって、そして、これを県に上げる、これが実態なのです。

○ 鳥居部会長
 この間、比企郡のある村の小学校と教育委員会に直接行って会って聞いたら、ふだんどこへ行ってますかと言ったら、県庁へ行くことはまずない。教育事務所へ行っていると、こういう話です。

○ 千代委員
 それは意見の交換だけでありまして、教育事務所の人たちは、そこまでの定見は持っておられません。したがって、市町村の提言をそのまま受けて並べ換えるだけと思います。これが県の教育委員会の実態です。

○ 鳥居部会長
 わかりました。ありがとうございました。
 今度は福島県石川町の教育長にお願いします。吾妻教育長。

○ 吾妻委員
 先ほどの國分副会長と似たようなことをお話しするようになると思うのですが、志木市の市長の制度に対する考え方ですけれども、形骸化をしているという具体的な例として、予算権は首長のほうにある、それから教育長も首長の意向で代わるんだよと。それだけのものを持っていらっしゃった上に、なぜその上に首長部局によこせということをおっしゃるのか。今で十分ではないのでしょうかということを、私は一つ感じます。むしろそれよりは、今の制度の内容をどう充実させるかということをお考えいただけないのかなというのが一つ。
 二つ目は、教育委員がレイマン、イコール形骸化というようなことをよく言われるわけですけれども、これは人の選び方、あるいはその教育委員会の会議の持ち方で、改善できることはたくさんあると思うのです。むしろそれよりは、市長さんがおっしゃる新制度で10人、20人ということになると、これだけの人数の立派な審議委員を選ばれるのは、5人、4人の教育委員を選ぶよりももっと大変ではないか。しかも、人数が多くなれば、人間は責任感は少しずつ薄れます。4人、5人の会議よりも、10人、20人の審議会の会議が薄くなるという心配はございませんか。
 三つ目は、選択制ということをおっしゃいましたけれども、これは一見、選択というのは心地よい言葉ですよね。しかし、本当に選択制を問う住民の意向をどう取り上げるのか、あるいは首長さんが選挙で代わることに、この選択制がくるくる変わったら、とてもではないけれども、教育がそんなに変わったのでは、非常に不安だけが残る。その辺のところの御見解をお伺いしたいと思います。

○ 鳥居部会長
 では、簡単にお願いします。

○ 穂坂意見発表者
 たぶん委員さんと私とは全く意見が違うと思います。
 まず一つは、住民の選択制なんて当たり前で、私は住民自治ときちんと憲法にも保障されている。それをどういうふうに現実的にやっていくかということが一番大事で、その辺で全く意見が違うと思います。
 それから、制度は普遍的でなければいけないと思うのです。特性のいいところがあるから、その制度がいいというのではなくて、全体の、例えば全国3,500なら3,500の教育委員会の実態がどうなっているか、普遍的にどうか。そういうところから制度というのは検討すべきだと思うのです。もちろんうまくいっているところもあるでしょう。ですから、1回こういうところで、アンケートなり何なりをきちんととって、どういうふうにその制度がきちんと運用され、適法になってやっているか、満足しているか。50年以上たっているのですから、そういうことで考えてもいいのではないかと思います。
 特に実態と建前は、より近くなくてはいけないと思っているのです。
 あとは住民の選択というのは、首長が代わるからくるくる変わるものではなくて、それは住民が選ぶべきで、首長がこっちがいいとか、あっちがいいとかというのは、できるだけ避けたほうがいいのではないかと思っています。

○ 鳥居部会長
 池端さん、どうぞ。

○ 池端委員
 実は我々保護者というか、一般によく出る話というか、PTAのほうで出るのですが、まさしく我々から見た感じにおきましたら、教育委員会は形骸化されているのではないか。現在は校長先生ですけれども、以前、教育委員会なおられたという方にお聞きしまして、先生、ズバッと答えてくださいよということで。そうしたら、教育委員会のほうには、事務局として書類を整えたり、いろいろやる。そのときに教育委員たちをお迎えするときは、なるべく真綿にくるんだようにお迎えをして、事務局案がひっくり返らんようにお送りをするというのが、現実的なところもあるということもございました。
 それと私もあちこちの教育委員へお問い合わせをいたしまして、公開制度ということですけれども、年間どのぐらいということでお答えをいただいたわけです。その際に、これは私たち一般の県民、また市民のほうに、どういう形でお知らせをしていただいているのでしょうかといいますと、公開はしておりますが、お知らせはしていない。では、どうして私たちは教育委員会のほうへ見に行けるのだろう、参加できるのだろうといいますと、こういう書類があるから、ここに書いて申し込んでくれれば、開会の1時間、また30分前までに出してもらえば入れますということなのですが、いつあるとも知らされていないのに、どうやって行けばいいのですかということを、まずお聞きをしたかったのです。
 我々保護者の立場といたしましては、一番大きな関心事は先生方の資質の向上が一番大きな関心事で、毎度その話が出てまいります。以前から資質の向上ということで、きっと各都道府県のほうでも検討委員会なり審議委員会なりいろいろお設けになって、資質向上を図っていただいているかと思うのですが、私たちのほうでも事前調査では、何百人という先生の数がカウントだけで挙がっていたのですけれども、制度ができましたら10人ぐらいになってしまって、残りの先生方はどこへ行ってしもうたんやろうという話が実はございます。
 自分では教師に向いていない、何とかしてくれと御本人はおっしゃっているのに、まあまあ、まあまあという形で、そのまま慰留に努めたままで、ずっとお休みが続いているということもあります。
 そういう意味で、子どもたちにいかにいい先生を与えていただけるかというのが、我々保護者にとっては最も大きな問題ですので、このあたりを人事権のことも絡めまして、早急にいろいろ御検討いただきたいと思っております。

○ 鳥居部会長
 今のお話は、役所の対応に象徴される役所の質の悪さという話と、もう一つは学校の先生の質をどう担保していくかということとあって、後半の話ですね。要するに学校の伝統みたいなものを本当に尊重していくと、かなりの期間いい先生に、しっかりと校長をやってもらうとか、教頭をやってもらうとか、現場の先生をやってもらうことが必要なのに、それが担保できないという問題がたぶんあるのだろうと思うのです。その辺について、石田市長と穂坂市長の両市長から御意見をちょっと……。

○ 石田意見発表者
 私が聞いてて、それは行政改革の問題です。教育委員会の問題ではありません。ですから、教員も公務員ですからね。説明しないのは、行革ですよ。行革の点から、住民が要求すればいいと、私は思います。それはトップに言うことですよ。
 それから、私は、校長だけではだめだと思いますね。教員が変わらないと。校長一人ではできないことだと思うのです。教員にどうやって火をつけるかということが、教育委員会の役割であり、教員を変えるのが教育委員会の仕事だと思うのです。ですから、教員を変えていく教育委員を選べばいいのです。
 それから、さっきの千代委員さんの話ですが、私は県というのは、教育に限らず、みんなバーチャルですよ。だから、県の機能そのものを議論しないと、教育だけというのは、実態知らないですよ、県の。それは無理ですよ。ですから、市町村制と県制とは違うものだという理解でやって、補完関係にしていく。私はそんなふうに思っていますが。

○ 千代委員
 教育というのが主体になっているから、それを申し上げたわけです。それはいろんな首長のサイドからいけば、県の行政のあいまいさ、責任のなさというのは幾つも指摘できるのです。その中でも、教育部局における責任のなさというのは非常に目立っている。それは穂坂さんがおっしゃるように、現実に最終の責任をとるのがどこかに、非常にあいまいとなところがあるということを、私は言いたかったわけです。

○ 鳥居部会長
 ありがとうございました。
 渡久山委員。

○ 渡久山委員
 お二人の市長の教育に対する非常に熱心な態度、あるいは実践に大しては心から敬意を表したいと思います。
 そういうことを前提にして、二、三質問をさせていただきたいと思います。
 穂坂市長が言われた、住民の義務教育に対する自己責任ですね。ややもすると住民の自己責任というよりは、首長の自己責任というような感じにならないか。例えば、2ページに書いています教育行政の総括的責任で、人事権を通して、要するに教育長を任命するという形で、そうなってくると首長の価値観が人事を通して、自己責任という形であらわれてくるという感じが一つするのですけれども、いかがでしょうか。
 なぜならば、そういうことが全国的な教育の機会均等だとか、あるいは教育内容や水準の全国の維持というところから見たときに、その地域だけでいいのかという部分がありますから、その場合の問題が一つ出てくるような気がいたしますが、これはどうだろうかということが一つです。

〔布村生涯学習政策局政策課長退席〕

 それと今、石田市長も言われたのですが、政治的中立性の場合、これは行政の中立性だけではなくて、イデオロギーとしての教育の中立性、これはもう本当にそうなのです。教育内容として、教育は中立でなければならないということはもちろん大事なことですが、たまたま人事を通したり、いろいろな形でそれが形骸化したり、あるいは政治的中立性がなくなっていく可能性があるということで、この辺は石田市長に質問したいと思います。
 それから、人事権の問題が出ました。これは今でも県だけでなくて、政令指定都市は人事権を持っているわけですけれども、今の中核都市以下のあれには人事権がないのですが、ただ、これには財政が伴っているのです。県と国の財政負担というのがあるわけですよね。ややもすると、理解のある首長ならいいのですけれども、今の地方の財政難のときに、そういうところでどういう形で財政的な担保を含めて、人事権の担保をしていくかということは、非常に厳しい問題、別な側面があると思うのです。このことについてどう考えるか。

○ 鳥居部会長
 関連の質問はいいですか。どなたか挙手して……。小川先生。

○ 小川委員
 違う質問で……。

○ 鳥居部会長
 では、先にお答えを。あまり時間がなくなってきたので。

○ 穂坂意見発表者
 池端さんの御意見の先生の質というのは、全くそのとおりであると思います。私ども25人学級を全国で初めてしましたが、先生の質が数段ウエートが高くて、かえって25人のよさも非常にありましたが、先生方が緊張したということで、本当に先生の質というのを再認識しています。
 それから、今いろいろ出ましたが、自己責任を、私は首長に持たせろとも考えてないのです。ただ、地方に義務教育の自己責任をきちんと持たせる体制でなければ、それがあいまいですと、みんな逃げ道になって、どこが責任者だかわからない。県もあいまい、市町村もあいまい。そうすると、一番かわいそうなのは子どもなのです。一つのものをやっていくには、誰かが自己責任をしっかりとれる。いつも検証する。自己責任のとれる体制をすることが子どもにとって一番大事だと思っているのです。そういうふうに御理解いただければありがたいと思います。
 それから、人事権と財政的な面ですが、これは確かに今、市町村と県は一対一で分けています。税源移譲の問題もあるでしょう。今度の国庫負担金をどうするかという問題もあるでしょう。しかし、教育を論じるときには、まず教育的な理念や教育的な見地から、まず意見をいう。そこでやる。補完措置をどうするか。さっき言った財政的な面もあるでしょう。都道府県と市町村の財務上の役割分担や配分の仕方もあるでしょう。私はそれは2番目でいいと思うのです。補完措置をどうするかでいいと思うのです。まず最初は教育的な見地から、どちらかそういう人事権を持つべきかから始まって、補完措置をどうすべきかというふうに考えたほうがいいのかなと私は思っています。

○ 鳥居部会長
 時間の関係でもう一人だけ。では、小川先生、どうぞ。

○ 小川委員
 1点だけ。時間がないので。一つは、教育審議会の話は、一つ考え得る構想だと思うのですが、私は穂坂市長がねらいとしていることを考えるのであれば、次のようなことではないのかなという感じがしました。
 というのは、今の教育委員会の果たしている機能と、教育審議会の機能というのは全然別のものだと考えています。教育委員会というのは、あくまで政策の決定と日々の行政執行をする、そうした執行機関であるわけですから、そうした教育委員会が果たしている機能を、教育審議会でもってやるというのはできないわけで、教育審議会というのはあくまで諮問機関であって、政策決定し、日々行政執行をする機関ではないわけです。ですから、もしも今の教育委員会の会議を廃止して、教育長だけ残してやるというのであれば、日々の政策決定と行政執行というのは、独任制の教育長一人が担うということになります。そうなると、首長、教育長のラインというのが非常に強化される。そういうことを考えますと、レイマンの話とか、自治体の多元的な政策決定とか、行政運営ということを考えた場合、私は非常に危惧を感じます。
 穂坂市長がねらいとする責任制の明確化と迅速化というのであれば、今の教育委員会を保持しながら、教育委員長と教育長制度の二元制をやめて、責任者は教育長であるということをはっきりさせた上で、例えば教育委員会の合議制を緩めるというのか、いろいろな問題については迅速にして、合議制は原則ですけれども、合議制でなくても、最終的に対立した場合には、教育長の決定でというか、多数決で決めるとか、そういうふうな仕組みさえきちんとすれば、今の教育委員会制度のもとでも、穂坂市長が目指すような教育委員会はつくれると思うのですが、その辺はいかがでしょうか。

○ 鳥居部会長
 教育委員会が現在機能しているかどうかということにかかわってくると思うので、今の御質問に答えていただく前に、金沢の教育長と神奈川県の教育委員とそれぞれ一言だけ。1秒か2秒で。一言だけ。(笑声)機能しているのかしてないのか、本当に議論しているのか議論していないのか、聞かせてください。それから、両市長に答えていただきます。
 それでは、どうぞ石原さん。

○ 石原委員
 教育委員会をよく審議するところというふうに勘違いなさっていますが、これは執行機関ですね。法的に。法的な執行機関が非常勤で合議制というところに、やはり難しい問題があると私は認識しております。
 市議会での質問に対しては、教育委員会事務局長である教育長が多くの場合答えていると思います。合議制の代表者である教育委員長は儀式、イベント、表彰式等でのあいさつに出ます。そういう意味では、非常勤で、合議制で、執行機関であるという責任を担保する基本的な部分と、政策を様々なレベルで審議するということはすでに審議会、懇談会のような形で分けられてますが、分けて考えたほうがいいように思っております。

○ 鳥居部会長
 ありがとうございました。
 宮崎さん、どうぞ。なるべく短く。

○ 宮崎委員
 ちょうど先週末、木曜と金曜に1都9県の教育委員全員協議会というのを神奈川県が主催しまして、2日間かけてディスカッションをいたしました。そのときに、ここで問題になっているようなことを、実際に教育委員たちがどう考えているか。ほぼ5人掛ける10自治体ですから、50人近くが議論しまして。教育委員会が機能していないということに対しては、かなり憤慨する意見が多く出ました。当事者ですから。しかしながら、皆さん、本当にすばらしい見識も持っているし、ビジョンも持っているし、一所懸命熱い心でやっているけれども、多くの人が非常に大きな壁を感じている、無力感を感じている。自分たちの決定事項が政策として生きていないと感じていると言っているのは確かなことであります。
 それが機能しているかどうかというレベルではなくて、そこのつながりの部分をうまく結節できているかどうかという部分は、制度にも問題があるのではないかというのが多くの委員の共通した見解でありまして。それから、レイマンというときの言い方が、ほとんど無能者のような言い方で言われていることについては、非常に反発が大きいということは申し上げたいと思います。要するに、教育委員のレイマンというのは、教育にしがらみを持たない、広い立場で考えられる人間、人材という理解で進めていただきたいというのが、皆さんの御意見でございました。

○ 鳥居部会長
 ありがとうございました。
 小川先生の質問に戻りますが、お二人から一言ずつお答えいただいて終わりにしたいと思います。

○ 穂坂意見発表者
 短く言います。私は自己責任がとれる体制だったらいいと思います。
 それから、二つ目ですが、全くこれも同じで、執行権を持つところが合議制のところに問題がある。私もそのように感じています。
 三つ目ですが、教育委員会が全く機能してないとは思っていません。そういう形骸化の危険性や形骸化が見受けられる、だから直したほうがいい。全く機能していないとは思っていません。志木市の教育委員会は、現状の中でいろいろな悩みがあるけれども、教育委員会は一所懸命やっています。それは認めています。ただし、今、御意見のように、もっとすっきりしたストレートでできるような、あるいはストレスがたまらないような仕方のほうがいいのではないか。こういう提言です。

○ 鳥居部会長
 石田市長はどうでしょうか。

○ 石田意見発表者
 御質問に合致するかどうかわかりませんが、極めて個人的な見解を言います。
 私は、一応市町村長というのは、その役所のトップですから、トップのやることは、金と人事をやらないとだめだと思うのです。自己表現できないと思うのです。ですから、教員の人事も、やはりポイントは自分が意見を言わなければいけないし、それから予算も、それは教育長や教育委員というのは、首長が決めるわけですから、自分の気持ちを表現した人の考えてくれたことについては、後ろ盾になって予算をつけていくということをやらないと意味がないと思うのです。
 詰まるところは、市町村長が教育をどう考えるかという、最終的にはその人の人生哲学といいますか、そういうものになってくるのではないかと思いまして、あまり教育に関心のない市町村長の教育委員会やら自治体のことをあまり議論してもしようがないなと思っています。

○ 鳥居部会長
 ありがとうございました。
 この辺で大変申しわけないのですが、お二人の意見陳述とそれに対する質疑を終わらせていただいて、続いて委員の皆さんからの意見表明に入りたいと思います。
 両市長、大変ありがとうございました。よろしければどうぞこのままおいでくださって結構ですが、お忙しければどうぞ御退席くださって。
 それでは、山本委員からお願いいたします。

〔穂坂意見発表者退席〕

○ 山本委員
 資料2-1を御覧いただきたいと思います。もう時間もありませんので、ポイントだけ申し上げます。資料2-1を御覧いただきたいと思います。
 私のほうは、そこにございますように、生涯学習振興行政とか、文化行政、スポーツ行政等の執行体制、社会教育のことも含めて、その辺のところということになっておりましたので、申し上げたいと思います。
 問題点としましては、教育委員会について、先ほど来の形骸化の問題とは別に、現在の教育委員会は学校教育委員会で、教育委員会としての機能を十分に発揮していないのではないかという批判がございます。それと絡んで、教育委員会問題に深くかかわってきた文教行政関係者の沈黙、ほとんど御発言がない。前回は木田先生においでいただいてお話を伺いましたが、この沈黙というのは何を意味するのかということを考える必要がある。経験というのは、遺伝子に組み込まれない ―長い間にはなるのでしょうけれども、社会的経験は遺伝しませんから、結局、お聞きするしかないのですけれども、同じ過ちをまた繰り返すのかということも頭にありまして、これは一体何を意味するのかと思っております。
 それから、問題点の「2」。生涯学習振興行政、それから文化行政、スポーツ行政など、首長部局へ移管していっているところもあるけれども、問題も生じてきているというあたりが言われます。何かというと、首長部局で具体的な行政展開をしようとしますと、地域に拠点がない。拠点となる施設を持たないということで、限界が出てきて、様々な問題がある。これ以上詳しく述べませんけれども、公民館とか、図書館、博物館 ―一部は首長にもありますが、学校とか、そういうものを持たないという問題がございます。
 ただし、先ほど来お話があったようなことと絡みますが、明治以来、昭和20年まで地域づくり、人づくりの社会教育的活動は内務省を中心に行われてきました。具体的には地方改良運動とか、社会教化、国民教化、団体育成、青年団 ―青年団は、内務省と文部省で共同でやっておりますけれども、こういう歴史もあります。そのことは、ただ歴史があるということだけ、ここでは指摘しておきたいと思います。
 問題点の「1」「2」のようなことが生ずる背景として、ここでは次のようなことを考えてみたいと思います。
 問題発生の背景には、学校教育、社会教育、それぞれの特色があるように思われます。これは行政関係のことで申し上げておりますが、共通点としましては、両方とも公平性、公共性、中立性ということが言われております。相違点は、学校教育はたびたび出てきておりますように、継続性、安定性を強調しております。社会教育においてもそれはあるのですけれども、社会教育の場合には柔軟性、迅速性を強調します。
 社会教育ということが突然出てきますけれども、今、我が国では生涯学習振興行政の中で、社会教育ということを言っておるものですから、ここでもそうなっております。社会教育は変動する社会の課題とか、個人の問題の解決を目指す学習 ―これは個人のレベルですけれども、これを支援するために、柔軟性とか、迅速性が必要とされるところに特色があります。これは歴史的に見て言っているわけでございます。名称も時代とともに変わってまいりました。外国の場合には民衆教育、成人教育、継続教育等といろいろな言葉が使われます。日本の場合も、最初は通俗教育でありましたが、社会教育に変わりました。それぞれ、その時代、時代の課題をうまくとらえた名称をつけております。
 その次ですが、そういうことをもとにしますと、我が国の教育委員会にあっては、学校教育の継続性、安定性が社会教育にも及び、社会教育の柔軟性、迅速性が失われたため、社会教育行政本来の役割が果たせなくなっており、社会教育行政の機能が低下しているのではないか。例として、高齢化への対応というのを挙げたのは、前回、木田先生が高齢者の学習を進めれば、医療費もこんなにかからなくて済むのにとちょっとおっしゃいました。これについては、平成8年、9年に、6ヵ国の国際的な調査をやりまして、モデル式までつくってあります。高齢者の学習率を国民平均並みに5%上げれば、8,000億から9,000億ぐらいの医療費が節減できますというモデル式もあるのですけれども、動きは鈍くてほとんど動かないというところがございます。これは一つの例でございますが。木田先生が前回そういうことをおっしゃったのは、たぶん学校教育委員会ではなく、教育委員会として構想したのだけれどもということがちょっとあったのではないかと私は勝手に推測しております。
 改善点でありますけれども、行政構造を構成する要素として、下にあるようなものがいろいろございます。これらの関係をこの際考えて変えていく必要があるのではないか。そこにいろいろ問題があるのではないかということで、「(1)」として、例えば教育委員と社会教育委員の関係。社会教育委員については、ほとんど何も言われませんけれども、実は社会教育法第17条などで、社会教育に関して教育長を経て教育委員会に助言するということがございます。それから、必要があれば教育委員会の会議に出席して、社会教育に関し意見を述べることができるというふうになっておりますが、ほとんどなされておりません。
 それから、「(2)」、「教育委員会、生涯学習審議会・生涯学習推進会議」 ―「・(なかぐろ)」でつないでありますが、これは両方あるところもありますし、一方だけのところもございます。それから、「社会教育委員の会議」 ―これは「社会教育委員会議」ではございません。社会教育委員の会議。この三者の関係もよく都道府県・市町村で言われますように、どうなっているかというふうなことで混乱がありまして、いまだにおさまってはないと思います。そういう中で、生涯学習審議会、生涯学習推進会議の役割等を再検討する必要もあるかと思っております。
 それから、「(3)」番目は、事務局の問題でございまして、教育委員会事務局と首長部局との関係であります。生涯学習の支援は、首長部局でも行われています。最近のデータを持っていませんが、大体生涯学習支援の学級・講座等々は、県レベルですと6割方は首長部局でやっています。ただし、市町村になりますと、7割から8割は教育委員会でやっております。ですから、いろいろ行われておりますが、次のような生涯学習振興行政固有の領域は、教育委員会に置いたほうがよいのではないか。先ほどの中立性とか、そういう問題もあります。中立性というのは、政治的だけではありませんで、いろいろな利害が絡みますので、置いたほうがよいのではないか。具体的に言いますと、生涯学習支援システムの整備・充実、学校教育と社会教育、あるいは文部科学省・教育委員会の系列と他行政にわたるような、学習情報関係のサービスとか、学習成果の評価・認定の互換・転換とか、あるいは学校教育と社会教育の間の学社融合など、これはどちらかに置きますと、どちらかの利害でおかしくなってきてしまうことが、今までの経験であるものですから、これはやはり教育委員会の生涯学習振興行政で扱ったほうがよいのではないかなど、そういうことも含めて、行政構造を構成する要素間の関係を検討してみてはいかがかと思います。
 以上です。

○ 鳥居部会長
 ありがとうございました。
 山本委員からは、地方自治体における生涯学習行政、それから文化行政、スポーツ行政、社会教育行政、そういった問題についてお話をしていただきました。
 続いて、一番最後になってしまって大変恐縮ですが、土屋委員から教育委員会と首長との関係につきまして、御意見を承りたいと思います。よろしくお願いいたします。

○ 土屋委員
 先ほど両市長がお話をし、私も質疑に参加したいなと思ったのでが、私の発言の場が別にあるものですから、控えさせていただきました。その分もあわせてよろしくお願いいたします。
 まず、ペーパーを簡単に説明して、最後の1枚紙でやります。まず資料2-2の1ページ目は、公教育についての国民の不満というのはこんなものではないかなというふうにずっと書いてみました。
 次、2ページ目でございますが、教育委員会のメリットとデメリットをこのように考えてみました。結論から言いますと、もし教育委員会を廃止したならば、市長が教育を直轄し、市議会が過度に介入することになるだろう。市長が、教育に関する見識と施策への熱意を持っている場合はよしとしても、そうでない場合は、権限を有する教育長や部長など少数の官僚が教育施策を決定することになる。
 この後は削除していただきたいと思います。打ち合わせして、打った途中で事務方に間違いがありました。
 それから、教育委員会は様々なデメリットがあるが、安定性や継続性を保てるというメリットを考えると、教育委員会はあったほうがよいと思う。したがって、今後は教育委員会の活性化を図るべきだと、このように考えております。
 次に3ページで、武蔵野市における教育の実践例について、以下、身体・言語・自然を重視した教育、それから体験重視の教育、セカンド・スクールについては後からまた申し述べます。市長と教育委員・校長との関係深化、校長の経営責任の明確化、家庭や地域への啓発、それから武蔵野方式による生涯学習の推進。先ほど山本委員から、首長が関与しているのは、うまくいっているところとうまくいっていないところがあると。こう考えておりますが、この二つの財団法人、武蔵野文化事業団並びに武蔵野スポーツ振興事業団の場合には、20年前にそれぞれつくったのですけれども、こういったものをつくって、全面的に民間の力を借り、なおかつ教育委員会が常時監督をする。例えば教育長は、武蔵野文化事業団の理事でありますし、文化事業団は理事長が私であります。それから、武蔵野スポーツ振興事業団は、いつも助役格クラスが理事長になり、教育長ももちろん理事に入っております。
 ここで御覧になっていただければわかりますように、武蔵野文化事業団は、これだけの施設をわずか43名、うち常勤21名という職員で管理をしております。極めて効率のいい、日本一効率がいいのではないかと思っております。さらに、年間110本の自主事業をやっておりまして、6年間全部チケット完売、友の会員は8,500人であります。
 それから、武蔵野スポーツ振興事業団を見ていただければわかりますが、月1回しか休まずに、朝9時から、例えば総合体育館など、9時から21時30分まで利用に供している。したがって、徹底して利用されているというところであります。
 さらに、スポーツ振興事業団は、職員その他によって、年間36種目155教室を開いております。教育委員会が直轄したら、到底こんなことはできないと考えております。
 したがって、生涯学習におけるうまくいった例として御参考にしていただければと思っております。
 さて、教育委員会と市長並びに教育委員会の相互関係を私なりに調整してみました図が、その次の図であります。
 既におわかりになっていることでございますが、一つだけポイントを申し上げておきますと、右側の市長の下にある基本構想・長期計画ということであります。今までこの部会で議論されてこなかったことでありますけれども、地方自治法の改正によって、昭和40年代から基本構想並びに、あれはたしか昭和43年か44年の自治法の改正だと思いますが、それ以来、基本構想は市議会の議決、長期計画を立ててやるということになってきております。
 実は、基本構想・長期計画は、武蔵野の場合には市民参加、市民委員会方式でやっておりますけれども、どの市でも同様、様々な形の市民委員会方式でやっていると思います。この中で武蔵野市も五つの分野に分かれて徹底して議論しているわけでございますけれども、そのうちの1本の柱は、子育てと教育についてであります。ですから、本来は地方自治法の中で議決をすべきこととなっているものが、地教行法の中ではほとんど反映されていない。法的に反映されていない。今、まさに問題になっているのは、法的にはここが問題になっているのだと私は思っております。
 鳥居会長から、委員になったときに、地教行法をよく読むようにという厳しい指示がありましたので、3回ほど読み直してみました。私は地教行法を読んで、私は随分地教行法違反をしているなと思ったわけでありますけれども、地教行法によりますと、第24条に長の職務権限が書いてあります。この中に、大学に関すること、私立学校に関すること、これは都道府県の問題でありますので、3、4、5しかないのです、長の権限というのは。つまり、財産の取得と処分、それから契約、それから予算、これしかないのです。そうすると、今まであれこれ教育委員会や教育長に言っていたことは、全部教育委員会の権限を不当に侵していたのかなと思ったりするわけであります。ですから、私は、これはこの次の教育改革の中できちんと位置づけられて、首長が地方自治法に基づく基本構想の議決並びに長期計画の策定をうまく調和させないと、今までのような議論の繰り返しになるだろうと考えております。
 さて、以上が大体のところでありますが、最後に1枚紙で追加資料を出しました。これを一番言いたかったので。1枚紙で、「教育改革の方向(意見)」と書いてあるものがあります。これについて申し上げますれば、「1」番目として、ナショナルスタンダードを堅持して、地域の特性を生かす。これが一番大事だと思っております。
 なお、私は、森田先生がいないのは残念ですけれども、融合的自治、国と都道府県と市町村における融合的自治を前提として、これからもうまくやるべきだと考えております。
 なお、先ほど志木の市長がおっしゃった、憲法に住民自治が決められていると、こう書いてありますけれども、少なくとも私は教育に関しては憲法第26条に規定されているわけですから、これは国の責任を記したものであって、住民自治ということにはなっていない。憲法上そうなっていないはずだと考えております。したがって、今までもこの部会で議論されてきたことでありますが、ナショナルスタンダードを堅持して、同時に地域の特性を生かすという仕組みをどうしたらいいかということをまず考えるべきだと思っております。
 「2」点目、これは文部科学省の皆さんには申しわけないのですが、ナショナルスタンダードは誰が決めるのか。この決め方に問題があるから、週5日なんかにすると、学力が低下したとか何とかということが出てくるのですけれども、このナショナルスタンダードは誰が決めるのか、文部科学省か、中央教育審議会か、先生が決めるのか、組合が決めるのか。私は率直に言って、ナショナルスタンダードを決める際に国民が持っている印象は、業界の人が決めているということだと思います。教育業界の人が決めているという印象を国民が持っているから、だから決まったことにも後から文句を言うと、こういうことになるのではないかと思っております。
 そこで、提案でありますけれども、私は中教審をさらに幅広く拡大したような国民参加による教育国民大会議を設置して、10年ごとに教育の基本にかかわることを大議論する。これは文部科学省が政策官庁としてこれを仕切っていただく。これは場合によっては1年がかりぐらいでやってもいいのではないかと思っております。その中間年として教育国民会議を入れて、これは中間的なやり方でやっていったらいいのではないかと思っております。
 次に、「3」点目として、都道府県や市町村では、首長の総括のもとに、教育委員会の企画政策能力の向上を図り、住民ニーズに対応する。こういうことで、「(1)」のナショナルスタンダードならナショナルスタンダードとして、地域に合ったようなやり方をやるにはどうしたらいいかと考えております。まず、先ほど申しましたように、首長のリーダーシップを地教行法で明快に位置づける。
 「(2)」点目として自治体の規模に応じて、教育委員の数は条例で定めたらどうか。例えば一つの目安として、都道府県や政令市は10人から15人ぐらいで、例えば、ある分野別にいろいろ、非常勤の教育委員さんでも、例えば生涯学習の分野である程度議論していって、こういうふうにやっていったらいいのではないかということを議論したらどうだろうか。一般市は大体7~8名ぐらいでいいのかなという気がしております。町村は3~5人ということを考えております。
 「(3)」として、国や都道府県は小規模自治体の求めに応じて、専門家を教育委員または企画担当などに派遣するということも一つあっていいのではないかと考えております。
 さて、大きな「4」点目でございますが、スポーツ、文化などの生涯学習は、コミュニティの力を全面的に活用するため規制緩和し、首長のリーダーシップにゆだね、そこで、財団法人をつくる ―武蔵野市はたまたま財団法人をつくってやったのですが、まだ金利が高いときでして、今は財団法人をつくっても全然意味がないので、ほんとあの積み立てた金は返してもらいたいと思っているのですけれども、それぞれ5億と8億積み立てていますから、まあ、そういうことでございますが、しかし、もっとやわらかく考えて、財団法人でなくたっていい、NPO法人だっていいじゃないか。そういうものをもっと柔軟に認めて、コミュニティの力を様々に活用していく方向にいったほうがいいのではないか。ただし、教育委員会は先ほどの教育委員会のメリットの中に書きましたように、やはり学校教育と生涯学習とがセットでやるところがたくさん出てまいります。例えば武蔵野市は文化事業団でかなりのレベルの、毎年2億数千万円の自主企画事業をやっております。オペラから浪曲まである、オールラウンドでやっておりますが、こういうところに、例えば昨日、糸操り人形をやったのですが、これは生涯学習でやりました。だけど、この生涯学習を活用して、学校教育として子どもたちをそこで見させている。こういうことをやるわけであります。ですから、私は、教育委員会に自主性や創意工夫を持たせるために、生涯学習活動の中には、首長がリーダーシップをとったほうがいいけれども、教育委員会が様々な形で企画や管理・監督など積極的に関与していく、こういう仕組みをつくったほうがいいのではないかと思っております。
 さて、「5」番目からは、私が今感じていることを少し申し上げたいと存じますが、現代における教育の問題点ということで申し上げさせていただきます。
 「(1)」は、青少年の三層分化、目標を失い漂流する心象と書きました。この10%というのは、果たしてこうかどうかわかりませんけれども、あらあらの感じで申し上げているわけでございますが、まず一握りの私学指向。つまり、わかりやすく言うと、義務教育、小学校の1年生から私学へ行こうとするグループがおります。武蔵野の場合には10%から15%ぐらいおります。地方に行くと、それだけ私学がないところもありますので、全国的な傾向はどうなのでしょうか。いずれにせよ、親が意識的にはっきりしていて、ある程度財もあって、自分の子どもにはこういう教育をさせるのだと指向している階層があると思います。
 なお、ちなみに中学校の場合には、武蔵野は25%から30%ぐらいが私学へ行っております。また、その中間に中間層グループがある。
 そして、「3」点目して、自己管理能力欠如グループ ―どういう名前にしたらいいかわからないので、ストレートに書きましたけれども、親もずさん、子どももずさん、どうしようもないというのも、どうも10%ぐらいあるのではないかという気がいたします。武蔵野市の場合にも、例えば不登校なら不登校を例にとってみますと、不登校の子どもの顔を1回も見ないうちに卒業したなんていうケースもあります。これは不登校の子どもがばば抜きになっていて、ほかの市区町村から転入してくるわけです。そこにいられなくなって転入してくるわけであります。例えば5年生ぐらいから転入して、ずうっと不登校で、学校が何回家庭に行ってもだめで、結局、親にも会えない、子どもにも会えない、こういうケースもあります。今度、武蔵野市は不登校特別支援グループみたいなものを教育委員会の中でやって、そういうところでは学校だけでなくて、徹底してやろうということで、1人の不登校をつくったら、その子は一体どうなるのだろうか。しかも、子どもは親を選べないのだから、何としてもそれはやっぱり、義務教育段階ではしっかりさせなければいかんと思っています。
 実は、こういう3段階ぐらいに分かれていて、「1」の場合には、それぞれ親がわりかしはっきりとした目的意識を持っていると思いますが、「2」の中間層グループから「3」の自己管理能力欠如グループまで、こういうグループを含めて、全部公教育が抱えていくわけでありますけれども、こういう公教育の中で、最終的に子どもたちが、ここに書きましたように目標を失うというか、目標が持てない、あるいは漂流するような心象にあると、このように考えております。これはもっと多角的な議論をしなければいけないのですけれども、象徴的な言い方をすれば、コンビニ、エアコン、携帯によって、1人で生きられると錯覚をしている。目標はどこにあるのか。生命の危機感ゼロということだと思っております。
 「(2)」点目として、ではどのような方向に改革すべきかということについてですが、貧しさを前提にした教育から豊かさを前提にした教育へと、このように抜本的に明治以来の教育観を変える必要があるのではないか。身を立て名を上げやよ励めよという有名な仰げば尊しがありますけれども、身を立て名を上げやよ励めば、貧乏から脱却できて、本人も、そして一族郎党もみんな豊かな生活ができるのではないかという前提があったから、あの歌がじんときたわけであります。そしてまた、それは教育の動機づけになったと思っております。だけど、今は身を立て名を上げやよ励めよって、身を立て名を上げなくたって、フリーターで生きていけるじゃないのとか、家族なんかいなくたって ―私、役所の若い新人に、まだ君たちは新人だからいいけれども、必ず結婚しろと言うのです。そうすると、市長はまたそんなこと介入していると言うのですけれども、なぜ結婚しないんだと言うと、別に不便がありませんからと。結婚しなくても不便がない。これが平均的な感覚としてあると思います。
 そこで、「(2)」で、まず貧乏体験をさせる。そして、貧乏体験をするということは、おなか空いたとか、大変だとか、汗かいた、痛い、暑い、寒い、こういうことを体験させて、その上で、生きることの大切さとかを実感させて、豊かさへの感謝、そしてどうしたら維持・発展できるか、社会構造と果たすべき役割の自覚、日本人としての誇り ―この辺は若干図式的ですけれども、こういうふうな流れにして、まず豊かさということを前提にして、今の社会は豊かなんだと。子どもたちには貧しいということをまず体験させて、生物として生きていく力というものを体験させなければだめなんだと、私はこう思っております。
 そこで、「(3)」で、体験教育の重視、コミュニケーション能力の充実ということで、自然体験、福祉体験、職業体験。武蔵野ではこういうことを全部やっておりますけれども、こういうことを通じて、人々が連携して生きていく。役割と分化、分化と統合、社会の中のそういったことを自覚していくようなことにならなければ、教育の目的はなかなかできないだろうと思っております。
 「(4)」番目として、次世代育成は、家庭、地域、学校、社会全体で取り組むと書いたのですけれども、ちょっと平凡な結論ですが、今、学校を見て、今の学校は忙し過ぎると思います。学校の先生がかわいそうだ。虐待がどうした、不登校がどうした、しつけが悪い、集団になじまない。新1年生問題なんていうのは、しばらく小学校の1年生が集団ができるまで授業にならない。こういうことはかつてはみんな家庭教育や地域教育でやっていた。それが全部学校教育にしわ寄せがきている。その上で、さあ、あれもやれ、これもやれという要求と実態とのギャップがあるから、必要以上に今の学校は苦しんでいるし、必要以上に世の中の錯覚した評価があると思っております。本来なら学校教育というのは、知・徳・体の伝統的なものを体系的・継続的に教えればいいのだ、そんなしつけなんか家庭でちゃんとやれとこう言えばいいのですけれども、なかなかそうもいかない。
 だから、私は改めて次世代を育成するということを、日本国が全体で本気になって考えないと、にっちもさっちもいかないときがきているのではないかという気がいたします。そのためにも、国民教育大会議みたいなものをやって、どうしたらいいのかということを、家庭教育や地域教育も含めて、10年に一遍ぐらい国民に開かれた場で徹底して議論する、こういうことが必要なのではないかということを考えております。
 とりわけ、今、主としてここで議論してきたのは、小・中学校の義務教育を中心に議論してきているのですけれども、乳幼児対策がものすごい大切だと思っております。承りますと、鳥居会長は、他の幼児部会の中にあって、一番大事なことは、この世に生まれてきてありがとうといって抱き締めてやることが、乳幼児教育の第一歩だとおっしゃったそうでありますけれども、私も本当にそのとおりだと思っております。
 今日は御紹介できないのですけれども、武蔵野市は、0123吉祥寺とか、0歳、1歳、2歳、3歳の保育園でもない、幼稚園でもない、子育てをお互いにみんなで学び合う施設もつくっておりますけれども、そこのところから本当にやらないと、日本国もえらいことになるなという感じを持っているわけであります。
 非常に雑駁で、早口であれですが、以上でございます。

○ 鳥居部会長
 どうもありがとうございました。
 それでは、山本委員と土屋委員、お二人からのお話に対しまして、御質問あるいは御意見等がありましたら。
 どうぞ、池端委員。

○ 池端委員
 今、家庭教育のことで土屋委員さんのほうからいろいろ御意見をいただきました。常々、我々PTAのほうは、今、家庭教育の担い手ということで、随分反省するところが多いのではないかというように、我々自身も気がつき始めて、何とかしなくてはと実は思っておるところでございます。日本PTAの教育問題の委員会の中でも、また、ほかのすべての委員会の中でも、ちょっと親はしっかりせんと困るなということが随分出ております。
 その中で、今、お隣の石原先生とお話をさせていただいたのですが、知・徳・体、プラス食ということで、食育のことも随分言われているのですけれども、今、学校給食で、以前のように残ったものは持って帰るということができない。アレルギー等がありますので、無理して全部食べなくてもいいというようなことで、食育、食育と言いながら、子どもの目の前で牛乳であったり、いろいろな食べ物が捨てられていくというのは、私は実はすごく抵抗がございます。感謝していただきないさいと言いながら、片や子どもの目の前で、そういう大切な食べ物を簡単に捨ててしまっている。また、子どもに手伝わせてしまっている部分があるというのは、私はちょっと悲しいなと思っておるところでございます。
 それと次世代育成は、家庭、地域、学校、社会全体でということで、ここに「(4)」番目に書いていただいておりますが、実は私はこういうふうな形で、いろいろと県のほうの委員会、またほかの委員会でも、この辺のことを申し上げておるのですが、今やこれ以前に、中学生、高校生を何とか次世代の親ということで、そのあたりについて、子どもたちの審議会的な討論、これから自分たちの将来をどう考えるかというような、家庭教育関係で子どもたち自身が考えていくような企画もやっていただきたい。例えば、うちの会のほうで、お魚のさばき方について若いお母さんの講習会があるというお話がございましたので、それも本当にありがたいのですが、それやったら中学生、高校生に声をかけてやってくれと。切り身の魚しか見たことのない子どもに、その辺から実体験を、今後はいろいろな面で少しでも触れさせていただきたいなとお願いをいたしました。
 もう一度申し上げますが、今、給食のその辺の問題も、今後、我々はもっと考えていかなくてはならないのではないかと思っております。

○ 鳥居部会長
 ありがとうございました。
 宮崎委員、どうぞ。

○ 宮崎委員
 今の首長のリーダーシップのお話ですが、これはとても大切なことだとは思うのですが、首長がタカでもハトでも、右でも左でも、教育の理念の中心軸がぶれないようにするためには、中立性、独立性はやはり必要なのではないかというのが、教育委員としてのこの間のディスカッションなどでも出た意見であります。土屋さんでも土屋さんでなくても、教育の質が落ちないようにするためにはどうすればいいかということを考えた場合には、首長の在り方というのはもう少し検討が要るのではないかというのが、今のお話に対する意見です。
 あと結節点の問題を先ほど申し上げまたが、事務局と委員会との関係、あるいは教育長と知事部局との関係、予算の問題、人事の問題を考えていきますと、例えば乳幼児教育の大切さというのは、もちろんそうなのですが、幼保一元化の問題一つとっても、管轄省庁が厚生労働省と文部科学省で縦割りですよね。そういう行政改革抜きには、理念だけでは実現できないという部分を先に手をつけないといけないのではないかという思いがしております。

○ 鳥居部会長
 今、最後におっしゃった問題は、実は中教審の別の部会でやっていまして、既に厚生労働省と文部科学省の両委員会、中教審側と厚労省の委員会が第1回の会合をこの間開きまして、話し合いがようやく始まっておりますので、縦割りの壁が少しこう、すだれぐらいになり始めている。
 佐藤委員、どうぞ。

○ 佐藤委員
 山本委員の御発表されたお話の中で、私も共感する部分が多分にありましたし、私自身、教育委員をやっておりまして、盛岡市の教育委員会に所属するものですけれども、教育委員サイドからというよりも、教育委員会制度の内側にいる人間としての教育行政の生涯学習振興政策ですか、非常に広範な教育政策に対する物の考え方を、山本先生がきちんとまとめて言っていただいたと思いますので、私も一言添えてみたいと思います。
 臨教審が、1986年に答申を出しました。あの際に、これからの社会は、生涯学習社会への移行であるととらえられて、既に20年たっております。今日の教育行政の中で、それがある程度システム化されてきているという実感を持っております。そのシステム化というのは、学校教育も含めまして、学校教育は生涯学習における基礎・基本の教育の場であるということを、私どもは認識いたしております。そういう意味で、学校教育を教育委員会の中でいろいろ論議をしているわけですし、政策もそういうふうな方向で出しております。そういう意味合いで、山本先生の表題の中で、生涯学習振興政策、文化行政、スポーツ行政、あるいはこれを学校教育行政といったようなものも入るでしょうか、こういったものが一貫して教育委員会が所管すべきであるということを本質的には思っております。

〔茂木副会長退席〕

 ただ、なぜそうなのかといいますと、一般行政とは違いまして、専門性にかかる指導部門がこういう領域には多分にございます。そして、現在、教育委員会が抱えております専門職が、結構これはスタッフが多うございまして、そういう方々は首長部局の中にはないということ。ないというよりも、教育委員会サイドのほうに集めて、そちらのほうに業務をさせているという感じもありまして、やはり教育委員会はトータルとして、生涯学習社会の教育部門について包括的に、しかもシステム化したものとして、一貫性を持たせた教育行政が必要ではないか。まだこれは未熟であります。私の所属しております盛岡市もまだ未熟でありますけれども、やはり将来展望に立って、百年の計をもってこういったものに積極的に取り組んでいく必要があると思いますので、この辺、ひとつ国の行政のサイドでも十分にお考えいただいて、これまでの推移を十分検討いただきながら、展望を持って政策を展開していただきたいと思っております。

○ 鳥居部会長
 ありがとうございました。
 では、門川委員、どうぞ。

○ 門川委員
 今までの議論の中で、古い20世紀的なイデオロギー対立は終焉を迎えていると思いますけれども、政治的な対立というのは、必ずしもこれからはそう大したことはないのではないかということではないと思います。政治的な対立というのは常にあるものですので、そういう意味で、教育行政の安定、学校教育の信頼確保のためには、教育委員会制度の在り方はきちんとしておく必要があるのではないか。いわゆるイデオロギーの対立がなくなってきたということと、政治的対立とは違うではないかというのが1点でございます。
 もう1点は、人事ですけれども、誰でもいい先生を欲しくて、悪い先生は出してほしい。人事というのは、ある意味でたらい回しになるわけでして、私はここでどうしても考えなければならないのは、開かれた学校づくりと説明責任、そして参画ということで、犬山市においても参観日を重視されていますけれども、京都市の場合は、早いところでは月曜日から金曜日まで5日間連続、朝から放課後まで全部参観日ということで、教師のやっていることは全部保護者、地域の人がわかる。そういう中で、教師が説明責任を果たし、保護者が参画していく。そんな中で、いい先生を育てていくということにしていかなければ、人事というのはどうしてもないものねだりになりまして、こんな先生が欲しい、こんな先生は出ていってほしい、4番バッターばかり集めるような力関係では、教育はよくならないので、現行制度でも随分変えるべきは変えられるのではないか。ただし、小さな市町村教委と県教委との関係は私は直接わかりませんので、そんなことを痛感します。京都市はFA宣言なんかやりまして、風穴をあけていくということは非常におもしろいなと思っております。
 もう一つ、土屋市長の話は、大いに同感でございます。今、京都市でこんなことをやっています。夏休みが間もなく始まります。家庭への宿題。子どもへの宿題やなしに、家庭への宿題というのを、PTA、教育委員会、校長会、それから人づくり21世紀委員会という幅広い市民組織がございます。そこで、各家庭で、お父さんも、お母さんも、子どもも一緒に、夏休み目標をつくってもらおうやないか。具体的な目標をつくって、朝はきっちりあいさつしましょう。家族の一員として子どもも掃除をしましょう。食事をつくりましょう。家事の分担をしましょう。子どもの生涯にとっても、大人の生涯にとっても、思い出になるようなこの夏休みにしましょうということを、市民ぐるみで、みんなの家庭への宿題を持って帰ってもらう。それを一つの家庭教育、道徳教育、あるいは学力の問題、体験活動、そうしたことの市民ぐるみの運動にしていこうやないかと、そんなことも取り組んでいます。

○ 鳥居部会長
 ありがとうございました。
 では、大澤委員、どうぞ。

○ 大澤委員
 すみません。時間がきておりますが、一言だけ。
 土屋市長さんのほうから、忙し過ぎる学校の指摘をしていただきましてありがとうございました。そのとおりでございます。教員の資質向上が急務だと言われておりまして、それは当然ですが、これは研修を強化すればということではなくて、やはり犬山市で提言をしていただきましたように、授業改善に専念できる体制づくりを伴っていなければ、実効は伴ってまいりません。教職員は指導力不足と指摘される者もおりますけれども、見ておりますと、力は持っております。その力をいかに組織として発揮できるようにするか。授業だけを考えることができるようにしていく。そのことについて、現場をつぶさに見ていただいて、現場の実情を把握していただいて、教育委員会としてできること、市としてできることを積極的にやっていただいている自治体が幾つも出てきておりますので、今の制度であっても、現場からの発想と、自治体の判断というところで、新しい教育をつくっていくことができるのではないかと思います。

○ 鳥居部会長
 どうもありがとうございました。
 それでは、田村委員、どうぞ。

○ 田村委員
 時間がないところで申し訳ありません。今、整理中ですけれども、最近の調査で非常におもしろい数字が出ているのですが、学校を開くことについて、親はどう思うかというと、9割以上の親は賛成なのです。つまり、学校が閉ざされて、専門家に任させるということについては批判的な意見がある。それに対して、同じ親に、では開いた学校に何らかの形で参加してくれますかという質問をしますと、何かやりましょうという親は1割前後なのです。ですから、開くのはいいけれども、参加するということについては非常にちゅうちょするというか、暇がないのか、よくわかりません。私はこれは日本の国民性の一つかなと思います。教育委員会問題が抱えている難しい点というのは、ここに一つあるのだろうと思います。ですから、開くことはみんな賛成だけれども、ではかかわって何やるかいというと、それはちゅうちょするという。ですから、それが全部教育委員会のシステムの問題として不満になって出てくる点があるとすると、非常に今の流れは危険だというふうに思います。
 例えば、首長さんがおやりになるのもいいと思うのですけれども、それも任せるという国民の意識があったら非常に危険だと思います。ですから、常に参加して、見ていくということがないと、民主主義というのは健全なものにならないわけですから。そういう意味では、国民性の問題かよくわかりませんけれども。
 一方、同時の調査では、義務教育等に関しては、先ほど土屋市長がおっしゃったように、いわゆる道徳教育をちゃんとやってくれということに対しての希望が第1位なんです。それは例えば生活習慣とか、いろいろ項目が出てきて、10ぐらいあるのですけれども、六つぐらいは道徳教育関係です。学力については下のほうなのです。ですから、先生方が考えている点と、全く親の意識はずれているという面もあります。今のちゃんとした教育ができるよというのは、実はそういうふうにしていても、親は満足しないという現象が出てくるわけです。その辺が大変難しいのだろうと思いますので、きちんと議論していく必要があると思います。私は結論としては、教育委員会制度を活性化するということでいかないと、非常に危険になると考えています。
 それから、申し上げたついでに、幼児教育の問題ですけれども、今、議論が進んでおります。結局、幼児教育もそういう意味では活性化された教育委員会が分担する。今、率直に言って、幼児教育部分は0歳から5歳まであるわけですけれども、ほとんど公がかかわっていないのです。つまり、教育の面でかかわっていない面があるということで、それを何とか教育委員会がやらなければだめだろうというのが、今の議論の流れでございます。
 以上、簡単ですけれども、御報告させていただきました。

○ 鳥居部会長
 御存じのない方もおられるかもしれませんが、中央教育審議会の幼児教育部会の部会長は田村先生なのです。今、それを中心になってやってくださっています。
 どうぞ、津田委員。

○ 津田委員
 先ほどの、教育委員制度がなくてもよいというふうにとられては困るので、申し上げたいのですが、先ほど神奈川の教育委員さんがおっしゃったと思うのですが、非常勤の学識経験者というのか、私も5年間、大阪府の教育委員をしていたのですが、そういう教育委員会が執行してものを決めて、教育を運営していくということにやはり無理があると思うのです。
 先ほど教育の中立性ということで、必要だという話があるのですが、ということは、首長が教育委員会の後ろへ隠れることもできるのです。自分の直接影響がないのだ、教育委員会が決めてるのだというふうにして。そういう意味でいけば、例えば大阪の例を見ますと、子どもが減ってきたことによって学校を減らす。こういうときには教育委員会の決定で減らすというふうな決定方法になっている。現在の教育委員で、ウォッチングする機能とか、あるいは評価するという意味では非常に生きると思うのです。だから、そういう機能に変えていく。執行はあくまでも首長の責任のもとにおいてやる。先ほど武蔵野のいい例をお聞きしたのですが、これは教育委員会がなかったらできないことって何があるかなと思って見ていると、やはり首長の強い意志があればできることばかりではないか。先ほど確かに宮崎さんのおっしゃったように、首長の質によって非常に教育がぶれるというのは危険だという意味はよくわかるのです。だけども、教育自身が首長の資質を問われる大きな評価項目という、選挙民の目、その点は信頼すべきではないか。首長と教育長のコンビで教育というものはすべて実践される。それに対して現在の教育委員会のシステムを利用して、ウォッチングする、評価するという機能のほうに転化していかないと、非常勤の者が要するに業務執行の判を持っているということについては、5年間、随分矛盾を感じましたですから、その点を申し上げているわけでございます。

○ 鳥居部会長
 ありがとうございました。
 それでは、時間がまいりましたので、最後に土屋さんからもう一言。

○ 土屋委員
 まず食育の問題が出されましたけれども、食育については非常に難しい問題を持っているだろうと思っております。ちなみに、武蔵野市は中学校給食はやっておりません。また、やる気もありません。それから、首長のリーダーシップと教育委員会との関係、宮崎さんと津田さんのことに関連して言えば、先ほど石田市長から、首長は教育について非常に関心を持っているという御意見が出されたのですけれども、まあ、私が知っている市長は、そんなに石田さんのレベルの人はめったにいない。誰とは言いませんけれども、東京都26市ありますけれども、そのうちの先頭を切って教育の指揮をとれるのは何人いるかなと思うと、私も含めてそんなにいないと、このように私は思っております。
 だから、何を言いたいかというと、教育委員会制度があって、よく都道府県を見ているとか、文部科学省のほうを見ているとか言いますけれども、ある程度だめな首長が出たときには、それが保障になるのです。それはナショナルスタンダードで、ある程度きちんと底支えをやってもらう。これが非常に大事だろうと思います。
 その場合に、例えば教育長とか ―教育長の中にも、こういう教育長がいます。例えば市役所の行政から上がっていった教育長が結構いるのです。三多摩なんかでも3分の1位います。それはわからないですよ、あまり。順番で、はっきり言うと、市長は選挙だから別格だ、その次は助役になるほどでもないとか、収入役になるほどでもない、その次、3番目が教育長になるなんて、そういう例はいっぱいありますよ。どことは言いません。うちは教育長は別格だと思っているから、教育責任者を充てています。だけど、そうじゃなくて、出世の順番で、最後に到達したような教育長という市だっていっぱいあるのです。
 そうなったときに、教育長一人で、実際にああせいこうせいと言ったって、誰がやるのかといえば、その下の指導室長だとか、学務課長とか。その学務課長までが行政というケースもあります。だから、いろいろなケースがあるから、私は制度的な保障としての教育委員会で、あんまりおかしなことをしたら、ナショナルスタンダードで、上からいろいろな指導をする。それが国民がどこに住んでいても、ある程度の教育を受けられるという権利の保障ではないかと思っています。
 それから、生涯学習についてでありますけれども、学校施設の開放なんていうことも、首長とうまくやればいろいろなことができます。学校施設といえども、学校教育財産だけれども、市の施設であることは間違いないわけですから、市長が最終的な管理者であることは間違いないわけで、例えば武蔵野市の場合にも、学校教育の中だけではできないことがあります。例えば、朝7時半から校庭開放をやっています。子どもたちが早く来ていいよ、校庭で遊んでいいよ、みんなグループをつくって遊べと。こんなことを学校教育体制の中でやらせたら、校長と教頭がノイローゼになってしまう。そこで、市長部局がリーダーシップをとって、生涯学習的な営みとして、その朝の時間は学校教育財産を生涯学習財産に変換するというやり方をやっています。そのほかいろいろなやり方がある。いろいろなやり方ができるので、これは総合調整の首長がリーダーシップを持たないと、これはなかなかうまくできないと考えています。
 それから、人事について、先ほど言おうと思っていたのですが、志木市長は、人事権を盛ったほうがいいということですけれども、私もずうっと考えました。今の人事制度には一長一短があるのですけれども、それでは武蔵野市のレベルは、職員が1,100人ぐらいおりますけれども、その1,100人の中には保育士のような専門職もあるから、実際に事務屋というのは700とか800になるのですけれども、この中で、例えば本当の意味で人事だとか何だとかできるのかということになりますと、例えば武蔵野市の人事課というのは10数名しかおりません。それと同じようなものが教育委員会の中にできるのか。しかも、教師の選考というのは非常に難しい要素があります。
 もう一つ、これはさっきは話が出ていなかったけれども、これは地方公務員でしょうね。志木市長はどういう考え方を持ってらっしゃるのかわかりませんけれども、地方公務員だったら、地方公務員法の適用になるわけです。そうすると、分限だとか、懲戒だとかって、ものすごい大変な手続が要ります。それが市町村でできるのかということがあります。はっきり言うと、10万人ぐらいの市町村で、そう簡単に人の首なんか飛ばせませんよ。組合が強ければ、必ず裁判闘争になりますから。これは一般職でも同じです。だから、市町村に人事権がおりたならば、自由にできると考えるのは、それはある程度錯覚だと思います。私は総務省の人事担当に、一般職だって同様な問題があるのだから、10年ごとに再契約するような人事制度をつくったらどうだと言っていますけれども、そういう制度でもできれば、10年間我慢したけれども、この教員は首だといえばできますけれども、そうはいかない。だから、私は実態に応じたことをよく考える必要があるだろうと考えております。
 それから、ある予備校が電車の中吊り広告に、こういうふうに書いてある。「学力より気力」と書いてある。なかなかいいことを言うな、さすがこれで飯食っている人だなと思って。「学力より気力」が、今、例えば高校生や大学生で問題ではないのか。それから、最近はこういうのも書いてあります。「子どもの教科書を読もう」と。なかなかいいスローガンですね。予備校からいろいろ知恵かりたほうが、案外いい知恵が出てくるかもしれない。何を言いたいかというと、やはりそこに問題があるのではないか、今日の教育は。そこをすごく感じます。
 あれやこれや申し上げたいことがたくさんありますけれども、私は教育委員会を安全弁として、この活性化を図る。その時々には首長との力関係で、個性的な首長が出て、教育を第一義的に考えるという首長が出れば、多様なことができるけれども、そうではない、土木行政や何かを一所懸命やろうという首長が出ても、ある程度のナショナルスタンダードは確保できる、こういうことが非常に大事なのではないかと考えています。

○ 鳥居部会長
 ありがとうございました。
 土屋市長にはまた委員として、この会に毎回出席していただきますので、ぜひまた続けて御意見をいただきたいと思います。
 今日はいろいろな意見が出まして、教育委員会制度の問題点が随分浮き彫りにはなりはしたが、どれがどうなのかは、まだまだ議論を続けていかなければならないところだと思います。
 石田市長、一言、最後に何かございましたら。

○ 石田意見発表者
 皆さん、大変勉強させていただいてありがとうございました。私もつくづく考えますが、難しいことはありますが、私はやっぱり生きるということを考えることだと思うのです。学ぶ充実感というか、学ぶ楽しさを追求することであって、教育というものがどれほど人生に果たす役割が大きいかということを考えますと、この中教審で、もっと国民的な骨太の哲学みたいなものをドーンと出してもらわないといかんと思っておるのです。今の総理も最初、米百俵とおっしゃって、僕は期待していましたが、その後、教育に対するインフォメーションがちょっと落ちてきましたので、トップが教育のことを言っていって、絶えず言うことが良くなると、私は認識しております。総理に代わってこの中教審か、絶えず国民に対して教育の大切さを情報発信していただくことが大事ではないかと思いますし、ぜひ教育者の皆さん頑張ってください。

○ 鳥居部会長
 ありがとうございました。
 それでは、これにて今日の部会を閉会とさせていただきます。ありがとうございました。
 事務局で何か……。

○ 山田生涯学習企画官
 今後の日程でございますけれども、資料7にございますとおり、次回につきましては、6月15日、火曜日の午後2時から4時まで、グランドアーク半蔵門の華という部屋で開催の予定でございますので、よろしくお願いいたします。

○ 鳥居部会長
 それでは、次回、よろしくお願いいたします。
 どうもありがとうございました。閉会といたします。

午後4時51分 閉会

お問合せ先

生涯学習政策局政策課